第7回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議公開シンポ かけはし2005.3.7号 |
「アジア女性基金」は失敗だった!日本軍「慰安婦」解決促進法制定へ |
被害者の心が今ま
で以上に通じ合う
二月十三日、東京・在日本韓国YMCAアジア青少年センターで、第7回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議の公開シンポジウムが開催され、二百人が参加した。
最初に、韓国のチョン・スクチャさん(韓国挺身隊問題対策協議会)が第7回アジア連帯会議参加者代表あいさつを行った。
「実りある会だった。アジア女性基金は経済力のない困難なハルモニたちをだました行為であった。二重にだまし通して、被害を二重にした。被害者の一つだった心を分裂させ、ちぎっていった行為だったと会議は結論を出した。慰安婦問題を自分の問題として、自分の国を敵として闘わなければならなかった松井やよりさんに感謝を表わしたい。これからも運動を通して、女性を大事にして、すべての人が平等になれるように期待したい」。
続いて、柴崎温子さんが会議の報告を行った。
「二月十二〜十三日の会議には韓国、フィリピン、日本から百人以上が参加した。国民基金がどんなものであったか報告があった。基金によって分断と混乱をさせられ、心身ともに疲弊させられた。基金を受け取ったかどうかの問題ではなく、被害者が納得するかどうかが原則だ。問題の解決には、日本軍『慰安婦』解決促進法を通すことだ。国連などの国際会議へむけてアピールし、日本政府に法案を通すように圧力をかける行動を決めた。八月に全世界同時デモをやろう。決議案・アピールをこの会の最後に発表する。分れていたフィリピンの三団体が初めて話すことができたのがよかった。参加した被害者は今まで以上に心が通じ、身近になった。行動をともにしてほしい」。
台湾、フィリピン、韓国、中国の被害女性が日本軍が行った性的残虐行為を涙ながらに生々しく証言し(別掲)、日本政府に謝罪を強く要求した。
韓国で進展する
過去史清算運動
被害女性の証言の後、五人のパネリストが問題提起した。
最初に、チョン・スクチャさん(韓国挺身隊問題対策協議会)が「韓国の真相究明活動と過去史清算運動」と題して提起した。
「私たちは韓国内で行われている過去の歴史に対する正しい真相調査活動、過去の真実を明らかにし、過ちを正し、被害者の傷を癒す作業が韓国内だけで進行されていくなら、半分だけの作業にしかならないと考えています。これは日本国内でより積極的に進行され、過去の過ちをすべて明らかにし、反省することから始めなければならないと思います。過去史が清算されなくては未来が建設されないからです」。
「今年は戦争が終わって六十年になる年です。韓国では市民団体の努力が国会を通して法を作り、政府をして真相究明と過去史清算の努力をするよう導いてきました。市民たちの対政府、政界圧力活動と対市民世論作り活動は今でも続いています。私たちのこのような動きが日本に伝わることを期待します。また果たして何人の女性たちが日本軍性奴隷に動員されたのか、日本軍『慰安婦』制度の執行体系がどうだったのかなどの日本軍『慰安婦』制度に対する総体的真実が明らかにされるような資料が公開され、被害者に対する国会と政府次元の立法努力が積極的に推進されることを望みます」。
NHKの番組改
ざんを許さない
西野瑠美子さん(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW―NETジャパン)が「政治家のNHK番組介入の背景と記憶の改ざん」と題して提起した。
「一月十日、中川昭一議員は番組内容を直しても放送してはいけないと言っていた。その後、面会をしていないと前言を翻した。自民党の下村議員は『このままの放送では問題なので、もう一回編集するからとNHKが言ってきた』と発言している。政治家の政治介入によって、NHKの番組改ざんがされたのは明白だ。今回の事件は、NHKの番組が『慰安婦』問題、女性国際戦犯法廷を取り上げなかったからこそ起こった事件だという点をしっかり見据えることが重要だ」。
「では何が消されたのか。中国と東チモールの被害者証言、元日本軍兵士の加害証言であり、判決のナレーションなどであった。当事者の声と裁きが消されたのだ」。
「安倍氏らは、放送前にNHK幹部らに会って番組について意見を述べたことを正当化するため、女性国際戦犯法廷がいかにひどいものだったかを繰り返し強調している。日本のメディアは四年前と同じように安倍氏らの主張を一方的に報道している。しかし、外国のメディアは四年前に九十五社、二百人が来て取材したくさんの報道をした」。
「番組への政治家介入問題は、『慰安婦』問題の事実認識、国家により女性に対して行われた犯罪という認識や教育など、『記憶』と責任の取り組みが政府の公約に反して全く行われてこなかったことに起因する。日本軍『慰安婦』解決促進法を成立させていかなければならない」。
人権侵害に対する
法に基づく救済を
申惠 さん(青山学院大学)が「重大な人権侵害の救済と国際法」と題して提起した。
「一九九〇年代前半に旧ユーゴ紛争で組織的強かんの発生、日本の『慰安婦』問題が表面化し、重大な人権侵害として明らかにされるようになった。強制労働や『慰安婦』の被害者は、強制労働ないし奴隷制・奴隷取引の禁止(「慰安婦」=性奴隷)という当時の慣習国際法に違反する行為によって人権を侵害された被害者であることが認められた。さらに、一般住民の虐使や奴隷化は『人道に対する罪』に相当するとされた」。
「すべての国家は国際人権及び人道法規範を尊重、尊重を確保、執行する義務があり、それには違反の防止、調査、被害者に対する適切な救済が含まれるとするとともに、被害者が補償、賠償、リハビリテーション、サティスファクション及び再発防止(事実の公的開示、遺体の捜索・埋葬、被害者の尊厳を回復する公的宣言、謝罪、国際人権・人道法の訓練や教材における事実の正確な記述のような再発防止策を含む)を受ける権利を明示」(2000年国連人権委員会)。
「被告人個人の民事賠償責任について定め、かつ、被害者からの請求を認める」(人道に対する罪の被害者の権利をめぐる国際刑事裁判所)。
以上のことから、「戦後補償裁判においては、日本が国際人道法及び慣習国際法・条約に違反し、個人の人権の重大な侵害を行った事実は明らかだ。被害者個人は、基本的人権の侵害について実効的な救済を受ける権利に基づき、相手国の国内裁判所に救済を求めることができる。また、人道に対する罪を追及する刑事裁判においては、被害者が賠償を受ける権利を認めうる」と申さんはまとめた。
「慰安婦」裁判での
「壁」を乗り越える
続いて、山田勝彦さん(弁護士)が「『慰安婦』裁判の成果と課題」と題して提起した。
「『慰安婦』裁判で被害者の請求を棄却してきた三つの壁(国家無答責・除斥・個人の賠償請求権放棄)は越えられない壁ではない。『慰安婦』裁判の場合は、加害行為が悪質で被害が甚大であり、当該加害行為の特質からして、加害者に権利行使を期待することが困難であり、かつ加害者が加害行為を隠蔽するなどして、被害者の権利行使を妨害するなど、加害者をして除斥期間制度による損害賠償義務免責を受けさせることが正義・公平に著しく反する場合だ」。
「この間、国の責任を認めたり、除斥を認めない判決が出されている。しかし、裁判によって戦時性暴力被害の被害者をすべて救済することはできない。日本政府は立法などによる政治的解決をしなければならない。現在訴訟として残されているのは中国人『慰安婦』裁判、山西省性奴隷裁判、海南島『慰安婦』裁判等の中国人の被害者の裁判だけだ。中国人『慰安婦』裁判(第2次)が3月18日、山西省性奴隷裁判が3月31日に東京高裁判決となる。支援をしよう」。
解決促進法を絶
対に成立させよう
勝木一郎さん(岡崎とみ子民主党議員の秘書)が「『慰安婦』立法の制度実現に向けて」と題して報告した。
「日本軍『慰安婦』解決促進法を二〇〇一年に初めて提出した。提案の趣旨は、日本国憲法の前文を引用しながら、アジアに生きるわれわれとして、軍隊『慰安婦』問題の解決をしたい。国民の生き方として取り組むとしている。今回で五回目の提出になる。法案の目的は第一条 謝罪と名誉回復・解決の促進。組織的・継続的に行われたことに対する国家の責任の明確化。第三条 謝罪の意を表わし、名誉回復をはかる。金銭の支給。被害者の調査を行い、毎年国会に報告行う。戦時性的強制被害者問題解決促進会議を総理府に特別機関として置く。会長は総理大臣とする。解決のために施策を実施・推進するなどとなっている」。
「与党が過半数を占めているので、このままでは成立は困難である。与党にも理解してもらうように働きかけたい。正式な議題としてとりあげ、委員会での議論が大事だ。衆院での議論も活発になっている。2月17日に院内集会を開く」。
提起の後に北海道、三重、中央大学の学生から活動報告があった。最後に集会決議(別掲)を採択した。日本軍『慰安婦』解決促進法の成立めざしてがんばろう。 (M)
(シンポジウムの提起は当日の発言に配布された資料をもとに、編集部で再構成したものです)
被害女性の証言から
「日本政府は私が死ぬ前にちゃんと謝罪してほしい」
鄭陳桃さん(チェン・チェンタォ、台湾)
一九四二年、看護婦の助手として読み書きのできる者が必要だとのことで、二年間という説明を受け、高雄からインドのアンダマン島に上陸した。アンダマンは小さな島で海岸線に日本軍の基地があった。部隊名は石川。基地には軍用の建物がいくつかあり、その中のひとつが女性用として割り当てられ、二十四部屋あった。到着した女性は十八人だった。
五日目くらいして「慰安所」であることがわかった。私は毒剤を飲んで死のうとしたが、見つけられてしまった。軍人にひどくしかられた。女性たちは離島から逃げ出すことも出来ず、泣く泣く、あきらめの気持ちで応じざるを得なかった。女性たちは番号をつけられた。私は「モモ子」と呼ばれた。
一九四五年八月に台北に戻った。私が「慰安婦」をしていたことを知った義母や叔父は軽蔑し、受け入れなかった。以後、台湾を転々としながら住み込みの炊事、裁縫などをしてきた。
ちゃんとしてほしいのは全世界の人にわかるように、日本は謝罪してほしい。賠償なんていらない。
陳 鴦さん(台湾)
生活が貧しかったので、食堂と喫茶店をかねた店のウエイトレスだといわれてシンガポール、ビルマのラングーンに行った。一週間たつと慰安所に連れていかれた。三十円借りているので、やるしかなかった。抵抗したので、ひどく軍人になぐられ右の耳が聞こえなくなった。慰安所はクロガネ荘といい、二十人の台湾人女性がいて、昼食後から五時まで兵隊の相手をさらせれた。おカネは一銭もくれなかった。一年間の契約だったのに五年間やらされた。つらい体験をお母さんに言えなかった。
最後に日本政府に言いたい。おカネなんていらない。謝罪してほしい。ちゃんと誤ってほしい。
ルシア・ミサさん(フィリピン)
一九四四年十月のある日、家族と朝食中、突然銃剣を持った日本兵五人が、押し入ってきた。姉を捕まえて家の外へ連れ出した。姉はかみつくなどして抵抗したため、首やお腹を切られ、両乳房を切り取られた。私の父は、私と姉を日本兵から引き離そうとして、イタク(なた)を取り出して抵抗したが、日本兵から首や肩を銃剣で叩かれ、腹部を何度も刺されて殺されてしまった。母は倒れた父親に駆け寄ったところ、日本兵に喉を刺され、お腹を切り裂かれ殺された。
日本軍の駐屯地に連れていかれた。日本兵は百人くらいいた。私を連行してきた日本兵によって、強かんされた。恐くて抵抗できなかった。他の女性たちがそばにいる中で強かんされ、私はまるで家畜のようだった。次々と日本兵がやってきて、その夜は八人に強かんされた。それ以来毎日のように強かんされた。意識がなくなることもあった。
昼間は食事の用意や洗濯をさせられた。仕事がないときは、床下に閉じこめられたままで、女性同士で話しをすると、日本兵が私たちを平手打ちにした。このような監禁と強かんが、一九四五年一月まで三カ月間続いた。
私は四十三歳になるまで結婚しなかった。長男はいまだに私の体験を理解してくれず、私を売女と言うのがとても悲しい。
日本政府に言いたいのは、謝罪してほしい。私たちに正義をもたらしてほしい。
トマサ・サリノグさん(フィリピン)
フィリピンで女性基金を受け入れていない唯ひとりで、補償請求裁判の原告だ。一九九二年に名乗りで出てから十年以上にわたって闘い続けている。おカネでは、痛みは取り返しがつかない。私が連れ出されたのは十三歳の時だ。一九四二年に日本軍が上陸し、自宅に侵入し、抵抗した父親を軍刀で首をはね殺した。連れていかれて、多数の日本兵に強かんされ、性的奴隷にされた。
今日の来日は、正義を求めたいからだ。何度でもそれが実現するために来たい。わたしたちの要求に耳を傾けてほしい。十年以上経っても回答が得られていない。アピール・請願するのを支援してほしい。支援してくれている日本の女性に感謝したい。
ベアトリス・トゥアソンさん(フィリピン)
今回、日本で支援運動があるのを初めて知った。支援に感謝している。
一九四三年に、日本兵がやってきて、娘三人を連れ去ろうとした。それを止めようとした母と義夫を銃剣で刺し殺した。私はまだ生理も始まっていない十三歳でした。強かんされた時の痛みはわたしにとってどれほどの悪夢か想像できますか。
その後、昼間は炊事・洗濯をさせられるなど奴隷であった。監禁されてから二カ月後に、従姉妹がマラリアに罹り死んでしまった。監禁三カ月後に、ゲリラに助けられた。
私は@日本政府の法的責任を追及する。これが解決に向けた唯一の方法だA日本の国連常任理事国入りを阻止する。今回、フィリピンの三つに分かれている運動がいっしょに出会い会議をもったことにより、一つになろうとしている。
シム・ダリョンさん(沈達蓮、韓国)
体のあちこちが動かない。手術のあとだらけで子宮もとってしまった。たったひとつ言いたいことがある。日本政府はしっかりとしたまともな謝罪をしてほしい。死ぬ前に謝ってくれればいい。恨(ハン)を晴らして死にたい。
【配布資料によると】一九四〇年頃、シムさんが十二、三歳の時、姉とふたりで野草を採りにいったところ、数人の日本の男たち(軍人か警官か不明)に旧満州に連れていかれた。そこで、軍人の相手を強いられた時、呼んでもすぐ来ないといって、軍人が刀を振り回したので、今も右の腿の内側、左の膝上に傷跡が残っている。毎晩、毎晩、本当に死ぬ思いをした。
シムさんは、国民基金を受け取っていないが、友人が自分の名前をかたって横取りした可能性がある。国民基金側に問い合わせしたが回答を避けている。今回来日して、直接この件を問いただしたい、と思っている。
劉面煥さん(中国)
今回参加できなかった劉面煥さん(中国)について、康健さん(中国人弁護士)が代わりに説明した。
劉さんは健康がすぐれなくて来られなかった。「軍隊『慰安婦』裁判で敗訴したが、わたしはこれからも死ぬまで闘うつもりである。このことに終わりはないのです」と劉さんは語っている。
中国大陸における九五年から続いている軍隊『慰安婦』裁判は今年の三月に判決が下される。今まですべて敗訴した。しかし、日本軍が組織的に行ってことは認めた。何回も被害者の訴えを聞いてきたのにもかかわらず、冷たくあしらう態度を残念だと思う。日本政府は一日も早く謝罪しなければ、被害者から許されない。
(被害者の証言は、当日の発言に配布された資料をもとに、編集部で再構成したものです)
第7回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議決議
二〇〇五年二月十二、十三日、私たちは東京で開かれた第七回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議に参集した。韓国、フィリピン、中国大陸、台湾、日本から約百五十名が参加し、特にフィリピンからは初めて関係三団体が顔を合わせた(オランダ・北朝鮮はレポート参加)。一九九一年、日本軍「慰安婦」の被害者が名乗り出てから十四年あまりが経過したが、日本政府は真摯な謝罪、補償、真相究明を行っていない。この間、日本軍「慰安婦」問題の解決のための法案や真相究明のための法案が幾たびか提出されてきたが、未だ制定の見通しは立っていない。これは、アジア諸国への侵略戦争の反省に基づいて制定された平和憲法を「改正」しようとする政府・財界の動きと結びついている。
一方、謝罪・補償の実現を求め続けてきた被害者の声を無視して強行された「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、「国民基金」)は、施策の過ちを認めないまま二〇〇六年度で解散することを表明した。
そうした中、多くの日本軍「慰安婦」裁判は、最高裁で次々に上告が棄却され、あるいは受理されず敗訴が確定している。司法においても正義は実現されず、現在進行中の裁判は中国大陸と台湾の訴訟のみとなった。
高齢になった被害者は生きているうちに正義が実現することを切望してきたが、この数年、実現を見ないまま亡くなる方が相次いでいる。もう時間はない。アジア太平洋戦争終結から六十年を迎える節目の今年こそ、私たちは何としても日本軍「慰安婦」問題の解決を実現するため、以下を確認し、行動を提起する。
【確認事項】
1.私たちは、「国民基金」は被害女性の尊厳回復にはならず、「償い金」を受け取ったかどうかに関係なく、失敗であったことを確認した。
2.私たちは、日本政府が公式謝罪・補償・真相究明を実行するまで、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りを認めない。
【戦後六十年緊急行動】
1.日本軍「慰安婦」問題解決促進法を実現し、公式謝罪と補償を実現する。
2.日本政府に対する国連人権機関の勧告実施を求める国際署名運動を展開する。
3.日本軍「慰安婦」問題の解決を求める世界同時デモ及び要請行動を八月に行う。
4.日本軍「慰安婦」問題の事実を各国の教科書に記述し、次の世代に伝える。特に、日本における中学校教科書採択において日本軍「慰安婦」を否定する教科書の採択を阻止する。
5.残された日本軍「慰安婦」裁判を、アジアで連帯して支援する。
【国際連帯行動】
1.日本軍「慰安婦」制度の被害女性とともに証言活動をすすめる。
2.国連人権委員会、北京プラス10、ILO等の国際会議で国際社会に連帯行動を訴える。
3.日本軍性奴隷制の責任者を裁いた「女性国際戦犯法廷」を歪曲・縮小したNHK報道に対する政治介入に抗議し、真相を究明する。
4.日本軍「慰安婦」制度に関する文書を公開するよう日本及び関係国に求める。
5.各国・各地で取り組みが始まっている記録・記憶の保存と教育活動のため、ミュージアム・ネットワークを構築する。
6.女性の人権確立のため、社会にある性差別と闘い、非暴力・平和の社会の実現を目指す国際社会の幅広い運動と連帯する。
2005年2月13日 東京
第7回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議 参加者一同
立川反戦ビラ弾圧から1年
権力の暴走に反撃し控訴審闘争で勝利する
二月二十七日、東京・多摩社会教育会館で「立川反戦ビラ弾圧から1年 控訴審闘争大がんばり集会」が立川・反戦ビラ弾圧救援会の主催で行われ、百二十四人が参加した。
二〇〇四年二月二十七日、国家権力は、立川テント村の三人の仲間が立川自衛隊官舎にイラク反戦ビラをポスティングしたことを住居侵入罪にあたるとして令状逮捕した。さらに、関係者宅など六軒と事務所への家宅捜索を強行した。その後、起訴、追起訴し、七十五日の長期勾留という不当弾圧をし続けた。
全国の反戦反基地運動は、立川テント村に対する弾圧が、自衛隊のイラク派兵が強行される中での戦時治安弾圧体制の強化に向けた攻撃だとして抗議声明、署名、支援カンパなどさまざまな手段を使って反撃していった。この運動の成果として十二月十六日、東京地裁での無罪判決を勝ち取った。しかし、反戦運動の広がりを恐れる国家権力は、不当にも控訴した。また、十二月二十三日に葛飾区内のマンションにビラ入れしていたAさんを不当逮捕している。
派兵国家化に向けた小泉政権の攻撃は、このように止まらない。反戦反基地反弾圧戦線を強化していこう。この集会は、六月以降から始まる予定の控訴審闘争に向けた意志一致、ならびに全国的な反撃陣形の広がりを作り出していくステップとして開催された。
市民と兵士との
ゆたかな交流を
集会の冒頭は、三人の仲間を不当逮捕した時のテレビ報道ビデオが上映された。権力は、マスコミに立川テント村への弾圧を事前にリークし、自衛隊のイラク派兵下において戦争反対を言う者は逮捕するぞというキャンペーンを演出したのだ。
次に、鵜飼哲さん(一橋大学)は、「反戦ビラ弾圧から1年、私たちの世界は?」というテーマで講演し、自衛隊のイラク派兵、自民党の憲法改悪試案、NHK番組改ざん問題について批判しながら、立川テント村弾圧の性格を明らかにしていった。また、『街から反戦の声が消えるとき 立川反戦ビラ弾圧事件』(宗像充著、別掲参照)を取り上げ、反基地運動の歴史的連続性、自衛隊員と市民の反戦のための交流と対話をいかに豊かなものに作っていけるかなどについて問題提起した。
国分寺エクスペリエンスの反戦歌の後、弁護団を代表して栗山れい子弁護士は、「一年前の今日、三人が逮捕された。その後、様々な抗議声明が出た。『おかしい』と声を出したことが全国に伝わり、無罪判決を獲得した。控訴審は、『守る』姿勢ではなく、積極的に攻めていきたい。共産党のビラ配布事件なども含めて反撃を強めていきたい」と発言した。
続いて壇上座談会が行われた。司会は、岩波新書『ルポ 戦争協力拒否』(別掲参照)の著者である吉田敏浩さん。ブルキッチ加奈子さん(米大使館前被弾圧者)、大洞俊之さん(立川テント村)、宗像充さん(『街から反戦の声が消えるとき』の著者)が、この間の弾圧経過、権力の人権侵害、反弾圧闘争の意義などを具体的な体験にもとづいて提起した。
「被弾圧者」からの一言アピールでは、大洞俊之さん、高田幸美さん、大西章寛さんが元気一杯に決意表明をした。
最後に集会決議採択後、参加者は、デモに出発し、昭和天皇記念館、自衛隊基地、立川警察署に対して抗議のシュプレヒコールを行っていった。
4・6反弾圧集会
を成功させよう
デモ解散地点で簡単な集会が行われ、「赤旗」号外配布弾圧被告の堀越明夫さんは、「長年にわたって反戦平和運動を行ってきた。その結果が不当逮捕だった。権力の暴走を絶対に許してはならない。皆さんとともにはねかえしていきたい」と力強くアピールした。
国家権力は、憲法改悪反対、イラク反戦勢力に対する系統的計画的な弾圧を強化している。反撃していくためには、広範な戦線を構築していかなければならない。すぐに立川自衛隊宿舎反戦ビラ弾圧事件弁護団、国公法弾圧・堀越事件弁護団、葛飾マンションビラ配布弾圧事件弁護団、板橋高校事件弁護団の主催による「『これって犯罪?』暴走する公安と脅かされる言論社会」(四月六日、午後六時半、弁護士会館・クレオ)集会が開催される。反弾圧戦線にとって重要な集会である。共にスクラムを打ち固めていこう。 (Y)
宗像 充著 樹心社 1300円
「街から反戦の声が消えるとき -立川反戦ビラ入れ弾圧事件-」
本書は、二〇〇四年二月二十七日朝、国家権力によるテント村三人の不当逮捕、関係宅への家宅捜索から始まる。宗像さんの位置から見た不当弾圧の「一断面」をドキュメンタリータッチで描き出している。誰もが「ビラ撒きで、なんで逮捕なんだよ」という驚きと権力の不当弾圧に対する「恐怖」の姿、なんとか三人の仲間を取りもどすために必死で動きまわっている姿、そして宗像さん自身がだんだんと大きくなっていく姿などを熱いタッチで読者に迫ってくる。
例えば、「今年はじめ、ぼくは今まで避けていたマイクを握ってしゃべるようになっていた」ことなど、少しずつ成長していく姿の押し出しは、なかなか感動的だ。その熱さは、三人の仲間が権力に不当勾留されているという進行形の中にいて、ぎりぎりした緊張感の現れなんだろう。不当勾留状態、三人の取り調べにおける権力の人権無視の取り調べと完全黙秘の闘いについては、そのリアルさにおいて反弾圧戦線の重要な教科書となるであろう。(Y)
吉田敏浩著 岩波新書 740円
『ルポ 戦争協力拒否』
本書の第三章「有事体制を拒否する人びと」では、陸・海・空・港湾労組二〇団体が進める「有事法制を完成させない。発動させない。戦争協力に従わない」運動や全日本港湾労働組合の戦争協力反対の取り組みや労働者の「思い」を丁寧に取材し紹介している。
このような最前線にいる人たちの人権や命が守られなければ、日本社会に生きる人びと誰もがそれを守らない時代が来てしまうと警鐘乱打する。
第四章の「自由にものも言えない社会に抗して」では、立川自衛隊監視テント村に対する権力の弾圧と救援運動の取り組みなどを紹介している。さらに、赤旗号外配布事件、イラク反戦落書き事件、ブルキッチ加奈子さんたちへの弾圧事件を取り上げ、治安弾圧強化を許さない戦線作りの重要性を強調している。
反戦反弾圧運動の取り組みをイメージ豊かに把握し、次のステップに結びつける入門書である。(Y)
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