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【社説】

夫婦殺害無罪 裁判員の常識が働いた

2010年12月11日

 鹿児島の夫婦殺害事件の裁判で、無罪判決が出た。死刑求刑された裁判員裁判では初となる。犯行に直接結び付く証拠はなく、冷静で常識ある結論に導いた裁判員の判断だと大いに評価したい。

 「ぬれぎぬだ」と、強盗殺人罪に問われた被告は一貫して主張していた。証拠とされたのは、老夫婦が殺害された隣部屋のタンスなどに付いた被告の指紋と、網戸に付いた細胞片のDNA型鑑定だけだ。極めて証拠が乏しい。

 犯行現場の部屋などから、被告の毛髪などは出ず、現金にも手がつけられていなかった。目撃証言もない。スコップで被害者は百回以上も殴打されたが、凶器から指紋もDNAも検出されていない。

 被告を犯人と断定するには、説明がつかない事柄があまりに多すぎる事件だった。被告の指紋などは、判決が「過去に付着した」と認定したうえで、「総合しても被告が犯人との推認には遠く及ばない。状況証拠には犯人性を否定する事情が多々ある」として、検察側の主張をことごとく退けたのは、当然の帰結といえよう。

 選任手続きから判決まで四十日を要し、裁判員には負担が重かったが、それだけ慎重に議論を重ね、重大事件の判断に至った成果として、十分、尊重に値する。

 大事なのは「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則が健全に働いたことだ。無実の人を罰するのは、むろん不正義である。同時に真犯人を取り逃がすことにもなり、二重の意味で不正義だ。被告が無罪を訴える今後の裁判員裁判でも、この原則が徹底されるよう強く望む。

 証拠の薄弱さは、警察の捜査がずさんであった証左ではないか。被告に前科があり、指紋が検出されただけで、後は自白を引き出せばいいという安易な考えがあったのなら許されない。鹿児島県警では選挙違反事件で全員無罪となった志布志事件もあった。

 とくに判決で「現場の鑑識活動が万全であったとは言い難い」と指弾されたことは重く受け止めるべきだ。捜査手法をもう一度、見直すことが急務である。

 さらに被告に有利に働く証拠を自ら提出しなかった検察官を戒める言葉も判決文にあった。市民感覚の反映であり、反省は検察側にも求められる。

 もちろん真犯人を捜し出さないと、被害者は浮かばれない。真っ白な心で捜査を一からやり直すことに全力を注いでほしい。

 

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