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戦争の是非(下)  

2010年 12月 09日

◇正当防衛の戦争は容認されるのか。

私は、黄海での米韓軍事演習の終了時点で、「防衛戦争容認論」なるものを書きました。
この記事の主要な部分を以下に抜粋します。
-----------------------------------------------
私は、防衛のための戦争は肯定します。
私たちの生活を守ることは当然の権利だからです。
凶悪な侵略行為には、十分な対抗処置を施し、初動作を迅速にして、損害を小さくするために何にも優先して努力する必要があります。
私たちが正当に働き、正当に生活をしている国を搾取し、傷つけるなら、断固として戦うこと。それは、仏法の哲理に照らしても、間違いではないと信じます。(中略)
ただし、戦争をするなら条件があります。
1つに、今の日本であるということ。
2つに、粘り強い対話交渉、あるいは関係諸国、国連など、打つべき全ての手を打ち、それらが全て効果を出せないという条件での戦争です。(中略)
私は、理不尽な領海侵犯に対抗する海上保安庁の職員の皆様、また、有事の際に命を懸けて戦う自衛官の皆様に、心から敬意を表明し、感謝をいたします。
どうか、正義の名のもとに、適切な対応をして頂きたいと思います。
-----------------------------------------------
改めて、この文章を見ると、私自身、この内容には欠陥があることが分りました。
今、私の心には、もっと気高く尊い考えが存在しています。
過去のことを申し上げれば、私は、正当防衛上の戦争を問題視したことはありません。
創価学会が唱える「国連主義」。その国連憲章で「自衛権」は公に認められています。
以下の3つの条件が当てはまれば、正当な防衛行為であり、国際世論から非難されるものではないからです。
1.急迫不正の侵害があること。(急迫性、違法性)
2.他にこれを排除して、国を防衛する手段がないこと。(必要性)
3.必要な限度にとどめること。(相当性、均衡性)
この権利を、行使するかどうかは別としても、その自衛のための戦争は許される、だから、戦争は容認される、しかも、「悪」に対する戦争は、「悪に対抗するのだから正義」である」と考えていた。しかし、現実には、「正義の戦争」など存在していなかったし、さらに、「断固として戦う」という表現は、明らかに不適切な表現だったと感じております。
今、私は、
-------------------------------------------------
「正義の戦争」はないのであり、「最後の最後まで、対話と誠意で解決をする」こと。
「それでも戦争になったらどうするのか」という気持ちを一切持たないこと。
戦争状態にある敵すら、味方に変えるという「平和への決意と行動」こそが、創価学会の根本思想であり、「戦争をしないで解決する」思想こそ宣揚されるべきことである。
-------------------------------------------------
という考えに変わりました。
仏法、なかんずく創価学会の高度な視点から見れば、私の見方は小さく浅いものでした。
今後は、池田先生の弟子の一人として、創価思想の観点から歩んでまいります。
さて、私は、長々と「戦争の是非」シリーズを書きました。
その理由は、私が、この考えに至るまでのプロセスを明らかにすることで、「正義の戦争」を訴える人々の心理が決して戦争を好んでの発言でもないし、むしろ、戦争を極端に嫌うが故に、「指一本、触らせないぞ!」との意志表示もあることを知っていただきたかったからです。そして、その心理を理解した上で、どのように接してあげるべきかを考える材料にしていただきたかった。
私の今回の意識の変化は、祈りだけも、読者の皆様のコメントだけでも得られなかったし、本部指導だけでも、池田先生の著作物だけでも得られなかったと感じています。
私の意識が変わるためには、この一連のプロセスの全てが必要でした。
1人の人間の考えが変わる、あるいは変えるというのは容易ではありませんね。^^
ある人の善意の投稿で導かれた池田先生の著作には、
-----------------------------------------------
仏法を好戦的と見るのも誤りなら、非暴力・無抵抗主義とするのも正しくないといえるでしょう。
ただし、(正当防衛は)過剰になってはならない。
最善の防衛は、相手を味方にすることです。
「法華経の兵法」の真髄は、ここにあるのです。
次善の策として、相手の攻撃力を、こちらの危険のない程度にまで弱めることです。
-----------------------------------------------
と書かれてありました。
私は、この言葉に巡り合えなければ、最終的な今の納得には至らなかったと感じています。
危険な北朝鮮に対してすら、「味方に変える」努力をすること。「攻撃力を弱める」にはどうするのかを考え手を打つこと。この目を見張るような具体的な思想と方策によって、私は心から納得いたしました。
読者の中には、「今さらなんだ。そんなことも知らないのか!」と思う人がいるかも知れない。
けれど、私のような分からず屋は、世の中に沢山います。否、一般的に見れば、私の過去の意見は、奇異なものではないと思います。
むしろ、創価思想は、理解に苦しむ高度な内容を秘めているのではないでしょうか。
尚、「自衛権の行使」、「防衛のための戦争」を「間違った考え」と指摘する人がいますが、私は、「間違い」というのはいささか極端と感じます。この創価思想から見れば浅い考えと定義すべきことでしょう。
以上で、「戦争の是非」シリーズを終了します。
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追伸:私は、考えた末に、「防衛戦争容認論」なる記事を、全消去することにいたしました。
きっと、数日後には消えていることでしょう。ですから、今のうちに、私の低い境涯が書かせた記事を、しっかりご覧になっていただき、一笑に付していただければと思います。
皆さん、ご意見、ご忠告、誠にありがとうございました。
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# by sokanomori | 2010-12-09 22:58 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(0)

正当防衛と生命の尊厳  

2010年 12月 08日

             ◇書籍「現代文明と宗教」の一文を転記します。
「問い」(抜粋)
正当防衛は、刑法上も認められています。
しかし、他の生命を傷つけたり奪うという結果については同じです。仏法においては、正当防衛という問題を、どのように考えているのでしょうか。

「答え」(ほぼ全文)
このように考えなければならないと規定した教えは、仏法にはないようです。
どう考え、どう行動するかは、各人の自由に任せ、その基盤となる哲学を打ちたてたのが仏法ではないでしょうか。
同じ仏教でも、小乗教は殺生をするなと、具体的な行動を規制しています。
大乗経になると、そういうことにはこだわらず、正法を護るためには殺生も許されるという説き方が、強く表に出てきます。
たとえば、仙予(せんよ)国王は、大乗を謗ったバラモンの命根を断つことによって、以来、地獄に堕ちなかったとさえ説かれています。また、有徳(うとく)王は、正法をもった覚徳比丘(かくとくびく)を守るために戦ったとされている。大聖人御在世のときも、小松原法難では、武器をもった在家の弟子が、大聖人を守るために戦っていますし、日興上人の遺誡には、仏法守護のために刀杖をもつことを許すとされている。
こうしてみると、大乗仏教は、いかにも好戦的に映るかもしれませんが、小乗の不殺生戒を否定しているのではなく、それは当然の前提として、その上で論じられているのです。
武力を使うのは、武力をもって侵害してきた場合、法を護るというための防衛としてであって、積極的に侵害することは、断じてあってはならないと考えるべきでしょう。
むしろ、仏法が偉大であるがゆえに、仏法を守ることがいかに尊いかを教えるために、そうした説き方がされたと思います。
生命を大事にする、暴力や武力を誡めるという点では、仏法ほど明快に徹底して強調している宗教は他に例をみないくらいです。
とくに、正法を誹謗する者に対して、「命根を断つ」ということについては、あくまで、釈迦以前の過去のことで、釈迦以後は、「其の施を断つ」ことだと明示されています。
これは、宗教上の対立は、教義論争で解決すべきだということです。
事実、東洋の仏教国においては、西欧のキリスト教国のような宗教戦争を行った例は、歴史上、一つとしてないのです。
先に私は、仏法を守るために武器をとった例、あるいは武器をもつことを許された例をあげましたが、仏教には、その逆の例、つまり、あくまで武力によらず、すすんで命を捨てた例も多く説かれています。
したがって、そうしたことは、各人の自主的な判断に任せられていると考えるのが妥当であり、仏法を好戦的とみるのも誤りなら、非暴力・無抵抗主義とするのも正しくないといえましょう。
大事なことは、あくまで法を護ることです。
戦わざるを得ないときは戦った例もありますが、反対にわが生命を捧げることが法を宣揚することになるときは、戦わないで敢然と命をなげだしていったのです。
そういう意味から、結論的には正当防衛は認められていると考えてよいと思います。
ただし、過剰になってはならない。最善の防衛は敵を味方にすることです。「法華経に勝る兵法なし」の真髄は、ここにあるのです。
次善の策として、相手の攻撃力を、こちらの危険がない程度にまで弱めることです。相手を死に至らしめるのは、下の下策というべきです。

以上、「答え」は、当時の池田会長のお考えになります。書籍は、1970年代当時、大白蓮華に掲載された質問対談がまとめられたものです。
次回は、今回の一連の出来事から、「最終的にどのように受け止めたのか」について申し上げ、このシリーズの結論にしたいと思います。
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# by sokanomori | 2010-12-08 23:45 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(8)

戦争の是非(中)  

2010年 12月 08日

 ◇創価学会の反戦主義のスタンス。

創価学会は、様々な感情を所有した人間の集団である。
原点は、日蓮大聖人の御書であるが、その哲理を、ビジネスや政治として語ろうとすると、意見は当然分かれてくる。
その原因は、境涯であったり、置かれている立場の違いであったり、好みの問題だったりする。
その中で、「正当防衛の戦争の是非」の認識も別々だと私は考えていた。
私は、このテーマを何としても知りたかった。否、これを乗り越えなければならないのである。読者の皆様には、この事件的状況を一笑いただければと思う。
さて、お約束である。
私は、学会本部で他の質問に交えて、「正当防衛の戦争の是非」を問うた。
以下に、その概要を記す。Aを私、Bを担当者にします。
------------------------------------------------
A「朝鮮半島は過去になく危険な状態です。仏法という視点から、防衛のための戦争は容認されるのでしょうか」
B「創価学会は、戦争にはいかなる理由があっても反対です。戦争は絶対に避けなければなりません。池田先生が、ソ連や中国など、反戦平和の対話を繰り広げられましたが、その行動が示すことは、戦争は絶対にしてはならないということです」
A「はい。それは承知しております。ただし、今の北朝鮮は、ニセ札を作り、麻薬を売り、原爆を沢山作ると公言している国です。対話もできないような国が攻めてきても、戦えないのですか?」
B「これは、私の見解ですが、戦う、戦わないという前提そのものがないのだと思います。戦争を起こさせないということに全力を尽くすということです」
A「そうですか‥。自衛隊にも学会員がいるし、韓国の軍人にもSGIの人もいるでしょう。彼らは、戦争が発生したとき、戦えないのですか?」
B「そのことは、その時に、考えるしかないでしょう」
------------------------------------------------
これが、防衛上の戦争の是非について、私が個人指導で伺った内容である。
私は三度質問をし、いずれも「容認する」という言葉を聴けなかった。
私は、これ以上の質問は控えた。後は、この答に、どれだけ自分を近づけられるかが課題になるからである。いずれにしても、戦争絶対反対の創価思想とは、最後の最後まで、「戦争回避を諦めない」という強固な意志をもつことと感じた。
私は、その究極の答えにいかにすれば到達できるのかを考えた。そして、「その時に考える」という言葉を何度も思い浮かべた。
これは一体、何を意味するのか。
私は、帰宅途中の電車の中で様々思索した。
------------------------------------------------
そのとき、銃の引き金を引くか、引かないかは、その人の考えなのだろうか。
泣きながら、お題目を唱えながら、引き金を引くのだろうか。
その人たちが、勇者でもなく、勝者でもないという立場で、
命を懸けたのに、日陰者で、誰にも誉められず、死んでいくのだろうか。
実際に、そんなことで、戦火をはね返すことなどできるのだろうか。
池田先生も同じ答えなんだろうか?
------------------------------------------------
その日の夜のこと。
ブログのコメント欄を見ると、非公開コメントに、「正当防衛について池田先生が語られている書籍がある」と教えてくれた人がいた。
私は、示された書籍が1972年に発刊された「現代文明と宗教」という本で、その中に、「正当防衛と生命の尊厳」と題された文章があることを知った。
翌日、私は、国立国会図書館に出向き、その書籍の一部をコピーに取った。
そして、その文章を何度も読み返したのです。
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# by sokanomori | 2010-12-08 22:51 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(2)

戦争の是非(上)  

2010年 12月 07日

                ◇工藤吉隆の殉死と日興遺誡置文。
以下に、戦争の是非について、個人見解を述べる。
「正義の戦争」はあるのか。「正当防衛の戦争」は容認されるのか。
その答えの一端を、私は知る必要があった。
日蓮大聖人は、生涯、難を受けられた。何度も命を狙われた。大聖人は一度として、武器を使用されていない。さらに言えば、大聖人は、道を歩かれるとき、蟻すら踏まないように気を配られていた。
しかし、弟子には武士もいた。その武士は、当然のことであるが帯刀している。
小松原の法難のときのこと。
日蓮大聖人は地頭の東条景信が率いる念仏者らに襲撃を受けた。
この時、大聖人の随行は10人程度であった。
襲撃により、大聖人は頭を切られ、腕を折る重症を負われている。この絶体絶命の事態の中で、鏡忍房は即死、工藤吉隆は戦いの末に致命傷を受けて殉死した。
襲撃から大聖人は生還されたのであるが、当時のことは、「うつたち(討つ太刀)はいなづまのごとし(中略)・うちもらされて・いままでいきてはべり」(御書1498頁)と述べられているように、凄惨を極めた事件であった。
工藤吉隆は武士であるから、当然、刀を抜き、大聖人をお守りするために戦った。
私は殉死した工藤吉隆を過去から尊敬していた。
次に、日興遺誡置文(にっこうゆいかいおきぶみ)を拝してみる。
この日興遺誡置文は、日興上人が死の直前に、末法万年の私たちのために書き残されたもので、遺誡として二十六箇条が述べられている。
この中に、次の御文がある。
「刀杖等に於ては仏法守護の為に之を許す・但し出仕の時節は帯す可からざるか・若し其れ大衆等に於ては之を許す可きかの事」
この意味は何か。堀日亨著「富士日興上人詳伝」に見てみよう。
以下に、その一部を抜粋する。
--------------------------------------------------
(刀杖とは)戦国時代物騒騒然たる時の自衛のための武器である。
進んで人を切る殺人の剣ではなく、退いて身を守る活人剣である。
旅行または平常は帯刀随意だが、正服にて法座に登る時は、自ら携えてはならぬ。
下輩の大衆等は、自衛のため、また上級僧を護衛するためにさしつかえない。
--------------------------------------------------
単純に拝せば、「自衛のため」であるなら、剣を使うことは「護衛するためにさしつかえない」と読める。私は、この部分は、過去に何度も読んでいたことである。
私は、「正当防衛」は、当然のことと考えていた。
戦争は国家と国家の間に行われる戦闘行為である。今、朝鮮半島の緊張は極限に達している。韓国にも創価学会員はいる。対馬、九州の創価の友も、緊張の中にある。
もし、戦争になったら‥。当然、防衛のために行動する権利はあるのだから、それは「正義」になるであろう。私は、そのように考えたし、私の心の発露として、「防衛戦争は容認されると思う」とブログで発言した。
すると、読者から、私の個人的意見を嫌悪し、その間違いを指摘する数々のコメントが寄せられた。批判はあると予測していたが、その数は予想を上回るものであった。
鈍感な私も、さすがに、ただならぬものを感じた。私はオカシイのであろうか?
私は、御本尊に祈りつつ、戦争の是非を考えた。
最終的に、学会本部で個人指導を受けようと思い立った。
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# by sokanomori | 2010-12-07 22:50 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(10)

防衛戦争容認論  

2010年 12月 03日

               ◇専守防衛の戦争は認められると思います。

以下の文章には、いくつかの不適切な文章が含まれています。
問題の箇所は削除し、改定する予定です。
---------------------------------------
一昨日、米韓両国の軍事演習が終了しました。
北朝鮮の砲撃に対抗するため、戦争も辞さない過激な軍事演習でした。
しかし、今後も、軍事演習は継続される模様。
非常に危険な日々が続きそうです。
いつの日か、この対立が平和裡に終わることを祈らざるを得ません。
戦争でなく解決できたらと心から願ってます。
さて、私たちは長く戦争の緊張から遠ざかってきました。
そこで、考えなければならないのは、戦争は絶対悪かどうかの認識です。先般、民主党の議員が、「自衛隊は暴力装置」と発言し、非難されました。個々、思いは異なるでしょう。
そもそも、軍事力とは何でしょうか。
有事の際に、私たちはどうすればいいのでしょうか。
日本の国防費は、年々削減されてきました。これに対し、周辺諸国の軍事費は拡大を続けています。私は素人なのでその点は分かりませんが、少なくとも、北朝鮮に対する備えは十分にして欲しいと思います。
以下に、私の個人的意見を申し上げます。
-----------------------------------------------
私たちが住む国土に、他国が砲弾やミサイルを撃ち込み、私たちの飛行機を撃墜し、艦船を破壊する行為があった場合、私たちは防衛上、攻撃してきた対象に反撃をします。これが、過度に繰り返されると、国家間の戦争になります。
私は、防衛のための戦争は肯定します。私たちの生活を守ることは当然の権利だからです。
凶悪な侵略行為には、十分な対抗処置を施し、初動作を迅速にして、損害を小さくするために何にも優先して努力する必要があります。
私たちが正当に働き、正当に生活をしている国を搾取し、傷つけるなら、断固として戦うこと。それは、仏法の哲理に照らしても、間違いではないと信じます。
もし、それで、腕を失い、あるいは足を失い、場合によって命を失うことがあっても、私たちは私たちの国土と自由を守るために戦うことでしょう。私は日本人の一人として、正しい戦争なら積極的に協力したいと思う。
中に、仏法の哲理の上から、人を殺したり、殺されたりすることを嫌悪する人もいることでしょう。それはそれで良いと私は思います。戦いたくない人は戦わない道もある。
けれど、守りたい人は、当然、立ち上がり戦う。私は、世界に冠たる平和憲法を持ち、宗教と言論、あるいは表現の自由を保障してくれている、この日本という国を守りたい。私の大事な友人、知人、そして創価の幾百万の同志のために、何ができるかを考え、行動します。
ただし、戦争をするなら条件があります。
1つに、今の日本であるということ。2つに、粘り強い対話交渉、あるいは関係諸国、国連など、打つべき全ての手を打ち、それらが全て効果を出せないという条件での戦争です。
(尚、侵略戦争の場合は、殺されてもやりません)
-----------------------------------------------
私は、理不尽な領海侵犯に対抗する海上保安庁の職員の皆様、また、有事の際に命を懸けて戦う自衛官の皆様に、心から敬意を表明し、感謝をいたします。
どうか、正義の名のもとに、適切な対応をして頂きたいと思います。
以上で、今回のシリーズを終了します。
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# by sokanomori | 2010-12-03 21:42 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(23)

続・緊迫の朝鮮半島  

2010年 11月 25日

               ◇原子力空母派遣の決定について思うこと。

一昨日の北朝鮮の砲撃。一歩間違えば、全面戦争に発展する可能性があった。
過去、400万人もの尊い人命が失われた朝鮮戦争。日頃、戦争のことなど考えない日本人の一人であったが、今回の出来事は、深刻な朝鮮半島の悩みが伝わってきた。
当事国の李明博(イ・ミョンバク)大統領(写真上)は、私たちの数百倍のプレッシャーだったのではないか。
今、韓国では、北朝鮮に対する報復攻撃が手ぬるかったということで、国防相の辞任があったという。けれど、激しい反撃をしていたら‥。判断は難しいのではないか。
新聞報道で、今回の戦闘で死亡した兵士の家族(写真中)を見たが、胸が締め付けられる悲しみを覚えた。
私たちのすぐ横に、恐ろしい国家がある。
ニセ札を作り、麻薬を売り、今度は核大国になると公言している暗黒国家だ。いつか、北朝鮮は、核爆弾を長距離ミサイルに載せるだろう。さらに、核爆弾を商品として売り始めるかも知れない。
今の北朝鮮は、まるで火薬の倉庫で、火遊びをしている子供のようだ。
北朝鮮は、今回の戦闘となった海岸一帯に1000門もの長距離砲(写真下)で武装しているという。隣接する韓国の島は、これらの火力で攻撃されたらひとたまりもない。今回の事件は、私たちの平和が、脆弱な基盤の上にあることを知らしめる出来事ではなかったか。
米国は、この事件が発生した黄海に原子力空母を派遣し、軍事演習を行うことを決定した。
その日程は、11月28日~12月1日の4日間である。
派遣する空母は、世界最大級の原子力空母である。
アメリカの主力空母1隻は、小・中の国家レベルの空軍に匹敵するといわれる。その空母が、北朝鮮の目と鼻の先で韓国海軍との合同演習を行うというのである。これは、戦争も辞さない威嚇行為であり、極めて危険な演習である。本年3月、韓国の哨戒艦が撃沈されたこともあり、引くに引けない情勢なのであろうか。
日本は、原子力空母の演習日程に合わせ、十分な備えをして欲しい。
熟慮し、迅速に行動することを政治に求めたい。
黄海の演習は、3日後に迫っている。
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# by sokanomori | 2010-11-25 22:01 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(4)

緊迫の朝鮮半島  

2010年 11月 24日

             ◇日本は、緊急に十分な防衛上の手を打つべきだ。
驚いた。
北朝鮮が韓国に砲撃を行い、民間人にも被害者がでたという。
私は、仕事の関係でニュースを見ていなかったのであるが、これは大変なことだ。
23日午後2時半(日本時間同)ごろ、北朝鮮軍が韓国西方沖の延坪(ヨンピョン)島に砲弾を撃ち込んだとの報道である。
韓国軍も反撃し、砲撃戦となり、韓国軍海兵隊員2人が死亡した他、民間人を含む18人が重軽傷を負ったとされる。北朝鮮側は2時間にわたり砲弾を発射、一部は住居地にも着弾し、民家60~70軒が炎上したとのこと。北朝鮮側の砲台の一部は破壊されたようだ。
戦闘は、本当に収まったのだろうか?
全面戦争になる危険はないのだろうか?
日本は、日本海側の防衛処置を急ぐべきだ。
おそらく、公明党は、夜を徹して対抗手段を検討していることだろう。
今の民主党政権は、何をするにも動きが遅い。信用できない。
こういう事態は、甘く見てはいけない。何にも増して、注力するべきだ。
韓国の人たちに、被害者がこれ以上出ないことを祈りたい。
韓国政府は、対応に苦慮するだろう。日本は、隣国の問題を傍観すべきでない。
ボヤボヤしていたら、大変なことになるぞ!
まず、今すぐやらなければならないことは、安全の確保だ。有事の際には、動くという姿勢を見せることだ。次に、韓国やアメリカと力を合わせて、この事態の収拾に何ができるかを真剣に考え、具体的かつ有効な行動をするべきだ。
短期、中長期に渡る問題の解決策も十分に検討する必要がある。
今回の事態は、悪しき瑞相だ。この黄色信号は限りなく赤信号に近い。
過去、民主党は、野党時代に国防上の重要案件をボイコットしたことがある。
民主党の怠慢体質が、大きな問題を発生させなければよいが‥。
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# by sokanomori | 2010-11-24 00:48 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(16)

終わらない戦争  

2010年 08月 19日

                 ◇長引く戦争の緊張で起こる精神病
いつも、気になるニュースがある。
ときどき、同じような記事を目にする。
一昨日は、公明新聞にも「アフガニスタン紛争」に関する記事があった。
上写真は、先月の読売新聞。その紙面には、泥沼化する紛争に疲弊するアメリカ軍兵士の悲劇が語られていた。アフガニスタンとイラク‥。いつまで、戦争が続くのだろう。
2001年9月11日の同時多発テロが引き金となり、アフガニスタン戦争は始まった。今もその戦争が続いている。タリバンは、永遠に反抗するつもりなのだろうか。
2003年に開戦したイラク戦争も、その後遺症たるテロ攻撃が収まらない。
この終わりなき戦争に、米国の将兵は「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」という精神病に悩まされているという。
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「(米国で)家にいても、ドアがばたんと閉まる音がすると、あわてて床に伏せ、銃などないのに、手に取ろうとする」
「イラクでは、陸橋の下などに爆弾が仕掛けられているケースが多く、今でも(米国で)陸橋をクルマで通るときは恐い」
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PTSD患者は、神経系統に複雑な問題を抱える。不眠症や頭痛、心理的不安に襲われるという。今、これらの戦争で生まれるPDSD患者は増加し続けている。これらの患者に、抗うつ剤などを投与しても効果が上がらないことから、はり治療や、霊気(手をかざして治療する方法)などが研究されているらしい。
戦争とは、何と辛い仕事であろうか。消耗戦に、強者も悩み、神経をやられる。放置もできない。止めることもできない。勝利は得られないのか。まさに、無限地獄のような様相である。
世界中に悲惨がある。この悲惨を、どのように解決していくのか。
悩ましい人類の歴史が続く。
イラク紛争の過去の記事は、→ここをクリック!

      

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# by sokanomori | 2010-08-19 22:39 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(2)

コレガ人間ナノデス  

2010年 08月 06日

              ◇日本は、世界唯一の原子爆弾の被爆国です。

      

原 民喜(はら たみき)
1905年11月15日、広島県広島市幟町に生まれる。
1951年3月13日没。小説家、詩人。
原民喜の「原爆小景」という連詩がある。以下は、その連詩の抜粋である。
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コレガ人間ナノデス
原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ
肉体ガ恐ロシク膨脹シ 男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル
オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ 爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ
「助ケテ下サイ」ト カ細イ 静カナ言葉
コレガ コレガ人間ナノデス 人間ノ顔ナノデス

真夏ノ夜ノ 河原ノミヅガ
血ニ染メラレテ ミチアフレ
声ノカギリヲ チカラノアリツタケヲ オ母サン オカアサン 断末魔ノカミツク声
ソノ声ガ コチラノ堤ヲノボラウトシテ
ムカフノ岸ニ ニゲウセテユキ

ギラギラノ破片ヤ 灰白色ノ燃エガラガ
ヒロビロトシタ パノラマノヤウニ
アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキメウナリズム
スベテアツタコトカ アリエタコトナノカ
パツト剥ギトツテシマツタ アトノセカイ
テンプクシタ電車ノワキノ 馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
プスプストケムル電線ノニホヒ

水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ 死ンダハウガ アア
タスケテ タスケテ 水ヲ 水ヲ ドウカ ドナタカ
オーオーオーオー 
オーオーオーオー

夜ガクル 夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ フラフラノ コノ メチヤクチヤノ顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ
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1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島に人類初の原子爆弾が投下された。その3日後の8月9日午前11時2分、長崎に2つ目の原子爆弾が投下された。
この2つの爆弾によって、21万人が瞬時に死亡したとされる。
今年は、その原爆投下から65年である。私たちは永遠に、この惨劇を語り継ぐだろう。
過去の原爆の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2010-08-06 06:36 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(4)

沖縄戦  

2010年 08月 04日

               ◇公明新聞に掲載された沖縄戦の記事。
公明新聞の戦争記事を読んだ。
久場千恵さん(82歳)の衝撃的な体験が掲載されていた。(以下、抜粋)
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看護婦養成所に入ったのは、昭和19年4月でした。
当時16歳でした。同期生は5人いました。
この年の10月、沖縄本島に大空襲があり、那覇市のほとんどが焼失しました。病院も使えなくなりました。父は召集令状を突き付けられ、防衛隊につれて行かれました。
翌年の4月、米軍が沖縄本島に上陸しました。
私たちは、地下壕の野戦病院にいました。艦砲射撃、迫撃砲の砲弾が雨のように降り注ぎ、傷病兵が次々にタンカに載せられて運び込まれました。
薬は満足になく、重傷者は助かる見込みはほとんどありません。
麻酔もありません。足の切断など、看護婦や衛生兵が、手術台の傷病兵の体を力一杯押さえつけて行いました。切断される兵士も、看護婦も悲鳴を上げていました。
壕内は、重傷者で一杯でした。砲弾の破片で、顔の大部分がえぐれてしまった兵士。
頚椎(けいつい)の骨の奥までウジ虫が入り込んでいる兵士。
死んでいく時は、多くの人が「お母さん」と言って死んでいきました。
5月になり、地上戦が激しくなると、野戦病院に移動命令が出ました。
私たちも壕を後にしました。壕を出て、しばらくすると、前を歩いていた同期の金城静子さんがバッタリ倒れました。見ると、迫撃砲の破片がのどを貫通していました。
即死です。17歳でした。
その後は、壕を転々としました。
移動の途中、偶然、父とすれ違いました。やせ細った父が涙を一杯にため、「この時局だから仕方ない。体に気をつけてな」と言い残して立ち去りました。これが、父を見た最後です。
逃げ惑う住民に、容赦なく砲弾が打ち込まれました。
水もなく、食料もなく、精も根も尽き果てて数人で動けなくなっていたとき、米兵に保護されました。私の家族は、父と兄嫁、姪と弟が死亡。家族の多くが手榴弾の破片を浴びました。
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以上の内容は抜粋です。
原文は、涙なくして読めません。読んで、悔しさと腹立たしさで一杯になりました。
沖縄戦では、15万人の県民が犠牲になっています。
広島と長崎への原爆投下の日。そして終戦記念日が今年も来ます。
私たちは、永遠に、この戦争を語り継がなければなりません。
絶対に、風化させてはならない。
今年は、終戦から65年目になります。

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# by sokanomori | 2010-08-04 00:02 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(4)

イラクと日本  

2010年 03月 10日

             ◇血の海からしか、民主主義は生まれないのか。
上写真は、昨日の読売新聞である。
イラクで本格政府発足後、初めての選挙(定数325・任期4年)が行われた。
独裁政権崩壊から7年。この選挙投票日、バクダットでは爆弾テロが相次いだ。
独裁者フセインの残党たち。暴力で新時代の前進を阻止しようというのか。
イラクでは、様々な勢力が利権の拡大に奔走し、候補者の暗殺など、想像を絶するテロが頻発している。イラク戦争後、今も尚、200万人を超える人々が周辺諸国に逃れたままだ。テロで両親を失い、家を破壊された惨めなる人々。その暴力の被害者の話は、聞くに耐えない。
過去、ビクトル・ユゴーの生きた激動のフランスと同じだ。
そこで繰り広げられたのは、特権階級政治と民主主義との闘争であった。民主主義という民衆のための政治は、血で血を洗う抗争の中から生まれた。
世界は、このイラクを支援するべきだ。そして、民主化への確固たる革命を果たさせるべきだ。テロの続発の中で、ある女性が呟いた。「本当に怖いのは、選挙のあと。連立を巡る駆け引きが始まれば、また抗争になるわ」
フランスでも、民主主義を勝ち取るのに100年かかった。日本でも、幕末から太平洋戦争を経て民主主義になった。イラクは、圧政と暴力の長い人類の歴史にピリオドを打つべきだ。善良なイラク人たちよ。どうか、暴力に屈しないで欲しい。混迷の修羅の世界を転換して欲しい。
一方国内では、今、民主党の支持率が急落している。
民主は、埋蔵金から予算を確保した上で、過去最大の44兆3000億円もの国債を増発する。
マニフェストで掲げた「無駄を削り7兆円を確保する」という目的を民主は果たせなかった。
できたのは、たった0.9兆円だけ。この削った予算は、学校の耐震化や科学技術振興費など、本来残さなければならない重要な予算であった。
その重要予算を削り、高速道路を無料化、基本的に国営化させるつもりだ。
加えて、民主は、郵政民営化をストップさせ、再び国営化しようとしている。
「官から民へ」と言っているのに、やっていることは逆のことである。
いずこの国にあっても、大事なことは国民の幸福だ。私たちは、しっかりと政治を監視しなければならない。日本の7月の参院選挙。よ~く見定めて投票することが肝要だ。

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# by sokanomori | 2010-03-10 00:02 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(6)

宗教とは何か  

2009年 10月 20日

                 ◇イランの宗派対立について思うこと
自爆テロはイラクだけではない。
東南アジアでも、その他の中東諸国でも、悲惨な殺戮が繰り返されている。
昨日の読売新聞に、スンニ派とシーア派の宗教間抗争の記事が掲載されていた。
抗争は1979年から続いており、警察署やモスクへの爆弾テロが各地で頻発している。
一昨日は軍幹部を狙った自爆テロで多数の犠牲者が出た。
イランは、国民の98%がイスラム教スンニ派によって占められ、スンニ派の思想の元に法律が作られている。その中にあって、シーア派は少数ということもあって、差別され、国政からも放置されてきた。シーア派の生活環境は無法地帯となり、麻薬・武器輸入の温床になっている。この2つの宗派の間では、終わりなき抗争が延々と続いているのである。
その少数派を米英が支援している。故にイラク政府は強い敵愾心を持ち、今回のテロの怒りを米英に向けている。政府議員関係者から、「米国に死を!」との怒号が叫ばれた。
さて、宗教とは何だろう。宗教とは人々を対立させ、抗争を生む導火線なのであろうか。
否、これは間違った宗教なのだ。第一、小数派だから、あるいは思想が違うからという理由で、一国の政府が他宗教を力で弾圧し、自滅を待っているようなことが許されるものではあるまい。逆に、被害者意識と恨みから、自暴自棄となり、自爆テロという暴力で対抗する少数派にも大きな問題がある。双方、泥沼の抗争である。
イスラム教は様々な派に分かれている。コーランは同じでも、解釈が違う。解釈が違うのであれば、それは別の宗教ということになる。
日蓮大聖人の仏法も同じである。現在、日蓮宗系は20派以上存在し、その解釈は天地ほどの違いがある。中には稲荷を祭り、意味不明の仏像を拝んでいる宗派もある。天台宗も真言宗も、あるいは浄土宗、その他各種宗教のことごとくが、20前後の宗派に分かれている。
どの宗教も、時の経過と共に諸派に分裂するようだ。
大事なことは、真に、人間の幸福のための宗教かどうかである。戦争や自爆テロを推進する宗教など、本来の教義に逸脱した邪教に違いないのだ。
私たちは共存共栄の社会を望む。創価思想とは、地球市民主義の異名である。
地球市民思想を提唱した牧口先生の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2009-10-20 23:22 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(10)

9.11  

2009年 09月 11日

                ◇人類史上、最大最悪のテロに思うこと

2001年9月11日深夜のことである。
TVに異様な光景が映し出されていた。
音声のない生映像。1棟の高層ビルから黒煙が上がっている。何だろう‥。当初、セスナ機でも衝突したのかと思った。言葉少なに、旅客機が衝突したとのアナウンス。呆然と見ていると、次なる飛行機がもう一つの高層ビルに激突した。
「あっ!」と、私は驚きの声を上げた。
これは、ただ事ではない。
固唾を呑んでTVを見ていると、やがて、最初に黒煙を上げていた高層ビルが崩落した。
続いて、もう一つのビルも同様に崩落‥私は、ただ、呆然とし、恐怖に震えた。
私は、一部始終をライブで見た一人である。上写真は崩落現場、左下写真は、私のスクラップブックである。スクラップブックには、当時の私の心境がメモとして残っている。そこには、「お互いが鉄のツメを持って、肉を引き裂いている。信じられない。21世紀を戦争と差別から開放しようというのに、最初からこれだ」と書いている。
このテロで、5000人以上の死者、数万人の遺族が生まれた。世界がこの惨劇に涙を流しているとき、その実行犯たちは手を叩いて喜び、熱狂していた。
アメリカは激怒した。世界も激怒した。そして1ヶ月後、アメリカはアルカイダの拠点のあるアフガニスタンを徹底して空爆。大軍を投入して、ついに抵抗勢力を壊滅させた。今もその残党がアフガンで暗躍しているが、断じて復活させてはならないと思う。
彼らの邪悪な行為の背景には、困窮した経済と米国に対する憎悪、極右イスラム教が存在している。彼らの名をアルカイダともタリバンともいう。彼らの宗教は、イスラム教の本来の教えではない。彼らは暴徒だ。その証拠として、タリバンの暴力行為を恐れて、アフガニスタンを亡命した同国民の数は、当時、370万人もいたのである。
彼らは復讐に生き、復讐に死ぬことを奨励する悪魔的組織である。この自爆テロは、旧軍国主義日本における特別攻撃と同じであり、加えて極右イスラムは靖国思想と同類である。
靖国思想の記事は、→ここをクリック!
宗教の根本目的は幸福の追求である。イスラム極右思想の早期解体を望むものである。

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# by sokanomori | 2009-09-11 22:11 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(23)

終戦記念日  

2009年 08月 15日

                 ◇戦争で死んだ人々、残された人々。
8月15日。軍国主義日本が滅んだ日だ。
310万人の日本人が死亡した世界大戦。日本は焦土と化した。修羅の国は、民主主義の国に敗北した。以来、64星霜。恐ろしい戦争だった。
今、北朝鮮の異常性を我々は非難しているが、64年前は日本も同じだった。
9・11の同時多発テロで、アルカイーダが自爆テロを決行し、今も、中近東などで同様のテロが繰り返されている。今、日本人は、凄惨なテロ攻撃が理解できないと論評しているが、自らの命を捧げて戦った日本軍の特別攻撃も同じ行為ではなかったか。
広域に兵器として送り出され、海の藻屑となり、山河の土となった惨めなる人々がいた。
そのことを、私達は断じて忘れてはならない。生きて帰国した人々も、自らの手を血に染めて、地獄を演じて帰国した。中国で、韓国で、あるいは東南アジアで、日本軍の蛮行の記録はほとんど残されていないが、それは帰国者が口を閉じているからである。
南京大虐殺もユダヤ人殺害もなかったという馬鹿な連中がいるが、それは嘘である。大虐殺はあった。凄惨な写真が残っているではないか。
軍服と勲章で着飾った美しい兵士も、国外では鬼人となり、略奪者となって暗躍した。
この分野の歴史を学べば、本当に嫌なことだらけだ。戦争は美しいものではない。地獄なのだ。もう、殺し合いはやめよう!人の不幸の上に、自らの幸福を築くことはやめよう!
これからは、幸福追求の競争時代にするべきだ。創価学会は、牧口先生の時代から、このことを提唱している。殺し合いの競争なんて、まっぴら御免だ。
戦争で死んだ幾百万の人々。愛すべき家族を失った幾千万の人々。
8月15日は、辛い過去を想い出させてくれる。ご冥福をお祈りいたします。

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# by sokanomori | 2009-08-15 22:18 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(8)

世界大戦の死者数  

2009年 08月 08日

8月というと、原爆の日、あるいは終戦記念日などが重なることから、「戦争」という出来事を考える月でもある。本日は、第二次世界大戦での被害について述べてみたい。
「夜と霧」の出版者の序という前書きに、かの世界大戦での犠牲者の数が書かれている。
以下に、兵士並びに民間人の死者・行方不明者の数だけ抜粋する。

◆オーストリア:34万人 ◆中国:150万人(兵士のみ/民間人は計測不可能) 
◆フランス:37万人 ◆ドイツ:380万人 ◆日本:316万人 ◆ポーランド:555万人 
◆イギリス10万人 ◆アメリカ52万人 ◆ソ連:1050万人 
◆ユーゴスラビア:170万人(兵士のみ/民間人計測不可能)

死者・行方不明者の合計は、2754万人である。この数字には、その他のヨーロッパ諸国(イタリア等)や北アフリカや中東、アジア諸国は含まれていない。加えて、中国やユーゴスラビアなどの民間人犠牲者も含まれていない。重大な傷病を負った者は、上記の数値と同等規模に及ぶ。ドイツのアウシュビッツ収容所だけで、300万人の人命が絶たれている。

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追伸:中国の民間人を含めた死者・行方不明者の数は、1000万人前後と考えられています。
ご冥福をお祈りしつつ、反戦平和運動の継続を決意するものであります。
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# by sokanomori | 2009-08-08 22:53 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(0)

神国日本の崩壊  

2009年 08月 06日

   ◇原爆が落ちて64周年です。

今日は、広島に原爆が投下された辛い日。
昭和20年8月6日午前8時15分、原爆が広島で炸裂。3日後の8月9日午前11時2分、長崎にも同様に原爆が投じられた。この2つの爆弾によって21万人が瞬時に死亡したとされる。
核分裂で放出された4000度の熱線と、350万パスカル(1平方m加重35t)という台風の1000倍の爆風と、さらに1平方㎝に1兆を超える中性子の放出によって広島と長崎は壊滅した。
友人、恋人、未来ある若者たち‥。人々の会話と笑顔は、どこかに消え失せた。破壊された廃墟の街に、放射能を含んだ黒い雨が降り注ぎ、身体に深く刻まれた傷跡にはウジ虫が徘徊した。生きていることが幸せなのか、死んだ方が幸せなのか、誰も分からない地獄絵図。未来への希望はどこにも見つからなかった。
弱肉強食の国家主義によって、靖国神社という人を兵器に変える宗教によって、全国民が戦争に動員された昭和という時代があった。人を殺す道具に仕立てられた人々は、異国に運ばれ、山や川、草原や洞穴、あるいは深海の底に、骨として散らばった。
国家が、徹底した思想統合を図り、宗教を人間の上に置いた結果、「骸骨路に充てり‥悲しまざるの族(やから)あえて一人もなし」(御書19頁)」の世を出現させ、もって「四方の賊来って国を侵す」(御書20頁)の御金言の通り、神国日本は米露中の各国に攻められ、ついに壊滅したのである。
二代会長戸田城聖先生は、昭和32年9月8日、原水爆禁止宣言をされ、「原水爆を使用するものは、魔物であり怪物である。これを使用したものはことごとく死刑にするべきである」と獅子吼されたのである。我らは、未来永劫、侵略戦争と過剰なる殺戮を許さない。地の果てまで核兵器を追い詰めることだろう。
今、隣国の朝鮮半島に、過去の神国日本のような国がある。広島・長崎レベルの核爆弾を複数所有する北朝鮮だ。私達は傍観してはならない。即刻、国内への兵器持込を阻止する法案を通過させなければならない。民主党は、この法案の決議をボイコットした。これは大きな汚点だ。その過去の記事は、→ここをクリック!

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# by sokanomori | 2009-08-06 23:03 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(8)

北朝鮮の核実験  

2009年 05月 28日

                   ◇油断禁物、先々の用心が大事
何の効果を狙ってやっているのでしょう。
偽札を作り、麻薬や兵器を売り、他国に勝手に潜入して人をさらう。恫喝し、ウソをついて金品を奪う。漫画の世界に登場する悪の国家が、私たちの目と鼻の先にあります。今回、実験に使用された核爆弾は、長崎へ投下された原爆とほぼ同等の性能だったとのこと。
先日、職場の昼休みに、次のような対話がありました。「馬鹿だな~北朝鮮。また、核実験やったようだ」→「またですか。もう、どこも見向きもしないでしょう。まあ、海軍と空軍がポンコツだから、日本には到底、手出しができない。陸続きの韓国は困るけど」→「まあ、大人と子供のケンカになるんでしょうね」→「いや、大人と赤ん坊ですよ!」(爆)
しかし、冷静に考えると、これは怖い情勢です。正規の戦争なら、被害が日本に及ぶ可能性は少ないでしょう。しかし、米国で発生した同時多発テロのようなことが起こったら‥。北朝鮮の工作員は、闇夜の海を渡り、日本に上陸するなんてことは簡単にやってのける。核爆弾を、国内のどこかに運び入れるとする。それが、大都市の中心部だとしたら‥。
私でも考えること。彼らが考えない筈はありません。
極めて危険ですね。対岸の火事ではありません。窮鼠は猫を噛むのです。
例えるなら、隣接する家に、ピストルを持った狂人がいるに等しい。日本政府は、徹底した海上保安行動を取るべきだと思う。
隣国の中国とロシアも激怒しています。東西南北の国々、さらに全世界の国が、この犯罪国家を見捨てることでしょう。御書に照らせば、崩壊の条件は全て整っている。
被害者の出ない、早期の解決の訪れを願うばかりです。

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# by sokanomori | 2009-05-28 06:14 | 戦争・紛争 | Trackback | Comments(2)

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