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【正論】東洋学園大学准教授・櫻田淳 安保での失点は安保で取り戻せ
仙谷由人内閣官房長官や馬淵澄夫国土交通相に対する問責決議案の可決は、既に内閣不支持率が支持率の倍に達している現状と併せて、菅直人政権の失墜を誰の目にも明らかにしたようである。
民主主義体制下における一般国民は、本質的に「待てない性向」を持つものであるけれども、早くも、解散・総選挙を求める声が勢いを増しつつある。菅政権の執政を取り巻く環境は、世論調査の数字といった表面的な指標からうかがい得る以上に、厳しいものがあろう。
現下の菅政権の失墜は、沖縄県尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件から直近の北朝鮮による韓国・延坪(ヨンピョン)島砲撃に至るまで、大方(おおかた)、安全保障政策上の「失態」の連続によるものである。安全保障政策は、他の諸々(もろもろ)の領域の政策を展開する土台を成すものであるから、それに「不安」が生じれば、たとえば介護、年金、医療といった福祉の施策は、画餅(がべい)の類となる。
菅政権の政策対応は、こうした国民各層の「不安」をむやみに刺激するものであった。そうであればこそ、安全保障政策上の「失態」を埋め合わせるのは、至難のわざであるとはいえ、菅政権の再度の浮揚を促すのもまた、安全保障政策上の「実績」に他ならないであろう。
◆起死回生策は9条改定提起
菅政権の「起死回生」を期す一つの方策は、安全保障政策上の「制約」の根幹であった現行憲法第9条の改定を提起し、小沢一郎元民主党代表の言葉にある「普通の国」への脱皮に道筋を付けることである。
そもそも、昭和27年に、吉田茂は、保安隊発足を「国防軍ノ創設」と表現し、後に自衛隊と呼ばれることになる組織の実態に対する「本音」を吐露していたけれども、それは、現行憲法第9条の下での「建前」を覆すものではなかった。
先刻の民主党外交安全保障調査会での議論では、陸上自衛隊における「普通科」という編成呼称や「一等陸佐」という階級呼称の変更が持ち上がっていたようであるけれども、そうした従来の編成呼称や階級呼称は、過去半世紀の「建前」の下で示された苦肉の政策判断の所産に他ならない。
菅首相は、こうした従来の「建前」に縛られることなく、吉田の言葉に示された「本音」としての「国防軍ノ創設」を名実共に備わったものにする趣旨で、党内外の合意形成に精励すべきであろう。それは、「自民党内閣下では手掛けられなかった施策」を劇的に進めるという意味においては、「政権交代」の意義を最も鮮烈に世人に印象付けるものになろう。
◆国防軍創設には野党も乗る
もし、こうした政策志向を菅首相が敢然として打ち出すのであれば、おそらくは、社民党や共産党を除けば、自民党をはじめとする他の保守系野党は、それに乗ろうとするであろう。
民主党内でも、旧社会党系議員の抵抗はあるかもしれないけれども、昔日、日本の「普通の国」への脱皮を説いた小沢元代表やその周辺は、菅首相への感情がどのようなものであれ、その政策志向それ自体には異を唱えることはないであろう。
無論、政治家にとって最も難しい政治上の選択とは、それまでの政治家としての信条や足跡からすれば明らかに相反するような政策志向をあえて打ち出すことである。
◆個人の信条より国民の要請
菅首相にとっては、「国防軍ノ創設」の趣旨に沿った施策を断行することは、永らく保守政治に対峙(たいじ)してきた自らの政治家としての信条を裏切るものであるかもしれない。けれども、宰相の座を占めている彼が依拠すべきは、「個人の信条」ではなくて、「国民の要請」である。そして、目下、その「国民の要請」とは、諸々の施策の土台としての安全保障政策における「不安」を払拭することである。
菅首相は、「支持率1%でも辞めない」と語ったと報じられたけれども、そうした「権力への執着」の姿勢には、政治上の瞠目(どうもく)すべき業績が上がるという確約が伴わなければならない。
イタリア・ベネチアにあるドゥカーレ宮殿内には、ベネチア共和国時代の元首である歴代総督の肖像画を飾った一角がある。
その中では、14世紀半ばに総督を務めたマリーノ・ファリエロだけは、その肖像画が外され、黒い布が被(かぶ)せられている。彼は、「失政は許されなかった」往時のベネチアにおいて、「権力の独占」を図ったが故に、執政全般に混乱を来し、その科(とが)によって処断された。彼は、共和国千年の歴史の中では、「消された総督」になったのである。
菅首相が現下の「国益の毀損(きそん)」を止める手立てを講じなければ、後世、彼は鳩山由紀夫前首相とともに、そうした「消された総督」と同じ類のものとして列せられ、記憶されることになるかもしれない。そうでないとは、誰が断言できるのか。(さくらだ じゅん)