「BNNプラス北海道365」は、毎週新たなテーマを設け、読者のみなさんが参加する「365アンケート」を実施しています。
11月10日、横浜地裁で裁判員裁判2例目となる死刑が求刑されました。男性2人を殺害、強盗殺人や死体遺棄などの罪に問われた被告には11月16日に死刑が言い渡されました。
一方、裁判員裁判で初めて死刑が求刑されたのは、耳かきエステの女性店員と祖母の2人を殺害した被告事件です。東京地裁が11月1日に言い渡した判決は無期懲役でしたが、検察は控訴せず、無期懲役の1審判決が確定しました。
365アンケートは、11月15日から21日までの1週間、「あなたが裁判員になったら死刑の評決はできますか?」をテーマに実施しました。
アンケートの期間中、179人の方に参加していただきました。設問と投票結果は以下のとおりです。
(1)あなたは、裁判員になった場合、死刑の評決ができますか。次の中から妥当なものを選んでください。
・できると思う 158票
・わからない 7票
・できない可能性が高い 12票
・無回答 2票
(2)「できると思う」を選択した方にお聞きします。その理由を次の中から選んでください。
・死刑を評決せざるを得ない犯罪が存在するため 66票
・謝罪や更生が期待できない被告がいるため 15票
・その他(自由記述) 77票
<「できると思う」を選択した方の主な自由記述>
「死刑が考えられる被告は、謝罪や反省は至極当然の行為であり、減刑の対象には成らない。そして個人的には"重犯罪者"には更生を望んでいません。それが出来ると思った理由です」
「日本は犯罪に甘すぎると考えている。現状のままでは犯罪抑止に効果が薄い。法を犯すにはそれなりの覚悟が必要だと考えているが現状はどうか、ただ感情に流されやっちゃった、ちょっと服役すれば娑婆に戻ってこれるなど考えが甘すぎる。凶悪犯罪を犯しても出所後のうのうと生きていける日本はどうかと」
「事件の背景・犯した罪に対しての罰として死刑は必要だと思っています。反省しているからやり直すチャンスを与える、ということの意味が分かりません。やむにやまれぬ事情があった、ということが客観的に認識できれば減刑されるべきですが、明らかに殺そうとしてやったと言う人間の言うことなど怖くて信用できません。被告人の未来より、もし再犯してまた犠牲者が出ることがあったら、という方が余程怖いです」
「その事件、その被告の背景、因果関係によるが最終決断は人ではなく罪に対して断罪すると思う」
「人を殺したことと、反省は別だと思います。被害者の声は聞こえません。それが全てと思います」
「刑法体系に終身刑を求める運動なしに死刑廃止を訴える感情論には答えがありません。刑はリンチではなく法正義が決めるものです」
「なぜ殺されたかということによります。場合によってはそれほど刑罰が重くなくても、残りの人生の多くを奉仕活動に使ったりすればいいとも思います。逆に死刑でも生ぬるいと思うかもしれません」
「死刑が目の前にあることで、心底からの改心が可能となる場合もあると考えるので、死刑は必要と思う」
「死をもって償ってほしい。命には命で。・死んだ祖母が、息子(叔父)がルームメイトに殺された事を悲しそうに話していました。実話です。無為に人の命を奪った人間に人権はないです。死刑にするべきです。そのような被害者が身内にいればわかるでしょうね。国家による殺人が必要悪だということ」
「死刑になっても償いにはほど遠いが、せめて死刑になって欲しい」
「殺害の動機、方法によるが、たぶん、死刑を要求すると思う」
「悪いことをしたら、絶対つぐなうべき! 被害者の気持ちをわかっていない。 そんなやつ(弁護士)は最低だ!!!!」
「身近な人が殺されたら、その人にも同じように死んでつぐなって欲しいと思います」
「飲酒運転(酒気帯び運転も含む)やひき逃げによる事故で殺された場合も死刑にしてもらいたい。無期懲役であっても恩赦等で刑が軽くなるので有れば最初から死刑にして欲しい」
「状況によると異なると思います。ただ共通するのは自らが犯した罪を認識し、反省しなくてはならないということだと考えます」
「正当防衛などやむを得ない事情による殺人であれば、刑務所に入って刑期を全うしてほしい。そうでない場合は、終身刑か死刑で贖ってほしい」
「殺され方、殺された理由にもよると思いますが、一方的にただ殺されてしまったのならば、加害者が精神障害を持っていたとしても、『死刑』もしくは仮出所なしの『無期懲役』など、同じような罪が2度と行われないように重い刑に服してつぐなってほしいです。刑務所から出てこないでほしい。そして、そのような犯罪が2度とおこらないための抑止となってくれればと思います」
「死を以てつぐなう。又は特赦刑期短縮なしの終身刑(死ぬような重労働付)」
「目には目を、歯には歯を、死には死しかない」
「自らの命を以て償うべきである。いや償うことは不可能かも知れないが、その最後の瞬間まで自分が、殺めた人の受けた恐怖心をその身で感じながら、最後の瞬間を迎えて欲しい。もし死刑が廃止になっているのなら、被害者の遺族による、復讐権(敵討ち)を認めて欲しい」
「死をもって償ってほしい。日本の無期懲役は長くても20年しかなく たったそれだけでは愛する人を失った悲しみは消えない」
「人が死んでいく時の気持ちを知って欲しい」
「私は犯罪被害者遺族です。加害者がブタ箱に入ったからといって、本当の意味で贖罪したとは思えません。死刑になって、自らも死の苦しみを味わった瞬間に、被害者の苦しみが本当にわかるのではないでしょうか。それだけひどいことをされた事件でしたから」
「事故や過失によるものでなく、意思を持って行なわれたものであれば、自らの命を投げ出して欲しい」
「加害者、その人の本当の心の中はわからない。 反省しているとか、申し訳ないなどという言葉を信じることは難しい。 被害者のことを考えるといくら改心したなどと言ってみても、それで加害者が幸せになっていくのはどうも納得がいかないとも思う。亡くなった被害者の時間は止まってしまい、家族など親しい人たちとの時間も止まってしまっている。つぐないが果たして可能なのかどうか? 生き返らせてくれない限りはつぐないなどは無理なのではないでしょうか?」
「人の命を失わせたのですから、自ら命を捨てることで償って欲しい。 犯罪者には人権は存在しない。否犯罪を犯すと同時に人権を捨てたのだ」
「死刑は被害者関係者の心情的な部分のために必要であると考えます。そのため殺害状況などにより一概には言えませんが、例えば山口県光市のような件については、当然命をもって償って欲しいと思うでしょう」
「殺人犯が刑務所に入ること自体が無駄。服を着、食事をし、テレビを見たり、本を読んだり、そして夜は布団で眠る。被害者の無念を思うと、一切が無駄に思える。 犯罪者は、擁護されることなく、孤独に朽ち果てるべき」
「被害者よりも苦痛を与えるのが普通。したがって苦しませてから死刑でよい」
「償ってなどほしくもない。ただ、だまってこの世を、自分の住むこの世界から消えて欲しい」
「やはり、相当の苦しみを与えて死んで欲しいです。亡くなった人は帰ってきませんが、何度も何度も考えてもこの結論に至ります」
「人を殺した場合、反省や気持ちじゃ償えないという気持ちは変わりません」
「ほぼ死刑のみです。人の命を人権など関係なくある日突然 奪うような犯罪者にはもはや人権などありえません。 また再犯を犯す者も多く更正は考えられません。かといって終身刑で国の税金で生かすことも許せません。光市母子殺害事件においては人権派の弁護士によるセカンドレイプ、サードレイプも行われ、死刑反対の意味がわかりません」
「裁判で真実を伝え、心から反省し、命をもって償う」
「やはり死んで欲しいです。死刑という刑罰があれば、犯罪を抑制できると思います」
「戦争以外での殺人は、全て自分の意志で行うものであり、何らの事情であれどもその行為に軽重は存在しない。また、人の死には何の償いも出来ない。ましてや生きる人権や尊厳を奪う者に償いなど出来るとは思えない。死刑や懲役は償いではなく、単に犯人の諸権利を剥奪し、犯した犯罪に見合った罰である。よって、その罰は理由の如何を問わず受け入れなければならない」
「命を奪われる恐怖を自らも受ける事で被害者の痛みが初めてわかると思う。死を以て償って欲しい」
「死刑・自らの命を持って償うべき。どんな人間にも生きる権利は有るが 【他人の生きる権利を奪った人間】 に生きる資格は無い。私なら加害者の更生より 【加害者(殺人犯など)のような社会不適合者の排除・抹殺】を望みます」
「当然死刑で償うべきです。 死刑制度廃止などと言う事自体理解できません、当事者でない人間が加害者の人権擁護などと奇麗事を主張するべきでないと思う」
「悪質な殺人者に対しては法が被害者、遺族に代わり加害者を死刑に処してもらいたい。西洋世界ではキリスト教の教えなのかどうか知らないが日本の死刑制度を批判する国、団体がある。日本には日本の文化、風土があり法で裁きを受けた者の死刑判決とその執行は法治国家として何ら矛盾するものでない。 悪質な殺人者が刑務所で血税を使い三食昼寝つきで一生生きることは許せない」
「死を持って償うべき。ただし完全なる謝罪と反省をして死刑してほしいが。人を殺したという意識を一生持ち続け、精神的な罪悪感を以って償い続けてほしい。そのようなことが期待できない人格の持ち主であるならば、殺された人と同様に死の恐怖を体感することによって償ってもらいたい」
(3)「できない可能性が高い」を選択した方にお聞きします。その理由を以下から選んでください。
・死刑制度に反対しているため 6票
・冤罪の可能性が拭えない場合もあるため 1票
・その他(自由記述) 5票
<「できない可能性が高い」を選択した方の主な自由記述>
「怖い」
「ここに『死刑制度に反対しているため』という選択肢がある以上、(1)には『しない』という選択肢が必要であろう。しかし実はそのようなハッキリした選択肢よりも『~と思う』の方が、そしてそれよりも『~の可能性が高い』の方がより選択し易いのである」
「国家が人命を奪う死刑制度に反対であり、人が人を裁く裁判で冤罪の可能性はぬぐえず、死刑が執行されてからでは遅い」
「確かにこの世界には犯罪者がいるとおもう。しかしそれらを死刑にしてしまっては今度は我々が人殺しになってしまうのではないかと思った。この世界に死んでもかまわない人などは一人もいないのだから・・・腰抜けと言われてもかまわない。それでも容疑者は一人の人間だから。私はそう思った」
(4)そのほか、裁判員制度や裁判員の評決について自由な意見をお書きください。計53件の意見が寄せられました。その一部を記載します。
「市民が判断するのは怖い」
「刑事裁判は国対被告人の争いであり、法と行為の関係が問われるところであるが、遺族などが出て来て感情に訴えようとすることは司法の質の低下をもたらすものである。裁判員はこの司法の質の低下に対してあまりにも無防備なのではないだろうか」
「裁判員裁判で初めて死刑評決が出された。一般の市民が司法に参加する意義は大いにあるが、死刑の判断と責任を一般の裁判員に負わすの酷である。死刑が執行された場合、評決に加わった裁判員の心理はどうであろうか。自分が裁判員であれば、自分の判断で人の命を奪ったという思いを一生持ち続けるだろうと思う。だから、死刑制度自体廃止すべきであると思う」
「人を裁くには、法を全く犯したことのない人間でなくてはならないと思う。自分の事を棚に上げて人を批判したり評決を決めれる立場にない人が多いと思う。完璧な人以外人を裁く事は出来ないです」
「裁判員制度そのものが国民の強制的な徴用であり、恐怖を感じる。裁判員制度そのものに絶対反対であり、呼び出しが来ても断固として出頭を拒否する」
「死刑は憲法の禁止する残虐な刑罰だと思います。もちろん、遺族感情なども考慮すると簡単に死刑を否定できませんが、少なくとも自分が裁判員になって死刑を宣告するのがやむをえないと考えるのは難しい」
「日本の裁判における罰則は、更正を前提としています。判決の中に『反省』や『社会的制裁』が量刑に盛り込まれます。裁判員制度は、その理念とは合致しないような気がします。被害者(遺族)の感情を考慮して判決を考えると、犯罪に対しての量刑が重くなり、『目には目を、歯に歯を』の論理が通用するから、賛同できません」
「素人の感情で刑罰を決めるのは適切ではない。裁判員裁判そのものを直ちに廃止してほしい」
「今回のアンケートの設問内容は漠然としていて失敗の感がありますよ・・・。今回のアンケートに答えられるのは『死刑制度の反対している』人か、被告人をハナから『謝罪や更生が期待できない』と決め付けている人か、極端にどちらかのタイプかと思います。検察が『死刑』を求刑する裁判でも、事件ごとに判断材料が全く異なるでしょう。『死刑を評決せざるを得ない犯罪』の事件もあれば、『冤罪の可能性が拭えない』事件もあります。出来る限り公平な視点から評決したいという裁判員であれば、裁判を担当した事件の内容や被告人の印象等によって『死刑の評決ができると思う』ことも『死刑の評決ができない可能性が高い』と思うこともあるのではないでしょうか。いろんな面で難しいのでしょうが、一事件を例にして今回のアンケートされるなら意義のある集計結果になると思います」
「裁判員制度での裁判員選考には、なるべく偏りととられそうな選考は再考の余地があるとしか言いようがない。6人の裁判員が選ばれるなら、男女3人ずつとか、年齢を均等にして選考するとかの対応は必須であると思います。正直言えば、女性が多ければ死刑は求刑されづらいでしょうし、男性が多ければ逆も然りといった所でしょう」
「外国人参政権が可決され中国人移民が爆発的に増えた場合、中国人裁判員が増え中国人犯罪者が不正に無罪になるという危険はないだろうかと思っています(世界各国の動向を参考にここは心を鬼にしてあえて差別をさせていただきます。)」
「裁判員裁判が始まって感じたことは、国民が裁判に参加しても、余計ややこしい感じがするだけで国民の感覚で裁判が行われるわけではないこの判決は非常に不服だ」
「死刑の判決が出来るかというより、やらなければならないでしょうね。日本はとかく被疑者の人権優先で、被害者の人権は蔑ろにされている。被害者だって進んで死にたかった訳じゃない。その人の生きる人生を強制的に奪った罪は、その犯罪と同じ重さでなければ、償われた事にはならない気がします。でなければ、被害に遭われた家族の気持ちが救われない」
「これまで注目の裁判員裁判は、判決後に顔を伏せてはいるものの裁判員がメディアの前でインタビューを受けている様子が報じられてきた。しかし今回の『耳かき店員殺人事件』においては裁判員が表に出る事は無く、しかも死刑か無期かの評決割合の結果さえも明らかにされない。こんな程度なら、死刑判決の可能性がある事案の場合は裁判員制度など弊害にしかならないと思う。さらに問題なのは、裁判員裁判(一審)をやたらと尊重しようとする法曹界の姿勢だ。これでは三審制の意義がかすんでしまう。法曹界自らが己の価値を貶めているようにしか見えない」
「裁判員に選ばれた方は臆することなく死刑を下すべきです」
「犯人が死刑に値すると判断すれば評決できると思います。偶発的な事故でもない殺人で、『2人まで死刑にならないヨ』とか『少年だからOK』とか、判例が異常であると考えるべきです。ましてや『反省してる』とか『精神状態が普通ではなかった』などで犯人だけが生き延びている現状は、波風を起こしたくない裁判システム全体の思考停止に思えて仕方ありません」
「プロの法律家にまかせるべきだと思う。それを専門に勉強しているのだから」
「法律を知る専門家ではなく、一般人の想いが反映される裁判員制度は良いと思います」
「死刑判決理由に、被告の更生可能性が加味されることがあるが、死刑相当の犯罪を犯された被害者及び被害者親族にとって、被告の更生など最早どうでも良いだろう。応報感情を満たす、すなわちハムラビ法典のように殺人犯には死を課して復讐したいと願うのが自然の感情であろう」
「死刑と無期懲役の間に、終身刑を設置することを考えたらどうか裁判員に死刑の評決は、酷だ何のためにこの制度を作ったのかわからない」
「自分の心の傷になりそうで、気は進まない」
「耳かきエステの事件で裁判員になった人に聞きたい。もし女の子が違う職業(たとえば大学生)だったとしても無期懲役の評決を下したのかと。被害者にも落ち度があったと思う気持ちは少しも存在しなかったのかと。反省していると言うが本当に反省しているかどうかは本人しか判らないと思う。裁判員に対して被害者感情にながされてはいけないという弁護士がいるけれど、それならば情状酌量に考慮する必要もなく、犯人の生い立ちとかいう事も考えず殺人という事実だけで判断すればいい。そもそもこんな重要な案件を素人に判断させる意図はどこにあるのか?死刑判決を少なくして廃止の方向に持って行こうとしているのではと勘繰りたくなる。私個人は奪った命は返さないといけないと考えているので死刑の評決は下せる。死刑廃止と冤罪防止は違う観点で議論するべき事」
「死刑の評決ができないなら裁判員制度なんてやめろ。裁判官の足を引っ張るだけじゃないか」
「理性ある人間のすることじゃないと、思えるようなあまりにも残虐な事件が多い。日本は他の国に比べて司法制度が遅れ過ぎだと思う。未成年だからとか情緒不安定だったとかそれなら何をしてもいいのかと今までのやり方ではこれから先、もっと惨たらしい事件が増えてくる様に思う。裁きとは何か。普通の人は超えない一線を越えてなお、後悔、或いは懺悔の気持ちのない人間は、化物だとさえ思う世の中になってきていると思う。裁判員制度はみんなが考える機会を持てる、大事な制度だと思う」
「できるなら死刑の評決はしたくないが、裁判員に選任され刑法で死刑があるのなら仕方ない場合もあると思う。裁判員制度や死刑制度が賛否両論あるが、その制度が実際に運用されている以上、個人的な理由(死刑は責任が重すぎる、など)で反対するのはおかしい。ルールの中で最大限やるしかないと思う」
「凶悪殺人犯が再び一般社会に戻ってこない様にするために日本で唯一用意された刑罰が死刑である。そうなる事を承知の上で他人を殺めた者は死をもって罪を償うのは全く当たり前の話である。一方死刑廃止論者は一度家族を殺されでもしない限りその必要性に気が付かぬ愚か者である」
「密室でやらず公開でするべき、遅れている」
「人の命の尊さ重く受け止めさせるためと、再犯が多く、一般人の意見を述べるのは大切、裁判員制度は大賛成です。しかし不安を抱える一般人がなった場合、適切な判断が出来ないため少しでも不安を考えている人はなるべきではない、本当の裁判として意味をなさない」
「裁判は専門家の判断に委ねるべきで、裁判員制度は素人が量刑まで判断する滅茶苦茶な制度。素人である私の考えでは、たとえ『更生』の可能性があったとしても、『目には目を』『殺人には死刑を』の復讐としての要素が必要であり、積極的に死刑の評決を下す」
「目には目を、が基本である。罪を犯した後、反省するのは当たり前。それが刑を軽くすることとは無関係。あくまでも為したことの責任を負わせるのが裁判だと考えている。死刑は、それに相当する罪を犯した犯罪者には当然の選択肢である」
「冤罪の可能性を考えると確かに悩むと思う。終身刑を導入しようと言う考えもあるが、受刑者にかかる費用は税金。オウムの松本のような受刑者だったら悩まずに処刑出来るが。罪を憎んで人を憎まずとは被害者感情から無理。もっと国民全体が死刑制度に真剣に向き合って考えるべきだ」
「むしろ死刑のハードルが高すぎるし死刑反対なら人権剥奪強制労働終身刑をかわりに作るべき。死刑反対派は冤罪を必ず持ち出す明らかに冤罪でない凶悪事件はどうだと聞くとごまかす」
「死刑の評決は、しなければならないと思います。但し、難しいと思います。裁判員の迷いや自己保身で死刑を評決できずに、無期懲役になるのでは、遺族側としては無念でなりません。裁判員制度は、一般人が参加することで既に達成しています。一般人は死刑を出すことなんて簡単にはできません。だからこそ、法曹界の方々にはこれまで以上にプロ意識を持って、困難な事案に取り組んでいってもらいたいと思います」
「陪審員のように量刑は決めないで有罪/無罪の判定をするのがよいと思う。素人に刑罰まで決めさせるのは荷が重い。それは裁判官の仕事」
「裁判にかかわりたくない。プロがやればいいこと」
「死刑があることにより重罪の抑止になると思う。また、被害家族の心情を考えた場合、犯罪者に死刑がないのはバランスに欠ける」
「冤罪をなくすためにも物証、状況証拠のみならず自白、現行犯であり、意図的に殺人を犯し、更生の余地がない被告は死刑に処すべきである。これが法治国家であり、これだ悪質犯罪への抑止力となる。但し、罪を真摯に認めて強い懺悔の日々をおくり、また被害者への供養の心で日々生きている被告には罪を減じ『無期懲役』に処する寛大で慈悲の心を示すべきであると考える」
「日本の刑務所は諸外国に比べて制度に遅れを取っている。死刑制度もそうだし、懲罰傾向ばかり高くて更正に力を入れていない。刑務官の資質にも問題がある」
「死刑制度が厳然と存続する以上は『死刑』判決は当然である。また、検察が求刑していない場合でも『死刑』判決が出すことがあってもいい。一方で、『冤罪』を避ける意味でも、警察、検察の取り調べは『弁護士の立会』と『視覚化』を実現すべきである」
「裁判員制度に関しては、最初は不安がありましたが、今はもし自分にも通知が来たらぜひお受けしたいという気持ちになっています。『民意』を反映させる、これはとても大切なことだと思います。一方で、民意は報道などで簡単に誘導できる、一歩間違えば諸刃の剣何だということも分かっているつもりです。私達も、安易に流されず、しっかりと情報や報道を精査して選択していく必要があるなと最近、特に思っています。(BNN+さんは応援していますよ、うちに来る某地方新聞よりも信頼しています)」
「そもそも日本の量刑は甘過ぎる。目には目を・・・この位の法尺度が必要だ。自分が裁判員に選任されたら躊躇無く死刑評決を出すだろう。無期懲役という中途半端な量刑も廃止すべきで、死刑の下は終身刑でよいと思う。自分のように裁判員に選任されたい人間に裁判員をやらせればよい」
「できない人は、裁判員にならないほうがよい」
「有罪か無罪かを決めるのみにするべきだと思う。量刑まで裁判員に決めさせるのはやりすぎ」
「何故この制度が出来たのか分からない。検察審査会の怪しさと似ている」
「勇気がいるけど死刑のボタンを押す刑務官よりはマシ」
「以前の日本社会では考えられなかったような、稚拙かつ身勝手な理由で無実の市民が理不尽かつ残虐に殺害される事件が増え続ける様を、国民は目の当たりにしてきた。がそれにも増して残念なのは、プロの裁判官の殆どが過去の判例に未だに囚われ続けており『二人以上殺していない』『裁判では殺意を否認している』『被告は反省している』『被告には更正の余地がある』『被告は当時精神耗弱状態だった』等々惨殺された本人と残された遺族には到底納得出来ない世迷言を並び立てる判決が後を経たず、凶悪犯が易々と極刑を免れ残りの人生を私達の血税でしっかりと保護保証される世の中が続いている事。そうした理不尽な状況の是正に少しでも繋がれば、との願いが裁判員制度の『法の心』であるならば、(事件当時の現場写真を見せられた衝撃によるトラウマや、目の前の人間に極刑を言い渡したというある種の贖罪意識で生涯苦しむ可能性がかなり高いが、それでも)日本の世の中に存在するべき『正義』を維持するためなら、国民の一人として(不運にも選ばれてしまって、不運にも死刑判決しかありえない様な事例に当たってしまっても)必要と思われる評決を行うしかない。少なくとも自分が裁判員の立場でなければ『明らかに死刑判決しかない』『こんなに残虐な殺し方をして何故死刑にならないんだ』と考えるであろう事件であれば、自分自身の残りの生涯の懊悩や苦悶を覚悟の上で死刑の評決に一票入れるしかない。だからこそ、どうしても許せないのは、『最初から政治的宗教的信念とやらで死刑執行命令に署名する気のない法務大臣』と『そんな人物と知りながら任命した総理大臣』である。素人の市民・国民に対して、下手をしたら精神的に破綻しかねない危険な『国民の義務』を無作為に強要しながら、実はラストアンカーたる国家権力による死刑執行が何ら担保されていない現政権には、国家を預かる資格はない。民主党は『恥』を知れ」
多くの方から貴重な意見を寄せていただきました。ありがとうございます。
アンケートの結果は、死刑の評決が「できると思う」を選択した方が全体の88.3%、「できない可能性が高い」は6.7%でした。
裁判員が死刑の評決をできるか否かは、裁判員制度や死刑制度の是非とも密接に関わる問題です。
内閣府が今年2月に発表した世論調査では、「場合によっては死刑もやむを得ない」とした国民が85.6%に及び、「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」の5.7%を大きく上回りました。「死刑をやむを得ない」とした比率は、2004年の前回調査よりも、4.2ポイント上がっており、年々上昇する傾向が強まっています。
殺人事件の総数は、一時期を除いて現在まで減少していますが、被害者に全く落ち度がなかったり、面識のない人を殺害するなど、残虐かつ身勝手なケースは後を絶ちません。
昨年5月に始まった裁判員制度は、公判準備に時間を要したため、死刑の適用が議論される事件の審理は、スタートから約1年半を経て始まりました。
鹿児島地裁で11月17日に結審した裁判員裁判は、強盗殺人の罪に問われた被告に死刑が求刑されました。裁判員裁判で無罪を主張する被告に死刑を求刑したのは初めてのケースです。続いて11月19日の仙台地裁では、男女3人を殺傷したとして殺人罪などに問われた少年に初めて死刑が求刑されました。
このように、裁判員は今後の評決でも極めて難しい判断を迫られることになります。
今週の「365アンケート」は、11月22日からの1週間、「政府は沖縄県新知事にどう対処すべきですか?」のテーマで実施しています。ぜひ、ご参加ください。
※このWebアンケートは統計手法に基づくものではありません。そのため、集計結果は必ずしも世論を反映した内容になるとは限りません。
現在実施中のアンケート
http://www.hokkaido-365.com/news/2010/11/post-1449.html
アンケート投票画面
https://www.crossmedia-hd.co.jp/cgi-bin/hokkaido-365/enquete/form.cgi