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石綿肺のおじいちゃんと最後の夏休み…9歳の孫が日記(1/2ページ)

2010年12月13日5時56分

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写真:鶴谷さんの遺影には15年ほど前に撮った写真が使われた=尼崎市神崎町の自宅、山下写す鶴谷さんの遺影には15年ほど前に撮った写真が使われた=尼崎市神崎町の自宅、山下写す

 アスベスト(石綿)による健康被害が出た兵庫県尼崎市のクボタ旧神崎工場の近くに住み、じん肺の一種の石綿肺を患っていた男性が、国による救済を待たずにこの秋、69歳で亡くなった。夏休み中、見舞い続けた9歳の孫娘は、大好きだった祖父が病と闘う姿を日記につづっていた。

 尼崎市の鶴谷和奏(つるたに・わかな)さん(9)は小学3年生。

 7月末から1カ月余りにわたって、祖父が闘病する様子を見つめ続け、50ページの「自由けんきゅう おじいちゃんとわたしの夏休み」にまとめた。

 わたしのおじいちゃんは、はいの病気で2年前からさんそ(吸入器)をつけています。(訪問看護師の)タカノさんから「夏休みのあいだ血あつをはかったりおじいちゃんのおせわをよろしくね」とたのまれました。がんばるぞー!

 入院するまでは毎朝8時に祖父の体温や血圧、脈拍数、酸素の吸入量を調べて記録。聴診器をあてて、胸の音も聞いた。足をマッサージしたり、血圧を測ったりしている様子を描いた絵もある。

 〈7月27日〉 ちょうしんきでおじいちゃんの心ぞうの音をきかせてもらった。ドックンドックンいっていた。

 その後、容体が急変した。

 〈8月16日〉 おじいちゃんはいきぐるしくなって、きゅうきゅう車で病院にはこばれてそのまま入院しました。肺に水がたまっていたそうです。それを針をさして少しぬいてバイキンがいないかけんさした。楽になって夕方から17日の朝までゆっくりとねむれた。

 祖父はこの日から入院し続けることになった。和奏さんは毎日、昼前に自転車をこいで見舞いに行き、病院で昼ご飯を一緒に食べた。時には一緒に昼寝もした。

 〈8月25日〉 なにもしなくてもしんぞうがバクバクして、しんどかったそうです。

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