その間、男子部隊長および当時の教学雑誌『冨士』の編集室主任などを歴任しましたが、浅井昭衛の変節ぶりや下品な人間性に不審をいだき、日蓮大聖人の本当の教えを正しく受け継ぐのはやはり日蓮正宗であることを学び、日蓮正宗の信徒になりました。
浅井昭衛の本性を間近で見たこと、また顕正会がいかに誤った宗教であるかについて色々と書いていきたいと思います。
現在は日蓮正宗総本山塔中 理境坊所属妙観講信徒です。
明けましておめでとうございます。
日々の忙しさに負けて随分と久しぶりのupとなりましたが、皆さんは如何お過ごしですか。
私は、元旦を総本山にて迎え、本日は地元の正継寺様の勤行会にお参りしてきました。
ちょっと寒いですが、関東地区は好天に恵まれております。
北陸・信越などは大雪で大変だそうですが、大丈夫でしょうか?
大晦日に総本山に着いてみると、駐車場には氷ついた車がありました。
「もしかして......」と思い、失礼してナンバープレートを擦ってみると「新潟」の文字が見えました。
それは本当に大変なご苦労があったのではないかと思いますが、功徳なお大きいこととお慶び申し上げます。
さて、昨年の出来事でチョットびっくりしたのは、顕正会からHPに関して難癖がついたことです。
平成11年にアップして、もう10年が経過しているのですから「何をいまさら」とも思いましたが、司法の場で争うとなると消耗戦で面倒くさいので、サッサと閉じてしまいました。
顕正会に関するHPをupしている人には、やはり何らかのアクションがあり、「○○の文言がいけない」などと言われて、それぞれに対応をしているようですが、僕のところには「すべてNG」ということだったんです。
時間ができたら、違う形でupするかもしれませんし、もうupしないかもしれません。
ですが、未だに僕の書いたものを読んで帰伏する人がいる状況でしたので、また、何らかの対策を立てざるをえないのかな?
ちょっと思案するところです。
ところで、今年の顕正会の行方について、少し書いてみたいと思います。
正直なところ、今年の彼らの指針であるとかは、全く興味がないのです。
それというのも、浅井の行動パターンは大体読めるし、彼らの思考回路も変わらないようなので、そんなに気にはしていません。
ただ、今年は少し変化があるのではないかと思います。
それというのも、今年の4月27日には、浅井甚兵衛(昭衛の実父)の27回忌を迎えます。
甚兵衛は79歳で他界をしていますが、今年の11月には浅井昭衛も79歳になります。
さて、父親が亡くなったと同じ年齢を迎える年に、27回忌という一つの節目を迎えて、昭衛は何を感じるのでしょうか。
何かあるかな?
それとも、死ぬまで今のままかな?
チョット気になります。
それよりも、このブログの次の更新がいつなのか.......(爆)。
自宅から最も近いお寺が正継寺(しょうけいじ)様なので、時々お参りさせてもらっています。
確か、昭和20年代後半に創価学会が宗門に寄進した最初のお寺ではなかったかと思いますが、JR横浜線・相模線と京王相模線がクロスする橋本駅から徒歩数分と立地も良い場所です。
橋本駅は横浜線でいうと八王子と町田のちょうど真ん中くらいに位置しています。
今では横浜線に不便は感じませんが、以前はチョット風が強かったり、雨が続くと電車が止まることがありました。
ですので、僕が十数年前に引っ越してくるときも「横浜線沿線はやめておけ」という人もいたんです。
橋本まで京王線が開通したのも20年くらい前のことですので、それ以前は色々と大変ではなかったかと思います。
しかし、こちらのお寺からはいくつかのお寺ができていると聞きますし、いつも熱心な信者さんがお参りしている姿があります。
大橋御住職様は80歳後半になられるので、御宗門でも古参中の古参に入られるのではないかと思います。
数年前に大病をされたそうなのですが、今でもとてもお元気で、御家族のお話では「病気前より数段元気になった」とのことです。
建物はおそらく、建て替えをされていないだろうと思いますので、トイレの位置であるとか、昔ならではの感じがあり、逆にそれがなんだか懐かしくて安心します。
もちろん、お寺様はとても清潔にされているので、古めかしいとか、暗いとかいう感じはまったくありません。
日当たりもよく、とても気分の良い唱題をさせていただいていますし、近親者のお塔婆など、なにかとお世話になっています。
相模原の方はもちろんですが、三多摩地区や横浜方面にお住まいの方は、ぜひ一度お参りしてください。
先日、総本山に参詣した折に足を延ばして有明寺(うみょうじ)様にお参りをしてきました。
以前から、一度はお参りしたかったのですが、なにかと都合がつかなくて、ノビノビとなっていただけに、念願の参詣です。
我が日蓮正宗には中興の祖といわれる方がお二方いらっしゃいます。
お一方は総本山第26世日寛(にちかん)上人ですが、大石寺教学を体系的に明示され、多くの文段を残されていることから、法門を学ぶ時に、必ずといっていいほどお名前を聴くことでしょう。
もちろん、その御功績が教学のみにとどまらないことは、私がいうまでもないことです。
そして、もうお一方が総本山第9世日有(にちう)上人です。
大石寺の山法山規(さんぽうさんき)の元となっているのが、第二祖日興上人の26箇条と第9世日有上人の化儀抄であることは、やはり有名なことです。
少し遡ってお話をすると、第三祖日目上人が最後の天奏の途上、美濃の垂井(現在の岐阜県)で御遷化遊ばされたとき、お伴をしていた人が日尊師と日郷師でした。
この日郷師が大石寺に戻った時に、「蓮蔵坊は私が譲り受けた」と主張したのでした。
この問題について第4世日道上人と日郷師の間で論争となり、裁判にまで発展したことが原因で、その後約70年にわたり大石寺は振り回されてしまい、徐々に体力を失っていったともいわれています。
その様な中で、大石寺の再興に努められたのが日有上人であったそうです。
日有上人は長きにわたって猊座を守られ、日乗上人に法を付嘱されたのち、御隠尊となられましたが、第10世日乗上人と第11世日底上人の御遷化に伴い、再び猊座に登られて、第12世日鎮上人に法を付されたという記録があります。
その、御隠尊となられた時に大石寺から十二里ほど離れた険しい山中にお住まいになられました。
その場所は大杉山といいますが、日有上人は毎月の御講日(7日,13日,15日)には、この大杉山から大石寺に赴かれたといわれます。
その際には、岩が転がる険しい山道を歩いていかれたのだそうですが、岩が下駄の歯と歯の間に挟まれてしまうために、一本歯の下駄を使われたとのことです。
十二里といえば約50kmありますが、その大杉山に建てられたのが有明寺様です。
私たちは大石寺から車で向かいましたが、それでも険しい道であることはよく分かりました。
有明寺様は、総本山第65世日淳上人が再興を望まれ、その意思を継いで日達上人が再興遊ばされ、第67世日顕上人のお代に500遠忌法要が修され、第68世日如上人のお代にいたって、 墓地が整備されて日有上人の御廟も新築されたとのことです。
険しい杉山を背にした勇壮な風景の中に、風格のある本堂が建っていました。
本堂の中はとても美しく、別体三宝式の御宝前の中央には日有上人書写の御本尊様が安置されていました。
長きにわたって猊座を守られた日有上人がこの地に隠棲されたとしても、誰も異を唱える者などいなかったことでしょう。
しかし、前述のごとくに大石寺には幾度も足を運ばれたのだそうです。
大石寺の興隆をまねき、長きにわたって猊座をお努め遊ばされた日有上人には、数数の伝説や逸話がありますが、それはすべて、日有上人のお徳を称えることばかりであるといえます。
80年の御境涯を法に捧げられた上人の御尊容をしのびつつ、お題目を上げさせていただきました。
大石寺からは車で約90分ほどですので、御心のある方はぜひ参詣をしてみてください。
龍ノ口法難から約一か月、依智の本間六郎邸に滞在されて、佐渡流罪となったのです。
この「依智」というのは、現在の神奈川県厚木市になり、上依智・中依智・下依智の三か所にある身延日蓮宗の寺院が「わが寺こそ本間邸跡」と論争しているのだそうです。
それはともかく、私は、この厚木で友人たちと待ち合わせをして登山します。
大聖人様が佐渡に向けてご出発されることの背景、その時の弟子檀那の心中など、簡単には書ききれないものでしょうが、仏恩報謝の念をもって登山してきます。
ところで今日は、外房からも十数名近い人たちが初登山に来るとのこと。
その中心の人たちはまだ入信して日が浅い人です。
とても楽しみです。
『HACHI』という映画なのですが、日本では大変有名な「忠犬ハチ公」という実話をもとにして、米国を舞台にして描かれたものです。
ストーリー的には昔から聞かされたこととホボ同じだと思いますが、愛犬家にとっては涙腺が刺激されてしまいます。
飼い主の大学教授が大好きな「HACHI」は、朝は駅まで御主人をお見送りをし、夕方は電車が着く時刻に駅にお迎えに行きます。
この教授が亡くなってから十年も、「HACHI」は定刻になると駅まで迎えに行くというものです。
これが忠義を感じていた犬とされる由縁なのでしょうが、あえて冷めた目で見ると、そこが畜生の限界です。
新しい御主人に懐かない、環境に適応できない...え?......酷いだろうって?
まぁ、そういわずにもうチョット読んでください。
僕らはそんなことしたらいけないんですよ。
妙観講は、日達上人に大変な御恩を感じいるところに、命名の意味がありますが、御恩を忘れず報じるためには日顕上人に、また日如上人へと、そして今後、御法主が御代替わりをされるならば、時の御法主にお仕えするのは当然です。
そうでしょう?
では、浅井ってどうでしょうか。
自分の気分次第で歴代御法主を罵倒して、御当代は気に入らないといって逆らう。
酷いでしょう?
そこにあれこれ理由をつけたところで、「代々の聖人悉く日蓮と申す意なり」の御金言に逆らう以上は逆賊に過ぎません。
さて、結論ですが。
浅井家には「ラッキー」という柴犬がいました。
だけど、逃げちゃったんです。
浅井によれば、「メス犬にバカされて家出した」とのことですが、浅井家が嫌で出ていっちゃったんです。
飼い主もアホなら、アホに育てられた犬もアホ。
「父母となり、その子となるも必ず宿習」ですかね。
ちなみに、我が家にいた愛犬のチョコ(今年二月に永眠)は、賢かったですよ。
5kmほど離れた丘の上で、金属がブツカリ合う音にビックリして、丘から走って逃げてしまったんです。
僕はビックリして、いなくなったことにがく然としました。初めて訪れた場所なので、探せなければどうなってしまうのかと。
ところが、チョコは家に帰ったんです。
しかも、初めて歩いた5km(人間でも一時間以上はかかる)の道を、ちゃんと歩いて帰ったんです。
チョコは家と僕が大好きでした。
浅井家のラッキーとはえらい違いでしょう?
さて、ラッキーの後にまたぞろ浅井は柴犬を飼うのですが、こいつは本当にタチが悪くて、浅井家以外の人間をみると、噛みつく習性があったんです。
本部職員は何人も噛まれて、ある人はズボンが破れて流血しました。
しかし、センセーの犬を保健所に通報することもできません。
しかも浅井の女房の陽子と来たら、「噛みつかれたら蹴り飛ばして下さい」ですよぉ!
普通は「二度とさせないようによく教育します」とか、嘘でも云いようがあるってものでしょう。
飼い主がバカだと、犬も可哀相なものです。
リチャード・ギアには悪いのですが、『HACHI』の余韻が冷めた時に、思い出してしまいました。
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その視点から色々と書いていきたいと思います。
現在は日蓮正宗総本山塔中 理境坊所属妙観講信徒です。