ビートルズの唄に『ホェン・アイム・シクスティ・フォー』というのがあります。直訳すれば「僕が64歳になったとき」という意味です。

歌詞はこんな調子です、、、

僕が年を取って髪の毛が薄くなったとき
ずっと先の話だけど
君はそれでもバレンタイン・デーには贈り物をして呉れるかい?
僕の誕生日にはワインでお祝いして呉れるかしら

君の電灯が切れちゃった時には
僕はヒューズを直したりなんかすることも出来る
君は暖炉のそばでセーターを編み
日曜日の朝には自転車に乗ろう

庭いじりをして雑草を除いて
これ以上の人生ってあるだろうか?
そのとき君はまだ僕のことを必要とするだろうか
君はご飯を作って呉れるかしら?
僕が64歳になってもね

夏になればワイト島のコテージでも借りて
バケーションするというのはどうだろう?
もし家賃が余り高くなければの話だけれど


さて、この唄が作曲されたのは今から40年も前ですけど、64歳というのはリタイアメントする年齢という意味だと思います。

驚くのは当時から今まで基本的に英国のリタイアメント年齢は殆ど変化していないということです。1970年以降も英国が国の財政に幾多の圧迫を経験してきたことを思うとリタイアメント年齢というものがいかに固定的なものかを改めて感じざるを得ません。
さて、そのリタイアメント年齢ですがいま欧州ではこれがどんどん引き上げられる傾向を示しています。

まだ議論ははじまったばかりだけれど、時代の流れや現在の経済の置かれた厳しい状況には抗しがたいものがあります。

でもリタイアメント年齢が引き上げられるということは実際には国の提供する社会保障などの支払い開始年齢が遅延されることを意味するだけで、「だからそれまでは働け!」とは言っても「社会保障の支払い開始年齢を遅延させる代わりに、あなたに働き口をあてがいましょう」という風に国が職を確保してくれるわけではないのです。

すると定年に近い人たちはなんとか食いつなぐためにいまある職に必死でかじりつかないといけないし、若しもう職場を解雇されてしまった場合には新しい収入の途を模索しなければいけません。

実際問題として64歳になったときに慌てて職探しをしたところで、自分の納得の行くような働き口は余り無いのではないでしょうか?

企業の側でもそのくらいの年齢の人をフルタイムで再雇用するほどの余裕は無いと思います。

すると本人としては長い事社会人をやってきた知恵と経験を生かして、コンサルタントをやるとか、そういうパターンがいちばん現実的な線のように思います。

先進国では今後もどんどん老齢人口は増えるので自然に考えれば彼らに対する国のセイフティー・ネットが今よりも手厚くなることは期待薄だし、企業が今以上に我々の面倒を見て呉れるようになるとは考えられません。

すると自分がリタイアメント年齢に到達する頃の事をよく考えて、今から「プランB」、つまり「もしもの時の代替案」を考えなければいけません

もちろん「いま勤めている会社できちんと仕事をして評価してもらう」というのは基本になるけれど、それはあくまでも終身雇用を前提とした「プランA」であって、「もしもの時」を想定した堅い発想ではないのです。

終身雇用という前提自体が揺らいでいるいま、「プランA」しか無い社会人は、株の世界で言えば「ヘッジなしのロング・ポジション」を建てて、自分の思惑通り株価が騰がるのを祈っているのと同じです。

アメリカでは:
Hope is not a strategy.
と言われます。

最近、アメリカに住んでいて感じる事は既にアメリカのサラリーマンの多くは上に書いてきたようなことを痛切に感じていて、「プランB」を真剣に考えている人が多いということです。

だから例えばソーシャル・ネットワークのリンクトインなどは慎重に将来の事を考える社会人なら誰でもやっています。

また実名でFacebookやTwitterをやるというのも自分が将来、仕事にありつけるときの事を考えると当然の行為なのです。

これについてはひと月ほど前にDiggというスタートアップの会社が経営難で大きなレイオフを発表したとき、「アッ!」と驚き、「ウーン」と考え込まされる事件が起きました。

その朝、エンジニアたちの解雇が発表されるやいなやTwitterでいろいろな企業のリクルーターが「けさDiggを解雇された人たち!いますぐインタビューするからこのTweetにリプライ(返信)して!」と有名どころの企業が続々Tweetしたのです。

その光景はまるで獲物に殺到するピラニアのような様相でした。

そんな感じでDiggを解雇されたエンジニアの多くの再就職は瞬時に決まりました。

自分のやっているTwitter上でそうやってどんどん瞬時に面接の日取りが決まってゆくのを見るのはかなりショックでした。もちろん、日頃からフェースブックやリンクトインで実名ベースの人的ネットワークを構築していた人たちは履歴書すら送る必要は無かったでしょう。

話はチョッとそれるけど、僕の友人にはいま職探しをしている人たちも何人か居ます。みんな苦労しているのでここでは滅多なことは書けないのだけれど、一般論で言えば日頃からソーシャル・ネットワークを通じて自分のやっていること、感じている事、考えている事などをシェアしている人たちは新しい職場やコンサルタントなど新しい展開につなげてゆくのがとても速かったです

昔ながらの方法で、企業に履歴書を送り、電話をかけ、面接してもらおうと思っている人は苦戦している、、、

でも僕に言わせれば昔ながらの方法で企業に履歴書を送りつけるだけで再就職の面接をしてもらえると考えている方が甘いし、もうその時点で競争に負けているのではないでしょうか?