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■書簡 その41 我が家のペットその3・・・ザリガニ君その後 |
出発前に生まれたザリガニ。3分の1に減っている。
しかし1.5cmから2cmに成長して、中にはブルーの奴も2,3匹。大きくなるのが楽しみだ。 50匹位いるが、全部大きくしたい。 |
■書簡 その42 秋の気配 |
大阪・御堂筋では、お盆を過ぎた頃にピタリと止んだセミの声が、我が家の周りでは、まだ聞こえてくる。
夏の終わりを告げるツクツクボウシやヒグラシに混じってアブラゼミやミンミンゼミまで。しかし夕暮れと共にコオロギを中心としたムシの声が始まる。
我が家のスズムシは9月の声を聞くと絶えていった。例年よりひと月早いが、春の羽化が1ヶ月早かった為か。猛暑の所為か、植物の様子もおかしい。
お彼岸頃に咲き、毎年ほとんど狂いのない「ヒガンバナ」が今年はもう咲いている。
家でも鉢植えにしている鹿児島産の、咲き始めは薄いピンク系オレンジ色で、やがて 白く変わる彼岸花も、もう白く変わりつつある。
今年こそは、信州・箕輪町のピンク色の「そばの花」を観に行くつもりだが、うまく出会 えるだろうか・・・。 |
■書簡 その43 大阪のひと |
大阪の話を・・と思っていた所に、新聞のコラムで面白い記事を見つけた。
関東の大学生が北京の知人宅で街の印象を聞かれて、ある学生は「中国人は列に並ばないし、すぐに割り込む。大阪の人みたい」
別の学生は「中国人はスーパーでもどこでも値切ろうとする。大阪の人みたいですね」こんな意見を述べている。
ここだけ抜粋したのではチョット具合が悪いのかもしれないが、これは置いておいて、僕も大阪で電車に乗るとき、
いつも、よくこれでモメ事がおきないもんだと思った。東京だったら大変なことになると思うのだが大阪では、そのままスムーズに流れていく。
帰ってきた今でも不思議でならない。値切るのは商人の街の習慣だろうか。双方が楽しんでいるようだ。
ちなみにエスカレーターの上り・下りで、歩くときは 東京では止まっている人は左側で、右側を歩く。
大阪では反対で、右側に止まって左側を歩く。これは武士の街・江戸と、商人の街・浪花の習慣から来るものだと聞いた。 |
■書簡 その44 夢 |
最近、夢を見ないなぁ と思っていたら 八月はよく夢をみた。それも舞台でトチッテル夢ばかり。
神経的に疲れてくると夢を見るようだが、同じ夢を何度か見ると、嫌なものだ。
子どものころ、火事の夢を見るお金が入るとか、蛇の夢を見ると幸運を呼ぶとか聞いた事があるがそんな夢はまるで見ない。
疲れが取れたら現実の良い夢を見よう。 |
■書簡 その45 新聞のコラム・・我慢と辛抱 |
僕は新聞のコラムを読むのが好きだ。先日も面白い記事を見つけた。
「我慢」を辞書で引くと「辛抱すること」と書いてあるが、我慢と辛抱は違う というのである。
僕も違うと思うし、芝居の中の台詞で使うとき、我慢はこらえるとき、辛抱は耐えるとき と使い分けていた。
この違いが言葉の文化だと思うし、作家達はそれを大事にして来たと思うのだが・・・
芝居世界でも言葉の使い分けが出来なくなってきている。たとえば僕達がよく使う言葉に「練習」と「稽古」があるが、この区別がつかなくなってきた。
練習とは同じことを繰り返し修練することで、一人でも出きること。稽古は、付けてもらうことで、一人ではできないのである。
練習は家ですることで、稽古は稽古場でするのである。と思うのだが。 |
■書簡 その46 畑・ドジ・・ |
町田市の知人宅を訪ねた。運送会社を経営していた人だが、今は隠居して農作業に精を出している。
夏の野菜が終わりだから取りに来いと電話があった。
畑に行くとピーマン・シシトウ・ナス・唐辛子・南瓜など山と積まれ、畑にはごぼう・サトイモは繁り、大根の若芽が生えている。
その大根の間引きをしている真っ最中。
畑の横には栗が実り、柿が早くも色づいている。その下には真っ赤なヒガンバナが咲き誇っている。
「いけねぇ、なんでこんなときカメラを持ってこなかったのか・・・」。
しこたま野菜をもらって帰り、その日の夕食で食べたのは言うまでもない。うまかった! |
■書簡 その47 鎌倉を歩く |
演出家の藤瀬俊夫氏と、藤沢の駅で会う。
打ち合わせも終わって鎌倉でも歩いてみるか!という事になり、江ノ電で鎌倉に出る。
まずは本覚寺の夷堂に参詣。縁起物の「にぎり福」を購入。裏道を歩いて鶴岡八幡宮に詣でる。
花の終わった蓮池に人だかり、行って見ると池の鯉にエサをやっている。ハトも群がっている。
鯉のエサにつられてやってきた亀は、全部がクサガメ。ミドリガメは一匹もいない。流石、八幡宮だと変なところに感心して退散。
腰越漁港でシラスの釜揚げを買って帰途に着く。
鎌倉の街を歩いていて喫茶店の多いのに驚いた。東京ではチョット話をするにしても喫茶店がなくて困るというのに。
そんな一軒に入ると観光客のカップルが多い。オッサン二人が観光地で珈琲とは色気がない話だが、ふと思った。
喫茶店の元祖は今から350年程前に神社や寺の境内、盛り場などでダンゴを出して渋茶を飲ませる茶店水茶屋(腰掛茶屋)なるものである。
それから100年ほどたち、明和三美人とか水茶屋三美人と謳われた谷中の笠森稲荷の「お仙」。
浅草蔦屋の「お芳」、同じく柳屋の「お藤」という十代の三人娘が客を集めた。
この娘達は、いわばアイドルで店は一昔前の美人喫茶といったところか。この頃のお茶代は5文。
現代のお金に換算して単純計算で100円以下(90円くらいか)。物価が違うので比較はしにくいが、この値段が高いか安いか、
現代の珈琲が500円として、これも高いか安いか。それにこの娘達のブロマイドというか写真集というか、
錦絵は飛ぶように売れたという。なかでも笠森おせんの錦絵は数多く出版されている。
その30年後の寛政年間には喜多川歌麿が、富本豊ひな、難波屋お北、高島ひさ の寛政三美人の錦絵を出版している。
喫茶店→色気から連想して、随分話が飛んでしまった。 |
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▲本覚寺・夷堂 |
▲縁起物「にぎり福」 |
▲鶴岡八幡宮 |
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■書簡 その48 劇団若獅子 |
三越劇場で、劇団若獅子公演「上州土産百両首」と「蛍」を観た。
若獅子は僕の育った新国劇が解散した後、笠原章を中心に有志が集まって作った劇団で、今年でもう17回の公演を行っている。早いものだ。
今回は淡路千景さんが特別出演。鶴田さやかさんと曽我廼家玉太呂さん曽我廼家八十吉さんをゲストに迎えて皆さんガンバッテいた。
若獅子の芝居は身内意識で観るせいか、どうも疲れる。しかし今回は装置といい衣装といい素晴らしいもので十分楽しませてもらった。
多いようで少なくなってしまった新国劇の出身者がガンバッテいるのを見ると嬉しい。芝居も良いゲストを迎えて、久々の名作2本を堪能した。
鶴田さやか、可愛かった。イクツニナッタンダロウ。 |
■書簡 その49 ツクツクボウシ |
ツツクボウシの鳴き声が昨日でピタリと止んだ。今日も聞こえなかった。
彼岸を過ぎてセミの声を聞いたのは珍しい事だと思う。 |
■書簡 その50 秋の虫 |
秋も半ばに掛ると云うのにまだ夏日の記録の話がある。秋を想わせるのは虫の声だけ。紅葉前線も例年より遅れそうだ。
虫の声と云ってもコオロギが主流であとは樹の上の外来種アオマツムシ位か。
僕達の子どもの頃は都心でもキリギリス、マツムシ、クツワムシ、スズムシ等
、歌に出てくる虫の外にカネタタキやクサヒバリと云った虫達がたくさんいて、いろんな方法で虫取りをしたものだ。
虫籠をかついだおじさんが売りに来たりもした。
そんな秋の虫が今は絶滅危惧種に入っていると云う。風流なものが減って行く。 |
■書簡 その51 無題 |
全国の僕の通った日本の心の残る町、もう一度行ってみたい町を、思いつくままに綴ってみようと書き始めた。
ひとくぎり付いた所で、確かめる為に本を引っ張り出したり、パソコンで検索したりして驚いた。
とっておきの場所がほとんど出ている。情報過多だよ。日本国中、穴場とか隠れ家なんて何処にも無いね。
でも気を取り直して書き上げる事にした。 |
■書簡 その52 泪橋 |
全国に泪橋と呼ばれる橋がいくつあるだろうか。東京には二つあります。
一つは、旧東海道がアゴヒゲアザラシで一躍有名になった、立会川(浜川)を渡る浜川橋を泪橋と云う。
鈴ヶ森で処刑される罪人が裸馬に乗せられこの橋を渡った。縁のある人達がこの橋の袂で泪の別れをした。
(橋の袂に説明板がある)
もう一つは、浅草から南千住へ向う道が、明治通りで交差する所に泪橋交差点があり、昔は明治通りは用水路であり、
そこに掛っていたのが泪橋です。この橋も小塚原の刑場へ向う囚人達の泪の別れを した処です。
鈴ヶ森の刑場と小塚原の刑場は「江戸のお仕置場」と呼ばれ、多くの罪人が処刑されました。
この外、全国で処刑場へ向う途中に幾多の泪橋があると思われます。鎌倉から茅ヶ崎の刑場に向う途中にも泪橋がありました。
皆さんの住んでいる近くの泪橋、教えてください。 |
■書簡 その53 健康を思うなら |
○○が赤くなると医者が青くなる。この○○の中が、柿だったりリンゴだったり、国によってはトマトだったりする。
ことほど左様に旬の果実や野菜には栄養素が詰まっていた。なぜ過去形なのか・・・・
近年、ミネラルの含有量を計るごとに数値が減っているのである。
これは土中の栄養素が減っているのか食べやすくするための品種改良によるものなのか・・・定かではない。
しかし、野菜や果実の栄養分低下は事実なのである。自分の体は自分が守る。
バランスの良い食生活で健康を・・・。これからは健康補助食品も必要かもしれない。 |
■書簡 その54 薫る |
キンモクセイの香りが漂ってくる。いい匂いだ。
この時期になると出来たと聞いたときからずーっといきたいと思っている、静岡県豊田町の香りの博物館のことが浮かぶ。
同じ豊田町の熊野の長藤の咲く頃に行こうと決めてから、もう何回目のキンモクセイの香か、これも二兎を追う者は一兎をも得ず?
一度に済まそうとすると、なかなかうまくいかない。来年はきっと行こうと今年も思う。 |
■書簡 その55 電話 |
おれおれ詐欺、迷惑しています。我が家にも掛ってきたんです。それはいいんです。
その後の話なんです。僕が家に電話したんです。「ああオレ」と言った途端、ガチャッと電話を切られたんです。
カミさんに・・・合掌 |
■書簡 その56 米 |
子ども達が、春に田植えを体験。その稲が実り収穫を迎える。
米を作るには長い年月と八十八の手間がかかるという。それで八十八と書いて米という字になったんだそうな。
者を作る作業は大変なので作ることを止めてしまう人が多い。物が溢れている時代、お金さえ出せば大概の物は手に入る。
簡単に手に入ると作った人達の苦労がわからない。物を大事にしなくなる→人を思いやる気持ちが薄れていく。
そんな時代に田植えをして稲刈りをして汗を流すことで、沢山のことを学ぶ。素晴らしいことだ。
そのときに触れた草や虫達に興味を持って世界を拡げていく。そんな心を学ぶ時間がもっとあってもいいと思う。 |
■書簡 その57 米その2 |
「江戸煩い」「大阪腫れ」・・・聞いたことあります?脚気の事なんです。
今では脚気はビタミンB1の不足で病気の内には入らない栄養障害とわかっているのですが、
江戸時代には得体の知れない難病で死に至る恐ろしい病とされていました。
精白米を常食とする将軍家や江戸帯留の大名家、豪商などが病い「贅沢病」と呼ばれていましたが、
八代将軍吉宗の頃より庶民も白米を食べるようになり大衆病になるのです。
雑穀や玄米を常食としていた庶民は白米の旨さに、米ばっかりを食し、おかずは漬物少々。それが原因で脚気になったのです。
この脚気が現代の若者達に増えていると聞きます。
副食物も豊富、サプリメントも色々あるというのに、外食が多くインスタント物ばかり食べて栄養失調を起こすとは・・・。
健康ブームで雑穀や玄米が見直されている昨今、脚気は贅沢病にあらず、恥ずかしい病ですぞ。米は日本人の力の源ですぞ! |
■書簡 その58 映画の吹き替えを終えて |
浜松町のACスタジオで、アメリカ映画「ミラグロ奇跡の地」の吹き替えの仕事に出かけるため、早起きしたのだが寒い。
やっと秋らしくなったと思ったら突然真冬になったような寒さだ。あわててセーターを引っ張り出し上着を着て出かける。
無事終わって夜の12時ごろに帰ってきたのだが鼻がグシュグシュ、風邪気味である。
近年病気知らずだったのに・・・。しかし鼻水だけで熱もないのでそのまま寝る。
1985年のこの日、木曜ゴールデン劇場のロケーションで行った北海道、石北峠で猛吹雪に遭った事や、機内の話をと思っていたのだが・・・・・又の機会に。
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■書簡 その59 気の不思議 |
昨日お医者さんに行って風邪薬をもらってきたのだが、飲むたびに眠くなる。昨日からどうして?と思うくらいよく眠る。
薬のせいだと解っていてもシャキっとしないので気持ちが悪い。 食っちゃ寝、食っちゃ寝の だらだらだ。
仕事の時は気が張ってなんでもないのに、気が緩んでいるのか、土曜日まで予定が無いのでこのまま何も出来ずにいるのか・・・。
人間の身体は本当に不思議なものである。漢方の気について今更ながら思う。思うだけで書けない・・・・・。 |
■書簡 その60 無題 |
10月23日の朝、渥美半島で地震雲(と思う)ねじりん棒を立てた様な雲を見たんです。その日夕刻、中越地震です。
何か悪い物を見てしまったようなショックと風邪でダウン。緊張感のない時はダメですね。月も変わって元気にガンバリます。
新潟の皆さん、どうか頑張ってください。お大事に。 心よりお祈り申し上げます。 |