きょうのコラム「時鐘」 2010年12月12日

 八十八歳の瀬戸内寂聴さんが、本紙「寂庵より」で気弱なことを書いていた。「ついにこの度、体力の限界がきて、バッタリたおれてしまった」

病知らず、老いも知らずの人だった。過去形で書いては申し訳ない。長寿社会だ。まだまだ大丈夫だろう。「わたし死ぬ気がしないのよ」と言って98歳まで生きた女流作家の先輩、宇野千代さんの上を行くと思う

老化は個人差が大きい。一方、時代差が大きいのが身長などの体格である。50年前と現在の日本人は、とても同じ人種とは思えない。先日の、終戦直後の1948年以来初めて全年齢で平均身長が伸びなかったとの調査は、歴史的な節目のニュースだった

何千年か後、今の日本人の骨が発掘されたとする。後世の人は日本列島に2種類の人間がいたと思うだろう。平均身長160センチで寿命が50歳程度の旧人類と、約170センチで80歳まで生きた新人類。そのふたつが共存していたと

日本人が戦後60年に体験した変化は何事も急激に過ぎた。身長、寿命の伸び、そして経済。「頭打ち」は成長の停止ではなく、安定成長へ移行したと思える記事だった。