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「無分別な触媒」

2010年12月08日17時00分 / 提供:ゲンダイネット

ゲンダイネット

●団野村(代理人)

 分別のある人間は周囲に適応する。ルールを守る。無分別な人間は周囲に適合しない。ルールは破るものだと考える。

「だから歴史をつくるのは無分別な人間だ」と、英国の皮肉屋バーナード・ショーは言った。これが「野茂英雄と団野村の戦いを想起させる」と、ベテラン記者が言う。

「ふたりは、日本と戦ってメジャー移籍を獲得した。当時、日刊ゲンダイ以外のすべてのマスコミが、ふたりを無分別と非難した。しかし、その無分別が日本の選手にメジャーへの道をつけた」

 楽天・岩隈投手のポスティングで、また団氏が注目を集めた。今度は米国球団が相手で、契約条件を途中で暴露した、その交渉手段が常識外れだという。なぜ、彼は同じような、無分別な「戦い」を繰り返すのだろうか。

 母親が現・野村克也夫人の、あのサッチーなのはご承知の通り。生みの父親は、優秀な人材を輩出すると定評のあるユダヤ系米国人だった。1957年生まれ。東京・世田谷のセント・メリーズ・インターナショナル・スクール、調布の高校を経て渡米し、カリフォルニアポリー大を卒業。ちょうどその頃、サッチーと野村監督の再婚が成立し、テスト生としてヤクルトに入団した。

「当時から短気ではあった」と消息通が言う。

「ヤクルトでの現役時代(78〜81年)、医者と激しく言い争った。ひざの手術を受けたが、回復が遅くていらついた。なんで早く治せないんだと、文句をつけたのです。焦っていたとはいえ、医者を相手に言ってはいけないことでした」

 現役を引退して再び渡米。日本の野球に批判的になった。

「朝日新聞と高校野球のなれ合い体質とか、選手は球団の奴隷だとよく怒っていた」(マスコミ関係者)

 帰国後は米国代理人の下働きをしながら実績を積んだ。日本のプロ野球を経験せずメジャー選手となったマック鈴木の代理人も務めた。そのようなとき、野茂の事件が起きた。メジャーの米国人関係者が述懐する。

「ふたりとも、絶対アメリカに行くんだと、とても頑固でした。とくに団さんはアグレッシブでした。球団やマスコミから激しく反対されるほど、ファイトを燃やしましたね。結局、メジャーの選手会と密に連絡をとって、日米のコミッショナーを動かすことに成功したのです」

 ビジネスは米国流に磨きがかかった。マスコミ関係者の話。

「ある日本人選手がメジャーのキャンプに参加した。代理人の団に選手のインタビューを申し込むと“いまなら安いよ。メジャーに決まったら高くなるよ”と言われたのです。記者は選手とも団とも旧知の仲だったのですが、まったく考慮しようとしない。メジャーの選手は、取材にカネは要求しない。日本のマスコミは取材にカネを払うので、そういうときだけ日本式なのです」

 野茂英雄とメジャーをつなぎ、新たな歴史をつくった「無分別」人間。日本のファンに、新たな楽しみを提供した功績は評価すべきだろう。しかし、代理人は、しょせん触媒である。戦い方を決めるのは選手。触媒が出すぎては、共感は得られない。

(日刊ゲンダイ2010年12月7日掲載)


関連ワード:
日刊ゲンダイ  マスコミ  ヤクルト  野茂英雄  朝日新聞  

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