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続・靖国神社  

2010年 12月 02日

            ◇私は、靖国神社について次のように考えます。
皆さんは、国家神道を知っていますか。
国家神道について、どう思いますか。
私は、戦争末期の悲惨な思想弾圧によって、善良な人々が投獄された事実を忘れることができません。国家神道を旗印として、軍国主義を押し付け、幾百万の人々を殺害した政治家と宗教を許すことができません。
靖国神社と戦争博物館を見学したのは、そういう意志が背景にありました。
宗教の研究書である「日本の宗教」(出版社「大明堂」・著者「堀一郎」元東大教授他)によると、宗教の歴史は、戦前と戦後に大別できるといいます。
戦前においては、国家神道(神社)は他の宗教の上に存在していました。
当時、国家が公認した宗教だけが、国家の監督のもとで一定の保護が与えられました。
戦前に公認・統合された宗教は、神道が13派、仏教が13宗28派、キリスト教教会2教団のみです。国家は、このように、公認したものだけを宗教と定義しました。しかし、社会的な事実として、新しい宗教が発生することを妨ぐことはできませんでした。
この思想統制の時代に、初期の創価学会は存在していました。初代会長牧口常三郎先生は、この国家神道の時代に投獄され、獄死しました。
暗黒の時代は、戦争の終結と共に180度変わりました。
天皇の人間宣言、軍国日本の崩壊の後、日本国憲法の制定と共に、信教の自由は無条件に保証されました。政教分離が実施され、国家に宗教的枠組みをはめていた国家神道が解体されました。神社も一宗教として、存亡を民衆の支持にゆだねたのです。
このとき、靖国神社も過去の特別待遇を失いました。
しかし、この神社を国家管理に戻そうとする「国家護持運動」が繰り広げられました。
1969年、当時の政権与党は、国家管理化を目指す「靖国神社法案」を国会に提出しました。その後も、与党は、合計5回も同法案を提出しました。これらは、野党の猛烈な反発を受けて廃案。次に問題となったのは閣僚の公式参拝です。
このように、靖国を国家の公認にしようとする人々と、阻止しようとする人々とが争っていました。今となっては、この神社が国の管理になることはないし、それは、絶対にあってはならないことだと思います。
国家の慰霊施設は、兵士だけでなく、民間人も平等に取り扱うべきであると私は主張したい。
できれば日本人だけでなく、中国人、朝鮮人、あるいはアメリカ人やその他の関係諸国の被害者の全てを対象とし、特定の宗教ではなく、むしろ宗教色を取り払い、国家行事として憂いのないものにしてほしいと思っています。
現在、靖国神社は、単なる一宗教です。
今回の記事は、戦前の靖国と国家神道に対してのものです。
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# by sokanomori | 2010-12-02 21:40 | 他宗教・他思想 | Trackback | Comments(12)

遊就館(ゆうしゅうかん)  

2010年 12月 01日

               ◇靖国神社の宗教の現証がここにあります。

靖国神社の遊就館。
私は800円の入場料を支払い、2階に向うエスカレーターに乗った。
この博物館の入り口には、日本兵の銅像がある。戦場を駈ける若者の像である。
銃弾が飛び交う戦場で、倒れ、死んでいった人々の人生とは何であったのか。
私は、この入り口の向こうに、その答えがあるような気がした。
展示会場は、写真撮影が禁止されている。よって、以下に文章のみでお伝えします。
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博物館の入り口には、シアターが2ヶ所あり、私はその一室に入った。
暗がりに映し出されたのは、日露戦争や日中戦争の映像であった。
過去の日本軍の戦争が、正当化された内容に作られていた。ナレーターは、「日本軍の中国侵攻は、アジアの平和をもたらすために行われた正当な行為だ」との内容のコメントをしていた。私は、腹立たしくなった。
「ここは、軍国主義の養成学校なのだろうか‥」
私は途中で席を立ち、次の展示会場に向った。
博物館は、最初、幕末から明治維新にかけての、長州藩の展示物で飾られている。
やがて、日露戦争、さらに日中戦争から太平洋戦争に続く内容になっている。
衝撃的だったのは、人間爆弾「桜花」と人間魚雷「回天」であった。
TVや写真で見たことがあったが、実物を見たのは初めてである。
「この爆弾に人が乗り込み、片道切符の特攻をする‥」
私は博物館の天井に吊るされている桜花を茫然と見上げた。桜花は、想像以上に小さな乗り物だった。搭乗した人間の気持ちを想像して息が詰まった。
次に、人間魚雷「回天」を見た。私には、真っ黒の鉄の棺おけに見えた。
「この鉄の塊に乗って、海水の中を進む‥。思いを遂げられず、海底に沈んだ若者も多かったのではないか‥」
搭乗した人々の恐怖と苦悩が伝わってきた。辛かった。悲しくなった。
展示会場をさらに進んだ。
やがて、戦死した人々の遺影や遺書のコーナーになった。
そこには、まるでホロコーストの展示室のように、顔写真が数え切れないほど貼られていた。
おびただしい数の遺書。砲弾が貫通したヘルメット。さらに軍服や様々な遺品が積み重なっていた。展示室には、汗臭い独特なニオイが漂っていた。
当時の人々の声なき声が聞えてくるようだった。
こうして私は、当時の人々の気配を身近に感じ、憔悴した心で見学を終えたのです。
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私には、靖国神社の一部始終が、巨大な戦争博物館に思えました。
そう考えれば、この神社の存在意義もあるのだと思います。
靖国神社と遊就館。見学することは、あながち無意味なことではありません。
ご覧になれば、きっと、決意にも似た何かが生まれることでしょう。
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# by sokanomori | 2010-12-01 22:10 | 他宗教・他思想 | Trackback | Comments(6)

靖国神社  

2010年 11月 30日

              ◇軍国日本の象徴的宗教施設を見学しました。

先月のこと。東京九段下に用事で出向いた。
そこに、かの有名な靖国神社があった。その巨大な鳥居が見えた。私にとって、もっとも嫌いな宗教が靖国神社である。意を決し、東京メトロ半蔵門線の九段下駅から坂を上り、ついに私は靖国神社に足を踏み入れた。以下に、見学した際の感想を述べる。

       靖国神社の大鳥居(第一鳥居)。私は、鉄製の鳥居を睨みつけた。
       長州藩の大村益次郎の銅像。日本陸軍の創始者の一人である。
       靖国神社の拝殿。建物内を撮影しようとしたら警備員に止められた。
       境内にある戦争博物館「遊就館」(ゆうしゅうかん)。展示物のゼロ戦。
       展示物の野砲。この建物の2階が、博物館の入り口になってる。
       見学を終えてて帰路につく人々。何を見て、何を感じたのだろうか。

私は、鉄製の巨大な鳥居と広い参道に戦慄を覚えた。
この道の広さは、戦争で兵器に変えられた兵士の数の多さを物語るものである。
私は、大鳥居から真っ直ぐ拝殿に向った。その途中で、長州藩藩士の大村益次郎の銅像を仰ぎ見た。この靖国の神は、天皇家由来の神ではない。明治政府の樹立後、長州藩出身の人々が中心となり、戦没者の慰霊として建設した神社である。
靖国神社の本質は、「戦争神」である。設立の志はそうでなかったかも知れぬ。
しかし、戦争を肯定・美化し、軍国主義を尊いものとし、戦死者の家族を納得させるために利用されたことは明白である。
参道には、旧日本軍の軍服を着た若者たちがいた。外国のメディアの取材を受けていた。
質問に得意気に答えていた。私は、不愉快な気持ちを抱えながら通り過ぎた。
戦地に赴く幾百万の兵士が、国家神道という鳥居を通過した。家族が見守り、見送った。そして、兵士たちは、戦場の土となり、海底の藻屑となり果てた。
最後、兵士たちは、戦死者名簿に名前を記されて、この靖国神社に帰ってきたのである。
私は、拝殿を瞼に焼き付けた。その後、戦争博物館を見学した。
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# by sokanomori | 2010-11-30 21:13 | 他宗教・他思想 | Trackback | Comments(10)

「お寺」はもういらない。  

2010年 10月 27日

               ◇AERAの気になる吊革広告に誘われて。

AERAという雑誌がある。
過去は時々購入したが、ある日、創価学会の批判記事を書いていたので、買わないことに決めた。そのような経緯から、嫌いな雑誌だったが、今回、「寺はもういらない」という、刺激的な吊革広告を見た。気になる‥。我慢できず、380円を支払い、久々にAERAを読んだ。(笑)
以下に、記事の概要を記す。

◇リオンショックからの「お布施騒動」--------------------
昨年秋、大手スパーのリオンが葬祭事業に参入、「お坊さん紹介サービス」を開始した。
リオンは、「読経+普通法要」を25万円、戒名を依頼した場合の法要を40万円とした「お布施表」をインターネットで公表した。
このことに対し、全日本仏教会が、東京秋葉原のシンポジュウムで、「お布施は本来、『喜捨』であり、『標準化』や『統一』すべきではない。お布施という宗教部分を、僧侶が商品化されたような表現がなされた」と反発したという。(2010年9月13日)
このこたごたに対し、「お寺の経済学」の著者である慶応義塾大学の中島教授は、「国民がイオン的な取り組みを歓迎したら、お寺は終わり」と結論付けるコメントを発表した。
「現在、宗教活の空洞化が起こっている。現在、日本全体の平均は、600世帯に1カ寺である。檀家制度のない沖縄が8400世帯に1カ寺であることを考えると、今後50年以内に、全国7万6000寺が、6000に減少せざるを得ない」との厳しい予測を立てた。
葬儀料金の明朗会計化が進み、価格競争が激化すると、寺院のトラブルは増えそうである。

◇各種寺院の「裁判」や「犯罪」--------------------
さらに、AERAは、宗教法人の問題を語っている。
少し前の事件であるが、愛知県でのペットに対する供養に対し、5年間分、670万円の課税を寺に課した。
寺側は、「飼い主の悲しみを癒やし、ペットの霊を鎮める宗教行為」と主張したが、最高裁は「寺は料金表で決めた葬祭費を得ており、お布施とは性格が異なる」と指摘。寺側の主張を退けた。
そもそも、「おみくじ」や「お守り」は非課税、線香やロウソクは課税対象であるとされるが、「課税対象物でも、境内で神仏に供えるなら非課税」というようなあいまいな法律解釈になっている。今後、事業仕分けならぬ、宗教法人仕分けが望まれるところだ。
このことに加え、宗教法人の税制優遇から、寺や神社が「所得隠しの温床になっている」との指摘があった。「宗教法人の売買、不祥事など、宗教界の問題は後を絶たない」とも。
4年前、東京の葬祭業者が、読経の仕事を紹介した見返りに、僧侶からリベートを受け取り、買収した休眠法人に8億円もの所得を隠していた事件も紹介されていた。

以上、かなり気持ちの悪い内容であった。
昨日も、僧侶が麻薬所持で逮捕されたニュースが流れていたが、このような事件が報道されるたびにガッカリするのは、何も、私だけではないだろう。
そもそも、今の寺や神社に、宗教はあるのだろうか?
宗教とは、根本の教えである。そこに、教義があり、学びと修行があるから宗教である。
葬式だけを行い、土地を用意して墓を売り、葬儀でお経を唱えるだけの行為を繰り返す寺院は、本来の宗教とは程遠い存在である。
今後、50年、100年と経過すると、大学教授が指摘した「宗教活動の空洞化」に伴う宗教の減少は、さらに進むかも知れない。
ともかく、正しい宗教に巡り合うというのは難しい。
仏法では、そのことを一眼の亀の話に例えている。
その悲しい亀のお話は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2010-10-27 23:03 | 他宗教・他思想 | Trackback | Comments(7)

大原はだか祭りの災害  

2010年 09月 24日

◇落雷の被害者は34名。(重傷者2名)

昨日、千葉県いすみ市で行われていた「大原はだか祭り」で「落雷」とのニュースが報道された。(写真は朝日新聞)
みこしの担ぎ手34人(男性32人、女性2人)が負傷。このうち男性(65)と男子中学生(13)が重傷を負った。
会見した祭りの実行委員会によると、祭りの全18基のみこしが集まるクライマックス「大別れ式」の終了間際、高く掲げられたみこし2基に雷が直撃したという。負傷した34名のうち、9人は高校生以下の子供だった。けが人は小学校体育館に収容後、病院に搬送された。
感電した男子高校生(16)は、「一瞬の出来事で、何が起きたか分からなかった。目の前に赤や青の光がちらちらし、気が付くと足がけいれんしていた。周囲に20人くらいが倒れていた」と振り返った。
近所に住む60代の女性は、「落雷の瞬間、すごい地響きのような音がした。直前まで雷鳴は聞こえず、いきなり落ちた」と話した。
雷注意報が出ていた中での祭りであった。大原はだか祭りは、翌日も行われる予定であったが、初日のこの事故で2日目は中止になった。
地元警察では、みこし上部の金属棒に落雷したとの見方を強めている。
判断は難しいが、今後の教訓にする必要がありそうだ。学会員も、地域交流でみこしを担ぐ人もいるようだが、雷注意報の時は参加を見送った方がいいだろう。
さて、全国、津々浦々に神社があり、みこしがある。そして、過去から、日本人はみこしを担いできた。この「みこし」とは何だろう。その意味を、Wikipediaで調べてみた。
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神様の乗り物として、みこしが継承され現在のような形になった。
行事としては、単に目的地を回るだけのものや、荒々しく揺らしたり、みこし同士をぶつけ合ったりするものなど様々で、祭りの中でみこしが果たす役割は多種多様である。荒々しく揺らすのは、神の霊を揺り動かして活性化させる(魂振り)という意味があるという。
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ふ~ん‥。でも、よく分らないな~。
私の岡山の田舎では、「だんじり祭り」が行われる。
激しくぶつけ合う祭りで、私も小さい時、だんじりに乗ったことがある。死者が過去、町内で2人出ている危険な祭りであった。これも、神の乗り物だったのだろうか?
そもそも、神とは何であろうか?
ともあれ、祭りは宗教というより、地域イベントのようなものだと私は考えている。
楽しむことは大いに結構なことだが、くれぐれも、怪我や事故には注意して頂きたい。

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# by sokanomori | 2010-09-24 21:51 | 他宗教・他思想 | Trackback | Comments(15)

幸福実現党  

2010年 07月 24日

                 ◇宗教政党の気になる今後を考える。

今回の国政選挙で、個人的に注目していた政党があった。幸福実現党である。
私の職場が、高田馬場にあり、会社近くに「幸福の科学」の寺院(道場)がある。
通勤するたびに、この建て物を見ている私は、その寺院に出入りする信者も見てきたし、もう一つの職場の渋谷でも、街頭演説を聞いていた。
一生懸命に選挙運動をしている若者を横目で見ながら、「もし、1議席すら取れなかったら、彼らは肩を落すだろうな~」と感じていた。
1議席でも獲得できれば、幸福実現党は国政への足ががりができる。ゼロと1議席とは、まったく意味が違う。
その幸福実現党はどうなったのか。
結果は、大惨敗であった。
今回の選挙での幸福実現党の比例区得票数は、22万9026票であった。思いの他、少ない。全投票数5845万票の中の22万票。合格ラインの100万票に、まったくとどかなかった。
昨年夏の衆議院選挙に続く敗北に、支援者は落胆しているのではないか。
今後、彼らは、どうするのだろうか。三度、国政選挙に立ち上がり、さらなる敗北の道を選ぶのか。それとも、政界進出を諦めるのか。
本来、宗教と政治は別分野である。政治活動を、信者に命じれば動くというほど単純ではない。政治と宗教をごちゃ混ぜにした政策は、一般の国民からは支持されないだろう。敗北は、信者の希望と歓喜を奪うだろう。
世間から見れば、信者は「盲目的に運動をする」という認識があるかも知れない。
しかし、現実は違うのだ。政治分野となると、意見は絶対に分かれる。宗教と政治は違う。
心から賛同できる政策、あるいは実績がない限り、人は納得しない。
世のため、人のために仕事がしたいなら、もっと違ったアプローチを考えてみるのはどうか。
市議や県議など、小さな政治から参加して、政治を学び、実績を積むのも方法だろう。
今、幸福の科学は、岐路に立っている。

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# by sokanomori | 2010-07-24 21:25 | 他宗教・他思想 | Trackback | Comments(13)

市有地の神社は憲法違反  

2010年 01月 21日

                 ◇砂川・政教分離訴訟に思うこと。

この訴訟は、クリスチャンの谷内栄(79)氏が原告である。中学の英語教師を引退した谷内氏であったが、ある日、北海道砂川市の市有地に存在する神社(写真左)が、無償で土地を使用していることを知る。
「これは政教一致ではないか」と市に公開質問状を提出したが、5年間放置され、結果、2004年に控訴した。昨日、最高裁で、「砂川市の空知太(そらちぶと)神社は政教分離を定めた憲法において違憲である」との判断が下された。
谷内氏の兄は、日本軍兵士として中国に出征し、24歳で戦死している。
戦後、谷内氏の母は、「兄さんは、靖国神社にはいない。戦時中は、そんなことは言えなかった。お前は、自分の善かれと思う道を歩みなさい」と話したという。私は、この母の悲痛な言葉を新聞記事に見て、国家神道と旧軍国日本に憤りを覚えた。
谷内氏自身も、戦争中、神社にも参拝し、戦地に向う兵士を万歳で見送った一人である。戦後、17歳のときにキリスト教と出逢う。「戦前に叩き込まれた国家神道とは、まったく違った世界観があった」との理由から入信されたとのことである。
私の宗教とは違うが、谷内氏は立派だ。神社が、市の保護下にあり、利益を得ていたとするなら、それは政教一致である。その問題を見過ごすことなく、控訴して勝利された。
創価学会は、公明党の支持母体であるが、国から違法な利益は受けていない。公明党は、宗教や立場に関係なく、全国民の幸福を実現するための平等な政党である。選挙活動や政治活動は、憲法において保障されている。アンチやレベルの低い人たちが、「政教一致」と批判をしているが、まったく馬鹿げた話である。
今、この空知太神社のような宗教施設が、全国に1000箇所以上もあるという。創価を批判する人々よ。憲法をもう一度勉強するがよい。そして、これらの、おびただしい数の政教一致の宗教施設の問題を論じたまえ。我ら創価に、違憲はないのだ。
創価学会初代会長の牧口先生は、政教一致の国家神道の軍政府の元で、投獄され、獄死させられた。私達は、国家の宗教統合、国家の政教一致には、断固反対する。
創価学会弾圧の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2010-01-21 23:10 | 他宗教・他思想 | Trackback | Comments(7)

祖母の不思議な体験  

2009年 11月 23日

                  ◇天井裏に頭痛の原因があった。
本日は、祖母の体験を述べる。
私が生まれる前の話である。創価学会の信仰を始めて、1年が過ぎた頃、祖母は勤行すると頭痛になった。お題目をあげると頭が痛い。おかしい。そこで幹部に相談した。
「何だろう。もしかして天井に何かあるのかな?」と言われ、祖母はハッとした。見てみると、天井裏に大量の神札があった。当時、神札を天井裏に入れると火事が起こらないという迷信があったようだ。果たして、神札を全て取り除き、焼き捨ててから頭痛はなくなった。
これは、科学的に証明のできない話である。けれど事実なのだ。
このように、私の周囲にはこの手の話は普通にあった。故に、霊能者が本物で、何かを言い当てた程度のことはまったく驚かない。むしろ、嫌悪するだけである。それがどうしたということである。世界の偉人の功績に比べれば、占いなど、実にクダラナイものである。ある意味、そのような陰鬱とした世界に魅かれ、接することは危険だ。
蛇や狐を拝めば、何かしらの畜生界の力を得て、多少の占いはできるようになる。しかし、それは恐るべき宗教であり、人間が、畜生に帰命するとき、未来に待っているのは不幸という現実だけだと申し上げたい。日蓮大聖人は、「通力ある者を信ぜば外道天魔を信ずべきか」(御書114頁)と仰せである。大事なことは、幸せになったか、生活が豊かになったか、人生に満足したかということである。
さて、皆さんは陰陽師と呼ばれる占い師がいることをご存知であろうか。
その陰陽師は、日蓮大聖人の御書の中にいくつか登場する。
「蛇は七日が内の洪水をしる・竜の眷属なるゆへ・烏は年中の吉凶をしれり・過去に陰陽師なりしゆへ・鳥はとぶ・徳人にすぐれたり」(御書222頁)
大聖人は、これらの畜生界の力や低俗な占いなどについて、「当世の学者等・勝劣を弁うべしや、黒白のごとく・あきらかに須弥・芥子のごとくなる勝劣なを・まどへり・いはんや虚空のごとくなる理に迷わざるべしや、教の浅深をしらざれば理の浅深を弁うものなし」(同222頁)と論破されているのである。
陰陽師は古代中国由来の占い師であり、平安時代や室町時代には大流行している。
竜の口法難のときは、「幕府が陰陽師に占いをさせ、処刑を断念した」との記述が種種御振舞御書にある。「陰陽師を召して御うらなひ候へば・申せしは大に国みだれ候べし・此の御房御勘気のゆへなり」(御書915頁)が、その記述である。
外道の者も、大聖人の力を知り、守護しているのである。
次の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2009-11-23 21:58 | 他宗教・他思想 | Trackback | Comments(6)

幽霊は見えるのか?  

2009年 11月 22日

  ◇宿業という視点から説明ができる。

仏教では幽霊は肯定されていない。
すなわち、否定される。
仮に、仏教系の宗教で、幽霊や守護霊などと言う宗派は邪教である。教義にないものを勝手に宣揚するのであるから、仏教に弓を引く行為である。問題は、霊媒師などが、何故、死んだ肉親の生前の行為を言い当てるかである。
死者の霊魂を体内に呼び、当人になって話をすると言うが、私は、霊魂が入るのではなく、生前のその人の行為や考え方を感じる特殊な能力があるのだと解釈している。好きな人は、それがあたかも重大なことのように騒ぐ。私からしてみると、全然大した能力ではない。
およそ、巨大な建物や精密な装置を作る経済活動、さらに農林水産業のように、私たちが生きていくための糧を育み、収穫することの能力の方が圧倒的に重要な能力である。
実は、私の祖父は、岡山県の土着信仰の道通(どうつう)という蛇信仰をしていた。祖父は、やがて結核となり、やせ衰えて41歳の若さで死んだ。そして家族は不幸のどん底に落ちた。祖母も、やがて結核となり死にかけた。そのとき、折伏され、宗教に正邪があることを知った。祖母は、不幸の原因が過去の宗教にあったことを知り、自宅にあった道通の社(やしろ)を壊して焼き捨てた。そして創価学会の信仰で病気を克服した。
当時の祖母の記事は、→ここをクリック!
祖父の死の間際の話を、私は父から伝え聞いている。死の数日前、障子や天井が揺れ、祖父は「道通様が迎えにきたようじゃ」と言ったという。祖母は恐れ慄いた。蛇や狐の信仰というのは、とても危険な宗教である。私は、嫌というほど、この手の話を聞いている。
蛇や狐を拝むと、なるほど、探し物が分かったりする。しかし、それが当たるということと、人が幸福になるということは別問題である。
創価学会の草創期には、いろいろな宿業の人がいた。蛇信仰の人は唱題会でにょろにょろ動いて経机の間に潜り込んだり、狐信仰の人はピョンピョン飛び跳ねるものだった。
一方で、幽霊を見るというのはどうであろうか。以前の私は、幽霊を完全に否定していた。
ある日、協議会で「幽霊なんて馬鹿々々しい」と話したら、「菊川さん、本当に見る人いるんだよ。階段上がろうとすると、上に幽霊がいて上れないとか。そういう悩みを抱えて、学会に入信する人もいる。信心すると見なくなる。本当だよ」と言われた。
現実に見る人がいるのだ。いないものを見る。そして悩んでいる。
何故見るのか。それは、宿業的な影響ではないだろうか。幼少の頃から、このような能力が備わっている人もいる。私は、過去世に霊的な行為に注力した報いと考えている。
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# by sokanomori | 2009-11-22 22:09 | 他宗教・他思想 | Trackback | Comments(28)

続・オウム真理教  

2009年 11月 06日

◇一連のオウム記事の完結編です。

麻原彰晃の教団組織には、沢山の矛盾が存在していた。
人を殺したり、様々な愛憎劇も演じたのであるから、かなりのストレスが教団内に渦巻いていたことだろう。その内なる抗争のエネルギーを放置できない麻原らは、その不満を外部に向ける必要があった。最終的に、彼らは国家権力との戦争を企て、サリンまでも使用した。
オウム真理教大辞典を読んで分かったことは、彼らの宗教的教義は、およそメチャクチャだということである。
例えば、オウムの教義の中に、「不愛著(?)・不悪口・不綺語・不邪悪心・不邪淫・不殺生・不偸盗・不迷妄・不妄語・不両舌」という十戒を立てながら、思いのままに掟を破っている。
だから、真面目な信者は自己矛盾に悩んだに違いないのである。教団は、嘘に嘘を重ね、暴走して崩壊したと見て、ほぼ正しいであろう。
そもそも、オウムの十戒は正しくない。仏教には「十善戒」という教義があるが、オウムの定義とは一致しない。麻原の云う、「不愛著」(者?)とは何か。「不迷妄」とは何か。「不邪悪心」とは何か。一体、この教義は、何の経典から来ているのか。
この教義以外にも、各種、オウム真理教大辞典に掲載されている教義という教義は、仏教のようで仏教でなく、実際にはヒンドゥー教の修行を取り入れ、その他、自己流の訳の分からない修行方法を体系化したものである。
彼の教義は、様々な宗教のツギハギであり、まったくのインチキである。
例え、100歩譲って麻原の教義を容認したとしても、言っていることと、やっていることが違うのであるから、これを邪教と言わずして、何と表現すればいいだろう。まして、「私は潔白だ」と言って、真っ黒だったのである。
加えて、この辞典の「創価学会」のキーワードを見て、麻原の言動にあきれ返った。
麻原は、池田先生を「外道」と呼んでいたのである。仏法は内道である。その究極の創価の中心人物を、麻原は「外道である」と言うのである。麻原は、自らが外道であることをまったく理解していなかったようだ。と、言うより、彼は内道と外道の区別さえつかないのだ。
「餓鬼は恒河を火と見る・人は水と見る・天人は甘露と見る・水は一なれども果報に随って別別なり」(御書1025頁)のごとく、彼の地獄の境涯から見た創価は、我慢のならない存在だったのである。それにしても、最低、最悪の教団である。
麻原の宗教は、金儲けと遊びの延長だった。玩具の部屋の中で、お遊戯をしている子供のように、彼は勝手気ままに遊んだに過ぎないのだ。
第二、第三のオウム真理教を作らないためにも、私たちは他宗の動向も勉強しておく必要がありそうだ。そのことを、私はこの本から学んだのです。
オウム真理教の前編は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2009-11-06 23:18 | 他宗教・他思想 | Trackback | Comments(23)

オウム真理教  

2009年 11月 02日

               ◇オウム真理教大辞典を読んで思ったこと。

新人類さんから頂いた本を読んだ。
この本は、辞典であるから、全てを読んだ訳ではない。興味のあるキーワードだけを拾い読みした。私はこの本を読んで、オウム真理教の本質を理解することができた。
冒頭、「ああ言えば上祐」から始まり、かの有名なPSIと呼ばれるヘッドギア、ポアなど、オウム真理教のあらゆる情報が満載されている。加えて、当時のオウムの歌詞も収録されていた。
「麻原の脳波を電気に置き換えた」とされるヘッドギヤは気になる道具であるが、何と単なる電気マッサージ器だそうである。そのヘッドギアを借りる場合は100万円、購入する場合は1000万円だったというから驚きだ。
その情報の中で1番注目したのは、やはり麻原彰晃である。
麻原は、1955年3月2日、7人兄弟の4男として生まれている。全盲ではなく、左目のみが先天性緑内症であった。本来、盲学校に入学する必要はなかったが、両親が就学奨学金を目当てに、盲学校に入学させた。県立盲学校専攻科で鍼灸師資格を習得。卒業後、すぐに傷害事件を起こしている。以後、健康保険薬剤不正請求で670万円の追徴、さらにニセ薬の販売で逮捕・拘留などを経験している。麻原は、これらの詐欺まがいの商売をする途中で、阿含宗に入信している。やがて自らヨガ教室「オウムの会」を設立する。オウムの会は、やがて「オウム神仙の会」となり、やがて超能力開発の「オウム真理教」へと変貌を遂げていく。
問題は、教団内の修行で死者を出したことである。その遺体を教団内で処分したことが問題化し、その事件を追及していた坂本弁護士一家を殺害した。やがて、社会と隔離した教団が武装化を開始する。ついに、教団はサリンを製造して使用するに至る。
私は初めて全容を知った。読んで理解したことは、麻原が「真性の地獄界の住人」だということである。その地獄の住人を教祖にするのであるから、信徒もまた地獄である。
麻原が当初修行した阿含宗は、伝統仏教のような名前であるが、昭和53年に設立された新興宗教である。教義はチベット密教が混ざっている。やはりと思った。親も親なら、子も子である。阿含経は小乗経である。完全他力の宗教である。完全他力故に、考える必要がない。
決められたことをすることで、安心するという宗教である。故に、麻原マニュアルを、信徒は100%信じた。「殺せ」と言われたら、何も考えず「殺す」のである。
「新人類さんは、このオウムの本質を見抜いているのだろうか‥」
私は、そんなことを考えながら、本を閉じた。
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# by sokanomori | 2009-11-02 23:00 | 他宗教・他思想 | Trackback | Comments(36)

牛久大仏  

2009年 08月 13日

               ◇全長120m‥中身はテーマパークでした!^^

世界で一番大きな大仏は、奈良の大仏‥ではありません。茨城県牛久市の牛久大仏なのです。本日、見学に行ってまいりました。
超ど級の大きさ。遠くから見える大仏は、「ちと、大き過ぎではありませんか?」という感じ。
浄土真宗(親鸞)の東本願寺の大仏で、ギネスブック認定の世界一大きな仏像です。
左写真は、その認定書を見ているところ。

行って、入場料1人800円を支払い、大仏の中に入ると、阿弥陀如来さまのご利益のアナウンスが‥。大仏の中には売店あり、展示物ありで、まるでテーマパークでした。
大仏の中、並びに周囲環境は墓苑ですが、大仏の内外に土産物屋が沢山あり、敷地には動物園まであるのです。結構、怖い仕掛け(幽霊屋敷的な感じ)もあり、純粋に仏教的視点から見ると、「これは、観光地だ。いかがなものか」という感じなのです。
事実、係りの人々は、来訪者を「お客様」と呼んでいます。
ここには、信徒がおりません。全てがビジネスなのだと感じました。
とにかく、念仏特有の「阿弥陀如来さま、助けてください」と祈る、他力本願の話が随所に語られていました。単純に、仏教の基礎知識のない人であれば、観光スポットとしては面白いのでしょうけれど、私としてはかなり気持ち悪かったです。(笑)
夏休みということもあり、親戚の子供たちを連れて行ったのですが、ちと、後味が悪い。
ギネスブックに載ったとか、そんなことは仏法上、何の意味もありません。
やっぱり、創価学会しかありませんネ。^^

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# by sokanomori | 2009-08-13 23:07 | 他宗教・他思想 | Trackback | Comments(4)

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