赤木智弘の眼光紙背:第158回
また、戦争においては他人を殺すことが強く肯定されるのであって、「人を殺さない」というのは決して、人間的成長によって直感的に得られる合意と言いきることはできないのではないか。
そうである以上、「殺してもいい」と「殺してはいけない」の間に存在するはずの線引きを探る「どうして人を殺してはいけないのか」という質問は、極めて複雑な意味を持った、十分に成長した人間が発言するに足る、決して無意味ではない行為であったといえよう。
ビールテイスト飲料の問題は、人の生死ほどクリティカルな問題ではないように思えるかもしれない。
だが両方とも、「素朴な疑問に対して、子供の身近にいる大人が、いかに誠実に答えることができるか」という問題をはらんでいる。
僕は決して、この問題について「ノンアルコールだから飲ませればいいじゃん」という結論を提示したい訳ではない。そうではなく、飲ませたくないと考えるのであれば、それ相応の理由を準備する必要があると言いたいのである。
「そういうルールだから」「(何だか分からないけど)悪影響がありそうだから」という言葉でシャンシャンと疑問を打ち切り、自主規制をすることは簡単にできる。
しかし、ルールの意味を考えるにつれ、必ずどこかで「どうしてそういうルールなのか?」という疑問は産まれる。
それを子供から執拗に尋ねられたときに、ちゃんと答えることができるのか、それとも無視したり、異常視したり、怒鳴りつけたり、殴ったりして答えることを放棄するのか。
単純に戸惑うことから一歩進んで、今後産まれるであろう疑問に対して、スッキリする答えではなく、誠実な答えを用意する必要がある。もし、用意できないのであれば、少なくともそのルールに至る考え方を明示する必要がある。
そうした、しっかり説明しようとする「大人としての態度」が、求められているのではないだろうか。
*1:ノンアルコールビール 未成年に売っていいの?店主ら困惑 (毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101204-00000031-maip-soci*2:1997年10月30日 朝日新聞朝刊 21世紀への提言(朝日新聞)
*3:基本的法制度に関する世論調査 死刑制度に対する意識(内閣府)
http://www8.cao.go.jp/survey/h21/h21-houseido/2-2.html