北朝鮮砲撃:正面からの対処を妨げる太陽政策
北の挑発にも「衝突を防げ」「戦闘拡大を防げ」
韓国軍の「戦闘の意志」が鈍ったのは、10年間にわたる太陽政策の名残があると指摘されている。ある予備役将校は1日、「金大中(キム・デジュン)政権発足から10年間、韓国軍は“北朝鮮を刺激するな”という言葉ばかりを聞かされてきた。その影響が、まだ軍に色濃く残っている」と語った。多くの現役・予備役将校が、「あの時代は戦いたくても戦えなかった」と語った。
1999年6月15日に発生した第1延坪海戦に直面した経験を持つ、海軍のある予備役将校は、「当時、海軍に下されたのは、3大“するな”作戦指針だった。“北方限界線(NLL)から下がるな”“先に撃つな”“戦闘を拡大するな”というものだった」と語った。このため、敵が挑発しても撃てなかった韓国の艦艇は、体当たりや押し出しなど、「体で」立ち向かうしかなかった。その後も指針は変わらず、2002年の第2延坪海戦では、ついに6人の将兵が戦死するという結果を生んだ。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代も、北朝鮮の警備艇や漁船がNLLを侵犯したら、決まって「衝突するな」という指示が下ったという。ある領官(佐官に相当)級将校は、「北朝鮮によるNLL侵犯の事実を発表しただけでも、“なぜ内容を公開したのか”という叱責(しっせき)を受けた」と語った。
政権の意向に沿わず、左遷されたり、軍服を脱いだりするケースもあった。第1延坪海戦で大勝利を収めた朴正聖(パク・ジョンソン)第2艦隊司令官は、わずか4カ月で「海軍本部待機」の命令を受け、中将に昇進できないまま退役した。
2004年6月、軍の将官らが参加する「ムクゲ会議」に講師として登場したイ・ジョンソク国家安全保障会議事務次長に対し、キム・グァンヒョン陸軍政訓公報室長が異議を唱えた。するとキム室長は、階級ごとの定年を迎えることなく、早期退役となった。イ次長が、「兵士の教育は、北朝鮮に対する敵がい心よりも、祖国に対する誇り、市民精神を基調としなければならない」と述べたのに対し、キム室長は「(それでは)将兵に対敵観教育ができない。敵味方の区別をはっきりとつけなければならない」と語った。
張一鉉(チャン・イルヒョン)記者