■書簡 その21 ウチョウラン
今年もウチョウランの季節がやってきた。20数年前まだ日本橋の三越の屋上の売店以外には、
何処にもウチョウランの売品がなかった頃、一握の愛好家達が、そのバラエティを誇りあい
(あの頃は一球100円位だったと思う)楽しんでいた。そして紅一点と呼ばれる新花が発見され、
紅貴、紅零と銘名。2万円の値がつき仰天しているとき、ブームに火がついた。
栃木で起こった火は瞬く間に全国に引火。紅貴、紅零は3年たらずで30万を超え、新花が出るごとに高騰、
投機の材料になり、岩壁に生える草を求めてロープを伝い、涯を発った人達が毎年この時期、
数人は転落して亡くなるという悲劇が起こったりした。
退職金を前借し買ったものが枯れてしまい、家族騒動にという話もある。
そんな節(20年近く前かな)僕もビデオで銘品集の制作をしたりもしたが、あまりの狂乱ぶりに一歩引いた。
近年、実生による開発で手ごろな値段で求めることができる様になり、根が好きなもので、一昨年、
10年ぶりに数鉢求めて作ってみたが、丈夫で良い。
毎年増えるし大きくなって立派な花が咲く。
なによりもブームの時なら200万円以上の値がついたであろう(写真)。この花(実生)も今では数千円。
バラエティが多いだけに、またハマリそうで心配だ。
当時のように全国の展示会を飛び回る事はないが、各地の情報だけは入ってくる。腰が浮いてくるのも・・・・
ウチョウランの悲喜こもごもの記。たくさんあるので、又の機会に。
■書簡 その22 カメチャブ
輸入牛肉問題で世間を騒がせた牛丼。牛鍋⇒すき焼き⇒牛丼というのが一般的な図式だが、東京ではもう一つルーツがある。
それが「カメチャブ」だ。僕が子どもの頃(昭和20〜30年代の中頃)に浅草に行くと屋台で食べさせた汁かけ飯。
汁の中身は牛筋を甘辛く煮込んだ汁の中に長ネギをザクザクときざんで、ほおり込んだ物。これをご飯にかけて出す。
汁は今のすき焼きの汁だと思えば良い。今こそ牛筋は市民権を得て並肉ほどの値段だが、当時、物のない時代でもあまり食べなかった。
すなわち、下等な食べ物だったわけだ。それでも都民の栄養源。皆、よろこんで食べたものだ。
だが由来が面白い。「チャブ」とは、ちゃぶ台、ちゃぶ屋・・でわかると思うが、飯(メシ)のこと。
では「カメ」とは・・・日本に来たアメリカ人が、犬を呼ぶときに
「カメン、又はカモン」と呼ぶ、それを聞いて 犬の事を英語で「カメ」というのだと勘違い。それで犬のことを隠語でカメという。
「犬飯」。これがカメチャブである。決して犬のご飯というわけではない。戦後すぐのこと、おそらくはじめの頃、肉は・・・・
どっちにしても今の牛丼とそんなに変わらなかったような気がする。
牛丼の復活が待たれる、今日この頃である。
■書簡 その23 雑誌のはみだし記事
外に面白いコメントや情報が載っている週刊誌がある。この記事が目的で30年も買い続けている週刊誌がある。
その中の一つ。
『いまや全国どこでもある「モーニングサービス」は、大阪・難波の喫茶店「桟橋」が1956年、コーヒーにタバコを二本付けたのが始まり。
それがトースト、ゆで卵などと多様化し全国に広まった』
読んでしまえばそれだけの事だが、調べるのは大変でしょうね。僕の雑学の源です。
■書簡 その24 僕の写真館の花
家康の椿好きから始まった、江戸の園芸は、全国の大名が競って珍品を集め、献上する様になり、牡丹・梅・躑躅(ツツジ)・タチバナ・菊
花菖蒲・桜草・細辛・万年青・松葉蘭・風貴蘭・長生蘭・・・と名鑑のあるものだけでも数え上げれば大変だ。
それが現在まで続いているから驚きである。僕の写真館の花も「セッコク」という日本の蘭だが、
この葉変わりを集めたものが長生蘭と称して江戸時代から続いている古典園芸品のひとつである。
江戸時代の園芸ブームはすさまじく、珍品を持つ大名は御留花(おとめばな)と称して門外不出。
金持ちの商人は、金生樹(かねのなるき)と呼ばれた。タチバナに二千三百両(約1億円!)という史上最高を付け、
利殖目的とした人々がさらなるブームを起こし、文化・文政期にその最盛期を迎えたといわれる。
天保時代には斑入りの万年青を10両で買った人が、数日後に70両で転売、頂点には300両に達したといわれる。
ウチョウランブームと瓜二つ。こんなところにも 歴史は繰り返されて、驚くばかりです。
■書簡 その25 幻のラン
今年の春先、都内某所で凄い事に出交わしました。蘭の愛好家や学者風の人が数人集まって、
目の前の着生蘭を見ている所に入って行ったのです。「森さん、良い所にきた。これ何だと思います?」
「モミランですか?大きいですね」「違うと思うんです」「えっ!」
それから細かい説明があって、某所の公共施設の建設現場で大木を切り倒したところ、
幹に着生していた。付近の木を調査したが他にはなかった。
木を切れば枯れてしまうので可哀想だからと持ち込まれたものだという。
これはもしかしたら、約70年前に発見されて以来、誰も見たことがない蘭。しかも昭和10年に東大の
前川文夫代が発表し、標本にして東大の研究室にある標本が一体が現存しているだけ。
(採集者は土井美夫代)蘭愛好家ならば(かなりマニアックな人達だが)死ぬまでに一度は見たいと
思っている幻の蘭「マツゲカヤラン」かも知れない。
それで全部をいくつかの大学の研究室で調べてもらうことにした。
結果は、花が咲いてから。来年か、もっと先かもしれないし、違うかもしれない。でも夢がある。
花が見れること、マツゲカヤランであることを祈っている。(マツゲカヤラン。覚えておいてください。
この蘭の名前を知っているだけで、貴方は相当な蘭通と言えるでしょう)
■書簡 その26 江戸時代のこぼれ話・・その1
世の中、変なことが多すぎる。
情報過多で知らなくても良いことまで知ってしまうと、興味が薄れて、知らなければならない事まで忘れてしまう。
物は豊になったが、どうも心が貧しい気がしてならない。
つい仕事柄、江戸時代の事を考えてしまう。ドラマで取り上げられる殺伐とした時代劇ではなく、江戸も中期になると事件などほとんどなくなり、
物は無くとも、平和な時代に生きた庶民達は、情報の少ない時代、何事にも興味を持ち首をつっこみ、洒落心で物を眺め、
貧しくも心豊に生きた時代のことを想像してしまう。
でも、江戸の町って、実は汚かったんですよね。馬車・牛車が通る路は、糞だらけ。それに犬が多くてその・・・・。
これは、あまり想像したくないですね。
■書簡 その27 江戸時代のこぼれ話・・その2
セヤイナリニインノクソ・・・って知ってます?これ江戸の名物なんです。伊勢屋・稲荷に犬の糞。
江戸の町を歩けば商家は伊勢屋、町の角々には稲荷さんが詣ってあり、どこへ行っても野良犬だらけ。
その・・・・・。江戸の名物は「火事と喧嘩は江戸の華」なんて言ってますが、そんな格好のいいもんばかりじゃなく
お江戸名物何かと問えば「伊勢屋、稲荷に犬の糞」とチャカされていたようです。
■書簡 その28 アジサイとカタツムリ
先日、公園のアジサイ(紫陽花)に、カタツムリ(蝸牛)が上がっていた。絵柄でよく見る光景だ。カメラが無くて、残念。
アジサイは栄養素で色が変わる。七変化と言われたりする。日本原産は約10種類ほど。紫(青)が多いのは土壌が酸性のためだ。
最近は外国で改良された美しい赤い花を見かける。
カタツムリは世界で10000種以上。まだまだ新種が増える可能性がある。
日本には500種以上というが、どこにそんなに居るのだろう。100種類そこそこかと思っていた。
昔カタツムリを食べた事がある。
ボール紙の箱に空気穴を開けて暗くして水だけ与え、10日間ほど脱糞させて茹でて食べた。
不味くはなかったが、日本のカタツムリには寄生虫が多いので食べてはいけないと言われた。(大人になってからの事で辱しかった。)
食用になるのは外国でも数種類だけ。日本に輸入される食用種はヨーロッパのエスカルゴではなくアフリカマイマイが多いそうだ。
■書簡 その29 鹿に紅葉
ホタル(蛍)の記事を読んでいてツユクサ(露草)が浮かんできた。
もう少し経つとハス(蓮)の葉にカエル(蛙)、ハスの花にトンボ(蜻蛉)等。
日本人は昔から四季折々の身近な植物に小動物を組み合わせるのが好きだ。
梅に鶯、笹に雀、藪枯らしに蜂なんて構図もある。牡丹に唐獅子、竹に虎など、
でかいものは中国からきたものだろうか。
そういえば、紅葉に鹿・・なんてのもありましたね。
■書簡 その30 夏のはじまり
今年初めてニイニイゼミの啼声を聞いた。気候不順で、動植物の動きが例年より早いと思っていたがセミは遅れているのか!
百日紅(サルスベリ)は、もう満開。
■書簡 その31 スリについてちょっと
近年、外国人の集団スリが刃物や催涙ガスを持って、横行しているという。こんなものはスリとはいわない。切り取り、強盗である。
スリとは江戸の昔より、人知れず、懐の物を抜き取る技を身につけ、技術者・職人として誇りを持って生きてきたヤカラである。
粋を旨とし髷の元結を普通より細くし、当時素足が多い中、紺の足袋を筒長にして私はスリですと言わんばかりのナリをしていたという。
そんなわけで心意気はすごいが、若くして捕まる者が多く、芝居に出てくる老スリなんてのはほとんどいなかったらしい。
下げ緒抜き、たもとさがし、腰銭はずし、ちぼ等の別名もある「巾着切り」と称したが、同じ悪党でも、日本人は、チョット違うよね。
■書簡 その32 西はハモ、東は生姜
初夏になると関西人はハモを食べる。「ハモを食べんと夏はこん」と思っているらしい。
東京は?と探したらあった。 谷中の新ショーガ。葉付きのものを洗って味噌をつけて食べる。
子どもの頃は虫下しといって必ず食べさせられたものである。猛暑の前に旬のショーガの薬効をとって体調を整える。
こんな素敵な習慣、しっかり残したいものだ。
■書簡 その33 鈴虫はまだ早い!
スズムシが突然鳴き出した。例年よりひと月以上早いのでビックリした。
4月末に孵化してゴマツブ位だったのに・・・半分以上はまだ小さいが、早く友達に分けてあげないと、騒がしくて眠れなくなる。
音色が涼を呼ぶが、過ぎたるは及ばざるが如し。
それにしても暑い。猛暑にはアブラゼミが付き物だと思うが今年はまだ声を聞かない。
■書簡 その34 精根尽きたら・・・
精が尽きたら、ネバネバのあるものを食べよ。根が尽きたら根のあるものを食べよ。
昔、何時、誰に聞いたか覚えていないが、毎年の僕の夏バテ対策は、これ。納豆・オクラ・ヤマイモ・根菜類。
とにかく食べること。ちなみに根菜類の旬は秋から冬だと思うが今は一年中食べられるので嬉しいかぎり。
特にネバネバのある根菜類。ハス(新しいものは糸を引きますね)、さといもは、知る人ぞ知る精のつく食品。
誰でも知っているヤマイモ等、どんどん食べましょう!
■書簡 その35 薮入り
僕達、子どもの頃は、東京のお盆といえば7月だったのに此の頃は何処へ行っても8月になり、帰省ラッシュが起きる。
そのお盆の16日。お正月の16日と、年2回「薮入り」という休日があった。丁稚奉公をした者達が近い者は親元に帰り、
遠い者は雇い主に連れられて芝居見物に行ったりすることができた1日。(親元に帰っても1泊だけ)。
落語の「薮入り」という噺に、親元での出来事は出てくるが、実は奉公先では辛いことばかりだったようだ。
11,2才で奉公に出て一人前の手代になるまで10年、その間、寝具は店のせんべい布団、私物の布団が許されるのは8年目から掛け布団を、
そして10年経ってからやっと敷布団が許されるようになる。
着るものとなれば、夏は木綿の単衣と手ぬぐい、冬はやはり木綿の袷せと手ぬぐい、足袋が3足支給されるだけ。
粗末な食事で朝から晩まで雑用に追われて働きずめ。さぞ大変な事だっただろう。
そんな生活での休日、嬉しさは想像以上に違いない。
■書簡 その36 我が家のペット・・・ザリガニ
5月24日にペアリングしたザリガニ君。白のオスと普通のメス(写真)。
新しい血を入れてF2で丈夫な白ザリを作ろうと試みた第一号。
7月のはじめに卵を持ったのに気が付いた。あまり刺激しないようにと、放っておいた。 
月末から1ヶ月留守にするので、子どもを見ることは出来ないだろうと思いながら、今日覗いてみたら、
親の周りに5.6匹動いている。 「ウヮー!」とよく見てみると、孵る寸前の卵が腹に80〜100個くらい付いている。
親にはヒレを動かして空気を送りさかんに水を動かしている。
あまり見ていると卵を食べる危険があるので2,3日、放っておくことにする。
■書簡 その37 薬味で夏バテ回避を!
猛暑で食欲がなくなると、ついついソーメン・ヒヤムギ・ザルソバ等、喉越し良いもので済ましてしまう。そして栄養不足になる。
補うのは薬味が一番。薬味といえば ネギ・ショウガが主流だが、七味にサンショ、アオノリ、ゴマ、ナッツ類の砕いたもの、
刺身のツマに付いてくるシソの実やタデ、大根おろしやニンジンおろし・・・
さらに香辛料(外国のスパイス)を少しずつタップリとってミネラル補給する事。夏野菜を食べられるカレーも良い。
食欲がなくなるのは、体温が上がると脳が熱を抑えようとして食欲中枢にブレーキを掛けるからで、体の自然の摂理なのだ。
しかし、汗で失ったミネラルやビタミンは補わなければならない。猛暑を乗り切るコツは、薬味で。
どうしてもダメという人はサプリメントでも・・・。ちなみに僕はここ数年「ニンニクウコン」粒を食べています。
■書簡 その38 アメンボって知ってます?
僕の子どものころ、雨が降ると舗装されていない、デコボコ道に大きな水溜りができて
そこに
アメンボがいて、とても身近な生き物でした。飛んでいってしまうので飼うことはできませんでしたが、
親しみを持って、追っかけたものです。
都市部にいるのはナミアメンボですが外に日本には20種類以上いて、
そのいくつかは絶滅危惧種になっています。
近年、都会ではほとんど見ることの出来なくなってしまった水生昆虫。
ミズスマシ・ゲンゴロウ・タイコウチ・コオノムシ・ミズカマキリ・ヤゴ・タガメなどなど。
夢中になって追っかけました。
学校のプールの水抜きの日には皆、網を持って集まったのを覚えています・・・・。
子ども達が生活の中で、もっと自然に触れる機会があれば・・・。夏休みはおおいに遊びましょう!
ただし、事故には十分注意してください。

■書簡 その39 我が家の夏のカレー
市販のカレーのルーを指定の水の量で溶いて(鍋)おきます。
他のものは、自分の好きなものを自由に使ってください。僕の家では、この溶いたルーに、さらに色々な香辛料を加えます。
そこへ、挽肉(豚と牛のあいびき)を炒めて入れます。(これは使わなければ冷蔵・冷凍で保存できます)
フライパンで食べる分のタマネギ・ズッキーニ・ナス・赤・黄ピーマン・オクラ・その他なんでも同じ位の大きさに切って、
火が均等に入るように炒め、(面倒くさかったら、いっぺんに。)軽く、塩・コショウで味をつけます。
さらに盛ったごはんに乗せ、その上にカレーのルーを掛けて出来上がり。レストランも真っ青な、夏野菜カレーが簡単に作れます。ぜひ、おすすめ。
■書簡 その40 戻って参りました。
サウナに入っているような稽古から始まって、緊張感連続の八月・大阪新歌舞伎座での杉良太郎公演も無事終了いたしました。
1日が経つのは早かったのに、1ヶ月が永かった と感じました。毎日通る御堂筋でクマゼミに迎えられたが、お盆を過ぎた頃にはピタリとやんだ。
そんな頃、たくさんの人達が打ち水をして涼を呼んでいた。子どもの頃、夕方になると近所の人達が凸凹道に水を撒いていた。
そのとき、打ち水といって涼を呼ぶのだと聞いた。なんて良い響きだろう。面白い大阪の話もぼちぼちと・・・