 |
| ■書簡 その81 新年を迎えて |
新年のご挨拶を申し上げます。
年の始め、月の始め、日の始め、元旦を皆さまはいかがお過ごしでしょうか?
我が家の元旦はお屠蘇とおせちで祝った後、お雑煮を食べるのが慣わしです。
お屠蘇は5種から7種くらい(普通は6種類だと思う)の生菜から成り、身体を温め胃腸を整え、風邪の予防等、健康を願う行事です。
おせちも江戸の人々の粋と洒落から生まれた縁起の良い食べ物として伝わったものです。
儀礼的な事、作法、習慣等色々とありますが、我が家では健康とその年の幸運を願って、ただただ食べる事に専念しています。
お雑煮は全国各地のものを試してきましたが、やはり子どもの頃より親しんだものに落ち着くようです。
お雑煮文化圏はとても面白いので今でも興味を持っております。皆様の我が家のお雑煮を、ぜひメールで教えてください。 |
| ■書簡 その82 初詣 |
昨日の雪が嘘の様な晴天につられて高幡不動尊に初参りに出かける。
駅を出て驚いた。みんな同じ思いか、昨日出られなかった人達が、いっぺんに集まったようだ。
人の流れに乗って境内までは歩いたが、もみくちゃ。
とても寺前まで近づけない。出店の屋台で様子を見ようと思ったが、何処も人でいっぱい。こりゃだめだ・・・。
後日出直すことにして退散した。
それにしても正月風景が見られない。門松はないし、遊んでいる子どももいない。足元が悪い所為もあるが着物姿の人もほとんどいない。
(人のことはいえないか)毎年正月は着物を着るのに、昨日の元旦は雪かきだったし、今年はまだ着物を着ていない。
カミさんも母も、足元が悪いと言ってスラックス姿だった。 |
| ■書簡 その83 お正月気分 |
人出も少なくなったろうと高幡不動尊に再度お参りに。思ったより人は多かったが無事本堂で祈願を済ます。
モノレールで立川に出て、映画「レディージョーカー」を観る。
引き込まれて観入ったが、終わってみると、原作を読んでいなかった為かチョット解らないところがあった。出演者は皆さん素敵でした。
立川の街は正月気分まったくなし。今年の正月気分は年賀状だけでした。 |
| ■書簡 その84 燻製 |
津久井の友人「永井達也」さんから電話で「近所の友人と燻製をするので来ないか」と誘いがある。
暮れにご馳走になったが作るところを見たいので出かける。驚きました!古いロッカーの中に七輪を入れて炭を熾して山桜の蒔を燃やす熱燻。
ブロックの上に桜のチップを乗せて、くすぶらせて冷燻の二種。
大きさや物によってちがうが熱燻で3時間から5時間、冷燻で丸一昼夜。だいたいこんなもんで出来る。
今日は、熱燻。鮭の新巻を天井部からつるしたり、金網で作った棚の上に乗せて(肉類は下ごしらえがいるので、今日は魚。
特に干物)火をつけて扉を閉じる。午前中に始めて夕方、皆で食べる。
うまい!ことに干物(さんま・塩鯖・ホッケ等)は癖がなくなって魚の嫌いな人でも美味しく食べられる。
時間は掛るが簡単に出来るので皆さんにもオススメ。楽しいよ! |
 |
 |
| ■ロッカーに七輪をセットします。 |
■材料をならべて、準備完了! |
|
| ■書簡 その85 七種粥 |
我が家の今日の昼食は七種粥(七草粥)。七種の野草を正月七日に食べて祝う行事。
現在は鎌倉時代より伝わる、春の七草。セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロの七種だが、
時代によってセリ・ナズナ・ゴギョウ・ホトケノザ・タビラコ・アシナ・ミミナシ等を上げたものもあり、多少の違いがあったようだ。
いずれにしても厄払いと一年の無病息災を願って平安時代初期から伝わる行事だ。
台所道具を並べて、七草をきざみながら、はやし唄を唄って祝ったものだが、
現代では正月疲れの胃腸を休め回復させるための食品として食されている。
事実、これらの野草には血液浄化・胃健・消化促進・歯痛・咳止め解熱・排尿等の薬効があるという。
中国から伝来した初期(平安時代)の官中ではコメ・アワ・ヒエ・キビ・ミノ・ゴマ・アズキが七種粥だったそうだ。
時期はちょっとずれますが、西洋にも似た様な習慣があります。
復活祭の前の木曜日を「緑の木曜日」と呼んでこの日、野に出て野草を摘んで食べます。
タンポポ・スイバ・ヨメナ・オランダゼリ・イラクサ・カタバミ・アサツキ・キクニガナ等です。
これらは日本でも雑草として身近に生えているものが多いので試してみたい気もしますが
春の野の出て新鮮なものを食べて健康を願う人々の願いは全国共通のようです。
そして今日は七草爪。食後に僕も爪を切りました。松飾りもとれて、次は11日の鏡割りですね。 |
| ■書簡 その86 鏡開き |
子どもの頃、お下がりのおかがみ(鏡餅)を切ろうとして叱られた事がありました。
包丁が傷むからかと思ったら「おかがみは切るものじゃない。木槌で割る物」だと教わりました。
一年の無事を祈ってお供えした鏡餅をお下がりとしていただく儀式で、餅を食べた者には力が授けられる。
そして武家の屋敷では、男は武具に(具足餅)、女は鏡台に(鏡餅)に供えた餅を正月二十日に割って食べたのが始まりで、
武家は「切る」という言葉を嫌い、刃物を使わず木槌で割ったそうです。
それが縁起を担ぐ町人の間で「無病息災」と「延命」を祈願して食べる習慣になった頃から、「割る」では縁起が悪いので、運を開くという意味で
「鏡開き」になったと聞きました。さらに、月こそ違え、三代将軍家光が二十日に亡くなったことから十一日が鏡開きになったと言うわけです。
しかし現在のように、裸の餅ではなくポリエチレン等に包まれた柔らかい餅は割れませんよね。切るわけにもいかないし・・・・・。 |
| ■書簡 その87 足先の冷える人に・・・ |
昔の人の知恵に、今更ながら感心しました。
携帯カイロを切らして(僕は足先だけが冷えるので靴下用の携帯カイロを使用している)どうしようと思っているとき
思い出したんです。「靴の中に鷹の爪(トンガラシ)を入れるとポカポカするよ」と聞いたことを。
こんな時に試さなければ!と入れたんです。靴の先に。いや〜驚きました。歩いているとポッカポカ。
新しい物ばかりに目が向く昨今、見直さなければならない事がイロイロあるようですね。
足先が冷える方、ぜひお試しあれ。
僕はトンガラシ5本ほどをナイロンストッキングに包んで爪先に入れました。 |
 |
| ■書簡 その88 「子供騙し」を観た |
緒形さんに招待状を頂いた「子供騙し」を紀伊國屋ホール
に観に行く。
作・演出:水谷龍二 出演:緒形拳・篠井英介・富樫真。
三人の掛け合いが絶妙で面白かった。客席全体がクスクス笑う楽しさは、
昨年、稽古を見せてもらったときのキャスト・スタッフみんなが楽しそうに作っていた雰囲気がそのまま伝わってきたようだ。
芝居は観るのが楽しい。 |
| ■書簡 その89 世田谷ボロ市 |
世田谷美術館(吉野・熊野・高野の名宝展)からボロ市に行く予定だったが、朝から雪が降ったので中止にする。
毎年12月15.16日と1月15・16日に世田谷通りから代官屋敷や郷土資料館のあるボロ市通りを中心に700軒もの露天が早朝から夜まで並ぶ市で
大変賑います。毎年、TVの報道番組にも上がるほど、東京では有名な楽市です。
今年の様に天候が悪いと露天に店を出している人達だけでなく近所の商店街、特に食べ物屋さん等は大変な痛手を受けます。
訪れる人達の楽しみを奪うだけでなく地元の被害は切実。小さな天候災害がこんなところにもありました。
天正6年(1578年)に北条代政が開いた楽市が始まりといわれるので、もう400年以上の歴史があり、
昔は古い農具、日用雑貨、古着等を持ち寄ったので「ボロ市」と名が付いたそうですが、
今ではゲームソフトや新品衣料、食料品まで何でもあり、世田谷を代表する行事になっています。 |
| ■書簡 その90 白寿の芝居を惜しむ会 |
「島田正吾先生を偲ぶ会」に出席。
一人芝居「司法権」の時の挨拶の声が流れる中、各界の方々が大勢集まって「大島田」と、おおむこうが掛り、盛大に送る。
(僕も大声を張り上げました)我々の一画はまさに新国劇の同窓会。
思い出話に花が咲き、天国に帰ってしまった神様を偲びました。合掌ではなく拍手。 |
| ■書簡 その91 吉野・熊野・高野の名宝展 |
15日に行けなかった展覧会を世田谷美術館に観に行く。
砧公園の静かな一画にすごい人。木像「役の行者」と木像「聖徳太子」が特に素敵でした。
熊野古道をゆっくりと歩いてみたいとカミさんと話しながら家路へ。 |
| ■書簡 その92 翡翠展 |
上野の科学博物館に翡翠展を見に行く。以前、開高健さんが言った言葉を思い出した。「最近、何を食べてもうまくない。
世の中の知らなくても良いことまで知ってしまうと、どうも感動がなくなる」。
僕は食べ物は何を食べてもうまいと思うのだが、見るものに対しては感動が少なくなったのは確かだ。
特に自然からとれる物は資源不足か、良い物が少なくなっているようだ。 |
| ■書簡 その93 笑顔 |
笑いが免疫力を高め、病気の回復に役立つと言われて久しい。科学的にも色々と証明されつつある。
(ストレスで起こる炎症の悪化を防ぐ。痛みを和らげる。血糖値の上昇を抑える。その他免疫力向上で病気の克服に繋がる)が、
何より笑いは幸福な気分にしてくれるし周りの人の心を和ませる。
お母さんが赤ちゃんに笑顔を見せると喜んで自分も笑おうとして体温を高め、脳内ホルモンを分泌させて成長を促すそうです。
無表情でいると、怯えて体温が下がり泣き出すそうです。皆さん笑を作りましょう。笑うと顔の筋肉を動かして若さを保つのに役立ちます。
笑うとシワが増えると思い込んでいる方、そんなことはありません。得るものの方がずっと多いのです。
でも高校野球などで三振したりエラーした選手が楽しそうに笑っている・・・あれは僕はいただけません。 |
| ■書簡 その94 ニュースを見て |
三宅島の方々が4年5カ月ぶりに帰島。再出発にエールを!と思っていたら、新潟の被災地では19年ぶりの大雪とか。
大変なことですね。今更ながら自然災害の恐ろしさを感じています。何も出来なくてごめんなさい。 |
| ■書簡 その95 節分 |
春を呼ぶ行事。僕らの子どもの頃は、近所の家々で夕方 玄関や窓を開けて「鬼は外!福は内!」と大声をあげながら豆を撒いたものだが、
最近は全く聞かなくなった。正月の遊びが見られないと嘆いたばかりなので今年は邪気祓いと気分転換をかねて、何十年ぶりかで大声で豆を撒いた。
気持ちよかったが近所迷惑だったかな。ちなみに家では、鬼は外2回、福は内3回の繰り返しです。 |
| ■書簡 その96 映画 |
テレビでブルース・ウイルスの「アルマゲドン」を観た。以前、劇場で2度程観た映画だ。
一回目は字幕に追われ、二回目はストーリーを追っていた様な気がする。
今回は火燵でのんびり観ていたら登場人物達の思いにこちらも自然と感情が乗ってきて胸も頭も熱くなった。
もともと映画は劇場で観るものと思い込んでいたが、茶の間で吹替版を観るのも良いものだと、今頃になって気が付いた。
最近の映画館の音響の大きさにはウンザリしていたところだ。それに吹替版も技術向上で、わかりやすくて良い。
(年の所為で活字を追うのがシンドクなったのか)今度は劇場でも吹替版で観ることにしよう。 |
| ■書簡 その97 雪の関が原 |
久々に、雪で真っ白になった関が原を通る。以前はこの時期、此処を通るときは雪のため新幹線が遅れてヒヤヒヤしたものである。
今では温暖化の所為か、雪が少なく、新幹線も順調の様である。十数年前まで関が原が豪雪地帯だった頃、テレビも時代劇全盛期。
此処を通る役者達はスケジュールに追われて新幹線に飛び乗ることが多く、遅刻するのではと、通るたびに冷や汗ものだった。
そんなことを思い出しながらのんびり京都まで・・・。 |
| ■書簡 その98 水戸黄門撮影 |
東映京都撮影所に着いてカツラ合せを済ませると、予定変更。
夜間撮影でセットに入るという。早速「水戸黄門」の撮影に入る。
(第十二話・松前)僕の役は松前の物産問屋・川浜屋の主人。悪徳商人である。
ゲスト主役に林隆三、お代官には亀石征一郎。皆さん元気いっぱい。
特に、この撮影所の門を潜ると背筋が伸びるような気がする。
放映は4月11日の予定だそうです。近々に、撮影の様子の写真を公開いたします。お楽しみに・・・。 |
 |
| ■書簡 その99 東映映画撮影所 |
天気が味方してくれて15日の撮影が繰り上がって、僕の出番は完了。「お先に」と云って帰る時の気分の良い事。
それはさておき、水戸黄門のクライマックスには殺陣もあります。そして印籠。このシーンをラスタチと言います。
何の事はない。ラストの立ち廻りだからラスタチ。(時代劇の最後の立ち廻りは総じてラスタチ)。
この場面になると必ず東映剱会のメンバーが集います。東映時代劇を支えてきたこの人達が入社したのは、映画全盛期の昭和30年代。
だからほとんどの人が定年。契約社員の最終グループでも50代半ばをまわっている。人数は少なくなったが皆さん元気一杯。
定年組は、休日は高級車で毎週ゴルフ。苦労は報われるものです。 |
| ■書簡 その100 ガンガン |
ハリウッドも絶賛した、日本式屋外暖房器具。というと聞こえがいいが
石油缶の横に穴を開けて炭で火を熾したものですが、ロケの時の必需品。
火力が強く、皆で四方を囲んで暖を取れる。どんな文明の利器よりも便利で役に立つ。
日本にロケーションに来たアメリカのロケ隊が現在もハリウッドで使っているという、すぐれものです。
写真は、京都の東映映画撮影所で活躍中のガンガンです。 |
 |