軽い言葉で基地縮小の願いを翻弄
「沖縄の心」傷つけた首相
公明新聞:2010年5月15日付
きょう復帰記念日
沖縄はきょう5月15日、38回目の復帰記念日を迎えた。1972年の復帰に際し、日本政府と国会はともに沖縄の米軍基地の縮小を誓った。しかし、県民が期待した縮小は実現していない。
ようやく、14年前の「沖縄に関する特別行動委員会」最終報告で、普天間飛行場の全面返還などが決まり、その後、2002年から始まった日米安保に関する日米協議の中で、沖縄の海兵隊8000人のグアム移駐などさらなる沖縄の負担軽減が決定した。
06年には、普天間飛行場の移設場所として、名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部にV字型滑走路をつくることで、日米両政府と地元沖縄の間で大筋合意がまとまり、同年5月の「再編実施のための日米ロードマップ(行程表)」の中で、14年の普天間飛行場の移設完了が明記された。
ただし、この合意は沖縄にとっては苦渋の決断であった。とにかく、世界で一番危険と言われてきた普天間飛行場の一日も早い危険性の除去を重視した結果である。
ところが鳩山首相は、こうした沖縄の心と向き合うこともなく、昨年8月の衆院選で普天間飛行場の移設場所を「最低でも県外」と公約した。しかし、10月には県内移設容認の可能性を示唆しながら、その一方で県外をめざすような発言を繰り返し、ついに今月4日の沖縄訪問で鳩山首相は、「すべて県外に、というのは現実問題として難しい」「ご負担をお願いしなければならない」「学べば学ぶほど、(海兵隊が沖縄にいることで)抑止力が維持できるという思いに至った」と発言した。その後、県外移設も公約ではないとし、自ら約束した5月末決着も断念した。
鳩山首相の不誠実な「軽い言葉」に対し、沖縄は「抑止力を言うなら日本全体で負担を分け合うべき」「沖縄だけに押しつけるのは差別である」との厳しい声を上げた。
政権が交代しても政府間の約束は生きている。特に安全保障政策は基本的に継続することが先進民主国の政権交代のあり方である。変更したいのであれば、確固たる代案を示す必要がある。しかし、鳩山首相はまともな構想すら持たずに国家間の協定を壊し、沖縄の心までも傷つけた。
公明党の山口那津男代表は先月26日、沖縄県庁で仲井真弘多知事と会談し、「(普天間飛行場移設の検討は)沖縄の頭越しにやるべきではない」と訴えた。沖縄と誠実に向き合い、普天間飛行場の継続使用という最悪の結果を避ける義務が鳩山首相にはある。
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