北朝鮮による韓国・延坪(ヨンピョン)島砲撃事件を受け、政府は24日、菅直人首相を本部長に全閣僚をメンバーとする対策本部を設置した。事件を奇貨として、行き詰まった国会運営を打開する狙いなのか、野党各党に党首会談も呼びかけた。ただ、昨23日の初動対応は極めてお粗末。菅首相は事件発生を報道で知り、仙谷由人官房長官が北朝鮮を非難する記者会見を開いたのは7時間以上も後のこと。こんな政権で大丈夫なのか。
「一般市民が生活している地域への攻撃で、許し難い蛮行だ。(北朝鮮を)強く非難する姿勢は変わらない」
菅首相は24日午前、対策本部の初会合でこう挨拶した。精いっぱい、強硬姿勢をアピールしたが、それもそのはず、昨23日夕に官邸で行った首相会見が最低最悪だったからだ。
菅首相は記者団から「今回の件でコメントを」と振られると、3秒ほど沈黙した後、「報道で、北朝鮮が韓国の島に砲撃を加え、それに対して、韓国軍も応戦したという報道があり、えー、私にも、(午後)3時半ごろに秘書官を通して連絡がありました」と、覇気のない表情で語ったのだ。
国家のトップが、隣国での砲撃事件を報道で知るという大醜態。情報収集能力の絶望的な低さを平然と認め、それを一切恥じる様子もない。
第一次イラク復興支援業務隊長を務め、外交防衛問題の論客として知られる自民党の佐藤正久参院議員は「あの記者会見はひどい。『(砲撃事件は)報道で知った』と公然と認め、北朝鮮を非難する言葉すらなかった。朝鮮半島がいまだに休戦状態にあり、一歩間違えば周辺事態に発展することが分かっていない。安全保障会議も招集していない。危機管理の常識が欠落している」と猛烈に批判した。
一連の対応を時系列に並べると、菅政権の末期症状がよく分かる。
北朝鮮が、砲撃を始めたのは23日午後2時半過ぎで、韓国の聯合ニュースは同2時58分に速報。日本の時事通信も同3時11分に一報を流したが、秘書官から菅首相に最初の報告があったのは同3時半ごろなのだ。
自民党ベテラン秘書は「外務省も防衛省も、韓国で速報が流れた前後に情報を入手していたはず。通常なら、役所は官邸にすぐ情報を上げる。それがどこで停滞していたのか…。菅首相への報告遅れは、危機管理上の重大な問題だ」と語る。
■「危機の宰相」演出も失敗?
それでも、菅首相の緊張感は低い。一報を聞いた後も、公邸の部屋でテレビ番組を見ながら「大変なことが起きたなあ…」とブツブツ。さらに、民主党の斎藤勁国対委員長代理と約40分、野党側が提出予定の仙谷氏らに対する問責決議案への対応など国会運営をめぐり意見交換していたというのだ。
同4時44分、菅首相はやっと公邸から官邸に移動。中国漁船衝突事件や、柳田稔前法相の「国会軽視」発言などで、内閣支持率が「危険水域」の20%台まで落ちる中、「危機の宰相」を演出しようとしたのか。
やはり20%台の低支持率であえいでいた麻生太郎政権が昨年4月、北朝鮮のミサイル発射準備に毅然とした対応を取り、支持率を一時的に回復させているからだ。
しかし、閣僚らの反応も菅首相同様に鈍かった。
「影の宰相」こと仙谷氏が官邸入りしたのは、砲撃開始から2時間以上後の同4時45分過ぎ。自衛隊を指揮する北沢俊美防衛相が防衛省入りしたのも同5時ごろ。警察を所管する岡崎トミ子国家公安委員長が官邸に駆けつけたのは、事件発生から5時間半も過ぎていた。
「岡崎委員長は、登庁はしなかったが、都内にいて必要な報告は受けていた。関係閣僚会議に合わせて、同8時過ぎに官邸入りした。まったく問題はないと考えている」(岡崎氏の秘書官)
そして、評判が最悪だった記者会見に菅首相が応じたのは同5時15分。宮中日程があったため、関係閣僚会議が開かれたのは同8時55分から。仙谷氏が北朝鮮を非難する記者会見を行ったのは同9時48分だった。
一夜明け、菅首相は冒頭の対策本部の挨拶で、「関係省庁が緊密に連携を取り、常に必要な情報が集約され私にも適宜届くようにしてほしい」と各閣僚に指示したが、事実上の“官邸崩壊”を認めているのか。
前出の佐藤氏は「菅政権は首相以下、国家や国防、主権というものに対するトレーニングができていない。これでは国は任せられない」と語る。
北朝鮮は、日本全土を射程内にとらえるミサイルを多数配備しており、発射から数分後には日本に着弾する。菅政権では本当の危機に対応できそうもない。