2008年07月20日

大腸菌4万4千世代の進化―Evolution in Test Tube―

一月ほど前のことになりますが、進化生物学方面のエポックメイキングな論文が発表されました。
中々うまくまとめ切れなかったんですが、ようやく満足のいく記事に起こせたので紹介します。

Historical contingency and the evolution of a key innovation in an experimental population of Escherichia coli ? PNAS
この論文は大腸菌を4万4千世代にわたってひたすら培養し続け、どのような進化の過程をたどるのか観察するという、20年もの歳月をかけたものすごい実験の報告です。この進化の過程の中で、大腸菌はクエン酸を資化するCit+という本来存在しない機能を獲得しており、さらに重要なことには、500世代ごとに採取されていたフリーズストックを用いることで、この進化の過程は再現することも可能でした。これは複数の遺伝子変異の積み重ねによって生物が新たな機能を獲得する進化の過程を実験室レベルで直接観察し、再現することに成功した初めてのケースとなります。細菌は種間の遺伝子の水平移動が存在するため種の定義があいまいなのですが、表現型で分類をしていた昔の定義に従うならば、この大腸菌は大腸菌ではない新たな種になったといってもいいでしょう。
 
 
 
◆大腸菌の進化
この実験で、著者のLenski博士は、大腸菌を12の培養器に分けて、それぞれ独立して4万4千世代にわたって培養を行い、各群の変化を調べています。
各群の共通した進化傾向として、増殖速度の上昇と細胞の大型化、ピーク密度の低下が見られたのですが、3万3000世代付近で1群だけに他の群と違った形質が出現しました。通常はクエン酸を養分として利用できないはずの大腸菌が、突如としてクエン酸を食べるようになったのです。

Lenski博士は即座にこれがコンタミでなく大腸菌の変異であることを確認し、さらに過去のフリーズストックを起こして再現実験を行い、この群の2万世代以降のストックからならクエン酸利用能(Cit+)の進化のリプレイが可能であることを確認しました。この群の2万世代付近で、Cit+遺伝子の獲得につながる重要な変異が起こったのです。なお2万世代以前のストックや、他の群のサンプルからの有限回の試行では、Cit+の獲得は再現できませんでした。Lenski博士は2万世代付近で起きたこの潜在的なクエン酸利用能の獲得のことを”potentiating”と表現しています。また、ストックを詳細に分析することで、クエン酸利用能の獲得が、まず弱いクエン酸の利用能獲得後に、別の変異によって強いクエン酸利用能へと進化したことが確認されました。

つまりこの大腸菌群のクエン酸利用能の獲得は最低でも、

1.2万世代付近の潜在的なクエン酸利用能の獲得
2.3万1500世代付近の弱いクエン酸利用能の獲得
3.3万3000世代付近の強いクエン酸利用能の獲得

という三段階の進化によって支えられていることになります。
無論これは表現型のみを見た場合の話ですから、遺伝子の変異を解析したら進化のステップ数がさらに増えるかもしれません。

この辺の説明はCarl Zimmerのブログがかなり良い解説を書いています。
英語を読める人は是非ご一読を。
The Loom : A New Step In Evolution
Blount took on the job of figuring out what happened. He first tried to figure out when it happened. He went back through the ancestral stocks to see if they included any citrate-eaters. For the first 31,000 generations, he could find none. Then, in generation 31,500, they made up 0.5% of the population. Their population rose to 19% in the next 1000 generations, but then they nearly vanished at generation 33,000. But in the next 120 generations or so, the citrate-eaters went berserk, coming to dominate the population.

私もずっと微生物扱ってきた人間なので、こういうの読むともうワクワクしてたまらないのですよ。
目の前ではっきりと分かる形質を獲得しながら進化していく大腸菌。
大腸菌の増殖速度が大体1世代20分程度、1週間で500世代程度なので、3万1500世代あたりのストックを分けてもらえれば一月程度で、2万世代あたりのところからでも、1年もあれば進化の再現が可能ですかね。
無論論文の著者のBlount博士らはそれを行ったわけですが、再現実験楽しかったろうなあ。


遺伝子の変異には大きく分けて、点変異、重複、欠失、転座、逆位などがあるのですが、おそらくこの2万世代付近で起こった変異は重複、転座、逆位あたりの、一定領域の変異が一度に起こるタイプのものだと思われます。こういったタイプの変異は点変異に比べ著しく再現率が下がります。Cit+を獲得した群は、2万世代付近でこうした変異を得てCit+獲得のための下地を得たのでしょう。その後の変異はストックから容易に再現されたことから見ても、単なる点変異の積み重ねによって獲得されたものだと思われます。
具体的にどのような遺伝変異がCit+の獲得に結びついたかは、今後のゲノムの確認によって明らかにされるはずです。続報が楽しみですね。


◆創造論者達の反応
さて、話は変わってこの論文によってまた一つの"God of the Gaps"(科学の隙間)から追い出されることになった創造論者達の話。
この論文は進化生物学史に新たな一歩を刻む重要なものなのですが、それは裏を返すと創造論者やID論者達に新たな鉄槌を下すものでもあるわけです。
日本の連中は不勉強なのか反論できないのか反応すらしていませんが、欧米の創造論者は苦し紛れにヘンテコリンな反応をして海外のウォッチャーを笑わせています。
その辺の話は忘却からの帰還のKumicitさんが詳しく分析されているので記事リンクを紹介しておきます。
個人的にはよく調べもせずにこの実験に反応し、自爆して涙目なBeheがツボでした。

忘却からの帰還: E-coli実験に情けない反論をするインテリジェントデザイン理論家Michael Behe
忘却からの帰還: 44000世代のE.Coli実験に対する創造論者たちの反応
posted by 黒影 at 00:32 | Comment(4) | TrackBack(1) | バイオニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
  1. 黒影さん、こんばんわ。
    興味深いエントリーありがとうございます。
    元論文は読めない立場なのですが、少し質問を。
    12の培養器に分けたとありますが、これは遺伝的に異なる12の実験室系統を使ったという意味でしょうか?
    それならば、1群にしか今回のような現象が起こらなかったのは気になる所ですね。
    どの領域に変異が起こったのかも今後のゲノム解析が待たれます。
    後、クエン酸ということで代謝系かな?と思ったので、少し調べた時に以下のサイトを発見しました。

    http://wing.jst.go.jp/search.php?spcode=30001000
  2. Posted by kahjin at 2008年07月20日 01:39
  3. 神が文字通り全知全能で、全てが神の御業の中にあるのならば、ひとつの培養器に起きた事も偶然ではありえず、これもまた神のなせることに過ぎないという事になりそうですが。
    創造論者の本拠地アメリカは変に(聖書の記述に忠実な)原理主義だったりするので、こういうところにひっかかったりするのかな?
    それとも「インテリジェントデザイン」なんてお題目が出る時点で、神の全能性を限定してるのか?

    kahjinさん、遺伝的に異なる12の実験室系統で出発したなら、1群にしか起こらなかったことはむしろ当然になってしまいそうですね。
    そこを気にされてるのでしょうか。
    進化の類似性の記述もありますし、「忘却からの帰還」に孫引きされてる原論文の結論からみても、同一系統&ほぼ同一条件化での培養だったんではないんでしょうか。
    私も元論文は読めない立場ですので、テキトーですが。
  4. Posted by Cru at 2008年07月21日 00:58
  5. >kahjinさん
    Cruさんも書いてくださいましたが、同一系統、同一条件下での培養です。

    >Cruさん
    >それとも「インテリジェントデザイン」なんてお題目が出る時点で、神の全能性を限定してるのか?

    全能の神を言ってしまうと反証可能性をクリアできず科学になれないので、それで持ち出されたのがインテリジェントデザインですからね。
    まあ結局”God of the gaps”に隠れることしか出来ず毎回踏み潰されるんですけれど。
  6. Posted by 黒影 at 2008年07月22日 02:02
  7. >Cruさん、黒影さん
    どうもです。
    Cruさんにも指摘して頂きましたが、
    contingencyの反証を否定しようと考えるなら、
    複数系統でやっていた方が、より強い証拠になりますから。
    ラクトースの例もあるようですし。
    それでも、最初から狙っていたとはとても想像出来ない(笑)
    このような結果がでた時の興奮はすさまじいですね。
  8. Posted by kahjin at 2008年07月23日 23:05
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/103212061
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック

2008-07-21
Excerpt: 大腸菌の増殖速度が大体1世代20分程度、1週間で500世代程度なので、3万1500世代あたりのストックを分けてもらえれば一月程度で、2万世代あたりのところからでも、1年もあれば進化の再現が可能ですか..
Weblog: Yet Another But Open
Tracked: 2008-07-21 12:17