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| ■書簡 その181 梅・足踏み |
各地から梅の便りが聞こえてくるなか、我が家の近隣では、ここ数日の寒さで、開きかけのままストップ。
そこで府中郷土の森博物館の梅園に出かけてみた。府中市と私の住む多摩市とは、多摩川を隔てた対岸。
「多摩川を越えると気温が2,3度違う」と言うのだが、確かに此処では白梅だけでなく紅梅も開花が進んでいました。
人出も多く、梅祭りを楽しんでいました。梅の木の根元では黄金色の福寿草も満開だ。来週には開花で見頃を迎えるだろう。
その頃には我が家の周りでも開花再開で、いい香が漂う事だろう。 |
| ■書簡 その182 サンシュ |
庭のサンシュの木と唄に歌われた、あのサンシュの木の花です。
以前、京都の小料理屋で初めて飲んだサンシュ酒(梅酒を漬ける要領でサンシュの実を漬けたもの。
数年漬け込んだものは絶品です)の味が 忘れられず、探していたのですが見つけました。
この花が秋には可愛い味になります。庭に木がある方 実が手に入る方、ぜひ漬けてみてください。
僕が今まで飲んだ果実種の中でNo1です。
香り・味共に 保証します。僕が飲んだ八年物は琥珀色で、これは何ですか、と聞いたほどです。 |
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| ■書簡 その183 動物園 |
朝、起きると快晴。気温も上がっている。それではと近くの多摩動物公園に出かけてみる。
考えていることは皆、同じとみえて、すごい人出。今年は寒かったので皆さん春が待ち遠しいようですね。
僕の子どもの頃は動物園は、狭い檻の中に、単独か、つがいで、種類を多く集めたところが多かったが
現在では広い場所に同じ種類の動物を何頭も入れたり、異種同士を住まわせて、自然に近い形で公開するのが普通のようだ。
広々としたところで人間も動物もリラックスしてストレス解消が目的か。
そう言えば昨年亡くなられた下川辰平さんも、動物園が好きでよく此処へ来ていたのを思い出す。合掌。 |
| ■書簡 その184 荒神山 |
鈴鹿市へ講演に行く。前日に打ち合わせで乗り込み、今日の講演は午後から。
それではと、以前から 行ってみたいと思っていた荒神山へ出かける。
時代劇ファンならお馴染みの地。
4月7日の荒神山の 高市の縄張りをめぐって、神戸一家と安濃徳一家の喧嘩に、
吉良の仁吉と清水一家が弱小集団・神戸一家(元々の縄張り所有者)に助太刀して
勝利を収めるが、主人公の仁吉は死んでしまう、という
神田伯山の講談、広沢虎造の浪曲や芝居で一世を風靡した物語。
(私の在籍した新国劇の十八番の 一つでもある)いや〜来て見て驚いた。
荒神山観音寺は境内は広く、現在まで続いている4月7日のお祭りの所為か
手入れが行き届いている。
仁吉の遺品、回し合羽に三度笠、仁吉を撃った鉄砲が展示してある。
丁度、庭の掃除をしていたご住職のお話を聞くことが出来た。
お寺の歴史や物語を後世に伝えたいとの熱い思いが伝わって来て楽しかった。
もっとお話を聞きたかったが仕事の前。失礼をして退却した。
4月7日のお祭りも機会があったら見たいものだ。
(仁吉を撃った鉄砲の一丁は金象眼で素晴らしい龍の細工が施してあったそうだが
盗難に遭ってしまったそうだ、とても残念がっていました。
昔は高神山と書いたそうです。) |
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| ■書簡 その185 不断桜 |
真夏以外は一年を通して、ぽつりぽつりと花が咲く、珍しい桜の木国指定の天然記念物「不断桜」が
白子の子安観音の境内に鎮座している。
古木で立派なものだが、人知れず静かに佇んでいるという感じ。
今日も沢山の蕾の中に、小さめの白い花が五輪ほどぽつりと咲いている。
よく探さないと分らないほどだが、これが常にぽつりぽつりと咲き続けるそうだ。
風情はあるが、地味な為か、季節柄か、訪れる人も少ない様だ。
しかし僕にとってはゆっくり眺められて幸いだった。これだけ立派な木、
しかも国指定天然記念物、もっと見直されていい気がするが・・・。 |
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| ■書簡 その186 ロダン・カリエール展 |
上野の国立西洋美術館にロダン・カリエール展を観に行く。
桜には早いが陽気が良いので上野の山は何処も大変な人出。まずは目的の西洋美術館へ。
素晴らしい展示品の数々。ジックリ拝見。次に常設展に廻ったのですが此処でビックリ。
1654年に描かれた、コルネリス・ド・ヘームという人の静物画。まるで写真。透明感はそれ以上。
感動というより驚きですが、今日見た物がすべて吹っ飛んで、350年前の日本は・・・との思いが。
1654年なら家康が江戸幕府を開いて約50年後。その頃にこんな絵画が・・・・。
ただ驚きでした。 |
| ■書簡 その187 おまたせ!おからとさといもコロッケ |
いろんな事を試しているうちに随分時間が経ってしまいましたが、ちょっと忙しかったのと思うようなものができなくて・・・。
おからで、さつま揚げのようなものを作りたかったんです。
魚を入れずニンジンやゴボウとおから、つなぎに山芋か里芋、又はジャガイモや蓮根等を擦って合わせ油で揚げてみたんですが、
どれもさつま揚げというよりガンモドキみたいな物になってしまいました。
それなりに食べられないことはないんですが気に入らない。
その中で里芋をつなぎにしたものが、粘りがあって食感が良いのでコロッケにしてみたらこれが美味なのです。
小料理屋の一品で出しても当ることウケアイ。衣のカリット感と粘りが絶妙。
作り方は普通のコロッケのジャガイモの部分をおから、里芋にするだけ。
A・・タマネギのみじん切りと挽肉を炒めたもの・・にサトイモの茹でたもの(蒸してチンしてもヨシ)を潰しておからと混ぜ合わせ、
さらに・・A・・を加える。それを丸めたものに小麦粉をつけ、とき玉子を付けてパン粉をまぶし、油で揚げる。
混ぜ合わせる時は塩、胡椒または好みの味付けをするのがミソ。後でソースや醤油マヨネーズで食べても結構。
手間が掛るように思われますが意外と簡単。一度食べたら病み付きなります。
ぜひお試しあれ。 |
| ■書簡 その188 桑名を訪ねて |
先日、桑名に行ったんです。「その手は桑名の焼きはまぐり」。。。あの桑名です。
桑名城址の九華公園から七里の渡しへ。此処から海路七里を渡って、熱田の宮の渡しへ。
東海道を上り下りした旅人達とは別に、伊勢参りの人々でも賑った宿場町。
城下町であり港のある交通の要として、当時、最も栄えたこの街も、往時の面影は少なく、ただ静かな・・・。
旧市街を散策して目立ったのは、当然のことながら、佃煮屋の多いこと。それもほとんどが「貝新」という屋号。
寺町通り商店街を歩いていて、たまたま入った一軒で面白い物を見つけて、面白い話を聞いた。
面白い物とは、ウインドウの上に置かれていたノラクロの焼き物。
女性の握り拳ほどの大きさで、素朴そのもの。立ったり座ったり、色々で10数体(写真はガラスに反射して失敗)。
これだけ集めるのは大変な事だったろう。あんまり楽しいので話を聞くと、おかみさんが出てきて、自分の趣味だとおっしゃる。
そして、褒めてほしいのは、こっちだと指差す方に、タヌキがハマグリを担いだ焼き物が鎮座している。これも珍しい。
話が弾んで屋号の話になった。貝新を名乗る店は5軒。十代ほど以前、五人兄弟がそれぞれ分家。
男子四人、娘一人が独立して独自の味を競ってきたそうだ。全国に支店を出している有名店が実は五つの別々の店だったとは。
地元では常識の様だが、初めて聞いてビックリした。因みに「家は十代目です」とおっしゃる。
「あさり」と「はまぐり」のしぐれ煮を購入したが、どちらも甘みがほとんどなく、僕の好みにピッタリ。
これも何かの縁。食べ比べる事なく、これからはこの店に決めた。 |
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| ■書簡 その189 知らない町 |
全国を旅して、知っているつもりが、まだまだ知らない所がいっぱいあるもんだと思いました。
昨日行った、「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ。尾張名古屋は城で持つ・・・」唄に歌われた、あの津。
全国で唯一かな一文字の市。歴史は古く、知らぬ人とてないほど、有名な街。
僕は以前から何度も通りすぎたのに津の事は、何にも知らなかったんだと思い知らされた。
まず面白かったのは、天むす、味噌カツ、たいやきいちご大福・・・
これらすべてが実は津が元祖発祥の地だということ。(津市観光協会のパンフレットに詳しく出ている)。
天むすや味噌カツは名古屋の物だと思っていましたよねぇ。たいやきや、いちご大福だって・・・。
次に寺内町があるというので訪ねてみた。奈良の今井町が有名だが、此処も知る人ぞ知る、だそうだ。
一身田・高田本山専修寺。周囲を環堀に巡らされ、守られた町。
本当に静かで、信仰心の強い方々が参詣に訪れる以外は観光客らしい姿を見ない。
専修寺は山門(唐門)鐘楼、御影堂等々、立派なもので門の前にさらにくぐるような門が設けられているのは初めてみた。
町並みを歩くと、細い路地の板張りの家に懐かしさを感じる。このままではもったいない。もっと大勢の人に知ってもらいたい。
一つ難を言わせてもらえば、古い町並みに電柱が多く、家並みの写真が撮りにくいこと。
景観が悪いので地中に埋めるともっとすっきりするのでは、と思う。専修寺の境内で鉢植えの蓮の植替えをしていたが、大変な数だ。
八月、花の咲くころ、ぜひ来てみたいと、心を残しながら仕事場へ・・・。 |
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| ■書簡 その190 宮様のしだれ桜 |
秩父宮記念公園。秩父宮家の別荘が静岡県御殿場インターのすぐ近くにありました。
宮様お隠れ後、市が管理していたのですが、3,4年前から一般に開放。市民の憩いの場になっています。
そこに藁葺き屋根の母屋を挟む様に、二本の枝垂れ桜の古木があります。
美しい花が咲き始めるとライトアップされるのですが、他のところと違うのは、この期間中は無料なのです。
普通はその期間中だけ有料というところがほとんどだと思うのですが、御殿場って面白いですね。 |
| ■書簡 その191 左きき |
左義長(さぎちょう)。正月十五日に行われる、悪魔祓いの火祭りのことで松飾を焼く行事のこと、そうドンド焼きのことです。
この左義長から、左ききのことを、ひだりぎっちょ→ぎっちょ・・・と言ったのです。
左利きは器用だといいます。二刀流の使い手、宮本武蔵はぎっちょで、絵や書は左手で書いたとの説があります。
この話は、放送では出来ないんです。何んででしょうね。 |
| ■書簡 その192 豆腐の日 |
中語の准南地方で作られた豆腐が遣隋使によって日本に伝わり、高級食材として食され、江戸末期になって庶民の食べ物として花開く。
そして天明二年(1782年)「豆腐百珍」が大阪の醒狂道人によって編集された。
この本が昭和49年に阿部孤柳、辻重光両氏によって「とうふの本」として生まれ変わった。
20数年前にこの本のことを知って捜していたのだがめぐり合うことができなかった。
それが今年、ひょんなこと事から親しくしている豆腐屋さんが持っていることがわかって読むことができた。うれしかった!
今、健康食品として海外から見直されブームになっている豆腐、その絞りカスといわれる「おから」、「うの花」と呼ばれ庶民の食べ物だった。
うの花のウツギは幹の芯が空洞、からっぽ。だから「おから」。そして包丁が要らないので「きらず」このおからに残る栄養素は多大。
そんなおからが産業廃棄物とは、もったいないと始めた「おから茶」。
ラジオ「森に耳あり、章二に目あり」で話をしたら問い合わせが多く、健康に関心のある人が多いのに驚いた。
せっかくだから、書いておきます。
フライパンを熱しそこにおからを入れます。煎るのが大変なので三分ほど電子レンジでチンして水分を飛ばすとラクです。
それを焦がさない様にかき回して、こんがり色づき香ばしい匂いがしてきたら出来上がり。
大さじ山盛り一杯を一人分の目安にして急須に入れ熱湯を注ぎます。湯飲みに入れればおから茶のできあがり。
栄養吸収もさることながら腸の掃除とても良いとか。
僕の健康法の一つです。注意することは脂肪分が多いので、酸化しやすい事。
作った物は冷蔵庫で保存することと、3日位で飲みきること。
入れたお茶が濁ってきたら酸化してきた証拠。飲むのをやめてください。
産業廃棄物の消費に協力して健康になろう! |
| ■書簡 その193 次回の出演予定 |
12月の26日・27日。阿佐ヶ谷の「ザムザ阿佐ヶ谷」にて上演される「鈍底」に出演致します。
詳しくは、また お知らせいたします。 |
| ■書簡 その194 近所を散歩 |
11月3日・4日・5日と、近所のイベントめぐり。3日は多摩センター周辺を散歩。
4日は永山のグリナード永山で開かれた「着物のリサイクルファッションショー」に
我が家のかみさんが出演するので覗く。
その後、橋本・大鷲神社の酉の市あんどん祭りを観に行く。
よさこい踊りのイベントもあり、屋台のはしごで満腹。熊手のお店が少ないのに驚く。
5日は国立市民祭りに行く。大変な人出。
駅前の大通りは全面歩行者天国で、御神輿が出て、パレードあり大道芸あり。
一ツ橋大学の構内はテントと人でいっぱい。
気分転換には最高でした。
ぼちぼち、12月の「鈍底」の稽古モードに入らないと・・・
各、自治体のホームページに、地元の行事や名所などが紹介されています。
観光協会などのリンクもありますよ。ご参考までに・・・
・多摩市・・・・・・・・多摩市役所
・相模原市・・・・・・相模原市役所
・国立市・・・・・・・・国立市役所・・文教都市くにたち |
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| ■書簡 その195 浮世絵 |
ボストン美術館所蔵・肉筆浮世絵展「江戸の誘惑」を江戸東京博物館に観に行った。
本当に久しぶりに「良いものを観た」という気がした。
文化財の海外流出を嘆く以前に、これだけの物が海外で保管されていた事にまず驚いた。
明治初期に、ボストンの医師ウイリアム・スタージス・ビゲローが日本で40数年かけて4千点の絵画と3万点の木版画を収集。
後にボストン美術館に寄贈。管理の行き届いた施設で長い間保管されていたものが、今回、100年ぶりに里帰り、一般公開された訳だが
海外での美術品に対する思いと大切さを改めて感じた。今回の出品作品・肉筆浮世絵70点。
どれも一度は名前を聞いた事のある作品揃い。繊細さと華やかさに吸い込まれた。
午前中にちょっと観てと気軽に出かけたのだが、絵に造詣の浅い僕が、飯を食うのも忘れて見入ってしまった。
平日だというのに、大変な人出。普段なら嫌になるところだが、これだけの人が関心を持っていることが何か嬉しかった。
「百聞は一見にしかず」ぜひ、観に行ってほしい。見なきゃ損!。12月10日まで開催。 |
| ■書簡 その196 ものもらい |
家に遊びに来た、若い奴が「ものもらいができかけてる」と言う。
一発で治してやると、おまじないをしたら翌朝電話が掛って来て「本当に治りました」と不思議そうに言う。
そうだこの話をラジオでしようと、方言などを調べて調べていると、一発で治る・・・という表現が薬事法に引っ掛かるからと、止められた。
もう一つの方法も危険だからダメだという。もったいない話なので、ここで紹介しよう。
「ものもらい」の方言は全国で250余りあるという。
主なものは東日本の「ものもらい」。北海道では「めっぱ」関西地方の「めばちこ」に「めいぼ」。
ほかに、「めんぼ」「めぼ」「めぼう」「めぼいた」「めんもらい」。少数派では「ばか」「おひめさん」「おきゃくさん」「おともだち」「めんちょ」など。
さて、おまじないだが、一つ目は昔から伝わっている方法。
ツゲの櫛を畳の目に沿ってこすりつける。熱くなったところを、患部にあてる。チョンチョンと2、3度で良い。
なぜか他のものではダメ。ツゲの櫛でなければならない。大きくなる前なら不思議と治る。
もう一つは、和紙で「こより」をよる。その先で目頭にある涙腺を刺激する。涙が出てきたら、それで良し。
この方法も、かゆくなって腫れ出した頃なら一発で治る。
とても不思議だが、僕は子どもの頃から、ものもらいで医者にいったことはない。
ものもらいの方言・・・ロート製薬・・・ものもらいMAPで詳しく説明されています。
※管理人注:この記事で書かれている内容は、森個人の体験によるものです。医学的根拠はありません。 この方法によって、体に不具合が生じても、一切の責任は負いかねますので、ご了承ください。 |
| ■書簡 その197 おかしな監督の映画祭 |
調布グリーンホールへ、おかしな監督映画祭を観に行った。
10分程の作品を、ベテランからデビュー前の15人の監督が出品。
観客が投票でグランプリを競うのだ。
ドキュメントタッチのリアリティのある作品から、新しさについていけないというか、僕には理解できない様な作品まで様々。
残念ながら僕の投票した作品は選ばれなかったが、楽しかった。
それにつけても最近は映画を観ると、亡くなった方々を思い出す。
先日は「武士の一分」を観ていて何故か三隅研二監督のことを思い出して懐かしんだが、今日は勝新太郎さんのことを思った。
もしこの会場に来ていたらきっと「お前達ね」と云って、壇上にあがり映画についての一席を語ったに違いない。
そんなことを考えながら帰途についた。 |
| ■書簡 その198 鰆 |
サワラの美味しい季節がやってきた。
関東では、いや我が家では塩焼き。関西では西京漬けといって味噌漬けにすることが多い。
味噌に酒粕を混ぜたり、各家庭により工夫された味がある。
もっとも関東でも醤油に出汁を加えたタレに漬けて各々の味に仕立てて照焼にしたりする。
海に近く新鮮なものが手に入る地方では刺身にする。
我が家では新鮮なものに塩をしてから、酢で洗ってコブ〆にした。これがうまい。
子どものころからの好物であるこのサワラだが、魚へんに春と書いて「サワラ」。
魚の名前は魚へんで書くものが多いが和名は全部カタカナで表す事になっている。
以前、漢字で書いていた頃は字を見ただけで、そのものの姿がわかる、面影が浮かぶという情緒のあるものが沢山あった。
当て字も多いが。植物で云えば、釣船草や蛍袋など、いわれを知りたくなる。
魚も魚へんで表す以前の漢字で書かれたものには、味のあるものがある。その一つがサワラだ。
狭い腹と書いてサワラ。この魚の姿そのままだ。細身のスッキリした体形。そして小さめのものをサゴシと云うのだがこれも漢字にすると狭腰だ。
鰆では知ることのできない味わうことのできない文化がついこの間まであったのに・・・。
地名にしてもそうだ。便利で分かりやすくなったかもしれないが、文化が失われて行くのは味気ないものだ。
国際社会になって薄れていく日本人の心。
昭和30年代の、ほのぼのとした時代を懐かしむ映画や読み物がヒットしているが
懐古主義ではなく、本当に取り戻してこそ、心の栄養ではないだろうか。 |
| ■書簡 その199 特別展・江戸城 |
両国の江戸東京博物館に特別展江戸城を観に行く。10時半頃に入場したのだが、大変な人出。
江戸の話が好きな僕にとっては江戸時代に興味を持つ人が多いことは嬉しいかぎりだが、観客に若い人がほとんどいない。
特に今日は平日。時間に余裕があるのは年配者だろうが、それにしても養老院の団体旅行。芋を洗うようだ。
展示品を見るのも頭越し、人の後についてぞろぞろ進むだけ。マイッタ。それでも良いほうだったかもしれない。
12時半頃に外に出たが、入口は長蛇の列。並んで待っている。
次の予定地、上野の東京都美術館に向う。暖かい陽気に誘われたのか此処も大変な人出。
そここで大道芸やミニコンサートをやっている。動物園も修学旅行か?人が多い。東京都美術館に着いて驚いた。
目的のオルセー美術館展だが、40分待ちのプラカードを持った人が立っていて、横には黒山の人。
これではとても・・・と諦めて散策しながら帰ることにする。上野の山では、もう早咲きの桜が咲いている。ピンクの色に染まるのも間近だ。
それにしても異常気象ですなぁ。不忍池には水鳥にまじってユリカモメがいっぱい。 |
| ■書簡 その200 おねがい |
仕事で下谷稲荷町のスタジオに行く。上野駅から3分。下谷稲荷のすぐ近く。
この下谷稲荷だが元々は上野の山にあったのだが寛永4年、寛永寺の建立にあたり、上野山下に移され、その後この地に替地造営された。
昔から(西暦730年創建と伝えられる。)「正一位下谷稲荷社」と称されていたころからこの町を稲荷町と云うようになった由緒ある神社。
また寛政10年(1798年)には江戸で初めて寄席が行われた由縁の地で境内には「寄席発祥の地」の石碑が建っている。
明治5年に神社名を「下谷神社」と改めたと記されている。
子どもの頃、母に連れられてお参りに来た頃はこの辺り一帯は「しもたや」で大きな鳥居と社殿が鎮座ましましていたものだが
今ではビルに囲まれ窮屈そうな佇まいである。
この神社に限らず子どもの頃、遊び場だった虎ノ門の金毘羅様や先日訪れた神田明神や湯島天神など都会の神社には
昔の印象と違ってとても狭く感じるのは周りの景色の為ばかりだろうか不思議な気ががした。
収録を終えて表に出るとバッタリと新派の勝見史郎と会う。この勝見史郎さん、知る人ぞ知る新派の名脇役である。
初代水谷八重子に師事。女形から男役、ジジイ、ババアから丁稚まで何でも熟す貴重な存在。「忙しい」かと聞くと「ひまひま」という答え。
こんな人が暇とは、もったいない。お茶を飲むことにするが、話はやっぱり芝居の話。
新国劇新派の名優伝、同世代の人とは気兼ねなく話が合う。アッという間に二時間。久しぶりに楽しいひと時だった。
人間、喋るとストレス解消になるというが本当だ。このところツキがないと思っていたが、運が変るといいなぁ。 |