「超人ロック ニルヴァーナ」
2010/12/13 16:05:00


久しぶりに超人ロックのコミックを買った。少年キング時代のコミックは全巻読破したのだが、その後はすっかりご無沙汰していた。まあキング時代の全巻も揃えたのは妹なのだが。実は俺は社会人になるまでほとんど自分でコミックを買ったことがなかったという(笑)。

ニルヴァーナ編、全4巻のうち4巻目しか読んでない。本屋になかったので。そのうち1巻から3巻も買おうと思うが…。でも超人ロックとの付き合いは長いから、なんとなくここまでの物語は想像できてしまう気もする。

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第2次汎銀河戦争が起きる話。第2次というからには第1次もあるわけで宇宙暦200年あたりで銀河連邦が成立したあと、宇宙暦500年に連邦が崩壊、これが(第1次)汎銀河戦争。その後銀河帝国が成立するが、宇宙暦900年頃に帝国が崩壊し新銀河連邦が成立する。今回の第2次汎銀河戦争はよくわからないが宇宙暦1200年頃と思われる。ちなみに宇宙暦元年は西暦26世紀あたりらしい。つまり「今」は西暦38世紀ぐらいか。

第1次汎銀河戦争は(旧)銀河連邦の気詰まりから起こった。ライガー教授によって引き起こされた。ライガーは連邦のどこかの大学の教授なのだが、ある日突然「銀河を救う」使命に目覚めたらしい。別に狂気に駆られたわけではなく、経済予測からこのままでは銀河連邦が崩壊し未曽有の混乱が起きる、その前に人為的に崩壊させ、連邦の足かせを解き、各惑星の自由な発展に委ねたほうがいい、と考えたらしい。

教授はインナークロスという教団を組織するとともに、ジオイド弾という惑星を破壊するミサイルを作り連邦の中枢に打ち込んだ。結果連邦は事実上崩壊。銀河系全体がさながら戦国時代のような混乱に陥る。しかしそれでもあのまま放置しておくよりはまだマシで人類の生き残る確率は増えたのだという。

ライガー教授は破壊と並行して再建も考えていた。とある自給自足の惑星ファーゴにコンピュータを設置し、銀河連邦再建の礎を準備していた。教授本人は途中で死ぬが、その遺産によりやがてファーゴを首都とする銀河帝国が成立する。

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今回の話は旧銀河連邦→銀河帝国→新銀河連邦と続いた新銀河連邦の社会が停滞し、再び銀河連邦を崩壊させることを目論む人物が現れる。そしてジオイド弾も再び用いられる。しかし今回は辛くも連邦崩壊までは寸前で食い止める話になっている。

振り返ってみると第1次汎銀河戦争が描かれた「マインドバスター」は1982年に描かれた。1980年代は米ソ冷戦の真っ盛りであり、ソ連の行き詰まりが顕著になってきた時期でもある(1960年頃まではソ連経済は比較的うまくいっていた)。崩壊寸前のソ連が苦し紛れに西側諸国に戦争を仕掛けてくる、というのが当時想定された悪夢だった。

結局ソ連は1991年に崩壊するのだが、巨大国家崩壊にしては予想外に平和裏に行われた。戦争は起きなかった。人類は意外と賢明だったのだ。

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超人ロックの2つの汎銀河戦争の結末の違いは、この1991年のソ連崩壊の前と後の世相の違いを反映している思うのは俺だけだろうか。人類が絶滅する可能性があるほどの大混乱を避けるために意図的に戦国時代を起こすという第1次と、人類の英知を信じ戦争を回避するという第2次。

ちょっと第2次の方は楽観的過ぎる気がするが、超人ロックが生きてきたこれまでの様々な歴史、そのほとんどが戦いの歴史、最初の植民惑星の独立戦争から始まり、銀河連邦の結成、銀河帝国、新銀河連邦と、何度も行き詰っては平和を願い統治システムを構築しなおす人類の歴史、が随所に挟み込まれているので、感慨深い。

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超人ロックのストーリーは多岐にわたるが、銀河連邦や銀河帝国の話は、アシモフのファウンデーションシリーズがベースだろう。知識(のデータベース=コンピュータ)こそが銀河における真の力であるというのも、ファウンデーションシリーズに通じるものがある。ライガー教授はハリ・セルダンのポジションだろう。

言われたことをなんの工夫もなしにロボットのように働く人は大事
2010/12/13 12:28:00


ひろゆきがtwitterで就活の研修(なのかよくわからんが)を批判していた(のかこれもよくわからんのだが)。twitterなので短い発言で内容が読み取りにくいのだが、自分で工夫することなしに、他人の後ろを追いかけて安全・簡単に生きようとする人、もしくはそれを促す研修を批判しているっぽい。

「自分で考えましょう」「工夫しましょう」というのは小学校から言われ続けてきたことだ。それ自体は正しい。実に正しい。俺もこのブログで様々な形を変えて主張していることだ。「自分で考えることが大事だ」と。

だがちょっと待ってほしい。すべての人間が創造的な工夫をする仕事につくわけではないし、それができるわけでもない。さらにいえばそうすべきですらない。兵隊のように指図されたことを忠実に実行する人々が社会に必要。

そしてそういう事の方が向いている人の方が、おそらく数も多い。なぜ子供の頃から「自分で考えましょう」「工夫しましょう」と言われ続けるかといえば、そうしない人が多いからだ。そして言われ続けても大半の人は結局そうしない。向いていないのだ。「考えることが大事」というのは、数少ない考える才能を持つ人を発掘するためであり、最初から全員がそうなることを想定してるわけではない。

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こんなことを書くと不評や反発を買うだろうけれど、そもそもなぜ反発するのだろうか?「おまえらは考えられない人間だ」と言われることに反発するのだろうけど、それは「考えられない人間=劣った人間」という前提があるからだ。

しかし人間の良さはそれぞれだ。誰もがクリエイティブな能力を要求される仕事につくのが正しいわけではない。「自分で考えられない人間は社会で通用しない」というのは、誰もがプロ野球の選手になれるぐらい野球がうまくなければ社会で生きていけないというようなものだ。

もちろんどんな仕事でも工夫は大事だ。常にもっと改善点がないか考えながら仕事をすべき。しかし工夫ができないからといって、その人が仕事ができないわけではない。全く新しい分野ならいざしらず大半の仕事はこれまで多くの人が長い年月をかけてやり方のフォーマットを作り上げてきた。

いまさら大きな改良の余地は少ないだろう。わずかでも改良し続けることは大事だし否定はしないが、できないからといって大幅に仕事のパフォーマンスが下がるとも思えない。

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だったらその人は他の人とどうやって差別化するのだ?その人ならではの能力は何を評価するのか?というかもしれない。軽視されがちだが長年にわたって「言われたことを実直にそのままやり続ける」というのは、そう誰でもできることではない。1回や2回なら誰でもできるだろうが、コンスタントにそれを維持できる人がいるなら、その人は余人を以って代え難い人材といえよう。

世間では「コミュニケーション能力が大事」「自分で考え工夫できることが大事」と馬鹿の一つ覚えのように言われるが、実際には会社には様々なタイプの人間が必要。会社には様々なタイプの作業がある。

クリエイティブな能力をもつ人間だけ揃えても会社は機能しない。彼らは単純なルーチンワークを嫌う。無理にやらせ続ければ辞めてしまう。それは正しい。彼らは彼らの能力を活用できる職場に行くべきだ。

しかし会社にはルーチンワークをこなす人は必要。コミュニケーション能力がなく、自分で考えることが苦手な人は、意外と会社に必要なのだ。ルーチンワークを飽きずに、感情や体調に左右されることなくムラのないパフォーマンスを発揮できる人材なら尚いい。

そしてそういう事の方が自分に向いていると思う人は、躊躇することなくそれをアピールすべき。実は苦手なのに付け焼刃で「自分は創意工夫が大好きだし得意です」というよりも、ずっといい。おそらくその方が採用されるであろう。考え工夫する事が苦手でルーチンワークも退屈で嫌だとなると、どうにもならないが。

孫正義 vs ひろゆき
2010/12/12 09:45:00


twitterで孫正義 vs ひろゆきのバトルがあったらしい(まあ本人同士のバトルというよりも、それぞれの支持者の代理戦争?)。命を賭けて成し遂げることがあるか否か。

なかなか、それぞれの生き方がよく反映されている。孫正義の人生観を決定づけているのはソフトバンク創業まもなくの頃の慢性肝炎による入院だろう。余命数年と宣告された後、当時発表されたばかりのステロイド離脱療法を行う医者を自力で探し出し、それに賭けた。その医者の先生のもとを訪れた孫正義は何を問われても「すべて先生におまかせします」と、悲壮な覚悟だったという。

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当時のソフトバンクはすでにOh!PCなどの有名パソコン雑誌を出していたが、社長である孫正義が長期入院のために結構ガタガタしていた。ソフトバンクが倒産するという噂が流れたこともあった。ソフトバンクでバイトしてた友人がいたが、「えーそれは困る」とか言ってたのを思い出す(苦笑)。

MSX規格策定をめぐるアスキーとソフトバンクの対立や、ソフトハウスの囲い込みをめぐる工学社(I/O)とアスキーの綱引き、ジャストシステムをめぐるソフトバンクとアスキーの因縁など、急速に発展しつつあったパソコンソフト市場をめぐって、ドロドロとしたことがこの頃いろいろとあった。もともとI/Oと袂を分かってできたのがASCIIだし、8bitパソコン時代を支えた3社の間には血で血を洗う…おっと誰か来たようだ(ry

孫正義が自分が入院で不在の間を任せた人物とソフトバンク社内がうまくいかず、この時期ソフトバンクから退職者が結構出た(と思う。記憶が曖昧だけど)。会社はガタガタ、自分は文字通り生きるか死ぬかの瀬戸際。そういう状況で孫正義はステロイド離脱療法とその先生にすべてを賭け、賭けに勝った。

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一方ひろゆきの人生観の裏付けになっているのは2ch訴訟の敗訴の件だろう。誰もがこれでてっきり2chはなくなると思ったのに、なんかよくわからないが、現在も2chはダラダラ続いている(笑)。どんな状況でも生き残る道(逃げ道?)はある、みたいな。ひろゆきが孫正義みたいな性格だったら、敗訴して賭けに負けたのだから潔く2chを閉鎖したかもしれない。

それぞれやり方はあるということなのだろう。危機に直面したとき孫正義とひろゆきは正反対の道を選び、それぞれ上手くいった。選択した方向はそれまでの人生観から導き出されたことだろう。そしてその成功が「自分の生き方は正しかった」という確信になっているのだろう。

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「何かをやるために命を賭ける」という思考は、余裕がない状態か洗脳されている状態だとひろゆきはいう。しかしそもそも人間の一生は限られている。また人生の特定の時期にしかできない事も多い。人生とは余裕のないものなのだ。

もっとも安易に命を賭けて賭けに負けてしまったら二度とチャンスはなくなる。これは会社も同じで大博打を打って万が一裏目に出てしまったら再起は難しい。だから大勝負をする戦略よりも直ぐには負けない戦略をとる方が長期的には成功に有利だと、俺は個人的に思う。チャンスは常に残しておくべき。

話は飛ぶがアポロ13号のドキュメンタリーでこんなことが書いてあった。アポロ13号は月に向かう途中で爆発事故を起こし、そのまま瀕死の状態で月を回って地球に帰ってきた。この時残された燃料をぎりぎりまで使い切れば、もっと早く地球に帰れた可能性もあったという。しかしそれではさらに予想外のアクシデントが起きた時に、もう選択肢がなくなる。NASAの技術者たちはなるべく選択肢が多く残る道を選んだ。

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一方で古来から「背水の陣」といわれるように、あえて退路を断つことも、人心をコントロールするという面では必要。「この人間が一度言い出したら、絶対方針を変えない」と思わせることは大事だ。「どうせまた方針が変わるだろうから、様子見をしておこう」みたいな浮ついた気持ちで行動されては勝てる勝負も勝てなくなる。

退路を断つことも重要だし、万が一最悪の結果になっても立て直しの選択肢を残すように考えておくことも重要。なかなか難しい(笑)。

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つねづね思うのだが現代の日本は人の命を大事にし過ぎる。戦争中に人命が軽視された事への反動なのだろうが、人命軽視も人命過重視も、どちらも大差ない。国のために死ぬのが正しいというのが洗脳なら、個人の命がなにより大事というのも洗脳だ。何かを絶対視させることで思考の自由度を奪い、物事を単純化し短絡的な帰結を促すことが忌むべきことなのであり、それが人の命であれ平和であれ有害なことには変わらない。

人はいずれ死ぬものだ。親は子どものためになら喜んで命を差し出す。どのみち自分は何十年か後には、たいして意味もなく死ぬのだから、引換えに子どもの命を助けられるなら、むしろそういう状況を嬉しく思うことだろう。

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「利己的な遺伝子」という本が出版されたとき世界に衝撃が走った。生物の個体は遺伝子の乗り物であり、生物は個体を維持することよりも種、つまり遺伝子を繁栄させるように振舞う、と。

この考え方はたいそう大衆にウケがよく、何でもかんでも遺伝子に結びつけた珍説がはびこったのは残念だが、本家のこの考え方自体は正しいと思う。というかそういう性質をもつ生物が繁栄し今日まで生き残ってきたわけだ。

むろん種を繁栄させるためには個体の生命維持もそれなりに重視しなければならない。死に急ぐような個体では遺伝子を残せない。しかし目的はあくまで種の繁栄であり、そのための手段が個体の生命の維持なのだ。だから生物はしばしば利他的な行動をする。自分の命よりも他の個体の利益を優先する行動をする。

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それが生物本来の姿なのだ。軍国主義批判と絡めて「国のために命を賭けるのは生物として異常だ」という主張がしばしば成されるが、それは本末転倒。「個体の生命こそが何よりも大事」という考えの方が自然の摂理に反しているのであって、そういう考え方に囚われている人は、戦後の異常な教育に洗脳され、生物の本来のあり方を踏み外した困った人たちといえよう(苦笑)。

結局のところ「国のため」も「個人のため」も方向は正反対だが性質は同じなのだ。安易にひとつの結論に結びつけ思考停止してしまうのが最悪の選択なのであり、考え続け迷い続けることが結果的には個体も種も繁栄することに繋がる。孫正義がいう「真剣に悩め」「腹が決まれば命をかけよ」というのは、そういうことなのだろう。


加藤 剛 - 風と雲と虹と


風と雲と虹と

日原街道
2010/12/10 09:58:00


子供の頃、学校の遠足か何かで日原鍾乳洞に行った。よく覚えていないが夏休みにクラブの有志で行ったこともあったような。合計3回ぐらい行っている気がする。

小さいころの記憶ではバスがカーブをすごい角度で曲がって走っていったのが印象的だった。窓の外はすぐに谷底で、遠心力なのかカーブの傾斜なのか、とにかく曲がるたびにみんなでキャーキャー騒いでいた。

ところが最後に行った時は、それほどでもなかった。まあその頃はかなり成長していたから、ちょっとぐらいのことでは動じなくなっていたのかな、とずっと思っていたが、ふと地図を見ていると日原街道には新道と旧道がある。新道の日原トンネルの開通は昭和54年(1979年)らしい。

   *   *   *

ひょっとして新道ができたためにカーブが減り、怖さが減ったのだろうか。最後に行った時期がいつなのかよく覚えていないが、日原トンネル開通の前後の微妙な時期のような気がする。

そもそも現在の日原トンネルが作られたのは、山の斜面で大崩落が起こり旧道が埋まってしまったためらしい。昭和47年(1972年)のことらしい。でもじゃあ昭和47年から昭和54年までの7年間はどうしてたのだろう?崩落した場所は現在もそのままになっている。

少なくとも昭和47年から昭和54年の間のどこかで俺はバスにのって日原鍾乳洞に行ったはず。新道の開通が昭和54年なら旧道を通って行ったはずなのだが…。旧道の大崩落が昭和47年というのが違うのだろうか?それとも昭和47年に大崩落が起きた後も一度旧道は復旧し、現在埋まっているのはさらにその後にまた崩落が起きて現在の姿になっているのだろうか。わからん…。

Webを検索しても大崩落現場の探検レポートとかは色々ヒットするのだが、日原トンネル開通前後の経緯が見つからないのだよね…。

   *   *   *

検索してて見つけたすごく面白いサイト。

  道路レポート 都道204号日原鍾乳洞線 旧道 
  http://yamaiga.com/road/nippara/main.html
  道路レポート 都道204号日原鍾乳洞線旧道 兎峰橋
  http://yamaiga.com/road/nippara6/main.html

いや~見てると時間がたつのを忘れる。特にこれなどは東京都の道とは思えん。

  道路レポート 日原古道探索計画 
  http://yamaiga.com/road/nippara/main9.html

   *   *   *

旧道の写真。たぶん子供の頃の俺はこの道をバスで通ったのだな。

  日原トンネル旧道を歩く
  http://kasetsu.sukimakaze.com/hobby/nippara4.htm

いまは土砂と落石に埋もれかけている上に、この先は石灰採掘場になっている。旧道自体石灰を掘るために削ってしまったようだ。この旧道の下にさらに古い道があったらしい。上には現在の街道(新道)が通っている。なんかだんだん道が上に登っているような(笑)。昔の技術では下の方にしか道を作れなかったのだろう。

   *   *   *

なんとなくわかったような気がする。旧道には2箇所崩落箇所がある。日原側と奥多摩側。日原側の崩落箇所は旧道のトンネルが貫いている。つまり旧道は崩落していない。旧旧道はこの崩落で跡形も無くなっている。一方奥多摩側の崩落箇所は旧道を直撃している。

しかし上記のサイトにもあるが、この2つの崩落は石灰採掘の土砂のようだ。つまり自然の崩落ではないようだ。この崩落のために旧道や旧旧道が廃止されたのではなく、新しい道が作られたので、用済みになった旧道や旧旧道を犠牲にして石灰採掘を続けたと思われる。

つまり旧旧道の上に旧道が作られ、旧旧道が用済みになったので道が埋まるのを承知でそこに土砂を捨てた。これが日原側の崩落箇所。そして新道が作られ旧道が用済みになったので、同じように土砂を捨てたのが奥多摩側の崩落箇所なのだろう。

昭和47年の崩落がどこで起きたのか分からないが、それは現在崩落箇所と呼ばれているところではなく、もっと小規模な崩落だったのだろう。だからそれは補修され旧道は使われ続けた。しかし旧道は常に小規模な崩落にさらされ続けている状態だったので、これをきっかけに新道の建設計画が始まったのだろう。

あるいは旧道が石灰採掘のじゃまになったのかもしれない。おそらく丈夫な新道を建設したいという思惑と、旧道を削って石灰採掘したいという2つの思惑が一致して、新道が建設されたのではあるまいか。現に新道の上にも採掘場があり、新道のトンネルはその下を通っている。これは旧道のトンネルが日原側の崩落箇所の下を通っているのと同じ構図だ


関連記事:
どうして「こち亀」では奥多摩町がないのはなぜ?

変換候補を数字で選択してる人ってどれぐらいいるのだろうか
2010/12/08 13:08:00


ATOK2011が発表された。発売は例によって来年だが。今回評価できるのは、ユーザーインターフェイスの方針転換が感じられること。MS-DOS時代から続くATOKは、キー操作が複雑怪奇でどれほどの人が使いこなしているのか、以前から疑問だった。

大半の人はSPACE(変換)とENTER(確定)しか使ってないのではなかろうか。あとはF7(カタカナ変換)、F8(半角変換)ぐらいだろう。今回のバージョンアップで、変換候補一覧からの選択でなるべく済むようになった。英字変換や連想変換なども一般の変換候補と同じウィンドウに表示される。推測変換も改良されたが、これはまだ足りないような気がする。TABを押さなくても最初から全候補表示すべきだと思う。

ともあれ、いままでは熟練者が使いこなせば最小限のキー操作で文章を入力できるという方向だった。これが、多少冗長なキー操作が必要でも初心者に分かりやすいことを重視するようになった。正しいと思う、これこそ時代の流れだ。

   *   *   *

変換候補の一覧には伝統的に1~9までの数字が振られていて、その数字を押せば当該の候補を一発で選択できる(設定により、数字でなくアルファベットにもできるが)。この機能ってそもそもどれだけ使っている人がいるだろうか。今日日、変換キーを必要な回数だけ押して目的の候補を選択する人のほうが多いのではなかろうか。かくいう俺もだ。

この機能があるために逆に、選択済みの候補を確定させないと続けて数字を打つことができない。アルファベットなら未確定状態でもそのまま続けて打てば、未確定の候補が確定されてアルファベットが続いて入力できるけれど。

Google IMEの設定に「1~9」「A~L」「なし」の選択があるのを発見して、ためしに「なし」にしてみた(ATOKは「数字」か「アルファベット」の二択。MS-IMEは「数字」か「なし」の二択)。俺にとってはこの方が使いやすいように感じる。特に予測変換でTABキーで選んだあとは、いちいちENTERキーで確定せずとも、そのまま次の文字を打っていけばいいから楽だ。

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IMEのON/OFF機能は伝統的に「全角/半角」キーのトグルだが、これを使いやすいと感じる人がいるだろうか。トグルだから現在どっちのモードになっているか分かりにくい。キー操作をカスタマイズする人はON=「変換」キー、OFF=「無変換」キーみたいに割り当ててることが多い。これなら現在どっちのモードであろうと「変換」キーを押せば必ずIMEがONになる。いちいち確認する必要がない。

俺はさらに「ひらがな」キーを押すと常にひらがな入力モード、「英数」キーを押すと常に半角英数字入力モードになるようにしている。

IMEの操作にトグルが多いのはMS-DOS時代の名残だと思う。DOS時代の最初期のかな漢字変換はテキスト画面の最下行に横一列に変換候補が表示されていた。入力モードもそこに一緒に表示されていたから、モードを確認するのは苦ではなかった。

それがWindows時代になって変換候補が入力中の文章の場所に表示されるドロップダウンメニューになり、一方で入力モードの表示は言語バーになってしまったので、視界の中で両者の位置が大きく離れてしまった。ATOKには入力モードをカーソル位置に表示する機能もあるが、これはこれで非常にうっとうしい。

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Windows95が発売されて15年。もはやMS-DOSなど知らない世代の方が多いだろう。Justsystemが日本語入力のリーディングカンパニーを自認するなら、GUI時代に合ったユーザーインターフェイスを先陣を切って研究し開拓すべきであった。


参考サイト:
各日本語入力プログラムの特徴(MS-DOS時代)
http://www4.airnet.ne.jp/koabe/com_inet/im/feature3.html
各日本語入力プログラムの特徴(Windows3.1時代)
http://www4.airnet.ne.jp/koabe/com_inet/im/feature4.html
各日本語入力プログラムの特徴(Windows95/98以降)
http://www4.airnet.ne.jp/koabe/com_inet/im/feature5.html

関連記事:
atokを馬鹿だと感じる理由
ATOK2010で追加された細かな機能
1年間の沈黙を破りパワーアップしたかつてない変換効率を誇るATOK2010登場
ATOKの「話し言葉」優先は馬鹿
「日本語大博物館―悪魔の文字と闘った人々」(ジャストシステム)
話し言葉と書き言葉は違うべきか?
美しい日本語

なんか2chの過疎化が一段と進んだような…
2010/12/07 20:28:00


以前から2chは過疎化していたけれど、なんかここに来て一段と過疎化が進んだと感じる。今年の初めぐらいまでは、ここまでひどくなかった。夏ごろはあまり見てなかったのでよく分からないが、秋になって見たら書き込みが激減している。あっても内容がスカスカなんだよね…。

ニュー速とかは相変わらず賑わってるんだよな、必要以上に。問題は地味だけど昔から良質なカキコがあった板。なんかほとんど人がいないんじゃないかと思うほどだ。ここは個人でやってるどっかのローカルBBSか?と。板単位で見ればまだそれなりのカキコがあるが、スレ単位でみると悲愴としかいいようがない。体感的には数年前の1/5~1/10ぐらいか。

だいぶ前からネットの主流がBBSからブログやtwitterにすでに移りつつあった。それでもこれまでの習慣で2chにも出入りしていた人々が、大規模規制をきっかけにすっかり去ってしまった。コミュニティというのは人口密度がある限界を超えて減ると一気に崩壊する。大規模規制の連発が最後のダメ押しをしてしまった。

最近はニュー速など荒れやすい板の規制と地味な板の規制を分けたらしいが、規制はきっかけに過ぎないから、いまさら規制を緩めても去っていった人は帰ってこないだろう。すでに「なんとかしてほしい」という声さえもなくなっているように思う。良質なカキコをする人たちは、たいして文句をいわず、静かに去っていく。ゲームオーバー(笑

いずれ2chはニュー速だけになるのか…。時代の流れとはいえ寂しい。

   *   *   *

はてブから

> トラフィックのデータ見ると1年ずーっとほぼ一定なんだけどなー

トラフィックっておそらく「読み込み量」だよね。むろん書き込みが減れば読み込みもいずれ減っていくだろうが、それはワンテンポずれるはず。そもそも全体のトラフィックはアクセス数が多い板(ニュー速とか)が最初から大半を占めているだろうから、地味な板の数値はほとんど含まれていないだろう。要は2chはニュー速だけ栄えてればそれでいいのか?という話。

> 見返りもなく「良質なカキコをする人たち」がいっぱいいた今までが異常だったような。Wikipediaすら、編集者が減っていると言われているし。

ブログではなんの見返りもなく良質な記事を書いている人は依然として多いのだから、そんなことはないと思う。アフィ目当ての人たちばかりとも思えない。自分が正しいと考えることを語りたいと思うのは人間の本能に近い。wikipediaについては語ると長くなりすぎるからまたそのうち。


関連記事:
最近の若者の深刻なケンカ離れ
2chの片隅で
2ch大規模規制とTor
まるで明日の日本の縮図を見ているようだ(2ch戊辰戦争事件)
さらば2ちゃんねる ~ 終わりはいつも突然に ~

当ブログの創設者メカAGからのメッセージをお読みください
2010/12/06 22:29:00


--------   ....,, _
             ''  ,,
                 'i
                    |        おまえらこのままだと
 -―  '''''''' - 、      |      機械に支配されちまうぞ
 ̄         ヽ      ,..|,      
ニ          .|    /::  ヽ
三ニ         |   i::::   i  
三ニ;;__    ノ    !:::   |
        ̄       ::;:  .,
                ヽ_ノ       />   .<\
                |        //     \\
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二'' -- ,,.  .        ゙゙ '' |        | |       | |
三二:::::::::::::゙ '':::-....,_    .,,|         | |       | |
三二;;;;;;;;;;;;;;;;::::::::::::'':.、:::''::::::::|       \\__   .__//
三二::::::::::::::::::::::::: ̄::::::: ̄::::-|、       '-,__工工__,-'
三二::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|::ヽ        ||
三二::::::::::::::::::::::::::::::( ⌒):::::::: |::::::\       ノ,シ


なんか流行ってるらしいので。
これだけじゃあんまりなんで、主要記事一覧
《教育関係記事》
《パソコン史関係記事》
《ゲーム関係記事》
《音楽関係記事》
《食べ物関係記事》
《疑似科学ニュース》
《ネット規制ニュース》
《国民時代》


参考サイト:
WMFJA1/ja - Wikimedia Foundation
http://wikimediafoundation.org/w/index.php?title=WMFJA1/ja&utm_source=2010_JA1_Banner3&utm_medium=sitenotice&utm_campaign=fridayOpening&referrer=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2583%25A1%25E3%2582%25A4%25E3%2583%25B3%25E3%2583%259A%25E3%2583%25BC%25E3%2582%25B8
GMFJA1/ja - GAGAZINEmedia Foundation
http://gaagle.jp/gagazine/kifu/
ぴんくちゃんねるの創設者 ジム・ワトキンスからのメッセージをお読みください
http://www.jimisbad.com/

異色のキーボード
2010/12/05 10:04:00


The DataHand ergonomic keyboard


How to type using the orbiTouch


Wolf King Warrior XXtreme


Combimouse


VKB - Virtual keyboard


Top 10 Coolest Keyboards Ever

よつばとキーボード
2010/12/03 19:32:00


作中のキーボードの変遷をたどってみた。題して「よつばとキーボード」。

   *   *   *

第1巻第7話で2階のとーちゃんの仕事風景が登場。それまでは引越しのゴタゴタのためか、居間で本を積み上げている程度(とーちゃんの仕事は翻訳家)。

右側にはサブデスクがなく、ノートPCもまだない。使ってるキーボードはロジクールのワイヤレスと思われる。ググってすぐ見つかるかと思ったら、古いキーボードはなかなかヒットしない。正確な型番もよくわからないがたぶんこれ。Cordless Freedom。

  ASCII.jp:ロジクール、体感マウスなど18製品を一斉発表
  http://ascii.jp/elem/000/000/316/316818/

カーソルキーの上にある3つのボタン(メールとかワンキーで起動できる)が特徴。

そう考えるととーちゃんはずっとワイヤレスキーボードを使ってたのか?机の上にしばしばマウスと一緒に描かれている謎の物体、ずっと何かと思っていたけどワイヤレスの受信部だったのだろうか。

機種は違うが同じくロジクールのキーボード(とマウス)の受信部。

  CK-86MZ
  http://www.ne.jp/asahi/simanto/oc/CK-86MZ.htm

作中のもこんな形をしてたように思う。

しかしマウスは有線マウスを使ってるんだよな。まあ、キーボードの電池はかなりもつがマウスの場合電池のもちが悪いから、有線のを使ってるのだろうか。結構マニアック(苦笑)。

このキーボード、発売は2000年らしい。よつばとの連載が2003年頃だから、それ以前から持っていたのか。

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第2巻はあまり仕事部屋が登場せず。

   *   *   *

第3巻第18話では同じキーボードが描かれている。傍らにはサブデスクとノートPCが登場。

   *   *   *

第4巻4コマ(第24話と第25話の間)では雑に描かれたキーボードを使ってるが大雑把すぎて判別不能。

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第4巻第27話ではブレーカーが落ちて悲しんでるとーちゃんの前にキーボードがある。なんか形が変わっている気がするがやっぱ大雑把すぎて機種は判別不可能(同じにも見える)。

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第5巻第28話最初と同じLogitechのキーボード。やっぱキーボードは変っていなかったようだ。

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第5巻第29話ではキーボードのアップ。Logitech(日本ではlogicoolのロゴがかなりはっきり見える)。

   *   *   *

第6巻38話、珍しくパソコンの電源スイッチをピッと入れるシーン。とーちゃんの机の右側が珍しく描かれているコマがある。なんか右側にも部屋が続いているっぽい。そういえば2階ってとーちゃんの仕事部屋しか描かれていないな。1階が居間と寝室と台所があるのだから、2階にも2部屋ぐらいあるはず。

最後の方にディスプレイの裏側が見えるが、ぶ厚いな。この頃の液晶ってこんなにぶ厚かったっけ。このディスプレイ第4巻の4コマのディスプレイと微妙に違うのだが、本当に違うディスプレイなのか4コマは簡略化されて描かれているだけなのか微妙。ディスプレイはほとんど正面からしか描かれないので判別しづらいのだが、4コマの方は第1巻のディスプレイと同じ気がする。

   *   *   *

第7巻第42話、糸電話の話。右に続いている部屋がお隣りに隣接しているらしい。

   *   *   *

第8巻49話扉絵でキーボードがフラットタイプにリニューアルしている。ディスプレも微妙に形が変わっている。台座がいままで長方形だったのが楕円に。このキーボード、前方に円筒の筒が付いているような特徴あるデザインは見覚えはあるのだがメーカーも製品名もわからない…。

  サンワサプライ:SKB-BT08BK【Bluetoothキーボード(クリアブラック)】Bluetoothに対応したスリムで高級感のあるフルサイズのキーボード。クリアブラック
  http://www.sanwa.co.jp/product/syohin.asp?code=SKB-BT08BK
  ジャンクワードの森:Bluetoothキーボード、モニター当選しました
  http://wjw.boo.jp/blog/archives/001112.html

これだろうか?サンワのBluetoothキーボードSKB-BT08BK。なんかフラット具合が微妙に違うような。俺の記憶にあるキーボードともなんか微妙に違うような。はて。

このキーボード、扉絵にしか出てこないのだが、新調したので嬉しくて扉絵に描いたのだろうか。キーボードの発売は2007年頃らしい。第8巻の単行本は2008年発売のようだから、連載はもっと前。発売されてすぐに買ったのかもしれない。案外ミーハー?(

   *   *   *

第8巻第52話ではディスプレイの台座が長方形に戻っている。キーボードはフラットタイプ。まあこのシーンは遠景だから描写が大雑把なのかもしれない。

   *   *   *

第9巻は仕事場の描写はあるが机の上の詳細が描かれたコマはなし。

   *   *   *

第10巻第63話キーボードがフラットタイプからまたストロークの深いキーボードに戻っている。フラットタイプは打ちにくかったに違いない(笑)。Realforceのテンキーレスっぽい気がするが、部分だけなので詳細はわからず。遠景の大雑把な描写になるとテンキーが描かれている。東プレNG0100 REALFORCE91Uだろうか。

  東プレ株式会社
  http://www.topre.co.jp/products/comp/product07.html

キーボード全体の形はオーソドックスなテンキーレスキーボードのそれなので、確信はないが左にあるロゴがなんとなくRealfoceっぽい気がする。

ただRealforceシリーズには無線バージョンはないから、ワイヤレスキーボードのこだわりは捨てたのか、このキーボードがRealforceではないのか…。でもこの形でテンキーレスでワイヤレスのキーボードってあまり思い当たらない。Realforceは通好みのキーボード。2万円前後と非常に高価なことでも有名。

   *   *   *

このようにキーボードは変遷しているのに、マウスはほとんど変っていないように見える。描写が簡略化されているのか普通の3ボタンマウスに見える。かろうじてマウスの後部の模様からMicrosoftの有線光学マウスではないかと推測される。

  Microsoft Hardware - マウス - Microsoft Wheel Mouse Optical
  http://www.microsoft.com/japan/hardware/mouse/wheel_optical.mspx

2003年の頃はともかく最近は左に「進む」「戻る」ボタンの付いた5ボタンマウスが普通だよな…。

ほとんど同じ形の5ボタンマウスもあるが、

  Microsoft Hardware - マウス - Microsoft IntelliMouse Optical
  http://www.microsoft.com/japan/hardware/mouse/intelli_optical.mspx

このマウスならホイールの周囲を灰色で描くような気がする。けれど作中ではホイールの周囲は白になっている。まあこれも簡略化されて描かれているだけかもしれないが。

それより気になるのがマウスのケーブルがしばしば手間に垂れ下がっていること。普通机の裏側を通すのではなかろうか。これだとケーブルの自重や何かをケーブルに引っ掛けたときにマウスが引きずられて机から落ちてしまうと思うのだが…。そもそもマウスを操作するにもケーブルが邪魔だし。ケーブルは初期の頃は手前に垂れ下がっていることが多く、後期になると机の裏側に回ることが多くなっている傾向があるようなないような。

   *   *   *

まとめると、

  2003年(第1巻) キーボードはロジクールのワイヤレス(2000年発売)。
  2004年(第2巻)
  2004年(第3巻)
  2005年(第4巻)
  2006年(第5巻)
  2006年(第6巻) ディスプレイをリニューアル?
  2007年(第7巻)
  2008年(第8巻) ディスプレイをリニューアル。キーボードをサンワのBluetooth(2007年発売)に。
  2009年(第9巻)
  2010年(第10巻) キーボードをリアルフォースに。

という感じだろうか。マウスと筐体はあまり変わってないようだ。マウスは省略されているのかもしれないが、筐体の方は外観が第1巻から第10巻まで全く変っていない。

7年間同じパソコンを使うのはさすがに辛い気がするのだが。自分でパーツを入れ替えてるのだろうか。それとも作中のパソコンはあくまでとーちゃんが使っているパソコンであって、作者が使っているパソコンは別なのだろうか。

もっともこれは我々の時間の流れの話で、作中ではまだ4ヶ月しかたってないから、とーちゃんは4ヶ月の間にディスプレイ3台、キーボードも3種買い換えた贅沢者といえよう。さすがにどんなパソコンオタでもこのペースで買い換える人はいないだろう。

   *   *   *

とーちゃんが使ってるノートPCは

  よつばと!のとーちゃんはVAIO Zを使ってる : Nacky - Snowland.net
  http://snowland.net/nucleus/item/1122/

によるとVAIO Zらしい。第7巻第44話。なるほど横の曲線部分が特徴的。

  ソニー製品情報 | 「バイオノートZ」PCG-Z1X/P・Z1XE/B
  http://www.vaio.sony.co.jp/Products/PCG-Z1X/
  http://www.vaio.sony.co.jp/Products/PCG-Z1X/Images/feat1_12.gif


関連記事:
「よつばと!」第10巻
キーボード配列の話

「よつばと!」第10巻
2010/12/01 22:53:00


1年ぶりの新刊「よつばと!」第10巻。よつばがとーちゃんの机の下を自分の家にしている。とーちゃんの机の下にはパソコンの筐体とくずかごがあるのだが、この回は左にパソコンがある。「あれ?右になかったっけ?」と思って読み返すとやっぱこれまでは右にある。しかもこの後の回でもやっぱり右。

この回だけ都合により左に移動している(笑)。よつばが机の下に家を作るのは突然で、とーちゃんには予測できなかったはず。なのにあらかじめ四つ葉に都合のいいようにパソコンを移動させているわけで、このような非科学的なマンガは教育上よくないのではうんぬんかんぬん(以下略)。

しかもとーちゃんはキャスター付きの椅子に座って机に向かってるのだが、下が畳だから「それじゃ畳が擦り切れるだろ」と思っていたのだが、今回なんと椅子の可動範囲だけジュータンが敷かれている。すばらしい。ようやく長年の懸念から解放された(笑)。でも後の回はまた畳に戻っているんだよな。まあ、描くのがめんどくさいのだろう。

とーちゃんが使っているパソコンのキーボードがコマによってテンキー付きのフルキーボードになったり、テンキーレスになるのはいかがなものか(笑)。マンガにおけるキーボードの描写のいい加減さは目に余る事態であり(ry

   *   *   *

よつばがホットケーキを焼く話。ホットケーキってイメージ的に実際の味よりはるかに美味しそうだよな…。なぜなのだろう。なにやら心踊るものがある。デコレーションケーキよりも「食べたい」という気持ちは強い気がする。身近なごちそうということなのだろうか。

それで思い出したのだが子供の頃に「ママレンジ」という玩具があった。

  第5回「ママレンジ」の巻
  http://www.maboroshi-ch.com/sun/toy_05.htm

妹が買ってもらったのだが、電熱器になっていて実際にホットケーキが焼ける。もちろんホットケーキの材料は自前で用意しなければならないけど、実用的な玩具として画期的だったように思う。

このフライパンのサイズがホットケーキに丁度良く、丸く焼ける。しかも電熱線の発熱量が弱いので、焦げずに綺麗に焼ける。ただしかなり時間がかかったように思う。普通のガスレンジで焼いたほうがずっと早く焼ける。

やけどの危険や衛生管理の問題とかあるから、現在ではもうこういう玩具は発売できないだろうな。ホントは子供はそういう危険を身を持って経験して育つのだと思うが。

作中でホットケーキに使っている牛乳って、以前出てきた一本1000円する滅茶苦茶高い牛乳じゃないのか?もったいなさ過ぎるだろう。

   *   *   *

ダンボーが再登場。ダンボーの構造ってどうなっているのだろう。肩の所が中身の人間の腕が見えないように結構複雑な作りになっている。とても小学生が作ったとは思えん(苦笑)。可動範囲を確保しつつ中身を覆うために、腕と肩がセパレートになっているのはわかるのだが、さらに肩の部分に板状の覆いがついている。

この覆いがどこにどうくっついているのか謎だ。シーンによってあったりなかったりする。中に引っ込むのだろうか?ここまで凝っていると実際にダンボーは実現できる構造になっているようにも思えるし、やっぱ実際には実現できずそれっぽく描いてあるだけにも思える。どっちなのだろうか。ダンボーのフィギュアやコスプレイの画像はあるが、どうもオリジナルのダンボーと違うような気がするし。

もう一つ謎なのは、ダンボーの足の裏はどうなっているか?という点。底があるのか底が抜けていて人間の足が直接床に触れているのか?コスプレを見ると底はなくて人間が靴を履いている。まあ当然だろう。ダンボールの底で実際に地面を歩いたらすぐに痛んでしまうはず。

しかし作中のダンボーは外に出ていく時に靴を履いているシーンはない。裸足や靴下のまま公園まで行くのはさすがに辛いはず。作中のダンボーの足は底があるのだろうか。しかしそれでも外を歩きまわった後部屋に帰ってくると、かなり足の裏が汚れている気がするのだが…。

ひとつの解釈としてダンボーの足は反重力で地上から3mm浮いている可能性がある。これはドラえもんが採用している方式だ。よつばとの世界がいつの時代かは明らかにされていないから、22世紀の未来というのも十分ありそうな話。

今回はダンボーが公園に行くまでで終わっていて、帰ってくるシーンは描かれていない。また「雨が振りそうだ」というのがもしかしたら伏線になっていて、ダンボーが雨に濡れる展開になるのかもしれない。次巻が楽しみだ。

ふうかの名言「写真は思い出の付箋」。

   *   *   *

作中の時間の進行ってどうなってるのかと思って読み返してみた。

   1巻 夏休み直前
   2巻 プール
   3巻 花火大会
   4巻 夏休み終わりまで10日
   5巻 海水浴
   6巻 9月
   7巻 敬老の日
   8巻 文化祭
   9巻 中間テスト勉強
  10巻 中間テスト終わり

なんと、第1巻で夏休みの直前によつばたちが越してきてから、まだ半年も経ってないのか…。夏の描写が多いなとは気づいてたが、2年ぐらい経ってると思っていた。1巻が7月として、10巻は10月ぐらいだろうから、4ヶ月の出来事なんだ。連載開始が2003年だから7年かけて4ヶ月。よつばは5歳で来年から小学1年生のようだ。ふーかは高校2年生。サザエさん化しないで、このままリニアに成長していくっぽいな。しかしこのペースだとよつばの入学式の4月までまた10巻7年かかるのだろうか。

それにしてもいま第69話だ。それで4ヶ月ということは1週間で4話のペース。ほとんど2日に1話。月間の連載だから俺達の1ヶ月がよつばの2日に相当するわけか。つまり俺たちは15倍のスピードで年を取っていく。


参考サイト:
よつばと!10巻・修正加筆その1 - ブログ「あにだん」
http://blog.goo.ne.jp/anidan/e/6999cac8371ef88dd2f9a81eafcf9186
何故『よつばと!』が素晴らしいかのエピソードをマジレスで教えてやる : 2のまとめR
http://2r.ldblog.jp/archives/3675409.html

関連記事:
よつばとキーボード
アナログ&アナクロ玩具
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ママレンジ


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