秋葉原と千代田区のために戦う政治家、「寺島ひろやす」のプロフィールをご紹介します。


寺島ひろやす(寺島弘祥) TERAJIMA HIROYASU

1978年(昭和53年) ■4月3日 香川県・高松市に生まれる
■6月 サラリーマンの父の仕事の都合で京都市・中京区に住む
1983年(昭和58年) ■4月 サラリーマンの父の仕事の都合で神戸市・須磨区に住む
1985年(昭和60年) ■4月 サラリーマンの父の仕事の都合で鹿児島県・隼人町(現在は霧島市)に住む
■4月 小学校入学(1年生の期間は1年間鹿児島在住)
1986年(昭和61年) ■4月 サラリーマンの父の仕事の都合で米国・ワシントン州バンクーバー市に住む
■4月 米国・ワシントン州バンクーバー市の現地小学校へ転校
■4月 毎週土曜日は隣接州のオレゴン州・ポートランド日本人学校へ通学
1991年(平成3年) ■3月 米国・ワシントン州バンクーバー市の中学校から日本の中学校へ転校(米国滞在期間約5年)
1991年(平成3年) ■4月 サラリーマンの父の仕事の都合で京都府・宇治市に住む
 ■4月 京都教育大学付属桃山中学校へ入学(生徒会長・生徒会副会長をそれぞれ1期就任)
1994年(平成6年) ■4月 京都教育大学付属高校へ入学
1997年(平成9年) ■4月 同志社大学経済学部へ入学
■4月 松下電器産業(株)中央研究所にて研究員のアルバイトをはじめる(携帯電話やプリクラ端末などの商品開発を行う)
1998年(平成10年) ■10月 松下電器産業(株)中央研究所の所属部署が廃止になったため、アルバイトを退社
■11月 同志社大学田辺キャンパス前に改造ワンボックス車でのたこ焼き屋を開業。連日大行列になる
1999年(平成11年) ■1月 同志社大学田辺キャンパス前のたこ焼き屋が、大学生協からの抗議のため廃業
■3月 大学生協との協議の結果、飲食以外の露店は黙認するとのことなので、同志社大学田辺キャンパス前にて携帯電話販売店の露店を開業。1台携帯買うと5000円キャッシュバックという激安販売を展開
■6月 同志社大学田辺キャンパス前の携帯電話販売店が全く売れずに廃業。個人情報を扱う業種では、値段だけでなく、店構えなどの信用・信頼の重要さを知る
■8月 関西地盤の銀行の頭取からスカウトされ、買収予定銀行の店舗統廃合などのマーケットコンサルティングの仕事を一人で受注。業務及び扱う情報は極秘のため本店金庫室内にて一人で黙々と業務を行う。その際に、金融業界における政治や銀行間の力関係、全主要銀行の店舗別貸し付け・預金残高・配置人員数などを知る
2000年(平成12年) ■8月 銀行のコンサルティングの仕事について、ある日突然自宅待機命令が出る。給料は払うから会社に来るなと。給料はもらえるので、何事もなく大学生をしていると、数ヶ月後に所属銀行は破綻(テレビで破綻を知る)。勤務当時は全預金者と貸付先を閲覧できる立場だったため、帳簿上は破綻するはずがない銀行だっただけに、政治力のすごさを思い知らされる
2001年(平成13年)  ■1月 松下電器時代の上司から開発業務などの仕事を外注で受注。インターネット機能付き冷蔵庫などの開発を行う
■1月 自営業としてのオフィスを開設(京田辺市内12階建てビル内)
■3月 同志社大学経済学部を卒業。自営業のオフィスは弟へ譲渡
■4月 就職に伴い東京へ引っ越し
■4月 株式会社東芝へ正社員として入社。日本国内向けパソコン商品企画部門へ配属(ダイナブックの国内向けモデルを担当)
■10月 パソコンの商品開発設計部門へ配置転換
2002年(平成14年)  ■4月 海外向けパソコン商品企画部門へ配置転換(ダイナブックの海外向けモデルを担当)
2003年(平成15年)  ■3月 株式会社東芝を退社
■4月 松下電器系社内ベンチャー企業へ入社(海外展示会対応、各種営業などを担当)
2004年(平成16年) ■3月 松下電器系社内ベンチャー企業を退社
■4月 弊社代表取締役の平野睦と共に現在の会社を設立(株式会社ナーズアンドギークス)
■4月 株式会社ナーズアンドギークスの事業として、千代田区外神田3丁目にてメイドカフェ・ミアカフェを開店
■6月 イベントコンパニオンのミアスタッフを設立
■7月 レンタル撮影スタジオのミアスタジオを設立
2005年(平成17年) ■5月 防衛省公認の自衛隊メイドカフェイベントをミアカフェにて開催
■8月 千代田区・外神田2丁目に本社事務所を設立
■11月 コスプレ衣装販売のミアコスチューム設立
■12月 千代田区外神田3丁目にメイドリラクゼーションのミアリラクゼーション開店
2006年(平成18年) ■1月 ラオックス・アソビットシティにてコスチューム商材の販売を開始
2007年(平成19年) ■8月 芸能事務所部門・ミアエンタテイメントを設立
2008年(平成20年) ■12月 本社機能増強のため秋葉原駅の台東区側へ移転
2009年(平成21年) ■1月 ミアエンタテイメント所属「今田なお」が経済アイドルとして活動開始
■8月 アメリカ紀ノ国屋書店などを通じたコスチューム商材の海外販売を本格化
■8月 ジーンズメイト秋葉原店にてコスチューム商材の販売を開始
2010年(平成22年) ■3月 本社機能増強のため秋葉原駅前(神田須田町2丁目)に7階建て本社ビルに移転
■4月 自社広告ポスターが4大コピーライター広告賞の新人賞を受賞
■6月 ミアエンタテイメント所属「今田なお」が千代田区区議会議員候補としての政治活動を開始
■12月 ミアエンタテイメント所属「今田なお」が千代田区区議会議員候補としての政治活動を断念し、「寺島ひろやす」が「今田なお」の意志を継ぎ立候補へ向けて政治活動を開始



このような経緯で、現在政治活動を行っております。
現在、ほぼ全ての事業を千代田区(秋葉原地区)で行っております。 

世間でそれほど褒めらるほどの業態ではない、メイドカフェといわれる店舗も経営していますが、2004年開業時は今とは違い、普通の喫茶店を経営する感覚で開業しています。現在も2004年とほぼ同じ価格(コーヒー1杯500円)にて堅実な喫茶店として経営しています。

当店よりも後発のメイドカフェと言われるお店がメディアを賑わした結果、今の秋葉原の惨状となっていますが、私を含めて全社一丸となって2004年頃から一貫して現在のような低俗な感じがするメイドカフェ的な業種に対して反旗を振りかざしてきました。
現在も私を含めて全社員一同、低俗なメイドカフェが秋葉原からマニアを遠ざけ、秋葉原全体で見た小売店様の客単価低下を招いた原因であると考えています。
このまま状況を放置してしまうと、さらに秋葉原は低俗化し、耳かき店店員殺人事件、秋葉原大量殺傷事件などの重大事件などを増やしてしまう可能性を秘めています。
秋葉原で、誰かが立ち上がらない限り、このような低俗化を止めることはできません。

秋葉原のため、千代田区のためにも、千代田区のブランド価値向上のためにも、よりよい街に秋葉原がなる為に、命がけで頑張らせていただきます。

よろしくお願いいたします。