牧太郎の大きな声では言えないが…

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牧太郎の大きな声では言えないが…:年増子ども手当

 午後4時過ぎると薄暗くなる。こんな時間に学生時代の仲間が集まる理由は昼間の時間が短くなったからだけではない。何人かがリタイアして「毎日が日曜日」なのだ。

 「始めはビール?」

 「いや燗(かん)でいこう。酒は燗、肴(さかな)は気取り、酌はタボ」

 「何だい? そのタボって?」

 「いい年してタボを知らない? 髱(たぼ)というのは、日本髪の後ろに突き出た部分。若い女性の“たとえ”だよ。酒を飲む時は……人肌のお燗、肴は気の利いた刺し身、それに若い女性のお酌があればこの上なし……ということ。まあ、我々、今となってはタボには縁がないけど」

 大笑いになった。

 「でも『酒は古酒、女は年増』……という言葉もある」と言ったのは当方。育った東京・柳橋の花柳界では「酸いも甘いもかみ分ける女性」が酒の相手にはふさわしいとされていた。森鴎外の「余興」には「見れば、柳橋で私の唯(ただ)一人識(し)っている年増芸者であった」というクダリがある。「年増」も人気だった。

 「年増ねえ? 大体、年増って、幾つなんだ?」

 間違って大学の先生になった“遊び人”が「江戸時代の結婚適齢期は今よりもずっと若くて、女性は16~18歳が嫁入りどきだった。武士の場合は13~15歳で結婚の約束をし、いいなずけになるケースもあったんだ。町人でも、女性は20歳を超えると年増、25歳を過ぎれば中年増、30歳を超えると大年増。それが昭和になると結婚適齢期がグッと上がって、年増は30歳以上だな」と解説する。

 「詳しいじゃないか。でも年増という言葉も死語じゃないの?」「でも『年増子ども』っていうの聞いたぞ。30、40を超えても実家にベッタリで、まるで『子ども』みたいにわがまま勝手な息子、娘。もちろん結婚していない」

 「いるいる、不況だから本人だけの責任ではないけど、まともな仕事についていない」

 「実は……俺のところにもいるんだよ。親ばかで、一人娘を過保護にしちゃって……年金暮らしだろう。もう面倒みられないよ」

 久しぶりに集まった六十ウン歳の忘年会。去年までの話題は「親の介護」と「己の健康」だったが……今年、新たに年増子ども禍が登場?

 酔っぱらうと「年増子ども手当を出せ!」と彼は叫んだ。(専門編集委員)

毎日新聞 2010年12月14日 東京夕刊

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