幻のヒーロー復活『パジャママン』
解説書かせて頂いた『藤子・F・不二雄大全集 パジャママン』(小学館)が発売中です。
阿久悠作詞の『ピンポンパン』内ヒット曲(http://www.youtube.com/watch?v=KoE3HbD2bWI)を原案にした70年代の名作が初単行本化!
連載時は「テレビマガジン」掲載。僕は当時小学生でしたが、テレビの情報がいち早く読めるので、小学館の学年誌とともにテレマガを毎月食いつくように読んでいました。
『パジャママン』をやっていたテレマガの講談社では基本ウルトラマンシリーズは載らず、小学館の雑誌には仮面ライダーが基本載らないという「棲み分け」に子どもながら気づいていました。これは七〇年代当時ならではのものです。なので僕は両方の雑誌を必要としてしました。
でも広告は別で、たとえばテレビマガジンでの『パジャママン』初回扉ページの横には、当時放映されていた『ウルトラマンタロウ』に登場するメカニックのプラモデルの広告が載っています。そういえばタロウの主題歌は『パジャママン』原案の阿久悠さんによるものでしたね。
テレマガ掲載の漫画のコマの外側にあるハシラには、次号のお知らせとして毎月新展開をみせるテレビヒーローへの興味をかき立てる一行が刷られていました。たとえば『パジャママン』初回のハシラには「V3をたすけるなぞの新ヒーローのひみつを、きみに全公開!」「マジンガーZに二大新兵器がつく!」。この形式はいまも続いていて、もはや伝統ですね。
『パジャママン』2回目のハシラには「『ドクター・ヘルの地獄大作戦』をたのしみに!」とあり、3回目には「新ヒーロー“Xライダー”のすべてがわかる三月号! 読もう!」とあります。こうした文句を読むだけでも、70年代のテレビヒーローを見て育った世代としてはときめきます。
ライダーとマジンガー以外では、マジンガーと同じく永井豪先生が原作であるアニメヒーローとして『デビルマン』に続く『キューティハニー』。『スペクトルマン』『快傑ライオン丸』以来の、漫画家うしおそうじさんを社長とするピー・プロ制作の実写ものの『鉄人タイガーセブン』『電人ザボーガー』。『科学忍者隊ガッチャマン』で知られる竜の子プロのアニメヒーローとして『新造人間キャシャーン』。宣広社作品の実写もの『スーパーロボット レッドバロン』(後の『スーパーロボット マッハバロン』につながります)。
これらが『パジャママン』当時の講談社児童雑誌で毎月紹介されてました。
ヒーローもの以外では、仮面ライダーシリーズと同じく石森章太郎先生原作の『星の子チョビン』、そして『ゲバゲバ90分』という大人向けバラエティのヒット作のスタッフがアメリカの『セサミストリート』を意識して作った子ども向けバラエティ『カリキュラマシーン』等の記事も掲載されています。
また赤塚不二夫先生の『天才バカボン』が、少年マガジン版と同時に長期連載されており(テレマガ版の作者表記は「赤塚不二夫とフジオ・プロ」)、こちらはテレビアニメ版『バカボン』の放映中いかんにかかわらず継続され、小学館の学年誌における『ドラえもん』的ポジションにあったといえるかもしれません。
パジャママンの模様はウルトラマンに印象が重なりますが、誰でもイメージするヒーローっぽい感じの要素を取り入れたのでしょうか。後に、ウルトラマンや仮面ライダーがパジャマになって発売され、幼児がそれを着るだけでヒーロー気分になれることで人気となります。パジャママンの発想はその原点かも。
『パジャママン』に登場する敵は「泥棒」や「人さらい」「刑務所を脱走した男」等であり、子どもがイメージしやすい「わるもの」なのが楽しいです。
『パジャママン』が各誌で連載開始されたのは73年の12月号(「ディズニーランド」のみ74年1月号)からですが、この月にはF先生原作のテレビアニメ『ジャングル黒べえ』が半年間の放映を終了しています。また同じ73年の9月には『ドラえもん』の最初のテレビアニメが放映終了しています。
『パジャママン』は、F先生原作としては『ジャン黒』『旧ドラ』に続くテレビアニメの企画としても検討されていますが、実現しませんでした。連載は一年間続き、テレマガ版の最後の回には末尾に「第一部おわり」と記されていました。
今回の全集には、テレビアニメ用に描かれたキャラデザインも掲載されています。
『パジャママン』においても、長年児童誌で描いてきた藤子・F先生の姿勢には少しの揺らぎもありません。
児童誌での藤子不二雄作品は、「週刊少年サンデー」創刊号から連載された初期の代表作『海の王子』を起源とする、ヘルメット姿の少年少女がロケットに乗り込む数種の連載から始まりました。
その中で、内容は次第に『海の王子』から引き継がれた冒険活劇から、主人公の少年の、泣いたり甘えたり失敗したりする日常に力点を置いた作風へと変化していきます。それはやがて『オバケのQ太郎』『パーマン』『ウメ星デンカ』『ドラえもん』といった代表作といえる作品群で完成されていくのです。
藤子・F・不二雄先生が子どもたちの日常に舵を取ったのは、学年誌という掲載媒体が大きかったのではないかと思います。週刊漫画が次第に確立していった時代、連続活劇を成立させるには学年誌の月一回という頻度ではスピード感に欠けます。
テレビで毎週の放映が決まっている作品の同時掲載という場合も、月刊誌で展開を合わせていくとどうしても間をはしょったものになりがちです。学年誌からオリジナルに漫画を発信する場合、藤子・F・不二雄先生は一話完結で、子ども達の日常をフィードバックしたものを作る必要があったと思われます。
『パジャママン』の「おともだち」掲載分では、その回ごとに「理科」「算数」「しつけ」などの項目がページの隅に付されていました。そして見開きの左側のページの上には、漫画の中で描かれていることからどういうポイントで子どもたちの教育に活用するのかが、丸い枠で囲って活字で指示されています。
それら教育ポイントは編集部によって付されたもので、作者のF先生とどの程度緊密な打ち合わせがあったのかはわかりませんが、幼児の持つ基礎的な認識力、把握力に常に問いかける姿勢があったのは間違いないでしょう。今回そのまま全集に採録されているのも貴重です。
http://www.shogakukan.co.jp/comics/detail/_isbn_9784091434401
阿久悠作詞の『ピンポンパン』内ヒット曲(http://www.youtube.com/watch?v=KoE3HbD2bWI)を原案にした70年代の名作が初単行本化!
連載時は「テレビマガジン」掲載。僕は当時小学生でしたが、テレビの情報がいち早く読めるので、小学館の学年誌とともにテレマガを毎月食いつくように読んでいました。
『パジャママン』をやっていたテレマガの講談社では基本ウルトラマンシリーズは載らず、小学館の雑誌には仮面ライダーが基本載らないという「棲み分け」に子どもながら気づいていました。これは七〇年代当時ならではのものです。なので僕は両方の雑誌を必要としてしました。
でも広告は別で、たとえばテレビマガジンでの『パジャママン』初回扉ページの横には、当時放映されていた『ウルトラマンタロウ』に登場するメカニックのプラモデルの広告が載っています。そういえばタロウの主題歌は『パジャママン』原案の阿久悠さんによるものでしたね。
テレマガ掲載の漫画のコマの外側にあるハシラには、次号のお知らせとして毎月新展開をみせるテレビヒーローへの興味をかき立てる一行が刷られていました。たとえば『パジャママン』初回のハシラには「V3をたすけるなぞの新ヒーローのひみつを、きみに全公開!」「マジンガーZに二大新兵器がつく!」。この形式はいまも続いていて、もはや伝統ですね。
『パジャママン』2回目のハシラには「『ドクター・ヘルの地獄大作戦』をたのしみに!」とあり、3回目には「新ヒーロー“Xライダー”のすべてがわかる三月号! 読もう!」とあります。こうした文句を読むだけでも、70年代のテレビヒーローを見て育った世代としてはときめきます。
ライダーとマジンガー以外では、マジンガーと同じく永井豪先生が原作であるアニメヒーローとして『デビルマン』に続く『キューティハニー』。『スペクトルマン』『快傑ライオン丸』以来の、漫画家うしおそうじさんを社長とするピー・プロ制作の実写ものの『鉄人タイガーセブン』『電人ザボーガー』。『科学忍者隊ガッチャマン』で知られる竜の子プロのアニメヒーローとして『新造人間キャシャーン』。宣広社作品の実写もの『スーパーロボット レッドバロン』(後の『スーパーロボット マッハバロン』につながります)。
これらが『パジャママン』当時の講談社児童雑誌で毎月紹介されてました。
ヒーローもの以外では、仮面ライダーシリーズと同じく石森章太郎先生原作の『星の子チョビン』、そして『ゲバゲバ90分』という大人向けバラエティのヒット作のスタッフがアメリカの『セサミストリート』を意識して作った子ども向けバラエティ『カリキュラマシーン』等の記事も掲載されています。
また赤塚不二夫先生の『天才バカボン』が、少年マガジン版と同時に長期連載されており(テレマガ版の作者表記は「赤塚不二夫とフジオ・プロ」)、こちらはテレビアニメ版『バカボン』の放映中いかんにかかわらず継続され、小学館の学年誌における『ドラえもん』的ポジションにあったといえるかもしれません。
パジャママンの模様はウルトラマンに印象が重なりますが、誰でもイメージするヒーローっぽい感じの要素を取り入れたのでしょうか。後に、ウルトラマンや仮面ライダーがパジャマになって発売され、幼児がそれを着るだけでヒーロー気分になれることで人気となります。パジャママンの発想はその原点かも。
『パジャママン』に登場する敵は「泥棒」や「人さらい」「刑務所を脱走した男」等であり、子どもがイメージしやすい「わるもの」なのが楽しいです。
『パジャママン』が各誌で連載開始されたのは73年の12月号(「ディズニーランド」のみ74年1月号)からですが、この月にはF先生原作のテレビアニメ『ジャングル黒べえ』が半年間の放映を終了しています。また同じ73年の9月には『ドラえもん』の最初のテレビアニメが放映終了しています。
『パジャママン』は、F先生原作としては『ジャン黒』『旧ドラ』に続くテレビアニメの企画としても検討されていますが、実現しませんでした。連載は一年間続き、テレマガ版の最後の回には末尾に「第一部おわり」と記されていました。
今回の全集には、テレビアニメ用に描かれたキャラデザインも掲載されています。
『パジャママン』においても、長年児童誌で描いてきた藤子・F先生の姿勢には少しの揺らぎもありません。
児童誌での藤子不二雄作品は、「週刊少年サンデー」創刊号から連載された初期の代表作『海の王子』を起源とする、ヘルメット姿の少年少女がロケットに乗り込む数種の連載から始まりました。
その中で、内容は次第に『海の王子』から引き継がれた冒険活劇から、主人公の少年の、泣いたり甘えたり失敗したりする日常に力点を置いた作風へと変化していきます。それはやがて『オバケのQ太郎』『パーマン』『ウメ星デンカ』『ドラえもん』といった代表作といえる作品群で完成されていくのです。
藤子・F・不二雄先生が子どもたちの日常に舵を取ったのは、学年誌という掲載媒体が大きかったのではないかと思います。週刊漫画が次第に確立していった時代、連続活劇を成立させるには学年誌の月一回という頻度ではスピード感に欠けます。
テレビで毎週の放映が決まっている作品の同時掲載という場合も、月刊誌で展開を合わせていくとどうしても間をはしょったものになりがちです。学年誌からオリジナルに漫画を発信する場合、藤子・F・不二雄先生は一話完結で、子ども達の日常をフィードバックしたものを作る必要があったと思われます。
『パジャママン』の「おともだち」掲載分では、その回ごとに「理科」「算数」「しつけ」などの項目がページの隅に付されていました。そして見開きの左側のページの上には、漫画の中で描かれていることからどういうポイントで子どもたちの教育に活用するのかが、丸い枠で囲って活字で指示されています。
それら教育ポイントは編集部によって付されたもので、作者のF先生とどの程度緊密な打ち合わせがあったのかはわかりませんが、幼児の持つ基礎的な認識力、把握力に常に問いかける姿勢があったのは間違いないでしょう。今回そのまま全集に採録されているのも貴重です。
http://www.shogakukan.co.jp/comics/detail/_isbn_9784091434401
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