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■わたしのことはじめまして。セラピスト・ヒーラーの風間美緒[AZU]と申します。 生まれは東京都荒川区、生後まもなくからは東京都狛江市育ちで、みずほ幼稚園→狛江6小→狛江2中→都立狛江高校→玉川大学文学部芸術学科演劇専攻出身です。 父は声優の仲村秀生(アニメでは『あしたのジョー』の力石徹役や『宇宙戦艦ヤマト』の島大介役が有名)で、母も私がお腹の中にいる時まで女優やモデルを経てダンサーの仕事をしていました。 母方の祖父は満州で新京放送劇団(故森繁久弥さん、故芦田伸介さんが在籍しました)を作った人で、母の姉、弟もミュージシャンやアナウンサーといった芸事の家系に育っています。 私自身も大学に演劇専攻を選び、在学中から劇団の設立に参加し活動を始めました。 劇団では主演女優を務め、演出助手として演技指導や演技のトレーニングを積極的に指導し、自らも脚本やプロデュースを手がけました。 舞台で主演するようになると反響はものすごくて、小さくてきたない劇場でしたが公演ごとに手ごたえを感じていました。 たった10回に満たない公演なのに2回3回と足を運んでくださるお客さんがたくさんいて「ありがとうございました」と泣きながら握手を求められたりしました。21~22歳の頃です。 またひと公演終わると自宅にあちこちから電話がかかってきて雑誌の取材やプロダクションや仕事のオファーのお話がきたりしました。 当時、テレビドラマ出演や当時の深夜バラエティ『11pm』では劇団メンバーとともに寸劇のようなこともやりました。 20代中盤からは声優のプロダクションに在籍し、アニメ、洋画の吹き替え、ナレーション、朗読、CMやVPなどの仕事をさせていただき、20代後半からは、東京アナウンス学院で演技基礎の講師など様々な現場を体験しました。 最近ではテレビショッピングの番組でのビューティーアドバイザー役はセミレギュラーで入っていました。 これは、1時間ほど出ずっぱりでキャスターとの掛け合いでフリートークをするお仕事で最初は過酷過ぎて泣いたりもしましたが、トークや印象次第でその場で商品が飛ぶように売れていったりしてプロフェッショナルが試されるお仕事でした。 また某タレント事務所での演技レッスンの講師をしていてそこでの授業はスピリチュアルの法則を交えながらの中身の濃いもので、私自身にとっても学びの深いものとなりました。 27歳の誕生日からは本格的にスピリチュアルの教えを学び、実践を始めました。 それは興味というよりやむにやまれず自分の人生を何とかするためでした。 一言で言えばインナーチャイルドが限界だったからなのですが、当時はなぜ自分がこんな目にあうのか、こんな思いをするのか、なぜこんな風になってしまったのか何もわかりませんでした。 芝居をしているとき以外はほぼいつでも私の心は不安と恐れと悲しみが支配していたのです。 その結果、生活はいつも厳しく貧しく、どれだけ才能があっても真面目に努力しても、結果はいつも実になりません。 才能と自分で言うのもなんなのですが、子供の頃の私は本当に芸術的な様々な才能に恵まれていましたし、小中学校では児童会の会長を始め長のつくものには何でもチャレンジするような快活で実行力のある悪を恐れぬ正義の味方でした。 高校生で一度目の鬱や節食障害になりあらゆる闇を背負うような生活になってしまうのですが、大学で演劇をすることで復活します。 ところが大人になって社会で自立するようになると、再びあらゆる闇が噴出してきて本当に何一つ思うようにならなくなってしまいます。 25歳の誕生日には絶望にのた打ち回って死にたいのに死ねない自分を呪っていました。 27歳の誕生日に自分にプレゼントしようとなけなしのお金を手に本屋に入り、まっすぐに一冊の本を手に取りました。 手に取った本を見てみると、それがエドガーケイシーのリーディングの本でした。 30歳で8年一緒に暮らしていたパートナーと別れ、借金ととに新生活が始まりそれまで芸事以外何もできなかった私は夜の世界へ。 壁の影に隠れるようにして時間を過ごし微々たる自給を貰って暮らしていましたが、再び劇団に復帰して舞台に立つことを決めた私は借金返済と自己実現のためにスーパーコンパニオンを目指し、あっという間にナンバーワンコンパニオンになります。 この時に私はバイトの時間はすべて、今でいう「引き寄せの法則」(波長の法則)の実験のために費やしました。 また「世界は自己の内面の投影である」という法則を実証するためにあらゆる場面で検証します。 闇のゴミ捨て場のような世界で私は少しずつ内面と外面を鍛えて人間力をつけていきました。 しばらくはバイトと舞台の往復をして暮らしますが、舞台を通して一線を越えてブレイクしたいと考える私と現実の劇団はギャップがありとうとう限界がやってきました。 それは20代前半で一度劇団を辞めたときと結局は同じ理由でした。 芝居を再び失い生活のためのバイトを続けるうちに私は3度目の酷い鬱になりました。 お薬を服用しましたが副作用が酷く立っていることもできずに立ったまま意識を失いかけたりもしました。 この頃までの私は、たとえどんなに元気なふりをしていても笑顔でいたとしても夜になり一人の部屋に帰ると孤独で死にそうでした。 実際一人になったとたんベッドに突っ伏して毎夜泣いていました。 その時どういう思考がよぎるかというと 「私はこの先どんなに努力して、たとえ多少華やかな時があったとしても、最期には孤独に苛まれて死んでいくのだ」という思いでした。 そしてその思考には、根拠のない確信がありました。 根拠のない確信は実現するものです。 そんな結末に向かって必死に生きている自分が悲しくて仕方なかったのです。 苦しみに追い詰められて最後に行き着くのはいつも「いつかすべて今のことがなんだったのかわかる時がくる。死んでしまったらそう思うことができない。それでいいの?」という思いと「もし私が乗り越えることができたら、 世界のどこかで同じように苦しんでいる女の子(なぜか女の子)に大丈夫、ほらね、って言ってあげられる」という思いでした。 今自分に起こっていることには原因と理由があって、そうでなくなる道(方法)をみつけてそれを使って私は乗り越えるんだ、そうしたら同じ思いをしている人はこんな思いをしなくて済むんだ、という思いは当時私の最後の砦のようなものでした。 家族にも全く頼れる状況でなかったので、とにかく次の手を打たなくてはと、私は友達の紹介で銀座のクラブへ出ます。 そこでは、初めての夜店で一緒にダンサーをしていた(ショーがメインのキャバクラでした)友達と一緒に働きました。(自分とは絶対に縁がない夜の世界へ転落したように当初は思いましたが、行ってみるとそこには芸事のセミプロがたくさんいて、たくさんの芸事仲間と出会えました。玉川の芸術学科に再び通うような楽しい時間もありました)彼女はダンスもすごかったのですがその時はすでにシンガーに転身していてベテランのギタリストさんたちとバンド活動していました。 彼女のライブに行くと、彼女が私を歌に誘ってくれたのです。 私は歌手になりたいと思っていた時期もあったくらいで、舞台でもピンで歌ったりしていたので全く断る理由がなく 彼女のライブにゲストボーカルとして出してもらいました。 その時ジャズピアニストの曽山啓一さんに声をかけられて、いきなりジャズのボーカルを始めます。 出会った翌週からはハコバンで毎週歌うようになっていました。 銀座の店も私のカラオケの歌を気に入ってくれていたお客さんに紹介してもらい、演奏(ピアノとヴァイオリンとサックス)を売りにしている店へ変わり、ボーカルとして出るようになりました。 そこで知り合ったお客さんがシンガーとしての私を支援してくれ、後にNYへ行く資金援助を申し出てくれます。(援助交際ではありませんょ) それにしても歌だけではもちろん食べられないし、なにか私にできる仕事はないかと求めていると、大学在学中に通っていたプロダクションの養成所で一緒だった、そして私のプロデュース公演に出てもらった女優仲間がヒプノセラピストをやっていて、私を誘ってくれたのでした。 当時の私はチャネラーさんのスピリチュアルカウンセリングや、フラワーエッセンス、オーラソーマなどのお世話になっていましたがヒプノに関してはほとんど知らなかったので「何それ?私が催眠術かけるの?そんなことできるの~?」なんてふざけていましたが、友達は大真面目で「絶対向いているから。術じゃなく共感なの。演劇とも根本は同じだから絶対勉強になるから」と言って、講座に行って認定を受けてくるように勧めてくれました。 言われたとおりにして彼女の友達だということは伏せて催眠館ラディアンスの面接を受けに行くと採用になり、半年ほどの研修期間を経て仕事を始めました。 (この間は収入もほとんどなく、菓子パンをかじりながら時間を惜しんで勉強の日々でした。) 研修と言っても大変だったのは文章の丸暗記で何度も嫌になったりしましたが、いざ本番が始まると仕事の上でわからないことがないような感覚があり(これは舞台を始めた時も同じでした)クライアントさんから質問を受けても困ることがないほど自信を持ってすらすらとしゃべっている自分がいました。 ものすごく望んで始めた仕事ではなかったのですが、やってみると自分にぴったり合っているのがわかりました。 それから忘れてならないのは、私のヒプノ体験です。 初めて私がクライアントとして受けたヒプノの過去世セッションで私は「好きな人と一緒になれずに一人で産んだ子供にも先立たれて生涯喪服を着て窓から外を眺めながら暮らした孤独な女性」でした。 その想念を型どおりに解放すると、毎晩あんなに私を苦しめた「孤独な最期」というビジョンが消えました。 それ以降二度とその孤独と孤独が実現するだろうという恐怖は戻ってきません。 受けた時にはイメージしてくださいと言われるから軽く想像しただけ、という程度だったのですが数日後気がついた時には驚きました。 私は前世はなくてもいいと説明しています。 信じても信じなくても、役に立つものというのがこの世には用意されているのです。 ラディアンスでは、月に一回ご招待の瞑想というのをして自分と波長の合ったクライアントさんを自分に招きます。 私はすでにこの時夜店でこの法則を実践済みで、この方法には慣れていました。 自分が予定している日はすべて予約で埋まりました。 いらしてくださるクライアントさんとは必ず何かしらの共通点を感じ自分が引っかかったことのあるところに悩んでいらっしゃる方ばかりでした。 ですから私がわからないことがないと感じたのは、世界は自分の内面の投影で出会いもそうだということの現れだったと思います。 そこでは私が実践していた『マインド・トレーニング』が本当に役に立ちました。 それ以外にも私が27歳からこれまで取り組んだワークを少しご紹介します。 ・エドガーケイシーのリーディングに基づく治療法と健康法 ・エドガーケイシーのリーディングに基づく意識の法則~魂の理想、精神の理想、肉体(行動)の理想を決めて書き、実践する。 ・『マインドトレーニング』~波長の法則、鏡の法則、エゴの特徴を学んで解体し、心(インナーチャイルド)を育てなおす。 ・上記以外にもこのテーマについては膨大な量の本を読み実践しました。これは、愛を学ぶ地道で長い道のりです。 ・宇宙、チャネリングの本では『プレアデス+地球をひらく鍵』で本当にDNAが目覚める体験を実感しました。 ・その他数え切れないほど宇宙存在のチャネルに関する本を読みました。 ・ライトボディー覚醒セミナー。 元はダベンとオリンのチャネルで有名なサネヤ・ロウマンとデュエン・パッカーが開発した誘導瞑想ですが、ラディアンスではこのティーチャー資格を取ったセラピストがこのセミナーを行っていて、ラディアンスのセラピストになるにはこのセミナーを受けるのが必須でした。この瞑想を半年間毎日1時間ほど行いました。 その他いろいろな本にある様々な誘導瞑想を試しましたが振り替えるとライトボディの瞑想は確かに有効だったと感じています。 現在はCDを使って主人と一緒にこれを行っていますが、ライトボディ覚醒前の主人と今の主人は明らかに共感性やスペースが拡大しているのを感じます。 ・生支洲さんのリーディング&カウンセリング。一時期大変お世話になりフラワーエッセンスやオーラソーマも処方していただきました。 ・インド占星学。生支洲さんの紹介でした。私はインドの先生に鑑定を受けてあまりの的中ぶりに、自分がカルマの法則の中でもがいて生きてきたことがわかりました。 インドの寺院でカルマ解除のお祈りをしていただくと、私と妹がそれぞれの家の洗面所でほぼ同時刻に吐くという事件が起きました。 カルマ解除によって因果関係の深かった妹のカルマも同時にある程度解除になったのではないかと思っています。 現在ではカルマ解除のワークはそこまでしなくてもたくさんの方法があります。 私の行っているクンダリーニレイキでもかなりの効果が見られています。 ・アデプト。ロッキーマウンテンミステリースクールで行われているリチュアル(儀式)です。 スピリットガイドが5人入れ替わるといわれていて、見えない世界や存在のヒエラルキーや儀式について学びます。 私はこの後2週間高熱で寝込みました。 一緒に受けた社会的にある程度成功していた方々はことごとく財を失ったりなさいました。 スピリチュアルというのは3次元の成功哲学とは違うものだとつくづく思います。 ・心理カウンセラー養成講座(通信教育)。これは現在でも私のカウンセリングの基盤となっていて エゴの解体や内観、自他との境界線、他の影響から自由になることにも役に立ちます。 セルフカウンセリングという技法で、あらゆる自分の行動と言動を相手や環境からすべて切り離し解体していきます。 するといかに私たちが、自分の行動を相手や環境のせいにしているかが一目瞭然に明らかになっていきます。 実際に起こったすべての行動と言葉をルールに基づいて紙に書いて行くという課題を提出し、添削されるのですが本当に大変で、 6ヶ月で卒業するところを2年かかりました。2年かかってもあきらめずにやり通した自分を地味にほめてあげたいです。 ・エリザベス・ニコルソンのチャネリング。とてもすばらしい信頼できるチャネラーの一人です。 今は妹がお世話になっています。 ・高橋身奈さんのチャネリング、浄霊セッション。私にはたいした霊障はなかったのですが、これまで高次元の存在にしか興味がなく、視界になかった存在についても学ぶきっかけとなりました。 霊障を起こすような霊の波動は、普通の人間の未浄化の想念=悩みや苦しみが癒されていない状態と全く同じですので、そういう波動を持っていればを引き寄せるのは普通のことです。 自分自身が向き合っている心の問題に取り組むにあたっては仕組みを知る大きなきっかけとなりました。 ・レイ・チャンドランの公開チャネリング。愛に満ちた高次元チャネラー。 沖縄にいると参加できないのが残念です。 ・Four Arch Angels Healing テーチャー ・カラーズ・オブ・エンジェルズ マスターティチャー ・アバンダンティア・アバンダンス・レイ マスター ・アセンション・レイ マスター ・臼井レイキ マスター ・クンダリーニレイキ マスター ・ライタリアンレイキ マスター ・A Course In Miracles 現在取り組み中です。 ・『生命の贈り物』 ゆるしの祈りを現在日々行っています。 びっくりするほどの効き目です。皆さんにお勧めします。 ・クリヤヨーガ これも現在取り組んでいます。ババジというインド・ヒマラヤに肉体を持って数百年生きているとされる聖者が伝えたヨーガ。 パラマハンサ・ヨガナンダというインドのヨギで、現代のスピリチュアルと呼ばれている精神文化を最初にアメリカへ伝えた人の著書「あるヨギの自叙伝」で紹介されている自己覚醒法です。 真我という言葉はインド哲学から始まっていて、内なる神、内なる光、ハイヤーセルフなどとひとつと言ってもいいのではないかと私は思っています。 こ真我、内なる神とひとつになり生きるためのテクニックであり哲学であり教えでもあります。 また上記より前に私は演劇の様々な訓練を受けていますが、それらは言わば「身体と心と記憶」に関する訓練で 演劇の目的は心の浄化であり、それは演劇が観客と意識の同化をはかり変性意識状態に導き潜在意識の記憶を再体験させるから、という点でヒプノセラピーの効用と共通点が多いのです。 演劇の訓練は心と身体、精神の浄化にとても有効です。 その後は歌の勉強のためNYへ滞在し、魂がふるさとへ戻った時のような完全な平安を体験します。 それまでの人生では体験したことのない状態でした。 どうやら私はこの世で身につけた様々なネガティブな影響によるブロックやカルマのたまっていた宿題を随分片付けたようでした。 帰国後はボーカリストとして活動し、女優として新しいプロダクションに在籍し、ラディアンスをやめて個人セラピストとなりました。 また、帰国して1ヶ月後には歌の関係で紹介された会社のイベントの仕事で現在の主人と知り合いすぐにおつきあいが始まります。 東京の最終形では、ジャズライブ、テレビ、プロダクションの講師、セラピー、スピリチュアルのワークショップをして、好きなことをしながら生活することができるようになりました。 40歳で、10歳年下の鍼灸師の主人と結婚し東京都目黒区の都立大学に在住、2009年1月に東京都目黒区からに沖縄へ移住して現在に至ります。 現在はセラピーとヒーリングに専念し、主人とともに瞑想とレイキと内観を軸に幸せな今日一日を創造しています。 …この人生を生きる中でさまざまな苦しみ、痛みを体験していない人はいないと思います。 すべての喜びも苦しみも、作り出しているのは私たちが持っている心。 その心と向き合い探求することで、人生をもっともっとすばらしいものへと変えることができます。 私自身が身をもって体験し、観察し、探求してきた心理療法やエネルギーワークの中で 本当に自分自身を幸せに変えてくれた、目覚めさせてくれたツールだけを使ってセッションを行っています。 私たちが幸せへの道を探求し実際に幸せを生きることは、家族や周囲の人々そして地球全体へと影響を与えます。 小さな痛み、苦しみも自分だけのこととしないで 、それにちょっと本気で向き合ってみることで扉が開き 、世界が変わっていくという体験をどうぞ味わってみてください。 これまで数え切れないほどの方々が、目を輝かせ別人のように表情を変えていかれる姿を見せていただきました。 それが私にとってはかけがえのない経験であり、夢中になれる瞬間です。 みなさんがこの扉をたたいてくださるのを心待ちにしています。 風間美緒[AZU] |