続・靖国神社
2010年 12月 02日
国家神道について、どう思いますか。
私は、戦争末期の悲惨な思想弾圧によって、善良な人々が投獄された事実を忘れることができません。国家神道を旗印として、軍国主義を押し付け、幾百万の人々を殺害した政治家と宗教を許すことができません。
靖国神社と戦争博物館を見学したのは、そういう意志が背景にありました。
宗教の研究書である「日本の宗教」(出版社「大明堂」・著者「堀一郎」元東大教授他)によると、宗教の歴史は、戦前と戦後に大別できるといいます。
戦前においては、国家神道(神社)は他の宗教の上に存在していました。
当時、国家が公認した宗教だけが、国家の監督のもとで一定の保護が与えられました。
戦前に公認・統合された宗教は、神道が13派、仏教が13宗28派、キリスト教教会2教団のみです。国家は、このように、公認したものだけを宗教と定義しました。しかし、社会的な事実として、新しい宗教が発生することを妨ぐことはできませんでした。
この思想統制の時代に、初期の創価学会は存在していました。初代会長牧口常三郎先生は、この国家神道の時代に投獄され、獄死しました。
暗黒の時代は、戦争の終結と共に180度変わりました。
天皇の人間宣言、軍国日本の崩壊の後、日本国憲法の制定と共に、信教の自由は無条件に保証されました。政教分離が実施され、国家に宗教的枠組みをはめていた国家神道が解体されました。神社も一宗教として、存亡を民衆の支持にゆだねたのです。
このとき、靖国神社も過去の特別待遇を失いました。
しかし、この神社を国家管理に戻そうとする「国家護持運動」が繰り広げられました。
1969年、当時の政権与党は、国家管理化を目指す「靖国神社法案」を国会に提出しました。その後も、与党は、合計5回も同法案を提出しました。これらは、野党の猛烈な反発を受けて廃案。次に問題となったのは閣僚の公式参拝です。
このように、靖国を国家の公認にしようとする人々と、阻止しようとする人々とが争っていました。今となっては、この神社が国の管理になることはないし、それは、絶対にあってはならないことだと思います。
国家の慰霊施設は、兵士だけでなく、民間人も平等に取り扱うべきであると私は主張したい。
できれば日本人だけでなく、中国人、朝鮮人、あるいはアメリカ人やその他の関係諸国の被害者の全てを対象とし、特定の宗教ではなく、むしろ宗教色を取り払い、国家行事として憂いのないものにしてほしいと思っています。
現在、靖国神社は、単なる一宗教です。
今回の記事は、戦前の靖国と国家神道に対してのものです。
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# by sokanomori | 2010-12-02 21:40 | 他宗教・他思想 | Trackback | Comments(12)