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【社説】

週のはじめに考える 人権としての脱貧困

2008年12月7日

 努力しても人間らしく生きられない人たちを放置するのは許されません。経済危機でより深刻化する貧困や不安を「人権問題」として考えましょう。

 スーパーのレジの前で数十円の予算超過に悩み、財布をのぞき込むお年寄りが増えたそうです。ベテラン店員の観察です。

 犯罪白書によると、社会的孤立や経済的不安を抱えた高齢受刑者が増えました。空腹から食品の万引を繰り返し、刑務所に入ってほっとする人もいるそうです。

 二十年前から続く博報堂生活総合研究所の生活定点調査では、今年は「安定した暮らしがほしい」「食費を節約したい」人がいずれも過去最高の44%でした。 

 ◆非正社員が利益に貢献

 「割安感がある」と高級ホテルのバーに通う麻生太郎首相には、こうした不安、貧困は理解できないのではないでしょうか。

 働いても人間らしい生活を営むに足る収入を得られないワーキングプアと呼ばれる人が、若者を中心に急増し、年収二百万円以下の民間労働者は一千万人を超えています。自殺者は十年連続で三万人を超え、昨年の自殺者のうち七千三百人は経済苦が一因でした。

 小泉改革の結果、雇用の調整弁として派遣労働など低い賃金の非正規雇用への転換が急激に進められ、不安定な雇用による低賃金労働が広がりました。いまや非正規雇用の労働者は二千万人近く、全雇用労働者の35%以上です。

 安く使え、いらなくなればいつでも切り捨てられる、これら非正社員の貢献で多くの企業が巨額の利益を上げてきました。

 しかし、厚生労働省の「就業形態の多様化に関する調査」では、派遣労働者の半数が正社員としての安定した雇用を求めています。自ら好き好んで“ハケン”をしているのではないのです。

 ◆人間らしく生きる権利

 こうした人々の生活を支えるべき社会保障制度は自己負担の増加と給付の削減が続いて十分機能せず、「貧困の連鎖」現象さえ生まれつつあります。生活を維持できるだけの収入を得られなくても救済されず、蓄えや家族、住まいなどを次々失って、貧困が世代を超えて継承され拡大再生産されてゆくのです。

 このような貧困は社会の構造から生まれており、人間が生まれながらにして有する人権を侵害していると言っていいでしょう。

 日本国憲法第一三条は、個人の尊厳を維持し、生命、自由、幸福を追求する権利を「最大限に尊重する」と定めています。第二七条は公正な労働条件で人間らしく働く権利を保障しています。

 第二五条では「健康で文化的な最低限度の生活」を営む権利が保障されています。

 憲法は国民の権利と国家・政府の義務、責任を定めた法典です。ひとには貧困から脱して人間らしく生きる権利があり、政府にはそれを実現する責任があるのです。

 自分の努力だけでは人間として生きられない環境を改めず、当事者の自己責任をうんぬんするのは人権無視です。政治としてなすべきは「施し」ではなく、権利行使を阻んでいる要因を除去して、権利を実現できるようレールをきちんと敷くことです。

 現在の政治がこうした方向で行われているとは、とうてい思えません。実施細目を決めずに自治体に丸投げし、漂流している定額給付金がいい例です。

 場当たり的な実施で、本当に必要な人に届かないかもしれないのですから、貧しい人の権利などは首相の眼中にないのでしょう。

 敗戦直後、占領軍の米兵が自動車から子どもたちにチョコレートをばらまいた光景を思い浮かべた高齢者がいるかもしれません。

 危険で過酷な労働を低賃金で強いられることが多い日雇い派遣の禁止も、国会混乱で、いつになったら実現するのやらです。

 構造改革、自由化、多様化などをスローガンにした改革で、極端な格差と社会的貧困が生まれました。昨年あたりからやっと多くの目が改革の影の部分に向けられるようになったものの、世界的な経済危機に目を奪われ、脱貧困は再び忘れ去られそうです。

 自動車など製造業界を中心に、来春までに職を失う非正規労働者は三万人を超える見通しです。厚労省は緊急対策本部を設置しましたが、「権利実現」の視点を忘れてはなりません。

 ◆尊厳を維持して暮らす

 すべての人が人間としての尊厳を維持しながら暮らしていけるように、雇用と社会保障に対する一体的取り組みが求められます。

 そのためには「恩恵」としての貧困対策から「権利」としての貧困対策への発想転換が必要です。政治家も企業経営者もアタマを切り替えなければなりません。

 

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