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祖母の形見  

2009年 09月 19日

                ◇正本堂ご供養の貯金箱と祖母の信心

プラスチックで出来た高さ10㎝程度の小箱。
大石寺の正本堂を建立するために、当時、学会員に配布された貯金箱である。小さくて、いくらも貯まらないであろう大きさ。この貯金箱は、今は亡き祖母の形見である。
左写真は、祖母の最晩年の写真である。明治生まれの祖母が創価学会に入信したのは昭和31年10月12日のことである。貧困と病苦の中で、藁をも掴む気持ちで入信したのである。

この愛すべき祖母は、生涯、純粋な信心を貫き、平成4年6月12日、83歳で今生の使命を終えた。この貯金箱を見るたびに、祖母をとても身近に感じる。
戦時中の悲惨な貧困生活の話は、父を通じて聞いている。正月に餅がなく、汁に大根の輪切りが入っていた。祖母は子供達に、「ええか、これは餅じゃよ。近所の人に『餅は食べたか』と聞かれたら、食べたと答えるんよ」と言った。娘の叔母は、「これは餅じゃないもん!」と言って泣いたという。正月に餅すらなく、大根の輪切りを餅に見立てて食べなければならないほど貧しかったのである。本当の貧しさとは凄まじいものである。
祖母は、この貧困の話を、私には一切しなかった。いつも微笑み、孫の私に接してくれた。そんな話を、私に話したところで理解しないと思ったのであろうか。
この真心のご供養で建立した正本堂も、それ以前に造られた大客殿も、今はこの世にない。創価学会員の真心を、日顕一派が破壊したのである。宗門は本当に馬鹿なことをしたものだ。宗門の過去の記事は、→ここをクリック!
されど、建物は破壊できても、我々の心の中の正本堂は永遠に破壊することはできない。
私達の心の中には、美しく聳え立つ正本堂と大客殿が鮮明に残っている。
真実の日蓮正宗は、我ら創価学会の中にあるのだ。
祖母よ、偉大なる創価への導き人よ。貴方がいなければ、私の信仰はなかった。
ありがとう、祖母よ!創価の偉大なる先駆者よ!万歳!!^^
祖母の過去の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2009-09-19 23:59 | ふるさと | Trackback | Comments(12)

偉大なる母へ  

2009年 09月 06日

               ◇お母ちゃん、ほんまにご苦労様でした。^^
映像は、母の若かりし頃の写真である。^^
この岡山の母が、今回、どのような闘いをしたのか‥皆様に、選挙投票日前夜の電話から、ほんの少しご紹介いたしましょう。^^
「お母ちゃん、お疲れさまでしたね~。F、どのぐらいやった?」
「う~ん、300なんぼ。300からは、よう分からんようになった」
「え~っ!?300!‥ス、スゴイなぁ~!」(絶句‥)
「ところで、広幸はどのぐらいやったん?」
「えー。僕としては、50というところです」
「何じゃて!?‥広幸!そんなん、戦ったうちじゃなかろ。もっとやらんと!」
「じゃけんど、過去から見れば一番の内容なんよ。
親戚はお母ちゃんの守備範囲じゃし。まあ、今回はこんなところです。
ところで、お母ちゃん、300の内、実際に投票してくれる人、なんぼおる?」
「なんぼかなぁ‥どうかなぁ‥分からんなぁ‥」
「そう言えば、今回は民主に入れる言う人、多かったろ」
「そう、今回は民主に入れるいうてな、話しても駄目じゃいうて。分かってもらえんかった」
こんな対話でした。スミマセン、現地言葉で。(笑)
母はパワーアップしていました。母は元気ですし、幸せです。私が母の領域に到達することが、今後できるのだろうかと考えさせられました。まぁ、いつか、その領域に近づけるように、力をつけたいと思います。ともあれ、お題目を僕の3倍やって、Fを6倍やるお母ちゃん、あなたは本当に偉大です。^^
現在の私の母の写真を見たい方は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2009-09-06 22:42 | ふるさと | Trackback | Comments(15)

hanaへ  

2009年 07月 11日

◇貧しい時代の旧友に感謝。^^

hanaは、私と同級生の親友です。
本日、hanaと電話で話をした。「菊川、中野区に票はないか?」と言われた。「中野区、う~ん、ないなぁ」というと、「そうか。あそこは右翼が立候補していて、どうしても落したいんだ」とのことであった。きっと、よほどの何かがあるのだろう。
このhanaとは、岡山からyamaさんという学生部の先輩を頼って上京。2人で浪人していた仲なのです。
日々、宗教、哲学、人生どう生きるべきかを話あった。時には、口論にもなり、3日ほど、口をきかなっかこともある。^^
hana。貴方は3畳一間、私は4畳半に住んでいた。風呂もキッチンもない部屋だったが、hanaの部屋は飛び切り暗かった。お互い貧しくて、食べることも事欠いた。
hanaは水の信心、私は火の信心だった。性格も、体格も、雰囲気もまったく違う2人だったが、hanaの池田先生を求める一念と祈りの真剣さは、今も私はかないません。^^
私が聖教新聞に落書きしていて、池田先生の顔のあたりにボールペンで書いていたら、「菊川、お前、よくそんなことができるな!」と怒っていたね。hanaの反応にはビックリしたよ。
もっとも、私の信心はその程度だったのだけど。^^
当時、僕たちの未来が明るいなんて、思えなかったよね。このまま、鳴かず飛ばずで、創価学会に泥を塗るんじゃないかと真剣に悩んでいた。よくhana、言ってたな。「いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」(御書全集1163頁)と。
多感な時代だった。池田先生の指導と自分の駄目なところを見比べて、惨めだったなぁ。
今、あれから、30年たった。hanaも私も、それぞれ本当に幸せになったね。
yamaさんなんか、立派な会社の社長だもんな。本当に凄い。これこそ、本当に功徳だね。
hana、ありがとう。hanaとは、生涯、励ましあって生きていくんだろうと思います。^^
hanaさんの以前の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2009-07-11 22:46 | ふるさと | Trackback | Comments(15)

父の日  

2009年 06月 21日

                    ◇父と墓苑に行ったときのこと
私は、父を8年前に亡くしました。
亡くなる前年の夏の終わり、広島県北部にある永代供養の墓苑に行きました。
このとき、父は、自らが入る墓を見たのです。もう、長くないことを知っていた父。
年明けの正月。父は、「桜が見れるかなぁ」と言っていた。その父は、桜が咲く直前に逝った。今、思い出したけれど、葬式が終わったときから桜が咲き始めたのでした。
広島の墓苑は、創価家族の墓苑。皆、平等に、同じ形をした墓石が幾千と連なっています。清々しい墓苑に、私たちは安堵し、満たされました。
上写真には、想い出が一杯詰まっているのです。当時の父のつぶやきや笑い声、母の声や行為を、まるで昨日のことのように想い出すことができる。これが我が父の最晩年の姿であり、看病に徹した母の姿なのです。
親への感謝の念は、年を重ねるごとに深く大きくなるもの。父が亡くなるまでは、父が幸せだったとは分からなかったけれど、今、思うに、間違いなく幸せだったのです。
父よ。あなたは今、どこにいるか。今、何を指向しているか。いずこに生まれんとするか。生前の境涯を大宇宙に溶け込ませながら、生まれ出る瞬間を待っているのではないか。
戦時中の極貧に生まれ育った父。恐るべき空腹にあなたは耐え、恐るべき悲惨を目の当たりにしながら、あなたは忍んだ。父よ、本当に、本当にありがとう!
本日、我が父を偲んで祈りました。瞼の父は、にっこりとほほ笑んでいました。
父に関する過去の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2009-06-21 22:40 | ふるさと | Trackback | Comments(11)

続・母の日の出来事  

2009年 05月 11日

                     ◇私と妻の母親について

昨日の日曜日。昼頃のこと。
2階のベランダから庭を見ると、妻のお母さんがせっせと庭仕事をしていました。庭のオオデマリの樹が大量の花咲かせており、風で芝の上に落ちた花吹雪を掃除されていたのです。
そこで、写真を2階からパチッ!^^
妻のお母さんですから、私のお母さんでもあるのです。6年前から、一緒に生活しています。

私は仕事ばかりで、家のことは何もしません。家を綺麗にして下さり、守ってくださっているのは、妻のご両親なのです。私のワガママを大目にも見ていただいています。
灯台元暮らしで、日頃、あまり庭を見ていなかったのですが、花が一斉に咲いていました。近所の人から、「菊川さんの家、いつも花盛りですよね~」と言われるのですが、若夫婦は何もしておらず、全て、妻の両親が行ってくださっているという具合なのです。(笑)
その中で迎えた母の日。夕食時に、日頃の感謝を申し上げ、プレゼントをしました。加えて、池田先生が届けてくださったカーネーションの報告をしました。妻の両親は学会員ではありませんが、学会の良き理解者になってくださっています。^^
さて、岡山の母ですが、先日、送ったカーネーションと当ブログの5月号の別刷りが届いたとのこと。電話で30分ほど話しました。母は、ブログの10篇程度の別刷りが楽しみだと言っていました。このブログが、私の母への親孝行になっているのですから不思議です。^^
池田先生からプレゼントもいただき、2人の母が喜んでくれて、最高の1日になりました。^^

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# by sokanomori | 2009-05-11 23:33 | ふるさと | Trackback | Comments(8)

19歳  

2009年 04月 08日

                ◇出口のないトンネルを歩いていました。
19歳のときのお話をします。
私は浪人し、その後も、恵まれない不遇な時代が大学を卒業するまで続きました。
私の人生で、もっとも虚しく、もっとも暗い時代が19歳の時でした。
友人は、輝かしい大学生活を謳歌し、大学のキャンパスで生き生きと輝いていました。
私は、出口の見えないトンネルにしゃがみこんでぶるぶる振るえていました。
当時の私には、夢もなく、希望もなく、自身が何をすればいいのかも分かりませんでした。
心の中に、「何か、世のためになることをしなければならない」という声だけがしていました。
しかし、その「何か」が具体的に掴めず、憔悴した心で悶々としていました。
多くの友人たちは、輝かしい翼を持ち、青空を自由に飛んでいるように見えました。
私は、自らの飛べそうにない変形した翼を恨めしく思っていました。
ある日、友人のhanaが、「創価大学の体育祭に行こう」と言うので、同行したとき、池田先生とばったり遭遇しました。
暗い校庭の一角で、気がつくと写真を撮られ、後日、その写真が送られてきました。
「祈っていたんだ。菊川、僕に感謝しないとね!」と目を輝かせながら言っていたhana。
思い出したよ、hana。あぁ、それは19歳の時だったね。
戸田先生と池田先生の出会いが19歳だったように、私たちは、そのとき、確かに師匠に会っていたんだ。
この写真のhanaの生き生きとした姿と、私のボヨボヨした姿が当時を象徴しているね。
その後、2人は大学を卒業し、やがて社会人になった。あれから、30年。
Hana、ありがとう。貴方は、本当にかけがえのない友人です。^^

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追伸:本件の記事に批判文書は受け付けません。私の最も大事な想い出ですから。
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# by sokanomori | 2009-04-08 00:36 | ふるさと | Trackback | Comments(9)

親孝行  

2009年 03月 29日

                   ◇親孝行とは何でしょうか?^^
父は、8年前に亡くなりました。
死の3ヶ月前、病院で父の伸びたヒゲを剃ってあげたことが、最後の親孝行でした。
随分弱っていて、顔を洗うのにも時間がかかっていた父。その父の頬に泡をつけ、安全カミソリでヒゲを剃りました。もう、長くないことを父も悟り、私も知っていました。父のヒゲを剃っているうちに、父の目からも、私の目からも、涙が止まりませんでした。親子の絆は、魂と魂で共鳴するものです。
「広幸。わしは死ぬことなんか、ちっとも怖くないぞ。それより、お母ちゃんを頼むな。お母ちゃんを助けてやってくれ」 これが、私が聞いた、父の最後の言葉でした。
父を失った母は、想像以上に落胆しました。私は遠く関東に居を構えており、田舎に母を1人にしていることを悩みました。ある日、「お母ちゃん、関東に出てこないか?」と聞くと、「私は田舎が好きだから」と断られました。母にとって、岡山の実家は、父と建てた世界一の城なのです。でも、幸いなことに、地元の学会員さんの交流と励ましは、親戚のように温かく、やがて母の傷は癒えることになります。
当時、私は、「親孝行とは何か」ということで大変悩みました。池田先生の指導の中に、「1日1回でいいから、両親に笑顔を見せてあげることだよ」という指導がありましたが、それすら出来ない自分を心から情けなく思いました。私は、できることは何かと考え、励ましの手紙を書くことにしました。1~2週間ごとに、私の気持ちや近況報告を綴りました。その手紙は3年間続けました。今、上写真の手紙やハガキは、母の宝物になっています。
一番の親孝行は、立派な信仰に生きることだと思っています。息子として、堂々と、世のため人のために生き抜くことこそ、母の最大の誉れであり、幸福だからです。^^

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# by sokanomori | 2009-03-29 17:00 | ふるさと | Trackback | Comments(4)

創価教育  

2009年 03月 11日

             ◇創価学会は、世界最高の教育システムです。
写真は、私の幼少期のものです。
母とお題目を唱えている時に、父が撮影してくれたのでしょう。
父も母も、貧しい庶民の出でしたから、高等教育を受けていません。庶民の父母の間に生まれた私は、当然のことながら庶民の子供でした。
私は両親から、世の中の仕組みや、世渡りの方法など、社会的なことは教えてもらえませんでした。母は、今も、「お前は勝手に育ったんよ」と言います。でも、現実に、勝手に育つ子供はいません。実は、私は、創価学会に育てられたのです。
父は一升でも飲んでしまう大酒飲み。母は心臓弁膜症でした。お世辞にも、恵まれた家庭ではありません。でも、両親は、私に世界最高の宗教を与えてくれました。私は両親の信仰を観察し、周囲の学会の人たちの行動を見て育ちました。家には学会の書物がいくつもありました。両親は読まないのですが、私が読むという具合。いつしか、私の精神を、創価学会が作り上げていくことになります。
人を殺したり、盗んだり、世を震撼させる事件の数々を見て、哲学なき家庭の子供の悲惨が可哀そうでなりません。創価学会の宗教とは、世界最高の教育システムだと思います。世の父母は、そのことを深く知るべきで、素晴らしい信仰にその子供を置いてあげれば、口うるさく言わなくても育ってくれることでしょう。
創価学会の信仰そのものが、創価教育だと私は考えています。何も、創価学園や創価大学に行かなくても、全員が創価学会に育まれるのです。

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# by sokanomori | 2009-03-11 23:21 | ふるさと | Trackback(1) | Comments(6)

Mさん一家の東京見学  

2009年 03月 09日

                ◇初飛行&初東京タワー見学をサポート

Mさんはいつも、当ブログを見てくださっている岡山の親戚です。何と、ご主人の勤続25周年のご褒美に、ディズニーランド招待旅行をゲットされ、東京へご来訪されました。^^
家族揃って、初飛行。岡山空港から羽田空港へ。天気が良くて、美しい富士山の火口が見えて上機嫌でした。当然のことながら、私はMさん一家をサポート。東京タワーを見学したいとのことで、一緒に行きました。
私、人生3度目の展望台へ。エレベーター、半端でなく高かった。中二のよっちゃんと小五のみっちゃん。喜んでましたね。日本人として生まれたのですから、東京タワーは一度は昇ってみたい場所。何と、ちょうど50周年でした。私より年上でした。スゴイですネ!^^
半世紀に渡り、風雨に耐え、威風堂々の勇姿に圧倒されました。展望台からの夜景も素晴らしいのですが、下から見上げる東京タワーも圧巻。基本設計の素晴らしさと、職人の方々の懸命の努力で、東京タワーは、今も美しく輝いていました。
私は、20年ぶりに行きましたが、みやげ物の販売コーナーや各種イベント会場など、充実していました。あっちゃん、ご主人に感謝しないとネ。この不景気の世の中で、一家全員をディズニー旅行ご招待なんて会社はありません!^^
私は東京タワー見学のみの同行でしたが、本番は翌日からのディズニーランド。子供達、生涯忘れることのない想い出を作ったことでしょう。Mさん(あっちゃん)は、学会員ではありません。明日の夜、成田空港から帰郷します。^^

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追伸:後日、Mさん一家から手紙を頂きました。子供たち、綺麗な字で嬉しいこと書いてくれました。よっちゃん⇒「東京タワーに行きたいと言ったのは私。展望台から、国会議事堂や六本木ヒルズが見えた。眺めが本当に綺麗で、目に焼き付いています」みっちゃん⇒「生涯で一番の思い出になりました」…手紙は、最高の宝物になりました。ありがとさんです。^^
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# by sokanomori | 2009-03-09 22:52 | ふるさと | Trackback | Comments(2)

母の祈り  

2009年 02月 20日

                   ◇忍耐強く祈り続ける母の人生
岡山に1人暮らしの母は、1年間に200~300万遍の唱題をします。
私自身、100万遍を5ヶ月間でしたことがありますが、その時は一日中、唱題しているような感じでした。私の場合、1年間に100万遍が上限で、モジモジと落ち着きのない祈りですが、母の唱題は違います。上写真は、私の母が唱題しているところを撮影したもの。下写真は、昨年の母の唱題表。母は、祈りあがれば、「絶対に幸せが継続できる」、あるいは、「苦難が押し寄せてきたとしても、絶対に打ち勝つことができる」という確信があります。強風にもびくともせず、富士のように堂々と祈る母。母の祈りには、いつも感服させられます。^^

母には苦労が絶えませんでした。
母は風雪に耐え、苦難の全てに打ち勝ち、今、愉快で楽しい老後を過ごしています。
苦労がないことが幸せではありませんよネ。
むしろ、苦労の無い人生では、小さな弱々しい幸せしか得られないのではないでしょうか。困難が人を高め、苦労が精神を深く大きくし、毒変じて大きな幸せへと繋がるのですから。^^
今月、2月10日の聖教新聞に、池田先生が「偉大なる尊き母の交響楽」という詩を発表されていましたネ。「母を軽蔑したり/ないがしろにしたり/苦しめたりする者は/その心の中がすでに地獄の暗黒なのだ/母を苛める奴!/母を泣かせる奴!/母を大切にしない奴!/これこそ、平和と幸福の社会をぶち壊す世界一の悪党たちだ/母にあらゆる真心と愛情を捧げていくことだ/これが人間だ/みな人間は母から生まれてきた/母が命懸けで生んでくれた‥」と。感動でウルウルしました。^^
親不孝をする宗教心のない人間は、本当に不幸だと思います。私は過去、どうすれば親孝行が出来るのか悩んだ時期があります。近頃、ほんの少しではありますが、親孝行ができるようなりました。元気な母の存在は、私にとって最大の喜びであり、幸せです。^^
私の小さな親孝行の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2009-02-20 22:14 | ふるさと | Trackback | Comments(0)

2009年1月1日  

2009年 01月 04日

                      ◇故郷の新年勤行会

年末を母と過ごし、翌日、2009年の元旦を迎えました。AM9:00、地元の会館にて、新年勤行会に参加。新年を母と共にスタートいたしました。
左写真は、頂いた記念品です。蓮華の写真のカードでした。蓮華は、法華経を象徴する植物。如蓮華在水‥泥の中に清らかに咲く花であり、また、花と実を同時につける不思議な植物なのです。

会合では、いつも、地元幹部のお話や御書の拝読、各支部の元気溢れる決意発表があります。輝きを失わない同志の方々の美しい姿には、いつも元気をいただいています。
特に、男子部が渾身の力で指揮を取る学会歌には、いつものことですがウルウルさせられました。大中国の地涌の菩薩の勇姿‥本当に素晴らしい!私の故郷は、私の魂のルーツなのです。この輝かしい同志の方々がいる限り、私の魂も永遠に不滅なのです。^^
「青年・勝利の年」の本年、記念カードの写真の如く、混沌とした世の中にあっても、清く美しく咲く蓮華のような一年を過ごしたいと思います。世の中の経済危機は、さらに混迷の度合いを強くすることでしょう。強風を利用しながら、祈り、行動して、大いに前進できる年にしたいと考えています。^^
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# by sokanomori | 2009-01-04 17:12 | ふるさと | Trackback | Comments(0)

2008年12月31日  

2009年 01月 03日

                     ◇一路、母のいる故郷へ

2008年12月30日PM9:30。新宿から夜行バスで一路、実家のある岡山へ向かいました。翌日、AM6:00に津山駅に到着。ジーゼル機関車に乗り換えて、故郷の街に到着したのは、7:00を過ぎていました。機関車は、ガッタン、ゴットンと昭和40年代の音を奏でてレトロな雰囲気。昭和時代にタイムスリップした感じ。上写真は私の故郷の駅。左写真は、途中で停車した駅です。
雪化粧の美しい風景に感動!^^
駅から歩くこと数分、実家に到着しました。母の笑顔。元気そうで一安心。母は、ストーブで部屋を暖めて、待っていてくれました。
母の作ってくれた朝食を食べて、朝の勤行を母と一緒にしました。
田舎を出て、すでに30年になるのですが、当時のままの実家なのです。今は、父はいませんが、ここに来ると、祖母と父の想い出が鮮明に蘇ってきます。
年末年始は、必ず母と過ごします。故郷を離れ、親不孝をしている私の唯一の恩返し。数年前、母が体調を崩した時は何度も帰郷しましたが、やがて母は健康を取り戻し、過去にもまして元気なのです。母が元気でいてくれるのは、私の最大の幸せ。親戚にも不幸がなく、良い年末になりました。

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# by sokanomori | 2009-01-03 16:14 | ふるさと | Trackback | Comments(2)

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