「ご遺族と被告の家族のことを考えた」。米原雑排水槽殺人事件で無罪主張の森田繁成被告(41)に懲役17年の判決が出た今月2日、会見した裁判員経験者は約1カ月間の公判を振り返り、被害者と被告双方の家族への思いを口にした。公判を傍聴した私は、裁判員の表情に注目していたが、会見で出た言葉と表情から、市民の立場で必死に「真実」に迫ろうとした姿勢が伝わってきた。【加藤明子】
傍聴席には毎回、被告の妻の姿があった。被告人質問の内容を聞き逃すまいと、やりとりをメモ。検事の追及に被告が窮すると、手を止め、時折首をかしげるそぶりも見せた。被告は退廷する際、常に妻の方を振り返り、小さくうなずいた。一方、傍聴席からの視線を遮るついたての奥には、被害者参加制度を申請した被害者の母と妹が座っていた。
被告人質問は5日間に及んだ。最後の第8回公判で、女性裁判員が「妻子ある身で親しくしていた女性が殺されたことをどう思うか」と質問。被告が「彼女の命を返してほしい。その気持ちは一生消えない」と答えると、男性裁判員は「妻と離婚したくないという理由は?」と続けた。「私は妻を愛しているし、妻も私を愛している。私の責任。2人に対して間違ったことをして申し訳なく思う」。ついたての奥からすすり泣く声が漏れた。
6人の裁判員全員が被告の顔を注視する。裁判員の一人が「あなたの子どもも傷付いていると思うが……」と問いかけると、それまで感情を表に出さなかった被告が突然、泣いた。初めて見せた父親としての素顔に裁判員は驚いているように見えた。厳しい表情を一瞬緩めたり、涙の真意を測りかねるように被告を凝視する裁判員もいた。
第9回公判では、検察官が事件の3カ月後に亡くなった被害者の父の供述調書を読み上げた。「本当に幸せだった。毎年のように家族で旅行した。生きていてさえくれれば」。女性裁判員はハンカチで涙をぬぐった。裁判員の手元モニターには何らかの写真が映し出されている。法廷のモニターには映らなかったが、裁判員の表情から、幸せそうな被害者か家族が映っているであろう写真の内容が伝わってきた。
判決後の会見。裁判員経験者は「今朝まで『無罪かもしれない』と悩んだ。被告のための裁判だが、被告の奥さんや子ども、ご遺族のことまで考えた。難しかった」と振り返った。車内に残された被害者の血痕の評価など、被告側の主張は大半が退けられたが、「一片の反省も示しておらず矯正は困難」とする検察側主張について、判決は「今後態度を改めて反省し、更正の可能性がないというのは相当ではない」とし、理由の一つに家族が待っている点を挙げた。
裁判官や検事、弁護人らのプロとは異なり、裁判員の表情は豊かだった。傍聴者には見えないものを見聞きし、それがどんな意味を持つのかを伝えてくれる役割を果たしていた。
ただ、「被告に言いたいことは?」との質問に対しては「どこかで本当のことを語ってほしかった」という答えが返ってきた。「議論を尽くした」と自負していた裁判員だが、判決理由で動機は不明として明言を避けた。若い命が奪われ、二つの家族に計り知れない影響を与えた事件がなぜ起きたのか。裁判員は何とかその理由を探ろうと苦悩した様子がうかがえた。
「裁判員を経験し、テレビで事件報道を見ても、その背景を考えるようになった」と語った女性もいた。今後、裁判員経験者が増えて社会はどう変化していくのか、見守り続けたい。
毎日新聞 2010年12月14日 地方版