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地球発

2009年12月26日朝日新聞夕刊紙面より
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1976年2月14日朝日新聞朝刊家庭面(東京最終版)

狩野さんは半径1キロの圏内を歩いて1日約20人のお客さんに野菜を売った。4カ月過ぎると、月の手取り収入は役所退職時の給料を上回った。

食べていけるという安心と一緒に喜びも感じた。当時はその意味がよく知られていなかった有機野菜を苦労して作る農家と、それを食べる人とを、自分が働くことでつなげている気がした。

狩野さんが国立に作った有機食品店「あひるの家」の店先で、いま毎週土曜日、由井尚貴(なおたか)さんが鯛焼きを焼く。

府中市生まれ。中学3年でパンクロックのバンドをつくってドラマーに。都立工業高校中退後、インドに行く。仏教寺院への1年半の住み込みを含めてインドに3年滞在。帰国後は高知県の農家で1年農業を学ぶ。有機レストランのシェフも経験――。由井さんのざっとした経歴だ。

様々な世界を見た末、由井さんが思い立ったのが、「おいしいあんことパリパリの皮の鯛焼きを焼きたい」だった。有機野菜を買いに行った時、狩野さんに相談したら「リヤカー引きなよ、オレも昔やったから」と言われた。

昨年10月から、リヤカーに焼き台やプロパンガスを乗せて国立市内を歩き始めた。曜日によって焼く場所は違う。自然栽培小豆などの原料費、燃料代を差し引いた手取りはいま月40万円近くになった。

終身雇用制が崩れ、新規卒業の若者も就職難に苦しむ。失業率が過去最悪の水準で高止まる深刻な不景気。もちろんこの収入はありがたい。けれど最初から大海の中を泳いできたような由井さんにとっても、若いころの狩野さんと同じで、働くことの醍醐味(だいごみ)はお金だけではないようだ。

「僕の作る鯛焼きがおいしいと買いに来てくれるお客さんがいて、それに応えることのできる自分がいる。それがうれしいんだなあ」

(永持裕紀)

証言

28歳の時に「たいやきくん」の歌詞を書いた、高田ひろおさん

◆隠し味は「かなしみ」です

大学(日本大学法学部)を出て証券会社に入りましたが新入社員研修に出ただけで辞めました。アルバイトしながら童話や作詞の修業をしていた25歳の冬、練馬で酒を飲んだ後、鯛焼き屋の屋台を見たんです。その時、鯛焼きが海を泳ぎ切る子供向け冒険小説を思いついて、書きました。

「ポンキッキ」の番組制作を手伝い始め、それを喋(しゃべ)ったら歌詞を書けと言われた。納まりがいいから最後は食べられてしまうことにしようと番組のスタッフが決めました。

こんなにヒットするとは夢にも思わなかった。僕は独身で、千葉県船橋市で6畳ひと間のアパート暮らし。「レコード何万枚販売」と電話が入って、その数字が毎日のように増えても実感がなかった。街で歌が聞こえてきても、自分が作った気がしなかった。

大ヒットの理由を聞かれても、ひと言で言い切ることは避けてきました。ただ僕、6歳から「平家物語」を原文で祖母から暗記させられたんです。義経が平家を追い、平家が逃げる、あの動く感覚が体に染みこんでいて、それがあの歌詞を書かせてくれた気が最近になってしますねえ。

もうひとつ、最後は食べられてしまうかなしみが、まるで隠し味のように利いたんじゃないかな。逃げたいけれど逃げられないことが多いのが人生ですもん。やはり近ごろ気づいたことなのですが。

(更新日:2010年11月17日)

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