川田ただひさ(川田匡桐)氏が当選しました。

BNNさんの掲載写真
http://www.hokkaido-365.com/news/2010/10/post-1375.html
(BNN北海道 365記事)
天下国家を語る稀有な札幌市議会議員がついに誕生した。
天皇陛下と御皇室を正しく崇敬し、靖国神社・護国神社の御英霊に崇敬の念を忘れない。
その上で、日本国を正しく愛し、北海道を愛し、札幌を愛する。
私はそれが普通であると思うのだが、
「戦前を悪・戦後を了」とする歪んだ戦後国家体制が支配するこの日本では、例えタカ派の国会議員であっても、有権者やマスコミの前では声高に憂国を語れないのが現状である。
振り返れば「川田ただひさ氏」とは、もう10年くらいのお付き合いになる。
平成12年、北広島市役所に役人として公務する傍ら、日本を愛する観点から活動する市民運動があってもよいのではないかというきっかけで当時彼の地元であった北広島市にて「日ノ本の國を語る會」という勉強会中心の市民団体を結成し活動していた。
平成14年、新しい歴史教科書をつくる会の講演会や北朝鮮拉致奪還集会、紀元節奉祝式典など様々な催しでいつも顔を合わせる当時20代・30代の若い者が自然に知り合いとなり、現存する「日本を大切に思う道民の会」を有志で発足したのである。この発足メンバーとなったのが、私と川田氏の共闘開始になった。
↓これが当時(平成14年)川田氏が主導で作成した「設立の経過と趣意」
http://omoukai.fc2web.com/seturitu.htm
↑の設立趣意をぶち上げて、怒涛の啓蒙活動がスタートした。
事業(活動)実績は↓(平成16年までの分しか記載は無いが・・・)
http://omoukai.fc2web.com/jisseki.htm
思う会が設立されたもう一つの理由に、保守系の講演会等が年にほんの僅かしか企画されていない現状だったというのもある。まさに左巻きの連中の「やりたい放題」、真っ赤赤、憲法記念日には護憲派運動のオンパレード、終戦記念日には御英霊を完全侮辱する似非反戦運動、開戦記念日には自衛隊反対運動と、この左巻き爆弾の啓蒙攻撃に新聞紙上は、赤一色に染まっていた。
そこに唯一道内で風穴をあけたのが、彼が呼びかけ人となって創設した、日本を大切に思う道民の会だったわけである。 中川昭一先生や西村眞悟先生などとご縁が出来たのもこの頃であった。現在では様々な保守活動体が誕生し、うるさいほどに多くの講演会や街宣、デモに至るまでの企画が展開されるようになったのである。
平成18年11月 北広島市市役所を退職し、札幌市議会議員に立候補の意思を固めることとなる。
市役所職員を辞めようと思うとの相談が来た時には、既に退職の意思は決定していたようで、私は、退職する事に反対したが、頑固なまでのストレートな彼の意思決定の前では、反対意見など聞くはずも無く、説得は無駄に終わった。
それから、右往左往しながら突入したのが、平成19年札幌市議会議員選挙であった。
金もない、まだまだ人脈もない、スタッフも少ない、後援会も僅か・・・無い無いづくしで、選対本部の体を全く成していない状態で、結果は散々であった。。。。
そこから選挙浪人「川田ただひさ」の本気の戦いが本格的にスタートしたのである。
可能な限り、毎朝、街頭に立ち、個別訪問に、ビラポスティング、後援会組織作りと、 馬車馬のように突っ走り、血の出るような浪人生活を送ってきた。
その彼に、チャンスが巡って来たのだ。。。
今回の厚別区選出議員辞任による補欠選挙である。 今回の補欠選挙に勝ったとしても、来年春には、統一地方選挙による再出馬となるのだから、相当悩んだに違いないが、ストレートな生き方しか出来ない彼の性格であるし、ファルコンのような(笑)鼻息の荒い彼には結局のところ、選択肢は一つしか無かったのだ。
私は、諸事情から、選対に加わることは、ご遠慮させていただいたが(いやいや頼まれてもいないから(笑))、私が加わろうなどと思わなくても選対の体は既に整っていたし、新たなツワモノも加わったと聞いて、私は、ただ只管に祈っているだけであった。
今回の札幌市議会議員補選の結果は↓
http://www.city.sapporo.jp/senkan/sokuhou/html/d/201450.html
そして、これ↓厚別区では町村さんと中前さんの票差が僅差。大差で勝った町村さんでもこの結果。
よーく見ると、なんと川田の方が町村さんより得票数が多い・・・・
http://www.city.sapporo.jp/senkan/sokuhou/html/e/2035.html
ご覧のように、僅差ではあるが、勝ちは勝ち! これまでの努力は、報われた。
開票当日は選対事務所に詰めていたのだが、この吉報が入ってきたのは確か午後11時を回っていたと思う。
長い長い待ちぼうけの後に、やっと入った勝の報。
市議誕生の実感が湧かなかったのだが、握手に来た川田のウルウルした涙目を見たときに、これまで彼が努力してきた事を私が回想してしまって、ボロボロと貰い泣きしてしまった。
美酒に酔うのは、ほんのつかの間、此処からがもっと本気の戦いのハジマリである。
赤い大地北海道、赤い頭の上田文雄率いる民主党先導議会を粉砕する為の大仕事が待っている。
選挙浪人よりも、もっともっと大変なのだと思う。
目出度い事に??自民党の市議道議諸先生の中にも、結果的売国奴はいっぱい居るのだろう。
その先生諸氏に気を遣いながらも自身の信念を保ち続ける事は、とても大変なのだろう。
世の中には、有権者に対し、天下国家を語れない国会議員が多いな中、
堂々と天下国家を語れるような、憂国の情を持ちながら郷土の為に働く、何だかわからないけれども、エネルギー溢れる魅力ある現実を直視する市議会議員であって欲しいと思う。
川田のお母さん、お父さんの顔を見たら、更に涙が出てきたよ。親不孝の仕合せ者だな。。。。
僅差といっても勝ちは勝ち!誇りをもって邁進してくれ!!
頑張れ!川田ただひさ! もっと頑張れ!
箍を取り外せ!
平成22年10月25日 俊傑憂憤の集い 渡邊喜楽

当選勝利の報直後の記念写真
BNNさんの掲載写真
http://www.hokkaido-365.com/news/2010/10/post-1375.html
(BNN北海道 365記事)
天下国家を語る稀有な札幌市議会議員がついに誕生した。
天皇陛下と御皇室を正しく崇敬し、靖国神社・護国神社の御英霊に崇敬の念を忘れない。
その上で、日本国を正しく愛し、北海道を愛し、札幌を愛する。
私はそれが普通であると思うのだが、
「戦前を悪・戦後を了」とする歪んだ戦後国家体制が支配するこの日本では、例えタカ派の国会議員であっても、有権者やマスコミの前では声高に憂国を語れないのが現状である。
振り返れば「川田ただひさ氏」とは、もう10年くらいのお付き合いになる。
平成12年、北広島市役所に役人として公務する傍ら、日本を愛する観点から活動する市民運動があってもよいのではないかというきっかけで当時彼の地元であった北広島市にて「日ノ本の國を語る會」という勉強会中心の市民団体を結成し活動していた。
平成14年、新しい歴史教科書をつくる会の講演会や北朝鮮拉致奪還集会、紀元節奉祝式典など様々な催しでいつも顔を合わせる当時20代・30代の若い者が自然に知り合いとなり、現存する「日本を大切に思う道民の会」を有志で発足したのである。この発足メンバーとなったのが、私と川田氏の共闘開始になった。
↓これが当時(平成14年)川田氏が主導で作成した「設立の経過と趣意」
http://omoukai.fc2web.com/seturitu.htm
↑の設立趣意をぶち上げて、怒涛の啓蒙活動がスタートした。
事業(活動)実績は↓(平成16年までの分しか記載は無いが・・・)
http://omoukai.fc2web.com/jisseki.htm
思う会が設立されたもう一つの理由に、保守系の講演会等が年にほんの僅かしか企画されていない現状だったというのもある。まさに左巻きの連中の「やりたい放題」、真っ赤赤、憲法記念日には護憲派運動のオンパレード、終戦記念日には御英霊を完全侮辱する似非反戦運動、開戦記念日には自衛隊反対運動と、この左巻き爆弾の啓蒙攻撃に新聞紙上は、赤一色に染まっていた。
そこに唯一道内で風穴をあけたのが、彼が呼びかけ人となって創設した、日本を大切に思う道民の会だったわけである。 中川昭一先生や西村眞悟先生などとご縁が出来たのもこの頃であった。現在では様々な保守活動体が誕生し、うるさいほどに多くの講演会や街宣、デモに至るまでの企画が展開されるようになったのである。
平成18年11月 北広島市市役所を退職し、札幌市議会議員に立候補の意思を固めることとなる。
市役所職員を辞めようと思うとの相談が来た時には、既に退職の意思は決定していたようで、私は、退職する事に反対したが、頑固なまでのストレートな彼の意思決定の前では、反対意見など聞くはずも無く、説得は無駄に終わった。
それから、右往左往しながら突入したのが、平成19年札幌市議会議員選挙であった。
金もない、まだまだ人脈もない、スタッフも少ない、後援会も僅か・・・無い無いづくしで、選対本部の体を全く成していない状態で、結果は散々であった。。。。
そこから選挙浪人「川田ただひさ」の本気の戦いが本格的にスタートしたのである。
可能な限り、毎朝、街頭に立ち、個別訪問に、ビラポスティング、後援会組織作りと、 馬車馬のように突っ走り、血の出るような浪人生活を送ってきた。
その彼に、チャンスが巡って来たのだ。。。
今回の厚別区選出議員辞任による補欠選挙である。 今回の補欠選挙に勝ったとしても、来年春には、統一地方選挙による再出馬となるのだから、相当悩んだに違いないが、ストレートな生き方しか出来ない彼の性格であるし、ファルコンのような(笑)鼻息の荒い彼には結局のところ、選択肢は一つしか無かったのだ。
私は、諸事情から、選対に加わることは、ご遠慮させていただいたが(いやいや頼まれてもいないから(笑))、私が加わろうなどと思わなくても選対の体は既に整っていたし、新たなツワモノも加わったと聞いて、私は、ただ只管に祈っているだけであった。
今回の札幌市議会議員補選の結果は↓
http://www.city.sapporo.jp/senkan/sokuhou/html/d/201450.html
そして、これ↓厚別区では町村さんと中前さんの票差が僅差。大差で勝った町村さんでもこの結果。
よーく見ると、なんと川田の方が町村さんより得票数が多い・・・・
http://www.city.sapporo.jp/senkan/sokuhou/html/e/2035.html
ご覧のように、僅差ではあるが、勝ちは勝ち! これまでの努力は、報われた。
開票当日は選対事務所に詰めていたのだが、この吉報が入ってきたのは確か午後11時を回っていたと思う。
長い長い待ちぼうけの後に、やっと入った勝の報。
市議誕生の実感が湧かなかったのだが、握手に来た川田のウルウルした涙目を見たときに、これまで彼が努力してきた事を私が回想してしまって、ボロボロと貰い泣きしてしまった。
美酒に酔うのは、ほんのつかの間、此処からがもっと本気の戦いのハジマリである。
赤い大地北海道、赤い頭の上田文雄率いる民主党先導議会を粉砕する為の大仕事が待っている。
選挙浪人よりも、もっともっと大変なのだと思う。
目出度い事に??自民党の市議道議諸先生の中にも、結果的売国奴はいっぱい居るのだろう。
その先生諸氏に気を遣いながらも自身の信念を保ち続ける事は、とても大変なのだろう。
世の中には、有権者に対し、天下国家を語れない国会議員が多いな中、
堂々と天下国家を語れるような、憂国の情を持ちながら郷土の為に働く、何だかわからないけれども、エネルギー溢れる魅力ある現実を直視する市議会議員であって欲しいと思う。
川田のお母さん、お父さんの顔を見たら、更に涙が出てきたよ。親不孝の仕合せ者だな。。。。
僅差といっても勝ちは勝ち!誇りをもって邁進してくれ!!
頑張れ!川田ただひさ! もっと頑張れ!
箍を取り外せ!
平成22年10月25日 俊傑憂憤の集い 渡邊喜楽
当選勝利の報直後の記念写真
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更なる前進
伯爵 夕方頃、ネットでやっと当確を知りました。おめでとうございます。
本当に僅差でしたがこれがこの地の現実なのでしょう。大変なのは此れから、頑張らないといけないのは我々であると、更に気を引き締め前進しましょう。
伯爵さま
渡邊喜楽 いつも、お世話になっております。川田君とは立場も手法も違いますが、我々のジャンルは我々が精一杯やろうと思っています。これからも宜しくお願いします。 Fr喜楽
伯爵 夕方頃、ネットでやっと当確を知りました。おめでとうございます。
本当に僅差でしたがこれがこの地の現実なのでしょう。大変なのは此れから、頑張らないといけないのは我々であると、更に気を引き締め前進しましょう。
伯爵さま
渡邊喜楽 いつも、お世話になっております。川田君とは立場も手法も違いますが、我々のジャンルは我々が精一杯やろうと思っています。これからも宜しくお願いします。 Fr喜楽
この記事へのコメント
夕方頃、ネットでやっと当確を知りました。おめでとうございます。
本当に僅差でしたがこれがこの地の現実なのでしょう。大変なのは此れから、頑張らないといけないのは我々であると、更に気を引き締め前進しましょう。
本当に僅差でしたがこれがこの地の現実なのでしょう。大変なのは此れから、頑張らないといけないのは我々であると、更に気を引き締め前進しましょう。
2010/10/25(Mon) 22:34 | URL | 伯爵 #uhTlRX4A[ 編集]
いつも、お世話になっております。川田君とは立場も手法も違いますが、我々のジャンルは我々が精一杯やろうと思っています。これからも宜しくお願いします。 Fr喜楽
2010/10/25(Mon) 23:17 | URL | 渡邊喜楽 #LW7Vi94Q[ 編集]
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