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世迷言

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☆★☆★2010年12月10日付

 成田を訪れたついでに成田山新勝寺を参拝したところ、本殿に何か飾ってあるのでのぞいたら市川海老蔵、小林麻央とのサインが入った色紙だった。婚約発表に同寺を訪れた際に仲良くしたためたものだろうが、今頃は撤去されているにちがいない▼梨園の御曹司といえば、どことなく品があって、ゆったりとしてといったイメージがあるが、舞台だけでなく舞台裏でも強面を演じる力を備えた逸材もいることを知らされた。自らも負傷しながら相手にもかなりの深手を負わせたというその喧嘩沙汰を「役者やのう」とたたえるわけには参らぬが「色男金と力はなかりけり」という俚諺だけは訂正の必要がある▼その御曹司のもてることは市川という大名跡の威光だけでなく、芸もよし姿形もよしだからで「天は二物を与えず」という格言も訂正する必要がありそうだ。だが、天は三物も与えてしまった。腕力である。ないよりはあった方がいいが、酒乱には禁じ手である▼酒場でアルバイトをしていた時、常連客の1人がその酒乱で、店に来れば必ず暴れるのであった。さいわいにして非力だったから、周囲が取り鎮めることができたが、本人がそれを自覚していてもまた飲みに来るところが不思議だった。海老蔵もその気があったのか▼かくいう当方も酒に飲まれる方だから大口は叩けないが、せっかくの役者が酒であたら名声を台なしにするというのは、惜しんで余りある。役者には役者の苦労があるのだろう。しかしその苦労を酒でごまかしては酒にすまない。酒は楽しくのむべかりけり―なのである。

☆★☆★2010年12月09日付

 まずはお詫びを。昨日の小欄で社民党が武器輸出3原則うんぬんと書いたが、社民党が葬り去りたいのは与党内にある3原則の「見直し」なのに、その「見直し」をうっかり抜かしてしまったから、立場が逆になった▼こういう常識的なことは「暗黙知」として、誰の頭にも入っているから校正者も気づかない。書いた本人が翌日朝「待てよ」と読み直してみると、ガーン。はたして間違いがそのまま通過していた。時折こうしたことがあるのは、否定の否定は肯定、否定の肯定は否定などなど、正逆をよくよく考えないと論理矛盾が起きることに似ている▼その典型的な例がマヒナスターズの歌った「お座敷小唄」だ。歌詞中に「雪に変わりがないじゃなし、溶けて流れりゃみな同じ」とあるのは、あきらかに誤用で、このままだと、赤い雪や青い雪があってなんら不思議ではない。まさにうっかりミスがそのまま通過してしまった。で、いまもそのまま歌われているのはご愛敬だろう▼弁解が長くなったが、こうしたミスが起きるのを何も加齢のせいだけにはできない。それは「思い込み」というものが人間にはあるからで、それがチェック機能をマヒさせる例を実際何度も体験し、また目にしてきた▼物書きが恐れるのはその思い込みで「後生畏るべし」を、「後世畏るべし」と1字違えただけで意味はまったく異なる。だから、週刊朝日の名編集長だった故扇谷正造さんが「校正畏るべし」と書いたのは言い得て妙で、その通り推敲を重ねる作業を厭うとこうなるという実例をお見せしてしまった。

☆★☆★2010年12月08日付

 シーソーゲームなら誰を味方につけても構うまいが、こと政治において主義主張の異なる相手とタッグを組むというのは野合≠ニいうものではなかったのか。しかも1度は懲りて別れたはずの相手と復縁≠ニいうのだからこれは〈懲りない面々〉というほかはない▼民主党が政権担当にあたって社民、国民新両党と連立を組んだ動機は、むろん法案通過のために過半を制する必要があったからで、必ずしも政策が一致したわけではないから、いずれほころびが出ることは明白だったが、案の定、ほどなくして「性格の不一致」で社民党が三行半を突きつけた▼予算関連法案は、ねじれ状況下にある参院で否決されても衆院で再議決されれば通過するが、3分の2超の賛成が必要なその再議決のためにはあと6票が足りない。そのジャスト6票を持っているのが社民党というのは何たる偶然奇縁。そして事実同党はそのキャスティングボート(局面支配権)を握っているのである▼普天間基地の移転うんぬんというより基地そのものを認めない社民党が、辺野古移転に逆戻りした民主党と絶縁≠オながらなお未練タップリなのは与党の傘≠ゥらはみでた悲哀を味わったからだろう。しかしチャンス!元カレ≠ェおいでおいでをし出したのだ▼民主党が本心を隠してまで元カノ≠ノすり寄るのはむろん、ノドから手の出るほど欲しい6票のためだが、敵もさるもの。だまされたふりをして武器輸出3原則を葬り去るという魂胆がありあり。まさに虚々実々のだましあいだが、こんな田舎芝居を見せられるのはもうウンザリだ。

☆★☆★2010年12月07日付

 中性脂肪が増えているのは運動不足が原因だから多少は体を動かしなさいとホームドクターに再三再四警告されながら、おっくうがそれをこばんでいる。さて、楽しみながらできる運動はないものか?▼なにしろ運動神経を忘れて生まれてきたような男ゆえに、スポーツらしいものをやりたいという気分になったことがない。それでも一時、ウオーキングをしたことがあった。と、過去形になっているのはむろん、長続きしなかったからである。そのくせ晩酌は毎晩欠かさず、しかも食欲だけは旺盛だからメタボにならぬ方がおかしい▼中性脂肪が増えるということは栄養を摂った余りを体内に蓄えているということで、エネルギー源を貯蔵していること自体は歓迎すべきなのだが、実はこれが血管を弱らせ動脈硬化の原因となるという負の作用を持っていることが問題なのである▼中性脂肪増加の原因である酒好きと運動不足の両方の条件を満たしていれば、警告は当然の帰結だが、直近の検査ではなぜか悪玉コレステロールが逆に減っていたというのは、生活習慣の面からだけでは片づけられない何かがあるのではないか。多分それは食べ物ではないかと推理しているが、人体のための未知の「守護神」があってもおかしくはない▼「楽しい運動」とは容易に出会えないようなので、まずは中性脂肪を減らす食物を極力食べることだとそのリストを眺めていると、われながら食物のバランスをうまくとっていることに気づいた。そうか好き嫌いがないということが「守護神」だったのだ。

☆★☆★2010年12月05日付

 何ら定見を持たず、思いつきのまま発言し行動する政治家に国の舵取りを任せたらどうなるか、そんな危うさを感じさせた鳩山前首相が国民の期待≠ノ応えて自ら退いてくれたのはよかったが、では後継者は大丈夫か?▼菅政権の薄氷を踏むような政権運営に国民はそんな疑念を抱きだしている。「総理になりたかっただけで、その識見も力量も持ち合わせていない」と酷評され続けながらしかし支持率が1%になってもやめないと続投を表明するのはいいが、リングの脇ではセコンドがタオルを用意しているありさま。つまり仲間からすら見放されつつある▼それにしても内憂外患続きだからこそ、閣内、党内がここで一枚岩となって結束し、国難に対処すべきところなのに、四分五裂して足を引っ張り合うのはどこかで見た光景。そう自民党ではそれが末期に起こったが、民主党では政権発足からまだ日が浅いというのにタガがゆるみだした▼それはやはり強力なリーダーシップが2代にわたって欠けていたという証左であろう。自分の信ずるままに断固として突き進むという覇気を鳩山さんからはみじんも感じられなかったし、菅さんもまた自分というものを打ち出せないまま右顧左眄している▼つまり、日本をこうしたいというグランドデザイン(設計図)がないから、「現場合わせ」で済ましてしまうのである。現首相が自由貿易を目指し「開国!」と言う反対側で前首相が「攘夷!」と叫んでいるさまは、夜明けというよりたそがれの光景に見える。

☆★☆★2010年12月04日付

 米国というのはよく分からない国である。一時双子の赤字に苦しんで、このままでは倒産するのではと心配した経済学者もいたが、そうはならず、サブプライムローンや、リーマンショックといった大激震も乗り切っていま景気回復しつつあるというのだから▼その復原力の秘密を探るのは専門家に任せるとして、驚いたのはビッグスリーの車が売れているという事実である。日本車などエコカーに負けて競争力を失い大赤字をかかえて公的資金の投入を受けるための公聴会の際、トップが自家用ジェット機で乗り付けたことを非難されたのはつい最近のことだった▼もはや再建不能にすら見えるほど深刻な打撃を受けたそのビッグスリーが、公的資金というカンフル注射で元気を取り戻し、GMなど借入金を返済できるところにまでこぎ着けたというニュースを聞いた時は信じられぬ思いだったが、さすが腐っても鯛、底力は秘めていたらしい▼先月11月の米自動車販売台数だが、前年同月比16・9%増の87万3323台と景気回復の基調を物語っているのが注目される。GMが11%、フォードが20%それぞれ販売を伸ばし、クライスラーも含めたビッグスリーが久しぶりに檜舞台に上った▼日本車も負けていず、日産、ホンダとも20%以上の増となったが、リコール問題で点数を下げたトヨタだけは一人負けとなった。いずれ車という高額商品が売れるということは好調を裏付ける明るい材料だ。だが、それに比して日本はどうかとなると、ただただ嘆息するほかはない。

☆★☆★2010年12月03日付

 西洋音楽の佳曲をメロディーのみ借用した文部省唱歌はいくつもある。日本の曲とばかり思っていたのが実は外国からの借り物≠ニ分かるのは、意外な場面で種明かしされるからで、教会で賛美歌を聞いて「えっ」と思うのもその一つ▼映画「タイタニック」の中で沈没寸前に楽団が演奏する曲が「主よ身許に」という賛美歌であることはわからなくても、この曲を中学生時代に音楽の時間で習った記憶だけはある。その歌詞を当方はまったく覚えていないが、同級生の1人が見事にそらんじていた。ただし題名はわからない。メロディーは名曲だから焼き付いているが、歌詞の方が頭に入らなかったのは駄作だったからか▼子どもの頃に習った曲なのにいまも覚えているのは、口語よりも文語の方が多いのはなぜだろうか。「ローレライ」の〈なじかは知らねど心わびて/昔のつたえはそぞろ身にしむ/さびしく暮れゆくラインのながれ/いりひに山々あかくはゆる〉いいねえ▼〈波涛千里洋々と/東にうねり西に寄せ/日出ずる国の暁に/雄々しく歌う海の歌/黒潮越えていざ行かん/われらの海よ太平洋〉これは「太平洋」という曲だが、このリズム感もこたえられない▼「赤とんぼ」の「負われて見たのは」を「追われて」と解釈しても、歌詞を覚えやすかったのは確か。先日新約聖書を眺めていたら「主の祈り」つまり祈祷文が口語で書かれていた。小学生の頃カトリック教会で教えられたのは、「天にましますわれらの父よ、願わくはみ名の尊まれんことを、み国の来たらんことを」と文語体の名調子だった。今は使われていないという。その感覚を疑う。

☆★☆★2010年12月02日付

 「名は体を表す」というが、企業においてはもはや名(社名)が体(本業)を表すとは限らなくなった。つまりそれだけ世の中の変化が急なため、本業にあぐらをかいてはおられなくなったのである▼富士フイルムといえば、かつては小西六写真工業との2社でカラー写真市場の双璧をなした存在だが、その名残で富士写真フイルムという社名を近年まで残していたものの、ついには「写真」の2字を取り外し、現社名でかろうじてフィルムメーカーである出自をとどめているにすぎない▼むろんいまでもフィルム、印画紙、カメラ、印刷資材なども生産はしているが、新時代に対応すべく、一大業態転換を図っていることは新聞、テレビなどに登場する化粧品やサプリメントのコマーシャルに製造発売元として富士フイルムの名を発見することでいやでも認識するはずである▼銀塩からデジタルへの移行で、フィルム事業の先細りを見越した異業種への参入だが、フィルムの技術が応用できることを発見したことがきっかけだったという。洗剤や化粧品の花王が一時、フロッピーディスクなどの磁気製品を手がけたこともあったが、いまや昔の企業イメージなどあてにならない時代なのかもしれない▼「大日本スクリーン」という会社の主力商品であるその「スクリーン」が市場から姿を消し、ついには社名からも消えた時は、いやでも時代の流れを感じたものだったが、その傾向は今後強まることがあっても弱まることはあるまい。だから、新聞社から「新聞」の名前が消えて、何を作っている会社か分からなくなる時代が来るかもしれないのである。

☆★☆★2010年12月01日付

 きょうから師走。月日の早さは加齢に比例するようで、昨年の1年より今年の1年の方がはるかに早いような気がする。さて、この日から何が変わるか?新常用漢字196字が追加され、新聞各社は早速本日から使うという▼196字を追加し、5字を削除して計2136字となった常用漢字とは、「日常の使用に必要なものとして選ばれた漢字」を指す。かつては「当用漢字」といったが、常用にしろ、当用にしろ、必要なものがなくて不要なものがあったりと、その採用基準が判然としないのは、現場も混乱しているからだろう▼明治まではフリーだった漢字の使用に制限が加えられたのは大正時代からだという。それは無制限にすると子どもたちに負担がかかるということらしいが、寺子屋で漢籍の素読を叩き込まれた明治人たちの語彙(この彙も今回追加された)の豊富さには驚嘆するのみ▼柳田國男の著作を読もうとして途中で落伍したのも、辞書にもない言葉が次々と出てくるからだった。その時「単語ノート」を作り、それらを書きとめておいたが、ほとんど字義を確認せぬままになっているのはわれながら情けない。制限は日本文化の理解と継承のために有害ではあっても、時代には逆らえない▼もっとも新聞社にも罪があって、活字の用意や電信の都合で制限に加担した過去があった。業界は使用漢字を一時2500字、のち3700字までとしたが、その「ご都合主義」は時に自縄自縛した。「憂うつ」など「交ぜ書き」する「憂鬱」さが待ち受けていたのだった。

☆★☆★2010年11月30日付

 12月全線開業する東北新幹線(新青森―東京間)に来年3月5日から「一等車」が登場するという。旧国鉄時代に一等車、二等車、三等車という区分けを知っていた世代には懐かしい響きだが、さて誰が乗るのだろう?▼さすが一等車という呼称ははばかったか、「グラン・クラス」と呼ぶのだそうだ。1両に18席のみ(グリーン車は55席)という贅沢さで、足をゆっくり伸ばせる本革の電動式リクライニングシートに、専任のアテンダント(乗務員)、飲食付きと航空機のファーストクラスを意識したことはありあり▼旧国鉄時代、大船渡線には一等車はなく、二等車、三等車だけだった。その二等車も気仙沼を過ぎると乗客が数えるほどとなり、三等車からちゃっかりと乗り移って「薩摩の守」つまり「ただのり」を決め込んだりしたが、通学生のこととあって、乗客も車掌もとがめだてはしなかった▼東北本線にはむろん一等車があり、小学生の頃、迷い込んだら乗客からえらく叱られたことがあり、以来一等車というものには反感がある。だから新幹線にグリーン車という事実上の一等車が設けられても、拒絶反応が起こるのはそのためである(金を惜しんでのことではない。エヘン)▼長旅は退屈だから色々な工夫があっていい。パチンコ室、麻雀室、ゲーム室などがあってもいいと思うほどだが、国鉄がJRと変じても、商売っ気はあまりないようで、まずは正攻法とおいでなすったよう。だが、食堂車の復活こそ急務と小生は思う。飲んで食っておれば2時間、3時間は苦にならないからで、それだけ粘ればJRも収益が上がるだろうに。


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