≪その2の続き≫
4 自衛隊の暴力装置(続き)
前記の問答に関連して「mochizuki さん の議論の欠点は国家の主権に相手に戦争を吹っ掛ける権利が含まれている事を無視しているのです正当性と権利は別の問題でしょう。政府の見解は国連の議決の存在を前提に攻撃権を緩和している」と諷喩する人がいたので、「貴方様の論理の欠点は、諸法を無視して、場当り的・心情的な筋道により論説を組み立てているに過ぎないことです。国連憲章を読めば、国家の主権行為として相手に戦争を吹っ掛ける権利は、否定され、侵略戦争は不当化されていることが分かるでしょう」と私は応答した: また、「国連成立後に存在した幾多の戦争の中に幾つ侵略戦争では無いとか侵略戦争だ云い切れる普遍的価値観が存在するのでしょうか?」と訊問され、私は「戦争は単独ではできないから、侵略者と被侵略者が必ず存在し、当事者の何れか一方または双方の行為が『平和に対する罪』の犯罪に相当するのは自明の理です。因みに、『侵略の定義に関する決議』(国連総会決議 3314(XXIX) 1974年12月14日)によると『一つの国家的組織が国連憲章に違反する軍事力を最初に使用する行為は、一つの侵略の起源的な実相についての証拠を構成する』ことになります」と回答したが:
因みに、国連憲章の第2章第3項に「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」と規定されているから、攻撃権が国連決議で認められるはずはなく、戦争または武力による威嚇もしくは武力行使が正当であると認められるのは自衛権や迎撃権、反撃権または平和維持活動への参加義務だけだと、私は思量する。
因みに、『攻撃(進んで敵を攻め撃つこと)』または『侵攻(他国や他の領地に攻め込むこと)』や『侵撃(侵入して攻撃すること)』、『進撃(前進して敵を攻撃すること又は攻撃しながら前進すること)』と『防御(敵の攻撃などを防ぎ守ること)』や『防衛(他からの攻撃に対して、防ぎ守ること)』または『迎撃/邀撃(攻めて来る相手を迎え撃つこと)』や『反撃/反攻(敵の攻撃に対して、防御にとどまらずに攻めかえすこと)』もしくは『報復攻撃(相手の不当な攻撃に対して、同様に不当な攻撃で報いること)』などの『概念(物事の概括的な意味や内容または事物の本質をとらえる思考の形式)』を表現する語は、明確に識別出るように用いて、誤解や曲解に由る無駄を防止するような情報伝達・情報通信に心がけるべきだと、私は思量する。
尤も、国連憲章の第2章第7項に「この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではなく、また、その事項をこの憲章に基く解決に付託することを加盟国に要求するものでもない。但し、この原則は、第7条に基づく強制措置の適用を妨げるものではない」と規定されているから、国権を発動するか否かを最終的に決めるのは国連決議の存在ではなく、主権行為と言うことになるはずだが…。
さらに「だから貴方には辻説法と折伏をお勧めしたのですよ」と諷喩されたので、「勘定ができずに感情だけで場当り論理・心情論理でご意見を書きまくっていると思しき貴方様に理性を期待して説法と折伏をするのは私の知識・技量では無理でしょうから、良心・善意だけは喪失しないでくださいね…」と、私は応答した。
さらに「紙に書かれている言説と現実は違いますね」と諷喩され、「万事・万象の諸法実相には、理想・目的と現実とが異なることは間々あることですよね、貴方様が理想・目的を唱えれば、それと一致した現実が生起するのが、諸法実相だと思っているなら、理性が欠乏している証ですね」と私は応答し、また:
猶の「なぜ国連成立から今まで多くの戦争や動乱があったのですか?」との詰問に対しては、「先ず、其々の戦争や動乱が生起する因縁を明らかにして下さい。次に、国連が成立することで戦争や動乱が生起する因縁が消滅するはずはないから、連合国は『集団安全保障(国家の安全を、一国の軍備拡張や他国との軍事同盟に求めず、多数の国々が協同して相互に保障しようとする制度。国際連合の基本的理念の一)』を創設したのでしょうね、たぶん。次に、因縁があれば蓋然的に果報が生起し、また、果報が出現すれば必ず因縁があるのだから、戦争や動乱の因縁を削減し、消滅することを目指して集団安全保障の活動を継続するしかないのでしょうね、やっぱり」と応答し、また:
猶の「また、侵略と判断する基準を示して下さい。普遍的価値を示して下さい」との要求に対しては、私は「それを知らなければ話になりませんので、ご自分で調べてください」と応答し、例として:
“United Nations General Assembly Resolution 3314 (XXIX). Definition of Aggression”
http://jurist.law.pitt.edu/3314.htmを提示し、さらに:
猶の「普遍的価値を示して下さい」との要求に対しては、「価値の対象は何ですか?貴方様の理性を欠いたご意見に対しては、負価値となる場合の方が多いと、私は思量します、悪しからず…」と私は応答した。
さらに「貴方は宗教を持ちだしながら自分の信じる普遍的価値観も語れないのですか?」と詰問されたので「普遍的な価値の観方には、対象とする物事の『美欠(個人的、感情的な価値)』・『利害(個人的、勘定的な価値)』・『善悪(集団的・社会的な美欠・利害の勘定的な価値)』があり、物事の価値を創造するには、因果倶時に関係する筋道を立てて治める種々の方便の内、最も優れた法に帰依して遵守することが大切だと、私は信じます」と回答した上で、「貴方様の信ずる普遍的な価値観とは如何なる事柄ですか?」と私からの質問をしたら:
相手の方から「質問が間違っています。価値観とは事柄では無い」と諷喩されたので、私は「『価値観(物事を評価する際に基準とする、何にどういう価値を認めるかという判断)』と言う『物事(物と事、諸々のものや事柄)』にも『事柄(物事の内容・ようす、また、物事そのもの)』はあります」と応答した上で「貴方様には、『理性(道理によって物事を判断する心の働き、または、論理的、概念的に思考する能力、もしくは、 善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力)』と『知性(物事を知り、考え、判断する能力、または、人間の知的作用を営む能力、もしくは、比較・抽象・概念化・判断・推理などの機能によって、感覚的所与を認識にまでつくりあげる精神的能力)』が欠乏していると、私は推察します」と相手の方の意見を批判した。
猶の「貴方の言説には権威主義と権力迎合の臭いを感じてしまいます」との諷喩に対しては、そうですか、貴方様の個人的な価値観による判断結果では、そうなるかも知れませんね…」と私は応答したら、また:
その人物は「可愛そうなので… 国家は境界内部で絶対主権を持つが外部の承認を必要とする矛盾した存在である」と私に諷喩してくれたが、「それが、どうしましたか? 国家についての普遍的価値観とでもいうのですか? 可哀相な価値観ですね」と私は応答した。
普遍的には、国家とは“主権・領土・人民の3要素から成り、統治組織をもつ政治的共同体、または、その組織・制度”であり、また、主権は“国民および領土を統治する国家の権力、即ち、統治権、および、国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利、即ち、国家主権、ならびに、立法・司法・行政の三権を行使して国家の政治を最終的に決定する権利、即ち、施政権”に分化できると、私は思量する。
然し、国家の主権行為に関して外部の『承認(よしとして、認め許すこと、または、聞き入れること)』を必要とするのは、可哀相な『属国(他の国の支配を受ける国)』の特殊な価値観に過ぎない。尤も、主権行為と雖も外国と利害が矛盾・対立するような事柄についての『紛争(事がもつれて争うこと)』は必然的/蓋然的に生起するだろうから、当事国・関係諸国との間で平和的に交渉して相互に合意すると云うのが善であり、暴力で決着すると云うのは悪とするのが、普遍的な価値観だと、私は思量する。
前記の我見に関連して、「主権行為と雖も外国と利害が矛盾・対立するような事柄についての『紛争(事がもつれて争うこと)』は必然的/蓋然的に生起するだろうから、当事国・関係諸国との間で、お互いの本性、やり口をあるがままに認めて、暴力を含めて、あらゆる手段を講じて折り合いをつける以外にないのではないか」と諷喩する人もいたので、「そうですね、然し、暴力の価値は、悪だと認めるのは普遍的な価値観であり、悪に対抗するには悪しかないかも知れませんが、何はともあれ喧嘩は始めに手を出した方が悪いと言うのは子供の頃から戒められた普遍的な道理ではないでしょうか?」と応答した:
因みに、昔、バーレン辺りにおける交通に関係する揉め事で、路上で口論している姿を間々見ましたが、相互に手は自分の腰の後ろ辺りで組んでいた様子が異様だったので、知人に訳を聞いたら、口論の最中に手を出さないための常識的な姿勢だと説明された記憶がある。
前記の様々な諷喩に対する結論として、『権威(或る分野において優れたものとして信頼され、その分野で、知識や技術が抜きんでて優れていると一般に認められている事柄など他の者を服従させる威力)』は一般的な原則として尊重すべきであるが:
然し、特に自分が対象とする分野に関する物事に係するにおいては『権威主義(権威を絶対的なものとして重視する考え方。権威をたてにとって思考・行動したり、権威に対して盲目的に服従したりする態度)』には弊害が多いし、また:
或る『権力(特に国家や政府が国民に対して持っている強制力など他人を支配し従わせる力)』の支配下にあって自分の思考や意見は自由に陳述できても最終的には正当な権力の範囲で許容される『裁量権(権力者の考えによって物事を判断し、処理する権限)』には必然的に服従しければならないが:
然し『権力迎合(自分の考えを曲げてでも、権力者の気に入るように調子を合わせること)』には弊害が多いと、私は思量する。
故に、尖閣列島沖で海上保安庁の巡視船艇と中国漁船の衝突事案に関係する菅直人内閣の判断や処理が、内閣の権限を逸脱していると思量するならば所定の手続きで修正・是正の請求をすべきだし、内閣の権限を逸脱しはいいないが不満があるならば正当な手続きで改善の請願をすべきだし、菅直人政権を倒閣したいなら正当な政治活動を通じて政権交代を計るべきだと、私は思量する、また:
暴力装置または実力装置である自衛隊の公式行事の席上で、菅直人政権を倒閣するという政治的目的の遂行を自衛隊員に勧誘するという政治的行為が出来した事案は、『自界叛逆難(正法を誹謗し続けることを因縁として生起する仲間同士の争い、内乱、自国内の戦争などの難)』に相当する兆しであり、また:
然様な不当行為・違法行為を擁護または支持、支援するような自民党の国会議員などが国会の内外で展開する政治活動が平然と罷り通る事態は、与野党を問わず国会議員の大勢が主権者たる国民から国政に関する権能を信託された代表であることの自覚がなく政治家の良心と責任感を持たずに卑しくも国民の信頼に悖り議会政治の根幹捻じ曲げる邪道に過ぎないと、私は思量する。
故に、日本国の現状は、国家に於ける物事に理非曲直や正邪曲直を明らかにする基準である日本国憲法を国会議員や国民が誹謗し続けた果報として、義理が廃れて人情は荒び、正義が滅んで秩序は乱れているという状態を表示したレッテルの妥当性を証明するに十分な根拠があると、私は断言する。
≪その4に続く≫
by mochizuki
仮 『自衛隊員の政治的目的と…