ライバルのシャープは、専用部品がない中、タイマーのダイヤルはテレビのチャンネルから、扉の取っ手は冷凍冷蔵庫から転用。課題だった加熱ムラ対策の切り札、ターンテーブルを回すモーターも自販機用を改良した。
67年ごろからは他の家電メーカーも相次いで参入し、念願の10万円を切る商品も登場。普及に弾みがつくかに見えた。ところが70年1月、米国の一部電子レンジから基準を上回る「極超短波」が漏れていると報道された。「放射線漏れ」と誤った記事が配信されたこともあり、通産省が工場を回って検査する事態に。扉を改良するまで、数カ月生産をストップした。
普及率がやっと10%を超えた74年末には、「暮しの手帖」が「電子レンジ この奇妙にして愚劣なる商品」と題する特集を掲載した。2号にわたって6社のレンジでさまざまな料理を試し、「せいぜい温め直しにしか役立たないものに10万円も出すのはばかげている」とこきおろした。
松下の小川さんは暮しの手帖社を訪れ、「どんな商品を作ったらいいかご意見を」と頭を下げた。航空工学を学び、戦時中は戦闘機の設計に携わった小川さん。「パイロット(使い手)の意見を尊重する人が名設計者。電子レンジもそういう思いで取り組みました」と話す。
(大庭牧子)
◆日本の料理向きと確信
電子レンジを初めて手に入れたのは1970年ごろ。最初は、同じ四角い箱のオーブンと誤解していました。アメリカの本などを参考にして鶏の骨付き肉なんか料理して。ほとんどうまくいきませんでしたね。骨の周りに火が通らないし、バンッとはじける。
原理を調べてみたら、電波で食品の内部の水が振動するのだと書いてある。これは水の料理、ゆでたり蒸したり煮たり、日本の料理に向いていると気がつきました。
それから試行錯誤しながらも下ごしらえなどに便利に使いました。ただ、料理って手間ひまかけるのが正しいという思いこみがありました。地方紙に連載を始めたりしていましたが、まだ堂々と「レンジは便利よ」と言い切る度胸がありませんでした。
80年代後半、母校の女子大で糖尿病患者さんの食事作りを指導することになり、レンジを導入してみたら、学生たちがほんとに見事に使いこなした。今、携帯電話を使いこなすようにね。一人暮らしの学生が家でも活用して、彼女たちの食生活が好転するという副産物もありました。
今はレンジ使用を前提にして冷凍食品もどんどん進んでいますね。メーカーからは介護食を作りたいとご相談もあります。シニアの方たちに鍋やフライパンで料理をお教えすると、「電子レンジでできませんか」と催促されます。
(更新日:2010年11月09日)
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