<2010~2011>
「いやあ、ホント、苦労していますよ」。東京・中野にある社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」の稽古(けいこ)場で、松下アキラさん(46)が困った顔をしていた。師走の公演で菅直人首相を演じる。「だって、なりきりメークで舞台に出ても、待ってましたって感じじゃない。同じ首相に扮(ふん)しても、小泉純一郎さんはどっときた。菅さんネタをやるにも小泉さんは欠かせない。『意外と続くんじゃないかねえ。私は鈍感力が必要だと言ったが、本当に鈍感すぎて恐ろしいねえ』とか」
素顔でいてもライオンヘアが浮かぶほど、松下さん、小泉さんのモノマネは天下一品である。だが、おでこのホクロを似せても、菅さんのモノマネはいかにも地味、しかもちょっと悲しくなってくる。出だしはイラ菅セリフから。
「なんでこんな評価されないんだ! 私が何をやったっていうんだ! 何もやっていないじゃないか!」
そしてイライラは続く。
「半年しかやってないのに私の何がわかるんです! わかったことといえば、総理としての器じゃないことでしょ」
「トホホなネタにいくしかなくて。僕らは強烈な権力を皮肉りたいんだけど、そうならない。結局、菅さん、政権交代だけが夢で、これといった芯がなかったんでしょうかね。目に力はないし。自分でおっしゃったんじゃないらしいけど、支持率1%になっても辞めないってセリフ。こうなればあえて1%狙いの奇策を見せてほしいくらい。でなければ、また坊主になってお遍路でもされたらどうです」
振り返って、これといって印象に残る言葉がない。たった一度、首相就任記者会見は趣が違った。「数日前から『琉球処分』という本を読んでいる。沖縄の歴史を私なりに理解を深めていこうとも思っている」。鳩山由紀夫さんが米軍普天間飛行場移設問題の迷走で辞任に追い込まれたせいだろう。正しくは「小説 琉球処分」。著者は沖縄に暮らす芥川賞作家の大城立裕さん(85)。明治政府が琉球王国併合のために琉球側の抵抗を武力で排した史実が下敷き。大城さんに聞いてみた。
「驚きました。だれが菅さんに私の本を読めと勧めたのかね。官僚? 政治家? 実業家? でもあれだけ忙しくてとても読み通したと思えない。あの作品は長いし、退屈な面もある。どんな感想を持ち、沖縄問題にどう取り組むつもりなのか見えない。抑止力、抑止力、で沖縄をねじ伏せるだけじゃないのか。腹案があると公言していた鳩山さんはやる気はあった。ただ外務省や防衛省を説得する能力と勇気がなかった。菅さんはやる気すら感じられない。もし、うちに来られたら、沖縄の思いをお伝えしますよ」
しがらみなき市民運動出身のはずなのに掲げる理想の旗が見えない。賛否はあっても鳩山さんには「友愛」があった。菅さんもことあるごとに「最小不幸社会」の実現と語ってはいるものの、いまひとつぴんとこない。「宰相不幸社会」とまでやゆされる始末である。メディアを通じて伝わる菅さんの顔は日に日に自信を失っていく。その極め付きが横浜で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)での、あのひとコマだった。
中国の胡錦濤国家主席との首脳会談、日本のトップリーダーであれば、ここは尖閣問題でぎくしゃくした日中関係を打開していくために重要なメッセージを送るべきシーンだった。ところが、菅さんはあいさつすら手元のメモに目を落としたまま、顔をあげない。傍らの胡主席はあきれているようにすら見えた。その1枚の写真を携え、京都へ向かった。哲学者、梅原猛さん(85)に会いたくなって。
「あれでは、宰相として失格だ」。梅原さんは大いに嘆いていた。菅さんのことを知らないわけではなかった。「いつだったか、私の書いたスーパー狂言『ムツゴロウ』を見にきてくれた。諫早湾の干拓事業を題材に自然破壊を戒める話です。菅さんは関心があったんだな。そのころの彼に帰って大胆な政治を行ってほしい。私は中国の史書を読んで、ひとつの王朝が滅びるとき、個性的な愚王が次々と現れてはいかに国の威信をおとしめ、滅びていったかを知りました。ここ数年の日本がまさにそれでしょう」
そう語る哲学者が最後の宰相の器と認めたのが大勲位、中曽根康弘元首相である。あくまで平和憲法を重んじる梅原さんと自主憲法を唱える中曽根さんは立場を異にする。それでも、政治権力は文化に奉仕するとの中曽根哲学を高く買っているという。「首相たるもの、ドイツ語でいうバイスハイト(知恵)と、クルークハイト(狡知(こうち))が必要なんです。風見鶏と評されながらも、中曽根さんには教養に裏打ちされた政治理念があったし、実現させる政治的ずるさがあった。とりわけ安倍晋三さんからは、そうした力はまったく感じられません」
実は梅原さん、中曽根さんが首相時代、たびたび施政方針演説に筆を加えていた。いわば知恵袋である。「そんなこともありましたかな。哲学者の私は100年先、1000年先を考える。いま、アジアが大変な時代を迎えつつある。日本はいかなる道を選択すべきか。私は『帰亜親欧』しかないと思っている。アジアに帰り、欧米とも親しく付き合う。福沢諭吉は『脱亜入欧』を主張したが、そうした思想から脱却しなければならない。あの日中首脳会談のとき、ひとこと菅さんが『帰亜親欧』と言えば、胡主席もびっくりしたでしょう。日本はただならぬ国だ、こんな賢い政治家がいるんだ、と」
あれよあれよという間に笑うに笑えないコントのごとき国になってしまった。国民は失望からあきらめに変わりつつある。しきりに梅原さんは口にしていた。「政治が心配なんです。心配でたまらんのですよ。このまま民主主義が溶解していくんじゃないかと思えてきて」。民主主義が溶けてなくなれば、どうなるのか、われわれひとりひとりが想像しなければならない。【鈴木琢磨】
日めくりカレンダーも残りあとわずかになった。2010年、政権交代の熱気は冷め、首相に覇気なく、「熟議」の国会もむなしいばかり。気がつけば、懸案は先送り、また先送り、東アジアでぽつんとひとりぼっちの日本がいる。いつまでこんな光景が続くのか--。1月下旬までの金曜日、日本の現状を憂える「暮れても明けても 政治はどこへ」を連載します。
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毎日新聞 2010年12月10日 東京夕刊