奪った額の大きさ、大胆な手口、そしてあの優男警官風のモンタージュが人々の関心をかきたて、「似た男」情報は2万件近くになったという。だが、それらの裏付けのために捜査は振り回された。捜査本部は時効1年前の74年末に「モンタージュに関係なく情報を」と呼びかけ、その信頼性の乏しさを事実上認めた。
発生現場を訪ねた。当時と違い、付近に住宅も増えた。だが約40年前の記憶はなお息づく。この地区を走る初老のタクシー運転手は「当時の勤め先の寮の仲間がモンタージュに似てるって刑事がよく寮に来ましたよ」と話していた。
高さ5.5メートルの刑務所の塀が続き、隣は大工場。人や車の往来もさほど頻繁ではない。エアポケットのようで、犯人の「土地勘」を感じさせた。
当時はすでに広範囲を素早く動けるモータリゼーションの時代に入り、二輪車免許を持つ20代男性は周辺地域に21万人。電車とバスで聞き込みを続けた刑事たちは7年間の捜査でその5分の1程度しかあたれなかったらしい。時代の変化に捜査が追いつかず、犯人の正体はいまだ不明だ。
一方で事件後、給料・ボーナスの銀行口座振り込みが急速に普及した。
(永持裕紀)
◆みんながにわか探偵に
発生から間もないある夜の11時ごろ、僕は府中署での捜査会議に入りこみ、その日の報告を聞く刑事たちを撮りました。夜食はゆで卵。冷めた番茶をすすりながら、みな真剣な表情だった。「週刊現代」の取材でしたが、その場でとがめられなかったのは、都内各地からの応援刑事が多かったせいでしょう。
犯行に使われた偽の白バイに付着していた落ち葉が多摩地方のどの辺に生えている木のものかということを地図入りで説明していた。足で稼ぐ捜査は、なんとも地道で大変なもんだなあと思いました。
発生直後、捜査陣や新聞、テレビの記者たちは、解決までそんなに時間はかかるまいと楽観的でした。多かった遺留品の入手場所がそのうち特定できるだろうという観測からです。モンタージュ写真が公表された時は、こんな幼い感じの男なのかなと意外でした。冷静沈着でいろんなことをよく知っている男の犯行という印象があったからです。
だれも傷つけず芝居じみた手口で3億円を手にいれたのはどんなヤツか。世の中のみんなが犯人像の推理で、にわか探偵のように盛り上がった時代でした。ただ翌年末、警察は疑った人を別の容疑で逮捕したものの真犯人ではなかった。注目の中で、捜査が行き詰まった警察への強いプレッシャーが生んだ、許されぬ悲劇だったように思います。
(更新日:2010年12月08日)
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