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[18783] 亡霊と海と時々キャル(Phantom~Requiem for the Phantom × Black Lagoon)
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:c48745e1
Date: 2010/05/24 05:10
どうもはじめまして、こんにちは、こんばんはそしておはようございました

この作品は友人の家でファントムを見ていて思いつきで出来上がった作品なので過度の期待はしないでください。一応プロットは最後まで完成しているので完結させるつもりですが更新速度に期待はしないでください。

ちなみに作者は声ネタがすきなのでネタ注意です。そしてちょっとキャラ崩壊もあるのでそれでも良い方は御覧ください。

それでは・・・・

御覧の通り貴様らが挑むのは無限の厨二、妄想の極致恐れずして読んでくださいww。



[18783] プロローグ
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:c48745e1
Date: 2010/08/29 13:17
「「バカルディ!店にあるだけ持ってこい!!」」

喧騒に包まれるイエローフラッグの中で一際大きな声にツヴァイは、琥珀色をした液体の入ったグラスを傾けながらテーブルを囲む雇い主とその護衛の二人の女に視線を流した。

「まったく・・・・野蛮な所ね」

 鬱陶し気に金糸の前髪をかき上げながら、ツヴァイの雇用主・クロウディア・マッキェネンは苦笑交じりに隣の褐色の筋肉質な相方に視線を向けた。

「あんたは初めてだから知らないだろうけど、ここじゃこんなの日常茶飯事さ」

 リズィ・ガーランドは、テーブルの上に転がる何個目か数えるのも面倒になった空のジョッキの群れに新たな空ジョッキを加えながら豪快に笑った。

「あれが噂のラグーン商会の二挺拳銃(トゥーハンド)だ」

 空のグラスをテーブルに置きながら、ツヴァイは横目にロアナプラでも名うての女ガンマンに視線を向けるがすでに噂の女ガンマンは、この店どころかこの背徳の街に不釣り合いなホワイトカラーの男との飲み比べに興じていた。

「あの刺青女がねぇ・・・・あなたとどっちが強いかしらね?」

 男を魅惑する為だけに生まれてきた様な蟲惑的な笑みを浮かべ、クロウディアは店で一番高い酒を煽った。

「どうかな・・・こればかりはやりあってみないと分からないな・・・・・待て」

 独白を切り上げ、ツヴァイは店の外に蠢く影に意識を向ける。

 それは、懐かしささえ覚える感覚であった。抑え込もうとしても滲み出る殺気、引き金に掛けた指が脳からの信号を今か今かと待ち構える期待感、どれもがツヴァイ自身が幾度となく経験し、また自身に幾度となく向けられた感情だった。

「リズィ・・・」

「ああ・・・・」

ツヴァイには遅れをとるが、リズィもそれなりの修羅場を潜ってきた歴戦の兵である。

ツヴァイと同様に店の外の影に気付いており、肉食獣の様な殺気を纏わせた視線を店外に向けていた。

そんな二人の様子に長年同行していたクロウディアも尋常ならざる空気を察し、いつでも動けるよう身構えていた。

瞬間。

喧騒渦巻くイエローフラッグにこぶし大の鉄塊が放り込まれる。

それが、手榴弾と理解する前に三人は動いていた。

ツヴァイは、テーブルを盾として爆風を遮り、リズィは以前からの護衛対象であり親友のクロウディアを背後に回り込ませる。

炸裂した手榴弾の爆風が収まるより早く、今度は窓が叩き割られそこから無数の銃口が突き出される。

銃口から吐き出される鉛の塊に店にいた客達が次々と風通りの良い体に改造されていき、物言わぬ屍へとその存在を変えていった。

「リズィ!!」

「分かってるよ!!」

ツヴァイが叫ぶよりも早く、リズィはクロウディアを連れカウンターに走っていた。

「逃げる奴にはケツ穴余計にこさえてやれ!!終わるときには酒場には死人しか残らねぇ!!」

銃声の奥からは狂気と歓喜に満ちた男の声が聞こえてくる。

クロウディアがカウンターの裏に逃げ込むのを確認したツヴァイは、己の存在を闇に紛らせ事の成り行きを見届けることにした。

幸いなことに、この酒場の店主はカウンターに装甲板を仕掛けておりよほどの重火器でない限りはクロウディアの安全は保障されている。

「死んでる・・・!死んでるよ!せっかく国立出ていいとこ就職したのに!これじゃぁあんまりだぁ!!」

今にも泣き出しそうな声も聞こえたが、それもすぐに銃声の狂乱の中に消えていった。

男の言葉通り、酒場に数人を除き死人しか残らなくなった頃、死体確認の為にゾロゾロと招かれざる男達が無遠慮に侵入してくる。

「チェックしろ、まだ声が聞こえた。俺は生きてる奴が大嫌いなんだ」

最後に店に入ってきた襲撃者のリーダーと思しきサングラスの白人が、部下に命令を出す。

人数は軽く二十人を超えており、誰を狙ったかは知らないが随分と用心深い奴らだなと、ツヴァイは心の中で苦笑し、同時にそれら全員を始末する算段を頭の中で組み立てながら、懐に忍ばせたベレッタに手を伸ばす。

だが、それよりも早く動く影がカウンターから飛び出した。

影の両手に握るのは差し込んだ月明かりを跳ね返し、凶暴な光を纏う白銀の銃。

それを自分の一部の如く操り、無駄のない動きから繰り出される銃の演武により鍛え抜かれた屈強な男達を瞬く間に屠り去っていく。

だが、ツヴァイの注目を引いたのは影の動きではなく、その表情にあった。

影は嗤っていた。

人間と言う己と同じ型を持つ存在を彼女、二挺拳銃は、心底楽しみながら壊していた。

自分の様に殺人に心をすり減らす事もなく、ただ純粋に殺人という行為を楽しんでいた。

「あれはお前らの客か?」

闇夜に紛れ、ツヴァイはカウンターのさらに奥、裏口の前で二挺拳銃を援護する大柄の黒人に話し掛ける。

「あんなおっかねぇ連中に知り合いはいねぇよ!」

「でも心当たりはあるんだろ?」

その言葉に男はバツの悪そうに舌打ちをし、

「あいつらエクストラ・オーダーって傭兵会社の奴らでな、俺達の持ってるモンに興味津々のご様子だ」

「あら・・・そんな物騒な物ってなにかしらね。私も興味あるわね」

待っていたとばかりにクロウディアが口を挟む。

「・・・・なんだこの上の娼館にいそうな姉ちゃんは?」

男の物言いにクロウディアが噛みつく。

「失礼ね!!それはゲーム版の時だけよ!!」

「落ち着きなよリンディ、いいじゃないさそんなことぐらいで・・・・・」

「そんなことって何よ!あんたなんてゲーム版じゃアマゾネスの戦士みたいな姿だったくせに!!アニメ版でワイルドになったからって調子に乗ってんじゃないわよ!!」

「なっ!!それは言わない約束だったろ!」

理解不能な言い合いを始める二人をよそにツヴァイは男に視線を移す。

「・・・・・色々すまん」

「なに、気にするな。この街じゃよくあることだ」

「よくあるのか!?」

「くだらねぇお喋りはここまでだ、俺達がここから逃げれば奴らも俺達を追ってくるだろ。迷惑掛けたワビはいずれするってことで今日のところは失礼させてもらうぜ」

そう言うと男は豪快に握っていたS&Wを撃ち放ち、死のダンスを踊り続ける二挺拳銃に叫び掛ける。

「レヴィ!出るぞ!!」

「あいよ」

「ちょっと待てぇ!俺はどうなるんだ!?」

それまで膝を抱えて震えていたホワイトカラーが噛みつくように男に迫る。

「元々ない話だしよ、ここで別れるってのはどう?」

「それはないだろ!?死んじゃうよ連れてけ!!」

本気で泣きの入ってきたホワイトカラーに男はやれやれというように肩をすくめると、

「しょうがねぇな、足だけは引っ張るなよ?」

まるで嵐のように男たちは去って行った。

残されたのは、傭兵達によって作られた死体が十数体にレヴィと呼ばれた女ガンマンが作り上げた傭兵達の死体が十数体、生き残りの店主とツヴァイ達三人。そして・・・・

傭兵部隊の隊長が忌々し気に吐き捨てるも、未だ無傷のツヴァイ達を確認するなりその蛇のような顔つきをより醜悪な笑みに歪ませる。

「まぁ奴らはすぐに始末するとして、生き残りがいたとあっちゃ後々めんどくせぇ事になりかねねぇからな。悪ぃが運がなかったと思って死んでくれや」

その言葉を合図に、外で待機していた部下達が一斉に銃を構える。

ある程度予想できたこととはいえ、実際に起きるとやはりうんざりする。

深くため息を漏らすツヴァイに更なる追いうちの言葉がクロウディアにより掛けられる。

「よろしくね・・・・ツヴァイ」

もう何度となく言われた台詞にツヴァイは再び肺が空になるほど深いため息を吐き出す。

瞬間、十五発分の銃声と共に同じ数の傭兵達が頭や心臓など即死の銃痕を体に刻み込み物言わぬ死体となって酒場中に転がる者達の仲間入りを果たした。

「なっ!?」

傭兵部隊の隊長が驚愕の声を上げるより早く、マガジンを交換したツヴァイが更なる死体を作り上げていく。

「何だお前・・・・・ま、まさかカシムか!?」

「大尉落ち着いてください!!」

取り乱す隊長を抑えながら撤退していく傭兵達をしり目に満足げな表情を浮かべるクロウディアが悪魔の様だったと、イエローフラッグの店主・バオは後々まで語り継ぐこととなる。



[18783] 1話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:c48745e1
Date: 2010/08/29 13:29
ここは、ロアナプラの繁華街から少し離れた港町の二階建て建物の一室。

ツヴァイ達が住居兼事務所として借りているのは3LDKの間取りに事務所として使っている部屋からは海が一望でき、物件的にはかなり良好のはずなのだがいかんせん潮風にあてられて所々錆びついており、かつてアメリカの裏社会で限りなくトップに近づいた組織の大幹部の部屋とは思えない程寂れた一室にツヴァイ達三人は難しい顔を突き合わせていた。

「クロウ・・・悪いけどもう一回言ってくれるかい?」

頭痛を堪えるかのようにこめかみを抑えながらリズィは隣に座る親友であり護衛対象であり、雇用主のクロウディアに問いかける。

「お金がないのよ!!」

リズィよりもさらに激しい頭痛を感じているのか、クロウディアは誰から見ても美人と言える顔の眉間に深い皺を刻んでいた。

「ロアナプラにきて数ヶ月、何の後ろ盾もない私達に仕事なんてあると思う?今まではインフェルノ時代に蓄えたお金で何とか生活してきたけどそれもそろそろ限界よ」

「ちょっと待て、それにしたって早すぎないか?アメリカならともかくここはタイだぞ、物価だって全然・・・・・」

「あんた達が毎晩毎晩飲みに行ってお金を湯水の如く使っているからでしょうが!!」

テーブルを挟んでソファに座るツヴァイが口を挟もうとするが、怒鳴り声に一蹴される。

「そんなに行ったか?」

「あたしの記憶ではそんなに・・・」

訝しの視線を交わらせるツヴァイとリズィの前に、一冊のノートが叩きつけられる。

そのノートには几帳面な字で「家計簿」と書かれていた。

「「か、家計簿ぉ!?」」

驚愕の表情を浮かべ、素っ頓狂な声を上げる二人になぜか得意気なクロウディア。

「これでも出来の悪い弟がいた身ですからね。これぐらいは当然よ」

「お、お前・・・・意外に家庭的だったんだな」

「一応、親友を自称しているあたしでもこれは予想外だったよ・・・・」

「お黙り!それよりもこの家計簿を見てみなさい!!」

破れんばかりの勢いでノートを開き、これまた几帳面の字で描かれた数字の羅列を二人に突きつける。

「「・・・・・・・」」

その内容にさすがに閉口せざるをえない。

ほぼ毎日の様に酒代の項目があり、その額は平均数万ドル、酷い時には一晩で数十万ドルの金が酒代に消えていた。

「これで分かったでしょ!?うちの経済状況はあんたら二人のアル中によって切迫してるのよ!!」

「い、いや、そんなに飲んだ記憶がないんだが・・・・」

「あんたら記憶無くなるまで飲んでいるからでしょうが!!何度ゴミ捨て場で寝ていたあんたを担いで帰ってきたと思っているの!?」

「そ、そんなこともあったのか・・・?」

自分の酒癖の悪さを認識すると共に、そこまで酒に溺れてしまうほど摩耗している自分にうんざりする。

「一人でシリアス入っているんじゃないわよ!!そんな暇があるならバイトでもして来なさい!!この駄犬!!」

容赦のない罵倒と共に強烈な平手打ちをくらわせられ、ツヴァイは肩を落として沈黙する。

その時、クロウディアのデスクに備え付けられていた電話が鳴り響く。

「はい、御電話ありがとうございます。こちら万屋アースラです♪」

女の変わり身というものはいつ見ても、殺し屋のそれよりも卓越した技術だとつくづく思う。

何の訓練もなくそれを生まれつき持っている女というものは、何より恐ろしいとツヴァイは改めて感じた。

「はい、ご依頼内容はどのような物でしょうか?当社は殺し屋から戦艦の艦長、マダオ(まるで駄目なオウギの略)の嫁等と幅広い人材を揃えております!!・・・・・え?」

それまで上機嫌だったクロウディアの声色が一気にクールダウンする。

「・・・・はい・・・・はい・・・いえ、喜んでお請けさせていただきます。はい、これを機に今後も当社を御贔屓に・・・・はい、では失礼させていただきます」

電話を切るなり、引き攣った笑みをクロウディアはツヴァイに向けた。










「あら?意外と仕事が早いのね」

依頼主のバラライカと呼ばれるロシアンマフィアの頭目の事務所に着いたのは正午になりかけの時だった。

「ホテル・モスクワ」。ロアナプラでも三合会に次ぐ勢力を誇る組織の頭目からバイトの依頼が来たのは一時間程前のことであった。

「で、依頼内容は?」

「あら?聞いてないの?」

意外そうに顔をしかめるバラライカ。

バイト内容はクロウディアから頑なに教えられずにいたため、直接聞くしかなかったのだが、

「なん・・・・・・・・・だと」

その内容を聞きながら案内されたビデオ機材が並ぶ一室を前にツヴァイは愕然とした。

「聞こえなかったの?ポルノビデオの編集のバイトよ」

「・・・・・・」

閉口するツヴァイの表情がよほどお気に召したのか、バラライカは上機嫌に続けた。

「さすがのファントムも雇用主の命令に逆らえないってわけね」

「知っていたのか?」

「仕事柄ね。この街の新参者を一通り調べるのは当然のことよ」

考えてみれば当然のことであった、素性を知らぬ者にバイトとはいえ「ホテル・モスクワ」が仕事を依頼することなどありえない。

別に隠していたわけではないが、自分の預かり知らぬところで自分の過去を探られるのはいい気分ではない。

だが、ここでへそを曲げるほど子供ではないし、せっかくのバイトを不意にすればクロウディアに何をされるか分からない。

「で、何本やればいいんだ?」

極力顔に出さないように努めたが、バラライカはそのツヴァイの一連の行動に歪んだ笑みを浮かべ、機材の説明を始めた。









「船便の遅れるって?」

葉巻を加えたバラライカがけだるそうに、来訪者の言葉を復唱する。

「電話ですむようなことをわざわざ言いに来たの?」

「ダッチに言ってくれよンな事」

めんどくさそうに吐き捨てるのは、ラグーン商会の二挺拳銃こと、レヴィであった。

同行しているのは先日の酒場の一件以来ラグーンに籍を置くことになったホワイトカラーの東洋人のロックと呼ばれる男は、ツヴァイが編集するポルノビデオの映像に気まずそうに視線を逸らしていた。

逆にレヴィは興味津々といった様子で画面を覗き込んでくる。

「ま、なんでもいいわぁ、今日中にこれを十五本片付けなきゃいけないのよ」

「やっているのは俺だがな・・・・」

さも、自分一人で仕事をしているかのような口調のバラライカにツヴァイは、こめかみを引き攣らせながら呟く。

「まぁ、バイトが見つかってよかったわ、あたしがやってたら頭がおかしくなりそうよ」

(バイト代の為だ、バイト代の為だ、バイト代の為だ)

自分に言い聞かせることで目の前の機材を撃ち抜きたくなる衝動を抑えるツヴァイに、ロックだけは同情の視線を向けていた。

「夜には会合もあるのよもう・・・・・勝手にヤクを撒いてるどっかのバカの話。大迷惑よまったく」

今にも死にそうな声を上げるロシアンマフィアの頭目を尻目にツヴァイは黙々と作業に没頭する。

「なぁ兄ちゃん、あれケツに入れてんのか?」

「・・・ケツだ」

レヴィの問いに律儀に答えてしまう自分の性格が恨めしかった。

一通りの世間話を済ませ、ラグーンの二人が部屋を後にする。

「じゃあな兄ちゃん、続き頑張れなぁ」

「死にたくなる・・・・・」

去り際のレヴィの言葉に、ツヴァイは誰にも聞こえない声で呟いた。








バイトが終わったのは日が傾き始め、ロアナプラに夜の世界が訪れる手前の刻限だった。

僅かに出たバイト代を握り締め、ツヴァイが訪れたのは繁華街の食堂市場。

朝から何も食しておらず、昼食もあのようなバイト内容では喉を通らず、少し早いが夕食をとることにした。

器に注がれたフォーを持ち、テーブルに着く。

特に食に拘りはないが、ここのフォーは不思議とツヴァイの味覚を心地よく刺激してくれるので暇さえあれば食していた。

半分も食べ終えたころ。市場が喧騒に包まれる雰囲気を感じ、箸を止め辺りに視線を飛ばすと、逃げ惑う人々の奥に銃を構えた見知った短いポニーテールを見つける。

「またあいつか・・・・」

うんざりしながらフォーをかき込み直すツヴァイ。

言わずもがな、先刻会ったラグーン商会の二人組であった。

トラブルメーカーと呼ばれる人種にはこれまでに何人も出会ってきたが、行く先々で面倒事を引き起こすラグーンの二人組はトラブルメーカーというよりもトラブルそのものと言った方が正しいのだろう。

今回もどのような経緯でトラブルを巻き起こしたのか知らないが、レヴィがロックに銃口を向けているところを見る限り、痴話喧嘩の類であると予想がつく。

そんなことにいちいち光りものを持ち出す辺りが、この街が常識から外れた存在であると改めて思い知らされる。

瞬間、銃声が轟く。

「ほんとに撃つのか・・・・」

スープも残らず飲み干し、ツヴァイはゆっくりと席を立つ。

背後からはロックとレヴィが言い争う声が聞こえてくるが、すでにツヴァイは満腹感から来る眠気を堪えるほうが重要であった。

遠くからパトカーのサイレンの音も聞こえてきたがそれもツヴァイにはどうでもいいことであった。






「よう、またあったな兄ちゃん」

御馴染のイエローフラッグのカウンターでグラスを傾けていると、そこにレヴィがやってきた。

後ろには、顔を腫らし左のこめかみに銃痕の掠り傷を付けたロックがついて来ていた。

「バイトはどうだったよ?」

「・・・・・・」

それを忘れるために飲んでいるのに、一瞬にしてアルコールが体から抜けていくのがわかってしまい、忌々し気に表情を歪めるがレヴィは構わずツヴァイの隣に陣取る。

「そういや自己紹介がまだだったな。あたしは・・・・・」

「知っているよ、ラグーン商会の二挺拳銃だろ?そっちは最近入ったロック」

「え?俺の事も知ってるの?」

「耳は早いほうなんでね・・・・」

意外そうな表情を浮かべるロックに一瞥もくれずにグラスの中身を飲み干すツヴァイ。

「まぁ、ロックのことなんざどうでもいいさ。あんたは最近来たモンだろ?どこで仕事とってたんだい?」

「俺か?・・・・・・」

少し考えて、ツヴァイは皮肉気に口元を歪ませ、

「俺は、殺し屋から戦艦の艦長、マダオ(まるで駄目なオウギの略)の嫁等と幅広い人材を揃えている万屋アースラの玲二だ。」

「あん?」

「あんた日本人なのか?」

それぞれ思うところが違う疑問を浮かべる二人をよそに、ツヴァイは店主のバオにおかわりを要求した。

後に、バイト代を使い込んだとクロウディアにこっ酷い制裁を受けることなど露知らず、ツヴァイはこの妙な街の住む妙な二人組との出会いをどこか楽しんでいた。



[18783] 2話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:d2bcaddb
Date: 2010/08/29 13:38
焼けるような日差しの中、エアコンの効いた事務所でクロウディアはキンキンに冷えたシャンパンに舌鼓を打っていた。

誰もいない事をいいことにバスローブ一枚と言う格好に注意する者もなく、クロウディアは束の間の幸福を堪能していた。

最近の万屋アースラの経営状態は、思いのほか良好であった。

この背徳の街ロアナプラを牛耳るマフィアへのパイプ作りもクロウディア自身が持つ交渉スキル、信じられる友人、そしてかつてファントムとまで呼ばれた伝説の殺し屋がいればこの街での成功も難しい話でないと思っていた。

しかし、思い描くシナリオが現実のものとなるのに喜びを感じない人間はいない。

今日のこのささやかな贅沢も、自分へのご褒美と見れば決して高いものでない。

ちょうど、ツヴァイもリズィも出払っており事務所にはクロウディアしかいない。

この街に来てからほとんど、どちらかが自分を警護の為に付いていた。

それは、雇用主として当然と思う反面、少しでも一人になりたいという欲求が溜まって来ていたのも事実である。

決して二人が煩わしいなどと思ったことはない。むしろ感謝の念を絶えず持っていた。

アメリカですべてを失い、それでも自分について来てくれた二人にはこの世の全ての言語を尽くして礼を述べても足りない程である。

それでも心のどこかにはそのような欲求が溜まっていたことに僅かに嫌悪感を覚えると同時に、自分の様な者にもそのような人間らしい感情があったのだと皮肉に感じたものだ。

そんなクロウディアの幸福を木端微塵に吹き飛ばす人物がロアナプラに降り立ったことなど、当のクロウディア本人はもちろんのこと、ロアナプラに住む誰一人として知ることはなかった。




「あん?コロンビア人に会いたい?」

街中で呼び止られたリズィは、不信感たっぷりに眉をひそめる。

この街で自分に声をかける連中など片手あれば事足りる。

基本的にこの街は他人に無関心なのだ。

毎日のように銃撃戦や爆破が起こる場所で自分と仲間以外に気を配る余裕など持ち合わせてはいられないからだ。

ロアナプラに来て数カ月、ようやく常識の外にあるこの街のルールにもなじみ始めたリズィに前に現れたのは、これまた常識の外にある格好をした女であった。

一言で表すならば、それはメイドだった。

否、それ以外の言葉が当てはまらない。

黒を基調とした服に黒のロングスカート、それにコントラストを加えるのはシミ一つない純白のエプロン。

まさに映画の中から出てきたメイドそのものだった。

メイドは、腰まであろうかと言う長い黒髪を三つ網に結び二本の尻尾の様にうなじから垂れ下げ、顔の半分は覆う丸眼鏡をかけていた。

「はい、私本日この街に来たばかりでした右も左も分からぬ身の上、コロンビアの同国人の集まりそうな場所を御教えいただけないでしょうか?」

まるで、感情をなくした人形のようにメイドは先ほどと同じ言葉を送り返す。

「コロンビア人ねぇ・・・・・」

人種差別の概念なども持ち合わせてはいないが、コロンビア人だけは話が違う。

かつて、リズィ、クロウディア、ツヴァイが所属していた組織インフェルノ。

その大頭目はコロンビアの麻薬市場を牛耳っていたレイモンド・マグワイア。

リズィは彼にあろうことか親友であるクロウディアの抹殺を命じられたことがある。

組織の忠義と友情の間で大いに揺れたが結局彼女は友情をとり、クロウディアと当時インフェルノ最強の殺し屋、ファントムの称号得ていたツヴァイと共にインフェルノを脱走した。

自分の選択に後悔は微塵もないが、組織を裏切ったことには変わりない。

自分はろくな死に方をしないであろうと覚悟も決めている、仮にこのメイドがインフェルノから刺客だったとしてもさしたる抵抗もしないであろう。

だがそれは、あくまで自分一人の場合のみである。

今も昔も自分よりも大事な存在がある。

クロウディア・マッキェネン。自分の全てを賭けて護ると誓った親友に危害が及ぶのは何としても阻止しなくてはならない。

改めてメイドに視線を向ける。

相変わらず人形の様に無表情のメイドは時が止まったかのように身じろぎ一つせずにリズィの言葉を待っていた。

「・・・・・」

リズィは迷っていた。このメイドがインフェルノの刺客だとはどうしても思えなかった。

インフェルノの刺客ならば、自分を見つけた瞬間に発砲しているだろう。

まれに自分の趣味の為に自ら名乗り決闘を申し込む馬鹿もいるが、そんな命知らずがインフェルノに所属できるはずがない。

コロンビア人を探しているのは仲間を集めて自分達を襲うのかとも思ったが、わざわざそれを自分にばらすような不手際はしないだろ。

だが、それが全て罠であったなら?

そこまで考えてリズィは思考を停止した。

考えるのは自分の仕事ではない、今自分ができるのは出来るだけこの正体不明のメイドから目を離さないことだ。

「場所は知らねぇが、あたしもこの街に来たばかりでね。これも何かの縁だ、とりあえず家に来ないか?」

我ながら下心が見え見えの誘いだったが、メイドしばらくの沈黙の後、

「では、御言葉に甘えまして」

などと言って、リズィの後に付いて行った。







「悪いな・・・・・」
 
事務所に着くなり、リズィはメイドの頭に愛銃であるATMハードボーラ―を突き付ける。

事の一部始終を聞き及んでいたクロウディアは、その光景を無表情で眺めていた。

「・・・・・・」

相変わらず無表情のメイドだが、リズィにはメイドの筋肉が僅かに硬直したのを見逃さなかった。

(こいつ、やっぱり・・・・・)

その反応にリズィの中にあった疑念が確信へと変わる。

メイドの反応は修羅場を潜った者にしかできない反応であった。

表情と体の反応を区別することは、意図的な訓練を行わなければそうそうできることではない。

「あんた・・・・一体何モンなんだ?」

「私本日この街に来たばかりでした右も左も分からぬ身の上、コロンビアの同国人の集まりそうな場所を御教えいただけないでしょうか?と、お願いしたはずですが?」

「それはこっちの質問に答えてからよ」

心の内を読めせぬよう余裕たっぷりの笑みを作り、クロウディアはメイドに命令を下す。

「別にあたし達はあなたをどうこうしようとは思ってないわ・・・・今のところはね」

「それはどういう意味でございましょうか?」

「そのままの意味よ」

「・・・・・・」

「あんたがあたし達を狙っている奴らじゃないって分かったら、すぐにでもコロンビア人の所に連れていく」

今日会ったばかりの人間とは言え、騙したことに後ろめたさの苦痛に表情を曇らせるリズィ。

「私、南米ラブレス家のメイド、ロべルタと申します・・・・これでよろしいでしょうか?」

「そうね・・・・じゃもう一つ質問。どうしてこの街に来たの?」

「・・・・・私用でございます」

「あっそ、じゃ質問を変えるわ。レイモンド・マグワイアって知ってる?」

「・・・・・・コロンビアの麻薬王と言うことぐらいは・・・・」

表情から内心が読めない為、クロウディアはこれまで培ってきた経験則と情報を総動員して、目の前のメイドの正体にある程度の予測を付ける。

「そう・・・・どうやらあなたは違うみたいね。ごめんなさいね」

リズィに目配せをし、ロべルタと名乗ったメイドの頭に向けられた銃口を下させる。

「・・・・・・いえ、それでは御暇させていただきます」

そう言って、ロべルタはやうやうしくスカートの裾を広げ礼をとる。

「いやね、怒らないで。お詫びと言っては何だけど協力させてもらうから」

無理な事とは分かっているが、出来るだけ優しい声色でロべルタに語りかける。

が、次の瞬間二人の表情が凍りつく。

ロべルタのスカートの裾から零れ落ちたのは、こぶし大の黒光りする球体。

「手榴・・・・!」

気付いた時には、クロウディアはリズィに抱えられ窓から飛び出ていた。

数瞬の後、爆風と共にかつて事務所と呼ばれた建物が木端微塵に吹き飛んだ。

「あ・・・・・あ・・・・あ・・・・」

燃え盛る事務所の前にクロウディアは放心状態で立ち尽くしていた。

親友のあまりの痛々しさにリズィは思わず顔を背けてしまう、このような光景をリズィは過去に見たことがある。

それは、数年前クロウディアの抹殺指令をインフェルノから受け、それを実行しようとした光景であった。

その時にもクロウディアは、それまで自分で築き上げた物全てを失っていた。

「あ・・・・・あ・・・」

「クロウ・・・・」

何と声を掛けてよいものか迷い、恐る恐るクロウディアに手を伸ばす。

「あンのくそメイドぉぉぉぉぉぉ!!」

「は?」

何が起こったのか理解できず、リズィは素っ頓狂な声を上げてしまった。

「あたしの事務所を見事なまでに木端微塵にしてくれちゃってまぁ!!この落とし前はどうしてくれようかしら!!」

絶望ではなく怒りで震える拳を握り締め、クロウディアは振り返るなりリズィに叫び掛ける。

「車出して!!あのなんちゃって火星の戦士を本当に火星まで吹き飛ばしてやるわ!!」

「イ、イエス。マイロード!!」



[18783] 3話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:4b5f93b9
Date: 2010/08/29 13:58
事務所が半壊したこと、それにより雇用主が怒り狂っていることを露知らず、ツヴァイはいつも通りイエローフラッグのカウンターでグラスを傾けていた。

「あんたトコの会社、随分景気がいいみてぇだな。」

そう言って店の店主バオは新聞に目を落としながら語りかけてきた。

「おかげさまで。」

あいさつ程度の口調でツヴァイはグラスに新しい酒を注ぎながらぶっきらぼうに答えた。

考えてみれば酒代を稼ぐために働くなどアメリカ時代には考えられないことではあったが、そうやって飲む酒は不思議と旨いと感じるようになってきた。

この変化が自分にとって良いことなのか悪いことなのか分からないが、少なくとも悪い気はしなかった。

そんなことを考えていると、いつの間にか隣に奇怪な格好をした女が座っていた。

一言で言い表すならメイドだった。

まるで映画の中でしか見たことがない本物のメイドがそこにいた。

店どころか、この街そのものに不釣り合いなメイドをバオも一瞬驚愕の表情を浮かべるが、この手の相手には関わらない方が身の為だと瞬時に理解したのだろう。

再び新聞に視線を落とし、

「ミルクはねぇよ」

と、ぶっきらぼうにメイドに吐き捨てるように言った。

「では、お水を・・・・・」
 
幽霊のような消え入りそうなか細い声で、メイドは淡々と続ける。

「この街には今日着いたばかりでして、右も左も分かりませんのコロンビア人の・・・・」

そこまで言って、メイドの台詞は強制的に終了を余儀なくされる。

中身が零れるのも構わず、バオがビールの入ったジョッキをメイドの前に叩きつけるように置いたのだ。

「ここは酒場だ・・・・・酒を頼め、アホタレめ」

あからさまに「とっとと帰れ」と態度に表すバオに、ツヴァイは興味なさげにグラスを傾ける。

このメイドに興味がないわけではないが、下手なことに首を突っ込めば命が危ないのはこの街の摂理ともなっているのでバオの態度も分からなくはない。

しかし、

「この街には今日着いたばかりでして、右も左も分かりませんのコロンビア人の友人を頼って来たのですが、事務所はどちらにございましょう、ご存じありませんか?」

メイドは、何事もなかったかのように律儀に先ほど言いかけた台詞を最初から言い直す。

「姉ちゃん!ここが観光案内所や職業斡旋所に見えんのか!?」

遂に怒鳴り声を上げるバオにメイドは眉一つ動かさず静かに、「いえ」と、呟いた。

酒瓶を一つ空けたころ、店の外からこちらに向かってくる無数の殺気を感じ、ツヴァイは意図的にアルコールを体内の奥底に押し込める。

それと同時に隣に座るメイドからも肉食獣の様な殺気が立ち込めていた、それはあまりにも強烈でありツヴァイの闘争本能を無自覚に刺激する。

思わず懐のベレッタに手を伸ばしかけるが、それを遮るようにメイドに握られたジョッキが盛大な音を立てて砕け散った。

申し合わせたように、店の入り口の扉が開き店内に数人のガラの悪い男達がズカズカと侵入してくる。

それを見た他の客は危険を瞬時に嗅ぎ取り、逃げるように店を後にする。

顔つきから予測するに、男達達はメイドの探していたコロンビア人のようであったが、乗り込んできた雰囲気から察するに、メイドを歓迎する為に来店したのではないのだということは、子供でも察しがついた。

いつの間にか店の中には、バオ、ツヴァイ、メイド、そして乗り込んできたコロンビア人の男達しか残っていなかった。

バオとツヴァイは無関係だが、この状況で店を後にできるほど空気が読めないほどバカではない。

願わくば、穏便に事が済めばよいのだが・・・・・。

「女、テメーに用がある。」

男達の先頭に立つ髭面の男が掛けていたサングラスを外しながら低いドスの利いた声でメイドに詰問を口火を切る。

「おかしなメイド姿の女が一人、コロンビアマフィアの居場所を嗅ぎ回ってると聞いたんでな。
ハリウッドの時代劇でしかお目にかかれねぇイカレたナリだ。そんな服で街中を歩いてりゃあどんな馬鹿の記憶にも残らぁ・・・・・。
俺達をここに呼び寄せたのは何が目的だ!!貴様何者だ!!」

ツヴァイの予想通り男達はコロンビア人であることには間違いないようである。

しかも、メイドが探していたコロンビアマフィアの者達であることは男の台詞から容易に想像できる。

この背徳の街で人を探す言うこと自体常識的に考えられない。

表社会からはみ出した者で作られた街にまっとうな人間などいるはずがない。

しかも、それが探し人の個人名であるならいざ知らず、コロンビア人などと酷く曖昧なものであったのならばそれはマフィアの警戒心を煽るに理由には十分すぎる。

しばしの沈黙の後、メイドは椅子の脇に置いてあった大きなカバンの取っ手と桃色の日傘を握り、立ち上がると警戒心で殺気立つコロンビアマフィア達と対峙する。

「見つけていただくのがこちらの本意でございます。マニサレラカルテルの方々でございますね。私めはラブレス家の使用人にございます。聞きたいことが幾つか」

マフィアを前にしてもメイドの口調は変わらず淡々としたものであった。

しかも、自分を見つけてもらうことを目的としていたなど狂気の沙汰としか思えないが、それでもツヴァイはこのメイドの底知れぬ威圧感ならば例えこのまま撃ち合いを始めたとしても納得してしまうだろう。

そして、メイドはさらに信じられない事を口にした。

「失礼ながら・・・・少々御無礼を働くことになろうかとも」

その言葉の理解するまでに数秒、その後に店内はコロンビア人の豪快な嘲笑に包まれる。

その中でも、ツヴァイはこれから起こり得るであろう銃撃の嵐に内心うんざりしながらもそれに巻き込まれないよう僅かに体を強張らせていた。

「ぎゃははははは!おい、聞いたかよ?御無礼を働くとよぉ、このアマぁ!!」

「お笑いだぜ!はははははは」

「どうするってんだよぉ~姉ちゃん!!」

下品な笑いを撒き上げながらカルテルの連中は、メイドに腹を抱える。

無理もない。あくまで丁寧な口調で自分達に危害を加えると宣言するメイドなど酔っ払いの冗談にも出てこない珍事であり、それが目の前で現実に起こったとあれば笑い転げるのが当然の結果だ。

「手加減は出来かねますので、一つ御容赦を・・・・・」

だが、それでもメイドは表情一つ変えず、静かに右手に持った傘の先を持ち上げた。

「では、ご堪能くださいまし」

瞬間、傘の先端から火花と轟音が飛び散り、その射線線上に立っていた屈強な男の体を穴だらけにしながら吹き飛ばす。

「なっ・・・・・・?」

数秒前まで笑い転げていた男達も含め、流石にこの展開までは予測できなかったツヴァイも驚愕に目を丸める。

誰が信じられよう。

屋敷で主人にお茶を汲むだけに存在するメイドがあろうことか傘の先端から銃弾を放ち人一人を穴だらけにしたのだ。

あっけに取られる男達をよそにすでに冷静さを取り戻したツヴァイは、次に起こり得るであろう鉄火場の襲来に備え、一足でカウンターのテーブルを飛び越え身を隠す。

「や、野郎ぉぉぉぉ!!」

ツヴァイの行動に遅れること数秒、ようやく事態を理解した男達が動揺を隠しもせずに次々と持っていた銃を握る。

「このクソッたれぇ!!てめぇら!!構うことねえ!!ぶっ殺せぇ!!」

震える銃を片手にリーダーと思しき男が部下達に号令をかける。

だが、それでもメイドは何も変わることはなく、淡々とした口調で言葉を紡ぎだす。

「いかようにも・・・・・お出来になるのならば」

「ほざくなぁぁ!!」

十数個の銃口から無数の銃弾が吐き出される店内のカウンターの裏では、ツヴァイとバオが顔を合わせていた。

「俺の店は射撃場じゃねぇってんだよ・・・・」

「それは気付かなかったな、よくこの店で世界大戦が行われているのは店の小粋なイベントかと思ったよ」

「んなわけあるかぁ!!こっちだって毎回毎回迷惑してんだよ!!あいつらだってお前のダチじゃねぇのか?」

「言葉は悪いが二挺拳銃の台詞を借りるなら、ダチじゃねぇ!知らねぇよこのタコ。かな?」

このような会話の間にもメイドの豪快な銃声がすでに数人の男達を吹っ飛ばす音が聞こえる。

「駄目だ兄貴!!どうなってやがんだ!?防弾繊維か畜生!!」

銃声と共に聞こえる泣き出しそうな声が空しく響き、ある程度の状況を教えてくれる。

恐らく、あの傘の布部分は防弾繊維によって編み込まれているのだろう、それにショットガンを組み合わせるなど、冗談の様にしか聞こえないが事実それがあるのだから認めるしかない。

狙いも定めず引き金を絞れた銃口から吐き出される鉛玉が、カウンターの酒瓶を見事に打ち砕いていき、その破片が真下で身を隠していたバオとツヴァイに降り注ぐ。

「畜生!!弁償しやがれってんだ!!」

護身用のショットガンを抱えながら、バオは撃った相手も分からず吐き捨てる。

「慰めにもならんと思うが・・・・ご愁傷様バオ君とでも言っておこうか?」

「同情するなら金をくれってんだ畜生め!!」

悪態を吐きながらバオはポケットから煙草を取り出し、おもむろに火をつける。

「ち、酒瓶の弁償一万ドル・・・調度品が同じく一万五千ドル・・・・プラス建物の修理費二万ドル・・・その他。問題は請求書の送り先だ・・・・あ、レヴィ!」

気怠る気に大まかな被害総額を検証するバオの口調が、ある人物を捕らえるなり怒りの色を帯びる。

バオの視線の先には流れ弾に当たらぬよう姿勢を低くして、裏口からでようとカウンターから顔を出したラグーンのレヴィだった。

「また、お前か・・・・」

トラブルが生まれ変わったと言っても過言ではない女を確認すると、ツヴァイは誰に言うでもなくため息を漏らす。

だが、それツヴァイ以上に過去から被害を被っているバオは、顔を引き攣らせ、咥えていた煙草を床に落とした事すら気付かずに、レヴィを怒鳴りつける。

「てめぇ・・・レヴィ!!またテメェの仕業か!テメェのダチは何回俺の店をぶっ壊しゃ・・・・!!」

この惨劇の原因がレヴィであるという確証はどこにもなく、むしろ良く考えなくとも原因はメイドなのだが、頭に血の上ったバオにとってはレヴィがトラブルを持って来たと考えるのが手っ取り早いのだろう。

完全に八当たりに他ならないが。

「ダチじゃねぇ!知らねぇよこのタコ!!」

当然、レヴィは苛立ち相変わらずの口汚い言葉をバオに吐き捨てる。

「ほらな?」

「・・・・・ちぃ!!」

先ほどツヴァイがレヴィの言葉を借りたままの台詞を投げかけられ、バオは忌々し気に舌打ちをする。

「ち、静まり返るんじゃねぇよこのバカ・・・」

レヴィの言葉通り、先ほどまでの銃声や怒号が嘘の様に収まり、店内には、むせ返る様な血と硝煙の匂いが立ち込めていた。

バオとレヴィの言い争いにあれほど銃撃の喧騒に満ちていた空間が突如静寂に包まれた。

それほど、この場には居ないはずの人物の声音は音波の波長が違っていたらしい。

「ラグーン商会!お前ら何でここにいる!!うちが頼んだ荷物の運搬はどうした!?」

まだ生き残っていたリーダーの男がラグーンに詰問する。

それに答えたのは、レヴィの後ろに続いていたラグーンのボス、ダッチだった。

「まぁ待て!結論に飛びつくなアブレーゴ!」

直後、幽霊の様に立ち上がったこれまたこの街には不釣り合いなほど仕立ての良い服装をした少年を確認したアブレーゴと呼ばれた男が声を張り上げる。

「あぁぁ!!?なんで荷物が何でここにいる!?テメェら契約の仕事を!!」

「だから、話を急くんじゃねぇ!!料金の件はゆっくり話を・・・!」

荷物、契約、少年、メイド。

これまでの話の流れとこれまでの事態の流れにキーワード当てはめ、ツヴァイはおおよその事態を掴む。

「そういうことか・・・・・まったく、やはりラグーンに絡むとろくな事がない」

ため息混じりに呟くツヴァイの耳に、今度は意外な人物の意外な声が鼓膜を震わせた。

「若・・・様・・・・」

それまで無機質な口調でしか言葉を発して来なかったメイドが初めて感情の籠った声をあげていた。

「ロべルタ・・・・」

荷物と呼ばれた少年がメイドの名を呟く。

「こんな所にいらしたのですね若様、ご当主様も心配なさっております。さぁ」

そう言って、メイドは少年に一歩踏み出そうとするが、少年の表情は強張りメイドの進んだ分だけ後退する。

メイドの戦闘力は目の当たりにしたのは初めてなのだろう、明らかに少年は怯えていた。

それを、メイドも感じ取ったのか、僅かに悲しみの色が見える口調になり、

「怖がられるのも仕方ありませんね・・・・理由はいずれ、ご説明申し上げます」

そこまで話したメイドの視界に、少年の後ろにしゃがむロックを捕らえる。

「そちらの方々は・・・?」

少年に向ける慈愛の視線とは明らかに異なる気配を放ち、メイドはロック他ラグーン商会の面子をメガネのレンズ越しに睨みつける。

「やばい・・・・目が合った」

ダッチが強張った口調で呟いた。

「・・・・・・」

ゆっくりとショットガン仕込みの傘(それはすでに傘ではないが、便宜上傘と呼ぶことにする)の銃口を持ち上げる。

「待って!ロべルタ、駄目だ!!」

どういった理由なのかは知らないが、少年は銃口とロックの間に身を躍らせ、ロべルタと呼ばれる殺人メイドを制止した。

だが、そこに余計な人物の余計な行動で事態は余計にややこしくなる。

レヴィが少年の細首に腕を撒きつけ、銃口を突き付けた。

当然、メイドの銃口を上げる腕が止まる。

「下がりなよ、メイド。ここにいる全員が死んでるよか、生きてる方が好きなはずだぜ。テメェだってそうだろ?」

「バカよせ!それじゃぁ悪役だ!!」

「まったくだ・・・」

レヴィを嗜めようとするロックの言葉に、ツヴァイも賛同するが、何事も力ずくで解決しようとするレヴィの辞書には「話し合い」と言う単語すら存在しないようである。

もしくは、存在しても「話し合い」と書いて「脅迫」と読むのかもしれない。

「うっせぇ!!」

二人を睨みつけ、レヴィはさらに少年の首を締めあげながらメイドに視線を移す。

「無理な撃ち合いをしなけりゃ、お前の若は五体満足で家に帰れる。床にオミソをぶちまけずにな。分かるか!?」

「・・・・・考えております」
 
完全に悪役となり下がったレヴィの台詞に意外にもメイドは激昂することなく、静かに答えた。

少なくとも、レヴィ以外の人間はメイドと一戦交える気もないようであるし、旨く事が運べばこれ以上無駄な争いも回避できるかもしれない。

ところが、

「勝手に話進めてんじゃねぇぇぇぇ!!」

カルテルの残党の一人が背後からメイドに銃口を向け突進してきた。

「空気を読め!」

これ以上話をややこしくされるのは面倒にも程があるので、ツヴァイはカウンターから立ち上がるなり、正確に男のこめかみをベレッタで撃ち抜く。

「・・・・・・」

「邪魔したか?」

「いえ・・・手間が省けましたわ」

ツヴァイの軽口にメイドは律儀に返答しながらも、少年とレヴィから片時も視線を外そうとはしなかった。

そして、沈黙。

一秒が数時間にも感じられる重苦しい空気の中、誰一人として身じろぎ一つしようとはしなかった。

どれくらい時間がたったのか、ようやく口を開いたのはやはりメイドだった。

「考え終わりました・・・・」

映画の中でしか見たことはないが、もし、殺人ロボットっと言うものがこの世に存在するならば、このメイドではないだろうか・・・・。

そんな気持ちすら起こさせる無機質な声に紡がれる次の言葉を誰もが固唾を飲んで待ち構える。

「Una vandicion por los vivos.(生者のために施しを)
Una rama de flor por los muertos.(死者のためには花束を)
Con una espode por la justicla,(正義のために剣を持ち)
Un castigo de muerta para los malwados.(悪漢共には死の制裁を)
Acl llegarmos――――(しかして我ら――――)
en elatar de los santos.(聖者の列に加わらん)」

スペイン語で詩の様な言葉を囁くメイドに誰もが眉をひそめるが、その言葉の意味を理解している少年はどこか懐かしそうに顔を綻ばせる。

そして、

「ご威光には添いかねます。若様には五体満足でお戻りいただきますが、この家訓通り仕事をさせていただきます・・・・・サンタマリアの名に誓い」

言いながらメイドは左手に持っていたカバンを突き出す。

「あの言葉・・・・!?」

アブレーゴが反応するのをツヴァイは目ざとく見逃さなかった。

「すべての不義に鉄槌を!!」

人質の意味が無くなったガルシアを小突いて離すと、そのままレヴィは当面の遮蔽物になるであろうカウンターを目指して走りながらロベルタに銃弾を浴びせた。

ロベルタもトランクに仕込んだ短機関銃をレヴィに浴びせ攻撃する。

だが、それでもこの破壊神(メイド)はそれに夢中になり周囲への警戒を怠ることは無かった。

狙いをつけるアブレーゴにも銃弾を浴びせる。

その僅かな隙にダッチ達は脱出を図った。

「今だ!行くぞ!!」

レヴィも駆ける。

「おい来るなぁ!来るなぁ!!」

あからさまに来る事を拒絶するパオの悲鳴に近い声にも耳を貸さず、そこに放たれたロベルタのトランクからのグレネード弾。

「あのグレネードはカバンに仕込むもんじゃないんだがなぁ」

もはや、呆れを通り越して感心の念すら覚えたツヴァイが呟くと同時に爆風がカウンターを襲う。

「おっと・・・」

頭上から落ちてきたレヴィを受け止めるツヴァイだが、当の二挺拳銃はその衝撃で脳震盪を起こしレヴィは床にだらしなく肢体を伸ばしていた。
 
手応えを感じたメイドだが、それに止めを刺すことは叶わなかった。

「くたばりやがれぇ!この、この、フローレンシアの猟犬めぇ!!」

負傷しながらもアブレーゴが激しい射撃を浴びせてきたからだ。

「フローレンシアの猟犬?」

どこかで聞き覚えのある単語に、ツヴァイは眉を一瞬ひそめるが、今はそれどころではない。

自分の腕の中で気絶する女ガンマンをどうにかしなくてはならない。

よほど猟犬の名が気に食わないのだろう。メイドはレヴィの止めよりもアブレーゴ達の殲滅を優先させていた。

「クソ!無茶な女だ!ケサンの攻防戦がピクニックに思えるぜ!!おい、大丈夫なのかレヴィは!?」

「傷自体は大したことないが、脳震盪で気を失ってるな。しばらくは目を覚まさないだろう」
 
一応、頬を何度か叩いてはみるがレヴィに反応はない。

「お互いここで会ったのも何かの縁だ、俺がこの女を担いで行くからお宅らの車に乗せてくれないか?」

「・・・・仕方ねぇ、足だけは引っ張るなよ?」

ツヴァイの言葉に僅かに逡巡したダッチだったが、事は火急を要する。

ツヴァイの同行を許可し、ラグーン商会のメンバープラス二人が裏口からイエローフラッグを飛び出した。



[18783] 4話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:a02e544c
Date: 2010/08/29 14:26
それは、イエローフラッグを走り出て数秒もたたずにツヴァイ達の背後を追いかけるように噴出された。

立て続けに起きた大音響と溢れ出る炎。

辛うじて脱出したラグーン一同の背後でイエローフラッグは盛大な荼毘にふされていた。

「くそ!こいつは馬鹿にみたいに徹底してやがる!!」

先に車の助手席に乗り込んでいたダッチが、燃え盛る酒場を見て悪夢でも見ているかのように吐き捨てた。

ツヴァイも後部座席に乗り込んだところで、気付いた。

本来ならば、ここにいるべきではない人物に。

「ロック、てめぇ!ガキは中に置いていけと言っただろうが!!」

ツヴァイよりも早く、ダッチがメイドの目的である少年を連れてきたロックを怒鳴りつける。

「仕方ないだろ!置いとけないよ、あんな中に!」

怒るダッチにそう言い返すや、ロックは燃え盛る建物を振り返った。

「あいつ・・・今ので死んだと思うかい?」

「車に乗れ!」

急かすダッチにロックは構わず続ける。

「聞こえるはずはないんだけど・・・・何か感じるんだ・・・・彼女の足音が近づいてくるのが・・・・もう少しで真っ黒なメイド姿が、あの戸口に現われる・・・・」

「だったら早く車に乗れ!!」

急かすダッチの言葉に背後を気にしながらロックは車に乗り込んだ。

少々スピード狂の感があるベニーの運転で車は急発車した。

「それは同感だな・・・・・」

ものすごい勢いで小さくなるイエローフラッグをリアウィンドから眺めながらツヴァイは誰にも聞こえない声で呟いた。

「どこへ向かえばいい?」

「問題は逃げ場があるかだ」

逃走中の車中でのダッチのその言葉にベニーが信じられないように「まさか」と否定した。

既に彼の思考は、これからのマニサレラ・カルテルとの交渉事に移っている。

スチームポットのように沸騰した頭を相手が冷やすまでの期間身を隠す程度の事だと思っている。

幾ら強いメイドとはいえ多勢に無勢、それにあの爆発で生きているとは思えない。

よしんば生きていたとしてもどうやって追いつけるのか。

「信じるよ・・・あれは未来から来た殺人ロボットだ!映画と違うのはシュワルツネッガーが演じていないことだけだ!」

だが、ロックはダッチの懸念を肯定した。

「面白くもねェし、笑えねぇよ!!」

そんなロックの下らない冗談にダッチは苛立った様に答える。

ツヴァイとしては、どちらも言い分もあながち間違いではないと思っているが、ここでは自分はあくまで部外者である。

余計な口を挟んで車を下されることだけは避けなければならない。

とにかく、こちらはロックのせいでメイドの大事な若様という爆弾を抱えている。

「とにかく港だ!ラグーン号まで突っ走れ!!」

ダッチの言う通り、とりあえずラグーン号に辿り着くしかない。

海の上なら奴も追っては来れまい。

追ってくるにしてもそれまでに時間は掛かるであろう。

問題は、ラグーン号に着くまでに充分に彼女を引き離せるれるかだが。

「映画ならここで追いつかれるのがセオリーだがな・・・・・」

「なんか言ったか?」

「いや・・・・忘れてくれ・・・・」

ロアナプラの街の明かりがこれほどまで恋しいと感じたのはこれが初めてだった。





「あ!ほんとに来た!!」

ドアーミラーに目をやったベニーがダッチの言が正しかった事に軽い驚きの声を上げる。

後方からその尋常でないスピード故にぶれながら追尾してくるベンツがあったのだ。

そんなイカれた運転をするのは状況から見て、あのメイドだとベニーも悟っていた。
 
「ロック!レヴィを起こせ!そこでスヤスヤ健康的に寝むっている場合じゃねえ!」

ボスの命令にロックは、未だ夢の世界にいる彼女の肩を掴み揺らす。

その間にも思い切りアクセルを踏まれたベンツは一気に加速し、早くもラグーン商会の車に並んだ。

ベンツが寄せられ、ぶつかって来る。

「畜生!!」

それに助手席のダッチが窓から銃弾で応じた。

「運賃は払わないとな」

そう言って、ツヴァイも愛銃のベレッタを握り、ベンツとは反対側の窓から身を乗り出し引き金を絞った。

思いがけない反撃にベンツは一旦距離を置くために離れるが、それが命取りであった。

ダッチのマグナム弾とツヴァイの正確無比な射撃により、やがてボンネットに多数の銃弾を喰らったベンツが煙を噴き上げた。

ラジエターをやられたらしい。

「へっ!くたばりやがれ!!」

危機を切り抜けた想いで罵るダッチ。

「まだだ!!」

ツヴァイの言葉通り、安心するには些か早すぎた。

未だスピードを損ねずベンツは再びラグーン商会と並んだ。

その壊れた窓からメイドの左腕が不気味に突き出されていた。

そのままその腕は銃を握ったダッチの右腕を捕まえる。

そればかりではない。右腕はハンドルを握ったままの状態で、左腕一本で巨漢であるダッチの上半身を窓から強引に引きずり出したのだ。

「うぉぉぉぉ!離せこの野郎ぉぉぉぉ!!」

ダッチは自由の利く左腕の拳をメイドの左腕に浴びせるが、無理な姿勢で力は入らない。

尤もそれを言うならば、ハンドルを右手で握った状態でダッチを左腕で引きずり出したメイドの豪腕は賞賛されて然るべきものであろう。

だが、危機のダッチの視野に一際激しくベンツのボンネットから噴出した煙が飛び込んで来た。

失速するベンツ。その隙にメイドの手を振り解いた、ダッチを見送るように後方に流れていくベンツ。

「よし、今だ!ダッチ捕まって!!」

市街に車は入った瞬間。ベニーの判断でかなり荒っぽく車は裏道に回る。

「このまま裏道伝いに港へ向かおう。海の上に出てしまえば、相手が何者だってもう……」

だが、そのベニーの判断にダッチが意を唱えた。

「駄目だ!この方法ではではスピードが落ちる!」

事実、裏道の狭い通路では路駐の車に道を阻まれ、何度か進路を変更せざるを得なかった。

「向こうはラジエターをやられていた。もう走れない!」

そういうベニーに対してもダッチは判断を揺るがせない。

「さっきのロックのジョークにはもう少し耳を傾けるべきだったぞベニーボーイ。奴を不死身の殺人ロボットか何かだと思え!」

追いつかれる事すら想定して、ダッチはロックにレヴィを何とか起こすように命じ、そしてベニーには大通りに出ればフルスピードで走り抜くように指示した。

ベニーはアクセルを踏み込み、車は考える限りの飛翔染みた走りをする。
 
だが、遅かった。

そして、ダッチの予測は正しかった。
 
瓦を撒き散らしながら住宅の屋根を動く物がある。それは迷わず空を跳躍し飛び降りた。

それも今しもそこを通り抜けようとするラグーン商会の車の鼻先に。

言わずと知れたメイドの駆るベンツ。

目の前に突如現れたベンツにベニーが悲鳴をあげた。

そのままベンツはラグーン商会の車にぶつかり何かの冗談の様に更にバウンドする。

その僅かな瞬間にメイドは正確な銃弾を浴びせてきた。

前輪の周辺で兆弾する銃弾が星のように輝く。

だが、それがタイヤに命中し、パンクする事態に陥らなかったのは幸いだった。
 
勢い良くバウンドしたロベルタの乗るベンツはそのまま商店街のアーケードへと逆さまの状態で激突した。

一方のラグーン側も無傷ではない。

ぶつかった衝撃で飛ばされ建物の角に激突してボンネットから煙が溢れ出す。

「大丈夫かベニー!?起きろ!!」

車内で倒れていないのは巨漢のダッチのみ。その彼がベニーを必死で起こす。

一方。アーケードに激突したベンツに通行人が寄るのをツヴァイは霞む視界で確認した。

普通なら運転していた人間は確実に天に召されている。そんな想像が実に妥当な事故ぶりだ。

だが、ツヴァイの予想は当然の様に覆された。

後部のガラスが割られ、そこから現れたメイドの白い手袋をはめた手がまるで怒りのやり場に困るように拳を作る。

「来るぞ!!急げ!!」

ツヴァイの言葉にふらふらしながらも何とか気がついたベニーは急いでキーを回す。

だが、エンジンがかからない。

焦燥感に包まれながらアーケードに視線を向けたダッチの瞳に、それが当然とばかりに悠然と信じられない不死身ぶりでメイドは地に降り立っていた。

その圧倒的な威圧感を阻むものは何処にも居ない。

やがて、標的を認めた彼女は駆け始めた。不気味な黒い破壊神が迫る。

額から汗を流しながらキーを回し続けるベニー。

「急げベニー!」

と、悲鳴交じりのダッチの声も更に彼の気持ちを焦らせる。
 
「やっ!!」

危機一髪ながらもエンジンは掛かり、手負いのプリマスは蘇生した。

煙を吐きながら車は走り始める。

だが、メイドの疾走はやはり化け物染みていた。

しかし、いかなる人間と言えども所詮は人間。

次第に機械の前に距離は開き始める。
 
次の瞬間、ぶっそうな形をしたナイフを取り出したメイドが跳躍した。

そのまま辛うじて右手に握ったナイフはラグーン商会の車のトランクに突き刺さった。

それを支点としてメイドはトランク上に這い上がって来る。空恐ろしい超人ぶりだった。

「「伏せろ!!」」

助手席から振り返ったダッチと後部のツヴァイがガラス越しに破壊神に対して銃を向ける。

幸いトランクの面積はさほど広くは無い。その上に高速で動いている物体の上だ。彼女が避けれる範囲は少ない。

「若様……」

「ロベルタ……」

その様子にツヴァイは動揺した。
 
振り向いたガラスの向こう。そこに居る彼女の蒼い瞳が少年の瞳の中で映えた。

鮮烈なまでの真っ赤な血に染まり汚れきったその中に浮かぶ一点の穢れ無き蒼玉。

そこに宿る少年への誠実な想い。

何者も汚すことのできない眩しいほど純粋な意思を宿したこの瞳をツヴァイはよく知っている。

「アイン・・・・」

「伏せて!!」

呆然とするツヴァイの独白をかき消すように、慌ててロックが少年を抱えるようにして共に伏せる。

放たれる銃弾。後部ガラスの割れる音。

「駄目だ!ロベルタを撃たないで!」

その喧騒の中で少年は夢中で叫んでいた。

「これくらいでくたばるようなら苦労しねえんだよ坊主!」

射撃を続けながらダッチが叫ぶ。

その視野の中でトランクから屋根に移るメイドの姿が見えた。

「おい!兄ちゃん!ボーっとしてねぇでお前も撃て!!レヴィが使えねぇ今はお前の銃も必要なんだからよ!!」

「っ!!ああ!!分かってる!!」

ダッチの言葉に我に返るツヴァイは、脳裏に浮かぶ少女の幻影をかき消し、応戦の為に銃を構える。

屋根に取り付きしゃがみ込んだメイドは両手から拳銃を取り出した。

そのまま躊躇することなく屋根越しにラグーン商会の車の運転席と助手席に銃弾を叩き込む。

尤も、主である少年の事を考慮してか、それとも高速で動く車の屋根からという不安定な状態での射撃ゆえかその銃弾は幸いにもベニーに届くことは無い。

だが、撃たれる側にしてはたまったものではない。

ダッチとツヴァイの援護を受けながらではあるが、それでも自分の責務を全うし、地獄のような車中でハンドルを捌き続けるベニーだが、それもいつまでもつか・・・・・・。

その時、

「見つけたぁぁぁぁ!!このド腐れメイドぉぉぉぉぉぉぉ!!」

闇夜を切り裂く様な叫び声と共に、ツヴァイ達が乗る車を後方から追い掛けてくる一台の無骨な4WD。

そのハンドルを握るのは、ツヴァイがよく見知った人物であった。

「クロウディア!!?・・・・・か?」

「知り合いか!?」

「ああ・・・多分・・・」 

少々自信がないのは、ハンドルを握る彼女の顔が今までツヴァイが見たどれにも当てはまらない恐ろしいものだったからである。

一瞬別人かとも思ったが、助手席には見紛う事ないリズィの姿があり、彼女と行動を共にするのは自分を除いて、クロウディアしかありえない。

「よくもあたしの事務所を見事なまでに吹っ飛ばしてくれたわね!!どうしてくれんのよ!!」

なにやら聞きたくない内容の様に思えるが、ツヴァイは構わず屋根にいるであろうメイドに引き金を絞る。

「ちょっと!止まりなさいよそこの車!!」

「無茶言うなよ!この状況見て分からないのか!!」

「分かってても知ったこっちゃないわよ!!ささっと止めないさい!!このエロコック!!エロガッパ!!」

きっかりプリマスの横に車を並行に走らせ、クロウディアは運転席のベニーによくわからない罵倒を繰り返す。

頭上からは銃弾、横からは容赦のない罵倒。

先ほどより苦痛が増した車内のベニーのその視野に、右側からトラックが横腹を見せてきた。

「チキショウ!チキショウ!!」

直進コースでなく、トラックと同行する形で十字路を左折する。逃走手段であるラグーン号は遠のいた。

「ダッチ!道が逸れちまった、この先は海だ!行き止まり・・・・・デッドエンドだ!!」

ベニーの叫び声の間にも車上のメイドは射撃を続けていた。

車が何かにぶつかり横腹から火花を散らしながら進む。

その衝動に前を見るや、迫るコンテナの不気味な巨大な姿がある。

同時に車中のベニーも「ヤバい!」と悲鳴をあげていた。

コンテナと激突し、その勢いで一瞬逆立ちをして後、再び車は倒れ、そして止まった。

煙がもうもうと噴出し、周辺に広がっていく。

ラグーン商会の面々はその軽くは無い衝撃を受けたが車内の中だ。

それに比べて屋根のメイドは、勢い良く慣性の法則に従い前へと吹き飛ばされ、そのままコンテナに体全体を叩きつけられて逆さまに張り付く形でぶら下がった。

「信心深ぇ甲斐があるってもんだ、生きてる奴は返事しろ!」

フロントにしたたかに頭をぶつけながらも無事だったダッチが呼びかける。

「こっちは何とか無事だ・・・・」

「レヴィは?」

「まだ気を失ってるよ・・・・安らかに・・・・」

ロックとガルシアは無事。レヴィは未だ健康的に夢の中。

そして、ベニーはぶつけた頭を振って気をしっかりさせるかのようにして起き上がる。
 
「兄ちゃんも無事見てぇだな」

「おかげ様で」

ツヴァイは車がコンテナと衝突する瞬間に身を屈めていたので、大したダメージもなくすでに辺りに視線を飛ばし、状況確認を行っていた。

間一髪でプリマスから離れたツヴァイの雇用主の乗る車も到着し、中からクロウディアとリズィが降りてくる。

「あの女、一体何で出来てるんだ!」

ベニーの言葉の先に視線を向け、一同は唖然とした。

あの黒い服のメイドが銃を持ち、舞い降りていたのだ。驚嘆に値する不死身ぶりだった。

既に逃走の足は潰えた。遂に 目の前の猟犬は獲物を捕捉したのだ。



[18783] 5話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:0049e867
Date: 2010/08/29 15:41
「う・・・・」

その時、長い夢の中にまどろむラグーン商会の狂犬ともいうべき彼女の指が動いた。

「クソ!・・・・おい、どうなったあの女は?くたばったのか?えぇ!?」

コンテナとの激突はどうやらレヴィの夢の扉を打ち破るには足りたようだ。

頭を抑え、髪を飾るガラス片を振り落としながらレヴィが尋ねてきたのはロベルタの安否だった。

勿論、相手の身の上を心配してのことではない。自分をグレネードで吹き飛ばした屈辱を直接返すこと以外に彼女が何も考えていないことは明白だった。
 
ともあれ、今のラグーン商会の面々にとっては有難い存在である事には間違いない。

「喜べ、かっちり生きてる」
 
ダッチの喜びの混じった勢いある回答を聞いてレヴィは凄惨な笑みを浮かべて喜んだ。

「それは喜ばしいこった・・・・何よりもなぁ!!」

そのままドアを手で開ける回りくどいことはせずに足で勢いよく蹴り開ける。

「レヴィ!待て!!」

「そうだ、二挺拳銃、これ以上騒ぎを大きくして何になる!?」

ロックとツヴァイは制止しようと声をかける。

あの強靭なメイドと戦えばレヴィも危険だと言うこともある。

だが、この恐怖の逃走劇の間でもロックは特に恐ろしいとは思わなかった。

それよりも傍らに居る少年を救うために遥々ロアナプラまで来たメイドにある種の畏敬すら覚えていた。

そして少年のメイドとの絆を前に、彼女に危害を加えるべきではないとの思いすら抱いていた。少年を返したからと言ってこちらの安全が決して保障はされないであろう黒いメイドに対して。

だが、それに対してのレヴィは何よりも雄弁な力を持って二人に、

「あたしはな、今、テールライト並みに真っ赤っかになる寸前なんだ。そいつが灯ったら最後、お前らのケツ穴増やす時も警告してやれねえ」

通り名通りの二挺拳銃をロックとツヴァイに銃口を突き付け、怒りで震える声でレヴィは答えた。

「「・・・・・・・・・・・」」

ロックはともかく、付き合いの極めて短いツヴァイでも理解した。

『これ以上何を言っても無駄だ』、と。

夜の波止場に狂犬と猟犬が対峙した。

「何勝手に話進めてんのよ!!」

「クロウディア!!」

怒り心頭に対峙するクロウディアにツヴァイは偽名すら忘れ制止の言葉をかける。

何にそんなに怒り狂っているかは知らないが、今のレヴィの邪魔をすれば怒り心頭の頭自体を吹き飛ばされるのは目に見えている。

「ツヴァイ!?あなたこんな所で何してるの?」

クロウディアもツヴァイの偽名を忘れ、目を丸くしていた。

説明するのは後回しに、ツヴァイは狂犬と猟犬の喰い合いに視線を注いだ。

「抜けよセニョリータ。それともぶるっちまってるのかい?」

長い沈黙の対峙の後、始めに口を開き、挑発したのはレヴィだった。

だが、ロベルタも負けてはいない。最後は嘲笑と憎悪を込めて言い返す。

「柄の悪い言葉を並べて、怯えずとも宜しゅうございますわよ。腕でかなわず、若様の頭に銃を向けて人質に取った、卑怯者」
 
舌戦はメイドの勝利だった。

腕で敵わず、で導火線に飛び火が移り、人質、と言う言葉でそれが爆発した。
 
弱いは兎も角、まるっきり悪党だ、という表現でロックは少年を人質にとった彼女に警告していたはずなのだが、レヴィには卑怯者もしくは悪役と言う言葉は己のした行為とは遠く離れた存在のようであった。

挑発にあっさりと彼女は下った。

テールランプの灯ったレヴィの拳銃が続けざまに二度吼え、メイドはその二倍の銃弾で返した。

流れ弾を少しでも避ける為に車に残ったダッチとベニーと違い、ロックは車内から出て二人の対決を見守っていた。

やがて二人は併走を始め、共に両手に拳銃を持ち、撃ち合いながら遠ざかっていく。

やがて対決を示すものは銃声と時折生じる発射光だけとなり、次第にそれすらも消えた。

静かな夜の一時を穴だらけのスクラップに近い車の中で過ごす者達が居た。

勿論、言わずと知れたラグーン商会の半分の会社員、及び今回の騒動の引き金となった少年とそれに完全に煽りをくらった万屋アースラのメンバーである。

辺りは静まりかえっている。

「さてと・・・どうするか?いい加減この車から降りるか俺達も?」

ダッチのその言葉にいままで銃声に聞き入っていたベニーが我を取り戻したかのようにその言葉に賛同してドアを開けようとした。

その時だった。

再び銃声が始まった。心なしか前のよりも騒々しい気がし、大地の揺れを感じる。

どのような原理か知らないが、放電が空を走りクレーンが豪快な音を立てて倒壊していく。

「無理だ」

ベニーはそう即座に結論を出すとそのまま開けたばかりの車のドアを閉めた。

「ああ、ありゃ無理だ。命が幾つあっても足りやしねえ。あんな中に出て行くのは御免だぞ」

ダッチは助手席から僅かにも動く事無くベニーの意見に同意した。

「始まりあるものには必ず終わりがある。いずれ決着もつくだろう」

そう言って煙草を咥えるダッチの言葉に焦燥感はなく、逆に落ち着いたものすら感じる。ならば決着の勝者はすでに彼の中で決まっているのだろう。

その信頼こそがダッチなりのラグーン商会の雇用主としての従業員に対する責務なのかも知れなかった。

だが、扉が開く音がした。勿論それはベニーの居る運転席の扉ではない。後部の左のドアだった。

少年だ。

「おい、小僧!ちょっと待て!!」

ダッチの制止も聞かず少年は進み出た。

両手を筒状にして口に付け、拡声器の要領で声を出す。

「ロベルタ!頑張れ!ロベルタ!そんな女なんかに負けるな!」

まるでその声に呼び寄せられたかのように銃声が近づく。

何やら爆発の煙すらその後を追うかのように生じている。

少し白みがかってきた夜空の下、少年とロック、そしてツヴァイの前にレヴィが左から、ロベルタと呼ばれたはメイドは右から銃を撃ちながら互いに相手に向かい走りこむ。

お互い有効弾を与えないまま両者が交錯した。

その衝突の勢いでの軍配はレヴィにあがった。

吹き飛ばされたロベルタが低い姿勢で立ち直す間もなく、同時にレヴィがそのまま滑り込んできた。

結果、両者は横たわる形で互いに至近距離で銃を向け合う。

訪れた僅かな静寂・・・・。

「んちゃ!!・・・・・・じゃなかった・・・・動くな!!」

眩いばかりの照明が突如として微動だにしない二人を照らした。

ロシア語が空に響く。

それも女性の声。どうやら「動くな!」と言っている様だ。

逆光の中、コートを風になびかせ現れた人影。

紛れも無くホテルモスクワの女傑、バラライカその人だった。

現れたのはバラライカだけではなかった。

彼女の背後にも、そしてレヴィとロベルタが死闘を演じた波止場にあるコンテナの上からも幾人もの軍服姿の男達がいずれも銃を構えて照明の先にある二人を狙っている。

ツヴァイ以外には、それはまるで突如として現れた幽鬼のように感じられたであろう。

少なくともそれほど大規模な人数の展開する動きや気配すら今までロックは感じていと驚愕に目を丸めていた。

「その辺で止めといたら?お二人さん」

再びバラライカの声が響く。

「それ以上争っても一文の得にもならないわよ。労力は惜しみなさい二挺拳銃」

「・・・・・・るせぇ、こいつはぶっ殺す!!」

だが、その言葉にも既にテールランプ状態のレヴィには届かない。

バラライカが静かに二人に歩み寄る。

彼女が次に声をかけたのはロベルタだった。

どうやら彼女をレヴィよりも大人と見込んでの事らしい。

「いいことを教えてあげる、メイドさん。私達ホテルモスクワはマニサレラ・カルテルと戦争をする予定だったの、この土地での受け持ちは私だったけど、あなたのお陰で手間が省けたわ。
それに今頃はヴェネズエラの本拠地も壊滅しているはずよ。全てはノープロブレム。
ガルシア君がさらわれた件も全部チャラ。戦う理由はなくてよ?」

「地球上で一番おっかない女の上位三人だ」

「グラウンドゼロって気分だぜ」

「いや、もう一人忘れてるな・・・」

賞賛とも畏怖ともつかないベニーとダッチの言葉に、ツヴァイは睨みあう女戦士の輪に猛然と歩み寄る影を見つめながら呟く。

「何がノープロブレムよ!!ふざけんじゃないわ!!こちとら事務所が分子レベルで崩壊させられたのよ!」

クロウディアが両肩を震わせながら怒鳴り込む。

「あら?あなたもバオと一緒の被害者なの?」

困ったものね、と。バラライカは溜息まじりに呟く。だが、バラライカの期待は外れた。
 
「関係ねぇだろ・・・・」

「ですわ・・・・」

ロベルタまでもがレヴィの言葉に同意したのだ。
 
「あら、そう」

その言葉は柔らかく、そして行動は苛烈だった。
 
返答を聞いたバラライカが右手を軽く上げるや、それを合図として狙撃手の正確無比な銃弾が二人の手から拳銃を弾き飛ばした。それを見届けるや、バラライカが取り出した銃を二人に向ける。

「勘違いしないでね・・・・お願いしてるんじゃないの、命令」

凍てついた声が響き、上体を起こしたロベルタはその言葉に屈辱で身を震わせた。

一方、ツヴァイは現れたバラライカ率いる精鋭の遊撃隊に違和感を覚えていた。

そして彼のその感覚は正しい。今まで見てきたのロシアンマフィアとは違う、まるで軍隊のような、というそれは。

その時、凍てついた空気を解きほぐすかのように声が響いた。

「ロベルタ!もう良いんだよロベルタ!僕はこの通り怪我もしてないよ!ねえ、もう帰ろう!」
 
だが、その言葉にロベルタは顔を俯かせただけだった。

「僕はもう銃を持ってるロベルタなんて見たくないんだよ・・・・」

そのガルシアと呼ばれた少年の言葉にもロベルタからの返事は無かった。答えたのはバラライカの方だった。

「同感だわ坊や、でも猟犬の方は如何かしら?」

不思議そうな表情で「猟犬?」とその謎の言葉を口にするガルシアと対照的に憎悪の視線をロベルタはバラライカに向けた。

だが、動じる事無く彼女は言葉を続ける。まるでメイドをいたぶるかのように。
 
「おや? 坊やはご存じないのね。こいつは・・・・」

「黙れぇぇぇぇ!」

血を吐くような声でバラライカの発言を遮ろうとロベルタが絶叫した。

その額に無情にも銃が突きつけられる。

「静かにしていろ雌犬」

冷たく鋼のような言葉がロベルタを突き放した。

「こいつはね、ワンちゃんとのお散歩が似合うあなたの家の使用人なんかじゃないの。フローレンシアの猟犬。ロザリタ・チスネロス。
キューバで暗殺訓練を受けたFARCの元ゲリラ。誘拐と殺人の多重容疑で国際指名手配を受け、テグシガルパのアメリカ大使館爆破にも関与を疑われている筋金入りのテロリストよ」

ロベルタはうずくまり深々と頭を垂れていた。そこにはあのレヴィにすら互角以上の戦いぶりを見せた怪物染みた姿は見当たらない。あまりにも弱々しい彼女の姿だった。

「なるほど・・・・あの猟犬か」

ツヴァイはバラライカの言葉により、過去に聞いたことのある殺人鬼の名を思い出す。

「ロべルタ・・・・本当なの?」

彼の短い人生の中でももっとも信じがたい事に、ガルシアは呆然と言葉を紡ぐ。

「若様を、・・・・若様を欺くつもりは御座いませんでした」
 
弱々しくロベルタは言葉を辛うじて紡ぎだし始めた。

「しかし、若様・・・世の中には、知らずともよろしいことと言うものも御座います。
真実なのですよ若様・・・・私は・・・私は信じていたのですよ。
この世にある正義。
いつか来る、革命の朝のことを。
その為に私は・・・・兵士になりました。
理想の後を追おうとした私は、ありとあらゆるところで殺しました。
政治家、企業家、反革命思想の教員、選挙管理委員。女や子供もです。
幾つもの夜を血に染め、幾つもの冷酷な朝を迎え、一番最後に分かった事は、自分は革命家どころかマフィアとコカイン畑を守る為のただの番犬だったという事だけでした」

朝日が昇ったロアナプラで、闇の住人であったメイドたるロベルタは自嘲するかのように寂しく笑った。

「お笑いじゃありませんか・・・・革命軍はね、カルテルと手を組んだのですよ。理想だけでは革命など達成できない、とそう言いながら彼等はその魂を売り渡したのです」

そこまで聞いて、ツヴァイは目の前のメイドの姿がいつぞやの自分に重なって見えて仕方なかった。

知らず知らずのうちに握りしめていた拳から血が滴り落ちていることも気付かず、ツヴァイはロべルタの言葉に耳を傾ける。

「私は軍を抜けました。その時、私を匿って下さったのが亡き父の親友、そして若様のお父様であるディエゴ・ラブレス様、その人だったのです。
若様・・・若様の誘拐を許してしまったのは私の不覚。私に一度棄てた鋼の自分に立ち返る事、それ以外に若様をお救いする手立てはありませんでした。
猟犬。番犬。犬と呼ばれたこの私が命を懸けて行える唯一つの恩返しがそれだったのでございますよ」

「い、犬だなんて言うなよロベルタ!」

ガルシアの声が響いた。

「僕の家族だろ!僕達は家族じゃないか!犬だなんてそんな言い方するなよ!駄目だよ!猟犬なんて知らないよ!きっと何処かで死んだんだ!
ロザリタなんとかいう女も、僕の知らない遠い何処かで自分の罪を背負って・・・だからロベルタとはもう何の関係も無いんだよ!此処には僕のロベルタがいるだけなんだ!だから!だから・・・・ね、僕等の家へ帰ろう・・・」

奔流のように言葉を吐き出し、ガルシアは涙を流しながら握りしめた小さな手でロベルタの胸を打つ。

その衝撃、そして言葉も彼女の胸を打っていた。

ガルシアの頬をハンカチの感触が撫でた。

「若様。男の子は簡単に泣くものではありませんよ」

微笑んでしゃがみ込みガルシアの涙を取り出したハンカチで拭くロベルタ。そこにはフローレンシアの猟犬の姿は無かった。

「まぁこれで、一件落着ってところかしらね」

バラライカの締めに入ろうとする台詞を二人の女傑が割ってはいる。

「ざけんじゃねぇよ・・・・こいつらお涙頂戴ハッピーエンドでそりゃあいいわなぁ。でもよ、あたしの肩に空いたトンネルはどこの誰が埋め合わせしてくるんだ、えぇ!?」

「ざけんじゃないわよ・・・・このバラ組の先生と死んでも心臓だけで物語に関わって来るようなコンビが幸せになったとしても、あたしの事務所の修理費は誰が払ってくれるのよ、えぇ!?」

「我慢したら?」

大人の対応を提案するバラライカだが、当然レヴィとクロウディアは受け入れない。

「姐御よぉ、そりゃあ臭えだろ。私らの世界じゃ落としどころってのが大事だろ。姐御だって百も承知だろうが」

「あたしらに野宿しろって言うわけ!?」

受けた借りを返さずに引っ込め、舐められっぱなしで済む世界ではないこのロアナプラの法則を持ち出す二人に、彼女達以上にそれを行ってきたバラライカもその言葉に頷かざるを得ない。

「ん~それもそうかもねぇ・・・」

「そんなん簡単じゃねえか。納得がいくまでどつき合いでもすりゃあ良い。得物なし。そんなら死ぬこともねえだろう。」

再び微かに険悪なムードの漂い始めた波止場で、ダッチがそれを解消するかのように解決策を簡単明瞭にした。

「上等!!」

やる気満々のレヴィ。

ガルシアから

「あんな女に負けるんじゃないぞ!」

と、エールを受けたロベルタ。

「で・・・どっちから行く?言っとくがあたしは譲る気はねぇぜ、おばさん」

レヴィがクロウディアにけんか腰に話し掛ける。

「お、おば・・・・・、いいわ、あなたがボロ負けしたあとにゆっくりあのメイドをいたぶってあげるから」

こめかみを引き攣らせ、クロウディアは先手をレヴィに譲る。

「じゃあ決まりね。好きなだけどうぞ」

バラライカのその言葉を合図に再び対峙した両者。

「おら、ちゃっちゃと掛かって来いよ。」

そう挑発するレヴィにロベルタは静かに語りかけた。

「靴紐が・・・・解けていますわよ」

(そんな子供騙しのような手に誰が引っ掛かるかよ)

そう内心で呟き、睨み付ける相手から目を離さないレヴィだが、やはり気になるのか僅かに一瞬、視線を足元に向けた。

「ファイヤーソォォォォォウル!!」

その僅かな隙に踏み込んできたロベルタは火星の戦士よろしく、アッパーカットをレヴィに喰らわせていた。

まともに入ったそのパンチに唖然とするロックを他所にダッチ、ベニーは失笑する。バラライカに至っては「若いって良いわね」とはしゃいでいる。

それだけに留まらず、ますます灼熱する二人の殴り合いを見ながら、ダッチ達は今度は賭けを始める。

「どっちに賭ける?」

と、バラライカ。

「俺はレヴィに2を」

と、先程の決闘の終わりを待つ折に見せた覚悟の表情に比べれば随分と気軽そうにダッチは彼の社員に賭ける。

「だったら僕はロベルタに3を賭ける、ロックとお兄さんはどっちに?」

と、ベニーはあまつさえ、ロックとツヴァイにもどちらに賭けるのかを聞いてきた。

「いやいや!止めようよ!!」

至極まともな意見を述べたつもりのロックだが、ラグーン商会でもっとも自分と近い人種と思っていたベニーは心底不思議そうな顔で「どうして?」とロックに尋ねてくる始末。

その言葉にこの場にまともな思考をした可能性のある人間に視線を向けるが、

「俺は、クロウディアに5だな」

「あんたもかよ!!」

最後の頼みのツヴァイですら賭け始め、ロックは愕然としたものに近い思いに駆られる。

「ありゃ野蛮過ぎるし、あんた達はイカレてるよ!幾らなんだって女の子同士でこんな・・・」

「じゃあ止めてくれば?」

「――え?」

そんなロックの悲痛の叫びもバラライカの冷徹な一言で凍結した。

「だってやなんでしょ?」

「あ、いや……」

「じゃあ止めてきなさいよ。私達は構わないわよ」

ようやく理解した。彼等は止めようとしないのでなく、止めても無駄だから、そんな事に労力を使うよりは楽しんだほうがマシだ、と踏んだのだ。

だが、それに異を唱えた手前、ロックにはそれに従う事は出来ない。

彼は自分が凶暴極まりない猛獣へ鈴をつけるというドデカイ地雷を踏んだ事を悟った。
 
バラライカに急かされる様にして、ロベルタに対してマウントポジションをとったレヴィという体勢での壮絶な殴り合いという暴風雨の仲裁に入るロック。

「えっと、二人とも、ほらさ、もう良いんじゃないかなぁ。あとは、ほら、朝日を眺めて互いの闘志を称えあうとか色々・・・・」

「「すっこんでろ!」」

異口同音で見るも恐ろしい形相で提案を撥ね付ける二人の女性を前に、ロックのモラルから発した言葉は跡形も無く消し飛んだ。

「・・・・・わかりました、そうします」

肩を落としてダッチ達の元へ戻るロックに、ダッチから

「ほら見ろ」

と、呆れた声が投げられる。

ロックという脆い抑制力を失った決闘は果てる事無く続いた。

バラライカの足元には葉巻の吸殻が多数散乱し、彼女自身が、

「粘るわねぇ。飽きてきちゃった」

と、いう程までにレヴィとロベルタの決闘は泥仕合へと変わっていた。
 
「いい加減にくたばれ・・・・クソメガネ・・・・」

「お前こそ・・・早く・・・倒れろ・・・」

当事者自身、依然として倒れようとしない相手に嫌気がさしているようだ。

「クソ・・・・ぬかせぇぇぇ!!」

「うぁぁぁぁぁ!!」

最後に両者は残された渾身の力をもって、レヴィは右、ロベルタは左のストレートを互いに放った。

それは同時に相手に命中し、そして同時に彼女たちは倒れた。

「はい、ドロー」

さして面白くもなさそうにバラライカから試合の審判結果が呟かれた。

倒れた二人に誰よりも早く駆け寄ったのは、ガルシアでもロックでもない意外な人物だった。

「誰がおばさんよこの小娘!!あんたなんて所詮、幼馴染に鋼の義手作って尽くしても弟にいいとこ持っていかれる残念な役回りがお似合いよ!!そこのメイドも火星の戦士みたいな技使ってパンチくらわしてる暇があったら神社で祈祷でもしてなさいよ!!」

容赦のない罵倒と共に、倒れる二人の女戦士にさらに容赦のない踏みつけをするのは、万屋アースラの女社長・クロウディア・マッキェネンだった。

「賭けは俺の勝ちだな」

そういって、バラライカ達に賭け金をもらう為に手を差し出したツヴァイにロックは渾身の溜息をもらしたのは言うまでもない。

倒れ、さらに過剰なまでの攻撃を受けたロベルタにガルシアが駆け寄った。

そのまま彼女を膝に乗せ、ハンカチでその顔を拭う。

「若様・・・申し訳ございません・・・・」

引き分けの試合内容を詫びるロベルタに

「最後まで立っていたのはロベルタだ、だから・・・・大丈夫だよ」

と、慰めるガルシア。

確かに既に意識の遠のいたレヴィに比べれば彼女の方がダメージも少なく勝者ともいえる。

傍らでは、気絶したレヴィを笑うロック以外のラグーンの面々。

「立てる?」

そうロベルタを気遣いながらガルシアが彼女の右腕を取るや肩にかけて立ち上がった。

「手伝おうか坊ちゃん?」

というダッチの申し出をガルシアは、

「ほっといてくれ」

と、きっぱりと拒否する。

「ロベルタは僕のうちのメイドだ。だから人の手なんか借りないよ。必ず僕が連れて帰る」

「流石、次期当主様」

その少年らしからぬ毅然とした言葉に、口の端に微笑を漂わせバラライカは感服したようだった。

「あら、じゃぁメイドの不始末はご主人様が償わなければねぇ・・・・・」

「え?」

そう言って、クロウディアは凄まじい笑顔でガルシアの肩を掴む。

バラライカは、副官であるボリス軍曹に手当てをすれば空港まで送る事。カルテルの残党の襲撃があれば任意に排除せよ、と命令を下す。

その命を受けたボリス軍曹も、賞賛に値する少年への上官の思いやりある配慮に笑みを浮かべた。

車に乗り込んだロベルタはガルシアに乞う。
 
眼鏡を拾って欲しい、と。それが伊達眼鏡であり、既に両方のガラスは砕けていると言うのに。
 
訝るガルシアにロベルタは言葉を足した。
 
「いえ、あれは私が若様のロベルタでいる為に必要な物ですから」

かくしてラグーン商会と万屋アースラの最も長き夜は終わりを告げた。

その原因たる二人はホテルモスクワの車と共にラグーン商会の面々の前から姿を消した。

バラライカ率いる遊撃隊と共に。

残された彼等は未だにのびているレヴィを起こしにかかる。

「お~い、朝だよレヴィ!起きろ!」

ロックのモーニングコール。

ダッチによるバケツでの水浴び。

だが、さしもののレヴィもロベルタとのへヴィーな決闘からかぴくりともしない。

「こりゃ暫く後を引くなぁ・・・まったく」

と、ベニーも呟く。

どこか微笑ましい光景に頬を緩ませるツヴァイの後ろでは、ガルシアからロべルタにより破壊された事務所の修理を約束され上機嫌なクロウディア、それに呆れ顔のリズィがいる。

「しかし、バラライカの飼い犬には随分やっかいな連中がいるもんだな」

ツヴァイは、先ほどから抱いていた疑念を口にする。

「そうね、いろいろ調べてみたけど、奴ら軍人崩れらしいわよ」

「やはりな・・・・」

クロウディアの言葉に、ツヴァイはある程度予測の着いていた軍人と言う単語に溜息をつく。

あの統率された動きはマフィアのものでは決してなかった。

「降下部隊(パラ)だったか特殊部隊(スペシャル・フォース)だったかは知らないけど、バラライカを頭脳として一つの殺戮マシーンとして機能する連中は、第三次世界大戦に臨めるほどに訓練され実践を積んだアフガン帰還兵。
熱砂の地獄から帰還したバラライカをはじめとする彼等は、祖国崩壊後、このロアナプラにその生き方を選んだ・・・・・ま、よくある話よね」

興味なさげに答えるクロウディアだが、内心ではホテル・モスクワの警戒レベルを三つは引き上げているだろう。

油断ならない女だとは思っていたが、話せば教養もある人物でお茶目な面もあるあの女傑にそんな過去があった。

それは目の前でのびているレヴィにも当てはまる。いや、ダッチもベニーも多かれ少なかれそんな溝泥に足を浸してきたに違いない。

そして、自分にも。

「誰もが足元を溝の泥に浸かっている……」

同じように溝泥に浸りながらも、彷徨の果てに安住の地を見つけたロベルタという女性に、彼は幸運以上のものを見出す想いだった。



[18783] 6話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:ecbb18d3
Date: 2010/08/29 15:47
背徳の街ロアナプラ。

そこに轟音と共に一条の黒煙が立ち昇った。

つけっぱなしのTVからは爆破されたアメリカ大使館の惨状を興奮した様子でレポーターが捲くし立てている。

「物騒な世の中ねぇ~」

ソファに寝ころび、バスローブ一枚でシャンパンを煽るクロウディア。

「そうだな・・・・・」

なんとも言えない表情でリズィは親友のだらけきった姿を見て答えた。

「この街にも大分慣れてきたと思ったが・・・・慣れすぎだろ」

外回りから帰って来たツヴァイも、雇用主の姿を見て溜息をつく。

「なによぉ・・・・別に私達の事務所が吹っ飛んだわけでもあるまいし、むしろアメリカの大使館なんて全部吹っ飛んでくれたって構わないっての」

猫の様にソファの上を転がりながらクロウディアは不謹慎な事を吐き捨てる。

ロアナプラに居を構えて早数ヶ月、一度どこぞのメイドによって事務所は全壊したが、メイドの主人に修理費以上の金額を受け取る事ができ、見事に事務所引っ越しまで行い、今ではロアナプラでも名うての運送屋「ラグーン商会」の向かい側に「万屋アースラ」の事務所がある。

その時、

「すいませーん、ラグーンのロックですけど」

気の抜けた声と共に事務所の扉が開き、そこから見事にクリーニングされたワイシャツに簡単な色のネクタイを締めた日本人が現れた。

しかし、

「あ・・・・」

クロウディアの扇情的な格好に顔を真っ赤にし、ロックは物凄い勢いで扉を閉める。

「相変わらず純な子ねぇ・・・・・」

やれやれと言ったようにクロウディアは微塵の反省もなく、グラスに注いだシャンパンを飲み干す。

「「服着ろよ!!」」

二人の突っ込みにクロウディアは渋々と着替えるために事務所の奥にある私室へとを足を運ぶ。

「悪かったな・・・・もう入ってきてもいいぞ。何か用か?」

扉の向こうで今の光景を忘れようと辟易しているロックを呼び戻し、用件を聞く。

「あ・・・いや、レヴィここに来てないかと思って」

ようやく頭に昇った血が下がり、紅潮した顔色が日本人特有の黄色い肌色に戻っていく。

「いや・・・・来てないが?いないのか?」

「いえ、多分下宿先だと思うんですけど、最近よくここに来ているみたいでしたから」

ここに引っ越して以来、レヴィはここを飲み屋か何かと勘違いしているのか、クロウディアのお気に入りの酒をたかりに頻繁に顔を出していた。

先日もイエローフラッグでツヴァイと飲み明かした後、二次会と称し朝までドンチャン騒ぎを巻き起こしていた。

それらの行動からロックが相方のレヴィがここにいると考えるのはある意味自然なことなのかもしれないが、ツヴァイ達からすれば迷惑以外の何物でもない。

「ねぇ!あたしのブラ知らない?」

羽織ったバスローブすら脱ぎ捨て、パンツ一枚のクロウディアが事務所の隣の私室から出てくる。

「~~~~~~~っ!」

せっかく下がった血がより刺激が強い物を見せつけられ、先ほどよりも凄まじい勢いで再び血が上って来る。

遂には、盛大な鼻血を吹き出しながら事務所を飛び出していった。

「「服を着ろ!!」」

再び二人の突っ込みが響くと同時に、事務所の電話が鳴り響く。

「はい、こちら万屋アースラです」

電話に出たのはクロウディアだった。パンツ一枚で。

「あぁ、ミスター張。お久しぶりです。えぇ、それはニュースで聞いておりますが(パンツ一枚で)。はい・・・依頼ですか?はいもちろん承ります(パンツ一枚で)。」

しばらくの会話の後、電話を切りクロウディアは悠然とツヴァイに宣言する。

「仕事よ!三合会の張からの依頼!何としても成功させなさい!!」

「「その前に服を着ろぉぉぉぉぉぉぉぉ!」」

三度、二人の突っ込みが事務所に鳴り響いた。


「オタクですか?張の旦那に頼まれましたてチンピラは?」

依頼主の張に指定された場所に着くなり、ツヴァイは訛りのひどい英語でチンピラ呼ばわりされた。

「・・・・・あぁ」

バシュラン島のジャングルの奥が同じ依頼を受けた逃がし屋(ゲット・アウェイ・ドライバー)との合流場所だった。

ツヴァイより先に来ていたのは、白いチャイナドレスに身を包んだ中国人の細目の女と、無精髭のイギリス人であった。

イギリス人の方はすでに大麻によるリラックスモードに入っており、乗り合わせたジープ・チェロキーの運転席で焦点の定まらない視線を泳がせていた。

「・・・・・・・・・・・・お前も逃がし屋なのか?」

「へぁ~?俺がアナウンサーにでも見えんのかこの野郎~?」

呂律の回らない口調でイギリス人の男は煙草状にした大麻の煙を吐き出していた。

「・・・・大丈夫なのか?」

「こいつそこら辺は大丈夫ですだよ。頭、火星に飛んでっても不思議と運転ミスる無いね」

何がおかしいのか、中国人の女はにゃははっと陽気に笑いながら答えた。

一抹の不安を抱きながらも、三合会が用意したこの者達を信用する以外にツヴァイに選択肢はない。

「とにかく・・・・肝心な時に使いもんにならないようにしろよ、ファッキン・アイリッシュ」

最近合う機会が増えた為か、どこぞの二挺拳銃の口振りが移ったらしい。

ツヴァイは頭痛すら覚えるこめかみを押さえ、狐女の中国人とジャンキーのイギリス人の車に乗り込んだ。

依頼内容は、ここバシュランに来るはずの荷物を持った運送屋を地元軍基地まで護衛する事。

「また、あいつらと一緒か・・・・」

運送屋の社名を聞いた時からこの依頼が一騒動も二騒動も起こる確信にも近い予感がツヴァイにはあった。



[18783] 7話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:7ce4f6b6
Date: 2010/08/29 15:58
「銃声始またよ」

その車内の助手席で血の様に真っ赤な口紅を唇に塗りながらその女性は言った。

「ああ、俺ぁやだぜ。」

だが運転席でハンドルに突っ伏した金髪の男はやる気は甚だ無さそうだった。

「ガンファイアが収まるまで動きたくねえよ」

「死ぬされたりするとペイ無しね」

やる気の無い男に対して、言葉遣いも怪しい口調でその助手席のチャイナドレス姿の長髪の東洋系女性・・・・シェンホアは男を窘める。

だが、返答は「面倒くせえや」と変わらぬやる気のなさ。
 
「ノー、仕事大事よ」

「・・・・・」

こんな二人のやり取りを後部座席で眺めながら、ツヴァイは今回の依頼の完遂は本気で無理であろうと深い溜息をもらした。






その頃、レヴィは銃火に脇道へと追い込まれていた。

「くそ!きりがねえ!!ロックの阿呆のボンクラ!クソったれめ!」

拉致された相棒を罵りながら、レヴィは脇道をかける。その彼女に止めを刺そうというのか一台の車が脇道に横付けされる。

応戦しようとしたレヴィの背後の通りをエンジン音、

そして、

「姉ちゃん。頭下げるよ」

と、いう女性の片言英語の言葉と共にツヴァイは銃を構える。

仰け反るようにして身を低めるレヴィの頭上を刃と銃弾の一閃がに走り去る。

それはまさにレヴィを射撃しようとしていたテロリスト達に深々と突き刺さり血を撒き散らした。

「ゲットアウェイドライバーか?!・・・・・ってお前!?」
 
後部座席に座るツヴァイに目を丸くするレヴィ。

「弁護士にでも見えるってかこの野郎!失礼、このアマ!」

そう言い放つや、ゲット・ウェイ・ドライバーであり、先程のやる気なしの様子を見せていた金髪の男性レガーチはレヴィを待つ事無く車を発車させた。

急いで開いている後部ドアにしがみつくようにして乗り込むレヴィ。

だが追っ手は来ない。

既に彼らには政府軍がキャンプを出たとの情報が入っている。

大事の前の些細な事で全体の計画を水泡に帰すわけにはいかないのだろう。

テロリスト達は撤収を開始した。

「最近よく会うなぁ、こんな廃れた島に飛ばされるたぁ遂に事務所追ン出されたか?」

「・・・・・飛び込みの仕事だよ。それに、事務所を追い出される理由があるとすればお前のドンチャン騒ぎが原因だ」
 
「何か?オタクらお知り合いでしたのか?」

軽口を交える二人にシェンホアは訝しの声を上げるが、それに答えるよりも早く、レガーチの問いが投げかけられる。

「ミスター張からは四人組って聞いたぜ。残りの三人は何処行った?」

「予定が変わって二人になった。一人はドジって攫われた」

その言葉に、ツヴァイの表情が僅かに硬くなる。

このような世界に関わっている以上、自分の生き死にの責任は自分で取らなくてはならない。

だが、感情では分かっていても本能に近い部分ではすでに他人の域を越えているロックの安否が気になるのは、ロアナプラで生じたツヴァイの変化なのかもしれなかった。

だが、煙草を取り出しながら苦虫を潰したような表情で呟くレヴィに「お話にならない」と至極当然の反応をシェンフォアがみせる。

「真っ直ぐベースに向かうぜ。とっとと仕事終わらせて帰りてえぇ」
 
そうのたまうレガーチに煙草を吸いながらレヴィが問うた。
 
「連中のアジトは?」
 
「ヴィレッジの北6マイル。森の中ですだよ」
 
淀み事無くシェンホアが答える。

なんともふざけたゲット・ウェイ・ドライバーと用心棒だが、流石は張が雇っただけあってテロリストの動向は調べ上げているらしい。

「政府軍基地には向かわねえ。先にそっちを片付ける」

その言葉の意味を、つまりはさらわれた仲間を救う、というそのプロらしからぬ意味を悟り、まずシェンホアが甲高い声で笑い声を上げた。

彼女の相棒も

「ふん。ケツなら手前の手で拭きやがれ。もしくは騎兵隊に頼みなメアリー・リードさんよ!」

と、すげなく、そしてシェンホアは、

「仕事はおたくら基地に運ぶだけ。ギャラもらい、他はノーよ」

と、もっともな意見で反対表明を締めくくる。
 
だが、レヴィは当然ながら沈黙はしない。
 
「書類は相方が持ってんだよ。分かりましたか?アンダースタンド・ドゥ・ユー・イエス?ですだよ姉ちゃん」

「・・・・・」

元々口が悪い女だとは分かっていたが、仲間をさらわれた苛立ちがそれに拍車を掛けているのであろう。

明らかに無意味な挑発の言葉にシェンホアの持つ刃が酷薄な光を煌かせた。
 
車が止まる。

「シートを汚すなよシェンホア・・・・やるなら外でやれ」

こと車を汚すような行為は嫌うのか、先程までのお茶ら気振りが嘘のように真顔でレガーチが言う。

その傍らでは後部から伸ばされたレヴィの首筋にシェンホアの刃が付けられていた。

「英語が上手い無いのは本省人だからよ。首と胴、泣き別れても大変無いか?」

だが、そんなシェンホアにレヴィは些かの怯みも見せない。

それどころか、

「旦那がてめぇらみたいなのを雇っているのは何のためだ?
書類だろ?そいつが全部揃っていなけりゃ、アホ面さげて旦那の前でツイスト踊らされんのはこの車にいる馬鹿4人ってことになるんだよ」

と、彼女らしい言葉ではあるが、十分な説得力のある台詞にシェンホアとレガーチの異なる色素を持った瞳の中に灯った自分達と同じ世界を生きる住人の気配をツヴァイは感じた。






「そんなに死にてぇとは驚きだ!!この自殺志願者共め!!」

ヤクが切れたのか、それとも吹っ切れたのか、レガーチは愛車のアクセルを思い切り踏み込み車を急発進させる。

目的地は、ヴィレッジの北6マイル先にある敵のアジト。

囚われの王子を助けに危険な、四人組が爪を砥ぎ始めた。

「ここからは徒歩で行く」

テロリストの基地から離れた地点で下車したレヴィはそう言って、愛銃のカトラスのマガジンを確認する。

「車でも良いないか?」

すでにツヴァイと共に車から降りていたシェンホアが問いかけるが、レヴィの答えは至極簡単なものだった。

「ポンコツにジャンキー運ちゃんじゃ、突入はごめんだよ」

「ざけんじゃねぇよ!こいつは世界最高の四駆だぜ!?このアマ!!」

甲高い声を張り上げ、運転席のレガーチは左手でハンドルを叩き、中指を立てた右手をレヴィに突き出す。

「酔いどれだけでも釣りが来るよ・・・・いいか、ファッキンアイリッシュ。合図があるまで此処で待ってろ。逃げ出したりしたら追っかけてって殺すぞ!」

レヴィはそう言ってレガーチに釘を刺した。

もっと近くまで車で行ってもいいが、麻薬中毒のドライバーであるレガーチを信用しきってない彼女の言葉だった。

「おー!良い事を言います。激しく同意ね!」

――化粧に余念の無い相棒のシェンフォアにまでそう言われてレガーチは立つ瀬が無い。

哀れなレガーチのフォローをしたいところだが、ツヴァイの考えもレヴィ達と同じなので何も言えなかった。

「とにかくやり過ぎんなよ。逃げる時にべろべろになられてちゃたまんねえ」

文句を言うレガーチをそうあしらうレヴィだが、

「こいつそこら辺は大丈夫ですだよ。ねぇ、ニイチャン?」

と、シェンホアがレガーチの運転の保証の同意をツヴァイに求める。

「脳みそが火星に飛んでっても不思議と運転をミスる事はないそうだ」

自分ももその言葉を聞いた時は半信半疑だったが、レガーチの運転の腕はレヴィよりも僅かに見ている時間は長い。

事実レガーチの、極めて運転のしづらいジャングルの中でも安定した走りをしていたのだ。

ロックの件にせよ、レガーチの件にせよ、言葉使いの変なシェンホアの件にせよ、頭痛の種が多すぎるレヴィは舌打ちして、シェンホアとツヴァイに声を掛ける。

「行こうぜ、ですだよ姉ちゃん、兄ちゃん」

「そうだな」

「ケツを四つに割られるの好きか?馬鹿にする良くないね。このクサレアマ!」





「西ゲートに三人。東ゲートに六人……」

「それほど多い人数じゃないな・・・・・ここからでは全部で何人いるかは知らないが」

夕暮れが辺りを赤く染め上げている。

双眼鏡を覗きツヴァイとレヴィは、キャンプの森の木の上からチャイニーズドレスの女性と共にゲリラキャンプを偵察していた。

「地雷は?」

あまり警備はそれほど厳重ではない事を確認しながら、レヴィはもっとも懸念する事をシェンホアに問う。
 
「ノー、キャンプ何時も移動してる。手間はかける。それ無いね」

それに対する答えはレヴィを安堵させるものだった。

そこには強気の面ばかりが目立つレヴィの姿は無く、逆に悪魔のように繊細なそれがある。

その為、日中から相手の根拠地に殴りこむ事も流石にしない。

夜の帳が降りるのを待って行動を開始するつもりなのだ。

それを待つ間、相手の事を知る事に意義を挟む素人はいない。
 
「急ぐですだよ。ボンクラに吐かれると商売あがるね」

「心配すんな。ありゃ口が固いんだ。審判のラッパを吹かれても吐かないほどだ」

シェンフォアの危惧にそう答えながら、レヴィは木から飛び降りた。

「陽が落ちたら行こうぜ。スタンバイは万全か?ですだよ姉ちゃん」

「万全よ、それより片付きましたらケツの肉削いでやりますだよ、このアバズレ!」

「・・・・・なんだよ?」

つい無意識のうちに視線を送っていたのだろう、それに気付いたレヴィはツヴァイに問いかける。

「いや・・・・・随分とあいつの事を信用してると思って」

いつもいがみ合っているか、ロックがレヴィを宥める光景しか見ていないツヴァイにはレヴィのロックに対する評価は意外なものだった。

あわよくば、これでレヴィをからかえるのでないかと悪戯心も働いたがレヴィの答えは意外なほどあっさりしていた。

「ふん・・・・それぐらいしてもらわなきゃ助けに行く甲斐がねぇ。日は浅いとはいえ、あいつはあたい達の仲間だ。こんな所で死なれちゃダッチやベニーに合わせる顔がねぇよ」

淡々と答えながらも、レヴィの瞳には静かなる炎は灯っていた。

「それに、余計な手間こさえたバカにはあたしが直接ぶん殴ってやらねぇと気がすまねぇ」

テロリストの基地を包もうとする暗闇よりの濃い邪悪な笑みを浮かべ、レヴィは付け加える。

ツヴァイにはこれから助け出されるロックの安否よりも、助け出された後の安否の方が心配になってきていた。









「どうした?気持ちよすぎて引き金が落ちねえか?」

気配を悟られる事無く背後から忍び寄り歩哨をその特異な刃で貫いたシェンホアを見ながら、レヴィは嗜虐染みた声音で瀕死の歩哨に声をかける。

「刺した事はあっても、刺された事はそうないね。男ってのは!」

レヴィに応じてシェンホアも戯言を返す。

引き抜いた刃からは事切れる呻き声と大量の血が糸のように彼女の刃を追う。

これで歩哨は片付けた。

これまではその無音声の武器の特性からやむなくシェンホアの刃にテロリスト共の始末は任せてきた。

だが、それも此処までだ。ロックが閉じ込められていると思しき部屋までは後僅か。

「こっちも行くぜ!」
 
ようやく我慢していた暴力を開放する気持ちをその手の拳銃で表現する。

立ちはだかるテロリストの兵士は悉く屍と変えさせた。

そんな死神の疾走は止まらない。

速度を落す事無くそのままロックの監禁されている部屋へと駆ける。

その後を煌きと敵の鮮血を撒き散らしながら刃を振るうシェンフォアが続く。
 
その異変にロックも気付いた。
 
突如鳴り響く銃声。それはこちらに近づきつつある。
 
「レヴィ!俺は此処だレヴィ!」

神頼みでも希望的観測でもなく、その銃声の騒動の主をレヴィだとロックは受け止めた。

相手に自分の位置を知らせようと鍵のかかった扉を内側から精一杯叩く。

次の瞬間、扉ごとロックは蹴りを喰らっていた。

吹き飛ばされたロックに誰かが覆いかぶさる。

それが死亡したテロリストと知り、それを持ち上げようとするロックの視野にラグーン商会の相棒の姿が映る。

「ベイビー。ベイビー。良い子にしてたか?もう少し良い子にしてたらな、スイートパイ、ニコリス飴を買ってやるからよ。さ、ずらかろうぜ」

それは、この地獄での血塗れの凶暴な天使の姿だった。

それでもかつての彼女よりは遥かに清廉な。
 
「ほう、これが例のボンクラか?」
 
天使の陰から東洋人特有の切れ長の瞳を持つ女性が、そう言いながら刃の血糊を拭いながら牧歌的にその姿を現した。

「・・・・・・・・・誰、この人?」



[18783] 8話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:a0a06efa
Date: 2010/08/29 16:12
逃げ道確保の為、レヴィとシェンホアとは別行動を取っていたツヴァイも持ち場の掃除をあらかた終わらせた事を確認すると、ベレッタのマガジンを交換しながらレヴィ、シェンホア、そして助け出されたロックに並走しながら合流する。

走りながらレヴィが言う。

「ロック!戦略を立てろ!」

同じく走るロックとツヴァイは当惑する。どういう選択肢があるんだ?まさか、撃ち合いでもしたいと言い出すのだろうか。
 
「何言ってんだよ!!逃げるだけだ!」
 
レヴィの発言に訝りながらもツヴァイの予想通り、ロックは至極まともな回答を発した。

「ようし、それで良い」

結局、レヴィが何故あのような質問をしたのかは分からなかった。

ロックが冷静か確かめようとしたのか、それとも自分の冷静さを確認する為にロックに聞いたのか、あるいはその両方か。

激しい勢いでロックを押し込めるようにしてレガーチの待つ四駆の後部座席に乗り込ませ、レヴィもその隣に座る。後方に警戒を発していたツヴァイも最後に車に乗り込む。

シェンフォアは既に助手席の自分の定位置に座っていた。

「「出せ!」」

レヴィとツヴァイは運転席のレガーチに向かって叫んだ。ここまでは順調だ。

あとはこのレヴィ曰く、「ファッキンアイリッシュ」が、これまたレヴィ曰く、「ですだよ姉ちゃん」の言葉だけの実力を発揮する事を期待するだけ・・・・。

「え~?出すもんなんて何もねえぞ~」

振り返ってきたそれは、視線を泳がせ、既に頭は火星にすっ飛んだゲッタウェイドライバーの顔だった。

間髪入れずにレヴィの蹴りがその後頭部に飛ぶ。

「手前の仕事に変わったんだよ。とっとと出せっつうーの、こら!」

「あ、忘れてた!」
 
蹴りを喰らったレガーチが素っ頓狂な声を上げた。
 
苛立ちを隠そうともしないレヴィ、何とか苛立ちを隠すツヴァイ。

だが、それでも相手が正気を取り戻した事に幸運を感じた二人の耳に信じられない言葉を聞かされた。
 
「リヴァプール行かなきゃ!」

殺してやろうか、と眉間に皺を寄せるレヴィと、今度ばかりはレヴィに同調せざるをえないと引き金に指を掛けるツヴァイとは対照的に、長年の付き合いからか、化粧をしながらシェンホアは冷静だった。

「もう駄目よ。スーパーリラックスね」

「ジミ・ヘンドリックスが俺を、俺を呼んでいる!クリンゴン星人を倒してくれと!ピ、ピカード艦長ぉぉぉぉぉ!」

(もう一度取りあえずどついておくか?)

(ここで始末した方が早くないか?)

と、過激な思案するを視線で交錯させる二人の前で、再びレガーチはこの場では意味不明な言葉を大声で紡ぎ出した。

勢い良くキーを回し、自動車を発車させる。とにかくこの場から立ち去る事は・・・・・・。

「な、おい、てめぇ!そっちじゃねえ!」

出来なかった。

発進したは良い。だが車が進むのはレヴィ達が今しがた逃げてきた方角だ。

勢い良く土嚢と鉄条網と材木からなるバリケードを突破して、レガーチの駆る四駆は再びレヴィ達をテロリストのキャンプ地へと誘った。

「アホ!ここは敵のど真ん中じゃねえか!」

噛み付くようにレガーチに吼えるレヴィだが、返ってきたのは相手のけたたましい馬鹿笑いだけ。

その間にも四駆はキャンプ内を蹂躙する。
 
こうなるとレヴィもツヴァイも腹を括らざるをえない。

敵を混乱させ、少しでもこちらの追撃の準備を遅らせる為に、窓から上体を出して激しい銃火を手の先の銃口から吐き出す。

「くっそ!こうなったら行き掛けの駄賃だ!!」

「張も、とんだ相方を用意してくれたもんだな!!」

ヤケクソ気味に銃を撃ち放つ二人の銃弾は応戦するテロリストを撃ち倒して行く。




何とかベースへ続く道へ入った四駆の中ではレヴィが余裕綽々で喋っていた。

「とにかく、このロックが逆ギレてねえからには、大した敵じゃねえってことだ。」

「そうなのか?」

かつて、ガンシップによって絶体絶命の状態に追い詰められたラグーン号を救った折のロックを思い出しながらの彼女の発言だったが、事情を知らないツヴァイは空になったマガジンを交換しながら訝し気に呟いた。

「いや・・・・・」

そのレヴィにロックは否定の意味で言葉を洩らした。
 
「見ろ!見ろ!阿呆が束になって来やがった!」

「おー!最高ね!」

その言葉は、後方から迫りくる追手のジープ群の襲来を楽しんでいるような二人の女傑の鼓膜を震わせるには至らなかったらしい。

「あん?なんか思ったより数が少なくねェか?」

「そだね、もとウヨウヨ来る思いましたけれど・・・」

眉をひそませる二人の疑問はもっともだった。

アジト襲撃前の下調べで確認したジープの数と、現在自分たちを追ってくるジープの数が合わない。

連中が求めている荷物の重要性から考えても、アジトに残る全戦力を投入してくるのは素人でもわかるはずだ。

「少し数を減らしておいた、追手は少ない方がいいだろう?」

短時間で数十人を始末した功績をさも当然の様に告げるツヴァイに浴びせられたのは、賞賛ではなく、女傑達からの罵倒だった。

「何勝手なことしてんだこの馬鹿!!追手は多い方が面白いに決まってんだろうが!!このタコ!!」

「アバズレの言う通りね!ちょっと顔がいいからって何いい気なてるか!?」

「・・・・・・・」

「クソ、クソ、クソ・・・・」

そんな中、ぶつぶつと悪態をついているロックに

「何だこいつ?」

と、レヴィは不審そうな冷たいとも言って良い視線をやる。

だが、それは短時間の事だった。

銃弾が空気を割く音が響き、それを知るとレヴィは瞳を輝かせ

「来やがった!」

と、拳銃を持つ手に力を込めた。

「レヴィ・・・・俺さあ、あの日本人と話したんだ。そんで・・・・」

「じゃ~んけ~んポイ!ああ!負けた!クソ!後攻めだ!」

そう悔しがるレヴィを尻目に「お先に失礼」とあのチャイナドレス姿の長髪の中国人女性は、車上へと姿を消した。

そんな彼女の背後に「二台仕留めたら交代な!」と叫ぶレヴィ。

「何か言ったか?」

ようやくロックに気付いたかのようにレヴィが尋ねてきた。
 
「・・・・・いや、いいっす」
 
(今のこのブルーな気持ちを、人殺しをピクニックか何かのように楽しんでいらっしゃる貴女達に理解して貰おうと思った俺が馬鹿でした)

そんな気持ちで肩を下ろすロックの肩に乗せられるのは、ツヴァイの力なき手だった。

「何も言うな・・・・・。お前の気持ちはよく分かる。またイエローフラッグで飲もう・・・・・」

「そうですね・・・・・奢らせてください・・・・」

泣き出しそうな男二人の間に奇妙な友情が芽生えた瞬間だった。

そんなことはお構いなしに車の屋根では、不敵とも妖艶ともいうべき表情でシェンホアが立ち上がった。

迫り来るテロリストの車両を眺めるその姿に怯えは僅かにも見当たらない。

「躍らせてあげるわ!」

手にしたロープの先に繋げた例の刃を振り回し、シェンホアはそれを投げつけた。

月明かりに死人の表情のような蒼い光が煌き、激しい射撃を浴びせてくるジープ車上に身を出していた兵士の身体を切り裂き、もしくは首を刎ねた。

だが、それで刃は動きを止めたわけではない。まるで生き物のようにロープの先端の刃は鮮血を吸うのを止めなかった。

甚大な犠牲にコントロールを失ったジープが近くの友軍車両と玉突き状態となり盛大な爆発音と火焔を生じさせた。

殺し屋たるシェンホアの面目躍如である。

「あ~!馬鹿!手前全部やんなっっただろ!左!あたし左のやっから、お前、右だ!」

「やめるね!狭い!」

ゲーム感覚で殺戮を行う二人の女傑に、既にロックとツヴァイは月までの距離を置いてけぼりにされた気分だ。

だが、そこに背後から一台のジープが距離を詰めてくるのをツヴァイだけが気付いた。

「ちぃ!!」

窓から上半身を出すと同時に、持ち前の正確な射撃で運転席に乗るテロリストの額を撃ち抜く。

不安定な車内でも決して鈍ることのない射撃に浴びせられたのは、またしても女傑達の罵倒だった。

「何勝手なことしてやがんだ!?あぁ!?順番守れや兄ちゃん!!」

「一度言われたこと守れませんか!?クソガキ以下ね!」

「な!?ちょっと待て!今、俺が撃たなかったら危なかった・・・・・がっ!?」

抗議の声を上げるツヴァイの顔面に、レヴィの握り締めた拳とシェンホアの美脚から繰り出される蹴りが突き刺さる。

「口答えしてんじゃねぇよこのボンクラが!!」

「お前も、そこのボンクラと一緒に大人しくしてるます!!」

車内の会話に置いて行かれた孤独なロックに女傑達の怒声とツヴァイの悲鳴とは違う声が聞こえた。

「おい見ろ!」

と、運転手のレガーチからだ。
 
「なんだ?」
 
その声に運転席に目をやったロックだが、取り立てて目立つ変化はこちらから見る限りではフロントガラスからは窺えない。

訝しがるロックに更にレガーチの言葉が突き刺さる。

「楽園の上をジェーン・フォンダが徒競走している!」

「・・・・・あっ、そう」

屋根では女性二人は陣取り合戦で再び揉めており、ロックの隣ではツヴァイが整われた顔を見事に腫らして拗ねたように沈黙している。

レガーチは、再び

「畜生!一体俺を何処に誘おうと言うんだ?ひょっとして伝説のヌーディストビーチ?!」

と脳天が飛んだ発言で吼える。

イカれたこの空間で、真面目に落ち込んでいる自分が馬鹿馬鹿しくなりそうなロックだった。

運び屋達うちの二人は未だに揉めていた。

「仕切り直すね。もっぺん、じゃんけんどうか?」

だが、レヴィはその提案を跳ね除けた。
 
「そんな暇はねえ。来るぜ!」

先程は取るものも取りあえず追ってきた感のある敵はどうやら冷静さを取り戻したらしい。

密集する事無く十二分に車両間隔を取り散開して追撃してくる。

「奴らぶっ殺す!だが、お前の武器じゃ間合いが広すぎる、下がってな!」

レガーチが相変わらず意味不明な言葉をわめき散らす車内に一旦銃弾を避ける為に避難したレヴィとシェンホア。

そのシェンホアにレヴィはそう彼女より自分の出番である事を説明した。

それにはシェンホアも折れざるを得ない。

「仕方ないね。お手並み拝見よ」

そう言って手を出してきたシェンホアに対して景気づけに手を叩いて、勇躍、レヴィは車上の屋根に躍り出た。

「しゃらくせえ!目ん玉引っくり返してやる!」

二丁の拳銃は悪鬼のように死を噴出した。

次々と被弾して脱落していくジープ。

爆発の閃光花が闇夜に咲き乱れた。

得意げなレヴィにシェンホアも、

「おー!口だけ達者じゃない。イカスね!」

と賞賛せざるを得ない。

「EMZね!もうすぐキャンプが見えてくるね!」
 
既に鼻っ面を叩きのめした追っ手はもう見えない。

これで仕事は無事終わりだろう。

それに安堵してレヴィは先程、煙草を勧めたロックに

「どうだロック、楽しくなってきたか?」

と、陽気に尋ねる。

「あ~何ていうかもう、そうやって逃げていると駄目になってくるんだよな・・・。
幼稚園の頃からそうやって逃げて来たような気がするんだよなぁ・・・・・
もう駄目だ・・・・」

「おぅ?悪い方入ったね」

「アイヤ、ミスッたぁ・・・・ポジティブな奴だから大丈夫だと思ってたけどよぉ」

「駄目よぉ、セッティングはとても大事よ?・・・・・このボンクラにもやったらどうか?」

まだ根に持っているのか、シェンホアはロックとは逆方向で落ち込んでいる座っているツヴァイに冷たい視線を向けるが、

「やめとけやめとけ、こいつ見るからに根暗じゃねぇか。キメた瞬間、舌噛んで死んじまられても困るぜ」

「・・・・・」

レヴィの容赦ない言葉にもはやツヴァイは言い返す気力も沸いてこなかった。

「おっさんと話した時もついつい偉そうなこと言っちゃった・・・・。良く考えたら俺、言うだけ言って言い逃ればっかだよな……」。

どうやらレヴィが与えた麻薬煙草はレガーチのようにロックの気分をハイにさせなかったらしい。
 
その一方でジャンキー運転手は、ロックに分けてやりたいぐらいに脳天は飛んでいる。

「プレイメイツだ!90年からのプレイメイツが100人いるぞ!プレイメイツ軍の襲撃だ!」

ベースに突入した穴だらけの四駆に基地の兵士たちは狼狽と緊迫した空気の中、配置についていた。

「指揮所へ!所属不明車が進入!射撃許可を!」

と、いう無線も飛ぶ。
 
だが、指揮所からの反応は兵士達には予想外のものだった。

「第三バンカーへ!それは客だ!撃つな!全バンカー警護へ!それは敵に非ず!」

「洗濯屋の使いは到着しているか!」

ローターの轟音に掻き消されない様に声を張り上げながら、降下するヘリから男ががなり立てた。

サングラスと白いスーツを纏った金髪の白人男性だ。

「遅いぜ!ラングレーの旦那!」

ヘリを見上げるレヴィも負けじと大声で返す。

もっとももその口調はCIA職員のような焦燥感はなく、どことなく楽しげだった。

「ラングレーは忙しいんだ!自由と正義にクソをたれる野郎が多いもんでな!」

そう言いながら男は着地したヘリから降りてきた。

緑のスーツに、サングラスをかけた黒人の男もそれに続く。

「それで!俺たちをエレクトさせる物っていうのは何処にある?!」

黒人男性の質問に薬で意識を泳がせていたロックの正気が戻る。

「しまった!ブリーフケースが無い!」

「へ!?」

「なにぃ!?」

だが狼狽するロック達に対して彼女は冷静だった。

「慌てんなよ・・・ハリー・フーリニンが魔法の壷をちょいと振れば、ほれ、この通り!」

タンクトップの内側から文書を取り出した彼女にロックもシェンホアも唖然とした。

最初から文書は彼女が持っていたのだ。

「じゃあ、何の為にこのボンクラ助けに行ったか?」

と、いうシェンホアの抗議に

「そうでも言わなきゃ、お前等がのったかよ」

と、さらっと切り返すレヴィ。

一方、文書を受け取った黒人男性は露骨に嫌な顔を相棒に向けた。

「ち、汗でふやけてやがる。それじゃあお疲れさん。次はもう少しましな形で届けてくれ。ボスが怒る」

事は急を要す。

長居は無用とばかり、ローターを回転させ続けるヘリに二人のCIA職員は戻った。

「えーと、そうミス・レヴェッカ!バッファローヒルの署長と、NYPD27分署の連中があんたの今を知ったら腰を抜かすかも知れないな!」

その黒人職員の言葉にレヴィの顔が一変する。封印していた傷口を抉る言葉だった。

その表情は憎悪に醜く歪む。

「勘違いしなさんな!俺達の仕事は、合衆国の敵を殲滅する事であって、重罪人の逮捕はペイの中に入っていない!いずれ仕事を頼む時の挨拶代わりだよ!じゃあな!」

去り行くヘリを見送るレヴィの背後からロックが言葉をかけてきた。

「あのさ・・・レヴィ。まだ御礼を言ってなかった・・・・・その・・・ありがとう」

気心の知れた仲間にだからこそ、礼を言うものを言う時には照れるものである。

僅かに顔を紅潮させたロックにレヴィはにこやかに振り向く。

「なんだいロック。水臭い話は抜きにしようや」

次の瞬間、レヴィの拳骨がロックの頭上に振り落とされていた。
 
「寝言ぶっこいてんじゃねえぞ!金輪際こんな温情はかけねえからな、阿呆野郎!掛かった救出費は手前のペイから天引きだ!助けて欲しけりゃ、次は神様にでも頼みやがれ!」

頭を抑えながらロックはそれでも微笑んだ。











「うぅ・・・・・」

事務所に戻ったツヴァイを迎えたのは、テレビの前で涙を拭うクロウディアだった。

「・・・・・・・」

状況が掴めずツヴァイは一瞬言葉を失う。

「うぅ・・・・・・あ、お帰りツヴァイ。お疲れ様」

入口に立つツヴァイに気付き、労いの言葉を掛けるクロウディアにツヴァイは、

「・・・・・なにやってるんだ?」

と、返すのが精一杯だった。

誰が想像できよう、理不尽な理由で顔面を殴打され、精根尽き果てやっと帰宅した人間を迎えたのは、出発する時と変わらずパンツ一丁の女がテレビの前で泣いていたのだ。

「日本のアニメーションって素晴らしいわ・・・・・」

「アニメーション?」

「この「空気」って作品・・・芸術ね。特にこの晴子さんに共感できるわ・・・・なんか他人に思えなくて・・・・」

「そうか・・・まず服を着ろ」

「うるさいわね!!・・・・あんたはうちのお母さんやない!!」

「当たり前だ!」

「って、どうしたのその顔?まさか、失敗したの!?」

腫れあがったツヴァイの顔面を確認するなり、心配どころかさらに顔面を腫らしかねない声色で告げる。

「・・・・・・なんでもない、仕事はきっちり済ませてきた」

腫れ上がった頬をさすると負ったばかりのトラウマが疼き、ツヴァイの声色は自然と低くなる。

「そ、そう・・・・ならいいんだけど」

「なぁクロウディア・・・・・俺って根暗か?」

「何言ってるの?自分が今まで明るい人間だと思ってたの!?」

突如投げかけられた質問に、クロウディアは迷いなく答える。

「そうか・・・・ちょっと出てくる」

気のせいだろうか、瞳に涙を溜めたように見えたツヴァイが踵を返す。

「また出るの?」

「イエローフラッグには俺の痛みを分かってくれる奴がいるんだ・・・・・」



[18783] 9話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:1fbce34c
Date: 2010/08/29 16:28
「しばらく俺の護衛を頼みたい」

万屋アースラのソファに座るなり、三合会の張はそんなことを口にした。

「それは構いませんが、なぜ私たちに?」

張の対面に座るのはアースラの社長であり、ツヴァイ、リズィの雇用主でもあるクロウディア・マッキェネン。

触れば絹の様な感触であろう金糸のロングヘアーを靡かせた彼女は、蟲惑的な唇の端を僅かに吊上げながら問うた。

三合会と言えばロアナプラでも屈指の勢力を誇る香港マフィア。

そこからの仕事をこなせば自然と三合会の後ろ盾が付き、この街での仕事もやり易くなる。

ある程度とは言えこの街での事業が成功しているが、未だ駆け出しのアースラに取ってこの依頼は、喉から手が出るほど欲しかった物であるはずであった。

だが、クロウディアはすぐに飛びつく様な浅ましい真似などせずに、歯に挟まった異物の様に残った質問を口にした。

この街で起こっているおおよその事は把握している。

情報不足は死活問題だということは理解しているからだ。

だが、それでも三合会などの大物組織には敵わない。

事実、自分達が把握している情報の中に張がここに来なければならない事態に陥っているというものはなく、寧ろ三合会はこの一件には無関係に近い。

それでも張はここに来た。それは、自分達の知らない情報を持っているという無言の証明に他ならない。

「特に深い意味はないさ、以前お宅らに頼んだ仕事の手際に感心してね。また力を貸してもらおうって思っただけさ」

煙草に火を着けながら張はおどけた様に告げる。

「それは、光栄ですわ。しかし、それほど私達を買って下さっているのなら腹を割ってのお話合いをしたいものですわね」

余裕たっぷりに答えるクロウディアに張の背後に立つ黒服の部下達は不機嫌そうに眉をひそめるが、逆に張は満足げな笑みを口元に浮かべていた。

「なるほど・・・・・なかなか食えない女だな。いいだろう、互いの相互利益の為だ」

そう言って張は、紫煙を吐き出しながら言葉を紡ぎ出した。

「ここ一月で「ホテル・モスクワ」絡みの死体が6つも出来上がっているのは知っているな?バラライカの女狐はもうカンカンさ」

「えぇ、ですがそれと三合会にどのような関係が?」

「ホテル・モスクワ」と三合会が友好関係を築いていることは周知に事実であり、それによりこの街は仮初の平和を保っていると言っても過言ではない。

だが、それはあくまでビジネスの間の話だけある。

元々は三合会がロアナプラの全権を握っていた所に戦争を仕掛けてきたのは「ホテル・モスクワ」であり、目の上のコブとも言える者がいくら死んだところで三合会にとっては寧ろ喜ばしいことであるはずだった。

「話を急くなよ、お嬢さん」

張の言葉にクロウディアは眉をひそませるが、張は構わず続けた。

「別にイワンが何人死のうが俺達には関係ないが、その被害がうちにまで広がってきたってんなら話は別だ」

「三合会にも?」

自分の知らない情報をチラつかせられ、クロウディアは先ほどとは違った意味合いで眉をひそめる。

「ああ、手口から見てイワンに喧嘩を吹っ掛けてる奴の仕業に十中八九間違いないんだが、残念なことに手掛かりはなし。
こんな街じゃ誰一人信用なんて出来やしないからな。
だから、この街に来たばかりのお宅らに俺の警護を頼もうかと思ってね」

「・・・・・・なるほど、監視の意味を込めて・・・・・という意味ですね」

「話が早くて助かるよ、ミス・リンディ」

「ホテル・モスクワ」と三合会に同時に戦争を仕掛けようなどと思う者などこの街には存在しえない、この二つの組織の力は場末のチンピラまでも知っている。

だとすれば、そんなイカれた者は自然と限られてくる。

真っ先に挙げられるのは、この背徳の街で名を上げようと躍起になっている新参者。

つまり、万屋アースラの様な者達のことである。

それらを監視の意味合いを込めて張はここに来たのだ、手元に疑いの元を置くと言う一見危険極まりない行動だが、自分の力を信じて疑わない張ならではの大胆な方法でもあった。

「勘違いしないでほしいんだが、俺はお宅らに無駄な疑いを掛けたくないって思ってるんだよ」

「ええ、それは感謝しておりますわ」

いくら自分の力を信じ切っているとはいえ、ある程度の保険を掛けておくのは当然のことである。

張はある程度の犯人を絞っているのだろう。

それには当て嵌まらないが、僅かにでも疑念が残るアースラ、特にアメリカ時代にファントムと呼ばれ、恐れられたツヴァイを監視したいと言っているのだ。

痛くもない腹を探られるのは面白くないが、悔しいことにアースラと三合会の力の差は火を見るより明らかであり、主導権を握られるのはやむを得ない。

むしろ、結果的に自分達の無実を証明してくれる張に感謝すらしなければなるまい。

「お話は分かりました。玲二、ミスター・張の護衛をお願い」

クロウディアは背後に控えるツヴァイに声を掛ける。

「ああ」

ツヴァイの返事に張は、暗黒界を生き抜いた者特有の凄惨な笑みを浮かべた。

「よろしく頼む。ミスター・玲二。いや、それともツヴァイか?・・・・・・ファントムって呼んだ方がいいかな?」

「・・・・・・好きに呼べ」







錆と埃の匂いに満ち、湿気と熱気のある暗闇の地下室。

そこでは、電球の灯の下でぼんやりと此処ロアナプラの裏の世界を支配する四つの組織の四人の男女が浮かび上がっていた。

「また一人殺されたわ。今度は会計士よ、此処はベイルート?それともモガディッシュ?」

右半分に火傷の跡が残る金髪の女性が刺々しく皮肉交じりの挑発的な言葉を放った。

ここに入ってきて当初からの殺気混じりの彼女の気配が急に濃くなる。

「よせよ・・・・バラライカ」

相手を嗜めるようにサングラスをして口髭を生やした男が神経質そうに彼女を宥めた。

白いジャケットから紅を基調とした派手なシャツを覗かせる彼、マニサレラ・カルテルのロアナプラの責任者であるアブレーゴの顔色は先程から冴えない。

連絡会に来るまで三合会の張も同じ状態だと思っていた事態が、つい先程、例外は既に彼の陣営だけとなった事を張に教えられたのだ。

消去的に考えれば、真っ先にバラライカに疑われるのは自分達だと言う事にアブレーゴは憂鬱な想いだったに違いない。

「ホテル・モスクワ」。否、目の前のこの顔に火傷をした元ソ連軍の大尉だという女を怒らせた場合に何が起こるかを彼は身をもって理解していた。

それは彼女が此処に初めて姿を見せた時の容赦のない他陣営への攻撃ぶりは勿論、先日のマニサレラ・カルテルへの「ホテル・モスクワ」の全世界的奇襲作戦のなかで、彼もバラライカの子飼いの連中に、歯をへし折られ、顔をパイナップルのように腫らされたのだ。

もし本部が「ホテル・モスクワ」に譲歩して手打ちを済ませなければ、もしくは勢力の均衡が崩れる事を嫌う三合会とシチリアン・マフィアが紛争の調停に介入しなければ、今頃彼は、この街と本土を結ぶ橋の上に吊るされるか、鮫の餌食とされていたであろう。

心当たりが無い事とは言え、相手に余計な疑いを掛けられ、差し歯をしたばかりの歯を再び失うような事態になることは避けたい。

「だからこうして連絡会を持っている」

そう冷静な声が響いた。

サングラスを掛け、スーツと外套を黒で統一し、唯一マフラーだけは白とした三合会のロアナプラでの長である張だった。

安堵した表情を浮かべるアブレーゴの前で、張が彼の言葉を引き継いだ。

「共存の時代だ。流血と銃弾の果てに手にした均衡は大事にしたいね、ミス・バラライカ」

彼女を前にしても張の言葉の調子は普段の彼と変わらない。

思えば、ロシアン・マフィアのこの地での殲滅戦から始まった登場に、以前はこの地で幅を利かせていた中国系マフィアが駆逐される中、歯止めとなった希少な男が張だった、と雇用主から伝えられた情報を頭の中で反芻しながらツヴァイは、護衛対象である男の背中に視線を向けた。

「おや、ミスター・チャン。私が何時言ったのかしら?共存を求めているなど」

再び皮肉交じりに笑みすら浮かべ、ロシアンマフィアの女傑は噛み付いてきた。

それも過去の対立の折は除き、アブレーゴのマニサレラ・カルテルやヴェロッキオのシチリアン・マフィアと比べどちらかと言えば友好的な三合会の張に対してだ。

その事実が彼女の怒りを伝え、そしてそれを被る恐れのあるアブレーゴをぞっとさせた。

「ふん!吹くじゃねえかフライフェイス。田舎もんのイワンが女王気取りとは笑わせるぜ。ソホーズに帰って芋でも掘ってやがれ!」

その発言にアブレーゴとツヴァイは内心で苦々しく眉を顰めた。

金髪に浅黒い肌をしたヴェロッキオ。

緑のスーツ淡いピンクのシャツに紅いネクタイ。その上に白いコートを羽織った彼は張と同様に煙草を加えているが、知性が服を着た印象を与える張に対して、無知と粗暴が服を着た印象を与えるものだった。

兎も角、火傷女をこの場で怒らせて、それぞれの勢力の均衡を崩す事態になることは避けたいのはこの街に住む者たちの総意である。

特に状況証拠で火傷女に戦争の口実を与えそうな条件を持つ事態に至っているマニサレラ・カルテルはその思いは強いだろう。

張と違う意味でバラライカを恐れないシチリアン・マフィアのこの地でのボスの無知とも無鉄砲とも言い難い態度に苦々しい思いに駆られアブレーゴはサングラスの奥の瞳を細くした。

気になってバラライカに恐々と視線を向けると、彼女の背後に控えている顔に傷痕のある黒髪の男の顔が怒りに歪んでいた。

だが、当の本人は唇の両端を大きく引き上げた。

「イタ公の腸ってのは豚と同じ匂いがするそうね。本当かしらヴェロッキオ?」

「てめぇ!」

自分で挑発しておいて、相手にコケにされて怒りの導火線に火が着く様ではボスとしての資質は疑わしい。

ヴェロッキオの単細胞ぶりに表情にはおくびにも出さず、胸のうちだけでツヴァイは冷静な評価を下した。

「二人とも口を慎め」

張の言葉に二人は沈黙した。

彼は連絡会の議事長的な役割を果たしている。

それなりに彼等も張には一目置いているようだ。

もっとも純粋に張を評価しているバラライカとは違い、ヴェロッキオは旧勢力の手練れとして彼に一目を置いているという多分に感情的なものであろう。

新興勢力のバラライカを毛嫌いするのはともかく、その恐るべき実力を嫌悪こそすれ、彼は評価しようとはしていないのだから。

「何の為の連絡会だ?確かに我々には忘れられない遺恨がある。だが、現在は相互利益の為に協力し合う時代だ。それぞれの商売の足しになれば何でも良い。下らん面子など犬に喰わせろ」

張の毅然とした言葉にツヴァイは、この男の底知れない人間性能に賛辞を送った。

抗争などより相互協力の時代だ。特に複数の勢力が微妙な均衡を保っている此処ではそれが必要だ。

「ミス・バラライカ。こいつは初耳だろうが、こっちの手の者もやられている」

「如何いうことだ張」

火傷女の表情が曇った。

「天秤を動かそうとしている者がある!アブレーゴ!私を見ろ!」

予期はしていたとはいえ、遂に自分に火傷女の怒りの矛先が向けられた事に、アブレーゴは首をすくめたが表情には色濃く恐怖が張り付いていた。

ほんの最近の「ホテル・モスクワ」の攻撃ぶりが脳裏に蘇ったのだろう。

「冗談は止してくれバラライカ。確かにあんたん所と揉めた事はあるが、手打ちは済んでるはずじゃねえか!」

何とか常套文句のような言を吐き出した。

当然、バラライカはこれっぽっちも納得した様子は見せず、アブレーゴを横目で睨みつけたままだ。

「ではアブレーゴ。真犯人についてヴェロッキオに質問を」

その言葉に、完全に自分達が疑われている事をアブレーゴは悟った。

確かに他の三陣営と違い身内に犠牲者を出しておらず、尚且つ最近ホテルモスクワと抗争したばかりで条件は揃いすぎている。

バラライカの悪意ある視線を感じながら、アブレーゴは返答の言葉に詰まった。

だが、胸に剣先を突きつけれて、瞬時に相手の納得しうる質問を考え出す程の器量はアブレーゴには無い。

(こいつもこの程度か・・・・)

今にもちびりそうなアブレーゴにツヴァイはヴェロッキオと同等の評価を下す。

「ざけんじゃねえよフライフェイス。うちだって手配士が一人やられてるんだ!」

当のヴェロッキオが質問をはぐらかすかのようにアブレーゴが何の問いも発しないうちに勝手に自己弁護を始める。

「これで死体が九つ……」

ほっとするアブレーゴとは違い、そう呟くバラライカは納得したようではなかった。

だが、ヴェロッキオはそれを無視するかのように張に向かって彼の結論を唱えた。

「張。こいつは街のもんの殺しじゃねえ。流れもんの仕業だよ。この街の仕組みを知らねえ奴だ」

その言葉に張が納得したのかどうかは分からないが、議事長的な役割を果たしている身として、この場の剣呑な空気を考慮したらしい。

「ではこの件は外部勢力の仕業と断定して、連絡会は連携して犯人を狩り出そう。共同で布告も出す。誤解による流血を防ぐ為だ。異存は?」

当たり障りの無い結論だった。

勿論、ここで問題をこじらせて、微妙な均衡をぶち壊したいと望む者はいない筈。ならば、今日はこれにて解散と行きたいのだろう。

「下らないな。茶番だわ」

バラライカの回答に、あくまでも例外がいる事をアブレーゴは思い知っただろう。

「何だとてめぇ!」

「軽率は控えてくれ、バラライカ。この街ごと吹っ飛ばすのは君の本意では無いはずだ」

ヴェロッキオが例によって吼えるが、直ぐに張が場を取り持つかのようにバラライカに取り成す。

「ふ!親睦会のつもりか?ミスター張。お次はジンラミーでもやるのかね?」

激烈な態度だった。

この女帝こそがこの街の仕組みを理解していないのでないか、とツヴァイは内心で呟いた。

「私が今日ここに来たのはな、我々の立場を明確にしておく為だ。ホテル・モスクワは行く手を遮るすべてを容赦しない。
それを排撃し、そして撃滅する。親兄弟、必要ならば飼い犬でも殺す」

そう言い捨てると、コートを羽織り、バラライカは顔に傷のある男を従えて部屋を出て行った。

「やれやれ……」

火傷顔の女帝の背中を見送りながら、そうぼやく張の声が薄暗い部屋に空しく響いた。



[18783] 10話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:24c66fbd
Date: 2010/08/29 16:40
「見ろよ・・・・・みんな銃をぶら下げている、まるでクリントン・イーストウッドの世界にでも迷い込んだみたいだ」

イエローフラッグのカウンターでグラスを傾けながら、店内の他の客達の殺気だった様子にうんざりしたようにロックは呟いた。

「当然だな。パニッシャー気取りのイカレ野郎がうろついてるんだからよ」

愛飲のラムを煽りながらロックの相方であるレヴィは眼光鋭い視線を向ける、心なしかいつもよりも眼光が鋭い気がしたのは気のせいではないだろう。

「パニッシャ―・・・・罰を与える者。何に対する罰なんだ?」

「さぁな、今のロアナプラはポップコーンだ。十分に火が通って破裂するタイミングを待ってるのさ」

「聞いたかレヴィ?賞金が出たってよ」

カウンターの向こうの側から顔を出したのは、イエローフラッグの店主、バオだった。

「いくら?」

「5万だってよ、ここの金じゃねぇ。米ドルでだ」

「へぇ、いよいよ本腰だな。ウチらも狙うかい?」

金にうるさい彼女が十分満足する金額にレヴィは目を輝かせていた。

「それだけ、マフィアも本気ってことね」

もっともな意見を口にしたのはロックの隣に座るクロウディアであった。

ツヴァイが張の護衛に付いているので稼ぎ頭がいない為、暇を持て余して飲みに来ていた。

「当然だろ、身内が何人も殺されてんだ、それで動かない奴らはクズだよ」

その隣では、リズィが数本目のボトルを開けている最中であった。

「へぇ、随分仲間思いなんだなアンタ」

「ふん、別にそういうわけじゃない。仁義を守らない奴が許せないだけさ」

レヴィの言葉にリズィは興味なさげに答えるが、その言葉がレヴィにはお気に召さなかったらしい。

「はん、笑えるぜその台詞。ジャパニーズギャングムービーの見すぎだな、姉ちゃん」

「ああ!?なんか言ったか刺青娘!!」

自分の信じる正義をバカにされたリズィの眉がつり上がる。

「言ってくれんじゃねぇか、ゴリラ女。喧嘩ならタダでも買うぜ?」

「やめろよレヴィ、こんな所で喧嘩するなって!」

「やめさないヴィレッタ」

安い挑発に乗るレヴィに応えようと立ち上がるリズィにそれぞれのブレーキ役の二人が声を上げる。

「・・・・チィ」

「・・・・クソが!」

抜きかけた刃の出鼻を挫かれた二人は忌々し気に舌打ちしながら席に戻る。

「・・・で、見当はついてんのかい?」

絶妙のタイミングでバオが話題を切り替える。

バオに言葉にレヴィは肩をすくめながら答えた。

「いんや、余所者なら分かるはずなんだけどね」

グラスを傾け直し、レヴィは肩を竦めながら答える。

「そう・・・・余所者がいたらすぐにわかる。そんなにでかい街じゃない。ラブレスのメイドの時がそうだった」

その言葉に賛同したのはロックであった。

「・・・・・・・・」

嫌な過去を思い出したのか、クロウディアの表情が曇るがその時のキレ具合を知る者達は、あえてその話題を掘り下げようとはしなかった。

「そいつが見当つかないってことは、誰かが囲ってるってことだ。しかし、誰かは分からねぇ、おかげでみんな疑心暗鬼だ」

「まぁ何でも構わねぇけどよぉ、とばっちりだけはごめんだぜ」

レヴィの言葉にバオはうんざりしたようにグラスを磨きながら呟く、事あるごとに店が半壊又は全壊の被害を被っている店主としては当然の台詞だった。

「心配性だぜバオ、ここは中立地帯なんだ。誰も手を出さねぇよ」

「あなたが言う台詞じゃないわね・・・・」

もっともだと皆、クロウディアの言葉に頷く。

「な、何だよ?」

うろたえるレヴィにメンバー全員の冷たい視線が突き刺さる。

「中立地帯とか言って、一番この店ぶっ壊してる奴が何言ってやがる」

「あ、あたしじゃねぇよ!!」

「どうだかな、ここの修理代の大半はお前さんがぶっ壊したもんだからなぁ」

「バ、バオまで何言ってやがる!?ロック!なんか言ってやれ!!」

「あはは・・・・」

レヴィの救援に流石のロックも乾いた笑みを浮かべるしかなく、それが大いにレヴィの怒りを増長させる引き金をなった。

脇に引き下げた愛銃に手を掛け掛けたその時、場の空気を見事にぶち壊すに相応しい陽気さだった。

「よぉ~~、二挺拳銃にアースラのご一行さん。相っ変わらずシケタ酒飲んでんなぁ、どうよ景気は?」

ミニスカートにホットパンツという露出が高い服装にも関わらず、豪快に足を広げながらレヴィの横に座るのは、金髪にサングラスの女であった。

「エダ!?て、てめぇ」

「あら、お久しぶりね」

「え?誰?」

瞬時に女の正体を察したレヴィとクロウディアとは違い、ロックは数瞬記憶の中にある人物と目の前の人物が合致しなかったが、

「あ!暴力教会のシスター!?」

この街で唯一の教会。同時に武器の販売を認められている組織に所属するシスターの名を口に出す。

「なぁによ~色男も一緒じゃん、ハァ~イ元気ぃ?こんなイノシシ女と飲んでないであたしと遊ばなぁい?」

「日でってるからって男漁りに来てんじゃねぇよ、殺すぞ!?」

「お~怖~い、聞いた色男?こいつってば万年生理不順なのよ」

相方にちょっかいを出されたのが気に食わないのか、レヴィはエダに噛みつくように威圧するが、エダはそれを飄々と軽口で返す。

「おぉ?エダ、表出ろ!言いから表出ろ!」

「活きんじゃねぇよ二挺拳銃、喧嘩しに来たんじゃねぇよ、いい話がんあんのよ。金になる話」

完全にレヴィを弄ぶようにエダは軽薄な笑みを浮かべ、次の話に移る。

「犯人狩りの話だろ?」

「ありゃ?」

予想外のレヴィの反応にエダは素っ頓狂な声を上げる。

「レヴィとその話をしてたところだ。この街で知らねぇ奴はもういねぇよ」

「あっりゃぁ、そうなの?なんだぁつまんねぇ」

だがそれならば話は早いと、エダはそれまでの気配を一変し、この街に相応しい肉食獣の様な殺伐とした声色で語りかける。

「気の早いのはもう動いてるよ。マフィアは当然として、フリーの殺し屋も集まってきてる、聞いた所じゃユン兄弟、“ビッグワン”・エミリオ、ロニーCK」

「すげーな、殺し屋の見本市だ」

錚々たる殺し屋の名前にバオは顔を顰める。また厄介な者達でこの街が騒がしくなりそうだ。

「他の連中もだ、味噌っ歯ジョニーなんて傑作だぜぇ、うちに象撃ち用のライフル注文しに気やがった。何考えてんだかな」

「相手が恐竜とだとでも思ってんじゃねぇの?あんなんで人撃ったら粉になっちまうよ」

呆れ果てた様に吐き捨てるレヴィに、同様の笑みを浮かべるエダ。

どうやら味噌っ歯ジョニーと言うのは、おつむの足りない方面で有名の様だ。

「で、それがどうしたの?」

そんな与太話をしに来たのではないだろう。

クロウディアの言葉にエダは女豹を思わせる獰猛な笑みを浮かべる。

「ぼやぼやしてると持って行かれちまうぜぇ?5万は惜しいよレヴィ?」

「まったくだ、他に新ネタはねぇのかよ?エダ?」

同様の笑みを浮かべるレヴィが新たな情報を求めるが、それにエダの表情が僅かに曇る。

「・・・・・・一つあるぜ。今朝早くブラウンストリートのカリビアン・バーが潰された。ホテル・モスクワは臨戦態勢に入ってる。」

「!?」

その言葉に、一同の表情が驚愕に歪む。

犯人の行動は明らかに挑発の域を超えていた。

事実上の宣戦布告である。

「部下をやられた火傷顔はカンカンだとさ」

店の外では空を覆う雨雲がロアナプラを侵食しようとしていた。









「やれやれ・・・・厄介事ってのはこっちの都合を考えてくれないもんだな」

三合会の事務所の一室で張は部下の報告にうんざりした様に煙草に火を付けた。

護衛を任されているツヴァイは、常に飄々とした態度である彼が珍しく疲れを隠さない様子に部下からの報告内容が余程のものであったのだろうと予測した。

「どうかしたのか?」

「バラライカの大切なお仲間が例のイカれ野郎にバラバラにされたらしい。バラライカのお嬢さんは片手で地球を真っ二つにするロボットよろしく、怒り狂ってる」

「・・・・・・・・一つ聞いてもいいか?」

日にちは短いが四六時中行動を共にしていると、彼の理念がおのずと理解でき、意を決してツヴァイは心の内に秘めていた疑問を張に投げかける。

「なんだ改まって?雇われの身とは言え短い付き合いじゃない遠慮せず言えよ」

いつもの飄々とした態度に戻り、張はツヴァイに質問を促す。

「なぜ、そこまでバラライカに肩入れする?」

彼の基本的にロアナプラの平穏を求めていた。

些細な争いごとならこの街の日常茶飯事の光景だが、今のバラライカはそれ以上の厄災をこの街にもたらしかねない。

そこまでの危険人物を共同歩調とる必要性がツヴァイには感じられなかった。

「・・・・・・・」

不躾な質問だったのか、それとも張も質問の意味を噛み締めているのか判断がつきにくい表情で張は短くなった煙草を灰皿に押し付け、新たな煙草に火をつける。

「お前、この街に来てどのくらいたつ?」

僅かな沈黙の後、張は静かに口を開く。

「もうすぐ一年になるが・・・・それが?」

「この街は悪党共が年中、角を突き合わせているこの世の果てだ。そんな街が正義の味方気取ってる奴にどう写ってるか知らない訳じゃないだろ?」

「それは・・・・まぁ・・・」

あまりにも今更な事を言う張の言葉の真意がつかめずツヴァイは曖昧な返事を返す。

この街の正義の味方ですら賄賂で大抵のことには目をつぶる悪徳警察官ばかりであり、マフィアのマンハントにも参加するなど、実際そこらのアウトローと何ら変わりはない。

それはともかくとして、張が言っているのは世界的に見ての話であろう。

この背徳で作られた街を世界の平和を願っていると口では大仰な事をほざいている大国の事であろう。

「そいつらは俺達が弱るのを手ぐすね引いて待ってるのさ。
ツヴァイ・・・・俺達が今ここにいられるのはな。この街が砥がれた刃の上でダンスを踊るみたいな微妙なバランスのお蔭なのさ」

「・・・・・・・」

「俺は出来るだけそのバランスを崩したくない。その為だったらイカれた戦争屋とも仲良くランチパーティでもなんでも開いてやるさ」

煙を吐きながら張は、笑った。

個人的な感情よりも第一に考えるのは自分の身の安全だとこの男は、平然と言ってのけた。

この男はこれまでにツヴァイが見てきた誰よりも狡猾で油断のならない人物である、三国志に出てくる軍師にも匹敵しよう。

その時、部屋のドアがノックされ黒服の部下が入って来た。

その表情は険しく、手には電話が握られていた。

「張大哥、お電話です」

電話を受け取る張の表情は、電話の向こう側にいる人物の見当は大方付いているようであった。

「俺だ。やぁミス・バラライカ、話は聞いたよ。まずは誇り高きソ連軍兵士に哀悼を・・・・あぁ、別にそんなつもりはないさ。サハロフは何度か顔は合わせてたからな・・・・」

当たり障りのない会話の後に張の声色が僅かに硬くなるのをツヴァイは見逃さなかった。

「分かった・・・・場所は?・・・・あぁ、人払いは済ませておくよ。それじゃ・・・」

電話を切るなり張は掛けてあった愛用のコートに袖を通す。

「さて、出かけようかツヴァイ」

「どこに?」

「なぁに、ちょっとしたデートだよ」



[18783] 11話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:24c66fbd
Date: 2010/08/29 17:02
「人払いは済ませた、張?」

雨の降りしきる港の倉庫街の中心に三人の人影があった。

三合会の張維新、「ホテル・モスクワ」のバラライカ。

そして、アースラのツヴァイ。

「あぁ・・・デリケートな会合だ。これがデートだったら歓迎するがね」

本来なら二人だけの会合の話だったが、張の意向でツヴァイも同席を許されていた。

「血の匂いをさせながらマチネと洒落込むわけにはいかないでしょ?張。連中の正体が割れたわ。」

予想はしていたが、バラライカの台詞にツヴァイは表情と共に、張は内心のみで驚愕した。

「なるほど・・・・興味の沸く話だ。どうやって割り出した?」

内心とは裏腹に張はいつもの飄々とした声で先を促し、いつもの葉巻でなく細身の煙草を取り出しバラライカは続ける。

「最終的にはローワンの扱商品から・・・・」

「オピンク屋のローワンか・・・・奴を君のオフィスに呼んだのか?奴は死ぬほど怯えていただろう」

「パンツの中にでかいやつを生みださんばかりに」

「不幸な男だ・・・・」

その点に関してはツヴァイも同感だった、バラライカの事務所に連れ込まれるなど考えただけで恐ろしい。

「彼に求めた内容はルーマニア人の双子が出演しているキッズビデオ、又はスナッフビデオ。彼に用意できたのは250本」

「ふん・・・・それもまた不幸」

これは本心であろう、張の苦痛の表情がそれをマジマジと語っていた。

「変態御用達の250本に丸一晩と半日かけて格闘し、そしてビンゴを引いたのよ」

煙を吐きながらバラライカは淡々と語るが、ツヴァイにはその内面までは察することはできない。

軍人ならではの感情制御なのか、本心から何も感じていないのか、それすらもツヴァイには読み取ることはできなかった。

「ヘンゼルとグレーテル・・・・・ビデオの中でガキどもはそう呼ばれていた。ルーマニアの政変以降維持できなくなった施設から闇に売られた多くのガキども、死んだ独裁者の落とし児達」

「ド変態共の玩具にされ、果ては豚の餌になる。本来そうなる運命のガキどもがなぜ逃れた?」

「ふん。バカどもが余興のつもりで始末の肩棒を担がせたのよ。自分達と大して違わぬ生贄達の後始末の。ガキどもは生き伸びるために変態共の喜ぶ殺し方を必死になって覚え、夜を一つずつ越えて行き、そして、いつしか全てを受け入れた。青空の世界を去り、暗黒の闇へと落ちて行った」

「ふふ、ビデオの見世物曲芸犬か・・・・ふ、酷い話だなぁ」

胸糞の悪くなる話だが、これが現実でありそれが自分達の生きる世界である。

「俺達の世界にこそ相応しい。俺は時々ドでかいクソの上を歩いている気分になるよ。俺には道徳やら正義やらは肌に合わん。背のテの言葉はケツから出る奴に驚くほど似てやがるそのガキ共に同情するのはミサイル売りながら平和を訴えてる奴とどっこいだ」

「知ってることを話したまでよ。私達に正義はいらないわ、いるのは利益と信頼だけ」

何時もの冷静に合理的に物事を判断する女帝は、興味なさげに呟き煙を吐きながら張に茶封筒を差し出す。

「ローワンから先は簡単だったわ」

「なるほど・・・こいつが卸元か、身内から死人が出てりゃ立派なアリバイだな」

中の書類に目を通し、張はうんざりした様に呟く。

「所詮は見世物・・・・躾が出来ているわけないわ、周りに迷惑を振り撒いてはクソをこしらえる。お宅の組員は煽りをくらってやられたのよ。」

「理由はどうあれ・・・・ケジメはつけてもらうさ」

バラライカには及ばないにしろ、張にも部下を殺されて思うところがあるのだろう、サングラスの奥にある瞳には私怨の炎が灯っていた。

「そろそろ街の色合いを変えるころ合いだと思わない・・・張?」

その炎を嗅ぎ取ったのか、バラライカはどこか嬉しそうに煙草の先端を光らせる。

だが、張の心にはすでに別の心配ごとに向いていた。

「連絡会の意味がなくなるな・・・・もう一度戦争を呼び込むのか?」

「調律された戦争だと言ってほしいわね。理由も動機も成り立つわ」

「正しい戦争と言う訳かい?奇麗事を言うタイプじゃないと思ってたがな」

張の皮肉にバラライカは以前張の口にした台詞をそのまま返す。

「口実として正しいかどうかよ、正義かどうかは犬に食わせれば?・・・・組むか忘れるか、あとはあなた次第」

その言葉に腹が決まったのか、張の表情と口調がいつもの飄々としたものに変っていた。

「まぁな、本国に申し奉るまでもないか、この世に信奉すべきは剛力のみ、ただ一つ」

その張の姿をさも頼もしそうにバラライカは、

「久しぶりにガンマン姿が見られるかしら?期待してるわ・・・・ベイヴ」

と、聞きなれない単語を口にする。

「鉄火場に立つのは嫌いじゃないがね。今の俺には立場がある。面倒なもんさ・・・・・」

煙草を咥えニヒルな笑みを浮かべる張は踵を返しながら続けた。

「あぁそれと、俺のことをベイヴと呼ぶな。嫌いなんだその渾名は」

控えさせていた車に乗り込み、張は隣に乗り込むツヴァイに、

「これで犯人の面は割れた。お前達の疑いも晴れたわけだ、もう護衛を頼む必要もないもないわけだ」

忘れかけていたが張にツヴァイが付いているのは、この一件の犯人ではないかと疑いを掛けられておりその監視対象としてツヴァイが護衛という名目で行動を共にしていた。

だが、

「いや・・・・・ここまで首を突っ込んだんだ。最後まで見届けさせてもらうさ」

そのツヴァイの言葉を読んでいたのか、張は満足げに頷き、

「それならもう一仕事頼むとするかな」













闇が支配しているロアナプラこそ本来の姿である。

立ち込める硝煙の匂い、広がる血痕から立ち込める錆にも似た血の匂い、事切れる刹那の匂い。

夜の闇はそんな人間の醜い部分も塗り潰してくれる。

そして、日に背を向けた者達の末路が最も似合うのは夜である。

ヴェロッキオ・ファミリーの事務所を見上げる張の横顔を見ながらベレッタのマガジンを確認するのは、成り行きとは言え三合会と共闘関係を結んだツヴァイだった。

目的はヴェロッキ・オファミリーの壊滅。

このロアナプラを恐怖に陥れた張本人を招き入れた事は双子にホテル・モスクワへの襲撃を命じていたのはヴェロッキオ・ファミリーである事はバラライカから貰った情報により明らかだった。

本来ならこの襲撃もホテル・モスクワが請け負うはずなのだろうが、三合会も少なからず被害を被っており、その落とし前をつけるのにバラライカの承諾を取り付ける必要はない。

張を筆頭に三合会から派遣された人数は十数人。

皆思い思いの銃を肩から下げ、張の突撃命令を今か今かと待ち構えている。

訓練のされていないのは多少気になるが、それは向こうも同じ条件であると同時にある程度の訓練不足もマフィア特有の神風精神で何とかなるであろう。

「張大哥、ビルの周りは完全に固めました、あとは大哥が号令を」

部下の一人が痺れを切らしたかのように張に報告をするが、肝心の張は気のない返事を返すだけで未だ見上げたヴェロッキオ・ファミリーの事務所の窓から零れる光を見つめていた。

「・・・・・?」

その不自然さにツヴァイは愛銃から視線を張と同じものに移す。

「・・・・・」

見た所何も変ったところの無い平凡な事務所であったが、あまりにも静かすぎた。

ローワンがバラライカの事務所に連行された情報はすでにヴェロッキオにも届いているはずだ。

それなのにこの静さはあり得ない。いくらヴェロッキオが自信家であろうがホテル・モスクワの襲撃を警戒しないのは自信でも何でもない、ただの馬鹿である。

そんな者がこのロアナプラどころか仮にもマフィアの支部長を任されるはずはない。

「周」

名前を呼ばれた部下が返事をするのが早いか、張はすでに次の言葉を紡いでいた。

「頭を低くしてた方がいいぞ」

瞬間、張とツヴァイが見上げていた事務所の窓が盛大に割れ、それと同時に大柄な影がそれまで張が乗っていた車の上に加減なしで落ちてきた。

「ヴェロッキオ・・・・」

落ちてきたのは事務所の主でもあるヴェロッキオであった、確認するまでもなくすでに事切れていた。

それ合図と言わんばかりに次々と悲鳴と銃声が事務所から轟き始める。

「ホテル・モスクワに連絡しろ。奴には恩を売っておきたい」

落ち着き払った声で張は慌てふためく部下達に命令を下す。

手間が省けたとは言え頭上で銃撃戦が繰り広げられているのにも関わらずこの男は三合会の利益を忘れてはいなかった。

「張大哥、ホテル・モスクワより連絡が、状況は危険退避しろ。と」

仕事の早い部下にツヴァイは感心したが、張はつまらなそうに咥えた煙草を燻らせ

「ふん、賢いやつだな」

と、吐き捨てた。

「どの道もう遅いがな・・・・周、伏せろ」

その言葉の直後、事務所の出入り口であるドアが音もなく開いたのをツヴァイは確認した。

「「伏せろ!!」」

ツヴァイの右手のベレッタと張の愛銃の競技用ハンドガンであるベレッタM76カスタム(には象牙のグリップに龍と『天帝』の刻印が施されている)天帝双龍(ティンダイションロン)が火を噴くと同時に叫ぶが、それの意味を把握する前に部下達は入り口から吐き出される銃弾により蜂の巣にされた。

応戦する二人を嘲笑うかのように入り口から飛び出してきたのは、まだ年端も行かぬ子供の男女であった。

見れば喪服のような黒い時代がかった服を着た双子なのであろう、そっくりの顔を持つプラチナブロンドの髪の少年、特に少女はその体に見合わぬ大柄な銃BARを軽々と振り回しその銃口から凶悪な銃弾を撒き散らしていた。

いくらこちらの射撃精度が相手を上回っていたとしても、機関銃からの毎分300発と言う銃撃を無差別に受けては狙いの付けようがない。

子供ならではの身のこなしも相まって、二人の銃から吐き出される弾は全て事務所のコンクリーで作られた壁に空しく食い込むだけであった。

遂に銃の弾も切れ、反撃手段の無くなった二人は背後の車の陰に滑り込むように身を隠した。

「あは、やるぅ~♪なかなかよ」

姿は見えないがそれまでBARを乱射していた女子の声であろう未だ幼さの残る可愛らしい声が投げかけられる。

話には聞いていたが、この二人がロアナプラを震撼させた殺人鬼であるとは実際に目にしたツヴァイでも信じ難かった。

「ありがとよ、お譲ちゃん」

忌々し気に張は返すが、三合会の二丁拳銃使いたるベイブの名が形無しであった。

「残念だけど、今は関わってられないの・・・・また今度ね!!」

まるで家から友達の家に遊びに行くようなうかれた声を残し、双子は夜の闇の中へ消えて行った。

「まったくホッとする」

それは、双子の戦力に「ぞっとする」と言い間違えたのか、双子が去って「ホッとした」のかツヴァイには張の言葉の判断が付かなかったが、それよりもあの双子を追うことが優先である。

飛び出しかけるツヴァイに張の言葉がそれを止める。

「もういい、追うな」

「なに?」

意外な言葉を理解するに数瞬の間を必要としたツヴァイに張は平然と返す。

「あとはバラライカに任せるさ、俺達の仕事はあくまでヴェロッキオの始末だけだ。それはさっきのガキ共がしてくれたんだ」

そう言って張は短くなった煙草を踏み消した。

いつものイエローフラッグのカウンターに見慣れた背中を見つけ、ツヴァイはロックの隣に腰を据えいつもの酒をバオに注文した。

「どうした?」

「・・・・・」

ツヴァイの言葉にロックは無言で答えた。

その瞳には絶望の色が色濃く、放って置けば今にもナイフで自分の首を掻き斬らんばかりであった。

ロックがそのようになった原因の大方の予想は付いている。

例の双子。

男の方はバラライカの手によって射殺され、ラグーンの手によって難を逃れたと思った女の方も逃亡先を手配する手配人によって殺されたと聞いている。

いくら殺人鬼と言え、年端もいかぬ子供が目の前で殺されたのだ。

悪党見習いと言えるロックには些かショックが強すぎたようである。

掛ける言葉も思いつかず、酒の注がれたグラスを傾けること数度、消え入りそうな声でロックが口を開いた。

「・・・・・世界は本当は君を幸せにする為にあるんだよ・・・・血と闇なんか世界のほんの欠片でしかないんだ・・・・総てなんかじゃないんだ」

「・・・・・」

「なんて俺・・・・あの子に言ったんです。偉そうに・・・・」

「そうか」

「そしたらあの子・・・・・俺に・・・・御礼って」

泣き出しそうなロックを横目にツヴァイはグラスを傾ける。

自分の信じていた物と真逆の価値観を持つ世界に放り込まれた絶望はツヴァイには分からない。

記憶を取り戻した時に過去は過去と割り切った自分だが、誰もがそう割り切れるわけではない。

寧ろロックの反応が当然なのだろう。

「ったく、いつまでウジウジ悩んでやがんだこの馬鹿が!」

どこから現れたのかレヴィが呆れたように現れ、ロックの背中を盛大に叩くが当のロックの反応はなかった。

「よう!兄ちゃんこのヘタレ野郎になんか言ってやってくれよ。あのガキの一件以来ずっとこの調子なんだ」

ツヴァイの反対側にロックの隣に座りレヴィは煙草に火をつける。

「俺が言えることなんて何もない」

にべもないツヴァイの返事にレヴィは忌々し気に舌打ちを返すが、どのような反応を返されてもないものはない。

自分が望む望まないに関わらず、この街で生きていくと決めた時から彼は闇の住人となったのだ。

その世界のルールが納得いかないならばその世界から逃げ出すしかない。無論、それは死と言う対価を払ってからの話だが。

「約束したんだ・・・・・」

「約束?」

「ランチバスケットを持って・・・・」

ランチバスケットの下りは分からないが、約束と言う単語にはツヴァイの中に引っかかるものがあった。

過去に自分も一つの約束を果たせなかった。

思えばあの双子ぐらいの年齢だった。

無邪気に笑い、自分に尽くそうと懸命だったツインテールの少女。

『帰ってきてね・・・・・約束だよ』

そう言って自分を見送りそれ以来合うことの無くなった少女。

「キャル・・・・・・・・」

「え?」

「なんか言ったか兄ちゃん?」

自分でも意識せずに口に出してしまっていたらしい、怪訝そうに眉をひそめる二人。

「いや・・・・」

この二人に話す事でもないし、自分も記憶の奥深くに押し込めていたことだ。呟くと同時にツヴァイは席を立つ。

今日の酒は良くない。

「ロック、お前が何を苦しんでいるのかは俺には分からないが・・・・・」

振り返ることなく告げるツヴァイにロックは視線だけを向けている。

「その子のことを忘れるな、それが生きてる俺達が死んだ者に出来る唯一の事だ」

それだけ言ってツヴァイはイエローフラッグを後にする。

それは果たしてロックに言ったのか自分に対して言ったのか、今のツヴァイには判断がつかなかった。



[18783] 12話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:6dd49653
Date: 2010/08/29 17:17
背徳の街・ロアナプラ。

ここには悪党の中の悪党により作られ、悪党のルールで支配され、悪党しかいないこの世の果て。

そんな街でも地球と言う天体も上にあることには変わりない、それも熱帯性のタイにあるロアナプラの気温は年間を通して高い。

それでも今日の気温は異常である。

世間ではエルニーニョがどうこう、オゾン層がどうこう言っているが原因なんてどうでもいい、とにかく暑いのだ。

クロウディア・マッキェネンは万屋アースラの事務所のソファにパンツ一丁で寝そべっていた。

本来ならこんな恰好で事務所にいれば相方であるツヴァイやリズィの小言が飛ぶが、そんな二人もこの暑さにうなだれていた。

「まったく、あの女のせいで~!!」

余計に部屋の温度を上げそうな怒声を上げ、投げ出した長い脚をテーブルに乗せジタバタと暴れさせていた。

本来なら備え付けのエアコンがこういう時にこそ役立つ時なのだが、生憎その神器は昨夜訪れた野蛮な女の銃弾によって穴だらけにされていた。

その女は今頃、こことは違い空調の利いた部屋ですやすやと心地よい寝息を立てているだろうが、それを目の当たりにしたら機関砲で粉微塵にされても文句は言わせない。

そんな中、事務所のドアが乱暴に叩かれた。

「お~い開けてくれ~!ラグーン商会のレヴェッカだ。入れてくれや~部屋のエアコンぶっ壊れっちまって死にそうなんだ!!」

その声を聞くなりクロウディアの怒りは瞬時に臨界点を超えたのをツヴァイは感じ、持ち前の瞬発力を全開にして扉を開くと向こう側で叫んでいる野蛮な女の手を引いて走り出していた。












「羊飼いの獲物は何だ~?」

「あ~?」

イエス・キリストの石膏像がつるされた礼拝堂で気の抜けた質問が響き、それに答える声もまた気の抜け具合が半端ではなかった。

暴力教会、この街で唯一武器の扱う商いを認められている組織がこの教会であった。

他の街でこの教会のことを言ったら、熱心な信者は卒倒するかまるで信じないかのどちらかであろう。

それだけ現実離れした話であるが、このロアナプラではその現実離れが常識として扱われる。

元々神など信じないツヴァイであるが、仮にもシスターを名乗る人物が昼間から礼拝堂で酒を煽っている姿を見れば神に多少の同情を禁じ得ない。

ここに来たのはほんの一時間前、アースラを訪れたレヴィが他に涼む場所はここしかないと連れられた場所。

だが、二人を出迎えたのはエアコンが壊れ、只でさえ暑そうなシスター服に身を包んだエダだった。

他に涼む場所も思いつかず、一番日の当らない礼拝堂で一杯やろうと言う話になり三人はグラスを傾けていた。

だが、神の威光も暑さの前には役に立たず、用意した氷もすでにその形を水へと変えていた。

エダとレヴィは先ほどの問答からいつの間にか罵り合いへと発展していたが、ツヴァイにそれを止めるような元気も質問の内容を聞き返す余裕もなかった。

すでに酒瓶数本を開けているにも関わらず、アルコールは暑さで吹き出す汗となって体内には少しも溜まらない。

「あ~!あっちいな!!くそ!」

神の前でも平気で汚い言葉を吐き出すレヴィは、昨夜酔ってアースラに現れ、なぜか忘れたが癇癪を起して自慢の愛銃を惜しげもなくぶっ放し、事務所のエアコンを破壊しただけでは飽き足らず、自分の部屋で飲み直しそこでもエアコンをスクラップにしたらしい。

天罰と言うものが本当にあるのならばこの女にこそ相応しい。

ツヴァイはわりと本気でそう思いながら新しい空瓶を作り上げるべくグラスに注がれ、すでに生温くなった琥珀色の液体を飲み干した。

「ハロー!ハロー!追われてるの!助けて!」

思いっきり礼拝堂のドアを叩かれる音が響いたのはそこから数分後の事であった。

困ったことがあれば教会に逃げ込むなどそんな甘い考えを持つ者はこの街にはいない、この街の者ではないことは明らかだが、残念なことにそんな者に優しく手を差し出すシスターは生憎この街には存在しない。

「呼んでるぜ?」

声からしてかなり切迫しているのは分かるが、レヴィの反応は「めんどくさい」の一言で表せられた。

「営業時間外だよー!」

扉に叫ぶエダも同様である。いや、レヴィよりも声が大きいだけ幾分ましだろう。

ツヴァイに関しては無反応に酒を煽り続けている。

そういう街でそういう教会だ。

だが、そんな三人の反応空しく扉の向こう側では扉を叩く騒がしい音とヒステリックな声の協奏曲が奏でられており、収まる気配はなかった。

誰ともなく自然とじゃんけんをする三人。

結果はツヴァイ、レヴィがグー。

エダはチョキ。

「開けて!開けて!お願い此処を開けて!」

その途端、扉が勢いよく開かれて、先ほどまで騒いでいたであろう女ははその勢いにひっくり返って扉の前の草の上を一回転しかけた。

「ヨハネ伝第五章でイエスが言ったの知ってっか?厄介ごとを持ち込むな、このアマ、だよ」

「え、ここ、教会でしょ?」

起き上がった女はとても教会関係者とは思えない発言をしたエダを放心した表情で見上げていた、一般的な常識を持っているなら当然の反応なのだろう。

そもそも、紫のサングラスを掛けたシスターなど聞いたこともない。

「だから?」

そう言って冷たくエダは踵を返した。

「神は留守だよ。休暇とってベガスに行ってる」

「お願いよ、追われてるの!この街じゃ誰も当てにならないし、私はこの街の人間じゃないし、教会なら何とかしてくれるはずって・・・・」

一体、どこの誰がこの教会を勧めたのだろうか。

恐らくは教会を探すこの女が暴力教会の一員だとでも思ったのだろうが、そんなことは関係ない。

彼女の必死の思いの哀願も目の前のサングラスをしたシスターには微塵も影響を与えた様子は感じられなかった。

「信じられない!あなたそれでもシスター!」

彼女は遂に怒鳴り散らした。

しかし、エダの回答はシスターとしては勿論、人間としての温度さえ感じさせなかった。

「審判の日にでも来るんだね。そうすりゃ・・・」

エダの言葉を遮ったのは女の声ではなく、一発の銃声と銃弾、そしてドアの一部を抉りレヴィの持っていたグラスが割れる音だった。

「ジェーン。手間を取らすな。さ、おうちに帰る時間だ」

女の背後から男の声が聞こえる、この教会に銃弾を撃ちこんだ命知らずの者だと疑いの余地もない。

「ミスター・エルヴィス!銃はやめてくれ!ここはあんたの知るような街じゃないと何度・・・・」

あの男の名はエルヴィスと言うらしい、どこのロックスターかと思ったがこの男からはワイルドさよりも気品の無さしか見えない。

それよりもエルヴィスを嗜めた初老の男が、この街のルールを弁えているロボスであることの方が関心が大きい。

「尼さん。その女に話がある。少しばかり・・・・・」

「エダ!!」

エルヴィスの言葉を遮り、レヴィは走り出していた。

片手にはテーブルに置かれていたはずのエダのグロッグを握りしめて。

レヴィからバックホームの様に投げられた銃を振り向くことなく受け取り、ホルスターから引き抜く。

「おっしゃぁぁ!!」

グロックとソードカトラスが火を噴きエルヴィスとその部下達が乗り合わせた車が穴あきチーズと化すのに数秒とかからなかった。

「元気な奴らだなぁ・・・・」

呟くツヴァイをよそに怒り狂った二匹の女豹は、盛大に銃の狂乱を作り出していた。

「あたいらに手を出した馬鹿たれにゃ!」

「それなりの覚悟をしてもらうぜ!」

「テメェら撃ち返せ!!」

エルヴィスが部下に号令を出すが、ロボスは「野郎ども撃つな!絶対に撃つな!!絶対に撃ち返すな」と、命令を撃ち消していた。

仕掛けてきたのはあちらなのでこの街のルールに従えば、殺されても文句は言えない。

相手はこの街でも名うて暴力教会。

この街ならば真っ先に相手にするの避けるべき筆頭に挙げるべき名前なのだが、この連中はそれすらも理解していない。

「姐さん!!加勢に来ました!!」

騒ぎを聞きつけたのか、奥の扉からM60機関銃を担いだ若い男が扉に向かって走って行った。

「シスターって呼びな!このボケぇ!!」

グロックから銃弾を吐き出し怒鳴りがらもエダは男の参を認めた。

「見ねぇ顔だな?新入りか?」

カトラスのマガジンを交換しながら詰問するレヴィに男は、どこかあどけなさの残る笑顔を向け、M60に弾を込める。

「神父見習いのリカルドっす!レヴェッカさんのことは姐さんから聞いてます。俺のことはリコと・・・・」

のんきに自己紹介を始めるリコに再びエダの怒鳴り声が響く。

「リコ!!姐さんって呼ぶなって言ってんだろ!!」

姐さんと呼ばれるのが余程嫌なのか、エダの表情にはエルヴィス達に向けられる物よりも強烈な怒りが込められていた。

「レヴィ!!聞こえるか!?ロボスだ!!」

たまらずロボスが声を上げる。

それなりに名が知られている男の声に、レヴィとエダも思うところがあったのかそれまで引き金に食いこんでいた指から力を抜いた。

「銃を収めてくれ、手違いなんだ!頼む。こりゃちょっとした行き違いで・・・・」

隠れていた車から両手を上げ降参の意を表し、弁解するロボス。

だが、

「ザケンジャネぇぞぉぉぉぉ!!事故もヘッタクレもあるかぁぁぁ!!」

「当ったり前だぁぁ!!小便野郎!!教会にブリット撃ちこんで五体満足で帰ろうなんてムシが良すぎンだよ!!」

すでに理性など月の彼方に吹き飛んでいる二人には意味の無いものであった。

再び銃弾を撒き散らす三人を眺めるツヴァイの横に音もなく立っていたのは、この暴力教会のボスである、シスター・ヨランダだった。

「おやおや、これはなんだい?・・・・やれやれ」

エダと同じシスター服に身を包む隻眼の老婆だが、百戦錬磨の風格を漂わせる人物。

真意の読めない笑みを浮かべ、ツヴァイの手に握られていたグラスを取り上げると反論の許さない声色でツヴァイに語りかけた。

「ここで、こいつをやるなと言っておいたんだがねぇ・・・・」

「初耳なんだが・・・・」

自分はエダに誘われて飲んでいただけであるが、なぜか自分が悪いことをしたような気分にさせられた。

「まぁいいさ・・・・その前に」

まだ中身の入ったグラスを放り投げ、ヨランダは懐からエングレーブ(彫刻)入りゴールドメタリックのデザートイーグルを取り出した。

どんな趣味だと突っ込みたくなるが、今は黙っておいた方がいいだろう。

「こいつらをベテシメシの連中と同じ目に合わせてやらなくちゃね・・・・」

旧約聖書サムエル記に記されている街の名で、神様の箱を覗いた70人の村人が神罰で死んだ話を引き合いにしヨランダは愛銃の引き金を引いた。

撃ちだされたマグナム弾は、見事に車のタンクを撃ち抜き盛大な炎の柱を作り出した。

銃弾の饗宴が終わったのは、そこから数分もしない時間だった。

ロボスがエルヴィスを引きずりながら引き上げて行ったのだ、去り際のエルビスは、「覚えてやがれ!!」などと、三流以下の捨て台詞を残して行った。

「やれやれ、修理代は誰持ちだい?弾代もだ。金ばっか出て行くねぇ・・・・冗談じゃない」

扉に開けられた穴をさすりながらヨランダはうんざりした様に吐き捨て、これらすべての元凶であり、自分の足元で頭を抱えて震えているこの教会に逃げ込んだ女を見下ろした。

「さて、きっちり話を聞かせてもらおうかね、お嬢ちゃん」



[18783] 13話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:5e7838b6
Date: 2010/08/29 17:21
長ったらしい女の説明を要約すると、彼女の名前はジャネット・バーイー。

エルヴィスの依頼で偽札を製作していたが、その出来に満足が出来ずに延々彼らを待たせた結果痺れを切らされてしまい仲間が射殺され、身の危険を感じエルヴィスたちの元を逃走。

エダたちの元に逃げ込んできた。

と、言うことらしい。

自己顕示欲が強いのか、いちいち説明が長い。

その説明もマニアックすぎて、ツヴァイ達には偽札を作る技術を事細かに説明されても興味も関心も一切ない。

だが腕は確かしく、レヴィ達に本物と偽札の区別をさせたところ見事にハズレを引かせてみせた。

だが、いくら腕が確かであろうと、

「そりゃお前が悪い」

「あぁ、まぁそうだよなぁ。決まりは決まりだ」

もっともなレヴィとエダの意見に一同が頷く。

期限以内に仕事を終わらせるのがプロと言うものだ。

出来が納得いかないなどと理由を付けてもそれは言い訳でしかない。

むしろプロであるならば、期限以内に自分の納得できる物を作るのが当然である。

相手はマフィアである以上それは何よりも厳守しなければならないところであろう。それが法に触れることならばなおさらである。

「ええ、理解なんてされないでしょうよ!!朝から銃いじくってるか、NYPDブルー見て暇つぶしてる様な人間にはね!!」

自分のしていることを多少は理解しているのか、ジェーンはバツの悪そうに叫ぶがそこにはさりげなく命の恩人に対する罵倒も込められていた。

「オプラ・ウィンフリー・ショーを見てるって言っても信じねぇだろ?正解は銃声の後で・・・・だ」

カトラスの銃口をジェーンに向け、レヴィは苛立ちも隠さずに言った。

自己中心的な性格もここまでくれば見事である。

そんな険悪な雰囲気を壊したのは、それまで煙草をふかしていたヨランダだった。

「神のお導きだ、実に運がいい、あんたに銃を突き付けている娘は逃がし屋だ。料金はその原版で手を打ってもいいんだがね」

そう言ってヨランダは、ジェーンの足元に置かれたカバンに目を配る。

そこには偽札を製作するのに絶対不可欠な原版が入っているであろうことは、子供でも分かる。

だが、ジェーンの返事は相変わらずだった。

「不完全な物は渡したくないわ・・・・」

こんな時にまで張らなくてもいい意地を張るのは、偽札造りのプロとしてのプライドか。

「でも・・・・」

それを何とか抑えつけようと苦悶の表情で妥協案を提案する。

「火急の時だし、確かに贅沢言えないけど・・・・・逃走費用とは別に三万ドルで買い取ってよ」

あろうことか、助けを求めてきた相手に商売の交渉を始めるジェーンだが、ヨランダの返事は取りつく島もなかった。

「じゃあ仕方ない、別の神様に頼むんだね」

「な!?神様に仕えてるんでしょあなた達!?」

それならば神様に仕えている物を買収しようとする自分はどうなのかと、突っ込みは野暮なので控えるがやはりこの女は、自分の置かれている立場やこの街の本質も何一つ理解していない。

「ルカ曰く、不誠実な金を使ってでも友人は作るべし。だ」

「構わねぇよ、エダ。勝手におっ死にな、姉チャン」

レヴィとエダの言葉こそがこの街の真実である。

人に何かを求めるのならそれなりの対価を払わなければならない。その相場が一般常識から外れていたとしてもそれがこの街の常識なのだから。

かつてツヴァイが住んでいた日本にこんな諺がある。

郷に入っては郷に従え。

それが彼女、ジェーンの噛み締めるべき言葉である。

だが、そんなことを彼女に言う義理もない、冷たい視線をむけるツヴァイの横をジェーンは足元に置いてあった自分のバックを掴み、肩をいからして通り過ぎる。

「あんたなんかの助けなんていらないわよ!窮地を助けてくれたことだけ感謝するわ」

「へーい、ちょっとお待ち。今夜のねぐらは?」

だが、意外な事にエダは彼女を呼び止めた。

「適当に探すわよ!」

自分を狙うマフィアがうろつく街に戻るなど死に行くようなものなのだが、彼女にはそんな考えは持っていないらしい。

「そこらのモーテルじゃ靴下脱ぐ前に新しいケツの穴こさえる事になるよ?」

もっともな意見にジェーンはようやく足を止める。

だが、他にどうすればよいのか分からず困った顔で振り返る彼女にエダは普段の彼女から考えられないことを口にした。

「さぁって、そこでだ。チャルクアンの市場を抜けたところに、ランサップインって安宿がある。教会から来たと言えば空き部屋に通してくれるはずさ」

「気持ち悪いわね・・・・」

訝しむ彼女の反応はもっともであった、それまで散々自分に冷たく接してきた人間が急に手のひらを返したように困っている自分の世話をしてくれるというのだ。

怪しまない方がおかしい。

「もち、ただとは言わなねぇよ?そこの盆に300ドルほど布施していきな」

その言葉になぜか得意気にジェーンは口元を笑みに変える。

「なるほど、腐っても教会だわ。それで手を打ちましょう」

エダの言葉通り、100ドル札三枚を盆に放り投げ悠々と教会を後にする。

「おいおいおい、どういうつもりだエダ?」

「あん?何が?」

レヴィの言葉はもっともだ、エダにまっとうな人助けの心などあるはずがない、それなりの見返りがなければ教会の名を語らせてまで彼女を助ける必要はエダにはない。

だが、ヨランダだけは違っていた。

「上々だシスター・エダ。金のなる木さ。見失わないように気を配りな!」

満足げに煙草をくわえた口元歪ませ、激励とも指示とも言えない言葉を吐き出す。

「イエス。シスター。田舎モンは扱いやすくていいわねぇ」

その言葉にエダも同様の笑みを浮かべ、懐から携帯電話を取り出す。

「あ!!お前!?」

エダが何を考えているのかは知らないが、あの顔は何かロクでもないことを企んでいる顔だ。

付き合いの長いレヴィはすぐに見抜き、抜け駆けされたことを悟った。

「よぉ~!リロイ久しぶり~!今チョロス共が追っかけてる女いるだろ?そうインド系の。あいつの居場所の相場どれっくらいだぁ?」

「テメェ汚ぇぞ!!」

自分が教えた場所を目指す人間の居場所を教えることで金が入るなら、これほど簡単な仕事はない。

エダならさらにせこいやり方で何らかの金を手に入れるであろう。

ツヴァイは彼女に初めて同情した。

腐っても教会と言ったが、彼女の言葉間違っている。腐っているがそれでも教会なのだ。



[18783] 14話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:4d47ff7c
Date: 2010/08/29 17:30
イエローフラッグのいつものカウンター席で肩を並べるのは右からツヴァイ、エダ、レヴィ。

「ん」

「ん」

「ん?」

左右から差し出される手にエダはグラスを傾けながら眉をひそめる。

「とげでも刺さったか?」

「ざけんな!あこぎな商売しやがって半分よこせ!!」

「同感だな、俺も金がない身の上だ。酒代分ぐらいは貰っても罰は当たらないと思うが」

恐喝犯の様なレヴィとは対照的に交渉人の様にツヴァイは金銭を要求する。

「お前教会で何にもやってねぇだろうが!!それで金貰おうなんて厚かましいにもほどがあるぜ!!」

自分の分け前が減ることに危機感を覚えたレヴィがツヴァイに噛みつくように叫ぶが、ツヴァイはその言葉にこめかみを引き攣らせた。

「誰のせいで俺が金欠だと思ってる!?」

「あん?」

今まで見たことないツヴァイの表情にレヴィは眉をひそめる。

「お前が昨日何をしたか言ってみろ!!」

「昨日?」

「おいおいレヴィ、お前何したんだ?この色男がこんなロブスターみたくなってるなんてよっぽどだぜ?」

エダもツヴァイの反応に辟易した様にレヴィに原因を思い出させる。

「昨日って・・・・昼は仕事で二、三人ぶっ殺して・・・・文句言ってきたロックを二、三発ぶん殴って・・・・夜は憂さ晴らしにイエローフラッグで飲んで・・・・」

「お前ロクなことしてねぇな・・・」

エダの言葉にレヴィは面白くないといった顔をするが、ツヴァイの表情を窺えば問題はその後の様であった。

「えと・・・・そのあとって・・・なんかあったか?」

どう頑張ってもそれ以降の記憶がひどく曖昧だった。

「覚えてないようだから教えてやるがな!お前はあの時ベロンベロンに酔っぱらってうちの事務所で大暴れしやがったんだ!!」

「え!?」

素っ頓狂な声を上げるレヴィにツヴァイの糾弾は続く、

「おかげで事務所を穴だらけにしてくれてな!エアコンも冷蔵庫も見事にオジャンだ!それによって俺の今月の小遣いもなしだ!!」

「え・・・・・!?」

呆気にとられるレヴィをよそにツヴァイは浴びるように酒を煽った。

「ま、まぁ、酒代ぐらい出してやるさ。レヴィ、ロックに車回してもらってんだろ?行こうぜ?」

「おい、エダ!?」

数枚の札をバオに渡し、エダは席を立つ。

内心ホッとしたのだろう、レヴィはそれまでの険しい表情から幾分柔らかい口調でエダを追いかける。

「その分の働きはさせてもらうさ・・・・」

ツヴァイも席を立ちエダ達の後を追う。

帰り際に妙に殺気立った連中と出入り口ですれ違ったカウボーイ気取りの格好をした男の事もしっかりと記憶していた。













「なぁ・・・俺たちはいったい何を待ってるんだい?」

細い裏道に止めた車の中の運転席でロックは眠そうな眼を半開きで呟いた。

助手席には未だエダの目的を教えられずにイラつくレヴィ、後部座席にはツヴァイとこれら全員に依頼を頼んだエダがニヤニヤと締りのない顔でふんぞり返っていた。

「時価総額でざっと100万ドルってとこかねぇ?」

すでにこの場所に車を止めて小一時間。

通る者といえば酔っ払いに、娼婦を連れた締まらない表情の男、たまに残飯を探してうろつく野良犬ぐらいである。

余裕綽々のエダに他の者達の反応は冷たい、レヴィは忌々し気に振り向きながら舌打ちし、ロックに関しては振り向きもせずに、

「そんなうまい話があるもんか・・・・また撃ち合い。撃ち合いがやって来るんだな」

と、心底げんなりして肩を落としていた。

「撃ち合いになるんなら御の字だぜ、そこのクサレ尼が金に目がくらんでるだけでよ。誰が来るか・・・誰も来ねぇよ」

「退屈しのぎにイキッてんじゃねぇよレヴィ、全てノープロブレムなんだよ。ねぇ~色男?」

身を乗り出して運転席のロックに絡むエダにロックは辟易し、そんなロックをレヴィは面白くなさそうに表情を渋らせていた。

「でも撃ち合いなんだろ?」

「いいじゃないのよ~別にあんたの体に穴が開く訳じゃないんだし~」

心配そうなロックに猫なで声で耳に息を吹きかけるエダに、

「ようエダ・・・・アゴ割っていいか?」

と、レヴィは握った拳を震わせていた。

そんなレヴィの反応がお気に召したのか、エダの表情が悪ガキの様に歪む。

「あ~ら、ジェラシーなんてアンタらしくもない」

「ふん」

ツヴァイにはよく分からないが、レヴィは俗に言うツンデレと言うやつなのではないのだろうか。

「そんなことよりも、いい加減に依頼内容を教えてくれてもいいじゃないのか?」

多少は嘯いているとしても100万ドルは言いすぎである。第一そんないい話をエダが一人占めしないはずはない。

「ま、時間もいい頃合いだ。そろそろこのロアナプラのとある場所でたった今起こってる事を教えてやるとしようかい」

ツヴァイの言葉にようやくエダは、自分がジェーンに仕掛けたトリックの種明かしを始める。

要約すれば、

エダに紹介されたホテルに泊る彼女の部屋とは一つ隣の部屋に悪漢共を押し入れらせる。

すでに情報屋には彼女の部屋の隣の部屋番号を教えているので抜かりはない。

騒音に気付いた彼女は、ベットの上の天上に貼られてある案内板に従って今エダ達がいる道を通るというものだった。

「・・・・・分かりやすすぎるだろ。それ便所の落書きだ」

「上見て、下見て、大間抜けってやつじゃねぇか」

「本気でそれが成功すると思っているのか?」

三人の冷ややかな反応にエダは拗ねたように口をとがらせる。

「いいんだよぉ、それくらいわかりやすい方が」

最初から期待はしていなかったが、あまりにも手口が雑でお粗末すぎる。

この世すべての「IF」を集めても、そうそうエダの思い通りにはならないだろう。

加えてジェーンは壊滅的と言っていいほど防衛本能が欠落している。

最初の襲撃で、悪漢共の銃声に震えて動けなくなっているのが関の山だろう。

「やっぱりテメェなんぞに付き合うんじゃなかったぜ」

「同感だな」

レヴィの言葉にツヴァイも同意する。

「帰ろうぜロック。キー回せ」

「ああ」

これ以上、エダの妄想に付き合っているのはうんざりだとロックはエンジンを始動する。

小遣い稼ぎのつもりで参加した仕事は何もすることなくお流れになりそうだ。

隣ではエダが未だ諦めずに、過去7回中4回は成功したなど微妙な成功率でレヴィを懐柔しようとしていた。

静かに後進する車の横を、息を切らしたジェーンが通り過ぎて行ったのはその瞬間だった。

「「えぇ~~~~~~!?」」

まるでUMAでも見つけたかのように車内にレヴィとツヴァイの絶叫がこだまする。それくらいショッキングな光景だった。

この街では信じられないことが頻繁に起きるが、それは間違いなくトップ3にランクインされるであろう。

「見ろ、見ろ、見ろ、見ろビンゴだ!ロック!追っかけろ!」

得意気なエダと呆けるレヴィ、ツヴァイをよそにロックはアクセルを踏み込む。諦めかけていた仕事が蘇ったのだ。

ジェーンと並走する車の後部座席からエダは陽気に顔を出し、

「よ~姉ちゃん!こんな夜中にジョギングとは精が出るねえ!」

「あんた!騙したわね!」

言いたい事は間違いなくそれ以上あるだろうが、ジェーンは取りあえずお決まりの文句を口にした。

体力がないと思っていたが、それなりの運動神経は持ち合わせているようだ。走り方がしっかりとしている。

「人聞き悪い、守護天使様に何て言い草だ」

「何よ!死ぬかと思ったわよ!」

「とんだ守護天使がいたもんだ・・・・ハウ!?」

ツヴァイの呟きにエダのひじ打ちが飛んでくる、それでもしっかりジェーンから目を離さないのは流石だ。

「へー、あっそう。まあいいや。どう?助けて欲しい?よーく考えな。どうしても原版渡すのが嫌っていうなら仕方ない。今度はモスクにでも逃げ込むんだねえ。どうだい?」

「ど汚く出来てんなあ、お前」

レヴィの言葉は皆の総意だった。このシスターは天使どころか悪魔の使いでもない、悪魔そのものだ。

「三万ドル!」

足が悲鳴を上げ始めたのだろう。若干、走るスピードが落ちながらも彼女も意固地にも原版の売値を言い張る。

「ロック。おねむの時間になってきたから教会に帰るわぁ」

「こんの人でなし!一万!」

「ただにしな」

その時、走る車のエンジン音とは違う音が聞こえてきた。視線を上げれば煌々とヘッドライトを照らしながら二台のバイクが迫って来る。

「ほ~ら、追っ手だよ~」

その光景、その言葉がジェーンの最後の抵抗を打ち破った。

「分かったわよ!あんたの条件で!」

ようやく観念した彼女と共に車が停車した。

助手席のレヴィがドアを開けると、悪魔のシスターも降り彼女に告げる。

「オーライ!契約成立だ」

すでにジェーンは地に両手をつけ、全身で荒い呼吸を繰り返していた。

「本当に助けてくれなきゃ、化けて出るわよ」

「これ以上、あこぎをやると客離れしちゃうからね」

まだまだ本気を出しちゃいないが仕方ない、と言わんばかりのエダにツヴァイは何があろうともこの女にだけは頼みごとをしないと心に誓う。

「ヘイ!エダ!何やってんだ、んな所で!」

追い掛けてきたバイクのヘッドライトの向こうで誰かががなりたてている。

追手の一人だろうが、誰であろうとは関係ない、すでに彼は死地に足を踏み込ませているのだから。

ジェーンを車の後部座席へと放り込ませ、エダは相変わらずの人を食った物言いで告げる。

「おう!どした?お前らも深夜のお散歩か?」

「そこの女に用があるんだ。一人頭千ドルの野暮仕事でよ!」

先程からがなりたてているのは虎柄の上着を着た男だ。いかにも街のチンピラと思われがちなが雰囲気が漂っている。

「そりゃ、丁度良い小遣い稼ぎだね」

「如何だエダ。お前も一つ……」

そこまで男が言った時、銃声が雷鳴の如く響いた。

エダが抜き放ったグロックから吐き出される銃弾が虎柄の男の胸を正確に撃ち抜いたのだ。

「て、てめぇ!!!」

後続の車に乗った連中の銃口がツヴァイ達の乗る車に向けられる。だがデビルシスターは些かも怯えてた様子を見せず、

「なーにが手前だよ馬鹿野郎!こっちはな、ミリオンダラーの大仕事なのさ」

そう不敵に言ってのけた。

「こっから先はうちの仕事だな」

「やれやれ・・・」

助手席のレヴィとジェーンの隣に座るツヴァイが銃を構える。

ようやく仕事らしい仕事ができそうだ。

「ヤー!即金で雇ったゲッタウェイドライバーと護衛さ!」

そう言うや、サングラスのシスターは後部座席に乗り込こむ。

それを合図にしたかのように構えている追っ手の連中が銃を撃ち始める。

「レヴィ!色男!!食っちまいな!」

「おう!」

合計で四つの銃口が反撃を開始する。

追いかけてくる数人を喰い殺したが、追手そのものの数に限りは見えなかった。

「大通りに抜ける!」

「うちの仕事だ。ロック!海に向かえ!」

運転席のロックが目先の、助手席のレヴィがその後の目的地を指示し車を走らせる。

やがて車は裏路地を抜け、文明の街灯の灯る道路を走り抜けた。

「何処?今度は何処に連れてくつもり?また何かの罠?これ以上、条件つけようたってもう……」

不安にかられても、それでも自分を弱く見せない為にふてぶてしく皮肉げに問いかけるジェーン。

「条件つけようたって、原版ですら今の私には自由にならない状況なんだから!

「そんな回りくどい事はしねえよ」
 
今まで散々してきたことを思い出せ。と、突っ込みは心の中だけにとどめるツヴァイ。

「今度こそ逃し屋の脱出カプセルにご案内だ!そこへ乗り込みゃ、たちまちこの素晴らしきロアナプラともおさらばだ」

そう言って、少しからかうとも悪戯っぽい笑みとも言えるものを微かに顔に浮かべて、シスターはジェーンを眺めた。

「お願いだから一刻も早くね」
 
そう何とか強がりでエダに返答を返したものの、彼女の不安は増大していくのは手に取るように分かる。

車は繁華街を抜けて人通りの寂しい方角へと向かっている。

「エダ。即金の約束だ」

「同じく」

「おう。準備なら万端だよ」

助手席からと依頼主を挟んでもう一人の人物からの催促に取り出した札束を渡しながら、シスターはそう答えて請け負った。

窓の外には夜の闇に染まった海が見えてきた。

「海・・・港・・・。船ね!早いの?その船?」

「そこのネクタイのハンサムに聞いてみな?」

彼女の問いにシスターがにやりと笑って、推測を肯定する。

だが、

「エダ・・・・残念だが、船は見えてこない・・・」

「「へ!?」」

あまりにも想定外なロックの台詞にこれまで噛み合うことのなかった二人の声が初めて合わさる。

「お~い、おい!おいおい!話がまたくそ違うじゃないのさあ!これじゃ肝心の物が居ないじゃないのよお!」

船のないドッグの中にシスターの喚く声が響いた。



[18783] 15話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:4d47ff7c
Date: 2010/08/29 17:51
「少し前に飛び込みで仕事が入ったんだよ。何か飲むかい?」

そう言ってロックはラグーン事務所の冷蔵庫を開ける。

中にはびっしりと缶ビールが詰まっているが、レヴィ同様ビール嫌いのエダは表情を曇らせた。

代わりに見つけた高級酒であるアードベクブロヴナンスを要求するが、ここのボスであり今は不在のダッチの私物だとレヴィに口汚く断られる。

なんてことを今頃行っているであろうラグーン商会事務所から零れる光を背に、その向かいにある自分の仕事場であるアースラの事務所の扉を開けた。

「何やってるんだ今度は・・・・・?」

数時間ぶりに戻った事務所に入るなり、強烈な寒気とそれに震える二人の女。

「お・・・・おか・・・・おかえり」

毛布にくるまりガチガチと奥歯を鳴らすクロウディアの唇は、口紅ではなく本当に紫色に染まっていた。

室内の温度は真冬並みであった、タイではあり得ない。

「今日・・・・・壊された・・・・エアコン」

途切れ途切れのクロウディアの言葉をまとめると、レヴィによって壊されたエアコンを買い替えたのはいいが、見事に欠陥品を掴まされた。

エアコンどころか冷凍庫の類だったらしい、スイッチのオンオフすら出来ない悪魔の兵器にアースラは氷河期を迎えさせられていた。

「外出ろよ・・・・」

「え・・・?」

もっともなツヴァイの意見にクロウディアは眼を瞬かせる。

なぜそんな簡単な事に気がつかないのか、この街に来てクロウディアも頭のネジが二、三本吹っ飛んだのだろうか?

「し・・・仕方ないじゃない!!芸術は目を離せないのよ!!」

苦し紛れでも何でもない言い訳に、ツヴァイはクロウディアの見ていたテレビ画面に視線をむける。

『もうゴール・・・していいよね?』

『観鈴!!』

「・・・・・・・これが芸術か?」

「当然よ!!」

なぜか自信満々に告げるクロウディアを無視し、ツヴァイはもう一人の相方であるリズィを探す。

リズィは簡単に見つかった。

「この馬鹿女!!なんでこんな奴に惚れるのかね!!記憶所喪失になったからって男の分別もつかねぇわけねぇだろ!!」

私室でアニメに怒っていた。

「あ~もう腹立つ!!マダオ(まるで駄目な扇の略)が日本の首相!?こいつはなんの冗談だ!?サクラダイト喰い物にされるだけだろうが!!」

「・・・・・・」

どこで間違えたのだろうか、リズィもクロウディア色に染まってきている。

「こんな情けない男のついて行く女の気持なんて分からねぇよ!!」

「俺はお前の気持が分からないが・・・・リズィ、仕事だ」

そう言ったツヴァイの言葉の直後、向かいのラグーン事務所からけたたましい銃声が響いた。

「やれやれ・・・・久々の仕事だと思ったらまた派手な所に連れて来てくれたね」

愚痴るリズィを横目にツヴァイは、すでに数十人の武装した襲撃者達の銃弾に晒されるラグーンの事務所を見上げる。

正面には無暗に突入したのだろう、数名の男達が体に大穴を開けて事切れていた。

ラグーンにはレヴィとエダがいる、二人とも街でも名うての銃使いだ。心配はしていないが、この人数では旗色が悪いだろう。

現在は道を挟んだビルの屋上から数人の男達がマシンガンから弾を吐き出し、逃げ道を封じていた。

「俺は上の蝿共を始末する。お前は正面から中に入ってレヴィ達の援護に」

「はいよ」

淡々とリズィに指示を出すツヴァイは、懐から愛銃のベレッタを取り出す。

ドックからはすでに火の手が上がっており、中からは何故かエンジン音まで響いている、中の状況は分からないがロクな事にはなっていないだろう。

ツヴァイは忘れかけていた感覚を思い出す。かつてファントムと呼ばれた殺し屋の思考、自分を一つの武器として捉え、その為だけの装置に自分を変える。

可能な限り呼吸を殺し、屋上へと足を進める。当然、足音を消す事も忘れない。

影のように屋上で派手に弾をばら撒く男達の背後に立つと、何の感情も感傷もなく引き金を引く。

「なっ!?なんだてめぇ!?」

突如現れたツヴァイに驚きの声を上げる男達に己の二つ名を告げながら引き金を引く。

「・・・・・亡霊だ、うぉ!?」

そんな決まったシーンのはずなのに、ラグーン事務所からエダがグレネードで屋上を砲撃してきた。

ここにツヴァイがいるとは言っていないのでやむを得ないが、それにしても派手すぎるのでないだろうか。












「バカ野郎!!味方まで吹っ飛ばす気か!!」

ラグーン事務所に乗り込むなり、リズィは景気良くランチャーをぶっ放すエダに罵声を浴びせる。

「お前!?アースラの!?」

「説明は後回しだ!外の連中は玲二が片付けてる!今のうちに逃げる――――――!?」

研ぎ澄まされた危機本能により、リズィは己の言葉を閉ざし身を屈める。

瞬間、リズィの頭上を白銀の閃光が走り抜ける。

標的であったリズィの首を刈り損ねた閃光は、行き掛けの駄賃と言わんばかりに隣のソファの背もたれ部分をごっそりと切り取っていく。

閃光の正体は柄を紐で結ばれたククリ刀であった。

蛇の様な鋭い動きで放たれた持ち主の元に戻っていく無骨な刃の柄を握ったのは、窓の外から壁伝いに設置されたダクトの上に立つ深いスリットのチャイナドレスを着た女だった。

「シェンホア!!」

「おう、よくわかったね♪」

中国訛りの強い英語を話す襲撃者と顔見知りなのか、レヴィの表情にますます余裕が消え失せる。

この女がこれほどまでに顔を強張らせる相手なら、余程の強者なのだろう。

そんな相手とやり合うのはガンマン冥利に尽きるというものだが、今は仕事中だ、誇りよりも利益を選ぶのがプロだ。

滑り込むようにソファの陰に身を隠し、三人は額を突き合わせる。

「おいレヴィ!なんだあいつは、あんたの知り合いか?」

「ああ、タチ悪いのが出てきたな。「ですだよ」!相方は来てんのか!?」

エダの質問に答えつつ、外で構えるシェンホアに対しての挑発を忘れない辺りがレヴィらしい。

「ああ、レガーチね。ヤクのやりすぎで火星から帰れないなったよ、今はお脳の医者と暮らしてるね」

「そりゃ難儀だな!よろしく伝えといてくれ!!」

状況は極めて不利。

ドッグにつながる出口はすでに火の海と化しており降りることはできない、正面の方もツヴァイが担当しているがいくらファントムと言えど、あの人数を相手にしては援護にも時間が掛かるだろう。

「ロックは?」

ここに来る前に大方の事情はツヴァイから説明済みだが、肝心のエダの目的である偽札の原版を持った女の姿が見当たらない。

「あたしの依頼人と一緒に上に逃げてる」

リズィの質問にエダが答える。

「お前ら聞け」

新たなマガジンをカトラスにセットし、レヴィは作戦を二人に伝える。

「シェンホアはダクトを足場にしてる、ドッグの火も冗談じゃなくなってきやがったし正面入口もまだ兄ちゃんの掃除が終わってねぇ・・・・非常口はあの女が居座ってやがる」

「二人のお守もある上しかねぇな」

リズィの合いの手にエダも乗っかる。

「だが、ちんたらハシゴを昇ってたら連中は大喜びでケツを刻みにやって来る」

そこからのレヴィの判断は早かった。

「エダ、この壁は薄い、カトラスでも十分抜ける。あたしゃ根比べ大嫌いだ、ダクトの女狐を追い出してやる、仕留められるか?その間に姉ちゃんは上に昇って役立たずの援護だ、できるな?」

「ッたりめェだトンチキ女。あんたがうまく出口に追い立ててくれりゃ仕留めるなんざ朝目飯前だ」

「誰にモノ言ってやがる?あんたらがヘマしなけりゃ二人のベビーシッタなんてそこらのガキでもできるぜ」

「上等だ」

そう言って笑い合う三人の女帝は銃のグリップ底を噛み合わせる。

「そんじゃぁ・・・・・行くぜぇぇぇ!!」

カトラスを両手にソファを飛び出す女海賊は遠慮なしに引き金を引き、獲物である女狐を襲撃ポイントに追い立てる。

同時にリズィは、天上から降りているハシゴに向けて走り出す。

「来るぞ!!」

瞬間、シスターの構える先に黒髪を翼のように煌めかせシェンホアが姿を現し、エダの銃が火を噴いた。

シェンホアの体が何もない空中に投げ出され、視界から消え失せる。

しばらくの沈黙の後、エダが静かに腰を上げる。

「落ちたか?」

「分からねぇ、用心しろ」

窓の向こう側からはなんの反応もない、仕留めたと見て間違いないだろう。

だが、

「捕まえた、ですだよ」

聞き間違えるはずの無い訛りの強い英語と共に、窓から顔を出したエダの首に紐が巻きつくなり容赦なくその首を締め上げる。

「エダ!!」

窓の外へと導かれるエダのホルスターを掴みレヴィは無理矢理にエダの体を引きとめる。

抵抗した分引っ張られる紐がエダの首を締め上げるが、下に控えるチェーンソーにナマス切りにされるより幾分かマシだろう。

「おう、首落とせるかと思いましたが。声からすると、かかったのは尼さんの方ね」

紐の先では容赦なく全体重を掛けてぶら下がるシェンホアが、さらに下で構える解体屋のソーヤーに指示を出す。

けたたましいエンジン音と共にソーヤーが獲物のチェーンソーを手に事務所に突入する。

レヴィはエダを抑えるのに手一杯で、半ばヤケクソ気味にカトラスをソーヤーに撃ち放つが、まともに狙いの定まっていない銃弾はソーヤーの攻防一体のチェーンソーによって全段弾かれる。

「くそ!レヴィ、本星は向こうだ、行け!!」

喉を締め付けられしゃがれた声でエダはレヴィに指示を出す。

「当たり前だ!てめぇ助けても一文の得にもなんねぇよ!」

そう叫ぶレヴィをよそに、シェンホアはそのしなやか肢体をバネに再びダクトに舞い降りる。

その動きだけでこの女が伊達や酔狂でこの世界を生き残っていないことがありありと伝わってくる。

「別に命取る必要もないですけれど、あとに面倒残さないのは大切ね」

そう言ったシェンホアの右手にはエダの首に絡みつく紐の先にあるものと同じ無骨なククリ刀が月光を反射し血を求めてぎらついていた。

「――――エダ。どの道ハシゴはあのゴス女が上げちまってる、まぁ上にはあの黒女が行ってるから心配はいらねぇだろうが、ロック達を追いかけるのはその後だ。命乞いでも漫談でもいい、とにかくあいつの注意を引け!」

身を低くしながらレヴィは落ちていたエダの愛銃であるグロックを渡し、照明の消えた事務所の闇へと溶け込む。

すでにシェンホアには並大抵の奇襲は通用しないだろう、ならば捕食者が否応なく作り出す獲物仕留める瞬間の隙を狙うしかない。

「おーい、聞いてるますか、アバズレ。何も難しい話ない銃投げていいよろしいか。尼さん見殺すと、地獄に堕ちるます、よくないね」

エダの首筋にククリ刀の刃をあてがいシェンホアは中のレヴィに投降を促すが、レヴィは無言を貫いた、ここで投降しても殺されるのは目に見えている。

ならば、ここに自分はいないと思わせる事の方が後の奇襲には効果的だ。

「レヴィ!かまうこたねぇ気にせずやっちまえ!!」

エダの助け船にレヴィはほくそ笑む、自分の窮地を敵への襲撃に変えるために、あえて未だ事務所で機を窺っていると思わせる絶妙な一言を言ってのけた。

「三文芝居よ、尼さん。アバズレ中にいないよ?」

思惑通り、細目の女狐はレヴィの居場所を誤認していた。

だが、それをバラすのにはまだ早い。

「ヘイヘイヘイ!チョイ待ち!チョイ待ち!そのとおりだが少し待て!急ぎ働きは三文の損さ、ちょっとだけあたしの話を聞く気ない?オーケイ?いいか?あれだ、えーとその、合衆国の国歌な元を正せばヨッパライの歌で――――――」

時間稼ぎ見え見えの小話を始めるエダにシェンホアは当然の如く言葉を遮る。

「映画だとその手の命乞い聞いてて死ぬアホが多いね。そこで質問よ、私はアホか?そう見えるか!」

シェンホアの言葉にそれまでの陽気さが消え殺気が滲み始める。時間稼ぎもそろそろ限界であった。

「―――――――尼を殺すと地獄に落ちるんじゃねぇのか?」

「私、道教よ、お前の宗教とは関係ないね。再見了、修女(さよなら、尼さん)」

差し出された首を刈ろうとククリ刀を振り上げるシェンホア。だが時間は十分稼いでいる。

「アホめ。地獄の直行便は足が早ぇんだ、後ろを見てみな?」

エダの不敵な笑みの真意を瞬時に嗅ぎ取ったシェンホアは、振り向き様に太ももに巻きつけてあった苦無を数本掴み投擲する。

その先には窓から上半身を投げ出しカトラスを構えるレヴィ。

「ちぃ!!」

苦無の進行方向は額、心臓、喉と人体の急所を悉く定めていた。かわす事など不可能。

レヴィは足と片腕を犠牲にし苦無から急所を守るが反撃のタイミングは完全に外された。

「――――狙いはいいが詰めが甘いなシェンホア」

聞き覚えのある声と共に自信に走る衝撃を感じたシェンホアは、驚愕の表情のまま空中に身を投げ出されていた。

撃たれた?――――どこから?―――――誰が?――――

閃光のように浮かんでは消える思考の嵐の中、シェンホアの視界に一人の死神が写る。

右手には銃口から白煙を上げるベレッタ、その顔にある双眸は何も写していない、強いて言えば「死」そのもの。

地面に叩きつけられ意識が脳内から弾きだされるのはその直後だった。

「あー!エダッ、くそっ、このエセ尼のくそ売女ッ!!痛ぇ!見ろ!ヘイ!」

「悪かったよ、うるせぇな!!文句ならこのインポ野郎に言えよ!!」

シェンホアの気配が消えたのを確認するとレヴィは肢体に突き刺さった苦無を引き抜きながらいつもの汚い口調でエダを罵る。

「助けてやったのにその言い草はないだろ?」

ベレッタを下ろし、ツヴァイは愚痴るがレヴィの怒りは収まらない。

「来るのが遅ぇんだよクソッタレ!!」

握った苦無で突き刺さんばかりにツヴァイに詰め寄る。

レヴィの考えではエダにシェンホアを片付けさせる筈だったが思いがけないツヴァイの援護に内心安堵していたが、生来の性格ゆえ素直に喜べない。

「そんなことより、うちの相方はどうした?」

ツヴァイはレヴィの怒りを柳の様にかわし、さっそく本題に入る。












「これ以上上はないわ。何かプランは?」

ラグーン事務所の屋根の上でこの騒動の引き金となったジェーンが肩で息をしながらロックに問いかける。

隠しハシゴでここまで逃げおおせたのはいいが、逃げ切ったとは言えない。

逆にこれ以上逃げ道がない所まで来てしまったようにしか思えない。

まさにその通りなのだが、ロックとしてはこれ以上最善の方法は思いつかなかった。

下では未だに銃声が鳴り止む気配はなく、戦力として全く役に立たない二人がここに逃げ込むしか鉄火場で生き残る道はない。

「考え中だ」

それしかロックに与えられた答えはなかったが、依頼人のジェーンは当然ながら納得がいかない。

「”俺がプランだ“、て言うわけね頼もしい。そうね、祈って祈って祈りまくって金の鎖でも降らせてみせる?」

「黙れ・・・・考えてるんだ」

「・・・・・」

これまでに見せた気の弱い男の雰囲気から一変、生き残るための策を模索するロックの声色にジェーンは口を閉ざされる。

その時、

「おいおい、女の子はもっと丁寧に扱うもんだぜ?」

この場にそぐわない声に、二人は振り返る。

「あんた、アースラの!?」

愛銃のハードボーラーを片手にそこにいたのは短く刈られた黒髪に黒豹を思わせる獰猛な双眸。浅黒い肌が印象的なリズィだった。

「玲二の頼みで来てみりゃ何やら大騒ぎじゃねぇか。その上こんな所で依頼人とデートなんてあんたも随分出世したんだね」

リズィの軽口にロックは苦笑を洩らし、ジェーンは突如現れた来訪者に目を瞬かせていた。

「なんであんたが!?」

「言ったろ?玲二に頼まれたって、テンパるのもいいが少しは人の話―――――!?」

小言を途中で切り上げ、リズィは背後から迫る気配に視線と銃口を向ける。

リズィが通って来た出入り口から一人の小柄な女が現れていた。

ぼさぼさの黒髪の女。

低い身長の身を包むのは黒を基調とした古めかしさすら漂う服。

そして喉はフランケンシュタインのように継ぎ足したような傷痕が見え、何よりその蒼い瞳は死んだ魚のようだった。

両手にはチェーンソー。見紛うことなく敵だ。

リズィは知らないがこの女こそロアナプラで解体屋として名高いソーヤー。

どのような経緯でこの仕事に参加したのかは分からないが、厄介な物には変わりない。

「さァ・・・・ツかまエた」

咽に発声器を押しつけたフランケンシュタイン女から発せられた声だった。

あの首の傷では、それがあの女のコミュニケーションの大きな手段なのだろう。

「来た!来た!!来た!!あれを何とかして!!」

ジェーンは怯えながらロックに詰め寄るが、相手を間違えている。

「まぁまぁお譲ちゃん・・・・慌てるなって」

ロックの代わりに答えたリズィに今度こそ頼るべき相手を間違えずにジェーンは相変わらずの自己的な台詞を投げかける。

「慌てるなですって、アンタ馬鹿じゃないの!?」

ツヴァイから話は聞いていたが、やはり癇に障る女だったが今は目の前の障害を排除することが先決だ。

「偽札でマフィアをカモろうって馬鹿女に言われたくねェな!!」

瞬間ハードボーラ―が火を噴く。狙いは頭部と心臓。

だが、優秀ゆえ狙いも絞られやすい、ソーヤーの体の前に立ち塞がるチェーンソーに銃弾が見事に弾かれる。

「ちぃ!!」

「あンた・・・・・だレ?」

銃口を前にしてもソーヤーの死んだような表情には変わりはない、流石は天下のロアナプラだ、と唾を吐きたくなるが堪えるリズィにソーヤーはしゃがれた声で続ける。

「マぁ・・・ダレでもいイわ。いつモならカイタイして・・・おワリダけド・・・タまにはこンな仕事も・・・・いイモんだわ・・・きョうはこロしはしない」

「どうすんのよ、悦に入って喋り出しちゃったじゃない!!」

「あたしに言うな!!」

何故かご機嫌なソーヤーの対応を測りかねているリズィにジェーンが声を潜めて喚き立てる。

「たダ・・・テ足のイチにほンは・・・ちョうダイしちゃうかも・・・アたしハそうじや・・・・いツもあとシまつばかり・・・きょウはチガう・・・ミんナはあタシの・・・フミだい・・・あタシがフぉわード・・・じャ・・・はじめマしょうか」

そう言ってソーヤーは静かにリズィ達に歩を進める。

「責任取りなさいよ」

「黙れっての!!」

「ダイじょうぶ・・・・あタしだッて・・・のドクびかきキラれたけど・・・・イキてる」

瞬間、リズィの放った銃弾がソーヤーの人口声帯を吹き飛ばす。

「生憎あたしはフランケンシュタインになるつもりはねぇンだよ!!」

「・・・・・・・」

これ以上聞き取りずらい会話を続ける気もない。そういう警告も兼ねての発砲だったが・・・・

「・・・・・・なに?」

最初にソーヤーの異変に気付いたのはジェーンだった。

滝のように汗を流し、余裕で彩られていた表情が見る影もなく凍りついていた。

「~~~~~~~~~~~!!」

突如地団駄踏んだかと思えば、獲物である筈のチェーンソーを放り投げるソーヤー。

「な、なんだぁ!?」

飛んできたチェーンソーを避け、リズィは素っ頓狂な声を上げる。

それを合図と言わんばかりにドックに保管してあったガソリンに引火した炎が爆発となって、事務所の屋根を半分ほど吹き飛ばしたのはその瞬間だった。









「・・・・状況がよく分からねぇが、お前らいったい何やったんだ?」

「いや・・・特に身に覚えが」

呆れかえったレヴィに問われたロックもしどろもどろで答える。

ロック達を助けに梁を使って屋根によじ登って来たレヴィとエダ、そしてツヴァイが見た物は、膝を抱え蹲っているソーヤーを囲んでいたロック達であったのだからその問いも表情も納得せざるを得ない。

「本当よ、何がどうしたのかこっちにだって分からないけど・・・人口声帯が壊れた途端これよ」

「まぁ・・そんなとこだろうな、まったく訳分かんねぇよ」

ジェーンの推測にリズィも同意する、まさか軽い警告のつもりで撃った一撃で相手が戦闘不能になるとは流石のリズィも予想だにしていなかった。

「あれだな、鬱の気がひどいんじゃねぇか、こういうやつ見たことあるぞ」

「おいゴス女、聞いてるか?慣れないことするからだ、アホめ」

「・・・難儀だなぁ」

レヴィ同様に呆れかえるエダにそれに輪を掛けてレヴィに罵倒されるソーヤーにロックは流石に同情の念を隠しきれなかったが、それよりも隣に立つレヴィの左腕に乱暴に巻かれた包帯に目を奪われた。

「・・・・・レヴィ、その怪我は?」

「ああ?オーライだ、見た目より傷は浅い」

多くの修羅場を潜りぬけてきた身である以上、多少の怪我の程度は見ただけで分かるようンあったロックだが、やはり仲間が傷つくのにはまだ慣れていないのだろう、レヴィの台詞とは裏腹にロックの表情が暗くなる。

だが、そんなことよりも大事な事が一同の前に振りかかろうとしていた。

「ヘイ・・・・ヘイ!ヘイ!!ヘイ!!崩れてねぇか、この建物」

「あ?」

エダの言葉に右を見る一同の視線の先にはドック方面から崩壊して行く屋根が、何かの冗談のように迫ってきている最中だった。

「おわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「走れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

とっさに反対側へと走り出す一同だが、すぐにその逃走も打ち止めとなる。

「一番端だ!レヴィ!雨樋でもなんでもいい、下へは!?」

「あるかよそんなの・・・・!!!」

レヴィの台詞のそこそこに支柱を失った事務所は重力に引かれその形を留め切れずにを瓦礫へと変え、崩壊していった。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

唯一幸いだったのは事務所の屋根が三角形の形をしていたことだろう、滑り台の要領で何とかバランスをとり地面へと滑り落ちることが出来るが、実際に崩れ落ちる屋根から滑るなどまともな体勢で行えるはずはない。

皆一様に屋根の破片にしがみつくように地面へと「落下」していくだけだった。

「・・・・待ちくたびれたぞ。仔細あってこの狩りにさ馳せ参じた。お前達に恨みはないが――――」

バランスを取ることで精一杯は一同の耳に、この場にまったくそぐわないやけに芝居がかった台詞が崩れる事務所の轟音に紛れて鼓膜を刺激してきた。

「なんだあいつ・・・?」

何とか声のした方向にツヴァイが視線を向けると、それは、ラグーン事務所の向かい側のビル、その屋上に立っていた。

「俺の名はキョン―――じゃなくて、“ウィザード”。ロットン・“ザ・ウィザード”だ」

金髪に黒のロングコート、高そうなサングラスに過度に装飾された指輪。

一目見ただけではどこかのビジュアルバンドのメンバーかと見紛う優男が立っていた。

それが、自分達に送り込まれた刺客だと確信を抱くのが、両手に握ったその独特のグリップから「箒の柄」とあだ名されたモーゼルのみであった。

だが、その男の登場から降板までが驚くべき早さだった。

滑り落ちながらもカトラスの引き金を絞ったレヴィの銃弾が、ロットンと名乗った男の胸に命中した。

「あ・・・」

情けない声と共にロットンはビルの屋上から転落していった。わざわざ名乗りを上げ、この上なく目立つ所にいれば当然の結果であった。

瞬間、体が地面に叩きつけられる。

豪快な土煙と轟音を轟かせラグーン商会の事務所は無残にもこの世から崩壊して消え失せた。

堰込みながらも立ち上がり、仲間に視線を配らせると、叩きつけられた衝撃で痛む腰や額を抑えながらも大した外傷もなく立ちあがっていた。

「くそ・・・・ん?・・・・船だ!!」

先頭に立つレヴィは、目の前に広がる海から飛沫を撒き上げながらこちらへ向かってくる一艘の見慣れた魚雷艇の姿を確認した。

「お早いお着きだよ」

皮肉たっぷりのエダの台詞。ツヴァイとリズィには知らされていなかったがここにいないダッチとベニーが乗っているのだろう。

事務所のオーナーであるダッチがこの崩壊した建物を見たときの落胆には同情するが、ラグーン号の登場はツヴァイ達にとってはノアの箱舟にも匹敵する。

「よし、いいぞ!突っ込んでくる!!桟橋に走れ!!」

レヴィの号令に一斉に走り出す一同の後には、生き残った追手が金切り声を上げて迫って来ていた。

桟橋の直前でラグーン号は見事な転回を見せ、同時に甲板に出ていたダッチが逃げるツヴァイ達の援護にランチャーを打ち放つ。

飛び込み参加ながらもこちらの呼吸に完璧なまでに慌ててくるあたりがラグーンメンバーの実力なのだろう。

ランチャーの爆風にいくらかのタイムを稼がれ、ロックを先頭に次々と甲板に飛び乗り、最後のレヴィが備え付けの魚雷管にしがみつきながら、

「タッチ・ダウンだ!ダッチ!!」

と、出航を促す。

「出せベニー!!」

耳に付けた小型無線機に指示を飛ばすダッチの命令通り、ラグーン号は海洋へと奔り出す。

「待ちやがれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

振り返れば桟橋にはイエローフラッグですれ違ったカウボーイかぶれの男が絶叫と共にラグーン号の後部に飛び乗る瞬間であった。

それに続き、何人かもラグーン号に無断乗車を決行するが、その多くは夜の海へとダイヴしていった。



[18783] 16話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:9bfb5410
Date: 2010/08/29 17:59
「クソッタレ!何人か船に取りつきやがった!」

忌々し気に叫ぶダッチをよそに、ツヴァイ達戦闘班は銃を抜き、襲撃者達を迎え撃つ。

「ロック!女を連れて船内へ!!」

お世辞にも広いとは言えないラグーン号では、お荷物を抱えては勝てるものも勝てない。

それを自覚しているのか、ロックの行動は早かった。

船内に続くハッチを開けジェーンと共に船内へと消えて行った。

「ヴィレッタ!ロックに付いていけ!」

ツヴァイの指示にリズィは頷き、ロック達の後に続く。襲撃者達の狙いはジェーンである以上護衛は必要である。

「トーチ!俺は下に降りる、てめぇは銃使いを片付けろ!!」

案の定、カウボーイもどきが部下に命令を下していた。

トーチと呼ばれた肥満体の男が前に出るなり背負っていたタンクから伸びる射出口から炎を吹き出す。

火炎放射器など殺し屋の武器としては二流だが、吹き出される炎が視界を遮り照準が定まらない。

その隙に他に乗り込んだ悪漢達が銃を打ち放しており厄介な事この上ない。

「レヴィ!俺は操縦席に戻る!!」

甲板で愛銃のS&Wを撃ちながらダッチは自ら戦線を降りると宣言した。

「手が足りねぇぞダッチ!!」

だが、次のダッチの台詞にレヴィの口元には凶悪な笑みが張り付くことになる。闇の世界でしか生きられない「人でなし」の顔だ。

「連中をロデオに乗せてやる。タフ・ヒドマンもびっくりの暴れ牛だぜ」

「それはご機嫌だ、ダッチ。暴れるときは合図をくれ」

ロデオでも屈指の実力を持つタフ・ヒドマンをも手こずらせる暴れ牛。

想像するだけで酔いそうだが、この如何ともしがたい状況を打破できるのなら天の雄牛でも何でも構わない。

サングラスの奥にある瞳をぎらつかせ、ダッチは操縦席に続くハッチを開きその巨体を船内へと滑らせていった。

「大丈夫かい?慌てさせて悪かった」

ラグーン号のキャビンで額を抑えるジェーンにロックが話し掛ける。

甲板から降りてきたときにハシゴから足を滑らせたのはジェーンなのだが、

「えぇ、おかげ様で顔から落ちたわよ」

と、何故かロックに非があるようにいらついて返事を返す。

「あれだけ追われて、鉛玉ぶち込まれてないだけでもマシだと思いなよ」

リズィの至極真っ当な意見にもジェーンはお気に召さないのか、

「フン、それがあんた達の仕事でしょ!?あんた達のおかげで一生分のエキサイティングを経験したわ」

元を正せば、彼女が妙なプライドに拘ったことが今回の騒動の発端なのだが、それは完全に彼女にとってはすでに過去のことらしい。

そもそも、自分が原因と認識すらしていないかもしれないが。

「そりゃそうさ、あたしらはそれで飯食ってんだ」

「そう、毎日銃磨いて、体に穴開けたり開けられたりしながら人の生き死に楽しんでる人間の思考なんてあたしには到底―――――」

饒舌に毒を吐くジェーンの口が強制的に閉じられる。

我慢の限界を迎えたリズィが彼女の額に銃口を突き付けたのだ。

「勘違いすんじゃねぇよ、あたしに頼まれた仕事はあんたの護衛だけだ。自分の立場も弁えないわがまま女の愚痴を聞いてやるほど暇でもねぇし、そこまで人間できてもねぇんだよ。」

「ご、護衛が護衛対象に銃向けてどうすんのよ!!」

「仕事を受けはしたが遂行するのはあたし。依頼は成功しなかったら違約金でカタがつく話だ」

本来ならばそんな簡単な話ではないが、この際そんなことはどうでもいい。

これ以上ジェーンの身勝手な言い分に付き合う気にはなれない。

「ま、まぁまぁ。落ち着いて――――」

「さてと操縦はダッチに引き継いだ。そちらがお客さんかい?」

割って入ろうとするロックとほぼ同時にキャビンの扉が開き、ラグーン商会最後のメンバーであるベニーが飄々とした口調で入室してきた。

「ん?どうかしたのかい?」

「・・・・なんでもねぇよ」

ベニーの登場に毒気を抜かれ、リズィは愛銃を脇のホルスターに収める。目配せでロックに問いかけるベニーだが、状況を説明している時間も惜しいのでロックの苦笑いで答えをごまかした。

「まぁいいか、ようこそラグーン号へ、僕のことはベニーで結構」

他人の事に興味がないのかベニーはあっさりと興味をリズィから依頼人であるジェーンに移し、にこやかに右手を差し出す。

「ジャネット・バーイー。ジェーンでいいわ」

ラグーンの中ではロックと同等の常識人と見られるベニーにジェーンは、頬を染めて差し出された手を握り返す。

「実はこの船には招かれざる客も乗り合わせている、そこで取りあえず僕の部屋で休んでいてくれ、防衛ラインの縮小版だ。」

そう言ってベニーは自分の部屋にリズィ達を案内する。ベニーの部屋と呼ばれた一室は思った通りと言うべきか、大量のパソコンによって埋め尽くされていた。

「ああそれと、部屋にあるハードウエアには手を触れないでくれよ。何一つ、一切だ」












「レヴィ!ラフ・ストックを始めるぜ、用意はいいか!!」

操縦席のダッチは自ら起こすブル・ライドに備え普段ならば決してしないシートベルトをしっかりと締めながら、無線の先のレヴィに問いかける。

耳に付けた無線からダッチの問いを受けたレヴィは甲板のいたるところにある突起にロープを巻きつける。これから始まるご機嫌なショウに欠かせない一品だ。

「エダ、兄ちゃん。こいつを握れ」

結んだロープの先をエダとツヴァイに握らせ、準備は完了した。

「何だいったい?」

「さぁ」

事態が飲み込めない二人には悪いが、説明している時間はない。

「オーライ!牛を躍らせろ!!」

無線機に叫んだ瞬間。ラグーン号は鋼鉄の暴れ牛へと姿を変える。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

右へ左へ船体がしぶきを上げて蛇行を繰り返し、何の対策もしていない不法侵入者を容赦なく海へと振り落としていく。

「どうだエダ、兄ちゃん!ハッピーかぁ!?」

「ふざけんなぁぁぁ!!」

「先に言えぇ!!」

必死にロープにしがみつく二人に、レヴィの心底浮かれた声が掛けられる。

重力の縛りを遠心力によって強制解除されロープだけが船との唯一の繫がりである三人の脇を同じく激しい揺れに体を震わせるチンピラ達の照準も定めず撃ち放った銃弾がすり抜けて行く。

粗方の侵入者を振り落としたラグーン号はようやく通常の運転に切り替わり、レヴィ達は甲板へと乱暴に着地させられる。

「死ねやぁぁ!!」

威勢はいいが、あさっての方向に銃弾を放つのは味噌っ歯ジョニーと呼ばれるチンピラに毛の生えた程度の男。

なぜ、そんな彼がロアナプラでもそこそこ名が通っているのかはツヴァイには興味もなかった。

「てめぇ!味噌っ歯ジョニーにくせに調子に乗ってるんじゃねぇ!!」

「今その台詞は人権侵害だぞ」

ツヴァイの言葉をよそにレヴィはジョニーに景気良くカトラスから鉛玉を吐き出していたが、揺れる船体の上では狙いは定めにくく不毛な撃ち合いとなっていた。

「お?」

遂に弾切れを起こしたのはレヴィのカトラスだった。

「迂闊だぜレヴィ!テメェを片付ければ俺にもハクがつくってもんだ!さぁ―――――」

瞬間、突進しかけた味噌っ歯ジョニーの体がのけぞり、後方の海へと吹き飛ばされた。

銃口から白煙を昇らせツヴァイはベレッタを下ろす。

「お前・・・」

「余計な事だったか?」

「あッたりめェだボケナス!魚雷管の近くで銃ぶっ放す奴がいるかってんだこのバカ!!」

「散々撃ちまくってた奴が何言って―――――うおっ!?」

飛んできたハンマーを身を屈めてかわすツヴァイだが、レヴィの理不尽な怒りは収まらない。

「あたしはなぁ!自分の獲物を横取りされんのが一番嫌いなんだよ!」

「だったら最初から当ててればいいだろう!!」

「こんな揺れてる船の上でそうそう当たる訳ねぇだろ!!」

「俺は当てたぞ?」

「口答えしてんじゃねぇよ!!」

船上で言い合いを始めるツヴァイとレヴィを止めたのはエダではなく無線の向こうのダッチだった。

「レヴィ!言い合いもいいが、今のロデオはお気に召したか?」

「ちっ・・・・ああ、ご機嫌さ」

渋々ながら怒りの矛先を収めるレヴィの視界に、見事なまでの中年太りの男が入り込んできた。

先ほどまで火炎放射器で視界を奪っていた男であった。

火炎放射器のタンクを背中に担いでなお、あのブル・ライドを耐え抜いたのはまぐれではないだろう。

ようやく役者が揃ったというべきだろうか。

「こいつはあたしが片付ける、今度邪魔しやがったらてめぇからぶっ殺すぞ」

ツヴァイを睨み付け、レヴィが前に出る。

よほど獲物を横取りされたのが気に入らないのだろう、一言でも反論すれば、その瞬間に頭が吹き飛ばされかねないほどの殺気に満ちた瞳にツヴァイは無言で頷くしかなかった。

「エンジンルームにもう一匹紛れ込んでやがる」

「エダ、お前はそっちの方を頼む、そこの兄ちゃんも連れてけ」

ダッチからの無線を受け、エダに侵入者の始末を任せさりげなくツヴァイの面倒も押し付ける。

「あいよ、相棒」

「仕方ないな」

再び銃を片手にエダとツヴァイはハッチから船内へと降りていった。



[18783] 17話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:098c4470
Date: 2010/08/29 18:13
「ひとつ質問・・・・この船はいつもこんな運転をしてるわけ?」

「いや、今日はたまたまさ」

「こうやって客を殺すのが仕事かと思ったわよ」

ブル・ライドの影響をモロに受け、珍妙な格好で床に転がりながらもジェーンの毒舌は相変わらずだった。

ロック同様ジェーンの様な無様な転倒は避けたものの、何の説明も受けていなかったリズィは壁にぶつけた額を抑えながら立ち上がった。

それに引き換え、ダッチと運転を交代したベニーは器用に周りのパソコン機器を抑えながら割と平然に笑っていた。

「せめて一言あってほしいもんだ」

「まったく・・・・」

リズィの言葉にロックも同意する。

やはりロックもベニーほど図太くはない様だ。

「目的の港に着くにはどれくらい?」

「ざっと8時間かな」

ジェーンの問いにベニーが答える。

「オーライ、十分な時間だわ。日本人さん、あたしの鞄からパソコン出して」

「え?そんなものないけど・・・?」

ロックの言葉にジェーンは一瞬の内に顔面から表情がなくなる。

「なんで、どうして!?あなたバカじゃないの!?どういうことよいったい――――!?」

「知らないよ!そんなに大事なら自分で管理しろ!!」

「そりゃそうだな、パソコンごときでウジウジ言うな」

「暴れないでくれよ、機械が壊れる」

理不尽なジェーンにまっとうな答えを返すロックとリズィ。

そして我関せずのベニーは、視線をパソコン画面から離さずに喧嘩を止める気があるのかないのかよくわからない発言をしている。

「あれがないとどうしょうもないのよ!?パソコンもない、ネットにも繋がらないじゃ――――」

不意にベニー以外の視線がベニーに集中する。

正確には振り返るベニーの背後にある煌々と光る画面。

「パソコン・・・・だよな?」

「なに?」

スナックを齧りながら能天気な返事を返したのはベニーだった。










「ジェェェェェェェェェン!どこにいやがるクソッ!出てきやがれ!!」

エンジンルームの扉を蹴破りカウボウーイもどき・・・ジェーンを追ってきたヌエヴォ・ラルドカルテルのトラブルバスター、“グルーヴィ・ガイ”ラッセルはイラつきを抑えずに盛大に叫んでいた。

ボスであるミスタ・エルヴィスの命を受けジェーンの捕縛に駆り出された彼だが、何もかもがうまくいっていなかった。

偽札の原版を持って逃げだした小娘一人を連れ帰る。そこらのガキにでも出来るお使いの様な簡単な仕事のはずであった。

だが、そんな簡単な仕事もこのロアナプラでは大統領を暗殺することよりも難しいことではないのかと錯覚させられる。

手駒として一人1000ドルで雇ったチンピラ共はラグーン商会と暴力教会が関係していると知るや否や一人3万ドルにしろと法外な要求を突きつけ。

渋々それを承諾しラグーンの事務所に乗り込んだ途端、目的を焼き殺すと言わんばかりの火を放つ始末。

何とか目標が生きていることを確認したかを思えば、今度はジェーンを匿う連中の援軍に駆け付けた船に飛び乗り、最後にはその訳のわからない船の中を彷徨っている。

「これ以上道がねぇ!バカにしやがって!!」

行き止まりの壁を叩きながらラッセルは、自分でも意味の分からない文句を苦々しく吐き捨てた。

何もかもが気に食わない、なぜこんな簡単な仕事がこれほど自分を苛立たせるのか考えるのも億劫になるほど彼の思考は苛立ちに飲み込まれていた。

「これが終わったら浴びるほど酒くらってやる!「ローハイド」かけながら金玉が痛くなるほど高い女となぁ!!」

手近にあった巨大なスパナでエンジンのパイプを叩きながら叫ぶラッセルの背後から妙にテンションの高い声がかけられる。

「ははは!流石カウボーイ種牛ってわけかい、ただその前に「金玉が天までぶっ飛ぶ」ほうを心配するべきか、神様に電話で聞いてみな?」

振り返ると、そこには右手でグロックを弄ぶ金髪の尼僧とその横でつまらなそうに佇む東洋系の男が一人づつ。

忘れようにも忘れられない人物だった。

彼の仕事をここまで大掛かりな物にしてくれた張本人なのだから。

「うおおおおおお!!」

振り向きざまに銃を抜き放ち、引き金を引く。

連れてきたチンピラ達はすでに海の中へと旅立っており戦える者は自分しかいない、なによりこの者達には自分が直接鉛玉をぶち込まなければ気が済まないというのがラッセルの本音であった。

応戦してくる尼僧と男もラッセル同様エンジンの陰に身を躍らせた。

「邪魔すんじゃねぇこのクソ尼!テメェらの相手はもうウンザリだ!」

「うるせぇ知るかよこの田舎モン!!」

神に仕える者とは思えない言葉を平然と吐きながら尼僧はグロックをぶっ放してきた。

ミスタ・エルヴィスが言っていた台詞を思い出す。

“いいかラッセル、この街に住んでる連中ときたらとんだ野蛮人だ。洋服着て「エアロ・スミス」を聴いてるだけで中身はモロ族と大差ねぇ!!信じられるか、教会の尼までもが銃をぶっ放してくるんだぞ!イカレポンチを煮詰めて作った神のクソ溜めだ、この街は!!”

まったくその通りだ、その時の言葉をまともに聞いていたらもう少し用心が出来ていたかもしれない。

だが、そんなこと反省は後でいくらでもできる。そんなことよりも

「「原版はこっちのもんだクソッタレーー!!」」

エンジンルームに二人の欲望がこだまする。











「「「原版がない!?」」」

偽札製造の為には欠かせないものがない、とジェーンの口から言われた瞬間、一同は声を揃えて吹き出した。

「・・・・原版はネットの海の中よ。世界中に散らばってる設計者のデータを統合して、射出形成機に打ち込むだけだったんだけど――――データ管理者が死んだおかげで取り出しができなくなっちゃったの」

機械関係には疎いリズィにはなんのことかさっぱりだが、とりあえず原版が手元にないことだけは理解できた。

「暗証コードは毎日自動変換されるから、オペレーターが死んだ段階でもうお手上げよ。時間の許す限りサルベージしようとしてきたんだけど――――」

もじもじと指をからませて言い訳のように呟くジェーンだが、そんなことを言ってもないものはないのだ。

「うちは暴力教会から支払いが済んでるからいいとして」

「あたしが頼まれたのはあんたの護衛だけだし・・・」

原版についてどうこうすると言うのはエダだけに関係することであり、ラグーンもアースラも原版があろうが無かろうが関係ない。

「うん、問題はエダだな。君が原版を持っていないことを知ったらキリストも驚く様な新しい磔象を発明しかねない」

淡々と恐ろしいことを言うベニーにジェーンの表情がみるみる青ざめて行く

「冗談でしょ?」

「あらゆる暴力的な冗談が本当になる場所さ、ロアナプラは」

「そうそう」

その点に関してもリズィはロック達と同意見だった。

この街に来てからそんな光景を嫌と言うほど見てきたのだ。

「だからお願い、ほんの少しでいいの、貴方のマシンを―――――」

「嫌だ」

ジェーンの懇願も空しくベニーはあっさりと拒否の返事を笑顔で返す。

「どーしてよ!このけちけちケチ!」

「何を言われても貸さない。マシンを他人にマシンを弄られるくらいなら、ヒマシ油を1パインドも飲んだ方がまだマシなんだ、僕は」

「そこまで嫌なのか・・・」

マシンを操る者としてもプライドなのか、ベニーの拒絶は想像以上のものであった。

が、

「ただし、自分でいじるなら話は別だ」

その言葉にジェーンの表情が明るくなる。

「君のオペレーターが何を仕掛けているのか少しだけ興味が沸いた」

何の意味があるのか分からないが、ディスクを片手にベニーはパソコンに向かった。

「がっかりさせないでくれよ。もし中学生でも組める程度の代物なら、別に手間賃をもらうからね」

再びラグーン号が激しく揺れ、何かの爆発音が船外から驚いたのはその直後だった。

「――――わかったわ、やっぱり私を殺す気ね。この船は」

「今回ばかりはあたしもその意見に賛成だな」

「いや・・・たまたまだよ」

御馴染の珍妙な格好で呟くジェーンの言葉にリズィは額を抑えながら賛同する。

こう何度もブル・ライドをかまされてはわざととしか思えなくなってくる。

本当に慣れているのか、ベニーは相変わらずパソコンのキーボードを物凄い勢いで叩いていた。

「IFSRのコード改変じゃないな・・・勘で言えばGOST系がくさいな。手っ取り早くバッファ・オーバーフローを利用して権限を奪うって手もあるんだが――――押し込み強盗は品がない」

「品なんてどうでもいいわ」

自分の命が危ないとようやく理解したのかジェーンは噛みつかんばかりにベニーに詰め寄るが、当のベニーはのらりくらりとキーボードを叩いている。

「慌てない慌てない。GOSTに対応する解析ツールを6つ並列で走らせてる。画面に並ぶインジケーターのうち、どれかが当りならダウンロードを始めるよ」

もはや何語を話しているのかも理解の外になったリズィとロックはこれ以上することはないと確信し床に足を延ばしていた。









「っ・・・ったく、俺達が乗ってるの忘れてるだろ、絶対」

ブル・ライドでエンジンルームから弾き出されたツヴァイは、額を抑えながら操縦しているであろうダッチに恨み事を漏らしながら立ち上がった。

軽快に銃を咆哮させていたエンジンルームからは嘘のように静まり返っていた。

エダがやられたとは到底思わないが、心配な事には変わらない。

「さっきの音、あのデブを相棒が片付けた。残ってるのはあんた一人だけさカウボーイ。抵抗するなら頭ぶっ飛ばして海へ投げ込むまでだ」

再びエンジンルームに戻ろうとノブに手を伸ばしかけたツヴァイに聞きなれた声が鼓膜を刺激した。

「分かった、わかった、クソ面白くもねェ・・・・どの面下げてボスん所に戻れってんだ」

「必要ねぇだろ、あとはロボスがうまくやるさ、あいつはこの街の流儀が分かってる」

「ロボスの野郎がミスタ・エルヴィスを片付けるだって?そんなことでき―――――」

声だけ察するに勝負はすでに付いたようだ。

ノブを捻ろうと手に力を込めた瞬間、不自然なタイミングで言葉を遮ったラッセルの言葉にツヴァイは手を止めた。

「なんだよ?」

それはエダも同じだったのだろう、訝しの声を上げたようだ。

「ちょっと待ってくれ、俺はあんたを見た事がある、フロリダ――――いいや違う、そうだD・Cでだ!ワシントンDCだ・・・間違いねぇ」

「そうかい?こっちはあんたなんて知らないよ。それにあたしはアラバマの出だ。DCなんざ行ったこともねぇ」

「じゃぁあんたにクリソツな女と言い換えてもいい。サングラスに尼僧服だったから今の今まで気が付かなかったんだ。くそ!いつだったか―――ドン・ジェローラモがDC入りした時だったから――――あいつだ、あの男!」

「ヘイ、やめときなカウボーイ。どうせあんたの思い違いさ」

記憶が蘇り、上機嫌になりかけているラッセルの言葉を遮るエダ。

まるで余計な事を喋ろうとする者への警告とも言わんばかりなエダの声色にツヴァイは違和感を覚えたが、ラッセルは追憶の彼方に埋もれた情報を見つけ出し、憑き物が落ちたかのように饒舌に語り出す。

「思い出したぜ!あのクソッたれの上院議員ジャック・ボウナムだ!!」

その名をラッセルが口にした瞬間、扉の向こう側からでもはっきりとわかる殺気がエダから放たれる。

「その女、紺のスーツを着てたでしょ。そして幾人かの男とともに上院議員と会食をしていた「フォーデンヌ・ヴロウ」て名前のフレンチレストランで」

「そうだ、「フォーデンヌ・ヴロウ」だ・・・!しかし、どうしてお前があの野郎と?」

「その時、彼女とその上司たちが話していたのは、EAEC内に存在する、北米型自由貿易に非協力的姿勢を持つ行政府への干渉及び不安定化工作」

「まさか、お前?」

「貴方の思い違いよ、その女は他人。私はね「暴力教会のクソ尼」だもの―――――でも一つだけ本当のことを教えてあげる。私はアラバマの生まれじゃない、私の故郷は―――――ヴァージニア州ラングレーよ」

「てめぇCI―――――」

二人の会話はそこまでだった。叫び掛けたラッセルの声をエダのグロックが強制的に封じた。











「タリホー!」

パソコンに新たなウインドウは表示され、ベニーは子供の様な声を上げる。

「やっぱりGOST系だった!君のところのデータ管理者は優秀だが詰めが甘い!やっぱり僕はケヴィン・ミトニック級の腕前だな、ヤ!ヤ!さすがだ僕」

自画自賛に大喜びするベニーには悪いが、何が何だか分からないリズィとロックだが、とりあえずデータの権限とやらは死んだジェーンのデータ管理者からベニーに移ったようであった。

どの程度の技術だったのかも分からないが、これでエダに原版がわたる事も確定した。

「さて、賭けは僕の勝ちだ。報酬は―――」

振り返るベニーの顔をジェーンは両手で固定した。

「は?」

「え?」

リズィとロックが声を上げる間もなく、ジェーンとベニーの顔が見る見る近づき次の瞬間には熱烈なキスを始める。

「ん~~~~~♡」

長いキスの後にようやく唇を離したジェーンは子猫の様な愛くるしい笑顔を浮かべていた。

「ねぇあなた、あなたすっごくセクシーでキュートだわよ」

それだけ言って再びキスを始めるジェーンにベニーもそれに答え始め、ジェーンの後頭部に手を回す。

「・・・・・」

「アホらし・・・・ほら行くよ」

今にもラブシーンを始めかねない二人に呆然とするロックの襟首を掴み、リズィは部屋を後にする。

なにはともあれ、これで全員の欲しい物が全て揃ったわけである。形はどうあれ、めでたしめでたしである。










「めでたしめでたしで終ってればよかったのにねぇ・・・・・兄ちゃん、今の聞いてただろ?」

扉を開け、エダがツヴァイに銃口を突き付けながらいつもより低い声色で語りかけた。

「まぁ・・・大方はな」

ここまで来て嘘でごまかせるほど甘い相手ではないと理解したツヴァイは、特に動揺したそぶりも見せず平然と答えた。

「・・・・で、どうしようかねこの状況」

「あんたはどうしたいんだ?」

「そうさね・・・・とりあえず聞かれちまった事が事だけに――――」

「あんたがCIAって事か?」

飾らずに確信を突くツヴァイにエダの表情が僅かに歪んだ。

命乞いをするわけでもなく、淡々と言葉を連ねるツヴァイはこれまでにエダが相手をしてきたどれにもあてに当て嵌まらないものであった。

「あんたがCIAだろうがエイリアンだろうが俺にはどうでもいいことだ」

「あん?」

「人間一つや二つ知られたくない秘密があるもんさ」

「・・・・・そりゃ、あんたが昔ファントムって言われてた事かい?」

「・・・・・・まぁな」

今度はツヴァイの方が表情を曇らせる番であった。

かつてツヴァイ達が所属していたインフェルノは想像以上に巨大な組織である、CIAにパイプがあっても何ら不思議はない。

「心配しなさんな、色男。別にあんたの事をインフェルノにチクろうって話じゃない――――あんたが変なことうたわなければね」

「・・・・だろうな」

そう言って、ツヴァイは降参の意味を兼ね両手を軽く上げる。

その意味を汲んだエダも形の良い唇を吊りあげる。

「オーライ、それなら交渉成立だ」

グロックをホルスターに収め、エダは踵を返す。

「さて、帰ろうかね」

甲板に昇るとレヴィがいた。

「よう、随分手間取ったじゃねぇか、しっかり地獄に送ったか?」

「おう」

そう答えたエダは、持っていたカウボーイハットを差し出す。それは見紛うことなくラッセルの身につけていた物だった。

「じき港だ、帰りはのんびりしていこうや」

「おうよ、神は天にいまし、世はこともなしだ。なぁ兄ちゃん?」

「まったくだな」

薄い微笑を返し、ツヴァイは目の前に広がる海に視線を向けた。



[18783] 18話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:b903f936
Date: 2010/08/29 19:31
「お?」

「ん?」

いつものイエローフラッグのいつものカウンター席で、いつものようにレヴィ、ロック、ツヴァイ、リズィが顔を合わせるのはもはや珍しいことではなくなっていた。

ただ今回は一人、いつもとは異なる人物がツヴァイ達と共に来店を果たしていた。

「珍しいじゃねぇか、今日は社長さんも一緒かよ」

煙草を咥えたままレヴィは、すでにほろ酔い気分で赤くなった顔を綻ばせながら言った。

「別に、たまには安いお酒でもいいかなって思っただけよ」

万屋アースラの社長であり、ツヴァイ、リズィの雇用主であるクロウディアはそっけなく答えレヴィの二つ隣の席に着く。

彼女はアメリカ時代の癖が抜けないのか酒を嗜む時は、いつも事務所にストックしてある高級酒を主に飲んでおり、「飲めれば何でもいい」と、いう嗜好のツヴァイ達とは趣味が合わずにいたため、あまりこのような場所に顔を出すようなことなかったのだ。

「悪かったな、安い酒しかなくてよ」

不機嫌さを隠すことなく呟くのは、店の主であるバオだった。

「悪いな、事務所のストックが切れて機嫌が悪いんだ」

苦笑まじりにレヴィの隣に腰を下ろし、ツヴァイは適当な酒を注文する。

「けっ、レヴィよぉ。相変わらずお前のダチにはロクな奴がいねぇな」

「あたしに絡むんじゃねぇよバオ、ロクな酒置いてないのは本当のことだろうが、タコ」

酔っていてもレヴィの口の悪さは相変わらずであったが、それでもツヴァイ達を「ダチ」と言われても否定しない辺りが彼女らしい。

「でも、本当に珍しいですねリンディさんがイエローフラッグに顔出すなんて」

お決まりのワイシャツ姿のロックがグラスを傾けながら問うてくる。

リンディとはロアナプラでのクロウディアの偽名である。因みに、ツヴァイは玲二、リズィはヴィレッタとそれぞれ偽名を使っている。

ツヴァイにとっては本名なのだが、適当な偽名が思いつかずそのまま偽名として使用している。

それに答えたのは、ツヴァイとクロウディアの間に座るリズィ。

「どっかの誰かが事務所の酒を丸ごと飲み干しちまったんだよ」

ぶっきらぼうに答えるリズィの視線の先でレヴィが訝しげに形の良い眉をひそめた。

「あん?誰だよ、んなことしたの?」

「「お前だレヴィ」」

間髪いれずにツヴァイとリズィの見事なまでに合致した声がレヴィに突き刺さるが、当のレヴィにはまったく見覚えのない話だった。

「あたしが!?ヘイ!ヘイ!言い掛かりはよせってんだ」

「何が言い掛かりだ。三日前に夜中うちの事務所に来て「酒を出せ!!」って大暴れしただろう」

「三日前・・・・・?あ・・・・」

心当たりがあるのかレヴィの顔が気まずげに歪んでいった。

「あ~あれは・・・・その・・・・エダのクソ尼にカードでボロ負けしてよ。憂さ晴らしに飲もうにも金がなくて仕方なく・・・・」

「何が仕方なくよ!!あたしの大事にしてたコニャック・フェランを水の様に飲んどいて仕方ないですって!?」

遂に怒りに堪え切れなくなったクロウディアが席を立ちあがり、レヴィに噛みつかんばかりに吼え立てる。

「だから謝ってるだろうが!あんな小便みてぇな酒ぐれぇでガタガタ言ってんじゃねぇよ!!」

「「「いや、一回も謝ってないぞ?」」」

今度はレヴィの味方であるはずのロックも交えて三人の声が見事に重なる。

「なんだい、なんだい?今日も相変わらず騒がしい野郎だなレヴィ?」

その時ロックとレヴィの間に顔を出したのは、三日前にレヴィにカードで大勝したエダであった。

いつもの尼僧服とは違い、その大きな胸を強調したタンクトップにミニスカートとラフすぎる恰好であった。

「うるせぇクソ売女!誰のせいであたしが責められてると思ってやがる!!殺すぞ」

「あ~ん?なに怒ってんだ?それに責められるってお前、遂にロックとやったんか!?やったねロック~♡今度はあたしとどぉ?」

ロックの首に絡みつくように腕を巻きつかせ、耳に息を吹きかけるエダ。

人をからかうことに関してはロアナプラでも彼女に右に出る者はそうそうお目にかかれない。

そんな彼女が標的として狙いを定めたレヴィの弱点であるロックを何の躊躇なく攻め立てる。

「うわわ・・・」

突然の色仕掛け攻撃に慌てふためくロックの様子に、レヴィはこめかみにぶっとい青筋を浮かび上がらせ、その原因である女狐を睨みつける。

「おうエダ、喧嘩売ってんのか、そうなんだろ?」

特に男女の仲ではないのだが、レヴィは事の外ロックに他の女が近づくのを嫌っている節があり、エダの挑発に安々と嵌っていた。

「おいレヴィ、落ち着けって・・・・・・!?」

短気のレヴィが爆発するのも時間の問題と悟ったロックが止めに入るが、すでに遅かった。

彼女は、脇の下のホルスターから愛銃であるソードカトラスを抜き放っていた。

「エダ・・・・今のあたしは冗談が通じるほど愉快な気分じゃねんだ、今すぐあたしの前から消えるか、頭に新しいケツの穴開けられるか、好きな方を選びな」

「お~怖、聞いたロックぅ?この女ジェラシーでストロンボリ火山みたくなってんぜぇ、こんな危ない女よりやっぱりあたしにしない?」

「ケツの穴がお望みみてぇだな・・・・」

ゆっくりと右手のカトラスを上げかけるレヴィの腕が止めたのはバオだった。

「おいテメ―ラ、これ以上俺の店で暴れるんじゃねぇよ!!」

そう言ってバオはバカルディの酒瓶を勢いよくテーブルに叩きつけるように置いた。

「ここは酒場だ、勝負事ならこれで決めな!!」

「・・・・」

「どうするよレヴィ?」

硬直するレヴィに挑発的な笑みを浮かべ、エダはロックの膝にわざとらしく座り込む。

「・・・上等だ」

カトラスをホルスターに収め、レヴィも席に着く。

言いたいことは多々あろうが、それよりもなによりもこの女狐の鼻を明かしてやりたい。

それしかレヴィの思考を支配するものはなかった。

並々とバカルディが注がれたグラスは3つ。

「あん?」

「一個多くねェか?」

眉をひそめる一同をよそに、グラスの一つを掴む手が延ばされる。

「あたしもやるわよ!!飲み比べでも何でもやってやろうじゃない」

「リンディ!?」

「なんでお前まで!?」

ここに来てまったく関係のないクロウディアの参戦に、アースラの二人は度肝を抜かれる。

「あたしが勝ったら、レヴィ!あんたに飲まれた酒代全部払ってもらうからね!!」

「え!?ちょ・・・・」

「そりゃいい!そんじゃあ、あたしが勝ったらロックをいただこうかねぇ」

「なっ!?お前っ!?」

エダとクロウディアの身勝手な要求にレヴィは声を張り上げ掛けるが、すでに二人はグラスを持ち上げていた。

「ったく!!勝ちゃいいんだろうが勝ちゃ!!クソッタレ!!」

どうにでもなれとレヴィもグラスを持ち上げる。ここにレヴィが勝っても何の益もない不毛な飲み比べが始まった。











「・・・・なぁベニーボーイ、俺にはどうしても分からないことがあるんだが」

ラグーン商会のボスであるダッチは、口に咥えた馴染の煙草、アメリカンスピリットに火を着けながら隣に座るベニーに語りかける。

いつも冷静沈着なダッチには珍しく、全身から不機嫌なオーラを隠そうともしていない。

「奇遇だねダッチ、僕も同じ疑問を抱いてたところだよ」

ボサボサの金髪を掻きながらベニーは同情を込めてベニーは、すでに生温くなってしまった缶ビールの飲み口に口を付ける。

「悪いな、いきなり大勢で押し掛けて」

視線を上げると、ツヴァイが申し訳なさそうな顔で立っていた。

先ほどまで散々エダに絡まれ憔悴しきっていた彼だが、エダの相手をロックに任せ何とか離脱してきたようだ。

今ダッチ達がいる場所は、自分達の拠点であるラグーン商会の事務所、そのオフィスであった。

最近はまとまった仕事もなく、軽い開店休業状態であったがそれでもあくまでここは仕事をする場所であって、決して酔っ払いのたまり場なのではない。

だが、現実はラグーン商会の向かいに事務所を構えるアースラのメンバーと暴力教会のエダを交えての酒乱の会合場と化していた。

ダッチが事務所に来た時にはすでにこの惨状は出来上がっており、レヴィに説明を求めても呂律の回らない口調でがなるだけで、何一つ状況が分からなかった。

数十分の舌戦の末、ダッチが下した採決は「もう、どうにでもしてくれ」。

後に現れたベニーの同じような状況で、大人しく空いたソファに並んで座っていたところであった。

「オーライだ兄ちゃん、大方うちのレヴィとエダがイエローフラッグでバカな飲み比べでもおっぱじめて決着が着かずにバオに店追い出されてここに来た、ってところだろ?お宅らもその煽りをくらった被害者ってわけだ」

煙を吐きながらダッチは推論を口にし、苦笑を浮かべる。

「まぁ・・・大方間違ってはいないが」

口ごもりながらツヴァイは事の顛末を語り始める。

三人の飲み比べは想像以上に激しく、一時間も経たずに店のバカルディを全て消費してしまった。

その時点で限界を迎えたエダがカウンターに突っ伏したおかげで、ロックの貞操は守られたわけだが、残り二匹のうわばみはさらに強い酒で勝負を続け始めた。

だが、その勝負は閉店時間を過ぎてもなお飲み続ける二人に堪忍袋の緒が切れたバオからの中止命令により、皆一様にイエローフラッグから追い出された。

「ちっ、バオのアホタレ。ロクな稼ぎもねぇくせに時間だけはキッチリしやがって!!」

「まぁまぁ」

アルコールで紅潮したレヴィを宥めるロックの背後で、復活したエダが挑発的な笑みを浮かべる。

「で、これからどうするんだいレヴィ?」

「あ?どうするもこうするも、イエローフラッグが閉まっちまったんだから帰るしかねェだろ」

煙草に火を付けレヴィは吐き捨てるが、エダの次の言葉に唖然とする。

「そんじゃあこの勝負は、アースラの女社長の勝ちって事だな」

「はぁ!?なんでそうなんだよ、酒と一緒にヤクでもキメやがったのか?この色情魔」

レヴィの罵倒もどこ吹く風と受け流し、エダは饒舌に語る。

「理屈こねてんじゃねぇよ二挺拳銃。勝負はまだ着いちゃいねぇンだ、店が閉まったぐれぇで逃げんじゃねぇよ。まぁ、あんたがどうしてもって言うんなら仕方ない女社長に賭けの賞品払いな」

途中で勝負を降りたエダが言う台詞では決してないが、アルコールと生来の短気な性格が災いし一気に頭に血が上るレヴィを止める手段などありはしなかった。

「上等だこのクソ尼。こうなったらトコトン白黒はっきりさせてやろうじゃねぇか!!おい、ロック。今から違う酒場に行くぞ!!」

「無理だってレヴィ、こんな時間じゃどこも閉まってるに決まってるよ」

「ちぃ、使えねぇ街だな、ったく。おい兄ちゃん、お前んとこに酒のストックあったろ!?あれで勝負だ!!」

話を振られたツヴァイは呆れ顔で、答える。

「お前が全部飲んだだろうが、そもそも賭けの景品がその酒代の請求だろ?」

何もかもがうまくいかないレヴィは唇から煙草が落ちるのも構わず誰に向かっての物なのかも分からない怒声を張り上げる。

「だったらうちの事務所でやりゃいいじゃねぇか!!こうなりゃ小便臭ぇビールでも何でもかまわねぇ!!いいな、姉ちゃん!?」

「望むところよ!!」

「あんたもそこで乗るな!!」

威勢よく延長戦を承諾するクロウディアにリズィの突っ込みがすかさず入るが、時すでに遅し。

レヴィとクロウディアは肩を並べながらラグーン事務所へと歩を進めていた。



[18783] 19話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:e1435ac3
Date: 2010/08/29 19:48
「・・・・・ファッキンワンダフルとはこの事だぜ」

「・・・・悪い」

こめかみを押さえるダッチには、ツヴァイの謝罪も焼け石に水もいいところだった。

「ヘイ!ダッチ!飲んでるかぁ!?」

酒臭い息を撒き散らしながらクロウディアの肩に腕を回し陽気な声を上げているのは、この騒動の張本人と言えるレヴィ。

冷蔵庫の缶ビールとストックしていたジン・ビームを飲み尽くしたところで、ついに理性のタガが外れた二人は飲み比べ勝負など記憶の彼方に吹き飛び、今では互いに肩を組み合ってロックに買いに行かせた追加の酒を煽っていた。

「ああ、そっちはどうだレヴィ?」

「ヤー、最高だぜ!今ならどっかの貴族のレイピアにでもなれらぁ!」

意味の分からない返しに乗ったのはクロウディアだった。

「あら、じゃぁ私はクレイモアでも手に入れて勝負しましょうか?」

「やめとくぜ、そりゃあたしが殺されそうだ」

「そう?あなたなら剣道部の部長でもやれそうだと―――あら?もうないお酒ないわね」

言葉を遮り空瓶を振るクロウディアの視線が次に捉えた者はツヴァイであった。

「ちょっとツヴァイ!あんたひとっ走りいってお酒買って来なさい!!」

「だが断る」

案の定の命令にツヴァイは、はっきりと拒否した。

玲二と言う偽名を使わなかったクロウディアを咎めても無駄だろう。

「光速のランニングバックと呼ばれた貴方ならすぐ行ってこれるでしょ!?」

「そんな呼び名で呼ばれたことは一度もないが・・・・」

「じゃあ、ちょっと龍になって魔法使いからハンコ盗んできてよ」

「お前は何を言ってるんだ?」

「ちっ、めんどくせー兄ちゃんだな!おいロック、もう一回行ってきな!!」

拉致の明かない応酬に、苛立ったレヴィの矛先は再びロックに向けられる。

「え、また俺!?」

「悪いわね、寄り道してターミネーターとか拾ってこないでよ?」

「え、あのメイドをですか?」

「違うわよ、本物の方よ。あ、もし拾うようなことがあったら人類の平和は任せたわ」

「は・・・・はぁ」

相変わらず何を言っているのか分からないクロウディアともかく、レヴィに逆らったら後が怖い。

しぶしぶ買い出しに出かけるロックをツヴァイは同情の眼差しで見送った。

「不思議な男だろ、ロックって」

視線を声の方に向けると、ベニーがいつもの悪戯好きな笑みを浮かべていた。

「雰囲気も、貌も、価値観も、これまでの生き方だってこの街にまったくそぐわない。それなのに、今やレヴィはもちろんのこと、三合会の張や「ホテル・モスクワ」のバラライカも彼の事がお気に入りさ」

「それを言うならアンタだってそうだろ、ベニー」

ダッチとベニーが並んで座るソファのその向かい側、今までロックが座っていた場所に腰を下ろしながらツヴァイは珍しく微笑を浮かべた。

「よしてくれよ、僕はロックの様に物事をまっすぐに見ることはできない、それがロックの長所でもあり、最大の弱点だ」

「弱点?」

「そう弱点だ。双子の時にそれがはっきりと分かったよ、彼はこっちの世界にもあっちの世界にも行けない半端者である以上、この弱点からは逃れられないだろうね」

「双子か・・・」

双子の件でのロックの落ち込み様はツヴァイも知っている。

まるでこの世の終わりの様な表情をしていたのはまだ記憶に新しい。

「今日は随分と饒舌に唄うじゃねぇかベニーボーイ」

短くなった煙草を灰皿に押しつけながらダッチは会話に参戦してきた。

「確かにお前の言うことには一理ある。ロックが銃を持たねぇのは俺達にとって最大の幸運なのさ。だがな、ベニーボーイ。それはお前さんにも言える事なんだぜ」

「そうなのかい?」

「そうだろ?俺からすりゃロックもお前もこっち側に染まりきってないひよっ子もいい所だ」

「それは仕方ないだろ、僕だってロックと同じように自ら望んでこの世界に足を踏みいれたわけじゃない」

ベニーは不機嫌そうに眉をひそめるがダッチはその表情が気に行った様であり、口元に不敵な笑みを浮かべる。

「懐かしいぜ、トランクの重し代わりにさせられそうになってる所をレヴィに助けられたのがきっかけだったな」

「そうだったのか?」

「・・・・・フロリダの大学でね。火遊びが元でFBIとマフィアを怒らせちゃってね」

ツヴァイの問いにベニーは心底面白くなさそうに視線をそらし、ぶっきらぼうに吐き捨てるとその視線を問いを投げかけたツヴァイに向ける。

「そういう君はどうなんだい、どうしてこの街に?」

「俺はまぁ・・・・雇用主の付き添いって感じかな」

ツヴァイの指した指の先には未だにレヴィと肩を組んで大笑いしているクロウディアがいる。

「彼女の為にわざわざこんな危険な街に?」

「だから俺とヴィレッタがいるんだ」

ベニーの訝しげな問いにツヴァイは毅然として答える。

見栄を張っているわけでも強がっているわけでもない、ツヴァイとリズィはクロウディアを護る為にこの街に来たのだ。

「へぇ~姫を護るナイトってわけかい、立派なもんだ」

ダッチやベニーの勘ぐる様な視線を受けてもツヴァイには何も感じ入るものはなかった、ツヴァイとクロウディアは愛情や友情などと言う陳腐な言葉で括られるほど安易な関係ではないのだ。

「ただいまぁ~」

ツヴァイが言葉に詰まった瞬間に事務所の扉が開き、大袋を抱えたロックが買い出しから戻って来た。

「遅ぇぞロック、何チンタラしてやがんだバカ!」

「そうよ、そんな事だから女の子に興味を持った瞬間に砂になっちゃうのよ!」

「はい!?」

罵倒する二人にロックは引き攣った笑みを浮かべるが、ベニーによるさらなる追撃が待っていた。

「え、な、何?」

困惑するロックの表情がお気に召したのか、ベニーとダッチは皮肉気な笑みを浮かべていた。

「何の話ですか?」

「ロック、お前さんがこの素晴らしきロアナプラに似合わないって話をしてたところだ」

ツヴァイに対しての問いにダッチが代わりに答えるが、ロックの反応は冷ややかな物だった。

「またのその話かい、そんなことは俺が一番分かってるんだ。ほっといてくれ」

空いたソファに腰を落ち着け、ロックはうんざりした様に溜息をついた。

どうやらこの手の話題は言われ慣れているようであった。

「俺は俺が立っている所にいるんだよ、それ以外のどこでもない」

煙草に火を着けながら呟くように告げるロックの表情は、ツヴァイがかつていた世界、今いる世界の全てが混濁した様な例えようもないものであった。

「それは何処だ?」

ツヴァイの問いにもロックの表情は微動だにせず、はっきりと答える。

「ここが夜の世界で、俺が今までいた世界が昼の世界だとしたら・・・・・俺は夕闇に立っているんですよ」

「夕闇か・・・・」

ロックの言葉を復唱するツヴァイの瞳にどこか羨望に近い感情を写したのを見たのは、遠目からツヴァイの様子を見ていたクロウディアとリズィだけであった。

夕闇の世界。

それは、ツヴァイでなくとも誰もが望んでいた世界。

その世界に誰もがかつて立ち、去って行った世界。

ある意味この世の理想郷とも呼べる世界の名。

そこに立っているとロックは言った。

「その世界にお前はいつまでいるつもりなんだ?」

「いつまで?」

「ああ、ロアナプラにいる以上、夕闇の中なんて世界にはいつまでもいられない。この街自体が「夜」なんだからな」

「・・・・・」

ツヴァイの言葉はロックにどのように受け止めたのだろうか、自分の甘さを指摘される非難に聞こえただろうか、はたまた夕闇の世界に羨望を抱く者の負け惜しみに聞こえただろうか。

その答えは、ロックが紫煙をゆっくりと吐き出してから紡ぎ出された。

「それは俺にも分かりませんよ・・・・・・今日かもしれないし、死ぬまでかもしれない。でもね、それでも俺はここにいたいんですよ」

それは夕闇の世界の事を指しているのか、このロアナプラを指しているのかは誰も分からない、ロック自身も分からないのだろう。

その疑問に口を出すものは誰一人としていなかった。

その答えはロック自身が見つけ出すものだ。

「はは、すいません。なんだかおかしな空気になっちゃったな・・・・・・」

煙草を咥える口元を気まずそうに歪ませロックは頭を掻き、詫びを入れるように近くにいたクロウディアのグラスに新たな酒を注いだ。

「・・・・あなたのその甘い所、嫌いじゃないかもね」

大分酒が抜けてきたのか、クロウディアの瞳には男を魅了する熱が帯びられており、視線の先のロックは思わず顔面が紅潮するがすぐに持ち前の人当たり良い笑顔を向ける。

「あ、ありがとうございますミス・リンディ・・・・・でも、貴女はどうしてこんな街へ?」

「そんな面白いもんじゃないわよ・・・・・」

照れ隠しのつもりで発したロックの問いだったが、それはアースラの三人の間にある、忘れたいが決して忘れてはいけない過去を否応なく思い出させる。

そのわずかな表情の変化を嗅ぎ取ったのはレヴィだった。

「ヘイ、ロック。詮索屋は嫌われるって言ったろ?」

「あ、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど」

「いいわよ。ホント・・・・・・つまらない話しだから」

どこか自虐的な笑みを浮かべるクロウディアの次の言葉を誰もが固唾を飲んで身構える。

「弟がね・・・・いたの」

クロウディアはグラスの酒を一気に飲み干し、それとは対照的にゆっくりと言葉を紡いだ。

「出来の悪い弟でね、マフィアを率いたあげく抗争で殺されちゃったわ。まぁ、私もその組織にいたから偉そうなことは言えないんだけど」

「じゃあ、弟さんの敵討ちってわけかい?」

ベニーが答えを早急に出そうとするが、クロウディアは小さく微笑み首を横に振る。

「そんな綺麗な人間じゃないわ、私は。弟を殺した組織に入ってそこの幹部になったんだから」

その言葉に一人を除いた者達の表情は変わらなかった。

唯一、驚愕に表情を歪めたロックだったがクロウディアのその先の言葉を待つ。

「ヴィレッタとは弟の組織の時からの付き合いでね、まぁそこから色々あって玲二も仲間にしたまでは良かったんだけど・・・・そこの組織に気に喰わない奴がいてね。そいつを嵌めようとしたんだけど逆に嵌められちゃって、尻尾巻いて逃げて来たってわけ」

やれやれと言ったように肩をすくめるクロウディアの表情は実にあっけらかんとしたものだった、まるで笑い話でもするかのように。

「まぁ、嵌められてそのままってのも面白くないし。この世界中の悪党が集まるロアナプラで力を蓄えようって思ってたんだけど、なかなか上手くいかないのよねぇ」

「へぇ、姉ちゃんここの連中まとめて里帰りでもしようってのかい?そんときゃよ、うちの教会で武器の注文してくれよ」

「そうするわ」

それまで黙っていたエダが、ようやく口を開きクロウディアはそれを心底楽しそうに受けた。

ラグーンの電話が盛大になったのは、その時だった。

「はいラグーン商会。あ、こりゃどうも。え、ロックですか?ええ、いますよ」

電話を取ったベニーがロックへ取り次ぐ。

心なしかその表情は強張っているように思えた。

「はい、代わりました。あ、どうもバラライカさん・・・・・はい・・・・え、日本に?ええ、俺は・・・・・大丈夫ですけど・・・・はい、ダッチに確認してみます」

電話を切ったロックの表情はベニーとは違い完全に強張っていた。

「どうした、ロック。バラライカからか?」

新しい煙草に火を着けたダッチが、怪訝そうに尋ねる。

「ああ、今度日本で仕事があるから通訳として一緒に来てくれって・・・・」

「あん?日本なんて田舎臭ぇとこに何の用だよ?姐御の奴」

「さぁ・・・・そこまでは聞いてないけど、ダッチ、行ってきてもいいかな?」

ダッチとは違い、何故か不機嫌なレヴィをかわしロックラグーンのボスであるダッチに依頼を受けるか成否を問うが、ダッチの答えは実に簡潔な物だったが、意外な人物が異議を唱えた。

「行ってくりゃいいだろ。別の俺は止めねぇぜ?」

「おい、ダッチ、本気かよ!?」

噛みつくようにダッチに詰め寄るレヴィだが、その行動はあまりに不自然であった。

「どうしたよレヴィ、何が気にいらねぇんだ?」

「こいつは日本から逃げたんだぞ、そんな所に戻ってみやがれ!ポリ公に捕まるのがオチじゃねぇか!!」

「何言ってんだレヴィ、ロックは別に郷に帰れねぇってわけじゃねだろ?ただ会社に見捨てられてここに来ただけじゃねぇか」

「そうなのか?」

「ええ、まぁ」

ダッチの言葉はもっともだった。

日本で勤めていた会社に見捨てられラグーン商会に参加したロックであったが、別段日本で重罪を犯して国外逃亡をしてきたわけではない。

そうとは言え、あまり触れられたくない過去なのだろう、ツヴァイの問いにロックは苦笑で返す。

「だ、だけどよ!」

「なんだいなんだい二挺拳銃ぅ?旦那が日本に帰るのがそんなに嫌なのかい?」

喰い下がるレヴィにエダは、新しい玩具を見つけた子供の様に満面の笑みを浮かべて茶化し始める。この手の話しには見境なく喰いつくのが彼女だ。

「うるせぇエダ、ぶっ殺すぞ!!」

「お~怖、どうすんだい色男。嫁さんが離れてほしくないってさ~」

新たな喧嘩に発展しそうな二人の間に、ツヴァイからの声が割り込む。

「ロック、俺も日本に連れて行ってくれないか?」

「え、玲二さんもですか!?」

意外すぎる人物からの意外すぎる提案に一同は呆気にとられるが、ツヴァイはいたって本気だった。

「日本は俺の故郷でもあるし、たまの里帰りも悪くない。それにあのバラライカ絡みの仕事ならボディガードの一人ぐらい必要だろう、いいだろリンディ?」

「別にあたしは構わないけど・・・・」

ツヴァイの意図がまったく読めず流石のクロウディアの返事も尻すぼみに小さくなっていくが、ツヴァイは構わず話を進める。

「それじゃぁ決まりだな。ロック、バラライカに話をしておいてくれないか?旅費はこちらで持つ」

「えぇ、分かりましたけど・・・・急にどうしたんですか?」

「昼の世界を覗くのも悪くはないだろ?」

口元にわずかな微笑を浮かべながら答えるツヴァイにそれ以上何も聞くことはできなかった。

「冗談じゃねぇ、なんで兄ちゃんにロックのガードを任せなきゃいけねぇんだ!!おい、ロック。あたしも連れてけ!!」

ツヴァイの事よりも厄介な女帝が怒り狂っていたのだ。

「レヴィも!?」

「あったりめぇよ、お前みたいなインポ野郎を一人で出掛けさせられるかってんだ!」

「そんな、郷に帰るだけだって」

「あぁ!?口答えしてんじゃねぇよ!!」

なぜレヴィが着いてくるのか分からず戸惑うロックにレヴィはがなり立てる。

そんな痴話喧嘩をエダが見逃すはずはない。

「連れてってやんなよロック~、レヴィはあんたに日本で悪い虫が着かないか心配なんだってよぉ~」

「てめぇ!エダ、少し黙ってろ!!」

拳を震わせるレヴィにエダはますます気分が乗ったのか、例の如くロックの首に絡みつき彼の耳元に生温かい息を吹きかける。

「それともロック、日本の女なんかじゃ満足できないようにあたしと少しばかりしていこうかぁ~?」

「うわわわ」

純なロックはたちまち顔を紅潮させるが、それがレヴィのただでさえ小さな堪忍袋の緒を盛大に引き千切る要因となった。

「けっ!!クソ面白くもねぇ、テメェなんざ日本でもハリウッドでも勝手に行きやがれ!!」

飲みかけの缶ビールを握り潰し、ロックの額に命中させるとレヴィは地響きが鳴ろうかと言う足取りで事務所から出て行った。

「あ~りゃりゃ、怒っちまった」

「おい、エダ少しやり過ぎじゃねぇのか、あいつの機嫌が悪いとトバッチリを喰らうのは俺達なんだ」

悪戯っぽく舌を出すエダに、ダッチが苦言を呈す。

あの様子ではちょっとやそっとではレヴィの機嫌は直らないだろう。

「何してるのロック、さっさと追いかけなさいよ」

額を抑えるロックにクロウディアからのレヴィ追跡命令が発令するが、案の定ロックは訳が分からないとその眼を瞬かせていただけであった。

「ほら早く。このままだとあの子、ミサイルランチャー背負って戻って来るわよ?」

「え!?は、はい」

なぜ自分が急かされているのか分からないが、とにかくレヴィを追いかけるのが先決だと理解し、ロックはいそいそと事務所を後にする。

意外にも目的の人物はすぐ近くにいた。

事務所の入り口へ続く階段の下で煙草をふかしているのは、見慣れた右肩のトライバル調の刺青が特徴的なレヴィだった。

「レヴィ・・・・」

「・・・・・・」

なんとなく隣に並び名前を呼ぶが、返事はない。

雰囲気から察するに、以前の様に考え方の違いからくる苛立ちのようではなく、たんなる拗ねているように思えた。

「あの・・・・さ。レヴィ、よかったら一緒に日本に行かないか?」

「・・・・・・兄ちゃんと行くんだろが、ボケナス」

たっぷりの沈黙の後に返って来た台詞には棘しかなかったが、ここで諦めて会話を打ち切ったら元も子もない。

「やっぱり、久しぶりの日本だし・・・・・バラライカさんの仕事だと何があるか分からないし・・・・・ここは気のおける仲間がいてくれた方が心強いっていうか・・・」

「・・・・・・・」

今度は返事すらなかったが、心なしかレヴィから発せられる怒気が若干和らいだように感じられた。

「レヴィにも俺の生まれた国を見てもらいたいって言うか・・・・」

徐々に追い詰められていくロックだったが、先に根を上げたのは意外にもレヴィの方だった。

一つ大きく紫煙を吐き出すと短くなった煙草を踏み消し、めんどくさそうに頭を掻きながらロックに視線を向ける。

「最初っからそう言ってればいいんだよ、このアンポンタン」

いつもよりか幾分力加減のされた拳骨をロックの脳天に叩き下ろし、レヴィは満足そうに笑った。

「ほぉら、言った通りでしょ?」

「マジかよ、レヴィ。お前どこの純情娘だぁ?」

不意に頭上から掛けられる声に視線を上げると、事務所の窓から顔を出すクロウディアとエダがニヤニヤと締りのない笑顔を浮かべていた。

「て、てめぇら!!いつから見てやがった!!」

顔を真っ赤にしたレヴィが両脇のホルスターからカトラスを引き抜き、階段を駆け上がって行くのをロックは痛む頭を抑えながら見送った。



[18783] 20話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:1736a385
Date: 2010/08/29 19:59
「クロウディアか?」

『ええ、頼んでいた物は手に入った?』

受話器の向こう側から聞こえてくる相手の声にツヴァイは、僅かに高ぶっていた心音が通常に戻るのを感じた。

ガラス越しに見えるのは日本語が並ぶ歓楽街、そこを歩く老若男女の日本人達。

ツヴァイは今、日本にいる。

ここをかつてツヴァイ自身も歩いていた光景であるはずなのだが、今のツヴァイには懐かしさよりもアメリカに初めて来た時の様な見慣れぬ街のように思えてならない不安感が着き纏っていた。

タイのロアナプラ同様、日本も新年を迎えており街全体が浮ついた雰囲気を漂わせていたがツヴァイにはそれすらもどこか遠い世界を眺めているようにしか思えなく、改めてここは自分の居場所ではないと実感させられる。

『ツヴァイ?聞いてるの?』

そんな感傷から引き戻されたのは、受話器の声だった。

「ああ、すまない。何の話だった?」

『しっかりしてよね。自分から日本に来たいって言ったんだから』

呆れるクロウディアの声どこか懐かしく感じられるほど離れているわけでないのに、そんなことを一瞬でも考えてしまった自分に思わず苦笑が漏れる。

『・・・・・本当に大丈夫?』

「心配するな、それよりも頼まれた物なんだが・・・・・」

呆れと通り越し、心配の域まで達したクロウディアのよそに、ツヴァイはポケットから一枚のメモを取り出す。

そこには出立前にクロウディアとリズィから日本での買い物を頼まれ、あまりにも量が多かった為にリストに書き出したのだ。

「あらかた買い終えたが・・・・このセーラームーンの限定ボックスは手に入らなかったぞ」

「それが一番重要なのよ!?何やってるのこの便所虫!!・・・・ちょ、リズィ!今タイムだってば!!」

「・・・・人を虫呼ばわりしといてお前らこそ何やってるんだ?」

「ソウルキャリバーよ、あんたが余計な電話してきたおかげで勝負が止まってるの!!いい、絶対限定ボックス買って来なさいよ!?買ってこなかったからすごいことするからね!!」

ファジーな脅し文句を吐き捨て、クロウディアは盛大に電話を切った。

「・・・・・そう言えば、リズィ、前のラグーン事務所で一回も喋ってないな・・・・」

受話器を置きながらツヴァイはリズィの最近の影の薄さを呟き、電話ボックスを後にする。

「雪か・・・」

頬に触れる冷たい感触に空を見上げれば、いつの間にか空は灰色の雲で覆われそこから純白の冬のかけらが舞い降りていた。

思えば、雪を見るのも随分久しぶりだった。

アメリカでもほとんど見ていないし、ロアナプラでは雪自体降ることがない。

こんな小さな雪にさえ、なぜか今の自分の居場所を否定されている様な気がしてしまい、ツヴァイ再び口元を皮肉気に歪ませる。

右手の時計に視線を下げれば、バラライカが行う会合の時間が迫って来ていた。

今回の仕事の内容は、ロックの護衛とバラライカの仕事の手伝い。

無理を言って日本に連れて来てもらったので、報酬はないも同然であった。

それにロックの護衛にはレヴィも同行しており、バラライカにはヴィソトニキが付いている為、ツヴァイのやるべき仕事などほとんどない様に思えたがそれでも仕事は仕事である。

遅刻でもしてバラライカの心証を悪くでもしたら後々の仕事に差し支えるかもしれない、そこまでバラライカは狭量ではないだろうが、万が一ということもある。

そうなってしまえば、本来の雇用主であるクロウディアになにをされるか分からない。

バラライカがこの日本で何をするのか詳しく聞いていないが、虎の子であるヴィソトニキを引き連れて来た時点で血生臭い鉄火場を作り上げるのは容易に想像がつく。

だが、それこそが今の自分の生きる場所で、立っている場所である。

ここから先は昼の世界でも夕闇の世界でもない、ツヴァイ達がこれまでもそしてこれからも生きて行く世界の話だ。

だが、会合場所に着くまでの短い道のりだけでもこの日本という故郷を出来る限り見て行きたい。

そう思うのもただの感傷なのだろうか。

だが、それでも構わない。

日本に来たのは、そんな感傷をここに置いて行く為なのだから。

昼の世界に共に行くと約束し、その約束を果たせなかった自分へのケジメの為に。









部下であり戦友であり同志であるボリスに愛飲の葉巻に火を着けさせ、バラライカは大きく紫煙を吐き出す。

歌舞伎町と呼ばれる日本の歓楽街にあるクラブ。

そこが、商談相手と初顔合わせにと指定された場所であった。

目の前には今回の商談相手の坂東と名乗るスーツ姿の男と、その取り巻き立ちが数名。

皆一様に鋭い眼光をしており、そこそこの修羅場を経験していることは分かるが所詮は日本のヤクザ。

本物の戦場を潜り抜けてきたバラライカやその同志達にはその程度の眼光は脅しにもならない。

「今日が初顔合わせですな。遠いところをよく起こしで、こっちがウチの組員共です。さて・・・・お名前は何とお呼びすればよろしいですかな?」

今日、ここで会うことはすでに打ち合わせ済みだが、互いに素性は明かしていなかったのをバラライカは思い出した。

こちらはすでに坂東の手下や坂東が率いる鷲峰組の構成人数まで把握しているのにも関わらず、得体のしれない外国人を己の縄張りに招き入れることに何の下準備もしていないとは、流石は平和大国と唄っている国である。

その平和ボケした警戒心の無さには呆れを通り越して感心すら覚える。

日本語で答えるのが礼儀なのだろうが、そんなものを覚えるつもりもないしロシア語などこの頭の足りない日本人達には酷だろう。

その為にロックを通訳として連れて来たのだ。

その護衛という名目でレヴィと何故かツヴァイも参加していたが今はどうでもいい。

「バラライカで結構です、ラプチェフ氏よりお話は伺っております。我々は永らく東京に本拠を築きたいと思っておりました、ご協力を感謝します」

今回、バラライカはホテル・モスクワの大頭目からの直々の命で日本に来ている。

日本を担当している同じく頭目のヴァシリー・ラプチェフが関東和平会の外国人閉め出しの煽りを受け、見事なまでに縄張りを奪われた挙句、東京から追い出され、大頭目に泣きついて来たからだ。

本来ならば粛清されても文句の言えない状況であったが、狡猾なラプチェフはしっかりと逃げ道を用意していた。

自分たちを追い出した関東和平会の内部での綻びを見つけ、そこを突くことにより何とか名誉挽回のチャンスを与えられたのだが、そこで「ホテル・モスクワ」でもチェーカー嫌いを公言して憚らないバラライカに助力を願う辺りが頭目としての胆力の強さ故か。

バラライカからしてみれば、どれも噴飯ものでしかないがソ連時代から他人の秘密を嗅ぎ回ることしか能の無いKGB上がりのラプチェフには自分の不始末を自分で拭うことを期待するのが無理と言うものだ。

所詮は力よりも金と権力で成り上がった者。そこが限界なのだろう。

「おたくんとことうちが組んだら怖いもんなしや。お聞きの通り関東和平会はとかく外人を閉め出したがってね。ロシアのラプチェフさんもそうやって追ん出された口や」

ソファの背向けに肘を乗せ、足を組み、高そうな煙草を指に挟むなど坂東はさも大物ぶった貫禄を出そうとしているようだが、バラライカから見ればこのような小さな島国の街一つで縄張り争いをしているギャングの親玉など、ロアナプラにいる張に比べれば組織の規模も、威厳も、どれをとっても戦車と蟻程にかけ離れている。

道化にしか見えない坂東に苦笑を噛み殺しながら葉巻を吸う行為がどのように写ったのか、坂東は余裕たっぷりに次の言葉を吐き出す。

「そこで・・・・ひとつうちが助け舟出そう思いましてね」

「・・・・・鷲峰組も、和平会の加盟組織のはずですが?」

その辺の事情も織り込み済みだが、バラライカはあえて問いを投げかけた。

自分の率いる組織が置かれている立場をどの程度まで明かして自分達に媚を売るのか見てみたいと思った。

案の定、坂東の表情が曇るが、予想よりも早く口を開いた。

「義理ってのにも限度があるんですよ。親の香砂会にゃ大層な額の上納金を入れてんだ、和平会にも随分尽くしてきたつもりなんやが、それが義理場でいつまでも末席とはあんまりでしょうが」

結局は、何処の国でも何処の組織でもやってることは変わらない。

皆、いつでも自分の立場をより高みへと上げたいだけだ、その為には他人をどう利用しようが知ったことではない、何処まで行っても救いようがない世界だ。

「利害は一致していますよ坂東さん。あなた方は我々の力を背景に勢力の拡大を図り、我々はこの街にもう一つの灯を点す」

本来ならばこのような島国など、バラライカ率いるヴィソトニキがいればこんなチンピラ共と手を組まずとも十分に制圧できる自信はあるが、ここは自分の縄張りではないし。何よりそんなことをしてやる義理もラプチェフにはない。

手っ取り早く済ませられるなら何でもよかったのだが、そんなバラライカの本心など察せるわけもない坂東はあくまで自分達が有利だと思い込んでいるような不愉快な笑みを浮かべた。

「話が早い。おたくらの力で香砂会を抑えてくれたら、和平会も嫌とは言えん。うちの代紋の株も上がる。おたくら、ロシアの連中の中でも一等鉄火場に慣れてるらしいが?」

「我々の力――――ですか?」

そう問い返したバラライカの瞳に地獄の炎が宿るのを少し離れたカウンターバーでレヴィと共に事の成り行きを観察していたツヴァイは確認した。

すでにバラライカの周りにはヴィソトニキが護衛として張り付いており、バラライカの通訳を務めるロックも自然に護られる形となっており、この場に置いてレヴィとツヴァイは仕事など皆無だった。

たんに酒を楽しむレヴィとは違い、ツヴァイは独自に護衛としての役目を果たす為に警戒を行っていたが、ここに来て一番警戒すべき人物を誤っていたことに気付かされる。

「おい、レヴィ・・・・・」

「あん?どうしたよ兄ちゃん、便所か?」

能天気な事を言うレヴィを無視し、ツヴァイは構わず続ける。

「近いうちに何かが起こる、注意だけでもしといた方がいいな」

「はぁ、襲撃でも来るってのか?まだここの情報は誰にもバレてねぇはずだろ」

「そうじゃない、バラライカが何かやらかしそうなんだ」

「姐御が?」

ようやくレヴィもバラライカに視線を向け、ツヴァイの言いたいことが分かった様に口元にこの国には相応しくない凄絶な笑みを浮かべる。

「へぇ、いい顔じゃねぇか姐御。最近ロアナプラじゃたいしたドンパチがなかったからな」

「・・・・・・」

ツヴァイもバラライカに視線を移すと、丁度バラライカが携帯電話で誰かと会話しているようだった。

聞き取れない言葉なのでおそらくロシア語であろうが、この場でわざわざロシア語で話す意味などあるのだろうか。

そんなことを考えているうちに、通話が終わりバラライカは携帯電話をわざとらしく音を立てて閉じる。

瞬間、轟音と自分達がいるクラブ全体が激しく揺れる震動に襲われた。

「なぁ!?」

「やっぱりこうなったか・・・・・」

「香砂会の持つクラブを一件、手始めに吹き飛ばしました」

慌てふためくヤクザ共とは対照的に、うんざりした様にツヴァイは呟き、バラライカの言葉を訳するロックの言葉にヤクザ共は坂東を除いて激昂する。

「吹っ飛ばしたぁ!?」

「馬鹿野朗!てめぇなに考えて―――――」

立ち上がる坂東の取り巻き立ちを制するかのように、バラライカは英語での言葉を続ける。

それをロックは一字一句間違えないようしつつも、バラライカの言葉の過激さを日本のヤクザを刺激しないように慎重に言葉を選んで翻訳する。

「拳銃で威嚇などお話になりません、初陣で威力を見せつけます。我々「ホテル・モスクワ」示威行動です」

バラライカの火傷顔にはおよそ人間らしさというものが完全に欠落しているとしか思えない凄惨な笑みがあった。

地獄の底から現れ、この世を地獄と変えんとする悪鬼ですらこんな貌はしない。

限りなく邪悪で、限りなく凄惨で、限りない愉悦に貌を綻ばせバラライカは告げる。

「我々は立ち塞がるすべてを殲滅する―――そのためにここに来たのですよ?」

怯える取り巻きに比べ、さすがはヤクザの若頭と言ったところだろうか。

坂東は相変わらずの余裕の表情を崩さずに答える。

「いいじゃねぇかよ、鷲峰組の喧嘩始めにゃ一等の大花火だ。気に入ったよ、バラライカさん」



[18783] 21話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:43631094
Date: 2010/08/29 20:13
「ファントム、今回はあなたにも動いてもらうわ」

会合からの帰り道、ロアナプラから持ち込んだベンツの中でバラライカはツヴァイにそう言って切り出した。

ある程度は予想できたことだが、ここまで早く来るとは思っていなかったのでツヴァイは思わずバラライカの顔を凝視してしまう。

その反応が意外だったのか、バラライカは首を傾げながら

「あら、意外だった?あなたを日本に連れてきたのは観光をさせるためじゃなくてよ?」

と、彼女はいつもの葉巻ではなくパーラメントに火をつける。

「いや、それは分かっている。で、何をすればいいんだ?」

早速本題に入るツヴァイにバラライカは、口元の端を僅かに吊上げる。

「ヴィソトニキと共に香砂会系の事務所を襲撃してもらうわ」

「分かった」

言葉を最後まで言い終える前に答えるツヴァイの反応があまりにも淡々としていたのか、今度はバラライカがツヴァイの顔を凝視する番だった。

「・・・・どうした?」

「いいえ、同郷の人間を殺すのに何の抵抗もなく引き受けたのが意外だったから」

苦笑を漏らすバラライカにツヴァイも苦笑を持って返す。

「俺に今更、同郷も何もないだろ?与えられた仕事を与えられた通りにこなす。これまでも、そして、これからもな」

「そう、流石はファントムってところね」

紫煙と共に吐き出される言われ慣れた言葉も、この国で聴くとなると僅かに心の中がざわつくのを感じるが、ツヴァイは感情を押し殺しバラライカから窓の外に見える流れる景色に視線を移す。

「銃はこちらで用意するわ、カラシニコフ?それともスチェッキン?」

「いや・・・・使い慣れてない銃は苦手だ」

にべにもない返事だったが、ツヴァイが一度仕事を引き受けた以上、仕事を下りる事などありえないと理解しているバラライカは機嫌を悪くした様子もなく、むしろツヴァイの次の言葉を期待して紫煙を吐き出す。

「ひとつ聞きたい・・・・・」

「何かしら?」

「お前はこの日本で何をやるつもりなんだ?」

ツヴァイの問いにバラライカは、その火傷顔にクラブで見せた凄惨というには余りにも生温い地獄の笑みを受かべ、

「大頭目の命令は『戦争をしろ、焼け野原にしろ』。それを忠実に守るだけ、私達がいる限り、ここもロアナプラも何も変わらないわそれに――――」

「立ち塞がるすべてを殲滅する、か?」

「ダー(勿論)」

「・・・・・・」

結局は、どこに行っても変わらない。

何もかもが変わらない。

変わったのは何かが変わったと感じる自分自身なのかも知れない。

瞼を閉じれば、日本で過ごした十数年が閃光のように浮かんでは消えていく。

もう戻れない、否、戻らないと決めた世界を完全にかき消しツヴァイは再びバラライカに視線を移す。

「獲物はナイフ一本で十分だ。それと、俺はもうファントムじゃない、誰の命令でもなく自分の意思でここにいるツヴァイだ」

「そう・・・スマートな仕事を期待してるわツヴァイ」

満足気に瞳を伏せたバラライカは、この日本に来て初めて人間らしい笑顔を見せた。










「軍曹、状況の推移を説明してくれ」

同志である軍曹に罪はないのだが、バラライカは不機嫌さを隠さずに側近であるボリスに報告を促すと、即席のロシアンティーを口にした。

アポなしの来訪によって静かな朝を台無しにされた上官の心情は察して余りある。

何しろ相手が自分達を日本に招きいれた張本人、彼の上官と同じ「ホテル・モスクワ」の頭目を務めるヴァシリー・ラプチェフだったからだ。

バラライカ同様、ボリスも、否、ヴィソトニキのメンバー全てがKGB上がりの者を心底嫌悪していた。

理由など語るにも汚らわしい、他人の予定を考えずに唐突に来訪してきたにも関わらず悪びれた様子もないラプチェフは朝食にしては分厚すぎるハムにナイフを入れていた。

厚顔無恥のここまでくれば見事なものであると心の中で皮肉と共に唾を吐き、ボリスは本来の任務に思考を戻した。

「は。昨夜から攻撃対象をカジノへ変更。二件を壊滅し、損害なし、痕跡は消毒済みであります」

「完璧だ、軍曹。別動斑とファントムは?」

信頼する最古参の副官の言葉に僅かにバラライカの機嫌が通常時に近づき、労いの言葉を掛け二手に分けていた行動斑の片割れの結果を促す。

「○二三○時に香砂会系組事務所を襲撃、殺害、確認戦果十二――――損耗なし、負傷なし。○二三七時までに総員、敵地より撤収・・・・それとファントムでありますが・・・・」

「どうした、同志軍曹?」

いつも精悍な顔つきの副官が無口なことは理解していたが、報告の途中で言葉を詰まらせるのは長年の付き合いの中でも初めてのことだった。

ボリスは報告がまとめられた書類に視線を落とし、まるで幽霊を見たかの様に驚愕にその細い眼を開かせていたが、すぐに持ち前の無愛想とも言える岩の様な固い表情に切り替え、報告を続ける。

「いいえ、失礼しました。ファントムも○二三○時に別働斑とは異なる事務所を襲撃、補助としてつけていた隊員からの報告によりますと、○二三五時に撤収。殺害、確認戦果十五。損耗なし、負傷なし」

「ほう、我々よりも早く襲撃を完了させ、尚且つ我々より多くの敵を屠るとは・・・・・・ファントムの面目躍如と言った所だな」

上機嫌に告げる上官にボリスは、更なる報告を加える。

「それと、今回の襲撃ではツヴァイは一発の銃弾も使用しておりません。全てナイフによる殺害であります」

「ほう・・・」

母国のツンドラを彷彿とさせる怜悧な光がその焼けた右目に宿り、バラライカはそれを誤魔化すようにティーカップに口を着ける。

自分達よりも早く、そして鮮やかに目標を攻略した手並みにその体に流れる軍人の血が騒ぐのはボリスも同様であったが、そのような一時の感情に流されるほど愚かではない。

今は大頭目から下された命令を確実に遂行するのがバラライカとヴィソトニキに課せられた任務である。

「――――警察の介入は?」

ダージリンの香りで闘争本能を宥めたバラライカは副官のボリスに報告の先を促す。

「○三○五時より各作戦区において封鎖を開始。現刻に至るも、非常警戒態勢を継続中です。警察無線の詳しい内容は鷲峰組組員に記述させました。詳細はロックの翻訳を待たねばなりませんが、彼は用事がありまして・・・・・」

翻訳だけならツヴァイにも任せられるのだが、生憎と彼も私用で出ていた。

「情報の確度は生死を分ける。迅速に翻訳させろ」

そう言ってバラライカは残り少なくなった紅茶を一気に飲み干す。

生死を分ける事柄であるはずの情報が正確に手元にないという状況であるにも関わらず僅かな焦りもないのは、自分のたちの能力を完全に把握しているからだ。

いくら第三次世界大戦を戦い抜ける力量を持つとはいえ、ヴィソトニキも万能ではない。

初めて訪れる国の言葉を理解など出来る筈もなく、ましてや翻訳など自分達が行う時間と、出来る者の帰りを待ってから翻訳させる時間を考えれば、明らかに後者の方が労力を最小限で済まさせられる。

どこまでも現実的な考えを持ち、それ故にこれまで数々の戦場を生き抜いてきた者の片鱗を見せた上官にボリスは改めて尊敬の眼差しを向ける。

「ふん、流石だなバラライカ、スレヴィニン大頭目もアンタに一目置くわけだ。仕事も早くていいな」

だが、それも上官の正面に座りこれまで一言も言葉を発さず朝食を平らげていた男が、ようやく口を開くまでであった。

意図的に意識から男の存在を乖離させていたバラライカだったが、自分の無能さを完全に棚に上げ、さも自分が命令を下した指揮官の様に振る舞うラプチェフの態度に不機嫌さを隠さずに苛立ちに染まった視線を向ける。

このような男と共に朝食など取れる筈もない。

「誰の尻拭いしていると思っているのかしらね、ヴァシリー。あなたは組織の面汚しだわ。こんな遊び場の制圧すらろくに行い得ない」

飾りもしない侮蔑の言葉にラプチェフは怒りで肩を震わせるが、紛れもない事実である。

己の縄張りを取り戻すために同じ組織内とは言え、他人に助力を乞うなどそうそう出来るものではない。

自分の実力を理解しているのかと僅かな期待を抱いてみたが、どうやらそれも誤りであったようだ。

「とにかくこの作戦を片付けて、私はロアナプラに戻りたいの。あそこは火薬だらけでね、いつまでも放っておけないの」

これ以上不愉快な思いは御免だ、とばかりにバラライカは席を立ち、愛用の軍用コートを羽織る。

「調子に乗るんじゃねぇぞ、バラライカ。俺だってモスクワに帰りゃ、立派な頭目の一人なんだぜ」

立派な頭目が聞いて呆れるが、ラプチェフは自分を軽んじたバラライカが許せないようだ。

何を持ってこの男は自分とバラライカにある天地ほどもかけ離れた実力差を理解しようとしないのか甚だ疑問である。

所詮、金で頭目まで昇った者などこの程度なのだろう。

「あら、ごめんなさい。腕より金で昇った人は印象が薄くてねぇ。忘れないようにドル札に名前を書いておかなきゃ」

侮蔑でなく本心からの言葉だったが、ラプチェフにそれを理解しようする気も、理解できる頭もない。こめかみに青筋を立て吐き捨てるように余計な一言を口にする。

「吼えやがれ、軍人崩れの雌犬が!」

その言葉にボリスは懐に忍ばせてあった銃に手を伸ばす。

だが、それよりも早く、バラライカが動いていた。

「ぐおっ!?」

その動きはさながら豹の様にしなやかで、獅子の様に獰猛だった。

攻撃と言うひとつの動作を究めた芸術ともいえる動きがそこにはあった。

振り向き様に髪を掴まれたラプチェフはなんの抵抗もできずに、雌犬と蔑んだ相手に片手一本で持ち上げられ、テーブルに叩き付けられる。

「忠告だけしておく、私がこの世で我慢ならんものが二つある。一つは冷えたブリヌイ、そして間抜けはKGB崩れのクソ野郎だ」

唐突すぎる暴力に、予測も覚悟も決まっていなかったラプチェフは苦痛と屈辱、そして恐怖に顔を歪めるが、さしたる抵抗も出来ずに唸るだけであった。

そんな無様な様子にバラライカはラプチェフの恐怖を嗅ぎ取るように鼻面を寄せ、じっくりと舐めるように凶悪な笑みを浮かべた。

「困ったものだ、そうだろう。弾にだけには当らんよう、頭は低く生きていけ」









「ふう・・・」

宛がわれたホテルの一室でツヴァイは、ベッドに腰かけながら深いため息をついた。

右手にはすでに空になったグラスと、そこに入るすでに冷やす物もなくなった孤独なロックアイス。

昨日からまともな睡眠をとっていない為に摂取したアルコールもその意味を果たさず、睡眠不足と相まって頭痛の元になっていた。

原因は分かっている。

昨夜の香砂会系事務所襲撃の事が頭から離れない。

ミスなど全くなかった。

むしろ久しぶりの暗殺と見れば手際が良すぎたくらいだったが、逆にそれが心の中の大きな棘となってツヴァイを容赦なく抉っていた。

納得してバラライカからの依頼をこなした筈である。

誰の命令でもなく、自分の意思で。

にもかかわらず、昨夜自分の手で殺した者達の顔が脳裏にこびりついて離れない。

このような事はインフェルノ時代にもなかった。

仕事はあくまで仕事。そこに何の感情も感傷も入り込む余地などない。

相手が同郷の者であったからと言ってそれが何になろう、もとよりそこまで愛国心も同郷心もある訳がない、自分はただの人殺しだ。

その技術が人よりも優れていただけでここまで生き残り、ファントムとまで呼ばれた。

それだけの話だ。

今更、人を殺して得体の知れない苦痛に苛まれるなどそんな人間味溢れる感傷はとうの昔に捨て去った筈であるのに、今はそれがあまりにも重い。

こんな変調を来たしたのはこの国に来てからだ。

懐かしい光景が、捨て去った筈の日常が、自分を昼の世界に戻そうとする。

いっそのこと、この国全てを焼き払えばこの訳の分からない苦痛から解放されるのだろうか、バラライカに相談すれば彼女は喜んで手を貸してくれるだろうか。

レヴィはどうだろうか、彼女もこんな平和ボケした世界には相応しくない人間だ。

血と硝煙の立ち込める夜の場所こそ自分達の様な人間がいるべき場所。

そこまで考えてツヴァイは頭を振り苦笑を洩らす。そんなことできるわけがない。

バラライカも、自分も、そしてレヴィもイカれた殺人者であることには変わりはないが、イカれた殺人マニアではない。

それ以前にイカれた軍人崩れであり、イカれた殺し屋崩れであり、イカれた拳銃遣いだ。

己に何の益もない殺しはしない。

ちっぽけなプライドだが、それ故に自分達の立つ場所を弁えている。

余計な事を考え過ぎた頭を冷やす為にシャワーを浴びようと立ちあがるツヴァイの視線の端に、つけっ放しだったテレビの光が入り込んできた。

『昨夜、横浜市山下町の中華料理店『香杯』に武装した外国人グループが押し入り、店長の徐栄中さん四十二歳他八名が死傷するという事件が起きました』

アナウンサーから発せられる事件の内容にツヴァイは眉を潜ませる。

中華料理店『香杯』。

インフェルノ時代に仕入れた情報によれば、そこは北京系マフィアが運営していた店である。

日本のヤクザとの関係は聞いてはいないが、元々排他的な日本人とは折り合いは悪いだろうと言うことは容易に想像できる。

しかし、このタイミングで襲撃を行うとは何を考えているのだろうか。

「ホテル・モスクワ」とツヴァイの襲撃により、この国の警察も目を光らせているこの時期に火に油を注ぐような行為は愚行にもほどがある。

『なお、先日から起こっている暴力団同士の抗争に関連性があると見て警察も警戒を強めています』

抗争ごときでこれほど大騒ぎになる国も珍しいだろう。それだけ平和な国なのだろうと感心する半面、危機感のなさに呆れも覚える。

テレビの横に備え付けられた時計に視線を落とすと、鷲峰組と定時報告会の時間が迫って来ていた。

さっさとシャワーを浴びる為にツヴァイはテレビの電源を落とした。



[18783] 22話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:4871c57c
Date: 2010/08/29 20:52
六本木のSMクラブ。

今回の会合の場所であった。

そのVIPルームにはすでに見知った者達が顔を揃えていた。

特等席から見えるステージで行われる扇情的なコスチュームに身を包んだ女達から発せられる歓喜の悲鳴にも耳を貸さず、坂東は部下に咥えた煙草に火を着けさせた。

「すまねぇな姐さん。女のあんたにゃ面白くもねぇ場所だろうな」

「別に、ただ私はうるさい所はあまり好きではありません」

坂東の社交辞令にバラライカは葉巻を咥えた口元から流暢な英語で返し、それをロックが日本語に訳す。

以前の様に部屋にはカウンターバーがない為、ツヴァイもレヴィも手持無沙汰で壁に寄り掛かっていた。

すでに部屋には20を超える人間が入っており、直接会話する互いの組織のトップ以外はすることもないので、暇を持て余した者達は一様に煙草を吸っている為、煙草を嗜まないツヴァイにとっては煙くて仕方なかった。

「香砂会が動き始めとる。六本木なら目立てなくていいんだよ」

そんなことはどうでもいいと言わんばかりに、バラライカはさっそく本題に話を移す。

「我々は順調に攻略目標をクリアしています。しかし、香砂会は大規模な組織です。締め上げるにはまだ足りない。第二段階に移行するために攻略目標を転換します」

「転換?」

バラライカの言葉に坂東は眉をひそめる。

元々の話では香砂会の事務所を襲撃するだけで十分の筈だった。

これまでのバラライカの働きは坂東達の予想をはるかに上回るものであったろうが、これ以上の事を行うとは聞いていないのであろう。

「そう、転換です。まず彼らの資金源となるべき店舗、風俗店、産廃屋に対する封じ込めを」

「・・・・連中も素人やない、ある程度やり込めたら流石に気付く」

「もちろん。これは揺さぶりに過ぎません。本目標は別にあります」

バラライカ言っていることはいちいち正しい、これは抗争と言う名の戦争だ。

相手の戦力を削ぐことこそ自軍の勝利が近くなる絶対条件だ。

だが、抗争を喧嘩の延長と考えている坂東達にはバラライカの言わんとしている事の意味が分かりかねるのだろう、しばらくの沈黙の後に疑問を口にする。

「どういうことや?」

「何処の国でも通用することですよ」

そう言葉を切ってバラライカは葉巻を指で挟んで姿勢を正し言葉を紡ぐ。

英語で告げる言葉の意味を最初に理解するロックの表情が強張るが、自分の仕事の内容を理解したのだろう。

バラライカの言葉を正確に訳し、坂東に伝える。

「誘拐・・・・誘拐ですよ、坂東さん。目標は香砂会会長、香砂政巳の家族です」

その言葉に坂東達の顔が驚愕に歪む。

バラライカから見れば当然の選択も彼らからしてみれば夢想すらしていなかったことなのだろう。

ロック同様に英語も日本語も理解できるツヴァイには同じセリフを二回言われると同じことだが、何度聞いてもバラライカの方に理があるのは明白であった。

「水を差すようやがそれだけはアカン!!」

坂東の慌てた様子が理解できないバラライカはロックに何を言っているのか尋ねるが、ロックの翻訳を聴くなり眉をひそめる。

「お宅らに求めとるンは、香砂会からの圧力を緩めるようにする、そういうケンカや。適当に暴れてくれりゃ、後は口八丁でどうとでもなる。余計なことして話しをこじらせんといてくれ」

その言葉にツヴァイもバラライカもあまりの滑稽ぶりに思わず苦笑を洩らす。

突然笑い出したツヴァイに怪奇の視線を送るレヴィだが、こればかりはどうしようもない。

バラライカもツヴァイと同じ考えに至ったのだろう、隣に控えるボリスにロシア語で話しかけ笑いをこらえていた。

「聞いたか軍曹。こいつらまるで分かってないぞ」

ロシア語は理解できないが、理解せずとも内容はおおよそ予想がつく。

侮蔑の笑みを隠しもせずにバラライカは、ロックにこれから告げることを正確に訳す事よう釘を刺し、坂東に向き直る。

「坂東さん、我々は無条件の力を行使し利潤を追求する。そのリスクの多くは我々が負担している。つまり―――――すべての決定権はあなた方にではなく、我々にある」

そこまで言ってようやく事の重大さに気付いたのか、坂東は額に脂汗を浮かべながら沈黙する。

彼らはバラライカ達を傭兵か何かと勘違いしていたのかもしれない。

それとも、暴れるだけ暴れる狂犬とでも思っていたのかもしれないが、それは大きな間違いである。

最初に言った通り、バラライカはこの街に新たな火を点しに来たのだ。

その目的に便乗して自分たちの勢力を拡大しようとしたのは坂東達だ。

何処をどう勘違いすれば、自分達に決定権があると思えるのか是非とも聞いてみたい気分に駆られるが、そんな空気を凍らせる電子音が部屋に響いたのはその瞬間だった。

携帯電話の着信音。

そのあまりに気の抜けた、そしてあまりに場違いな音に一同の視線が集中するが、携帯電話の持ち主はそんな視線など意に介さず、さも当然の様に電話に出る。

「おう・・・・何だルミかぁ?かけてくんなっつったぺよこの時間。プラダぁ?いらねぇよ売るほど持ってんし、うるせぇよ。おめぇよぉ後で歯ぁ二本ガッツリ行くかンなァ。あ?入れ歯にしろや。じゃぁ切っから」

空気も読まずに電話を切ったのは、見るからに頭の足りなさそうな外見の男だった。顔中ピアスだらけで知性のかけらも見当たらない。

鷲峰組は人材不足とは聞いていたが、こんなチンピラも入っていたらしい。

「チャカ坊、てめぇ何してやがんだこの野郎!!」

「どういう話してんのか分かってんのか、バカ野郎!!」

「え?あ~悪ぃっす。だ―からかけてくんなっつってんのに、あのバカアマ」

当然、周りの組員に一喝されるが、チャカと呼ばれたチンピラは口では謝罪しつつも態度では全く悪びれた様子もなく他の組員の群れに混ざって行った。

「お騒がせして申し訳ない―――今の件もう少し時間を貰えへんか?」

「もちろん、作戦に支障のない範囲でならお待ちします。祝杯は互いの為に上げられるよう」

チャカの件などなかったかのように続ける坂東の言葉に、バラライカは冷酷な笑みで答える。

今日の会合でこれ以上事態の進展は望めないであろうと判断したツヴァイは、視線をバラライカからチャカに移した。

ロアナプラにいる場末のチンピラにも劣りそうな男だが、右ポケットに入る銃が気になっていた。

服の膨らみからリボルバーであることは判断できるが、チンピラが持つには少々物騒すぎる代物である。

あの手の輩は、銃の力を自分の力と勘違いし辺り構わずぶっ放す厄介な性質があるので、ある意味一番注意が必要な人種でもあった。

その証拠に、先ほどからツヴァイの隣にいるレヴィに挑発的な視線を送っている。

当のレヴィは、退屈な会合を紛らわす為に煙草のもたらす酩酊感に浸っているのでその視線に気付いていないが、仮にそれに気付きでもすれば、この売られた喧嘩は通販を使ってでも買うようなウルトラ短気の彼女があのチンピラの挑発を受け流すとは到底思えない。

余計な事で話をこじらせない様にするにはどうすればいいか考えるだけ億劫になるツヴァイは深いため息を漏らすが、それも部屋に立ち込める紫煙の中に空しく消えるだけであった。

そして、ツヴァイの予想は予想以上の早さで的中することになる。

バラライカ達が坂東達との社交に精を出し始めた頃を見計らいトイレに抜け出すロック。

その後に付き従うレヴィの後を追いかけるように部屋を後にするチャカの姿にツヴァイは嫌な予感を覚えた。

適当な理由で部屋を抜け出すと、案の定トイレの外で待つレヴィにチンピラは絡んでいた。

「君さ、ロアナプラから来たんでしょ?刑務所よりもワルが多い街だって噂だけど」

意外な事にチャカは流暢に英語でレヴィに話しかけていた。

短気なレヴィが馴れ馴れしいチャカにすぐ殴りかからないのは、ツヴァイ同様チャカの語学力に些から驚いたからなのかもしれない。

「あのさ、人撃った事あんの?俺もあるよ、十人とか・・・・」

だが、所詮は日本のチンピラ。何が自慢なのか知らないが撃った人数を嬉々として語り出す頃にはレヴィの興味はすでにチャカから無くなっていた。

「ロメオ、一言いいか?」

「え?」

突然の一言に呆気にとられるチャカにレヴィは、咥えていた煙草の紫煙を容赦なく吹きかける。

「息がな・・・臭ぇんだよクソボケ。香水なんぞふってても分るんだよ。てめぇの臓物は腐ってやがる」

咳き込むチャカにレヴィは相変わらず興味なさげに吐き捨てる。

そこで止めに入るべきか迷っているうちにロックがトイレから出てきた。

ロックもロックで相変わらずタイミングが悪過ぎる。

しかし、タイミングは悪いが空気は読めない男ではないロックは、咳き込むチャカを見ておおよその状況を理解したのだろう、これ以上二人を関わらせない為にバラライカ達がいる部屋へ戻ることを提案する。

「レヴィ行こう、バラライカさんが待ってる」

だが、案の定それで自分を軽んじられたと感じたチャカは、ロックとレヴィの間に足を入れ進路の妨害を始めた。

ロックのお蔭で命が助かったことなどこの男には一生理解できないだろう。

「あのね、通訳さん。見て分かねぇっすか?話し中。割り込まんで下さいや・・・・・」

邪魔に入ったロックに怒りの矛先を向けるチャカだったが、ロックは顔を強張らせながらもチャカを無視しレヴィにのみに話しかける。

「レヴィ、先に行け。戻って坂東さんか吉田さんを――――」

短すぎる導火線を持つチャカにそれ以上は我慢の限界だったらしい、組織の客人であるロック対し、容赦のない拳を腹に打ち込み悶絶させる。

咳き込みながら膝を突くロックにレヴィは僅かに眉を吊り上がらせるだけの反応だった。

レヴィは短気だが馬鹿ではない。

このどうしようもない馬鹿を黙らせるのは簡単だが、そうなると後の処理が面倒になることは誰も目にも明らかである。

多少なりともレヴィを見直したツヴァイの目に、今度ばかりは見逃しようもない物が視界に飛び込んできた。

怒りにまかせてロックに蹴りを入れるチャカは蛙を思わせる嫌悪感しか与えない笑みを浮かべ、レヴィに肩越しに振り返る。

「なぁ、姉ちゃん。やられっぱなしでカッコ悪いよなこいつ。俺に乗り換えればぁ?こんな腰抜けのイチモツじゃ、君だって満足できねェだろ?」

その右手はポケットに忍ばせてある銃を握っていた。

レヴィの視線に一気に殺意が籠り、右手の指の骨が音を立てる。

「それくらいにしておけ」

チャカの背後に回り右手の間接を極めながらツヴァイは英語で呟いた。

「なぁ!?」

突如現れた新たな邪魔者にチャカは驚愕の声を上げるが、喉元に添えられたナイフの光の前に次の言葉を失う。

「悪ふざけも大概にしろ、チンピラ」

わざと声色を低くしツヴァイは、間接を極めたチャカの右腕に力を込める。

「何だテメェ、いきなり何しやがんだコラァ!?」

未だに自分の置かれた状況が理解できないのか、チャカはこめかみに青筋を立てながら背後のツヴァイを恫喝する。

「こっちはお前の様な奴に構っているほど暇じゃないんだ・・・・・大人しく家に買って空き缶でも撃って遊んでいろ」

「あぁ!?んだテメェ何様だ・・・・」

「おい、お前ら何しとんねん!!」

いざこざはそこまでだった、騒ぎを聞きつけた吉田がツヴァイとチャカの間に割って入ってきた。

「やだなぁ、吉田さん。ちょっとじゃれてただけじゃないっすかぁ」

ツヴァイから解放された直後に今度は吉田に胸倉を掴まれるチャカは、バツの悪そうに苦しい言い訳を口にしていた。

その間も邪魔をしたツヴァイに殺気の籠った視線を向けていたが、すでにツヴァイはチャカなどの小物から興味を無くし、倒れるロックの介抱に向かっていた。

「えらいすまんな、厳しゅう言うとくさかいに」

とりあえずの謝罪を口にする坂東に腫れ上がった顔で答えるロックの肩を抱いているのは、申し訳なさそうな顔をするレヴィだった。

「すまなかったな、ロック」

やむを得ない状況ではあったが、目の前で仲間が殴られるのを見るのは耐える方も辛かっただろう。

それを理解しているロックは責めることなどせず、流れ出た鼻血を拭いながら答える。

「あいつずっと拳銃に手を掛けてた。狙いは俺じゃない、お前に抜かせたかったんだ」

その答えにレヴィは満足げに頷く、もとより観察眼の鋭いロックにレヴィ達の世界のルールが分かって来たことが嬉しい様だ。

「よく見てやがるぜ。ダイヤの魂が入って来たな、ロック。ご名答さ、ここで抜いたら・・・・姐御もあたしらもみんな揃ってややこしいことになる・・・・・・こりゃカトラスが入り用になるかもな」

その不穏な言葉に、身をていしてまで争いを収めたロックは声を張り上げてレヴィを止める。

「お、おいレヴィ!?」

「あたしから手を出すつもりはねぇ・・・・だが、あの野郎はどっかの段階で銃をこっちに向けてくる、ケツと頭の区別もつかねぇノータリンだからな」

「それに関しては俺も同感だな」

「玲二さんまで!?」

ロック同様にレヴィを諫めてくれると信じていたツヴァイからの言葉に、ロックはますます顔を曇らせる。

「あういう手合いは自分が噛みついた相手がどんなものか考えもしないからな、俺もナイフじゃなくて銃が必要かもしれないな」

「請け負うぜ、それまでの辛抱だロック。そんときゃ絶対ぇ殺してやる」









「絶対ぇ殺してやる!あんのクソ野郎が!」

店裏に備えられたゴミ入れのポリバケツを蹴り飛ばし、チャカは盛大な八当りの言葉を吐き捨てた。

自分の店を我が物顔で会合場所に使われたのはまだ我慢できる、クラブ経営の資金は大方鷲峰組から出ているので親の機嫌を損ねてしまえば、ここまで六本木で昇りつめた意味がなくなる。

癪ではあるが馬鹿ではないと自覚している。と、信じているチャカであった。

問題は他にある、会合で見つけた通訳の護衛、名前はレヴィと言ったか。

女のガンマンと言うのはこれまでに見た事がない、しかも、あのロアナプラから来たという触れ込みだ。

ガンマンを自負しているチャカにとっては、是非ともお相手を願いたい人物であった。

それが妙な男に邪魔された、一人は通訳。そいつは特に問題なく拳一つあれば充分であった、そいつを餌にレヴィを挑発しもう少しで銃を抜かせられる所まで言ったのまでは良かったのだが、そこに新たな邪魔者が割り込んできた。

先刻の男と同じ東洋系に見えたが、現れるまで気配すら感じなかった。

だが、そんなことはどうでもいい。

自分の邪魔をされた、それだけで十分だった。

それだけで殺す理由は成り立つ。

だが、殺そうにも相手が親の取引相手の身内と言うのが面倒であった。

結局、チャカは何も分かっていないただのチンピラに過ぎなかった。

銃の力を自分の力と勘違いし、少々他人よりも背景にヤクザと言う暴力を付けただけの小物。

確かにチャカは馬鹿ではない、レヴィの言う様に救いようのないノータリンなだけだ。

「お困りの様ですな・・・・」

不意に掛けられた英語での言葉に、チャカは視線を移す。

「・・・・・んだテメェ?」

ネオン街にあふれるライトを背にその男は立っていた。

長身の体を仕立ての良い白スーツで包み込む白髪のオールバック。

潔癖症を思わせる痩せこけた頬の上にある紫色の瞳は、蛇の様な狡猾さを潜ませていた。

「失礼、自己紹介が遅れましたな、私はギュゼッペ。以後、お見知りおきを」

仰々しく頭を下げるギュゼッペと名乗る男に、チャカは警戒心も隠さずに恫喝する。

「んなこと聞いてんじゃねぇンだよ、タコ。俺になんか用かコラ?」

チャカの足りない頭ではなく、本能が告げている。

こいつはヤバいと。

いつでも抜けるように、右ポケットの銃に手を伸ばすも、ギュゼッペは口元に人間の温度を感じさせない笑みを浮かべる。

「そう警戒しなくてもよろしいですよ。私はただ、あなたの力になりたいと思いまして」

「力だぁ?」

相手の意図がまったく分からず眉をひそめるチャカの反応が面白いのか、ギュゼッペは両手を広げ敵意がないことを表しながら近づく。

「そう、力です。あなたのその怒りの矛先にいる人物には私も少々用がありましてね」

何処でどう嗅ぎつけたのか、チャカの目的の人物を知っているかのような口ぶりにますます警戒心を強めるチャカだが、妙な事に先刻まで警鐘を鳴らしていた本能はギュゼッペが近づく度に薄れて行く。

「てめぇ、あの野郎の事知ってんのか?」

「ええ、知り過ぎていると言ってもいいですな。なにせ彼をこちらの世界に引き込んだのは私なのですから」

まるで我が子を自慢するかのように告げるギュゼッペは、静かにチャカの両肩に手を乗せる。

本来ならそこまでの接近を許すは気もなかったのだが、すでにチャカの手には銃すら握られてはいなかった。

彼の言葉、手の動き、指の動き、その全てがチャカの警戒心を緩やかに溶かしていく。

「失礼ながら貴方の事を少し調べさせていただきました。もちろん鷲峰組の事も」

「・・・・何調べようってんだよ、あんなカビ臭ぇ組なんざ」

勝手に自分の事を調べられたにも関わらず、不思議と怒りの感情は浮かばずチャカは吸い込まれそうなギュゼッペの瞳に見入っていた。

「そこですよ」

「はぁ?」

当然の同意にチャカは訳が分からず声を上げる。

「鷲峰組はすでに荒廃している。あの組には未来などありません、貴方はそんな沈みかけの船でどうしようと言うのですか?」

当然、チャカには鷲峰組と共に死ぬ気などさらさらない。

そんな恩も義理も自分には無縁のものであった。

しかし、実際問題としてどのように行動すれば良いのかも分からない。

「すでにこの世にはノアの箱舟など存在しない・・・・・そこで私が力を貸そうと言っているのです。あなたは鷲峰組と共に沈むにはあまりにも惜しい」

「随分俺を高く買ってくれんじゃねぇか・・・・」

皮肉気な笑みを浮かべるチャカに、それ以上に皮肉気な笑みを浮かべギュゼッペは肩に置いた手に力を込める。

「言ったでしょ?貴方のことは調べさせてもらった、と。この腐敗した日本で10人以上も撃ち殺せるほど銃の腕前を持つ貴方は逸材だ」

「へっ、言ってくれんじゃねぇか・・・いいぜ、あんたの言葉に乗ってやんよ」

その言葉にギュゼッペの口元が蛇のように大きく割け笑みを作る。

「ありがとうございます。お近づきのしるしにこれをお受け取りください」

そう言ってギュゼッペは指を鳴らし、控えさせていたのだろう、物陰から金糸の長髪をポニーテールに纏め、ライダースーツに身を包んだ女を呼び出した。

「なんだこのアマ?」

突然の来訪者に訝しむチャカに、女はつまらなそうに鼻を鳴らし、

「気安く声かけんじゃないよ、チンピラ。あいつが絡んでなかったら誰があんたみたいな野良犬に関わるもんか」

と、容赦なく吐き捨てた。

その言葉に、忘れかけていた怒りが急激に蘇る。

女の眼は、チャカが殺したい男と同じ目をしていた。

自分を蔑み、見下した眼だ。

「上等じゃねぇか・・・・おぉ?」

再び銃に手を伸ばしかけるチャカの代わりに、女にはギュゼッペの叱責が飛ぶ。

「こらこらドライ、口のきき方に気を付けろといつも言っているだろう?彼がいなければ、ツヴァイが日本に来ている事すら分からなかったのだから」

一応、女の手綱は握っているのだろう。ギュゼッペの言葉にドライと呼ばれた女は渋々納得した様に鼻を鳴らしチャカへの興味を失せた。

「失礼しました。世間知らずな娘なものでして・・・・・話を戻しましよう。ドライ、彼に荷物を」

「ちっ、ほらよ」

ギュゼッペの言葉に、ドライは持っていた大きなバックをチャカの足元に放り投げる。

地面に落ちたそれは中に余程重い物が入っているのだろう、鈍い音を立ててコンクリートの上に転がった。

「・・・・ンだこれ?」

訝しむチャカにギュゼッペは、お近づきのしるしと言って中を確認することを進める。

まさかここまで来て爆弾ではないだろうが、一応の警戒心を持ちながらチャカはバックのファスナーを開け、その中身に驚愕した。

そこには、映画の中でしかお目にかかれない様な凶暴な重火器が大量に入っていた。

自分の持つ銃以外には詳しくはないが、日本ではまず手に入れられないものばかりであろう。

「すげぇ・・・・・へへ、こりゃぁすげぇな」

「お望みならもっとご用意いたしますよ、それに兵隊もこちらで・・・・」

これだけの武器があれば鷲峰組はおろか、その上の香砂会にでも勝ち得るであろう。

その上兵隊まで与えられるとあれば、もはやチャカに怖い物は何もなかった。

「で、こいつで何すりゃいいんだ?」

力に酔った笑みを浮かべ、チャカは得体の知れない協力者に問いかける。

この男の正体など今となってはどうでもいい、いざとなったらこの銃で殺せば事足りる。

自分はそれだけの力を得たのだから。

「貴方は力を得た。しかしながら、後ろ盾があまりに脆い・・・・・一番手っ取り早いのは鷲峰の切り札を手元に置くことでしょう」

そう言ってギュゼッペは上着の内ポケットから一枚の写真を取り出し、チャカに渡す。

「上等・・・・・」

写真を受けとったチャカはギュゼッペの言葉を理解し、凶悪な笑みを浮かべた、鷲峰組先代組長の忘れ形見、鷲峰雪緒の写真をその手にして。











「あんなチンピラ使って大丈夫なのかい?」

六本木のネオン街を歩きながら、ドライは隣に並ぶギュゼッペ、否、サイス・マスターに不愉快な視線を向ける。

「不服かね?」

「あんなクソ野郎使わなくっても、あたしが行けば話は早いだろうが」

「今回の来日の目的を忘れるな」

「・・・・・・分かってるさ」

関東和平会と対立するインフェルノの傘下である梧桐組にとって邪魔な北京マフィアを消せ、と言うのがドライ達の任務だった。

いつものように任務を完遂させてさっさとアメリカに帰るはずだったが、そこで思いよらない情報が入って来たのはつい先日のことであった。

ツヴァイ・・・・玲二が日本にいる。

それだけで日本に残る理由になった。

自分を捨てて別の女と逃げた男。

その男に復讐する為だけにこの二年を生きてきた。

どんなつらい訓練にも耐えてきた。

「ツヴァイが憎いかね?」

「当たり前だろうが!!」

サイスの問いに敵が目の前にいるとばかりにドライは怒声を上げる。

「あいつだけはあたしの手で殺す、絶対殺してやる!」

「そうだな、お前にはその権利がある」

ドライの憎悪に満足した様にサイスは微笑する。

「だが、今のツヴァイの実力を見極めてからでも遅くはないだろ?腕の鈍った彼を倒した所でお前の恨みは晴れまい?」

ドライは本気のツヴァイを倒したがっている。

それこそがドライの求める本当の復讐、だからこそ確認する必要がある、今のツヴァイの実力を。もちろんそれだけではないが。

そんなサイスの思惑などどうでもいいドライは、ポケットから懐中時計を取り出す。

過去にツヴァイに買ってもらった思い出の懐中時計。

捨てなかったのは忘れない為、この憎しみを、絶望を、あの男を。

だが、それでも思い出してしまう。

優しかった彼を、自分に優しくしてくれた彼を。

この懐中時計を見ている時だけは、僅かにだが彼女は、ドライではなく、キャル・ディヴェンスに戻ることができた。



[18783] 23話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:e4162a38
Date: 2010/08/29 21:06
「クロウディアか?頼まれていた物は何とか手に入れたぞ」

『そう、お疲れ様』

代々木駅のホームでツヴァイは、ロアナプラにいる雇用主からの頼まれ事が完了したこと公衆電話で報告していた。

対面の公衆電話には、目的の物が近いことから共に買い物に出たロックが同じ様にベニーに電話を掛けているところだった。

もっとも、ロックは今後の仕事に重要な機材を購入したのに対し、ツヴァイのはクロウディアの完全な嗜好品であった。

「しかし、こんなものが意外といい値段で売っているんだな・・・・・」

足元に置かれた袋の中身に視線を落とし、ツヴァイは深いため息を吐き出した。

『こんなものとは何よ!!あなたは亜美ちゃんの素晴らしさが分からないの!?』

「・・・・・・その前に誰だそれは?」

『これだからゆとりは!!ググれカス!』

「・・・・・お前、最近おかしいぞ?」

『次の章からシリアスモードに戻るから、今のうちにはっちゃけておかないと!!』

「シリアスモードに戻るって・・・・お前、元々シリアスモードなんてなかっただろ」

『お黙り!バラライカがいないおかげでロアナプラはポップコーンみたいになってるのよ!まったくどうなんってんのこの街は!?』

やはり、ロアナプラでの抑止力となっていたホテル・モスクワと三合会の片割れがいないあの背徳の街は本来の姿を取り戻しているのだろう。

「俺に言われてもな・・・・こっちも少しばかり面倒なことになりそうだ」

その言葉にクロウディアの声に僅かな不穏な物が宿る。

「やっぱりバラライカがいる所に火種は付きものね・・・・銃は必要?」

「いや・・・・バラライカから用意してもらうさ」

「そう、まぁあなたが決めた事なら何も言わないわ。それじゃあまたね」

そう言ってクロウディアは電話を切った。

「頑張って」も「気を付けて」などと言ったありきたりな励ましなどない、「自分で決めたことならいい」と、一見冷たいと思われる台詞こそが何よりのクロウディアからの信頼の証であった。

『・・・・線をご利用のお客様にお知らせいたします。現在ポイント故障の為上下線共に運転を見合わせており――――』

「まいったな、こんな雪じゃ車もダメっぽいし。どうします玲二さん?」

ロックも電話を終え、ホームに流れるアナウンスにうんざりした様に頭を掻いた。

今日も東京には雪が降っており、吐く息は白く濁っていた。

「レヴィのカトラスを頼んだのか?」

対面で電話をしていたロックの会話から気になったことを尋ねるツヴァイに、ロックは気まずげに眼を伏せる。

「ええ、レヴィがどうしてもって・・・・本当は日本で銃なんて使ってほしくないんですけど」

「それは無理だな」

ロックの言葉をツヴァイははっきりと否定する。

「ここが日本だろうとロアナプラだろうと関係ない、バラライカと言う死神がいればそこ戦場になる。俺達がいる世界はそういう場所だ」

「そうですけど・・・・」

「ここはいい場所だ。俺達の故郷にはもったいないぐらいにな・・・・そう、俺達にはもったいないんだよ、ロック。俺達はもうここにいてはいけない人間なんだ」

諦観に満ちたツヴァイの言葉に、ロックは何かを言い掛けるが、それは新たな人物の登場によって遮られた。

「あれ?」

「あれ?」

腰まで流れる東洋人特有の黒髪、几帳面に切り揃えられた前髪の下にある真珠を思わせる黒い瞳を護るように掛けられたメガネ。

ダッフルコートにマフラーと上半身の服装では分からないが、きっかり膝上までのスカートで学生だと分かる。

まだ幼さの残る見るからに文学少女風なその女は、ツヴァイ達を視界に捉え意外さに表情を覆っていた。

ツヴァイの記憶の中には彼女はいない。となれば。

「あッ、やだ!!あのッ、この間・・・・」

「あ!夜店の?偶然!!」

ロックと女子学生はお互いの記憶が一致したのか、やけにハイテンションで顔を突き合わせていた。

「びっくりしちゃった、お仕事ですか?」

どこか子犬を思わせるようなあどけない笑顔を浮かべ、女子学生は尋ねる。

「今日はお買い物で秋葉原。君は?」

「はい、私は予備校です」

「ああ、受験生か、大変だね」

「ええ、私の友達とかも、今の時期は大忙しです」

互いの荷物を見せ合いながら朗らかな空気の二人に、なんとなくツヴァイの居心地は良くなかったが、それに気付いたのかロックは慌ててツヴァイと女子学生の仲介に入る。

「あ、玲二さん、こちら雪緒ちゃん。この間、レヴィと一緒に高町に行った時に会う機会があって」

「ああ、女子高生に鼻の下伸ばしていたってレヴィが愚痴っていた件だな、ロック、犯罪には気を付けろ」

「え、れ、玲二さん!?」

嘘ではないが、あえて意地の悪い言い方でツヴァイはロックをからかう。

案の定ロックは慌てふためくが、雪緒は余裕の笑顔を浮かべており、この点に関しては彼女の方が一枚上手の様であった。

「面白い方ですね、同じ職場の方ですか?」

「え――――?ああ、まぁそんな感じかな・・・・」

全てを話すわけにもいかず、どう説明したらよいものかも分からないロックは適当に話を流し、そんなロックの様子を過敏に感じ取った雪緒は、それ以上の追求をやめロックから視線を外し、ツヴァイに軽く会釈する。

その時、再びホームに電車が動かない旨のアナウンスが流れる。

「・・・まだ掛かるみたいですね・・・・・困るなぁ」

空を見上げ雪緒は呟く、未だ灰色の雲が空を覆っており先日から降り積もった雪を溶かすほどの日光は期待できない。

当分はこのままであろう。

「あのさ、ここの駅前、茶店とかあるかな?」

どちらかと言えば、ツヴァイの方が雪緒の年齢に近いであろう。

ここにこのままいても寒いだけで何の進展もない。

ツヴァイの言葉に雪緒は少し考えを巡らせた様だったが、ツヴァイ達が怪しい者ではないという結論に至ったのだろう。

「うん、それもいいかな、じゃあご案内します」

そう言って、雪緒は二人を連れ駅前の喫茶店に移動した。

席に着くとコートを脱ぎながらロックは窓の外に降り積もる雪に視線を送る。

ロアナプラではほとんど見られない光景に、自然とロックの瞳の中に懐かしさが生まれていた。

「こんなに雪を見たのは久しぶりだな。寒いのは久しぶりだ」

「そうだな」

「タイにおられたんですもんね。亜熱帯ですから雪は滅多に降らないでしょう」

雪緒も脱いだコートを隣の空いた椅子に置きながら柔和な笑みを浮かべる。

コートの下から現れた黒いセーラー服は、どこか懐かしい雰囲気に満ちていた。

「日本はお久しぶりなんでしょう?ご実家には帰られたんですか?・・・ええと」

口ごもる雪緒にロックとツヴァイは未だに自分の名を告げていないことを思い出した。

「そうか、まだ名前、教えてなかったね。僕は岡島、岡島緑郎です」

何気にツヴァイもロックの本名を聞くのは初めてであった。

「俺は、吾妻。吾妻玲二です。よろしく」

本名であるが、ロアナプラでは偽名で通している名前をツヴァイは告げる。

もちろん一般人用に作り物の笑顔を顔に張り付けることを忘れない。

「実家にはね、まだ戻ってない・・・・・いや、正直にいえばあんまり会いたくないんだ」

苦笑を浮かべ、ロックは癖のように頭を掻く。

それはツヴァイも同じであった。

「何もいい話がなくてね。会社を飛び出して、一年も音沙汰がなかったんだ。どんな顔して行ったら、てなもんさ」

「吾妻さんもですか?」

雪緒の問いにツヴァイは、自分でも驚くほど心臓が高鳴るのを感じた。

ロック以上にツヴァイは家族と呼べる人間と連絡を取っていない。

アメリカ時代にクロウディアの手引きによりサイスから奪われた記憶を取り戻し、一度だけ電話を掛けた事があったが、その時にはすでに何人もの人間の命を奪った殺人者となった自分に家族に掛ける言葉などなく、何も言わずに電話を切った。

それ以来一度も連絡を取っていない。

「まぁ・・・・俺は、元々会いに行く気もないから」

精一杯の作り笑顔でツヴァイは答える。

それが雪緒にはどう写ったのか分からないが、注文したオレンジジュースをストローでかき混ぜる。

「でも、顔を見ればきっと喜ぶと思います」

「どうかな、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

同じく注文したホットコーヒーに視線を落としロックはどこか投げやりに呟く。

「岡島さんも吾妻さんも、昔の私みたいです。私もね、家のことが嫌いでした―――でもね、父が死んでから、気が付いたんです。私がこうしていられるのは、なんであっても私を育ててくれた家があったから。だから、帰るべき所はそこなんだって。だから私、今は父のことも家のことも愛してます」

雪緒の言葉は、過去から逃げだしたロックとツヴァイには耳の痛い言葉だった。

「その歳で随分しっかりしているんだな、君は」

「友達からは、「おばさんみたい」って言われますけどね」

オレンジジュースをストローで吸う雪緒は年相応の女子学生だが、考え方は自分達よりも遥かに大人であった。

「・・・僕にはそう言うのないからなぁ。どうにも宙ぶらりんな感じがして。捨てるには未練があり過ぎるし、踏み込むには覚悟が、ね・・・・」

伏し目がちに告げるロックの悩みなど雪緒には分からないであろうが、それは同様にツヴァイにも分からない。

ツヴァイには捨てる未練も、決める覚悟もなかった。

それすらもサイスに奪われ、与えられたのは「ここで殺されるか」と「生きる為に殺すか」の選択だけであった。

そして、ツヴァイは選んだ、「生きる為に殺す」ことを。

その選択に後悔はない。

死ねばそこで何もかも終わるのだから。

「岡島さん」

そんなロックに雪緒オレンジジュースの入ったグラスの氷を鳴らしながら語りかける。

「人ってね、サイコロと同じだって、あるフランス人が言ってるんです。自分でね自分を投げるんです。自分が決めた方向に。それができるから人は自由なんですって。みんな境遇は違ってて・・・・・でも、どんなに小さな選択でも、自分を投げ込むことができるんです。それは偶然とか成り行きじゃないんです。自分で選んだその結果、ですよね。――――どうでしょうか?」

花の咲く様な笑顔で雪緒は言葉を締めくくる。

「・・・・・・厳しいな、君は」

今日、何度目か分からない苦笑を浮かべ、自分の敗北と言わんばかりにロックは頭を掻く。

だが、

「・・・・・・・それは、あくまでサイコロを投げられる人間の台詞だな」

「・・・・え?」

突然のツヴァイの台詞に雪緒は目を丸くする。

ツヴァイの声色はそれまでのフレンドリーな物ではなく、雪緒を断罪するかのような非難の色が色濃かった。

「自分で投げる方向が決められる選択もない人間はどうすればいい?自分を投げ込む場所がどちらも地獄の人間はどうすればいい?投げるサイコロを奪われ、自分の命さえも他人に弄ばれた人間はどうすればいい!?」

次第に語尾が強くなるツヴァイの脳裏には、一人の少女が浮かんでいた。

ツヴァイに戦いの全てを教え、ツヴァイより先にファントムの称号を得ていた少女、アイン。

彼女もまたサイスの手により過去の記憶を全て奪われ、インフェルノの殺人人形として飼われていた。

ほとんどの感情を表に出す事のなかった彼女だが、それは自らの運命を受け入れ抜け出す事を諦めた絶望の表れであった。

ツヴァイにはクロウディアという味方がいたが、アインにはそれすらもいなかった。

あったのは、自分からすべてを奪ったサイス・マスターを護るという洗脳のみ。

そんな彼女も今はいない。ツヴァイ自身によって死んだのだ。

彼女は何も選択していない、否、選択肢すら与えられていなかったのだ。

そんな彼女を何も知らない雪緒に侮辱された様な気がしてツヴァイの心は濁流の様な激しい怒りに犯された。

「玲二さん・・・?」

「あ・・あの・・・すいません。生意気な事言って・・・」

ロックの非難の視線と雪緒の落ち込んだ瞳が、ツヴァイの思考をようやく現実へと引き戻す。

雪緒には何も罪はない、彼女は彼女なりの考えを述べただけだ。

「・・・・すまない」

自己嫌悪に溺れるツヴァイが呟くと同時に、雪緒のバックから電子音が鳴り響く。

「あ!・・・ちょっとすいません」

気まずい雰囲気には天啓のように聞こえた携帯の着信音。

それを雪緒は申し訳なさそうに取った。

「はい雪緒です。何だ銀さんか・・・・うん、知ってるよ銀さん心配性なんだから。電車が動いたら戻ります。・・・そう、今は岡島さんと吾妻さんて方と一緒に雪宿りです。ほら、この間の高町でお会いした・・・・はい、何か?」

父親がいないと言っていたので、それに準ずる保護者か何かだろうが、まだ日の高い時間から電話を掛けてくるとは余程の過保護なのだろう。

雪緒はどこかの令嬢なのだろうか。

それならば雪緒に宿る育ちの良い雰囲気も納得が行くが、次の雪緒の言葉にロックもツヴァイも驚愕に体が強張る。

「坂東さんがいらっしゃってるの?じゃぁ早く帰らないと。ええ、分かりました、もうすぐ戻ります・・・・ええ」

電話を切りいそいそと帰り支度を始める雪緒を前に、ロックもツヴァイも己の記憶と格闘する。

この目の前の女の名字は・・・・

「すいません、岡島さん、吾妻さん、じゃぁ・・・・・・?」

困惑する二人の様子に眉を潜ませる雪緒に、ロックは意を決したように疑問を口にする。

確かめなければならない、重要な事を。

「雪緒ちゃん、あのさ・・・・・君の名字が思い出せない・・・まだ聞いていなかったかもね。名字ってなんだっけ?」

「え?はい、鷲峰です」

その答えはロックを絶望させるには十分すぎるものであった。

ツヴァイには少なからず予想が付いたものであったが、正直に言えばロックに近い心情であったのは否定できない。

「なんだかいかめしい名字でしょ?」

照れ臭そうに笑いながらも、どこか誇らしげな雪緒。

父も家も愛していると言った言葉に嘘はないのだろう。

「いや・・・いい名前だと思うよ」

言葉を失うロックの代わりにツヴァイが答える。

今、彼女に自分たちの仕事のことを話したとしてもそれが何になろう。

「すまなかったね、急に訳の分からないこと言っちゃって・・・・お詫びにここの代金は俺が払うから」

「え?そんな、悪いですよ」

「いいから、早く家に帰りな。心配してくれている人がいるんだろ?」

そういって、ツヴァイは伝票を半ば強引に雪緒の手から取り上げる。

そう、心配してくれている人がいると言うだけで幸せなのだから。

「そうですか?じゃぁお言葉に甘えて・・・・」

軽く会釈をしながら店を出ようとする雪緒にツヴァイは最後の言葉を掛ける。

「雪緒ちゃん・・・・・これからきっと君はサイコロを投げることがあると思うけど、自分の立ち位置を間違えないように気を付けて」

自分でも何を言っているのかよく分からない台詞であった。当然、雪緒にはそんなツヴァイの言葉の真意など分かるはずもないだろう。

「はぁ・・・?」

小首を傾げる雪緒。

願わくばこの疑問に一生気付かずにいてくれることを願うしかツヴァイにはできなかった。











「鷲峰組からは?」

お気に入りの葉巻の先端をシガーカッターで切り落としながらバラライカは横に座るボリスに問いかける。

「まだ何も」

ホテルのラウンジでは珍しい面子が顔を揃えていた。

バラライカ、ボリス、レヴィ、ロック、そしてツヴァイ。

たまには朝食でもどうかとバラライカからの誘いだったのだが、言い出しっぺのバラライカは朝食をとらずに葉巻の煙を楽しんでいた。

テーブルの上には三人分の朝食が並び、焼き立てのトーストの香ばしい香りが食欲を掻き立てるが、ロックは神妙な面持ちで朝食には手を付けていなかった。

昨日のことが頭から離れないのであろうと容易に予測が付いたが、ツヴァイは構わずにトーストにかじりつく、今日もこれからバラライカに付いて色々とこなさなければならない仕事がある、取れる時に食事は取っておきたかった。

「時間の無駄だな・・・」

すでに鷲峰組に見切りをつけているのだろう。バラライカは興味なさげに紫煙を吐き出し、部下であるボリスに報告の先を促す。

「先ほど、○六○○時に鷲峰組事務所に捜査課の警官が事情聴取へ」

「露見も時間の問題か、本隊を「マリアザレスカ号」に移動するように」

「は」

ここ最近のバラライカ率いるヴィソトニキの香砂会襲撃は留まる所を知らず、順調に目標を撃滅していった。

昨日も警察に出頭した香砂の分家の車を警察署の前に見事に爆破させて見せており、戦争好きのバラライカには上機嫌な状況であったが、その分派手にやり過ぎた面もある。

警察も無能ではないので、いつまでも鷲峰組が用意した隠れ家に留まるのは危険であろう。

「ラプチェフ頭目には?」

ボリスの問いにバラライカは不敵に口元を歪ませ、はっきりを答えた。

「教える必要はない」

ラプチェフとは会ったことはないが、彼とバラライカの確執はすでに聞き及んでいる。もっとも、チェーカー嫌いを公言している彼女にKGB出身のラプチェフが友好関係を築けるとは誰も思わないであろう。

それ以前に、ロアナプラでラプチェフの息がかかった会計監査と銘打った家探しの女を始末した一件もある。

その時に、なにやらラグーンも巻き込まれ、ダッチやレヴィが忍者がどうとか言っていた様な気もするが、それは今は関係のない話だ。

「あの・・・バラライカさん」

その時、ロックが先日の雪緒にした時の様に意を決した様に声を張り上げる。

「あら、なぁに?」

やはり戦争中と言うこともあってバラライカの機嫌は良い様だ、初めてかもしれないバラライカの優しい声色にツヴァイは内心驚いた。

それはロックも同じだったのだろう。

僅かに口ごもるが、それでも出掛けた言葉を口にする。

「いや、あの――――もし、鷲峰組が協定を破棄する場合――――」

「ロック」

ロックの言葉を遮るバラライカの声色は、ツヴァイ達のよく知るそれであった。

一切の反論を許さず、一切の情けもないロアナプラに君臨する戦女神(ヴァルキリー)の声。

「貴方に何か関係が?」

モスクワの曇天を思わせるような重苦しい雰囲気がラウンジに満ちる。

それを感じ取れないロックではない。

「い、いえ・・・」

「そうよね、居るべき所を間違えるのはよくないわ」

これ以上の発言を許可しない、と言わんばかりのバラライカに押し込まれるのロックに、それまで興味なさげに朝食を掻き込んでいたレヴィが助け舟を出す。

「姐御、つれねぇ言い方じゃねぇかよ。別段、秘密の話でもねぇんだろ?教えてやんなよ」

トーストを齧るレヴィにツヴァイは、その意外な行動に眉を潜ませた。

ロックはあくまでバラライカの通訳としてこの日本に来ている、多少ロアナプラで仕事を請け負う常連とはいえ、ロックはホテル・モスクワの一員でも、ヴィソトニキでもない。

与えられた仕事をこなす事だけを考えていればいいのだ。

と、そう考えるのはあくまでファントムと呼ばれたツヴァイである。

「それもそうだな、俺も聞いてみたい」

自分はもうファントムではない、自分の意思でここにいるのだ。

疑問に思うことは素直に聞く。

「えらく肩を持つじゃない、二挺拳銃にファントム。沈黙は金」

飼い犬に手を噛まれた様に面白くないと言ったようにバラライカは不機嫌に吐き捨てる。

だが、レヴィもツヴァイも引き下がらなかった。

「そらまぁそうだけどよ、ロックは身内だろ?」

「互いの信頼ってのも大事だと思うが?」

そこまで言って、ようやくバラライカは呆れたように紫煙を吐き出し、口が達者になったわね、と嫌味を前置きに語り出す。

「ま、いいわ。「そういう寝言を言ってきたら」という、仮定の話で言えば―――――」

その先の言葉はレヴィにもツヴァイにも予想が容易に付いたが、ロックだけは衝撃を受けたようであった。

「目標に名前が一つ増える。仕事も何も変わりなし、世は事もなし。それだけのこと、よ」

両手を軽く広げ、指先の葉巻から溢れる紫煙を纏うバラライカの瞳には凄惨な光が宿っていた。

「・・・だ、そうだロック。満足か?」

「え、ええ・・・まぁ」

呆れたように語りかけるツヴァイに、ロックは曖昧な返事を返すのが精一杯の様であった。

「お前が何を悩んでいるのかは知らない、聞く気もない。だた、それがお前の立っている場所なら、いい加減そこから抜けた方が身のためだ。その疑問はいつか自分を殺す事になる」

そう言って、ツヴァイは席を立つ。

「それじゃあ、バラライカ。俺は先に行く」

「ええ、今後も期待してるわよ・・・・ファントム」

「その名で呼ぶなと言っているだろ・・・」

鋭い眼光でバラライカを一瞥し、敬愛すべき上官を睨みつけられ面白くないボリスと、ファントムの名に反応したレヴィの視線を無視し、ツヴァイはラウンジを後にする。

「・・・・・なぁ、姐御」

「ん?」

ツヴァイが去った後、レヴィはバラライカに問いかける。

「今、ファントムって言ったかい?あたしの耳がイカれてなきゃ・・・・確かにそう聞こえたんだけどよ?」

「・・・・レヴィ?」

突如、変貌を遂げたレヴィにロックは困惑の声を上げるが、バラライカは心底歪んだ愉悦に口元を歪ませる。

「あら、聞いていなかったの?二挺拳銃、彼の正体」

レヴィは、それ以上に愉悦に歪んだ口元をぬるりとした舌で舐めまわす、肉食獣が獲物を見つけた時の様に凄惨で、それでいてどこか引き込まれる光景。

「そうかい・・・・あいつが、あの野郎が、地獄の亡霊・・・・インフェルノのファントムだってのかい、そいつは最高だ、どうしようもなく素敵だぜ」

「楽しそうね二挺拳銃、貴女、それ犬の眼になってるわよ」

「レヴィ、一体どうしたんだ?」

状況が飲み込めないロックにレヴィは呆れた視線を向ける。

「なんでぇ知らねぇのか、インフェルノのファントムって言やぁあたいらの世界じゃ、ビル・ゲイツよかよっぽど有名だぜ?」

「え・・・そうなの?」

いまいちツヴァイの正体のすごさが分からないロックに溜息をもらすレヴィをさらに焚き付けるようにバラライカは紫煙と共に言葉を吐き出す。

「あなたとどっちが強いかしらね・・・・二挺拳銃?」

「さぁねぇ、とにかくやり合いたくてたまんねぇなぁ」

凶猛な笑みを浮かべレヴィはツヴァイが出て行ったラウンジの出入り口をいつまでも見つめていた。




[18783] 24話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:80d07087
Date: 2010/08/29 21:22
歌舞伎町の香砂会における最後の組事務所。

すでに今日で何日目になるのか思い出すのも億劫な曇天の空の下に聳える建物。

その前にツヴァイは立っていた。

今日のツヴァイの仕事は、ここの襲撃及び壊滅。

ロシア人に警戒を強めている香砂会に対して、日本人であるツヴァイはかえって動きやすいとバラライカからの指令であった。

仕事の内容に異論はない。

もとよりその為にバラライカは自分を日本に連れて来たのだろう。

日本に付いて行きたいと言ったのツヴァイ自身であり、それくらいしか自分には取柄はない。

ならば、それ相応の仕事をこなしてもいいと考えていた。

目的の事務所は、雑居ビルの二階。

階段を上り、安っぽい鉄板の扉を叩く。

「・・・・なんか用か?」

ノックの直後に中から現れたのは、見るからにチンピラ風の若い男だった。

やはり、日本のヤクザは危機管理が低すぎる。

「ホテル・モスクワ」の襲撃に対する警戒中であるにもかかわらず、訪ねて来た者を簡単に部屋に入れられるような状況を作るなど、愚の骨頂に過ぎない。

もっとも、そのおかげでツヴァイの仕事も遣り易いのだが。

「すいません。ちょっと道を聞きたくて」

ツヴァイの言葉に男は不機嫌も隠さずに恫喝する。

「あぁ!?舐めてんのかてめぇ!?ここが何だか分かって言ってんのか!?」

勢いよく扉を開けた男のお蔭で部屋の全容が明らかになる、中にいるのは七人。

どれも威圧的な風貌だが、ツヴァイにとっては何に脅威にもならない。

流石に襲撃には警戒しているのであろう、テーブルの上には銃が幾つか見受けられた。

状況を把握したツヴァイの思考は瞬時に暗殺者のそれに切り替わる。

目の前で未だ自分を恫喝する男の頸動脈に、懐に忍ばせておいたナイフを滑らせる。

「なっ!?」

異変に気付いた男達が血相を変えるよりも早く、ツヴァイは次の行動に移っていた。

事態を飲みこめない男の背後に回り、首に腕を絡め鈍い音と共に脛骨を圧迫しへし折り、続いて遠心力をたっぷり加えた回し蹴りでもう一人の首を粉砕する。

すでに力の抜けた男の体は、糸の切れたマリオネットの様に手足をくねらせ地面に崩れ落ちた。

「てめぇどこの組の――――」

何かを言い掛けて男はツヴァイのナイフにより頸動脈を切断させられ、それ以上の言葉を強制的に閉ざされる。

部屋に入ってすでに十秒も経たないうちに四人を始末したツヴァイの心には何の感慨もなかった。

「てめぇ!!」

ようやく自分を敵だと認識したのは、残りの三人は皆銃を手にしていたが、どれも慣れない銃に照準が定まっていない。

当る要素など皆無であるが、ここでの銃声は後々面倒な事になる。

手近にあった無骨なガラス製の灰皿を掴むなりこめかみのめり込ませ一人を撲殺し、そのまま一番遠い男位置にいる男に灰皿を投げ付ける。

「ぎゃぁ!!」

正確な投擲で男の眉間に命中させるが、致命傷にはならずに額から血を流しながら男はその場にうずくまる。

それがツヴァイの狙いであった。

残る無傷の男の右手手首を握り、銃を離させそのまま足を刈りソファに倒れさせる。

瞬時に近くにあったクッションを掴むとツヴァイは、男の顔面に押し付け、その上から男が落とした銃を拾い上げるとそのまま銃口をクッションに押し付け、引き金を引く。

即席の消音装置により、部屋はともかく外にまでは銃声は漏れていない。

「っく、くそ・・・・!!」

額に灰皿に一撃を喰らった男がようやく回復し、目にした物は部屋中に転がる自分以外の仲間の死体であった。

そこでようやく男は悟った、自分達は死神に魅入られていたのだと。

そこから脱げ出す術など自分達には存在しない。

そんな男の背後に一つの足音が舞い降りる。

恐怖に揺れる瞳をそちらに向ければ、黒衣に身を包んだ死神が自分を見下ろしていた。

右手にはまだ新しい鮮血が滴り落ちるナイフが握られており、男にはそれが死神の大鎌の様に見えた。

「おまえ・・・一体」

死神の顔つきは自分たちと同じ東洋系であったが、その瞳には死神に相応しく暗い「死」しか写していない。

やがて、死神はゆっくりと右手を振り上げる。

男が最後に見た者は、ナイフの白銀の刃が自分に振り下ろされる光景であった。

「・・・・・」

誰もいなくなった事務所にツヴァイは一人佇む。

周りには先ほど自分が作り出した死体が七つ。

鼻に付く真新しい血の匂いはすでにツヴァイには生活の一部と言っても過言ではなかった。

「これが・・・・これが俺の選んだ事・・・・・か」

消え入るような独白を洩らし、ツヴァイは自嘲気味に口元を歪ませる。

全ての作業を終えるまで五分とかからなかった。

バラライカやレヴィが見れば叫喚しかねない手際の良さだったろうが、それがいったい何になると言うのか。

何処まで行っても人殺しは人殺しでしかない、ファントムなどと大仰な名前を付けられたとしてもそれは如何に上手く人間を素早く殺せるかと言う蔑称に過ぎない。

そんな道を自ら望んで進んできたもの、と彼女は言った。

「それなら・・・君はどんな選択をするんだ・・・?」

証拠隠滅の為に事務所に火を放ち、歌舞伎町の雑踏の中に消えるツヴァイは、我知らずとそんなことを口にしていた。











「さしの会談にしては面白い場所を選んだものね。方針とやらはお決めになって?」

いつものようにスーツに軍用コートを羽織ったバラライカのロシア語が、地下駐車場にこだまする。

対するのは、鷲峰組若頭、坂東。

夜になって、急遽、坂東から話があると呼びだされたバラライカであった。

彼女の傍らには、通訳としてツヴァイ。

本来ならばロックの仕事なのだが、朝食の一件でバラライカの心証を悪くしたようで、今回に限りという条件でツヴァイが指定されていた。

この様な場所で会談などと明らかにバラライカの命を狙っていると言っているようなものであるが、それでも彼女はあえて側近のボリスも引き連れずこの場にやって来た。

「今回は・・・・・いつもの通訳さんとは違うんでっか?」

坂東はすでに何かを悟っているような毒気の抜けた雰囲気を纏っていたが、そこは極道の誇りなのか厳めしい面構えを崩そうとはしなかった。

「こちらの都合です。我々にはあまり時間がありません、さっそく本題に移りたいのですが?」

バラライカの言葉を訳したツヴァイの言葉に、坂東は何かを決める時間の様に一瞬の沈黙の後、重苦しい口を静かに開く。

「・・・・・・・・・・姐さん、今いっぺん聞きまっせ。肩ぁ並べて一緒にやってく気はおまへんのか」

予想通りの言葉にバラライカはうんざりした様に答える。

「私が問われることではありません。あなた方が問われることです」

「・・・・・そうか。残念なこっちゃで」

言葉とは対照的に落胆の色を見せず坂東は呟く。

「私もです。今暫く続いていれば、こちらも気が楽だったのですが。まぁいいでしょう、些細なことだ」

これで話は終わりだ、と言わんばかりにバラライカはコートをひらめかせ、坂東に背を向ける。

その時、

「待たんかい・・・・・・まだ始末が残っとるんやで」

坂東は懐から出したドスの鞘を捨て、バラライカに突進してくる。

「この外道ぉぉぉ!!」

鋭い刃先がバラライカに迫るが、当然、それは叶わないことであった。

瞬時に間に入ったツヴァイが、坂東のドスを持った右手を蹴り上げ肘を砕く。

そのままの勢いで背後に回り首に腕を絡ませる。

幾度となく繰り返された練磨の果ての結晶。

一切の無駄のない動きがそこにはあった。

「あら、ありがとう。今日は本当に通訳としてあなたを連れて来たんだけど」

「気にするな、これも仕事の内だ」

坂東など眼中にないかのような二人のやり取りに坂東は戦慄を覚える。

この者達はそこにいるだけで死を撒き散らすウイルスの様なものだと。

「ツヴァイ、訳せ――――なるべく強い言葉でだ」

「・・・・分かった」

坂東に絡めた腕の力を緩めずにツヴァイは、バラライカの言葉を訳す。

「今夜は・・・・特別だ、本当のことを話してやろう。肩を並べてやってゆく――――なるほど、たしかにそんな選択もあるだろう」

葉巻を咥えバラライカは例の凄惨な笑みを浮かべ、饒舌に語りかける。

「それは事務屋の仕事だ、私には必要がない。わかるか。私がこの国で望んでいるものは破壊と制圧―――――他のいっさいに興味はない。妥協もない。私はな、どこまで地獄の釜底で踊れるのか、それ以外に興味がないんだよ」

この間にも坂東は必死にツヴァイの腕から逃れようと体をばたつかせるが、万力の様なツヴァイの力の前には如何ともしがたい。

破壊の権化であるバラライカは今度こそ坂東に背を向ける。

「・・・それでは時間もない。また、いずれ」

それが最後の合図であった。ツヴァイはなんの警告もなく坂東の首をへし折った。










ホテルに戻ったツヴァイを待っていたのは、ロビーで人目を憚らず殺気を放っていたレヴィの凄惨な笑みだった。

「よう、兄ちゃん。今日も誰かをぶっ殺してきたのかい?」

死んだ魚の様な三白眼でレヴィは、明らかな挑発を込めた台詞を吐き出す。

だが、今のツヴァイには、そんなレヴィに付き合ってやる気分的な余裕はなかった。

今日は久しぶりに血の匂いを嗅ぎ過ぎた為、一刻も早くアルコールのもたらす酩酊感に沈みたい一心だった。

「人をジャック・ザ・リッパーみたいに言うな、今日はやけに上機嫌だな・・・・・ロックと何かいいことでもあったのか?」

鬱陶し気に返事を返し、ツヴァイは自分の部屋に戻る為に急ぎ足でエレベーターへと潜り込む。

いつもなら、ロックを引き合いに出されればレヴィは顔を紅潮させ怒鳴りつけるのがセオリーなのだが、今回は違っていた。

「そうつれなくすんなよ。ファントムさんよぉ」

閉まるエレベーターに強引に腕を入れ込み、まるで死人の様な生気を感じさせない動き、愉悦と狂気に満ちる瞳でツヴァイを覗きこんできた。

「・・・・バラライカからか?」

「あぁ、あんたがあのファントムだったなんて、磔にされた稀代のトリックスター様でも気がつかねぇだろうぜ」

レヴィは、ツヴァイから視線をそらさずに後ろ手でエレベーターのボタンを操作し、自分達の部屋がある階のボタンを押す。

静かに動き出すエレベーターの中には、死に乾いた亡霊と血に飢えた狂犬のみ。

乗り合わせる客がいなかったことは誰にとっても幸運だったであろう、こんなエレベーターに乗り合わせるくらいなら階段で部屋に行った方がどれだけ楽であったか想像に難くない。

レヴィの腰にはバラライカからあてがわれたトカレフが確認できる、まさかこんな所で抜きはしないだろうが、今のレヴィにはそんな一般常識ですら思考の片隅にあるのかすら甚だ疑問である。

「なぁ・・・・・・ファントムの兄ちゃん」

先に口火を切ったのはレヴィの方だった。

未だ燃え上がる狂気の視線をツヴァイに向け、舌舐めずりをする様は整った顔とは相反する魔的な笑み。

「最近どうにもつまらねぇんだよ・・・・・ロアナプラでもまともなドンパチもありゃしねぇし、こんなお気楽な日本じゃあたいをエレクトさせてくれる出来事なんて何処にもねぇ・・・・なぁ兄ちゃん、あたしと遊ばねぇか?」

そう言ってレヴィは、静かにトカレフに手を掛ける。

「ここで抜きたければ好きにしろ」

ツヴァイの言葉以上の苛烈な雰囲気にレヴィの手が止まる。

が、それすらもレヴィには心地よい物であったのだろう、さらに狂気を強めた瞳をぎらつかせ、ツヴァイに問う。

「へぇ・・・抜いたら相手してくれんのかい?」

「先に撃てるとは思うなよ」

三白眼と化していたツヴァイの瞳を見たレヴィは狂気から歓喜へと感情が激変するのを感じた。

ツヴァイが纏っていたのは、レヴィがこれまでに感じた事もない純粋な殺意だった。

何の迷いもなく、何の感傷もなく、何の快楽もなく人を殺せる機械の様な冷たさとはまた違う、自分の意思で相手を殺すという無色の想い。

「やっぱたまんねぇぜ、あんた」

久しぶりに自分とは異なる殺人者に出会えた喜びは何物にも代えがたい。

その時、ようやくエレベーターには目的の階に到着しその扉を開いた。

「オーライ、絡んで悪かったな兄ちゃん。久しぶりに一緒に飲まねぇか?ロックもいるしよ」

それまでの殺気を嘘の様にかき消し、レヴィは自分の部屋を指差す。

「俺の命を狙ってる奴と一緒に酒を飲めって言うのか?悪い冗談だ」

もっともなツヴァイも意見も、あまりの喜びにハイになっているレヴィにはお構いなしだった。

「小せぇことは気にすんなよ、今日は久しぶりにいい気分なんだ。付き合えよ兄ちゃん」

「お、おい」

ツヴァイの腕に自分の腕を絡め、強引に部屋に連れ込むレヴィに不思議とツヴァイは抵抗する力が籠らなかった。

レヴィの言葉通り自分とやりあわないと信じたのか、誰でもいいから一緒に飲みたいと言う自分の気持ちを優先したのかはツヴァイ自身にも分からない。

部屋に案内されると、そこにはすでにロックが一人で酔い潰れていた。

「んだよ、先におっぱじめやがって」

つまらなげに吐き捨てるレヴィだが、すぐにその表情は変わることになる。

「う・・・・うう」

よく見れば、椅子にもたれかかるロックの顔色はアルコールによる紅潮などではなく、氷の様に青ざめていた。

「おい、なんか・・・・・様子おかしくねェか?」

「ああ」

焦る二人をよそにロックの顔色はますます悪くなり、額には脂汗が浮き始める。

「ヘイ、ロック!どうした!?」

たまらずレヴィはロックの肩を揺さぶり呼び掛けると、幸いな事にロックはすぐに目を覚ました。

「・・・・・・っ」

「ヘイ!大丈夫か?ひでぇ汗だぜ?」

焦点の定まらない視線を泳がせ、ロックは目の前のレヴィとその後ろに控えるツヴァイを確認すると、ようやく状況が飲み込めたのか、額を抑えながら背もたれに預けていた上半身をゆっくりと起こした。

「・・・・・・寝てたのか?・・・・俺」

「なんだか、ひどくうなされてたぜ。古いビュイックのエンジンみてぇな息してよ」

目の覚ましたロックに心底安堵した様にレヴィは、ロックの対面の椅子に腰かけ、新しいグラスにロックの開けた酒瓶の中身を注ぐ。

なんとなくいい雰囲気の二人の邪魔をするのも悪い気がしたが、ツヴァイも二人の間に位置する椅子に腰かけグラスに琥珀色の液体を注ぐ。

「大丈夫か、ロック?」

「ああ・・・・なんだか悪い夢を見てた」

ツヴァイの言葉にロックは力無く答える、まだ完全には目が覚めていないのだろう、虚ろな視線は未だ焦点が合っていなかった。

「深酒はいけねぇな、ロック。これから慌ただしくなるんだからよ」

レヴィの言葉にロックはようやく顔を上げる。

「・・・・状況が変わったのか?」

「ああ、移動だよ」

「移動?」

ツヴァイが留守にしている最中に何か動きがあったらしいが、恐らく坂東の一件が状況を変化させた引き金であろうとツヴァイは思った。

しかい、今はそれよりもアルコールの恩恵が何よりも欲しかった。

グラスに並々と注がれた酒を一気に煽り、空になったグラスを満たしながらレヴィの次の言葉を待つ。

「姐御は後継と補充兵を迎えに行くんでついて来いとさ。ヴィソトニキの残りはロシア大使館と貨物船に分かれる」

「後継?誰の後継だ?」

レヴィの説明に起きた疑問点をツヴァイは即座に口にする。

「ラプチェフだよ、ちなみにあいつはこれだ」

そう言って、レヴィは左手に持っていたグラスを右手に持ち帰る。

それだけで二人はラプチェフのこれから辿るであろう命運を理解した。

「―――囮(デコイ)」

酷くバツの悪そうな表情を浮かべ、ロックはレヴィの持つグラスを見つめる。

そんなロックの表情にツヴァイはなんとも形容し難いどす黒い感情が自分の胸の中に生まれるのを感じた。

「そう、哀れラプチェフに神のお恵みを、てなもんだ。小せえ器のでかいクソにモスクワの大親分も使い道を改めたってとこだろうな。ヤクザ共にかぎ裂きにされるのは決定だな」

足を組みながら饒舌に語るレヴィとは対照的に、ロックの表情はますます暗く沈んでいく。

そんなロックに抱いた感情の正体をツヴァイはようやく理解した。

それは「苛立ち」だった。

「ロック、お前は一体何をそんなに悩んでいるんだ?」

これまでロックの悩みに一切口を出さなかったツヴァイだったが、そろそろそれも限界だった。

ここまで理解のできない人間と言うのも始めてだったが、それ以上にそんな人間と行動を共にして来た自分に対しての苛立ちもあったのだろう。

「え・・・・、そりゃあ、やっぱり争いごとになるのかなって」

「そりゃなるさ。「ホテル・モスクワ」はやる気だ。嵐が来るぜロック、鉄と血の嵐だ」

「・・・・・・」

目の据わったレヴィの言葉に閉口するロックにツヴァイはどうしようもない感情の高ぶりを覚えた。

ここまで自分の心がざわめくのは本当にロックに対する苛立ちだけなのだろうか。

本来なら、一呼吸置いてから行動に移るツヴァイであったが、今回はそれすらもすっ飛ばしてロックに噛みつく。

「争いごとなんて今さらだろう?お前はロアナプラで一体、何を見て来たんだ?」

「そりゃ、ある程度は覚悟してきたけど。ここは日本ですよ?ロアナプラじゃない」

「それは詭弁だな」

ツヴァイの断罪にロックは閉口するが、ツヴァイは口撃の手を緩めなかった。

「はっきり言ってやろうか?お前は、この国で戦争が起きようが関係ないんだ。お前の関心は雪緒ちゃんにだけにあるんだろう?」

核心を突かれたロックは一瞬表情を強張らせるが、開き直ったように反撃を開始する。

「それはそうでしょう!?あの子はこっち側の世界にはいちゃいけない子なんだ!!」

「そうか・・・・残念だが、ロック。あの子はもうこの件に関わらざるを得ない」

「・・・どういう意味ですか?」

訝しむロックにツヴァイは、明かす必要のない事を口にする。

「今日、坂東が「ホテル・モスクワ」との同盟を破棄したんだよ。これからは鷲峰組もモスクワのターゲットに加わる」

「どうしてそんなことを!?」

「それはお前も分っているだろ?「ホテル・モスクワ」の力が鷲峰組の思惑を超えてたんだよ。まぁもっとも、あんな連中に制御できるバラライカじゃなかったろうがな」

皮肉気に口元を歪ませツヴァイはロックを攻め立てる。

「だからって、なにも鷲峰組を標的にしなくても」

「何言ってやがるロック。姉御が自分達を裏切った奴を生かしておく訳ねぇじゃねぁか」

それまでグラスを傾けていたレヴィが耐えきれないと言った様に口を挟む。

「お前はあの小娘に感情移入し過ぎだ、少し落ち着けよ」

「これが落ち着いていられるかよ!レヴィ、お前も彼女を見ただろ!?何も知らない、何も分からない普通の女の子なんだ!!」

声を荒げるロックにレヴィも呆れ果てた様に肩を竦め、再びグラスを傾け始める。

「玲二さん、貴方も分るはずだ。彼女は俺達とは違うんだ、坂東さんだって彼女を巻き込みたくないはずだ!」

「坂東がいればな・・・・」

最後の頼みと言わんばかりに坂東の名前を出すロックに、ツヴァイから非情な言葉が返って来る。

「坂東は死んだよ、俺が始末した」

「ホントか?」

「ああ、今日地下駐車場にバラライカが呼び出されて、俺が護衛として付いて行った」

意外そうに声を上げるレヴィに、ツヴァイは淡々と言葉を返す。

その時、ロックが立ち上がりツヴァイの胸倉を掴み上げた。

「アンタに正義はないのか!!」

ツヴァイを絞め殺さんばかりに力を込めるロックだが、ツヴァイは表情一つ変えずに答える。

「そんなもの、俺達に必要なのか?そんな甘っちょろい事を言っていられる世界じゃないんだよ。ロック」

「ロック、あたしも前に言っただろ?正義はなくても世界は回るってよ・・・・」

「だからって・・・・そんな理由で納得しろって言うのかよ!!」

「それができないなら、お前はこっちの世界に来るべきじゃない。あの子と一緒に逃げろ、今なら見逃してやる」

ロックの腕を静かに解きツヴァイは、グラスの中身を一気に飲み干し席を立った。

「俺は明日から鷲峰雪緒の監視に付く、それまでに自分の立ち位置を決めておけ」

そう最後にロックに吐き捨てツヴァイは部屋を後にする。

「ヘイ、ちょっと待ちなよ兄ちゃん」

部屋を出てすぐに追いかけてきたレヴィに呼び止められ、振り返るツヴァイ。

「すまなかったなレヴィ、悪い酒になった」

「んなこたぁどうでもいいんだよ、いくらなんでも言い過ぎじゃねぇのか?ロックは身内じゃねぇか」

「身内だからこそだ、このままじゃあいつは自分の疑問に殺される」

責めるレヴィにツヴァイは、それでも表情一つ変えずに淡々と答える。

「今のロックは昔の俺と同じだ。ファントムをやめて日常に戻ろうとした俺と・・・」

ツヴァイも過去に日常に戻ろうとした、キャルと言う少女と約束をして。

だが、それは所詮夢でしかなかった。

護ろうとしたものは奪われ、残ったのは「殺し屋」という自分だけ。

「だからこそ、あいつには早く決めて欲しんだ。俺の様にならない為にも」

「あいつはそこまで弱くはねぇよ、あいつは自分で選んでここにいるんだ」

何故か誇らしげにロックを評価するレヴィにツヴァイは違和感を覚える。

「レヴィ、お前にも一つ言っておく。お前はロックと同じ生き方を望むな」

「・・・・・っ」

ツヴァイの言葉はレヴィの心を容赦なく抉った。

まるで自分でも気付かない急所を狙われたかのように顔を強張らせるレヴィにツヴァイは、ロックにした時と同じように容赦のない言葉を吐き出す。

「お前も日本に来て随分と棘がなくなった、確かにここはいい所だ。惑ってしまうのも分る。だがな、レヴィ。ここは俺達がいるべき所じゃないんだよ。俺達が行きつく先はどう頑張ったって泥の棺桶だけだ」

「分かってる・・・んなこたぁ分かってんだよ」

それはツヴァイに対しての答えなのか自分に対して言い聞かせているのか、レヴィは伏し目がちに歯を食いしばっていた。

「もし・・・・あいつがあっちの世界に帰りたいと言ったら、その時は止めてやるな。それがあいつの選択ならな」

「・・・・・・」

何かを言い掛けるレヴィだが、その先の言葉は吐き出されることはなかった。

話はここまでだと、ツヴァイは再びレヴィに背を向け廊下を歩きだす。

「それが、嫌なら・・・・・あいつの手綱をしっかりと握っていろ。それができるのはレヴィ、お前だけだ」

ツヴァイの去った廊下でレヴィはいつまでも立ち尽くしていた。

「分かってんだよ・・・・・チクショウ」

誰にも聞こえない独白は静かな虚空に消えて行った。



[18783] 25話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:a83abebd
Date: 2010/08/29 21:32
「また雪か・・・・もう見慣れたな・・・」

車のフロントガラスから見える景色の中に、冬のかけらが降り始めたのは夜になってからであった。

昨夜の言葉通り、ツヴァイは鷲峰雪緒の監視に付いていた。

だが、初日から肝心の雪緒の所在は掴むことはできず、ツヴァイは鷲峰邸の前から少し離れた場所に車を止め、家の主の帰宅を待っているしかなかった。

ロック達とは朝から顔を合わしてはいない。

今更ロックの顔色を窺うような気弱な精神を持っているわけではないが、何となく顔は会わせづらいと言うのが人情というものだろう。

流石に昨夜は言い過ぎたという自覚はあるが、自分の言ったことに間違いはないという確信もある。

事実、雪緒は鷲峰組の総代を正式に継承した。

これで鷲峰雪緒は完全に「ホテル・モスクワ」の、否、ツヴァイ達の敵となったのだ。

それが彼女の選んだ道ならばツヴァイに口を出す権利などない。

彼女はすでにこちら側の人間なのだ、ならばこちらの流儀で答えるまで、それだけの話だった。

ロックにとっては到底納得のいく話ではないだろうが、そんなことはどうでもいい。

不条理こそがこの世界の真理であり絶対的な鉄のロジックなのだから。

「ここが・・・・お前の分水嶺だな・・・・ロック」

今どこにいるかも分らないロックにツヴァイは語りかける。

答えなど返ってこないとは分かっているが、それでもツヴァイはロックと言う夕闇の世界に立つ友人の選択を憂いを持たずにはいられなかった。

その時、ツヴァイの携帯電話から飾り気のない音楽が流れる。

定時連絡用にバラライカから渡されたものであった。

「俺だ」

『どう、そちらの様子は?』

挨拶もなく本題に入る辺りがバラライカらしい。

「鷲峰邸には何の動きもないな、鷲峰雪緒も帰ってきていない」

『でしょうね。今、鷲峰組にラプチェフが襲撃されたわ。無能な男だったけど、最後くらいは役に立ったわね』

「・・・・・そうか」

同じ組織の者を嵌め、死に追いやった事を喜ぶバラライカだが、ツヴァイには何の感情も浮かばなかった。

所詮、この世界は弱肉強食なのだ。

弱い者は強い者に利用される程度の価値しかない。

『恐らく、鷲峰雪緒は直に鷲峰邸に戻るでしょうね、監視を頼むわ』

「ああ―――――ちょっと待て」

電話を切りかけたツヴァイだったが、視界に入って来た多人数の男達にそれを中断する。

男達の格好は様々であった、街で見かけるような一般人から見ればだらしないとしか思わないダボダボの服に身を包んだ者や、何を勘違いしているのかパンチパーマに特攻服と言った見るからに前時代の「不良」と言った者達。

どれもツヴァイから見れば取るに足らないチンピラ達であったが、その人数は軽く二十は超えるであろう。

そして、その先頭には見覚えのある男。

六本木のクラブでロックに因縁を付けてきたチャカと呼ばれていた男がいた。

男達は我が物顔で誰もいないはずの鷲峰邸に消えて行った。

『どうした、なにかあったのか?』

「妙な連中が鷲峰の家に集まってる」

バラライカの声に僅かに緊張が走り、それまでのキャリアウーマンを思わせる口調から軍人特有の固い物へと変化するが、ツヴァイの答えを聞いて電話越しからでも分かる例の笑みを浮かべ、

『それは・・・・・少し面白い事になっているかもしれんな』

と、告げる。

『奴らが鷲峰とどうなろうが我々には一切関係のない話だが、一応邸内に入って監視をしてみろ』

「分かった、監視対象に危害が及びそうになった場合はどうする?」

余程、兵隊に困っているのかとも思ったが、チャカが鷲峰の為に兵隊を揃えるような律儀な男には到底思えない。

恐らくは、雪緒を狙って香砂にでも売り飛ばす事を企ているのだろう。

『それが我々に何の関係がある?寧ろ鷲峰雪緒を始末してくれるなら我々の手間が省けるだけだ』

そう言ってバラライカは電話を切った。

「やれやれ・・・・」

うんざりするような合理的な考えに、ツヴァイは溜息を洩らし、影の様に鷲峰邸に侵入する。

すでに居間はチャカを筆頭に男達に占拠され、埃一つなかった部屋は土足で上がり込んだ男達の足跡で見るも無残な事になっていた。

とりあえず居間に隣接する部屋に隠れるツヴァイ。

気配は完全に殺しており、襖一枚あれば身を隠すのには十分であった。

「これからどうすんですかチャカさん?」

「あ~?どうするもこうするも、お嬢が帰って来たら拉致っていつものヒラノボウルに行きゃあいいべ?」

案の定、チャカ達の狙いは鷲峰雪緒であった。

女一人を拉致するのにこれだけの大人数を引き連れる必要性など皆無なのだが、数が多ければ自分達は強いという群衆心理で安心するのは何処のチンピラも同じことなのだろう。

「それにしても。あのギュゼッペとか言う外人、マジ信用できんすかぁ?」

「さぁ?もう貰うもんもらってっし、別にいいんじゃね?」

どうやらチャカを誑かした人物がいる様だが、それは今のツヴァイには関係のない事柄であった。

筈だった。

「それにしても、ギュゼッペとかどうでもいいんすけど、一緒にいた金髪の姉ちゃんいいすよね~」

「ああ、やっぱおめぇもそう思うか?やっぱいいよな外人の女って、でもよ、気ぃ付けろよあの女、ファントムって呼ばれてるやべぇ殺し屋らしいからよ」

ファントム。

その単語にツヴァイは心臓を鷲掴みされたかのように痛んだ。

ファントムと呼ばれる殺し屋はこの世界にツヴァイだけではない。

普段は強引に閉じていた心の傷口が開き容赦なく血を流す。

かつてはアインと呼ばれた少女がいたが、彼女はすでにこの世にはいない。

彼女を殺しツヴァイはファントムとなったのだから。

現ファントムがインフェルノから脱走した今、新たなファントムが生まれても何ら不思議はないが、ファントムを作り出す事のできる人間は一人しかいない。

その人間こそが、自分から全てを奪った張本人、サイス・マスター。

「サァイスゥ・・・」

我知らずと口から零れ落ちる忌むべき名を噛み締め、ツヴァイは指の間から血が滴り落ちるのも構わず拳を握りしめる。

どうやらツヴァイにとってはこの仕事は、海老で鯛が釣れたようなものであった。

この者達を辿って行けば、確実にその先にサイスがいる。

そこまで考えたツヴァイの耳に家の外から車が止まる音が聞こえた。

「お、帰って来たぁ。お前らはここにいろよ。俺が出てくっから」

意気揚々とチャカが玄関に向かっていく様子が、襖の向こう側から伝わってくる。

「あれ?なんだ、思ったより早いじゃないっすかぁ。もちっとかかるかなぁ、なんて思ってたんですけどね」

白々しい台詞を吐くチャカに困惑した声で返すのは、吉田であった。

恐らく雪緒も一緒であろう。

「チャカ、なんでおどれがここにおんねん。持ち場があるやろ、どないなっとんねん!?」

「まぁまぁ、こういう時ですから。人が多い方がいいっしょ?ねぇお嬢?」

相変わらず不愉快な男だとツヴァイは、内心でチャカに唾を吐きかける。

チャカの声が再び居間へと戻り、その数瞬後に吉田の怒声が追いかけて来た。

「チャカ!おんどれの立場もわきまえや。聞いとんのかコラ!!」

その威勢のいい口調も居間に入るまであった。

居間に潜んでいた数十人の男達に吉田も、雪緒も息を呑むのが分かった。

「・・・・・チャカ、お前の助っ人か?」

「吉田さん・・・・あのね?あんた人好すぎ」

瞬間、大口径特有の派手な銃声が轟く。

確認するまでもなくチャカが放ったものだろう。

ああいう手合いは無意味に大きな銃を持ちたがるものだ。

特に自慢げに何人撃ったかなどと口にするチャカにはお似合いと言えるだろう。

「あああああッぐあっ!!」

悲鳴を上げ、もがき苦しむ吉田にチャカは、

「アーーー痛かった?すんまちぇんね、吉田さん」

などと、ふざけた台詞を投げかけていた。

「俺らなんつーかホラ?得のねぇとこにはつかねぇ主義なんすわ。あ、でもロシア人じゃねぇすよ?これがうまくいったらインフェルノっつうもっとでかい組織にいけることになってるんで」

そこでツヴァイの疑惑が確信に変わる。

やはり裏にはインフェルノが絡んでいる。

そして、サイスがそこにいる。

インフェルノはチャカのようなチンピラを組織に加えたりなどはしないだろう。

それは火を見るより明らかだったが、ツヴァイには、誰がどう利用されようとサイスに近づけるのならばそれでよかった。

「まぁ、俺らが言われてんのはお嬢を連れて来いってことだけなんで、その後は香砂でもロシア人でもいいんすけど。どっちに転んでも手土産がありゃあ悪いことにはなんねっしょ。ねぇお嬢?」

「お嬢っ!!早く逃げ・・・・・」

「ゴチャゴチャうっせんだよ、パンチ、コラ。もうよぉ、つーか、めんどくせぇか、さっさと、死ねや」

必死で雪緒に叫ぶ吉田にイラついたように吐き捨て、チャカは盛大に銃を乱射する。

すでに吉田は事切れているであろうが、銃を撃つ、と言う行為自体に酔っているチャカには無駄弾という概念はないようだ。

ようやく自分の身に迫っている危険に気がついたのか、雪緒が走り出す音が聞こえるがそれはすぐにやむことになり、代わりにチャカではない男の怒声が上がる。

「おい、コラ女。痛ぇだろ、コラ!!」

骨と骨がぶつかる鈍い音がこだまし、派手に床を転がるったのは雪緒であろう。

所詮学の足りない落ちこぼれ、人質を必要以上に痛めつける愚考に気付くはずもない。

「花ちゃん怒るとマジイキでこえーから」

「気の毒にな~~~~~~あの子」

他の者も同様に、止めるどころか雪緒を殴るのを煽る始末だった。

本来ならば無抵抗の女が殴られる場面など胸糞が悪くて聞くに堪えないツヴァイだが、今回ばかりは事情が違う。

ようやく見つけたサイスへの手掛かりなのだ、その為に敵である雪緒を助けて売る義理も理由もない。

容赦なく殴られる雪緒の悲鳴は、ツヴァイの心に何の感情も生み出すことはなかった。

「おーい。花田くーん」

そんな雪緒を救ったのはチャカであった。

「だーれが、半殺しにしろっつったよ?おめーなぁ。あんま勝手こいってと、殺すぞ」

それまで雪緒をいいように殴っていた男が悲鳴を上げ、今度はチャカに殴られる。

「そういうことだから。言うこと聞いてついてきてくんないとぉ、危ないよ」

気の済むまで花田と呼ばれる男に制裁を加えたチャカは、手下を引き連れ雪緒を拉致して行った。

監禁場所も分かり、相手の手勢も把握した。

必要な情報は全て手に入れたツヴァイは、誰もいなくなった居間にようやく足を踏み入れる。

そこには、踏み荒らされた畳に転がる頭に大穴を開けた吉田の死体だけがあった。

「サイス・・・・」

再びその名を呟くツヴァイの手には、携帯電話同様、バラライカから用意されたトカレフが握られていた。

ようやくこの時が来た。

銃の種類などはこの際どうでもいい、サイスの命を奪えればそれがナイフだろうボウガンであろうが構わない。

復讐の炎に身を焦がすツヴァイの元に、新たな侵入者が現れたのはその時だった。

「雪緒ちゃん!!」

焦燥に染まった叫びを上げながら居間に飛び込んできたのは、ロックだった。

それに数瞬遅れて来たのは、両手にソードカトラスを握ったレヴィ。

条件反射で銃口を二人に向けるツヴァイにロックは驚愕にその顔を歪ませる。

それは当然の反応であろう。

銃を構えたツヴァイの足元には自らの血の池の中に浮かぶ吉田と、明らかに争った後のある部屋。

誰もがこの惨劇を作り上げたのツヴァイを思わずにはいられない光景であった。

「玲二さん・・・・」

「・・・・・・一応言っておくが、俺じゃない」

何の感情もなくツヴァイは懐疑の視線を向けるロックに言い放つ。

「もし俺がやったとしたらいつまでも俺がここにいる理由はない。そしてその時には間違いなく鷲峰雪緒もここに転がっているはずだ。今の鷲峰雪緒には人質になるだけの価値はない」

あくまで淡々と事実を述べるツヴァイにロックは、何か言いたそうに顔を顰めるが、ここで言い争っても何もならないと理解したのか、瞳に写る激情を抑え、この惨状の分析を始める。

「兄ちゃんの言ってる事は間違っちゃいねぇぜ、ロック?そいつの持ってる銃はトカレフだ。姐御ならスチェッキン、他の連中ならバリヤグとか、弾数の多い軍用オートだな」

ロック以上に目の前の状況を冷静に見るレヴィが、状況とツヴァイが持つ不自然さを指摘する。

「AKもそうだが、床を見てみなよ、薬莢がねぇのはどういうわけだ?」

そこでようやくロックもツヴァイの潔白を理解したのか、思いついた答えを口にする。

「リボルバーだ」

「ヤー。そいつだ。ヨシダも不幸だな、随分と風通しがよくなっちまって。見ろよ」

そういってレヴィは床に転がる吉田の頭に足を掛け、その見事に空いた穴をロックに見せる。

死者に対する倫理などツヴァイは持ち合わせていないが、レヴィは死体を死体とも思っていないようであった。

「穴がでけぇ、大口径だ。こういう銃を喜んで持つのは、たいがい見栄っ張りの底なしのバカと相場が決まってる」

それならば、ダッチはどうなのかという素朴な疑問が浮かんでくるが、それはこの場では不要の言葉だ。

「あたしゃ、一人、心当たりがあるんだけどねぇ?」

そこまで言ってようやくロックも答えに辿り着いたようであった。

「あいつだ」

「これで分かっただろう?安心しろ、まだ彼女は生きている」

ツヴァイの言葉にロックは再び懐疑の視線を向ける。

「まるで見ていたかのように言うんですね・・・・」

「正確には聞いていただけだがな、俺の今日の仕事を忘れたか?鷲峰雪緒を監視するのが・・・・・」

「そんなことを聞いているんじゃない!!」

淡々と答えるツヴァイに、ついにロックの感情が爆発した。

「あなたは雪緒ちゃんを助けられる位置にいた!それだけの力もあった!それなのにあなたは目の前で彼女が拐われるのを指を咥えて見ていたって言うんですか!?」

「そうだ。俺には何の関係もない」

「関係ないって・・・・・・」

まるでこの世ではないものを見ているかのように、ロックはツヴァイを凝視する。

それはツヴァイにとっては当然の答えであったのだが、ロックには何か別次元で行われている会話のように感じられただろう。

「あんたは人じゃない、犬にも劣るクソ野朗だ」

最上級の侮蔑の台詞だったが、ツヴァイにとってははすでに過去に幾度となく言われ慣れた言葉であった。

「そうだ、俺はもう人じゃない。亡霊だ。この国に来るまでは俺も違うと思っていた。だがな、やっぱり俺は死人なんだよ、ロック。俺だけじゃない、バラライカも張もレヴィだってそうだ。どこまで行っても俺達はそういう生き物なんだ」

昨夜と同じくロックに胸倉を捕まれるが、それでも昨夜同様ツヴァイの反応は変わらなかった。

頭では納得がいっても、本能の部分でそれを拒否しているロックには到底理解しえないこのなのだろう。

「昨日、俺はお前に言ったな。自分の立つ場所を決めろ、と。その答えを聞かせてくれ」

それの答え次第では、ツヴァイはロックを撃つ事に何の躊躇いも必要がなくなる。

額がつきそうな二人の距離だが、実際には絶望的なまでの隔たりがあった。

「俺は・・・・・」

「!?」

何かを言い掛けたロックの言葉が、その場に現れた人物によって強制的に閉ざされる。

最初に反応したのはレヴィ。

神速の銃捌きで侵入者にその銃口を向けるが、それと同様の踏み込みを相手も持っていた。

意識の合間を縫うような移動で突如現れた長身の男は、振りかざした白鞘の長刀をレヴィに向けて振り下ろした。



[18783] 26話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:1f6f67f0
Date: 2010/08/29 21:43
男の名は松崎銀次。

今は亡き坂東に代わり、鷲峰組の総代となった雪緒の補佐を務める男であった。

長身にサングラスと強面の風貌には異様なほど似合う無骨な刀。

サングラスの奥に光る瞳には、日本に来て初めて見る闇の世界の住人のそれがあった。

銀次の眉間にはレヴィのソードカトラスの銃口が宛がわれており、対するレヴィの首筋には銀次の握る白鞘の日本刀が添えられている。

「解せねぇ・・・・火薬の臭いがしやがらねぇ」

低音でありながらもよく通る声が銀次の口から零れ落ちる。

状況は一見レヴィ達が圧倒的に不利であったが、銀次はそれでも冷静にこの惨状にいる人物の不自然な点に勘づいたようであった。

「わかったかよ、デカブツ。あたしの銃は吉田を喰っちゃいねぇのさ」

レヴィはカトラスの安全装置を掛け、銃を下ろす。

それに習い銀次も刀を下ろす。

刀身を鞘に収めはしなかったが、それまで纏っていた殺気は完全にではないにしろ警戒に値するレベルではなくなっていた。

それを見張らかってロックは必死に弁明を始める。

「銀次さん、これは僕たちじゃない。「ホテル。モスクワ」もここには辿りついてはいない。僕たちは雪緒ちゃんを戦いから遠ざけるために、ここに来てこれに行き合った。
信頼してくれ、あんたがもし「ホテル・モスクワ」だったら?
殲滅した適地のど真ん中で、三人で残ってぼんやりしてるか?そんなのは無意味以外の何ものでもない。そうだろ?」

ロックの言葉に得心がいったのか、銀次はようやく刀を鞘に収め、踵を返す。

これから銀次が行うべき事は誰でも分かるであろう。

自分の主である、鷲峰雪緒の奪還。それしかない。

「待てよ銀次さん!話はまだすんじゃいない」

ロックの呼び止めに銀次は振り返りこそしなかったが、律儀に足を止める。

「あんた、ここに飛び込んで来た時は、一人だったな?単体でここに戻って来たってことは、残りは皆、事務所かな。手勢が一人でもいれば、あんたが慌てて出て行く事はないはずだ。図星だろ?」

ロックの推理にはツヴァイも内心舌を巻いていた。

銀次がここに来たと言う事柄だけでそこまで考えが及ぶなど誰が予想できようか、先ほどまで頭に血を昇らせていた者とはとても思えない回転の良い思考こそがロックの最大の武器なのだろう。

「それに徒歩でどこに行く?連中は車でここに来ていた、追いつくには時間がない」

「・・・・・」

ロックの言葉に何を思うのか、銀次は無言を貫き、ロックはさらに畳み掛ける様に言葉を投げ掛ける。

「あんたが来た時、車の音はしなかった。それ以外は轍の跡が一杯だ。ここに残ってる足跡の数から考えても・・・・・離れた場所から大人数で移動したことになる。相手は大人数、しかも一人は銃を持っている。あんた一人で殺るつもりか?」

「関わりのねぇことで」

「そうでもないんだよ」

ようやく紡いだ銀次の言葉に反論したのはロックではなくツヴァイだった。

「奴らの裏には俺に関係してる奴が必ずいる。そいつに俺も用がある」

「誰だよそいつぁ?」

「今は、論じている時間はないよ。レヴィ、玲二さん。話を戻すぞ銀次さん」

訝しむレヴィの言葉をロックは遮り、再び銀次の背中に語りかける。

「殺った奴はここの身内だ。そしてそいつはそういう時間を許す奴じゃない。それにそいつは、あんたが取り戻しにやって来ることを知っている」

そこでロックは遂にこの話の核心部分を口にする。

「でも、もう二人。腕の立つガンマンが来るなら、予想の範囲外だ」

「・・・・そいつの居場所が知りてぇンで?」

ようやく僅かにだが銀次はロックに首だけを傾ける。ここに交渉は成立した。

「ヒラノボウルって場所に行くと言っていた。場所は分かるか?」

ツヴァイが先ほど仕入れたばかりの情報を口にすると銀次は、今度こそ振り返りロックと同じことを口にした。

「お前さん・・・・お嬢が拐われんのを見てたんで?」

「論じている時間はないんだろ?」

殺意の籠った視線をにべにもなくかわし、ツヴァイは歩を進める。

敵である人物の安否など今のツヴァイにはどうでもよかった。











そこからの彼らの行動は早かった。

ツヴァイの乗り合わせていた車に乗り込む、運転はレヴィ。

案の定、呆れるほど荒い運転であったが今は一秒でも時間が惜しい。

道案内の銀次と運転席を占領されたツヴァイは後部座席に、銀次の言葉をレヴィに伝えるロックは助手席に座っていた。

赤信号でもお構いなしに交差点に突っ込む車に、他の通行車は大いに迷惑だったろうが、ラジオから流れる大音量のロックバンドのシャウトにご満悦のレヴィには、それすらどこ吹く風であった。

「通訳さん、次の道を左だ」

銀次の指示にレヴィは車をスーパーカー並みのドリフトを駆使して左に曲がる。

これが人通りの少ない道で本当に良かったと胸を撫で下ろさずにはいられない。

「あんたの・・・・肩入れする理由が分からねぇ」

もっともな意見を口にする銀次にロックは僅かに考えを巡らせた後、はっきりと答える。

「彼女はここにいていい人間じゃない。そう思った。普通に生きるべき子が生きられないのは嫌なんだ」

普通に生きる。言葉にすれば簡単な台詞であるのに、それを実現させるのは何と難しい事か。

誰もがそう望んでいる生き方のはずなのに、何処で間違ったのか。

それは誰にも分からないことなのかもしれない。

「誰かが赦すんならね、それもよかったんでしょうや。誰かが赦してくれたんならね」

サングラスの奥に潜む銀次の瞳からは心情は察せないが、その言葉には諦めとも、後悔ともつかないどこか寂しげな色があった。

それがツヴァイには我慢ならなかった。

「あんたらは・・・・誰かに赦されなきゃ自分の生き方も決められないのか?」

ツヴァイの批難の声に銀次はようやく泳がせていた視線を一点に集中させる。

そこには今にも握っていた刀を抜きかねない危険な炎が宿っていたが、ツヴァイは構わずに続ける。

「そんなの人の生き方じゃない。飼い馴らされた狗と同じだ。そんな生き方を彼女にさせたくないからあんた達は俺達に・・・・・・「ホテル・モスクワ」に助けを求めたんじゃないのか?」

条約を破棄された間柄とはいえ、一瞬でも同盟を結んでいた関係であるツヴァイが言う台詞ではないのかも知れなかったが、銀次は皮肉気に口元を歪ませ答える。

「そうでさぁ、あっしらはお嬢にまともな生き方を選んで欲しかった・・・・それだけの力もねぇ狗っころに、お嬢は・・・・お嬢は共に歩んでくれる事を選んでくれたんでさぁ。それなら、そんな主人の為に命の一つでも張るのが極道ってもんでしょうや」

「それがお宅らの言う仁義ってやつなのか?」

吐き気すら覚える銀次の台詞に侮蔑の色を隠しもせずツヴァイは言葉を投げ掛けるが、銀次の反応は変わらなかった。

「あんたらみたいな人達にゃぁ、分からねぇこって」

「そんなの・・・・分かりたくもないね」

自分でも何にイラついているのか分からないツヴァイは、それだけ吐き捨てて会話を打ち切った。

気が付けば、目的であるボウリング場に車は止まっていた。

すでにボウリング場には奴らのものと思しき悪趣味な改造が施された車やバイクが並んでいた。

確認するまでもない。ここが修着地点だった。

「へっ、“暗黒の塔”だな。姫を救う騎士様のご到着だ」

カトラスの弾を確認しながらレヴィは意気揚々をそんな事を言った。

レヴィにとって日本で初めての鉄火場である、戦闘狂の彼女のテンションが上がらない訳はない。

ツヴァイもトカレフの状態を確認する、やはり銃に命を預けている者である以上、それは欠かす事の出来ない儀式でもあった。

「ロック、ど正面から行く、あんたは裏から入ってくれ」

「何をすればいい?」

「簡単な話さ、必要な時にケツを持ってくれりゃいい」

非戦闘員であるロックはいつものように援護に回ることを確認し、全員が車を降りる。

正面に向かうのは、ツヴァイ、レヴィ、そして銀次の三人。

「レヴィ、連携はとれるか?言葉が―――――」

ロックの心配の声にレヴィは足を止めずに“問題なし”と、返す。

「いざとなったら兄ちゃんがいる。それに・・・・戦いがおっ始まりゃ、お互い体は勝手に動く。そういうふうにできてんだよ、私たちは」

それは、信用でも信頼でもない。

確信から出る言葉であった。

闇の世界の住人には言葉いらない、殺し合うという野蛮な行いこそが自分達に出来るすべてなのだから。

「いいのかい兄ちゃん?」

「・・・・何がだ?」

横に立つレヴィの問いかけにツヴァイは眉を潜ませる。

「兄ちゃんは暗殺者だろ?ファントムがこんなカチコミかけるなんざ、あんたの流儀に反するんじゃねぇのか?」

暗殺者は陰に徹する。

それは至極当然のことだが、ツヴァイの答えにレヴィは満足気に頷くことになる。

「人殺しに流儀もクソもないだろう?たまにはワイルドバンチの真似事も悪くない。それに・・・・・誰も生かして返さなければ暗殺も殴り込みも同じ様な物だ」

「ヤー。いい答えだ。やっぱあんたもあたしたちと同じ生き物だぜ」

入口からボウリング場に続く扉の前にいた三人の見張りとも言い難いチンピラを思い思いに吹き飛ばし、三人は闘技場へと足を踏み入れた。

ざっと見渡す限り、チャカを含め人数は三十人前後。

その手には思い思いの銃が握られており、鷲峰邸の時よりも若干増えてはいるが、どれも三人にとっては有象無象に変わりない。

「へぇ!ホンッ当に来るもんだねぇ?わっかんねぇなぁー。それにレヴィちゃん?なんでこんな所に?やっぱり俺とファックしたいってか?嬉しいね!それに、どっかで見た兄さんも一緒かい、手間ぁ省けたぜ」

吉田を撃ったものであろう大口径の銃を握りしめ、侵入者を歓迎するのはチャカであった。

傍らには下半身を下着のみにされ、上半身も破れた制服を羽織っただけの雪緒が、腫れ上がった顔で現れた銀次の名を呼んでいた。

それを見た銀次の殺気が爆発的に膨れ上がる。

それだけでツヴァイには理解できた。この男はロアナプラでも十二分にやって行けるだけの実力を兼ね備えている、と。

「お前さんがた・・・・・・やりやがったな。そんなに俺の刀が見てぇか・・・・・!全員仲良く、十万億土を踏みやがれ!!」

抜き放つ刀の光が煌めくと同時に、三人は動いていた。

警告も何もない。混じり気なしの殺意を各々が持つ武器に授けて。

「KILL EM ALL BABY!!」

「始めようぜ!!!」

先陣を切ったのはやはりレヴィであった。

一見標準も定めずカトラスから銃弾を吐き出しているようにしか見えない銃捌きは、確実に人間の急所である心臓や頭部を撃ち抜いて行く。

バランスの悪いはずのボールを踏み台に飛び上がったかと思えば、空中で姿勢を変えながら鉛玉をばら撒く様は、さながら死を運ぶ死神とも天使とも見える。

銀次もその卓越した剣捌きで本来簡単にはいかないはずの「人体を両断する」と言う行為をこともなげにやってのけていた。

数の上では圧倒的不利である事を理解し、決して囲まれる事のない様各個撃破を念頭に置き、時に豪快に纏めて二、三人の胴体を切断していく。

ツヴァイは持ち前の気配遮断スキルを生かし、あえて敵の密集するポイントに潜り込むレヴィとも銀次とも違う戦法を取っていた。

背後からの脛骨圧砕は勿論のこと、仲間がやられた事に気付くチンピラ達の喉笛をナイフで掻っ切る事も忘れない。

「見ろよ!見ろよ!こぉんな乱闘、見た事ねぇぜ!!」

興奮した様にチャカは声を張り上げ、照準も定めずに銃を乱射していた。

乱戦の最大の利点である群衆に紛れて身を隠す、と言う基本すら無視しているが、だた銃を撃ちたいだけのチンピラにそれを理解するのは酷というものだ。

「隠れてねぇで、男見せろや!オラァ、ダァッシュ!」

初めての銃撃戦に怖気づく手下を無責任な台詞と弾丸で煽り、チャカは戦場の空気を堪能していた。

その間にも、水を得た魚の如くレヴィは、また一人、また一人とカトラスに命を噛み潰させていた。

吹き飛ばされた男がボウリングのレーンを滑り見事に備えられていたピンを薙ぎ倒す。

「Yeah!ストライクだ、ベイビー」

能天気な事を口にしたの束の間、その横から裂帛の気合の下、レヴィの頭蓋骨を粉砕しようとバットを振りかざす男が迫って来ていた。

そんな渾身のスイングも上体を思い切りそらせることでかわしたレヴィは、自分の背後に控えていた銀次に始末を託す。

「任せたぞ」

眼前を走る白銀の閃光は、見事に男を腰の部分から両断する。

ツヴァイは振り返らずにトカレフの引き金を引き、その銀次の背後から銃を構えていた男の眉間を撃ち抜く。

レヴィがロックに言った通り、戦いとなれば自然と体は動いていた。

言葉を解さずとも呼吸は合い、「皆殺し」と言う一つの目的の為に敵を薙ぎ払っていく。

ようやく自分が相手にしている者の凶悪さが分かったのか、チャカは切り札である雪緒を連れて裏口へと向かう。

所詮は寄せ集めのチンピラ集団、いくら捨て駒にしようとチャカの心は痛むことはない。

「お嬢!!」

「オラァ!ちゃっちゃと追いついてこいよぉ!かはは!」

雪緒を追いかけようとする銀次の足を弾幕で遮り、チャカは悪役のお決まりの台詞を吐きながら扉の向こう側に消えて行った。

「さすがノータリンの親玉だ、言うことが三流以下だぜ」

レヴィがつまらなげな台詞と共に残弾の切れたマガジンを投げ捨て、素早い手つきで再装填を終えるなり、周りの仲間を全て殺され半泣きとなっている男にカトラスの銃口を向ける。

あらかたの敵は殲滅しており、ツヴァイも銀次も小休止を取っていた。

鉄火場となればレヴィの右に出る者はそうそういない。

殺した数も三人の中で断トツにレヴィが多かった。

「マジ参ったマジ参った!ギブ!ギブ!ギブギブギブ!」

持っていた銃を投げ捨て、両手を上げる男は必死に降参の意を表すが、日本語を理解しえないレヴィにはただ、「あげる!あげる!あげるあげるあげる!」と言っているようにしか聞こえない。

実際は両手を上げて半泣きの顔を見れば、その意味もなんとなく分かるのだろうが、「総てをぶっつぶせ(デストロイ・ゼム・オール)」を信条にしているレヴィには降参などなんの意味も持たない。

「何かくれるのか?「ギブ」だって?何言ってんだこの野郎」

今日一番の笑顔でカトラスを構えるレヴィにそれでも男は必死に上げた手をばたつかせる。

「なぁ兄ちゃん、こいつ何言ってんだ?」

「ギブアップって言っているみたいだな」

レヴィの問いにツヴァイはそっけなく答える。

答えた所でこの男の結末が変わる訳ではいことは分かっていたし、それを変える手助けをする義理もない。

もとより、ツヴァイの姿を見られた者を生かしておくわけにもいかない。

この男がもう少し考える頭があれば英語で話すレヴィに正確な文法である「ギブアップ」と言えるのだろうが、そこはゆとり大国日本で育った者の悲しき運命であった。

「Give up?」

「そうそう!ギブアップ!ギブアップ!」

ようやく意味が通じ、男は安堵の笑みを浮かべるが、それが男の最後だった。

「NO WAY」

カトラスが火を噴き、男の顔を吹き飛ばす。

銃を持っただけで己の力を過信した愚者にはお似合いの末路であった。

「デカブツ、兄ちゃん。ゲームセットだ。非道ぇ有様だ。残ってんのは消化試合って訳さ。二手に分かれて、姫とあのクソ袋を捜し出そう。回廊を巡って、プールで落ち合う。OK?」

壁に張り付けてあったフロア案内図を指しながらレヴィは今後の予定を立てるが、

「俺はここで下ろさせてもらう」

にべもなくツヴァイは吐き捨て、踵を返す。

「あぁ?何言ってんだ?」

「俺は鷲峰雪緒を助けに来た訳じゃない、ここには俺の殺したい奴が来てる。そこにたまたまあの女がいただけの話だ。ここからは俺の好きにやらせてもらう」

これ以上の話は無用と歩みを再開させ、銀次もそれに続く。

「は、偏屈な野郎共だぜ、さーてと・・・・」

自身の言った消化試合を終える為にレヴィは、振り向きもせずに背後に回したカトラスの引き金を引き、物陰に隠れていた男の頭を撃ち抜く。

「貧乏クジだな。同情するぜ、お前らは・・・・誰もここから出られねェ。誰一人としてだ。出来る限り逃げてみな、ここは「地獄のモーテル」だ。でねぇと・・・・」

両手に携えたカトラスを翼の様に広げる様は、死を運ぶ堕天使そのもの。

「ブギーマンに喰われるぞぉ!?」

逃げ惑う男達の断末魔をBGMにツヴァイは自分為だけの戦場へと向かって行った。



[18783] 27話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:aa2afc03
Date: 2010/08/29 21:57
銃声が止んでしばらくたつ。

建物内に響くのは自分の足音のみ。

この世には自分しかいないと錯覚すら覚えかねない程の静寂にツヴァイは、トカレフを握り締めていた。

「サイス・・・・」

もはや何度呟いたか分からない程繰り返し紡ぎ出される名前は、口に出しているのか身の内で囁いているのかも分からない。

だが、その名前が意味する所だけは永久に変わることはない。

自分の記憶、過去、未来、そして自分が護ろうと決めた人間を悉く奪って行った憎んでも憎み足りない存在の名前。

あの、人の心を見透かし、蹂躙することを生き甲斐とする蛇の様な狡猾な男が自分にした事を決して忘れない、忘れられるわけがない。

奴から奪われた物の多くは取り戻した、だが、一番返して欲しい物は永遠に奪われたままになった。

復讐などでは生温い。

サイスと言う人間そのものがツヴァイにとって赦しがたい存在である。

廊下の先に人の気配を感じ、ツヴァイは足を止める。

見知った気配は確実にツヴァイの察知しているのにもかかわらず、その優雅とも言える足運びは一向に乱れることはない。

そして、遂に男は姿を現す。

記憶の中の寸分違わぬ白を基調としたスーツに身を纏い、サイス・マスターはツヴァイと対面した。

「久しぶりだな・・・・・ツヴァイ」

口元に浮かび上がらせるのは、爬虫類を思わせる嫌悪感しか浮かばない蠱惑の笑み。

指の動き一つでさえ人の注意を惹き付けてやまないその動きは見紛う事のない彼の特徴であった。

「サイス・・・・・」

殺意の煉獄に煮え滾る瞳がサイスを捉える。

彼に言いたいことはこの地球上のあらゆる言葉を総動員しても足りるものではないが、第一声はやはり憎むべき相手の名前だった。

「私が憎いかね?」

ツヴァイの殺気すら心地よいと言わんばかりに満足気な笑みを浮かべるサイスは、懐から煙草を取り出し口に咥え火を付ける。

「お前の殺意は当然だ。私はお前から全てを奪った・・・・・それは変えようのない事実だ。そして、お前には私を殺せるだけの力がある。誰の命令でもなく、ただ己が意思のみによって・・・・・それがお前の特筆すべき点だ」

自慢げに語るサイスの燻らせる煙草の煙は鼻に付く嫌な臭いであった、まるで彼そのものを表しているかのような胸糞の悪さにツヴァイは眉間に皺を寄せる。

「小手先の催眠で心を補強したアインと、純粋な殺意に支えられた君とでは繊維の限界が違う。君はある意味失敗作な訳だが、それでも私の研究に新たな方向性を示唆してくれた」

「お前がアインを・・・エレンを語るな!!」

その名にツヴァイの脳裏には一人の少女が現れる。

全てを諦めたかのような何も写していない暗い瞳、ツヴァイ同様サイスによって記憶を奪われ殺人人形に変えられた一人の哀れな少女。

ツヴァイに自分の持つ殺人技術を教えてくれたそんな彼女をツヴァイは護りたかった。

絶望だけを写したその瞳にもっと違うものを見せたかった。

殺人者だけではない違う生き方を共に歩みたかった。

だが、そんな彼女も今はいない。

結局、サイスの催眠に勝てなかった彼女は、サイスを狙ったツヴァイの銃弾を彼の代わりに受けて死んだのだ。

彼女を護りたかったツヴァイに与えられたのは先代ファントムと倒した功績と言う名の呪い、そして、新たなファントムの称号だけであった。

これほどまで世界は狂っていると思った瞬間はなかった。

彼女自身もサイスから逃れたがっていた、一度だけ瞳に涙をため自分に助けを求めて来た事があった、そんな彼女にツヴァイはエレンと言う名を彼女に授けた。

過去に自分の見た映画に登場する人物の名前をそのまま使っただけだが、彼女は笑った。

本当にうれしそうに笑ったのだ。

新たな人間としてもう一度やり直すために。

エレン、今は誰も呼ぶことのない名をツヴァイは決して忘れた事はなかった。

だが、サイスは何の疑いもない純粋な疑問を口にする。

「アインは私の所有物だった。私がどうしようが君に怒鳴られる理由はないはずだが?」

本当にそう思っている辺りがサイスがサイスである所以でもある、この男はアインと言う一人の人間を自分の作り上げた「作品」としか思っていない。

しかも、代えの利く使い捨ての駒である「作品」として。

「まぁそんな事は、些細な問題でしかない。私がこんな島国に来た理由はもっと大事なことなんだよ」

指先に挟んだ煙草からの煙はサイスを護る鎧の様に体中に巻きついており、鼻孔を刺激する臭いは吐き気すら催すほどになっていた。

「一つは、日本にインフェルノの麻薬を捌く為のルート確保、及びその障害となる中国マフィア対策」

その言葉にツヴァイは先日の横浜の中国料理店の店主が殺されたニュースを思い出す。

「二つ目は、今のファントムの意向でね・・・・・君に会いたがっていたんだよ」

今のファントムはツヴァイの様に先代を倒して襲名した正式なファントムではない、その点から見ても今のファントムにとって今も生きるツヴァイは目障りなのだろう。

「ファントムなんて称号はくれてやる。今の俺はファントムでもツヴァイでも、ましてや吾妻玲二でもない。お前を殺せばそれでいいただの殺人者だ」

その答えにサイスは意外そうに眼を見開くが、直後に自己解決したのか満足げに微笑んだ。

「その様子じゃまだ会ってはいないようだな、私の誇る第三作目とは」

「なんの話だ?」

「キャルだよ」

その言葉にツヴァイの眼が見開き、体中の血液が凍える様に冷たくなる。

キャルと言う名はそれほどまでにツヴァイにとって重い物だった。

エレンをその手に掛け、ファントムとなってしばらく経ってからのことインフェルノの麻薬取引現場で起きた抗争。

取引相手の日本のヤクザ、梧桐組を含め、現場にいた全ての者が皆殺しにされた。

襲撃犯の正体も何の手掛かりもなくなく途方に暮れていた時に出会ったのが、キャル・ディヴェンスだった。

押しの強いキャルに初めは戸惑うことが多かったが、血生臭く殺伐とした日々を送っていたツヴァイにはその騒がしさが心地よく、いつしか忘れかけていた安らぎを感じ始めていた。

住処に帰れば見た目は悪いが味はイケる料理を作って待っているキャル。

その料理と仕事の手伝いの報酬に買い与えた懐中時計を握りしめ、満面の笑顔を浮かべるキャル。

そんなキャルを護ろうと誓った。

エレンへの贖罪などと奇麗事を言うつもりはない、それも自分自身で決めた事であった。

だが、そんな二人の住処が爆破されたのはその矢先のことであった。

自分が少し眼を離した隙によって、またしても自分が護ると誓った女を護れなかった。

そのキャルが、生きていると分かっただけでも十分な衝撃であるはずなのに、さらにそのキャルがファントムとなっていることなど誰が予想できよう。

「キャルに何をした!?」

これまで以上の殺気をサイスに叩きつけツヴァイは慟哭する。

そんなツヴァイをサイスは相変わらずの不快な笑みを浮かべて眺めていた。

「許し難いかね?憎いかね?しかし、君は人を断罪できるほど潔白な人間かね?今日も罪のない青少年を皆殺しにして・・・・・・少々鼻息が荒いだけの普通の少年達を、己が目的の為に殺して・・・それだけではない、麻薬も売春も取り仕切っている組織にキャルを一人置き去りにして自分は女と逃避行・・・・」

言い返せる言葉は浮かんできたが、どれもツヴァイの口から零れることはなかった。

それどころか、体中の力が弛緩し、右手のトカレフが異常に重く感じてしまっていた。

「なんて罪深いんだろうね?キャルは君を心から憎んでいるだろう・・・薄汚い殺人者の君を!」

殺人者・・・・自分で言った筈の言葉がツヴァイの心に突き刺さる。

そう自分は殺人者だ。

それ以上でもそれ以下でもない、そんな自分が女を護ろうなどと思ったことが間違いだったのだ。

死んだエレンも、護れなかったキャルも、全ての出来事は殺人者である自分の責任である。

だが、それでも、彼女達にできることはある。

「サァァァァァァイスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」

弛緩した全身に力を込めトカレフを持ち上げる。

この引き金を引けば全てが終わる。

ツヴァイも、サイスに翻弄されたアインの人生も、自分に狂わされたキャルも、サイスの命も。

銃声が二つ重なる。

一つは遠く、一つは近い。

近く響いた銃声は、ツヴァイの右手に握られるトカレフを弾き落とし地面に転がした。

気配は全く感じなかった。

否、目の前のサイス以外を見ようとしなかったツヴァイの失策だった。

サイスの背後には六人の影が並び、能面の様な無表情、否、六人が六人とも白い仮面を付けていた。

体つきから女であることは分かるが、それ以外の情報は何一つ分からない。あるとすれば、それは雰囲気。

そう遠くない過去に彼女達と同じ雰囲気を持っていた少女をツヴァイは知っていた。

「どうかね?アインを習作に。ツヴァイ、ドライを実験作に・・・・それらの結果を経て生み出された終幕に相応しい演者達。ツァーレン・シュヴェスタン。恐怖もなく、慈悲もなく、ただ忠実に死を運ぶ猟犬の如くオートマータ、私にとってインフェルノも舞台の大道具に過ぎないんだよ」

サイスは恍惚に歪んだ顔をツヴァイに向ける。

「お前は・・・・お前は一体何をしたいんだ!!」

ツヴァイの問いにサイスは、

「究極の殺戮兵器の創造だよ、それ以外に私の興味はないんだよ」

「正気か・・・・」

「もちろん、私は私がしたいようにする。それ以外になにがあると言うんだ?」

さも当然の様に告げるサイスの瞳は、誰の目から見ても狂気に満ちていた。

本人だけが気付いていない、否、気付く必要はないのだ。

世界は自分中心に動いている、と信じ切っている人間に何を言っても糠に釘もいい所だ。

「俺を・・・・どうするつもりだ?」

常識的に考えればここで始末されるのだろうが、相手はあのサイス・マスターである以上思いもよらぬ言葉が投げかけられる可能性は否定できない。

その答えは十分に予想通り、予測を大きく超えた物であった。

「何もしないよ、今日のこの邂逅も私が設定した大舞台の前座に過ぎないのだよ」

「前座・・・・だと?」

真意を掴みとれないサイスの言葉にツヴァイは得体の知れない不安感に押し潰れそうな自分を必死に支えていた。

「そう、前座だよ。私が考える最高の大道具、最高の役者が揃う最高の舞台は、君の良く知る場所だ」

その言葉にツヴァイの思考はある一点に集中する。

「まさか・・・・・」

「そう、ロアナプラだよ。この世の全ての悪が集結する無法者の楽園、そここそが私の舞台に相応しい」

「そんなことしてみろ!インフェルノとロアナプラで戦争が起きるぞ!!」

それだけで済めばまだいい方かもしれない、世界中の三合会やホテル・モスクワの支部も黙ってはいまい、下手をすれば第三次世界大戦すら勃発しかねない。

「戦争か・・・素晴らしいじゃないか、それすらも私は演じ切って見せよう」

慢心でも、過信でもない。

この男は言葉通りの事を実行するだろう。

それだけの頭脳と実力を兼ね備えている。

「随分楽しそうな話してるじゃねぇか?あたしも一枚噛ませろよ」

その時、最悪のタイミングとも、最高のタイミングとも言える状況でレヴィが現れる。

その指には煙草が挟まれており、紫煙を纏わせる彼女はサイスとは違い新しい玩具を宛がわれた子供の様に純粋な歓喜に満ちた笑顔を浮かべていた。

「レヴィ」

「よう、こっちはデカブツが片付けたぜ。囚われの姫とロックを探して来てみりゃ、イカれた格好の奴らがイカした話が聞こえたもんでな」

どこか上機嫌に語るレヴィは、サイスよりも背後に控えるツァーレン・シュヴェスタンに興味があるようであった。

やはり本能で嗅ぎ取ったのだろうか、自分より強いかもしれない存在を。

「はじめましてミス・レヴェッカ、君の噂はかねがね聞いていますよ」

「はん、どうせロクでもねぇ噂だろう?」

皮肉気に紫煙は吐き出すレヴィに、サイスは同じ笑みを受かべて返す。

「まぁ、否定はしませんよ、ふふふ・・・」

「・・・・・・兄ちゃん、なんかこいつムカつくな・・・・」

「奇遇だな、俺もそいつがムカついてしょうがない」

眉間に皺を寄せるレヴィの態度があまりにもいつもと同じ事に、思わず笑みが零れる。

「いいぜ、その喧嘩、買ってやろうじゃねぇか・・・・・」

咥えていた煙草を吐き捨て、レヴィは脇に下がるカトラスに手を掛ける。

それに真っ先に反応したのは、サイスの後ろに控えるツァーレン・シュヴェスタンであった。

何処に隠し持っていたのか、いつの間にか右手には銃が握られており、サイスを護るように三人がサイスとレヴィに立ち、残りの三人がレヴィを囲むように銃を構える。

その瞬間移動とも取れる動きをレヴィは完全に察知できなかった、決して油断などしていたわけではない、彼女とて百戦錬磨の拳銃遣いである。

相手が動こうとすれば、自然と察しはつく、視線の動きは仮面で隠されていても、体の強張りは隠しようもない。

だが、それでもツァーレン・シュヴェスタンはレヴィの意識を掻い潜り彼女に銃口を向けていた。

「どうなってんだよ・・・・」

信じ難い現実にレヴィは驚愕に眼を見開き、その様子をサイスは満足げに頷く。

「いかがですかな、ミス・レヴェッカ。私の人形達は?」

そう言ったサイスは、短くなった煙草を床に投げ捨て心地よい足音と共に踵を返す。

「それでは私はこれで失礼させてもらうよ、これでも多忙の身なのでね」

「待てサイス!!」

追いかけようとするツヴァイの視界が急激に揺れ、地面に膝を立てる。

直後、猛烈な吐き気と頭痛が襲いかかり、今現在自分自身がどちらの方向を向いているのかさえ分からなくなる。

「・・・・・かっ・・・・はぁ・・・」

嗚咽を漏らすツヴァイにサイスは振り向きも、その歩を止めることなく告げた。

「ようやく薬が効いたようだな。つくづく君は私の実験に寄与してくれるね」

やはり、サイスの持っていた煙草と思しき物は幻惑剤の類であった。

考えてみれば、サイスは火を付けてから煙を燻らせるだけで、一度も口に運んですらいない。

「近いうちにまた会うことになるだろう。ロアナプラという私の舞台でな・・・・・それではごきげんよう、ツヴァイ、ミス・レヴェッカ」

サイスが去ってもしばらくはその場から動かなかったツァーレン・シュヴェスタンの面々も、主が安全圏外に移ったのを確認したのか、それまでの圧倒的な殺意を消し、煙の様に消えて行った。

残されたのは、レヴィとツヴァイの二人のみ。

「あんのクソアマァ!!」

壁を殴りつけ、レヴィは怒りを爆発させる。

銃口突き付けられ、見動きを封じられた彼女のプライドは盛大に傷つけられていた。

これほどの怒りを見せたのは、ロべルタの一件以来である。

「おい兄ちゃん、あいつ等、一体何者だ?このあたしをあそこまでコケにしてくれる奴なんざ、ロアナプラでもそうそういねぇぜ?」

「答えなければ殺す」と、視線でツヴァイを詰問するレヴィだが、肝心のツヴァイは薬による吐き気や頭痛でそれどころではなかった。

「お、おい、兄ちゃん。どうかしたのか?」

「・・・・・・・・」

途中から登場したレヴィは幻惑剤の影響を受けておらず、ツヴァイの尋常ならざる異変に声を掛けるが、ツヴァイはすでに返事を返せる状態ではなくなっていた。

やがて、意識が途切れ途切れになって行くのを感じ、最後には完全に暗闇の中へ意識は飲み込まれていった。



[18783] 28話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:b25048bc
Date: 2010/08/29 22:07
レヴィ達に闘技場として使用されたヒラノボウルに残っていたのは、死体の山だけであった。

レヴィによって額を撃ち抜かれた者、銀次によって体を両断された者、ツヴァイに脛骨をへし折られた者、方法は様々でも皆誰もが等しく死を言う結果を迎えていた。

まさに屍累々。

そんな中、たった一人生き残っている男がいた。

「ぶはぁ!ごほっ、げはぁ!」

聞くに堪えない奇声を発し、チャカは沈められたプールから這い上がろうと無様にもがいていた。

すでに両の手首は銀次によって切断され、透明であったはずのプールの水は鮮血によって朱に染められていた。

溺死という不確実な方法を取った銀次の不手際であったが、チャカにとっては幸運であった。

しかし、それもこのままでは確実に出血死は免れない。

何とか水からは逃れようと手をばたつかせるが、すでに掴む指がない両腕では空しく虚空を殴るのが関の山であった。

すでに出血は致死レベルまで達しており、視界は霞み、全身の力は瞬く間に抜けて行く。

「無様だねぇ」

薄れかけるチャカの意識を浮上させたのは、透き通るような英語の女の声だった。

視線を向ければ、いつか見たライダースーツに身を包んだ金髪ポニーテールが確認できた。

ドライと呼ばれていた女が蔑んだ視線をチャカに向けていた。

「てめっ、あんの時の!ごばっ、見てねぇで、助け、ろや!」

ようやく現れた助けにチャカは残る力を振り絞って声を張り上げるが、当のドライは、飛び込み台に腰を下ろし相変わらずの侮蔑の視線を向けているだけであった。

「お、おい!助けろ、ッて言ってんのが、がはっ!聞こえねぇのか!!」

助けを求めているのはチャカの方であるはずなのに、命令口調なのが気に喰わないのかドライは、一瞬蔑みから苛立ちに瞳の色を変えるが、相手にしても仕方がないと悟ったのか溜息を一つ洩らし、血色の良い唇を静かに動かす。

「せっかく玲二の腕が鈍ってないか確認したかったのにさ、結局、玲二とやらず終い・・・・・・・ま、最初から期待なんてしてなかったけどね」

その言葉にチャカの意識は再び覚醒を果たす。

「てめぇ、俺を、嵌め、やがったな!?」

怒りに染まるチャカの視線を受けてもドライの反応は、侮蔑の視線から変わることはなかった。

興味を無くした様に飛び込み台から立ち上がると、片手を振りながら出口に向かって歩き始める。

「騙される方が悪いのさ、アディオス、ジャパニーズ。次生まれてくる時は、ちったぁ相手を選ぶんだね」

「こ、殺してやる!テメェ、てめぇらぁ!テメェも、がぼっ!あの、女も!あ、の野郎も!っは!」

その言葉にドライの歩みが止まる。

チャカは気が付かないが、ドライの纏っていた雰囲気は豹変し並みの者なら怖気が走るほどの殺気を漂わせていた。

「あの・・・野郎?そりゃあ、あんた。玲二のこと言ってんのかい?」

振り返るドライはゆっくりとプール内でもがくチャカに歩を進める。

それは地獄の底から響く様な死神の囁きであった。

「そいつは困るんだよ・・・玲二を殺すのはあたしなんだ。あんたみたいなチンピラに邪魔されるなんてまっぴらごめんだよ」

いつの間にかドライの右手にはシグザウアーが握られており、それは死神がその大鎌を振り上げる様にゆっくりとチャカに照準を合わせる。

「ふざけ、んな!あがっ!いい、から、ごほっ!助けろ」

「口のきき方に気を付けるんだね」

それが、チャカの最後に聞いた女の声であった。

プールサイドにこだまする銃声から放たれた鉛玉は容赦なくチャカの眉間から反対側の後頭部を穿ち、生命活動の一切を強制的に終了させる。

自らの血の中に浮かぶチャカに唾を吐きかけ、ドライは出口へと再び足を進める。

そしてようやくヒラノボウルから生者は誰一人としていなくなった。











ツヴァイが眼を覚ました時には、全てが終わり、そして新たに始まっていた。

「ホテル・モスクワ」は、香砂会から鷲峰組にその標的を変更し、二個分隊を用いて確認済みのアジトのすでにいくつかを殲滅していた。

ツヴァイにも襲撃の命令が下されたが、未だ体調が万全ではないことを理由にこれを拒否した。

頭痛と全身にだるさは残るが、戦いに支障がある訳ではなかった。

すでに始まる前から勝敗の決した戦いに参戦することよりも、ツヴァイには気がかりなことがいくつも増えていた。

自分とエレンの敵であるサイス・マスター。

死んだと思っていたが実は生きており、しかも新たなファントムとなっているというキャル。

サイスが新たに作り出した、ツァーレン・シュヴェスタン。

そして、去り際にサイスが言い放った、ロアナプラへの侵攻。

考えるだけで頭が痛くなりそうな事ばかりで、とても鷲峰組襲撃に加わっている余裕はツヴァイにはなかった。

会合相手がいなくなったこともあり、仕事がなく暇を持て余していたレヴィとロックだったが、ロックはロックでこの件から遠ざけようと考えていた鷲峰雪緒が標的になった事でツヴァイからすれば意味もない悩みに表情を曇らせており、先ほどから一言も口を聞こうともしない。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

すでにこれまで使っていたホテルから、新たに宛がわれた別のホテルに移動を完了させていたが、重苦しい沈黙が決して広くはない相部屋となった部屋を支配しており、仮に第三者がいたとすれば五分と持たずに退室を決め込むだろう。

「なんでぇなんでぇ、大の男がシケタ面ぁ並べやがって。イエローフラグの方がまだマシだぜ?」

ドアを蹴破らんばかりの勢いで侵入してきたレヴィが開口一番にそんな事を口にする。

レヴィもツァーレン・シュヴェスタンに軽くあしらわれた筈で怒り狂っているのかと思いきや、意外にも彼女はいつになく上機嫌であった。

「ほら、立ちなベイビー。こんな部屋にいたら出るもんも出ねぇよ」

ロックの腕を強引に掴み立ちあがらせるレヴィ。

彼女なりに心配の裏返しのつもりなのだろうが、ロックの表情は暗いままであった。

「ちっ、つまんねぇ奴だぜロック。おい兄ちゃんお前も来いよ」

「・・・・何処に行くんだ?」

何処に行こうが、断るつもりであったが一応の確認でツヴァイは久しぶりの口を開く。

酷く乾いた唇はそのわずかな言葉だけでもひび割れ、鋭い痛みが走った。

「イザカヤって飲み屋に行ってみようぜ、さっき表を回ってたらやたら見掛けてよ」

「レヴィ、今は俺・・・・」

「口答えは無しだぜ、どうせ仕事はねぇんだ。飲みにでもいかねぇとやってられねぇだろ?」

軽快な笑みを浮かべ、レヴィはロック同様に腕を掴みツヴァイを立ち上がらせる。

だが、とてもそんな気分になれないツヴァイは、視線を床に向けながら静かに答える。

「俺はいい、二人で行って・・・・」

「口答えは無しって言っただろう、これ以上喚くならぶっ殺すぞ?」

冗談ではないレヴィの声色にツヴァイは閉口する。

やはりどこか彼女はおかしい、もともと感情の起伏が激しい性格であったが最近はそれに拍車がかかり過ぎている。

「行くだろ。なぁロック、兄ちゃん?」

「・・・・分かった」

「行きます・・・」

観念した二人は渋々ながら彼女の脅迫を受け入れた。

居酒屋「のんき」。

ここを選んだ理由は特にない。

最初にレヴィが見つけた居酒屋がたまたまそこであっただけの話だった。

満席状態に近い店内は陽気な喧騒に包まれており、今この場にいるほとんど人間には、外で起こっている抗争のことなど一様に頭の片隅にも存在していなかった。

それは、ロアナプラの住人の様に自ら身を護る自信がある訳ではなく、自分は決して巻き込まれることなどない、というなんの根拠もない自信から来るものであろう。

日本に来てうんざりするほど感じた日本人の危機管理のなさは、今のツヴァイにとって苛立ちにしかなりえなかった。

無断で外出してしまったので、一応バラライカに電話で報告をすると、呆れた様に溜息を吐かれ暫く自分達の出番はないので好きにしてと、にべもない返事が返って来た。

席に戻ると、すでに注文された料理がテーブルの上に並べられており、対面に座るロックとレヴィは対照的な表情でジョッキのビールを煽っていた。

「バラライカと連絡がついた、しばらく俺達用はないそうだから好きにしろ、だそうだ」

ロックの隣に腰を下ろしながらバラライカからの言伝を二人に伝え、ツヴァイもジョッキの中身を一気に半分近く飲み干す。

日本にいた時は、アルコールの類はほとんど口にした事はなかった。

酒を嗜むようになったのは、アメリカに渡りそこで殺し屋としての教育を受けてからであった、アルコールのもたらす酩酊感は、思いの外現実の辛さを紛らわせてくれた。

ただそれだけであったが、当時の自分にはそれが何よりも幸福な事だったのかもしれない。

本格的にアルコールに頼るようになったのは、アメリカから脱出を果たした時から。

昔の自分からは考えられない様な量の酒を浴びる様に飲み、翌日まで酒が残ってクロウディアに大目玉を喰らったのが今でも鮮明に覚えている。

誰知れずと皮肉気に口元を歪めるツヴァイの正面では、レヴィは上機嫌で嫌いであるはずのビールを喉に流しこんでいた。

「・・・・なんでぇ、まだ浮かねぇ顔してんのか、ロック?」

ホテルの時からほとんど変わらない陰鬱な表情を浮かべるロックにレヴィが声を掛けるが、ロックは頬杖を突きながら、

「そりゃなぁ・・・・」

と、気のない返事を返すだけであった。

「気にするこたぁねぇよ、鷲峰の連中とはこれっきりさ。お互いに気楽なもんだ。なぁ兄ちゃん?」

「そうだな・・・・」

確かに鷲峰組などはすでに眼中にはない、バラライカ率いるヴィソトニキが相手なら鷲峰組のヤクザなど赤子の手を捻る様なものだ。

だが、レヴィの振りに答えたツヴァイの声色もロックと大差ない物であった。

「ったく・・・どいつもこいつもシケた面しやがって」

「そう言うお前の方はやけに楽しそうじゃないか」

悪態をつきながらもやはりどこか上機嫌なレヴィだったが、ロックの心情を見透かされた様な台詞に僅かに狂気が宿った瞳がその整った貌に浮かび上がる。

ジョッキの中身を揺らしながらレヴィは、獲物を見つけた肉食獣の様な獰猛な笑みを浮かべ答える。

「へへ、流石にこんだけの間ツルんでりゃぁ、んな事もお見通しか。デカブツに仮面の女共だよロック、あんなのに会えるとはね、ガンマン冥利に尽きるってもんさ」

「いや・・・俺もなんとなく機嫌がいいなぁ、とは思っていたが・・・・・」

ツヴァイの指摘を無視し、レヴィは饒舌に語り始める。

「信じられるか、ベイビー。デカブツの野郎はあたしの眼の前で弾を斬りやがって、女共はあたしをどっかの雑魚を扱うようにあしらいやがった。天までイカしてる。最高だ。やり合いたくてたまんねぇ」

それでレヴィが異常なまでに上機嫌だった理由が分かった。

彼女は「前」しか見ていなかったのだ、放たれた弾丸を切り裂いた銀次も、彼女をあしらったツァーレン・シュヴェスタンも、皆、彼女の標的の一部に過ぎなかった、考えただけで怖気が走る様な連中を前に彼女が持った感情は「歓喜」だった。

だが、そんなレヴィにロックは冷ややかな感想を告げる。

「・・・・・そんなに死に急いで、なんの得があるんだ?」

しかし、そんなロックを鼻で笑った。

「死に急ぐだって?大変な勘違いさ、ロック。あたしらはとっくに歩く死人なんだぜ。ダッチや姐御も、張の旦那やほかの奴らも、ロアナプラに吹き溜まってる連中はどいつもこいつもだ。本物の死人と違いがあるとすりゃ、たった一つ」

「違い?」

「そう違いだ、生きるの死ぬのは大した問題じゃねぇ、こだわるべきは、地べた這いつくばってくたばることを、許せるか許せねェか、だ。」

そう言ったレヴィは、己の瞳を指さす。

すでにその瞳は戦闘中の彼女のものと大差ない濁ったものであった。

「生きるのに執着する奴ぁ怯えが出る、眼が曇る。そんなものがはなからなけりゃぁな、地の果てまでも闘えるんだ」

レヴィの言葉はとてつもない説得力に満ち溢れていた。

ロアナプラで様々な死線を潜り抜けて来た彼女だからこそ言える台詞であったが、ツヴァイが納得できるかどうかは別問題であった。

「そうやって、お前はあの街で生き抜いて来たってわけか・・・・」

「そうさ、あんなクソの吹き溜まりで生きて行くにゃそれしかねェ、他の連中もそうだろうさ、自分と仲間以外は街境の看板ぐらいにしか思ってねぇ。
ドロ酔いしながらドライブとしゃれ込む時、決まって弾丸を叩き込む例のあれさ。
――――安い命だろ?そういう手合いと殺し合う時は、こっちも連中を看板だと思う事さ。歩いてしゃべくってるだけの、腐って錆びた看板だ。そうやってアンタも生き延びて来たんじゃねぇのか?」

確かにツヴァイも数え切れぬ人間をこの手に掛けて来た。

自分が生き残る為。

そう言い訳をして老若男女を問わず殺してきた。だが、ただの一度たりともレヴィの様に人間を看板だとは思ったことはない。

「俺は・・・お前とは違う」

殺した人間をいちいち覚えている様なセンチメンタルなど持ち合わせていないが、記憶の彼方には留めておく努力はしてきたつもりだ。

それがなんの罪滅ぼしにもならないことなど十分に理解しているし、そんな生き方を選んだ自分がまともな死に方など出来る筈もない事も覚悟している。

だが、そんな自分に巻き込まれた人間に何の罪があると言うのか、キャルがなぜファントムという亡霊にならなければならないのか。

だが、レヴィはそんなツヴァイを再び鼻で笑い飛ばす。

「どこが違うって言うんだ?アンタ自分で言ってたじゃねぇか、あたしらみたいな奴らははこんな世界でしか生きられねェ、野良犬なんだよ。どうすっ転んでもな。それが理解できてたからアメリカでファントムなんて小洒落た名前を名乗ってたんじゃねぇのか?」

「ああ、俺達は所詮そういう生き物だ、闇の世界でしか生きられない。だがな、そんな連中は俺達だけで十分だ、あの子は・・・・キャルは間違ってもこっち側に来ていい様な人間じゃなかった」

「あん?何言ってやがんだ?」

「キャルって?」

気が付けば、最初からレヴィとツヴァイの会話は噛み合っていなかった。

ツヴァイは全てを語り出す。

自分達がインフェルノから逃げたした事、キャルの事、ボウリング場で会ったサイスの事、全てを。

全てを語り終えたツヴァイに投げ掛けられたのは、やはりレヴィの嘲笑であった。

「なんでぇ、何悩んでんのかと思えば、くっだらねぇ」

「お前からすればそうだろうな・・・・野良犬には話すだけ無駄だったな」

嘲笑で返されたレヴィは僅かに眉を潜ませるが、すぐに例の酷薄な笑みを浮かべ、

「そうでもねぇさ、キャルってメスガキのこたぁ知らねぇが、そいつがファントムになった事は分かるさ、そいつはな、理解したのさ。自分の本性があたしらと同じどうしようもない野良犬だってな」

「お前に・・・・・・キャルの何が分かる」

「分かるさ・・・育ちやらなんやらがあたしとそっくりだ。いや、あんたみたいな人間が側に居ただけそいつの方がなんぼかマシかも知れねぇが。
結局、頼れる人間もいねぇ、力もねぇ、そんなクソガキが頼れるもんは一体何だ?そいつは金と銃だ。そいつがあれば天下泰平なんだよ。
アンタに想像できるかい?こんな平和ボケした国で育ったあんたに貧困街で育ったメスガキがどんな思いで生きてるか。分かるわきゃねぇよな、そんなこったから下らねぇことで悩むんだよボケナス。キャルの何が分かるだぁ?笑わせんな。分かってねぇのはテメェの方なんだよ」

煙草に火を付けながら、レヴィは辛辣に吐き捨てる。

何の容赦もない台詞はツヴァイの心をズタズタに切り裂いた。

返す言葉もないツヴァイにレヴィは、席を立つ。

「先に帰る。これ以上、辛気くせぇ面ぁ拝されるのは御免だ」

最後にレヴィは僅かに振り返り、ツヴァイに言葉を投げ掛ける。

「あんた、なんで日本に帰ってきた?ここはあんたの世界じゃないことぐらいとっくに分かってただろう。もしかして、向こう側に帰れるとでも思ってんのか?だとしたら、一言言いな、あたしが殺してやるからよ」

「レヴィ」

「・・・・・」

彼女の後を追いかけ、ロックも店を後にする。

残されたツヴァイは呆然とその場を動くことができなかった。結局、自分は何も分かってはいなかったのだ、ロックに偉そうなことを言っても、何一つ分かっていなかった。

キャルのことも、自分のことも、何一つ。

店中にこだまする笑い声が、自分を嘲笑するようにしか聞こえない事にツヴァイは納得した様に皮肉気な笑みを浮かべ、炭酸の抜けるビールをいつまでも眺めていた。



[18783] 29話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:bddc98a8
Date: 2010/08/29 22:18
気が付けばツヴァイは遠い記憶の中で見た光景を目の前にし、虚ろな足取りでコンクリートに舗装された道を歩いていた。

すでに日は高く、視線を泳がせればあちこちに子供たちの無邪気な笑い声がこだましており、何処の国でも子供と言うものはそういうものだと認識させられる。

そこは、二度と足を踏み入れないと誓った場所。そこに今、ツヴァイはいる。

自分の生まれ育った街へ。

ほんの数年前までここの空気を吸い、ここでの生活が自分にとって全てであったのにも関わらず、目の前に広がる見知った筈の風景は、ツヴァイを悉く拒否しているかのように思えてならなかった。

否、そう思おうとしていたのかもしれない、これまで自分がしてきたことは決して許されることではない。

そんな人間がこんな穏やかで、平和な場所に戻れる筈はないと自分に戒めを掛けていた。

だが、結局は戻って来ていた。

吾妻玲二という人間の始まりの場所に。

これが、動物の持つ帰巣本能と言うものなのか、自分の意思なのかは考えるまでもなかった。

自分はここに帰って来たかったのだ、これまで背負ってきたもの全てを投げ捨てでも。

キャルと約束した日向の世界がここにはある。

それを忘れる為ともっともらしい言い訳をして、自らを欺いて来たが、蓋を開けてみれば何と言うことはない。

これが、ファントムと呼ばれた男の本性なのだ。

自らを嘲笑するかのような笑みが自然と口元に浮かぶ。

そこでようやくツヴァイは足を止める。

何の変哲もない家の門前、その脇には吾妻と書かれた表札が掲げられた家。

そこが自分の生まれた場所であるはずなのに、始めて来た様な言い知れぬ違和感があるが記憶の中の生家には違いなかった。

目の前にある呼び鈴がやたら大きく見える。

これを押せば、今までの自分の生活が一変するだろう。

以前の生活というものがどういったものかも定かではないが、今の様な斬った張ったの世界とは幾分とマシだろう。

全ての約束を反故にすることになるが、もとより何一つ守ることのできなかった身だ、今更反故も何もないだろう。

「あれ?」

「ん?」

呼び鈴に伸ばしかけた手を止めたのは、聞き慣れた声であった。

「お前達」

振り返ればそこには、やはり見慣れた顔が二つ並んでいた。

この国に来て一番声を掛け合った連中は、狐につままれたような顔を浮かべていた。

ツヴァイがこのような住宅街にいるのがそんなに珍しいのか。

それを言うならロック達がここにいるのも同様ではないだろうか。

「玲二さん・・・なんでこんな所に?」

訝しむロックの視線が次に捉えたのは、ツヴァイの隣に掲げられた表札だった。

「吾妻って・・・・まさかここ玲二さんの!?」

次に繋がる言葉は考えるまでもないが、そこまで驚くことなのだろうか。

元よりツヴァイの故郷は日本と言ってある訳であったし、訛りのない日本語からおおよその出身地は想像が付くと思うのだが。

そんな疑問を身の内で混濁させていたツヴァイに、呆気にとられるロックの隣に佇むレヴィがつまらなげに口を開く。

「なんでぇ、お前ら結構近くに住んでたんじゃねぇか」

「・・・・なに?」

あまりにも意外な言葉に、ツヴァイの思考は一瞬停止しその表情から一切の感情が消え失せる。

岡島緑郎・・・・ロックの本名を聞いた時に僅かに感じたどこかで聞いたことがある様な響きは、久しぶりに聞く日本人の名前だと思っていたが、真実は意外にも本当に近くのものであった。

まだ日本でしがない学生をやっていた時分に、近所でも有名なエリート一家があった。

父親はどうであったか覚えてないが、長男は入庁出来るほどの秀才に比べ、その弟は兄とは違い一浪して一般企業に入社と言うよくある話。

その家の名は、岡島。

「お前、岡島の家の出来損ないだったのか・・・・」

あまりにも率直すぎるツヴァイの言葉に、ロックは返す言葉もないと苦笑を浮かべる。

「ええ、まぁ・・・・・でも俺も驚きましたよ。吾妻さん家で息子さんが海外で行方不明になったって聞いてたけど、まさかそれが玲二さんだったなんて・・・・年下だったんだ・・・」

散々説教を喰らっていた相手が年下だと分かり、落ち込むロックだったが隣のレヴィは逆に心底面白くない顔をしていた。

「で、そんな思い出の場所でいってぇ何してやがったんだ?」

最初の疑問を吐き捨てるレヴィの声色は、詰問と言うより尋問の様だった。

「・・・・・・・」

その問いにツヴァイは沈黙を返すのみであった、もはや何も紡ぐべき言葉はない。すでにレヴィとツヴァイとでは住む世界が違う。

ツヴァイは日の当たる世界へ、彼女は闇の世界へ。

「答えろよ、兄ちゃん。テメェは一体何をしようとしてやがったんだって聞いてんだよ」

ツヴァイの胸倉を掴み地の底から這い出る様な声色でレヴィは恫喝する、今にもカトラスを抜きかねない危険な炎がその瞳に宿っていた。

「帰るんだよ、元いた場所に。それ以外に何がある?」

苛立ちを隠しもせずにツヴァイは吐き捨てる様に、レヴィに告げる。

せっかく固まった決意を否定されるなど我慢がならなかった。

「帰るだ?笑わせるぜ、テメェみてぇな野良犬が今更どこに帰ろうなんてほざくんだ?寝言は寝て言いやがれ」

「羨ましいのか・・・・レヴィ?」

「あん?」

その言葉にレヴィは眉を潜ませ、ツヴァイは畳み掛ける様に言葉を吐き出す。

「俺やロックの様に帰るべき場所がある人間が羨ましくて堪らないんだろう、だからそんなに噛みついて自分達の世界から逃がさない様に必死になる」

「・・・・上等じゃねぇか」

遂にレヴィは左手にソードカトラスを握り、その銃口をツヴァイの額に押し付ける。

抜いた瞬間に引き金を絞らなかったのは単なる気紛れであろう、真実は別にあるのかもしれないが、今のツヴァイにはそうとしか思えなかった。

「言っただろ?そっちの世界に帰る時はあたしが殺してやるってな」

話はこれまでだ、と言う様にレヴィは引き金に力を込める。

だが、ツヴァイにはそんなレヴィに命乞いをするでも抵抗するでもなくただ沈黙を貫いていた。

今のレヴィに殺されるならそれでもいい、そうツヴァイは思っていた。

レヴィの姿を見てようやく自分の本当の思惑が理解できた。

自分は逃げたかったのではない、死にたかったのだ。

全ての責任を放り投げ、光でも闇でもない無の世界に行きたかったのだと、おぼろげでしかないかつての日本での生活に戻ったとしても、それまで自分がしてきた事を忘れることなどできる筈もない。

むしろ、闇の世界であったからこそこれまでの自分を正当化出来ていた。

「悪意には悪意を持って」。

そんなどうしようもない理屈が平然と通用する世界だからこそ、ファントムとして、ツヴァイとして生きて来れた。

だが、そんな理屈すら存在しない世界で生きていけるほど吾妻玲二は、善人でも潔白でもない。

いずれは摩耗し、崩れ落ちるのは明白であった。

ならば、今この場でレヴィにファントムとして、ツヴァイとして、吾妻玲二として殺されるのならそれが最良の方法なのかもしれない。

どちらの世界にも染まれなかった無様な亡霊には贅沢過ぎる最期だ。

目の前にある小さな銃口から吐き出される弾丸が頭を撃ち抜けば、こんな答えの出ない悩みもしなくて済む。

「ちょっ、レヴィ待った!」

だが、そんなささやかな救いもロックの一言であっさりと遮られる。

「こんな所で銃なんて抜くなよ、誰かに見られたりでもしてみろ!何度も言うようだけどここはロアナプラじゃないんだ」

両手を広げ、ツヴァイとレヴィの間に割って入るロックに前後から意味合いの異なる批難の視線が突き刺さる。

そんな事を知ってか知らずか、ロックは背中越しにツヴァイに語りかける。

「玲二さん、あんた俺に言ったよな。俺の立ち位置を決めておけって・・・・・・その答えを持って来た。それを聞いてから死んでも遅くはないんじゃないのか?」

「・・・・」

その言葉にツヴァイは、ロックにまで悟られるほど分かりやすい顔をしていたのかと、自己嫌悪に陥るが先にレヴィの一言が事態を先に進ませる。

「ちっ、この先に公園がある、そこで決着させようじゃねぇか。・・・・色々とな」

公園のベンチにロックは腰を下ろし、レヴィもそれに倣う。

三人では流石に狭いベンチの前でツヴァイが佇み、しばしの沈黙。

レヴィには先ほどの殺気はなく、むしろどこか哀愁の雰囲気さえ感じられる。

馴染の煙草を取り出し、レヴィはオイルライターで火を付ける。

紫煙の香りがたっぷりと辺りを包み込むのを確認したかのように、ゆっくりと彼女は口を開く。

「・・・・・・・姐御やあんたに言われるまでもねぇ、ここはいい所だ。だから―――つい惑っちまった」

それは、ツヴァイでも隣に座るロックに宛てた言葉でもなかった。

あえて言うなら自分自身か。

「届く訳ゃねぇ、いつだって濁った空気の中で生きて来たんだ。そういう場所以外に生きる場所がない、そんなことまで忘れかけてた。結局、やり方を心得てたのは姐御だけだ。あいつはずっと戦争だけを見て来たからな」

今にも消え入りそうな独白を洩らし、レヴィは眼前に立つツヴァイに視線を流す、その瞳は悲しみとも諦めとも言えない、ただの「絶望」のみがあった。

その瞳を見たツヴァイは心臓が鷲掴みにされる様な衝撃を受けた。

その瞳をツヴァイは過去に嫌と言うほど見せられた。

アイン。

その記号だけの名を持つ少女は常に今のレヴィと同じ瞳をしていた。

サイスに記憶を奪われ、自分が何者なのかも分からず暗殺者としての日々を生き、遂には摩耗しきった絶望の極致。

そんな瞳が今、自分を捉えて離さない。

そんな瞳に見つめられるくらいなら、いっそこの世の言語全てを使って罵詈雑言を浴びせられた方がツヴァイにとってはそれだけ幸せであったか。

耐えきれずツヴァイはレヴィから視線を外し、そんな自分に忌々し気に舌打ちを洩らす。

そんな瞳から逃れたくてここまで来たというのに、自分の最期を迎えさせる人物までもそんな瞳で自分を見つめる現実が重くのしかかる。

「ファントム・・・・アンタは向こう側からこっち側に来た人間だ。なんでかなんて理由を聞く気もねぇし、聞きたくもねぇ・・・・・だがな、こっち側に来た以上、もう何処にも逃げられやしねぇンだよ」

ゆっくりと立ち上がりレヴィは、力無く下げられた両手にカトラスを握り亡霊の様な虚ろな視線をツヴァイに向ける。

「あたしらの命は値段を付けりゃ、どいつもこいつもダイム(10セント)以下の値打ちしかねぇ・・・・・だがな、そんなクソ溜めの世界でもルールってのがある。なんのケジメも付けねぇで逃げ出す事だ・・・・・そいつを破ったら殺されたって文句は言えねぇ」

気だるげに両手のカトラスを持ち上げるレヴィに、ツヴァイは皮肉たっぷりの笑みを浮かべる。

散々約束を破って来た自分に与えられた死の理由が、結局は「ルールを破った」とはこれ以上の皮肉はない。

「ロック、あんたはもう行っちまいな。こっからはあたしらの世界の話だ・・・・・・後ろは振り返るな、あんたの悪夢も醒め頃さ」

それはレヴィからロックへの決別の言葉だった。

これまで頑なにロックの青臭さを否定してきた彼女がそんな事を口にする理由は分からないが、自らそのようなことを口にする辺り、彼女自身が言った「ケジメ」はすでに付けているのだろう。

だが、ロックはその言葉を受けても、ベンチから立とうとせずにどこか吹っ切れたような表情を浮かべ静かに語り出す。

「レヴィ・・・忘れたのか。俺はもう死んでいるのさ。お前と出会ったあの日にな」

自らに語りかける様なロックの独白に、レヴィのそれまで空虚に支配された瞳に僅かにだが光が灯る。それは歓喜と呼べるのかそれとも更なる絶望か。

「ロアナプラが歩く死人の街なら、ここは生者の住む世界だ。あまりにも見知った光景だったから――――――俺もそいつを忘れかけてた。死人にとっちゃ幻みたいなものだったのにな。いや・・・あの頃からもう、幻だったのかもしれない。そうは、思いませんか玲二さん?」

「・・・・そうだな」

ロックの言葉にツヴァイは消え入りそうな声で返事を返す。

確かにここには、捨て去った筈の未練や追憶の欠片が溢れている。

あまりにも当然の様に変わらずそこに在り続けるそれを見続けた結果が今のツヴァイだ。

「俺・・・あの子に、雪緒ちゃんに言われました。俺があの娘を助けたいって気持ちは、偽物だって」

「偽物?」

「ええ、俺は彼女を助けたい訳じゃなかった、俺は捨てた筈の日常を失いたくない。それだけだってね・・・・・」

「・・・・それで、お前はなんて答えたんだ?」

ツヴァイの問いにロックは、苦笑を洩らしながら答える。

「何も・・・・何も答えられなかったですよ。高校生の女の子に俺は何一つ言い返せなかった。そこで思い知らされましたよ。俺は何も選んではいなかった、俺の足はどこにも立ってなどいなかったってね」

顔では笑ってはいても、ロックの膝の上に置かれた拳は静かに震えていた。

「それでも、俺は彼女を助けたい。そう思ってバラライカさんにも頼みました。知ってます?バラライカさん、今度は香砂会と手を結ぶそうです。そんな話を聞かされちゃ黙っていられなかった・・・・・」

ロックがあのバラライカに啖呵を切る時はいずれ来るだろうと予想はしていたが、当然バラライカの答えは銃弾によるものだと確信していたツヴァイは、生きて自分の目の前にいるロックに感嘆の息を洩らす。

「よく生きて帰れたな・・・・」

「ええ、自分でもそう思いますよ。レヴィがいてくれなきゃ今頃俺はここにはいないでしょうね」

流石のレヴィもこの時ばかりは肝が冷えたであろう、相変わらず自分に銃を向けるレヴィの表情に変化はないが、仲間の死を何より嫌う彼女がロック身を護る為にあのロアナプラの女帝であるバラライカに自分と同じ様に銃口を向けた事は想像に難くない。

「玲二さん、あなたの質問に答える前に俺の質問に答えてくれませんか?・・・・・あなたはどうして日本に来たんですか?」

「・・・・・・・」

ロックの質問の解が、ツヴァイの脳裏に浮かんでは消えて行く。

日本に、あったはずの日常に帰る為。

キャルと一緒に見る筈だった世界を見る為。

ロアナプラという肥溜めの様な世界から逃げ出したかった為。

ロックの言う昼の世界を覗きたかった為。

ロックのボディーガードの為。

そのどれもが言い訳に過ぎない。

ロックの言う通りここは生者の住む場所。

すでに歩く死人と化した自分に居場所などある訳がない。

日本に、かつての吾妻玲二という人間がいた世界はあまりにも眩しく魅力的な光に溢れていた。

その世界に帰ることを拒んだのは他ならぬ自分自信である、クロウディアから自分のパスポートを渡され、全ての記憶を取り戻し、元の生活に戻る選択肢を与えられた。

その時も、自分の答えは「NO」だった。

すでに何人もの人間を殺した自分が帰れる筈はないと、エレンと生きるためと、理由はどうあれ自分自身が選んだことだ。

その他にも様々な選択をしてきた。

アインと共に生きるとインフェルノを裏切った時も。

アインを殺し、自分が新たなファントムとなった時も。

キャルを拾い、スナイパーとして育てようとした時も。

キャルと共に生きようとした時も。

クロウディア、リズィと共にアメリカから脱出した時も。

結果はどうあれ全て自分で選択してきた事だ。

選択の結果に自分を何度呪ってきたか分からない、不幸にしてきた人間が幾人もいた。

だが、それでも自分で選択してきた。

それ故に自分はここに立っている。

全てを投げ出す事などいつだってできたのだ、だが、それでもその選択を選ばなかったのはいつだって自分には護るものがあったからだ。

それは今でも変わることのない事実。

自分はまともに死ぬ事すら許されないだろう。

それだけのことをして来たし、当然の因果だ。

だが、そうだとしても、それは今ではない。

ここで逃げてしまえば、生きることからも逃げてしまえば、それきりだ。

自分が死ぬのは構わない、しかし、自分が死んだ後に嬲り者にされるのは、残されたクロウディアとキャルだ。

クロウディアにはリズィが付いてはいるが、キャルには自分しかいない。

例え恨まれていようとも、憎しみのみが今のキャルを動かしていようともキャルには自分しかいないのだ。

恨みたければ恨めばいい、だがこれ以上自分の不甲斐無さで失う苦しみを背負うくらいなら、いくらでも恨まれよう。

「悪いなレヴィ、俺はまだ死ぬわけにはいかないんだよ」

それだけを告げ、ツヴァイは懐からトカレフを取り出し、その銃口をレヴィに向ける。

「へぇ・・・いい面構えじゃねぇか。さっきまでの死人みてぇな眼ぇしてやがったのに」

銃を突き付けられているのにも関わらず、レヴィはどこか満足げな笑みを零した。

「何を言ってるんだ、俺達はもう死んでるんだろ?」

皮肉を口にするツヴァイにレヴィも笑みを返す。

そして、ツヴァイはレヴィの背後に控えるロックに視線を移す。

「質問に答えよう、ロック。俺は忘れる為にここに来た。俺がいる筈だった日常を、それまでの人生を。全て忘れる為にここに来たんだ」

その答えはツヴァイの本心からの言葉だった。

その答えにロックは満足気な笑みを浮かべ、

「俺もですよ玲二さん。俺も忘れるためにここに来た。俺も質問に答えます、俺の立つ場所は夕闇の世界です。そこで起こる全てを見届けます」

「その選択は後悔するぞ?」

「後悔なら一年も前に済ませましたよ、足りないのは覚悟だけだった。でもこれで、一つ決まった様な気がします」

きっぱりと告げるロックは、これまでのツヴァイが知るロックのイメージを根底から覆すような瞳をしていた。

レヴィや自分の様に汚れきっていない、かといって雪緒の様に澄み切っているわけでもない、その両方を兼ね備えた全く新しい色の瞳。

これが、ロックの言う夕闇に立つ者の瞳なのだろうか。

「・・・・・・・そうか・・・・・」

気を付けなければ聞き逃す様な音量でレヴィが呟き、構えていたカトラスの安全装置を作動させる。

俯いた彼女の表情は窺い知ることはできないが、それはどこか寂し気でありながらも僅かに喜びを滲ませていた様に思えた。

「あー!こないだのねーちゃんだ!」

突如、今までの雰囲気を吹き飛ばすほどの邪気のない歓声が公園内に響き渡る。

視線をその方向に向かわせれば、まだ小学生程の男子数人がレヴィを指さし、息を切らしながらこちらへ向かってくる。

「ねぇ、こないだのまた見せてよ!」

「そー、そー、あの缶落とすやつ」

突然の闖入者に驚くツヴァイを無視し、子供達は数メートル離れた水飲み場に空き缶を設置する。

子供たちの言葉から察するに、レヴィは彼らと何やら接点があるようだったが、当のレヴィは煙草を咥えたままその場から一歩も動こうともしなかった。

「ロック?」

「見せてやれよ、レヴィ」

英語での会話であり子供達には何の事か分からないようであったが、レヴィは構わず右手のカトラスを再び持ち上げる。

「・・・・・・それ、なんて銃?・・・・・」

「・・・本物みたい・・・・」

今度は明らかな怯えの色を浮かべる子供達であったが、レヴィは英語でそれに答える。

「ベレッタM92カスタム“プライヤチャット・ソード・カトラス”・・・・・・あの缶をみなガキども。あの、缶を、見るんだ。オーケイ?」

瞬間、轟音と共にカトラスから吐き出された銃弾が、数メートル先の空き缶を粉々に砕いて行き、数秒後には水飲み場に置かれた空き缶が消滅していた。

呆気に取られる子供たちを尻目に、三人は公園を後にする。

「お袋が待ってるだろう。とっとと帰りな、ガキども」

空虚な笑みを浮かべ、子供達に言葉を投げ掛けるレヴィ。

それは、ロックにとっても、ツヴァイにとっても、憧れた世界との決別の台詞だった。



[18783] 30話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:c324d616
Date: 2010/08/30 00:05
ホテルに戻ったツヴァイを待っていたのは、バラライカからの指令で会あった。

すでに鷲峰組の戦力は抗争が勃発した当初の三割以下にまで低下し、もはや組織としての体裁も成さないまでに疲弊しきっていた。

雪緒の策略により、ヴィソトニキが使っていたバンと同種の車を使い銀行強盗を働き、警察の警戒網にヴィソトニキを引っ掛けさせるなど、反撃の兆しも見せてはいたが、所詮は日本のヤクザ。

悲しいまでの彼我の戦力差はヴィソトニキの作戦行動を僅かに遅らせただけで、戦況を覆すまでの効果は得られなかった。

本来ならば、鷲峰組の組長である鷲峰雪緒の息の根を止めるまで徹底的に叩くのが生粋の戦争狂であるバラライカの本心なのだろうが、日本は彼女の本来の持ち場ではない。

すでに永らく不在にしているロアナプラは、ヴィソトニキとバラライカという抑止力が外れ、本来の無法者達の銃撃の楽園と化しているとの情報も入って来ている。

自分の領地を荒らされるのを何より嫌うのがマフィアと言うもので、バラライカもそれを十分理解している。

ロックの言葉通り、「ホテル・モスクワ」は、それまで敵対していた香砂会と共闘の同盟を結び、鷲峰組の処分は後続に引き継ぐことを決定した。

その最終調整の為に行う会合でバラライカの警護を任された。

会合場所は、香砂会会長、香砂政巳の本宅。

どこぞの高級料亭を思わせるような屋敷の外には、何処から嗅ぎつけたのか警察の機動隊が包囲しており、何か僅かでも不穏な動きがあれば突入すると無言の警告を発していた。

東京という日本の首都で流石に派手に動き過ぎたのだろう、警察が警戒の目を光らせるのは当然のことであったが、どんな後ろ盾があるのか、バラライカはそのような警戒にも動じた様子は微塵も感じさせなかった。

すでに会合は詰めの段階に入っており、両者はまとまりかけている会合の内容を別室で上司に報告の手筈を整えていた。

護衛のツヴァイと、通訳のロックは手持ち無沙汰でガラス張りの廊下から一望できる見事な日本庭園に視線を泳がせていた。

「これで長い日本での仕事も終わりだな」

「ええ、本当に長かった」

覚悟は決めたと言っても、やはり鷲峰雪緒のことが気にかかるのだろう。

ツヴァイの言葉に返事を返すロックの声は、陰鬱に染まったままであった。

「この先・・・・あの子。雪緒ちゃんはどうなるんですかね」

「あの子は、自分の意思でこちらの世界に足を踏み出したんだ。それなりの覚悟もあるだろう」

伏し目がちに呟くロックの言葉は、もはや確認に近い物であった。

「ホテル・モスクワ」と香砂会という二つの巨大な組織相手に戦い抜けるほど戦力を有していない鷲峰組が、この先どのような窮地に立たされるのかは想像に難くない。

「でも――――それでも俺は、彼女を助けたいんです」

悔しさに歯を食いしばるロックの独白はやはりツヴァイには理解できなかったが、それを口にすることはなかった。

それが、夕闇に立つ者の考えなのだろう。

力無き者が理想を口にしてもそれはなんの役にも立たない事はロックも今回の事で十二分に痛感した事であった筈なのだが、否、痛感したからこそロックは己の無力を嘆いていた。

「もうじきロアナプラに戻る、向こうに帰れば余計な考えをしている暇もなくなるだろう」

月並みの台詞だったが、今のツヴァイにはそれしか言えなかった。

自分にとってはこの後の方が重要なのだ。

サイスが言っていたロアナプラ侵攻をクロウディアに報告し、それの対策を立てなければならない。

「お疲れ様、おかげで仕事は滞りなく終わりそうだわ」

そんな二人に、それまで副官のボリスと帰りの打ち合わせをしていたバラライカが近づいて来た。

「香砂の組長がどう和平会を丸め込むのか興味はあるけど、私の仕事はここまで。あとは、「モスクワ」からの後任が引き受けるわ。見物できないのが残念ね、本当に残念」

愛飲の葉巻に火を付けバラライカは、本当に興味があるのか掴みきれない口調で紫煙を吐き出す。

「・・・・・・」

葉巻を咥えた口元に冷笑を浮かばせロックに視線を注ぐバラライカは、どこか楽し気でどこまでも蠱惑的だった。

まるで、目の前に置かれたお菓子の入った紙袋を開ける子供様な純粋な好奇心をロックはようやく気付き「なんですか?」と、問いかける。

「何が?何か言いたそうにしてるのは貴方の方だと思うけど、気のせいかしらね」

その言葉に、バラライカの真意を感じ取ったロックは胸の内を吐露しようとバラライカに向き直るが、バラライカはその先の言葉を紫煙と共に遮った。

「ロック?それは「この間の」話しかしら。あなたの命は救ってあげた。それ以上の望み―――かしら?」

「この間」の詳細はレヴィから聞いているツヴァイは、改めてロックの青臭さに溜息を洩らしたばかりであった。

自分の命を他人に、それも会って間もない敵側の人間の為に使うなど、ツヴァイには考えられない。

闇の世界と言う「異常」な価値観の中で、ロックは明らかに「異端」であった。

だが、バラライカの警告を受けてもロックは止まることはなかった。

「・・・・・・・望めるなら」

「聞くだけなら」

たっぷりと間を置いて言葉を紡ぎ出すロックにバラライカは、女帝に相応しい強者の口調で返す。

その答えは、バラライカもツヴァイも予想だにしていない物であった。

「一つ。一つだけ言わせてください。もしこのまま全てが収まるならば・・・・鷲峰組を徹底的に叩いてほしい。それも、組の存続が不可能になるほど枯れ木も残さないほどに・・・・・・それのみが彼女を、開放する」

呆気にとられるツヴァイとバラライカであったが、先にロックの言葉を理解したのはやはりバラライカであった。

「・・・・・・・な、る、ほど。なるほど、なるほど。確かに。この状況下で鷲峰の娘御が正常な世界へと帰還するには―――――残る全てが引き換えだ」

今の鷲峰雪緒を縛っているのは紛れもなく鷲峰組そのものである。

それがなくなれば理屈上、雪緒は元いた世界へと帰る口実はできる。

だが、一見、人道的な意見に見えてとてつもない代償を伴う賭けでもあった。

鷲峰組そのものを無くすと言う事は、雪緒以外の鷲峰組構成員を全て戦闘不能にすると言う事、日本のヤクザとは言え、ここまで抵抗の意思を表して来た者達が並大抵のことで引くとは考えにくく、当然命のやり取りとなるのは明らかである。

さらに、雪緒の傍には弾丸を斬ると言う神業的な剣腕を誇る松崎銀次がおり、彼がそう簡単に戦闘不能になることなど考えられない。

例え、それがうまくいったとしても、雪緒自身が元の世界に帰るという状況に流される様な判断を下すだろうか、闇の世界に自ら飛び込む事を選んだのは、彼女である。

それ以前から坂東や銀次が必死に今回の抗争に雪緒を巻き込まない様に配慮をして来たのを崩したのは他でもない、バラライカでありロック本人でもあるのだ。

何処までも独善的で自己中心的なロックの意見。

「悪党だな、ロック。正しい判断だ、いい悪党になるぞ、お前は」

それをバラライカは唇が触れ合いそうなほどその火傷顔を近づけ、満足げに賞賛を送る。

そんな地獄の謇属の狂気に塗れた瞳の中でロックは瞬き一つせず、バラライカを見つめ返していた。

「大尉、あちらの話も済んだらしい、部屋の方へ」

障子の蔭から顔を出したボリスの言葉に、バラライカは分かった、と返事と踵を返す。

結局、望みは受け入れられたのか答えと聞いていないロックは、不信感に眉を潜ませるが金糸の髪を束ねた背徳の街の女王は愉悦に歪んだ表情で振り返る。

「どうしたロック、早く来い。仕事はまだ終わっていないぞ?」

答えを聞くのはこの会合が終わってからでも遅くはない。

そう考えたロックは、バラライカの後に続く。

「お待たせしました。長の会議、お疲れ様でしょ」

すでに案内された部屋では、バラライカの今回の会合相手である香砂政巳が側近の男と共に、上等なソファに腰掛けていた。

対面に用意された席に座り、社交辞令を英語で告げるバラライカの言葉を正確に訳したロックの言葉に、政巳は会合がうまく運んだ満足感に彩られた表情を浮かべていた。

「いやいや、ウチとしてもこれで一応のメドが立つってもんで」

雪緒を救いたいロックからして見れば、目の前の香砂政巳は最大の障壁であったが、今の自分には政巳をどうこうできる力はない。

ただ与えられた仕事をこなすだけが、ロックにできる唯一の事であった。

「今までのことは水に流して、一つよろしく」

「ホテル・モスクワ」と共闘関係を築くことにより、更なる組の発展が望める楽観的な展望に頬を緩ませ、政巳は友好の証と右手を差し出す。

「・・・・・・・」

だが、当のバラライカは葉巻の紫煙を纏わせるだけで一向にその手を握り返そうとはしなかった。

差し出した右手の行方を持て余す政巳であったが、それはその部屋にいたバラライカ以外の人間も同じであった、その真意の探れない行動の不審さに戸惑いの色を隠せない。

やがて、大きく紫煙を吐き出したバラライカは気だるげに口を開く。

「組長、我々は後任へ爾後の作業を引きつがなければならないが・・・・・」

「うん?」

ここまで話を進めておきながら一体何が不満なのか、そんな一同の疑問など歯牙にもかけず、バラライカは次なる言葉を吐き出す。

「不在の間に何か問題が起きた場合、我々としても対処しづらい。武装の状態が知りたい、それは万全ですか?」

長年、副官を務めるボリスでさえ冷や汗をかくほどバラライカの行動が先読みできずにいた。

「・・・・・あ、まぁ。大きな声じゃいえないが、そこいらの組に比べりゃハジキの数も段違いだ。ハワイの連中から、マシンガンだって買ったことがある」

それが今確認すべき重要なことなのか。

そう表情を曇らせるながらも、政巳は渋々に組の銃密輸ルートを明かす。

やはり法治国家の日本は、それなりに規制や監視が厳しい。

銃を一丁手に入れるだけでもそれなりの費用と労力が必要となる。

「拝見したい」

自分から聞いておきながら、バラライカは大した興味もなさげに政巳の脇に控えるボディーガードに銃の提出を求める。

本来ならば、自分の銃を相手に渡すなど言語道断であるがは協定話がややこしくなる事を嫌う政巳は渋々ながら部下に目配せで銃の提出を命ずる。

部下の懐から出されたのは、大口径のシグ・ザウアーで銃社会ではない日本からすれば、護衛が持つにはやや過ぎた代物であった。

当然のようにマガジンを外そうとする部下にバラライカは、故郷の永久凍土を思わせる冷笑を浮かべ、

「弾の、状態もです」

と、付け加える。

せめてもの抵抗なのか、テーブルに叩きつける様に置かれた銃を拾い上げるバラライカは、手慣れた様にシグ・ザウアーをチェックし、横のボリスに投げ渡す。

政巳も部下もこの時に異常に感知すべきだったのだが、悲しいかな銃に対する知識があまりにも足りなさすぎた。

言葉にこそ出さないが、ツヴァイにはバラライカの行ったチェックはなんの意味も持たないただ安全装置を外しただけの動作であることを見抜いていた。

「なるほど。優秀なボディガードですね、予備携行の方は?」

「組長・・・・・」

流石にこれ以上自分達の身を護る武器を得体の知れない軍人崩れに渡すのは危険と判断したのか、部下がボスである政巳の顔色を窺う様に声を掛けるが、

「ここまで話持ってきて、ズドンとやっても得がねぇ。あとが面倒だ、渡してやんな」

「ホテル・モスクワ」という強力な後ろ盾を得られる益を優先する政巳の言葉に従い、予備として携帯してあった、小型の銃、ワルサーPPKを今度は明らかな不満の表情でテーブルに叩きつける。

それを受け取った途端、バラライカの表情がまるで汚物でも眼にしたかのように不愉快さに歪んだ。

「なんだ、これは。ひどい銃だな」

そこでようやく香砂の者達は己の犯した失態に気付いた。

だが、不愉快を通り越して怒りの感情すらその焼けた顔に受かべる女軍人の前に身動き一つとることができない。

「見ろ、軍曹。こりゃひどい。場末のチンピラですらこんな銃は持たん」

クルクルと器用に指先でワルサーを回転させながら、未だ上官の真意が掴みきれなずに狼狽するボリスに語りかけるバラライカ。

やがて、葉巻を咥えた口元は冷笑に彩られ、その端からは溜息と共に紫煙が大きく吐き出される。

「こんなひどい銃で―――――撃たれる奴の気持ちを考えたことはあるのか?」

彼女の右手の中で弄ばれていたワルサーが本来の形を取り戻し撃鉄が起こされる、当然、その銃口は取引相手であり共闘関係を結ぶ筈であった香砂会の長である香砂政巳を捉えていた。

「やめた。こんなひどい銃を恥ずかしげもなく持っている連中と、共闘などムリだ」

恐怖と驚愕に顔を強張らせる二人が最期に見た物は、見違える余地のない人外の悪意を孕み、殺戮を最上の愉悦と捉え、煉獄を極上の快楽と嗤う魔性の笑顔だった。

二つの銃声がほぼ同時に二人の眉間を性格に撃ち抜き、あらゆる生命活動を強制的に停止させる。

銃声を聞き付け、血相を変えて部屋に侵入してくる香砂の組員は、すでに主の守護に思考を切り替えたツヴァイとボリスの銃弾の前に組長と同じ死に様を晒す事になり、数分後に屋敷の中で呼吸をしている人間は、僅か四名となっていた。

「おや、なかなか悪くないなこの銃は」

などと、この惨状を作り上げるきっかけを作ったバラライカは葉巻を咥えたまま手元のワルサーに視線を落とし気だるげに呟いていた。

「軍曹、時間は?」

「問題ありません、大尉・・・・・・しかし、大頭目にはなんと説明を?」

いつもは寡黙で無表情を常としているボリスも流石にこの状況は、想定していなかったのだろう。

額には大粒の汗を滲ませ上官であるバラライカに心配の視線を向けていた。

せっかくまとまりかけた話しを御破算にしてまで取ったバラライカの行動を理解しきれないのは、ツヴァイも同様であった。

何がバラライカをそうさせたのか、ロックの言葉に何を感じ取ったのか、よもやロックの青臭さに感化され彼女なりに雪緒を救おうと考えたのか、様々な憶測の域を出ない思考が頭の中で回り続けるが、当の彼女は実に満足気な笑みを浮かべ紫煙を吐き出した。

「大頭目は私に“戦争をやれ、焼け野原にしろ”と、言った。それを忠実に守っただけだ」

そう言った彼女が次に視線に捉えたのは、物言わぬ死体に成り下がった政巳達を見下ろすロックだった。

その表情は、雪緒を狙う組織のボスが死んだ事に対する安堵感でも、突如出来上がった死体に対する驚愕でもない。

強いて言うならば、ツヴァイやレヴィが殺した相手を見下す時に浮かべる“こんなものか”と、いう落胆に近い感情だろうか。

「ロック、これはお前の銃だ。記念に持っていくか?」

当然、それは彼の銃でもなければ、引き金を引いたのも彼ではない。

政巳の部下の物であり、引き金を引いたのもバラライカだ。

だが、バラライカの思惑がどうであれ、このような事態になることを望み、そのきっかけを作ったのはロック自身に他ならない。

それを理解しているのか、ロックは差し出されたワルサーをバラライカから受け取りじっくり吟味する様に視線を落とし、やがてゆっくりを銃架をバラライカに向ける。

「銃は好きじゃないし、持ちなれないものは持たない主義だ――――ただ、この引き金を引いた事は忘れたりしませんよ。だからこれは、お返します」

その貌は、それまでのロックと明らかに異なっていた。

鋭い眼光を秘めた瞳ではあるが、どこか憂いを帯びた感のあるそれは闇の世界に居を置く者でも、光の世界にいる者が出来るものでもなかった。

その答えに満足したのか、バラライカは薄く笑いロックからワルサーを受け取ると、そのまま外に向かって投げ捨てた。

ガラスを突き抜け庭の池に沈む銃を見届け、バラライカは踵を返す。

「軍曹、銃はここに捨てて行け!基地に戻るぞ!」

命令を受けた軍曹の行動は素早かった、バラライカと同じように銃を投げ捨て、先行する上官の後に続く。

廊下に転がる死体に一瞥をくれる事もなく入口である門前に進むと、そこはすでに騒然と化していた。

先ほどの銃声を聞き付け控えていた警察の機動隊が突入してきた様であるが、それに対峙するバラライカは、書類や物的証拠がなければ何もできない日本の警察など憶するはずなどなく、むしろ眼中にすら入っていない様に横に控えるボリスに迎えの車の時間を聞いていた。

それを悠然と見届けたバラライカは背後のロックを振り返ることなく告げる。

「ロック、鷲峰の娘御へ伝えろ。「ホテル・モスクワ」は、現刻をもって一方的に戦闘を停止する。我らの前に姿を見せぬ限り、命は保証する。日の暮れる前に荷をまとめてこの街を出て行け」

その内容は、これまでのバラライカの異常とも言える行動の集大成とも言える物であった。

目の前の標的をみすみす自らの意思で逃す事など、戦争を経験してきた彼女が最も嫌う行為ではなのではないのだろうか。

「お前が根絶を願う鷲峰組は、すでにバラバラになって地下に潜った。お前が考える以上に柔軟な思考をする小娘だぞ?」

例えそうであったとしても、「ホテル・モスクワ」が攻撃の手を緩める理由にはならない、同盟を組む筈であった香砂会はすでに頭を潰している為、戦力として見るには鷲峰とも大差はない。

だが、ロックにとってそれすらも些事と思える言葉がバラライカの口から紡ぎ出される。

「ブルガビジリが得た捕虜情報では、組員共はこう信じていると言う。「やがて姫君が自分達を誘ってロアナプラに旗を立てるのだ」・・・・と」

それまで無表情に近かったロックの顔が、困惑と怒りに歪む。

その反応を見届けたバラライカはおよそ人間の体温を感じさせない冷笑を受かべ、こう締めくくる。

「よりにもよって・・・・あのロアナプラだぞ?」

堪え切れないと言った様に哄笑を洩らしバラライカは、歩を進める。

「迎えが来る、道を開けろ民警共」

コートを羽織った女帝がその手を翼の様に広げる。

まさに傍若無人を人の形に押し固めた様な彼女だが、その優雅とも言えるカリスマ性は、言葉も通じない日本の警察にもありありと伝わり、上司の命令もなくその道を開ける。

その時、

「ロック!!」

エンジンのけたたましい爆音と共に赤いバイクに跨った女が、ツヴァイの横に立つ男の名を叫んだ。

言わずもがな、レヴィであった。

警察に面が割れない様にフルフェイスのヘルメットを被ってはいるが、僅かに開いた隙間から洩れる鋭すぎる眼光は、知っている人間なら誰でも一目瞭然であった。

その姿を確認したロックとツヴァイは同時に走り出す。

このような事態に陥った時に対する対策はすでに用意されていた。

否、すでにこの事態が本来の予定だったのかもしれない。

でなければ、ロックの護衛であるレヴィが香砂邸に同行しなかった説明が付かない。

すれ違いざまにそんな視線をツヴァイはバラライカに残すが、バラライカは細く微笑むだけであった。

一瞬の虚を突かれた警官の隙間を縫うように二人は、門外へとその身を投げ出しロックはレヴィの後部座席へ、ツヴァイは人の身丈をはるかに超える向かいの塀を一足で飛び越え警察の追跡を逃れる。

この先所の局面すら乗り切ってしまえば、あとの手筈は簡単であった。

ロックは、このままレヴィと共に港に待機している「ホテル・モスクワ」の密航船「マリアザレスカ号」に乗船。

ツヴァイも、用意しておいたバイクでロックと同じ道を辿ればこの日本とも別れを告げられる。

残しておいたバラライカは、すでに外ナンバーを引っ提げたロシア大使館からの迎えによって悠々と警察の見送り付きでその場を去っている事であろう。

大使館にまで及ぶ「ホテル・モスクワ」の力がどれほどのものか、想像するだけでうんざりする。

この世には決して敵に回してはいけない物と言うものが本当にあるのだと改めて実感させられる。

そんな事を考えているうちに、ツヴァイは隠されていた逃亡用バイクに跨っていた。

車種は、レヴィが乗っていた物と同じCBR900RR。

レヴィが用意したものだけあって扱いには少しばかり手間がかかりそうな大型のバイクであった。

港までの道筋はすでに頭の中に刷り込まれている。

エンジンを轟音と共に始動させるがそれと同時に、日本では考えられない様な爆発音と銃声がツヴァイの鼓膜を盛大に揺るがせた。

音のした方へ視線を向ければ、黒煙が天高く聳え立っており、その方向は間違いなくロックを乗せたレヴィが通る筈の進路に相違なかった。

「まさか・・・・・」

その予感は、もはや確信に近い物であった。

ロアナプラに旗揚げする、などと言う夢想を本当にやりかねない少女。

その為には、まず自分達を裏切ったバラライカの首を討ち取ろう考える昔堅気のヤクザの男。

そんな二人が黙って自分達を見逃すはずはないことは、これまでの経験から十二分に予測はできた筈であった。

自分の不甲斐無さに舌打ちを洩らし、ツヴァイはバイクを乱暴に発進させる。




[18783] 31話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:8708bd27
Date: 2010/08/30 00:22
燃え盛るバイクを背後に、忌々しく被っていたヘルメットを投げ捨てるレヴィの罵詈雑言がツヴァイを迎えた。

「信じられねぇ、ハイスクールの女学生にまで拉致られやがった!!」

ツヴァイがその場に到着した時には、すでにロックは雪緒と銀次に拉致された後であった。

「お前は大丈夫なのか?」

無意味な質問とは分かっていたが、一応の確認の為に問いかけるツヴァイにレヴィは、道端に唾を吐き捨て、無言の威圧を差し向ける。

「これ以上くだらねぇことほざくな」と。

よく見れば、左足を引きずっていたがそれすらも心配してはいけないのだろうと口には出さなかった。

「おい、何処行くんだ?ロックを追いかけるなら俺のバイクで・・・・・」

よもや身内のロックを置いて港には向かわないであろうが、レヴィの歩く方向はツヴァイの反対側、車道方面であった。

「連中の足は車だ。バイクじゃ追いついても止められねぇ。タイヤ撃って事故られでもしたらあのボンクラも死んじまうだろうが!少しは頭使いやがれクソッタレ!」

なぜそこまで言われなければならないのかと思ったが、それ以上口答えをすればレヴィと先ほどの決闘の続きをしなければならない、と瞬時に判断しツヴァイはヒョコヒョコと足を引きずりながら歩くどこか愛くるしいレヴィの背中を黙って観察することにした。

道路の真ん中に移動したが合図だったかのように、一台のトラックがクラクションを鳴らしながらレヴィの正面に止まる。

どこかで荷物を下ろしたのだろう、本来ある筈のコンテナはなく、運転席だけがやたら大きく見える不格好な姿をしていた。

レヴィは、カトラスを抜き空に向かって発砲する。

典型的なカージャックであったが、日本ではそれすらも珍しい。

状況が理解できないトラックの運転手は行く手を遮るレヴィを退かせようと、これでもかとばかりにクラクションを押し鳴らしていた。

「ヘイヘイ!ホールドアップなんだよ!分っかんねぇのか!?」

なかなか車を降りようとはしない運転手に、そろそろレヴィの我慢も限界に近付いているようであった。

このままでは、天に向いているカトラスをそのまま運転席に向けかねない。

溜息と共にツヴァイはバイクから降り、おもむろに懐からトカレフを取り出しながらトラックに向かった。

「邪魔だって言ってんだろうが!このクソ女!」

運転席の扉を開けると、安っぽい文句を垂れている運転手と眼が合う。

「急いでいるから手短に話す・・・・降りろ」

そこでようやく運転手は自分の置かれている状況が理解できたらしい。

今にも失禁しそうなほどに震えあがるのはツヴァイの持つ銃だけのせいではないだろう。

その一般人にも伝わるツヴァイの殺気はそれだけのものを秘めていた。

「は、はい・・・・」

「どうした?行くぞ、レヴィ」

運転手と入れ替わりに運転席に乗り込み、呆気に取られているレヴィに告げる。

何か釈然としないレヴィだったが、そんな事を討論している時間はない。

今、自分達がすべきことは、女学生に拐われた情けない相棒を助け出す事だ。

レヴィが助手席に乗り込み、ドアを閉める前にツヴァイはアクセルを全力で踏み締める。

雪緒がどのような決断を下したのか、すでにその答えは出ているが、それで終わりではない。

その決断の先にあるものを彼女に見せなければならない。

その一念だけが今のツヴァイを動かしていた。

目的の物すぐに見つかった。

なんの変哲もない白いワゴン車は明らかに港に向かって速度を上げていた。

「見つけたぜ、逃がすなよ兄ちゃん!!」

「ああ」

すでにカトラスを抜き戦闘態勢に入っているレヴィは、その狂気に歪んだ口元を笑みへと変える。

ツヴァイはクラクションと共にアクセルを踏み、前方を走るワゴンに停車を促す。

当然、そのような警告など無視されることは織り込み済みなので、今度はワゴンに並走させる様に横に回り込み、互いの車の側面を衝突させる。

流石に車体の差は埋める事が出来ずにワゴンの車体は衝突を繰り返すたびに大きく揺れ、目的地の港から僅かに逸れた道を曲がる。

その道の先は波止場である事は事前に渡された情報で分かっており、決着を付けるには十分な広さである。

しかし、ワゴンはスピードを緩めることなく舗装された道路を突き進む。

「勝負挑まれてるぜぇ、どうすんだ?」

ツヴァイの反応を楽しむレヴィにツヴァイも冷笑を持って答える。

「受けてやるさ」

並走した二台の車は、速度を落とすことなく道路を駆け抜ける。

やがて正面に太陽の光を反射する青々とした海が見えてくる。

それでも速度は一向に緩む事はなかったが、数メートル手前に海が迫った所でようやく根を上げたのは雪緒の方だった。

正確にはハンドルを握る雪緒の邪魔をしたロックのお蔭ではあるが、そもそもツヴァイ達はこのようなチキン・レースをしに来たわけではない。

けたたましいブレーキ音が波止場に響き渡り、停車するのを待つことなく、レヴィはその身を車外へと踊らせる。

それを迎え撃つように対峙するのは、鷲峰組若頭代行である松崎銀次。

その手には、すでに幾人もの血を吸い取って来た白鞘の日本刀があった。

「レヴィ!」

雪緒と共に出て来たロックは、己の無事を確認させる為、追いかけて来てくれた相棒の銃使いの名前を叫ぶ。

雪緒を救おうとしたロックが、拐われている最中に雪緒に何を言ったのか大方の想像はつくが、もはや雪緒にはどんな言葉も届く事はないのだろう、すでに彼女はダイスを投げているのだ。

「ロック、言っただろ。そいつはもう歩く死人なのさ」

ツヴァイと同様にそれを悟ったレヴィがありのままの言葉を口にする。

死人には何を言っても無駄だ、と。

銀次の隣に雪緒が立つ。初めて会った時と同じダッフルコートを羽織った、何処にでもいる様な女学生の姿は、とてもヤクザの組長には見えない。

しかし、彼女はすでに死んでいる。

その証拠にその瞳は何も写す事はない闇に染まっていた。

「聞けば香砂会は内紛によって消滅したとのこと、もはや禍根も過去のもの。しかし・・・・組の重鎮、若頭・坂東次男を裏切り非道に屠った者が、まだ生きている。・・・・・・怨敵、「ホテル・モスクワ」が首魁、バラライカ。侠に生き、仁を貫き、義に報いるが我らの誇り」

正確には坂東を「非道に屠った者」は、ツヴァイである。

だが、今更そのような事実を彼女に伝えたところで鷲峰雪緒は止まることはないだろう。

もはや彼女はバラライカを、自分の平穏な日々を奪った者達に復讐を完遂したいだけだ。

それが、たまたま殺されたのが組の若頭と言う幹部に収まっていた坂東であっただけの話だ。

「縛られなければいけない義理なんてない。そんなものは建前だろ!?」

諦めないロックは、それでも必死に正論を叫ぶ。

あるいはこの世界に正論などと言うものはないのかもしれない、そうでなければ彼女はここに来る事もなかった。

「バラライカなら、そう言うでしょうね、岡島さん、お忘れではありませんか。私達は極道なんですよ?」

黒子が目を引く口元に感情のない微笑を浮かべ、雪緒は眼を伏せる。

その表情は全てを諦め、己の死に場所を必死に探している様な哀愁が漂っていた。

車を降りたツヴァイは、音もなくロックの隣へと歩を進める。

これから始まる戦いは、銀次との殺し合いを望んでいたレヴィのものである。

否、戦いや殺し合いなどと言う綺麗なものでもない、穢れた犬同士の共食いに他ならない。

レヴィが敗れたら次はツヴァイが出る。

それだけの話だ。

レヴィと銀次は互いにゆっくりと距離を詰めるでもなく相手の反対側に回る様に歩み始める。

レヴィからすれば、助けに来た筈のロックが流れ弾に命中でもすれば本末転倒。

銀次も護る雪緒がレヴィの凶弾に喰われる事を考慮しての事であった。

互いの言葉も分からぬ男と女、持つ武器も刀と銃と言う全く正反対の二人だが、唯一共通するものを上げるとすれば、それは血の匂いの中でしか生きられない者同士であると言う事だろう。

やがて、二匹の獣は正面に向かい合う。

レヴィはカトラスの安全装置を、銀次は白鞘の鯉口を静かに切る。

(ノープロブレム、戦いがおっ始まりゃ、お互い体は勝手に動く。そういうふうにできてんだよ、私たちは)

以前レヴィ自身が言った通り、どちらが合図を送った訳でもなく、二人は同時に動いた。

狂ったようにカトラスの引き金を引くレヴィの弾丸は、正確に銀次の急所を目掛けて銃口から吐き出される。

白鞘を投げ捨てた銀次は射線からその身を外し、それでも追いすがって来る銃弾を神業的な斬撃で真っ二つに切り裂いた。

天までイカしてる。

そうレヴィが言った様に戦いこそが己の生きる術である彼女にとって、銀次はこれ以上ない晩餐であろう。

弾丸を斬ると言う常識外の光景に狂気に染まった彼女の瞳が愉悦へと変わる。

間合いはやがてレヴィから銀次のものへと移り変わり、渾身の力を込めた袈裟斬りが振り下ろされる。

これまでの相手ならばそれで脳天から真っ二つで勝負は決まっていたであろうが、レヴィも銀次以上に修羅場を潜り抜けて来た百戦錬磨の拳銃遣いである。

額の前で交差させたカトラスが、白刃取りよろしく、見事に数ミリ手前でその凶刃から持ち主の命を救って見せた。

だが、銀次にはレヴィの様な飛び道具がない代わりに、レヴィにはない長身と女では決して得られない絶対的な腕力がある。

それだけならば、銀次の刃がレヴィの身を切り裂くのは時間の問題であったが、戦いは腕力だけではない、重心移動、手首の捻り、読み――――幾重にも複雑な要素が絶妙に絡み合う事で生まれる濃密な均衡は、数瞬でありながらも二人の間には数時間にも匹敵する体感を与える。

耳が痛くなる様な金属が響き、やがて、力の方向の一瞬の不一致が唐突に均衡を破らせる。

僅かにだが持った武器の重量が軽いレヴィが先手を取り、まるで舞うようなしなやかさでその身を剣閃から外し銀次の眉間に照準を合わせる。

だが、それも銀次の強引な前蹴りによって土台である体ごと吹き飛ばされる事で、レヴィの奇襲は失敗に終わる。

吹き飛ばされながらも行き掛けの駄賃と言わんばかりに撃ち放った銃弾が銀次の頬を掠める。

再び間合いを取った二人の表情は互いの健闘を労うには、あまりにも凶暴過ぎる笑みを浮かべていた。

動いた時間も動作も普段の戦闘に比べれば十分の一にも満たないにも関わらず、両者はまるでフルマラソンを完走したかのように肩で荒い息をしていた。

「・・・・お嬢を・・連れてくるんじゃなかったなぁ・・・・・」

頬から滲み出た血を舐め取る様に銀次は、愉悦に歪んだ口元から切れ切れに言葉を吐き出す。

「俺たちぁ、とどのつまり・・・・・みんなこうだ、どこまで行ってもまともじゃぁ・・・・ねぇ。俺たち・・・・みてぇのしか・・・・いちゃいけねぇ・・・そういう場所だ・・・・・そうは思わねぇか、姉さん・・・・!?」

レヴィは、弾の切れたマガジンを放り投げ、内容は分からずとも意味は理解できる銀次の言葉を鼻で笑い飛ばし、新たなマガジンをカトラスに装填する。

二匹の獣の狂乱の宴が第二幕を迎えた。











「雪緒ちゃん、ロックから聞いたと思うが・・・・・バラライカは、「ホテル・モスクワ」は戦闘中止を宣言した。今となってはもう遅いが、どうしてここまで来た?」

レヴィと銀次の激烈な戦いを前に、ツヴァイは互いにその光景を眺めていた雪緒に問いかける。

「ホテル・モスクワ」が一方的に戦闘中止を宣言したのはほんの数十分ほど前の事で、雪緒が知らぬもに無理はないが、たとへその吉報を聞いたとしても、雪緒が戦いをやめるとはどうしても思えなかった。

「・・・・・先ほど、岡島さんから伺いました。それがなんの約束につながると?」

ツヴァイに一瞥もくれずに彼女はそう吐き捨てるように告げた。

「すべての約束を反故にし、裏切り、傷付け、信義に唾を吐いたあの狂犬を誰に信用しろと仰るのですか。鷲峰組は最早、組織の体をなせぬところまで疲弊しております。ですが――――鷲峰が代紋、鷲峰が看板、地に堕ちてはおりません」

「それが君の言う極道ってやつなのか?」

「ええ、彼女を誅したその時にこそ、初めて私たちの筋が立つ」

「その前に自分が死ぬことは考えなかったのか、死んだら筋もなにもあったもんじゃないのか?」

「そこに咲かせる花もある、言ったでしょ?私達はヤクザなんです」

雪緒の言葉には一切の迷いは存在していなかった。

例えそれが本心からの言葉ではなかったとしても、それは否定しようもない事実であった。

否、本心など彼女にはすでに必要なくなっている。

ツヴァイの目の前に立つのは、学生の女の子ではなく、鷲峰組総代の鷲峰雪緒なのだ。

どこの国においてもマフィアと言うものは組織の体面、面子を重んじる。

それがすでに一種の美意識にまで昇華された日本のヤクザならばなおのこと、自らの命を賭けても守るべきものなのだろう。

「変わったな・・・・君は変わってしまったんだな」

思わず洩れた自分の言葉にツヴァイは、忌々しく舌打ちで打ち消す。

未だ捨てきれない未練が残っているのだと否が応にも再認識される。

「私は、貴方方とは違う。私は最初から夜の側にいたんです。皆が私を、陽の当たる場所へと押し上げてくれていた。それだけの事なんですよ吾妻さん」

呟いた彼女の視線の先には、未だ決着の着かない喰い合いを演じている二匹の獣。

その片割れに向ける瞳にはすでにツヴァイにも、ロックにも名も思い出せぬほど遥か遠くにある純粋な感情が込められていた。

「雪緒ちゃん・・・・」

それまで沈黙を守って来たロックは、意を決すると言うにはあまりにも弱々しく、かと言って哀れむにはあまりにも無機質な口調で言葉を紡いだ。

「俺は、思い違いをしていた。バラライカさんと同じにならない方法ならあった、君はそれを・・・・・選ぶものとばかり思っていた。ここに君がいるのは、組のためなんかじゃない。君は、銀さんに刀を捨てさせ、共に逃げるべきだったんだ」

そのロックの独白に、それまで無感情を繕っていた雪緒の表情が僅かに苦悶の色を浮かべた。

「俺は、君の言う通り、夕闇に立っている・・・・・・だから、だからこそ見えるものある」

その言葉が合図となった訳では決してない。だが、例え神がいるとすれば、やはりその者はあまりにも残酷で冷酷であった。

それまで互角の戦いを演じて来たレヴィと銀次の戦いは遂に終幕を迎える。

走り来る銀次を迎え撃とうと突き出したレヴィのカトラスが、その剣閃の前に堪え切れずその銃身を切り裂かれる。

鉄でできた銃身を両断すると言う映画やドラマの中でしか存在しえないと信じていた現象が、今自分の目の前で実際に起こった。

コンマ一秒にも満たない一瞬のレヴィの隙。

だがそれは、命のやり取りの最中という極限の状況ではあまりにも致命的過ぎた。

畳み掛ける様に、最早銃としての機能を失ったカトラスに視線を落としたレヴィに銀次はその手に握られたカトラスの残骸を弾き飛ばす。

「うわぁ!!」

そのあまりの衝撃にレヴィの体も、背中から地面へと倒れ込む。

ツヴァイと同等の力を持つ彼女が見せた最初で最期の敗北の光景にツヴァイは、目を見張った。

この好機を逃す筈もない銀次は、倒れるレヴィに覆いかぶさるように刀を振り上げる。

決して外す事のない必殺の間合いと状況。

「―――――私達は、生きる為に戦っているつもりです」

その雪緒の言葉が全てを逆転させた。

まっすぐに振り下ろすだけの日本刀の勢いが刹那の間に鈍った。

それはレヴィには十分すぎる時間であった。

瞳孔の開いた死人の眼が銀次を捉える。

刃を人体に突き刺す生々しい音。

その刹那の後に響くカトラスの銃声。

「遅い・・・・遅かったぜ。あたしらの行きつく先は泥の棺桶だけだってのによ・・・・」

滴る鮮血を化粧にレヴィは笑った。

眼前にはレヴィが防御のために自ら差し出した右足に白刃を突き立てる銀次が、銃弾が通り抜け穴の空いた喉から流れた鮮血でカトラスを朱に染めていた。

「・・・・・・しくじった」

誰に向けの言葉だったのか、それだけを残し銀次の長身の体は血の赤い軌跡を描き右へと倒れ込む。

上体を起こしたレヴィが次に見た物は、サングラスの奥にある瞳に無念の情を写して事切れる“人斬り銀次”の成れの果てであった。

「レヴィ!レヴィ!!」

駆け寄るロックにレヴィは常に余裕の笑みを浮かべるその美貌を苦痛に歪ませる。

突き刺さった刀は右足の脛を貫通し太ももまで食い込んでいた。

「オーライ、オーライだ。くそ、目の前が暗い・・・・あの女の一言を・・・・・引き出した・・・あれが本当の弾丸だ・・・・・あれがなきゃ・・・・転がってるのは今頃・・・」

事実上の敗北宣言をするレヴィだが、ロックにはそんな彼女の応急手当の方が優先であった。

「しゃべるな、少し痛むぞ、我慢しろ」

傷口を押さえ、ロックは一気にレヴィの右足から刀を引き抜く。

「あッ。あ、あ゛オああッ、あ。」

悲鳴に上品も下品もないが、レヴィを襲った激痛がどれほどのものであるか想像するだけで自らの体を切り裂かれるイメージを容易に浮かび上がらせる。

そんな彼女に暗殺者のツヴァイよりも早く飛び出したロックに、ツヴァイは人知れず感嘆の息を漏らした。

引き抜かれた刀は放り投げられ、鋭い音と共に地面を転がり、まるで申し合わせたかのよう雪緒の眼前数メートルで止まった。

最愛の者の死を目の当たりにしても、雪緒は気丈に涙ひとつ浮かべることなく銀次の形見である白鞘の日本刀を拾い上げる。

すでに彼女を守るものは誰一人としていない。

そんな彼女にツヴァイは同情の念など持てるはずもなかった。

「これが、君の選んだ道の結果だ・・・・・・君がロックの言うように銀次さんと共に逃げていれば・・・・・・少なくとも彼はここで死ぬことはなかった。君が・・・・・お前がロアナプラで進出するなんて馬鹿なことを考えなければ、そいつは死ぬこともなかった!!」

そこでツヴァイは悟った、彼女に自分が抱いていたものは嫉妬だ。

日の当たる世界を自らの意思で捨て去り、この薄汚れた世界へと足を踏み入れた彼女に、自分が欲しくて欲しくて堪らないものを持っていながら「それ」を、目の前で捨て去った彼女が羨ましかったのだ。

ツヴァイの言葉にも彼女の表情は変わる事はなかった。

その手に余る日本刀を握り締め、ただ虚空を見やっていた。

「どうして・・・・・こんなことになっちゃったんでしょうね」

その独白に答えるのは、負傷したレヴィに肩を貸すロックだった。

「俺も、そして君も、歪だったからだ」

ようやく虚空以外のものを視界に捕らえた雪緒の瞳は、先ほど見た歩く死人の物ではなく、死してなお地獄の業火に焼かれる咎人のそれであった。

「君の歪さは欺瞞にあった。逃げてもよかったんだ、そうやって嘘を突き通すくらいなら、いっそ走って逃げたほうがましだってことに・・・・・最後まで気付けなかった。君は、頭がよすぎた、そして若すぎた」

ロックの言葉が彼女にはどう聞こえたのだろうか、全てを飲み込むような青い空と海の彼方にはバラライカの乗ったマリアザレスカ号の船影が汽笛を鳴らして遠ざかっていた。

「・・・・一つだけ、お聞きします。岡島さん、吾妻さん、貴方方はこれからも・・・・・宵闇の中に?」

雪緒の質問にロックは、しばしの沈黙の後、答える。

「君のお陰だ。俺はそこですべてを見届ける」

それがロックの答え、昼の世界にも夜の世界にもどちらにも属さず、どちらにも属する曖昧な世界で彼はこれからも生きていくと言った。

どちらの世界にも足を踏み入れているようで踏み入れていない立ち位置は、卑怯と罵りを受けるかもしれない、だがそれでも、ロックは自分の意思で選んだのだ。

昼の世界の常識が通用しない夜の世界で生きる苦しみも、夜の世界の常識が通用しない昼の世界を知る苦しみも、全てを受け入れ尚その場所に立つと。

「俺は、ロックのように夕闇に立つことはできない。俺はこれからも夜の世界で生きていく。自分と守るべき人間を守るために、そのためには幾らだって殺してやる。幾らでも恨まれてやる」

この日本に来て随分と惑った。

それまで信じてきたこと全てがこの国では一笑に伏せられる価値でしかない物であったと、まざまざと見せつけられた。

だが、それでも自分が選んだ選択でここに立つ。

罪滅ぼしなどという綺麗事を言うつもりはない、いずれ来るであろう贖罪の瞬間まで自分は「ここ」に立つ。

「・・・・・・・」

二人の答えに雪緒はどこか羨望に近い眼差しを向け、やがて僅かに微笑みながら右手の日本刀を持ち上げる。

「11人」

「?」

突如告げられる数に、一同は眉をひそめる。

「サイコロを投げたあの夜以来、私の命で殺めてしまった人の数です」

その数は、レヴィやツヴァイが奪った命に数に比べて余りに小数であったが、彼女にとっては数ではないのだろう。

それまで何の不自由もなく生きてきた少女が歪むには十分過ぎる数なのかもしれない。

「俺たちの街には、そんな連中ばかりが吹き溜まっている。そんな半端な覚悟でロアナプラに行こうなんて考えてたのか?」

嘲笑すら浮かべるツヴァイの台詞に雪緒は、足元に転がる銀次に視線を落とす。

確かに彼女は歪んでいた、否、歪まずにはいられなかったのかもしれない、この場所に立たなければいけない人間だったのかもしれない、だが、それでも選んだのは彼女自身に他ならない。

そのために11もの命が奪われたことも、それ以上の不幸を生み出したとしても、それは誰のせいにも出来ない純然たる事実だ。

「・・・・・ロアナプラでの組再興云々・・・・本心から信じられるなら、それも一興だったのでしょうが、所詮は一晩の泡沫・・・・醒めてしまった今となっては・・・・遠すぎるんです、その土地は・・・・」

そう消え入るような声で呟いた雪緒の喉元に、自ら握った刀の切っ先が当てられる。

これで終わりだと、悪夢に満ちたこの世界から逃げ出す唯一の方法。

「・・・・そうだな」

ツヴァイの右手にトカレフが握られ、ゆっくりと雪緒の後頭部に突き付けられる。

「玲二さん!?」

ツヴァイの行動にロックは声を張り上げるが、そのロックに肩を預けるレヴィも、銃口を突き付けられる雪緒もその表情に一切の変化はなかった。

「君の境遇には同情できるかもしれない。だが、どんな理由があろうとも、サイコロを投げたつもりになってこの場所に来たのは君自身だ。
君のせいで・・・・・君の弱さのせいで何人もの人間が死んでいった。そんな人間が、自殺なんて綺麗な死に方を出来ると思っているのか?」

ツヴァイの言葉は死を覚悟した人間を見送るための物ではなかった、もっと辛辣で、もっとも残酷な死に様を彼女に突き付ける。

「よせ、玲二さん!彼女はもうっ・・・・・・」

「そうですね」

隣のレヴィを引きずりながらも必死に訴えるロックの言葉を、雪緒が遮る。

「確かに吾妻さんの言う通りです。私は・・・・・楽に死ぬことすらも許されないことをしてきました・・・・・・・苦労をおかけいたしました。これにて一切の騒動の落着と相成りましよう」

握った刀を投げ捨て、雪緒は静かに瞳を閉じる。

「あいつを見るなロック!傷になる!!」

レヴィがロックに目を逸らす様に叫ぶが、ロックは金縛りにでも掛かったように視線を雪緒から逸らすことはなかった。

「・・・・言い残すことは?」

それはツヴァイにとって彼女に対する唯一の優しさだったのかもしれない。

あるいは、この国に捨て去った全てに宛てる言葉を、先に逝くもう一人の「自分」に告げて貰いたかったのしれなかった。

「・・・・・バラライカに伝文を。「何時か来る所にて、一足先にお待ち申しております」と」

「・・・・伝えるよ。俺も・・・・・近いうちにそこに行く」

「お待ちしております」

「まっ・・・・・・!!!」

「ロック!見るな!!」

三者三様の言葉が全て吐き出される前に、一発の銃声が轟いた。

後に残ったのは、壮絶な死ざまを終え、折り重なって静かに眠る二人の男女、それを見下ろす二人の男と足に重傷を負った一人の女。

澄み渡る青空にはカモメの鳴き声と、拡散した銃声の名残のみ。

「・・・・・行くぞ、バラライカは先にロアナプラに帰った。俺たちも・・・・・」

踵を返すツヴァイの顔面に衝撃が走る。

予想はしていたが、やはり痛いものは痛かった。

唇が切れ、口の中に鉄の味が広がる。

その張本人に視線を向けると、今にも泣き出しそうに瞳を揺らせたロックが何かに耐え忍ぶように握った拳を震わせていた。

「どうして撃った!?彼女にはもう生きる意志も気力もなかった!!それで十分じゃないのか!?彼女は俺達とは違う、死ぬ時ぐらい自分の好きにさせてあげても!!」

胸倉を掴むロックに強制的に付き合わされるレヴィは、苦痛で表情を曇らせたが、今のロックにはそれすらも気にかける余裕はなかった。

「・・・・これがお前の、夕闇の世界の光景だ。ロック。あの子はすでにお前とは違う物を見ていた。俺達の様な・・・どうしようもない人間が吹き溜まっている世界に彼女は自分で足を踏み入れた」

「だからっ!だからどうしたって言うんだ!!そんなクソ食らえな理由で彼女は殺されなきゃならなかったのか!?」

「そうだよ、そんなクソ食らえな理由で人は・・・・・俺達は死ぬんだ」

ロックの手を解きツヴァイは歩き出す。

一度も振り返ることもなく波止場を抜ける。

振り返れば、そこで自分の中で何かが変わってしまうような気がして、振り返ることは出来なかった。

「・・・・・クソ」

ロックの誰に向けたのか分からない独白は、誰の耳にも届くことなく青空に溶けて行った。



[18783] 32話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:25b70e16
Date: 2010/12/01 00:18
空港に備え付けられたテレビからは先日の抗争の顛末が、断片的ながら報道されていた。

その争いの中心に未成年の少女がいたことは終ぞ語られることはなかったが、抗争相手である香砂会が消滅したことで、一応の決着を見せたこの抗争にすでに世間の関心は薄れていた。

あと数週間もすれば、この国に住むほとんど人間は、今日という日を忘却の彼方へと置いていくであろう。

結局、人の命などその程度の価値しかないのであると無言で宣言されているような感覚に、ツヴァイは納得するでも反感を持つのでもなく、ぼんやりとロビーを行きかう人間に視線を泳がせていた。

ロックとは、あれからまともに口を利いていない。

自分のしたことに何ら後悔はないが、それでも数少ない友人と認めた者との気まずい雰囲気は居心地が悪い。

当のロックは、国際電話でロアナプラにいるボスであるダッチに帰国の報告をしている最中であった。

彼の傍らには松葉杖を突いたレヴィが控えている、不法でこの国に入国した自分達が空港にいられるのは、ツヴァイのボスであるクロウディアが用意した偽造パスポートのおかげであるが、予定よりも大幅に遅れての帰国にいったいどんな小言を投げつけられるのかと思うと憂鬱ではあるが、このまま日本に留まっていたいと言う気持ちなど微塵も湧いてこない。

この国に来るのは、恐らくこれが最後になるだろう。

生まれ育った国などツヴァイにとってなんの価値もなく、寧ろ余計な感傷が多すぎる。

『あらツヴァイ、バラライカはとっくに帰って来ているのに、随分と長い休暇でも取ったの?』

瞼を閉じればこめかみを引きつらせたクロウディアの顔がありありと浮かんでくる。

その程度で済めば僥倖であろうと、深いため息を漏らすツヴァイの耳に背後から聞き覚えのある音と声が掛けられる。

音の正体は、古びたオルゴールから流れる今にも消え入りそうな儚い音色。

「どうしたんだい?さえないツラ浮かべて」

その声に自分の体温が一気に下がるを感じる。

聞き間違えるはずのない音と声。

その声で何度自分の名を紡がれただろうか、それを思い出すたびに何度自分の無力さを呪っただろう。

「キャル・・・・」

振り返ろうとするツヴァイの背中に硬い物が押し付けられ、身動きの一切を封じ込められる。

「動くんじゃないよ、今、あんたの顔見ちまったら自分でも押さえが利かなくなっちまうんだからさ」

言わずもがな、それは銃口であることに間違いはなかった。キャルの指に掛けられる引き金を軽く引くだけで自分の命は終わる。

「こんな距離まで近づいても気がつかないなんて、天下のファントムも落ちたもんだねぇ」

背後のキャルが侮蔑の嘲笑を浮かべるのが分かった、自分の知っている彼女はそんな風には決して笑うことはなかった。

何の邪気もない太陽のような笑みを浮かべていた彼女はすでにそこにはいなかった、あるのはただ人間の死に冷笑を浮かべる変わり果てた彼女。

そうさせてしまったのはツヴァイ自身であると己の罪をまじまじと見せ付けられ、ツヴァイは言葉を失う。

「あんた、サイスの野郎に会ったんだろ?それなら今のあたしがなんて呼ばれてるか知ってるよね?」

「・・・・」

それだけは決して口に出してはいけないような気がした。

その問いに答えれば、何か大事なものをなくしてしまうような、本能的な恐怖がツヴァイを容赦なく攻め立てる。

戦慄にその身を強張らせるツヴァイの反応が心地良いのか、キャルは恍惚の表情を浮かべていたが、ツヴァイにはそれを見る術はない。

震える復讐対象をじっくり舐め回すかのように吟味したキャルは、彼が答えられない問いの解を自らの口で紡ぎだす。

「ファントムさ・・・・あんたのいなくなったインフェルノのファントムにあたしはなったんだよ。もう何人殺したかなぁ、脂ぎった気持ち悪いおっさんとか、あたしとそう変わらないガキとか、いちいち覚えてらんないくらい殺したよ。」

「キャル・・・・」

彼女の名を呟くだけでその先の言葉は出てこない。自分に何を言う資格があるというのだろうか。

彼女を直接暗殺者に仕立て上げたのはサイスであろうが、そのきっかけを作ったのは間違いなく自分自身だ。

そんな自分に語るべく言葉はない。

「長かったよ・・・二年待った。ようやくあんたに追いついた・・・・ようやく・・・・ようやくだ」

その言葉に含まれるものはいったいなんだと言うのだろうか、憎しみ抜いた相手に掛けるものとは僅かに違和感があるその声色も、今のツヴァイには地獄の呪詛に等しいものであった。

「俺をどうするつもりだ?殺すならさっさとやれ」

ようやく会話らしい言葉がツヴァイの口から漏れた。

そう、彼女に殺されるのなら何も文句はない。自分の罪に殺されるなど暗殺者として生きた自分には少々贅沢すぎる死に様だ。

だが、彼女は引き金を引くこともなくツヴァイの背中に押し付けた銃口を離し、冷笑を浮かべる。

「ここであんたを殺したところで、あたしの気が晴れるとでも思ってんのかい?あんたを殺すのは違いないが、それは今のあんたじゃない」

失望の色濃い声色でキャルは、吐き捨てるように呟く。

「今日はただの挨拶さ。次に会うときまでちったぁ昔のあんたに戻っておくんだね、そうでなきゃいつまで経ってもあたしは、あんたを越えられないんだからさ」

「キャル、俺は!!」

ここで動いて殺される事になったとしても、言わなければならないことがある。

それが何かは自分にも分からないが、その答えはキャルの顔を見たときに出てくるものであろうと確信し、ツヴァイは振り返る。

しかし、ツヴァイの視界に飛び込んできたのはそれまで見ていた景色となんら変わらない空港のロビーを行きかう人々の波であった。

「フライトの時間だぜ、兄ちゃん」

呆然と立ち尽くすツヴァイにはレヴィの言葉は届くことはなかった。





















「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

事務所に戻ったツヴァイを待っていたのはクロウディアの小言の嵐。

そう信じて疑わなかったが、現実はいつだって予想を裏切るものである。

別段、事務所には日本に発つ前と変わったところは見受けられない。

あるとすれば、自分が買ってきたクロウディアの土産のDVDボックスが丁寧に彼女のデスクの上に飾られていることくらいだ。

それだけのはずなのに事務所を覆う空気の居心地の悪さは以前の数倍はある。

原因はもちろんこの事務所の主であるクロウディアにあるのだが、本来それを和らげる役目のはずのリズィですらクロウディアに加担しているような不機嫌なオーラをこれでもかと放っている。

確かに自分は予定を大幅に過ぎて帰国した。

その間に彼女達には随分と迷惑をかけただろう。

自分はこの会社の稼ぎ頭なのだ。

それが何日も業務を放置していたのだから多少の小言は甘んじて受け入れようと覚悟していたのにそれすらもなくただ無言で自分を威圧してくる。

こんな拷問じみたことをされるのならこの世界のあらゆる言語を駆使して罵られた方がまだマシだと言うのに。

「リズィ・・・・一体クロウディアはどうしたんだ?」

本人に直接聞くのは恐ろしいのでワンクッション置く意味も込めてリズィに耳打ちするが、返ってきた返答は、

「自分で聞きな」

と、素っ気などころか悪意さえ感じる言葉と視線だった。

「そりゃぁ、俺だって予定を大幅に遅れて帰ってきたことは悪かったと思ってるが・・・・」

それにしてもこの仕打ちはあんまりではないのだろうか。

そう言い掛けたツヴァイの言葉を遮ったのは、苛立ちを抑えようともしないリズィの眼力だった。

「そんなくっだらないことであたしやクロウが怒ってると本気で思ってんのかい?そうだとしたらいくらあたしでも我慢の限界ってもんがあるんだけどねぇ」

一体なんだと言うのだろうか。

そこまで彼女達を怒らせるようなことをした覚えはない。

「もしかして俺がいない間に何かデカイ仕事を取り逃がしたのか?」

そういうことならば多少は納得できるが、やり手のクロウディアがそんな好機を逃すはずもないし、リズィが付いていたのだから多少の無理はあっても問題はないはずだ。

もはや混乱の域まで達したツヴァイに内心を見透かしたかのように、クロウディアがゆっくりと口を開く。

「ツヴァイ」

「・・・・・なんだ?」

自然と声に緊張が篭る。

いかなる状況においても冷静な思考を義務付けられている暗殺者でもこの状況では無理もなかった。

「貴方・・・・・どうして帰ってきたの?」

「え?」

思考が止まる。

クロウディアはなんと言ったのかさえ理解できない。

「そのつもりで日本に行ったんでしょ?失った日常を取り戻して吾妻玲二に戻る為に」

クロウディアの視線には怒りよりも哀れみの感情の方が色濃かった。

そこでようやく思考が働き、彼女達の言っていることの本質が見えてきた。

彼女達は、自分を日本に送り出したときからもう自分は帰って来ないものだと思っていたのだ。

ファントムとして生きてきたこれまでの人生を全て忘れて、「ツヴァイ」などと言った数字ではなく、「吾妻玲二」としての人生をやり直すにはこれ以上ない好機だった。

だが、自分はそれを選択はしなかった。

正直に言えば、そうなることを望んでこの地を発ったのも否定できない。

「私達はそれでもいいって・・・・・ううん、そうなることが当たり前だと思って貴方を日本に行かせた。私達と貴方は辿ってきた道は同じでも本質的には別の物を見ている人間よ。こんな薄汚れた街で生きていくよりもどちらが幸せかなんて考えるまでもないでしょ!?」

それは、久しぶりに聞いたクロウディアの本心だったのかもしれない。

いつも余裕に満ち、自分の行動に何の迷いもない彼女からは想像もできないほどに悲痛なまでの叫びが、いかに自分の選択したことが愚かだったのかこれ以上ないほどに痛感させられる。

だが、それでも自分は選んだのだ。

この街でこの仲間達と生きることを。

「サイスがこの街を狙って動いている。そんな時に俺だけのうのうと日本で暮らせるわけがないだろう?」

「それくらいなら私達で何とかするわ、そのための準備だってしてきたつもり。貴方一人いなくても十分なほどにね」

随分な言い草だったが、彼女なりの優しさなのだろう。

こうでも言わなければ、自分をいつまでもこの世界に引き留めてしまうと考えているのかもしれない。

そんなことは無意味だと直接言ったところで彼女達は納得するまい。

サイスのことはあくまで建前だ。

相手が本気の感情をぶつけて来ているのだ、こちらも本心からの言葉でなければ礼を失するだろう。

「クロウディア、リズィ。俺は、日本である一人の女の子を殺してきた」

その報告に、二人の表情が僅かに驚きに歪んだ。

これまでに殺してきた人間の中には様々な人種や年齢の人間がいたのは、二人にも分かっている。

寧ろ、それを自分に命令してきたのはクロウディアに他ならない。

リズィもクロウディアの片腕として少なからず暗殺目標の選定に絡んでいることは間違いない。

だが、彼女達が驚いているのは自分が誰の命令でもなく自分の意思で、しかも同郷の女を殺したことだ。

「彼女は俺達の世界に巻き込まれた・・・・いや、自分から進んでこちらの世界に来た人間だった。俺に撃たれる時だって命乞い一つせず自分の死を受け入れた、そんなことアメリカのギャングスターでもなかなか出来ることじゃない」

「たいしたガキじゃないか」

リズィが心底感心したように告げる。

それが彼女・・・・鷲峯雪緒にとってどれだけの価値があるのかは分からないが少なくともツヴァイ自身は、この感情が偽善と分かっていても、その言葉でどこか彼女が救われたような気がした。

「ああ、本当にたいした子だったよ。けど、彼女を撃った時に思ったんだ。どこに行っても同じだと」

「同じ?」

クロウディアの訝しむ声にツヴァイは頷く。

「そう、同じなんだよ。日本だろうがアメリカだろうが、ロアナプラだろうが・・・・・・結局は俺達は自分達の生きている世界からは逃れられない。用は、コインの表と裏のようなそれだけの違いなんだ」

自分はその両方の世界を見てきた。

そのどちらにも長所があり短所がある。

そちらの世界に生きたとしても人はその世界で生きて、そして死ぬ。どこも違わないただ見える景色が血で濡れているか、否か、それだけの差。

「でも、少なくとも表の世界の方が幸せよ」

「それを決めるのは俺だ。そして、俺はコインの裏を選んだ。誰でもない自分の意思で俺は選んだんだ。この世界で俺は生きていく、その生き方の代償が無様な死に様だったとしても」

クロウディアの言葉を遮りかつて彼女自身に言われた言葉を流用し、ツヴァイははっきりと告げる。

「後悔するぞ?」

半ば呆れ気味に告げるリズィの言葉にも、ツヴァイは首を横に振る。

「後悔なら二年前に済ませたさ、足りないのは覚悟だけだったんだ」

今度はロックの言葉を流用する。

彼も覚悟を決めてこの街に帰ってきた、彼の方が日本の日常に戻りたかった筈なのにそれを振り払ったのだ。

正直に言って彼の生き方に憧れたのかもしれない。

だが、そうだとしてもそれを選んだことを彼のせいにするつもりはない。

「貴方・・・馬鹿よ」

「そうかもな・・・・でも、馬鹿じゃなかったらこんな街までお前らと一緒に来ないさ」

何かに耐える様に言葉を搾り出すクロウディア。

それにツヴァイは逆に努めて明るい声で返す。

彼女達が本気で自分を元いた世界に帰してくれようとした事はありがたかった、自分はそれを裏切った形になってしまったが、後悔はない。

そんな彼女達にはこれからも頭が上がらないだろうが、これも自分の選んだ事だ。

「・・・・・・・それにしても、そこまで俺を日本に留めたかったのにやたら俺の買ってきたDVDボックスは大事にしてるんだな」

「何言ってるの?貴方が日本に残ってもこのDVDボックスは送ってもらうつもりだったんだから当然でしょ?」

それまでの真摯な態度を一変させクロウディアは、まるで宝石でも見るかのようにうとっりとした表情でデスクの上のDVDボックスに視線を移す。

「・・・・・」

「なによ?何か文句でもあるの?」

げんなりするツヴァイに不信感丸出しの視線を向けるクロウディアに、呆れたようにリズィが告げる。

「クロウ・・・・あのよ、前から思ってたんだが・・・・・・それ通販でも買えるんじゃねぇのか?」

「!?」

世の中には自宅にいながらインターネットで買い物が出来るサービスがある。

多少値は張るかもしれないが、クロウディアの財力から見ればそのような金額の差などたいした問題ではないだろう。

別に日本にわざわざ買い付けに行く必要はない。

「し、知ってたわよ?もちろん!!」

「今、明らかに「その手があったか!!」って顔してなかったか?」

「してないわよ!?本当に全然!」

「めちゃくちゃ動揺してないか?」

「しししししししてないわよ!!どどどどどどど動揺ですって?私が?ありえないわ!!私を誰だと思ってるの!?キュロウディア・メッキャネンよ?」

「これ以上ないくらいに動揺してるし、自分の名前を噛んでるぞ?」

「噛んでないわ!!」

明らかに噛んでいたのだが、こうなっては意地でもクロウディアは認めないだろう。

せっかくのシリアスな雰囲気がいつの間にか霧散し、誰ともなしに笑いあっていた。

本来ならこのような会話をしている暇すらない。

インフェルノがこの街を狙っていると言う状況は今も変わりなく、それに対してこの街は何の態勢も決めていない。

事は一刻を争うのだが、今は僅かな時間でもこのなんともいえない怠惰な空気が心地よかった。















「・・・・・・・・・」

(いい?子供の喧嘩じゃないんだからさっさとラグーンの坊やと和解してきなさい)

そう雇用主のクロウディアに命じられ、ツヴァイはラグーン商会を訪れた。

何かとこれから仕事上の付き合いがあるであろうラグーン商会との不和を避けたいところであり、なによりツヴァイ自身もこのままダラダラとロックとの不協和音を抱えたままの状況は避けたかった。

対応したのは、真新しいギプスに右足の自由を奪われ不機嫌なレヴィであった。

「ロック?知るかよ、ドッグにでもいるんじゃねぇのか?いちいちんなこと聞きにくんじゃねぇよ、ボケナス」

相変わらずの毒舌にげんなりしながらも、ツヴァイは夕闇に染まる海に浮かぶラグーン号へと歩を進める。

その甲板にロックは咥えたタバコの煙をくゆらし、腰を据えながらぼんやりと海を眺めていた。

「ロック・・・・」

「・・・・・・」

聞こえないはずはないが、ロックはツヴァイに振り返ることもなく紫煙を吐き出した。

気まずい空気の中、ツヴァイは甲板へと上がり、ロックの隣へ立つ。

近づいてはじめて分かったが、ロックの右手には鷲峰雪緒の写真が握られていた。

写真の中の雪緒はツヴァイが始めて会った時のままの澄んだ瞳で友人と楽しそうに談笑していた。

「・・・・・この街は」

暫しの沈黙の後、ロックが口を開く。

「この街は、銃の力と酒の力、野蛮な力で全てを吹き飛ばしてしまえるイカれた所」

「・・・・・・」

「でも・・・・そんなに悪いもんじゃない。そう思い始めてるんですよ。俺は」

「そうか・・・・」

「そこで、俺は起こる全ての出来事を見届けようと思うんです」

ツヴァイを捕らえるロックの視線は、怒りでも悲しみでもなく、ましてや喜びや狂気の類でもない。それら全てが混濁したような形容しがたい物だった。

「俺の事を恨んでいるか・・・・?」

聞きたいことは幾らでもあった、言いたい事も山ほどあった。だが、ツヴァイの口から真っ先に出たものはそれであった。

「ええ、それは今でも変わりません。俺は、忘れはしませんよ。ただ・・・・・」

「ただ?」

ロックに恨まれるようなことは何一つしていないと自身を持って言えるが、ロックはそれすらも分からないほど馬鹿ではない。

逆恨みであると十分に理解した上で言っているのだ。

「感謝もしています。貴方のお陰で、一つ決まったような気がする」

「・・・・・そうか」

再びの沈黙の後にロックは、雪緒の写真を胸ポケットにしまい立ち上がる。

「じゃ、繰り出しましょうか、俺達の街に」

「そうだな」

許せないことなどこの世には幾らでもある。

一生忘れない恨みを抱えた人間も中にはいるだろう、だがそれすらもこの街は易々と飲み込んでしまう。

そんな街で肩を並べて飲むのも悪くはない。

「俺も、いつまでもここにいられる訳じゃないからな・・・・」

今はそれでも構わない。

ロックの後に続きながらツヴァイは夕闇から夜へと移り行く背徳の街、ロアナプラ眺めてそう思った。



[18783] 33話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:f249e5d4
Date: 2010/12/01 00:39
照りつける太陽の光を浴び、ロックは眼下に広がる背徳の街を眺めながら咥えていた煙草に火を着けた。

いつものラグーン商会の事務所にはいつものメンバーが思い思いの時間を過ごしている。

ダッチは何か知らないが書類の整理。

ベニーはソファに寝転がりポルノ雑誌を眺め。

レヴィは買出し。

今日は珍しくどこからも依頼は無く、なんとなくだがこのまま静かに一日が終わるような気がする。

そんな開店休業状態の事務所には陽気な音楽が流れており、ニコチンの酩酊感に沈むロックの意識をよりも蒙昧なものにしていく。

すでにロックがこの会社に「再就職」してから一年が経とうとしている。

その感想が「もう一年」なのか、「まだ一年」なのかはロック自身にも判断がつかない。

以前勤めていた会社の命令で、ボルネオ支社長にディスクを渡す途中の船の上でラグーン商会に襲撃され、そのままこの無法者の集団の仲間入りを果たした。

正直、日本の生活に何の刺激もないことに飽き飽きしていたのは事実であり、この世界に足を踏み入れたのはちょっとした好奇心からだったのかもしれないが、それでも暴力と金が支配するこの世の果てとも言えるロアナプラに来たことに後悔はない。

後悔があるとすれば、救えなかった者がいることだけだ。

つい最近、自分は生まれ故郷の日本に帰った。

そこでヤクザの娘と知り合い、その娘が自分達の敵となった。

敵は、抹殺するのがこの世界の摂理であり、自分はそれに逆らおうと足掻いた。

だが結局、彼女は彼女を守ると誓った男と共にその短い生涯に幕を下ろした。

彼女は決してこちら側にいるべき人間ではなかった、例え他の人間を犠牲にしたとしても彼女は逃げるべきであった。

それは今でも変わることはないロックの思いだ。

逃げる手段も機会もあった彼女を笑うのは簡単であるが、そんな気にはロックにはとてもなれない。

彼女は頭が良すぎた。

そして、若すぎた。

そんな彼女を自分は救うことができなかった。

偽善とでも自己満足とでも他人にはどう感じられようとも構わない、おそらくあの事件は一生自分の心の中に住み着くことだろう。

そして、この世界にいる限りそのような出来事をいくつでも経験することになのは間違いない。

そんな世界で今日もロックは生きていく、いつまでの癒えない古傷のような感傷をその身に宿しながら。

「――――電話」

唐突に耳に届いてきた電子音に、ロックはなんとなしに呟く。

「さっきから鳴ってるよ。それに僕の話聞いてなかっただろう?」

ソファに寝転んだベニーがジト目で、抗議の視線をロックに投げかけていた。

どうやら、何か自分に言っていたようだが、まったくその様子を察することはできなかった。

「らしくねぇぜロック、徹夜でパワーボールでも観てたかな?」

禿頭の黒人で鍛え抜かれた上半身をタンクトップのみで覆ったラグーン商会のボスであるダッチは、馴染みの煙草を咥えながら受話器を取る。

「あー・・・・悪かったベニー。ぼんやりしてただけさ、たまに暇だとつい持て余すな」

頭を掻きながらロックは、気まずげに適当な言葉を口にする。今自分が思っていることを言ったとしても、一笑に伏せられるか、余計な心配をかけるだけである。

「それのせいかと思ってた。中身は大麻かなんかかい?」

ロックの咥えている煙草を指差し、ベニーは呆れたようにため息を漏らす。

普段からしっかり者で通っているロックがぼんやりしている原因は、自分の知らない間に覚えた薬物によるものだと思ったらしい。

普通ではそんな考えには決して至ることはないだろうが、この街はあらゆる非常識が常識として罷り通る場所であり、ベニーの言葉も冗談ではなく十分にありえる話であった。

「そういうのには興味があんまりわかなくてね。これはローカル・メイドのマイルド・セブンだよ、普通の煙草」

そんなベニーの言葉にも平然と返すあたりが、自分もすでにこの街に染まっている証拠に他ならないのだが、ロックは大した自覚もなく日本で大量に買い込んできた愛飲の煙草の箱を取り出した。

「――――――変わった客を扱ってねぇか、だと?―――――解せねぇな。いったいなんでそんなことを聞く?」

そんな平凡とした会話の向こう側では電話を受けたダッチが怪訝そうに眉を顰め、咥えていたアメリカンス・ピリッツに火を着ける。

いつも冷静なダッチがここまで露骨に眉を顰めるのも珍しく、自然とロックとベニーもダッチの方に視線を向ける。

いくらか言葉を交わした後、ダッチは紫煙を吐き出しながらきっぱりと答える。

「ご愁傷様だな、セーンサック。ともかく商売上の機密に関することにゃ答えられねぇ、ワトソップにはそう伝えておけ」

会話を打ち切り受話器を置くダッチにすかさずベニーが問いかける。

「ダッチ、仕事かい、それとも―――――トラブルか?」

トラブル。

それは商いを行っているものにとって何よりも避けなければならないものであり、非合法な仕事も請け負っているラグーン商会にとっては死活問題になりかねない。

自然とベニーの声色も硬くなり、それをベニー以上に理解しているダッチも陰鬱な表情を浮かべていた。

「「変わった客を扱っていないか」。そう聞かれた」

「またかい?気持ち悪いな、いったいなんだ?」

「また?」

ベニーに言葉に今度はロックが眉を顰ませる。

ベニーの言葉通りならば、同じ問いを以前にもされたということであり、内容が内容だけに自然と興味の対象になる。

「一昨日まったく同じ内容の電話を受けたのさ、古物商兼情報屋のイザックからね」

「一字一句まったく同じ質問だ、ロックお前は何か聞いてないか?」

ダッチの問いにロックの脳裏に一つの答えが浮かんだ。

自分は直接見たわけでも、聞いたわけでないが十分に信用できる人物からの情報。

「・・・・・覚えがないわけじゃない」

「その先は俺から話そう、ロック」

自分の言葉を遮った声のほうに視線を向けると、事務所の扉の前には買出しに行ったはずのレヴィ、そして、ラグーン商会の正面に事務所を構える「万屋アースラ」の稼ぎ頭であり、かつてはアメリカでファントムと呼ばれた暗殺者・ツヴァイがいた。

「玲二さん・・・どうして?」

共に日本で行動を共にしていたかつての暗殺者の名を呟くロックにツヴァイは、気まずげに視線を泳がせ、やがて意を決したように口を開く。

「今日は、お前達に依頼を頼みに来た」


『ブーゲンビリヤ貿易』

サータム・ストリートの片隅にある、フランス租界時代の名残が残る古式ゆかしい西洋建築に掲げられる表札を前に、クロウディア・マッキェネンはこれから自分の身に起こるであろうことに肺を空っぽにしてもまだ足りぬと言ったような深いため息を漏らす。

「クロウ・・・・ほんとに行くのか?」

クロウディアの隣では、親友であり自分の護衛を務めるリズィ・ガーランドが不安に満ちた瞳を自分に向けている。

無理もない、ブーゲンビリヤ貿易と言えばこの街では知らない者はいない。

その認知度の理由は、その企業内容からでではなくその企業の実態にある。

この会社が「ホテル・モスクワ」のタイ支部であることは、この暴力と権力が支配する背徳の街での公然の秘密である。

縄張りの勢力では三合会に一歩劣るものの、その残忍さ凶暴さでは間違いなく筆頭に上げられ、それこそここのボスである、女傑・バラライカは悪魔やその眷属のように恐れられている。

ラグーン商会同様に三合会に並ぶ特上の得意先のはずだが、招かれざるままにここを訪問するのは過去に一度もなく、さらに目的が目的なだけに余計にクロウディアの気を滅入らせていた。

「ええ、行くわよ」

リズィと自分に言い聞かせるかのように告げ、クロウディアは地獄の門に踏み入るかのように、その美脚を前へと進ませる。

案内されたのは、バラライカの執務室であった。

ホテル・モスクワの代表として当地を任されているロシアンマフィアの頭目である彼女も決して暇ではないだろう。

アポなしでは当然のごとく追い返されるかと予想していたクロウディアであったが、意外にもバラライカは自分達の話に興味を示してくれたようであった。

窓からの光彩以外は最低限の照明しか用意されておらず、常にフラスコ画めいた重苦しい静謐さが立ち込めており、外の往来がいかに南国の日差しで照り付けられようと、この部屋ばかりは常に寒冷なる極北の気配が付きまとう。

「お待たせしたわね」

クロウディア達が案内されてから数分後、この部屋の主が側近の男を引き連れて現れた。

長い金糸の髪をポニーテールで纏め、いつものようにビジネススーツの上に羽織るのは軍用のコート。

妖艶なまでの貌の右半分に刻まれるのは、無残に引き攣らされた火傷の痕。

彼女こそこの会社の主であり、同時にホテル・モスクワのタイ支部を任されているバラライカである。

その隣に控えるのは、屈強な肉体をスーツで覆った大男、ボリス。

一切の感情を遮断した無表情のまま、無言の威圧感で主の脇を固めるその居住まいは、ドーベルマンを思わせる。

バラライカは自分の執務机に備えられたソファに腰掛け、愛飲の葉巻に火を着ける。

「それで、今日はどういったご用件で?」

にこやかに告げるバラライカであったが、その目はあくまで笑ってはいない。

彼女がどんな過去を送ってきたのかはクロウディアも委細は知らないが、このアフガン帰りと噂される元軍人の瞳には、これからクロウディアがどのように踊るのか楽しみでしかないといった冷酷な炎が燻っている。

ここで下手に弱みを見せれば、この地獄の眷属は容赦なくその傷を抉り始めるだろう。

クロウディアもかつては、インフェルノで最高幹部であるマグアイヤに絶大な信頼を寄せられていた参謀であったと自負しており、このような腹の探りあいは幾度となく経験してきている。

「まずは、突然の訪問に誠意ある対応をしていただき感謝しますわ。ミス・バラライカ」

訪問者用のソファの上で足を組み替え、ゆったりと背もたれに体重を掛けながらクロウディアは口火を切る。

「今日は、是非ともあなた方「ホテル・モスクワ」のお力を貸して頂きたく参りました」

「我々の力・・・・?」

「はい、先日、私どもの仲間であるツヴァイが貴女方と共に日本に行った折に、とある情報を入手いたしました」

もったいぶった口ぶりだったが、バラライカは気分を害した様子もなく葉巻の先端から立ち込める紫煙を燻らせ、無言でクロウディアの言葉の先を促す。

「その情報に拠りますと、近々インフェルノがこのロアナプラに侵攻してくるとのことです」

「ほう・・・・あのインフェルノが・・・・」

バラライカの耳にもインフェルノのことは入っていたようであった。

ここ数年でアメリカの西海岸のほとんどをその勢力下に置き、それを足がかりにアメリカ全土の裏社会を支配しようと目論む新進気鋭のマフィアには、ニューヨークにも支部を持つホテル・モスクワも警戒の色を強めていたのであろう。

「その情報は信頼できるのか?」

「ええ、ツヴァイが直接その実行部隊の指揮官と思われる人物から聞き出した情報ですので、間違いはないかと」

バラライカの質問にクロウディアは首肯する。

元より信頼に足る情報でなければ、このロアナプラの女帝の下を訪れてまで耳に入れることなどありはしない。

「それで、インフェルノがこのロアナプラに侵攻してくる目的は・・・・・聞くまでも無いか、私の目の前にそれがあるのだからな」

紫煙を吐き出しながら問うバラライカの瞳にはすでに、アフガンで培った煉獄の炎が燻りからさらに燃え上がるのが分かる。

インフェルノの目的は、かつてその組織で敏腕を振るいそして裏切り脱走したクロウディアに他ならないとバラライカは考えた。

マフィアと言うものは自分の組織の不始末を決して見逃さない、一度それを見逃せばそれが組織崩壊の引き金にならないとも限らない。

「よくよく考えれば、よく私の前に姿を現せたものだな。私の街を蹂躙しようと目論む輩を招き入れようとしている女が何をしに来た?まさか、我々に自分の身柄を守ってもらおうとでも思ったか?」

アースラとホテル・モスクワは「仕事の上でよく取引をする」と、言った関係でしかない、ラグーン商会のダッチのように、かつて三合会との抗争の講和をしてくれた恩義があるわけでも、三合会の張のように過去の抗争から生まれた奇妙な友情にも似た感情があるわけでもない。

もとより、クロウディア達がこの街を去れば全ては丸く収まるのだ。

さらに言えば、今ここで彼女達の首をインフェルノに差し出せば、ホテル・モスクワに利益が舞い込むことになる。

クロウディアの来訪はバラライカにとって鴨が葱を背負って来た事と同義であった。

だが、クロウディアはその口元に冷笑を浮かべ座していたソファを立ち上がり、この部屋の主であるバラライカの座るデスクにゆっくりと近づく、煉獄の女帝を前にしてもクロウディアの表情は変わることはなく、寧ろ一国の主のような堂々とした王気すら漂わせていた。

「失礼ながら、貴女はインフェルノを・・・・サイス・マスターを甘く見すぎていらっしゃいますね、ミス・バラライカ・・・いえ、第三一八後方撹乱旅団・第一一支隊、ソーフィヤ・パブロヴナ大尉」

バラライカという通称ではなく、この街のほとんどが知らない彼女の本名とかつて所属していた隊名を口にし、クロウディアはデスクの片隅に腰を下呂すと同時に、腕と脚を組み優雅にその口を開く。

「インフェルノがこの街に来る理由が私たちですって?たしかに相手がマグワイヤなら貴女の思うマフィアの常識が通用するかもしれない。けど、サイスにはそんなもの一切通用しない、彼はマフィアでもなければ軍人でもない、ただのイカれたマッドサイエンティストよ」

目の前のクロウディアは、それまでバラライカが持っていた彼女のイメージを大きく覆すものであった。

今までどこのそのような牙を隠し持っていたのだろうか、尻尾を振る子犬のように思っていたその実は、油断すれば主の喉を食い千切ろうとするコヨーテを思わせる。

その獰猛な瞳は、ある意味バラライカの好むものであった。

「そんな奴にまともな取引を持ちかけても無駄なことは聡明な大尉ならお分かりいただけるでしょ?」

「なめるなよ、女狐」

バラライカは小さく鼻で笑い、ゆっくりと手を伸ばす。

淀みなく静かなそのあまりにも作為のない動作に、クロウディアは自分の襟首を掴まれるその瞬間まで、バラライカの意図に気が付けなかった。

「挑発するにも言葉を選ぶことだ、そのイカれた男がだめなら直接貴様らの元・ボスに話を付けるまでのことだ」

唐突過ぎる暴力に、クロウディアの護衛であるリズィもソファを立つぐらいしか反応を現せられなかったが、当のクロウディアは目線でリズィを下がらせるだけで、その瞳には僅かな怯えも恐怖もなかった。

「仮にそのサイスとやらがこの街に侵攻してきたとしても、それは我々の領分だ。「ホテル・モスクワ」は行く手を遮るすべてを容赦しない。それを排撃し、そして撃滅する。親兄弟、必要なら飼い犬まで・・・・な。貴様らにすべきことは何もない、大人しく荷物をまとめてさっさとこの街から消え失せろ。いざ成り行きが荒事に及べば、弾は前から飛んでくるとは限らんぞ?」

「そっちこそなめるんじゃないわよ?この戦争犬(ウォー・ドック)」

そう言って、クロウディアは自分がされていると同じように、バラライカの襟首を掴み上げる。

自分より高い位置から掴み上げられた為、自然とバラライカの体が浮き上がり二人の視線がここに来てようやく同じになる。

控えていたボリスが懐に手を伸ばしかけるが、それもリズィと同じく主の視線によってその先の動きを封じられる。

「サイスは、かつてファントムと呼ばれたアイン、ツヴァイと作った男、それに今は更なる改良を施した無敵のファントムの軍勢、「ツァーレン・シュヴェスタン」を作り出した。そんな連中がこの街に来ようとしているのよ?
それも誰かの命を狙っているとかそんな具体的な目的じゃなくて、ただ破壊と殺戮のためだけに。
それがどれだけの脅威になるか、あなたなら分からないハズがないでしょ?どこに逃げたって結局は同じこと、それなら私達はここでやつらと決着をつける、それには私達だけじゃ手が足りないの。」

ツヴァイの戦闘能力の凄まじさは、日本ですでに理解している。

灼熱の熱砂を潜り抜けてきた「遊撃隊」をも超える正確さと速さで暗殺をやってのけ、それを当然と信じて疑わない。

まさに暗殺の為だけに生まれてきたような戦闘機械。

それすらも超えると言われている軍勢をサイスという男は持っている。

これが、三合会の張ならば怯えずとも相手の脅威に閉口するに違いないだろうが、今クロウディアが相手をしているのは、「ホテル・モスクワ」のバラライカだ。

火傷が刻まれたその顔に浮かぶのは恐怖でも、無論、怯えでもなく歓喜の笑みに他ならなかった。

クロウディアの言わんとしている事をようやく理解し、バラライカはその笑みを彼女に向ける。

「それで、我々に協力しろというのか?」

「ええ、あなた達は戦争を、私達は命を。悪くない取引でしょ?」

軍人である彼女達が求めるのは、自分達がかつて生き抜いた「戦争」という愉悦のみに他ならない。

「取引・・・だと?ふふ・・・ふははははははははは!!」

バラライカの哄笑が執務室にこだまする。

クロウディアの持ちかけた取引は取引と呼べるものではなく、先刻バラライカの言った通り自分達の身を遊撃隊に守ってほしいと言っているのだが、彼女はサイス達が起こすであろうこの街での戦争をバラライカに提供するものと扱っている。

自分が何も持っていないにもかかわらず、さも自分達と同等かそれ以上のように振舞うその姿は、本来ならば滑稽以外の何物でもないはずなのに、この女が言えばそれすらも「取引」として扱われるような錯覚に陥る。

それが、バラライカにとって愉快でたまらなかった。

このクロウディア・マッキェネンこそが自分達の待ち望んでいた「敵」なのかも知れない。

敵である自分の前に不条理で強引な取引を持ち出し、さも当然のように扱うこの女こそ自分達の宿敵、自分達の怨敵。

それならば、打ち倒してよいのは自分達だけだ。

打ち倒すのは自分達だけだ。

誰にも邪魔はさせない。

誰にもだ。

「ファントムの軍勢か・・・・聞いたか軍曹。あの悪魔のような殺人者が徒党を組んでこの街にやってくる・・・・・これほど愉快なことがあるか?」

傍らに控えるボリスも、常の無表情なものではなく彼の主と同じく、その瞳には煉獄の炎が宿り、口元には冷笑が浮かんでいる。

「ええ、大尉殿。久しぶりの騒乱ですな、それが銃弾の轟声ならこの上はない」

「そうだな、我々が持てる唯一の戦争だ。大事に使おう」

その凄惨な笑みを交し合う二人は第三者のクロウディアにもリズィにも通じない、「何か」が隠されているのであろうが、今はそれに浸っている場合ではない。

「それで・・・・・・「ホテル・モスクワ」は私達の協力要請を受けてくれるのかしら?」

「いいだろう・・・・、クロウディア。貴様らの要請とやら、「ホテル・モスクワ」は全面的に受けよう」

バラライカの言葉に、クロウディは冷笑を持って返す。

内心ではいつ殺されてもいいようにと覚悟は決めていたが、それをおくびにも出さないあたりが、彼女が彼女である所以でもある。

「感謝いたしますわ、ミス・バラライカ。手始めにこの街を支配する面だった者を集めていただきたいのですが」

ここに、この街でもっとも最悪で最凶の同盟が締結された。



[18783] 34話
Name: ストゼロ◆b70a9ebd ID:f249e5d4
Date: 2010/12/08 15:33
「なるほどな・・・・俺達もそのインフェルノとロアナプラの戦争に参加しろってことか・・・・」

自らの禿頭を掻きながら、ダッチは短くなった煙草を灰皿へと押し付ける。

普段からサングラスで大方の表情を隠している彼だが、今回ばかりは露骨に不機嫌さを隠さずにはいられなかった。

ツヴァイに依頼内容によって、これまでの疑問が一気に解決した。

この街で名の通った連中がこぞって自分達のところに連絡をよこした理由は、少なからずラグーン商会に疑いをかけていたからだ。

厄介事を引き入れる連中はすべて自分達が運んでくるとでも思っているのだろうか。

優秀が故の税引きと言えば聞こえはいいが、今回のように痛くもない腹を探られるような真似が愉快なわけがない。

「いいじゃねぇかダッチ。戦争なんてこの街じゃ珍しいことでもなんでもねぇ、今更何をそんなに悩むことがあんだよ?」

テーブルに足を乗せ、煙草を咥えた口の端から紫煙を吐き出し、レヴィは心底楽しそうに告げる。

彼女としては、日本で煮え湯を飲まされた「ツァーレン・シュヴェスタン」に意趣返しができる絶好のチャンスであり、今回のツヴァイの依頼は金にうるさい彼女をもってしてもたとへロハであっても喜んで引き受けたいものであった。

「そうだな。たしかに戦争なんて出来事はこの街にとっちゃそこらに捨ててある煙草の吸殻より珍しいもんじゃねぇ・・・・」

ダッチは一旦話を区切り新たに咥えた煙草に火を着け、ゆっくりと紫煙を吐き出す。

そして、

「だがな、今回は相手が悪すぎる。インフェルノが相手なら俺達は降ろさせてもらう」

「ヘイ、ダッチ!?」

「報酬はそれなりの額を用意するが?」

ダッチの言葉にレヴィは噛み付き、ツヴァイはすかさず報酬の話を切り出すが、ラグーン商会のボスである黒人の大男は毅然とした態度と突き出した右手で二人の言葉を遮った。

「金銭の問題じゃねぇ、インフェルノはここ数年でアメリカの半分を根こそぎ自分達のものにしやがった勢いのありすぎる相手だ。当然、そんな組織のバックには政府の要人が付いていやがる。やつらと喧嘩するってことは、少なからず“イーグル・サム”とやりあうってことだ、そんな厄介事に首突っ込んで巻き込まれるのはごめんだ」

それがダッチの、引いてはラグーン商会の出した結論でもあった。

たしかにラグーン商会と万屋アースラは友好関係を築いており、昨日今日の付き合いではない。

だが、それを差し引いてもおつりがくるほどの話だ。

仮にツヴァイが同じ様な内容の依頼をラグーン商会から受けたとしても、クロウディアなら確実にダッチと同じ回答を出すだろう。

そういうレベルの話なのだ。

だが、結論が出てもそれに納得するかはまた別の話である。

「ダッチ・・・・・ここのボスはあんただ。だがな、今回ばかりはあたしはこの件に絡ませてもらうぜ?」

「レヴィ!?」

「おい、レヴィ!?」

一つは意外のロック、もう一つは非難のダッチ。

二つの異なる視線が、ラグーン最強の女ガンマンに注がれる。

だが、レヴィはそのどちらの視線にも返すこともなく煙草の煙を燻らせていた。

そんなレヴィの対応はツヴァイにはなんとなく予想が付いてしまった。

おそらく自分でも理由は異なれど、レヴィと同じ答えを出したであろう。

もし自分ならインフェルノ、サイスに対する復讐の為。

だがレヴィは、

「あたしはあいつらにでっけぇ借りがあるんだ。そいつを返さねぇとあたしの気がすまねぇ、分かるかいダッチ?あいつらにはどれだけやばい相手に喧嘩売ったか思い知らせなきゃならねぇんだよ」

彼女が引き金を引く理由は意外にも少ない。

一つは、仲間のため。

そしてもう一つは、「相手が気に食わない」と、いう本能に近い部分での感情のため。

彼女こそ、この街の摂理や人間の闇の部分を最も端的に表した存在であろう。

そんなレヴィにダッチは、当然のことながら渋い表情を浮かべる。

「少しは冷静になりな、ベイビー。お前が突っ走るのはいつものことだが、今回ばかりは話が別だ。お前の我が侭で・・・・くだらねぇ自己満足のために俺達まで巻き込もうってのか?」

「はっ!自己満足だって?ダッチ、この世の中にくだらねぇ自己満足以外に何があるってんだ?逆に言やぁそれだけで命を掛けるに十分な理由になるってことじゃねぇか」

無茶苦茶な理論であるがそれがいかにも彼女らしい。

下手にダッチを刺激しないために表情では沈黙を守っていたツヴァイだが、内心では自分にあまりにも正直すぎる女ガンマンに賞賛の笑みを向けていた。

「ダッチ、俺も今回の依頼を受けるべきだと思う」

「僕もだね」

「お、お前ら何言ってやがる!?頭がイカれちまったのか!?」

ここにきてロックとベニーもレヴィ側につくことなど予想だにしていなかったのだろう、ダッチは無様なほど狼狽し、自分を裏切った二人にサングラスの奥から睨みを利かせる。

ロックはともかく、いつもならばダッチを立てるベニーまでもがこちら側につくとは、ツヴァイにも予想していなかった。

そんな中、ベニーが口を開く。

「ダッチ、彼の依頼を受けようって言うのはイカレたわけでも、もちろんレヴィみたいな理由でもない。今回はこのロアナプラって街全体の問題なんだよ。こんな薄汚れた街でもそれなりの秩序ってのがある、それは刃の上を渡るような不安定なものだけどそれ故に今までうまくやってこれた。それが、いきなり外部からの圧力に屈したとあればこの街そのものが崩壊してしまう」

ベニーの言葉にロックも頷く。

「ベニーの言う通りだ。今ここで手を引いてしまえば、ラグーン商会の信用は一気に地に堕ちる。仮にこの戦争に勝ったとしてもその後に仕事がなくなれば笑い話にもならない」

「・・・・・・」

この無法の街にも守らなければならない「義理」というものがある。

街全体での戦いに自分達だけ傍観を決め込めば「腰抜け」のレッテルを貼られ、以後、もとよりまともな仕事など何一つないが、それすらも失う。

ロックとベニーの言葉にダッチは閉口しつつ、咥えた煙草を一気に吸い切るほど紫煙で肺を満たし、そして吐き出す。

「酷ぇ様だぜ、ロック。結局、大厄災(ビックトラブル)を背負い込むことになるとなは」

天井を仰ぐダッチに口調には、すでにひどい二日酔いに苦しむような苦悩が色濃く滲み出ていた。

「仕方ないさ、俺達も結局この悪徳の街の一部なんだ」

ロックの言葉にダッチは何かに当たるように吐き捨てる。

「気に食わねぇな。その言い方は気に入らねぇ、俺は自由人を自負してる」

「じゃぁ―――こう言い換えよう」

ロックはポケットから愛飲の煙草を取り出し、笑みの浮かぶ口元にそれを咥えると火を着ける。

それだけなら他の者も誰一人として気に掛けるようなことはないごく自然な動作であった。

が、そのロックの浮かべた笑みは、この場にいた誰一人として目が離せないもの。

これまでの彼の印象からは大きくかけ離れた酷く凄惨で、まさにこの街に相応しいものであった。

「この戦争の当事者であるアースラに付けば、この街で起こる大騒動の一番面白い出来事を―――俺達だけが楽しめるんだぜ、ダッチ」

あまりのロックの豹変に、ダッチは灰皿に落とすべき煙草の灰を床に零し、ツヴァイとベニーは言葉を失う。

唯一レヴィのみが、ロックに染み付いた狂気とも言える雰囲気に同種の笑みを浮かべていた。

「・・・・・俺は時々、判断に迷うことがある。そんなことを面白がれる人間は、この世じゃ自殺志願者か冒険者かの、二種類だけだ。―――お前は、どっちだ?」

ダッチの問いとも非難とも取れる言葉に、ロックは煙草が挟まれた口元を歪め、

「・・・・・・・・そいつに賭けるのも―――・・・・・また面白いと思わないか?」

そう答えた。

そこでようやくダッチは理解した。

ここに麻薬中毒者よりも重症な人間がいることに、そしてそんな煮え滾った思考こそがこの街には相応しい。

「まったく、とんでもねぇ野郎を拾っちまったなぁ。イカれてるとしか思えねぇぜ。・・・・・・・・・・・・だが、面白ぇ。面白ぇってのは大事なことだぜ、ロック。やったろうじゃねぇか」

ようやく短くなった煙草を灰皿に押し付け、ダッチは先ほどのロックと同じ笑みを浮かべる。

ラグーン商会と万屋アースラの同盟がここに成った。

「つーわけだ、兄ちゃん」

「ああ、よろしく頼む」

誇らしげなレヴィにツヴァイは笑みを持って返す。

これで自分の任された仕事は滞りなく済ませた。

後は、バラライカのところに出向いたクロウディアの吉報を待つだけである。

今頃、あの女帝とどのような腹の探り合いをしているのか想像もしたくはない。

「玲二さん、ちょっといいですか?」

安堵の笑みを浮かべるツヴァイにこの同盟の立役者とも言えるロックが問いかける。

「この戦争に俺達ラグーン商会が参戦するのは決定した。けど、俺にはまだ気にかかることがあるんです」

「なんだ?」

「この戦争にインフェルノから送られてくる「ツァーレン・シュヴェスタン」・・・・その創造主とも言えるサイス・マスターって奴とあんたとの関係ですよ。俺にはどうもただ事のようには思えない」

「・・・・・・・」

今度は、ツヴァイが閉口する番であった。

確かにサイスと自分の因縁を上げればきりがない。

だが、キャル以外にことについてはすでに自分の中で決着は付いている。

エレンのことを除いて。

「そうだな・・・・話しておく必要があるかもしれないな」

意を決したツヴァイは、これまでクロウディアにすら話さなかった過去の傷跡を語り始める。
















夜の砂漠を吹き渡る風。

それに長い時間耐え続けた建物は、もとよりファントムを作り出すために作られたのか、それとも別の目的で作られたのをインフェルノが再利用したのかは今となっては分からないし、興味もない。

自分にとってはこの建物が持つ意義とは、「始まりの場所」という以外にない。

「吾妻玲二」という人間が死に、代わりに「ツヴァイ」という名の亡霊が生まれた場所。

打ち捨てられた建物には当然、電気などは通っておらず窓から差し込む月光のみが自分の立ち居地を示してくれる。

たとへ、月が出ていなくともツヴァイは闇の中で昼間のように動くことは容易であろう。

それだけの時間をこの場所で「彼女」と共に過ごしてきた。

だから、死ぬならこの場所がいい。

「君に殺されるならこの場所はうってつけだよ・・・・・エレン」

ツヴァイの視線の先には、月明かりを背に立つ一人の少女。

仮面を付け、その表情を窺い知る事はできないが、「ファントムを殺すにはファントム」と、サイスやマグアイヤの考えそうなことだ。

そして、サイスに決して逆らうことのできないファントムは、この世に一人しかいない。

絹のような黒髪に暗殺者とは思えないような華奢な肢体。

その手には、月光を浴びて銀色の光を放つナイフ。

「・・・・・」

彼女は何も答えなかった。

暗殺対象と交わす言葉はないのだから当然といえば当然であったし、暗殺対象となった自分にかける言葉もないのだろう。

自然と皮肉気な笑みが口元を覆うが、彼女はそれすらも黙殺したままナイフを構える。

一部の隙もない構えは、彼女が自分に与えられた任務を成し遂げようとする意思ゆえか。

それと対峙する自分には何もない、護るべき者も、守るべき約束も。

結局、自分はサイスから彼女を奪うこともできなかった。

彼女自身がそれを望んでいたのにもかかわらず彼女にはサイスの呪縛を振り払うことができなかった。

だから、代わりに彼女が「もう一人の私」と言った自分が代わりにそれをしようとした。

否、そんなものは建前だ。

自分はただ彼女と共に生きたかった。

たったそれだけのこともできずに、サイスを庇った彼女を撃ち、代わりに彼女の称号である「ファントム」を襲名した。

この世界はどこまでも狂っていると諦観したこともあったが、今思えばそれを受け入れ彼女の変わりにインフェルノのファントムとなった自分が狂っていただけなのかもしれない。

だが、彼女は生きていた。

現にこうして自分の目の前に立っている。

一度は自分の手で殺してしまったと思っていた彼女に殺されるとは、自分にはお似合いな死に様だ。

「・・・・・構えないの?」

「・・・・・ああ」

彼女の言葉にツヴァイは違和感を覚える。

いや正確には彼女の発した声に、である。

過去の記憶をなくした自分の唯一の家族とも呼べる彼女の声はすでに耳にこびり付くほど聞いているが、今の声と彼女の声がどうしても合致しなかった。

「エレン・・・・?っつ!?」

ツヴァイの問い掛けに彼女はナイフによる一撃を持って返答する。

彼女と対面してから攻撃をよけることなど思考の片隅にもなかったが、新たに生まれた疑問は無意識のうちにナイフからその身を翻らせた。

「・・・・・構えないんじゃなかったの?」

「・・・・・・」

責めるでもなく問いかけるでもなく、彼女は淡々と仮面の下から言葉を投げかけるが、ツヴァイは彼女が喋れば喋るほど記憶の中のエレンと目の前の女が乖離して行く。

次々と繰り出される鋭利な斬撃は、どれも必殺の威力と的確な急所を狙ってくるものであり、その身のこなしはかつて自分に近接格闘を教えたエレンのそれと重なるが、それもどこか違う。

具体的な説明などできないが、ツヴァイには分かってしまった。

「お前・・・・誰だ!!」

女がナイフを振り上げた瞬間の隙間を縫うように、ツヴァイは女の顔に張り付く仮面を払い落とす。

コンクリートの地面に落ちた仮面は、小気味良い音を立て何度か跳ねて止まる。

「・・・・・・」

「・・・・誰だ・・・何だお前は!?」

仮面の下から現れた女の貌にツヴァイは、我知らずと怒声を張り上げる。

そこには、髪型と背格好のみがエレンに似せただけのまったく見知らぬ若い女の顔があった。

「答えろ!!」

もしこの手に銃が握られていたら何の躊躇もなく引き金を引くであろうその凶暴とも言える憤怒にもかかわらず、女の表情は微動もすることなく何の感情も現すことはなかった。

「・・・・それは、私の名前を聞いているの?だとしたら私に名前なんてないわ・・・・この任務が終わったらマスターは私に名前を与えてくださると仰った。貴方を殺して・・・私が新しい「ファントム」になる」

「エレンは・・・・・エレンはどうした!!」

「エレン?・・・・あぁ、あの出来損ないのアインのこと?」

そこでようやく、女の顔に表情というものが生まれる。

「憎悪」と「侮蔑」と呼ぶに相応しい、醜悪な感情。

だが、ツヴァイにはそんな女の表情よりも、女の吐き出した言葉の方がその何倍も吐き気を催すに相応しかった。

「出来損ない・・・だと?」

「ええ、そうでしょ?マスターの寵愛を仇で返し、愛欲に溺れてあんたみたいな男と駆け落ちしかけた下品な女。まぁ最後にマスターを庇って死んだのは褒めてあげてもいいけどね」

この女は、自分やエレン以上にサイスによる調教を施され、完全な「殺人人形」と化していた。

自分の存在意義など考えず、ただマスターであるサイスの為に生き、サイスの為に死ぬためだけの「作品」なのだ。

「エレンは・・・・死んだのか?」

「何言ってるの、あんたが殺したんでしょ?見事に心臓を打ち抜いてさぁ、まぁ死体は上がらなかったみたいだけどね。今頃、魚の餌にでもなってるんじゃない?」

嬉々として紡ぎだされる女の言葉にツヴァイは自然と拳を握る。

「・・れ・・・」

「で、あの出来損ないの代わりにマスターは私を選んでくれたわけ、あんたを殺せばあたしが「ファントム」になれる。今度こそマスターを裏切らない完璧な「ファントム」にね!!」

「黙・・・・れ・・・」

握り締めた拳の間から血が滴り落ちる。

「あの女の格好を真似するのは死ぬほど嫌だったけど、マスターの命令だし、あたしをアインと勘違いしてたあんたのアホ面見れただけでも十分満足・・・・」

「黙れぇぇぇ!!!」

瞬間、ツヴァイの姿が女の視界から消え失せた。

「・・・・・え?」

女は気付く事はなかった。

自分が見ている景色は先刻まで自分の背後にあった景色であることに。

ツヴァイの繰り出した怒り任せの拳は、女の顔を180度回転させたのだ。

顔面だけうつ伏せに倒れるエレンの紛い物の死体を前に、ツヴァイは荒い呼吸を繰り返す。

「サイス・・・・・・」

呪詛のように紡ぎだされる言葉は受けるべき相手の嘲笑が聞こえたような気がして、ツヴァイは握り締めた拳をコンクリートの地面に叩き付ける。

皮膚が破け、血が地面を濡らそうとも痛みはそれ以上の怒りに塗り潰されるだけであった。

「どこまで・・・・どこまでエレンを弄ぶ気だ!サイスゥ!!」

廃墟にこだまする絶叫に答えるものはすでに誰もいなかった。


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