モーやんの回歓録

さようなら小林繁さん

スポーツ2010年12月11日 12:47 | フォルダ : 

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 2010年も、残りあと僅か。今年もいろんなことがありました。政界を見れば昨年の総選挙で政権を取った民主党が、見事なまでに信頼を裏切り醜い内部抗争に明け暮れ、たった1年で2回も首相えをとっかえるひどさ。景気は回復する兆しも見えず、来春大学を卒業する学生の就職内定率は史上最低だという。国会議論もセンセンカンカン(仙仙菅菅)とうるさいだけで、中身の欠片もない。こんなアホな連中にはさっさとご退場を願いたいが、蛙の面に…とやらで、居直りを決め込んでいるから始末が悪い。ボンクラ政治家どもしっかりせんかい。

 個人的には悲しみに暮れた1年でもありました。日本ハム二軍投手コーチから一軍コーチに昇格し張り切っていた小林繁氏の死去。そして初代横綱・若乃花の花田幹士氏、ジャイアント馬場さんの右腕として全日本プロレスの発展に尽力した昭和の名レフリー、ジョー樋口氏にヤマハブラザーズの山本小鉄氏、星野勘太郎氏の相次ぐ訃報と、人の世のはかなさを痛感した一年でした。

 私が初めて小林氏に会ったのは阪神が岡田、掛布、バースの活躍で初の日本一に輝いた1985年の5月。4月に一般スポーツ担当デスクから取材経験のない野球担当筆頭デスクに異動したばかりの私に、先輩デスクから「コバがウチで評論家をしたいと言っているので一度会ってくれ」と持ちかけられた。いくら門外漢でも世間を騒がせた『空白の1日』の片方の主役で、最多勝1回、最優秀投手賞、沢村賞2回を獲得。阪神時代にはレコードも出し、某有名女優と浮名を流したことぐらいは知っていた。そんなスター選手が「なぜウチで評論家を?」との疑問も抱いたが、話を聞いてみると、過去を鼻に掛けることもなく「僕も随分叩かれたけど球団、監督、選手にこびることなく、悪いものは悪いとズバッと書くところが凄い。評論家をやる以上、自分もそうしたい。それにはお宅しかない」と志望動機。この熱き訴えで即決契約。長い付き合いが始まった。

「自分で書きたい」の申し出にはビックリした。評論家が喋ったことを記者がまとめ紙面に掲載するスタイルは、どの新聞社も変わりないが、小林氏は「記者さんの手を煩わせたくないし、文章を書くことに興味があるので勉強したい」。それからというもの東京ドームや神宮球場、横浜球場での取材を終え、社に戻って来た小林氏と「新聞記事の書き方」特訓がスタート。悪戦苦闘して書き上げた80行足らずの原稿を、私が、偉そうに「この表現はおかしい。ここの部分は説明不足。専門家すぎると読者は分かりづらいので分かりやすい言葉に置き換える」と注文を付け書き直しの繰り返し。気が付けば朝番の整理記者が出社してくることもしばしばで「がんばってますね」と声を掛けら「イヤー、原稿書くなんて、ちょろいと思っていたけど大変ですね。いい勉強させてもらってますよ」。笑って答えた小林氏の顔が昨日のことのように思い出される。実直な人だった。

 花田氏には相撲のイロハを。小鉄さんと勘ちゃんにプロレスラーの凄さを体感させられた。そんな故人を偲び大晦日は、グラスを手に除夜の鐘を聴き、来る年を心静かに迎えようと思っている。

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牟田基のプロフィル 昭和22年生まれ、広島県尾道市(旧・因島市)出身。駒澤大学歴史学科卒。昭和46年東京スポーツ入社。主
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