女性国際戦犯法廷から10年、東京で国際シンポ |
市民社会の責任 「加害国日本に圧力を」
2000年12月に東京で開かれた日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷から10周年を迎え、「法廷は、何を裁き、何が変わったか〜性暴力・民族差別・植民地主義〜」と銘打つ国際シンポジウム(共催=同シンポ実行委と東京外語大学海外事情研究所など)が、5日、東京・府中市の東京外語大学ホールで開かれた。 シンポには、「法廷」の首席検事を務めたパトリシア・ビザー・セラーズさん(元国連人権高等弁務官事務所・女性の人権とジェンダー・セクションの法律顧問)、「法廷」国際実行委共同代表だった尹貞玉さんとインダイ・サホールさん(国連人権高等弁務官事務所・太平洋地区ジェンダーアドバイザー)をはじめ南、中国、米国、フィリピン、インドネシア、台湾などから日本軍性奴隷被害女性たちとその支援者たち500余人が参加した。 シンポではまず、この10年の間に他界した被害女性たちに黙祷した後、主催者を代表して東海林得子・実行委委員長があいさつした。同氏は「10年前、法廷が戦時性暴力という不正義を裁き、日本史上初めて戦争当時最高責任者であった昭和天皇が裁かれ、国際史上例を見ない残虐で組織的な性暴力が行われたことが認定され、9人の日本軍責任者および日本政府の責任が問われた」とその歴史的意義を誇らしく振り返った。
シンポの第1部では、パトリシア・ビザー・セラーズさんが基調講演に立ち、「この間、1人ひとりの被害者らは、繰り返し、日本政府を提訴して、賠償を求めてたたかってきた。10年前の『法廷』の判決の脚注36は、『本判決の判決を確実に各方面に伝え、実行に移すのは、グローバルな市民社会の課題である。加害国日本、第2次大戦時の連合国各国及び被害国の市民社会には、日本政府が補償を実行するよう圧力をかける特別の責任がある』」と指摘した事実をあげて、同氏は「法廷」10周年を記念するこの場が、「市民社会による判決の実行のひとつの形だ」と強調した。
第2部ではアジアの日本軍性暴力被害者の証言が続いた。中国から来た韋紹蘭、羅善学さん親子は桂林で行われた残虐な住民虐殺と略奪、慰安所での野蛮極まりない拉致、監禁、強かんの実態について具体的な証言をした。韋紹蘭さんは、1944年11月、洞窟に隠れていて他に移ろうとしたとき日本軍に発見され、桂林に連行され、約3カ月部屋に監禁されて、連日兵士の相手をさせられたと涙ながらに証言をした。そして、ここで身籠り生まれたのが羅善学だった。その後、羅さんは村人たちから「日本鬼子の子」と蔑まれたことなど不幸な半生を慟哭しながら語った。羅さんは「私の人生は台無しだから何も望まない。ただ日本政府が母に対して行った仕打ちを謝罪し、賠償してほしい。みんなでたたかい続けよう」と呼びかけた。 また、フィリピン・ルソン島で被害にあったナルシサ・クラベリアさんも証言に立ち、1943年、14歳で慰安婦にさせられた体験と日本兵によって両親、弟妹が目前で虐殺された体験を詳述した。ナルシサさんは「8歳の妹は捕まえられ、空中に放り上げられて落ちたところを銃剣で刺し殺され、弟は水がめが置いてある家の台所に連れていかれ、そこで殺害された。父はのどから性器のところまで皮膚を剥がされて、まるで豚を殺すようにして殺された。母はレイプされ命を奪われ、その後家を焼かれた。ともに慰安所に連行された2人の姉のうち1人は、無惨な体験によって正気を失い、もう1人は行方不明、マニラで働いていた姉も日本軍によって性暴力を受けた」と悲惨きわまりない体験を語った。 第3部では「法廷の判決・勧告/証言をどう引き継ぐか」が行われた。また、同シンポには朝鮮・日本軍慰安婦・強制連行犠牲者問題対策委員会と朝鮮民主女性同盟中央委員会から連帯のメッセージが寄せられた。また、朝鮮検事団代理として丁煕子・女性同盟中央副委員長が出席した。 シンポでは「慰安婦問題解決のために、戦争と性暴力が繰り返されない21世紀を創るために、それぞれの生きる場でこれからも力を尽くす」ことを宣言し、閉会した。(文・朴日粉、写真・尹梨奈) [朝鮮新報 2010.12.7] |