芸術? バカにするな!
「芸術げーじゅつ? バカにするな!」
ディック・バトン 演説
カルガリー五輪 日本と欧米
<おばちゃん達へ>
安心してください。
・美や芸術に、イトーは近付きません。 安心です。
・「ミジメさセンサー」の電源をOFFにしてください。
では始めます。↓ ↓ ↓ ↓
----------------
<芸術>
・日本では・・・?
芸術ゲイジュツ =尊敬。きれい。知的。ステキ。
・欧米では・・・?
art に Y を付けると、「arty アーティー」=「芸術きどり」
という言葉があるように、
★一歩間違うと、バカにされるものなのだ。 ←重要★
・「芸術っぽい」とは、欧米では、
★悪い意味なのだ。カッコ悪いのだ。 ←日本とは逆。 ←重要★
★↑ まさに88年頃、フィギュアはこの状況だったのだ。↑
「フィギュアなんて、五輪に値しない」
「あんなもの、いらない」
そして、
<スポーツ アスレチック>
・これも同じく、正反対。↓
・日本では・・・? 見下されてる。
政治経済・学問芸術よりも「一段低いもの」と見ている。
(典型: TBS日曜の朝 カーツ!アッパレ!) (URL熟読)
・欧米では・・・?
尊敬される。 お金にもなる。 (スポーツ産業も大)。
↓ ↓ ↓ ↓
-----------
★だから、
<ディック・バトン 演説えんぜつ 88五輪>
・ビットには激怒し、
・イトーには、
■「アスレチックですよ!」、「アスレチックですよ!」、「理解してください」
と必死に言っている。
これは、
★「フィギュアを馬鹿にしないでくださいね」 という意味なのだ。 ←重要
★「アーティー(芸術きどり)ではないですよ」 という意味である。
・「イトーの良さを解説しよう」 ではなく、
イトーがアスレチックだからそう言っている、のでも全然ないのだ。
★「フィギュアを馬鹿にするな」という、演説(えんぜつ)なのである。
【字幕つき】 伊藤みどり アメリカ版
http://www.youtube.com/watch?v=_zk-OkXmsHU
・「スポーツですよ」では、全く足りず、
「アスレチック」でも、まだ足りず、
「イズム」を付けて、
■「アスレティ シズム」
まだ足りず、
アスレティシズム「の勝利です」。
まだ足りず、
勝利を「ウィン」「ビクトリー」ではなく、
「トライアンフ」を使って、
■「トライアンフ・オブ・アスレティシズム」 ときた。
=「アスレ主義(しゅぎ)の、誇りある大勝利」。
ムズカしい言葉だ。知的だ。高級だ。 (欧米でも子供には分からないだろう)。
つまり、
★フィギュアを、「馬鹿にするな」と言っているのだ。ディック・バトンは。↑
( ↑ これ、伊藤みどりについて言ってるんですよ。
伊藤みどりに「便乗しよう」という魂胆だ。ディック。
良く言えば、フィギュアの「救世主」なのだろう)。
つまり、こう ↓ ディック・バトン
「皆さん、
このイトーさんの演技も、
皆さんにはアーティー(芸術きどり)に見えるかも知れませんね。
でも、それは違います。
よく【見てください】。アスレチック【ですよ】。
そう。皆さんが尊敬する、あの、アスレティシズム【ですよ】。
シッカリ認識して【くださいね】。
フィギュアを馬鹿にしないで【くださいね】。
フィギュアで重要なのは、アーティー(芸術きどり)では【ありませんよ】。
皆さんが尊敬する、スピードとパワー【なのです】。
シッカリ理解して【くださいね】。
【ほら】、フライング・シット・スピンです・・・」
ということである。
(ところで、前から言ってるが、ミドリ・イトー88五輪LPには、
本当に様々なものが凝縮されている。文学・事典の「全集」のように。
文化、歴史、民族、国際関係、経済、偏見、男女の性、芸術、
日本とは?、欧米とは?、・・・これほど多様様々なものが詰め込まれ
凝縮されたものは、本当に珍しい。しかも見て面白い。貴方方には分からない
だろうけど。 おそらく数100年たっても残っているだろう。
ピーク・変化は今後訪れる。たぶん2040年頃だろう)。
★重要 ↓
---------
・「芸術」と「スポーツ」は、対立しない。
同じようなものだ。
しかし、
★「見下し⇔尊敬」 という意味では、対立するのである。
そして、それが、
★欧米と日本では、正反対なのである。 (下記 ↓ )
---------
(ましてや、 ↓ 高齢・愛犬家が喜びそうなこと。笑
「イトーはチビデブサだけど、ジャンプは凄いので、
皆さん、ホメてあげましょう。認めてあげてね。理解してあげてね」 by ディック
( ↑ この屈折ぶりを見ろ、若い人たち)
↑ これなら高齢・愛犬家もマンゾクだろう。
しかし残念ながら、現実は甘くない。笑)
----------------
<日本とは逆>
■日本とは、ちょうど正反対である。 ↓ ↑
>スポーツを見下す日本
>スポーツ=差別用語 日本フィギュア界では特にはなはだしい。
>スポーツに変えた」というウソは、
>見下しの原因
>また逆に、
>■イトーを見下すからこそ、「スポーツ」という単語が出てくる。
↓
「芸術をスポーツに変えた」のウソ まとめ (ニコ百【3】【4】)
http://midoriitos.blog133.fc2.com/blog-entry-101.html
<怒るなよ。。 ディック>
1:55〜 「ゴラー!」
カタリナ・ビット 88五輪LP
http://www.youtube.com/watch?v=BTC0IT7kK9s
↓ ↓ ↓ ↓
デレデレするな! 公平にやれ!
http://midoriitos.blog133.fc2.com/blog-entry-54.html
「カワイイです!」
-------------
<実態は>、
・「芸能げいのうか? 五輪競技か?」
「アーティーか? アスレチックか?」
「performing artsか? athletic competitionか?」
・そもそも、マトモな人間なら、すぐに分かる。
「芸術か?スポーツか?」 ←笑
芸術とスポーツは対立しない。(笑)
いかにも低学歴の発想だ。
----------------
<教えてあげよう>
なぜ欧米で高く評価されるのか? まとめ
http://midoriitos.blog133.fc2.com/blog-entry-110.html
<なぜ殿堂入りなのか?>
殿堂犬 ジョーダン
http://midoriitos.blog133.fc2.com/blog-entry-97.html
日本人の 「身体観」 アスレティシズム 玉木正之
http://midoriitos.blog133.fc2.com/blog-entry-96.html
日本人の 【カンちがい】集
http://midoriitos.blog133.fc2.com/blog-entry-99.html
----------------
つづき ↓
ビット 「跳ねるボール」 のウソ
http://midoriitos.blog133.fc2.com/blog-entry-132.html
----------------
ディック・バトン 「芸術げーじゅつ? バカにするな!」
は以上。
ディック・バトン 演説
カルガリー五輪 日本と欧米
<おばちゃん達へ>
安心してください。
・美や芸術に、イトーは近付きません。 安心です。
・「ミジメさセンサー」の電源をOFFにしてください。
では始めます。↓ ↓ ↓ ↓
----------------
<芸術>
・日本では・・・?
芸術ゲイジュツ =尊敬。きれい。知的。ステキ。
・欧米では・・・?
art に Y を付けると、「arty アーティー」=「芸術きどり」
という言葉があるように、
★一歩間違うと、バカにされるものなのだ。 ←重要★
・「芸術っぽい」とは、欧米では、
★悪い意味なのだ。カッコ悪いのだ。 ←日本とは逆。 ←重要★
★↑ まさに88年頃、フィギュアはこの状況だったのだ。↑
「フィギュアなんて、五輪に値しない」
「あんなもの、いらない」
そして、
<スポーツ アスレチック>
・これも同じく、正反対。↓
・日本では・・・? 見下されてる。
政治経済・学問芸術よりも「一段低いもの」と見ている。
(典型: TBS日曜の朝 カーツ!アッパレ!) (URL熟読)
・欧米では・・・?
尊敬される。 お金にもなる。 (スポーツ産業も大)。
↓ ↓ ↓ ↓
-----------
★だから、
<ディック・バトン 演説えんぜつ 88五輪>
・ビットには激怒し、
・イトーには、
■「アスレチックですよ!」、「アスレチックですよ!」、「理解してください」
と必死に言っている。
これは、
★「フィギュアを馬鹿にしないでくださいね」 という意味なのだ。 ←重要
★「アーティー(芸術きどり)ではないですよ」 という意味である。
・「イトーの良さを解説しよう」 ではなく、
イトーがアスレチックだからそう言っている、のでも全然ないのだ。
★「フィギュアを馬鹿にするな」という、演説(えんぜつ)なのである。
【字幕つき】 伊藤みどり アメリカ版
http://www.youtube.com/watch?v=_zk-OkXmsHU
・「スポーツですよ」では、全く足りず、
「アスレチック」でも、まだ足りず、
「イズム」を付けて、
■「アスレティ シズム」
まだ足りず、
アスレティシズム「の勝利です」。
まだ足りず、
勝利を「ウィン」「ビクトリー」ではなく、
「トライアンフ」を使って、
■「トライアンフ・オブ・アスレティシズム」 ときた。
=「アスレ主義(しゅぎ)の、誇りある大勝利」。
ムズカしい言葉だ。知的だ。高級だ。 (欧米でも子供には分からないだろう)。
つまり、
★フィギュアを、「馬鹿にするな」と言っているのだ。ディック・バトンは。↑
( ↑ これ、伊藤みどりについて言ってるんですよ。
伊藤みどりに「便乗しよう」という魂胆だ。ディック。
良く言えば、フィギュアの「救世主」なのだろう)。
つまり、こう ↓ ディック・バトン
「皆さん、
このイトーさんの演技も、
皆さんにはアーティー(芸術きどり)に見えるかも知れませんね。
でも、それは違います。
よく【見てください】。アスレチック【ですよ】。
そう。皆さんが尊敬する、あの、アスレティシズム【ですよ】。
シッカリ認識して【くださいね】。
フィギュアを馬鹿にしないで【くださいね】。
フィギュアで重要なのは、アーティー(芸術きどり)では【ありませんよ】。
皆さんが尊敬する、スピードとパワー【なのです】。
シッカリ理解して【くださいね】。
【ほら】、フライング・シット・スピンです・・・」
ということである。
(ところで、前から言ってるが、ミドリ・イトー88五輪LPには、
本当に様々なものが凝縮されている。文学・事典の「全集」のように。
文化、歴史、民族、国際関係、経済、偏見、男女の性、芸術、
日本とは?、欧米とは?、・・・これほど多様様々なものが詰め込まれ
凝縮されたものは、本当に珍しい。しかも見て面白い。貴方方には分からない
だろうけど。 おそらく数100年たっても残っているだろう。
ピーク・変化は今後訪れる。たぶん2040年頃だろう)。
★重要 ↓
---------
・「芸術」と「スポーツ」は、対立しない。
同じようなものだ。
しかし、
★「見下し⇔尊敬」 という意味では、対立するのである。
そして、それが、
★欧米と日本では、正反対なのである。 (下記 ↓ )
---------
(ましてや、 ↓ 高齢・愛犬家が喜びそうなこと。笑
「イトーはチビデブサだけど、ジャンプは凄いので、
皆さん、ホメてあげましょう。認めてあげてね。理解してあげてね」 by ディック
( ↑ この屈折ぶりを見ろ、若い人たち)
↑ これなら高齢・愛犬家もマンゾクだろう。
しかし残念ながら、現実は甘くない。笑)
----------------
<日本とは逆>
■日本とは、ちょうど正反対である。 ↓ ↑
>スポーツを見下す日本
>スポーツ=差別用語 日本フィギュア界では特にはなはだしい。
>スポーツに変えた」というウソは、
>見下しの原因
>また逆に、
>■イトーを見下すからこそ、「スポーツ」という単語が出てくる。
↓
「芸術をスポーツに変えた」のウソ まとめ (ニコ百【3】【4】)
http://midoriitos.blog133.fc2.com/blog-entry-101.html
<怒るなよ。。 ディック>
1:55〜 「ゴラー!」
カタリナ・ビット 88五輪LP
http://www.youtube.com/watch?v=BTC0IT7kK9s
↓ ↓ ↓ ↓
デレデレするな! 公平にやれ!
http://midoriitos.blog133.fc2.com/blog-entry-54.html
「カワイイです!」
-------------
<実態は>、
・「芸能げいのうか? 五輪競技か?」
「アーティーか? アスレチックか?」
「performing artsか? athletic competitionか?」
・そもそも、マトモな人間なら、すぐに分かる。
「芸術か?スポーツか?」 ←笑
芸術とスポーツは対立しない。(笑)
いかにも低学歴の発想だ。
----------------
<教えてあげよう>
なぜ欧米で高く評価されるのか? まとめ
http://midoriitos.blog133.fc2.com/blog-entry-110.html
<なぜ殿堂入りなのか?>
殿堂犬 ジョーダン
http://midoriitos.blog133.fc2.com/blog-entry-97.html
日本人の 「身体観」 アスレティシズム 玉木正之
http://midoriitos.blog133.fc2.com/blog-entry-96.html
日本人の 【カンちがい】集
http://midoriitos.blog133.fc2.com/blog-entry-99.html
----------------
つづき ↓
ビット 「跳ねるボール」 のウソ
http://midoriitos.blog133.fc2.com/blog-entry-132.html
----------------
ディック・バトン 「芸術げーじゅつ? バカにするな!」
は以上。
- 関連記事
- おすすめ 英文 日本語訳 「全体像」
- 芸術? バカにするな!
- 「さようならコンパルソリー」1988対訳