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筆記者の立場について考える事例集
に対する

高岡芳江さんの示唆
にさらに勝手に答えてみる。


1998年8月22日高岡芳江、小笠原晶子、太田晴康
にどんどん勝手に答えるりびけん1998年9月23日


以下は、要約筆記の現場で実際におきた事例です。カギカッコの言葉は、要約筆記者(ノートテイカー)のせりふ、あるいは心の中で思った言葉です。自分だったら、同じような状況で、どのように言うか、どう考えるか、自問自答して見てください。これが絶対、これが真実という答はありません。要約筆記の利用者もまた、人によって状況によって、いろいろな答を期待すると思います。
そこで、どのような答がふさわしいのか、あるいは、ふさわしくないのか。そして、なぜふさわしいと思うのか、なぜ、ふさわしくないと思うのか、要約筆記者と利用者とが共に話し合ってみましょう。その話し合いの中で、一応の原則を決めて、それと同時に原則を絶対視することなく、柔軟な頭で歩みたいと思います。
という出題なんですが、単に「俺ならこうだな」というところで考えてみましたのでご参考まで。異論反論ございましたら掲示板とかメールとかで宜しくお願いします。
それで、その設問に対して、中難協の高岡芳江さんからの示唆がありました。
これは手書きの要約筆記に関する事例ということで、パソコン要約筆記に関する事情とは多少異なるところもあり、まあ勝手にもう少し意見を述べてみようかなという企画で。
だからものすごく長いぞ。表示されたら回線を切ってから読んでいただくと経済的かと思います。


  1. 大学の授業のノートテイク中、聞き取れないところがありました。やがて 授業が終わりました。
    そこで―― (先生のところにいって)「先生、今日の授業で分からなかったところがある んです」

    俺自身が聞き取れなかったからといってその情報の補完のために問い合わせにいくことは、まずない。音声情報の保障なのだから、健聴者にも聞き取れなかったところまで補完するべきではないと思ったりするわけで。たとえば要約筆記出力のなかの「〓(ゲタ)」なり「×(ぺけ)」なりを補完すべきと情報保障者が考えた場合には、ご自分で問い合わせに行っていただく(「ここについて問い合わせてください」というオファーがあればやるけどね、それはまた別の話)。
    これが要約筆記が追いつかなかったとか書いた内容に自信がないとかウソ書いちゃったような気がするとかで齟齬が発生している場合はまた別で、「すいません、確認したい部分がありまして」と言いながら低姿勢で問い合わせにうかがうのはあり。

    大学に限らず、ノートテイクの現場でよく起こることです。筆記者が聞き取れないで書けなかったところを、そのままにしてはいけないという責任感から、話し手に質問しに行くという行動に出るわけです。中には、ほとんど母親のような感覚で、かわりに聞いてあげると言う人もいます。また、聞こえない人も、筆記者の親切と解釈して頼ってしまう人もいます。
    なぜ、書けなかったのか、まず聞こえない人に伝えてほしいです。声が小さかった。飛行機の音がうるさくて聞き取れなかった。私語がうるさくて聞き取れない。意味が分からなくて書けなかったなど、正直に教えて下さい。
    聞き取れずに書けないところは、筆記中、とりあえずアンダーラインを引いておきますが、終わった後、その部分をどうするかは、聞こえない人、ノートテイクの利用者の判断を仰いでほしいと思います。
    聞こえない人が、書かれたものを読んで、これは話し手に聞いておきたいと考えれば、自分で質問しに行きます。筆記者は、そのときも通訳に徹して下さい。聞こえない人が、ここはわざわざ聞かなくてもいいと判断する場合もあります。
    現場によっては、ノートテイカーが入るまでに、聞こえない人が苦戦しているところもあります。例えば、その場にノートテイカーをつけるのを主催者から断られて、聞こえない人が何度も主催者と交渉して、やっとつけることを認めてもらったという経過のある現場もあるわけです。1回目に行った筆記者の言動が、結構あとまで響くこともあります。
    断られる理由としては、謝礼が出せないとか、主催者が要約筆記の必要性を認識していないとか、座席が足りないとか、いろいろあると思います。
    そういういきさつを知らずに、要約筆記者が行って、聞こえなかったからといっていきなり質問に立ったら、聞こえない人はどんな気持ちになるでしょうか。主催者側も、本人でもない人にいきなり質問に来られて不快感をあらわす人もいます。
    ろう者が手話通訳を頼むことに慣れているのに比べて、中途失聴・難聴者は、 自分のために他人にサポートしてもらうことに慣れていません。迷ったあげく、 勇気を出して、はじめてノートテイクを頼んだところが、筆記者の言動にこり て、もう二度と頼むのをやめたと思ってしまうことがあったら残念なことです。 聞き取れないときの対応については、ノートテイクの前に打ち合わせておくこ とも大切です。
    「通訳者が勝手に聞きに行っちゃう」ことの是非、という乱暴なまとめでいいのかなあ。
    PC要筆(めんどくさいので以下このように略)の場合は、実施体制や記録の扱い、それに伴う守秘義務について、事前に主催者側とも話者(講演者とか)とも了解を取り合っているのが常識だと考えているので、厳密に「いきなり勝手に」というのはあり得ないと思うんだな。
    結局この「聞き取れないときの対応については、ノートテイクの前に打ち合わせておくことも大切です。」に尽きるということか。手書きの場合は知らないが、PC要筆では打ち合わせる主体はPC要筆者であり、打ち合わせる相手は情報保障者(以下、高岡さんの発言との整合をとるために、緑色部分では「聴障者」とする)だけではなく、主催者側でもあり話者でもあり他のお客さんでもあるという前提において、ということ。


  2. 活動が始まる前に、利用者と話しているとき、突然、ある人が活動につい て尋ねてきました。
    そこで―― (そっちに振り向いて)「これは要約筆記といって、こちらの方に書いてさし あげるんですよ」

    まず、「書いてさしあげる」なんて言い方はしないのだが措いといて、「情報保障者とのお話をほっといてまで質問に答えるかどうか」という設問ならば、これはケースバイケース。活動について尋ねてきた人が主催者側であるのならば打ち合わせの要があるかもしれないし、興味本位(それは悪いことではないが)で質問されてこられたのならば優先順位は低い。また利用者と話していた内容が「打ち合わせ」ならばそれが済むまで質問者にはお待ちいただくし、バカ話をしてるのならば多少のワリコミがあっても構わんだろう。
    またこれが「要約筆記をやっているさいちゅう」だとすごく迷惑で、アメリカでアメリカ人に「Be quiet please」と言ってみたらこれが意外とでかい声だったらしくて100人のアメリカ人に振り向かれてちょっと怖かった

    一般社会では、中途失聴・難聴者のコミュニケーションの不便さや、要約筆記がまだまだ知られていません。書くということは、だれでもできますから、 要約筆記の技術の専門性なども、想像もできない人がほとんどと考えたほうがいいくらいです。
    したがって、聞こえない人が要約筆記者を同行したいと言った時、その場にいる人の中から、わざわざ他人を連れてこなくても、自分が書いてあげるからいいと言われることさえあります。
    しかし、かんじんの人は、話に夢中になったり、聞くだけで、書くということを忘れてしまうことが多いです。また、ペンを走らせたとしても、聞こえたことだけとか、聞き取れた単語だけとか、自分が興味のあることだけ書くといった書き方になってしまうこともあります。
    普段、人は、見て書くとか、考えたことを書くとかはしますが、聞いてその場で、他人のために書いてゆくということは、あまりしません。
    要約筆記は、特別なことをするわけではないのですが、一般の方々には、珍しいボランティアのようで、現場では、他の参加者から「これは何をやっているのですか」とか「大変でしょう」とか聞かれることがあります。また「自分もやってみたいと思っている」とか「私の知っている人もやっています」とか、わざわざ言いに来る人もいます。「かわりに書いてもらっていいねえ」と羨ましがる人もいます。
    そういう回りの反応を、可能な限り聞こえない人に通訳して下さい。そして、 聞こえない人が答えられるようにして下さい。その質問が、筆記者にむけての ものでも同様です。聞こえない人から、答えて下さいという要請があったとき、 はじめて答えます。その場合、何と答えたか、聞こえない人に分かるようにし て下さい。
    筆記者と話しかけてきた人とのやりとりで、聞こえない人が浮き上がらない ように、その場の会話に入っていけるように情報保障はしっかりとやって下さ い。
    PC要筆をやっているときに話しかけてきて、「自分が書いてあげる」なんていう人物像の想像がつかん(笑)、というのは措いといて。
    PC要筆の場合は「場所はとる」し「打鍵音はうるさい」し「光ってるし」というわけで、一般のお客さんに対してそれなりに迷惑をかけていることは自覚しているから、「何してんの?」についてはできるだけお答えするようにはしている。ただし、そういうときは間違いなく「準備で忙しい」か「休憩中でトイレにいきたい」かのどちらかなわけで、応対が無愛想なのについては堪忍していただきたいと内心では思っている。
    余裕もないので機材関連などの会話に聴障者を交えないこともあるが、そうでもしないと実務に支障がでるから仕方あるまい。必要を感じた場合には後に聴障者にもお伝えするだろうが、PC要筆は「場の全員と関わってしまう」作業なのだから、「聴障者との1対1の対応」にならないのは当然だと思う。


  3. 研修室の現場です。部屋は満席で、要約筆記者の席は、どこを探してもあ りません。
    そこで―― 「(どこかの部屋で、イスを探して確保しようっと)」

    そんな泥棒みたようなマネはしない。
    こちとら情報保障で来ているわけであって、情報保障者&情報保障者(ないしそのチーム)の居場所があって初めて参加の体をなすわけなのだから、居場所の確保は主催者側の責任であり、とうぜん主催者側に座席の確保を要求するのがスジ。
    もし主催者側が情報保障の必要性を認めるのならば、頼めば情報保障者の座席も確保してくれる筈。よしそれを断るのならば主催者側に情報保障の意志無しということになり、したがって情報保障者は居場所がないから帰る
    情報保障者がどうするかは彼(彼女)の選択によるのだろうが、そこまでは関知しない。

    イスがない場合、イスの確保は筆記者の仕事ではありません。聞こえない人が主催者に尋ね、指示を仰ぐのを筆記者が通訳します。
    聞こえない人が知らないところで、勝手に他の部屋から持ってきたり、勝手に主催者に交渉しないで下さい。筆記者の席については、主催者から聞こえない人が指示を受けている場合もあるからです。ノートテイクの場合、長時間になると二人で交替で書きますが、満席で筆記の待機者は部屋の外で待っていなければならないなんていう場合もあります。
    これは手書き要筆とPC要筆との違いということになるんだろうけれども、PC要筆実施について主催者側と交渉することこそ聴障者の仕事だが、実地での座席や電源の確保その他の状況の整備はPC要筆者の仕事になる

    主催者側の了解が得られているという前提で、PC要筆がきちんとできる状況を確保しつつ、他の(たとえば健聴の)お客さんの邪魔にならないようにしなければならないわけで、相互のベストを考えるならば専門知識も必要だし、言っちゃえば「聞こえ」も必要なわけで。
    たとえば、
    • 座席の確保。その日のスタッフの人数、使用する装備、ディスプレイの位置、聞こえの状況等の要素を勘案しなければならないわけで、イス1個がどうという話にはならない。
    • 音声の状況の把握。スピーカーの位置の確認はもちろん、必要があればミキサー・ブースに入って出力をブーストし、同時にハウリングを回避するためにトレブルを下げるくらいのことはすぐやる。
    • 表示装置の設置。聴障者側ではよく「隣で叩いていただければ覗き込みますから」と仰るが、あいにくこちらはDSTN液晶の安物パソコンだったりして、覗き込むのもたいへんだろうがそれに合わせて覗き込みやすいように角度を調整して叩くのもめんどくさいし儂の身体に悪い。たとえば会場の倉庫のTV受像機が使える、あるいは会場に設置されたOHP画像使用中以外はスクリーンとプロジェクタが借りられる、それで誰にも迷惑がかからない、ということであればすぐ借りる。
    べつだん任せておけというわけではなくて、「頼んだんなら遠慮はすんな」、また「受け入れた以上はベストの状態でやらせてくれ」ということ。

    率直にいって、聴障者って(人にもよるが)妙に遠慮がちなところが目についちまうし、会場全体の理解と協力がなくては活動そのものが成り立たない。敷衍すれば、PC要約者の立場は「調整役」とか「差配さん」といったところか。


  4. 研修室で資料が配られていますが、申込者の分しかない。どうも要約筆記 者の分がなさそうです。
    そこで―― 「(1人分ぐらい持ってきても分からないから、自分で取りに行こう。参考に なる資料なので持って帰ろう)」

    そんな泥棒みたようなマネはしない。
    パソコン要約筆記の質を維持するために問題となるのはまず誤変換の低減であり、そのためには辞書の整備は不可欠、したがって事前に入手できる資料は全て頂戴しておくのが正しい。
    具体的には、事前に主催者側に話して(準備もあるからどうせ会場には早いめに入るわけだし、それ以前に表示器具の有無などでどうせ問い合わせもしているから難しいことはない)当日資料は準備してもらい、参考資料なども入手できるだけはしておく。授業の情報保障なら教科書くらいは読んでおくし、講演会なら演者の著書くらいは事前に読んでおくということ。
    当日になって慌てたうえに遠慮しいしい盗みをはたらくなんざ下のまた下だ。
    持ち帰りについては、リピート性のあるイベントについてなら認められることもあるだろうが、これも主催者に問い合わせるべき。自身の役に立つからという動機だけならこれも盗みの範疇だろう。

    参加者の数しか資料がないときは、勝手に持ってこないで下さい。参加者数 しかないことを主催者や司会などが口頭で言っている場合は、そのことを聞こ えない人にきちんと伝えて下さい。こういう時、筆記者は聞こえない人と一緒 に一つの資料を使って下さい。資料がたくさんあったとしても、その場で配布 された資料は、筆記者のものではないので、持ち帰らないで、通訳が終わった ら主催者に返却して下さい。
    社会では、聞こえない人と通訳者をワンセットと見ます。筆記者の勝手な言 動が、即、聞こえない人に対する評価になってしまうことがあります。
    これは、数が足りないのならばどこかでコピーさせていただいてでも、入力者用の資料を入手するべきだと考える。あるいは、事前に聴障者のほうから「PC要筆者用の資料も用意してください」と伝えていただくのが良策なのだろうが、そこまで徹底できるほどのマニュアル整備は未だなされていないわけだし。
    でもさ、
    健聴者は、話を聞きながら資料に目を通すことができる。
    聴障者は、筆記された話を読みながら資料にも目を通すことはできない。
    というわけで、これだけでも聴障者側には結構なビハインドだろうに、なぜ聴障者が資料に関してさらに不便な思いをしなければならないのかが理解できない。
    さらに、PC要筆の場合は(手書きの場合についてはよく知らない)資料に赤線引っ張ったりするし、赤線は主要単語抽出のためだから話の本筋とはまず関係ないし、講演中に資料が置かれているのは2人なら2人の要筆者の間だし、要筆中も相互補佐のために書き込みをしたりしているし、これで聴障者と資料を共有できるわけがない。って、なんか右翼みたような太字使っちゃってごめんなさい。まず盗んでくることはなかろうが、PC要筆では資料も必須ということでご理解いただきたく。


  5. ノートテイクの途中でスライドの上映がはじまりました。
    そこで―― 「(暗いので書けないし、書いても見えない。だから要約筆記をストップしよ う)」

    パソコン要約筆記ではあり得ない状況なんだが(笑)。スライド上映の邪魔になるようなら要約筆記もストップするんだろうなあ。そうでないなら続行。
    事前に分かっている場合は、聞こえない人と対応を打ち合わせておきます。 突然、暗くなるということもありますので、ノートテイクに行く時は、ペンラ イトのようなものを持っていると役立ちます。
    前もって、分かっている時は、聞こえない人が主催者に交渉して、隅のほう だけでも明るくするとか、対応を考えることもあります。暗くなったから、情 報保障は中断というのでは困ります。なんとか、書く工夫をしてほしいです。 今まで見た例ですと、会場の非常口のあかりの下で書いた、ドアを少し開けて 外のあかりで書いたなどがあります。
    まさかスライド上映中に煌々と照り輝くワイドスクリーンを表示しっぱなしというわけにもいくまいし、そのへんケースバイケースなんでしょうが。
    高岡さんの謂と併せて考えるならば、PC要筆の場合にはその時点までに主催者と「交渉して」いないことはあり得ないし、そこを含めて「対応を考え」ているわけでもあり、まあなんとかなるでしょう。


  6. 要約筆記現場で知人、友人に会いました。
    そこで―― 「あーら、久しぶり。今日はね、この人のサポートなのよ」

    「よう、久し振り。今日は要約筆記でさあ云々。さいきんよー云々」。「この人」が出てくる要素はないんだろうなあ。

    知人に会っても、軽い会釈だけにとどめ、聞こえない者をダシにおしゃべりに夢中にならないでほしいところです。筆記者が何のためにその場にいるかに ついても、聞こえない立場では他人に言ってほしくありません。
    相手がまったく知らない人でも知人でも、「聴障者の情報保障で、パソコンでの文字叩きに来ました」くらいは言うと思うわけなんだが。高岡さんの「聞こえない者をダシに」という意味が判りませんでした。

  7. それから1週間後、そのときの聴覚障害の方に会いました。
    そこで―― 「この前は書けなくてごめんなさいね。また、がんばりますから、次も私に頼 んでね」

    あやまらない。準備や実施体制に齟齬があった場合は別だが。
    がんばらない。ふつうにやっている。気合いが入るも入らないもない。
    お願いしない。必要があれば言ってくるだろうし、無きゃそれまでのことだ。
    書けなかったと謝るのはやめて下さい。言われても困ります。 派遣が公的派遣の場合は、依頼者が次もお願いと言ったとしても、派遣は申込先に依頼するという方法になっていることを、(筆記者は聴覚障害者に)教えてあげて下さい。
    とくにコメントはありません。

  8. 聴覚障害の団体の集まりにOHPの派遣で行きました。進行がもたついて います。
    そこで―― 「あの、さっきから見ていると……、もっとスムーズに議事を進められないん ですか」

    内心バカにすることはあるが、関係ないのでそんなことは言わない。内容にコミットしたいのならば、情報保障なんかでは来ない。
    ずいぶん以前に「聴障者も参加するのでぜひ通訳を」という某福祉団体の寄り合いに行ったことがあって、ところがときどき十人くらいが一斉に談笑を始めたりする。通訳できるわけがないので机をどーんと叩いたらみんなしーんとしちゃったわけなんだが、それが一義的に間違いということもあるまい(正しいかというとそんなこともないわけで、さいきんはそんなことはしない)。

    通訳者は、そう思っても発言に割り込んで自分の意見は述べないで下さい。難聴者と親しいと、ついやってしまいがちですが、中途失聴・難聴者の集まりは、コミュニケーション方法もまちまちの人が集まりますから、1人ひとりが分かりやすく進めるためには、健聴者の集まりよりもコミュニケーションに時間がかかるのが普通です。広い心でつきあって下さい。
    上記(赤いところ)したように「机を叩いた」ことはあるのだけれども、それとて「会場ぐるみ」ということでまあ許されようかと甘えていたりする僕なのですが。
    議事に参画するという意味ではなく、たとえばマイク・オフで喋ってしまう発言者に対して「すいません、マイクに向けて話してください」とか、こちらの機械の不具合で「すいません、ちょっと待ってください」とか言ったケースはある。


  9. ノートテイクをしていたら、利用者がうとうと、居眠りをはじめました。
    そこで―― 「(ひじで突っついて)あんたのために書いているんだからね。こっちの気に もなってよ」

    起こさない。そりゃ寝たいこともあるだろうし、眠いこともあるだろうし。もちろん音声情報保障としての要約筆記には記録性はないので、止める。

    関係ないけど、以前に「僕は事情でその会合に遅刻するので、到着までの記録をください」と言われたことがあって正直イヤだったが、アイカタが頑張り屋さんだったので我慢したことはある(俺が断ればその人がずうっと叩くことになるわけだ)。当人には言ってない。
    「あたしが都合で参加できない会合の音声情報を叩いてきてください」と言われたときにはものすごく腹を立ててお断りした。俺は「音声情報の保障をする人」であって「記録の便利屋」ではない。情報保障と関係ねえだろうが、そんなもなあ。これは本人にもお伝えしてある。

    聞こえない人が寝ていたり、見ていない時は、書かないという筆記者もいます。聞こえない人に聞くと、書かなくてもいいと答える人が多いようです。絶対、こうだということは決まっていませんが、健聴者でもつい居眠りということはあると思います。自分は筆記者として来ているのだから、書き続けるという人もいます。
    私は居眠り中も書いてもらってしまったことがありますが、起きた時は大変バツが悪い思いでした。しかし居眠りしたことを責めるでもなく、淡々と書き続けて下さった筆記者には、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
    長い時間、ノートやOHPのスクリーンを見続けるのは目がとても疲れます。また、話し手の口の動きや、身振り、手話、部屋の中の状況にも目をやりたい時があります。そういう時も突っつかないで欲しいです。
    私は寝ている時まで書いてとは言いにくいですが、起きている時は書き続けて欲しいと思います。視線は自由にさせて下さい。

    むしろ「待機中に自分が眠ってしまう」のが怖い(さすがに作業中に寝ちゃうことはなかろう、と信じる)

  10. 講演会のOHPです。講演者は聞こえない人。司会が講演者の紹介を終え ましたが、まだ講演者はOHPのスクリーンに書かれた紹介の言葉を読んでい ます。しかも、書く速度が遅い。
    そこで―― (手話を使って講演者に)「あなた、司会者がもう紹介を終えましたよ、演台 にどうぞ」

    まず手話ができないのは措いといて、そんなことしない。だいたい、「書く速度が遅い」のは自分なのだからそんな余裕はないし、情報保障者の耳がわりという立場を考えればできよう筈もあるまいし。
    この時、なんてことをしてくれるのかと腹立たしい気持ちでした。なぜなら、私が実際に体験したこの場は一般の方を対象にした中途失聴・難聴者に対しての理解を求めるための講演会だったのです。
    司会の紹介をOHPを見て、時間の差はあっても、それを読んで情報を取っている難聴者の存在をアピールしたかったのです。要約筆記についても知って欲しくて、わざわざつけてもらいました。
    肝心の要約筆記者が本来の仕事を放り出して手話通訳してしまうということは、手話のできる要約筆記者にありがちなミスですが、これは気をつけて欲しいと思います。
    ひょっとして、「待機している人が手話で」という設問だったのかしら。とにかく手話はからっきしなのでよく判らん。PC要筆者の立場としては上記(赤字)の通り。

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