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[24770] 【短編集】【一発ネタシリーズ】二作目・英国の守護神(HELLSING)
Name: c.m.◆71846620 ID:131713d8
Date: 2010/12/11 03:32

 この短編集は読者さまからやってみたら? と言われて乗りで作ってしまったものです。
 なので、過度な期待をせずに流す感じで読んできた頂ければ幸いです。

 また、内容はあくまでも一発ネタであり、続編はなく、各話終了といった形になります。

 基本的に更新は不定期です。

 以上の事は許容できる方のみ、進んで頂ければ幸いです。



[24770] 【短編】【一発ネタ】死と薔薇の夜(Dies irae×HELLSING)
Name: c.m.◆71846620 ID:131713d8
Date: 2010/12/11 02:45
 暗く深き森の中。人一人さえ本来であれば近づかぬ樹海の奥。そこに本来無い物がある。
 飛空艦。ジェット戦闘機の量産に伴い、戦場から姿を消した空の要塞。
 今となっては忘れ去られた過去の名残は、その身を偲ぶかのように息を止めていた。
 今日この日、再び世界に己の姿を見せつける為に。
 自らを忘れ去った世界に、反逆の狼煙を上げる為に。


     ◇


 かつかつと、軽い軍靴の足音が床を跳ねる。飛空艦の内部。まるで広大なエントランスを思わせるその場を、稀代の演説家である『宣伝省』ヨーゼフ・ゲッベルズもかくやという弁で周囲を熱狂の渦に包みこんだその男は、目の前に立つ男に気軽そうに挨拶した。

「お待たせした、ヴィルヘルム・エーレンブルグ曹長。いや失礼、今は中尉だったか。
 パルチザン掃討戦以来なのでね。どうも懐かしく思えてならない」
「オウ別に気にしちゃいねぇよ中尉。いや少佐だったか? いや、今のはわざとって訳じゃねえぜ。何せここの空気は良い。クソ下らねえ戦場のボケ共を何匹吸い殺してもあの地獄には遠すぎた。
 張りがねえ、詰まらねえ。何もかもすぐ簡単に壊れちまうし、どいつもこいつも味気がねえ。
 だが、ここは違う」

 あの日。あの時代の空気をそのままに。かつて共に地獄を歩いた戦友たちの息吹を感じ取れる。

「結構。君が彼らを毛嫌いしないかと危惧していたが、無用の心配だったようだ」
「確かに吸血鬼としちゃあ、そこそこってところだ。だが、それで?
 俺がキレて連中をぶち殺して帰るとでも思ったか?
 ケッ、日頃の行いってやつァどうしたって目に付くもんだが、俺はあいつらを否定しねえよ」

 ここに集うのはかつての敗北者。第二次世界大戦という地獄を生き延び、不死の軍団として返り咲いた無敵の敗残兵にして最古参の新兵たち。
 曰く吸血鬼。ここに集う者たちは、日の光に背を向けた闇の不死鳥に他ならない。

「アァ……どいつもこいつも見覚えがありやがる。トバルカインにゾーリン、大尉、シュレディンガー……リップバーンにゃ逢えなかったが、どうせ変わり栄えもなくビクビクニヤニヤしながら任務をこなしてんだろう?」

 これが紛い物なら確かにヴィルヘルムは怒りを露わにしていただろう。嚇怒の念を以て同胞を八つ裂き、恥知らずめと唾を吐き捨てたに違いない。
 だが違った。彼らは吸血鬼の何たるかを弁えている。
 日の光を忌む闇の不死鳥としての分を理解し、真の怪物として君臨している。
 ああ懐かしい、そして輝かしい。彼らは自分と同じ物だ。弱点を晒しながらも誇らしげに地獄を歩いている。
 止まった時間を駆け抜けて、あの地獄の延長を求めている。
 デイウォーカーだの何だの似非野郎共がこねくり回した紛い物ではなく、真に同胞としてヴィルヘルム・エーレンブルグは彼らを認めていた。

「そう言ってくれれば喜ばしいな、中尉。それでこそ君に串刺し公の血を提供した甲斐があるという物だ」

 かつての大戦。ドイツ第三帝国の趨勢は悪化の一途をたどっていた時、戦況を覆すべく二つの組織が暗部に台頭した。
 一つは『総統特秘666号』。吸血鬼による不死の兵士を誕生させ、無敵の軍団によって欧州を侵攻する事を念頭に置いた狂気の研究。
 そしてもう一つ。SS指導者、ハインリヒ・ヒムラーのオカルト遊びから真に不滅の組織が誕生した。
 名を『黒円卓』。本来それは単なる高官の秘密クラブの様な物だったが、当時のSS中将、ラインハルト・ハイドリヒが黒円卓の所持していた聖槍ロンギヌスを手にしたことから、やがて真の魔窟となっていく。
 聖槍を手に出来るのはラインハルト・ハイドリヒのみであり、その時点でヒムラーとの力関係は逆転。
 彼の親友にして魔術師にして詐欺師、カール・クラフトが編み上げた術式によって黒円卓に集った者たちは真に人外の力を手にした。
 エイヴィヒカイト。聖遺物と呼ばれる品と魂を同化し、殺人を重ね魂を喰らうごとに力を増す外法の業。
 ヴィルヘルム・エーレンブルグもまた、エイヴィヒカイトを組み上げるに辺り聖遺物を手にした。
『闇の賜物』。串刺し公ヴラド・ツェペシュの結晶化した血液を素体としたそれは、ある組織から送られ、その際に一つの契約を持ちかけられた。

『来る日。我々を世界が忘れた日に再び世界を地獄に染め上げる時が来る。
 その時に御身に助力して頂く事をここに確約して欲しい』

 要は力を万事都合よく得たのなら、その力を我々の為に使え、という物である。
 これは当時のヴィルヘルムにとっても渡りに船だった。
 何故なら彼は自らが唯一忠誠を誓うラインハルト・ハイドリヒ卿に命を下されていたのだから。

 曰く『来るべき“怒りの日”に備え、各々魂を蓄えよ。さすればその魂に見合った祝福を約束しよう』と。

 それは何という幸運。ヴィルヘルムに祝福という名の力を与えた者は、『永遠に奪われる』という呪いを残したし、事実彼の人生は奪われ続けた。
 ある時は女を。ある時は至高の戦いを。彼は望んだ物を何一つとして手に出来ず、今もその呪いは続いている。
 だが、今度こそは譲れぬという想いが、今のヴィルヘルムには有った。
 彼が不死の軍団『最後の大隊』と共に目指すのはロンドン。かつての大戦の宿敵である事も、ヴィルヘルムが殺意と喜悦を滲ませる一端だが、それ以上に己が殺さねばならない存在がある。

 ────吸血鬼、アーカード。

 化物から英国を守護する為に設立された王立国教騎士団HELLSINGの鬼札。
 吸血鬼でありながら人間に味方するその怪物の正体を、ヴィルヘルムは己が内で感じ取る。

 あれは……。

 思考の海に埋没しかけた時、飛空艦のモニターにソレは映し出された。
 燃え上がる旗艦。今にも倒壊し、沈没するのではという危惧さえ覚える甲板に、二つの人影が映し出す。
 一人は女性。腰まで届く黒髪と丸眼鏡が特徴的なその女性は、本来の持ち物であるマスケット銃に心臓を穿たれ、無数の影に拘束されている。
 そしてもう一人は正しく悪鬼。無数の影を触手のように蠢かせ、拘束した女性の首から生き血を啜っていた。
 背徳的であり、扇情的な光景。女性は血を吸われながら喘ぐような嬌声を上げ、ただ身悶えている。
 悪鬼は女性を気にも留めない。ただ作業のように女性の血を啜り、自身の影に女性の肉体を貪らせていた。
 その光景を少佐は画面越しに見据え、無線を通して女性……リップバーン中尉へと呼びかけた。
 作戦は成功だと。君の未帰還を以て、我々はその悪鬼、アーカードを打倒すると決意を告げる。

傾注 アハトォウン!」

 号令一喝。軍靴の鉄鋲が規則正しく鳴り響き、全員が一糸乱れぬ動きで直礼する。

「さようなら中尉。ヴァルハラ出会おう。さようなら、さようなら中尉」

 少佐の言葉と共に、誰もが別れの言葉を口にする。さようならと、真正の狼男 ヴェアウォルフであるが故に声こそ出せぬ物の、大尉もまた画面を見据える。
 そして、一度として正面から相見える事の無かったヴィルヘルムもまた、直立の体勢ではない物の別離の想いを向けていた。

“ああリップバーン中尉。お前は臆病でどうしようもない程に手間のかかる女だったが、本当に良い女だったよ”

「あばよ中尉。ジークハイル」

 ここに集う者たちと同じく、戦鬼と恐れられた彼もまた敬礼と共にかつての同胞を見送った。


     ◇


 そうして彼らは、ロンドンへと向かう。夜が来た。万感成就の夜が来たのだ。
 故に目指す場所は一つ。あの都市の輝きへ。あの尖塔の輝きへ。
 ヘルシングを打倒し、アーカードを斃すのだ。
 
「堰を切れ! 戦争の濁流の堰を切れ……! 諸君!!」

 少佐は鼓舞する。来るべき日は来た。この日こそが我々の『最後の大隊』の奏でる『怒りの日』。
 六十年の時を超え、我々を忘却の彼方へ置き去った者らへ進軍するのだと。
 地獄へまっしぐらに行進するのだという万感の思いを込めて。

「帝都は今宵、諸君らの晩餐となるのだ。さあ諸君! 殺したり殺されたり死んだり死なせたりしよう。乾盃だ。宴は今宵此の時開かれたのだから。
 乾盃プロージイット!!」

 手にしたグラスが地に落ち砕けると同時、ロンドンの上空を死の槍が駆け抜けた。
 飛空艦から放たれたV1改ロケット弾は都市を焼き、人を焼き、全てを地獄へ変えて行く。
 崩れ落ちる時計塔。器物の破片が突き刺さりのたうち苦しむ住民たち。
 跡形もなくなった女子供。正しく地獄。正しく業火。忘れ去られた地獄が、今鎌首を持ちあげた。

「もっと戦火を、もっと戦果を!!」

 その期待、その要望に応えるべく、部下たちは配置につく。

『着上陸作戦開始。降下兵団出撃せよ』

 響き渡る無線の指令。開かれたハッチから眼下に覗く都市は、さながら紅蓮を思わせる。

「綺麗だ……地獄が見える」

 恍惚としたその表情。恐れなど欠片もなく、彼らは真実求めた物を得られるのだと、その希望を胸に抱く。

「征くぞ前線豚ども。フライトの時間だ」

 言葉と共に降下部隊は開かれたハッチから文字通り射出された。
 それは明らかに人外の業。人間にはこなせぬ所業。命綱もパラシュートもないままに、彼らは飛空艦からカタパルトによって射出されたのだ。
 人間であれば死亡は必至。しかし彼らは人に非ず、不滅の軍団なればこそ。

『降下兵団第一中隊第二小隊長ラインボート・ファルトナー曹長落着。英国着上陸第一号者です。戦闘開始!
 英国上陸成功! 先陣を切りました!!』

その結果もまた、必定と言えるのだ。


     ◇


 溢れる死。謳う地獄。地上に描かれるのは戦火による鉤十字 ハーケンクロイツ
 かつてベルリン崩壊の折にラインハルト・ハイドリヒが行った地獄と同質の物が、今この場にも巻き起こっていた。だが。

「君は行かないのかね? ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ中尉」

 この場に最も相応しい筈の男が、未だ飛空艦に留まっていた。

「なぁに。確かに腹ごなしにはなりそうだが、あれは連中の獲物だ。俺は俺で待ってる野郎が居るんでな」

 飛空艦の上。夜風が熱風を運ぶ空間にヴィルヘルムは少佐と共に立っていた。
 ああ、早く来い。焦がれて焦がれて待っているのだ。愛しの怨敵。真祖を騙る不埒な悪鬼。
 舞台は出来上がっている。宴は最高潮に達そうとしているのだ。
 ヘルシング本部はゾーリン中尉を打倒した。英国はカトリックの豚どもがハーケンクロイツを台無しにする程の戦火を上げた。

「少佐! 中へお入りください! この艦の装甲とてこの攻撃では、長くは持ちませんぞ!」

 おっとり刀で駆け付けたドクに二人は一切耳を貸さない。当然だ。方や大隊を統べる魔の指揮官。
 方や誉れある黒円卓の騎士。敵の火遊びに尻込みする様な臆病者では断じてない。
 少佐は両腕を振り、指揮を執る。楽器は兵士、音色は惨劇。事この場において、その演奏を邪魔する無粋な者は居てはならない。
 故に。

「死ね! 狂った戦争の亡霊が!!」

 指揮者に狙いを定めた戦闘ヘリが、極大の杭に貫かれた。

「俺にゃあ音楽なんぞ上品すぎて肌に合わねえが、演奏は黙って聴くって事ぐらいは知ってるぜ。
 目障りな羽音立ててんじゃねえ。楽器はそれらしく音出してろ」

 およそ学もなく雅という言葉さえ知らぬであろうヴィルヘルムにあって尚この空間は神聖な物だった。
 唄い踊れ死者の群。かつて自分たちの繁栄と共に絶望に落とされた国が、今こうしてお前たちを同じ眼に遭わせているぞ。狂気が形を為して現れているぞ。

「ひっでえモンだ。てめえは勝ちたかったんじゃねえ。地獄を作りたかったんだろう?」

 自らが倒し、斃される為に。無限の地獄に進軍する為に。

「そうだ中尉。私はその為にここに来た。無限に亡ぼし無限に亡ぼされるのだ。
 その為に野心の昼と諦観の夜を超え、私はここに立っている」

 さあ、勝利と敗北が訪れる。我々は今童話の世界に降り立ち、神話の舞台へと盛り上げた。

 ────では、皆さま。今宵の恐怖劇 グランギニョルをご覧あれ。


     ◆


 かつてある吸血鬼が英国にやって来た。自らが渇望する一人の女性を手にする為に。
 その吸血鬼が乗り込んだ帆船は霧の中を波から波へと飛び移り、有り得ない速度で疾走した。乗組員を皆殺しにしながら……。

 そしてついに死人と棺を満載にした幽霊船はロンドンへ着港した。
 船の名はデメテル号────ロシア語でデミトリ号である。


     ◆


 そして今。かつての地獄を再来させるかの如く、赤い吸血鬼はテムズを船で乗り越える。
 戦闘によって軋み、今にも倒壊しかけたそれはさながら幽霊船。
 船の主は三日月の如くに口を歪め、深紅の瞳は喜悦に燃える。
 地獄を渡る為に、地獄の軍勢を滅する為に。
 
「かくして役者は演壇を登り、暁の惨劇 ワルプルギスは幕を上げる」

 両手を上げて笑みを浮かべ、カーテンコールの幕上げを告げる魔の指揮官。だが、そんな彼の横でこの舞台の主賓は不平を零す。

「暁だぁ?」

 一体何を言うのかと。今宵開かれるは恐怖劇 グランギニョル
 その晴れ舞台が朝日で迎える筈がなかろうと、怪物の舞台に日は昇らぬと言い放つ。
 瞬間。周囲は言い得ぬ圧力が包み込む。地獄と化した空間にあってそれを超える死の臭い。血と肉の臭気が飛空艦から溢れだし、殺意は街を覆い尽くす。
 見渡す限りに広がる地獄に、異物が目に付いた、白の法衣と頭巾をかぶり、横槍を入れて我が物顔で闊歩する神の下僕。
 ああ、邪魔だ。狂い泣き叫べ劣等共。今宵この地に神は居ない。
 目に見えぬ殺意。不可視の衝撃が彼らを穿つ。それは正しく串刺し公の業。決して瞳に映らぬ杭は彼らを穿ち、飛び散った肉片から舗装された広間にかけて、あらゆるモノを風化させた。

「ケッ……見かけだけか、クズが」

 言って、彼は舞台に踊る。間もなく訪れるであろう朝日。暁に差し掛かり夜が薄れゆく空間を、少しでも早く感じたいとばかりに宙を舞う。
 風に靡くのは白の長髪。翻る外套は黒く、魔鳥のはためきを思わせる。
 喜悦と歓喜に滲んだ瞳は紅く、サングラスに覆われていようともその異様さを知らしていた。
 この日、この夜こそ我が舞台。忘れ去られ、取り残された戦争の悪鬼。半世紀もの間、闇を駆け抜けた白いSSは、今宵その姿を曝け出す。
 活目せよ。その姿に打ち震えよ。今宵己は真祖を下し、有一無二の存在となる。
 己こそが闇の不死鳥。墓の王に仕えし獣の爪牙。
 その絶対の自負。自身の認めた黄金への忠誠を胸に抱きながら、ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイは舞台へと降り立った。


     ◇


「貴様は……」
「よぅ元気そうじゃねえか、リップバーンが世話んなったな。つってもお前は俺を知らねえか」

 傲岸にして不適。自らの親に対する発言としては不敬に過ぎるが、元より彼を縛るのは己の主たる黄金、ラインハルト・ハイドリヒのみである。

「逢いたかったぜえ。退屈してたんだ、長い事」

 来る日も来る日も焦がれていた。己は吸血鬼。闇に生きる夜の不死鳥。
 ならば己の先輩はどんなものかと、吸血鬼に焦がれたヴィルヘルムはその存在を信奉し、期待し、喰いたいと想い続けた。
 ……貴様の正体。度し難い程に低俗な姿を知るまでは。

「お前はニセモンだ」

 逢っても間もなく、自身が恋い焦がれた存在に、臆面もなくそう言い放つ。
 何だその姿は? 貴様は俺達を侮辱しているのかと。
 デイウォーカー……日の光を克服し、銀も流水も意に介さぬ無敵の存在。
 絶対的な強さを持ち、真祖と名高き伝説の吸血鬼、アーカードを前にヴィルヘルムは嚇怒の念を向けていた。

「似非野郎共がこねくり回したパチモンが……」

 日の光に背を向けた筈だろう? 夜こそが我々の領土であり世界だった筈だろう?
 なのに何故貴様は昼に立つ。何故貴様は弱点を是としない。
『怪物』なのだろう? 『伝説』なのだろう? 弱点を受け入れず、恐い物だと逃げるその姿。吸血鬼の何たるかを知らぬその矮小さ。全てが誇りを逆撫でる。

「お前は吸血鬼じゃねえ。怪物としての矜持も、美学すら置き去ったゴミの寄せ集めだ。
 アーカード? 俺が認めたのは串刺し公だ。てめえなんぞ知らねえよ」

 かつて認め、憧れた存在。彼が黄金と同胞以外に認めた真祖。近付き追い越し、喰らいたいと思った存在。憧れであったが故に穢れた姿を見るに堪えぬとの声に、アーカードは返す。

「ならばその爪牙を見せるが良い。化け物として、怪物として研ぎ上げた爪牙を以て、この心の臓腑を貫き抉れ」

 尤も────

「化物に私は殺せない。化物を殺すのは、いつだって人間だ。
 人間でなくば、ならないのだから────────────────────!!」

 それこそが全てだという様に、伝説の吸血鬼は牙を剥き、陰陽相克の二挺拳銃を構え持つ。

「かは──ッ!!」

 笑みが零れる。ああ、いいぞ。その気概、その気迫。牙の抜け、飼い慣らされた畜生では血を吸う価値など無いと踏んでいたが、そう言い切れるならば貴様はまだ怪物だ。
 故に、我が全霊を以て答えよう。

「聖槍十三騎士団黒円卓第四位、ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ。
 名乗れや、先達」
「王立国教騎士団HELLSINGゴミ処理係、吸血鬼アーカード」

 瞬間、暴虐の突風が吹き荒れる。銃口から射出される銃弾はマズルフラッシュと共に轟音を響かせ、不可視の杭は機銃掃射の如き速度で打ち出される。
 駆け抜ける暴虐の雨。だが両者は満足などしていない。これは前座。互いが互いを殺すに足ると見極める検査に他ならない。故に杭の数が万を超え、屍の上に無数の空薬莢が落ちた時、両者は唐突に立ち止まる。
 資格あり。この相手は真に迎え撃つ資格あり。

「いいぜ、来いよ。隠し玉なんぞ腐るほどあんだろう? 霧に化けろよ、使い魔を出せ。
 勿体ぶってんじゃねえ退屈させんな! くすぐり合うだけじゃプレイになりゃしねえしイけもしねえ!
 それともあれか? こっちが弾まなきゃ乗らねえってか? いいぜ、見せてやるよ」

 ドクンと、大気が悪寒を震わせる。彼の銘は串刺し公カズィクル・ベイ
 その銘の意味をここに見せよう。

「────形成イェツラー

 響く声は神託の如く。それでありながら音色は背徳的に。
 その力に宿すのは、狂気と忠誠であるが故に。
 吹き荒れる凶念の陽炎。殺意に満ちた空間に、溢れんばかりの血臭が混じる。ヴィルヘルムの全身が波打ち歪む。それはまるで、血液その物が意志を持つかのように。
 言葉と同時、その“血”が爆発した。発芽というべきなのか。人体を苗床に生える奇形の植物。
 しかし葉も無ければ花もなく、実も無ければ樹液もない。それは彼の狂気の具現。
 ただ搾取し、略奪するモノ。ソレは辺りの死骸から血液、果ては水や電力に至るまで命を吸い取り、反転する邪悪の樹クリフォトに他ならない。
 そしてソレが出現すると同時、ヴィルヘルムを中心に舗装ブロックが罅割れ、街は微かに残った灯りを消していく。
 何者にも例外はない。今宵、この恐怖劇はあらゆる存在を喰い尽くす魔の物語なのだから。

「ク……クハッ、クハハハハハハハハハハハハハハハハハ…………………!!
 楽しい、こんなに楽しいのは久しぶりだ! 貴様を分類カテゴリA以上の吸血鬼 ヴァンパイアと認識する!!」

 そして、真祖アーカードは両手を翳す。

拘束制御術式クロムウェル一号、二号、三号解放!!」

 瞬間、アーカードの身体は立体から影へと変わり、全身から浮かび上がった無数の瞳がヴィルヘルムを捕える。

「始めよう、本当の吸血鬼の闘争を…………………………………………………!!」

 ぎちぎちとアーカードの身体が軋む。肉体が溢れ、崩れ、無数の異形が零れだす。

「そうだ、そうだよそれで良い! 怪物がご丁寧に人間のままでいる必要何ざねえよなあ!!」

 バルカン砲の如く放たれた杭。それは影絵の魔物を穿ち貫き、一片の形を残さぬとばかりに砕きにかかる。
 だが。

「チィ……!!」

 影は止まらず、蠢き揺れる。影絵の魔物は確かに喰いに触れた瞬間に吸われ、存在を喰われるも際限なく溢れて迫る。
 蟲のように溢れて足元へ。猟犬のように飛び跳ね喰らいつき。人の一部となって銃爪を引く。
 個にして群。一にして全。成程確かに伝説にして真祖。如何なヴァンパイアハンターとて、この吸血鬼を前にしては敗北するしかなかっただろう。
 このヴィルヘルム・エーレンブルグを除いては。

「ああ堪んねえなオイ。楽しいか!? 楽しいだろう!! 死ぬまで続けてみてえだろう!!」

 杭を放つと同時に影へと迫り、その拳を叩き込む。喧嘩の肝は腕力と肉弾戦。
 これが舞台であるならば、華々しい戦いこそが盛り上げる。
 尤も、目の前の真祖はそういった気概を持ち得まい。アーカードはこの時を待っていた。
 命を吸う杭では満足せず、この気性の荒い存在は必ず素手で仕留めにかかると。

「やっと……捕まえた。私はお前を捕まえた」

 まるで鬼ごっこをした相手を捕まえたかのような、そんな喜悦に満ちた声をアーカードは滲ませる。
 影がヴィルヘルムの身体を伝う。それは本来ならば自殺行為。現に身体に触れた影は吸われ、数百の魂が一瞬で吸い切られている。
 だが止まらない。影は必勝を確定した。この時点で自らが勝利の布石を手にしたのだと、そう確信を得るが故に。
 
「うおおおおおおおおおおおおおおおお! てめえええァァ!!」

 気付いた時にはもう遅い。ヴィルヘルム・エーレンブルグはその瞬間、真祖に血を吸われたのだ。


     ◇


 辺り一帯を包む薔薇の園。見事としか言いようのない真紅の庭園の中央に、精巧に作られた噴水と、薔薇の敷き詰められた対象建造物シンメトリーの花壇が映る。
 鮮やかな水流はその実血液。敷き詰められた薔薇は、その噴水の血を浴びてより美しくに咲き誇っていた。
 そして、その美しくも背徳的な庭園の中央に、一人の少女の姿があった。

「────あら、おじ様、だあれ?」

 その少女は可憐にして異常。瞳の焦点は合っておらず、華の咲く様な笑顔には、微かに血のにおいが混じっていた。

「なに、君の本体であった者。と言っても判るまいが、立ち話をするような間柄ではないのでな。用件だけ済ませに来た」

 言って、男は少女の手首を掴む。一方的に、それこそ当然だという様に。

「待って! わたし、お花の手入れをしなくちゃいけないし、あの子が、ヴィルはわたしがいないと……」

 それは切実なる哀訴。彼女は自らの弟であり恋人を愛するが故に、ここに居なければならないと言い。

「なら心配は無用だ。あの男は、この私が殺すのだから」

 その瞬間、アーカードは言ってはならぬ事を口にした。

「え? 今……何て言ったの?」

 ドクン、と薔薇園が震動する。

「ねえ、いま、何て言ったの?」

 殺意が庭園を揺らしていく。だがアーカードは気付かない。なまじ強大であるが故に、この程度の、かつて自らの一部、血の一滴でしか無かったモノがヴィルヘルムの姉という形で具現化した存在など、取るに足らぬと思っている。

「殺すといった。お前も我が内に還れ、それが」

 それこそが全てだと言うアーカードの発言に、少女、ヘルガは怒りを滲ませ。

「………………さ、ない」

 その奔流を止める事など、神であろうと出来はしない。

「……ゆる、さない。ゆるさない、ゆるさないゆるさない許さない許さない許さないユルサナイユルサナイユルサナイ──────」

 愛しい者。愛した者を傷付けられた。彼からわたしを遠ざける? 愛しいあの子を殺す?
 この世界、この少女こそヴィルヘルムが駆使する聖遺物の中枢。
『闇の賜物』。串刺し公ヴラド・ツェペシュの結晶化した血液を素体としたソレがヴィルヘルムに愛され、ヴィルヘルムを愛したが故に姉の形を取っていた『闇の賜物』が、いま愛する者を救うべく絶叫した。

「────許さない、よくもォッ!
 わたしのヴィルヘルムに、手を上げたなあぁぁぁァッ!!」

 ────愛しい者 ヴィルヘルム・エーレンブルグを、勝利の高みに導く為に。


     ◇


 影が飛び退く。恐れをなして衰退する。
 ああ、確かに元はお前の一部。お前が乗っ取ろうとするのも道理。子がよその男と付き合おうとするのを認めぬ親の心境も理解できる。だが。

「俺達の間に入ってくるんじゃねえよ、間男が。口説きたけりゃ誠意を見せな」

 ああ、血が滾る。内に込み上げる愛を感じる。今この時この瞬間こそ自らの幸福を噛み締められる。
 ならば見せよう。いずれ来る夜明けなどいらぬ。日の無い世界こそ我が渇望ねがいなればこそ。
 我が覇道は────世界を犯す!

「Wo war ich schon einmal und war so selig
(かつて何処かで そしてこれほど幸福だったことがあるだろうか)」

 死と狂気。自らの内に来る愛と敵の向ける殺意アイの混濁。
 侵される焦燥と侵す歓喜。今この時より幸福な瞬間など、人生を振り返ってもそうはない。

「Wie du warst! Wie du bist! Das weis niemand, das ahnt keiner!
(あなたは素晴らしい 掛け値なしに素晴らしい しかしそれは誰も知らず また誰も気付かない)」

 周囲の位階がずれて行く。暁の昇ろうとしていた街が、闇の深淵に包まれる。

「Ich war ein Bub', da hab' ich die noch nicht gekannt.
(幼い私は まだあなたを知らなかった)
 Wer bin denn ich? Wie komm'denn ich zu ihr? Wie kommt denn sie zu mir?
(いったい私は誰なのだろう いったいどうして 私はあなたの許に来たのだろう)」

 それは己の業の打倒の為。『永遠に奪われ続ける』人生など、果たして誰が納得できよう?

「War' ich kein Mann, die Sinne mochten mir vergeh'n.
(もし私が騎士にあるまじき者ならば、このまま死んでしまいたい)」

 唯一無二の黄金への忠誠。あの人以外に、自分が破れるなどあり得ず、破れた瞬間にこそ、己が忠は瓦解する。

「Das ist ein seliger Augenblick, den will ich nie vergessen bis an meinen Tod.
(何よりも幸福なこの瞬間――私は死しても 決して忘れはしないだろうから)」

 求めた世界が産声を奏でる。歓喜を上げて誕生を待つ。そしてそれは、ヴィルヘルムのみに限った事ではなく───────

「あるじよ! 我が主人、インテグラ・ヘルシングよ!! 命令 オーダーを……!!」

 伝説の真祖もまた、自らの主の命を待つ。ああ、始めよう恐怖劇を。
 今宵、この舞台に最高の終曲フィナーレを響かせよう!

「我が下僕スレイブ! 吸血鬼アーカードよ、命令する! 掃滅せよ!!
 魔城ヴァルハラの騎士を打ち斃せ! 一木一草悉く、我々の敵を赤色に染め上げよ。見敵必殺! 見敵必殺!!
 帰還を果たせ! 幾千幾万となって帰還を果たせ! 謳え、アーカード!!」

 遥かな頭上、崩れ落ちた時計塔の頂上で、真祖の主人は高らかに命を下した。この帝都を死都へと塗り替えるために。
 死者をこの島から帰さぬ為に。

「私はヘルメス」

 紡がれる真祖の詠唱。それを見て、ヴィルヘルムはほくそ笑む。
 ああ、やはり有ったか、見せていなかったのか。お前の正体。幾百幾千の影に触れた瞬間に、貴様の本質は理解したぞ。

「Sophie, Welken Sie. Show a Corpse
(ゆえに恋人よ 枯れ落ちろ 死骸を晒せ)」

 そして一つ余さず喰われるが良い。その魂、我が糧となって共に魔城ヴァルハラへと召し上げられよう。

「Es ist was kommen und ist was g'schehn, Ich mocht Sie fragen
(何かが訪れ 何かが起こった 私はあなたに問いを投げたい)
 Darf's denn sein? Ich mocht' sie fragen: warum zittert was in mir?
(本当にこれでよいのか 私は何か過ちを犯していないか)」

 後悔など欠片もない。貴様の渇望、貴様の世界。その全てを見せつけろ。

「私は自らの羽を喰らい」

 全てを侵すその世界を、この明けぬ夜に流れ出させろ。

「Sophie, und seh' nur dich und spur' nur dich
(恋人よ 私はあなただけを見 あなただけを感じよう)」

 今この時この世界に、俺とお前以外の外敵は居ないのだから!!

「Sophie, und weis von nichts als nur: dich hab' ich lieb
(私の愛で朽ちるあなたを 私だけが知っているから)」

 ───ああ、よくもやってくれた。わたしからヴィルを奪おうなどと───

 そして愛する主の為に、『闇の賜物ヘルガ』は己の全てを捧ぐ。
 己の全てで、愛しい主を満たす為に。

「Sophie, Welken Sie
(ゆえに恋人よ 枯れ落ちろ)」

 我らの殺意 アイに散る花となれ。

「Briah───
(創造)」

 鳴動する夜気、揺らめく闇。今宵、明けぬ薔薇の夜を生み出そう!

「飼い慣らされる」

 この世の全てに、我が死を流出させる!

「Der Rosenkavalier Schwarzwald
(死森の薔薇騎士)」
拘束制御術式クロムウェル零号、解放……………………………………!!」

 夜が創造され、死が満ちる。今宵、歌劇は終局へと突き進んでいった。


     ◇


 互いの祝詞が紡がれた時、世界は奈落の地獄と化した。

「───カハッ! ハハハハハハハハハハハハ!! てめえ、そりゃあ何の冗談だ!!」

 血とは命の通貨にして魂の貨幣。命の取引の媒介物に過ぎず、血を吸う事は命の全存在を自らとする事。
 死なぬ筈だ。殺せぬ筈だ。幾千幾万の魂を啜り、例え消耗してもまた血を啜れば全てが終わる。反則にして出鱈目。究極のズル。
 だがヴィルヘルムはそんな不死性には頓着しない。彼もまた魂を喰らう事で極限まで強化した不死の兵士。例えアーカードが不死であったとしても殊更驚く事ではない。
 故に、彼が見たのはその能力の特性。殺した者を自らの戦奴とする異能。
 自らが殺し、血を吸った者を己が兵団に加え指揮する事。魔城の領主は今この時、己の城から領民を流出させたと言うその一点。
 それは正に彼の主、黄金の獣、ラインハルト・ハイドリヒ卿の創造と何ら変わらぬ物なのだから。

「最高だ真祖! てめえまさかハイドリヒ卿に喧嘩売るつもりかよ!!」

 無論そんな事を言われた所で、面識のない真祖には判らない。だが一つ判るとすれば、ヴィルヘルムという吸血鬼がアーカードの能力に似通った何かを知っていると言う事か。

「そそるぜ、堪んねえ。てめえの魔城はどれ程のもんか、たっぷり拝ませて貰おうじゃねえか!!」

 迎え撃つは死の軍団。イェニ・チェリ軍団、ワラキア公国軍、果てにはつい先ほど滅ぼしたばかりのカトリックから自らの同胞まで、ありとあらゆる死者が集っている。
 だが、彼らは忘れてはいないだろうか? 死と暴虐の串刺し公 カズィクル・ベイ。彼が創造した夜は、果たしてただの夜なのか?
 否。断じて否。
 この夜は死の世界。街路樹が、建物が、そして死者が一瞬にして灰と化す。
 ここに残れるのは歴戦の勇士にあって一握りのみ。有象無象の存在など、皆すべからく塵芥となるが良い!!

「オラオラどうしたァ! たかだか数千数万の雑兵で、俺を殺せると思ってんじゃねえだろうなァ……!!」

 死都に吼える白い吸血鬼。彼は自らの杭と爪牙で、隊伍を組みて方陣を敷きながら自身に向かう軍団を喰い殺す。
 ああ、これだ。剣と槍、そして自らの四肢で戦場を駆け抜ける栄誉。
 銃が唸り、爆撃機が飛び交い、穴倉からこそこそ隠れて狙い撃ち合う戦場ではない。
 すぐ傍で骨の砕ける音がする。ブチブチと音を立てて肉が裂け、溢れる血が迸りながらも夜に吸われて消えて行く。

「おいどうした? 感激過ぎて声もでねえか? 永遠に吸われ続けるってのはよォ」

 哄笑が止まらない。殺意が溢れる。無限に溢れる死を糧に、ヴィルヘルムは成長する。相手が弱まれば弱まる程、ヴィルヘルムは強大になっていく。
 攻と防の究極系。この薔薇の夜こそ無敵の世界なのだから。

「楽しいか? 吸血鬼」

 そんな彼に、真祖は優しく微笑みかける。蓄えた髭、肩まで伸びる髪と、煤けた全身鎧を纏った男は、先程戦った真祖とは似ても似つかない。
 ああ、これこそ真の串刺し公ヴラド・ツェペシュ。己が恋い焦がれた夢の残滓。その存在になりたいと夢追い駆けた己の理想。

「ああ、ガラにもなく思っちまった。カール・クラフトのクソ野郎みてえにな……今が永遠に続けばいいってよぉ」

 それは紛れもない本心。明けぬ夜に永遠の闘争を求める装飾なき自己の内部の叫び。それを前に、串刺し公ヴラド・ツェペシュは、そうかと頷き、

「では、これはどうだ」

 突如、上空から放たれた銃弾が、肩を掠めた。

「てめえ……」

 倒壊しかけたビルの屋上。其処にかつての同胞を見る。魔の猟師、リップバーン・ウィンクル中尉。

「おう、中尉。随分良い女になったじゃねえか」

 ぎらついた瞳は獰猛にその視線は射殺すように。ああいいぞ、昔のお前はどうしようもない臆病者だったが、今のお前なら啜ってやれる。
 一滴も残らず絞り取りたい。
 そんな事を考えて居るさ中、横合いから無数のトランプが我が身を斬り裂きに迫り来る。
 常人なら必死。そのトランプはかのアーカードをしても癒えぬ傷を与えた聖遺物もどき。
 だが。

「甘え」

 そのトランプを無数の杭が叩き落とし、のみならず使い手さえも仕留めた。

「トバルカイン。てめえにゃギャンブルで散々世話んなったな」

 お前と繰り出して行った売春窟での酒は中々に良かったよ。

「ああ、それから」

 忘れていたとばかりに地を蹴り、遥か上空へと飛翔する。それは重力を置き去りにした行為。物理現象さえ無視する所業でありながら、当然だと言わんばかりに優雅に屋上へと着地し、

「あばよ、中尉」

 その一撃で首を刎ねようとした所で、

「何処を見ている?」
「クソがぁ!!」

 後ろに迫る、アーカードと激突した。後ろに居たリップバーン中尉の姿は既にない。おそらく、分が悪いと見て真祖が取り込んだのだろう。
 またか、また欲しい者は奪われるのかと、喜悦から嚇怒の念に意識を切り替え、殺してでも女を奪うと鉤爪を揮うも、アーカードの手にした剣が、その鉤爪を打ち払う。

「見事だ。我が宿敵」
「殺せたって面してんじゃねえよ、真祖」

 次いで吹き荒れる暴風。重力という軛を無視した攻防は両者を果てなき闘争に迎え、地獄は最後の審判の日まで続くかと思われた。
 いや、続けるのだ! 奪われ続ける事に終止符を! この戦いに勝利を以て幕を下ろすと、そう意思を込めて薔薇の夜を最大にまで高める。

「グッ……」
「どうよ真祖。そろそろ血が恋しくなってきたんじゃねえか?」

 既に死都と化した地。辛うじて残った肉片や僅かな血は、既にこの場から遠く離れた場所にあるのみだ。そういう風に戦ったのだ。
 決定的な反撃の隙、回復する為の準備。相手が真祖であり血を吸う事で不死性を手にするのなら、そうさせなければ良いだけの事。
 ヴィルヘルムは知性無き化物ではなく軍人。自らは死なず、他者を死なせる事に特化した存在。
 臆病とは言うなかれ。これは美学。戦場に生きる者として、この程度の事で不覚を取るならば、所詮それまでの相手だったと言うだけに過ぎないのだ。
 そして、当然ながら軍配は白の吸血鬼に上がる。燃料の切れかけた存在で剣を振ろうと所詮児戯。己を殺したいのなら、せめて回復してからにすれば良い物を。
 無造作に振り降ろした拳が、アーカードを遥か下の地上に叩き落とす。それと同時、ヴィルヘルムもまた空中で体勢を立て直し、地上へ向かう。
 往生際も悪く水流操作で血液を運んでいるようだが、それも己の一撃で有れば魂ごと散華させられる。
 ああ、楽しかったぞ。この上なく憎らしく、そして繰り返したくなる時だった。
 貴様に変わり、唯一無二の真祖として君臨しよう。故、伝説よ。安らかに眠れ、この夜に君臨する闇の不死鳥はただ一人在れば良い。

 ────怨敵 こいびとよ、我が殺意 アイに朽ちる薔薇となれ。

 決定した勝利。止めとばかりに極大の杭を、餞別とばかりにヴィルヘルムは真祖に放つ。
 そしてその杭は過たず真祖の心臓を貫こうとし────

 ────その瞬間、有り得ない事が起こった。


     ◇


「な……」
「ん、だとぉ………………!?」

 放った筈の杭が真祖をすり抜ける。有り得ない。何百何千の怨念を積み上げ、己の中での最大最高の一撃を通過するなどと、あの一撃を受ければ、黒円卓の大隊長とて無傷では済まぬ筈なのに、と。
 そして、その疑問はアーカードも同じ。確かに今自分は死の気配を感じ取った筈なのに、と。
 両者が疑問を抱く中、帝都全体を飛空艦の無線が響く。

『人生は歩きまわる影に過ぎぬ、消えろ消えろ短い蝋燭』

 その声は知っている。つい先ほど、この夢のような舞台に招待した男の声だったから。

「少佐──────! てめえ、俺を謀りやがったなぁ!!」

 一体どういう事だ! どういう了見で俺の聖戦に踏み込みやがった!

『中尉、私は君を謀ってなど居ない。
 アーカードから聞かなかったかね? 化物は人間にしか斃せないと』

 つまりこれはそういう事なのだと、至極簡単な事だろうと少佐は語る。

『シュレディンガー准尉……君も知る自らを自己観測する“シュレディンガーの猫”、存在自体があやふやな彼の魂とアーカードを同化させた。
 アーカードはもう自分で自分を認識できない。最早彼は虚数の塊だ』
「てめえ……!!」

 聞きたいのはそういう事ではない。一体どうしてこれを行ったかを聞いているのだ!!

『君は覚えているかね? 1945年、5月1日───ドイツ、ベルリン。
 ラインハルト・ハイドリヒが黄金練成を行い、ベルリンを死の都市にしたあの日だ』

 本当に遠く、長かったと。過去を慈しみ、同時に何処か吐き捨てる様な口調で少佐は語る。


     ◆


 1945年、5月1日───ドイツ、ベルリン。
 ソビエト連邦の赤軍50万によるドイツ市民の大虐殺。包囲されたベルリンは風前の灯であり、女子供は犯され、兵と男は鏖殺される一つの地獄。
 有り触れた勝者のもたらす悲劇に、私はただ歯を噛み締め、そして本当の地獄を見た。
 白、黒、赤……死んだ筈の三名の士官が黒円卓の腕章を腕に付け、自分たちを圧倒した筈の兵を次々と殺して行く。
 それは悪夢か、英雄譚か、それとも夢だったのかと当時の私は思っていた。

 そんなものが匙に思える地獄を……私は見てしまったから。

 赤い、赤い、血と炎に染められた空に、黄金の獣が君臨していた。
 獣は市民へと語りかける。この敗北を覆したいかと。勝利を求めるのか否かを。
 勝利したくば、我が軍団レギオンに加われと。

 そして……その悪魔の声に、市民は挙って頷いた。

 銃を持つ者は銃を口に。
 刃物を持つ者はそれを胸に。
 何も持たぬ者は火の中に。
 撃ち、刺し、飛び込み、自殺する。

 これが地獄でなくて何なのか? 愛すべき民だと、護るべき同胞だと自ら言っておきながら、それを壊す事を愛だとぬかす。
 ああ……それは歓喜であり祝福であり、幸福なのだろう。
 他者と己を一つとし、不滅の軍団レギオンとして世界に進軍する。
 きっとそれは素晴らしいのだろう。だが、冗談じゃない。真っ平御免だね。
 俺の物は俺の物だ。血液一滴から毛筋の一本に至るまで。
 確かにお前たちは羨ましい。眩しく思えるし、それはとても楽な選択だ。
 全て強者に任せればいいのだからな。だが駄目だ。私は私だ。
 永久に戦奴として無限に戦うのはいい。だが、勝つまで他者に依存しながら無限に戦い続けるなど、冗談ではないのだから。


     ◆


『だからこそ私はあの日、あの地獄から抜け出したのだ。
 お前たち黒円卓も、吸血鬼アーカードも認めない。他者を取り込み喰い散らかす事でしか生きていけないお前たちと私は違う。
 私は何もない人間だ。だからこそ他者に依存しなくてはならない、お前たちのような弱い化物を否定する。私が私である為に!
 私が私で在り続けた証明として私はアーカードを倒し、お前を出しぬいたのだ、中尉』
「ざけんなァ────────!!」

 良いだろう、其処で待っていろ少佐、化け物が人間に勝てぬと言うなら、この手で貴様の息の根を止めてくれる!!

『残念だが時間切れだ、中尉。何故ならアーカードを斃すのが私であり、私はHELLSINGに斃されるのだから。
 勝利と死……それが戦場の全てだ。Auf Wiederseh'n.ヴィルヘルム・エーレンブルグ中尉。君が人間であったなら、勝者は……』

 途切れた声と共に銃声が響く。無線に響いたその音はあまりにも呆気なく、しかし“人間”少佐が死ぬには充分だった。
 それを最後に、飛空艦は炎上し、爆発した。もう何も残らない。
 このロンドンには敗北者と生者のみが残り、明確な勝者は死者となって消えて行った。


     ◇


「クソが……」

 創造が解かれると共に暁が辺りを包むも、それを一度として見る事もなく、ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイは背を向ける。
 己は闇の不死鳥。日の光に背を向けし唯一無二の真祖なればこそ、最早ここに用はない。

 結局、彼はまた奪われ続けた。真祖の打倒も、気に入った女を取り込む事も出来ず、千か万かの雑魂を己が内に取り込んだだけ。
 真に欲しかったモノは、全てこの手を掠めて行った。
 だが、ここでは終わらない。いつの日か必ず、己が宿業を超えて見せると。

 そう決意と共に拳を握り、暁の世界を後にした。




     ×××


あとがき

 初めての方は初めまして。そうでない方はお久しぶりです。c.m.です。
 今回は私的神作品であるDiesとHELLSINGのクロスオーバーを書かせて頂いたのですが、この物語は少佐とベイ中尉が主役になります。
 個人的に二人とも作者の大好きなキャラなのですが、個性の強いキャラなので上手くキャラを書き切れているかが正直不安の残る所です。

 本当はちゃんとアーカードとの決着をつけさせたかったのですが、奪われ続けるのがベイ中尉だと思うのでこうしました。
 リップバーンを殺せなかったのも同様の理由……非モテの哀愁が切ない。
 ヘルガ姉さんは是非ベイを慰めてやって欲しい。

 あと、これは余談ですが次あたり短編を書くとしたらペンウッド卿を無双させたいと思っていたり。
 まあ書くとしても当分先の事になりそうですが。

 それではまたどこかで、お会いしましょう。失礼致します。




[24770] 【短編】【一発ネタ】英国の守護神(HELLSING)
Name: c.m.◆71846620 ID:131713d8
Date: 2010/12/11 03:33
 良い剣筋です……また上達された。まるで貴方のおじいさまの様な……。
 え? どんな方だったか?

 ええ、忘れもしませんよ。貴方のおじいさまは─────────────


     ◆


 それは突然だった。少なくとも、その日のロンドンの夜はいつもと変わらぬ喧噪を見せ、帝都には幾万もの市民が日常の生を謳歌していた。

 ……あの狂った戦争の残滓が現れるまで。

『最後の大隊』。かつてドイツ第三帝国の手によって作られる筈であった吸血鬼による戦闘集団。
 大戦期においてはその製造が間に合わず、不完全な吸血鬼達も又、当時の英国の対化物部隊HELLSINGの手によって壊滅。事実上消滅したかに思われた。
 そう。消滅した筈だったのだ。あの大戦に英国は勝利し、第三帝国は滅んだ。
 それが表であろうと裏の者だろうと関係ない。勝利者は自分たちの平和を信じて疑わず、自らの手で安寧を勝ち取ったと過信した。
 いや、そう信じたかったのだろう。もう自分たちを脅かすモノは何もない。降りかかる火の粉を振り払い、長き戦いを乗り切ったのだと。そう信じたかったからこそ、彼らはその存在を見過ごした。
 奴らがどれ程往生際が悪く、諦めの悪い存在かを理解していなかった。
 その猛執も、執念も、彼らが勝者であるからこそ判らない。敗者の惨めさも、失い敗北し続けた苦衷も勝利者には判らない。
 ああ、だからこそ彼らは奴らの存在を見逃した。
 闇から闇に葬ったと思っていた者達は、そう信じて疑わなかった者たちは、より深き闇から真に地獄の戦奴として訪れた。
 鋼鉄の騎士団、ジークフリートの再来。狂気と闘争の権化として、かつて欧州全土を包むローゲとして君臨した不死の戦団。
 黒と銀に彩られた髑髏の軍団。

 ────最後の大隊ラスト・バタリオンは、再び現れたのだ。


     ◇


 ああ、ぬるま湯に浸っ愚物共。我々は遂に帰って来たぞ。
 この世の全てを灰に帰すため。終わらぬ闘争を、かつて見続けた地獄の残滓を追い求めて。
 我々を忘却の彼方へ追いやった者たちよ。今この時我々は進軍する。終わりの始まりに向かい、敗北と勝利を手にする為に。

 ────その為だけに最後の大隊われわれは、蘇ったのだ。


     ◇


 そうして彼らは、そのツケを今ここで払わされた。念入りに潰しておけば良かった。もっと早く気付けば良かった。そんな言い訳は通用しない。
 者皆全てが血に染まる。愛しい者も、憎かった者も、全てが血と肉の集まりとなる。
 それを理解していたが故に、英国海軍中将、シェルビー・M・ペンウッドは奥歯を噛み締める。
 英国安全保障特別指導部・本営。本来、英国の危機に備え行動するべき軍の司令部に、似つかわしくない者が二名ほど存在した。
 王立国教騎士団HELLSING。対化物に特化した組織。埒外の狂気と非現実的な脅威に対抗する為に造られた組織。
 その長である女性……インテグラ・ヘルシングと執事、ウォルター・C・ドルネーズの二名。
 彼らがここに居る時点で、ペンウッドに出番はない。彼はあくまでも常識の範疇での戦いの専門家であり、化物の相手には特化していない。
 そう。特化などしていない。彼は人間として昇りつめ、人間として鍛え上げ、人間としての強さを掴んだ。
 だからこそ……。

「ペンウッド卿。ここは危険です、すぐに避難を」

 同じ英国を護る同志として円卓に集ったインテグラにその言葉を言われたからこそ、彼は己の無力さに奥歯を噛み締めた。
 確かにその通りなのかもしれない。ペンウッドは常識という存在から英国を護り、英国の為に動く者だ。
 だからこそ、彼の出番はここで終わり。異常には異常を。非常識には非常識で対応しなくてはならない。その為にこそ専門家は存在する。
 誰しもが平等に一つの舞台に立てる筈もないのだ。だが……。

「それは出来ない、出来んのだ……インテグラ卿」

 既に政府中央司令部のみならず、各基地や艦との通信は途絶えた。英国には無数の吸血鬼が、髑髏の集団が訪れる。だからこそ。

「ここを────この国から離れる事など、私には出来ん」

 その言葉と共に警報が鳴り響く。爆破されたドアと、押し寄せる武装集団。
 そして、彼の部下達もまた、吸血鬼に与していた。

「中佐……」
「言わずとも判るでしょう? ペンウッド卿。ああ……吸血鬼とは実に素晴らしい」

 人間としては有り得ぬ程に発達した犬歯を覗かせ、かつての部下はそう語る。

「そうかね……中佐、君は今でも私の部下だ。無能な私に、よくここまで付いて来てくれたね」

 普通に考えれば、それは命乞いかと思うだろう。或いはそれこそがペンウッド卿の人柄であり、彼なりの遺言だとばかり、インテグラ達も含むこの場の者たちは考えた。
 だが。

「────赦せとは言わん。さらばだ、友であり部下よ」

 その瞬間。弧を描くように白銀が煌めいた。何時までも形の残るような鮮やかな刃の軌道。
 それを、この場に居た者の何人が捉える事が出来ただろう?
 芸術的なまでの煌めきは死を撒き散らす死神の鎌に他ならず、その軌跡に触れた者は皆すべからく死を与えられる。
 痛みさえ無い。斬られた者さえ理解出来ない程の鮮やかな太刀筋。しかしその正体は凡庸な物。人間として昇りつめ、人間として鍛え上げ、人間としての強さを掴んだ者が手にした力だった。

「すまんな……君も、私を怨んでくれて構わん。インテグラ卿」
「……何故、です!? ペンウッド卿!!」

 片目を押さえながら猜疑の念を向けるインテグラ。当然だ。ペンウッドは裏切り者のみならず、彼女の片目までも斬っていたのだから。
 ……他ならぬ、彼女の剣を使って。

「ペンウッド卿! これは冗談ではすまされませんぞ!!」
「……その傷では前線に出る事は無理だろう。ウォルター、君の主を傷付けた者の言える事ではないが、彼女を頼む。
 ドーヴァー要塞ならアイランズ卿やウォルズ卿が居られる筈だ。そして彼らなら先を見越した対策も立てている筈だ。
 彼らと合流し、速やかに英国を救ってくれ」
「出来ません! 貴方はどうするのです!?」

 残るべきは我々の筈だ。去るべきは貴方達の筈だと、そうインテグラが口にするも、馬耳東風とばかりに聞き流す。

「インテグラ卿……君には生きて貰わなくてはならない。君が居なくなれば、今回のような事態に誰が対応するのかね?
 これから先、同じような悲劇を繰り返してはならない。一家が機関を統率する時代は終わったのだと……私は骨身に沁みて痛感したよ。だからこそ、君には生きて欲しいのだ」

 ────もう二度とこんな事が起きないよう、新たな目を育んで欲しいと。そう言い残し、ペンウッドは扉を指さす。

「お前達もだ。ここの機能は完全に失われた。だからこそ、私は最後の命令を下す」

 辺りを見回せば、己の見知った部下たち。誰もかもが自分よりも優秀で、そして素晴らしい軍人だ。だからこそ。

「インテグラ卿を護衛しろ。決して立ち止まらず、この帝都からドーヴァー要塞へと送り届けるのだ。
 ────それが、私からの最後の命令だ」

 ここで彼らを死なせる事は、絶対に出来なかった。

「行きなさい。行ってくれ、皆。行くんだ、インテグラ。
 君達は生き残って伝えるんだ。新たな芽を育てるんだ。それが、君達の仕事つとめなんだ」

 そうして、僅かばかりの沈黙の後、インテグラは立ち上がる。片目の傷を覆うともせず、ゆったりと気品のある動作で葉巻を口に咥えると、懐から一挺の拳銃と弾層を机に置く。

「法儀済みの粒化銀弾頭が入っています。ただの鉄より連中には効果的でしょう。
 ……御武運を、ペンウッド卿」
「ああ────そして君もな、インテグラ卿」

 互いが笑みを浮かべ、それぞれの道を行く。
 生き延びる為に。
 戦う為に。
 そして────己の仕事つとめを全うする為に。


     ◇


 焼け落ちた帝都に、幾つもの屍の呻き声が木霊する。まるで安物のホラー映画。
 ただ一つ違う所があるとすれば、彼らは現実の存在であり、平和を謳歌する市民であったと言う事だ。

「ウォルター……本部へ帰るぞ、全速力でだ!」

 それは明らかに先程とは違う会話。ここから抜け出すよう言われたインテグラが、今は真っ直ぐに敵を倒すべく向かっている。
 だが、それは彼女に限った事ではない。既に人気の無くなった本部にはペンウッドの部下が再度集結し、通信の回復と生還者の救助に向かっていたのだから。

 そう────彼らは誰も逃げ出さない。決して、絶対に。

 己の仕事つとめを、全うする為に。
 英国を護るという、唯一の仕事つとめを果たす為に。


     ◇


「馬鹿者ども……」

 そして、そんな彼らを、ペンウッドは一人遠くから見つめていた。
 ああ、こうなる事は判っていたのだ。彼らは皆誇り高き騎士であり、救国を胸に抱く勇士。であれば、自分達だけが逃げ出す事など、万に一つも有り得ない事だった。

 ────ならば、私は私の仕事つとめを果たそう。

 振り返った先に映るのは、己を取り囲む緑灰色の軍勢。死と狂気に満ちた吸血鬼、『最後の大隊』の隊員に他ならない。

「やはり英国人ライミーには荷が重かったか」

 おそらくはこの場の隊長であろう男がそれを口にする。彼らの手には、既にコックを引かれたシュマイザーや、担がれたパンツァーファウスト。
 一介の軍人さえ手にすれば人一人は容易く殺せるであろう武装が、数十の吸血鬼によって握られ、その殺意は余すところなくペンウッドへと向けられていた。

「彼らを……私の部下を侮辱するな、来い吸血鬼共!!」

 獅子吼と共にペンウッドはサーベルを構え、己が身一つで突貫する。
 それは通常であれば自殺行為。吸血鬼である彼らを以てしても、自分が相手ならばこのような愚行は犯さぬであろう。
 故に彼らは哄笑と共に銃爪を引き、砲火を浴びせる。
 取るに足らぬ猪武者だと、家柄だけで上がって来た詰まらぬ将校だと、そうペンウッドを罵倒しながら跡形もなく消し飛ばした。
 否、消し飛ばした筈だった。

「な……」

 爆発と衝撃で撒き上がった土煙が晴れると同時、隊長格の男の首が血飛沫と共に宙を舞い、のみならず前線の兵の身体が縦に爆ぜ割れた。

「にぃぃぃ……………………!?」

 驚愕と困惑の伝播。まるで悪夢か何かを見たのかと彼らは自身の眼を疑ったに違いない。
 当然だ。ペンウッドはあくまでも人間でありその域を出る者ではない。
 彼らと同じ吸血鬼でも無ければヴァチカン13課のアンデルセンのように何らかの改造を施されている訳でもない。
 だからこそ、彼らは己の眼を疑う。一体何故!? どうして自分達がただの人間に後れを取るのかと。
 しかし、その疑問も次の一言で氷解する。

「人間だからだ」

 言葉と共に、左手の剣で十の兵士が胴を横薙ぎに切断され、

「化物を斃すのは、人間でなくてはならない」

 その背後の兵は、右手の銃で心臓を貫かれた。

「人間でなければ、ならないからだ」

 己を囲んでいた兵を一掃した後、虚空を見上げる。先程から己を監視していた視線。
 その存在を射抜くように。

「13課の人間だろう? 姿を見せろ」

 言葉と共に、聖書の頁が吹き荒れる。
 この裏の世界において、決して知らぬ者はいないであろう存在。『銃剣』『天使の塵』『殺し屋』『斬首判事』『再生者』『聖堂騎士パラディン』……数多くの異名を持つ神父。
 名を─────

「……アンデルセン」
「ほう……貴様の様な骨のある男がまだ英国に居たか。
 それでこそ、我々の怨敵にして宿敵たる資格があるというものよ」
「ならどうする? ここで戦うかね? 私と」

 かちゃりと、サーベルの柄を握り直し、ペンウッドは問う。
 一触即発の空気であり、ともすればこれからの一挙一動で火薬庫に火を投げ入れるかのような激闘が繰り広げられるかと思いきや、アンデルセンはくつくつと、より深く傲岸な笑みを見せるに留まった。

「……貴様を斃すのも良いが、HELLSINGを動く死体に取られる訳にも行かん。
 あれを倒して良いのは我々だけだ!! 誰にも邪魔はさせん、誰にもだ!!」

 言って、アンデルセンは踵を返す。おそらくペンウッド自体は興味本位で見に来ただけであり、本来の監視目標はHELLSINGなのだろうと、そう考えペンウッドもまたその場を後にした。

 ……そう遠くない内に、再び相見える事をお互いが気付かないまま。


     ◇


 一体何時までそうしていたのか。背後に広がるのは吸血鬼の屍。本来であればその一体一体が一騎当千の怪物であるにも拘らず、その全てがただ一振りの剣によって絶命し、その全てが驚愕に目を見開いたまま絶命していた。
 尤も、だからと言って小休止などしては居られない。生き残った僅かばかりの市民を倒壊していないビルなど、比較的安全な場所へ移動したり、警官達に怪我人を運ばせたりといった措置を取らせなければならない。
 そして、ようやく暁が訪れる。吸血鬼にとって太陽は天敵だが、奴らはそれに備えた準備もしてくる事だろう。
 だからこそペンウッドは、遥か高みより顕れた無数のヘリを見やる。
 明らかに民間機とは違うその威容。無数のライトの光芒が闇を切り裂き、機銃やロケット砲が一つ余さず地上へと向けられていた。

「……全員伏せろ!!」

 ペンウッドが叫ぶと同時、無数の弾雨と砲火の地獄が吹き荒れる。
 地獄の夜は終わらない。敵は最後の大隊のみならず、化かし合いとはいえ一応の共同戦線を張っていた筈のヴァチカンさえ裏切った。
 だが、その事に対してペンウッドは呪詛の言葉を撒き散らすには至らない。戦において騙撃・裏切りは当たり前。それどころか元が敵同士であった事を考えれば、称賛さえされるだろう。
 故に。

「貴様らが討たれる事も、弁えているのだろう?」

 剣を構える。目の前には隊伍を組み、方陣を布きながら迫る騎士団。攻撃ヘリと共に輸送機によって運ばれてきた彼らに不退転の覚悟を以て立ち向かう。
 己の後ろには市民が居る。未だ通信の回復を図る部下がいる。状況の打破を望むHELLSINGが居る。
 充分だ。意味や意義などそれで充分すぎるのだと、ペンウッドは口元を三日月に歪めながら、一人戦場を駆けた。


     ◇


「ハハハハハハハハハッハッハハハ!! 被告『英国』! 被告『化物』! お前たちは哀れだ! だが許さぬ!!」

 罪人よ、実を結ばぬ烈花のように死ね。蝶のように舞い蜂のように死ね。
 お前たちは異教徒である限り罪人にして家畜以下の死刑囚なのだと、狂気と嘲笑の混じった声でマクスウェル大司教は告げる。

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……!!
 これが我々の、ヴァチカンの力だ! 虫けら共、哀れな連中よ! 死んだプロテスタントだけが良いプロテスタントだ!!」

 未来永劫死に絶えろ。貴様らは罪人である限り我らが裁く。異教徒よ、鮮烈にして壮烈にして凄絶なる死を配ろう。
 我らは死の天使であり裁判者なのだから。

 自らこそ神に仕えていると信じてやまぬ狂信者。故にマクスウェルには判らない。
 気付いてさえいない。自らが仕えているのは神でなく、神の力なのだという事を。

 故に……。

「ありえないアリエナイ有り得ない………………!!
 何だこの報告は!? 信仰心があるなら原因をさっさと付きとめろ!!」

 第九次十字軍……総勢一六〇〇名死亡。うち『クールランテ剣の友修道騎士会』、『カラトラバ・ラ・ヌエバ騎士団』、『聖ステパノ騎士団トスカナ軍団』は全滅。
『マルタ騎士団』は各分隊長の死亡により指揮系統が乱れた状態で、『最後の大隊』との交戦中。

 ……神はその勝利を、彼らに齎す事は無かった。

「ふざけるな……フザケルナフザケルナフザケルナ………………!!
 アーカードが居る訳ではないだろう!! 奴らの、プロテスタントの豚どもの何処にそんな戦力がある!!」

 口角泡を飛ばしながら無線に怒鳴るも、それと同時に自らを護衛していた武装ヘリが爆破される。

「ナチ共か!!」

 先程の爆発はパンツァーファウスト。ならばまず奴らを殲滅するべきかとマクスウェルは考え、弾道の先に視線を向けた所で。

「な……」

 吸血鬼から鹵獲したパンツァーファウストを、こちらに向けるペンウッドの視線と交差した。

「……莫迦な!!」

 貴様が、貴様だというのか!! あのロンドンの王室別邸で出逢った将校風情が、我々を……。

「さらばだ。狂信者」

 言葉と共に放たれるパンツァーファウスト。回避など間に合う筈もない。
 死の槍は真っ直ぐに突き進み、マクスウェルの乗るヘリを爆破した。


     ◇


「あ……ぐ、いやだ。俺は、こんな所で死ぬのか。
 先生……アンデルセン先生。どう、して…………………」

 地に落ち、無数のガラス片の突き刺さった状態で地を這いながら、マクスウェルは息絶えた。
 その手に、幼いころに過ごした神父の裾を握りながら。

「馬鹿だよ、お前……大馬鹿野郎が」

 ただ一度も亡骸と目を合わす事も無く、アンデルセンは膝に乗せたマクスウェルの瞼を下ろして立ち上がる。

「アンデルセンより全武装神父隊に告げる。第九次十字軍遠征は失敗。事実上の壊滅だ。
 ヴァチカンへ帰還し、未来永劫法皇とカトリックを護れ」

 其処まで言って無線を切る。これより先は己の私闘。相も変わらず泣き虫で意気地のない馬鹿を……マクスウェルの元へ行ってやらねば、どうしてあの大馬鹿者を救えよう?
 ああ、救ってやらねばならぬ。寂しい想いをさせぬ様、友と呼べる者が無く、一人ぼっちで居る事を許容したあの大馬鹿者の元へ自分が行かずに、果たして誰が傍に居てやれるというのだ。

「そうだろう? ペンウッドよ」
「アンデルセン……」

 再会と呼ぶにはあまりにも早い時間に、再び二人は相見える。
 片や、両手に銃剣バヨネットを。
 片や、右手に銃を左手にサーベルを。
 それぞれが武器を手に、相見えた。

 許してくれ、悪かった。そんな言葉は両者の間には存在しない。

 だってそれぞれが自分の大切なモノを奪われたから。
 愛する民を。
 愛する生徒を。
 無論、だからと言ってお相子だ、などという選択はない。倒さねばならぬ。乗り越えねばならぬ。
 その先にあるモノを、どちらも手にする為に。

 そうして、戦いの鐘が鳴り響いた。


     ◇


 飛び交う銃剣を銃弾が叩き落とすと同時、その隙間を掻い潜るように疾駆する神父とペンウッドの剣が交差し火花を散らす。

「シィィィ!!」
「ハッ……!!」

 鍔競り合いに持ち込まれ、僅かばかりアンデルセンの膂力が勝ったと判った時、ペンウッドは彼を蹴り飛ばし、同時に三発の銃弾を叩き込んで弾層を入れ替えた。

「見事だ将軍」
「見事だ神父」

 この戦いにおける賛辞を。躍動感など欠片も無く、互いが失った者のために下らない争いをしているだけ。
 しかし、だからこそ彼らは引く事は出来ない。己が失った者、失わせてしまった者の為に、ここで引く事だけは如何しても出来なかったから。
 だからそう。もし賛辞を送るとすればその在り方。失った者、掛け替えの無かった者を真に愛していたというその行動にこそ、両者は賛辞を送るのだ。

 そして両者はただ駆ける。前へ、前へ、前へ……!!

 己の全力を以て迎え撃て。
 己の全力を以て相手取れ。

 それが、それこそが亡き者たちへの鎮魂歌。涙を以て死を悼むのでなく、行動によって彼らを高みへと導くのだ。
 私は貴方達を愛したと、これ程鮮烈にして壮烈にして凄絶に、私達は貴方達を愛したと。
 その愛に報いる為に、我々はこうして戦うのだ。
 永劫に、永遠に。那由他の彼方まで駆けて行こう!!
 互いが全力にして全霊。もし勝敗が付くのなら、それは両者に何らかの違いがあるだけであり、

 その違いがあったからこそ────この戦いは、幕を下ろした。



     ◇


「ぐ……」

 四肢の全てを根から奪われ、アンデルセンは地に転がる。彼の再生能力を以てすれば三分もあれば回復できる。
 尤も、その三分さえあればペンウッドは敵の本陣に斬り込みをかけるなど造作もないだろうが。

「何故殺さん……俺はカトリックだぞ? 貴様らプロテスタントの、英国の怨敵だぞ」

 情けなどかけてくれるなと、怒りの中に何処か懇願する様な音色を混ぜながら、アンデルセンは問いを投げた。

「そうしても良いが……君が居なくなれば、君を待つ子が泣いてしまう。
 親を失う愛児の顔など、私は見たくないのだ……」

 言って、ペンウッドはアンデルセンの後方を見やる。修道服を纏った者の、その一人一人が汗を滲ませ、こちらへと向かってきていた。

「この……大馬鹿野郎共」

 どうして戻らなかった。帰らなかったのだ? ヴァチカンを護れと、未来永劫カトリックを護れと、そう言った筈なのに……。

「このままヴァチカンに帰ったら……ここで貴方を失ったら、私達はイスカリオテの13課ユダでは無くなってしまう。ただの糞尿と血の詰まった肉の袋になってしまう」

 私達は、貴方を愛していたのだからと。そう誰もが瞳で訴える。ここに集う誰もがアンデルセンに育てられ、育まれてきた愛児達だった。
 ああ……そうだ。これなのだ。アンデルセンが負け、ペンウッドが勝った理由。
 失った者だけを見てしまった者と、これ以上失わせないようにと行動した人間。
 どちらもが正しく、そして悲しいだけの戦いは、だけどその違いによって勝敗が変わってしまった。
 違いがあるとするならば、それはその一点だけだったのだ。

「マクスウェルの亡骸は持って帰れ。この地で弔った所でカトリックには土が合うまい」
「……礼は言わんぞ?」

 構わんよ、と。まるで応年来の友に語りかける様な口調でペンウッドは応えた。
 そうして彼ら、イスカリオテの面々は物言わぬマクスウェルに十字を切る。
 幼少期、妾の子であるが故に捨てられ、流れ着いた孤児院で友などいらぬと、誰もかもを偉くなって見返すと、そう言っていたあの頃の少年に、彼らは静かに祈るのだ。
 ここに居る誰もが、友として貴方を見ていたと。決して貴方は一人では無かったのだとそう告げる様に祈るのだ。

 ────Amen.

彼らと共に十字を切り、ペンウッドは踵を返そうとしたところで。

「くだらん。人は死ねばゴミとなる」

『死神』が、絶望をもたらした。


     ◇


「人が死ねばゴミとなる。そうだろう? ペンウッド卿」

 暁の廃墟。死者の積み上がった死都に、死神は降り立つ。
 マクスウェルの亡骸を駒切りにし、その身を踵で磨り潰しながら。

「ウォルター……ウォルターなのか……?」

 鷲鼻やモノクル、服装などは確かにウォルターと一致するものの、ペンウッドは信じられないといった瞳でその姿を見やる。
 当然だ。何故なら今の彼は全盛の姿を保っていたのだから。

「だったらどうしたのです? 私が奴らに捕えられ、吸血鬼にさせられ、洗脳されて無理やり戦わされていると、そう言えば満足ですか?」
「いや……」

 思えば前から嫌な予感はあったのだ。インテグラが幼いながらに家督を継ぐ段になった時、彼女の父であるアーサーの弟が危険だと真っ先に忠告したにもかかわらず、インテグラは窮地に陥り、結果アーカードを復活させた。
 その時、この男は何処に居た? 何故インテグラを護らなかった?
 その答えがこれだ。一体何時からそうだったのかは判らない。だが、この男は少なくともアーカードを復活させる段から裏切っていたのだと、そうペンウッドは理解し、納得した。

「君が何故裏切ったのか、そんな事は私にはどうでも良い。しかし感謝している。
 こうして君が私の目の前に現れてくれた事を」

 ────インテグラの前に、その姿で現れなかった事を。

「イスカリオテ。君達には悪いが、これは英国の問題だ」

 言葉と共に、サーベルで石畳を横一文字に斬りつけた。その線よりこちらに来れば殺すと、そう言外に告げる。

「君を止めよう。円卓の一員として」

 ────この国を護る者として、と。そう告げようとした所で。

「いいえ。ペンウッド卿、彼の相手は私がしなくてはなりません」

 この場に、最も現れて欲しくない者が現れた。

「……インテグラ」
「ペンウッド卿、ここは私とセラス・ヴィクトリアが引き受けます。
 これは、私の責任なのだから」

 握りしめた拳。手袋から血が滲み、奥歯が砕ける程きつく噛み締めながら、しかしインテグラは前を向く。
 決して目を逸らさない。逸らしてはいけない。

「何があったとは聞かない。私はお前を倒す……徒為す者は、討たなくてはならない。
 たとえそれが、お前であっても……!!」

 今にも泣きそうな顔で、インテグラは決意を露わす。そして、その横で吸血鬼であり彼女の部下であるセラスもまた、一歩前に出る。

「ペンウッドさん、征って下さい。行って、終わらせて下さい」

 ここは私達が引き受けますから、と。そうセラスもまた泣きそうな顔で、ペンウッドの背中を押す。

「ああ……行ってくる。インテグラ……君は君の仕事つとめを果たせ」
「はい……」

 ペンウッドは振り返らない。彼の仕事つとめはまだ終わっていないから。
 この長い夜の夢を、終わらせなくてはならないから。

「さらばだウォルター……地獄で会おう」
「それは無理な相談だ、ペンウッド卿」

 貴方と私は別の場所へと逝くのだからと、何処か遠くを見る様に、ウォルターは返した。

 そうして彼らは動き出す。それぞれの仕事つとめを、全うする為に。


     ◇


「来るが良い少佐、敗北を与えてやる」

 遠い空。未だ飛空艦に乗ったまま姿を見せぬ指揮官に、ペンウッドは言い放つ。
 それは本来であれば口先だけの攻撃、取るに足らぬと耳を貸さず、降りてくるような発言ではない。だが。

『面白い』

 少佐はその発言を是とした。やれるものならやってみろと、幾つものビルを薙ぎ倒し、飛空艦を地上に降ろす。
 開かれる虎口。顎を開いた魔城の門に、ペンウッドは踏み入る。

『運命はカードを混ぜた。ようこそ、魔城へ。勝負コールだ。円卓の騎士よ』
「ああ……勝負コールだ」

 ペンウッドを呑みこむと同時、飛空艦は再び空へ舞う。敵の航空勢力は未だ衰えず、本営と共に、彼らは行動を開始する。
 シェルビー・M・ペンウッドを殺すという、一つの目的の為に。


     ◇


 銃を、スコップを、角材を。目に見えた武器からそうでない物まで、各々が一心不乱に迫りくる。
 彼らは歓喜と共にペンウッドに襲いかかり、歓喜と共に死んでいく。
 当然だ。彼らは勝つために来たのではなく、死ぬ為にここに来たのだから。

「勝手に死ねばいいものを……」

 思わず口にしたその言葉を、無線から流れる声が否定する。それは駄目だと、それだけは駄目なのだと。

『そういう訳にはいかんのだよ。我々はそれほどまでに度し難い。
 世界中の全ての人間が我々など必要として居ない。
 世界中の全ての人間が我々を忘れ去ろうとしている。
 それでも我々は我々の為に必要なのだ。そうやってここまでやって来た、来てしまった!!』

 声に狂気が入り混じる。言葉と共に、意志がより強くなっていく。

『そうだ、もっと何かを、と求め続けた! 世界には我々を養うに足る戦場が存在するに違いないと! でなくば我々は死ぬ為だけに無限に歩き続けなくてはならない!!
 だから君達は愛おしい、愛おしかったのだ! 英国の騎士よ!!
 誤算であったが、君は私達が死ぬ甲斐のある存在であり、私達が殺す甲斐のある人間だった!!』

 愛しいと、もっと早く気付けば、もっと早く出逢えればと。
 まるで夢見る乙女の様な声で少佐は告げ、目の前の存在が殺意と共にペンウッドを見やる。
 長剣かと見紛うかの様な銃身を持つ二挺のモーゼルを提げ、北アフリカ戦線のコートを纏った長身の軍人。
『最後の大隊』最高戦力……大尉。
 彼の背後には行き先の書かれた案内板があり、その先に少佐が待っていると指をさす。
 尤も。

「勝者のみ通す、という事か」

 足元に転がるグロスフスMG42機関銃を蹴りあげ、構えると同時、大尉もまた二挺のモーゼルを引き抜く。
 互いが銃爪を引き合い、銃声と硝煙が聴覚と視覚を狂わせる。
 そして、その硝煙の霧からサーベルを構え、ペンウッドが斬り込むも、大尉が投げつけたコートが彼の視界を覆い、弾雨が確実に息の根を止めにかかる。
 しかし。

「甘い!」
「……!」

 弾雨に曝されるよりいち早くコートを切り裂き、ペンウッドが安全圏へと逃れると、先程の意趣返しとばかりに銃弾を叩き込む。
 だが、その瞬間にこそペンウッドの顔が驚愕に歪む。目の前の存在、大尉の顔の半面が、既に人ではなく狼へと変わっていた事に。

狼男ヴェアウォルフか……」

 既に人としての姿は其処にない。身の丈虎をも凌ぐ巨大な狼は牙を剥き、ペンウッドの肩口を捥ぎ取ると同時に霧となり、再び人間となって彼の頬肉を蹴りで切り裂く。

「づッ……」

 奥歯が数本宙を舞い、頬肉を抉られた痛みを堪えつつ、ペンウッドは己の抜け落ちた歯の一本を掴む。
 ここより先はある種の賭け。現状は最悪だが、他に打開策がないのなら、と投げ遣り気味に覚悟を決める。

「さあ……来いッ!!」

 言葉と共に大尉が迫る。霧となって迫る時では攻撃できない。しかし、攻撃する時は話は別。
 それは先程の攻撃を見ても明らかであり、今己の身体を手刀で斬り裂こうとしていることからも明白だ。
 この瞬間、この時こそが絶好の好機なればこそ。

「ぬおォォォォォォォォォォォォォォ!!」

 わざと強引に手刀を脇腹に貫かせ、そのまま堪える。
 腹部が弾け飛ばなかったのは僥倖だ。片手の剣で肩口から肋にかけてまでを切り裂き、開いた身体に自分の歯を叩き込む。

「歯医者には……通っておくものだな」

 心臓に叩きこんだのは銀歯。
 その素材は言うまでもなく、狼男ヴェアウォルフである大尉には絶好の武器である。

「さらばだ……狼男ヴェアウォルフ

 背後で声もないままに笑いながら斃れる大尉に一瞥もくれる事無く、ペンウッドは歩き出す。

 ────さあ、物語を終わらせよう。


     ◇


「少佐……」
「やあ、ようやく直に御目見え出来て嬉しいよ、ペンウッド卿」

 既に誰も居なくなった一室で、少佐は椅子に腰かけている。
 その余裕、その傲岸さにペンウッドは呆れる事も無く、黙したまま少佐に近づくと、彼の横にあるテーブルを見やる。

「チェスか……」
「ああ、嗜むのなら相手をして貰えないかね?」

 冗談じみた口調で問う少佐に、ペンウッドは良いだろうと用意された椅子に腰かける。

「さて、どうしたものか……」

 こつこつと互いが駒を動かし、兵士ポーン女王 クイーンに変わった所で少佐の手が止まる。

「間違いなく負けだな。ここにはルークもビショップもナイトもない」
「そう。これは君の完全勝利だ。ここに在るのはキングのみ。
 いやいや実に強いな」
「良く言う」

 そう勝つように手を打った男が何を言うのかと、呆れ交じりにペンウッドは応え、しかし次の瞬間には眼前の相手の顔に薄気味悪い笑みが無い事に気が付いた。

「何故こうならなかったのだろうか……? 全ての駒は私の掌から零れ落ちた事など無かった。このゲームは俺の全てを奪われ、アーカードを俺が斃す事で終わる筈だった」

 だが結果はこれだ。少佐は今まったくと言っていい程、意に介す事の無かった存在に追い込まれ、為す術無く立ち止まっている。
 一体何がいけなかったのか、何がこうさせてしまったのかが、最後まで判らないという様に。

「化物を倒すのは、何時だって人間だからだよ。少佐」

 ────それこそが全てだったのだ、と。ペンウッドはそう言い放つ。

「それには私も賛同するよ。ああ……だからこそ、お前はここまで来たのか。
 人間として吸血鬼の群を、人間として神の力を打ち倒した……素晴らしい、素晴らしいぞ騎士よ」

 成程、それでは叶わぬ筈だと、そう少佐は納得する。
 幾ら吸血鬼を集めようと、幾ら狂信者を指し向けようと、所詮彼らは化物に過ぎない。
 化物を打ち倒すのは人間であり、幕を下ろすのも人間であればこそ、この結果は必定だったのだ。

「ああ、憎らしく、そして愛おしいな怨敵よ。ならば────」
「ああ、ならば――――」

 両者は銃を構え合う。この距離ならば間違っても外さないと、お互いが納得できる一で着きつけ合う。

「「────この物語に、終焉を」」

 重なり合う銃声と共に、二つの薬莢が乾いた音を立てて落ちていく。
 片や、肩口へ。片や、心臓へと。
 それぞれの銃弾を浴びて。

「ふふ……初めて当たったぞ。勝利は得る事が出来なかったが、素晴らしかった。怨敵よ、いずれ地獄で……」

 最後まで言い切る事無く、少佐は床に崩れ落ちる。その顔は、何処か残念そうで、しかし満ち足りた笑みだった。


     ◇


「終わった、か……」

 思わず地に崩れそうになる所を辛うじて堪える。
 まだ己にはやるべき事が残っている。少佐は倒したものの、空中にはまだ他の飛空艦が残っているのだ。

『この……放送を聞く、全ての者に告げる』

 ノイズ交じりの声が、帝都一体に響き渡る。
 それは戦いを終えたインテグラ達やイスカリオテ、さらには別飛空艦から待機していたナチまで余すところなく伝えられていた。

『最後の大隊……ミレニアム指揮官少佐は、死亡した。夢は終わったのだ』

 その声に歓喜する者、怒りに震える者などそれぞれの念が放送される飛空艦に向けられる。
 当然ながら、その飛空艦を堕とすべく、集まる者達も。

『夢は……終わったのだ』

 朝日が昇る。暁の光が世界を満たす。
 その世界をぼんやりと眺めながら、ペンウッドは過去の記憶を追想する。
 まだ幼かった頃のインテグラ。アーサーが死んで、もう振り回される事の無い安堵と寂しさを覚えた時、その娘も又自分を振り回し続けてきた。
 ああ、覚えている。何処までも慌しくて面倒で、けれど掛け替えのないと思えるほどに退屈な日々。
 そんなありふれた日常という幸福を、護るべき国民に与える事こそが己の役目なればこそ。

『私は私の仕事つとめを果たそう』

 ────それが、自分に出来る唯一の事だから。

『────さようなら、インテグラ。私も楽しかったよ』

 その言葉を最後に、飛空艦が爆発する。その余波にペンウッドを討つべく近寄った他の飛空艦が巻き込まれ、一つ余さず燃え落ちて行く。

 夢を終わらせる為に。暁の世界を……、生き残った者たちにもたらす為に。



     ◆


「……と、いった具合でして」
「本当ですか……それ」

 信じられないといった風に、髭を蓄えた青年が投げ掛けるも、彼に話をした女性は本当ですよと、どこか寂しそうに告げた。

「本当ですので新しいヘリの代金をお願いします」
「またですか!?」

 叫ぶ青年────ペンウッド卿の孫にあたる青年に、女性は睨みを利かせると、彼は泣きながら退出していった。

「大変ですね……あの人も一族も」

 殆どマフィアのやり口じゃないですか、と冷や汗交じりに投げ掛ける婦警、セラス・ヴィクトリアに、女性は笑みを零す。

「良いのだ、苦労して貰わねば。
 ペンウッド卿の言う通り、一家が機関を統率する時代は終わったのだから」

 だからもっともっと苦労して貰うのだと、そう笑いながら女性―――インテグラは陽光の照らす世界を見る。

「あれから……三十年か」

 長いようで短かった日々。未だヴァチカンとの小競り合いは絶えないが、アンデルセンもあれ以来何処か落ち着いたらしく、以前ほどの対立は無くなっていた。

「ペンウッド卿────私も、楽しかったですよ」

 幼かった頃の日々を思い返しながら、インテグラは微かに微笑む。
 どうか貴方の救ったこの国の民が、この日差しの下で笑顔を振りまけるようにと、そんな事を願いながら。


     ×××


あとがき

 やってしまったぜ英国無双。本来ならチラ裏に来るのはゼロ魔板の作品が行き詰った時だけなのですが、おだてられて調子こいちまった作者です。

 前回の短編が評判良かったせいか今回はモチベーションを維持して書けたのですが、作者的に出来そのものはこれで良いかな? と不安がある所です。
 まあモブキャラ最高! が信条の作者としては、ペンウッド卿はいつかは書きたいと思っていたキャラなので、今回のは渡りに船といった感じです。

 しかしペンウッド卿無双過ぎ!! こんなんの何処が無能だよ! と突っ込みが来そうで怖い。
 いや、指揮官としては無能か? 何気に部下とか全員命令違反してるし。と書き終わった後で思わなくもない。

 次回の更新は未定、というか、これから先は忙しくなりそうなのとネタがないので期待しないで待って頂ければ幸いです。

 それでは、失礼致します。



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