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なぜ学会を辞めて法華講員になるのか

 

 日蓮正宗・法華講(以下法華講)に所属しているメンバーの大半は元創価学会員です。はたして、彼らはなぜ創価学会を辞めて法華講員となったのでしょうか。当然その理由は千差万別で、それぞれ違う理由が存在するはずですが、根本的なひとつの理由があるように感じてなりません。そのひとつの理由から派生して、「会内の人間関係」「煩わしい活動がいやで」「教義が納得いかない」等々の理由(言い訳)がでてくるように思えてなりません。

それは、「外道」の考え方が抜けきれないために「内道」の日蓮仏法には抵抗を示したのではないかと考えます。ほとんどの”言い訳”の裏に「外道」的な信仰がかいま見えます。ここで、不思議に感じる方もいらっしゃるでしょう。宗教批判の原理として有名な「五重の相対」では、外道対内道の比較は第一ラウンドでしかない。釈尊が説いた仏法は、浅い教えの小乗教でさえも内道ではないかと。確かに五重の相対に照らすとその通りなのですが、「幸不幸の根本原因を自身の内側に求めるか、外側に求めるか」という観点から考えると、現在生き残っているほとんどの宗教は外道になってしまいます。数少ない内道派は創価学会(特にルネッサンス以後)と、極一部の人格者だけといった状態ではないでしょうか。(これについては後でもう少し考えてみましょう)

それでは、本当に「外道的な考え」が脱会の理由になっているのかを検証してみましょう。

言い訳@ 「人間関係」

人間関係の不協和により組織自体に不信を起こして、信仰心まで壊れてしまう。というケースです。確かに気持ちは理解できます。これほど巨大な団体のなかで自分とあわない人間や、イヤな奴がいない方が不気味です。好きあって結婚しても憎しみあうのが人間ですから。大事なことは、仏法者らしく依正不二ととらえて宿命転換をすることなのです。ところが外道的な人は「学会という組織が自分を幸せにしてくれない。逆に不幸にしている」ととらえてしまうのです。

言い訳A 「御僧侶がいない」

まともに学会活動をしたことがないお年寄りにとても多い言い訳が「坊さんがこないお葬式なんて真っ平ごめん」的なものです。これは「言い訳」などというには抵抗がありますね。ご本人にとっては切実です。しかし、これは大聖人の仏法から遠く離れた単なる感傷に過ぎません。大多数の日本人に沁みついてる徳川幕府の政策の残り香のようなものです。つまり、学会に籍を置いてはいたけれども、学会の教義を学ぼうともしていないし、宿命転換のために祈り、動いたということもないという人が圧倒的のようです。(確かにそのような会員さんにも、真実の仏法をご理解していただけるようにする使命が幹部にあるのですが・・・。)

この理由も根底には「僧侶が導師をして、ありがたいお経を読んでくれなければ故人は成仏できない」という、完璧な外道的考えなのです。

言い訳B 「学会が偽本尊を配布した」

学会が、宗門(日蓮正宗)とは無関係に下付(授与)している本尊は偽物である、として脱会した人が少なからず存在します。この人達に至っては、言うまでもなく外道です。極論してしまえば、統一協会にだまされて高価な壺を買ってしまうことと同じ感覚です。つまり、「ありがたい御本尊は、その他の全物質とは異なる特別な力を備えていて、それを我が家へ迎えることにより幸せになる。」ということですから、霊感商法にだまされている人と同じ理屈です。

そして、だまされている本人にこのようなことをいうと、必ず「御本尊様をモノとしか考えられない不信心」などと、かみつきます。私は決して、「日蓮仏法における本尊が単なる紙である」などというつもりはまったくありません。それどころか、筆者としては日蓮筆の曼陀羅本尊なしでは、生きる気力が失せるのではないかと思うほど大事なものです。しかし、霊感あらたかな特別な物体だとは思っておりません。この、一見すると理解しがたい微妙な違いが実はとてつもない差となって現れてくると考えます。

日蓮大聖人が活躍された鎌倉時代から、つい最近の戦後と呼ばれた時代まで、曼陀羅本尊を生活の中心とする信仰を持った人はほんの一握りでした。確かに明治時代を中心に日蓮宗が大きく力を付けた時代もありましたが、単に政治的な戦略から檀家が増えたに過ぎません。本来の日蓮仏法を持つ人々が爆発的に増えたのは創価学会の折伏大行進以後であることは歴史的事実です。そこで、従来の(ほとんど曼陀羅本尊を持とうという)日蓮仏法の信仰者がほとんどいない時代には考えられなかった課題が発生します。本尊をどうやって信仰者一人一人に行き渡らせるかという物理的な問題です。日蓮大聖人御自身が顕わしたとされる、いわゆる「御真筆」といわれる曼陀羅本尊が50億枚ほど存在すれば、希望する人々に行き渡らせることは可能でしょう。実際には、確認していませんがたぶん一億分の一ほどではないでしょうか。そこで、印刷技術が発達していない時代には、書写(あるいは模写)をして、御真筆本尊の不足を補う手法がとられました。しかし、この方法には非常に大きな危険性が伴います。ヘタクソが書写すると、御真筆とは似ても似つかない別物が出現してしまうという問題です。そこで、書写する権利を特定の人間に与えることによって「ヘタクソな別物」の発生を抑える必要がでてきます。また、信仰者としては「書写」という非常に重要な行為を、まったく信仰していない人間が(描写力が優れているという理由だけで)行うということでは納得できません。以上の理由から、自然に「修行を行った信頼のおける強信者に任せよう」ということになります。そして、だれに任せるか、ということは時代により変遷していきます。大石寺の歴代住職のなかでもきわめて重要な存在として有名な第9世・日有上人は、その代表的な書である「化儀抄」で、「(大石寺の住職ではなく)末寺の住職でも、御本尊の書写をおこなうべきである」と、制限付きながらも奨励しています。ところが、実際には御本尊の受時を希望する信徒は限られているため、大石寺の住職の書写で事足りていた、という現実があります。しかし、創価学会の出現によって状況は激変します。先述した折伏大行進により御本尊の受時希望者が激増していきます。

以下「工事中」

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