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[367] SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/01/01 00:23
始めに。

明けましておめでとうございます!

初めまして、namelessと申します。こちらへの投稿は初めてとなります。
内容は……とにかくフェイト最強と言うか、至上主義なので、お嫌いな方はご注意を…。まだサッパリな話ですが、これから分かっていく……筈……だと思います。
出来はともかく、少しでも楽しんで頂けたり、何かの形で利用して頂ければ幸いです。
それでは・・・。



[367] Re:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/01/01 00:26
 【SO3:フュア・インマァ】

 ミカエルは問う
 「“ガイア”の魂は砕け散った。お前はどうやって“紡ぎ手”になるつもりだ?」

 フェイトは答える
 「砕け散っただけで、消滅はしていない。必ず見つけるさ」

 ガブリエは問う
 「出来るはずがない。いくつに分かれたのかも分からないのだぞ」

 フェイトは答える
 「諦めたら、そこで終わりなんだ。何もしないで待つよりは上策だろ?」

 ラファエルは問う
 「我ら四天使の力もやがて消える。方法はあるのか?」

 フェイトは答える
 「もう一度、始まりに帰って歩み直せばいい」

 ウリエルは問う
 「それしか方法は無い…か。しかし……お前はそれでいいのか?」

 フェイトは答える
 「構わない。もう……僕は生きすぎた」

 四天使は言う
 「「「「了解した。では行かれよ、大いなる運命を背負う者。永遠の星々の未来の為に。貴殿に父なる心“ガイア”の加護のあらんことを」」」」

 フェイトは応える
 「ああ。……ありがとう……」






 時は遡れない
 しかし巻き戻す事は出来る
 この世界に生きるのは、自分が知っている仲間と似て非なる者
 言うなれば、自分にとっては“ダッシュ”の存在

 そして時は根元へと……。



[367] Re[2]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/01/01 00:31
 《フュア・インマァ……永遠に》


 「ねぇ、おばさん」
 「あら、ソフィアちゃん。レナスは一緒じゃないの?」
 「おばさんも知らないんですか?」
 「またファイトシミュレーターじゃないのか? さっきゲームセンターで見掛けたぞ」
 「あなた! ならちゃんと注意してよ!」
 「まぁまぁ……久し振りの家族旅行なんだ。そんなに目くじら立てなくても…」
 「久し振りの家族旅行だからこそ、皆で過ごしたいでしょう。大体、ゲームなんていつでも出来るわ。まったく、あの娘ったら……」






 強い。それしか言えない。
 速い。それしか言えない。
 敵わない。それしか言えない。

 『ショック・イルズィオーン!』

 現在自分が使用出来る中でも、最強の技。ベストタイミングで放てたと思ったのに、相手の剣士は緩やかに避けると、ショートソードを振り下ろしてくる。槍を掲げて受け止めようとしたが、刃は槍を真っ二つにたたき割り、自分の肩から袈裟懸けに斬り下げた。

 終わった。

 目の前に『YOU LOSE……』の文字が浮かび、闘技場が消え、元の薄暗い部屋に戻った。
 (私をパーフェクト負けさせるなんて…!)
 悔しい。確かに悔しいが、それ以上に好奇心が芽生える。
 少なくとも自分のゲーマーレベルは、バスケ部どころか、通っている高校内でも1,2を争うのだ。その自分を子供のようにあしらった相手。
 ドアは同時に開いた。
 ちらりと横を見たレナスの目に入ってきたのは、自分より少し背の高い、青髪の青年だった。バカンスに来た観光客…には見えず、ライダースーツのような黒い服を着て、ブラウンのコートを羽織っている。
 レナスの動きは止まっていた。
 均整の取れた横顔。厳めしくはないが、凛々しい印象を受ける表情。そして何より……深みのある、濃緑の瞳。
 青年は自分の方を向くと、微笑と共に右手を差し出してきた。
 「強いね。君。まさか女の子だとは思わなかったよ」
 優しげな声。今まで見た誰よりも柔らかい微笑に紅潮するレナスだったが、はっとして右手を掴んだ。
 「ど…どうも…。まぁ、パーフェクト勝ちされちゃいましたけど…」
 「それでも凄いさ。ハイダに来てから十二人くらいと対戦したけど、その中では一番強敵だったよ。……ええっと…」
 「レナス……レナス・ラインゴットです」
 知らない人に安易に名乗ってはならない。
 お利口な幼稚園児でも知っている常識だが、彼の微笑に、レナスは何の疑いも持たなかった。初対面ではあるが、この人は悪い人ではない……何故だかそう感じられたのだ。
 「初めまして、レナスちゃん。僕はフェイトです」
 二人の手が離れた。
 「折角だし、何か飲まない? おごるよ」
 「あ…ありがとうございますっ」
 フェイトが早々と申し出てくれたことで、自分から誘わなくて済み、些かホッとするレナスだった。






 「………あ。いた、レナス」
 「え、どこ?」
 「ほら………あれ? 誰だろう、あの男の人」
 「何!? 男!?」
 娘を持つ父親としては当然の反応だろう。
 ロキシは急いで身体を起こすと、リョウコとソフィアが見ている方に首を向けた。
 「……おいっ、リョウコ!! 何でレナスがビキニなんて着てるんだ!?」
 「あら、あの娘の水着ですよ。あれ」
 「何ぃ!?」
 「欲しいんなら、自分の金で買えって……あなたが言ったんじゃないですか」
 「覚えてない! 覚えてないぞ!」
 「やれやれ…。それにしても、誰かしらね」
 水着姿で砂浜を歩くレナスの隣には、彼女よりもやや背の高い、ジーンズにTシャツの青年がいる。楽しそうに話し掛けるレナスに、微笑しつつ答える青髪の青年。
 こちらに気付いてはいないらしいが、徐々に近付いてきている。
 「レナスーー!!」
 ソフィアが手を振り、彼女に呼び掛けた。レナスもようやく確認したらしく、手を振り返し、青年の手を引っ張って駆けてくる。
 「あっ、あの野郎! 手なんか握りやがって! 離れろ! 消えろ! 千切れろ! 死ね!」
 「あなた……ちょっと黙ってくれるかしら?」
 夫を軽く睨み付けると、リョウコは二人を笑顔で出迎えた。
 「レナス。そちらは?」
 「さっきファイトシミュレーターで知り合ったの。フェイトさん、私の母さんに、友達のソフィア。それにこっちが父さん」
 何気にロキシが一番最後だった。
 「ありがとうございます、フェイトさん。この娘をゲームセンターから連れ出してくれて…」
 「ちょ…ちょっと母さんっ、人を引きこもりみたいに言わないでよ!」
 「ハハハ……どういたしまして」
 軽く頭を下げるリョウコに、フェイトは微笑と共に答える。
 その微笑の威力に、彼自身は気付いていないが…。
 リョウコと、その後ろのソフィアの頬が染まっているのも、暑さのせいくらいにしか思わなかった。
 いち早く我に返ったリョウコは、レナスを手招きすると、フェイトには聞こえないような声で囁く。

 (いい、レナス。絶対に逃がしちゃダメよ)
 (んなっ……!?)
 (分かった?)
 (う…うん)
 (レナスの彼氏にすれば……ゆくゆくは私の息子って事に……!)
 (……………母さん……聞こえてます……)

 「あの~……」
 どうかしたんですか?とフェイトが尋ねようとした時、目の前に一人の少女が割り込んできた。
 「初めまして、フェイトさん。ソフィア・エスティードです」
 「あ…初めまして、ソフィアちゃん」
 「ソフィアちゃんって……呼び捨てでいいですよ。その方が親しみやすいですし」
 「でも……」
 「はい、どうぞ」
 「……じゃあ、僕もフェイトでいいよ。どうせそんなに年上じゃないし」

 彼女の早業に、母子は戦慄する。
 会って五分と経たない内に……もう呼び捨てで呼び合っている。
 完全に出遅れた。

 「ソフィアちゃん、フェイトさんと散歩に行って来たらどうだい? なかなかお似合いだし…」
 「や…やだおじさんっ、何言ってるんですか!」

 しかも、ロキシが裏切った。
 彼としては、こんな得体の知れない(確かに顔はいいかも知れないが)男とレナスがくっつくなど、論外である。そしてリョウコの反応が気に入らない。ソフィアとさっさとデキれば、まず安心だろう。
 リョウコも黙ってる訳にはいかなかった。
 「ふぇ…フェイト君っ、レナスも連れてってくれないかしら? 三人で美味しいものでも食べて来て! ね!」
 「あ、はい。じゃあ行こうか、レナスちゃん」
 「へーえ……ソフィアは呼び捨てなのに、私との間には壁作るんですか?」
 「う…。じゃ…じゃあ………レナス」
 「なぁに? フェイトさん」

 「……リョウコ。何を余計な事を…」
 「それはこっちのセリフよ。いい人じゃないの」
 「……そう言えば、どこかで見た覚えのある顔なんだが……確か…ニュースだったけ」
 「そう言われれば……」
 「しまった! 指名手配犯か!?」
 「何でそうネガティヴ思考に……」





 「お待たせ」
 一旦着替えたいと言われ、フェイトの自室前で待つ事数分。
 さっきのブラックスーツにコートを羽織り、彼は二人の前に現れた。
 「それじゃ、どこ行こうか?」
 二人も、水着の上にそれぞれ服を着ている。
 「へー。じゃあフェイトさんって、探検家なんですか?」
 「探検家って言うか……放浪してるだけだよ。行きたいところがあれば行くし、見たいものがあればこの目で見る。探検家とは違うかな?」
 「一人で来たの?」
 「いや、もう一人いるんだけど…」
 「「女!?」」
 「男だよ。テトラジェネス人の。……またどっかでナンパでもしてるんだろうけど」
 どうやらフェイトとは似ても似つかない男らしい。フェイトの右でレナス、左でソフィアが手を繋いでいるが、二人とも流石にそれ以上になる勇気はない。
 「……あれ? この看板…」
 廊下をブラブラ歩いていると、角に立て看板が設置されていた。
 「何々……“ロセッティ一座控え室につき、関係者以外の立ち入りを禁じる”……」
 「ロセッティ一座?」
 「あ。そう言えば今夜のディナーで、旅芸人のショーがあるって言ってたわ。きっとそれよ」
 「……え? あ、フェイト!」
 ソフィアが慌てて呼び止めようとするが、彼は構わずに近くのドアを開けた。取り敢えず近付いてみる二人の背中に、不意に幼い声が掛かる。
 「もうっ、何してるの?」
 銀髪の、小さな女の子だった。小麦色の肌は日焼けではなく、地肌の色らしい。
 「ここは関係者以外立ち入り禁止って………」

 「久し振り。“未来の大スター”さん」
 「!?」

 そう言って振り向いた青年に、少女はあっと声を上げる。
 「フェイトちゃ~~んっ!!」
 少女は驚くレナスとソフィアの間を抜けると、身軽そうなジャンプでフェイトの腰に抱き付いた。
 「久し振り、スフレ。覚えててくれたんだ」
 「当たり前だよ! あたしの最初のファンなんだから!」
 フェイトは微笑んでスフレの頭を撫でる。他の人間がやったら「子供扱いしないで!」と怒鳴り付けられる行動なのだが、少女は嬉しそうに笑い、更に抱き付いた。
 当然、置いてけぼりの二人は面白くない。
 「フェイトさん。その子は誰ですか?」
 「え? ああ、スフレ・ロセッティ。ロセッティ一座の一人で、期待の新人だよ」
 「……フェイトちゃん。この人たちは?」
 「ロキシ・ラインゴット博士の娘さんで、レナス。それに、ソフィア。さっき知り合ったばっかりなんだけどね」
 「「「……よろしく」」」
 笑顔で挨拶する三人だったが、目は笑ってなかった。
 「フェイトちゃんの“古馴染みの”、スフレで~す」
 「フェイトさんの“ゲーム仲間って言うか寧ろ心の友の”、レナスで~す」
 「フェイトの“妹的存在である”、ソフィアで~す」

 稲妻を発生させる三人を余所にして、フェイトは突然背筋に走った悪寒に、冷房が故障したのかと本気で疑っていた。





 ドオオオオオオンッ

 ヴーッ ヴーッ ヴーッ

 稽古があると言って、渋々スフレが戻ってから数分後。
 ホテル・グランドディアを突然の爆音と、衝撃が襲った。

 「こっちです! 早く!」

 警備員が叫ぶ。カンカンカンッと軽快な音を立てながら、三人は非常通路を駆け抜けていった。
 「大丈夫かな……父さん、母さん…」
 「今は自分の身を心配した方がいい。きっと大丈夫だから…」
 そう、フェイトは知っている。
 襲撃者はバンデーン。
 狙いは……たった四人の人間。
 ロキシ・ラインゴット
 リョウコ・ラインゴット
 レナス・ラインゴット
 ソフィア・エスティード
 そしてこの四人は、殺される心配はない。
 紋章遺伝子学最高の学者と、その助手と、紋章遺伝子操作を受けた二人の少女は。

 「ぐあぁぁっ!!」

 背後で悲鳴が上がり、思わずレナス達は振り返る。
 胸を打ち抜かれ、警備員の一人が倒れていた。更にその向こうには、フェイズガンを構えたサメ人間……バンデーン人が近付いてくるのが見える。二人だ。
 「いたぞ!」
 「急いで連絡を…」
 が。

 どごぉぉぉっ…!

 二人のバンデーン兵は、背後から迫ってきた何かに思い切り激突され、硬い床の上に沈んだ。
 大男だった。倒れたバンデーン兵につまづき、驚いたような声を上げながら転び、そのままごろごろとローリングしてくると、目の前の壁にぶつかった。
 「……あだだだだ……!」
 緑色の髪の男は軽く首を振りながら、ふと三人に目を向ける。
 「あの…だ…大丈夫ですか?」
 心配したレナスが近付こうとした時。

 「むっ! B79! W52! H80! 顔レベル8! お嬢さーんっ!!」
 「きゃあああああっ」
 「こんの大バカ野郎ぉぉ!!」
 「どぐらめばっ!?」

 上から順に。
 ギラギラした目でレナスに飛び掛かってくる男。
 一瞬でスリーサイズを当てられたのと、男の迫力に、悲鳴を上げるしか出来ないレナス。
 キャノンスパイクをぶちかますフェイト。
 それをまともに喰らい、悶絶する男。

 「な…何でこの人…私のスリーサイズを…!」
 「ゴメン、レナス。無駄に目がいいテトラジェネス人だから…」
 フェイトはそう言うと、未だに転げ回っている男の頭を叩いた。
 「ほらっ、アレックス。まだ敵はいるぞ」
 「ふぇ…フェイト……頼むからもうちっと手加減を…」
 男は、テトラジェネス人だった。
 両目と中眼、全て涙が滲んでいるのを見ると、よほど痛かったらしい。それでも何とか立ち上がると、コートの内ポケットから銃のようなものを取り出した。
 新手の三人のバンデーン兵が、フェイスガンを構えている。
 「任せたぞっ、アレックス!」
 「おうっ」
 アレックスと拳をぶつけ合うと、フェイトは二人を担ぎ上げた。
 「えっ…!?」
 「ふぇ…フェイト!?」
 「ゴメンっ、急ぐ」
 レナスとソフィアを肩に担いだまま、彼は韋駄天のように走り去る。
 「くそっ、アイツ等だ!」
 「逃がすな!」
 アレックスに向かって、三筋の光線が襲い掛かった。

 「させるかよ……」

 ドドドゥッ……

 彼の銃から撃ち出された三筋の光線が、襲い掛かってきた同数の光線とぶつかり、相殺する。
 「!?」
 「バカな…レーザーに当てた!?」
 「悪いな…フェイトに“任せられた”んだ」

 ドドドゥッ……

 瞬時に三回トリガーを引き、再び三筋の光線が撃ち出された。直線にしか走れないレーザーだが、一直線に三人の頭を貫く。
 通路の向こうに、また新手が現れた。

 「いくらでも来いよ、ジョーズ共…。“フルブレイカー”の異名は……伊達じゃねぇんだぜ?」





 父さんも…母さんもいなかった。
 輸送鑑ヘルアをくまなく探したのに。
 あの人…アレックスさんは大丈夫だったのかな?
 フェイトさんは大丈夫って…何故か力強く言ってたけど。
 そんなに信頼してるってところが…少し嫉妬しちゃうな…。
 しかも、本当に来たし…。
 ……あれ? それから?
 それからどうしたの?

 「目が覚めた?」
 「!!」

 周囲に設置された計器類。座席…。
 「運良く二人乗りの脱出ポッドが空いててね……」
 「フェイト…さん…!?」
 前の座席に座っている彼は、様々にシステムをいじっている。
 「ソフィアは…?」
 「ああ、アレックスと一緒に脱出ポッドに乗ったよ。……大丈夫、妙な真似するなって釘刺しといたから…」
 どうでもいい事しか言わないフェイトの言葉に、少し安心させられた。
 「疲れてるんだろ? もう寝なよ。危険度の少ない星を探してるから…」
 「……はい…」
 レナスは目を閉じると、再び眠りへと落ちていく。
 フェイトは目的地を設定すると、深々と座席に凭れ、微かな声で歌い始めた。

 さあ歌おう……

 僕らの為に……皆の為に……

 僕らと皆の末々代の子孫の為に……

 くろがねの刃は彼奴の心臓へと……

 しろがねの刃は彼奴の臓腑へと……

 あかがねの刃は彼奴の四肢へと……

 我らが勝利なるぞ……我らが勝利なるぞと……

 黄金のラッパを吹き鳴らし……

 父なる心へと届かせよう……

 我が父我が母たる彼の心へと……



[367] 取り敢えずの人物設定
Name: nameless
Date: 2005/01/08 22:00
 【フェイト(外見は19歳)】LV.測定不能

 種族:地球人(超越者)

 武器:主に刀剣類を好んでいる

 主技:ブレード・インフィニティ(元ブレード・リアクター)
    コメットボルト(元ショットガンボルト)
    ソード・オブ・ヘルヴァーナ(元ブレイズ・ソード)
    アブソリュート・エッジ(元アイシクル・エッジ)
    テンペスト・ストライフ(元リフレクト・ストライフ)
    ヘルモーズ・ドライブ(元ライトニング・バインド)
    モータル・エアレイド(元ヴァーティカル・エアレイド)
    クロノス・ディグニティー(元ストレイヤー・ヴォイド)
    ザ・スピリット(元ディバインウェポン)
    エンピリアル・ブラスト(元イセリアル・ブラスト)

    チリアット・サークル(牙剥く円陣)
    フェイタル・アトラクション(フェイトの魅了術)
    ディスティンクション(消滅:元ディストラクション)

    他、神宮流体術,備前抱雷流活身術等……

 紹介:時間が消滅している為、年齢が存在しない青年。三年ほど前に突然出現し、ブラックリストハントを主業とする私設軍団『天啓』を組織し、その翌年『CSD(クリスタル・スフィア・ドーン)財団』を立ち上げた。が、財団が軌道に乗ると、さっさと後任を決めて引っ込み、現在は宇宙を気ままに旅している。彼が集めようとする『ガイア』が何なのか、知る者はいない。性格は優しく穏やか、そして頑固な一面もある。よく甘い、現実知らずと言われるが、その甘さを貫き通すほどの強さを持つ。密かに天然ジゴロと呼ばれている事を、本人は知らない。



 【レナス・ラインゴット(17歳)】LV.9

 種族:地球人

 武器:槍

 主技:ショック・イルズィオーン(幻影衝撃)
    ブラオ・ビュッフェル(青い水牛)
    フランメ・クライゼル(炎独楽)
    ブリュウナーク(聖なる光槍)
    ヴォルケンクラッツァー(摩天楼)
    ロートクリンゲ・ライゲン(赤刃円舞)等……

    ニーベルンゲン・ヴァレスティ
    ディストラクション(破壊)

 紹介:地球人の女子高生。ディストラクション能力を付与されている。紋章遺伝学の権威、ロキシ・ラインゴットと、その助手リョウコとの間に生まれた一人娘。抜群の運動神経を持ち、女子バスケ部ではエースとして弱小校を準優勝にまで導いた。趣味はファイトシミュレーター、クリエイティブな事。基本的に優しく穏やかな性格だが、頑固な一面を見せる事もある。



 【ソフィア・エスティード(17歳)】LV.3

 種族:地球人

 武器:杖

 主技:(紋章術)
    コネクション(接続)

 紹介:地球人の女子高生で、レナスとは同級であり親友。コネクション能力を付与されている。好きなものは猫。数多のゲームヒロインの中でもかなり嫌われがちな少女だが、少々嫉妬深いだけで、実際には夢見る乙女(?)。書き手によって半端じゃなく性格が左右されるそうなので、私に絶大なプレッシャーを与えてくれる。



 【スフレ・ロセッティ(14歳)】LV.3

 種族:ペルペイズ人

 武器:バングル

 主技:(舞踏)

 紹介:宇宙を股に掛けるサーカス一座・ロセッティ一座の看板娘。座長・タルトレットの養子となっているが、本当は姪っ子であり、実の父親は銀河連邦軍のヴィスコム提督。
幻惑の妖精という異名を持つ(自称?)、未来の大スター(自称)。サイン一つで星が買えるくらいにのし上がる予定らしい。



 【アレックス・エルゼンライト(25歳)】LV.310

 種族:テトラジェネス人(アバター)

 武器:神魔銃ウェズルフェルニル

 主技:(召喚術)

 紹介:テトラジェネス艦隊第101師団を率いていた少佐。第三次テトラジェネス大戦の撃墜王。FD世界のフラッドという少年の使用キャラだったが、フェイトによってその呪縛を解かれてからは軍を辞め、彼に協力している。ロリからボディコンまで幅広いストライクゾーンを持ち、獣少女やサキュバスタイプに萌えるダメ大人だが、フェイトが絶対的信頼を置くほどの射撃能力を有する。今年の抱負は、伝説の女体盛りを食す事らしい。



 【クリフ・フィッター(36歳)】LV.13

 種族:クラウストロ人

 武器:ガントレット

 主技:神宮流体術クラウストロ派(奥伝)

 紹介:反銀河連邦活動組織「クォーク」の前リーダー。年齢よりも外見が若く見えるのは、種族的特性のようだ。が、フェイズガンの光線を避けるのは、年齢的制限により一日一回しか出来ないらしい。兄貴肌の男。



 【ミラージュ・コースト(27歳)】LV.28

 種族:クラウストロ人

 武器:ガントレット

 主技:神宮流体術クラウストロ派(皆伝)

 紹介:反銀河連邦活動組織「クォーク」の幹部。実家の道場では父親を除けば最強の戦士で、怒らせたら怖いお姉さん。ともすれば突っ走りがちなクリフの、ストッパー的存在である。まだまだ若いと思っていたが、四捨五入すれば余裕で三十路だと最近気付き、密かに傷付いている。



 【アルベル・ノックス(24歳)】LV.20

 種族:エリクール人(アーリグリフ)

 武器:刀,義手

 主技:(剣技,気功)

 紹介:軍事国家アーリグリフの三軍の一角、重装歩兵軍団『漆黒』の若き団長。強さに固執し、“歪(いがみ)のアルベル”という名で恐れられる、大陸一の刀使い。力のない者は無価値だという考え方から、味方にさえよく思われてはおらず、好意的な人間もアーリグリフ王、ウォルター伯爵、そして幼馴染みのソルムくらいしかいない。



 【ソルム・モールス(24歳)】LV.18

 種族:エリクール人(アーリグリフ)

 武器:双身刀(×2)

 主技:(四刀闘法)

 紹介:『漆黒』ナンバー3の実力を持つ、アルベルの補佐官。が、怠惰で面倒臭がりなため、本気で闘えばシェルビーよりも強い。アルベルの父・グラオに拾われた孤児で、幼い頃からアルベルと一緒に過ごしてきた。“虚(うつろ)のソルム”と呼ばれるが、昼行灯扱いされる事が多い。



 【ネル・ゼルファー(23歳)】LV.13

 種族:エリクール人(シーハーツ)

 武器:ダガー

 主技:(施術,忍格闘術)

 紹介:聖王国シーハーツの特殊隠密部隊・封魔師団『闇』を統率する部隊長。任務のためには私情を捨てるべきという考えだが、根は優しい女性。部下のファリンとタイネーブは、半ば弟子のような存在になっている。



[367] Re[3]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/01/02 02:33
 様々な星の寄り合い世帯である、銀河連邦。
 宇宙の公的存在と言える組織だが、アンチ勢力は存在する。
 主な勢力を挙げれば、ブルックリンが統率する惑星レゼルブ。
 他には……ほぼクラウストロ人で占められた、クォーク。
 現在は地球人孤児であるマリア・トレイターが指揮を執っているが、以前までは神宮流体術奥伝のクリフ・フィッター、そして神宮流体術正当後継者の愛娘、ミラージュ・コーストが核となっていた。
 「んじゃ…ちょっくら行って来るわ」
 「気を付けてくださいね、クリフ」
 その二人は現在、クォークの鑑・イーグル号に搭乗している。
 彼等の任務は、ビーチリゾート・ハイダへのバンデーンの襲撃を辛くも逃れた、レナス・ラインゴットの保護。出来ればソフィア・エスティードも一緒に確保したかったのだが、そちらの行方までは分からなかった。
 モニターには、一人の美少女の顔が映し出されている。
 「この嬢ちゃんか…」
 筋肉質の男は顎に手を当て、暫しそれに見入った。
 「さて……さっさと助けてやらにゃぁな」





 「よっ……と」
 脱出ポッドから飛び降り、野原へと着地する。指を絡め合わせて大きく伸びをすると、清浄な空気を胸一杯に吸い込んだ。
 「あ~~……美味しい」
 空気に味など無いと思っていたが、そして事実只の錯覚だろうが、そうとしか表現出来なかった。
 「ヴァンガード3号星か…。……まぁ、シンデレラとかピーターパンとか、その辺の時代に不時着したと思えばいい」
 フェイトも遅れて脱出ポッドから出る。
 「レナス、一応武器を持ってた方がいいよ。何があるか分からないから」
 「あ、そうですね」
 コンピュータを使い、この星の文明レベルに合った武器をコンポーズした。
 出てきたのは、山型の刃の三尖槍……パルチザン。
 「フェイトさんも……」

 ボンッ

 「………あ」
 レナスが武器の感触を確かめている時、小さな爆発音が聞こえた。コンピュータからモクモクと煙が上っている。
 「ど…どうしよう…」
 「あー、大丈夫大丈夫。避けるくらいなら出来るから」
 「……そうですね」
 『ショック・イルズィオーン』をかわす程の運動神経だ。別に何かを倒すのが目的ではないので、それにもし何かあっても、絶対に自分が護る。レナスはそう決心すると、フェイトの前を歩きだした。
 幸い、スライムくらいにしか遭遇しない。プニプニするそいつをパルチザンで突き刺しながら、彼女はどんどん進んでいく。
 フェイトが異常に気付いたのは、とある集落のような場所に到着した時だった。
 「レナス?」
 明らかにおかしい。それ程強敵にも遭遇してないのに、パルチザンを杖のようにして身体を支え、顔を赤くし、荒い息を吐いている。急いで額に触れてみると、焼け石のように熱かった。
 いつの間にか太腿に小さな傷を負っている。身体が弱っていたのもあるのだろう、そこからバイ菌が入り込んだようだ。
 「ら…らいひょーふれ……ふ…っ…」
 傾いたレナスを抱き留める。
 「あの…どうかしたんですか?」
 前を見ると、耳の尖った男の子が立っていた。その背に隠れるようにして、小さな女の子もこちらを見ている。
 「すまない、連れが病気なんだ。ここに医者はいないか?」
 「……ごめんなさい。もうお医者さんはいないんです…」
 男の子は明らかにこちらを警戒していた。が、背後の少女は突然駆け寄ってくると、心配そうな顔をしてレナスを覗き込む。
 「お兄ちゃん、私たちの家に連れて行ってあげようよ」
 「………」
 「ねぇ、お兄ちゃん!」
 「……分かりました。どうぞ、こちらです」
 「助かる」





 男の子はノキア
 その妹の女の子は、ミナという名前だった

 「医者がいない?」
 レナスの容態が取り敢えず落ち着き、借り部屋から出てきたフェイトは、改めてそう尋ねた。
 「……はい…」
 年齢の割にはしっかりした子だ。フェイトにスープの入ったカップを渡すと、椅子に腰掛ける。
 「みんな……殺されたんです。お医者さんも…近所の人も……父さんも母さんも…」
 ノキアは唇を固く結び、膝の上で拳を握った。
 「……良ければ、聞かせてくれないか?」
 「二ヶ月ほど前…村に突然、ノートンという男が現れたんです」
 「ノートン? オレ様王国がどうこうとか……あの頭悪そうな看板立てたヤツか?」
 「ノートンは、この村を支配すると言い出しました。勿論皆で抵抗しようとしましたが、アイツの持つ変な道具で、逆らった人は……全員消されました。食糧が少ないのも、みんなノートンにとられたからなんです。栄養のあるものを食べれば……レナスさんも直ぐに元気になってくれると思いますけど……」
 「成る程…そんな事があったんなら、僕達ヨソ者が歓迎されるワケないよね」

 キャアアアアアアッ!!

 フェイトがカップに唇を近付けた時、突然広場から悲鳴が聞こえてきた。
 「!?」
 「あの悲鳴…まさかノートンがっ!!」
 悲痛な表情をするノキアの頭を、暖かく、慈しむような手が撫でる。

 (……あ………)

 それは父親の手だった。それは母親の手だった。
 そっと首を回し、青髪の青年の微笑を見上げる。
 「ノキア。ミナちゃんとレナスを頼めるかな?」
 「フェイトさん…!? ダメですっ、今出て行ったら…!」
 「大丈夫」
 彼はヒラヒラと手を振りながら、ドアを開けた。





 食糧の詰まった木箱を積み上げ、それを演説台とし、男……ノートンは声高に喋っていた。
 彼は焦っていた。
 折角護送鑑が事故を起こし、どさくさ紛れにこの宇宙の辺境の未開惑星に不時着し、これから自分による,自分の,自分だけのための王国を築こうとしていたのに、森で脱出ポッドが発見されたのだ。
 嗅ぎ付けてきた銀河連邦ではなかったが、放っておける筈がない。
 一刻も早く見つけ出し、殺さなければ、枕を高くして眠れそうにもなかった。
 「今回の貢ぎはこんなもんかっ、ぁあ!? ……あと一週間待ってやる。それまでに不足分を用意しておけ。それからっ! この村にヨソ者が来た筈だ。もし匿ってるヤツがいるなら、大人しく引き渡せ! でなきゃぶっ殺す!」

 「言われなくてもこっちから行くよ」

 「!?」
 村人、ノートン、そしてその取り巻き達の視線が、一斉にノキアの家につながる階段へと向けられる。階段の一番下に腰掛ける青年は、光のパネルのようなものをいじっていた。
 「ええっと? ノートン・ラグロス、24歳。ゲネルカ人。殺人、恐喝、希少生物売買などの罪で懲役130年」
 「………!!」
 演説台から飛び降り、フェイズガンを片手に近付こうとしたノートンは、青年の顔を見て立ち止まる。
 「お…お前…は…!!」
 フェイトは立ち上がった。

 丸腰の彼が一歩踏み出すたびに、ノートンは一歩下がる。
 丸腰の彼が動くたびに、ノートンは震える。

 「結構殺したみたいだね? ここでお前を殺しても……うん、僕は罪にはならないな。もっとも、連邦に引き渡すのは賞金が付いた後だけど」

 最強のバウンティハンター
 宇宙の死神
 青のレクイエム

 「う…うおおおおおおっっ!!」
 ノートンは手を伸ばすと、近くにいた女性を無理矢理引き寄せ、その頭に銃口を突き付けた。今まで何人もの人間が消されたのを目の当たりにしているのだろう、彼女の顔が恐怖に引きつる。
 「く…来るんじゃねぇ! 化け物め!」
 フェイトの歩みが止まった。
 脅しが利いたのかと、ほっと安心するノートンだったが……

 「『クロノス・ディグニティー(時神の威光)』」

 青年の姿が、文字通り掻き消えた。
 「!?」
 「ほら、さっさと放しなよ」
 いつの間にか、誰かが肩に腕を回している。
 ノートンは女を解放するしかなかった。
 隣に誰がいるのか……見なくても分かる。
 しかし、有り得ない。有り得ないのだ。こんな事は…。
 「……なぁ、ノートン」
 まるで酒飲み友達の会話のように、フェイトはそっと囁く。
 「監獄が地獄……どっちへ行きたい?」
 「………」
 ノートンは何も答えなかった。
 「……?」
 フェイトの第六感に、何かが触れる。
 (これは…まさか……ガイア…!?)
 ノートンの広い額が蠢いた。ポツポツと赤い染みのようなものが浮き出始め、やがてそれは赤い菱形の紋章となる。

 「…グ……ガ………グルォォォォォ!!!」

 突然身体が光った。フェイトが跳び下がり、その場の誰もが目を庇う。
 光が止むと、ノートンはいなかった。

 <ルゥゥオォォォォォ!!>

 代わりにいたのは、真っ黒な蛇。
 全長十数メートルはあろうかという巨大さで、とぐろを巻き、真っ黒な舌をチロチロと震わせている。
 恐怖の悲鳴を上げる以前に、皆、呆然としていた。人間が、突然蛇となったのだ。
 (この大きさ……暴れられると厄介だな)
 恐らく、蛇と化したノートンでさえ状況を把握出来ていないのだろう。キョロキョロと忙しなく目を動かしているだけだったが、その隙に、フェイトは両掌を地面に押し当てた。

 「『アブソリュート・エッジ』」

 周りの土に、うっすらと霜が降りる。そして次の瞬間、突然地面から氷柱が突き出し、連鎖反応のように一直線に出現し続ける。まるで壁か、道を造ろうとしているかのように。
 黒蛇の真下からも氷柱が突き出し、串刺しにした。

 <ギュラァァァァ!!?>

 不意の痛みに、蛇は身体をくねらせる。が、氷柱のせいで動きを大幅に制限されていた。
 カパッと、黒蛇は大口を開ける。
 「!」
 フェイトは駆け出すと、未だに動かない一人の青年を体当たりで吹き飛ばした。直後、黒蛇の口から液体のようなものが吐き出され、その青年が立っていた地面が煙を上げ始める。
 「皆っ、逃げろ! こいつの唾液に触れると腐るぞ!」
 フェイトの叫びで、ようやく村人達に動きがあった。彼方此方で悲鳴が上がり、我先にと民家へ逃げ込む。
 「さてと……」
 彼は振り向くと、改めて元・ノートンである蛇を向いた。

 <ギュルルゥゥオォォォォォォォ!!!>

 蛇は狂ったように、そこら中に毒液を振りまく。フェイトのコートの裾が、僅かに焼け爛れた。
 「やっぱり…お前には地獄が似合ってるな」
 毒液を避けつつ、右手に力を込める。掌に野球ボールくらいの大きさの光珠が生み出され、あっと言う間に黒蛇の背後をとった。

 「ピッチャー第一球……」

 足を振り上げ、右手を大きく振りかぶる。

 「『コメットボルト』!」

 プロ選手でも不可能な剛速球で、光珠を蛇の身体に叩き込んだ。皮を破ったが、それは貫通せず、内部に留まる。

 <ギュル…ゴ…!?>

 「爆ぜろ」

 ドドドドドドドドドドドドドッッッ

 黒蛇の胴体が、ボコボコと葡萄のように膨れ上がった。毒液は厄介だったので、皮を突き破らない程度に威力は調節してある。
 それでも、内部を破壊し尽くすのには充分だった。
 くぐもった爆音が止んだ後、数秒ほどじっとしていた黒蛇だったが、やがて真っ白な砂の塊になると、ボロボロと崩れ始める。
 後には何も残らない。
 その砂ですら、風と共に消えていった。
 ……いや……たった一つ、残ったものがある。
 黒蛇がいた場所に落ちていた、一枚の光る円盤。CDのよう…と言うよりはコンパクトディスクそのものであるそれを拾い上げると、フェイトは溜息を吐いた。

 「“ガイア”か……。これから増々キツくなりそうだな……」





 「あ~あ……ったく、ミラージュのヤツ…」
 ようやくコーファーの森から脱出した男は、見えてきた村落にほっと安堵した。
 「随分と座標間違えてやがる。ま、脱出ポッドは改めて探すとして……」
 簡単な食事でも摂ろうと考えていたクリフだったが、ふと異常に気付く。村の中心の広場に、大勢の人々が集まっているのだ。
 (何だ? 集会でもやってんのか?)
 運動神経抜群のクラウストロ人としては、木登りなど朝飯前である。近くの樹木に上ると、先客の男に尋ねた。
 「なぁ、アンタ。ちょっと聞きたいんだが…」
 「何だよ?」
 明らかに不機嫌そうな表情で返される。
 「最近、見慣れない子供を見掛けなかったか? それと、こりゃ何の騒ぎだ?」
 「ああ……旅人風の人だろ? その人なら……」
 言葉はそれ以上続かなかった。
 広場の中心を指差したまま、男は停止している。訝しげにその男の差す方向を見たクリフも、息を呑んだ。

 真っ白なローブを身に纏った人物が、荒れた土地の中で舞っている。人集りが無ければ柵が見えて、そこが荒れ畑だと分かるだろう。

 ただひたすらに美しかった。

 松明が焚かれた間で、その天人の如き人物は目を閉じ、札のようなものを燃やした灰をバラ撒き、ひたすらに踊っている。楽士も既に死に絶えた村に、再び音楽が戻ってきたような気がした。

 舞う。そして歌う。
 土地を祝福する歌を。
 微睡む産土神の耳に届かせるように。
 再び大地に豊饒を取り戻し、豊穣の季節を迎えさせるために。

 しかし人々は疲弊している
 神よ、我らは再びあなたを祀ろう
 だからほんの少し…ほんの少しだけ、力を貸して欲しい
 あなたの命は永劫に続くが、それも人がいればこそ
 永劫でない命を持つ人のために、少しだけ力を貸して欲しい……

 荒れ畑の土が割れた。
 あっと言う間に瑞々しい緑色の草が芽生え、驚くほどのスピードで成長していく。
 周囲から驚嘆と、喜びと、感動の叫びが上がる中、ようやく舞いは終了する。
 畑はすっかり甦っていた。穀物、野菜、牧草、季節を問うことなく色とりどりの作物が実り、収穫されるのを待っている。
 皆が舞いを奉納していた人物や、畑に駆け寄っていく後ろで、クリフは取り残されたように呆然としていた。
 (これが……マリアと同じ……紋章遺伝子の能力なのか!?)
 愕然どころでは済まされない。自然法則やら科学的法則やら、それらを完全に無視しているとしか思えないのだ。いや、事実無視している。

 「ありがとうございます! 何とお礼を言っていいか…!」
 「いえ……毒液で食糧をダメにしてしまったのは、こちらにも責任がありますし。それから……一つお願いがあります」
 「何でも仰って下さい! 恩人様の頼みとあらば」
 「祠を一つ建てて欲しいんです」
 「祠…?」
 「神を祀る場所です。この季節外れの豊作は、この土地の神“アゲル”の力に依るもの。祠を建てて祀れば、“アゲル”はこれからも力を貸してくれるでしょう」

 口々に礼を言われたり拝まれたりして、困惑したような微笑みを浮かべるフェイトの元へ、一人の大男が歩み寄った。
 髪は金色。身体を覆うのは隆々とした筋肉。首にはタトゥ。
 フェイトは皆をあしらうと、その男に顔を向けた。クリフはボリボリと頭を掻く。
 「あ~~……その~~……」
 自分でもサッパリだが……取り敢えずヨソ者は、この人物しかいないのだ。
 「妙な事聞くが、お前……男だよな?」
 「うん」
 男を美しいと思ってしまった事に、改めて自己嫌悪に陥るクリフだったが、今はそれよりも重大な事がある。
 「も一つ聞くが……お前の名前って、レナス・ラインゴットじゃ…」
 「……そうだよ」
 「ちょ…ちょーっと待ってくれ。確か女子高生って聞いてた気がするんだが…」
 「お湯かけたら男になった」
 「はぁ!?」
 「因みに水かけたら女になるよ?」
 やばい、普段あんまり使ってない脳みそがオーバーヒート気味だ。
 その時、近くの民家のドアが開いた。

 「フェイトさ~んっ、お疲れさ…………誰?」





 一刻も早くレナスを保護し、さっさと任務を終了させたいクリフだったが、レナスがぐずったのと、フェイトの入れ知恵であるミナの
 「おじちゃん……ひどい」
 攻撃により、今夜一晩留まる事を余儀なくされた。同僚の女性の怒りは間違いなく自分に来るだろうが、あの歳の女の子に軽蔑されるのはかなりダメージを喰らう事態だ。

 その晩は、村を挙げての収穫祭だった。

 当然主役は英雄であるフェイトだが、レナスとクリフも同等に扱われる。クリフは、村人の一人が床下に隠していた秘蔵の地酒が気に入ったようで、幾度も杯を重ねて飲み比べする内に、誰かの家へと運び込まれていた。
 そして、宴の後。
 ミナと同じベッドに入り、添い寝していたレナスは、ふとトイレに起きた。他の部屋を見ると、ノキアもフェイトもいない。
 何人かの村人が、野ざらしで寝ている広場の中心……未だ消えていない焚き火の前に、二人は座っていた。ドアを開けて外に出、声を掛けようとしたレナスだったが、慌てて立ち止まる。
 ノキアは泣いていた。フェイトの胸に縋り付き、大きくはないが、声を出して泣いていたのだ。
 フェイトはそっと、ノキアの頭を撫でている。時間も忘れて二人を見ていたレナスだったが、やがてノキアは離れた。目の周りを赤く腫らした男の子の頭を、フェイトはくしゃくしゃと撫で続ける。
 「ずっと我慢してたんだ……ノキアは。泣かないのは強い事だけど、正しい事とも言い切れない。泣くのは、笑うのと同じぐらい自然な事なんだ…」
 「フェイト…さん……」

 ずっと……この村にいてくれませんか?

 聞き取れなかったが、恐らくノキアはそう言ったのだろうと、レナスは何故か確信が持てた。
 ぶんぶんと首を振る。
 それはイヤだ。これから知らない場所に行くのに……一人じゃ不安なのに……彼がいなくなる事など、考えられない。
 今、レナスは独りぼっちだった。
 ソフィアも、両親も行方知れずのこの状況で。
 唯一孤独感を忘れさせてくれたのが、フェイトなのだ。
 二人は互いの目を見たまま動かない。

 そして……フェイトの唇が開いた。





 「ん……」
 心地よい音で目が覚めた。
 「………」
 小鳥の囀りではない。この音は…。
 「!」
 ノキアはベッドから飛び出すと、台所に駆け込む。
 「ミナ……」
 「あ。お早う、お兄ちゃん」
 机の上には、小さな木箱が置かれていた。心地よい音楽はそこから流れ出している。
 「そのオルゴール…壊れてた筈じゃ……」
 「フェイトお兄ちゃんが直してくれたの」
 「っ! そうだ、フェイトさんは…!?」
 「……もう行っちゃった」
 頬杖を突き、寂しそうにミナは答えた。

 昨日、眠ってしまう直前……そうだ。その時、フェイトの声を聞いた。
 (ごめん……。僕には、やらなくちゃいけない事がある。でも、時々は寄らせてもらうよ? ……その時は……ノキア、今度は君に慰めてもらいたいな……)

 くそっ、何でこれだけしか覚えてないんだ。
 もっとたくさん……たくさん、フェイトさんは話してただろ?

 「そう……。ご飯にしようか、ミナ」
 「……うん」
 「大丈夫。時々顔を見せてくれるってさ」
 「本当!?」
 「ああ、本当。フェイトさんがそう言ってくれたんだから……」

 そうだ……こんなくよくよしてるワケにはいかない。
 こんな姿を見せたら、きっとフェイトさんに心配させてしまう。
 今度は僕が……フェイトさんを慰めなくちゃならないんだから……。

 オルゴールの清らかな旋律が、二人の家いっぱいに流れていた。



[367] Re[4]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/01/05 10:58
 シャッ…シャッ…シャッ…シャッ……

 そんな、何かが擦れる音が聞こえてくる。その部屋をノックしようとした兵士は首を傾げると、一歩下がり、札を確認した。

 執政官室

 間違いない、そう記されている。取り敢えず、ノックしてみた。

 コンコンコンッ

 「ラッセル様。失礼します」
 「待て!」
 普段だったら、こんな事は言われない。非日常的な反応に驚く兵士は、大理石の廊下の上で思わず飛び上がり、ノブを掴んでいた手をバンザイのように掲げた。
 「……よし、入れ」
 一体中で何が行われているのだろう。好奇心と共にその兵士はドアを開けたが、いつもの机の向こうに、いつものオールバックの中年の男が腰掛けているだけだった。
 「それで…何の用だ?」
 「はっ。本日正午、ネル様、ファリン様、タイネーブ様がペターニを出発し、アリアスへと向かわれました」
 「そうか、分かった」
 「……ラッセル様。一つだけよろしいですか?」
 「何だ?」
 「何故……ネル様達をアリアスへ? アーリグリフとの関係が比較的穏やかになりつつある今、特に必要ないのではないかと……」
 「それを知ってどうするつもりだ?」

 ゾクゥゥゥ……

 「!? い…いえっ、失礼しました!!」
 それは殺気だった。
 暗い暗い……裏の裏まで見た人間の、凄み。
 兵士がほとんど逃げるようにして部屋から出て行った後、ラッセルは深々と椅子に凭れる。カレンダーの真っ赤に塗りたくられた日付まで、あと少し。
 「三年…か」
 背後のロッカーに……その中に隠してあるものに、意識を向けた。

 「何とか間に合ったぞ。……親愛なる我が友よ」





 転送室の扉がスライドし、三人の人物が入ってくる。
 一人は、自分が良く知る筋肉質の男。
 一人は、VIPとも言うべき少女。
 そして……最後の一人は……。
 (この青年ですか…)
 ミラージュは青髪の青年を観察する。
 年齢はだいたい20歳前後だろうか。クラウストロでは見られない青空の色の髪に、吸い込まれるような濃緑の瞳。
 「あの…初めまして、レナス・ラインゴットです」
 少女は自分に手を差し出してくる。礼儀正しい娘だ。
 「初めまして、レナスさん。ミラージュ・コーストと申します。……クリフに変な事されてませんよね?」
 「待てコラ」
 テンポのいいやり取りに思わず吹き出したところを見ると、些か緊張は解れたようだ。
 「へぇぇ……いい鑑ですねぇ」
 レナスは目を輝かせ、鑑の内部を見回し始める。打算的な色などない。ただ己の好奇心に従う、本当に純真な瞳をしていた。
 「名前はイーグル号です。気に入って頂けましたか?」
 「クォークって、お金持ちなんですねぇ」

 「「!!?」」

 「……え? どうか…しました…?」
 ハッと目を見開いたクリフとミラージュに、レナスは心配そうに声を掛ける。
 「何で…分かった?」
 そう尋ねるところを見ると、クリフも未だ話してないようだ。
 「え? ……あ、フェイトさんが、クリフさんがクォークの前リーダーだって…」
 一体何者だろう。この青年は。
 さっさとシートに座ってくつろいでいるフェイトは、特に動揺もしていない。
 怪しい。それなりに裏の人間であればともかく、この何の変哲もない青年は、何故自分たちの正体を知っているのだろうか。
 「……なぁ、フェイト」
 「ん? 何?」
 二人は警戒する。怪しまない方がおかしいのだ。
 「お前は何者だ?」
 クリフも、ミラージュも自然体だが、そのオーラは完全に臨戦態勢へと移行している。無意識の内に後退るレナスだったが、それでも尚、フェイトは平然としていた。
 「僕はフェイト。旅人さ。定職にも就かず、ブラブラ気ままに放浪している怠け者。何で二人を知ってるかだけど…」
 彼は両手を胸の前で合わせる。そしてそれを開くと、拍手のように打ち鳴らした。

 ブワッ……

 「!?」
 「くっ…!?」
 近くにいた二人の髪が逆立ち、ミラージュのジャケットがバタバタとはためく。一瞬で巻き起こった風は直ぐに止んだが、クリフとミラージュの心臓はその動きを極限まで速めていた。
 「神宮流『柏叫』……」
 「な!? 神宮流だと!?」

 クラウストロ3号星……つまりクリフとミラージュの出身地であるその星に、とある格闘道場がある。
 クラウストロ人は、ヒューマンの中でもトップクラスの運動能力を生まれながらにして備えている為、戦闘では下手に武器を使うよりも格闘術を使った方が力を発揮する。
 格闘術の流派の一つ、神宮流。ミラージュの父親が正当後継者であるその流派を、二人は幼い時から習っていた。
 因みに初伝、中伝、奥伝、皆伝という等級があり、クリフは奥伝、ミラージュは皆伝だった。

 「非力な地球人に、神宮流の“奥義”が使えるはずがない……そう思ってるだろ?」
 フェイトはゆっくりと息を吐き出しながら、呆然とこちらを見つめるクリフに横目を向けて言う。
 「でも、使える。そもそも、神宮流の開祖は地球人だ。まぁ……クラウストロ人に勝てる地球人は少ないけどね」
 彼が、誰から神宮流の技を教わったのかは謎だ。だが、神宮流の使い手であるならば、自分たちの事を知っていてもおかしくはない。

 そして、一つ分かった事がある。

 レナスの、フェイトへの信頼の巨大さだ。下手に反銀河連邦組織などと名乗れば警戒されると思い、ギリギリまで素性は明かさないつもりだったが、いくら保護しに来たと言っても、見ず知らずの男にそうホイホイと従うだろうか?
 彼女が警戒しなかったのは、フェイトによって知らされていたというのもあるが、先ず何より彼がいたから。フェイトが自分の傍にいるから、安心しきっている。
 「……そろそろ詳しい話を聞かせて貰ってもいいかな?」
 フェイトの言葉で皆は動きだし、それぞれシートに腰掛けた。
 クリフが口を開く。
 「確かに、俺等はクォークだ。……俺等の大親分が、是非ともレナスちゃんに会いたいっつってな。それでお迎えに来た」
 「それで、何で私なんです?」
 「どういう縁かは知らねぇが、大親分はロキシ博士をよく知っていてな。娘の嬢ちゃんが行方不明だったんで、銀河連邦に保護される前に、と思ってな。……ロキシ博士は、バンデーンに捕まったそうだ」
 「!! そん…な……」
 肩を震わせるレナスの頭に、フェイトはそっと手を置いた。
 「フェイトさん……」
 「そっか…。なら、早く助け出してあげないとね」
 「え…? ……! はい」
 「大丈夫。優秀な科学者を殺すほど、バンデーンもバカじゃない。……でもさぁ、バンデーンってサメが祖先の種族だろ? きっと小魚とかばっか食べさせられてるだろうから、早く美味しいステーキでも御馳走しないと、食生活的ストレスで病気になっちゃうかもしれないなぁ……」
 何という緊張感のない話だろうか。
 開いた口が塞がらないクォークコンビだったが、いつの間にかレナスが元気を取り戻しているのにも驚かされた。
 「父さんって、レアステーキが好物なんですよ」
 「じゃ、やっぱり地球のレストランかな?」
 「いいですねぇ。……でもその前に、早く母さんやソフィアも見つけないと……」

 ヴーッ ヴーッ ヴーッ

 その時、鑑内に警報が鳴り響く。
 「! これは…バンデーン鑑の襲撃ですっ」
 表示されたデータを見たミラージュが叫んだ。他の三人もシートに座り直すと、ベルトを締める。
 「ちっ、嗅ぎ付けやがったか…。急いで重力ワープを」
 「いや、無理だ」
 顎に指を当て、データを確認したフェイトが呟いた。
 「相手はバンデーンの最新式追撃鑑『クシュロコパ(熊蜂)』。重力ワープを妨害するなんて、朝飯前だろう」
 「! ……ああ、マジで妨害されてる。ちとヤベエな…」
 「ミラージュさん」
 暗澹とした雰囲気が広がる前に、フェイトは声を掛ける。
 「今から向こうのコンピュータにハッキングを仕掛けます。時間稼ぎにしかならないでしょうが、ショートジャンプを試みてください」
 「え…あ……はい」

 ピピピピピピピピピピピピピピピ

 (お…おいっ、ちょっと待て!)
 パネルを叩き始めたフェイトに、クリフは唖然とした。思考と行動を同時に行っている……そんな速度の打ち込みだった。
 (マリアより速いタイピングなんて…)

 「! 皆っ、第一撃が来る! 掴まれ!」

 何とかハッキングには成功したが、標準を狂わせるしか出来ない。
 (間に合えよ…!)

 数秒後、鑑は大きく揺れた。





 「……何だ? やけに外が騒がしいな」
 ソファに寝転がっていた男は、ふと上半身を起こし、窓から顔を出した。
 無秩序な黒い毛髪は、先端付近から黄色に変色している。左腕は、禍々しい鉄爪が取り付けられた義手によって、肩から指先まで覆われていた。
 雪国だというのに、驚くような軽装である。いくら室内だからとはいえ、ヘソを出し、スリットの入った腰布しか穿いていないのは、異常だ。
 窓を覗いてみたが、ここからでは訓練場しか見えない事に気付き、暖炉の前で寝っ転がる男に目を向ける。
 背は、プリン頭の彼と同じくらい。髪は、天から降る粉雪が染み込んだかのように真っ白で、額に十字の傷がある。
 ゴロゴロと転がるその男に向かって、声を掛けた。
 「おい、ソルム」
 「んー? 何? アルベル」
 「お前、見てこい」
 「やだ。めんどい」
 「見てこい」
 「分かった。行く」
 すぐに気が変わる…というか自分というものを持たないソルムに呆れつつ、アルベルは再びソファに寝っ転がる。

 面白くない。
 近頃は戦も少なくなった。
 骨のあるヤツも見掛けなくなった。

 自分の飢えを満たしてくれるヤツもいない。

 ソルムが部屋から出て行った後、アルベルは小さく舌打ちした。





 「……どうやら、中世あたりの文明レベルの惑星へ不時着したようですね」
 外の様子が映し出されたモニターでは、たくさんの人々が見物に来ていた。
 「すみません。標準を狂わせる事くらいしか出来ませんでした」
 「いいえ! フェイトさんがハッキングしてくれなかったら、間違いなく沈められてました」
 頭を下げるフェイトに、ミラージュは若干慌てる。彼女の頬が紅潮しているのに気付いた銀髪の少女は、少しだけムクレた。
 「それで? これからどうすればいいんですか?」
 「いつまでもイーグルの中で籠城してるワケにも……いかんよなぁ。修理出来ないくらいボロボロになっちまった」
 「見たところ、兵士もいますね」
 「下手に抵抗するのは得策じゃねぇな」
 「僕とレナス、クリフが出て行こう。ミラージュさんは、隙を見て脱出してください」
 「え? ミラージュさんはお一人ですか?」
 フェイトの提案に驚いた顔をするレナスだったが、クリフも頷いている。
 「心配いらねぇよ、レナスちゃん。ミラージュは俺より強いしな」
 「クリフさんよりも…!?」
 思わずミラージュの方を向くが、彼女は相変わらずニコニコと微笑んでいる。このゴリラのような肉体の男よりも強いというのは、果てしなく意外だった。
 「そうと決まれば、出よう。早ければ早いほど、殺される確率は減る」
 ハッチが開いた。





 アペリス教を国教とする聖王国・シーハーツ

 対アーリグリフの諜報活動を目的とした隠密部隊、封魔師団『闇』の部隊長……それが、国内最強の戦士の一人でもある、彼女の肩書きだった。
 赤毛、紫の瞳、太腿に刻まれた施文…。
 隠密服に身を包む彼女は、狭い通気口をゆっくりと進みながら、今回の任務について思い出す。

 アーリグリフの街に、人が乗った鉄の塊が落ちた。施術さえも利用していないというそれは、ほぼ間違いなく技術国家・グリーテンの発明品だろう。

 兵器開発に協力させる為に、空を飛んできたという三人の技術者の身柄を確保せよ

 驚くほど素早い対応だった。もっと時間が掛かると思っていたが、ラッセル執政官は特例を出し、一切を彼女に任せた。作戦立案から実行、交渉に至るまで、全て彼女……ネル・ゼルファーに一任した。

 信頼されているのだろうが、責任は重大である。

 やがて、前方に光が見えた。
 見張りがいないのを確認し、ネルは通気口から這い出す。

 「……なんだ? 姉ちゃん」

 目の前の檻に監禁されていたのは、筋肉質の男と、銀髪の少女。きょとんとした顔でこちらを見ている。
 さあ……任務開始だ。

 「鉄の塊に乗ってきたってのは……アンタ等だね?」



[367] Re[5]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/01/08 21:52
 はいっ! ど~も! レナス・ラインゴットです!

 告白しちゃうと……ただ今初恋まっさかり!

 相手は、青髪がキレイなフェイトさん。少しだけ年上の人です。ハイダがバンデーンの襲撃を受け、二人きりで脱出しましたが、不時着したのは未開惑星。勿論宇宙鑑の部品なんてないところです。
 ……これはひょっとして……無人島に二人きりってパターン!? なんて思いましたが、私はモンスターの攻撃が原因で熱を出してしまいました。

 ノートンっていう悪者がいたそうなんですけど、フェイトさんがただのバカだって言ってたから、ただのバカなので、詳しくは割愛します。

 どうやって惑星から脱出しようかと考えていたところに現れたのが、クラウストロ人のマッチョマン・クリフさん。クォークの人だってフェイトさんに教えられた時はビビリましたけど、フェイトさんが大丈夫だって言ってたから、大丈夫なので、安心です。

 私たちはイーグル号に乗り込みました。乗っていたのはクラウストロ人女性の、ミラージュさん。綺麗なお姉さんタイプです。私よりプロポーションがいいのでちょっと心配でしたが、フェイトさんが普通に接していたので、安心です。
 あ、いえっ、安心ではありませんでした!
 ミラージュさん! あなたそれでもお姉さんですか! 年下の男に頬が赤くなるなんて! 何なんですか! その恋する乙女の目は!

 ……っとまぁ、色々ありまして……

 現在フェイトさんと私とクリフさんは、地下牢の中に監禁されています。バンデーンの攻撃を受けて不時着したのは未開惑星で、雪国でした。フェイトさんがコートを貸してくれましたが、やっぱり寒いです。愛の炎も吹き飛びます。

 そして……覆面を被った、半裸の男が出てきました。猥褻物陳列罪で捕まったSM男かと思ってしまいましたが、本人は大真面目だったところを見ると、拷問官のようでした。
 そいつの目線の先には、私。舌なめずりしてます。
 ああっ! 何という不幸でしょう! 悪い人に捕まり、陵辱されるヒロイン! きっと鞭でビシビシビシビシしばかれたり、無理矢理挿入されたり…!

 っと思っていましたが。

 拷問官が嬉しそうに見ていたのは、私ではなく、私の後ろのフェイトさんでした…。

 ……いやああああああああああっっっ!!!

 ダメっ、そんなの! 絶対!

 あ…でも、醜い男に陵辱される美青年って萌……って、私は何を!?

 連れ出されるフェイトさんを、私たちはただ見送るしか出来ませんでした。

 ごめんなさいフェイトさん……私はあまりにも無力です。

 よろしければ、後で私の身体を……って、きゃあっ! 何考えてるの私ったら! ああっ、でも……!





 「成る程…。ここアーリグリフと、お前さん等のシーハーツって国は、敵対してるのか」
 「そう。アンタ等の選択肢は二つ。生きてアタシ達に協力するか、ここで死ぬか…。ところで……さっきから気になってたんだけど」
 「あ?」
 「そっちのお嬢ちゃんは大丈夫なのかい?」
 檻越しとは言え、若干引き気味に尋ねるネルの目の前には、一人の少女。何かをブツブツと呟きながら、一人で百面相している。
 「あー、まぁ大丈夫だろう。さっき、ちぃっとイヤな事があったんでな…」
 「?」
 「おいっ、レナスちゃん。おいっ」
 「ああっ、私初めてで…!………って…あれ?」
 「トリップしてるところ済まねぇが、どうする? この姉ちゃんの提案について…」
 「え? 姉ちゃんって……あれ? どちら様?」

 「「…………」」





 軍事国家アーリグリフと、聖王国シーハーツ。
 二つの大国が戦争を開始したのは、数年前だった。
 アーリグリフは険しい山岳地帯が広がる雪国であり、お世辞にも豊潤な土地とは言えない。寒さと餓えによる死亡者など、決して珍しいものではなかった。
 開戦派の急先鋒は、現国王のアーリグリフ13世、アルゼイ・バーンレイドの叔父に当たるヴォックス公爵。ヴィスコント(子爵)級ドラゴン・テンペストを乗りこなす猛将で、部下達からの信頼も厚い。飛行騎士団『疾風』の団長でもある。

 戦争は続いた。

 特に、シーハーツ最前線の村アリアスが被ったダメージは甚大で、かつての平和な農村は見る影もない。

 ここまで広がってしまった戦争を終結させるのは、話し合いなどでは不可能だ。圧倒的な力を見せつけ、相手に全面降伏させるしかない。その圧倒的な力として立案されたのが、施力兵器『サンダーアロー』。何とか形にはなってきたそれだが、まだ威力は不十分だった。
 技術国家グリーテンからやって来たという者なら、技術を提供させれば改良が大幅に進むのではないか?
 身柄奪取の任務を与えられたネルには、勿論彼等を殺すつもりはない。しかし下手に腰を低くして、相手を増長させるのも良策ではない。

 「見たところ、アンタ等はこの国に優遇されてるとは言い難いね。どうだい? 悪い話しじゃないだろ?」
 「あの……ちょっと質問いいですか?」
 レナスがおずおずと手を挙げた。
 「何だい?」
 「そのシーハーツって……ここより暖かいんですか?」
 「え? あ…まぁ……そうだね。少なくとも、ここより寒いなんて事はないよ」
 「分かりました。取り敢えずこの国には協力しないんで、助けてください」
 どうやら耐え難い寒さのようだ。ブルブルと拘束具で不自由な体を震わせつつ、彼女は懇願する。
 クリフは慌ててレナスに顔を寄せた。
 (おいっ、いいのかよ? そんな事言っちゃって…)
 (だ…だってこの国、ぜんっぜん優しくないんだもんっ。待遇が改善されそうもないし……それにこの人、ちょっと怖いけど悪い人じゃなさそうだし)
 (未開惑星保護条約は?)
 (クリフ、クォークなんでしょ!? 銀河連邦の取り決めなんかに構わないでよ! 大丈夫っ、バレやしないって! ……あ、いざとなったら私もクォークに入れてね?)
 (………)
 寒さで脳に異常が起きたのか、随分と逞しい少女になってしまっている。軽く溜息を吐いたクリフだったが、すぐにネルに頷いた。
 「ま、レナスもそう言ってるし。俺はただの保護者だからな…。但し! そのシーハーツとやらに協力するかどうかは、少し待って貰うぜ? こっちにも色々と決まり事があるんでな」
 「……………仕方ないね」
 渋々…という表情を作ると、赤毛の隠密は了承した。予想範囲内…と言うより、予想以上の結果を得られたが、いかにも最大限の譲歩であるかのように印象付ける。
 「じゃ、開けるよ…」
 ネルの右手がそっと、牢獄の鍵に押し当てられた。一瞬後波紋のような光が広がったかと思うと、鋼鉄製の檻はゆっくりと開いていく。
 「何だ? それ…」
 「シーハーツの“施術”さ。機械技術の代わりに、アタシ達の国では施力技術が発達しててね。大抵の鍵は……」
 あっと言う間に、二人の拘束具も石床の上に落下した。
 「この通りさ」

 (施術…ねぇ…)
 (私たちの紋章術と、ほぼ同じようなもんなのかな?)

 「……ところでアンタ等、二人だったっけ? 三人って聞いてたんだけど…」
 「……!! ああっ、フェイトさん! そうですっ、フェイトさんが拷問部屋なんです! それで猿轡で口を塞がれて鞭でビシバシやられたり、下半身ひん剥かれて挿入されてたり…」
 「………は?」
 「あ、気にしないでくれ。少し混乱してるだけだ。とにかくもう一人の仲間は、さっき半裸の覆面男に連れてかれて…そのまんまだ」

 ガチャ……

 重々しい木製の扉のノブが回り、三人の間に緊張が走った。
 「!!」
 (バカな……もう見張りが!?)
 大した行動は出来ない。瞬時にネルは腰の短刀を構えると、二人の前に立ち塞がった。
 扉が開くにつれ、徐々に姿が見えてくる。鋼鉄の鎧に身を包んだ、フルフェイスヘルムの兵士が、無言でその場に立っていた。
 「ちっ…!」
 舌打ちをして飛び掛かろうとしたネルだったが、ふと様子がおかしい事に気付く。その兵士の手には何の武器も握られておらず、戦闘意欲も感じられなかった。
 「ご苦労さん」
 若い声が聞こえた後、小さく金属音が響いたかと思うと、兵士はその場に膝を突く。
 今度は、青髪の青年が姿を見せた。
 「ふぇ…フェイトさんっ!」
 「おう、無事だったのか?」
 「何とかね」

 見た目は、普通の青年だった。恐らく年齢も自分より下だろう。

 「……アンタがやったのかい?」

 青年の後ろでは十人近くの兵士が転がり、苦痛の余韻に呻いていた。フェイトは軽く頷くと、レナス達の方を向く。
 「この人は?」
 「あ、ニンジャさんです。ここはアーリグリフっていう国なんですけど、そのアーリグリフと敵対している国の人で、ネルさん。私たちを助けてくれるんですって」
 「そう…。初めまして、ネルさん。フェイトです」
 「ああ……よろしく」
 達人は、その動作一つ一つにも隙を作らない。軽く握手しただけだったが、彼女はフェイトの尋常でない力量を感じられた。
 (技術者だって聞いてたから、どんな頭でっかちかと思ってたけど……。コイツ……ひょっとしたら、アタシでも苦戦するかもね……)

 「はぅぁっ!?」

 バダンッ

 「……どうかしたのかい?」
 僅かに開いていた拷問部屋のドアを押し開けてみたクリフだったが、素っ頓狂な悲鳴を上げてドアを閉めると、急いで自分の尻を両手で押さえる。
 青くなって震える彼の目線の先には、青髪の青年。
 「……な…なぁ、フェイト」
 「ん? どうかした?」
 「俺、絶対にお前の敵には回らねぇからな! 俺は敵じゃねぇからな! 俺にあんな真似する必要ねぇからな!!」
 「分かってるよ。あれは特別」
 「そ…そうか」
 「? 拷問部屋に何かあったのかい?」
 「思い出させんなっ、考えただけでケツが…! あああっ、夢に出てきたらどうすりゃいいんだぁぁぁ!!」





 地下牢にて待機していた兵士は、フェイトによって全滅させられたが、それで城の正面から堂々と出られるわけではない。ネルが潜入に使った通気口を使って脱出すると、地下水路のような場所に出た。
 「綺麗……」
 「んな事言うの、アンタが初めてだよ」
 まるでクリスタルのように透き通った氷の地面を見て、レナスが呑気な感想を漏らす。
 「ほら、こっちだよ」

 足元への注意を促しつつ、ネルは三人を先導し始めた。

 「……大丈夫ですか? フェイトさん」
 「何が?」
 「私がコート使わせて貰ってて……」
 「ああ。大丈夫だって、このくらい」

 そう、この程度の寒さ…。

 『天啓』時代を思い出したら、まるでプールで泳いでるみたいなものだ。

 (しっかし……何だったんだろうな? あの寒さは。フレイもイセリア(+その他の女性陣)も、何故か突然氷みたいに冷たくなって……)

 ヤケに自分の周囲で重点的に発生する修羅場を思い出していると、何かの唸り声が聞こえてきた。

 「……ネルさん。何ですか? この唸り…」
 「……まさか……!?」

 もうそろそろ出口付近だったので、ネルも不覚にも油断していたらしい。氷の壁の向こうから、唸り声の主は出現した。
 巨大なザリガニのような怪物だった。岩さえ握りつぶせそうなハサミを振りかざし、自分たちという“エサ”に宣戦布告する。
 「ちっ、皆! 隠れてな!」
 「おいおい…舐めてもらっちゃ困るぜ?」
 まあ、無理もないだろう。ネルは自分たちのことを、あくまで技術者として定義しているのだから。
 ネルはラーヴァクラブの目の前に立ち塞がり、短刀を構える。
 クリフはガントレットを構えると、ネルの横に並ぶ。
 レナスはパルチザンを構え、クリフと反対側に陣取る。
 フェイトは氷の塊の後ろに隠れると、どこから取り出したのか旗を振り回す。

 「フレー、フレー、レナスにネルさんー」
 「……フェイトさん……」
 「仕方ないだろ? 僕は武器なんて持ってないんだから」
 「まぁそうですけど…」
 「ってゆーか、俺への応援は!?」
 「いや……そこまで落ちぶれちゃいないよ」
 「どーゆー意味だコラァ!?」
 「アンタ! 漫才やってんじゃないよ!」

 ヒュッ……

 「おわっ」

 ドゴッ

 振り下ろされたハサミを、クリフは慌ててバックステップで避けた。
 「っざけんな! 茹でで酒の肴にすんぞっ!」
 両手の拳を後頭部まで振り上げ、思い切り跳躍する。ラーヴァクラブの頭上まで跳び上がると、クリフは両手を振り下ろし、溜めていた力を一気に放った。
 「『マイト・ハンマー』!」

 ドガァッ…

 <ゴォォォォッ!>

 頭に直撃したのだろう、モンスターは苦しそうに身を捩る。その隙に、レナスが背後へと近づき、パルチザンを振り回した。

 「『フランメ・クライゼル』!」

 パルチザンの刃が炎を纏う。それを片手に構えたまま、レナスは独楽のように回り出した。遠心力を使って灼熱の刃で斬りつけ、回り続ける。

 が。

 ツルッ……

 「にゃ?!」

 ベシャッ……

 「あうっ!」

 下が氷だと忘れていたようだ。確かに摩擦は少なく、回転のスピードも出るが、少しでもバランスを崩せば悲劇が待っている。
 「あぅぅ……」
 涙目になってお尻をさするレナスだったが、さんざん火傷をさせられたエサだ、当然のように相手は見逃してくれなかった。
 ガシャガシャと足を動かし、突進してくる。
 「えぅ!?」
 「レナスちゃん!」
 「マズイ…!」



 「『クロノス・ディグニティー』」



 世界から色が消え、全てが止まる。
 ラーヴァクラブの突進も、足元で飛び散る氷の破片も、駆け出そうとしたクリフも、ナイフを構えようとしているネルも、驚いた顔をしているレナスも。
 誰も、何も分からない。この“刻”の存在さえ認識出来ていない。
 時間が停止した“刻”の中を、青年は進む。
 氷は全く滑らず、アスファルトのように摩擦を殺し、青年の走りを助ける。



 “刻”が消え、時間は再び動き出した。



 ズザァァァァァッ!

 レナスの周囲に無数の氷の破片が舞い上がり、彼女の姿を隠す。そのクリスタルのカーテンへと突っ込んでいったラーヴァクラブだったが、轟音と共に地下水道の壁に頭をぶつけると、その場へ崩れ落ちた。

 「……え?」

 呆然として、レナスは状況を確認する。
 「大丈夫?」
 「え? ええ!? フェイトさん…!?」
 青髪の青年が、微笑みと共に自分の顔を覗き込んでいた。

 誰にも、何も分からなかった。
 ネルにも。クラウストロ人の動体視力を持つクリフにさえも。
 分かったのは、レナスが攻撃する寸前、フェイトがスライディングで飛び込み、彼女を救い上げたという事だけ。

 (……なぁ、見えたか?)
 (いいや……)

 確かに、あの非武装の青年に注意を払ってはいなかった。
 しかし、一体何をどうやったら、あのように助けられるのだろう。通常の地面なら土煙が舞い上がっても不思議ではないが、滑る事が出来る氷でスライディングして、あんな雪の煙が立つものなのだろうか。

 <うっわぁぁ……最近の技術者は怖いなぁ……>

 「「「!?」」」
 聞こえてきたのは、誰の声でもなかった。
 フェイト以外の三人はハッとして周囲を見回すが、姿はどこにも見えず、ただ声だけが響いてくる。

 <この地下水道に入っても、ポチはおとなしくしている。襲い掛かるのは、誰かが脱出しようとした時だけ…。結構いい門番だと思ってたんだけど…>

 「ポチってのは…あのザリガニの事かい?」
 見えない相手に対して、短刀を構えて警戒しつつ、ネルは声を掛けてみた。

 <そう。可愛いだろ? ラーヴァクラブのポチ。年齢は五歳。メス。肉食で、好物は人肉>
 「ペットを潰しちまって悪かったね。出てきたらどうだい? 顔を合わせて、ゆっくり話を付けようじゃないか」
 声の主がアーリグリフ軍である事は、まず間違いない。もし逃げられ、報告されたら、このアーリグリフの街からの脱出はほぼ不可能になる。
 出来れば誘き出し、口封じに仕留めておきたかった。

 <えーっと…。確かに、死んだ囚人の肉とかあげてたけどさ、別に俺が飼ってたわけじゃないし。それに、そいつには部下を二人ほど食われた事があったし。まぁ、どっちも嫌いなヤツだったからいいんだけど>

 部下という言葉を使っている事からして、それなりに地位は高いのだろう。
 ネルは唇を噛んだ。自分が女王直属の隠密・クリムゾンブレイドの一人、ネル・ゼルファーである事も、きっと向こうは知っている。

 <……でさ。俺と闘うの? 違うの? そこだけハッキリさせてくんないか? 確かに四人とも、逃がしちゃマズイ人なんだろうけどさ…。それは国にとってちょこっとマイナスなだけで、俺とアルベルには別に迷惑掛からないし>

 『漆黒』団長アルベル・ノックス。“歪”のアルベルと異名を取る彼をこんなに堂々と呼び捨てする人物は、アーリグリフの中で四人だけ。

 現国王・アーリグリフ13世。
 『疾風』団長・ヴォックス。
 『風雷』団長・ウォルター。
 そして……最後の一人、『漆黒』団長補佐……

 (まさか……“虚”のソルム!? そんな……でも、このやる気のなさは…)

 <戦場でなら、余計な手続きしなくて済むんだけど。色々大変なんだよ、報告とか。いつ、どこで、どういう風に、誰を倒したのか? その時自分はどうしてそこにいたのか? とか…。ヴォックスってアルベルと俺が嫌いだからさ、下手したら俺がスパイでないか?ってなっちゃうワケだし。だから……出来れば、さっさと行ってほしい。闘うのも面倒臭いし。手柄も別に要らないし。……………どうするの?>

 「……アタシもヒマじゃないんでね。逃げるとするよ」

 <よかった…。俺、武器持ってなかったし>

 その真偽など、今となってはどうでもいい。

 「……行くよ」

 ネルは三人に声を掛けると、一応警戒しつつ、光が差し込む方へと走っていく。

 確かに、ソルムは強敵だが、全員で掛かれば恐らく倒せるだろう。
 しかし、自分以外の三人を、誰一人として失うワケにはいかない。彼等を王都・シランドまで送り届けるのが、自分の任務なのだから。

 優先すべき、任務なのだから…。



[367] Re[6]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/01/19 00:13
 険しい山に囲まれたアーリグリフ城、そしてその城下町は、巨大な要塞を連想させる。城壁に囲まれた王都・アーリグリフへの唯一の入り口は、堅固な石橋のみだった。
 その石橋の上を、それぞれローブを纏った四人の人物が、足早に通り過ぎていく。城壁の入り口に検問が敷かれたのは、彼等が通過してから数分としない内だった。

 「……よし。もういいよ」

 彼等の中の一人がそう言うと、ローブを脱ぎ捨てる。それを習って、他の三人もフードを外した。
 辺り一面真っ白な雪景色だったが、馬車の轍の跡は残っている。恐らく、少し向こうにあるあの馬車のものだろう。
 「待たせたね」
 ネルはいきなり荷台に乗り込むと、待機していた二人の部下に向かって言った。
 「お怪我はありませんでしたか?」
 「任務成功ですかぁ?」
 やや短めにカットした、オレンジ色の髪が印象的な女性は引き締まった顔で……菫色の髪の、間延びした声の女性は、おっとりとした顔で尋ねる。
 「ああ。紹介するよ」
 遅れて乗り込んできた三人を振り向くと、ネルは二人を顎でしゃくった。
 「アタシの部下で、タイネーブ。それにファリン。……こっちはグリーテンの技術者で……」
 「クリフ・フィッターだ」

 「タタタタン、タン、タタタタ……タタ…」
 「タン、タタタタタタタタン……」
 二つの、小さな雪だるま…。
 青年は両手を伸ばすと、そっと雪だるまに手を添え、互いを向かい合わせる…。
 雪だるまは互いの方を向いたまま、ゆっくりと近付いていく…。
 そして今、真っ白な冷たい顔が接触した…。
 「……お前がうらやましいよ」
 寂しげにそう呟く青年…。
 少女は彼の肩に手を置くと、目を瞑り、そっと横顔に唇を近付け……

 「聞きな」

 グシャッ

 「ああっ、何するんですかネルさん! 感動アイテムの雪だるまを…!」
 「そーですそーです!(今なら自然にキス出来そうだったのに…!)」
 「知るかそんなもんっ!」
 抗議する地球人の青年の口に、まだ新しい雪だるまの死体をねじ込むと、更に彼の頬を引っ張って伸ばす。
 「今ね、大事な話をしようと思ってたんだ。今度遊んだらアーリグリフに叩き返すよ?」
 「ふぁーふぃ(はーい)」

 「初めまして。レナス・ラインゴットです」
 「フェイトです。………?」

 「「………」」

 「……あの…どうかしました?」
 「「い…いいえっ!」」
 呆然と自分の顔を見つめる二人が気になり、声を掛けてみたフェイト。ファリンとタイネーブは慌てて首を振ると、それぞれ馬車の御首席とその背後へと移動した。

 (ネル様が……初対面の男と、あんなに親しく話すなんて…)
 (驚きですねぇ……)

 彼女達の上司であり、師匠であり、姉御であるネルは、街を歩けば十人が十人とも振り返るような美人である。スタイルもいい。
 しかし、男っ気の無さは有名だった。軍の仲間ならともかく、それ以外の男とこんなに打ち解けることは全く無いと言っていい。彼女のいかにもクールビューティーな印象が、男達に声を掛ける事を躊躇わせているようだ。

 馬車が走り始める。と言っても、馬が牽いているワケではない。馬より足は遅いが、保温性と耐久性に優れている、ルムという種類の哺乳動物だった。

 「ウチの国では、新しく発見された“営力”という力を使った兵器が開発されててね。でもまだ、実用出来るものじゃない。開発部長は、是非ともアンタ等の力を借りたいそうだ」
 「ちょ…ちょっと待ってください!」
 ネルの言葉を、レナスは慌てて遮る。
 「協力して欲しいって……兵器開発なんですか!?」
 「ああ、そうだよ」
 「……人殺しの……道具……。イヤです。やっぱり協力したくありません」
 きっぱりと、少女は言い放った。
 「さっきも言ったけど…別に返事は、今すぐじゃなくていい。とにかくシランドまで来て欲しい」

 この、銀髪の大人しそうな少女が首を縦に振るとは、ネルもあまり期待してはいない。自分の…自分たちの任務は、三人をシランドまで護送する事。説得はエレナやラッセルがやってくれる筈だ。

 「……まぁ、取り敢えずそのシランドっていう街まで行ってみようよ。協力するか否かは、それから決めればいい」
 「フェイトさん!?」
 「僕達には、二国間の戦争を止めるなんて出来そうもない。その兵器を完成させるのが、本当に平和への近道なら……協力するのもアリなんじゃないかな?」
 「そん…な……人殺しの兵器ですよ!?」
 「それもまた歴史の1ページ」
 「……!?」
 「光なくして影はなし、影なくして光はなし。善悪、男女、様々に言えることだけど……争いの歴史を経ずに平和へと至れるほど、世界は楽ちんじゃないし、人は賢くもない。レナス。君が戦争に反対するのは、戦争によって実際に悲しんだ人がいたから。………レナスは…“自由”について考えた事はあるかい?」
 「…? それって、どういう……」

 <ギャアッ>

 <グギャアッ>

 「! ネル様ぁっ、『疾風』の追っ手ですぅぅ!!」
 レナスがフェイトに聞き直そうとした時、微かな翼音と、金属を引っ掻くような鳴き声、それに焦燥したファリンの叫びが聞こえてきた。
 「チッ…もう嗅ぎ付けられたのかいっ」
 「このままでは直ぐに…! ネル様っ、ここは私たちが引き受けます! 次のカーブで、皆さんと共に脱出してください!」
 「………分かった。アンタたちっ、タイミングを誤るんじゃないよっ」
 「待って下さい! 引き受けるって……エアードラゴンが相手なのにっ、無茶です!」

 古来より、ドラゴンは力の象徴とされてきた。
 空を飛び、野を駆け、牙を剥き、かぎ爪で引き裂く。高位なドラゴンであれば、人類以上の頭脳を有する。
 ゲームのラスボスとして登場するのも稀ではない、ドラゴン。人に御される程度の位のものでも、生身の人間には十分な脅威だった。

 が、レナスの言葉は黙殺される。

 彼女達の任務は、三人をシランドまで送り届ける事。タイネーブとファリンはネルの盾であり、鎧である。持っている間は防壁になるが、捨ててしまえば身軽になる。
 その考えで行くと、ここで全員仲良く捕らえられるよりは、自分たちが囮になった方が任務成功率はアップする。レナスは出来る限りの説得を試みたが、二人の意志は固く、遂にフェイトに引きずられるようにして、馬車から脱出した。

 レナスには目的がある。
 この星を無事に脱出し、再び父と、母と、ソフィアと再会するという目的が。少なくともそれを果たすまでは、絶対に死ねない。

 しかし……レナスには信念がある。
 助けられる人を見捨てるのは、自分に対する最悪の裏切りであるという信念が。

 馬車と、それを追うエアードラゴンが去っていった方向をじっと見ていたレナスだったが、フェイトに何か耳打ちされると、重い足を持ち上げ始めた。





 カルサアという街を通り過ぎ、南回りに東へと進むと、アーリグリフとシーハーツのほぼ国境に位置する村・アリアスが見えてきた。
 両軍の最前線であり、最も激しい攻撃を受ける村である。彼方此方で民家や小屋が破壊され、戦闘の爪痕が生々しく残っていた。

 その村の領主の館を司令部としているのが、シーハーツ軍の司令官であり、ネルの親友、クレア・ラーズバード。二人はシーハーツ最強の戦士と言われ、紅の双剣……クリムゾンブレイドと称される。

 「今戻ったよ、クレア」
 三人を引き連れたネルが、ドアを開けて本部へと入ってきた。
 「ネル! よかった、無事だったのね…。……ファリンとタイネーブは?」
 「…………捕まったよ」
 「そう……」
 “ダメだった”や“やられた”と表現しなかった事から、ひょっとしたら助けに行くつもりじゃ……と、レナスはそう思う。ちらりとフェイトの方を見ると、彼も無言で頷いた。
 「こちらの方々が?」
 三人に向かい、クレアは右手を差し出す。一番近くにいたレナスが、その手を握った。
 「初めまして。シーハーツ軍総司令、クレア・ラーズバードです。この度は……」
 「あ、すみません。協力するかどうかは、まだはっきりとしたワケじゃないんですけど……。初めまして、レナス・ラインゴットです」
 「その保護者で、クリフ・フィッターだ」
 「フェイトです。……失礼かとは思いますが、名字は不問という事で」

 煌びやかではなく、淑やかに輝く銀髪。柔らかく、物静かな雰囲気。ネルを氷と表現するなら、クレアは清流だろう。ちょっとした挙措からも暖かみが感じられ、レナスは彼女を一目で気に入ったようだ。

 「それにしても……シーハーツって、女性の兵士の人が多いんですねぇ…」
 「女王が統治されている国ですから。施術師も女性の方が多いですし、自然とそうなるんです。……既にシーハーツ国内とはいえ、シランドまではまだまだかかります。ご覧の通り何もない村ですが、せめてゆっくりなさって下さい」

 その日は、アリアスで一泊する事になった。

 レナスは確信している。ネルが、部下の二人を助けに行く事を。
 その時は、何と言われようと自分も同行する。場合によっては、兵器開発を条件にしても、だ。
 しかし……もし助けに行くとしても、明日だろうと思っていた。
 だから、今夜はぐっすり眠ろう。明日の為に。

 「…………」

 レナスがぐっすり眠っている時、赤毛の彼女は寝室へとやって来ていた。
 (……ありがとう…)
 ネルは何も知らずに寝息を立てるレナスに向かい、そっと頭を下げる。
 凸凹コンビとして師団を転々とし…ようやく、ネルの部下として落ち着いた……それが、ファリンとタイネーブだった。初めて持った直属の部下だけに、彼女の心も二人へと注がれた。
 ネルにとって、レナスの気持ちはとても嬉しいものだった。彼女は出会ったばかりの二人に対して、あんなに親身になってくれた。

 (ここはもう…シーハーツ領内だしさ。アタシがいなくても……大丈夫だから……)

 ネルはレナスの寝室の扉を閉めると、マフラーで口元を隠す。
 二人が捕らわれているのは、カルサア修練場。敵の本拠地。見つかってしまえば、間違いなく皆殺し…。
 絶対に失敗出来ないのだ。

 ネルは目を閉じ、小さく息を吐き出す。そして目を開くと、階段を下りていく。

 暫くしてルムの嘶きが聞こえたが、遠くへ走り去る蹄の音が小さくなると、村は元の静寂へと包まれていった。





 だんだんと太陽を見上げなければならなくなってきた頃。
 アリアスの東の門に、一人の男が現れた。
 年齢はだいたい四十代前半。髪はオールバックで、後頭部で一つに結い下げている。身体をローブで包み込み、煙管を吹かし、馬車の傍の岩に腰掛けていた。

 「三年ぶりだね。……ラッセル」

 青年は、音もなく現れる。近くの小川のせせらぎでさえも、彼の足音を隠し得るのだろうか。

 「久し振りだな。……友よ」

 ラッセルは、笑った。
 人前で頬に皺を刻まない彼が、目を細め、歯を露わにし、微笑んだのだ。
 「“ガイア”は、ちゃんと馴染んだようだね?」
 「ああ。もう完全に、私の制御下だ。……覚えているか? あの時の約束を…」
 「勿論。何で、僕が丸腰だと思う?」
 「ふっ…。少し、私を信じすぎなのではないか?」
 「信じられるからこそ、信じている。……ラッセルだって…僕の言葉を信じていたからこそ、こうしてここに来たんだろ?」
 「……そうだな。………三年…三年かけて…たった一振りしか出来なかったが……」
 ラッセルは馬車に歩み寄り、一振りの長剣を手に取った。
 「だが…三年をかけただけの出来である事は、私が命をかけて保証しよう…」
 「……銘は?」
 「『無法天威』と、そう名付けた」
 フェイトは受け取った長剣を鞘から引き抜く。
 鏡のような曇り無い刃が現れ、自分の顔を映し出す。ラッセルが全身全霊を込め、二年かけて鍛え、一年かけて研いだ剣。完全に抜くと、一振り、横に薙いだ。

 ブワッ………

 不規則に生え並んでいた草が、均等の高さになる。

 「………いい剣だね」

 フェイトが求めるのは、銘刀ではない。
 自分が使いやすい武器だった。
 自分と気が合う武器だった。

 「それにしても、本当に丸腰とはな。そこまで私を信じていたのか?」
 「信じてたって言うか……ここで受け取るって予定だったからね」
 「………ファリンとタイネーブが捕まったそうだな」
 「うん……」
 「やはり…ネルは救出に向かったのか?」
 「昨晩、誰にも知られないようにこっそりと…ね」
 「……。頼む」
 「ああ。三人とも、ちゃんと無事に助け出すよ」
 「うむ」
 「……“クレアさんも”ね」
 「……そうだな。恐らくアーリグリフのスパイだろうが…油断するなよ」





 レナスは、裏切られた気分だった。
 ネルと約束をしていたワケでもない。ネルの行動が間違いだとは思わない。
 しかし、裏切られた気分だった。

 「ネルさん……ひどいです…」
 「………」

 何故、夜遅く、夜逃げのように出発を?
 何故、自分が寝ている間に?
 何故、自分に一言も断りなしに?

 知られたくなかったから?
 巻き込みたくなかったから?
 自分たちが護衛対象だったから?

 「クリフ、もうちょっとスピード出ないの?」
 「無茶言うなって…。馬車なんて初めて操作するんだぞ。ここまで無事で来れたの、褒めてほしいくらいだぜ」
 二頭のルムの八つの蹄が、砂を巻き上げる。クレアを問いつめ、半ば無理矢理拝借した馬車だった。
 時々口元にまで舞い上がる砂埃に軽く咽せながら、クリフはこの隣の少女の頑固さに驚いていた。
 普通なら、見捨てるだろう。誰だって、自分の幸せが第一なのだから。

 しかしレナスは……見捨てなかった。見捨てても、誰にも彼女は咎められない。全てネル自身が考え、行動した結果なのだ。
 だが…。

 (助けられる人を助けないなんて……そんなの、絶対に間違ってます!!)

 人当たりの良さそうな顔をしながら、何という頑固さだろう。クレアの忠告さえ悉く踏み倒し、周囲の静止を跳ね飛ばし、こうして飛び出してきた。もっとも、自分も反対するつもりは無かったのだが…。
 「……やっぱ、フェイトにも声を掛けとくべきだったな…」
 「フェイトさんなんか嫌いです!!」
 拒絶するように、レナスは叫んだ。

 ネルがいないのに気付いた時……レナスは、フェイトの元へと駆け付けていた。
 (フェイトさん! ネルさんが…)
 (ああ、二人の救出に向かったんだろ?)
 (え!?)
 (いや…昨日の夜、一人で出て行ったからさ)
 (んなっ……何で止めなかったんですか!?)
 (え? 何で止めなくちゃならなかったの?)
 (な…何でって……一人でなんて、無茶じゃないですか!)
 (さあ……大丈夫なんじゃないの? シーハーツ最強の戦士らしいし)
 (でっでも…! とにかく、すぐに助けに行きましょう!)
 (………何で?)
 (……!? ………フェイトさん。ちょっと…冷たすぎるんじゃないですか?)
 (向こうだって、当然二人を助けに来るのは予想してるだろう。罠の可能性は120%。ほとんど死にに行くようなものだよ。ネルさんは、自由に行動した。自分の意志で、自分の責任で…自分で、行動した。お為ごかしじゃなく、“自”分の理“由”で行動した彼女を止める言葉なんて……僕は持ってないよ。…………レナスは…何で、ネルさん達を助けに行きたいの?)

 (もういいです! もう頼みません! 私とクリフだけで行きます!! ………失礼しましたっ!!)

 完全にケンカ別れだった。

 「……やっぱ…フェイトとケンカしたのか?」
 「ケンカなんかしてない。絶交しただけ」
 「……そ…そうか…」

 (フェイトさんなんか……大っっ嫌い!!)





 「……くしゅんっ…」

 クシャミの音でクレアは机から顔を上げ、扉の方を見た。青髪の青年が、人差し指で鼻っ柱を掻いている。
 「フェイトさん…」
 「あ、クレアさん。どうかしたんですか?」
 「……貴方が聞きますか?」

 グリーテンの技術者の三人の内、二人も、敵地へと行ってしまった。
 自分には止められなかった。
 (あの三人の事は……よろしく頼んだよ…)
 別れ際のネルの言葉。それはまるで、遺言のように感じられた。

 イヤだ。
 ネルが死ぬなんて。
 そんなのイヤだ。
 行きたい。
 ネルを助けに行きたい。
 どうしても死ぬのなら…私も隣で死にたい。
 最後に、共に戦いたい。

 しかし、出来ない。自分はシーハーツ全軍を指揮する立場にあるのだから。
 そんな勝手な行動は許されない。

 でも、ネルが死ぬなんてイヤ…。

 (私は…!)

 止められなかったのではない。敢えて止めなかったのだ。
 二人が技術者でありながら、なかなかの戦士だとは親友から聞いていた。もしかしたら、二人が行けば……ネルは死なずに帰って来れるかも…。
 その想いに、一時だけ支配されてしまった。
 しかしその一時は、どれだけ取り返しの付かないものなのだろうか。
 ネルを助けたかった…しかし、ネルを裏切ってしまった。
 ひょっとしたら、死の間際、ネルは自分を恨むかも知れない。
 でも…。

 (一人で死ぬなんて……私をどれだけ悲しませるのよ……ネル!!)

 「……クレアさん」

 いつの間にか、フェイトは机の前まで来ていた。
 「あ…すっすみません、ちょっと考え事を…」
 「レナスとクリフは…行ったんですね? カルサア修練場へ…。ネルさんと…ファリンさん、タイネーブさんを助けに……」
 「……はい」
 「……やれやれ…。それじゃ、クレアさん。僕も行っていいですか?」

 あまりにも穏やかだった。
 まるで、隣町の縁日へ出掛けていいかと……そんな事を、母親に尋ねているかのような。

 「え……?」
 「ネルさんを死なせたくないんでしょう?」
 「………」
 「よし、決めた。ネルさん、ファリンさん、タイネーブさん…。この三人が、僕が兵器開発に協力する条件です」
 「……?」
 「つまり。三人が生きてなかったら、死んでもシーハーツには一切の協力をしません。この三人を僕に“くれる”のなら…出来る限りの協力を約束しますけど」
 「……!?」
 「どうします、シーハーツ軍総司令、クレア・ラーズバード殿?」
 「……。……。……三人を貴方に“あげる”と答えたなら…どうするんです?」
 「ちょっと考えがありましてね…。99%成功する、全員死ななくて済む考えが。それを実行して、皆を助けましょう…」

 彼は、本気で言っているのだろうか…。
 全員助けられる?
 ネル、ファリン、タイネーブを……彼の所有物として認定すれば?

 沈黙の五分間……クレアが何を考えていたのか、フェイトは知ろうとは思わない。
 彼が欲しいのは、結果のみだった。

 「……わかりました。フェイトさん。……皆を…助けてください…」
 「……ルムを一頭借りますよ。それじゃ、また後ほど…」

 一旦は去り掛けたフェイトだが、ふと足を止めた。振り向かずに、クレアを呼ぶ。

 「アーリグリフの暗殺者らしき数名を見掛けました。門の前に縛ってあるので、ご自由に…」
 「!?」

 まさか……。

 だから…彼はレナスに付いて行かなかった?

 今の自分の精神状態で、手練れの暗殺者から身を守りきる自信はない…。

 彼はそれを知っていて、わざわざ危険を取り除いてくれた?

 私の為に?

 まさか……。

 「フェイトさん……貴方は……」

 西門から出て行った彼の姿は、既に針穴のように小さかった。



[367] Re[7]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/01/31 23:33
 紅の双剣……クリムゾンブレイド

 血よりも強い絆で結ばれた、二人の戦士。
 前代は、ネルの父・ネーベルと、クレアの父・アドレーが、その名を連ねていた。ネーベルの舞いのような短剣の斬撃、アドレーの高威力の攻撃施術。ピッタリと息が合う二人の戦闘は、正しくシーハーツ最強と呼ぶに相応しいものだった。
 しかし…ネルの父親は、既に死亡している。敵地で部下を逃がす為に、たった一人で殿を引き受け、ウォルター伯爵との一騎打ちの末、敗れた。アドレーが休養していた時の事だった。
 アドレーにとって、自分の背を預けられるのは、ネーベル以外には有り得なかった。彼はクリムゾンブレイドの名を娘達に譲ると、北方の未開の島への調査へと赴いた。
 ほとんど、隠居してしまったと言ってもいい。
 クリムゾンブレイドは、一人では成り立たない。二人いて、初めてクリムゾンブレイドという……その誇り高い名を掲げられるのだ。

 (だから…さ……)

 「ガァッ……!!」

 兜の隙間から刃を差し込まれ、兵士は小さく呻いた。周囲におびただしい鮮血を撒き散らしながら、その場へと崩れ落ちる。

 (アタシだって……死ぬワケにはいかないんだ)

 短剣の血を払い落とした。煉瓦造りの冷たい壁に、いくつか血痕が落ちる。
 自分は、死ぬつもりはない。ファリンとタイネーブを助け出し、三人でここを脱出してみせるつもりだ。誰一人として、欠ける事などなく。
 (出来るかどうかじゃない。……やるんだ。やってのけるんだ)

 自分にはまだ役目がある。
 自分にもクレアにも、まだやらなければならない事が山ほどある。
 現クリムゾンブレイドはまだ終わってはならない。

 ネルは辺りを窺いながら、この場所の情報を脳内から抽出する。

 カルサア修練場
 鉱山の町・カルサアの南東、グラナ丘陵を越えた先にある、巨大な三階建ての建築物。『漆黒』の駐屯地で、一階は居住区、二階は訓練施設、三階は牢獄棟。屋上の闘技場には、北東のエレベーターを使用しなければ辿り着けない。
 (早くしないと…二人が…!)

 「!? 誰だっ!」

 焦りは、見落としを生む。
 (後ろ…!)

 ガゴンッ

 「がっ…!?」
 振り向いた時には、既に自分を発見した兵士は倒れていた。その後ろには、槍を構えた銀髪の少女…それに筋肉質の男が立っている。
 「油断大敵ですよ、ネルさん」
 「ったく…。しっかりしてくれよな…」
 「あ…アンタ等…!!?」
 ここにはいる筈のない二人。
 その二人が幻覚でも夢でもない事を確認すると、彼女は小走りで近寄った。
 「何でアンタ等がここにいるんだい!?」
 「何でって……ネルさんを助けに来たに決まってるじゃないですか。ねぇ?」
 「ま、レナスがあんまりにも助けに行きたいって言うんでな…。俺としても、行かねぇワケには…」
 「ッッ…! バカッ、アンタ等には無事にシランドまで行ってもらわなくちゃならないんだ! なのに…!」
 「今更言っても遅いでしょう? もう来ちゃったんですから。それに……ネルさんの任務は、私たちを無事にシランドまで送り届ける事。どうあっても、私たちをシランドまで送ってもらいますからね!」
 「…………」

 いくら罵った所で、時間は戻らない。レナスとクリフが来てしまったのは、もう過ぎた事なのだ。
 確かに、二人の戦闘能力があった方が、救出の可能性はグンと高くなる。

 「……勝手にしな…」
 「はいっ」

 銀髪の少女は、にっこりと笑って頷いた。

 「それで、あのフェイトとかいうヤツは来てないのかい?」
 「あんな人知りません」
 「……?」
 「ほっといてやってくれ、ネル。ちと……ケンカしちまったらしいんだ」

 もし……もし、最悪自分たちが皆殺しになっても。
 クレアは残ったフェイトを、ちゃんとシランドまで送ってくれるだろう。
 これで、考え得る最悪の場合は免れ……

 そこまで考えて、ネルは静かに首を振った。
 全員、無事にここから脱出するのだ。それ以外にはない。

 「行くよ、アンタ達」

 絶対に……生きて還る。





 「……ねぇねぇ、アルベル」
 「何だ?」

 ソルムはいつものように暖炉の前で寝転がり。
 アルベルはいつものようにソファの上で寝転がり。

 ゴロゴロゴロ……

 「あのさー、シェルビーの事なんだけどさー」
 「………シェルビー?」
 「……。ウチの副団長」
 「………あ…アイツか。あの阿呆がどうかしたのか?」

 ゴロゴロゴロ……

 「それがさー、シーハーツの隠密二人捕まえてさー。それでクリムゾンブレイドを誘き寄せてさー。手柄立ててさー。アルベルに取って代わろうとしてるらしいんだよねー」
 「ハッ。わざわざ罠に掛かりに行く阿呆がいるってのか? だいたい、クソ虫の一匹や二匹……俺が後れを取るワケがねぇだろう」

 ゴロゴロゴロ……

 「何でもヴォックスと組んでるそうでさー」
 「………ヴォックス?」
 「……。『疾風』の団長。って言うか、少しは覚えなよ。せめて名前くらい」
 「うるせぇ」

 ゴロゴロゴロ……

 ゴロゴロ……ピタ

 「んじゃ、行きますか。カルサア修練場。……後で面倒があったらやだし」
 「チッ……クソ虫共が。俺に腰を上げさせやがって……」





 一階、二階と、細心の注意を払って探索する。
 二階を進んでいる時、兵士達の話しにより、二人が三階の牢獄棟に監禁されている事を知った三人は、外郭を進んでいった。

 「! 隠れるよっ」

 ネルは二人に合図し、柱の影に隠れる。前方から、三人の兵士が歩いてきた。

 「ったく、シェルビー様も変わってるよなぁ…」
 「全くだ。あんだけいい女が、二人もいるってのに。ただ痛めつけるだけなんて…」
 「天性のサディストだからなぁ……あの人」

 ヒュッ

 「あ?」
 風を切る音。完全に油断していた兵士達は、あっと言う間に頸動脈を切断され、二人が倒れる。ネルは返り血に構わず、残りの一人を壁へと叩きつけ、その首筋に血塗れの短剣を突き付けた。
 「ひっ…!?」
 「質問する。二秒以内に答えな…。アンタ等が捕らえた隠密二人はどこだい?」
 暫く黙っていた兵士だったが、ネルがカウントを始めると、震える指で近くの檻を差す。
 次の瞬間、彼女の頭の横を何かが掠め、その兵士の額を打った。レナスのパルチザンの石突きが、脳震盪を起こして兵士を気絶させる。
 ネルが兵士を崩れるに任せ、振り向くと同時に、レナスもパルチザンを戻していた。
 暫く見つめ合っていた二人だったが、ネルの方が軽く溜息を吐いて目を逸らし、檻の扉を開ける。
 幾つもの牢獄が並んでいた。そして、その中の一つ……一番奥の中で、何かが動く。

 それは油断だった。

 見張りがいない事を、奇妙ではなく幸運だと判断してしまった。

 そして……足下にもっと気を配るべきだった。

 足が、何かを踏む。床の布の下に、何か太いものがあるようだ。それがロープだと直感した時には、既に全ては遅かった。

 突然身体が持ち上げられる浮遊感と共に、ネルは目を瞑る。

 ああ………終わりなのだ、と…。





 始めは、幻だと思った…。

 再び会えるなんて……届かぬ願いだと思っていたから…。

 「久し振り、マユちゃん」
 「……フェイト…さん…?!」

 三年ぶりだった…。

 三年前……夜盗に襲われた自分を、彼は何の益もないのに助けてくれた。

 「元気そうだね。良かった…」
 「はっ……はいっ!!」

 言いたい事はたくさんあった。

 聞いて欲しい事はたくさんあった。

 伝えたい想いもあった。

 しかし……それらのどれ一つさえ、言葉には出来ない。口に出してしまった途端に、心からこぼれ落ちてしまいそうな予感がした。

 彼に、再び巡り会えた。

 今はただ、それだけで十分だった。

 「ごめん、後でゆっくり話そう。……マユちゃん」
 「はい……」
 「アーリグリフを…裏切って欲しい」
 「……はい…」





 鋼鉄製の枷は、いくらクリフの力を以ってしても壊せない。

 「……アンタ達…」

 ネルは身体を十字に束縛されつつ、目の前で縛り上げられている二人を見た。

 「何で…来たのかねぇ…」
 「今更言っても仕方ねぇだろ…」

 兵士の殆どは、一階で隠れていた。上へ上へと追い詰められていた形だったらしい。

 「ただ今より! 我が国に長年多大なる不利益をもたらしてきたクリムゾンブレイドの片割れ、ネル・ゼルファー! 及びその部下、ファリン、タイネーブの処刑を執り行うものとする!!」

 腰に手斧を差し、左手に鉄球を持つ男が、屋上に集まった大勢の漆黒兵の前で宣言する。歓声を上げる者もいれば、手を打ち鳴らす者もいた。

 「済まない……ファリン…タイネーブ……」
 「まぁ…ネル様らしいですけどねぇ…」
 「……私は…ネル様と一緒に働けて、幸せでした」

 十字架に縛り付けられた三人は、最後の会話を交わす。

 グリーテンの技術者となっている二人は、殺されはしない。が、恐らく永久にアーリグリフ城に監禁され、奴隷のようにこき使われるだろう。

 後ろ手に縛られ、地べたに押し倒されていたレナスは、ぎゅっと唇を結んでいた。
 結局、助けられなかったのだ。ファリンも、タイネーブも、そしてネルも。
 自分たちのした事は、ただ彼女達の想いを踏みにじっただけに過ぎない。いわば、無駄死にをさせてしまったのと同じだ。

 フェイトを恨む事は出来なかった。

 今思えば、彼の判断こそ正しかった。命を投げ出した彼女達に報いる為に、何が何でもシランドへと向かう。
 ネル達が、自分に一言も恨み言らしい恨み言を言わないのは、恐らくフェイトがいるからだろう。彼は必ず、シランドへと護送される。

 「槍を構えろ!」

 そこまで考えた時、シェルビーの怒鳴り声が耳に入ってきた。槍の穂先が、一斉に三人の胸へと向けられる。

 彼女達は……死ぬ。殺される。

 (あ…ああ………ああああああ……)

 目の前が真っ白になっていく。紋章のような幻が網膜に焼き付く。

 何かが起こる…?



 「小さい頃……」



 (え…?)
 景色に、色彩が戻った。自分の中で生まれようとしていた何かが、穴の空いた風船のように、急速にその影を潜めていく。
 居るはずのない彼の声が、耳に響いた。
 物静かな…それでいて、はっきりと響き渡る声。

 「友達に、大切にしていた玩具を壊された事がある…」

 ネル、ファリン、タイネーブの目が、驚愕でかっと見開かれていた。
 シェルビー、槍を構えた兵士、見物の兵士達も、皆、屋上への入り口を振り向いている。

 「その時、気付いたんだ。僕って……自分のモノを奪われるのが、一番イヤなんだって……」

 アーリグリフでは滅多に見る事の出来ない、青空の色をした髪。
 物静かな、深緑の瞳。
 風に靡くコート。
 その下に隠れる、華奢な身体。
 腰に装備された、一振りの長剣。

 (あ………)

 「や。待たせちゃったね? レナス」

 もう心配ない。
 もう何も心配する事はない。
 もう大丈夫…。

 彼の優しげな瞳は、まるでそう語りかけてくれているかのようだった。

 「フェイト…さん……」



[367] Re[8]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/02/06 17:27
 一人で良かった。
 二人なら尚良い。三人なら更に良い。
 だが、結局は、一人でも十分だったのだ。

 レナスとクリフが捕まっても、まだフェイトがいる。彼が無事にシランドに到着してくれれば、それで良いのだ。

 「何…で……!」

 ネルは歯を食いしばり、キッとフェイトを睨み付ける。

 「何でアンタまで来るんだい!? 何で…! ……さっさと逃げな!」
 「……ねぇ、ネルさん。あなたの命は、誰の物だと思います?」
 「…!?」
 「ネルさん、ファリンさん、タイネーブさん。あなた方の命はもう……僕の物なんです」

 「「「!?」」」

 -『クロノス・ディグニティー』-

 「クレアさんから許可は取ってありますよ」
 驚いてフェイトを見る三人だったが、気付いた時には彼の姿は掻き消え、すぐ隣から声がした。
 (いつの…間に…!?)
 彼は腰から長剣を抜き払うと、あっと言う間に三人の戒めを解く。鎖が断ち切られる音で、ようやく、シェルビー達は突然消えた青年の居場所を知った。

 速いなどというものではない。
 そんな言葉では表せない。

 「クレアさんは…どんな想いだったんでしょうね…?」
 崩れ落ちかけたファリンをそっと支えながら、彼はネルに語りかける。
 「いきなり…会って間もない男に、親友をくれなんて言われて…。……クレアさんは、ネルさんに恨まれてもいいと思ってるんでしょう。どんなに恨まれても、ネルさんが生きていてくれれば……無事でいてくれれば、それだけでいい……そういった所でしょうか」
 ファリンをそっとネルの隣に座らせ、フェイトは彼女達に背を向けた。
 「そんな覚悟を見せられたら…黙っていられないですよ、僕も」

 「……まぁ、何にしても……」

 やっと頭脳が正常に回転し始めたシェルビーが、腰の斧を引き抜く。
 「脱走した技術者が、三人ともノコノコとやって来たワケだ…。クククク……礼を言うぞ、わざわざ俺の足もとまで金貨を運んでくれるとは」
 フェイトはそれには構わず、何も言えないレナスの枷を叩き壊した。
 「無事…だよね? 良かった…」
 「……あの……フェイトさ」
 「ゴメン、後で…ね? まだ敵地なんだから」
 「……フェイト。俺の枷も頼みたいんだが…」
 「それも後で」
 青年はニッコリ笑うと、長剣の切っ先を石床に突き刺す。

 「『チリアット・サークル(牙剥く円陣)』」

 周囲に、ドーナツ型の紋章が広がった。フェイト、ネル、レナス、クリフ、ファリン、タイネーブは小さな円で囲まれ、大きな円は漆黒兵達の目の前まで広がり、二つの円の内側に、紫色の様々な記号が浮かび上がる。

 「これは警告だ」

 長剣の柄を逆さに握ったまま、フェイトは漆黒兵達に告げる。
 「僕は、別に殺し合いをしに来たワケじゃない。ただ救出出来れば、それでいい。だから……命が惜しければ……絶対に、紋章の中には入るな」
 「……技術者のクセに…頭はあまり良くはないようだ」
 シェルビーは鼻で嗤うと、無造作に手を前へ振った。
 「行け! 技術者は一人生き残ればそれでいい! こうなった以上、容赦はするな!!」

 漆黒の鎧に身を包む兵士達が、動いた。
 解き放たれた猟犬のように獰猛に、俊敏に、フェイト達の方へと襲い掛かる。

 ズバババババババババッ

 「「「!!?」」」

 そして……鮮血と、肉片と、粉々に砕かれた鎧の破片が、粉雪のように宙を舞った。
 最初に紋章へと足を踏み入れたのは、十数人。
 紋章を踏んだ途端、足の裏を中心として水面のように波紋が広がった。
 それが合図だったかのように、紋章から一瞬で無数の刃が突き出し、同じく一瞬で引っ込む。

 紋章が消えた。

 後に残されたのは無数の金属片と、血塗れの石床と、彼方此方に散らばるさっきまで人間だったモノのカケラ。
 そして……静寂。

 誰も、何も言えなかった。

 圧倒的な力は永久凍土のような冷酷さで、兵士達の命を奪い去っていった。

 恐怖でもない。
 驚愕でもない。

 ただ、絶望。

 絶対的な絶望そのものが、突然目の前に、人という形を取って現れたかのようだった。

 フェイトは剣を引き抜き、両手で構える。
 「彼女達の傷は……」
 拷問を受けた三人の隠密達は、皆、傷だらけだった。
 「すぐに癒える。でも、想い出は消えない」
 腕を思い切り振りかぶり、剣をバットのように肩に担ぐ。
 「シェルビー。お前は……試し切りの藁人形だ。お前は…僕のモノを傷付けた……」



 その名は月の女神
 その名は銀の弓の娘
 その名は野生を司る者
 その名は女狩人



 「な…何をしているっ、さっさと殺せ!!」

 まるで歌うかのように吟じ始めたフェイトに向かって、シェルビーは何度も指を差し、兵士達に命令する。
 しかし、誰も動かない。



 あなたが引き連れるのは
 あなたの為に歌う海のニンフ五十人
 あなたの狩りを手伝う森のニンフ二十人
 そして一群れの犬



 誰も、動けなかったのだ。
 威圧されているワケでもない。呪縛されているワケでもない。
 魅了されていた。見惚れていた。
 その美しさに。神々しさに。



 永遠の純潔を得ていながら
 あなたがそれに縛られる事はない
 あなたが四本の矢を射れば
 一つは松の幹を切り裂き
 一つはオリーブの木を貫き
 一つはイノシシを射抜き
 一つは邪なる街の住人全てを射殺すだろう



 シェルビーの怒声も止んでいた。



 今私は
 あなたが一つの銀の矢を
 あなたの銀の弓につがう事を望みます
 哀れなる一人の人間を救う為に
 私を救うために



 「『スピリット」



 いつの間にか、兵士達は左右に移動していた。
 フェイトからシェルビーまで、一直線に道が出来ている。



 「オブ」



 長剣が動く。
 切っ先はゆっくりと弧を描き、そして急速に速度を増し、石床を掠め……



 「アルテミス』」



 振り上げられた。
 音はない。全くの無音。
 しかしシェルビーの左胸には、ぽっかりと穴が空いていた。雪景色よりも静かで、光の速さよりも速い“矢”は、鎧と肉と心臓を貫き、遙か後方の壁にさえ穴を穿っている。
 シェルビーの姿が、蜃気楼であるかのように歪んだ。揺らぎ、震え、色彩が薄くなり、やがて完全に消滅する。
 残ったのは……一枚のDISC……

 「来い」

 フェイトが軽く手招きすると、それは円盤のように飛来し、彼の手の中に納まった。

 「さて…と」

 長剣を鞘に仕舞う。
 兵士達は、再び道を空けた。
 まるで、モーゼが紅海を割った……そんな光景だった。

 「じゃ………帰ろうか? 皆」

 そう言って微笑む青年の顔を、レナスはただじっと見つめた。





 レナス達が修練場の外に出た時、一人の少女が馬車の前で待っていた。
 瞳のはっきりとした、小柄な少女。大きなバッグを持ち、身体にはローブを羽織っている。

 「! フェイトさんっ」

 こちらの姿を確認して、満面の笑みで駆け寄ってきた。
 「よかった、無事だったんですね?」
 「ああ……おばさんは?」
 「あ、残るそうです…。………お母さんにとっては、漆黒の人たちもみんな息子ですから…」
 「そうか……」
 「……誰だい? この娘…」
 それまで背負っていたファリンを馬車の中へ寝かしたフェイトに、レナスに支えられていたネルが尋ねる。
 「カルサア修練場食堂の看板娘で、マユちゃん。ネルさん達の恩人ですよ?」
 「恩人…?」
 「彼女のお陰で、エレベーターの鍵が手に入ったんですから」

 そう言えば、数回見掛けた事がある。
 この可愛らしい娘が、二,三十年もすればああなる(母親のように)のかと、密かに憐れんだ覚えが…。

 ネルは馬車へと乗り込み、敷物の上に座り込んだ。やがて振動を感じ、出発したのだと、頭の片隅でそう考える。

 「……フェイトさん」

 それまで黙っていたレナスが、口を開いた。
 「んー?」
 眠りに就いてしまっているファリンに、慣れた手つきで治療を施しつつ、フェイトは間延びした声で聞き返す。

 レナスは、何も言えなかった。
 思わず名を呼んでしまったが、一体何を言えばいいのだろう。
 礼か? 謝罪か?

 「別にいいよ? お礼も、謝りも」

 彼女の葛藤を見透かしたかのように、フェイトはそう言った。
 「レナスは、正しいと思ったからこそ行動した。結果なんてやる前から分かるはずは無いし、関係ない。ひょっとしたら、レナスとクリフとで三人を助け出せていたかも知れない。……自分が正しいと思える行動をしたのに、それについて謝る必要は無いんだ。そして僕は、僕のために、僕“自”身の理“由”で、僕自身の責任の於いて、カルサア修練場に行った。感謝されるとか怒られるとか……そんな事は関係ない。僕自身の勝手な行動だった」
 ファリンの腕に包帯を巻いていく。
 「………」
 「何にしても、これからもっともっと“強さ”は必要になってくる。本当に目的を達成したいのなら、それに伴う“覚悟”も、以前とは比べ物にならない位に大きくなってしまうだろう。………レナスには…その覚悟はあるかい?」
 「………分かりません…」
 「焦る必要なんかない。時間はまだある。……もし、覚悟が無いとしても…せめてお父さんと再会するまでは、僕は力を貸そうと思う。でも、それだけだ。それ以上は……関わらない」
 「…………」
 「……まぁ、覚悟があるかどうかは…」
 俯くレナスの頭に、彼はそっと掌を置いた。
 「道のりの中で確かめていけばいい。……これからの人生の中で」





 ギャンッ

 「わ!?」

 キィィンッ……ガッ

 「ちょっ!?」

 ギャギャギャギャギャギャギャギャッッ

 「す…ストップ!!」

 たまらずソルムは叫ぶ。
 アルベルはハッとしたように攻撃を止め、荒い息を付いていたが、やがて刀を地面に突き立てた。

 「…………」

 ソルムは刀を鞘に納め、溜息と共に瓦礫の上に腰掛ける。

 「………」
 「……焦ってるね」

 胡座を掻くアルベルの背中に、彼はそう声を掛けた。

 「………」
 「何て…言えばいいのかな……。こう……絶対的な…超然とした…」

 “あれ”をどう表現すればいいのか、分からない。

 あの神々しさ
 あの美しさ
 あの巨大さ
 あの優しさ

 どれもこれも、初めて目の当たりにするものばかりだった。

 (あんなヤツが……いたのか……)

 強いとか凄いとか……それ以前に、存在する次元が違いすぎる。
 今まで闘ったことのないタイプであり、そして見た事のないタイプだ。
 二人とも、屋上から立ち去る彼等を、ただ呆然と見送るしか出来なかった。

 そして、あの青年は気付いていた。

 青髪の青年は気付いていた。

 そっと自分たちが隠れていた方を振り向き、微笑を見せた青年は、気付いていた。

 全て見透かしているかのような、あの目!

 抵抗する事さえ諦めさせるような、あの力!

 屈辱とさえ思えない。彼に敵わない事は恥ずかしい事ではなく、ごく自然の、普遍的摂理であるのだと、脳がそう告げているのだ。

 もし……神が地上へ舞い降りたというのなら、あの青年こそ、それに最も近いものであろう。

 寝転がったアルベルに習い、ソルムもゴロリと横になる。

 「何者って言うより……“何”だったんだろうね? ……あの男は…」

 ソルムの呟きは、修練場の薄暗い闇へ溶け込んでいった。



[367] Re[9]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/02/14 22:44
 「く…くくくっ……クレア様ぁぁぁ!! ネル様達がっ…!!」

 満面の笑みを浮かべ、部下の一人が駆け込んできた。

 夢だと思った。
 信じられなかった。

 大丈夫と思っていたと言えばウソになるが、心の何処かでは、もしかしたら…ひょっとしたらと……期待していた。
 しかし、所詮は“もしかしたら”、“ひょっとしたら”。
 物語でしか実現しないような、僅かな可能性だった。

 だが……。

 「クレア。………………ただいま」

 次の瞬間、思い切り親友に抱き付いていた。
 夢ではない。幻ではない。
 幽霊でもない。

 「……ッ…!!」

 何も言えなかった。
 ただただネルの背中に手を回して、ただただ強く抱き締める。
 まるで二度と失わないように。
 二度と離れてしまわないように。

 レナス達がワザとらしく咳払いし、真っ赤になって離れるまで、クレアはそうしていた。
 「あ…その……皆さんもご無事で、本当に…」
 「あはは……かなりヤバかったんですけどね」
 「全くだ。今回ばかりは、流石にフェイトに感謝しねぇとな」
 「……それで…」
 ふと、“彼”がいない事に気付く。
 「……あの、ネル? 一体フェイトさんは、どんな作戦を使ったの?」
 「え?」
 「フェイトさんが、99%成功する作戦があるって…」
 「成る程ね……とんでもない自信と、それに見合う実力があるって事かい……」
 「? どういうこと…?」
 「エレベーターで四階まで昇り、シェルビーを倒して、アタシ達を救出する。……それだけだよ」
 「………!?」





 フェイトの手には、一枚のDISCがある。

 それを膝の上に乗せると、小さな掛け声と共に拳で三つに叩き割った。

 小さめの破片が二つ、少し大きめの破片が一つ。

 それらは光に包まれ、形を変え、それぞれが小さなDISCとなる。

 (これで良し…)

 三枚重ねてポケットの中に入れると、本を広げ、深々と硬い椅子に凭れた。
 目の前にある二つのベッドの上では、それぞれファリンとタイネーブが、一心不乱に眠っている。
 幸い怪我は大したこと無かったが、精神的疲労が大きすぎた。救出される可能性がほとんどゼロに等しい中、敵の拷問に耐え続けていたのだ。……それは肉体よりも、心にダメージを与える。

 コンコンッ

 「はい」
 フェイトは本から目を離さずに、ドアをノックした人物に返事をする。
 入ってきたのは、ネル……そしてクレア。
 「……フェイトさん」
 「はい?」
 「ありがとうございました」
 そう言って、クレアは深々と頭を下げる。
 ネル達が無事に戻ってきてくれた。
 それは例えようのない喜びだった。
 「ネルさんは? 寝てなくていいんですか?」
 「ああ、大丈夫。ちょっとまだ痛みはあるけど…」
 「なら休んでいてください」
 「だから大丈夫だって。別に大したことは……」
 「クレアさん」
 ネルの言葉を遮るかのように、フェイトは口を開く。
 「僕との約束…覚えてますよね?」
 「………。はい……」
 「僕は……ネルさん達の“命”でも“身体”でも“心”でもなく、“ネルさん達自身を”くださいと…そう言ったんです。つまりは、全て。ネルさん達の“過去”も“現在”も“未来”も、全て僕のもの。……そういう意味なんです」

 ネル達の全て。
 それが、フェイトの提示した条件。

 だが、クレアは愕然としていた。
 男が女に求めるものなど、一つだろう。
 一つしか思い浮かばなかったし、考えなかった。
 場合によっては、自分の身体を好きにさせるつもりだった。
 しかし、彼は……自分の想像を超える、最悪の条件を言い渡した。

 自分はネル達の人生を、全てフェイトの手の中にする事を認めたのだ。

 動揺するクレアを見ながら、フェイトは考える。
 所詮は口約束だ。ネルとクレアが知らんふりを決め込めば、自分に勝ち目はない。力尽くで……なら簡単に従わせる事が出来るが、彼にそのつもりは無かった。
 ネル達は無事に戻ってきた。それはもう、変えようのない“過去”であり、確かに存在している“現在”でもある。
 クレアにもレナスと同じく、信念がある。
 親友は助かった。だからもう用無し。
 約束など知った事ではない。覚えがない。
 そう言ってしまえば済むのに、彼女の信念はそれを許さない。彼女は総司令であり、その命令は絶対。ネル達は軍を辞めない限り、命令からは逃れられない。しかし……名門ゼルファー家の人間で、誇り高きクリムゾンブレイドのネルが軍を辞めるなど、有ってはならない事だ。

 約束は約束……それがクレアの信念。
 しかし、あくまでクレア自身の信念。それでネル達を縛る事は出来ないし、したくはない。

 「………フェイト」
 「何です? ネルさん」

 相変わらず本を広げたまま、彼は顔だけを動かす。
 「本気で…アタシを…アンタのものにするつもりなのかい?」
 「はい、本気です」
 「ファリンと…タイネーブも?」
 「はい」
 「三人とも……かい?」
 「はい」

 一体……どういう男なのだろう、このフェイトは。
 自分よりも年下の筈の、この青年は。
 三人の……それも年上の女性を、自分の所有物にする。普通では考えられない。
 しかし、彼は当たり前のように言ってのけた。自分の眼光にも些かの動揺さえ見せず、真正面から、はっきりと答えた。
 そして既に……彼の中では、自分は、ファリンは、タイネーブは、完全に所有物になっている。

 暫くフェイトを見つめていたネルだったが、やがて背を向けると、「自室で寝る」と、まるで独り言のように呟き、ドアを開けた。クレアも少し慌てた様子で、彼女の後を追う。

 「……んんっ…!」

 タイネーブが、苦しそうに呻いた。
 フェイトは椅子を彼女の枕元に移動させ、そこに腰を下ろすと、右手を伸ばす。優しく、暖かい掌が、タイネーブの額に当てられた。

 「良い夢を……」

 彼はそっと呟く。タイネーブの眉間に寄っていた皺が消えていき、やがて安らかな寝顔に変わる。それを見届け、手を引っ込めようとしたフェイトだったが、寝ぼけているのか手首を掴まれた。

 「……ん……」

 彼女はフェイトの手を両手で包み込むと、そっと自分の頬に押し当てる。そしてそのまま、スースーと軽い寝息を立て始めた。

 「………」

 フェイトは足を組み、太腿の上に本を置く。右手はそのままにして、左手で読み終わったページを捲った。

 数分後、左手も同じようにしてファリンに占領されるのだが……いくら彼でも、流石にそれは予想出来なかった。





 「ネル……」
 「……そんな顔すんじゃないよ、クレア」

 泣き出しそうな親友の頭を、ネルはそっと抱き寄せた。

 「フェイトがいなかったら……アタシ達は、間違いなく死んでたんだ。こうやって、クレアと再会する事もなかった。それに、技術者も全員無事だった。結果的には、任務は成功だよ…」
 「でも……」
 「ま……大丈夫。今は、アイツに大人しく従っておくよ。イヤだなんて言っても、絶対にアタシじゃ勝ち目は無いしね」
 「……そこまで…強いの?」
 「ああ。……強い。強すぎる。今になって、寒気がしてくるくらいにね。多分“歪のアルベル”にだって勝てるかも知れない」
 「…………」
 「アイツは…ワガママなんだ。そしてそれを通すだけの力がある。弱肉強食って言葉、改めて思い出させられた気がするよ。けど、アイツは、アタシ達が勝手に死ぬのを許さない。上手く利用出来れば、対アーリグリフの戦陣に加える事が出来るかも知れない。だから……暫くは、アタシはフェイトのものになろうと思う」

 全てはシーハーツのために

 ネルの決心の固さを一番良く知るのは、他ならぬクレアだった。





 領主の館の、裏庭。
 そこの、ルムほどはありそうな大きさの庭石に腰掛け、頬杖を突き、溜息を吐いている、銀髪の少女。
 言うまでもなくレナスである。
 「……っはぁ~~ぁ~~ぁ~~~…………」
 馬鹿馬鹿しいほどに長い溜息。その溜息が落ちる位置に座っている、筋肉質の男。
 こちらも言うまでもなくクリフである。
 「何だ? どうした?」
 「フェイトさん……何考えてるんだろ…」
 「ああ……」
 その事か…。
 ファリンとタイネーブが寝ている筈の、二階の窓。それをちらりと見上げ、クリフはついでに大きく伸びをする。
 「ま、気ぃ落とすなや、レナスちゃん。フェイトも男だ。ちょっと……行動が大胆すぎるがな。そんなに心配なら、さっさと告っちまえよ」
 「それじゃダメなの!」

 否定しない…。

 フェイトの事を好きなんだろ?と聞いて、照れ隠しに真っ赤になって否定する……それを見て、自分はニヤニヤと笑う……という、からかいシナリオがあっさり崩れ去り、クリフは複雑な表情を作った。
 「ほら、私って清純派でしょ? 女から告白なんて、がっついてるってカンジじゃない? ちゃんとフェイトさんの方から、
 『レナスちゃん……僕のものになってくれるか?』
 『フェイトさんっ、そんな…私、物じゃありません!』
 『拒否は許さないよ? 君はもう既に……僕のものなんだから』
 『そ…そんな……!』
 ……っと、始めは拒絶していたヒロイン。しかし彼の心を知り、その本当の優しさに触れ、徐々に魅かれていき…! そして二人はついに、真実の愛を手に入れたのです!」



 前略・お袋様。クリフです。親父のイボ痔の具合はどうですか?

 俺はひょっとしたら……リーダーから、とんでもない任務を与えられてしまったのかも知れません。

 追伸・恋する乙女は皆、多重人格なのでしょうか? これが普通なのでしょうか?



 (………いよいよ……か…)

 物静かな館内。
 既に皆、寝静まっているのだろう。
 とあるドアの前で、ネルはそっと深呼吸した。

 -後で部屋に来てください-

 夕食後、フェイトは自分にそう言った。
 ぎゅっと拳を握り、天井を仰ぎ、大きく息を吐き出す。そして握った拳のまま、ドアを軽く叩いた。

 ゴンッ……ゴンッ……

 「どうぞ」

 返事が返ってこなければ、どれだけ楽だっただろうか…。
 頭を振ってその考えを追い出し、ネルはドアノブを回した。

 ガチャッ……

 室内に、その音だけが響き渡る。
 ランプの明かりの下で本を広げている、青髪の青年。グリーテンの文字なのだろうか、背表紙には見た事もない記号が記されていた。
 彼はそれを閉じ、サイドテーブルの上に置く。

 「………で?」

 軽く足を広げ……
 腕を組み……
 マフラーに口元を埋め……
 上目遣いで睨め付け……
 出来るだけ威圧的に……

 「私に…何か用かい?」

 ネルはフェイトが座る椅子の前に立つと、出来る限り心を落ち着かせようとした。
 しかしどれだけ彼を威圧しようとしても……深緑の瞳は、全く揺らがない。

 ふと自分が、掌の上にいるかのような錯覚を覚えた。

 どれだけ踊っても……そこから逃れる事は出来ない。

 それはフェイトの絶対領域。

 本当に彼は人間なのか?

 シェルビーの胸に風穴を空けた、あの妙な技。
 人間にあんな事が可能なのか?
 クリフやレナスも唖然としていた事からして、グリーテン人の中でもフェイトは異質な存在なのだろう。
 あれに狙われたら、逃れる事は不可能。
 その前に、漆黒兵達を一瞬で切り刻んだ技。
 本気を出せば、あの紋章は更に拡大出来るかも知れない。いや、恐らく出来る。

 可能なのだろうか?

 フェイトを利用する事など…。

 この異様な……巨大な“何か”を乗りこなす事など…。

 「先ず一つ。シランドまでの僕達の護送任務は、変更無くネルさんが続けてください」
 「……それは命令かい?」
 「一応お願いですけど…。拒否したいのであれば、命令になります」
 「改めて言わなくても、元々そのつもりだよ」
 ネルの声は冷たい。
 「………用はそれだけじゃないんだろ?」
 「ええ。服を脱いでください」

 機械になってやるつもりだった。

 感情を捨ててやるつもりだった。

 無言でベルトの留め金を外し、コルセットを外し……

 「いや。上半身だけでいいです」
 「!?」

 一瞬目を離した隙に、彼は椅子から離れている。

 (そうか………“これ”があったね…)

 無音の瞬間移動。
 フェイトは既に、自分の背後に立っていた。

 (こんなにあっさりと……後ろを取られるなんて…!)

 彼はマフラーを取り去る。
 上半身の服をはだけ、背中に人差し指を押し当てた。

 「……………………………ふっ!」

 ビリッ

 「!?」
 一瞬痛みが走った気がしたが、錯覚だったらしい。
 (今…のは…!?)

 力が溢れだしてくる……そう感じられた。
 施力が内側からわき出す。
 身体が完全に活力を取り戻す。

 「次から体調管理には気を付けてください。……それじゃ、お休みなさい」

 「え…?」

 思わず振り返るネルだったが、彼は既に元の椅子に腰掛け、読書の続きを楽しんでいた。



[367] Re[10]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/02/27 17:58
 「『ファイアボルト』!」

 一体何なのだろう、この大きさは。
 一体何なのだろう、この威力は。

 焼き殺されるモンスターと、自らの右手とを交互に見比べ、ネルは呆然としていた。

 「すげぇ威力だな、オイ…」
 「施術、生で見るのは初めてですけど……これ程だなんて……!」
 「ネルさんっ、すごい!」
 驚愕と感嘆の入り混じった感想を漏らす、クリフ、マユ、レナス。
 だが……一番驚いているのは、他ならぬネル自身だった。

 『ファイアボルト』に、これ程の威力が有るはずが無い。

 「……フェイト」
 「あ、終わりましたか?」
 青髪の青年……いや……自分の“主”となった彼は、近くの岩から飛び降りると、小説をカバンの中に仕舞った。
 「何を…したんだい?」
 「?」
 「アタシに…何をしたんだ!」
 「別に……ちょっと“強く”しただけですよ。不自由じゃないでしょ?」
 「だからっ、具体的に何をしたのかと…!」
 「さて、じゃあ先に行こうか」
 「ッッ…!!」
 フェイトは、答えたくない時には徹底して口を閉ざす。
 力尽くで…が無理なだけではなく、自分が彼の所有物である事を認めてしまった今となっては、彼の気が向いた時にしか答えは貰えない。

 やはり、グリーテンでもフェイトは異質な存在らしい。
 クリフとも、レナスとも……根本的に“何か”が違ってしまっているのだ。

 存在としての次元か

 力か

 知識か

 能力か

 何が、とは説明出来ない。
 しかし……フェイトは、例え相手が神だろうと悪魔だろうと、気に入らなければ従いはしない。それだけの力を有している。

 ネル、ファリン、タイネーブ。彼の所有物となった三人だが、ファリンとタイネーブはアリアスに留まり、クレアをサポートするように命じられた。
 そして、修行。毎日一時間ほど時間を作り、フェイトが教えたメニュー通りにこなす事。

 理解出来なかった。

 クレアと同じように、ネルもまた、フェイトが求めているのは単純に身体だろうと考えていたのだ。
 しかし……彼は求めなかった。何を考えているのかは不明であるが、とにかく……彼によって、自分は強くなった。それは分かる。
 走りが早くなった。
 筋力が上がった。
 施術の詠唱が早くなった。
 他にも色々とあるが、とにかく強くなった。見た目には何も変わっていないのに、直感として感じる。自分の中で沸々と湧き上がる、強大な力を。

 (ま、何にしても……身体にはさほどの興味がないって事なのかい? …………。…………? …………!? ちょっ、いやっ…別にアタシが求めてるってワケじゃ…!!)

 美青年だということは認める。
 笑顔が魅力的なのは認める。
 しかし……。

 (アタシは義務としてフェイトに従ってるだけだ! 仕方なく、なんだ! ヤツの弱点を知るためにくっついてるだけなんだ!)

 突然頭を抱えて葛藤を始めたネルを、レナスは冷や汗を流して見ていた。
 「ふぇ…フェイトさん、ネルさんが……」
 「……何やってんだろ? ネルさーんっ、もうすぐ街なんでしょ? さっさと行きましょーよーっ!」
 「え!? あ…ああ………」





 商業の街・ペターニ

 シーハーツ領内のほぼ中心に位置するこの街は、国内のあらゆる人材、物品、情報が集まる、シーハーツ有数の大都市だ。サンマイト共和国、そしてグリーテンへの道へ続く場所でもあり、古くから栄えている。人口は首都のシランドを越えていた。

 「賑やかな街ですねぇー」

 当に、都会だった。サンマイト共和国からの旅人もそこら中を歩き回っており、人々のファッションも多種多様。さっそく道端の屋台に向かおうとしたレナスだったが、ネルに襟首を掴まれた。
 「まぁ落ち着きな。アンタ等は大切な客人なんだ」

 護衛対象ではなく、客人。
 その何気ない言葉の変化が、レナスには無性に嬉しいものに感じられた。

 「取り敢えず、今日はこの街で宿泊するよ。アタシは少し用事があるから、アンタ等は自由にしてていい。けど、この街からは出ないでおくれよ?」
 「了解」
 「おう」
 「はーい」
 「はい」
 四人の返事に満足し、ネルは頷く。

 その時……



 「有史以前からアイラブユーぅぅぅぅぅ!!」



 ハッとして身構えるネルだが、遅い。
 人類規格外のスピードで彼女の背後に回った男は、ネルの脇腹に手を差し込み、そして……

 ムニュッ

 胸の膨らみを掴んだ。

 「うをぉぉぉぉっ、やわらけぇぇぇ! もう死んでもいぃぃぃ!!」
 「なら死になぁっ!」
 「めるしぼくっ!?」

 振り向いたネルの右ストレートが決まり、男は石畳の上に叩きつけられた。
 緑色の頭髪。額にある、一筋の縦皺。それが中眼を閉じている状態だと気付けるのは、フェイト、レナス、クリフの三人だけだった。

 「あ…アレックスさん!?」
 「アレックス?」

 驚きで目を見開くレナスに、怪訝そうに聞き返すクリフ。
 「んあ…おう、レナスちゃんか…」
 「一体何でアレックスさんがここ……ぴぃぃっ!?」
 「あ?」
 情けない悲鳴を上げる少女に、大男は怪訝そうに振り向いた。

 「……え?」

 そして止まる。

 そこには……修羅がいた。
 神も悪魔も恐れぬ者。
 宇宙最強の生命体とも噂される存在。

 そして……鬼神。

 「アレックス…。“僕のもの”に手を出すなんて……その度胸は称賛に値するよ」
 「え? ちょ…“僕のもの”って……この姉ちゃん、まさか…!!」

 彼は、青白くなって後悔する。
 穴があったら入りたいどころか、馬がいたら蹴られたい。崖があったらダイブしたい。

 人生には、生と死の分水嶺がある。

 そしてそれは……いつ来るのか予測出来ない。

 「………」
 「………」
 見つめ合う二人。被害者のネルはほったらかし…。

 「……アデュオス・アミーゴォォォ!」
 「逃げられるとでも?」

 ビィッ!

 「あんがぁるずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
 「ああっ、フェイトさんの目からビームが!?」
 「お前本当に人間か!?」





 攻撃→異常な治癒力のヒーリング→攻撃→ヒーリング→燃やす→ヒーリング→10連コンボ→ヒーリング→斬→ヒーリング→………





 永遠とも思われたリフレイン生き地獄が、今、終わった。

 「いやー……数回死にかけた…」
 「むしろ死んどけよ、生物として…」

 フェイトのヒーリングも異常だが、アレックスの回復力もまた異常だった。

 “もうしませんごめんなさいほんとう調子乗ってました申し訳なくいやほんと…”

 何故かネルではなく、フェイトに土下座するアレックス。まぁ確かに……彼の怒りの方が何万倍も恐ろしいのだろうが…。

 (へぇ……アタシの事で、あんだけ怒ったってことかい…? それとも、ただ自分の所有物に手を出されたのが我慢出来なかった…?)

 暫く考え込んでいたネルだったが、やがてどうでもいい事だと首を振った。

 「で? 何でアレックスがここに?」

 ペターニの噴水広場、そのフードテラス。フェイト、レナス、ネル、クリフ、マユ、そしてアレックスの六人は席に着き、アフタヌーンティーの時間を過ごしていた。
 「ソフィアはどうなったんですか!?」
 「まあ、落ち付けって」
 身を乗り出すレナスを制し、アレックスは未だに攻撃の痛みが残っているのか、顔の左半分をくしゃくしゃにした。
 「ふぅ……お茶がうめぇ…」
 「どうなったんですか!?」
 「ま、それは午後の紅茶が終わってからゆっくり…」

 「知らないのか?」

 目を閉じ、カップに口を付けるフェイトが、独り言のように呟く。
 「いや、知らないなんて言ったらミもフタも…」
 「知らないんだな?」
 「だから、俺が言いたいのは…」
 「知らないんだろ?」
 「……ゴメンナサイ」
 「ええっ!? だ…だって、一緒に脱出ポッドに乗ったって…」

 ヘルアから脱出の際、自分はフェイトとポッドに乗り、ソフィアはアレックスと一緒だった筈だ。

 「いや……それが、レナスちゃん達が脱出した後、ちょうど親子二人連れが来てな。結局別々の脱出ポッドに…」
 「そ…んな……」
 レナス…そしてクリフは、落胆した。脱出ポッドは、基本的に全速力でその場から離脱した後、安全な星を探して不時着する為の乗り物だ。当然射出される方向が全く同じという事はなく、結局は大幅に離れた地点に落下してしまう。

 「ま、大丈夫」

 気休めも、フェイトが言えば妙に説得力があった。俯くレナスの頭をそっと撫で、彼は出来るだけの微笑みを見せる。
 「生きてさえいればまた会えるよ。僕も、遭難なんてしょっちゅうだったし」
 「……ありがとうございます、フェイトさん……」
 和やかになりかけた雰囲気だったが……

 「脱出ポッド? 何だいそれは?」
 「???」

 (((あ……)))
 エリクール人二人の存在をすっかり忘れていた。
 (ヤベエ…俺とした事が……!)
 「取り敢えずネルさん、質問はナシで」
 「……ふぅ……分かったよ。どうせアタシには分からない事なんだろ?」
 フェイトに言われては、彼女も引き下がるより他ない。少し拗ねたような表情をするネルに、フェイトは曖昧な苦笑いを浮かべた。

 ネルが例の用件を済ませに行った後……

 アレックスはグリーテン人だとフェイトに紹介されたので、同じく街に留まる事になった。売店の女の子を口説いているが、どうやら実る可能性は果てしなく薄い。
 クリフは酒場へ。
 フェイトはマユとレナスを連れて、西地区へと散歩に来ていた。

 「でも…本当に繁栄してるってカンジですよね」
 「だねぇ…。ま、それだけ治安も悪いって事だから。気を付けた方がいい」
 「はい」

 そして、暫く西へと進んでいた時……

 ガシャァァンッ

 「え!?」

 突然隣の窓ガラスが割れ、食器が飛び出してきた。マユの顔面を直撃しようとした皿を、フェイトの手が伸びて素早く掴み取る。
 「……本当に治安が悪いな…」
 穴の空いた窓から、喧しく声が漏れてきた。
 「じゃからっ、仕方ないじゃろう! 人材不足は!」
 「うるさいわねっ、マスターなら何らかの打開策を考えるもんでしょ!? そのブヨブヨのお腹は何よっ、妖怪蹴毬ジジイ!」
 「それは関係ないじゃろが! ウェルチこそ今の食生活じゃと、すぐにワシと同じに…」
 「んだとコラアアア!!」
 「ごっ、ごめんなさいぃぃぃ……!」
 「……修羅場?」
 「みたいですね…」
 顔を見合わせる三人だったが、やがてその建物の扉を開けた。
 酷い有様だった。書類が散乱し、家具も所々傷がついている。食器は言うまでもなく粉々。
 そして……店らしき奥にて、小太りの老人にネックハンギングツリーを仕掛けている、ツインテールの女性。よほど頭に血が上っているのか、ドアベルの音にさえ気付いていなかった。

 「え? ギブ? ギブ? どうなの? ギブなんでしょ?」

 「そんなに絞めてたら、返事なんて出来ないんじゃないですか?」

 「え!?」

 彼女の手から、老人が落下した。
 錆びた回転椅子のような音が聞こえてきそうなくらいぎこちなく、ゆっくりと、こちらを振り向く。

 「三年ぶりですね。覚えてくれてました? ウェルチさん」

 「…………………………きゃあああああああああああああああ!!」

 先程とは打って変わって、ウェルチは可愛い悲鳴を上げる。顔を真っ赤にしてギルドマスターを踏み越えると、目にもとまらぬ速度で控え室へと引っ込んでいった。

 「……フェイトさんって…ここに来たことがあるんですか!?」
 「あれ? 知らなかった? 三年前に、ちょっと寄っただけ…だけどね」

 ちらりと見たウェルチの胸に、新たなライバルの胸囲……もとい脅威を覚えるレナスだった。





「おい、ソルム」
 「?」
 「何だ…この有様は!」

 アーリグリフ三軍の中でも、最も過酷な戦闘を強いられる『漆黒』。当然日々の鍛錬は欠かせないワケだが、カルサア修練場ではここしばらく、剣戟の音が途絶えていた。

 確かに…あの青髪の青年の存在を目の当たりにすれば、誰だってそうなるだろう。
 食堂の彼方此方でだらしなく突っ伏し、転がり、ピクリとも動かない漆黒兵達。

 しかしこの堕落の原因は、フェイトだけではない。

 「……うおおおっ、マユちゃぁぁんっ!」
 「いやだぁ! 我々のエンジェルが消えたなんてぇぇ!」
 「唯一の癒しがぁぁ!」
 「残ったのは…ゴリラの雌と見分けも付かないような生命体じゃ」ザクッ
 「マユちゃんマユちゃんマユちゃんマユちゃんマユちゃんマユちゃんマユちゃんマユちゃんマユちゃんマユちゃんマユちゃんマユちゃんマユちゃんマユちゃんマユちゃんマユちゃんマユちゃんマユちゃん、ハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァ……」

 「ソルム! コイツ等全員斬るぞ!」
 「えー……(汗)。俺、触りたくない……」
 「こんの……阿呆虫どもがぁぁ!!」
 「……アルベル。呑気に構えてる場合じゃないと思う」
 「ぁあ!?」
 「あのね。彼等は、アイドルを失ってしまったんだ。ただでさえ女っ気ない軍だろ? 彼等はマユちゃんのカレーがあったからこそ、今まで頑張って来れたんだ」
 「カレーを中心に動いてるのか!? この軍は!!」
 「そして……完全に女の子がいなくなってしまった軍は、どうなると思う?」
 「……何が言いたい」
 「彼等はもう…女じゃなくても、“女のようなもの”なら、何でもよくなるんだ…」
 「ちょっと待て! 何だその遠い目は!?」
 「じゃ、アルベル。くれぐれも後ろ…いや、バックには気を付けてね? 悪いのはヘソだし股チラのキミなんだから…」
 「おいっ、どこへ行く!? 待っ……!!」

 ゾクゥゥゥッ………

 それは悪寒だった。
 数々の修羅場をくぐり抜けて来た“歪のアルベル”。彼でさえ、その寒気に戦慄を覚えた。
 咄嗟に振り向くと、そこには三人の部下。
 目はギラギラ。
 口の端からは唾液。
 手の動きがヤバイ。

 「だ…だだ…団長……寝技の稽古を…」

 「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
 アルベルが、打倒フェイトへ向けて決意を新たにした瞬間だった。



[367] Re[11]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/03/08 00:02
 何なのだろう、この人は。
 魔法のコンパクトでも持っているのだろうか?
 それともステッキを振れば、身体が目映い光に包まれて、踊っている内に着替えが完了していたりするのだろうか?

 五秒で服を着替え、化粧を直し、再登場したツインテールの彼女……ウェルチ・ビンヤード。

 脅威の胸囲(ダジャレです。……しつこいですけど…)を持つ、グラマーさん。アレックスさんならコンマ数秒で飛び掛かるでしょう。

 「ほんっっっっとうにお久し振りですっ、フェイトさん!」
 「久し振り、ウェルチさん。それで…何でケンカしてたの?」
 「…………あ…ははは…はは…」
 乾いた笑い声を漂わせるウェルチ。
 「実は…三年前、ウチも国営団体として運営資金を頂ける事になったんですけど……ぜんっぜん人材が集まらないんですよ! 確かに潰れるなんて事はないですけど、一向に利益が上がらず、ラッセル執政官様には睨まれちゃってて…」
 「ちょうど良かった。クリエイター志望の娘を連れてきたんです」
 「本当ですか!?」
 「マユちゃん。この人が、ギルド受付のウェルチさん」
 カウンターから身を乗り出す彼女に多少驚いた様子だったが、マユは姿勢を正すと、そっと頭を下げた。
 「あの…フェイトさん?」
 「ん? 何?」
 「ここって……どういう場所なんですか?」
 「ここは職人ギルド。実力のある職人や技術者の保護、技術者同士の競い合いによる技術力の向上を目的に結成された、国営団体だよ。希望すれば、誰だってクリエイターとして登録することが出来る」
 フェイトはそう言いながら、傍らの棚に積まれている書類を一枚手に取り、レナスへと渡した。
 「種類は料理、錬金、細工、調合、鍛冶、執筆、機械。登録時に受ける適正テストで、それぞれのレベルが割り出される。それぞれクリエイターになった人達は、料理なら新しい料理の開発、細工なら新しい装飾品とかの開発に取り組む。そして、自分のオリジナルの新製品が出来れば、それをここに申請して、特許を取得する」
 「特許……」
 「発明品全部には評価点が存在する。その評価点の合計が多ければ多いほど、ギルドからは報奨金が出るんだ。ギルドは発明品を各地の店に売り込み、流通させる」
 「……要するに、腕次第の弱肉強食の世界なんですね?」
 「まぁ、そうなるかな…。因みにライバルクリエイターと契約する事が出来れば、そのクリエイターの発明品が五分の一の値段で購入出来る。人材を集めれば、大会社だって作れるさ。その代わり、契約主は援助とか職場環境とか整えなくちゃならないけど」

 「っはい、登録完了」

 話している内に、書類作成は終わったらしい。マユにテレグラフを渡すと、ウェルチは改めてフェイトの方を向いた。
 「フェイトさんも、工房へ顔を出してきてはどうですか? 当分は旅に出ないんでしょう?」
 「ええ、そうします。テレグラフは?」
 「ちゃんとお預かりしておきましたよ。……これからどんどん頑張ってくださいね。大事なお得意さまなんですから」
 「はい」





 次に連れてこられたのは、道を挟んでギルドの向かいにある、大きな建物だった。
 「ここは…?」
 「僕の工房」
 「フェイトさんの!?」
 「ああ。三年前に設備を整えて、何人かクリエイターと契約したんだ。……皆、元気にしてるかなぁ……いや、それ以前に忘れられてたりして……」
 何とも不安な事を呟きながら、フェイトはドアを押し開ける。

 「どーもー……覚えてますか…ね……?」

 「「「………」」」

 テーブルに座って雑談していた人々が、止まる。

 生まれる静寂。

 そして、悲鳴。

 「ああああああああ!!」

 「ぐぇふっ!」
 フェイトに駆け寄って抱き付く者、倒れる者、アペリス神に祈りを捧げる者……反応は様々だった。
 「フェイトさん! 生きてたんですね!」
 「よかったぁ! 本当によかった!!」
 「何で連絡くれなかったんだ! 心配したんだぞ!」
 「分かった分かったごめんごめん! エリザ! 試験管は置いて来い! アニスさんっ、苦しい! ガストは暑苦しい!」
 「酷ぉっ!?」
 「あは…はは……お花畑が……」
 「おおっ、待つんじゃねぇちゃーん……」
 「ダムダ、ゴッサム! 死ぬ前に金返せ!」
 「消えなさい、幽霊!」
 「ミスティさん包丁置いて!」
 「アペリス神に感謝しましょう」
 「ミレーニアさん! ………あ、いや、そっか。ありがとうございます……」
 「ねぇ、ご飯まだぁ~~?」
 「ノーリアクションっすか、リジェールさん!」





 「……何だか……」

 「随分と賑やか……ですね……」





 「えー……まぁ、三年雲隠れしててごめんなさい。ほったらかしてごめんなさい。土産がペターニ饅頭でごめんなさい。……っというわけで、新しい仲間のマユちゃんです。さあ、拍手!」

 「何が“っというわけ”だ! もう余分な部屋はないぞ!」
 「え? そうだった?」
 上半身裸の鍛冶職人・ガストに突っ込まれ、フェイトはフェザーフォルクの女性・スターアニスの方を見た。
 「はい、マスター。現在この工房にいるのは、私、ミスティ・リーア、エリザ、ガスト、リジェール、ミレーニア、ダムダ・ムーダ、ゴッサムの八人です。これでも定員オーバーなのに、更に一人増やすというのは……」
 「誰かを外すしかない?」
 「……そうなります……」

 「だ・れ・に・し・よ・う・か・な……」

 「「「ちょっと待てぇ!!」」」

 迷わず男性陣三人を見たフェイトに、彼等から魂の叫びがぶつけられる。

 「どうしたの?」
 「どうしたもこうしたもない! 何故俺達なんだ!?」
 「そーじゃそーじゃ、理不尽じゃ!」
 「だいたい、一番役立たずなのはエリザなんじゃぞ!?」
 「ふぇぇぇぇぇぇ……」
 「嘘泣きすんなぁ!」
 「ひどいじゃないかゴッサム! エリザを泣かせるなんて…」
 「お前も騙されるなぁ!」
 「ってーか、あからさま過ぎるぞ! フェミニスト野郎!」
 「当たり前だよ。僕だって男だよ? アニスさんやミスティさんやリジェールさんは美人だし、エリザは可愛いし」

 別に、恋愛感情を込めての言葉ではない。
 客観的に……心からそう思うからこその言葉なのだが、言われた皆は赤くなり、レナスとマユをヤキモキさせてたりする。ミレーニアはお母さんタイプなのだろう(サ○エさんのおフネさ○)、男性陣の応酬にただニコニコとしている。

 「それに比べてガストはムキムキだし! ダムダとゴッサムはヒゲヒゲだし!」
 「「ヒゲヒゲぇ!?」」
 「あ、ごめん。ゲロゲロとエロエロ?」
 「「何について謝っとるんじゃ!!」」
 「合わせてゲロエロヒゲヒゲ(笑)」
 「「殺!!」」

 リジェールとダムダ・ムーダは料理
 ミスティ・リーアとエリザは錬金
 ミレーニアとゴッサムは調合
 スターアニスは細工
 ガストは鍛冶

 それが、この工房の全メンバーだ。

 (…………)

 繰り広げられるコントのような光景に、レナスは妙な嫉妬を覚えていた。
 何だかフェイトが、とても楽しそうに見えるのだ。久し振りに友人と会った事でテンションが上がってるのかも知れないが、それでもあまり良い気分とは言えない。彼がこの瞬間を楽しんでいる事に、どうしてもヤキモチを焼いてしまう。

 「ああもうっ、分かった! 分かったよ! 男性陣三人はいて良し!」

 「おっしゃぁ!」
 「春闘成功ー!」
 「オーナーに勝ったぞー!」

 「じゃあ女性陣は、しばらくの間ホテル『トーアの門』に宿泊を…」

 「「「って、待てぇぇぇぇぇぇぇ!!」」」

 「何? まだ何か文句でもあるの? そうなの? どうなの? 八人分の部屋を三人で使えるんだよ? ご不満?」

 「「「う゛……」」」





 強権発動………。





 その後、フェイトとスターアニスの協力製作である縫いぐるみ『癒しネコ』の授与式を経て、マユは正式に工房のメンバーとなった。

 これで何があっても、彼女の生活はフェイトの責任に於いて保障される。

 後は、マユの頑張り次第だ。

 工房の仲間達に一瞬の別れを告げると、フェイトとレナスは西地区を後にした。





 「っでよお! アイツそこで何て言ったと思う!?

 “よし、突撃だ。アレックス”

 だぜ!? 冗談じゃないっちゅーねん! 俺に死ねっつってるんだぜ! いっそ殺してくりー!ってなもんだ!」

 隣の席でグラスをカウンターに叩きつける男を、クリフは改めて見直してみた。

 アレックス・エルゼンライト

 戦闘機乗りで彼の名を知らない者はいない。

 第三次テトラジェネス大戦の撃墜王。天才的な操縦術に加え、テトラジェネス人の中でも傑出した空間認識能力を持つ、宇宙最強と呼ばれるパイロット。
 自分も人の事は言えないが、ずいぶんと軽い男だと思った。
 エルゼンライト少佐が退役し、そのまま行方不明になった事は小耳に挟んでいたが、まさかこんな未開惑星にて実物を見るとは夢にも思わなかった。
 「しかし……アンタがあのフェイトと連んでるとはねぇ……よくやるぜ」
 「お前も分かるだろ? 俺、ずーっとあんな思いしてきたんだぞ? 何度逃げだそうと思ったことか……」
 「で…結局逃げなかったのか?」
 「……まぁ…な。俺にしてみれば、アイツの信頼を裏切る方がイヤなんだ…」

 アレックスの顔から、ふざけていた雰囲気が消えていった。

 「俺は……知りたくなかった事を知ってしまった時があった。自分のこれまでの人生が、丸ごと意味のないものになってしまったって…………そう考えるくらい、絶望しちまったんだ。けど、アイツは俺を助けてくれた。……元はと言えば、俺からアイツの仲間にしてくれって頼んだんだ…。確かに、アイツは男にゃ厳しい。それで女にゃ甘い。けど、こう……何て言えばいいのか……区別してるんだけど、平等なんだ。差別じゃねぇ、区別だ。アイツは本心じゃ、男も女も同じくらい大切に思ってる。行動だけ見てると、とてもそうは思えねぇけどな…」

 グラスの外側を流れ落ちる露を指で撫で、彼は思い出していくように言葉を続ける。

 「男には男の接し方。女には女の接し方。それでアイツは区別してるんだ。アイツは……見た目はまだまだケツの青そうなガキだが、俺等よりも遙かに多くの事を見て、聞いて、経験して、そして感じてきた。だからアイツは……どうしようもない程強いんだ」
 「…………」

 「……なぁ、クリフ」

 「ん…?」

 「お前さ。レナスちゃんかネルちゃんの入浴覗いたか?」

 「…………雰囲気台無しだな、オイ」





 CSD財団……

 バウンティハンター軍団『天啓』
 戦災孤児援助基金『ホワイトピジョン』
 エステブランド『ナイトエンプレス』

 ……等の主要組織の他、多数の集合を傘下に持つ、銀河でも有数の財団である。

 「……ああもうっ、つまんなーい!!」

 CSD財団本部ビルの最上階、代表理事室。そこの巨大なソファに寝転がる少女は、憚りもなく叫んだ。
 黄昏色の頭髪に、淡い空色の瞳。大胆に足を露出させた服を着ていて、帽子からブーツまで、全体的に緑で固めている。
 人形のようにちょこんと座っていたりすれば非常に可愛いのだが、ゴロゴロとソファの上を転がり、そしてバタバタと足を振っていた。
 「う~~、アレックスのヤツ~~。自分だけお兄ちゃんに付いて行きやがってぇ~~」
 「仕方ないでしょう、フレイ。アレックスの操縦術が必要だったんだから」
 そう言ってたしなめるのは、机に腰掛ける、この部屋をフェイトから受け継いだ女性。
 長い黄金の髪、紺碧の瞳。しっかりとビジネススーツを着こなし、モニターを見ながらパネルを叩いている。

 CSD財団現代表理事 イセリア・クィーン

 「頭領だって、遊んでるわけじゃないの。それに……いよいよハルマゲドンが始まろうとしているのよ。今回だってその為に…」
 「分かってる…けどさぁ…。やっぱり、つまんないもん。お兄ちゃんがいないと…」
 「だからって、この前みたいに勝手な模擬戦は許可しないわよ。まったく……死人が出なかった事が奇跡なんだから」
 「う……」
 「頭領が知ったら、きっと悲しむわ…」
 「………」

 フェイトの名を出すと、フレイは大人しくなる。

 「はぁ……。お兄ちゃん、今頃何してるのかなぁ……」
 「レナス・ラインゴットと“この世のヘソ”……エリクール二号星にいるわ。そんなにヒマだったら、外で遊べばいいじゃない」
 「飽きた」
 「映画は?」
 「見尽くした」
 「マンガは?」
 「読み尽くした」
 ゴロゴロとフレイは転がり続け、イセリアもパネルを叩く手を止めない。
 「……ねー、イセリア。仕事飽きないの?」
 「飽きるも何も…必要な事よ。頭領から一任された事でもあるし」
 「ふーん……つまんない性格……」

 ピシッ……

 「……それはどういう意味かしら? フレイ」
 「別にぃ…。ただ、仕事しか出来ない女って、つまんないんじゃないかなぁ…って」
 「お生憎様ね。頭領は、私らしくていいって言ってくれたわ」
 「きっともう諦めてるんだろうね…」
 「……自分が子供だからって、仕事の邪魔はして欲しくないわね……」
 「……へぇ……私が子供、ねぇ…」
 「子供でしょう?」
 「そう思う?」
 「ええ。小娘ってかんじ?」
 「お兄ちゃんも…おばさんよりは若い方がいいんじゃないかなぁ?」
 「…………」
 「…………」

 「轟け! 睨月杖『エルミ』!」

 「貫け! 神槍『グングニル』!」

 イセリアの身体が光に包まれ、黒いドレスのような戦闘服に変わる。頭上には目が描かれたリング、背中には三対六っつの光の翼。そして手には、三日月を象った杖。
 フレイの身体から、青白いオーラが立ち上る。彼女の手にも、両端に刃がある槍が握られていた。

 「『エイジ・オブ・ニフルヘイム(絶対的氷河期)』!」

 「『エーテルストライク(始源慈光陣)』!!」

 ビル最上階で時たま発生する爆発事故は、二人の乙女が原因だったりする。
 代表理事室が最上階であるのと、爆発しても大丈夫なように設計されているのは、フェイトの予想通りと言うべきか、それともあまり二人を信じていないのか…。
 彼はそれについて、「転ばぬ先の杖」とだけコメントしている。



[367] Re[12]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/03/17 23:44
 ペターニの街には、一人の花売りの少女がいる。

 「お花はいかがですか……?」

 その少女には、幼馴染みがいた。現在はシランド城で、技術者として働いている青年。
 少女の願いは、幼馴染みの……初恋の彼に、再び会う事。
 密かな想いを胸に秘め、彼女は今日も道行く人々に花を売り続け……

 「ソフィアぁぁぁぁぁ!!」

 ようとした所で、突然銀髪の少女に抱き付かれた。
 「あっ……ちょっ…!?」
 慌てる少女には構わず、レナスは抱き付いたまま飛び跳ねる。
 「もうっ、そんなマッチ売りの少女みたいな格好して! 本当に無事で良かった! まったく、ソフィアはいつまで経ってもスカシっ娘なんだから!」
 「スカシっ娘って何なんですか!? いえっ、それ以前に私はソフィアじゃありません! 私の名前はアミーナです!」
 「だからレナス、違うんだって」
 少し遅れてやって来た、青髪の青年。彼はレナスを引き剥がすと、軽くアミーナに頭を下げた。
 「ごめん。君があんまり、この娘の親友に似ていたから…」
 「あ……そうなんですか…?」

 「シュビドゥビ……」

 「え?」
 「ドゥッ!」

 ぶわさぁっ……

 しゃがみ込んだレナスは、アミーナのスカートの裾に両手を添えると、一気に振り上げた。
 「きゃああああ!!」
 悲鳴を上げ、急いで捲り上がったスカートを整えるアミーナ。
 「んなっ…何するんですか!?」
 「マリリン・モンローごっこに乗ってこない……じゃあっ、本当にソフィアじゃないの!?」
 「言いましたよ、さっき!」
 「そんなはず無いわ! 顔も背も声も同じなのに! 分かった、記憶喪失ね!? ほらっ、ソフィアの大好きな首吊りネコストラップだよぉ。思い出したかなぁ?」
 「何ですかそのショッキングアイテムは!? って言うかあなた、そんな趣味の人を親友って呼んでるんですか!?」

 フラッ……

 「……あ……」





 「いやぁっ、アンタたち。本当に助かったよ! アミーナちゃんは小さい頃から体が弱くてねぇ…」
 「そんな、お礼なんていいですよ。このくらいの事…」
 「そうそう、寧ろ原因の9割方はレナスちゃんにあ」ドゴッ

 クリフの鳩尾に肘鉄をぶちかますレナス。

 相次ぐレナスのセクシャルハラスメントに、アミーナは突然倒れてしまった。
 どうやら少し興奮しすぎたらしい。持病の発作を起こした彼女を、通りかかったクリフに背負わせ、町の人から聞き出した東地区の家へと運び込んだ。
 アミーナを助けてくれた事を、この大阪のおばちゃんみたいな小母さんは自分の事のように喜んでいる。

 アミーナ。アミーナ・レッフェルド。

 自分で摘んできた花を売った金と、国からの補助金で生計を立てている、ソフィアと瓜二つな病弱の少女。
 幼馴染みのディオンという青年と再会出来る日が来るのを、楽しみにしているそうだ。

 「ディオン…?」
 「ネルさん、知ってるんですか?」
 「ああ…。確か、城の施術兵器開発部にいたっけ。ディオン……ランダース…?」
 「そうそうっ、その子だよ!」
 ネルの言葉に、小母さんは何度も忙しなく頷いた。

 「それじゃ……連れてってあげよっか」

 機嫌を伺うような目でこちらを見るレナスに苦笑すると、フェイトは壁に背を預けつつ言う。
 「いいですよね? ネルさん」
 「聞くまでもないだろ? アンタは絶対なんだし…」
 目を閉じてマフラーに口元を埋め、軽く肩を竦めてみせる彼女からは、以前のような刺々しさは消えていた。
 「ありがとう、ネルさん。やっぱり優しいんですね」
 「別に……拒否したところで、命令を使われるだけだしね。それに、この際一人増えようが関係ないよ」

 「………!!」

 一人愕然としていたのは、他ならぬレナスだった。

 (これは……マズイ……!)

 アレックスを除けば、この中で一番フェイトと長い付き合いであり、そして一番始めに恋心を抱いた彼女だからこそ、ネルの微かな変化に気付けたのだろう。
 ネルが、フェイトを見直し始めているようなのだ。
 強制的に所有物にし、命令には絶対に服従させ……どう考えてもフェイトの行動は、女性に好かれるものではない。寧ろ、嫌われるような行動を選んでいるようにも見える。
 ネルも、彼を好きになるなど無理な話だった。
 しかし、ふと彼女は思い返してみたのだ。今までの彼の行動、そして自分が命令された内容を。

 フェイトはただの一度も、私欲の為のみの命令は出さなかった。

 そもそも自分を所有物にしたのは?
 三人にとって、ここ…シーハーツは慣れない土地である。少なくともネルの頭の中では、そうなっている。
 彼等が安心を得るために必要だったのは、信頼出来る人間。絶対に裏切らない人間。手荒な方法ではあるが、フェイトはそれを手に入れたかったのではないだろうか。

 基本的に、彼は優しい性格なのだ。

 そうでなければ、そもそも自分たちを助けたりはしなかっただろうし、自分に性的行為を強要する筈である。それだけのプロポーションは持っているつもりだし、事実過信ではない。
 そして今、アミーナを連れて行きたい等とも言わないだろう。

 “クソ生意気な年下の暴君”

 から、

 “ひょっとしたらそんなに悪人ではないのかも?な青年”。

 ネルの中でフェイトは、大きく昇進したようだ。

 それにフェイトが気付かなくても、レナスが気付く。
 (マズイ……!)

 可愛さなら勝てる。

 が、美しさなら?

 自分はネルに一歩後れを取っている。年上のお姉さんという、自分がどう足掻こうとも手に入れられないポジションを、彼女は持っているのだ。
 (やっぱり……年下のポジションを最大限に利用するしかなさそうね。それが、今の私の最も効果的な武器だし…)
 ネルの感情は、まだ恋愛がどうこうというレベルまでは達していない。
 だが……例えどんな小さな芽であろうと、出来る事なら摘み取っておきたい。なかなか物騒な事を考える少女である。

 作戦モードへと移ったレナスを余所に、皆は今後の事を話し始めた。

 「出発は明日にするよ。今日はここで宿を取る」
 「うっし! じゃあクリフ、飲み直そうぜ!」
 「程々にしといておくれよ? 明日には陛下にお会いするんだし、見苦しい真似されたらこっちが迷惑だからね」
 「分かってるって。……そうだ、ネル。酌してくんねぇか? やっぱ美人に酌してもたったら、酒の味も格別だからなぁ……」
 「バカ言ってんじゃないよ。さっさと寝な」
 「お? いいのか、そんな事言って? お前のご主人は誰だっけ?」
 「くっ……」
 「あっはっはっは、アレックス。あんまりバカ言ってると、『エンピリアル・ブラスト』で消し飛ばすよ?」
 「止めてくれ! お前っ、星ごと吹き飛ばすつもりか!?」





 次の日。

 「ふぁ……」

 涙目になり、アクビを噛み殺しながら、レナスがホテルから出てきた。
 「まったく……ちゃんと目、覚ましときなよ?」
 呆れ顔のネルに、面目無さそうに頭を下げる。
 「……はれ? フェイトさんは?」
 「工房に用事だとよ。ま、そろそろ戻るんじゃねぇの?」

 因みにアレックスもいないのだが…。

 クリフの提案で、先にアミーナを迎えに行こうとした時だった。

 「おーーーいっ!!」

 中央広場の方から、誰かが走ってくる。
 「あれは……」
 あの小母さんだった。息を切らせ、膝を振るわせ、レナスの胸へと飛び込んだ。蹌踉けた彼女を、クリフが急いで支える。
 「小母さん、どうかしたんですか?」
 「ぜーっ……ぜーっ……あ…アミーナ…ちゃん…が…」
 「記憶が戻ったんですか!?」
 「いい加減諦めろよ、レナスちゃん……」
 「アミーナちゃんが……まだ帰ってきてないんだよ!」
 「って言うか、どっか行っちゃったんですか!?」
 「西の…ダグラスの森へ、花摘みに……。手紙も見落としてたみたいだし、朝一番に出掛けちゃったみたいで、言うヒマもなくて……」
 「ッッ……!!」





 「よっし、完成!」

 バタァンッ

 フェイトの声で、一気に緊張が解けたのだろう。ガストは冷たい床へと倒れ込んだ。助け起こそうかとも思ったが、間髪入れず大イビキをかき始めた彼を見て、フェイトはベッドまで運んでやる。
 「これで…全部だよな?」
 「ああ」
 アレックスは酒瓶から口を離すと、並べられた武器を眺めた。
 「当座はこれで大丈夫だ。…………ん?」
 「どうかしたのか?」

 「フェイトさぁぁぁぁぁんっ!!」

 ドアを蹴破らんばかりの勢いで、一人の少女が工房へ突入してくる。
 「レナス、どうかしたのか?」
 「アミーナがっ、フラフラでっ、花摘みでっ、朝もはよからっ、仕事中毒っていうかっ、そのっ、えっとっ、ダグラスの森でっ、熊さんに出会ったっていうかっ」
 「アミーナが早起きして書き置きも見ずにダグラスの森へ花摘みに行って、そのまま帰ってきてないだって!?」
 「そうですっ」
 「ちょっと待て! 今の会話か!?」

 あっと言う間に分かり易く纏めてしまったフェイト。アレックスはそこに、フェイトとレナスの絶大な信頼関係を垣間見たような気がした。

 「行くぞっ、アレックス!」
 「おっおうっ」
 フェイトは長剣を腰に回し、完成したばかりの槍、ガントレット、短刀をひっ掴む。

 「レナス!」
 「はっはいっ!?」
 彼は早足ですれ違いざま、レナスに槍を渡した。
 「豪槍『魔截風見鶏』! 司るのは風!」
 彼女が開けっぱなしにしていたドアから出て、窓の前で待っていた男にガントレットを突き出す。
 「クリフ!」
 「え…俺の…武器か?」
 「ガントレット『アトミックガーダー』!」
 怒鳴るように名を叫びつつ、西門の方角へ歩き続けた。遅れて工房から出てきたレナスとアレックスも、小走りに後を追う。
 「ちょ…ちょっと、アンタ!」
 「ネルさん!」
 急いで駆け寄ってきたネルにも同様に、クナイとショートソードを渡した。
 「『フレアバゼラード』! 火炎弾を生成出来ます!」
 「え…!?」

 「行くぞっ!」

 「おうっ!」
 アレックスとしては、珍しくない事態なのだろう。号令を掛けるフェイトに真っ先に返事をすると、懐の神魔銃を太腿のホルスターへと移し替えた。

 「…はいっ!」
 レナスは子供のように笑うと、槍を担ぎ、走って彼等の後を追う。

 クリフはガントレットを装着しながら、ネルは取り敢えず短剣を手に持ったまま、最後尾に付いた。





 <グギャァッ>

 <ゲギャァッ>

 「邪魔なんだよっ!」

 道を塞ごうとするモンスター達を、先頭のフェイトが容赦なく蹴り飛ばし、あっと言う間にサンマイト平原を抜けた。

 「………何かよぉ……」

 ダグラスの森に入り、暫くした頃。
 始めの頃は新しい武器の驚くべき威力や性能で、群がってくるモンスターもぶちのめしていたが、使用する人間の方が疲労してしまった。さっきまでは大声でアミーナの名を呼んでいたレナスも、今は周囲をキョロキョロと見回しながら歩いているだけ。
 相変わらず疲れを見せないアレックスが、両手を後頭部に回しながら呟いた。

 「このパーティーって……こう、肝心なもんが欠けてるんだよな……」

 急いで捜索して、肝心のアミーナを見落としでもしたら大変だ。フェイトも早歩き程度の速度を保ったまま、周囲の様子に意識を集中させている。
 答えるもののいない呟きだが、それで気勢をそがれるでもなく、アレックスは相変わらず独り言を続けた。

 「何てゆーか……癒し系?」

 基本的に、沈黙を苦にする男なのだ。賑やかすぎる性格がそうさせているのだろうが、自分の戯れ言程度ではフェイトの集中は途切れないと知っており、口を閉じる事はしない。

 「そりゃ、ネルは美人だし。レナスちゃんは可愛いし。けど……例えば、ドジな眼鏡っ娘とか? 真っ平らな床で転んで、“はぅぅ~~”とか、涙目でおでこをさすったり。胸も大きくて、ポロリもあったり。それこそパーティーの癒し系だ。だろ?」
 「知るか……」
 「五月蠅いよ……」
 「死んでください……」

 普通に考えれば、かなり酷い返事をしているクリフ、ネル、レナス。
 しかし、今の状態は普通ではない。
 病弱な少女を捜して、未開に近い森を歩き回っている最中なのだ。アレックスのように無駄な妄想にカロリーを費やそうとは思わないし、そんな余裕もない。

 「いや……別に眼鏡っ娘じゃなくてもいいか…」

 尚も凹まず喋り続けられる、彼の神経の図太さは、それだけで称賛に値する。

 「戦闘なんかはからっきしダメだけどよぉ……回復魔法が使えたり、神様からのお告げを主人公達に伝えたり、暗いダンジョンでは発光したり、道案内をしてくれたり……。そう……そんな……こう、ちっこくて可愛い……」

 「妖精かい?」

 「そうっ、それ! 流石だぜフェイト! ああもうっ、師匠!」

 「妙なあだ名を付けるな! そっちの世界に引っ張り込むな!」

 ……まぁ、和気藹々と捜索を続けていた時。

 「………ムッ!?」

 左手でフェイトの肩を掴み、右手で後続の三人を制するアレックス。さっきまでの巫山戯た雰囲気など微塵もなく、真剣な表情で、ある一定の方向を見つめていた。
 「アレックスさん……見つけたんですか?」
 「………。ああ、どうやら……ビンゴらしいぜっ!」
 そう言うなり、彼は迷わず茂みへと突っ込む。

 “見る”ことに関してテトラジェネス人の右に出る者は、まずいないだろう。
 木の根や岩を飛び越え、小枝をへし折り、草を踏みつぶし……突然アレックスは立ち止まった。後に続いていた四人は、少し手前でスピードを緩め、彼の隣に並ぶ。

 「見つけた……」

 太腿まで届くであろう金髪。それを纏めるリボン。
 大きな瞳、緑を基調とした可愛らしいワンピース。
 背中には、蜻蛉のような羽。

 「うぅ……み…水……」

 彼女は倒れたまま、うわごとのように呟いていた。

 「これで…ついに……このパーティーにも、フェアリーが!!」

 「「「「…………」」」」

 四人は、武器を構えた。



[367] Re[13]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/04/15 23:52
 「助けてくれて、ありがと~~」
 水の入ったコップを両手で抱え、フラウ族の少女はにっこりと微笑んだ。
 「よかったじゃないか、アレックス。のほほん癒し系のフェアリーでさ」
 「…………」
 消し炭から返事はない。
 「ところであなた達~~、だぁれ~~?」
 「あ…私はレナス。ローブを羽織って、編み籠持った、巨乳の病弱少女が来なかった?」
 「え~~、わかんな~~い」
 「そりゃそうだ……」

 妖精のように小さな少女の名前は、コニファー。
 ここより北の、サンマイト共和国はサーフェリオの出身。いつものように散歩に来たはいいが、モンスターに追い掛けられる内に、すっかり迷ってしまったそうだ。何とか森から出ようとしても、渇きでそれどころでは無かったという。

 「じゃ、気を付けて帰ってね」
 爽やかな笑顔でシュタッと手を挙げ、バイバイするレナス。
 「え~~、もう行っちゃうの~~?」
 「道案内も出来ない妖精なんて、妖精じゃないわっ! 無価値!」
 「え~~ん、ひど~~い」
 「何気にアレックスに影響されてねぇか? レナスちゃん…」
 「ほら、さっさと行くよ…」
 無視して先を急ごうとしたネルだったが……

 「あ~~、その樹……」
 「え?」
 「ネルさんっ、跳んで!」

 コニファーののほほん声、レナスの叫び。思わず振り向いたネルの視界一杯に、何かが飛び込んでくる。
 フェイトが彼女を突き飛ばし、振り下ろされた樹木の根を左腕で防いだ。その直後、復活していたアレックスが銃を引き抜き、光線を撃ち出す。
 幹に大穴を穿たれた樹木は、轟音と共に横倒しになった。

 「リ…リビングウッド…!?」
 「ねぇねぇ~~、私も連れてってよ~~。樹に擬態したモンスター、そこら中にいるんだよ~~。私なら~~、隠れたモンスターだって見つけられるよ~~」



 グレープバイン

 森の中で木々に紛れて身を潜める、樹木のモンスター。今頃は最も活発に活動する時期で、気性も荒くなっており、近付くだけで攻撃してくる事も珍しくはない。
 また、外見は普通の樹木なので、アレックスの目も期待は出来ない。



 「……結構力も強いしね」
 左腕で受けた時の衝撃を思い出しながら、フェイトは呟く。自分、クリフ、アレックスはともかく、打たれ弱い女性陣が不意打ちでこんなものを食らったら、それこそタダでは済まないだろう。
 「コニファー、付いてきてくれるかい? 流石に、今みたいな不意打ちは避けたいし」
 「うんっ、いいよ~~」



 (って言うか……いつもいつも、こんな所へ一人で花摘みに来るアミーナって…!?)



 ある意味最も持ってはイケナイ疑問を考えつつ、六人となった一行は森を進む。

 「あ、あの樹~~」

 ネルのナイフとアレックスの銃で先制攻撃、そしてフェイト、レナス、クリフの一斉攻撃でトドメを刺す。

 「その樹~~」
 「『黒鷹旋』!」

 「この樹~~」
 「『マイトディスチャージ』!」

 「どの樹~~」
 「『コメットボルト』………え? どの?」

 「………何だか…環境破壊してるみたいな気になってきません?」





 コニファーの指摘でモンスターを見破りつつ、更に森の奥へと進んでいく。
 「あ!」
 先頭を歩いていたレナスが、思わず声を上げた。
 少し開けた場所に、寂しく建つ小屋。きっと猟師や森師の休憩所なのだろう、ついさっきまで人がいた気配がある。
 「丁度良かった。ほらっ、聞き込みしてみましょうよっ」
 「ちょっ…レナス!」
 呼び止めようとするネルに構わず、少女は軋むドアを開けた。

 「おねえさまーー!!」

 「……………」

 ギィ…バタンッ

 「レナス、誰かいたのかい?」
 「平成狸合戦ぽんぽこでした」
 「………は?」
 「罠に掛かった狸しかいなかったそうです」
 「なぁ、フェイト……お前、どうやって解読してるんだ?」

 <おねえさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!>

 「ってオイッ、人の声じゃねぇか!」
 それも、助けを求める悲鳴。
 慌ててクリフがドアを開け、中へと飛び込んだ。

 「……何だこりゃ」

 狸だろうか? 人間だろうか?
 キツネだったら大歓迎だ。フォックステイルで分かるように、妖狐タイプには美女が多い。
 しかし……狸人間で美女は、聞いた事がない。信楽焼とか、ぶんぷく茶釜のイメージなのだろうが、どうしても男…と言うより雄しか想像出来ない。股間にご立派なブツをぶら下げて……。

 「……何見てんだよ、バカチン」

 檻の中に閉じ込められていたのは、一人の少年だった。被ったヘルメットの端から垂れ耳が突き出し、腰の下には太い尻尾。さっきまで悲鳴を上げていただろうに、半目でクリフを睨み付けている。

 「引っ込めよっ、デカブツ! おいらは、さっきのおねえさまにしか助けられてやらねぇからな!」

 「………何だこのガキ」

 可愛い意地っ張りではなく、小憎たらしいクソガキ。
 クリフの一番嫌いな年少者だ。
 『マイトディスチャージ』をぶっ放そうかと考えていた時、残りの皆がぞろぞろと入ってきた。
 「おや。メノディクス族かい」
 「おおっ、麗しのおねえさまが二人も!? おいら、メラついてるじゃんっ!」
 「あ~~、ロジャー君だ~~」
 「げっ、コニファー!?」

 少年の名はロジャー・S・ハクスリー。
 サーフェリオの村長の息子で、年上好きのやんちゃ坊主だという。

 「で? 村長の御曹司が何で檻の中に?」
 「助けてやろうか?」
 「いいからどっか行くじゃん、デカブツコンビ」

 ガチャッ

 チャキッ

 「まぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁ」
 武器を構えるアレックスとクリフを、両手を広げて止めるフェイト。
 その彼の合図を受けたネルが、溜息を吐きながらも掌をかざし、檻の錠を開けた。

 「ありがとうございますっ、おねぇさまぁ~~!」

 違う。
 男に対する時と、明らかに態度が違いすぎる。
 それはもう、大人気ない位にぶん殴りたくなる程。

 「それでロジャー君? 何でこんな所に捕まってるの?」
 「男勝負の最中じゃん」
 「男勝負?」
 「おう、男の勝負じゃん!」
 「……行きましょうか、フェイトさん」
 「そうだね」
 「ああっ、待つじゃん!!」

 ペターニの街と、その周辺を荒らし回る盗賊団……月影

 男勝負とは、要するに肝試しの事らしい。遊び仲間(ロジャー曰く宿命のライバル)との勝負で、どちらが月影の奪った宝をパチれるか?という事になったそうだ。

 「よーし、待ってるじゃんっ、ルシオ! おいらと子分達で、すんげぇお宝を…」
 「誰が子分だ!」
 「ガキは帰ってオッパイ飲んでクソして寝ろ!!」

 「まぁ落ち着きなよ、二人とも」

 止めたのは、またしてもフェイト。
 「折角だし、連れて行ってあげよう。“目”が多い方が、アミーナを見つけられる可能性だって高くなるし」
 「けどよぉ!」
 「ネルっ、何とか言ってやれ!」
 「アタシがフェイトに逆らえるとでも?」
 「じゃあレナスちゃん!」
 「流石、フェイトさんは優しいですね」
 「……クソッ」

 男二人に勝ち目はない。

 「んじゃあ、おいらがリーダーだかんな!」
 「はいはい。しっかり頼みますよ、ロジャーリーダー」
 「んじゃ早速、お姉さまに命令! おいらは疲れたので、オンブする事!」



 「「「「…………!!」」」」



 クリフが
 アレックスが
 レナスが
 ネルが
 一斉に止まった。
 「……え?」

 ヴォンッ!!

 突風。
 ヘルメットが後方へ吹き飛び、自分の髪が一瞬でオールバックになったのが分かる。
 目の前には、拳。
 「……!? ……!?」
 真っ青になったロジャーは、訳が分からずにカタカタと震えるしかない。フェイトの裏拳の爆風によって飛ばされたヘルメットが、壁に突き刺さっていた。

 「……危なかったですね、リーダー。もう少しで、蚊に刺されるところでしたよ?」

 寸止めの拳の中には、黒い小さな塊。

 「ああっと! こんな所にゴキブリが!」

 フェイトはわざわざ大声で叫びながら、ロジャーの両足の間の床を踏み付けた。それと同時に彼は手を伸ばし、少年の襟首を掴む。

 ドォォォォォ………

 ロジャーが立っていた床は、踏み込みによって大きく陥没していた。

 「……あ……ぁあ…!?」
 「え? ありがとう? やだなぁ、リーダー。お礼なんて水くさい」

 (おいっ、早く謝っちまえ!)
 (殺されんぞっ、お前!)

 口パクでクリフとアレックスが忠告するが、歯をガチガチと鳴らすロジャーは、恐怖に顔を引きつらせるだけだ。
 直感で分かった。自分は、寝ていた怪物の尻尾をわざわざ踏み付けたのだと。
 休んでいた猛獣の上に立って、ばんばんツイストを踊ってしまったのだと。

 「にっ……にに兄ちゃん! やっぱ兄ちゃんがリーダーになってくれねぇか!?」
 「そんな…。僕みたいなか弱いもやしっ子には無理ですよ、リーダー」
 「お願いします! おいらの北極星になってください!」
 「えー……どうしよっか? みんな」
 「「「「よろしく新リーダー!」」」」
 「……じゃあ、ふつつか者ですが……よろしく」
 「こ…こちらこそ……じゃん……」





 「いいかい、ロジャー。アミーナだからね? 憶えた?」
 「はいっ、バッチリと!」

 寸止めナシの裏拳など貰ったら、本当に殺される。
 ぶんぶんと頷くロジャーに満足げに微笑み、フェイトは右手を挙げた。

 「それじゃ改めてっ、アミーナ捜索開し」

 「ああっ、小僧っ、テメェ!」

 こちらに向かってくるのは、数人の男達。手に手に物騒な武器を持ち、皆人相が悪い。
 「……誰だ?」
 「兄ちゃんっ、コイツ等が『月影』じゃんっ」
 「コイツ等たぁ何だ! ……それと……何だ? テメェ等は…」
 「フェイトと愉快な仲間達だ」
 「俺等省略かよ!?」
 「あー……どうでもいい。さっさとそのタヌキ小僧置いて、消えろ。そいつには罰を与えなきゃなんねぇ」
 「……。悪いけど…渡せないよ」
 フェイトはロジャーを背に隠し、『月影』達の前に立ちはだかった。
 「ロジャーは、僕達の大事な…」
 「兄ちゃん…!」
 「携帯食料だからね!」
 「えええええ!?」
 「てめぇ! そいつは今晩の俺達のメインディッシュだぜ!」
 「お前等も食糧として見てたのか!?」
 「やだぁぁぁ! おいらを食べて良いのは、美人のねえさまだけなんだぁぁぁ!」

 「諦めろ! ロジャーは僕達が頂いた! そして太らせてから頂く!」
 「そうはいかねぇ! 俺達も大所帯なんだ! だいたいっ、テメェ等に料理が出来るのか!?」
 「よーっし、いいだろう! 料理対決だ!」
 「はっ、盗賊集団『月影』……またの名を料理人集団『新鮮組』! その俺達に料理対決を挑むなんざ、十万光年早ぇ!」
 「ふははははっ、僕の名はフェイト……またの名を『オールイーター』! 料理店三軒を閉店に追い込む胃袋を持つ僕の挑戦を受けるとは、いい度胸だ!」
 「料理に関係ねぇよ!」
 「ちょっと待て! お前は食べるだけなのか!? っつーか何なんだっ、この展開は!」
 「辛い……こんなハイテンションなフェイトさんを見るのが、辛い! 正気に戻ってください、フェイトさぁぁぁぁん!」

 レナスの、聖なる祈り!

 フェイトの状態異常(痛いほどハイテンション)が回復した!

 「……ふふふ、僕とした事が……。ついムキになってしまった……」
 「……その…何だ。俺達も、ちょっと意地になりすぎちまった……」
 「すまなかった。ロジャーは君たちに返すよ」

 (((((えーーーーーーーー!?)))))

 「いや、俺達こそ悪かった。今夜は雑草で我慢するさ」

 (((((盗賊のクセに、なんて憐れな食生活……)))))

 「野菜ばっかじゃダメだ! ちゃんと肉も食べないと……」

 (((((雑草は野菜じゃないだろう……)))))

 「しかし……」
 「じゃあこうしよう。僕達は右側、君たちは左側だ」

 (((((……………………え?)))))

 「成る程、半分コか」
 「そう。……アレックス、クリフ。ロジャーの手足を引っ張ってくれ」
 「マジで真っ二つにすんのか!?」
 「だずげでぇぇぇぇぇ!!」
 「レナスちゃんっ、もう一度! もう一度聖なる祈りを!」

 ロジャーの右半身と左半身の泣き別れが確定する、まさにその時だった。



 「……何をしてるんですか?」



 大きくはなくとも、響き渡る声。
 『月影』達の後ろから出てきた一人の少女が、小首を傾げていた。

 「………アミーナ!?」
 「師匠!」
 「師匠ぉ!?」

 一つ目はレナスの叫び。
 二つ目は『月影』達の叫び。
 三つ目はクリフの叫び。

 「ああもうっ、探したんだよ! このスカシっ娘め!」
 「だから止めて下さい、それ! 何か下品な響きですから!」
 「お…おい、師匠って……どういうことだ?」
 震える指を突き出しながら、クリフはアミーナと『月影』達に交互に目を向ける。
 「師匠は、俺達に料理のすばらしさを教えて下さったんだ!」
 「皆さん、そろそろ盗賊を廃業しようかとお考えなんです。それで手に職をという事で、私が料理を教えてて……」

 (……どういうカラクリなんだ……)

 呆然とする皆を余所に、忽ちアミーナの料理教室が始まった。

 「師匠! 早速レッスンをお願いします!」
 「はい。確か、タヌキ鍋でしたよね?」

 「うああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 霧で閉ざされたダグラスの森に、ロジャーの絶叫が木霊した。



[367] Re[14]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/05/14 23:19
 「着いたよ。……ここが…シランドだ」

 本当に、色々な事があった。

 カルサア修練場では死にかけ……
 アリアスではフェイトがネルを所有物にして……
 ペターニではソフィアそっくりの娘と出会い……
 ダグラスの森では、フェイトが壊れ……

 「はぁぁぁ……」

 門の中に入ったところで、レナスは両膝に手を置き、大きく溜息を吐いた。

 ペターニの北、イリスの野を越えた先にある、聖王都・シランド。
 アペリス教の総本山とも言うべき場所で、シランド城の礼拝堂には、一年を通して多数の民衆が足を運ぶ。
 「ここに……女王様が?」
 「ああ、そうだよ。疲れてる所悪いんだけど、早速会いに行って貰う」
 「個人的にゃ、女王様が美人だと嬉しいんだがな……」
 「そりゃそうだ。女王と異国人との、決して結ばれ得ぬ恋……くぅっ、萌える!!」
 「……クリフ、アレックス。頼むから、謁見の時には大人しくしといておくれよ? 失礼があったら、ぶった斬らなきゃならないから……」
 「ああ、分かって……ぶった斬るのか!?」

 アミーナにとっては、初めて目の当たりにするシランドだった。
 病弱な彼女に長旅は禁物である。事実ここまで、アレックスが牽引する荷車に揺られてきた。
 「アミーナ、大丈夫?」
 「あ、はい。でも……大きな町だなぁ…って」
 「まぁね。人口はペターニに劣るけど、アタシが知る中で一番美しい街……」

 そこまで言い掛けたところで、ネルの動きが止まる。

 「……?」

 皆も首を回し、彼女の視線の先と同じ、大通りの向こうへと目を向けた。

 鈍色の髪を全て後頭部に流し、うなじから腰の当たりまで及ぶそれを細布で素巻きにした男が、こちらへと近付いてきていた。
 年齢は恐らく、三十代後半から四十代前半。

 「ラッセル……様…?」
 「ご苦労だったな、ネル・ゼルファー。今回の働きと努力、長く通史に留められるものになるだろう」
 「はっ…。しかし、護衛も連れず……何故城門まで?」
 「待ちきれなかった。……それだけだ」

 ラッセルはネルを労うと、フェイトの前に立つ。

 「……よく来た。フェイト」
 「ご厄介になるよ。ラッセル」

 笑った。
 あのラッセルが。
 どんなに良い報告だろうと、どんなに悪い報告だろうと、ニコリともせず淡々と受け入れていく彼が、笑ったのだ。
 二人を交互に見るネルは、驚きを通り過ぎて唖然としていた。
 「その娘は?」
 「城の施術兵器開発部にいる、ディオン・ランダースの恋人だよ」
 「こっ……恋人って…」
 確かに幼馴染みの彼に好意は持っているが、まだ恋人とは表現していない。赤くなるアミーナだったが、否定する事は無かった。
 「ディオン・ランダースか。成る程……」
 「知ってるんですか!?」
 「ああ。エレナの世話係だ。結構苦労しているらしいがな。……さぁ、来てくれ。陛下が首を長くしてお待ちだ」





 「三年前、シーハーツに来たとは聞いてたけど……ラッセル様に会ってたとはね」
 「怒りました?」
 「別に。聞かなかったアタシに責任がある」
 「そんな拗ねないでくださいよぉ」
 「拗ねてるワケじゃ……」

 謁見の間の扉が近付き、ネルは言葉を切った。

 両側に直立する衛兵の手により、荘厳な扉が左右へと開かれていく。
 姿勢を正し、一歩一歩前進するネル。その後ろに、フェイト、レナス、クリフ、アレックスが続いた。
 玉座の前まで来ると、一歩進み出たネルを挟むようにして、両側に二人ずつ並び、大理石の床に膝を突く。
 「陛下。鈍臣ネル・ゼルファー、ただ今戻りました」
 「ご苦労様でした、俊臣ネル・ゼルファー。客人達も、どうぞ楽にしてください」

 思ったより若かった。
 雪だるまのような体型かもと想像していたのに、目の前の玉座に腰掛ける女王は、均整の取れた体付きの、まだ三十にもなっていないであろう女性である。アペリスの聖女という名に相応しい神々しいオーラ、そして柔和な笑顔。クレアと同じ種の笑顔だと、レナスはそう感じた。

 「初めまして、皆さん。私がシーハート27世、ロメリア・ジン・エミュリールです」

 「レナス・ラインゴットです」
 「クリフ・フィッター」
 「アレックス・エルゼンライトっス」
 「フェイトです……」

 四人もそれぞれ名乗る。
 緊張していたレナスだったが、初っ端から技術協力の話は持ち出されず、世間話が始まった。
 ここへ来るまでの街の様子。
 クリムゾンブレイドの話。
 育てている花が、今朝開いた……等。
 戦時中にもかかわらず、女王の口から出る話題は、何れものどかなものばかりだった。

 女王は、戦争を望んでいない。

 やがてレナスにも、その事が伝わってきた。
 フェイトの言葉を思い出す。「戦争もまた歴史の1ページ」と。
 平和の大切さを人々が認識するには、戦争を知らなければならない。今この星が戦時中だという事は、良い事だとは考えられないが悪い事とは否定出来ない。
 アペリス教徒が守らなければならない、エレナ神の10則。そこには確かに記されている。他人を傷付けてはならないと。
 しかしそれでも、この国は戦争しているのだ。傷付け傷付けられ、奪い奪われ、殺し殺されている。
 それはこれからの事ではない。今まで、現在、これからの事。
 所詮、無理なのだ。フェイトが言うように、国家と宗教を完全に両立させるのは。戦争とて、“聖戦”という肩書きが無ければ出来ない。
 このシーハーツという王国も、永遠ではない。何世代か後に、その器でない指導者が現れてしまえば、あっさりと潰える。
 今は、そういう時代なのだろう。王がいて、戦争があり、政治に宗教が持ち込まれるという、そういう“時代”なのだ。
 自分たちが迷い込んだのは、“そういう時代”だ。
 ここで生き抜くためには、自分たちは“そういう時代”に適応しなければならない。

 自分は、アミーナに惹かれた。

 その一途な想いに。その純真な心に。そのたくましさに。

 (自分の心に従えばいい)

 守りたい。
 アミーナの笑顔を。クレアを。ネルを。女王を。
 この国を。力になりたい。

 「………陛下」

 話の切れ目を見計らって、レナスはそっと顔を上げた。
 「何でしょう?」
 「兵器開発技術協力の件……お引き受けします」

 ネルとクリフが、目を丸くした。





 非常時である事と、レナス達の疲れを考慮しての事だろう。歓迎の宴会は、極めて小規模に、極めて質素に行われた。

 「……いいのか? レナス」
 「ふぇ?」

 白身魚の揚げ物を頬張る少女は、隣のクリフへと首を回した。
 女王の前で裸踊りを披露しようとしたアレックスが、フェイトにオクラホマスタンピードをぶちかまされている。
 「別に、俺はお前の判断に任せるけどよ…。これからやろうとしてんのは、明らかに銀河連邦の条約違反だぜ?」
 「んー……まぁ、ね…。でもさ、仕方のない状況でしょ? ここで協力すれば、居場所が出来るワケだし。……それに、新兵器ってヤツをちょっと見てみたんだけど……完全に、あれってオーバーテクノロジーだったでしょ?」
 「確かに……門外漢の俺でも分かったぜ」
 「遅かれ早かれ、この国はきっと独力でもあれを完成させるわ。私が手伝っても、結果は同じ。……流石に鑑を作るまではいかないだろうけど、この国の技術があれば、長距離通信機くらいは作れるかも知れない。だったら、恩を売っといた方がお得だしね」
 「あー……そう…だ…な……」

 クリフは曖昧に返事を返すと、分厚いハムにかぶりついた。





 コンコンッ

 「はーい? 開いてるよー」
 ドアは、ゆっくりと開いた。
 「失礼しますよ……エレナさん」
 「えーっと……フェイト君…だっけ?」
 「初対面で覚えて貰えてたなんて、光栄ですね…」
 室内の灯りの中へと滑り込んできたのは、青髪の青年。後ろ手にドアを閉め、部屋の主が勧める座椅子の上へと腰を下ろした。
 「何というか……随分散らかってますね」
 「いつもなら、ディオン君がやってくれるんだけどねぇ…。恋人との再開で、そんなヒマ無いみたいだし」
 エレナは愚痴るように頬を膨らませ、カップに手を伸ばす。

 「ねぇ、エレナさん?」

 「ん? な………きゃっ!?」

 突然フェイトに肩を掴まれたと思った瞬間、エレナの身体はベッドの上へと投げ倒されていた。弾力で僅かに身体が跳ね返り、バウンドする。
 「な……ッ…」
 カップが床の上へと落ち、割れはしなかったが、中身の紅茶が床に広がった。
 彼女が取り乱している間に、フェイトは自分もベッドの上へと移動すると、膝を立て、エレナの上に馬乗りになる。
 叫んで衛兵を呼ぼうとしたエレナだったが、それよりも早く、フェイトは自らの唇で彼女の言葉を封じた。
 「?!…ンッ……!」
 必死で歯を食いしばり、彼の侵入を阻もうとする。が、フェイトは唇を合わせたまま、頑なに閉じられた整然とした歯に舌を這わせた。無理矢理にではなく、ゆっくりと歯茎を撫で、まるで懇願するかのような穏やかさで、最後の門を押し広げようとする。
 やがて、フェイトを押しのけようとしていた腕の力や、彼の舌を拒んでいた歯が、急速に大人しくなっていった。体中が彼に対する抵抗を放棄し、強張りを解く。
 恐怖、怒り、屈辱……それらの感情が目まぐるしく変化していたエレナの瞳は、静かな色へと落ち着いていた。
 「………」
 フェイトは唇を離し、ベッドから降りる。



 『Fatal Attraction』完了



 (何度やっても……あんまり好きになれない能力なんだよなぁ……)

 「……さぁ、エレナ・フライヤ」

 彼は椅子に座り、背もたれに体重を預け、足を組み合わせながら、極めて高圧的に命令した。

 「お前が知っている事、全て話すんだ。ガイア・サウザンドアイズについて知ってる事、全て…。全て話せば、そうすれば、“ご褒美”をあげよう……」

 「……はい……ご主人様……」

 エレナは、まるで歓喜に満ちあふれているかのような笑顔で応えた。





 「……ふぁ……」

 「「「「!!?」」」」

 「……何だよ、みんな」

 目を丸くして自分を見る仲間達を、フェイトは半目で睨み付ける。
 「あ…いや……お前でも、アクビするんだなぁっ、て」
 「初めて見ましたよ。そう言えば、宴会の後見掛けませんでしたけど……どっか行ってたんですか?」
 「ああ、ちょっとね。夜更かししてただけだよ」
 「大丈夫なのかい? 早速今日から、作業に取り掛かって貰いたいんだけど……」
 「ええ、問題ありません」

 「おはよ~~、みんな」

 こんな早い時間にエレナが食堂に現れるのは、異常現象と表現して差し支えないだろう。
 「エレナ様…!?」
 「何よ、その顔は~。私が早起きしたらおかしい?」
 「あ…いえ、そんな……」
 無条件でおかしいが、ネルは慌てて首を振った。

 エレナ・フライヤ。施術兵器開発部部長。
 アペリス教における光の女神と同じ名の女性で、技術者としては超一流。一人の女性としては……総合的に見れば一.五流くらいである。
 不規則な生活を送る彼女の早起きは、やはり天変地異の前触れかとも思えた。

 「本当の事言うと、これから寝るんだけどねぇ…。ちょっと挨拶を」
 「挨拶…ですか?」
 「そ」
 エレナはにっこり微笑むと、後ろからフェイトの首に腕を回し……

 「お休み……」

 その頬に、口付けた。
 「んー……。それじゃ、お休みなさい」
 今度は皆に手を振り、上機嫌で食堂から出て行く。

 「「「「……………えええええええええ!?」」」」
 (あー……失敗した。まだ魅了術の後遺症が……)
 「ど…どういうことだい!? アンタ、三年前はエレナ様と会ってないんだろ!?」
 「っつー事は何か!? ひょっとして昨晩オトしたのか?!」
 「どこまで行ったんだ!? どこまで行った!? Aか!? Bか!? Cか!? Zか!?」
 「ぜ…ぜぜぜZ!? 何ですかっ、それは!?」
 「俺にも分からねぇ! つまり、俺等なんかじゃ想像も付かないようなプレイだ!」
 「ふぇ……ふぇふぇフェイトさん! やっぱり年上オンリーなんですか!?」
 「おいこらテメェ! 俺には部屋で大人しくしてろとか言っときながら、自分はちゃっかりパピプペポーな事やってたのか!?」
 「いいかいっ、エレナ様だけは止めときな! 結婚しても自炊だよ!」
 「甘いぜネル! 俺だったら美人ならオールオーケーだ!」

 (……帰りたい……)





 「にしても……久し振りだな。あの“四天王”が集まるなんて」
 「ああ、全くだ。そんだけ、俺達の出番も近いだろう」
 「ようやく、フレイちゃんの機嫌も直るだろうよ」
 「ああ、あんな訓練はもう遠慮するね」



 「失礼します!」

 踵を合わせ、右拳を左胸に置く。
 それが、『天啓』の敬礼。
 会議室に入ってきた情報仕官は、十分手本となり得る敬礼と共に、テーブルの四人に報告を開始した。

 「銀河時間本日13:00、バンデーン所属鑑五隻の動きを確認しました。タルナギ式大型攻撃鑑『テゥビッグ』並びに『プニュエッパカ』並びに『パカントゥタン』、パプトゥク式中型攻撃鑑『サンパリン』、汎用鑑『ダスヴァヌ』。傍受した暗号を解読したところ、五隻は何れもエリクール二号星へ向かいます」
 「……『ダスヴァヌ』というと、あの“サイドワインダー・ビィグ”?」
 「そのようです」
 「ゲムジル少尉。あなたはどう思う?」
 「ハッ。私見を述べさせて頂ければ、“ガラガラ蛇”は攻撃鑑でこそ真価を発揮します。ビィグが汎用鑑に搭乗しているという事は、やはり先月のバンデーン軍の勢力異変が原因でしょう。ミルヨシ派寄りのビィグは今回の作戦では除け者にされ、星系をぐるぐる回り続ける事になると思います。よって、今回のレナス・ラインゴット捕獲作戦で重要なのは、先に申した大型鑑三隻、中型鑑一隻。例え四隻に如何なるトラブルが発生しようとも、ビィグは滅多な事では傍観を決め込むと……」
 「的確な分析、ありがとう。下がっていいわ」
 「ハッ! 失礼します!」

 ゲムジル少尉の退室後、イセリアは深々と椅子に凭れた。
 「フレイ、ミリアム、ハヤト。聞いた通りよ。そろそろ私たちも、腰を上げないとね。準備はいい?」

 「愚問也」

 目を閉じて腕組みをする、スーツ姿の男。髪は漆黒、瞳は焦げ茶。イセリアの言葉に静かに応え、そして顔を上げた。
 「常在戦場。準備など、何時如何なる時だろうと完了している」
 「そーそー。今すぐだって行けるよ。ってゆーか、今すぐ行こうよ。お兄ちゃんだって楽しみに待ってるだろうし」
 「……せっかちねぇ、二人とも」
 苦笑いを浮かべる黄金の髪の女性は、身体をくの字に曲げ、テーブルに頬杖を突く。
 「何よ、大人ぶっちゃって。ミリアムは別に来なくていいからね」
 「あら? 留守番は子供の役目じゃないの?」
 「止めなさい、二人とも……」
 「おばさんは黙ってて」

 「「「……………」」」

 「……失礼する」
 ハヤトはそそくさと席を立ち、ドアから逃げ出した。

 「……おばさんって…誰の事かしら?」
 「え? 分かんないの? 私の視界に二人ほど突っ立ってるんだけど?」
 「私には、ケンカしか能のないインテリとお子さましかいないんだけど?」
 「あら、偶然。私の視界には、尻軽とガキンチョが一人ずつ……」





 ドォォォォォォォンッ……





 「パパー。あのビル、よく爆発するね」
 「名物だよ」



[367] Re:取り敢えずの人物設定(天啓)
Name: nameless
Date: 2005/05/14 23:22
 【フレイ(外見は17歳)】LV.351

 種族:隠しキャラ

 武器:神槍グングニル

 主技:(イリーガルアビリティ)

 紹介:『天啓』軍団四天王の一人。外見は普通の少女ながら、戦闘能力はトップクラス。三年前に封印を解かれてからは、フェイトを“お兄ちゃん”と呼んで慕っている。レナスの事が気に入らないらしい。幼さ故の残酷さも持ち、フェイトの為なら星系の一つや二つ消し飛んでも構わないと考えている。



 【イセリア・クィーン(外見は21歳)】LV.351

 種族:隠しキャラ

 武器:睨月杖エルミ

 主技:(イリーガルアビリティ)

 紹介:『天啓』軍団四天王の一人。CSD財団理事長でもある。フェイトの秘書的な役割を担っていたが、彼がいなくなってからは、直々に任された仕事に日夜励んでいる。普段は凛とした大人の女性だが、フェイトの前では可愛く、フレイの前ではムキになって子供っぽく。フェイトの期待に応えようとして努力しすぎる傾向があり、軽いヒステリーになる事も。



 【ハヤト・ジングウ(外見は30歳)】LV.349

 種族:地球人(ESシークレットシナリオボス)

 武器:ナシ

 主技:神宮流体術(地球派)

 紹介:『天啓』軍団四天王の一人。フェイトによって封印を解かれた、神宮流体術の開祖。あまりにも激しい鍛練を積み、一度肉体が壊死しかけた事があるが、精神力で乗り越えたというデタラメな人物。その皮膚、骨格、筋肉は、細胞レベルの突然変異を起こしており、結果武器が不要なほどの戦闘力を身に付けた。チャクラ解放時の格闘戦に於いてなら、フェイトと互角に渡り合えると言われている。



 【ミリアム(外見は23歳)】LV.340

 種族:エネミー(夜魔系)

 武器:ワイヤー

 主技:精神攻撃

 紹介:『天啓』軍団四天王の一人。自称フェイトの囲い者。非常に高度な変身能力を持ち、諜報活動や潜入、暗殺などを得意とする。軽そうな外見とは裏腹に、掃除洗濯炊事など家事全般をこなせる、アットホームな女性。ひょっとしたら、四天王中一番の常識人なのかも知れない。



[367] Re[15]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/06/11 19:23
 「ああんっ、入れてぇ! その白く濁ったどろっとしたものを、私のここにぶちこんでぇ!」
 「おやおや、ニンジンもジャガイモもずぶずぶと入っていくぞ。何てイヤらしぃ…」
 「ああっ、ダメ! そんなにかき混ぜないでぇ!」

 「……楽しい? クリフ、アレックス」
 「すんげぇ楽しい」
 「昨日のディオンとアミーナちゃんもこんなカンジか?」
 「そっそんな事してません!!」
 「どうでもいいけど、シチューはちゃんと出来上がるのかい?」





 施術兵器『サンダーアロー』

 新しく発見されたエネルギー・営力(電気)と、シーハーツ伝統の施術を組み合わせた、最新鋭の兵器。

 「……よって、ここで力の流れを調整し……」

 右手に匙を、左手に羽ペンを握り、ディオンはレナスに大まかな仕組みを説明していく。クリフとアレックスはギブアップしてシチューを口に運び続け、科学サッパリのネルは下士官と何処かへ外していた。

 施術と紋章術

 殆ど同じように思えるのに、何故違う言葉で訳されるのか?
 レナスの疑問は、ここで解消された。
 施術とはその名の通り、“施す術”なのだ。昔は地球でも、治療術の事を施術と呼んでいた。
 紋章術は紋章を描いて現象を招く、“紋招術”。
 傷や錠など、対象をはっきりと特定して、自らの力を働かせて施す、“施術”。
 紋章術を用いる力を直接利用する事は出来ないが、施術を用いる力はそれとは種類が違う。施力とは血統の力である。シーハーツ王国の前身、古代聖王国シーフォート。史上初のアペリスの聖女であるシーハート一世の血の濃さによって、個人の施力の値は変化する。施術とはいわば限られた者のみが扱える、特別な力なのである。

 因みに、その血統の力を自ら封印したアーリグリフは、施術に代わって生命エネルギーの“氣”を扱う“気功”を発達させていた。

 「……つまり…」

 レナスは首を180°回し、自分を挟んでディオンと反対側に座っているフェイトに、その大きな瞳を向けた。
 「施術には、ロガ・クドロの法則が存在しないんですよね?」
 「ああ、よく勉強してるね。生まれつき備わっている遺伝的な力を使うワケだから、トライエッジ・シンドロームも起こり得ないし、ペレゴヴォイ第二、第三、第四公式も無用の長物。紋章術には才能が、施術には血が必要なんだ」

 話題がさっぱり理解出来ていないであろうディオンの為に、論点を施術兵器へと戻す。

 「……あれ…?」
 「どうかしたんですか? レナスさん」
 「ここって……良伝導の銅を使った方がいいんじゃないの?」
 恐らく営力とは、グリーテンにとっては新しくも何ともない力なのであろう。
 一目で設計の不備を見破った彼女に驚き、そして流石と感心しつつ、ディオンは確かに、と頷いて見せた。
 「しかし、一つ…問題があるんです」
 「問題?」
 「使い物になる上質の銅鉱石は、この辺りではベクレル鉱山から産出されるものなんですが……そこはアーリグリフの領土なんです」
 「それで?」
 「……? ですから、当然アーリグリフ軍の見張りがいるワケで……」
 「くーださーいなっ、で譲ってくれるかもよ?」
 「冗談は止めて下さいよ…」
 「なら、奪えば?」
 「………は?」
 「銅が足りないんだったらー、強奪すればいいじゃなーい」
 「わーい、超ごーまーん。レナス、マリー・アントワネットみたーい」
 「あははははは」
 「あはははははー」

 (何だこれ!? グリーテン流の挨拶なのか!?)





 「ベクレル鉱山は、アリアスの北西、ベクレル山道を使って行くしかないね」
 テーブルの上に地図を広げ、その上に指先を走らせながら、ネルは大まかな道のりを説明していく。
 「アリアスへは、伝令を走らせといたよ…。クレアに馬車を用意して貰って、銅鉱石はそれに積んで持ち帰る。敵の領地へ乗り込むワケだけど、サンダーアロー開発に必要なら、やるしかないね……」

 「なぁなぁディオンよ~~。実際どうなんだ? アミーナちゃんとはよぉぉ」
 「い…いい加減にしてくださいっ、アレックスさん! 僕はそんな…!」
 「昼間は機械いじって、夜はお互い弄くり合って……あーあっ、俺も幼馴染み作っとくんだったなぁ…」
 「昨日は別々の部屋で寝ました! そーゆーのをゲスの勘ぐりって言うんです!」
 「やーい、エロエロ技術者ー」

 「……聞いてんのかい? アンタ達」
 アレックスのディオンの鼻先にさり気なく短刀を突き付け、彼女は刃と同じ位冷たい声で二人を咎めた。
 「…………えーっと……要するに強盗だろ?」
 「身も蓋もない言い草だね」
 しかし、事実そうである。
 戦時中とは言え、他国の領地に無断で侵入し、番兵を排除し、資源を強奪する。強盗殺人と一緒だが、はっきりとそう言うのは気が引けるのだ。
 その時、窓際の椅子に腰掛けていたフェイトが手を挙げた。
 「ネルさん。僕、残ります」
 「え…」
 彼女にとっては、予想外の申し出だ。フェイトの他を圧倒する戦闘力があればこそ、この無茶な作戦もほぼ成功すると考えていたのである。
 引き留めようとしたが、ネルは自分の立場を思い出して口をつぐんだ。
 現在の心配は、女王とフェイトがあまりにも食い違った命令を出さないか、という事だ。
 「ここで、兵器の改良を手伝おうと思います。細かい部分は、まだ修正の余地がありそうでしたし。………代わりに、アレックスを同行させます」
 「おうっ、よろしくな!」
 「うわぁ……」
 「マジでうわぁ……だな」
 「………終いにゃ泣くぞ、俺だってよ」
 「まぁまぁ…。飛び道具を扱える人間がいた方が、『疾風』が襲ってきた時に対処出来るだろ?」
 「あ…そうか……」
 「それに銅鉱石の運搬量も上がる。追撃されても、遠距離反撃で逃げられるしね」
 「決まりだね」
 ネルは地図を丸めると、皆を見回した。
 「早速出発するよ。国境まで向かわなくちゃならないしね。……フェイト、ここは頼んだよ」
 「任せて下さい、ネルさん…」





 「……地球に、こんな昔話がある」

 ハヤトはそう言いながら、歩兵を進めた。

 「中華の話だ。ある男とその娘が、大河を船で渡っていた。しかし船は沈んだ。溺死した娘は鳥に生まれ変わり、自分と父を殺した大河に復讐する為に、小石を運んできては大河へと落とし続ける。彼女は、それで大河を埋められると思っていたのだ」

 イセリアはその歩兵を盤外へ弾き落とし、カノン砲を進めると、やや厳しい目つきになる。

 「ハヤト…。あなたは、頭領のやっている事がそれと同じだと……そう言いたいの?」
 「当たらずとも遠からず、だ」

 目の前の彼女が激昂しない内に、ハヤトは盤から目を離さないまま言葉を続けた。

 「島は一握の砂から生まれ、大河の源は等しく涙ほどの水滴から生まれる。それと同じように、少しずつ…少しずつ……目的へと歩んでいく。……しかし、だ。例え大河を埋めたとしても、水は溢れ、第二第三の大河が生まれる。そして結局、海は悠然と存在し続ける……」
 「…………」
 「マスターを信じないわけではない。だが、マスターは本気で、世界を変えられると思っているのか? そしてその方法を掴んでいるのか?」

 「……そんなの簡単じゃない」

 幼い声が響く。
 そしてその次の瞬間、イセリアとハヤトは同時に椅子を蹴り、テーブルから飛び退いた。

 ズドォォオンッ……

 隕石の如く飛来してきた神槍は、盤をテーブルごと粉砕していた。
 「こうすれば……川が流れていようといまいと、関係ないでしょ?」
 さも名案だという風に笑いながら、フレイは二人の背後へと降り立つ。
 「………これが、マスターの出した答えだと?」
 足下に転がる歩兵の駒を摘み、彼は戦場で真っ先に死んでいく者の顔を撫でる。何と無表情で、何と純朴で、何と悲しい駒だろうか。
 「お兄ちゃんが何をどうしようと、別にいいんじゃないの? 問題は、私たちはお兄ちゃんを幸せに出来るかどうか。その為に一人殺そうと百人殺そうと、一億人殺そうと、大して違いはないわ。……女に、家族も友達もいない。いるのは、好きな人だけ」
 彼女は神槍を床から引き抜き、二人に背を向けた。
 「安心して。“役立たず”じゃなくて“邪魔者”になったら、私がちゃぁんと殺してあげるから」
 「……逆の立場は考えなかったのかしら? フレイ」
 「有り得ないでしょ」

 「……あと13手で、そちらの大将を取れていた」
 「あら。私が勝ってから4手あとね」

 二人は顔を見合わせた。





 「それじゃ、行ってきます!」

 シランド正門の前で、レナスはひらひらとフェイトに手を振った。
 「忘れ物はない? ブルーベリーは持った?」
 「はい」
 「ブラックベリーは?」
 「はい」
 「下着は?」
 「忘れませんよっ!」
 「ティッシュは? 鼻紙は? ちり紙は?」
 「それ全部同じです……」
 「お袋さんか、お前は」

 しかし…考えてみれば、フェイトと別々に行動するなど、カルサア修練場以来の事だ。

 「知らない人に尾いてったらダメだよ?」
 「分かってますって」
 「知らないアレックスに尾いてってもダメだよ?」
 「どーゆー意味だ、ヲイ」
 「大丈夫です。こんな人、たった一人だけですから」
 「……誉めてんのか? 貶してんのか?」

 出発しようとした四人だったが、フェイトは慌ててレナスを呼び止める。

 「そうそう、忘れる所だった……」
 「何ですか?」
 「これ。ファリンさんとタイネーブさんに渡してくれないか?」
 彼がポケットから取り出したのは、一枚の封筒だった。中に手紙が入っているらしく、少し膨らんでいる。

 ファリンとタイネーブ……あの二人もフェイトの所有物となっていた事を、ネルは今更ながら思い出していた。

 「見たらダメだよ。絶対に、二人に渡してね」
 「あ……はい」

 まさかラブレターでもないだろう。
 素直に従うレナスは、それをバックパックの中へと納めた。
 「それじゃ、改めて。行ってらっしゃい、レナス」
 「はいっ、行って来ます」
そう言って、出発しようとした時だった。

 「たっ……大変です!!」

 技術者の一人が、息せき切って大通りを駆けてくる。
 「? 何か問題が?」
 「あ…アミーナさんが倒れました!」
 「ッ!」
 咄嗟に駆け出そうとしたレナスを、フェイトはそっと押し止めた。
 「レナス……今は、銅鉱石の事に集中してくれ」
 「でっでも…!」
 「大丈夫。アミーナは、僕が何とかする。だから……安心しろとは言わない。だけど、僕に任せて欲しい」
 それ以上の抗議を許さず、彼は皆に背を向ける。
 「ネルさん。“命令”です。出発してください」
 「……あ……ああ……」





 アミーナに宛われた客室には、先客がいた。

 「ミラージュ…さん?」
 「あ……。お久し振りです、フェイトさん」

 金色の頭髪、藍色の瞳。エリクール二号星漂着時に別れたままだった、ミラージュだ。
 「どうしたここへ…」
 「この人が、アミーナをここまで運んでくれたんです」
 険しい顔をしたディオンが入ってくる。
 「……容態は?」
 「現在…小康状態だそうです。ですが、かなり危険な状態だと…」

 病名:不明

 アミーナを蝕む病が何なのか解明出来た施術士は、一人もいなかった。
 結論として、現在の技術力では太刀打ちできない、未知の病。その点のみは全員の意見が一致しているが、はっきり言って何の気休めにもならない。万能薬とあだ名される汎用薬を投与していて、それにより辛うじて“こちらの世界”にしがみついている。
 しかし……いつ“その時”が来ても、全く不思議はない……そう言われていた。

 「……鵲の法衣、黄紊木の杖、黒曜石の小太刀」
 「え…?」

 何を言っているのか理解出来ず、幼馴染みの手を握っていたディオンは、思わず彼を振り向く。

 「ラッセル執政官に言って、それを用意してくれ。あと……祭儀場の使用許可も」
 「……え……何…を…?」
 「助けたいんだろう? アミーナを」
 「助かるんですか!?」
 「それは分からない。だけど、助ける方法なら知っている。……さぁっ、早く! 手遅れになったら大変だ!」
 「は…はいッ!」

 藁にも縋る想いだったのだろう。
 フェイトの言葉が虚言ではないと分かったディオンは、部屋から飛び出していった。
 彼の靴音が完全に消えた時、ミラージュが話し掛けてくる。
 「フェイトさん……知ってるんですか? 彼女の病を」
 「病気ではありません」
 「え……?」
 「これは…“病気”なんかじゃないんです。……“イベント”なんです」
 「“イベント”…?」
 「失礼します。用意があるので」
 ミラージュと再会を喜んでいるヒマは無かった。
 彼は早足でその場を離れると、大理石の廊下を進んでいく。

 (……ぶっ潰してやるさ…………下らない“運命”なんか……!)





 遊んでいる

 その二人の行動は、傍目にはそうとしか表現出来なかった。
 が、しかし、それを咎められる者はいない。これは、彼女達の“所有者”が命じた事なのだから。

 「………」

 クレアは岩の上に腰掛け、二人の動きをじっと観察している。
 タイネーブがローキックを放った。だが、襲い。ゆるやかな、ノロノロとでも聞こえてきそうなスピードで足を動かす。当然、対するファリンは……彼女もノロノロと左足を上げ、それを防ぐ。
 続いて、ファリンの拳。相変わらずノロノロと拳を作り、それをタイネーブの顔面へと動かしていく。タイネーブはそっと手を挙げ、甲の部分で相手の手首を押し、軌道を逸らす。
 もう半時間も、それは続けられていた。

 (……何なのかしら……一体……)

 フェイトが命じた稽古。
 何の意味があるのかと二人に尋ね、分からないという答えが返ってきたのも、始めの二日ほどだった。それ以降は顔を見合わせ、言葉を濁し、愛想笑いと共にはぐらかされる。

 ファリンののろまなハイキックを、タイネーブはのろまに防御した。

 トン……

 パシ……

 タン……

 静かな音が響く。

 (……フェイトさんは……二人に何をさせるつもりなのかしら?)

 「キャアッ!!」

 タイネーブの悲鳴で、クレアはハッとなった。
 しゃがみ込んだ彼女の頭上に、ファリンの拳が伸びている。

 「……ちょっと、ファリン! 危ないでしょ!」
 「あ…ははは、ついうっかり……ごめんなさいですぅ……」

 何なのだろう。
 一体、タイネーブは何に口を尖らせているのだろう。
 一体、ファリンは何について謝っているのだろう。
 あんなのろまな拳なのに。一体何が危ないというのだろう。

 タイネーブは溜息と共に立ち上がると、再び拳を構えた。



[367] Re[16]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/07/08 17:28
 大丈夫

 フェイトはよく、その言葉を使う。
 すれ違いざまに身体がぶつかったという、そんな些細な出来事から、命に関わる一大事まで……あらゆる局面で、彼はそう言って微笑む。
 気休めの言葉……だろう。
 だが、フェイトの場合は違う。
 彼には確固たる自信がある。解決するだけの力があると、自分を信頼している。
 だからこそ、周囲も彼に確固たる信頼を置くのだ。フェイトなら何とかする、フェイトなら何とか出来る……それまでの彼の姿が、信じていい男なのだという事を物語っている。

 今回もそうだ。
 彼ははっきりと、大丈夫と…そう言った。

 それだけで、たったそれだけの事で、ああ大丈夫なのだと……周囲にそう思わせてしまった。

 しかしやはり、アミーナの容態は気がかりだ。
 もしかしたら、自分たちが無理にシランドへ連れてきた事が原因かも知れない。彼女をゆっくりと療養させながら、シランドからディオンを連れて来れば良かったのではないだろうか…。

 馬車が止まり、レナスはハッとなった。

 「ここからは歩いて行くよ。ファリン、タイネーブ。アンタたちはここで待機してな」
 「はいですぅ」
 「了解」

 二人とも、フェイトからの手紙の内容を教えてはくれなかった。どうやら恋文の類でない事は確かだが、秘密の言葉には違いない。
 少し、嫉妬してしまった。

 「……マズイね。『疾風』だよ」

 鉱山入り口で巡回する兵士を見ながら、ネルは舌打ちする。
 普段なら、ここは『漆黒』の巡回地である。が、『疾風』はエアードラゴンの機動力を有する部隊。仲間を呼ばれない為にも、一人も逃がす事は出来ない。
 「さて……どうするか……」
 「ぱぱーっと片付けちゃいます?」
 「いや。敵は三体だ。上手くいけばいいが……」
 「アレックスさん、撃ち落とせません?」
 「あー……無理。結構距離もあるし…」
 「でも、この前フェイズガンの光線を相殺して…」
 「(見てたのかよ…)悪いが、自信がねぇ。射撃ってのは、下方から上方へが一番難しいんだ」

 本当は、五体までなら連続で撃ち落とす自信があるが…。

 「ま、向こうは上から見てるんだ。岩陰に隠れるのにも限界がある。背丈のある草とかもねぇし…」
 「……ネルさん、布とかないんですか?」
 「布?」
 「ほら、壁に貼り付いて身体の前に広げるヤツ……」
 「んなアニメじゃあるまいし…」
 「人間なら誤魔化せるかも知れねぇが、ドラゴンの嗅覚をバカにしちゃいけねぇ。あっと言う間に見つかっちまうぜ」
 「うぅ~~ん……」

 「……クックック…」

 突然俯き、低く笑うアレックス。
 「どうかしたんですか? アレックスさん」
 「俺はアレックスではない。アレえもんだ」
 「……何かいい考えでもあんのか?」
 「もーぅ、しょーがないなぁー、クリ太くんはぁー」
 「……クリ太くん?」
 「こんな事もあろうかと、ちゃんとフェイトから作戦を預かってきている」
 「本当ですか…!?」
 「名付けて! “美人四姉妹大作戦!”」
 「……四姉妹?」
 「1…2…」
 ネル、レナスを指差す。
 「3、4」
 クリフ、そして自分の顔。

 「……マジ?」
 「大マジ」





 特に、男尊女卑という観念はない。
 だが、戦闘は男の仕事だという考えが、アーリグリフ側にはあった。その為三軍の何れにも、一人として女兵士はおらず、一部では衆道に進んでしまう者もいる。
 シーハーツ側の女隠密がアーリグリフ側に捕まれば、その消息は絶望的だった。

 「しっかし……本当に来るのかね? シーハーツ側の隠密が」
 「密偵から連絡があったんだ。何でも、新兵器を作るのに銅が必要らしい」
 「た…大軍が来たりして……」
 「心配すんな。じきにこっちも援軍が来る。それまで見張ってりゃいいんだ」
 「そうだな」

 その時。

 「お…おにーさま方ー」
 「……そこのハンサムなおにーさま方ー」

 二つの、若い女の声が聞こえてきた。
 こんな人里離れた場所に。若い女が二人。
 怪しい。限りなく怪しい。怪しくない筈がない。

 しかしそれでも、兵士達の表情は自然と緩んでしまう。

 岩陰から、どこか恥ずかしがっているような仕草の、二人の踊り娘風の女が現れた。

 (ちょっとネルさん! スマイルですよっ、スマイル!)
 (もう……何だか、どーでもいいよ…。何でこんな恥ずかしい格好しなきゃならないんだい……)
 (大丈夫、いつもの隠密服もかなりの恥ずぃさです。それに、これはフェイトさんが考えた作戦なんですよ? だから引き受けたんでしょ?)
 (まぁ……そーだけど……)
 (ほらほらっ、来ましたよ!)

 「おいっ、お前達! ここで何をしている!?」
 エアードラゴンをホバリングさせながら、三人の疾風兵は変装したレナスとネルを取り囲む。
 「兵隊さんたちこそ、こんな場所で何をなさってるんですかぁ?」
 隣のネルが唖然とするようなシナを作り、レナスは首を傾げた。
 「わ…我々は、この鉱山の番人だ。シーハーツの隠密が、銅鉱石を奪いに来るという情報があってな。本隊が到着するまで、この付近を見張っている」
 「へーぇ、大変なんですねぇ」
 「うむ。……………いやっ、だからお前達は…!」
 「私たちぃ、近くの村の祭りに出稼ぎに来たんですけどぉ、お酒が全然売れなくてぇ、困っちゃってたんですぅ。ほらぁ、昔からぁ、祭りで売れ残りが出た商人はぁ、縁起が悪いって言うじゃないですかぁ? ですからぁ、よろしければぁ、兵隊さんたちに引き取って頂けないかなぁっ、てぇ、思ったんですよぅ」
 「まぁ……確かに…。祭りで売れ残りを出すような店は、しみったれてるって言うしな…」
 「しかし、我々は任務中だ。酒など……」
 「お願いですぅ、オマケしときますからぁ、お願いですよぅぅぅ」

 クリムゾンブレイド・ネルとて、こんな歯の浮くような台詞を堂々と喋る度胸はない。

 そして、その歯の浮くような台詞にまんまと騙されるのが、男。
 なんだかんだで騙されてしまうのが、男。
 悲しき性かな、男。

 「……ま…まぁ、本隊が来るまで……間があるだろうし……」
 「少しくらいなら……なぁ?」
 「我々は軍人だ。助けを求めてきた女性を、無下に追い返す事は出来ない……」

 「よかったですねぇ、ネルネル姐さん!」
 「あ……ああ、そうだね……」



 アーリグリフ『疾風』軍団軍曹、エルマー・ルシャニス(30)

 彼は語る。



 あの時……気付くべきだったんでしょうね、ハイ。
 天使だったんです。ええそう、荒野に舞い降りた二人の天使。
 そんな二人が、酌してくれるんですよ!? あなたならどうします!? 素通り出来ますか!?
 出来ないでしょう!? ほーら出来ない! 出来るわけないんですよ!!
 ……でね……二杯目から、こう……朦朧として来たんですよ。
 いえ、そんなに長くはありません。後で考えたんですが、ほんの十数分ほど、意識を失ってしまったんです。
 で、ふと気付いたらね…。
 天使二人じゃなくて、アマゾネス二人だったわけですよ。
 領収書見せられた時、自分の目を疑ってね。明らかに0が多すぎでしたよ。何じゃこりゃぁっ、て。
 さっきの娘達は?って訪ねたら、いきなり首を掴まれまして……何と俺達が、酔っぱらって口では言えないような乱暴したって言うんですよ?
 証拠はあるのか、って言ったら…。

 「ヤクザに証拠はいらんのじゃぁ!!」

 あ、893さんだったんだなぁ、って…。
 それで有り金全部出さされて……はい、当然足りませんよ。持ち歩けない金額なんですもん。
 いや、流石に本部に連絡するって言われた時には……昇進の話もありましたし、何より俺、新婚なんで……。
 でまぁ、シーハーツ側に渡りさえしなかったらいいんだろう、と思って、代金代わりに銅鉱石持って行ってくれって言ったんです。質はいいですし、かなりの価値がありますから。ブラスドラゴンがうろついてますが、問題ないと思いました。
 ……あの二人、絶対女じゃありませんよ、絶対。
 だって、素手で小石を握りつぶしたんですもん。

 「クリ子さん、これも握りつぶして頂けるかしら? おーっほっほっほっほ!」

 どこを?って聞こうともしたんですが、俺達全員、いつの間にか股間を手で隠して…。はい、無意識に。本能的に悟って。

 あれを……世間じゃ、ぼったくりバーって呼んでるんですね…。

 屋外でやられるとは、夢にも思いませんでしたけど…。





 「何か……恐ろしいほど上手くいったな、オイ」

 ベクレル鉱山の内部に入り、彼にとっては大層不満があった女装を解きながら、クリフはアレックスを振り向いた。既に侵入していたレナスが、近くで見つけた松明を掲げており、その炎で影はそこら中を跳ね回っている。
 「だよねぇ。流石はフェイトさん!」
 「いや、そうじゃなくて……何ちゅうか……本中華……」
 「おいおいおい、気にし過ぎだぜクリフ。ハゲるぞ?」
 一番ノリノリで女装していたアレックスは、クリフの肩を軽く叩いた。
 「確かに、分かる。何もかも上手く行きすぎてるな。そりゃもう、罠じゃねぇかってくらい。これがフェイト以外の作戦なら、俺だって警戒するぜ。けどな……これは、フェイトの作戦なんだ。フェイトが考えた作戦なんだ。フェイトが可能と判断した作戦なんだ。だから問題ねぇ。だから成功する。……そんだけだよ」

 身震いしてくるような信頼だった。
 銀河一のパイロットとも呼ばれ、全てを破壊する者……“フルブレイカー”の異名を持つアレックス・エルゼンライト。言うまでもなく、軍人としての心構えを持つ男。
 現実が如何に非情であり、容赦なく、また奇跡という幻想が如何に儚いかを知るであろう彼が、確信を持ってフェイトの作戦を実行している。まるで、それがこれから起こる事を記した予言書であるかのように、成功するという結果以外存在しないものと考えている。

 ……グルルルゥ……

 ふと、妙な音が聞こえてきた。

 「……アレックスさん、お腹減ったんですか?」
 「いやいやいやいや! 今のはどー聞いても唸り声……」

 真っ暗な坑道の奥から、何かが走ってくる。軽快な足音はクレッシェンドに響き、そして足音の主は、全速力で飛び掛かってきた。
 そんなに大きくはないが、ダチョウほどの体格のブラスドラゴン。運悪く真正面にいたレナスは、咄嗟に槍で防御した。襲われたのが狭い通路でなかったのは、幸運と言えるだろう。

 (………そっか……)

 足を振り上げ、ドラゴンと言うより大トカゲが相応しいそいつの首を、思い切り蹴り飛ばす。

 (フェイトさんは……いないんだ………)

 こんな時。
 自分がピンチに陥ってしまったような、こんな時。
 手を貸してくれたのは、フェイトだった。
 命に関わる非常事態で助けてくれたのは、フェイトだった。

 「『エリアル・レイド』ォ!!」

 天井スレスレまで跳び上がったクリフが、上空からブラスドラゴンに突進する。更にネルが短剣を振るい、その首を切り裂いた。
 そして……頭部を、レナスの渾身の突きが貫通する。

 「……行こう、みんな」

 フェイトは、いない。
 フェイトは、いないのだ…。





 沐浴して身体を清めたフェイトは、いつもの服ではなく、鵲百羽を用いて作られた法衣に袖を通す。長剣『無法天威』、黄紊木の杖、黒曜石の小太刀を持ち、祭儀場へと向かった。
 シランド城の北側にあるその建物は、城の礼拝堂くらいの大きさがある。古の英雄、ロナルド・ダインが戦の勝利を祈ったとされる場所で、地理的にも清浄さが保たれるようになっている。
 長剣を柱に預け、祭壇へと向かった。
 その上に横たわっているのは、衣服を全て取り払われ、一糸纏わぬ姿となったアミーナ。身体が冷えないよう、四方には篝火が焚かれている。

 「…………」

 小太刀を抜き払い、彼は自分の右親指を傷付けた。真っ赤な細い線が走り、血の雫が浮き出してくる。
 親指をアミーナの額に押し付けると、そのまま顔の上を走らせる。顎を通り、首筋に沿い、体中に真紅の化粧を施した。
 全ての呪紋を描き終わると、杖を彼女の頭上に安置し、足下の砂地に小太刀を突き立てる。そしてそこにも呪紋を刻み、血を落とした。



 赤い蹄の鹿の王
 東の若木の傍で彼は生まれ
 西の老木の懐で彼は終わる
 北の海原に月は落ちる
 南の草原に星は煌めく




 この原因不明の病でアミーナが死ぬのは、言ってみればその身に宿した宿命である。
 世界は悠然としているようで、その実繊細な調律を必要とする。例えば隣の席の生徒に鉛筆を貸したとか、例えばその日の買い物を止めたとか、そんな些細な事象でさえ、歴史を左右する分岐点と成り得る。



 金色の狒狒は西峯に叫ぶ
 空の勇者は椋の柩を砕く
 火の護り手は石の鎖を持つ




 アミーナの病もそうだ。
 彼女の死によって、様々な出来事は引き起こされる。
 もし……ここで彼女が命を取り留めれば、運命の交差点の真っ只中にいる彼女が生き残れば、それはあらゆる異変を呼ぶだろう。
 幸福になる者も、不幸になる者も、当然出てくる。
 どんな荒波も、始まりは細波。
 予定運命図に波紋が広がれば、世界はその都度、波を静める。別の波をぶつけ、水面を安んじる。
 しかしそれにも……限度がある筈だ。



 オ・イルーダー・ナナリ・スー・オー
 オ・イルーダー・ナナリ・スー・オー
 刮目せよ死の淵の住人
 咆吼せよ腐肉の狂魔獣




 アミーナの身体を覆っていた血が、どす黒く変色し始める。
 それは濃紫色の液体となり、彼女から剥がれ落ち、祭壇から流れ出す。砂地の呪紋が作る道に沿い、やがて杖へと向かい、染み込んでいった。
 フェイトは小太刀を捨てると、柱に立て掛けていた長剣を握る。

 「……!」

 杖が、風船のように膨らんだ。咄嗟に脱ぎ捨てた法衣でアミーナをくるむと、彼女の身体を祭壇の影に隠す。
 刹那、杖は粉々に砕け、破片は凄まじい速度で飛び散った。

 「………」

 <ゴォォォォォォォォォォォ!!>

 杖があった場所には、魔剣を手にした一人の男が跪いていた。
 薄紫の頭髪。
 灰色の角。
 無惨に焼け爛れた皮膚。

 「……久し振りだな、ロメロ」
 <!? ぎっ…ぎ…貴様ァァァァァ!!>
 「あーあ、美男子台無しか? それ程変化ないようにも見えるけど……」
 <ごの……叛逆者めがぁぁぁ! よぐも……よぐもぉぉぉ!!>
 「この前は、死の王の肩書きを忘れてトドメを刺せなかった…。でも、安心しろ。今回はきっちり……金輪際復活しないよう、永遠に“殺し尽くして”やる。……お前の見る最期の光景は、僕の勝利だろうよ…」

 フェイトは鞘を投げ捨てた。



[367] Re[17]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/07/22 01:19
 感想は、ただ一言。

 辛かった

 よく頑張った、感動したぞ、自分!
 そう言って、自分で自分をぎゅっと抱き締めてやりたいくらい、数々の苦難を乗り越えてきた自信がある。
 いきなり岩が落ちてくるし。
 フェイトさんはいないし。
 仕掛けには混乱させられるし。
 フェイトさんはいないし。
 ドラゴンだらけだし。
 鍵を飲み込んだブラスドラゴンを追い掛けて、てんやわんやだったし。
 フェイトさんはいないし。
 ようやく倒して、誰が解体して胃から取り出すか……で激しくもめるし。
 結局そこにはなかったし。
 それで今度は、その……誰が、その…あの……生きてる限りは必然的に出る……体内で吸収しきれなかった栄養の残骸で……えんがちょー、な……アレから探し出すかで、バトルロワイヤル寸前までもめるし。
 見たこともないバカ強いモンスターばっかり現れるし。
 フェイトさんはいないし。
 そんな時に限って、アレックスさんはどっか行っちゃってるし。
 フェイトさんはいないし。
 フェイトさんはいないし。
 フェイトさんはいないし……。





 「よい…せっと」

 クリフ、そしてアレックスは、山ほど銅鉱石の入ったカゴを背負う。
 「こりゃ…必要なかったかも知れねぇな、馬車」
 クォッドスキャナーで調べてみた結果、銅の含有率は予想を遙かに超えて高く、その為運ばなくてはならない鉱石の量も予定の半分以下で済んだ。この程度なら、クリフとアレックスで十分持ち運ぶ事が出来る。
 「帰りはトロッコで一直線、か…。さっさと出ようぜ」





 彼等はこの時、気付くべきだった。

 が……疲労は思考力を奪い、人を怠惰へと歩ませようとする。

 ネルでさえ、こんな…とても簡単な事に気付けなかった。

 フェイトの作戦が生んでしまった、致命的ミスに。





 「………。誰だお前達!?」




 ((((変装忘れてたぁぁ!!!))))




 野球で、走者が思わず仲間を追い越してしまうような…。
 坂道で停車して、サイドブレーキを忘れてしまうような…。
 オートロックなのに、鍵を置いたまま部屋を出てしまうような…。
 砂糖と塩を間違えてしまうような…。
 寝ぼけて、白米の入った茶碗に麦茶を注いでしまうような…。

 誰にだってミスはある。完璧な人間などいないのだから。運が悪かったとしか……そうとしか言い様が無いような…。

 その不運が重なって重なって出来上がったのが、この事態だった。

 銅鉱石を拾い、誰も気付く事なく、変装してない素の状態で外に出てしまった。アマゾネス達が戻ったのか、と振り向いた『疾風』兵は、オッサン二人と少女二人を発見し、数瞬の沈黙の後、これが非常事態であると気付く。

 「ちっ、やるしかないよ!!」
 「ああもうっ、何でこんな事にぃ…」
 「ってかネル! お前は気付けよ! 本当に隠密か!?」
 「う…うるさいねっ、責任は四等分だよ!」

 「!? ネルだと……貴様っ、ネル・ゼルファーだな!?」

 素性がバレてしまった。
 相手がただの隠密ではなく、クリムゾンブレイドの片割れである事を知った『疾風』兵達は、目の前の手柄に心を躍らせる。

 「残念だったな、ネル・ゼルファー! 女装とはいいアイディアだったが、詰めがあま……か………」



 アーリグリフ『疾風』軍団軍曹、エルマー・ルシャニス(30歳)

 彼は語る。



 ええはい、あの時…一つ、身を以て学びました。
 失言で人は死にます。
 消えたんですよ、ネルが。そう、一瞬ヤツの姿がブレたと思ったら、もうそこにはいなくて。
 それで……周囲が暗くなったんです。ヤツは、太陽の中でした。
 こっちはエアードラゴンの上なんですよ!? 高いんですよ!?
 普通……それを飛び越せますか?
 落下してくると思ったら、エアードラゴンから蹴り落とされました。左足…いや、右足…? とにかく、バキィッ、って。
 そしてエアードラゴンの背に飛び乗ったかと思えば、それを踏み台にして、あっと言う間に残りの二人も…。
 ………。
 逆光だったんですけどね。一瞬…一瞬だけ、顔が見えました。
 ……鬼…でしたね。阿修羅。
 …………もういいでしょう? あんまり思い出させないでください。何が楽しいんですか?
 もう……ヤツとは関わり合いたくありません…。





 っふぅぅぅぅっ、っふぅぅぅぅぅっ、ふぅぅぅぅぅっ……

 肩で息をするネル。
 その足下には、三人の兵士と三頭のエアードラゴンが転がっている。

 (ネルさん、強いなぁ…)
 (……“怒らせるのは厳禁な女性リスト”に、コイツも加えとこぅ……)
 (………やっぱ……フェイトは、この女にも“ガイア”を……)

 脳天気に感心するレナス。
 今までミラージュの独壇場だったリストに、新たにネルを追加するクリフ。
 アレックスのくせに真面目な事を考えているアレックス。

 「………帰るよ、アンタ達」

 「「「ヘイッ、姐さん!!」」」

 もうすぐ敵の本軍が到着する筈だ。
 ネルの言葉に逆らえる者は、現在このパーティーには存在しなかった。





 「……テメエ等……シーハーツだな?」

 一陣の狂風を纏い……その二人の男は、姿を現した。

 「……馬車か。銅鉱石を持ち帰るのに必要なんだろうな? あ?」
 「だろうねぇ。つまり、ここで待ってれば……ネル・ゼルファー達に会える、と」

 “歪”……そして“虚”

 手紙に記されていたフェイトの予言は、的中した。

 「……ソルム。コイツ等知ってるか?」
 「ほら、カルサア修練場で、シェルビーがエサに使ってただろ? ネル・ゼルファーの部下の、ファリンとタイネーブ」

 アルベル・ノックス
 ソルム・モールス

 「……ただ、じっと待ってるってのも…ヒマだな」
 「……だねぇ……」

 二人は顔を見合わせ、意味ありげに笑い合う。

 「……ねぇ、アルベル。ジャンケンで…」
 「誰がテメェにやるか。いいか、ソルム。テメェの出番は無しだ。コイツ等も、あのクソ虫共も、そして……あの男も。全て残らず、俺が殺す。俺の手で、俺一人の腕で。いいな?」
 「……ま、俺が楽ちんだし。いいや、それで」

 ソルムは傍らの岩に腰を下ろし、アルベルは刀を鞘から引き抜く。

 「弱い者イジメは性に合わねぇんだが……取り敢えず、死んどけ」

 逃げだそうとはしない、ファリンとタイネーブだが……決して、怖くないワケではなかった。
 殺気に身体が震え出しそう。今すぐ逃げ帰りたい。
 が、二人は互いの顔を見る。

 大丈夫? 大丈夫?

 大丈夫。大丈夫。

 言われた通りの事をしてきた。

 あの時……カルサア修練場から生還し、ベッドで休んでいた時。
 目を覚まし、驚いた。“彼”の手を抱いていた自分に。
 そして……あの鬼神のように強い“彼”が、傲慢な事を平気で言ってのけた“彼”が、椅子に腰掛けたまま僅かに俯き、夕陽を浴びて寝息を立てていた……あの光景。
 何て無防備な寝顔だろうと、そう思った。
 何て優しく、暖かな手だろうと……そう思った。

 やれる? やれる?

 やれる! やれる!

 信じよう、“彼”を。
 ネル・ゼルファーが信じる、“彼”を。


 ……もし、アルベル・ノックスが……それも、ネルさん達のいない時に現れたら……

 その時の為に、ここに必勝法を書いておきます

 ファリンさん、タイネーブさん

 僕を信じる自信がないのなら、この先は読まなくて結構です

 鉢合わせした時には、全力で逃げてください



 信じよう……“彼”を!!


 では

 その一



 「……アルベル・ノックス!」

 タイネーブは人差し指を上げると、それを真っ直ぐに、アルベルに突き出す。
 ファリンも、全く同じ行動を取った。

 「アルベル・ノックスぅ! ……残念ですけどぉ、あなたはここでぇ……」


 始めに勝利宣言です

 ビシッと……見せつけてやってください



 「私たちに負ける!」
 「そぉでぇーっす!」

 「……やってみろ。クソ虫共」





 (ディオン。これを持ってるんだ。決して離すなよ)

 そう言って手渡されたのは、法衣の切れ端。
 ディオンはそれをぎゅっと握り締め、祈るように目を閉じていた。

 祭儀場からは、時折爆音が響いてくる。不思議な結界のような半透明の壁で隔離され、こちらから祭儀場へ近付く事は不可能だった。

 (……フェイトさん…。アミーナを……どうか……どうか…!!)

 自分に出来るのは、祈る事だけ。
 その事実に、身もだえするようなもどかしさを感じながらも、やはり彼は、ただ祈り続ける事しか出来なかった。

 (………アミーナっ………!!!)





 <『紅蓮の魔剣』!>

 ロメロは刃に炎を纏わせ、フェイトへと突進する。長剣を右手に握るフェイトは、身体を翻し、振り向きざま薙ぎ払った。ロメロの初太刀を弾くと同時に、左手に光弾を形成し、それを二人の間にばらまく。後方へ飛び退くのは、ほぼ同時だった。

 <電脳の放浪者よ……貴様はっ、己の行為の重大さを認識しているのか!? この娘はっ、ここで死ぬべき存在なのだ! ここで死ななければならない存在なのだ!!>

 「知らないね、そんなの」

 長剣を、今度は左手で握る。右人差し指の腹を糸切り歯で食い破り、フェイトはその血で刀身に呪文を記した。

 「『ソード・オブ・ヘルヴァーナ(業火の剣)』」

 血が燃え出し、刃が炎に包まれる。ロメロのように炎を纏わせるのではなく、灼熱の刃を作りだした。
 その刃を、石畳に突き立てる。

 「『パイロマニア(熱狂)』」

 地中から幾つもの火柱が立ち上がり、それらは一直線にロメロへと向かっていった。

 <! 『苦凍の魔剣』!>

 死の王は自らの前に吹雪の障壁を作り出し、火炎を防ぐ。

 (……やはり……相当パラメータがアップされてるな)

 誰によって……かは、考えるまでもないだろう。
 せいぜい上級魔人程度の能力値だった筈だが、この力は既に魔王、魔帝、魔皇を通り過ぎ、魔神レベルだ。無茶なパラメータ改竄には相当なリスクが付くが、それだけ世界は自分を危険視しているのだろう。
 アミーナを“門”そして“罠”とし、ロメロを彼女の内にある出入り口から引きずり出した。その際にある程度のダメージは負わせる予定だったが、既に完治しかけている。

 <『天風の魔剣』!>

 ロメロは魔剣を振り下ろし、三日月型の刃を放った。
 それを横っ飛びに避けた瞬間、フェイトは相手の思惑に気付く。

 「ッ!!」

 『クロノス・ディグニティー』

 掻き消えたフェイトの姿は、次の瞬間にはアミーナの前に現れていた。咄嗟の事で、彼女を襲おうとした刃を完全には防ぎきれず、鋭く切り裂かれた右肩から血が噴き出す。

 「……いいのか、ロメロ? “病死”じゃなくて……」

 <フッ……。生き残られるよりは、ずっと修正がきく。既に許しは得ているのだ。残念だったな? 何かを守りながら戦う事が、どれ程困難な事か……知らぬわけではあるまい?>

 「……ハンデ…と…そう受け取ってやるよ」

 <………『閃きの魔剣』!>

 瞬間移動により背後へ回り、ロメロは魔剣を振りかざす。アミーナへと振り下ろされた刃を、フェイトの拳が振り向きざま弾き飛ばした。

 <楽しみだっ、貴様が諦めっ、絶望する時の素顔がなっ!!>



[367] Re[18]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/07/25 00:08
 その二

 アルベルを怒らせてください



 (……って言われても…)

 「クソ虫! 阿呆! 腑抜け!」
 「男女ぁ、プリン頭ぁ!」

 フェイトの指示に従い、思いつく限りの罵詈雑言を浴びせる二人だったが、アルベルの方は全く動じた様子もなく、どんどん近付いてきている。顔に似合わず無尽蔵に毒舌を並べるファリンを横目で見ながら、タイネーブは内心焦っていた。

 「このっ……下水!」
 「馬糞野郎ぉ!」
 「ええっと……便器のフタ!」
 「洗濯板ぁ!」
 「……ファリン…それ、誰の事かしら?」
 「もう、タイネーブぅ。仲間割れしてる場合じゃありませんよぉ」
 「便所のドア!」
 「ゴキブリ走りぃ!」

 ピクッ

 (((あ………ちょっと気にしてたんだ……)))

 「……ねぇ、タイネーブぅ。ピクッとはしましたけど、あんまり怒ってないみたいですねぇ…」
 「……そうだ、確かフェイトさんが何か書き足してたような…」

 既にかなり接近されている。
 タイネーブは急いで懐から手紙を取り出すと、“その二”の続きに目を通した。


 もし、怒らなかったら……最後の手段です

 こう言ってやってください



 (……これ…どういうこと?)
 (とにかく、やってみましょーよー)

 「……アルベル・ノックス!」
 「あ?」
 「いい肛門科知ってるんですけどぉ、紹介してあげましょうかぁ?」



 …………。



 ボヒュウウゥゥウウゥゥゥウウゥゥゥ!!!



 怒った。
 ギリギリと歯を鳴らし、凄まじい形相で二人を睨み付ける。

 「んなっ……なんて事言うんだっ、君たち! あれからアルベルが、純潔と貞操と処女を守り抜くためにどれ程苦労し…」

 「テメェは黙ってろぉぉぉ!!」

 駆け寄って猛抗議するソルムだったが、アルベルの裏拳で後方へと吹き飛ばされ、そのまま動かなくなった。
 よく分からないが……流石はフェイトだと思ってしまう。たったの一文で、アルベルをキレさせてしまったのだから。
 そして、ソルムを相手にする必要もなくなった。

 「……テメェ等……」

 ギチギチと、左手の鉤爪が鳴る。アーリグリフ三軍で一番の凶人・歪のアルベルは、怒りのあまり引きつった笑顔を浮かべつつ、二人に向かって突進してきた。

 「生かしちゃおかねぇ!! 五回はぶっ殺してやる!!」


 その三

 いよいよ特訓の成果を確かめる時です

 まずは、『元視』



 (元視……?)
 (はい。まぁ、簡単に言えば……“認識”する事です。人間は自分で思ってるよりも、遙かにたくさんのものを見てるんです。それこそ、百歩先の小説の一文字一文字でさえ……。ですが、脳にはそれらを認識する程の能力はありません。よって、見えない、という状態が出来るんです。……ファリンさん、タイネーブさん。こめかみと眼球に力を込めるイメージで。だんだんと“見えて”くるはずです)
 (………)
 (……あれ…この光……)
 (見えましたか? 体中に、光が流れてるでしょう? それを、見たい、と強く念じるんです。意識を集中させて……)
 (……あ…これってぇ…)
 (二種類…ありますね…)
 (! もう、そこまでか……思ったより早く馴染んだな…)
 ((え?))
 (何でもありません。二種類あるのに気付けましたか? 青っぽい光と、黄色っぽい光。青っぽい光が施力で、黄色っぽい光が“氣”です)
 (“氣”って……アーリグリフが使う、あの“氣”ですか?)
 (ええ。施力がなくても、生き物なら誰でも持つものです。そして“氣”を視られるという事は、力の流れを視る事が出来るのと同じです)
 (力の流れ…?)
 (はい。相手が自分より強い時には、尚更重要な事です。……たくさん例外はありますが、一般的に言って、男の方が女性より力があります。それは生まれついた時からの差異です。ですから……取っ組み合いの格闘とかだと、男は完全に女性をナメていて、腕力のみでねじ伏せようとします。基本的に、男はバカな生き物です)
 (……フェイトさんも男じゃ…)
 (僕はフェミニストですから)
 (……はぁ……? そう…ですか…)


 怖がる必要はありません

 相手もただの人間で、バカな男なんです

 施力を封印しているわけですから、視るのは“氣”の流れのみ

 大丈夫、あなた方なら勝てます

 ………あ、勝ったら、一つなんでも言う事を聞きます

 僕に出来る範囲ですけど

 ですから、張り切ってぶっ飛ばしてやってください



 視える。はっきりと視える。
 怒氣は確かに攻撃力を増大させるが、その分視え易くなる。
 普通に見ているだけなら、斬られる。相手の斬速は、自分たちの反射神経でどうこう出来る速さではないのだから。
 しかし……氣の流れが、彼女達に教える。
 振り下ろしのタイミング。速度。角度。そして“安全地帯”を…。

 「死ね」

 次の瞬間、ファリンはアルベルの予想を遙かに超える速度で飛び出した。

 (なっ……!?)

 彼女は、避けない。自分から向かってきた。
 そして今当に振り下ろされようとしている刀の柄頭を、掌底で打つ。


 タイミングと、場所の問題なんです

 斬ろうとしている時……予備動作の時なら、指一本でも阻止出来ます



 アルベルは上体を仰け反らせる。片足が浮き上がり、そして刹那の後、地に着いていた足をタイネーブが払った。

 ……ドォッ……

 腰に衝撃。
 視界には、空。

 「あらあら、アルベルさぁん。アンヨが情けないですよぅ」


 どんどん怒らせてください

 やりすぎなどというのは存在しません

 とにかく、冷静になる時間を与えない事です



 「……この……」


 どうせなら、泣かせてやりませんか?


 「クソ虫がぁぁあぁ!!」





 長剣を、目の前で立てる。
 そして8の字を描くように回すと、刃の形の残像が放射状に出現し、光を放つ。

 「『ブレード・インフィニティ』」

 刃は連なり、ロメロへと向かっていった。

 <!!>

 走るロメロの足もとに、幾つもの刃が突進していく。柱の影に逃げ込むロメロだったが、フェイトは既に、その柱の前にいた。
 ロメロは魔剣で彼の剣を弾くと、一旦跳び下がり、距離を取る。

 <……まだ…諦められないというのか? 哀れな放浪者よ>

 「………」

 <今までお前は、どれ程のものを捨ててきた?>

 ギャリィィッ……

 フェイトは一歩で距離を詰め、長剣を振り下ろした。
 それを真正面から受けたロメロは、鍔迫り合いのまま彼に顔を近付け、語り続ける。

 <好いた女もいただろう、好いてくれた女もいただろう。刎頸の友も、慕ってくれた若き魂も…>

 フェイトは突然刃を寝かせると、身体を独楽のように回転させた。その回転にロメロを巻き込み、床へと引きずり倒す。
 何とか踏み止まったロメロだが、直後、天井に届くほど力強く腹部を蹴り上げられた。

 <ぐうっ……!>

 天井に足を置き、蹴り、フェイトから離れた場所に着地する。

 <……お前は…それらを、捨てたのだ! 友を、仲間を、愛する者達を! 自らの目的の為に!>

 「その通り。色々と捨てたよ」

 <お前はそれでいいのか!? 悲しくはないのか!? ……何故平穏の中に身を置こうとしない! 何故安寧を受け入れない! 何故自ら苦難を選ぶ! 何故だ!?>

 「……お前如きじゃ、一生理解出来ないだろうさ」

 フェイトは長剣を脇で構えると、姿勢を低くして走り出した。

 「『ヘルモーズ・ドライブ』」

 刃が、幾重にもブレる。急いで防御するロメロだが、到底捌ききれる速度ではなく、殆どの斬撃を浴びてしまった。

 <ぬぐぅっ!!>

 まともにフェイトを相手にするのは、やはり無理だったと悟ったのだろう。彼の間合いから逃げると共に、そのままアミーナへと向かっていった。

 この少女を殺せば、それもまたロメロの勝利。

 <『ブラッディレイン』!>

 傷口から流れ出す血が、全て上空へと舞い上がった。
 それらは結晶となり、粉雪のような刃となって、周囲に降り注ぐ。

 「『テンペスト・ストライフ』!!」

 フェイトは蹴り足で爆風を起こすと、アミーナを襲おうとしていた刃を吹き飛ばした。が、ロメロは彼の背後に立っている。

 <動くな……>

 ロメロの前にはフェイト。
 そして……フェイトの前には、アミーナ。

 フェイトの動きはほんの一瞬止まり、そしてそのほんの一瞬は、死の王にとっては十分な時間だった。

 ……ズンッ……

 魔剣は刃の根元まで突き刺さり、フェイトの左胸を貫いていた。

 「………」

 彼の口から吐き出された血が、床にぶちまけられる。暫くの間、左胸から生える血塗られた刃を見つめていたフェイトは、やがて両膝を突くと、魔剣に貫かれたまま、右肩から倒れ込んだ。

 <……さらばだ、悲しき孤独の放浪者…。全てのしがらみから解放された今、ただ……ひたすらに…安らかに眠れ……>

 動かない青髪の青年にそう言い残し、ロメロは彼の傍に転がる長剣を拾う。

 <そしてさらばだ、死すべき者よ。お前の死は、決して無駄ではない。秩序を保つ、不可欠の歯車の一つなのだ……>

 法衣にくるまれる少女にそっと語り、ロメロは長剣を振り上げた。

 <…………眠れ、永久に>

 刃は、躊躇いなく振り下ろされた。





 「………あ……」

 「? フレイ、どうかしたの?」

 「お兄ちゃん…………死んじゃった……」

 「………え……?」



[367] Re[19]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/08/07 01:39
 力の流れに、無理に逆らってはならない。
 自分の力を添えて、そっと軌道を変化させ、結果として相手に返す。
 タイネーブの足がアルベルの踝を払う。
 斬撃を避けたファリンが、掌をアルベルの額に置く。
 息はピッタリ。
 空中で更に加速させられたアルベルの頭は、後頭部から地面に叩きつけられた。

 「えい♪」

 ベシャッ

 すっかりコツを掴んだファリンは、もはや敵なしという状態である。アルベルの顔を踏み台にすると、軽やかに跳び上がった。

 何度でも投げる。何度も。何度も。何度も。何度も。何度も。

 アルベルが跳ね起きる事も予想出来た。
 だから、タイネーブは膝を突き出しておく。

 「がっ…!!」

 避けきれず、アルベルは右眼をぶつける。

 (すごい……こんな……隙だらけ!!)

 腰を沈め、拳を構える時間は十分にあった。
 右眼の氣の光が弱くなっている。視力回復には、まだ少し時間がかかるだろう。
 思わず刀を離し、右手の平で右眼を庇うアルベルの顔面に、彼女は迷い無く、渾身のストレートを叩き込んだ。


 弱点への攻撃は当たり前

 攻める時は徹底的に、イヤになるほどしつこく



 衝突の瞬間に一気に力を込め、そしてダメ出しのように回転を加えられた拳は、アルベルの小指をへし折りつつ、鼻っ柱を打った。

 「がぁぁっ!!」

 左腕で刀を掴み、急いでその場を離れるアルベル。

 「あらぁ? カルシウム不足ですかねぇ?」
 「みたいね、ファリン」

 彼の右手の小指の光は、既に朧気になっていた。


 攻撃する時には、必ず殺気が出るんです

 それが出ていない時には攻撃に専念

 殺気が視えたら、防御ではなく、カウンターです

 特に大きなダメージを与えなくてもいいんです

 どんな攻撃をしてこようと無駄であると、絶望させるんです

 僕の友人の口癖ですが、“柔は剛を制す”

 アーリグリフの気功は“剛”であり、僕が教えたのは“柔”です

 どんな攻撃だろうと、当たらなければ無意味なんです

 彼等が使う氣の放出とは、とても高度な技術ですが……

 彼等はそれを、何となく…感覚的に使ってるに過ぎません

 本来通らなければならない“内なる氣”の領域を、飛び越えてるんです

 ファリンさん、タイネーブさん

 あなた方は、既に仕組みが視えてるんです

 手品の仕掛けは、あなた方の前では丸裸なんです



 有り得なかった。
 大陸一の刀使いである自分が。シーハーツ最強と呼ばれるクリムゾンブレイドを、軽く凌駕する戦闘能力を持つ自分が。
 こんな三下に。こんな雑魚に。こんな小娘二人組に。
 シェルビー如きにさえ敗れる、こんな雑兵に。

 しかし……この痛みは……。

 こんな筈はない。
 何だこの力は。
 何だこのスピードは。
 何だこの動きは。


 頭に血が上れば、放出系の技を使用するでしょう

 “柔の気功”は、はっきり言ってしまえば近接格闘にて真価を発揮します

 つまりそうなってしまえば、少々ヤバイです



 「テメエ等………これで……終わらせてやる!!」

 アルベルの闘氣が膨れ上がり、それは体外へ噴き出すと、彼の周囲で渦巻き始める。


 ………っと、普通ならそう言うんですけど

 あなた方には、施力があります

 そこで、この反則技です

 一度しか使用出来ませんが、これが打ち破られる事は有り得ません

 使い所を間違えないでください



 今がその使い所だった。
 「ファリン!」
 「はぁい!」
 タイネーブは右手の平を、ファリンは左手の平を差しだし、合わせる。そして手紙に同封されていた札を、二人とももう片方の手で掲げた。

 「『吼竜破』ァァァァ!!」

 「「『ラタレル・キャンセラー』!!」」





 ギィ……ィンッ……

 <!?>

 法衣ごとアミーナを斬り裂く筈の長剣が、法衣に触れた瞬間、宙高く弾き飛ばされた。自分の手から離れた剣の行方を見守る事も出来ないほど、ロメロの驚愕は大きい。
 法衣が光を放ち、そしてそこから伸びる一筋の光の糸が、祭儀場の外に続いている。ディオンが握り締める法衣の切れ端と、アミーナを包む法衣とを繋ぐ、一筋の光の糸が。
 <これは……一体…!?>

 いや……待て……それよりも……

 何故だ!? 何故“音”がしない!?

 長剣が落ちる“音”が……!?

 ズシャアアッ

 <ガァァァァァッ!?>

 不意に、右腕が斬り離された。胴体に達しようとしたその刃から素早く逃れ、傷口を片手で押さえつつ、ロメロは大きく距離を取る。

 「チッ、惜しい……」

 <なっ……!?>

 魔剣に左胸を貫かれたままのフェイトが、長剣を握って立っていた。

 <な…何故だ!? 確かに心臓の位置を…!>
 「とっくの昔に無くしたよ、そんなの」
 <……ッ!! ならば……>
 ロメロは左手を、右腕の傷口から青髪の青年へと向ける。

 <『散華の魔剣』!!>

 炸裂音と共に、魔剣が……刃が、弾け飛んだ。自爆した刃は体中をズタズタに傷付け、周囲に鮮血を撒き散らす。

 「………」

 文字通りの血だるまになりながらも、フェイトは長剣を突き立て、自分の身体を支えた。
 <クハハハハッ、良い様だな! さあっ、大人しく……>
 「……を……む……」
 俯いたまま、彼は長剣の柄を両手で握る。
 そして…何かを、呟き始めた。

 <……?>

 「年に一度……一夜だけ……逢…瀬を……ゆるされ…た……恋人…た…ち……」



 年に一度
 360余の夜に一夜だけ
 逢瀬を許された男と女




 隠されていた魔法陣が、床一面に浮かび上がる。



 二人を分かつ夜空の川
 天帝の命を受け、我が身を以って牛飼と織姫とを繋ぐは
 鵲の羽




 魔法陣から幾羽もの鵲が現れ、一斉にロメロへと襲い掛かった。



 そを妨げし者
 汝を待つは高砂楼の呪縛




 <ぐっ…!?>

 何とか鳥たちを追い払おうとするロメロだったが、魔剣も既に無く、どうする事も出来ない。

 「そのまま…だ」

 ズタズタに切り裂かれた左半身。
 左腕はもう動かず、フェイトは右手で長剣を握り、切っ先を天に向けた。

 「『スピリット・オブ……」

 白光と黄光が渦巻き、刃が発光する。

 「アルタイル&ヴェガ』」

 螺旋の槍となった二筋の光が、振り下ろしと共に放たれた。
 槍は光の翼を広げ、一直線にロメロへと翔ける。

 <……!!>

 ロメロの首から下が、螺旋に巻き込まれて消滅した。
 フェイトは右手を伸ばし、その頭を掴む。

 「……お前の特性は……“HPが絶対値である”事……ちょうど、二次関数の曲線のようにな」

 <!!>

 最後の力を振り絞る。
 まだだ……ここでしくじれば、全てが水泡に帰す。

 「今が、それだ。“出来るだけゼロに近い”HPだ。……マイナスのHPをどうやってゼロへと持っていく? 答えは……プラスを足せばいい」

 ヒーリング。
 癒しの力。

 <よ…止せっ、私が消滅すればっ、世界は…!>

 「お前が消滅して、世界がどうなるか…。教えてやるよ」

 全てを癒す筈の光が、徐々にロメロの顔を蝕んでいった。
 表情が固まり、絶望と驚愕のまま、それは石化する。

 「“特に目立った変化無し”……だ」

 フェイトは石像の頭を握り締め、それを粉々に砕いた。





 「おーいっ、ディオン! こっちへ来て! アミーナを運んでやってくれ!」

 結界が消えた。
 フェイトの叫び声を聞いたディオンは、弾かれたように立ち上がると、祭儀場へと駆け出す。
 瓦礫、何かの燃え滓、砕けた剣…。
 法衣にくるまれたアミーナは、祭壇の上に寝かされていた。
 「フェイトさん! アミーナは…」
 「成功。もう大丈夫だ。安心していい。……ほら、早く連れてってやりなよ。風邪でも引かせたら大変だ」
 「は…はいっ」
 彼女を抱き上げ、足早に祭儀場を後にする彼に、フェイトは少しだけ安心する。まぁ、この状況でディオンがアミーナしか眼中にないのは、無理のない事なのだが。
 「……左眼…死んだか…」
 ロメロも、とんでもない置き土産を残してくれたものだ。ズタズタにされた左半身を、入り口と逆の方向に向けたまま、フェイトはゆっくりと立ち上がる。

 さてと。

 僕も、傷の手当てを………………し……………て…………?

 あ、これはヤバイぞ…。

 がたんと、景色が傾いた。左足が床を離れる。まぁいいかと思い、フェイトは目を閉じると、身体の力を抜く。

 ………ガシッ

 が、石造りの冷たい床に転がる筈の自分の身体が、何かに支えられた。
 「……え…?」
 「………」

 彼よりも少しだけ太い腕。

 「……派手にやられたな。血達磨だ」
 「ラッセル……」
 どうやら、ディオンと入れ違いに入ってきたらしい。
 「左眼をやられたのか?」
 「ああ。それと…左腕も……これはダメだ。全然動かない…」
 フェイトが自嘲気味に呟いた、次の瞬間。
 彼の袖口から何かが落ち、そして床に衝突して粉々に砕け散った。

 「………」

 ラッセルには、分かる。それが何であるのか。
 三年前……左腕を失っていたこの青年に、自分が“作った”ものだから。

 「……ごめん…」

 ポツリと漏らしたフェイトに、ラッセルは出来るだけ柔らかく首を振った。

 「気にするな。少しの間とはいえ、お前の役に立てた」
 「でも……ラッセル、これは…息子さんの骨(形見)で……」
 「お前が歩んできた道の困難さ、過酷さ……それを考えれば、よく三年間も使い続けてくれたと、寧ろ礼を言いたい。……お前は、そっくりだったんだ。私の息子に…」
 「………。僕で、代わりになれる?」
 「おい。砂吐き恋愛小説みたいな台詞を使うな。気色悪い」
 「ひどいな……」
 顔も合わせず、互いに苦笑する。

 「……歩けないだろう? 運んでやる」

 「きゃっ、お姫様抱っこ…。ラッちゃんったら、だいた~ん…」

 「……。元気だな。帰っていいか?」

 「冗談冗談…。よろしく頼むよ、“父上様”」

 「こんの……大馬鹿者がッ……」



[367] Re[20]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/08/16 23:53
 壁には、十本ほどの……人が入れるくらいの大きさの試験管が並んでいる。
 中身が入っているのは、その内の二本。
 目を閉じ、静かに自分の“出番”を待ち続ける、青髪の青年だった。

 「……あまり…無茶をしないでくれ、フェイト君」

 白衣を纏う黒髪の女性は、そっと呟いてみる。その時自動ドアが開き、保管庫に“四天王”が入ってきた。
 「エルファネラル。首尾は?」
 「問題ない。“転送”は、滞りなく完了したよ」
 試験管を見上げたまま、エルファネラルはイセリアの問いに答える。
 「……命は、あと二つ…」
 ハヤトが呟いた。
 「……ね…ねぇ、そろそろヤバイんじゃない? もう“使う”なんて、お兄ちゃん、かなりピンチなんじゃ……」
 「次の“命”は、どのくらいで出来る?」
 「最低でも……二ヶ月はかかってしまうよ。急ピッチで作業を進めているんだが、成功するかどうかは運次第だしね。何より、こんな事前例がない。いや……これからもまず、ないだろう」
 「…………」
 試験管の中の二人の青年は、沈黙を続けている。意識などないのだ。
 ただの“命”なのだから。

 (……頭領……ご無事で……)





 「………ねぇ、タイネーブぅ……」
 「ちょっと待って。お願い、何も言わないで」
 「でもぉ……現実逃避はいけませんよぉ」
 「え? 堅実頭皮? 何それ? そう言えば、ラッセル様の生え際ってそろそろヤバくない? その堅実な頭皮ってのをプレゼントしてあげれば、給料アップでウッハウハ?ってゆーかー」
 「………タイネーブぅ……」
 「ウフフフフ。アハハハハ。ここは何処? 私は誰? ところでファリン。根掘り葉掘り…って言葉あるでしょ? あれって、根掘りは根っこが土ん中に埋まってるからスンゲエよく分かる。けど、葉掘りってどういうことだぁ? 葉っぱが掘れるかってぇの。突き抜けちまうだろうが、裏側によぉ。舐めてんのか、私を舐めてんのか」
 「えーっとぉ……ここは、“元・ベクレル山道”でぇ、あなたは私と一緒に、“ベクレル山道”を“元・ベクレル山道”にしちゃった張本人ですねぇ。あと、根掘り葉掘りなんてぶっちゃけどーでもいいですぅ」
 「……いやああああああああああああ!!」

 青空の下、悲痛な叫び声が木霊する。
 その青空の青は、あの青年の髪の色を連想させた。

 フェイトから貰った札を使ったら、何が起こったのか…。

 答えは、超大爆発。

 地形が変わるほどの。

 咄嗟に発生した防御壁に守られ、二人は無事だったが、アルベル、ソルム……果ては馬車まで、どこかへ行ってしまった。
 彼方此方に出来たクレーター、裏返しにしたように耕された地面。あれ程カチカチだった地面が、種をまけるくらいに柔らかくなっている。

 無理矢理だった。
 確かにこれなら、相手がどんな攻撃をしてこようが………そんな事などお構いなく、全てを吹き飛ばして、決着を付けられる。
 だが、最初から使った方が手っ取り早かったのではないか?
 いや……フェイトも、地形を変えようなどとは思ってなかった筈だ。あの札は、あくまで最終手段だったのだ。

 「……で? どうする? アルベル…」
 「……生きてませんよねぇ、これじゃ…。放っておきま…」

 ファリンがそう言い掛けた時だった。
 不意に、直ぐ傍の瓦礫が弾ける。

 「「!?」」

 地中から伸びた手が、ファリンの左足首を掴んだ。

 「わひゃあっ!?」
 「……ゴホッ……て……め…ぇ……ら……」

 ((生きてたーーー!!))

 満身創痍ながら、アルベルは生き残り、そして意識を保っていた。突然の事態に対処出来ず、ファリンは思わず足を縺れさせ、その場に腰を落とす。
 「ファッ…ファリン!!」
 「ウ…ぁ…!」
 地獄の鬼のような殺気を放つアルベルに手を出す事など、不可能に近かった。何とかファリンを引き寄せようとするタイネーブだったが、アルベルは左手を離す事はなく、そして引きずられつつも、右手の刀を振り上げる。

 「……死…………ね…え…ぇぇえええええええ!!」

 身体に残る全ての力を集め、アルベルは刀を振り下ろ……



 「『ジャスティス・シュート』ォォ!!」

 直訳→正義の蹴撃



 ……せなかった。

 アルベルの右手を離れ、宙を舞う刀。

 頬を蹴り飛ばされ、地面をボールのように転がるアルベルの身体。

 一瞬何が起こったのか理解不能のアルベルだったが、寝転がったまま目を開けると、銀髪の少女が槍のようなものを振り上げている光景が、まず視界に飛び込んできた。

 「成敗ぃぃ!」

 「がふっ!?」


 思い切り振り下ろされた槍の柄が、容赦なく身体を打つ。

 「成敗! 成敗! 悪霊退散! 女の敵め! この露出狂! 変態! 痴漢! 死ね! 死んでまえ!」

 「……れ…レナスさん…!?」

 「天誅ぅ!!」

 「ずぐふうっ!?」


 最後に、フィニッシュのように石突きで水月を突き、レナスは槍を納めた。

 「……ふぅ……」

 額の汗を拭う。
 正義の一仕事を終えた、実に爽やかな笑顔だった。

 「二人ともっ、もう大丈夫! アクメツ完了です!」
 「ちょっとレナス! いきなり走り出すなんて…」
 「……おい。地形が変わってるのは気のせいか?」
 「レナスちゃん! 痴漢や露出狂を差別しちゃいけねぇ! 屋外でのスチュアート大佐ごっこは、言ってみりゃあ男のロマンなわけで!」

 少し遅れて、ネル、クリフ、アレックスも駆け寄ってくる。

 「ファリン、タイネーブ! 何があったんだい!?」
 「いえ、その……」
 「フェイトさんに貰ったお札を使ったらぁ、大爆発でぇ、地形が変わっちゃいましたぁ」
 「んなっ…!?」

 何とバカな話とは思うが、そのお札の出所が、あのフェイトだ。

 「……何だってそんなもの……」
 「あっ、そうでした! アルベルです!」
 「アルベルって……あのアルベルかい!? 歪の!?」
 「……レナスさんが踏んづけてるのが、そうです」

 大陸一の刀使いは、もはや見る影もなかった。

 千切れた腰布、本人と同じ位ボロボロにされた衣類。確かに、レナスがこの男を露出狂と定義したのも無理はない。
 が、やはり……この男こそは、アーリグリフ軍重装歩兵軍団団長、アルベル・ノックスその人であった。
 対して、ほとんど無傷のファリンとタイネーブ。

 「……ちょ…ちょっと待ってくれるかい?」

 興奮し、アルベルとの戦いの模様を口々に話す二人を、何とかだいたいのあらすじを把握したネルが制した。

 「つまり、アンタたち……アルベルに勝ったのかい!?」
 「ええ、楽勝でしたよぉ」
 「ほとんどフェイトさんの予想通りで……」



 フェイト

 それが……あの青髪の名前か……?



 「えっ、この人露出狂じゃないんですか!?」
 「そいつは元々そんな格好だよ」
 「……真性の変態さんじゃないですか!!」
 「……容赦ないね、アンタ……」
 「首輪までしちゃって! 何のプレイなんですか!」
 「アタシに聞かれても困るんだけど……」



 あの男が……。

 この雑魚共を、あれ程強く……?



 「……で、コイツの処分だけど……」
 「放っておきましょう、ネル様」
 「そうですそうですぅ」
 「いや。ここで討ち取っておかないと……」
 「心配要りませんよぉ。また倒せばいいんですしぃ。それに…」


 その四

 更に止めです

 絶望のどん底へ叩き落としましょう

 フフフフ……フハハハハハ……アッハハハハハハハハ!!

 ゲフンッゲフンッ



 「弱い者イジメはぁ、イケナイ事なんですよぉ」



 ……弱……い……だと……?

 誰がだ? 誰が弱いだと?

 この……俺が……?

 この俺が、弱者だと…!?



 ふざけるな……そう叫ぼうとしても、声が出ない。
 こちらを見下ろす彼女達を見上げる事しか出来ないアルベルは、彼女達を睨み付ける。が、ネルは唇の端を吊り上げると、彼にとっては何よりも辛い言葉を放った。

 「なるほど、ね…。確かに、弱い者イジメはよくないね」
 「そうですよぅ。ですからぁ、放っといてあげましょうよぅ」
 「んじゃ、そうしようか。行くよ、皆。………泣き顔を見ちゃ、悪いしね」





 「………く……っそ………」

 ようやく声が出た。
 既に奴らの姿は無く、凍てつくほど冷たい風が吹いている。

 「……くそおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 その寒空の下。
 己の非力さに絶望する一人の野獣が、吼えた。





 「……なぁ、クリフ……」
 「ああ…。やっぱ怖ぇよな、女って生き物は…よ……」





 チチチッ……チチッ……

 一羽の銀色の小鳥が、翼を忙しなく上下に動かし、シランド城の城壁を越えた。
 少なくとも、普通の小鳥ではない。小さな身体は全て金属で覆われていて、頭部には目ではなく丸いレンズ。生き物と見る者は、まずいないだろう。

 チチチチッ……チッ……

 その囀りも、ただの真似事でしかない。
 金属の小鳥はスピードを緩め、窓際で帰りを待っていた男の指先に止まった。

 「……ファリンとタイネーブは、無事にアルベルに勝ったそうだ」

 ラッセルが指を鳴らすと、小鳥は動かなくなる。模型と化したそれを懐に仕舞うと、彼はベッドで休む青年に、小鳥からの報告を伝えた。
 「そう……良かった。無事に勝てたんだね……」
 「………」
 「アルベルには、絶望してもらわなくちゃならなかった。敗北を知ってもらわなくちゃならなかった。それは早い方が良かったし、絶望はより深い方が良かった」
 「だから…あの二人と戦わせたのか?」
 「そう。アルベルにとっての、雑魚二人組とね…」
 ラッセルは窓から離れ、ベッドの傍の丸椅子に腰を下ろす。
 「ラッセル」
 フェイトは右眼を彼に向けた。
 「ようやく……僕の目的地は、間近に迫っている。ここが正念場なんだ。間近に迫っていると言っても、実際にはスタート地点から少し進んだくらいだ。これからどんな事が起こるか、僕にもはっきりとした事は分からなくなる。ロメロを消したんだから、尚更だ。……だから……」
 「………」
 「……協力してくれ。これからも、変わらずに」
 「フッ………残念だ。迷惑だろうから手を切ろう、などとぬかしたら、思い切りぶん殴ってやろうと思っていたんだが…」
 「まだ…まだ、“下ろし”はしないさ。キミももう、既に“知ってしまった”人間なんだから。イヤでも最後まで付き合ってもらう」
 「元よりそのつもりだ。……私が心を許せる者は、今生きている限りでは三人……陛下、エレナ、そしてお前だけだ」
 「友達少ないんだね、相変わらず…」
 「黙れ。………元々別種の人間同士だ、仕方ない。それに……少ないからこそ、大切にしようと思える」

 「……一生大切にしてね? 約束だよ、ラッたん……」

 「だぁかぁらぁお前はぁぁぁぁ……」





 アリエスの村・領主の館

 皆の時間は、止まっていた。

 興奮し、アルベルとの戦いの一部始終を早口に喋るファリン、タイネーブ……

 二人の話に、説明と補足を加えてやるネル……

 その内容に、驚きを隠せないクレア……

 淹れてもらった紅茶を味わうレナス……

 銅鉱石を荷台に積み込み、やれやれと館に入ってきたクリフ、アレックス……

 「………え?」

 足早に入ってきた伝令の言葉が理解出来ず、レナスは思わず聞き返す。
 アレックス以外の皆は、呆然としていた。


 フェイト、危篤


 彼女の手からカップが離れ、割れた。



[367] 没箱
Name: nameless
Date: 2005/08/16 23:56
 [恋人]

 アレックス「……っはーぁ……彼女欲しいなー……」

 ドゴンッ

 アレックス「がはっ!? ……フェイト! いきなりシャイニングウィザードとは何事だ!」

 フェイト 「バカだお前は! これからアホックスに改名しろ!」

 アホックス「やだよ。……ってああ! マジで変わってるし!?」

 フェイト 「さっきから聞いてれば……彼女欲しいとか、ハーレムキングになりたいとか、女王様に監禁されたいとか、肉奴隷が欲しいとか…」

 アホックス「後半ウソだらけだろが! それよりさっさと名前戻せ!」

 フェイト 「そんなんだから……彼女の想いに気付かないんだ!」

 アホックス「……えっ……!?」

 フェイト 「可哀相に……こんな鈍感男に惚れるなんて…!」

 アホックス「それ、お前に言う資格はねぇ。……けど、その娘は一体どこに!?」

 フェイト 「やだなぁ、ちゃんと今もキミの肩に……」

 アホックス「肩?」

 フェイト 「そう、肩」

 アホックス「……!?」

 フェイト 「肩の上に」

 アホックス「ちょっと待て! 教えてくれ! 一体何が!? 何が乗ってるの!? ……おいこらっ、味塩撒くなぁ!!」



[367] Re[21]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/11/25 00:06
 「ウソだ」

 「「「「「…………………………は?」」」」」

 買い物を終え、丁度城内に戻るところだったラッセルは、肩で息をする五人……レナス、クリフ、ネル、ファリン、タイネーブに向かって、あっけらかんと言い放った。アレックスは皆の後ろで、眉を顰めて頬を掻いている。

 フェイトが危篤だという連絡を受け、アリアスからシランドまでほぼノンストップで馬車を走らせて……到着してみれば、ウソ?

 「確かにかなりの怪我を負ったがな…。危篤なんて事はない。さっさと銅鉱石を持って帰って貰いたかったから、一番早く戻るであろう報告を持たせただけだ」
 現に、こうして昼夜を問わず駆け付けたではないか……ラッセルはへたり込むネルに言う。普段なら真っ赤になって狼狽する彼女だが、今は何も耳に入っていなかった。

 「……あの……お騒がせ野郎………!!」





 お騒がせにも程がある。
 こちらは、本当に心配だったからこそ、こうして昼夜を問わず駆け付けたのだ。

 一発……いや、三発。そのくらい殴らねば、到底気が済みそうになかった。

 本来なら、まず女王陛下へ帰還の報告を済ませなければならない。しかし、ネルでさえも、韋駄天の如く城内を疾走するクリフの後に続いていた。
 ともかく、それこそ出会い頭にぶん殴ってやる。
 主従の契約など、知った事ではない。
 例えその数秒後に、何十倍と殴り返される事になろうとも、殴らずにはいられないのだ…。

 「フェイト!」

 そう叫び、勢いよくドアを開けたクリフだったが、次の瞬間その場にしゃがみ込んだ。

 ドゴォッ……

 「……何…で……俺……がふっ」

 室内から飛んできた“何か”に、運悪く、そして勢いよく頬を殴り飛ばされたアレックスが、廊下の上に崩れ落ちる。
 コードの付いた、左手の模型だった。

 「ロケットパンチ、成功~~」

 「~~ッ!! フェイ…!!」

 クリフの言葉は途切れる。

 シャアアアと、モーターが回転するような音と共に、模型のコードが巻き戻されていく。それは床を這い、青年の足下まで来ると上昇し、ガシャンと、収まるべき場所に戻った。

 「フェイト…さ…!!」
 「……!!」

 レナス、ネル、そしてファリンとタイネーブも、ベッドに腰掛ける彼の姿を目の当たりにした途端、言葉を失った。
 顔の左部分に、無数の切り傷があり、左眼は眼帯で隠している。そして、機械仕掛けとなった左腕を、グルグルと回転させていた。

 「銅鉱石運搬、ご苦労様。これで開発は再開出来る。……本当に、ご苦労様」

 「何なんですかっ、そのっ…すっ…すがっ……その………そのフェイトさんは!!」

 怒鳴るレナスの脇を通り、ラッセルが部屋の中へと入ってくる。
 フェイトは彼の方を向くと、ぐいっと、左半身を見せつけた。
 「どうって……ラッセルはどう思う? 格好良いだろ?」
 「ああ、格好良いな。貫禄が増した感じだ」
 「そうなんだよねぇ…。僕って、身体も顔もモヤシっ子だからさ。どうも舐められがちだったんだ。これで少しは迫力が…」

 ばぁんっ

 レナスが平手で叩いたテーブルの上のカップが、僅かに空中に浮かぶ。
 「……何で……ですか……?」
 「……?」
 「何でそんな怪我っ、…何があったんですか! 絶対に答えてください!!」
 「イヤミな神様をぶった斬ろうとしたら、意外に手こずっちゃって、結構やられた。……そうとしか言えないよ」
 そう言って、彼は困ったように苦笑する。
 「まぁ、命があった分、儲けたってカンジ……」



 ……ぱんっ……



 乾いた音の源を目撃しながら、皆がそれを認識するのには、若干の時間が必要だった。

 振り抜かれたレナスの左掌。強制的に横を向かされたフェイトの顔。

 レナスが……フェイトにビンタした?

 ネルやクリフが決心しながら、フェイトの姿を目の当たりにして呆然とする中、レナスはそれを、いとも簡単にやってのけた。
 「死んっっ…ぁ……らぁっ……どう…す……!!」
 体中がブルブルと震え出し、言葉が続かなくなる。
 「………」
 フェイトは少女の左手を手に取ると、そっと引き寄せる。レナスはほとんど体当たりするような勢いで、フェイトの胸に顔を埋め、寝間着の布をギュッと握った。
 「……ごめんね…」
 くぐもった嗚咽を漏らすレナスの背を撫でながら、その頭に、そっと声を落とす。
 「レナスをお父さん達に会わせるまでは、何があっても死ねないさ…。心配掛けて、ゴメン…」
 「…………あああっ、もうっ…!!」
 未だに潤んだ声ではあったが、レナスは真っ赤になった顔を上げると、無理矢理に笑顔を作り、バシバシと両頬を叩いた。
 「恥かきました! ああもうっ、恥ずかしい! 衆人環視の中で泣いちゃって! 視姦並に恥ずかしいっ!!」
 「へえ……あるんだ? 視姦された事…」
 「ありません! 例えですっ、例え! だいたい、私はまだ処じょ……何言わせるんですかっ!」

 “これ”である。

 さっきまで怒り心頭だったかと思えば、あっと言う間に気持ちを切り替え、多少食い違っている感が無いでもないが、もう冗談を言い合っている。
 レナスは理解している。フェイトの目的がどうだったにせよ、彼は全力でアミーナを救おうとし、文字通り全身全霊を以ってアミーナを救ったのだ、と。そしてそれは、決して間違ってなどいなかったのだ、と。
 要するにあのビンタは、八つ当たりである。
 嘘の連絡をした事。大怪我をした事。心配を掛けた事。怒り、安堵、悲しみ……それらを全てあの一発に込め、無言でフェイトに全てを伝えきった。
 そしてフェイトも、その全てを受け止め、少女の心をそっと懐に収めた。

 “これ”が、フェイトとレナスの“絆”なのだろう。

 「じゃあ、帰りは変装忘れちゃったの?」
 「そうっ、そうなんですよ! それで疾風の人が、ネルさんに向かって“女装とはいいアイディアだったな”とか言っちゃったもんですから、ネルさんが鬼神と化して…」

 レナスの両目からは止め処もなく涙が溢れだし、彼女はしきりに拭うのだが、嗚咽も未だに収まらず、時々軽く咳き込む。
 それでもレナスの話は、ループ再生されている経文のように途切れない。まるで途切れてしまえば、自分がどうかなってしまうかのように、今回の出来事をひっきりなしに喋り続けていた。

 「あっ、そーだ! アミーナのお見舞いに行かないと! じゃっ、失礼します!」

 突然レナスは手を叩くと、回れ右をしてドアから飛び出す。書類を抱えた文官とぶつかりそうになりながら、一直線に廊下を駆けていった。
 勿論彼女は、アミーナの病室の場所を知らない。

 「……よく頑張りましたね、ファリンさん、タイネーブさん」

 レナスの機関銃のような話の前に、完全に存在を忘れ去られていると思いこんでいた二人は、フェイトの不意の呼び掛けに驚き、肩を震わせた。
 「あ……」
 「完勝だったんでしょう? おめでとうございます」
 「は…はいっ、ありがとうございました!」
 「ましたぁ!」
 “フェイト危篤”という報告を聞いてから気が気では無く、半ば忘れていたが、彼女達は大陸一の刀使いにして『漆黒』団長、アルベル・ノックスを叩きのめしたのである。フェイトの祝福により、改めてその軍功が実感出来たのか、ファリンとタイネーブは揃って頭を下げた。
 「いや……別に僕は、ちょっとアドバイスしただけですし…」
 「そんな事ありませんよぉ。フェイトさんの必勝法のお陰ですぅ…」
 「泣かせる事は無理でしたけどね」
 そう答える二人は、どこかそわそわとしている。出来れば今すぐにでも彼の傍に駆け寄り、あの戦いを克明かつ鮮明に、存分に語りたかった。
 それを自制している最大の理由は……彼女達の上司である、赤い髪の隠密の存在である。

 「………」

 腕を組み、僅かに足を開き……口元をマフラーに埋め、ネルは上目遣いに、じっとフェイトを睨み付けていた。
 「……あの…ネルさん…」
 「………」
 彼女は無言のまま、フェイトに歩み寄る。

 ビンタだ……!

 その場の全員が、そう確信した。

 「………」

 が、予想に反し、ネルは突然背を向ける。

 「……ネルさん…?」
 「済まないよ…」
 初めて、彼女は声を出した。
 「ビンタ一発程度じゃ…済まない」
 「……ごめんなさい」
 「所有権を放棄しない内にアンタに死なれちゃ、後味悪くてたまったもんじゃないよ。死ぬなら、アタシ達を解放してからにするんだね」
 「……はい」
 「いや、違う。それでも早い。……さんざんアタシ達をこき使った償いをして、アタシ達の気が済んだ時……その時、死ぬなり何なり、好きにすればいいさ…」
 「分かりました…。その時を、楽しみにしていて下さい」
 「………」
 再び無言になると、ネルはそのまま部屋を出る。
 「……ところで、クリフ。ミラージュさんが来てるよ」
 「何!? ミラージュが?」
 「うん。多分、図書館にいると思うけど…。そろそろ『ディプロ』に連絡入れといた方がいいんじゃないか?」
 「……! お見通し…ってか…?」
 「あ。何だ、当たったの?」
 「……フェイト。お前さ…すんげぇイヤなヤツだよな」
 「それ程でもないさ…」





 「ディオン様。これはどちらに?」
 「ああ、そこの図面の通りに接合してください。呉々も順番を間違えないように…」

 「んじゃ、これは?」

 「ええっと、それは…」
 然るべき部分を指差そうとしたディオンは、ハッとして振り返る。
 「フェイトさん!?」
 左眼に眼帯をした、青髪の青年が、本来四人がかりで運ぶ鉄柱を担いでいた。

 施術兵器開発部、施工場。銅鉱石を手に入れ、急ピッチでサンダーアローの開発が進められているが、怪我人を駆り出す程の人手不足と言う事はない。

 「なっ……寝てないと! 大怪我だったんですよ!?」
 「ただ左腕と左眼がダメになっただけだろ? 大したことないじゃん」
 何バカな事言ってるんだ?という風に、フェイトはディオンを見るのである。
 「大したことない!? 左半身がズタボロだったんですよ!? 医務の施術士も、出血多量で死んでもおかしくなかったって…」
 「だけど…生きてる。血なんて、肉食べてればすぐに増えるよ」
 何とか休ませようとするディオンに構わず、フェイトはスタスタと工場内を歩き回り、資材を運んでやったり、組み立て方についてアドバイスしてやったりし始めた。
 結局彼が労働を止めたのは、他の皆と同じく、休憩時間を知らせるブザーが鳴った後である。
 「……フェイトさん」
 「?」
 携帯していた干し肉をくわえたまま、彼は隣の椅子に座るディオンに顔を向けた。
 「はひ?」
 「……ありがとう…ございました…」
 言うまでもなく、アミーナの一件についてである。
 「ひひっへ。…………どーせアイツは、さっさと倒さなくちゃならなかった。アミーナの為だけだったってワケじゃないんだし…」
 「………」

 自分を、情けなく思ってるんだろうな…。

 俯き、無言で拳を握り締める青年の心の内は、すんなりと予想出来た。
 物心付いた時から一緒に遊んでいた二人は、言うまでもなく幼馴染みという関係である。そのような気心が知れた間柄の男女というものは、総じて恋愛に達しにくいものなのだが、どうやらこの二人は例外の一つらしい。元々秘めていた好意は、距離が開く事によって急速に巨大化して行き、互いに片想いという関係にまで発展した。
 そして、再会である。久方ぶりに顔を合わせた二人は、最初はぎこちなく挨拶し、次に静寂を保ち、やがて、相手の気持ちを知る。
 恋物語は、このままハッピーエンドへ直進しても不思議ではなかった。が、その矢先に、アミーナの発作である。

 自分のやった事と言えば、布きれを握り締めて、離れた安全な場所でじっとしていただけ…。

 あくまでも傍にいるべきだったと、ディオンはそう考える。勿論そんな事をすれば、彼は十中八九命を落としていただろう。ロメロから二人の人間を庇いつつ戦うのは、流石のフェイトでも無理があった。

 彼は、怒りを感じているのだ。

 自分の弱さに。無力さに。
 グリーテンの技術者でしかないフェイトに全てを任せ、あまつさえ半身がボロボロになる程の大怪我をさせてしまった、自分の不甲斐なさに。

 「………」

 隣に座るフェイトは、ただ干し肉を咀嚼するしかない。
 人は自分のためにしか行動出来ないというのが、フェイトの持論だった。よって、完全に他人のためという行動など出来るはずがなく、彼がアミーナを救ったのも、勿論彼女を生かしたかったというのもあるが、言ってみればロメロを倒すという目的の為だった。

 ディオンとアミーナの二人から、既に礼の言葉は山ほど貰っている。

 それで十分なのだ。が、予想外というわけではないのだが……二人は罪悪感を感じている。自分のせいで、自分の無力さのせいで、フェイトにこんな怪我を負わせてしまったのだ、と。
 煩わしいとまでは言わないが、こんな状況は彼にとって、無性にこそばゆいものなのである。これくらいの怪我は今まで何度も経験しているし、自分は確か、後二回ほどは“死ねる”のだ。
 罪悪感などというつまらないものに心を圧迫され、アミーナに別の病気に掛かられでもすれば、それこそ自分に対する裏切りだ。

 (……面倒なんだよなぁ……人の心って)

 口でいくら気にするなと言おうとも、それで“はいそうですか”とはいかない。それが、彼曰く“面倒”なのである。

 「………あー痛っ。いたたたた…」

 フェイトは徐に身体の左側を抱き締めると、背を折り、呻きだした。
 「!! だっ、大丈夫ですか…!?」
 ハッとなり、ディオンはフェイトの肩に手を置く。が、フェイトはそれを止めさせるように腕を上げ、ディオンの肩に回し、彼を引き寄せた。
 「……痛い…今頃痛くなってきた…」
 「早く病室に戻ってください! 傷口が開いたら…」
 「ところでさぁ、ディオン。一つお願いがあるんだけど…」
 「? お願い…」
 「ああ。………………いっぺん、アミーナを抱かせてくれ」



 ディオンの動きが、止まった。



 「胸は大きいし、尻もなかなかだな…。大丈夫。僕、これでも結構経験あるし。ディオン、まだヤってないんだろ? いっぺん膜破って、男に慣れさせておけば、いざヤろうって時に便利だぞ? アミーナって気が弱いし、命の恩人である僕が頼むんだから、イヤとは言わないよなぁ。何しろ死んじゃえば、何もかも終わりだったんだし……そう考えれば、どうって事ない…」



 ガッ……



 椅子が倒れ、青髪の青年は冷たい床へと転げ落ちた。周囲で休憩していた作業員達が、一斉に雑談を止め、尻餅を付くフェイトと、突き出したままの拳をブルブル震わせているディオンを、交互に見つめる。

 「……フェイ…トさん……あな…た…は……!!」

 「……。痛い…」

 フェイトは右頬をさすりながら、溜息を漏らすように呟いた。

 この異常な光景が理解出来ず、皆は愕然として黙り込んだままである。

 「結構力あるじゃん。頭でっかちの研究者かと思ったら…」
 青年は軽くズボンの裾を払いつつ、その場で静かに立ち上がった。
 「“ああ、僕はなんて無力なんだー”……とか言いながら、いっちょまえに拳は出せるんだね?」
 「……!?」
 「少し嬉しがり方が足りないんじゃないのか? アミーナが助かったのに。キミの顔見てると、通夜かと思っちゃうよ」
 背もたれを爪先で蹴飛ばし、椅子を立てる。
 「……もし、“どうぞ”なんて答えたら……ぶん殴ってアミーナの部屋まで連れてって、思いっきり外道な事やってやろうかと思ってたんだけど」
 「フェイト…さん…?」
 「確かに、ディオン。キミは弱い。蚊トンボみたいにね。だけど、“非力”でさえ“力”に変換する事は可能だ。“力”が一種類だけだとでも思ってるのか? どう足掻いても、自分如きじゃアミーナを護れはしないと…そう考えてるのか? だったら、アミーナも可哀相だな。力も頭も心も愛も……何もかもが弱い男に惚れて、惚れられて。ああ、可哀相。“世界の不幸少女トップ5”に入れそうなくらい可哀相…」
 フェイトはディオンに背を向けると、指を絡め合わせて大きく伸びをした。

 「……守りなよ、ディオン。自分が非力な科学者という事を踏まえて…。何だかんだ言って、二人はお似合いだと思うから」





 工場から出て、天井を向き、ふぅと溜息を吐く。自分を待っていたらしい男は、腕を組んで壁に凭れたまま、微かな笑みを浮かべていた。
 「……あれで…良かったのか?」
 「何が?」
 ラッセルの言葉に、フェイトは右頬をさすりながら応える。
 「いや…。省略し過ぎている気がしてな。言葉足らずと言うか……あれで、お前の言いたい事が伝わったかどうか…」
 「省略? まさか…。ああいうのは、短ければ短い程いいんだよ? 下手にグダグダ言っちゃったら、それだけ心に響かなくなる。……それに…あれだけ言って伝わらないんなら、初めっから馬が合わなかったってヤツさ。それは仕方ないよ…」
 「……しかし…」
 ラッセルはフェイトの傍まで歩み寄ると、突然右手を挙げ、その青髪をくしゃくしゃに掻き乱した。
 「格好良いな、お前は」
 「よしてくれ」
 「俺は断じて男色など無いが……お前は今、俺の中で“抱かれたい男”ナンバーワンだ」
 「……それって…喜ぶ事なのか?」
 「………。違うな…。……ま、まぁともかくだ。お前は格好良い。誉めてやる」
 「……ありがとう、ラッセル」



[367] Re[22]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/12/11 01:16
 「……見つけた…」

 思わず、声が出てしまった。何しろ徹夜である。
 その声に反応したのは、同じクォークの仲間である、四人。

 組織一の早撃ち名人・リーベル。
 その兄で、艦砲狙撃手・スティング。
 クォーク艦『ディプロ』オペレーター・マリエッタ。
 保安要員の古株で、クリフの親友・ランカー。

 「どうしたんですか? リーダー」
 「スティングッ、皆も! ちょっと見て!」
 艦長席に座る、青い長髪の少女は、そう言いながらスティングの襟を引っ張った。咄嗟の事でバランスが取れず、蹌踉けた彼は少女に抱き付く。
 「すっ…すみません」
 「いいから! これ!」
 急いで離れたのは、照れて…ではない。背中に突き刺さる、この少女に想いを寄せる自分の弟の視線が痛かったから。
 「……リーダー、モニターに出して頂けませんか?」
 ニコリと笑顔を浮かべながら、リーベルはそう言った。
 彼の想い人…クォークリーダー・マリアは、そんな基本的な事を忘れた自分にハッとなったらしく、羞恥で頬を染めながら、無言でパネルを叩く。

 ……ぷしゅっ…

 「きゃっ…!? ちょっ…リーベル!? 鼻血!」
 「大丈夫…。これは萌血だから」
 (……もえぢ…?)

 すぐに、前方の巨大モニターの映像が切り替わり、三年前の新聞記事の切り抜きが映し出された。

 『エステブランド・ナイトエンプレス。戦災孤児支援基金・ホワイトピジョンへの寄付を決定』

 「これって…『N・E』の記事ですよね。私もここの香水使ってますけど」
 一体マリアは、何を見せたがっているのか。マリエッタは首を傾げた。
 「……それでこれが、この記事の写真」
 一枚の写真が拡大される。
 それぞれグラスを持ち、約束の確かさを示している三人の人物。一人は、フォックステイルの女性だった。

 (右:ナイトエンプレス代表、ミリアム・エロース社長)
 (左:ホワイトピジョン代表、ジナーナ・スキャラモ女史)
 (中央:両氏の友人であり、橋渡し役を担ったフェイト氏)

 マリアは軽くパネルを叩くと、中央に立つ青髪の青年の顔を拡大させた。
 「彼が…何か?」
 「ミラージュから、調査を頼まれてたの。ハイダ襲撃からレナス・ラインゴットが避難した時、偶然同行していたらしいんだけど…色々と怪しい点もあるから、調べてくれって」
 ようやく発見した情報である。嬉しそうにも見える顔をするマリアだったが、皆は適当な相槌しか打っていない。
 「フェイト…。偽名は使ってなかったのね。姓が書いて無いのは、長すぎるのか…それとも、そういう民族なのか……」
 「っつーかリーダー。そろそろアイツ等と合流するんですよ? それなのに徹夜なんかして……ほら、もう休んでください。後は俺等でやっときますから」
 「……そうね…。それじゃ、そうさせてもらうわ」
 「リ、リーダー! 何なら俺が部屋まで…」
 「いらない」

 どうも、この組織の女は意地になりやすい……ランカーは苦笑すると、こっそりと隠し持っていたウィスキーを煽った。





 急ピッチで進められた作業だが、何とか三台の『サンダーアロー』が完成した。
 その数を、フェイトは決して少なくはないと言う。ディオンも頷くように、つまりはそれ程の威力を有する代物だった。

 「……これが…サンダーアロー…」

 覆いの布を取り払われた、三台の大砲のようなそれらを眺め、クレアは手を伸ばして触れてみる。硬く冷たく、そして頑丈。これこそが、シーハーツ軍の切り札なのである。

 「……今朝、アーリグリフからの戦書が来ました。決戦は、明日です」

 サンダーアロー完成と同時にシランドを出発したシーハーツ軍は、現在、最前線のアリアスの村に駐屯していた。レナス、フェイト、クリフ、アレックスも、勿論同行している。
 主要な人物が集まった、領主の屋敷の会議室で、上座に腰掛けるクレアは軍議を始めた。
 「報告によると、明日はアーリグリフ三軍の全てが投入されるそうよ。ただ…歪のアルベルは、先日の我が軍の作戦…銅鉱石運搬を防げなかった責で投獄され、参戦しないわ。でも、油断は出来ない。『疾風』のヴォックス、シュワイマー、デメトリオ。それに、『風雷』の“七首”(不死身)将軍、ウォルターもいる…」

 軍としての力で言えば、シーハーツ軍がアーリグリフ軍に一歩及ばない事を、誰とて…クレアとて認めざるを得ない。
 更に問題は、心構えの違いである。
 アーリグリフ軍の侵攻の最大の目的は、豊かなシーハーツの食糧である。雪国であり、食糧の自給が満足に出来ないあの国は、本格的な冬でなくとも餓死者が出る。アーリグリフにしてみれば、奪えなければ飢え死にしかないのだ。それが彼の国の大義である。
 対するシーハーツは、この戦いで得られるものが少ない。強いて言えば、高い鍛冶技術と上質の鉄くらいだ。更には、国境と王都シランドが離れている事もあり、シーハーツの人間の大半が、戦争を対岸の火事くらいにしか思っていない。
 士気の違いは明白だった。
 クレアやネル、そして他の幹部達にとっても、そこが悩みである。サンダーアローは協力であるが、使うとするならば、アーリグリフ側に多数の死者が出る。

 わざわざ戦書を届け、攻撃の日時を指定してきた事からも分かる通り、アーリグリフ軍は“武”というものを非常に重んじる。兵士達の間だけではなく、腰の曲がった老婆や、まだ字も満足に書けない子供たちにさえ、その風潮が見られた。

 サンダーアローを存分に使用すれば、それだけで、アーリグリフ軍の半数近くは壊滅させられるだろう。
 が……そういうわけにはいかないのだ。シーハーツはあくまでも、その温厚さからか、この戦争の結末を…最後の一行を、両国の和平という形にて納めたい。

 “卑怯”なのである。

 戦争に本来関係ない筈の、技術国家グリーテンの力を借り、それによって完成した新兵器を、合戦の前面に押し出すのは。兵士の力ではなく、未知なる兵器を用いての勝利は即ち“卑怯”である……それが、武を重んじるアーリグリフ側の感情だった。
 そうすれば、例え完全な勝利を迎えたとしても、和平という完璧な結末はやって来ない。刃に貫かれて戦死するのならまだしも、近付く事さえ出来ないうちに、日頃の訓練の成果さえ出せないうちに、しかも得体の知れない兵器……飛び道具によって殺されたのでは、アーリグリフの人々は決して納得などしない。

 新兵器の使用を最小限に止め、尚かつ戦死者を出来るだけ減らし、更にはシーハーツ軍が、どこからどう見ても納得のいくような勝利を迎えなければならない。

 何度考えても無理であると、クレアはそう思った。

 「……んなモン、考えたってしょうがないんじゃないんスか?」

 静まり返った会議室で、そう言った男がいる。
 黒い髪を後頭部で短く縛り、鼻っ柱には横一文字の刀傷。目は切れ長で細く、キツネを連想させるようなそれである。
 対グリーテン関係の活動を主な任務とする、虚空師団『風』の部隊長、ヘルベルト・ジゼス。少々軽い男であり、いい加減な面もあるが、それでも隠密としての能力は高い。足の速さで見れば、シーハーツ軍随一と言えるだろう。

 「戦じゃ、何が起こるか分からないんスから。いくら新兵器があるからって、それだけで勝利が確定したような気分になんのも、どうかと思うんスけどねぇ…」
 「……貴方にしてはマトモな意見ね? ヘルベルト」
 「何つう言い方してくれてんスか、総司令」

 こんな事を言うが、あくまで正論だと思っているからであり、レナス達を嫌っているわけではない。いや寧ろ、カルサア修練場からの救出劇の一部始終を知って以来、敬愛の念を抱いてさえいた。

 アーリグリフは“武”を重んじるが、ヘルベルトは“狂”という言葉を好む。

 その“狂”とは何か。“狂”は“侠”であり、“酔狂”や“頓狂”の“狂”である。
 彼にすれば、今までシーハーツに対して枚挙に暇がない程の貢献をしながら、平穏の内に老後を送らず、自ら進んで僻地である北方の未開の島の調査に赴いているクレアの父、前代クリムゾンブレイドのアドレー・ラーズバードも、間違いなく“狂”である。

 誰でも、自分の考え方や価値観を持つ。しかし大抵の人間は、一般常識や一般的価値観というものに囚われ、それを押し殺してしまう。

 自らの身の危険も省みず、会って間もなかったタイネーブ達を助けるために、アーリグリフのど真ん中に向かったレナス。
 レナスが助けたいと言ってるから、というたったそれだけの理由で、レナスに同行したクリフ。
 片目片腕を失いながらも、アミーナが助かったんだからそれで良い、と考えているフェイト。
 どれも一般常識からすれば有り得ない行動であり、それ故に“狂”なのである。
 ヘルベルトは、そんな“狂”を持つ彼等……自分の道を進めるレナス達を、尊敬に値する人間として見ていた。

 「要するに…」

 その声に、クレアとヘルベルトは青髪の青年の方を向く。
 「まずはこちらの士気を上げ、アーリグリフ軍の士気を下げたらどうでしょうか?」
 「……それが出来りゃあ、俺らだって苦労しないんスけどねぇ…」
 そう言いつつ、頭を掻きむしるヘルベルトだったが。

 「例えば……」

 フェイトの言葉は、彼が愛する“狂”そのものだった。

 「一騎打ち、とか」





 空には珍しく、清らかな青色が広がっている。
 似つかわしくない、と、ルムの上のウォルター伯爵はそう思った。これからこのアイレの丘は戦場となり、無数の血飛沫が舞い上がるというのに。あまりにも、空は平穏だった。

 「………」

 大儀そうに首と腰を回し、自らの部隊である『風雷』と、ヴォックスたちのエアードラゴンが舞う『疾風』、そして静かに開戦を待つ『漆黒』を眺める。
 現在『漆黒』を率いているのは、新しく副団長となったソルムだった。敵への銅鉱石流出を許した咎で一旦は投獄されたが、戦の為、こうして駆り出されている。アルベルが解放されなかったのはより責任が重いからでもあるが、やはりヴォックスあたりの思惑があったのだろう。

 シーハーツではついに、新兵器が完成したという。

 どのような兵器なのは、詳しくは判明していない。が、古の聖王国シーフォートを滅ぼした、あのグリーテンの技術者が協力しているのだ。想像のしようもないものを想像しようとするなど、無駄以外の何物でもない。

 が、ウォルターの心配事は、新兵器だけではなかった。

 ソルムから聞いた、青髪の青年の話。シェルビーをたったの一撃で葬り去り、圧倒的戦闘力を見せつけた男。その力はアルベルを間違いなく凌駕し、彼に恐怖感まで与えたという。

 (……さて…どうなるやら…)

 今の自分の心こそ戦に似つかわしくないだろうと、老将は自嘲した。
 ヴォックスは確かに愛国者だが、彼は覇道以外の道を知らない。弱肉強食こそ真理であり、食糧が生産出来なければ奪ってしまえばいいという……ある意味、正しい理論である。
 この三軍団の中、一番戦闘意欲が乏しいのは、ひょっとしたら自分かも知れない。
 何しろどう勝つかではなく、どうやって部下達を守るかを考えているのだから。

 シーハーツが和平を結びたがっているのは明らかだというのに、ヴォックスは折れない。

 彼を駆り立てているのは、恨みでも、怒りでもなく、純粋な愛国心だった。それを知っているからこそアーリグリフ王も強くは出られないし、この自分もつい見逃してしまう。

 悲しく、純粋な愚か者であると……ウォルターはヴォックスを惜しんだ。彼に、例え一欠片でも王道という道の破片があれば、どれ程楽だっただろうか。



 どんっ、どんっ、どんっ



 前方のシーハーツ軍から、三つの爆音が響いてきた。黒い台車のようなものから、青白く光る球が飛び出し、やがて弧を描くと、目の前に落ちてくる。



 ズドオオオオオオオンッ……



 土煙が舞い上がり、最前線の兵士達がぶんぶんと顔の前で掌を振り回す。
 相手は、計算しているのだ。こちらに被害の及ばない、ギリギリの距離を。

 光の球が落ちた場所は、大きく地面がえぐれていた。何しろ二つの軍団は、窪地を挟み、傾いた地形に布陣しているのだ。後方からも何が起こったかは分かったのだろう、全軍に動揺が走り始める。

 (……む?)

 見間違いかと思い、ウォルターは目を凝らした。
 土煙が晴れた後、クレーター状になった地面を一歩一歩踏みしめながら、一頭のルムがやってくる。それに乗っている青年を見て、彼はソルムの方を向いた。
 ソルムは老将の視線に気付くと、そうだと言う代わりに軽く頷いてみせる。

 余計な装飾のない、純白の法衣を身に纏い、髪は、この青空の色をしていた。背はそれ程高いというわけではなく、身体も華奢。左眼の眼帯は妙に似合っていて、まるでダックソン3世画、『戦場の戦乙女』に描かれている傷付いた天使が、そのまま絵画から抜け出てきたような印象さえ受けた。
 その青年に、アーリグリフ軍の注目が集まる。

 「……っとまぁ…このように」

 クレーターの中心でルムを止めると、両手を広げ、変形した地面を示した。

 「これが、施術兵器『サンダーアロー』だ。勿論、射程はこんなもんじゃない。……これが…例えば、そっちのど真ん中に落ちたら…確実に、半分は死ぬよなぁ」
 そう言いながら、彼は再びルムを進ませ、アーリグリフ軍へと近付いていく。
 「そうしてもいいんだけどね…。いくら何でも、それじゃあ憐れすぎる。……だろ?」
 目を合わせた兵士は、フェイトの微笑に体を固くする。
 「汗水流して、血反吐を吐きながらやってきた鍛錬、全て……何もかもが、一瞬で吹き飛ぶ。せっかく手に入れた力の片鱗も出せないうちに。それじゃあ可哀相だ。……そう思わない?」
 「……!?」
 フェイトは一度息を吐き出し、そして大きく吸い込むと、どこから出しているのか不思議な位の大音声で叫んだ。それこそ、アーリグリフ全軍に響き渡るように。

 「ヴォックゥゥゥゥス!!」

 『疾風』団長……国王の叔父であり、アーリグリフ軍総司令の公爵の名を叫ぶ。
 一体のエアードラゴンが舞い上がり、フェイトの前まで来ると、その背に乗る男は、じっとフェイトを見下ろした。
 「貴様…あの時の技術者か」
 「ああ。今はシーハーツ軍客将だけどね。……いいか? ヴォックス。僕はね、優しい男なんだ。サンダーアローを使えば、そっちを全滅させるのは簡単なのに……何でそうしないと思う?」
 「………」
 「そっちの流儀でやってやる、って……そういう事だ」
 「流儀…だと?」
 「そう。……ヴォックス。陣から出てこい。一騎打ちで開戦だ」
 「……舐めるな小僧がぁぁ!!」
 突然ヴォックスは刮目すると、自らが乗るエアードラゴンを突撃させる。

 見過ごす事は出来なかったのだ。

 武力という点において、自他共に弱さを認めているシーハーツ軍の人間が、ぬけぬけと、アーリグリフ軍最強と謳われる自分に、一騎打ちを申し込んできた事が。
 開戦は一騎打ちによるのではない。
 この青年を血祭りに上げる事によって、火蓋は切って落とされるのだ。

 ギャッ……

 ヴォックスの騎竜槍『氷鵠』と、フェイトが咄嗟に抜いた長剣『無法天威』が衝突し、微かな閃光が走った。

 「……!?」

 二雄が交差し、ヴォックスを乗せた『テンペスト』は、再び上空へと舞い上がる。
 刃を合わせた刹那、全身を駆け抜けた痺れ……ヴォックスは『テンペスト』をホバリングさせたまま、じっと両手を見つめた。
 「どうだ? やる気出た?」
 長剣を肩に預け、フェイトは笑いながら尋ねてくる。
 「……名を…聞いておこうか」
 「フェイト。……そっちは?」
 「……クッ…フハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
 将軍や兵士達が唖然とする中、ヴォックスは右手の平で顔を覆い、ドラゴンの上で背を反らし、笑った。
 その笑いの所以を理解出来たのは、せいぜいウォルターくらいだろう。

 武を極めようとし…そして“達して”しまった者の、喜びの声だった。

 “偽の玉座”が崩れ去り、再び“道”が……更なる“高み”へと続くそれが開けた、歓喜の叫び。

 「済まなかった、非礼を詫びようっ、強者よ!」

 騎竜槍『氷鵠』を左手に持ち替えて刃を下げ、右手は首の前で拳となり、襟をはだけるような動作をする。

 「アーリグリフ軍総大将っ、ヴォックス・アムゼルバ・アルケメニア・イグノリウス! いざっ、尋常にっ………勝負!!」



[367] Re[23]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2005/12/18 14:38
 検索単語:フェイト

 検索結果①:【Fate】運命、宿命。行く末。破滅、最後、死。
 検索結果②:【Fate】古代のPCゲーム。
 検索結果③:【フェイト】ナイトエンプレス社のホワイトピジョンへの寄付に……
 検索結果④:【フェイト】ギルバート・アカイネン監督作品『フェイト』の試写会が…
 検索結果⑤……

 マリエッタはパネルを叩き、検索結果③の詳細を表示させる。マリアが見つけた、新聞記事の切り抜きが拡大された。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 【寄付総額は30億フォル】

 銀河時間の昨夜12:00。業界最大手、エステブランド『ナイトエンプレス社』は、戦災孤児支援基金『ホワイトピジョン』に、総額60億フォルの寄付を行う事を正式に発表した。同社の代表であるミリアム・エロース社長はインタビューに対し、「スキャラモ女史の熱意にうたれた。今後も継続的に寄付をしていきたい」と語っている。
 『ホワイトピジョン』代表のジナーナ・スキャラモ女史は、「今回の寄付は、乾田に降った雨のように有り難い。銀河連邦とアールディオン帝国間の戦争による戦災孤児は、未だに増え続けている。一人一人がたった10フォルの寄付をしただけでも、何千何万の小さな命を救える。人々の優しさを信じたい」と呼び掛ける一方、暗に銀河連邦の強硬姿勢を批判した。
 女史は三ヶ月前、活動中にスパイ容疑を掛けられ、銀河連邦に拘束されかけており、基金メンバーの連邦への反感は根強い。誤認拘束について、連邦側から正式な謝罪は無く、双方の溝は深まる一方だ。
 今回の寄付について、女史は社長との橋渡し役を担ったフェイト氏にも感謝状を贈る考えだが、氏は辞退する意向を示している。氏は二人の私的な友人とされており、「今回の件は、困っていた友人を、助けになる友人と引き合わせただけの事。一人でも多くの孤児が救われる事を祈っている」と、社長と女史の関係強化に期待した。
 基金は今回の寄付により、更に活動区域を拡大する見通しだ。
 白い平和の鳩が夜空に飛び立てるかは、我々一人一人にかかっているのかも知れない。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「………」
 マリエッタは顎に形のいい指を添え、暫し考え込む。
 これを見れば、そのフェイトという青年は、慈善活動家である。齢の頃は20歳前後。
 ミリアム・エロースとジナーナ・スキャラモは、いずれも20代半ばから30程であろう。
 この二人の友人…にしては、年齢が離れているし、若すぎるようにも思えた。勿論、間違いなくただの一般人などではない。
 何処かの組織に所属しているか、そうでなければよほど地位の高い人物と関係しているに違いない…そう考えられた。

 タタタタ……

 パネルを叩き、ミラージュから送られてきたデータと、写真のデータを統合する。
 写真は立体となって浮き上がり、ミラージュのデータにより肉付け、補完がなされ、やがてモニターには、青髪の青年の上半身が現れ、ゆっくりと回転を始めた。
 その立体を基にして、更に検索をかける。
 必ず、どこかの映像や画像に存在する筈だ…。

 【エルファネラル・ラフテリア博士、紋章エネルギーの新法則を発見。紋章生命学、新しい次元へ】

 【戦災孤児支援基金『ホワイトピジョン』、CSD財団の傘下へ】

 【史上最年少。第43回銀河数学技能一級検定合格、ゲムジル・ハクラ】

 マリエッタの指が、止まった。

 「一体……何者なの…!?」





 雄叫びと共に、再びフェイトに向かって、『テンペスト』が襲い掛かっていった。
 フェイトはルムの背に腰掛けたまま、左の拳を向ける。

 『ロケットパンチ』

 ドンッ

 「!?」

 煙と共に左手が飛び出し、向かってきた『テンペスト』の鼻を潰す。遠目には、腕が伸びたように見えただろう。

 「面妖な…!」

 痛みで暴れ回るドラゴンの背からヴォックスが飛び降りると同時に、左手を回収したフェイトも悠々とルムから下りた。
 「ッハァ!」
 「よっと…」
 突き出された槍を、フェイトは右手だけで長剣を振り回して弾き、逸らす。
 「ぬぅんああっ!」
 ヴォックスは一度背を向けると、素早く身体を翻し、槍を横薙ぎに払う。ギリギリまでしゃがんで避けたフェイトは、そのまま長剣を振り上げるが、ヴォックスは更に素早く身体を回転させると、長剣に無理矢理に槍を叩きつけた。

 ギャンッ

 「ふはっ…はっ……ははははははァ!」
 「……ふっ…」





 「あーあ……“使わねぇ”な、こりゃ」

 シーハーツ軍。
 遠目で一騎打ちを眺めていたアレックスが、ポツリとそう漏らした。

 「使わないって……何をですか?」
 「えーっと……必殺技って言ったらいいんかな。誰だって、強くなっていく内に自然と、得意な斬り方とか、特殊な術とか出来て来るだろ? それ使えばあっという間なのに、アイツは剣術だけで勝つつもりらしいな」
 隣のレナスは、更に首を傾げた。
 「え、でも…あっという間に決着が付くんなら、何で使わず…?」
 「そりゃ…“あっという間に決着が付く”からだろ」
 答えになっていないと、自分自身でもそう思ったらしく、アレックスは言葉を続ける。
 「要するに……シーハーツにとって重要な勝利は、戦争の勝利って言うよりも、ケンカの勝利って事だ」
 「ケンカの?」
 「戦争は、多く殺した方の勝ちだ。ぶった斬り、ぶった斬られ、撃ち殺し、撃ち殺され……戦争を続けられなくなったら、それで決着だ。けど、ケンカは違う。よく“ぶっ殺してやる!”とか、そんな啖呵を切るだろ? けど、本当に殺したら…勝ち負けなんかねぇ。それで終わりだ。ケンカの勝敗は、互いが勝ち負けを納得して決まるんだよ。……負けを認めない限りは、どんな腕っ節の弱いヤツだって、敗者にゃならん」

 ヴォックスの槍を、フェイトは舞うような動きでかわしていく。

 「出来るだけ長引かせて、掠り傷も負わず、純粋に剣術だけで敵を敗る。勿論、フェイトはあのオッサンを殺さねぇし……ひょっとしたら、オッサンにも掠り傷一つ負わせねぇつもりかもな。とにかく、圧倒的って所を見せつける。……向こうの士気、大暴落だろうな…」





 やがて……誰もが、その状況を理解する。
 ヴォックスは、あしらわれているのだと。
 最初こそ互角に思えた一騎打ちであるが、特に攻撃もせず、ただヴォックスに好きに打ち込ませているフェイトの力量を、ひしひしと感じ始めていた。
 一騎打ちなどではなかった。
 これはただの、お遊びだ。

 現にフェイトは……さっきから、残った右眼を閉じている。

 「……まだ、ちょっと足りないかな?」

 そしてついに、その場に座り込んでしまった。

 「おっと」

 そんな体勢にも関わらず、ヴォックスの槍を長剣を回して弾く。
 「!!」
 「……もうちょっと、ハンデ付けようか?」
 「ッッ…!」
 回り込もうとするヴォックスだったが、フェイトは左腕を回すと、掌を背中に向けた。

 『ロケットアーム』

 「なっ…!?」

 煙と共に飛び出した左手が、ヴォックスの右足首を掴む。続いてコードが巻き戻され、ヴォックスは地面に倒れ込むと、フェイトの前まで引きずられた。

 スッ……

 振り向きもせずに長剣を背後へ向け、切っ先を起き上がろうとしたヴォックスの顎に擬す。

 「そろそろ…認めたら? どれ程自分が弱っちいのか…」

 「………!!」





 「エネルギー充填率100%」

 「砲撃準備完了」

 「……撃て」





 空が、割れた

 シーハーツ軍の一兵士は、そんな表現を使用した。

 突然天から光の柱が降り、二人を包む。
 次の瞬間、地面はサンダーアローの時とは比べ者にならない程の威力で爆ぜ、舞い上がった土煙は、そのまま雲になってしまいそうな気さえした。

 「……………え?」

 レナスも
 クリフも
 ネルもクレアも
 ファリンもタイネーブも
 ヘルベルトも

 ウォルターも
 ソルムも
 シュワイマーもデメトリオも

 両軍の兵士達も

 目の前で、たった今起こった事が理解出来ず、頭の中が真っ白になる。

 「……フェイ…ト…さん…?」

 一面真っ青の空には、雲の代わりに、真っ赤な塊が浮かんでいる。

 再び二つの光が降り、今度は兵士達が吹き飛ばされた。

 直後、シーハーツ軍とアーリグリフ軍はほぼ同時に撤退を開始する。より正しく言えば、皆が皆、阿鼻叫喚と共に一斉に逃げ出した。

 「……バンデーンの…艦?」

 空を覆うそれは、間違いなくバンデーンの戦闘艦だった。
 「チィッ…アイツ等……もうレナスの事嗅ぎ付けて…!」
 「………え?」

 口を閉じるクリフだったが、既に遅かった。彼はもう、喋りすぎてしまっていた。

 「……クリフ…?」
 「……!」

 ギリギリと微かに歯を鳴らし、悔やむ。しかし、全ては遅かった。

 「……あれって…ハイダを攻撃したのと、同じ…だよ…ね?」
 「………」
 「つまり…さ……バンデーン…は……」

 顔を歪めて逃げる兵士が背中にぶつかり、レナスは蹌踉ける。

 「ハイダにいた、他の誰かでも……お父さんでも…なくて……」

 「違う! 落ち着けっ、レナス!!」

 「本当の目的は…私……」

 「いいからっ、んな事は後だ! さっさと逃げ…!」

 焼けこげた、中身が詰まったままの、誰かの鎧。
 戦闘艦の攻撃は、あらゆるものを破壊する。
 直撃を受ければ、高層ビルとて一瞬で塵となるのだ。

 そう……直撃を受ければ………

 「……フェイトさ…」



 ドグッ……



 自分の中で、何かが動く。

 これは……いつだったっけ。覚えがある。確かに一度、あった。
 そう……カルサア修練場。ネルさん達が処刑されようとしている時…。
 目の前から、全ての色が消えて……輪郭だけになって。
 あの時は、フェイトさんが助けに……

 ………フェイトさん………

 結局、最後まで…自分の事、ほとんど教えてはくれませんでしたよね。
 私……うまい棒が好きって事くらいしか、頭に浮かびません。
 一目惚れ、だったんです。
 ハイダのファイトシミュレーターで。文字通り、一目見ただけで。
 古いでしょうけど……痛い位、頭と背筋がビリビリ痺れたんです。
 ……色々と、助けてくれましたよね。
 私は、赤の他人なのに。
 あんなに…親切に……。



 わたしの目を見る者は誰も、滅びる定め
 わたしの目は炎、わたしの腕は魔法の杖
 目はやさしく猛く、頬は赤く白く、言葉は静かで柔らか
 それがわたしの魔力




 視界から、全ての色が消えていく。

 「レナス…!?」

 少女の身体が、青白い光に包まれた。



  Da wo der Mondschein blitzet(月光が差し照らす)
  Ums höchste Felsgestein,(高い岩山に)
  Das Zauberfräulein sitzet,(魔力もつ乙女が座り)
  Und schauet auf den Rhein.(ラインを見下ろしている)




 レナスの淡い桜色の唇から紡ぎ出されたのは、歌声。

 (覚醒…するってのか!?)



  Es schauet herüber, hinuber,(あちらを見たり、こちらを見たり)
  Es schauet hinab, hinauf,(川下を見たり、川上を見たり)
  Die Schifflein ziehn vorüber,(そこへ小舟が通りかかる)
  Lieb Knabe, sieh nicht auf.(船頭よ、目を上げるな)




 静かに目を閉じ、歌い続ける少女の身体が、ふわりと浮き上がった。



  So blickt sie wohl nach allen(乙女は瞳の輝きで)
  Mit ihrer Äuglein Glanz,(物みな射抜いてしまうから)
  Läbt her die Locken wallen(真珠の飾りに飾られた)
  Unter dem Perlenkranz.(捲毛も波打ちおまえを誘う)

  Sie singt dir hold zu Ohre,(おまえにやさしく歌いかけ)
  Sie blickt dich töricht an,(おまえをひたと見つめている)
  Sie ist die schöne Lore,(あれが美しいローレ)
  Sie hat dirs angetan.(おまえははやくも心奪われる)




 天使、だった。

 まるで影のように彼女の背後に浮かび上がったのは、風に髪を靡かせる、蒼白の女。

 ……キュィィィィィィ………

 その女が手を広げると、レナスは力無く両腕を垂れ下げ、身体は空中で傾く。再び青白い光が走り、彼女の額から漏れた青白い雫が、紋章を形作った。



  Sie schaut wohl nach dem Rheine,(おまえの方を見つめているが)
  Als schaute sie nach dir,(あれはラインを眺めているだけ)
  Glaub nicht, dab sie dich meine,(おまえを想ってのことではない)
  Sieh nicht, horch nicht nach ihr.(見るのをやめよ 耳傾けるのも)

  Doch wogt in ihrem Blicke(乙女の瞳に映っているのは)
  Nur blauer Wellen Spiel,(逆巻く青い波の戯ればかり)
  Drum scheu die Wassertücke,(水のしかける罠を恐れよ)
  Denn Flut bleibt falsch und kühl.(河は不実で冷たいもの故)




 恩返しなど、何一つ出来なかった。満足な礼さえも言えてはいない。
 彼のお陰で自分がどれ程助けられたのか、彼自身はちゃんと、認識してくれていただろうか。
 何度助けられ、何度支えられただろうか。何度慰められただろうか。



 全て、消え去るがいいのです
 あのひとが、わたしのもとに居ないのだから




 レナスの額から、一筋の光が空へと走る。
 全てを塵へと還す、破壊の槍が。
 それはバンデーンの戦闘艦の表面に接触すると、波紋となって艦体を走り、次の瞬間、無数の粒子となって弾けた。
 不気味な赤い金属によって遮られていた空が解放され、青が広がる。

 「………お休み、レナス…」

 もういないはずの青年の、優しい声、そして温もりを最後にして、レナスの意識は途切れた。



[367] Re[24]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2006/02/23 18:11
 「宇宙人!?」
 「他星人ですよ、ネルさん…」

 ネルとは逆に、フェイトは静かな声で呟くと、詩集のページを捲る。

 「便宜上、グリーテンの出身と紹介させてもらってたんですけど…。実際には宇宙船がアイツ等に襲われて、ここに不時着したんです」

 バンデーン艦の襲来後、両軍はその大部分がそれぞれの首都へと退却した。シーハーツ軍もアリアスに僅かな守備隊を残し、総司令のクレア以下、一斉にシランドまで引き下がる。

 自分たちが住んでいる星が丸い事は、朧気ながら知っていた。
 が、彼等は……レナスは、クリフは、ミラージュは、フェイトは、アレックスは、あの青い空の向こう、真っ黒な夜空の彼方からやって来たという。
 エリクールの常識は、未だ天動説だった。

 「まぁ……異世界の人間達だと、そう思ってもらえば結構です」

 まず、上下左右前後の区別が存在しない、真っ暗な空間がある。
 その中心に、母なる星が浮かぶ。
 星はレンズのような透明な水の膜で覆われていて、輝く黄金の魚が棲んでおり、魚は一日、一年を掛けてゆっくりと回遊する。
 太陽とは太陽神アペリスの第三の眼であり、それは常に燃え盛っていて、その光を浴びた水の膜は、青色へと変色する。その恩恵で植物は育つが、時々雨雲の神、イノゼニクが雲を纏い、アペリス神の光を遮る。しかしその度にアペリス神は怒ってイノゼニクを焼き、熱さで雨雲の神は泣き叫び、その涙が雨となって地上に落ち、結果として大地は潤う。
 地動説などは、露ほども議論されない。
 科学の代わりに施術が発展したシーハーツでは、まだまだ科学は神話が引っ張っていた。

 地動説の話も含めてバンデーン艦の説明をしたフェイトだったが、混乱を避ける為、ネルぐらいにしか打ち明ける気は無かった。
 が、どういうわけか漏れた。今まで謎とされてきた疑問のいくつかが、地動説に当てはめれば驚くほど理路整然と説明出来ると判明し、シランド中の科学者達は、その事について現在熱狂的な議論を繰り広げている。
 爆弾を落とした張本人であるフェイトは、自室に押し掛けてきた科学者達を追い返し、

 「ま、いっか」

 たった一言、そう言ってのけた。いざとなれば、自分たちを「アペリス神が遣わした使者である」、と発表するつもりである。つまりは、人間をやめる気だった。

 しかしネルは、いくら理に適った説明をされようとも、なかなか納得出来ない。
 今まで光り輝く黄金の魚だとされていたものが、実は自分の住む星と同じか、或いはそれよりも大きな星か、反対に小さな星か……ともかくも“星”であるなどとは、想像もしなかった。他の星から見れば、この星も黄金の魚と同じなのである。しかも、いくつかには命あるものが住んでいるという。

 対グリーテン師団の長であるヘルベルトだが、シーハーツ一グリーテンに精通している筈の彼がレナス達の嘘を見抜けなかったのは、当然と言える。
 何しろ鎖国をしている国である上、鉱物を祖先とする様々な人種が、大陸中で生活しているのだ。同じグリーテン人とはいえ、全く情報のない民族も多々ある。
 加えて、ヘルベルトはレナス達に強烈なまでに惚れ込んでいた。例え妙だと思った事があったにしても、彼にとっては寧ろレナス達が何者であるかなど、さほど大きな問題ではなかったのかも知れない。

 そして……バンデーン艦を消滅させて後、ずっと眠り続けていたレナスが、ようやく目を覚ました。





 「ああ、おはようレナス。気分はどう?」
 「フェイト…さん…!?」

 既に昼だというのに……それは、既に習慣となりつつあった、いつもの朝の光景だった。
 微笑と共に寝起きの自分を迎えたのは、あの時死んだと思った青髪の青年。
 「そうなんだよ。生きてやがった、コイツ」
 椅子に座るクリフは、呆れたような顔をしてフェイトを顎でしゃくる。
 「大丈夫…だったんですか…!」
 「うん。確かにちょっと危なかったね。ヴォックスは燃え尽きたけど…」

 こうして、目が覚めて……

 一番はじめに、自分の瞳に映ってくれたのが彼だった事に感謝するレナスの心は、春風のような優しい暖かさに包まれていた。

 フェイトは、死んではいなかった。

 また一緒にいられる。
 また笑い合える。

 「………」

 嬉しいはずなのに……暖かさに包まれながらも、彼女の心はどこか冷えていた。

 「……ねぇ、クリフ……」
 「ん? 何だ?」
 「やっぱり……“アレ”は、夢じゃないんだよね…」
 「………」
 「ねぇ、お願い…。話してくれないかな? 私が……狙われてる理由…」





 「………チッ…」

 思わず、舌打ちする。そろそろ自分の中の堪忍袋の緒が、悲鳴を上げ始めているのだ。

 やはり、シランドの学者たちは平和ボケが過ぎる。今は学問の話ではなく、出現して攻撃を仕掛けてきた『星の船』への対応策の議論こそが必要なのだ。夜空の星が左に動こうが右に動こうが、はたまたくるりと一回転しようが、ラッセルにとってはどうでもいい話である。

 「………」

 こうして自分が会議室から出て行っても、それに気付く者さえいなかった。彼らはラッセルを無視し、ラッセルも彼らを黙殺する。当然の理屈だった。

 「……まーた怖い顔しちゃってぇ…」

 間延びした声につられ、床に落としていた視線を引き上げる。エレナだ。
 「………」
 ラッセルは無言のまま腰を引きずり、通路のソファのスペースを空けた。エレナは軽く礼を述べつつ、柔らかいクッションの上に尻を落とす。
 「……すごいのが来ちゃったね」
 「ああ……」
 「やっぱりラッちゃん……そんなに驚いてないんだね? “お国”じゃ、珍しくもなんともない?」
 「いや、そんなことはない。あんなものは初めてだ。フェイトに話を聞いただけだしな…。この世にあんな技術があるとは、驚きだった」
 「……それで…」

 エレナは今、一番聞きたい疑問を口にする。

 「ラッちゃんは……どうするつもりなの?」

 「………」

 シーハーツ最高の文官は、静かに両の瞼を閉じた。
 ラッセルはいつも、あらゆる可能性を考えている。女王の隣に侍っている時も、歩いている時も、食事の時も、ベッドに入っている時も……彼の時間のほとんどは、考え事によって消費されていた。どんな質問が来ようとも、間を開けずに返答するために。
 勿論、今も答えはある。が、それをすぐには言わず、まず考える。

 「………」

 暇つぶしのように足を動かすのでもなく、待つのに飽きてその場を離れるのでもなく……エレナは年に一度発現するかどうかの真剣さで、じっと、目の前の男の口が開くのを待ち続けた。

 「……フェイトに従う」

 彼の考えでもなく……
 彼の言葉でもなく……

 「例えグリーテンが来ようと。例え異星の者が来ようと。………フェイトに従うつもりだ」
 「あ、わたしもわたしもー!」
 「……いいな、お前は。羨ましいぞ…。年中脳内が小春日和で……」





 「ま……そこら辺の話は、俺よりも……俺のボスから聞いてくれや」

 シランド城、白露の庭。
 レナス、フェイト、ネル、アレックス、クレア、ミラージュが集まったその場所で、クリフは空を見上げた。
 「クリフ……ここがどうかしたの?」
 別に体が不調なわけではないが、何故外に連れ出されたのか。そう思うレナスだったが、突然目の前の芝生が円形に発光し、目を見開く。
 光の輪が積み重なり、柱となり、消える。

 「………」

 転送されてきたのは、一人の少女だった。
 長い青髪。スラリとした足。強い意志を秘めた瞳。

 「……紹介するぜ。俺のボスで、クォークの現リーダーの……」
 「マリア・トレイターよ。よろしくね」

 後を引き受ける、という感じではない。クリフの言葉を遮るようにして、彼女は自らの名を宣言した。

 ((((…………あ、そっか。女王様なんだ………))))

 「お疲れ様だったわね、クリフ。ミラージュ」
 「おう…」
 「いいえ」

 クォークのリーダーが地球人であり、自分と変わらぬ年頃の少女であるという、本来驚愕すべき情報は、既にフェイトによって知らされていた。しかしそれでも、こうしていざ目の前に立たれると、本当にこんな女の子が……と、レナスは聞こえぬほど小さな溜息を漏らす。
 キビキビとした足取りで自分に近付いてきたマリアに、レナスはハッと目を見開き、思わず半歩ほど後退った。
 「……初めまして。あなたがレナス?」
 「え? あっ…。うん、そう。レナス・ラインゴット…」
 「知ってるわ。レナス・ラインゴット、17歳。ブルーパレス高等学校二年四組。成績の学年順位は427人中120位。バスケットボール部に所属し、主将として弱小校を準優勝に導き、三ヶ月後の銀河大会に参加予定。趣味はファイトシミュレーターで、使用キャラは“ランサー・レディ”の『ファイアローズ』。好物はカレーライス、アップルパイ、スナック菓子全般。スリーサイズは上から…」

 「すとぉぉぉぉっぷぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」

 何とよく回る舌の少女だろうか。
 一番護るべき個人情報を何とか守り抜くと、レナスは引きつった顔でマリアを見つめる。
 「………」
 「……悪かったわ。そんな顔しないで」
 子犬のような瞳で恨みがましく見つめられ、それに耐えられなくなったのか、マリアはレナスから離れた。
 そして……次に立ち止まったのは、自分と同じ色の髪を持つ、青年の前。
 「………」
 「…? あ、初めまして、マリア・トレイターさん。フェイトです」
 自己紹介を求められていると思ったのか、フェイトは微笑を浮かべて右手を差し出す。が、マリアは彼の挨拶も、差し出された右手も無視し、じっとその濃緑の瞳を見つめた。

 「……“ソース・オブ・フリーダム”(自由の源)」

 フェイトは微笑を自らの内側にしまうと、右手を引っ込める。

 「“最後の神子”
 “ゼロ・イレヴン”(0.00000000001%)
 “宇宙の死神”
 “サインレス・サイレンス”(予兆無き静寂)
 “ザ・チャンター”(神歌の紡ぎ手)
 “タイラント”(暴君)……」

 「………」

 「訪れた星の数だけ異名があるって言われてるんだから、大層なものね」

 それで……と、マリアは眼光を鋭くし、フェイトを睨んだ。

 「Mr.フェイト。CSD財団前理事長にして、『天啓』団長のあなたが……どうしてここにいるのかしらね?」



[367] Re[25]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2006/03/19 22:24
 私設バウンティーハンター軍団、『天啓』。

 まるで暗闇からのっそりと起きあがってきた怪物のように、三年前、突然その名は銀河連邦を始めとする様々な組織に伝わった。
 当初、ただのギルドとしての役割を掲げて作られた『天啓』だが、あまりにも人が集まらなかった為、宣伝と称して頭領以下数人が動いた。

 二ヶ月で、最強クラス20の盗賊団およびその他の非合法組織を壊滅。

 時間がなかった為、有名な賞金首、それも組織的なものばかりを狙ったと言うが……その二ヶ月、所属人数は百人単位で膨れ上がっていった。
 結局ギルドではなく、頭領が総司令官となる形で、『天啓』は軍団となった。

 「あららら……バレちゃった」

 『天啓』に入るテストは、頭領の判断のみ。いわば、独断。
 千人以上の精鋭兵の頂点に立ち、その百倍以上の志願者を「顔が嫌い」とか、「イヤな性格そうな感じ」とか、そんな理由で容赦なく落としてきた、文字通りの暴君。

 それが、この華奢な青年だという。

 フェイトは悪戯を見破られた子供のように、愛想笑いを浮かべて頭を掻く。

 「あなたもよ…。“アンブレイカブル・ブレイカー”、アレックス・エルゼンライト」
 「………」

 振り向いたマリアの視線を受けて、アレックスは唇をへの字に結んだ。

 「テトラジェネス軍を、ほとんど脱走同然に退軍して…。『天啓』のメンバーになったのは知っているけど、どうしてこうも都合良く、この星にいるのかしらね…?」

 テトラジェネス軍第101師団長、アレックス・エルゼンライト少佐

 「そりゃ…あれだ。たまたまバカンスに来てたら、ジョーズ共が襲って来やがって、んで脱出ポッドに乗って、そしたらエリクールで……」
 「つまり、偶然と……そう言いたいの?」
 「ああ、そう言いてぇんだ」

 ふと、皆は奇妙に感じる。
 マリアは決して、可愛くない少女などではない。性格はまだはっきりと分からないが、それはともかくとして、外見は可憐な美少女である。
 が、いつもなら笑顔で応対する筈のアレックスが……何故か、無愛想なのだ。

 「……ま、何て言うか……」

 フェイトは芝生に目を向け、手持ち無沙汰に頭を掻く。が、マリアは彼に右手を向けると、それを制した。

 「『天啓』団長さん…。あなたは“また”、奪うつもりかしら? 私たちから」
 「………」
 「カスティーナ教団、リゾルバムギル騎士団、タウリオ・ウィス……」
 「リゾルバムギル騎士団は自爆だよ…。勝手に三双平行連機関を暴走させて…」
 「そこまで追い込んだのは、どこのどなたかしら?」
 「……僕だね、たぶん」



 やっぱ、そう簡単に忘れちゃくれねぇよな……

 アレックスの呟きが聞こえ、レナスはちらりと彼を見る。



 「……勘違いされたら困るんだけど……僕たちは本当の偶然で、ここにいる。君たちクォークが、何でレナスを重要視するのか、それは分からない。まぁ、ラインゴット博士の研究関係なんだって、想像くらいは付くけどね…」
 「………」
 「どうする? 僕を殺す? お友達の仇が討てるわけだし、たくさんの人から感謝されるよ。……出来れば、だけど」



 「……だから…最後に一言多いっつーの……」

 再び、アレックスの呟き…。
 レナスはそっと彼の隣に移動すると、声を潜めて尋ねてみた。

 「あの、アレックスさん…。一体どういう事なんですか?」
 「俺ら『天啓』は賞金稼ぎだ。賞金首とっ捕まえて、またはブッ殺して、それで飯食ってる。……じゃあ、賞金首はどこが決めて、賞金はどこが払う?」
 「……あ、銀河連邦…」
 「ほとんどそこだろ? 俺らの敵は悪人じゃねぇ、金になるヤツだ。当然、連邦にとっちゃ目障りなヤツにも賞金が掛けられる。……カスティーナ教団も、リゾルバムギル騎士団も、それだよ。しかもどっちも、クォークと密約結んでた組織だ。ま、ある程度覚悟はしてるけどな…」
 「あの……最後の、タウ…何とかって人は?」
 「タウリオ・ウィス? ありゃ……まぁ、事故かなぁ? フェイトに決闘挑んで、斬り殺された。その後わかったんだが、結構重要な参考人だったらしくてな」

 レナスはもう、黙り込んでいた。

 クリフも、ミラージュも……フェイトが『天啓』の首領だったという事実を受け、明らかに動揺している。

 (……どう…なっちゃうの…?)

 こんなに寒く、そして冷たい不安感は、ひょっとすると生まれて初めてかも知れなかった。






 ネルの提案で、ひとまずは女王の元へ挨拶しに行く事となった。

 「……成る程」

 大まかな話を聞き終えると、女王の隣に侍るラッセルは、腕を組むようにして顎に指を当てる。

 「つまり。レナス・ラインゴットを引き渡せば、あの星の船どもは消えるというワケか?」
 「………はい…」

 レナスは俯き、肯定する。

 一体、あの攻撃で、何人の人々が命を落としたのだろうか。
 確かに、自分たちは戦争をするつもりだった。敵を殺す筈だった。命を奪う筈だった。
 が……“あんまり”だった。
 結果的に変わらなかった筈だ。あのまま戦争を行ったとしても、シーハーツ側にもアーリグリフ側にも、多数の死傷者が出た。
 だがしかし、何故か、どうしてか、あんまりだと……あんまりな結果だと……そう思う。

 ひょっとしたら、戦争の礼儀と言うべきものなのだろうか?

 今から命運をかけて国同士が刃を交えようとしている時、突然空に現れ、攻撃した。
 何て事をしてくれたのだと、そう叫んでやりたくなる。

 ……レナス自身はまだ、人を殺した事がない。正確には、人を殺したという実感を持った事がない。

 カルサア修練場でも、ベクレル鉱山でも。

 何て浅ましい女だと、彼女は自分を責めたくなる。
 この手で……人を殺さずに済んだ事にホッとする自分が、確かに存在するのだから。

 「……ならばそれも、一つの選択肢ではあるのだな」
 「黙りなさいラッセル」

 女王はいつものように、静かに強く、彼の言葉を遮った。

 「皆、私たちが客としてお呼びした方々です。……その選択肢は外しなさい」
 「わかりました、外します。……フェイト」

 ラッセルは今度は、青髪の青年に目を向ける。

 「何か解決策は?」
 「……うーん……。バンデーン艦の数は分かる?」

 そして、フェイトはマリアに目を向けた。

 「………」
 「いや、僕らを嫌いなのは分かってるけどさ…。バンデーンもレナスを狙ってるんだとしたら、そっちも無事には逃げられないだろ? そっちの旗艦・ディプロは確かに性能いいけど、それはバンデーンも同じだ…。せめてこの星じゃ、仲良くやろうよ」
 「わかってるわ、そんな事。仲良くするつもりはないけれど、協力するしかないようね。……せっかく精鋭が揃ってるんだから、そちらの子分を使ったらどうかしら?」
 「無理。今は休暇中でね、通信機は置いてきた。盗聴や妨害防止の関係で、専用のヤツじゃないと連絡取れないんだよ」
 「……ディプロ経由で、メンバーに連絡するくらいなら出来るでしょ? 私用なら…」
 「番号忘れた」
 「………」

 マリアは首を振り、わざと大きな溜息を吐き、呆れたように目を閉じる。

 「……大型戦闘艦が二隻、中型が一隻、汎用型が一隻」

 フェイトは同じく溜息をつき、こめかみを擦る。

 「言っておくけど……ディプロは、姿を隠すのに必死よ。一刻も早くバンデーンの艦を何とかしないと、完全にお終いね」
 「……レナス」
 「………」
 「レナス」
 「へっ!? あ、はい!?」

 慌てて返事をすると、レナスは瞬きを繰り返す。考え事に夢中で、咄嗟には気付けなかったのだ。

 「あの時……バンデーン艦を消した力だ」
 「……!!」

 出来れば……一番、触れて欲しくなかった話題だ。

 「陛下」

 レナスが言葉を紡ぐよりも早く、マリアが女王に呼び掛ける。女王はそっと、静かな視線を返した。

 「私たちだけで、話し合いをさせて下さい。必ず、何らかの解決策を…」
 「……お願いしましょう、マリア・トレイター」






 与えられた会議室では、自然と席が分かれてしまった。

 マリア、クリフ、ミラージュ。
 その向かいに、フェイト、アレックス。
 迷ったレナスは、結局、議長のように真ん中に座った。

 反銀河連邦組織と、銀河連邦の依頼を受ける賞金首狩集団。

 初対面なら、まだよかった。が、二つの組織は既に、敵対している。
 どちらも、持つ価値観からすれば当然と言える行動。

 呉越同舟……そんな言葉が頭を過ぎる。

 「……まず……何から話しましょうかね」

 マリアはすっと立ち上がると、壁際の戸棚へと向かった。本棚と小物入れが合体したような家具で、三つほど花瓶が飾ってある。

 「……ロキシ・ラインゴット博士は、17年前、秘密裏にとある実験を行ったの」

 その中の一つ……桜の花びらの模様の花瓶の口を、そっと撫でた。

 「禁忌の一つ……遺伝子への、直接的な紋章刺刻。対象者は、博士の娘」
 「え?」
 「そして…私」
 「お…おい、マリア……」
 「クリフは黙ってて」

 ……ぱしゅんっ

 マリアの指先から、白い光の玉が放たれる。それは花瓶に接触すると、一瞬で白光で包み込む。
 間髪入れず、彼女は腰のフェイズガンを引き抜き、射った。
 通常なら、花瓶が弾ける。が、フェイズガンの光線は花瓶の表面を滑り、両隣の花瓶に向けて飛んだ。

 甲高い音と共に、二つの花瓶が消し飛ぶ。

 「……!?」
 「これが、私に刻まれた紋章の能力。『アルティネイション』……物体の存在性質を改変する能力。あなたにもあるでしょう? バンデーン艦を消滅させるような“力”が」

 光を纏う花瓶を、天井まで放り投げる。机の上に落下しても、相変わらずそれは割れない。

 「私は、何故、ラインゴット博士がこんな能力を付けたのか……それが知りたいの」

 わかったかしら?と言うように、マリアはレナスの茫然自失の顔を見つめた。

 (……え? つまり…どういう事? 私、てっきり未開惑星保護条約違反者で、犯罪者で、親不孝者の筈で……と思ったら、何? その両親、とっくの昔に犯罪者だった? って事は私、最初っから犯罪者の娘さん?)

 「……レナス。私の言ってる事、わかったかしら?」
 「………悲しき宿命を背負うヒロイン…」
 「は?」
 「両親が犯罪者だったなんてショック!だってさ」
 「……ああダメだ、やっぱフェイトしか解読できねぇよ」

 本当に、どうやって解読しているのか…。

 フェイトはレナスの肩を叩き、取りあえず彼女を現実に引き戻しておく。

 「……それじゃ、レナス。僕が整理してみようか?」
 「……お願いします…」
 「ロキシ・ラインゴット博士は17年前、紋章遺伝学の禁忌である紋章遺伝子改造を、このマリアとキミに施した。それにより、マリアはそのアルティネイションという能力を。レナスは、あのバンデーン艦を消滅させた能力を得た」
 「………」
 「そして…バンデーンはそれを狙って、ラインゴット一家を手に入れるため、ハイダを襲撃した。クォークのリーダー、マリア・トレイターは、同じ境遇のキミを守り、ラインゴット博士に紋章遺伝子改造の意図を聞き出すため、こうしてやって来た。……だよね?」
 「まぁ、大体はそうね」

 マリアは軽く頷くと、自分の席に腰掛けた。

 「よし。それじゃ、バンデーン艦の対策を話し合おうか…。さっきも言ったけど、レナス」
 「へ?」
 「あの力をもう一度使えば、簡単だね。せめて大型攻撃艦を消せれば、向こうもビビッて慎重になる。そうすれば、容易に脱出できるだろ?」
 「……で、でも……私、どうやって使ったのか、あんまり覚えて無くて…」
 「練習する価値はある。この星の技術じゃ、太刀打ちなんか出来っこない。賭けになるとしても、レナス。キミの能力が必要になると思う」
 「………」
 「使いこなせるようになって、損は無いだろ? 折角の能力だ、使わないテは無…」

 ドギャッ

 衝撃音。壁に背中をぶつけるフェイト。
 ハッとして顔を上げたレナスの視界に飛び込んできたのは、壁によりかかるフェイトと、蹴り足を納めるマリア。
 アレックスが懐の神魔銃を握り、反射的にクリフとミラージュが立ち上がった。

 「……最近…どーも、殴られたり…蹴られたり……」

 思い切り蹴飛ばされた側頭部を撫でながら、フェイトは自嘲するかのように息を吐き出す。

 「勝手な事を…言わないで…!」

 マリアの声は、震えていた。

 「私が初めて自分の能力を知った時、どんな気持ちだったか……あなたには理解出来ないでしょう!? 確かに、この能力に助けられた。けれど、得体も知れない、制御の方法も分からない力が、自分の中に眠っている。そしてそれは、いつ発動するか分からない。……大切な仲間を、自分の力で殺してしまうかも知れない!」

 確かにそうだ、と……レナスも、それを恐れる。
 フェイトが如何に非常識で規格外だろうと、バンデーン艦を消滅させるような力の前には、無力。腕力や体力でどうこう出来る問題ではないのだから。

 「そんな能力を持つ気持ちが、あなたにわかる!? 夜も眠れない、眠たくても眠れない! そんな不安な気持ちがっ、あなたに…!」

 いつか、自分の目の前で……突然、何の前触れも無しに、フェイトが消えてしまったら…。想像しただけで、恐怖で身体が震え出しそうになる。

 きっと、フェイトも恐れているのではないだろうか。自分ではどうしようもない力を。

 「……だーいじょーぶ」

 (え?)

 フェイトの左腕が伸び、レナスの首に巻き付く。
 彼はそのままレナスを抱き寄せると、生身の右手で、銀色の髪をポンポンと叩いた。

 「怖くなんかないさ…。僕がいるから」



 ………ああ……この人は…。

 何で、こんな……はっきりと……躊躇いもなく…。



 「僕がいるから、大丈夫。レナスに、仲間を殺させたりなんかしない」



 いいんですか? フェイトさん…。

 私……そんなに……そこまで……貴方に甘えて…。



 「ま。レナスがイヤなら、他の方法を考えるけど…。どうする?」
 「……ありがとうございます、フェイトさん…」

 マリアは眉間に皺を寄せ、驚いたように彼女を見た。彼女の、晴れ晴れとした、思いがけない笑顔を…。

 「何だか……大丈夫な気がしてきちゃいました!」
 「そ。大丈夫大丈夫。レナスのお父さんに会えば、きっと能力についてもはっきりするだろうし…。それまでは、僕がついてるよ」

 (………あ…。そうか……そうだったんだ……)

 「レナス? どうかした?」
 「………いえ…」

 顔を覗き込んでくるフェイトに、静かに首を振ってみせる。

 今まで、すっかり忘れてしまっていた。彼が、自分の傍に、永遠にいるわけではないという事を…。

 (……もし、覚悟が無いとしても…せめてお父さんと再会するまでは、僕は力を貸そうと思う。でも、それだけだ。それ以上は……関わらない)

 カルサア修練場脱出の時……フェイトは馬車の上で自分に、そう言った。
 結局、覚悟が何かも分からないまま。
 彼の言う覚悟とは? 他人を殺す覚悟? この恐ろしい能力を使いこなす覚悟?
 分からない…。未だに…。

 (……お父さんと会えたら……フェイトさんとも…お別れ……なのかな…)

 「だからさ、マリア」
 「!?」

 てっきり、蹴撃の逆襲が来るかと思っていたのだが……フェイトは柔らかい微笑みを浮かべると、マリアに向き直った。

 「キミも、もう心配しなくていい。自分の能力で悩まなくていい。僕がいるんだから」
 「……あなたは……何を言ってるの…!?」
 「マリア。キミは少し、自分の能力を過大評価してるんじゃないかな…」
 「……!?」
 「宇宙を旅してると、わかるよ。キミの能力が、それ程恐るべきものじゃないってね。ほら、僕だって…」

 くるりと首を回し、アレックスを見る。ロメロとの戦いで左目を失い、右目しか残ってはいないが…。

 「……ちょっと待てっ、フェイトっ、お前まさかっ!?」

 彼の意図を知り、アレックスの顔が蒼白となった刹那。

 ビィッ

 「ふんぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!?」

 「……とまぁ、目からビームとか出せるし…」
 「ああっ、アレックスさんの口からクリームソーダみたいなのが!?」

 確かに…出た。青白い熱光線が右目から放たれ、第三次テトラジェネス大戦の英雄が黒コゲとなった。

 クリフは既に見ているが、マリア、ミラージュは声も出ない。

 (……何…何なの今の!? 目からビーム!? どっかの猫耳幼女じゃあるまいし、それなら口がバズーカの女の子もいるかも……ってそうじゃなくて! ……『天啓』の団長が化け物って噂、間違いじゃなかったのね…)

 「……だからさ、マリア。過ぎちゃった事は忘れて、仲良くしようよ。ね?」
 「………」
 「よし、分かった!」

 マリアが答えないと見ると、突然フェイトは手を叩く。相変わらず、彼は自分のペースしか考えていない。

 「要するに……僕が銀河連邦の味方だから、信用できないんだよね?」
 「……まぁ、そうとも言えるわね」
 「んじゃ、辞めるよ。『天啓』を」
 「………………………は!?」
 「責任を取って、辞任しまーす。後継者は、そうだな…」

 「ちょっと待てぇぇ!!」

 一瞬で回復し、アレックスが跳ね起きた。目の前の青年の、あってはならない宣言に、ブルブルと肩が震えている。

 「毎度毎度……お前っ、よくも俺の予想の斜め上いってくれるよなぁ、フェイト!」
 「えー。いいじゃん、別に。元々、趣味みたいなもんだったし…」
 「お前のその趣味で、『天啓』の幹部は女だらけなんだぞ!? ハヤトなんか、四天王じゃなくて五天王になってもいいから男を増やしてくれってなぁ、そんくらい悩んでんだ! お前以外に、あの超人集団がまとめられるワケねぇだろ!?」
 「だってさぁ……そうでもしないと、マリア、僕らの事信頼してくれないだろうし…」
 「僕“ら”!? 俺も辞めろってのか!?」
 「ちょ…ちょっと待って! それで何もかも解決するワケじゃないでしょ!?」

 恐らくは銀河一の戦闘集団、『天啓』。
 あらゆる裏社会から一目置かれ、銀河連邦でさえもある程度の条約違反には目を瞑る姿勢の、そんな対応を取られている彼ら……。

 一体何なのだろう、この青年は。

 彼にとって、その魅力的な肩書きは、小学校のクラス委員程度の価値しかないらしい。ほとんど趣味でやっているもので、辞めろと言われれば簡単に辞めるような…。

 「そ…それにっ、あなた、少し能力を舐めて無い!? 私の能力なら、泥団子を金塊に変える事も出来るし、レナスは大型戦闘艦を消滅させるのよ!? その能力が暴走すれば、一体どうなるか……少しは想像つくでしょう!?」
 「もーう、心配性だなぁ、マリアは…」

 ビキッ……

 (……ヤベェぞ、おい…!)

 マリアの額に青筋が立ったのを見て、クリフは戦慄する。確かに、フェイトにはあまりにも危機感がなさ過ぎるが、このままでは…。

 「フェイト……あなたは、私達を……何だと思ってるの…!?」
 「そりゃあ……」

 やばい。果てしなく、やばい。
 あまりの感情の高ぶりで、マリアの額に紋章が浮き出ている。それが見えているだろうに、相変わらずフェイトは飄々とした態度を崩さない。
 この返答次第では、彼は、アルティネイションの餌食となるだろう…。
 クリフも、ミラージュも……レナスもアレックスも、固唾をのんで祈り、フェイトの言葉を待っている。

 「……最終兵器彼女達?」


 オー・マイ・ゴッド


 神は死んだ

 「……こ…の……!」
 「マリアっ、落ち着け! フェイトっ、お前さっさと逃げろ!」
 「だから大丈夫だって…」
 「どこから来るんですかっ、その自信は!?」

 楽しんでいる……ミラージュは、そう感じた。

 恐らく彼に、焦燥、恐怖、戦慄などというものは存在しない。いや、今まで滅多に感じた事はなかったのだろう。
 だからこそ……自らの経験に絶対的な自信を抱いているからこそ、マリアの能力に対する意識さえも、“たかが”としか考えていない。

 宇宙の理は全て、自分の範疇にあると。

 「ああああああっ!!」

 耐えきれなくなり、マリアは耐えるのを放棄する。
 次の瞬間、彼女の額から青白い光線が放たれ、迷い無くフェイトへと飛来した。
 フッ、と、フェイトは笑う。そして右手を真上に振り上げ、手刀を作り、それを待ちかまえる。

 ……が。

 その“叫び”は、彼にとってどうやら予想外のものだったようだ。

 「ダメェェェェェェェェェ!!!」

 “能力”の発動は、感情の高ぶりが導くもの…。
 フェイトがマリアの能力の餌食となると感じた瞬間、レナスの頭には今までの思い出が、まるで走馬燈のように流れ出したのだ。
 彼女の悲鳴に、思わずフェイトの動きに迷いが生じる。
 レナスの額から放たれた光線と、マリアのそれが衝突し、会議室を凄まじい閃光が迸った。

 「………ッ…!」

 数秒後…。
 ようやく光が収まり、クリフ達は目を庇っていた腕を下げる。
 マリアは机に手を突いて息を切らし、レナスも上半身を完全に机に寝かせていた。

 「ッ…! フェイトさん!?」

 マリアの光線と自分の光線が交差したのは、見えた。
 が……果たして彼は、どうなってしまったのだろうか。どうか、直撃だけは免れていて欲しい。

 ゴトンッ

 パサッ

 固い音、乾いた音。

 「……あ……」

 机の上に落下したのは、作り物の左腕と、彼の左目を覆い隠していた眼帯。

 「……フェイトさぁぁぁぁぁんんんん!!」
 「何?」
 「ってわっひゃあ!?」

 机の向こうから、手が伸びる。続いて、青空の色をした、綺麗な髪が覗く。

 「ああもう、びっくりしたぁ……」
 「フェイトさんっ、無事……………!?」

 ……………じゃない!!!!!!

 「……どうかしたの、レナス…?」

 そこまで言いかけて、フェイトは気付いた。

 レナスだけではない。マリアも、クリフも、ミラージュも、アレックスも…。

 バタンッ

 「ちょっと! 何なんだいっ、今の光!? …………は!?」

 そして、ネルも。皆の視線が、微動だにせずに自分を射ている。

 「ん?」

 左手が、ある。それも生身の。何度か握ったり開いたりを繰り返し、指先まで神経が通っている事を確認する。

 「んん?」

 失った左目も、見える。いつもより、視界が広くなっている。

 「んんん?」

 そして……何故か、胸が苦しい。ぎゅうぎゅうと、締め付けられるように。

 「……まさか…これが、恋…?」
 「フェイト…。落ち着け、いいな? 落ち着いて、下を見ろ」
 「下?」

 アレックスの言葉に、そっと、目線を下げる。

 「あれ?」

 見えない。自分の足が。自分の靴が。
 何なのだろう、この胸の出っ張りは…?

 「……アレックス、鏡を」
 「………」

 アレックスは壁掛け鏡を無理矢理はぎ取り、フェイトに向かって放り投げる。それを目の前に立て、じっと、鏡の中の“彼女”を見つめた。

 ……あらまぁ、素敵なお嬢さん……

 そう言えば、何か股間が寂しいし。

 「……い…」

 レナスは両手で顔を挟み、震え、目をギュッと閉じ…。

 「いやあああああああああああ!!」

 ただ、絶叫するしか無かった。



[367] Re[26]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2006/06/02 11:58
 …………あ、どうも。レナス・ラインゴットです。何だかんだで、一年半ぶりです。お久しぶりです、はい。

 ……早速ですが、フェイトさんが女になりました。マジです。



 「アレックス、デザート貰うね」
 「あっ、テメッ、それは俺が楽しみに…!」
 「まぁまぁ…。ほら、胸触らせてあげよっか?」
 「………」
 「おいっ、アレックス! そこで悩むな!」



 ……女になっても、フェイトさんはフェイトさんでした。





 一日前、会議室。
 フェイトは鏡を机の上に置くと、崩れるようにして、その場に座り込んだ。

 「……何て…こった……」

 (……どうしよう……)

 性別転換……確かに、有り得ない事ではない。が、実際になってしまったのは初めてだ。
 マリアは流石に罪悪感を感じ、ゆっくりとフェイトに歩み寄ろうとする。

 「何てこった……もう、ロケットパンチが射てないなんて!」
 「フェイト、落ち着け! 肝心なのはそこじゃねぇだろ!?」
 「あ、そうだ…。関取でもないのに、もう自分のムスコが見られないし……下着が“上”も必要になっちゃうし……そして何より、ロケットパンチが射てないし!」
 「やっぱそれか? それが一番重要なのか?」

 左手が蘇った……喜ぶべき事であろうに、フェイトは義手を持ち上げ、寂しそうにそれを撫でた。

 「……うっ……くぅっ……」
 「……あ…あの、フェイト…」
 「……。まあいっか」
 「え?」
 「いーや、もう。これからは美少女として生きてくよ」

 (……自分で美少女言いやがった)





 逞しい。本当に、逞しい。
 しばらく引き籠もるかとも思われたフェイトだったが、亜音速で立ち直った時には既に、女として生きていく決意を固めていた。
 元々中性的な顔立ちだったので、それほど違和感は無い。

 「あ、そうだラッセル。隠密服って余ってる?」
 「……着るのか!?」

 確かに、美人と言える。マリアが今度は自分にやってみようかと考えるほどのプロポーションだし、妙に化粧も上手い。

 「じゃじゃーん!」
 「うおわ!? 本当に着やがったぞ、こいつ!! やめろっ、可愛い!」
 「オッサン! あんたも余計なことすんな! 畜生っ、可愛い!」





 「それで……どういう決定に落ち着いた?」

 自室のベッドに腰掛けるラッセルは、目の前の椅子で紅茶を啜る青髪の少女に尋ねる。
 と言っても、マリアではない。

 「それよりさ。来たんだろ? アーリグリフからの使者」
 「ああ、来たが…。それが?」
 「やっぱり、まずは相談しようよ。戦争はちょっと一休みして…」
 「……まさか…昨日のお前たちの話し合いで決まったのは、それだけか…!?」
 「しょうがないじゃん。僕、こんな風になっちゃったんだし」
 「……むぅ……」

 確かに…。
 いくら本人があっけらかんとしているとしても、流石に性別転換というこの異常事態に対して、実際は、心の内側では、人混みに置き去りにされた幼児のような不安感に襲われているのかも知れない。
 そんな精神状態の人間がまともなアイディアを出すなど、はっきり言って限りなく不可能に近い。

 (……そうか…)

 やはり…信じられないが、フェイトは動揺している。ラッセルはそう考えた。
 今回の事はあまりにも、彼にとって“あり得ない”事だったのだろう。

 「……ところでなぁ、フェイト…」
 「え…?」
 「いや…貸したオレが言うのも何だが…」

 ラッセルは赤面を押し隠そうと、平時より更に顔をしかめている。

 「……それ、脱げ」
 「え? 何で? 似合ってない?」
 「いや、似合ってる…。……っじゃない!! いいかっ、体は女でも、お前は男なんだぞ!」
 「……戻る見込みも無いしねぇ…。いっその事、女として生きる方が気楽だよ」
 「とにかく、さっさと返せ。いいな?」

 ラッセルは席を立ち、フェイトに背を向けた。自分自身に、どうしようもない嫌悪感を感じつつ…。

 「……ラッセル、ほら」
 「ん?」

 反射的に振り向いてしまった己の行動を、彼は強烈なまでに後悔する。目はかっと見開かれ、口を金魚のように開閉し、体は呆然としたまま固まってしまった。
 フェイトは隠密服の上を脱ぎ捨て、下着に包まれた豊満な膨らみをさらけ出している。

 「…………………………!!? おいっ、何だ!? 一体何!?」

 もはや動揺を隠す余裕など、微塵もない。突然の彼の行動に脳が追いつかず、怒鳴る事しか出来ないラッセルだが、その顔面は火を噴きそうなほどに真っ赤になっていた。
 無理だ。どれだけ視線を動かそうとしても、なかなか視界は谷間から離れない。ここまで自分の意志の弱さを悟った事など、未だかつて無かった。
 唾液を飲み込む音が、はっきりと聞こえる。

 (………待て…待て…待て待て待て待て!! いいか、ラッセル! こいつは男だぞ! 訳ありで女の体になってるだけで、男なのだ! そう、こいつにとって、こんな格好は特に恥ずかしくも何ともない筈。全裸にだってなれるだろう。……そうっ、そうなのだ! つまりこいつはただ、オレをからかっている!)

 何とか視線を上げた瞬間、フェイトの視線に捕まった。

 「ラッセル………」
 「……!?」

 少し待てと、ラッセルは自らに言い聞かせる。
 何なのだ、この顔は…。寂しげで、頼りなく、あまりにも静かで…。
 目を離したとたん、風に乗ってどこかへ飛んで行ってしまいそうな…。

 「………フェイ…ト…?」

 ようやく、言葉を発する。
 その声に寄りかかるようにして、フェイトはラッセルに近づくと、倒れ込んだ。ラッセルは慌てて彼の肩に手を置き、支える。

 「どうし…た…?」
 「ラッセル…さぁ……どう思ってる?」
 「あ?」
 「……僕の事」
 (……ちょっと待て………これは、一体…!?)
 「迷惑なガキ?」
 「……いや……その……」
 「気色悪い?」
 「……その……あーっと……」
 「……可愛い女の子?」
 「……ま…まぁ、可愛いというのは認める…」
 「………抱きたいくらい?」
 「!!?」
 飛び退こうとしたが、フェイトに服を握られている。彼に残された選択肢はもはや、その場に留まる事だけだった。
 「………」
 フェイトはくるりと回り、ラッセルに背を預ける。ラッセルは無意識のうちに、その頼りない体を支えた。
 「……ゴメンね」
 「………」
 「弱いとこなんか、ラッセルくらいにしか…見せられないから…」

 少し、嬉しかった。
 絶対的超越者とも呼べる彼が、これほどまでに自分を信頼してくれていた事が。

 「……可愛い」
 「……あぁ…」
 「抱きたいくらい?」
 「……正直に言えば、ほんの少しだけな」
 「いいよ……抱いても」
 「………!!」

 どうする? どうする、ラッセルよ。執政官・ラッセルよ!
 据え膳食わぬは男の恥…。

 (いやっ、待て! 何で抱くか抱かないかの二択になってるんだ!? しないに決まっているだろうっ、そんな事! つい昨日まで男だったんだぞっ、こいつは!!)

 しかし…。
 相手は自分を信頼して、こうして弱さをさらけ出してくれた。
 信頼された者の義務として……抱き締めてやるべきでは?

 (………………………………………………………)

 「……ラッセル…」
 背を預けたまま、フェイトは顎を上げ、ラッセルの顔を覗き込む。
 濡れた瞳、湿った長い睫毛…。
 「……フェイト…」

 徐々に彼の腕は、フェイトの体の上を進む。
 そうして、やがて……“彼女”の体を強く抱き締め…。



 ぱしゃっ



 「…………」

 窓の外のエレナと、目があった。
 彼女が構えた、何やら小さな箱から、光る厚紙のようなものが吐き出される。
 それを手に取り、数回振ると、彼女は窓越しにそれを見せた。

 現在の光景がまさに、そこに焼き付けられている。

 ニコッとエレナの口角がつり上がり、唇が開いた。

 ス・ケ・ベ

 ……読唇術の心得が無くとも、わかる。はっきりと。イヤになるほどはっきりと。

 「…………」

 顎の下のフェイトと、目があった。
 彼も同じく微笑み、唇を開く。

 チ・カ・ン

 ……絶望的なまでにはっきりと、わかった。

 何が悪い?
 決まっている。フェイトでも、エレナでもない。
 悪いのは、このオレだ。

 「……望みは何だ…」
 「やーんっ、もう! さっすがラッセル!」
 「……望みは…何だ…!」
 「うーんとねー、ちょっと欲しいものがあるんだけどぉー。……ほらほら、そんな力まないで。歯茎から血が出てるよ?」

 悪いのも、バカなのも……みーんな、オレだ。
 フェイトはフェイトだという事を、例え一瞬だけであろうとも忘れてしまった、オレだ。





 「……あ、ラッセル様。陛下がお呼びですが…」
 「ネル・ゼルファー。それは本当だろうな?」
 「………は?」
 「本当に、陛下がお呼びなのだろうな!?」
 「え…何を…」
 「うるさいっ!! もう女など信用できるか!!」





 ラッセルの、ある意味での亡命宣言から少し後、謁見の間には皆が集められていた。アーリグリフからの手紙を読み上げたラッセルは、それを畳むと、左手に持つ。

 「……モーゼルの古代遺跡…ですか」
 「はっ。第三国でありますし、距離的にもちょうど両国の中間点となります。適当な場所と言えば、これほど適当な場所もありますまい…」

 ロメリア女王は微かに双眸を細め、そして直ぐに広げた。

 「わかりました。参りましょう」
 「陛下!? これはもしや、アーリグリフの罠では…」
 「このような事態、もはや私たちが戦っていられる場合でない事は、アーリグリフも重々承知しているでしょう。それに……相手に信じられたければ、まずこちらが相手を信じなければなりません。私は、彼の国に信じられる事を望みます」

 全ては“信”から始まる、というのが、この女王の口癖だった。止めようとするネルを制し、彼女は玉座より立ち上がる。

 「ラッセル。留守は任せます」
 「……は…。どうか、お気をつけください」
 「ええ。それで……ネル・ゼルファー」
 「はっ!」
 「私の供をお願いします。モーゼル遺跡は砂漠の中、会談前に何かあってはなりません」
 「はっ。畏まりました」

 その場に勿論、フェイトもアレックスも、マリアもクリフもミラージュもいる。そして、レナスも。
 女体化事件のどさくさに紛れ、一応にではあるが、『天啓』とクォークの啀み合いは休止していた。話し合いで何の結果も出せなかった以上、とりあえず今は、アーリグリフとシーハーツの二国間首脳会談に、一縷の望みをつないでいるらしい。

 「んじゃ……取りあえず、僕たちもついていきますか。他にする事も無いしね」
 「そうしろ。そして野垂れ死んでくれ」
 「あ、ラッセル。ひっどぉい」

 両手を頬に当て、片足を曲げて腰を捻るフェイトに、ラッセルの片目がヒクヒクと痙攣した。二人の様子を見て、フェイトがまた何かやらかしたのかと、ネルは密かに溜息をつく。

 そして、皆が解散しようとした時。

 許可も得ず、扉の衛兵を突き飛ばすようにして、一人の兵士が謁見の間に突っ込んできた。

 「っ、大変です!!」
 「何事だ、騒々しい」

 眼に力を込めるラッセルは、そう言いつつも兵士に用件を促す。

 「地下の聖殿に、侵入者が! 敵は未知の兵器を所持していて、警備も既に突破されました!」
 「聖殿カナンが!?」
 「……侵入者の特徴は?」
 「はっ。敵は三人、鮫のようなマスクを被った…」

 マスクではない。バンデーンの兵士だ。

 「……フェイト」

 ラッセルに呼ばれ、彼……いや、今は彼女だが……は、人差し指で頬を掻く。

 「多分、狙いは宝珠セフィラだろうね。あれ程のオーパーツ、銀河でもそうそうあるもんじゃない。……多分、偶然発見して、ついでで盗もうとしてるんだろう」
 「ふんっ…。舐められたものだな」

 ラッセルが吐き捨てるように言うと、慌てたようにネルが進み出た。

 「陛下! あの宝珠を奪われるわけにはいきません! 早急にカナンに向かわねば…」
 「……確かに、そうです。が…会談の日程を変更するわけにもいきません。クレアも、既にアリアスに戻ってしまったのですよ」
 「っ……。フェイト!」
 「へ? 僕ですか?」
 「頼む! カナンの宝珠を、あいつらから守ってくれ! アンタなら、三人くらい簡単に倒せるだろ!?」
 「……うーん……」

 ネルに詰め寄られ、多少困ったような顔をしながら、フェイトはラッセルに視線を向ける。すると、彼は組んでいた両腕を解き、口を開いた。

 「ネル・ゼルファー、何も迷う事はない」
 「え…」
 「陛下のお命とセフィラ、どちらが重いのか……決まっているだろう」
 「しかしっ、だからと言って見捨てるなど…!」
 「和平を望まない輩は、この国にも、アーリグリフにもいる。どんな敵が、どれほど襲ってくるか、予想は出来ない。ならば、陛下の護衛を最大限の人数で行え」

 そこまで言うと、彼は女王に向かって頭を下げる。

 「陛下…。お見送りが出来ず、申し訳ありません。ここで、失礼させて頂きます」
 「ラッセル…?」
 「セフィラはご心配には及びません。……私が、命に代えても守り抜きます」
 「はあっ!?」

 思わず素っ頓狂な声を出してしまったネルだが、自分のその失態に気づけないほどに、呆然としていた。

 ラッセルは文官であり、戦闘員ではない。一応基礎訓練はやっただろうが、はっきり言ってせいぜい一般兵、それか兵長クラスの強さだ。
 命に代えても守る……と豪語しているが、間違いなく命を失った上、セフィラも奪われる。犬死にである。

 「……フェイトっ、頼む! 執政官、絶対生き急いでる! 絶対死ぬよ!」
 「……やかましいぞ、ネル・ゼルファー。相手はたかが三人。いいから黙れ。給料下げるぞ」
 「しかしっ、執政官の戦闘能力はせいぜい兵長クラス…」
 「よし決めた。給料カットだ」
 「まぁまぁ…。大丈夫ですって、ネルさん」

 彼女の肩に手を置き、フェイトは諭すように言う。その間に、ラッセルはさっさと謁見の間から出て行ってしまった。

 「フェイト! アンタ、執政官を見殺しに…」
 「大丈夫です。ラッセルの方だって、“三人”なんですから」
 「……!? 誰か連れて行くのかい、執政官は?」
 「ええ。心強い助っ人を、ね」





 「ふむ…。やはりな、思わぬ収穫だ」

 クォッドスキャナーを仕舞うと、バンデーン兵は目の前に浮かぶ宝珠を見つめた。

 「とてつもないエネルギーだな。こんなの、そうあるもんじゃない」
 「レナス・ラインゴットの件はどうなってる?」
 「あの力を使われたら厄介だからな。少し、様子見だ」
 「大丈夫なのか?」
 「あれは、かなり不完全なものだ。まぁ、今は放っておいても問題ない」

 そう言うと、一人が宝珠へと手を伸ばそうとする。

 「……侵入者に告ぐ」

 突然聞こえた、男の声。三人はハッとなり、銃の引き金に指をかけ、背後を振り向いた。
 一人の中年男性が、宝珠の間の入り口に立ち塞がっている。

 「今すぐに武器を捨て、両手を床につき、生まれたての子馬のポーズになれ。そうすれば、楽に死ねる」

 武器など、持っていなかった。銃はもちろんの事、ナイフさえも。三人は鼻で嗤い、再び宝珠に向かう。

 「……そうか、残念だ」

 ぐしゃっ

 一人が消え、二人の顔に、生暖かい血飛沫が付着した。

 「「……!?」」

 先ほどまで人の形をしていたものが、血塗れの肉塊となって、地面にめり込んでいる。その上には、柱のようなものが倒れていた。
 いや……柱ではない。きっちりと六角形に作られた、鉄棒だった。

 入り口の男は、一歩も動いていない。
 二人の視線は、その鉄棒の先端を辿り、徐々に、それを振るう持ち主へと近づいていく。

 「どちらにしても、生ゴミには変わりないが……ミンチか開きか、それくらいは選べるぞ」

 自分たちを覆う、巨大な影。



 「さあ……喰い散らせ…………『猿王(ましらお)』」



[367] Re[27]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2006/11/24 00:15
 シランドを出発した女王陛下御一行が、ペター二の街に到着した時、ラッセルからの報告が届いた。

 セフィラは無事だ、と。

 「ふぅ……」

 安堵するネルだが、少々不思議な気もする。これほど早くに報告が来るという事は、侵入者は文字通り瞬殺されたという事。
 執政官がそんなに強い筈が無いし、人付き合いの苦手な彼が、そんな強力な助っ人を二人もすぐに呼べる筈が無い。
 フェイトは“三人”と言っていたが……後の二人は一体、誰なのだろうか…。
 国の宝の防衛を、あの執政官がそう易々と、外部の者に任せるだろうか…。

 ホテル『トーアの門』に到着した女王陛下御一行は、明日からの長旅に備え、今日はそこで休む事にした。
 あくまでお忍びであり、女王も平民の服に着替えている。が……ネルのロメリアに対する過保護ぶりを見ていれば、速攻でバレてしまいそうな気もするが…。

 まだシーハーツ領内であり、あまりに厳重な警戒はかえって怪しまれる。
 ホテルにはネルだけが残り、他の皆は、街中へと出かけた。

 「……あれ?」

 ……出かけた筈だったのに。

 ネルがその後ろ姿を見つけたのは、女王のために何か飲み物を調達して来ようかと部屋を出て、ロビーに差し掛かった時だった。

 「アンタ……何してんだい?」
 「いえ、特に何も」

 なるほど。確かに、特に何もしていない。
 強いて言うならば、ソファに腰掛け、テーブルの上に両手を置き、それらを敵同士に見立て、指でバシバシと戦わせていた。
 というか、何をしているのだろう。彼(彼女)は。

 「あ……。そうだ、ネルさん。ファリンさんとタイネーブさんは?」
 「明日には合流するだろ。っつーか……何であの二人を?」
 「いや、久しぶりに会いたくなったので。それに、びっくりもさせたいですし」
 「……何て理由だい……」
 「いいでしょう? 当分戦争は起きないんですから」
 「……アンタ…退屈なのかい?」
 「ええ、そうです」
 「ふーん…」

 そう言いながら、向かいのソファに腰を落とすネルを、フェイトは何とはなしに目で追った。

 「ここ、いいかい?」
 「もう座ってるじゃないですか…」
 「ま、そうだけど」

 女王から特に命令を受けたわけでもなく、急ぐ事はない。ネルは足を組み、深々と体をクッションに沈めると、ぐるぐると首を回す。

 「で……どう思う?」
 「何をです?」
 「アーリグリフの動きさ…。いやね、アンタの意見も聞いときたくてね」
 「……軍の司令官を失ったわけですし、すぐに動くのは無いでしょう。何か仕掛けてくるなんて事も、まず無いと思います。待ち伏せがあったとしても、一部のトチ狂った輩だけですから、あまり気にする事もありません」
 「そうかい……。いや、確かにその通りか…」

 フェイトの意見をそこまで求めていたかというと…別に、そうでもない。
 ただ、この二人きりの機会に、少し整理してみたくなっただけだ。

 この男の名は……フェイト。年齢は秘密だそうだが、外見は自分と同じか少し下。というか、彼にそんな常識は通用しないだろう。
 戦闘能力は最大級。というか異次元的。その気になれば、一人で一国を潰すなんて真似もしかねない。シェルビーを殺し、ヴォックスさえあしらった。何でも、星の海でも名の知れた賞金稼ぎらしい。
 性格は……女王様。うん、女王様。男でも女でも女王様。完全に自由に生きていて、やりたいようにしかやらない。

 そして……自分と、ファリンとタイネーブの“持ち主”…。

 既に、最初の頃ほどの嫌悪感は無かった。自分のやりたいようにしかやらないと言っても、彼自身がそれ程邪悪な性質ではない。最近ではそういう命令さえ稀で、普通の仲間のようにさえ思える。

 (……ふーん……)

 もしも。
 もし、逆に自分から……夜中にでも部屋へ行って、迫ったら……案外、純真な少年のように狼狽するのではないだろうか。天性のサディストに見せかけて、その実は、攻められるのは苦手なタイプなのかも知れない。

 (……まぁ……“今”は、意味無いんだけどね…)

 フェイトはテーブルから手を離し、指を絡み合わせると、椅子に座ったまま大きく伸びをした。

 ビッ

 「……あ………」
 「…………」

 何なのだろう、この敗北感は…。
 あーあ、と愚痴りながら、フェイトは自分の胸を撫でる。ファスナー式のノースリーブを着ていたのだが、そのファスナーが、胸を抑え切れず破壊されていた。

 「……何だって、そんなもん着るんだい…」

 胸が極限まで膨らむ上、両腕は肩まで完全露出。いつものコートでも羽織っていればいいじゃないかと、ネルの頬が引きつった。

 「だって……これ、お気に入りのデザインですし…。ずっと昔から、これが標準でしたし…。あ、それに、店の人がとっても値引きしてくれて…」
 「そーゆー狙いかい……」

 溜息をつきながらも、ネルは自分のマフラーを解くと、それをフェイトの胸に投げつける。

 「ここじゃ目立つ……ほら、さっさと替えの服を取りに行くよ」
 「はーい」





 ネルの予想に反して、ファリンとタイネーブの二人が合流したのは、その日の夜だった。

 「あ…あんた達……やけに速いじゃないか…」

 どうやら、連絡を受けてから、可能な限りの速さで走ってきたらしい。

 「だってぇ、早く見たいじゃないですかぁ? あのフェイトさんが、女の子になっちゃったなんてぇ」

 ファリンだけではなく、その後ろのタイネーブまで同感のようで、キョロキョロと部屋の中を見回している。
 フェイトが雑貨屋から戻ってきたのは、ちょうどその時だった。

 「あ、久しぶり。ファリンさんにタイネーブさん」
 「うっわあ、本当に女の子ですぅぅ!!」
 「…きょ……巨乳……!」
 「ねぇねぇ、触ってもいいですかぁ?」
 「うーんと、ファリンさんのを触らせてくれたらいいですよぉ」
 「はーいっ」

 「ちょっと待て」

 騒ぐファリンと傷心のタイネーブの襟を引っ張り、ネルは少し怖い声で注意する。

 「あのねぇ…。いくら外見が女だろうが、こいつは男だよ。そこんとこ、ちゃんと考えて…」
 「大丈夫ですよぅ。ネル様だって、そこそこはありますしぃ」
 「……ケンカ売ってんのかい! いやっ、そうじゃなくて…」
 「あ、コレお土産ですぅ」
 「聞けぇぇぇ!」

 ネルの手を逃れ、フェイトに包みを渡してその背に隠れるファリン。包み紙を破ると、中からは酒瓶が出てきた。

 「……あのねぇ、ファリン。任務中だってのに、何でこんなもん…」
 「クレア様が、渡してくれたんですよぅ。せめてもの息抜きにってぇ」
 「クレアがねぇ……」

 どうやらクレアは、自分を心配してくれているようだ。確かにこのところ体を使った任務が続き、少し疲労がたまっている。酒でも煽って、ぐっすりと休みたいとは思っているが…。

 「折角だけど……アタシは遠慮するよ。陛下をお守りしなくては」
 「だからぁ、私たちと交代しましょうよぉ」
 「ここはまだシーハーツ領ですし…。危険なのは寧ろ今ではなくこの先ですし、護衛は私とファリンに任せ、今のうちにお休みになられては…」
 「……うーん……でもねぇ…」

 タイネーブとファリンの申し出に、ネルの心も少し動く。が、心を完全に動かしたのは、やはりフェイトだった。

 「お言葉に甘えましょうよ、ネルさん。僕も、飲むのは久しぶりですし。休める時に休んでおかないと、いざっていう時大変ですよ?」
 「……けど…」
 「ほらほら、いーから。それじゃお二人とも、よろしくお願いします」
 「はぁい」
 「お任せを」

 ネルの手を引き、半ば強引に部屋の一つへと連れ込むフェイト。ひらひら手を振って二人を見送った後、ファリンがそっと呟く。

 「……女になっちゃったねぇ、フェイトさん」
 「……うん、そうだね」
 「……やっぱこれって……同性愛になっちゃうのかなぁ?」
 「……さぁ……」





 男は単純でいいと、マリアは心よりそう思う。

 「おーい、マリアぁ」
 「こっちだこっちぃ」

 クォーク元リーダー、クリフ・フィッター。
 元テトラジェネス軍少佐、現『天啓』メンバーのアレックス・エルゼンライト。
 その二人は仲良く同じテーブルに腰掛け、仲良く肩を組み、仲良く酒を酌み交わしていた。
 買い出しを終えたマリアとミラージュは少し顔を見合わせ、そして二人が座る、酒場の外のテーブルに腰掛ける。
 酒という名の魔法の薬だけで、こんなに単純に打ち解け直している二人が、心底羨ましい。
 「すみませーん、海老グラタンお願いしまーす」
 ひらひら手を振ってウェイターを呼び、レナスは三皿目の料理を注文した。マリアはそんな彼女を横目で見つつ、頬杖を付いてメニューを手に取る。
 「あ。そう言えば、フェイトさんは?」
 「そういや、アイツ見ねぇなぁ。宿に戻ってんのか?」
 アレックスは酒瓶から口を離し、そこで気付いたように身震いした。
 「ん? どうかしたんですか?」
 「あ、いや…。……アイツが来たらマズイなぁって…」
 「何で?」
 「ほら、アイツが酒飲むところ、見たことねぇだろ?」
 「あ、そう言えば…」
 物欲しそうに隣の客の皿を見ていたレナスは、今までの食事を思い出す。飲酒はクリフやアレックスのみで、フェイトはジュースくらいしか口にしていなかった。
 「別に飲めないってわけじゃなくてよぉ、飲んだら駄目なんだよ、アイツ」
 「そうなんですか?」 
 「そうそう。いっぺん、少人数で宴会開いたんだけどよぉ…。あん時だったなぁ、フェイト限定の禁酒令が出来たのって。いやもう、アイツ……飲んだらすげぇんだよ…」
 「すごいって?」
 「いやまぁ、その……何っつぅか……。けどまぁ、大丈夫だろ。飲みたい、とか言い出す事なんて、滅多に無いし…」
 (ねぇ、ラッセル…。この世界がもし、偽物だったら……僕たちも、偽物って事になるのかな……)

 あの顔は、未だ脳裏に焼き付いている。

 三年前の、あの時。
 フェイトが自分の前に現れたのは、珍しく自分が帰宅した、雪がちらつく真夜中だった。
 左腕を無くし、体もボロボロ。同じくボロボロの布きれを纏い、ドアを開けると同時に、室内へ倒れ込んできた。
 見覚えのない青年だった。だが、酷く困窮しているのが分かった。
 拙い錬金術を用いて、死んだ息子の遺体から左腕を作り出し、彼に与えた。
 彼は自分について多くを語らなかったが、瞳が雄弁だった。絶望を経験し、それでもなお希望を捨てきらぬ、強い意志を秘めた双眸。
 どこか息子の面影を感じつつ、衣服を与え、金を与え、そして寝床を与えた。彼はただありがとうと言うのみだったが、言葉の想いは感じられた。

 そして、彼がいたからこそ、自分は妻子の仇を討てた。

 (三年後、また…)

 そして……彼は本当に、この地へと戻ってきた。

 「………」

 バンデーン兵達の肉片を前に、ラッセルは静かに煙草を吹かす。
 「……何を…恐れている…?」
 自らに問い、悩む。
 自分はちゃんと、帰ってきたフェイトを見たではないか。
 三年前と何も変わらぬ、あの瞳を持つフェイトを。
 それなのに自分は、何を恐れているというのか。

 「………危うい、か…」

 あれは本当に、ただの美人局だったのだろうか。
 手を離せばどこかへ消えて行ってしまいそうな、あの不安感。冗談にしても、真実味がありすぎるのだ。
 胸に手を当て、ぎゅっと襟を掴む。
 「フェイト……」
 彼が何を目的としているのか、それは分からない。
 ひょっとしたら、目的を探すのを目的としているのかも知れない。
 その目的により、無理矢理に自らを動かしているのかも知れない。

 「……どこへ行こうというのだ…? お前は……」



[367] Re[28]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless
Date: 2006/12/19 00:33
 「………ッ…!」

 恐怖。
 ただ、それだけ…。

 ネルの奥歯はカチカチと小刻みに鳴り、短刀を握る手は震えていた。

 「フェイ…ト……!」

 ぞくぞくと背筋に悪寒が走り、恐怖に顔が歪む。

 「来る…な…!」

 聞き届けられるはずの無い、願い。

 「来るなァァァァァァ!!」





 「じゃぁんっ」
 「けぇんっ」

 「「そォいっ!」」

 酔っぱらった大の大人が、大声で叫ぶ。この二人の連れと見られる事は、はっきり言って恥以外の何物でもないので、レナス、マリア、ミラージュは離れていた。

 「うおおおおっ、勝ったぁ!」
 「うげぇぇぇっ、負けたぁ!」

 渋々財布を引っ張り出すアレックスに、飛び跳ねるクリフ。
 「畜生ぉっ、この出費は痛すぎるぅぅ!」
 「がははははっっ、諦めろ! 弱肉強食こそ、自然の摂理なりぃぃ!」
 勝っても負けても、テンションが異様に高い。それが酔っ払い。
 「うぃぃ、クリフぅ! 次はテメェがおごれよぉ!」
 「ばーか、ジャンケンに勝ってから言え!」
 「いいから……さっさと戻るわよ…!」
 イライラと足で地面を叩くマリア。ミラージュは彼女を宥め、男二人に少々キツ目の視線を向けた。
 「ま…まぁまぁ、ほら。早く宿屋に戻りましょうよ。多分、私たちが最後でしょうし」
 努めて元気な声を出し、レナスは手をぶんぶん振って歩き出す。四人も、それに続いた。

 しかしその元気も、宿屋に戻るまでだった。

 「…………え……?」

 どうやら、女王は既に夢の中らしいが…。
 女王の側にいる筈の、ネル・ゼルファー。そして何故かいる、ファリン、タイネーブ。
 「……ちょ…っと!? どうしたんですかっ、皆さん!!」
 倒れ伏す三人の女性に、レナスの瞼が大きく開く。慌ててベッドの上のネルを抱き起こし、がくがくと揺さぶった。
 頬には涙の跡。脱げかけた隠密服。部屋は特に荒れていないが、ファリンとタイネーブの衣服も、同じように乱されていた。
 「何!? 何があったんですかっ、一体!」

 「……ヤベェ……」

 振り向くと、床に転がる空の酒瓶を凝視する、アレックスの姿。
 「ヤベェよ! ちょっ……ヤベェ!」
 「何がやばいんですか!?」
 「あの野郎……酒飲みやがった!!」
 「え…?」





 「いいか!? ぶっ殺すくらいのつもりでも、まだ足りねぇからな! 問答無用でやっちまえ! 情けなんかかけんなよ!!」

 皆から見れば、大袈裟なのではないかというくらいの剣幕で、アレックスは叫ぶ。
 が、この中で一番フェイトと付き合いが長いのは、言うまでもなく彼なのだ。半信半疑ながら武器を構える皆も、だんだんと緊張を強めていく。
 ネル、ファリン、タイネーブとミラージュを宿に残し、レナス、クリフ、マリア、そしてアレックスの四人は、街頭に照らされた大通りを疾走する。
 「…な……何なのよ、これ…」
 そこかしこに転がる、半裸状態の男女。外傷は無いが、茫然自失としたその表情に、マリアの中に得体の知れない恐怖感が広がった。
 「アレックス。これ全部、フェイトがやったってのか?」
 「そうは思いたくねぇが、やっぱそうだろうよ…」
 「あの、フェイトさんって、飲酒を禁止されてるんでしょ? でも何で…」
 「一応禁止はしてるが、破ったところでどうしようもねぇだろ? そんなに好きそうでも無かったし、すっかり油断しちまってたんだが…」
 畜生、と、アレックスは歯を鳴らす。
 そして皆が、西通りに入った時。ようやく、目当ての人物を発見した。
 「!!」
 アレックスが構えた神魔銃の先には、若い女性を抱えたフェイト。するりと、その女性の体が芝生へ落ちた。そしてフェイトは、赤い頬を緩め、にっこりと笑顔を見せる。
 「やぁ……みんな。いい夜だね……」
 どこから調達してきたのか、酒の入った瓶を持ち上げ、一口流し込む。足下に横たわる女性も、さっき見かけた人々と同じく、半裸だった。
 「……ああ~~……いい…気持ち……」

 「「「「………!!?」」」」

 突如として皆を襲った、“何か”。
 その不思議な、目に見えない……自分たちの体にまとわりつき、魂まで溶かしてしまいそうなそれは、色気。
 四人はそれぞれ、自分の心臓が早鐘を打つのを感じた。
 酔い惑うフェイトは、強烈な色気を振りまきつつ、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。一足早く自分を取り戻したマリアは、反射的にフェイズガンを抜き、引き金を引いた。

 (……え……?)

 フェイトは自らの体を抱き、腰をくねらせ、驚く程しなやかに光線を避けると、一歩でマリアの懐に入り込む。
 「んふふふ……」
 体を縮め、マリアの顔を覗き込むフェイト。再び、強烈な色気が彼女を襲う。
 アレックスは迷わない。後方へのけぞるマリアの横から、フェイトのこめかみに銃口を向けた。
 が。彼は既に、そこにいない。

 「……クスッ…」

 あー。いやまぁ、そーだよね、そーですよね。
 いくら女体化してるからって、フェイトはフェイトだもんね。
 すんません、何か……調子乗ってました。

 首に、細腕が回される。背後の存在の強大さを噛み締めつつ、アレックスは覚悟した。
 「……ねぇ、アレックスぅ…」
 「はい…。何でございましょう…」
 「クリエイションしない?」
 「……は? クリエイション?」
 確かに、すぐ近くはフェイトの工房だが。
 「……あの…それより、フェイトさん…。背中に何か当たってるんですが…」
 「当ててんのよ」
 既に色気に抗う事を諦めたアレックスの心に、全てを溶かす艶色の腕が突っ込まれた。
 「ねぇねぇ、アレックスぅ。クリエイションん」
 「いやあの、別にいいですが……何を作るんで…?」
 「取りあえず……双子かな…」

 ずどーん(効果音)

 「……おいっ、皆! フェイトがこうなっちまったのは、俺の責任だ! だからここは俺に任せて、宿へ逃げてくれ! そして布団かぶって、ゆっくり寝てくれ!」
 親指を立て、本来感動的である筈の自己犠牲を宣言するアレックスだが、彼の表情がすべてをぶち壊しにしている。
 「な…何言ってるんですか、アレックスさん! ってゆーか、何やるつもりですか!」
 「レナスちゃんにはまだ早すぎる! 大丈夫、フェイトは俺が責任持って何とかする!」
 「いいえっ、駄目です! 今のフェイトさんを、そんなニヤケ顔のアレックスさんなんかに任せられません! ここは同性である私が、たった一人で囮になります!」
 「レナス。鼻血拭いて」
 マリアの声を無視し、レナスはフェイトからアレックスを…ではなく、アレックスからフェイトを引き離そうとする。
 「さあ、フェイトさん! こっちへ!」
 「え~~、三人でするの~~?」
 「いえ、私と二人で!」
 「止せ、危険だレナスちゃん! 女の子にそんな危ない事させらんねぇ!」
 「フェイトさんに危ない事しようとしてるのは、アレックスさんでしょう!?」
 「違う! 俺は部下として、ボスの体調管理に気を遣ってだなぁ…!」

 「……なぁ」

 「何だ!? クリフ、後からしゃしゃり出てくるんじゃねぇ!」
 「そーだそーだ! 引っ込め引っ込め!」
 「いや…。フェイト、もう……寝てんじゃねぇか?」
 「「………」」





 翌朝、皆が朝食を終えても、フェイトはまだ眠っていた。

 「……前、『天啓』で宴会開いた時な…」

 疲れた顔のアレックスは、ティースプーンでコーヒーをかき混ぜながら話し出す。
 ネルとタイネーブは誰とも目線を合わせようとはせず、ファリンのみが顔を上げていた。

 「酔っぱらったあいつ…。いきなり操縦桿握って、リアルインベーダーゲームやり始めたんだよ。無人の星、何個か消し飛んだよなぁ…。それに飽きると、リアル恋愛ゲームとか言い出して、目に付いた女を片っ端から口説きまくって…。んで、女の戦争勃発だ。艦が危うくぶっ壊れるところだったってのに、そん時にはぐぅすか寝てて。まぁ幸い、今回は飲んだ量が少なかったから良かったが。……っつーか酒乱の原因がなぁ、ウチの医者が調べたら、何て言い出したと思う? 普段封じ込まれてたストレスが、酒の力で解放されたとか何とか……冗談じゃねぇよ。あんな好き放題やってるってのに、ストレスなんか溜まるかってんだ」

 「……あっ、お早う。ごめんごめん、すっかり寝坊して…」

 そしてフェイトが現れ、朝食を注文しながら席に着く。
 全員の視線が自分に注がれている事に気付き、フェイトは小首を傾げた。ネルとタイネーブは、何故だか顔を真っ赤にしている。
 「何? 何なの?」
 「フェイトさん…。どこか、悪いところとかは…」
 「いや……別に。逆に何か、すっきり爽快だけど」

 (アレックスさん、ひょっとしてフェイトさん……)
 (ああ…。起きたら、なぁんにも覚えてねぇんだよ。最悪だな)

 「……ねぇ、フェイトさん」

 ファリンに呼ばれ、そちらを向いた。
 「何です?」
 「責任……取ってくださいねぇ」
 「責任って……何の?」
 「いいからいいから」
 「あ…あのっ、私も…その…」
 「タイネーブさん? ……あの、ネルさん……一体何が…」
 「うるさいね! さっさと食べな!」

 はぁ……と、レナスは溜息を漏らす。
 どうやら自分の想いが遂げられる確率は、まだまだ…高くなっていきそうな気がした。





 「さっき、町の人が話してるの聞いたんだけどさぁ……昨日の夜、サキュバスが出たんだって。怖いよね。……え、ちょっと。何? もうちょっとゆっくりしてもいいでしょ? そんな急いだって、別に得するわけでもないんだし。ねぇ、ちょっと? 捕まえようよ、サキュバス。ねぇって。もしもーし」
 「「「「…………」」」」

 フェイトの背を無言で押しつつ、皆はペター二の町を出発した。
 ネルはまともにフェイトの顔を見られず、スタスタと一歩先を歩いている。

 (……んふふふふぅ……ネルさぁん……)
 (来るなぁぁぁ!!)
 (きれーな……肌……)
 (あああああああ!!)

 “昨夜はお楽しみでしたね”と微笑むホテルの女中に、もりもりと殺意が湧いたが、もし女王がいなければ、本当に短刀の鞘を払っていたかも知れない。
 ……まぁ、特にひどい事をされたというわけでもないのだが……一言で言うと……自分は、“隅々まで知られてしまった”。

 (……はは…は………アタシ……一生、アイツから逃げられないのかな……)

 自らを嘲る彼女の耳に、女王の三度目の呼び声が届く。慌てて振り向くと、いつの間にか女王は、自分のすぐ後ろを歩いていた。
 「ネル・ゼルファー……」
 「はっ!? あっいえっそのっもっ申し訳ありません! 呆けておりました!」
 「いえ…。それはいいのですが…。どうやら、元気が無いようですね」
 「あ……その…」
 いくら女王相手といえど、まさか昨夜のことを、包み隠さず打ち明ける事など出来ない。
 「少し、心配になりました…」
 「!! いえっ、何でもありません! 陛下の御心を煩わせた罪は万死に値しますが、何とぞお許しを…!」
 「どうして落ち込んでいるのです?」
 「いえ、その……い…いくら陛下でも、それだけはご容赦を…」

 「昨夜はお楽しみだったのでしょう?」

 「………」





 「あれ? 女王様、ネルさんは?」
 「さっき、あの丘の向こうに消えました」
 「速っ!? ……っていうか、ネルさんが女王様を残して行くなんて…。何かあったんですかね?」

 お前のせいだ

 皆の声なき声は、勿論フェイトの耳には届かない。
 「……本当に、何にも覚えてないんですね…」
 「ああ。綺麗さっぱり、何も覚えてねぇんだよ」
 いつも以上の好き放題……と言うより、無秩序無計画な犯罪行為を楽しんだフェイトは、その事を本当に覚えていなかった。記憶がない振りをしているのではないか、と疑ってみたレナスだが、そんな素振りは見られない。
 「……ストレス…か……」
 「だからよぉ、レナスちゃん。そんなもん、あいつには存在しねぇんだって。ただ酒癖が悪いだけだろ。あいつにストレス溜まるんなら、俺なんか狂い死にしてるぜ」
 アレックスはそう言いながら、ひらひらと手を振る。彼の意見に納得するレナスだが、それでも心のどこかで、違和感を感じていた。

 やがて、気持ちを落ち着けたネルが帰ってくる。道中さしたる妨害もなく、一行は洞窟を抜けて砂漠を越え、モーゼルの古代遺跡へと到達した。





 アーリグリフ現国王・アーリグリフ13世の名は、アルゼイ・バーンレイド。
 徹底した能力主義で国全体に大幅な改革を施し、強大な軍事国家を作り上げた人物で、既に名君の一人に数えられている。
 石造りの円卓に肘を突き、指先を額に添え、彼はじっと、シーハーツを待っていた。

 (これで……戦も終わる、か……)

 死んだ叔父であるヴォックス公爵には悪いが、自分はずっと、戦争回避の切っ掛けを模索していた。それは平和主義というわけではなく、ただ、一人の女性への恋慕から来た想いである。もっとも、それは決して漏らせぬ想いだが。
 しかし、この切っ掛けを喜んでばかりいられないのが辛いところだと、彼は思う。遙か上空から炎を降らせ、さながら神の如き不作法を働く侵略者。
 最強の武人の一人であるヴォックスも、その攻撃の前に為す術もなく散った。

 (……敵うわけがない……)

 だからこそ、こうしてシーハーツを待つ。正確には、シーハーツが抱え込んでいる“力”の持ち主を。
 ヴォックスを軽くあしらい、あの破滅の光の中から生還した男。グリーテンからの来訪者。

 「……来られたようですな」

 背後に控えるウォルターが、そう呟いた。
 そして数秒後、古代遺跡の奥深くにあるこの部屋の扉が、音を立てて開かれる。

 「とーちゃーっく!……あ……」
 元気よく飛び込んだ後、こちらを見るアーリグリフ王に気付いて萎縮する、銀髪の少女。

 「面倒だったなぁ、おい。ぶっ壊して通ったら早かったんじゃねぇの?」
 伸びをしながら背後を見やる、緑髪の大男。

 「そんな事したら、あんたの頭をぶっ壊す」
 口元をマフラーに埋めてドスのきいた声を出す、ネル・ゼルファー。

 「アレックスの頭が、それ以上どう壊れるのか……ちょっと見てみたかったな」
 長剣を携えて微笑する、青髪の少女。

 「………」
 「やっと到着かよ。さんざん歩かせやがって」
 「いい運動になったじゃないですか」
 押し黙る、こちらも青い、長髪の少女。
 愚痴る金髪の男。
 それをたしなめる、金髪の女性。

 そしてシーハーツの女王と、二人の隠密。

 (……ん?)

 ふと、アルゼイは妙に思う。
 当然やって来ると思っていた、“青髪の青年”がいない。
 彼ほどの能力を持った者が、この不安定な情勢の中、女王の護衛から外れるとは考えにくいのだ。出来ればこの目で彼を見て、少しでも情報を得たかったのだが。
 ともかくもこれで、両国のトップが揃った。

 「よっし! それじゃあ、さっさと始めちゃいましょう!」

 ニコニコとして手を叩く、青髪の少女の表情が、妙に印象的だった。



[367] Re[29]:SO3「フュア・インマァ」
Name: nameless◆139e4b06 ID:269d3c5d
Date: 2007/06/07 00:21
 「確かに……。星の船の力は異常すぎる。戦闘行為など、馬鹿げているとしか思えんな」

 アーリグリフ王の言葉は、静まりかえった会議場の隅々にまで響いた。アーリグリフ側の兵たちが、自らの主の言葉に、その沈黙をさらに深いものにする。
 今の状況は、空を行く鷲に立ち向かう蟻の如く。いくら策を弄そうとも、針穴のような希望の光さえ見出せなかった。……もし、フェイトやマリアたちがいなければ、本当にそうなっていただろう。
 彼らこそまさしく、分厚い暗雲の隙間を塗って辛うじて地に差す、光の糸だった。
 しかしアーリグリフ王は、まだその事を信じきってはいない。
 「ならば、そのレナス・ラインゴットを引き渡すのが、最善のようだな」
 「いえ。そうとは言えません。現に彼らは、宝珠セフィラを強奪しようと企みました。例え彼女たちを引き渡したとしても、星の船は我々のあらゆる宝を奪い去っていく事でしょう。……ここで屈しては、両国の歴史に大いなる汚点を残す事となります」
 女王の言葉を聞くと、王は髭を撫で、ため息をついた。
 「……では、どうする。そちらに何か、策があるとでも言うのか?」
 「件の戦場においてシーハーツ軍の用いた、サンダーアロー。二台は破壊されましたが、まだ一つ無事です。それを貴国のエアードラゴンの背に乗せ、星の船へと接近し、攻撃を加えます」

 女王が提案した作戦は、道すがら、皆の話し合いにより出たものだった。

 例えサンダーアローといえども、バンデーンの攻撃艦を撃墜することは不可能である。しかし、無視できるほどの威力でもない。サンダーアローに注意を向けさせ、その間にディプロへとマリアが戻り、アルティネイションを用いた主砲によって攻撃する。
 レナスのディストラクションに期待することが出来ない以上、それしか策は無かった。
 勿論……“見捨てれば”、話はもっと簡単に済むのだが…。

 「しかし、そのような巨大な兵器を乗せるドラゴンなど、我が軍には存在しない。加えて、あれほどの高所となると…」
 「ウルザに住まう伝説の侯爵級ドラゴン……」
 「そう、マーカス級の…。だがな……」
 あの生ける神とも呼ばれる存在が、そう簡単に、己の背を格下の人間に貸すわけがない。あまりにもささやかな希望でしかなかった。
 しかし現在は、どんな無茶であろうとも、試してみる価値を持つ時である。

 「………」

 王の脳裏に浮かぶのは、現在地下牢に囚われたままの、一人の剣士。

 (……そうだな……あいつがいたか…)

 しかし、どうだろう。
 彼の父を殺した存在に、彼をぶつけるという策は。
 起死回生の奇策となり得るか、それとも……。

 「……わかった」

 王の言葉に、女王は穏やかに頷いた。





 二国の会合は、ネルが予想していたよりも遙かにスムーズに、滞りなく進行した。彼女としては、話が拗れ、或いは刃傷沙汰になる事も覚悟していた。
 アーリグリフはシーハーツ側の提案を全面的に受け入れ、ウルザ溶岩洞に棲む侯爵級ドラゴン・クロセルとの交渉に、アルベル・ノックスをつける事を約束した。
 アーリグリフ王たちは既に帰国の途につき、シーハーツ側もペターニにおいて、女王一行とレナスたち一行に別れ、女王はそのままシランドへ、レナスたちは早速南下し、アリアスの村へと到達した。

 「……なんだよ、おい」

 呆れたような声を出したのは、アレックス。日が落ち、月でも見ながら一杯やろうかと外に出れば、木造のベンチにフェイトが腰掛けていた。
 勿論、それだけでは驚きも呆れもしない。問題は、あれほど豊満だった彼の胸の膨らみが、すっかりぺったんこになっている事である。
 「お前、ひょっとしてさぁ……男に戻れんの?」
 「いや…。男と女、どっちにもなれるようになった」
 「……畜生、お前……また武器手に入れやがって…」
 フェイトの危険度がさらに増した感じだ。マリアの能力がきっかけなのだろうが、彼女も何とも余計な事をしてくれたものだ。これから先、いったいどれ程の純情男子が、その毒牙の餌食となるのだろう。
 「はい」
 「あ?」
 杯を手渡され、アレックスはそれを掲げるようにして、しげしげと見てみる。美麗な装飾が施された、なかなかに値打ちものの杯だ。
 「何だ、これ…」
 「ラッセルから借りた。もし会談が拗れたら、これをアーリグリフに渡そうかと思ってね」
 「いや、借り物だろ?」
 「うん」
 「………」
 アレックスは再び呆れると、フェイトの隣に腰を下ろした。
 「カミングアウトしねぇの? もう男に戻れるって…」
 「いや、ちょっと考えたい事があってね。もうしばらく、女でいる」
 どうやら、自分が酒盛りをすることは見透かされていたらしい。フェイトももう一つの杯を手にすると、アレックスに注ぐよう要求した。
 二人とも一息に飲み干し、再び杯が満たされる。
 「……なぁ、フェイト」
 「何?」
 「どう思う? レナスちゃん……」
 「うん、いい娘だね」
 「違くて。……使い物になんのか? レナスちゃんだけじゃねぇ、クリフ、ネル、マリア、ミラージュ……どう考えたって、『天啓』より見劣りすんぞ。お前の言う“ディストラクション”ってのも、確かに大した威力だったが、実際に使えるとは思えねぇ」

 そもそも、紋章遺伝子改造されたレナスやマリアはともかく、他のネル、クリフ、ミラージュ……彼らを、フェイトがこんなにも気にかけている理由が、アレックスにはわからない。彼らがいなくとも、『天啓』の四天王が揃えば、十二分の戦力になるはずだ。

 「お前に言われた通り……ベクレル鉱山では、モンスター召喚しまくってやった。ばれたら俺が殺されるだろうな。けど、強くさせる意味が分からねぇ。さっさとレナスとマリアかっぱらって、魅了なりなんなりして、『天啓』総出でクソ神をぶっ殺しに行けばいいじゃねぇか」
 「それはだめ」
 「何でだよ?」
 聞き返した瞬間、フェイトは弾かれたように立ち上がると、両手を左右に広げた。そして顎を上げ、顔を月に向ける。



 我、正義にあらず

 我は卑しき執念、薄紫色の嫉妬なり

 されど我、卑劣にして臆病にして陰険にしてなお、在り

 我、“一千の瞳”という名の、八百九十二の足痕を落とす

 神の死を願う者よ

 四つの天使は、汝の両手両足なり

 我が足痕を辿り、神の社へと踏み込むべし

 汝、千の雷に討たれ、万の光に穿たるる

 すなわち、汝の死なり

 されど汝、我が息子我が娘たらんと欲さば

 手に炎を持つべし 我、その命を嗅ぐ

 聖歌を纏うべし 我、その詞を聞く

 願うべし 我、その憎悪を祝福す




 フェイトは両手をおろし、アレックスを振り向いた。
 「……“ガイアの日記”か…。それがどうした?」
 「さぁね。でも、ネルさんも……クリフもミラージュさんも、大切な仲間なんだ。だから、そんな事は言わないで。ね?」
 「分かったよ」
 微笑み、軽く頷くと、フェイトは屋敷の中へと戻っていく。
 一人残ったアレックスは、彼がさっきまで眺めていた月を見、酒を飲み干した。

 (……案外……簡単な理由なのかもな…)

 そう言えば……。
 飲酒をしたというのに、フェイトは豹変しなかった。これは以前では、考えられない事である。

 (ストレス……ねぇ…)

 ちょうど、発散したばかりだから…と言うことだろうか。

 (本当に、それだけか…?)

 その時ふと、背後に気配を感じる。ちらりと首を回すと、ネルの両足が見えた。
 「よう。お前も一杯……」

 次の瞬間、ベンチがまっぷたつに割れた。

 「んなっ…何だぁ!?」
 「いつかは……やるとは思ってたよ……アンタなら!!」
 「何なんだよ、いったい!?」
 杯と瓶を抱え、右往左往するアレックスだが、ネルは構わず短刀を引き抜く。
 「とぼけんじゃないよ……その持ってるもの!」
 「あ? これ?」
 「何であんたが、国宝で酒盛りしてんだい!!」
 「……こくほぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!?」
 「死刑」

 「フェイトぉぉぉぉぉぉぉぉぉほふらべぁっ!!!」

 それが、アレックスの断末魔となった。





 がくんっ……

 恐らく石でも弾いたのだろう、馬車が大きく揺れる。
 大きく左右に振られたレナスの頭が、フェイトの胸に埋まった。すぐに離れるかと思いきや、レナスはそのままじっとしてる。そのまま和む彼女に、マリアが声をかけた。
 「……レナス…」
 「だって……寝不足なんですよぉ…。昨日の夜、何か変な鳴き声がしましたし…」
 フェイトの胸に頬を押しつけ、レナスはほぅとため息をついた。包帯だらけの体を馬車の隅に縮こませるアレックスは、ぶつぶつと何か、呪詛のようなものを唱えている。
 「あーあ……あったかい…。体は寒いのに、ほっぺたふわふわぽっかぽか……」
 「あぁん、感じちゃうぅぅぅ……」
 フェイトの猫なで声がよほど癪に障ったのか、ネルは荒々しく立ち上がった。
 「ほらっ、到着!! さっさと降りる! さぁ!!」
 渋々馬車から降りたレナスは、身を切るような寒風に震え上がる。
 久しく忘れていたが、そう言えばこの国は、こんな風が吹くのだ。
 アーリグリフ城下町の門をくぐった一行は、兵士に案内されるまま、アーリグリフ城へと入る。
 「……こんな堂々と入城する日が来るとはね…」
 隠密のネルが、何やら感慨深げに呟いた。

 施術兵器を空中へ運ぶため、侯爵級ドラゴン・クロセルの力を借りなければならないわけだが、その棲み家までは、ベクレル山道からバール山脈へ入り、バール山洞、バール遺跡を抜け、その奥のウルザ溶岩洞の更に最深部まで行かなければならない。
 はっきり言って非常に面倒であるが、仕方がない。
 そして、アーリグリフで最もその周辺の地形を熟知しているのが、アルベル・ノックス。アーリグリフ側からの協力者は、彼一人だった。バンデーンの攻撃艦からの被害は、シーハーツよりもアーリグリフの方が大きいため、仕方のないことである。だが、お世辞にも社交的と言えない“歪のアルベル”が、素直に言う事を聞いてくれるだろうか?

 「……ってわけで、頼むよ。フェイ…」
 「あー、寒ぃぃ…。でもたゆんたゆん……」
 「あん、そこはらめぇ…」
 「いつまでやってんだい、アンタ等!!」





 解錠の音がして、ドアが開き、光が入る。がらがらと台車を押しながら、ソルムが入ってきた。
 四肢を石壁に固定された男は、すっと目を開く。
 「………」
 「やっほ。アルベル。元気ぃ?」
 「………」
 「な訳ないですよね、ごめんごめん。ほら、今日の昼ご飯は何と……じゃじゃーんっ、シチューどぅえっすぅ」
 「………」
 ソルムの空回りのハイテンションに付き合うつもりは無いらしく、アルベルは黙ったまま口を開ける。ソルムはシチューの皿を手に取り、匙で掬うと、それを彼の口へと運んだ。
 「ほーら、おじいちゃん。ご飯ですよー…」

 がじんっ

 「………」
 匙を噛み砕き、ぎろりと睨むアルベル。ソルムは冗談冗談と言いながら、予備の匙を手にすると、今度はちゃんとアルベルに食べさせた。
 「どう? 美味しい?」
 「………」
 「ねぇってばぁ…」
 「美味い、だから黙れ」
 「よかったぁ」
 別にお前が作ったわけじゃない、と、アルベルは心で思っても口に出さない。この地下牢に入れられて数日、いい加減、冷やかし混じりの補佐官の来訪にはうんざりしていた。口を開けば山彦のように声が帰ってくるので、なるべく喋らないようにしている。
 「何たって、秘密の隠し味入りだからねぇ…。知りたい?」
 アルベルは無言で口を開き、シチューを頬張る。
 「知りたい? ねぇ、知りたい?」
 「……言えよ…」
 その一言が、アルベルのせめてもの優しさである。ソルムは笑顔になると、匙を動かし、アルベルの口にまたシチューを流し込んだ。

 「あのね、僕の鼻水」





 「わー、懐かしい。ほらほら、マリア。ここで、私たちが捕まってたんだよ?」
 「……そんな、思い出の場所みたいに語られても…」
 「あー、何だか優越感! そうだよね、檻の外って、こんなにも自由なんだね!!」

 寒さで頭がイッてしまったのか、レナスはくるくると回転する。周囲の牢獄から冷たい視線が突き刺さるが、意識的にシャットアウトしているようだ。

 「街で買い物も出来ちゃうしぃ、食べたいものが食べられるしぃ、暖かい暖炉を独り占めも出来るしぃ……自由って素晴らしい!ですよね、フェイトさん!?」
 「そうだね。出入り自由だもんね」

 アホが二人に増えたと、ネルは頭痛を覚える。レナスもフェイトも、勿論シーハーツの人間ではないが、なんだか自分が国辱を晒しているように思えて仕方がない。

 「あ! そう言えばフェイトさん、私、肉まんを買ったんです! 食べません?」
 「あ、いいね。いただきます」
 「あーっ、おいしい! ほっかほか!」
 「ほんとほんと、体の芯から温まるよね」

 いくつかの独房から、泣き声が聞こえてきた。

 「……ある意味、最強の拷問官だな。あの二人…」

 流石に囚人たちが気の毒に思えてきたらしく、クリフは耳をふさぐ真似をする。

 「ほらほら、フェイトさん! 私、つかまっちゃいました!! 罪状は、“幸せすぎ”!!」

 壁に掛けてある拘束具で遊ぶレナス。

 「僕もつかまっちゃった!! 罪状、“フリーダム”!!」

 空いている檻の中に入り、鉄格子をガタガタ揺らすフェイト。
 ネルは無言で扉を閉め、施錠した。

 「あれ!? ちょっと、ネルさん!? ネルさーん!!」

 囚人となったフェイトを完全に無視し、一行は地下牢の最深部に到達する。案内の牢番は、鍵を取り出した。
 「ここが、アルベル様の…」
 「私があけまーす!」
 牢番から鍵を奪い、相変わらずテンションの高いレナスが鍵穴に挿入する。



 「冗談に決まってるじゃん、まったくもう…」
 「テメェならやりかねねぇんだよ! このクソ虫が!!」
 「あーあ、もう。こんなにこぼしちゃって……」



 「とりっく・おあ・とりーとっ!」
 少女は元気いっぱいに扉を開け、突撃した。

 「………」
 「………」
 「………」

 そしてレナスは、速やかに牢内の光景をチェックする。
 手足を壁に拘束された男。
 その男の前に跪き、布で下半身をぬぐっている男。彼の顔には、湯気が出る白いドロッとしたものが、大量に浴びせられている。

 「………ごゆるりと…」

 レナスは正座し、両手で扉を閉めた。

 「ちょっとレナス? 何閉めてんだい?」
 「ベーーコンッッ、レタァァァァァス!!」
 「は?」
 「へーぇ、なるほど。そんな事が…」
 「フェイトぉぉ!? お前どうやって脱出したぁぁ!?」
 「フリーダムすぎて」
 「訳わかんねぇよ!!」




 「………ソルム…」
 「何?」
 「責任取れ」
 「……。結婚しよう、アルベル」
 「死ね」



[367] 30
Name: nameless◆139e4b06 ID:68c26b6a
Date: 2008/06/07 23:49
 「……大丈夫かな、ネルさん…」
 「まぁ、暗殺とかならネルに分があるんだろうが……真正面から、は…なぁ…」

 レナスとクリフはそんな会話を交わしながら、眼下の闘技場を見た。
 そこに立っているのは、ネル、そして……『漆黒』副団長、ソルム・モールス。




 ソルム・モールスに勝つ事

 それが、アルベルが出した協力の条件だった。




 「……ああっ!!」

 壁につながれるアルベルをしばらく見ていたレナスだったが、突然思い出したように声を上げ、人差し指を突き出した。
 「この前の露出狂!!」
 「黙れ」
 アルベルは歯を剥き出しにし、低い声で言う。レナスを制しつつ、ネルは囚われの男の前に立った。
 「まぁ……今話した通りさ。不本意ながら、アンタに力を借りることになった」
 「待て。俺がいつ、テメェらの手助けをすると言った? 勝手に進めてんじゃねぇよ」
 「アタシだって、あんたみたいなのと一緒なんざごめんさ。国に関わることだから、仕方なく迎えに来てやってんだ」

 案の定、話はこじれる。じりじりと焦げ付くような怒りを抱くネルだったが、意外なことに、フェイトが動いた。

 「ほら、アルベルくん。協力してよぉ…。今ならなんと! このロケットパンチをプレゼント! 後継者となれるのは、君しかいない!」
 「……なんだそりゃ。いるか、そんなもん」
 「そんなもんだとぉぉぉぉ!? こここ…このイカレポンチめが! こうなったら身ぐるみ剥いで、おもっきしセクスィーな写真をアーリグリフ中にばらまき、二度とお天道様の下を歩けないように…!」
 「ちょっと、落ち着きな! 余計こじれるじゃないか!」
 「こじれるこじれないの話じゃねぇんだよ、クソ女。あり得ねぇ、っつってんだ。足手まといだ」
 「はぁ!?」
 ただでさえ我慢してきたというのに、ここにきてついにネルの自制が切れた。声を荒げる彼女を、一瞬で冷静になっていたフェイトが止める。
 「まぁいいじゃないですか、ネルさん。どうせ役に立ちませんし、こんな弱っちいの」
 「……ぁあ…?!」
 「代わりに、ほら、ファリンさんとタイネーブさんを、ね? 少なくともアルベルなんかより、ずっとマシですって」

 その途端、ソルムはアルベルの変化を感じ取る。

 アルベルは、笑っていた。顔を伏せ、唇を歪ませ、肩を震わせて。
 そう、あの笑顔だ。初陣の時の笑顔だ。戦の時の笑顔だ。敵を見つけた時の笑顔だ。自分に傷を付ける相手に出会った時の笑顔だ。
 ただ、中傷されての怒りではない。彼は、アルベルは、この青髪の女を、敵と認めたのだ。ネル・ゼルファーではなく、この女を。

 今度はアルベルが、ソルムの変化に気付いた。

 口を真一文字に結び、一言も発せず、普段は開けているのか閉じているのかよく分からない目が、はっきりと開いている。その表情は、まるで氷で出来た獣のようだ。
 そう、あの顔だ。裏切り者を見つけた時の顔。一騎打ちを邪魔された時の顔。飯を横取りされた時の顔。戦わずして相手が逃げた時の顔。

 「……ところで……ゲームはどうだ?」

 アルベルは凶悪な笑顔のまま、そう告げた。







 アルベルが言うゲームとは、要するに殺害一歩手前の、真剣勝負だった。何を暢気な、と抗議しようとするネルだったが、両国のためにもアルベルの同行が必要不可欠である以上、いたずらに駄々をこねさせるよりは、遙かにましな提案であると思い、自らが受けて立った。アルベルは一応未だ囚人であるので、ソルム・モールスが代役に指名される。

 そうして皆の見回る中、闘技場での勝負が始まった。

 開始の鐘と共に、ネルは小太刀を抜いて構え、ソルムは両手を胸の前で交差させ、背負った二刀をそれぞれ引き抜く。そして更に、その手を下ろし、手にした刀の柄頭と、下方に背負う刀の柄頭とをぶつける。金属音と共に接合され、両手を正面に持ってきた時には、二組の双身刀が握られていた。
 慎重に出方を窺うネルに対し、彼はふらふらと、さながら泥酔者のように体を揺らしつつ、鼻歌を歌い始める。
 ソルム・モールスに関するデータは、ほとんど無い。本気を出しているのかいないのか、常に曖昧。ひとかどの豪傑を討ち取ったかと思えば、それより明らかに劣る格下相手に苦戦もする。
 たんっ、と、軽やかな跳躍。そして、さながら己がひとつの武器であるかのように、全身の力を込めて刀を振り下ろしてくる。ネルは右にかわし、そして気付いた。
 (……こりゃ…また……)
 明らかなるチャンス。一気に勝負を決めるつもりだったのか、攻撃行動を終えたソルムの無防備な背が、自分の目の前に存在した。躊躇はない。軽く気絶させるつもりで、短刀の柄頭を、その項に叩き付ける。

 しかし。その手が、空を切った。

 「……え……」

 思わず、声が漏れる。
 完全に死角だった。ソルムは別に背に目を持つ怪物ではなく、ただの人間なのだ。

 「はい。おしまい」

 首筋には、冷たい刃。振り向きもせずにしゃがみ込んだソルムは、何の熱も籠もっていない視線でネルを見ている。
 「え…?」
 ソルムは刃を引き、すたすたとネルから離れていく。
 顔を伏せ、嘲笑を漏らすアルベルだが、レナス達にも意味が分からなかった。勿論ネルの強さは知っている。しかし、そのネルをここまで軽くいなす存在が、目の前にいることが、何か夢物語のように感じられていた。
 負けた。敗北した。
 ネルは膝をつき、短刀を地面に突き立てる。
 何も出来なく、一方的とすら言えない。文字通りの、瞬殺。その衝撃が全身を駆けめぐり、彼女から気力を奪い……。しかし、ネルが完全に折れることはなかった。レナスの隣に立つ“彼”が、明るく発した言葉によって。

 「どんまいどんまいっ、まだ三本勝負の一本ですから!」

 ソルムの足が滑り、彼は盛大に地面に倒れ伏した。
 「おい……女。何言ってやがる…」
 水を差されたという顔で、アルベルはフェイトを睨み付ける。しかしそれを意に介さず、フェイトはレナスの方を向いた。
 「さて。ここで問題です。何故、ネルさんは負けたんでしょーか!?」
 「え…?」
 「あんなに強いネルさんが、あんなに簡単に負けるはずがありません。さてっ、何故!?」
 「え…えっと……?」
 「ぶっぶー。はい、時間切れ」
 「速っ!!」
 「答えは……応援がなかったから!!」
 「………はぁっ!?」






 闘技場に、アレックスの姿はない。彼は一人、通信機の機能をONにしたまま、人気のない城内の廊下を歩き回っていた。
 「だからよぉ、こっちはこっちで大変なんだ。俺一人であいつのおもりだぞ? 今だって、本当なら忙しいんだ。定時連絡なんか無理に決まってるだろうが、無理無理」
 『誰も定時に、とは言ってないわ。定期的にと言ってるだけよ』
 星の彼方で、デスクについているであろうイセリアは、まるで出来の悪い子供に諭すように言う。
 「えーっと、取り敢えず報告だ。フェイトが女になった」
 『…………は?』
 「デストラクションと…何だっけ、アルティネイションだ。それが暴走したっぽくて。おまけに、性転換が自由自在になりやがった。色々と問題だぞ、これ」
 『いえ……かえっていいかもね。あの人のためには』
 「何で? 俺はイヤだぞ、どろどろ愛憎劇の天啓なんて。脱けさせてもらうからな」
 『そうじゃなくて。“ガイア”と考え合わせた時のことを言ってるの』
 「ガイアか。あれだろ、ガイア・サウザンドアイズ。“千理眼のガイア”の遺産。それがどうしたって?」
 『“汝、我が息子我が娘たらんと欲すなら”。ガイアの日記の一節に、そうあるわ』
 「……これであいつは、息子であり娘でもあるってことか?」
 アレックスは苦笑しつつ首を振るが、イセリアは大真面目だった。
 『とにかく、後少しで全ての“ガイアの瞳”が揃うわ』
 「けどよぉ。あいつ、ここの人間にいくつか埋め込んでるぜ。それはいつ回収するんだ?」
 『それを、あなたが心配する必要はない。あなたはただ、団長に従っていればいいの』
 「……言うじゃねぇか。こっちもはっきり言うが、お前は好きにはなれねぇな」
 『それは重畳。では』
 舌打ちし、アレックスは通信機を切る。ちょうどその時、扉が開き、慌てた様子のレナスが飛び出してきた。
 「あっ、ここにいた!」
 「よう。どうだったんだ、ネルは?」
 「負けました!」
 「ありゃ!?」
 「だから、早く来てください! 応援です!」
 「……は?」






 アレックスが闘技場に戻ると、クリフがトランペットのような楽器を手にして、しきりに首を傾げていた。
 「……おい。何してんだ?」
 「いや、あいつが…」
 フェイトは、今度はラッパのような楽器を放り投げる。慌てて受け止めるアレックスだが、何が何なのかさっぱり分からない。マリアはシンバルを持たされ、レナスも太鼓を渡されていた。
 どうやら、アーリグリフ城の倉庫から引っ張り出してきた楽器らしい。
 「……あのー…質問があるんですが…」
 「黙れアレックス。……さて、これで完成!」
 フェイトは手を叩くと、眼下で呆然としているネルに笑いかけた。
 「ネルさん、もう大丈夫ですよぉ。僕たち“ネル・ゼルファーを応援し隊”! 略して“N”!! さあ、がんばってください!」
 「省略するにも程があるぞ」
 「ってゆーかおいっ、こんなもん使ったことねぇぞ! 俺は楽器よりもむしろ、女を鳴かすタイプ…」
 アレックスの鳩尾に拳を打ち込み、フェイトは静かに首を振った。
 「技術じゃない…重要なのは、ソウルなんだ! ありったけの魂を込めて! 大丈夫、僕のハニーボイスが全てをまとめる!」
 「ハニーボイスとな!? まぁいいや、とにかく音出してればいいんだろ?」
 「全く…何で私がこんな…」
 「いいからいいからー。フェイトさんを信じてー」
 皆、それぞれ愚痴りながらも、手渡された楽器を構える。
 「よし。こっちは準備完了。じゃあネルさん! ここから二連勝しちゃいましょう!」
 一体、何をどう考えればそんな結論が出せるのか。
 絶望的なまでの力の差を見せつけられたというのに、フェイトは屈託のない笑顔で手を振っている。確かに、今まで何度も信じられないものを見てきた。しかし今回ばかりは、戦うのは自分であり、フェイトは手を出さない。
 ネルは溜息と共に俯いた。
 そして彼女が顔を上げた時、ソルムはイヤな予感を覚える。
 先ほどの戦いで、自分はネル・ゼルファーを、勝利の予感から敗北の現実へと叩き落とした。もう“コイツには逆立ちしたってかなわない”という意識を植え付け、優位を確立させたはずだ。
 しかし、この表情は違う。それらに完全に区切りをつけ、何というか、活力のある顔なのだ。
 (全ては……あいつが……)
 のんびりとこちらを眺めている、短い青髪の女。あの女の言葉こそが、この表情を呼び覚ましたのだ。
 ひょっとしてあの女は、自分の術理に気付いたのか。しかしどちらにせよ、あんな楽器ごときで破られるものではないが。
 (……でも…何だか、帰って寝たい気分だな……)
 フェイトは指揮棒をくるくる振り回しながら、皆に演奏を命じた。
 従わなければ、きっと指揮棒を突っ込まれる。どこに、とは言わないが。確かな予感がしたのか、アレックス達は肺腑の奥から絞り出すようにして、楽器に息を吹き込んだ。

 惨状だった。

 全ての音が不協和音を奏で、歌声でまとめると言ったフェイトも、そんな言葉は既に忘却の彼方らしく、皆に更なる音量をと示す。
 頭上で鳴り響く、楽器達の断末魔はほとんど気にせず、ネルは再び短刀を構えた。
 ソルムも得物を持ち上げ、ふらふらと漂い始める。
 そして彼は、自らの迂闊さを悟った。
 あの青髪が楽器を所望した時、阻止すべきだったのだ、何としても。楽器の音程度で、という考えは、あまりにも浅はか過ぎた。真の狙いは、楽器の不協演奏を隠れ蓑にした、あの青髪の…。

 (……あーあ……もう……)

 先ほどとは、全く正反対の光景だった。
 ネルが止めた短刀の先には、ソルムの喉。既に懐に入り込まれたソルムには、そこから次に出す手が存在しない。
 彼の恨みがましい視線の先では、フェイトが素知らぬ顔で微笑んでいた。




 「つまり、催眠術みたいなもんだよ」
 訝しむ皆に、フェイトはそう説明を始めた。
 「鼻歌や口笛や足音、そのテンポなどで、相手を強引に自分の作ったリズムに引きずり込む。攻撃のタイミングまで、無意識のうちに誘導されちゃってたんだよねぇ」
 「ほうほう。それを、俺らの演奏で邪魔したと…」
 「はっはっは。演奏はぜんぜん関係ないよ」
 笑顔で切り捨てられ、アレックスは得意げな顔のまま凍り付く。
 「あんな演奏程度で、防げるものじゃないよ。あーゆー類の術は、僕にも出来ないわけじゃないからね。ソルムの術を邪魔した上で、更にソルムを誘導してやった。だからさっきとは逆に、ネルさんが易々と圧倒したのさ」
 「あの……フェイトさん…」
 「ん? 何?」
 「それって、一対一に手を出したことになるんじゃ…」
 「バレるわけないから、いいの。証明しようもないしね」
 確かに、証拠などあるはずもない。
 「しっかし、怖い術だな。そんなの、初対面とかだったらほぼ無敵じゃねぇか」
 「うん。でもまぁ、アルベルみたいな、自我が強すぎて、傍若無人で、超絶自分勝手な人間には効かないみたいだね」
 皆の視線がフェイトに集まった。
 「……何?」
 「「「「いや別に」」」」



 ソルムの得物が、再び四本の刀に分解され、元通りに鞘に納められた。
 「アルベルぅ。もう駄目、降参降参。バレちゃったら、もう駄目だ」
 「ふざけんな! 根性出しやがれテメェ!!」
 怒鳴るアルベルだったが、カチャカチャと音がして、自分の拘束が解かれたことに気付いた。振り向くと、鍵を持ったウォルターが立っている。
 「お主の出した条件じゃ。さっさと行け」
 「クソじじい…! ふざけんなっ、このっ」
 スィと近づき、ウォルターはアルベルに耳打ちする。そして踵を返すと、静かにその場から消えていった。
 口を閉ざすアルベルの視線の先には、ネルに手を振る、青髪の女があった。



 ともかく、アルベルの同行という目的を果たすことが出来たネルは、ようやく胸をなで下ろせる。
 王都を出て、疾風のドラゴンでベクレル鉱山まで運んで貰うのだが、その間もネルの予想に反して、アルベルは大人しくしていた。

 「わー、サラマンダーよりはやーい」
 「サラマンダー? そんな名前の乗り物、あったかしら…。エアビーグル…?」
 「マリア……君は何も知らないんだね……」
 「ちょっと何なのよ、その言い方」
 「それでもスクウェ…げふんげふんっ」

 寧ろ、うるさいのはフェイトだった。

 ベクレル山道からバール山脈に入ると、そこはもう、ドラゴンたちの巣窟である。無言のまま歩くアルベルに続き、皆は更に奥地へと進んでいく。

 「なるほど。この竜の共鳴腔を加工して、竜骨笛を作ればいいのか」
 「そして完成品がちょうどここに……」
 「持ってんのかよ! 今までの苦労は!?」
 「はっはっは。レベル上げレベル上げ」

 バール遺跡を抜け、ウルザ溶岩洞に入り、いよいよ最深部へと辿り着こうという時になっても……アルベルは大人しい。
 流石にネルも、警戒と言うより心配になってきた。ただ喋らないだけなら、どうということはない。しかしただ黙々と、からくり人形のように同行するアルベルには、どうしても違和感を感じざるを得ない。
 そんなことを考えていると、不意に彼は、皆を両手で制した。
 「……こっからは、罠だらけだ。気を付けろ」

 そう、アルベルはここに来たことがある。それも一度ではない。
 だから、罠の場所も知っていた。

 「………」

 どこを歩けばいいのか。
 どこを歩かなければいいのか。

 ネルが気づいた時には、既に遅かった。
 フェイトとアルベルが接近し、そして皆からの距離が離れた時。

 「あら?」

 フェイトは小首をかしげた姿勢のまま、下へと落下する。隣のアルベルとともに。
 レナスが叫び、一番近いネルが手を伸ばそうとするが、突如として飛びかかってきた刃に阻まれる。刃の主は、落下中のアルベル。
 ようやく彼の狙いを悟ったネルの目の前で、二人は漆黒の闇へと沈んでいった。






 どこだろう。篝火があるが、それでも壁が見えない。相当に広い場所に出たらしい。
 アルベルの姿があった。

 「お前が……フェイト……なのか?」

 青髪の女は、腰と唇にそれぞれ手を当て、じっとアルベルを見つめる。アルベルは目をそらさない。
 彼女はそっと歩を進め、篝火の向こう側に回った。
 「ふーん。よく分かったね?」
 そして、篝火を超えた時……そこには、あの姿があった。

 青空の色の頭髪。
 濃緑の瞳。

 そうだ、あの男だ。

 「女に化けられるのか? どういうからくりだ?」
 「そんなこと確かめるために、わざわざ二人っきりになったの? ……はっ、まさか! 狙いは、この僕の美しい肉体!?」
 戯れ言に応じず、アルベルは腰の刀を引き抜いた。自分の体を守るように抱いていたフェイトは、小首をかしげてみせる。

 「そんなに……遠いはずがない……」

 アルベルは目を閉じ、呟く。

 「人間同士……そんなに、遠いはずがねぇ」
 「いや、すっごく遠いよ。何しろ僕は、ものすごいヤツだからね」
 呟きは聞かれていた。フェイトは微笑みながら、両手を広げる。
 「ちょっとちょっと。ファリンさん、タイネーブさんに負けた分際で、何考えてんの? せめて毒を盛るとかさぁ……」

 フェイトがやれやれと首を振った瞬間、一歩で間合いを詰めるアルベル。

 シュドッ……

 目を閉じ、呆れた表情を浮かべた首が、胴体と別れて宙を舞った。



[367] 31
Name: nameless◆139e4b06 ID:68c26b6a
Date: 2008/07/31 22:05
 「アレックスからの報告があったわ」
 所謂“四天王”が集う、紋章生理学研究所の最高機密保管室。フレイ、イセリア、ハヤト、ミリアムの他には、所長のエルファネラル・ラフテリアしかいない。十数本並べられた大カプセルだが、既に一本を除いては、空っぽになっていた。
 「バンデーン鑑の空襲を受けた際、一つ使用されたそうよ」
 残り二つだった“命”の一つが転送された時、『天啓』の上層部は蜂の巣をつついたような騒ぎだった。同行人のアレックスからの報告もなく、フェイト本人からの連絡もない。
 フェイトの異常さを知り、彼の死などあり得ないと考えていた彼等にとって、短期間での“命二つ”の消費は、常を遙かに外れたものであった。
 もし再び彼が死ねば、残り一つの“命”が転送される。そして新しい“命”の完成を待たずして、フェイトが死ねば……。
 机に倒れ伏し、頭に両手を乗せるエルファネラルのカップには、手を付けられた様子がない。
 「無駄遣いが、すぎる……!!」
 彼女から、くぐもった声が聞こえた。
 文字通りの、命の無駄遣い。亀の甲羅を何度踏もうと、緑色のキノコを何個食べようと、決して“命”は増えはしない。作成には、純粋に、時間を必要とするものなのだ。
 「ねぇ、まだ出発出来ないの!?」
 フレイが怒鳴るような声を出すが、イセリアは首を振る。
 「現在、最大速度で発鑑準備中よ。これ以上の加速は、物理的に不可能ね」
 「気合いと根性で!」
 「やれるもんならやってみなさいな」
 「そんなに退屈ならば、鍛錬に励むべきであろう」
 重力装置付きのダンベルを振るハヤトに、フレイは鋭い目を向けた。
 「そんなのしなくても、私すっごく強いもん」
 「最大の敵は、己の慢心だ。日々の鍛錬の積み重ねこそ、力につながるのであって……」
 「黙ってろ、このレベル350以下が」

 ゴボリ

 不意に、そんな音が聞こえてきた。
 「……やーだ、ミリアムったら。くちゃーい」
 「失礼な! 違うわよ!」
 我関せずで突っ伏していたミリアムだが、フレイの言葉に反射的に飛び上がる。
 「じゃあイセリア?」
 「ふふふ、ひねり潰すわよこのクソ餓鬼め」
 しかし、ティーカップを巻き込みつつ床に転げ落ちたのは、エルファネラル。
 「何? どうかした?」
 彼女は眼鏡をかけ直すと、急いで背を起こす。そして引きつった顔で、カプセルを凝視した。
 大カプセルが全て、空になっている。
 その事態を認識するのに、皆、十数秒を要した。
 真っ先に動いたフレイがハヤトの足を踏んづけ、その拍子にハヤトが落下させたダンベルがフレイの頭に直撃する。エルファネラルが立ち上がろうとして白衣の裾を踏み、慌ててテーブルを掴んで第二の転倒を回避しようとする。跳ね上がったテーブルがミリアムの顎を直撃し、脳震盪を誘発する。フレイと同じく己のダンベルを脳天に受け、それでも辛うじて意識を引き戻そうとふらつくハヤトが、思わずイセリアの腰にしがみつく。イセリアの手刀と、脊髄反射で繰り出されたハヤトのアッパーが交差し、二人はダブルノックアウトを実現させる。

 研究所内の騒乱と、その後の静寂を余所に、鑑は相変わらずの速度で進んでいた。





 斬れるのは当たり前だ。
 斬れてこその刀。斬れるように作られているし、そう発展してきたのだから。
 斬れない斬れないと嘆いているのは、使い手の問題に他ならない。

 アルベルは血糊を払い落とし、そっと刀を鞘に納めた。
 そう、カルサアでのあれは幻覚だったのだ。錯覚だったのだ。
 大陸一の刀使いと呼ばれる自分と、そこまでの違いがあるものか。

 完全なまでの、殺害。

 今まで幾度感じただろうか。命の終焉が、その感触が、刃を伝い右腕を通り、この臓腑にまで染み込んでくるのを。そう、この完全なまでの、殺害の余韻を。

 「ぱいるだー・おん!!」

 しかし彼は、この男は、それすら嘲笑う。明確なる殺害すらを。

 突然フェイトの体は白光に包まれ、そして彼の両腕が、飛び上がった自分の生首をキャッチする。それを元通りに首につないだところで、白光は消えた。

 「……だから、言ったでしょ?」

 青髪を揺らしながら、一歩踏み出す。驚くほどに静かな一歩を。
 彼は身を以て示したのだ。自分がどれほどに、死というものから遠い場所にいるのかを。

 突然、ガラガラと音がした。しかしそれは、それこそがアルベルの錯覚。
 足下が崩れたのだ。何もかも失い、路頭に迷った者のように。己の全てを出し尽くして、敗北してしまった者のように。

 強いだけなら簡単だった。
 ただの自分を超える存在であれば、容易だった。

 しかし目の前にいる男は、この青髪の彼は、シェルビーを難なく殺した青年は、ヴォックスを子供の如くあしらった戦士は、自分に恐怖を抱かせた“それ”は。
 人間の、動物の、生命の底理を踏み越えたもの。
 悪魔に魂を売り渡しておきながら、その悪魔に貢がれる存在。
 自分の進む道と、未来永劫に交わることがない物体。

 アルベルの背に、何かが当たる。それは土の壁だった。

 殺されるのではない、敗北するのではない。
 鼻をかんだちり紙を、屑籠に投げ捨てるように。
 遊びあきた玩具を、何十年も日の光を見ないであろう、押入の奥に押し込むように。
 処理なのだ、彼にとっては。殺意もない。殺気もない。悲哀も歓喜も、罪悪も快楽も。星の数ほどの命を、無造作に処理してきたのだ。

 既に青髪の男などどこにもおらず、いつの間にか、青髪の女が立っていた。目の前に。

 「……ほら、元気出して……」

 フェイトはそっと両手をのばすと、アルベルの頬を慈しむように包んだ。そしてゆっくりと肘を曲げ、自分の顔に近づけてくる。

 「大丈夫。大丈夫。何も恐れることはないよ。君は強いから。僕が特別なだけなんだから」

 暗闇の奥から、唸り声が聞こえた。
 アルベルの瞳が動き、闇の奥を向く。フェイトは微笑み、彼から離れた。

 「そう言えば……アルベルのお父さん、ドラゴンにやられたんだったよね」

 何故知ってる?と問うことすら、馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 「きっとアルベルも、そうなっちゃうんだろうなぁ」





 道案内が消えた。しかし、後を追って奈落に入ることはせず、そのまま先へと前進することを選んだのは、アレックスだった。
 「本当に、先に行ってるの?」
 「ああ、あいつが死ぬのはあり得ねぇしな」
 後方のマリアの問いに、ひらひらと手を振って返す。
 元軍人であるが故なのか、アレックスはなかなか現実主義者である。しかしフェイトは死なないという彼の言葉は、まるでフィクションの台詞にも思えるのだ。
 「……流石の“天啓”団長も、死ぬ時は死ぬでしょ」
 「いいや、死なねぇ」
 「死ぬわよ」
 「死なねぇよ」
 それ以上続ける気力を失ったのか、マリアは溜息で言葉を切った。

 元テトラジェネス軍の英雄。フルブレイカーやアンブレイカブル・ブレイカーなど、随分と御大層な異名を持っているが、ここにいるアレックス・エルゼンライトはただのガンマン。戦闘機に乗ればその操縦術も拝めるのだろうが、少なくとも今は、彼がどうして“天啓”入り出来たのか疑問である。
 そう言えばあのフェイトは、現在休暇中だと言っていた。そしてその休暇中に唯一同行させていたのが、このアレックスである。わざわざ休みに付き合わせるということは、それだけ信頼している証なのか、そしてその信頼に見合うだけの力を持っているのか。

 「でもさぁ、何でだろ?」
 先頭を歩くレナスは、くるりと皆を振り向いた。
 「アルベルって、わざと落ちたんでしょ? フェイトさんを道連れにして」
 「さーな。案外、あいつの好みだったんじゃねぇの?」
 「えっ、うそ!? じゃあ今頃、あの陰惨なかぎ爪で、フェイトさんの豊満な乳房のラインを……」
 「乳房とか言うなよ。寧ろ、フェイトがいじめる側だろ?」
 カルサア修練場の時、アルベルの来訪を知っていたのはフェイトだけだった。
 「えっ、うそ!? じゃあ今頃、フェイトさんはあの豊満な乳房を、アルベルの背に押しつけて……」
 「何でそんな発想になんだよ!? っつーか乳房好きだな、お前!」
 そう言えば何で自分はレナスに同行しているのだろう。そうだ、リーダー命令だったと思い出し、クリフは自分の斜め後ろを歩くマリアに目を向けた。

 今でも、この地球人の少女を拾ったのが、つい先日のことのように思われる。クラウストロ人という、段違いの身体能力を有する種族たちに囲まれて育った彼女は、地球人にしては強靱な人間になってしまった。
 そのことについて、彼女自身はどう思っているのだろう。普通なら、恋をしたり買い物を楽しんだり、学校の友達と他愛もないアイドルや映画の話に花を咲かせる年頃なのだ。いや、正確にはそれらをほとんど体験しないまま、青春時代を終了させようとしている。
 これは、彼女のルーツに関わる事。孤児になる前、クォークに拾われる前には、彼女にも両親がいた。しかし、両親と自分との間に血のつながりがないと知った時、彼女は自らのルーツを失ってしまった。第二の養い親と言えるクリフとミラージュも、勿論マリアのルーツに関わりはない。
 彼女は自分のルーツ、存在意義を解明することこそ、自分の未来につながると思っている。
 その手掛かりとなるのが、ラインゴット博士。そしてここにいるのは、ラインゴット博士の娘。
 同じく紋章遺伝子改造を施された身でありながら、レナスは己のルーツを持っている。マリアが、実の娘を被験体にした両親をどう思うかと尋ねた時、彼女は答えた。
 「でもまぁ、何か理由があったんだろうし」と。
 レナスは己の力を、まるで苦にしてはいない。恐れてはいない。
 それは何故?

 (そう……あいつがいるから……)

 マリアは、軽く唇を噛んでいる自分に気づいた。
 そう、フェイトがいるから。信頼できる人物が、すぐ傍にいるから。
 シランド城会議室で、脳天気にも諸手を広げて、自分の能力を受け止めようとした男。絶対的強者の立場に立ち続ける者。

 「……ねぇ、レナス」
 「ぇう?」
 小首を傾げながら、レナスはマリアの方を向いた。
 「貴女、フェイトについてどう思ってる?」
 「大好き!!」
 まるで幼い娘が父親に言うかのように、瞳を輝かせ、彼女ははっきりと宣言する。ネルが呆れたような苦笑いを浮かべたが、すぐに彼女はマフラーに顔を埋めた。
 「そう」
 「うん! アレックスも、内心ではそうでしょ?」
 「いいや、あいつは酷いヤツだ。例えるなら、ネット初心者に“淫乱テ○ィベア”を検索させるクラスの!」
 「またまたぁ」
 「本当だって! 俺が“天啓”に入った頃の話してやろうか?」

 マリアとしても興味のある話題に移りそうだったが、彼女はもう、周囲の話を聞いてはいなかった。
 大好き!と答えたレナスの満開の笑顔が、脳裏に焼き付いてしまっている。
 ああ、彼女は、思い切り青春を楽しんでいるんだろうな。





 最奥部に辿り着いた時、ネルの視界に飛び込んできたのは、どこかから漏れ入る太陽の光と、ボロ雑巾のようになったアルベルと、近くの巨岩に腰掛けるフェイトだった。
 「や。遅かったね、みんな」
 後続のレナスやマリア達を見つけると、そう言いながら手を振る。
 「フェイトさんっ、やっぱり襲われちゃったんですか!? 操は大丈夫ですかっ、操は!!」
 「いやいや。アルベルの怪我の原因は、あっち」
 巨岩から飛び降り、皆の背後へと指を向ける。
 振り向いた時、最初、何か分からなかった。そこだけ岩盤の色が違う。
 しかしすぐに、それは岩盤ではなく、巨大な生物の体表であることが判明する。
 家屋よりも大きなドラゴンが、全ての生物の頂点に立つ存在が、その王者の眼で、こちらをじっと見下していた。
 「我ガ名ハ……くろせる」
 「えっ、クロセル? じゃ、じゃあこれが、サーカス級の!?」
 「マーカス級ドラゴンね」
 人間たちの会話など、クロセルにとっては蟻の雑言にも等しい。しかしその右腕には、先ほどその蟻によって付けられたばかりの太刀傷が、まだうっすらと残っていた。
 「ソノ小サキ者トノ契約ニヨリ、一時ノ間、我ガ力ヲ行使スルコトヲ認メヨウ」
 「それって……」
 ネルがフェイトを振り向くと、彼はそっと頷く。
 「説得はもう、アルベルがやってくれたよ。さてこれで、一矢報いるくらいは出来るかな」
 洞窟の天井から、わずかに青空が覗いている。
 それを見つめるフェイトの視線が、いったいどこまで遠くを指しているのか、ネルには分からなかった。





        <ラバナス>がログインしました

 <ラバナス>よっ
 <弁天>  おー、来た来た
 <ジェイク>お久しぶり
 <ラバナス>どーよ最近
 <弁天>  ぶっちゃけ、ツマンネ。もうクエやりつくしたし
 <ラバナス>ですよねー

        <ナックル>がログインしました

 <ナックル>うーっす。徹夜明けっす。眠いっす
 <ラバナス>じゃあ来んなよwww
 <ナックル>いやいや。もう習慣だから。これでもES時代からの古株よ?

        <ピーチX>がログインしました

 <ピーチX>どもー
 <ラバナス>姫キター!!!!!!!!!!!!!!
 <ナックル>爪の垢をくだされぇぇ!!!!!!!!!!
 <ジェイク>まずはうp
 <ピーチX>wwwwwwwww
 <弁天>  さすがホリデー、接続率パネェwww
 <ピーチX>皆さん見ました?
 <ラバナス>何を?
 <ピーチX>ス社の告知です。今度、イベントがあるそうですよ
 <弁天>  えー。でもあそこ結構いい加減じゃん
 <ナックル>ESも特にケアなかったし
 <ラバナス>またその話題っすかwww
 <ジェイク>あれはショックだったなー、俺のアレックスが・・・
 <ピーチX>まだ日時は未定ですけど、名前は発表されてましたよ
 <ラバナス>なんて?
 <ピーチX>ラグナロクだそうです
 <ジェイク>安易wwwwwwwwwwwwwwww
 <ラバナス>地雷のおかんwwwwwww
 <弁天>  もう“十賢者”みたいなクォリティは夢だろうな
 <ピーチX>噂なんですけど、ESとリンクするとか
 <ラバナス>mjdぇぇぇぇぇぇ!?
 <ピーチX>噂ですってヴァ
 <弁天>  期待する?
 <ジェイク>したい
 <ナックル>したーい
 <ラバナス>死体
 <弁天>  後ろ向き卓wwwww
 <ラバナス>ってゆーか、結構現実味が
 <ナックル>すげぇwwwwスレの嵐wwwww
 <ジェイク>えっ、マジなの? ねぇマジなの?
 <ピーチX>まあ、今後のス社に期待ということで



[367] 32
Name: nameless◆139e4b06 ID:68c26b6a
Date: 2008/08/31 23:43
 重傷を負ったアルベル・ノックスは、現在シランド城に運ばれ、治療を受けている。
 何があったのか詳しく聞けないのは、ネルにとってとてもじれったい事だった。
 因みに、本当にセフィラも無事だったのだが、それも同じく詳しいことは分からない。

 「何だか……すっごくヤな気分だねぇ」

 今更ながら、フェイトに対して強く出られない自分に、苛立ちを覚える。
 しかし、そもそもフェイトの目的とは何なのだろう。ネルは、それに思い至る。今現在は、レナスが父親と再会するまで、レナスを助けるため。とはいえ、それ以前の、根本的な目的とは何か。
 レナスとの邂逅は偶然だったなどというフェイトの話は、ネルはハナから嘘だと思っていた。勿論証拠などないが、これは今まで接してきた中で育った、フェイトに関する勘によるものである。
 まず、彼の職業。星の海の賞金稼ぎ。しかし、大物の賞金首を追っているわけではなさそうだ。だったら、こんなにのんびりしている筈がない。多分。
 彼、レナス、ミラージュ、クリフは同一の船に乗り、そして撃墜された。何故かといえば、レナスを狙う敵の手によって。つまりレナスと同行するということは、どれほどかは分からないが、かなり危険なことの筈である。クリフとミラージュは命令があったからだとして、フェイトの同行は何故だろう。確かに常識外れの男だが、暇つぶしとか、かわいい子を放っておけないとか、そんな理由の筈はない。たぶん。
 そもそもフェイトたちとクリフたちは、立場的に敵同士らしい。フェイトの方は最初からそれを知っていたということは、そしてそれでも尚同行を止めなかったのは、敵対組織の傍にいることで、情報を得るためなのか。

 (……それはないだろうねぇ)

 組織の長が自ら、下っ端のような情報収集など、聞いたことがない。しかも、そんな面倒なことを進んでやる男だろうか。

 あの時、わずかに見える空を見つめていた、あの瞳。星の海に浮かぶ敵を見ていたのか、それとも、もっと別の……。





 軍に入ろうと思った理由を聞かれれば、特にないと答えるしかない。
 その時はただ、何となくだったのだ。自分にはそういう面があると思っていた。ふと、まるで神の声が聞こえたかの如く、興味のない筈の選択肢を選ぶことがあった。それは自分にとって成功だったり、失敗だったりした。しかし軍人になるという選択は、どうやら成功だったらしい。
 射撃は下手ではないし、戦闘機の操縦も同期の倍以上の速度で習得した。細かいことを考える必要はなく、判断は全て上がやってくれる。自分はただ生き残りながら、言われたとおりに敵を殺せばいい。返事は「了解です上官殿」で事足りる。
 だから、何の因果か少佐になってしまった時は、とても煩わしかった。今までの何十倍も考えることが出来てしまった。
 しかし、何故か判断には困らなかった。軍に入ったあたりから、例の「神の声」は多弁になり、自分の代わりに次々と判断を下す。下した判断に悩むことはあっても、判断を下せないということはなかった。どうやらそれが、周囲には決断力があるように見えたらしい。まったく馬鹿げている。
 第三次テトラジェネス大戦では、久々に、自分の全能力を解放することが出来た。考えてみれば、あの時ほど好戦的な気分になったのは、人生の中で数回しかない。敵味方も分からないような混戦の中、自分のすることは実に単純明快だった。生き残り、敵にのみ攻撃を与える。精神力は衰えを知らず、戦闘時間が長くなれば長くなるだけ、撃墜数は増加していった。
 撃墜王として、いつの間にか随分と有名人になっていたことに気づく。雑誌の表紙には軍服姿の自分のおすましポーズがでかでかと掲載され、軍の顔のような存在となった。パーティーの同伴者には不自由しないし、知らない友人も随分と増え、小説化、商品化の流れでフィギュアが発売された時には、戦友達に大いにからかわれたものだ。
 そう、絶頂だった。英雄だったのだ。
 その絶頂にありながら、この満たされない心は一体何なのか。一人ベッドの中で、悶々とした時間を送ることが多々あった。
 邂逅が訪れたのは、大戦も終わり、戦友達も軍を去っていった頃。静かになるかと思いきや、戦闘行為の時間はそっくりそのままメディア活動に変わり、それ専用のマネージャーが二人になった。戦災孤児支援のためのチャリティーオークションに出席した帰り、運転を誤った付き人により、自分の鼓動が停止した時。

 そうだ。自分は何度もこの空間に来たことがある。それを思い出した。

 そこら中にデータの数値が流れ、様々なウィンドウが閉じたり開いたりを繰り返している。普段は忘れていても、その空間に来た時だけ、自分が何度も死んだことを思い出す。 何が不死身の怪鳥だ。もう、二十回以上も死んでいるのではないか。その度に、死の情報は世界から消去され、自分は何事もなかったかのように生活を再開する。一体どんな力が働いているのか、見当もつかないが。
 ただひたすらなまでに、静寂が支配している。満たされたわけではない。そんな事がどうでもよくなるような、不思議な感覚が降り注いでくれる。ああ、ここが天国なのかと思った。退屈もしない、全てが悠久な……。

 「そのままでいることが、幸せ?」

 誰かの声が、不快ですらあった。一体何者か知らないが、この安楽を乱す者は、邪魔以外の何ものでもない。

 「でも、駄目なんだ。すぐに生き返る」

 声が告げた瞬間、安楽が過ぎ去った。
 降り注ぐ雨が、髪やスーツを濡らす。目の前には炎上するエアビーグルと、放り出された付き人達。そうだ、自分は生き返ったのだ。
 ただ一つ今までと違うのは、自分がそれを認識していること。

 背後の気配に気づき、振り返れば、青髪の青年が立っていた。

 「ようこそリアルへ。アレックス・エルゼンライト」



[367] 33
Name: nameless◆139e4b06 ID:68c26b6a
Date: 2008/11/30 23:54
 「なあ、フェイト」
 アレックスは窓の傍に佇む彼に、目線を床に落としたまま言う。
 フェイトは黙っていた。
 「あの時、お前は俺を真実に連れ出した。今更だが、感謝してる。知らないところで見せ物にされるなんざ、たまったもんじゃないしな」
 フェイトはまだ黙っている。
 「……。なあ、フェイト」
 「アレックス、知ってる?」
 遮られた。アレックスは視線を上げ、こちらを向くフェイトの微笑みにはっとする。
 「僕ね……アルベルには、死んでもらうつもりだったんだ」
 「………え?」
 「クロセルに、殺させるつもりだった」
 「お前……!?」
 「そして、クロセルとの交渉を断裂させて、レナスの能力を開花させる」
 既にフェイトは窓の外を眺めており、表情はわからなかった。
 「冗談……だよな?」
 アレックスはからからに乾いた喉の奥から、何とか声を絞り出す。
 しかし帰ってきたのは、遙か彼方からの爆音だけだった。

 「さあ、いよいよだ。『ようこそリアルへ』」





 光に貫かれ、爆散するバンデーン艦。地上でそれを見る、何も知らない人々は奇跡だと歓喜し、少数の事情を知る人々は、得体の知れぬ恐ろしさを感じた。
 レナス達もまた、その少数に属していた。
 現在の科学力ではあり得ぬほどの、異常な光線。それがどこから来たのか、誰によってなされたのか、何一つ分からない。あれは何だったのだろう。果たして、自分たちに味方するものだと考えて良いのか?
 ともかく結果的に、あの光線はバンデーン艦を破壊した。クォークの艦、ディプロのシステムが入り込む隙は出来たのだ。

 「……ぶっちゃけ役立たずだったよね、クロセルって」
 「フェイトさん! それを言っちゃいけません!」

 からからと笑うフェイトに、城内に戻っていたレナスが叫ぶ。
 皆を出迎え、お疲れと笑顔で手を振るフェイトを見たマリアだが、気になったのは彼よりも寧ろ、彼の背後で押し黙るアレックスの方だった。何かあったのだろうが、アレックスがこのような顔をするのは珍しい。
 「ったく……何なんだい、あれは」
 星の外という、少し前まで存在すら知らなかった場所からの接触を、この短期間で休む間もなく感じ続けたせいか、ネルに余裕は見られない。近くのソファに腰を落とすと、掌で顔を覆って溜息をつく。

 「神様ですよ」

 フェイトの声が、大きいわけではなかった。ほんの、隣に話しかけるくらいの音量だった。
 しかし、皆が口を閉ざした絶妙の瞬間に告げられたその言葉は、何の障害に当たることもなく、それぞれの耳へと滑り込む。アレックスを除いたその場の全員の視線が、一斉にフェイトへと向けられた。
 「あなた……知ってるの?」
 不信を露わにした表情で、マリアが問う。
 「まあ、信じる信じないは皆次第だけど。世界の存亡の岐路は、もう目の前だってことだよ」
 「………」
 「マリア、そんな目をしないで。というか、もう僕らの間で敵だの味方だのやってる場合じゃないんだ。今こそ力を合わせて、世界の支配者に挑まなければ!っていう場合なんだよ」
 「おいおい、フェイト。さっぱり話が見えねぇんだが……」
 マリアの抑止のために、クリフが立ち上がった。しかし、彼の目的はそれだけではない。今までずっとため込んでいた疑問を、ここではき出してしまうつもりだった。
 「あのよ、いい機会だと思うんだ。バンデーン艦も撤退して、すぐに動くなんてことはなさそうだしな。ここらで一つ、はっきりさせておきたい」
 フェイトは背で手を組み、クリフへと向き直った。
 「遡れば、レナスとの出会いの時。お前はやっぱり、レナスに接触することを目的にしてたんじゃねぇか? 今こそ力を合わせて、って言うんなら、答えろ。一体どこからどこまでが偶然で、どこから必然だったのか」
 「そうだね。答えるよ」
 はっきりとした返答に、クリフはかえって怯んだ。自分としては反応を見て、推測をたてるだけのつもりだったのだが、彼の言う通り、そろそろ岐路に差し掛かっているのだろう。
 「でも、少しだけ待ってくれないかな? 続きは、ディプロで話したい」
 「そこじゃなきゃ駄目なのか?」
 「ああ。クォークのメンバーにも、一度僕の口から話すべきかと思うんだ」
 どうやら、後に心変わりするような様子はない。そう判断したクリフはそれ以上の追求を止め、マリアも不承不承口を閉ざした。
 ネルは顔に置いた掌の指間から、そっとフェイトを見る。彼女の目にも、今のフェイトの言葉が嘘だとは思えなかった。勿論、その期待を易々と裏切ってしまうようなヤツであることは、承知の上なのだが。
 この青年の目的は何なのか、それはもうすぐ明らかにされる。今までの道のりは、確かに彼にとって容易いものだった。しかし、全く危険が無かったわけではない。時には、己の身を顧みないような行動に出ることもあった。
 それらがついに、一つの、フェイトの目的というものに連なる。
 そう思っていた。

 「ネルさん。今まで、お世話になりました」

 そう、だからこそ……こんな当たり前のことに、衝撃を受けてしまったのだ。





 ディプロ側の調整のため、出発は明日。今夜は城内にてぐっすり休むことになった。
 そう、出発は明日。明日になれば、レナスもクリフもマリアも、ミラージュもアレックスも……そしてフェイトも……この星から立ち去る。

 「アタシは……何を、そんな……」

 到底、寝付ける筈などなかった。ネルはバルコニーの手すりから身を乗り出し、星空を見上げる。手すりの上に置いたグラス、その中の酒に映し出された月が、朧に揺れた。
 そもそもが、偶然だったのだ。彼等がこの星へと舞い降りたのは、ただ乗り物が故障してしまったという理由だけ。そして帰る手段が確保できた今、あの星々の彼方へと立ち去るのも、至極自然の道理。
 「……酔えないね……」
 自嘲が漏れる。そう、何を落ち込む必要などあるものか。何度も、自分に言い聞かせた。
 「眠れないのか?」
 背後からかかった声は、少し意外な人物のもの。振り返ってみれば、書類束を抱えたラッセルが、廊下からこちらを見ていた。
 「執政官……」
 「明日、フェイト達はここを離れる。寝不足の顔で見送ることもないだろう」
 「あの……ラッセル様は、お見送りは」
 「それどころではない。被災者への救援策、アーリグリフとの平和協定維持、予算の捻出……問題は山積みだ」
 「よろしいのですか?」
 何がだ、と聞き返す代わりに、ラッセルは首を傾げてみせる。
 「その、フェイトとも……別れるのに……」
 「星の外のことなど、考える必要はない。またヤツの方から来ることもあるだろう。いちいち別れなど言ってられるか」
 ネルの知る限りでも、フェイトはラッセルにとって、最も近しい友人の一人の気がする。何というか、フェイトがシランドに来てからのラッセルは、普段よりも性格に明るさが出ていた。大抵は、ただフェイトに振り回されていただけなのだが。
 その彼と永い別れになると言うのに、ラッセルが何の感傷も持たない筈がない。
 「……ラッセル様。フェイトとは、どういったご縁で? 三年前にこのシーハーツに来たそうですが、私には何も覚えがありません」
 「ん……まぁ、そうだな。私の自宅に転がり込んできたのが最初だ。その時は、ひどい怪我をしていた」
 「ひどい怪我……!?」
 あのフェイトが大怪我を負ったなど、アミーナの件の時ぐらいである。
 しかし驚くべき事は、他にもある。城に何の記録も残っていないことからして、このラッセルが、そんな怪しげな人物を一人で密かに匿っていたことだ。
 「異人の苦難は知っている。俺も、この国の人間ではないからな」
 秘密だが、と付け足されたが、ネルは絶句するしかない。
 「では……ラッセル様は、アーリグリフの……!?」
 「いや違う」
 「それならサンマイトの……」
 「秘密だと言った筈だ。俺の地位を気にくわない者は、内外に少なくない。知られれば、奈落に引きずり落とされる。それだけネル・ゼルファー、お前を信用しているのだということを、知ってほしい」
 ネルはグラスから手を離し、衣服の乱れを直すと、その場に跪いた。
 「ラッセル執政官。私ネル・ゼルファー、お願いが御座います」
 「交換条件のつもりか? しかし、駄目だ」
 彼女の願いについて、ラッセルは大方の予想が付いている。
 「しかし、星の外からの干渉により、シーハーツは多大な損害を被りました。それらの賠償を求めぬのは、あれが神の御業であると言うようなもの」
 「星の外の連中は、お前の常識で計り知れるようなものではない。あいつらに落とし前を付けさせるには、まだ圧倒的に科学力が足りん。……建前としては、六十点だ」
 ラッセルは背を向け、中断していた歩みを再開した。ネルは廊下に駆け込み、食い下がる。
 「私はっ、ただこのまま、何も動かずに済ませてしまうのが……!」
 「それどころではない、問題は山積みだと言っただろう。まずは、己に出来ることをやれ。お前に、フェイトが必要とするほどの力があるのなら、いずれフェイトから誘われるだろう」
 「………」
 ラッセルの背は、廊下の向こうへと消えた。
 ネルは暫く立ち尽くしていたが、やがてバルコニーに戻ると、先ほど手放したグラスに指を添える。
 自分でも決断出来ないでいた。だから、他人に任せた。許しが出るか、出ないか。
 しかし、その結果に従うか従わないかで更に迷いそうになる自分。彼女はぴしゃりと自らの頬を張り、吐息をはき出す。
 「ま……そりゃそうだよね」
 女王に相談すればという考えが浮かぶが、自分は何と見苦しい真似を考えるのだと呆れてしまった。そんな本心から目を背ける話題が、ちょうど転がってるではないか。
 そう、ラッセル執政官のこと。
 あまり詮索するのも躊躇われるが、ネルもまたシーハーツの人間である。打ち明けてくれた彼には悪いが、異国人であるということは、そうですかで片付けられるものではない。いつかこの手で、彼を葬る時が来るかも知れないということだ。
 アーリグリフではないと、はっきりそう言っていた。それを信じるとすれば、サンマイトの数ある部族のいずれか。シーハーツ人と同じ外見の部族も、確かにいくつか存在するらし……

 …………

 まさか、と、ネルは首を振る。しかし、もしそうなら?
 ヘルベルトから聞いた覚えがある。三年前に起きた、とある事件について。
 更に思い返せば三年前、ラッセルの様子がおかしい時が確かにあった。二つに関連があるのだとすれば……。

 「もしや……」

 アーリグリフ、サンマイト。そして、もう一つ。

 「グリーテン……」





 果たしてネル・ゼルファーの本心とは、自分の予想通りなのだろうか?
 それがとんだ思い違いであることを、ラッセルは願った。恋心を止める術はない。しかし、ネルを星の外に送り出すことには抵抗があった。
 三年前とは、事情が違うのだろう。フェイトの様子から、それは明らかだ。ネルのピンチに必ずフェイトが駆けつける、というのは、もう難しくなったのだと思う。
 (まぁ、フェイトの考えが推測できるとは思わんが……)
 ふと、廊下に並ぶドアの一つが開いた。ラッセルは歩みを止めない。ドアが完全に開いたが、誰かが出てくる様子はない。
 そこがフェイトの部屋であることに気付き、彼は思わず寸前で足を止めた。書類を支える手に、じわりと汗が滲む。
 勿論フェイトは、自分が通りかかっているのを知った上で、ドアを開けたのだろう。こんな演出をしておきながら、何事もなく通過できる筈がない。
 「……どうしたの?」
 聞こえてきたのは、女の声。そう、フェイトの声。
 「ほら……こっちに……」
 ラッセルは、重い一歩を踏み出す。
 そして彼の意識は、日没のようにゆるやかに暗転した。





 カーテンの隙間から、淡い朝日が差し込む。実に晴れやかで、爽快な光だ。
 目を覚ましたラッセルは、大きく伸びをし、軽く体操を行う。各部屋に用意された水で顔を洗い、口を濯ぎ、テーブルの上の清水で喉を潤す。

 「……いい朝だな」

 誰に告げるでもなく、ぽつりと呟く。カーテンを開けると、窓の外の枝で羽を休める二羽の小鳥が、チキチキと囀っていた。
 がちゃりとノブが回り、扉が開く。顔を出したのは、クリフだった。
 「おいフェイト、ひょっとしてまだ寝て……」
 そう、ここはフェイトが寝泊まりしていた部屋。間違いないと、クリフには自信がある。
 しかし何故そこに、ラッセルがいるのか? しかも、上半身裸で。
 「クリフか」
 振り返ったラッセルの笑顔が、あまりにも爽やかすぎて、クリフは上擦った声で返事をした。
 「オレもさっき起きたのだが、どうやらフェイトはもう出かけたらしいぞ」
 「お…おう」
 「ところでオレの姿を見てくれ。こいつをどう思う?」
 「すごく……事後です……」





 結局、昨夜ラッセルが言った通り、すっかり寝不足だ。こうなるなら酒など口にしなければ良かった。
 (でもまぁ、責任の半分は執政官にあるんだよねぇ)
 あれから様々な推測がぽんぽん噴出し、容易に寝付けなかったことも確かである。
 ネルは欠伸をかみ殺し、前に立つレナスの銀髪をくしゃくしゃと撫でた。レナスは少し驚いたように振り返る。
 「あ、ネルさん……」
 「短い間だったけど、随分濃い体験をさせてもらったよ」
 「……また、会えますよね?」
 「それはアンタ等次第だろ?」
 そう、彼等次第。もしかしたらこれが、今生の別れになることもあり得るが。
 白露の庭の端で、フェイトが景色を眺めていた。何時の間にかファンクラブなるものが結成されていたらしく、後ろのアレックスが幾つものプレゼントを持たされ、溜息をついていた。そのファンクラブのメンバー達は、果たしてフェイトが本当は男であると知っているのだろうか?
 そして今また、フェイトに近づく二人組が。

 (……っていうか、アンタ等もかいっ!!)

 ファリンとタイネーブだった。直属の部下である二人の暴挙に気づけなかったネルは、自らの管理能力に疑問を抱かざるを得ない。
 「フェイトさぁん、行っちゃうんですかぁ?」
 ファリンがフェイトの手を両手で握りしめ、ぶんぶんと振った。
 「フッ……分かってください、ファリンさん。男は狩人なんですよ」
 「こんな立派なもん二つつけといて、男とか言わないでくださいよぉ」
 両手をフェイトの手から離し、その豊満な胸を掴んで揉みしだく。
 「ほれほれ、どうですかぁ?」
 「ああんっ、らめぇっ」
 「こらぁぁぁっ、それは私のですよぉっ!」
 向こうにいるレナスが怒鳴った。ファリンは構わず揉み続けるが、タイネーブに引き剥がされる。
 「フェイトさん……大変お世話になりました」
 「ああ、二人とも元気で。クレアさんにもよろしく」
 「はい……」
 「…………」
 「…………」
 「……どうかした?」
 「あ…いえ、その……」
 「おっぱい揉んでみる?」
 「!? …………」

 もみ……

 「あ、揉みたかったんだ」
 「もーぅ、タイネーブもむっつりですねぇ」

 がしゃんっと音を立て、窓ガラスが飛び散る。城内から白露の庭へと転落した人物に、皆が目を向けた。
 「……フェイトぉぉぉぉぉぉ!!」
 まだ上半身裸のままであるが、ラッセルは全力疾走でフェイトに走り寄ると、ファリンとタイネーブの間に割り込み、彼の肩をがっしりと掴む。
 「あ、おはようラッセル」
 「きっききききっ……貴様ぁぁぁ! 貴様はっ、貴様はもうっ、そのっ、昨夜っ、ああああれだっ、そのっ、そのっ……そうなのかぁぁ!?」
 「え? 何が?」
 軽く微笑んで首を傾げるフェイトに、ラッセルの焦燥は更にひどくなる。
 「だからっ、昨夜っ、オレは……オレが……オレと……ああああっ、くそっ、どうなんだ!? 何をした!?」
 「何をって?」
 「だから、何は何を何して……」
 そこで、ラッセルは言葉を切る。すっと下を向き、呼吸を整えると、意を決したようにフェイトを見つめた。
 「いいか……イエスか、ノーで答えろ……昨夜、何かあったのか!?」
 フェイトの両手が、自らの紅潮した両頬を挟む。そして微笑みを崩さぬまま、すっと、ラッセルから目を背けた。
 「……何もありますん」

 「オレよっ、死ねっ!」

 白露の庭から飛び降りようとするラッセルを、追いついたクリフが羽交い締めで止める。
 「ちょっと落ち着けよっ、おっさん!」
 「離せぇぇぇ! オレはっ、オレはもうぅぅぅぅ!」





 一段落したらまた、と、彼等は言った。
 まだ絶望したままのラッセルの隣で、ネルは空を見上げる。

 (……早く、片付けて……来ておくれよ)

 つい先ほどまで彼等が立っていた場所には、もう影も形もない。

 (“次”は……いつになるのかねぇ……)



[367] 34
Name: nameless◆139e4b06 ID:68c26b6a
Date: 2008/12/08 01:34
 「おおっ、何だかすっごい」

 転送を終え、ディプロの内部に一歩足を踏み込んだレナスは、思わずそう漏らした。ただのレジスタンスのアジトかと思っていたが、なるほど、反銀河連邦の一勢力を名乗るに相応しい艦である。
 「まぁな。俺ら自慢の艦だ」
 初代リーダー・クリフが胸を張って見せた。
 転送室のドアが開く。何気なく先頭切って歩き出したレナスだが、驚いて立ち止まった。
 外で待ちかまえていたのは、銃を構えた数人のクォークメンバー。
 「えっ? ええ?」
 混乱したまま両手を挙げるレナス。しかし、彼等が警戒するのは彼女の後ろにいる人物だ。
 「……あの、リーダー……」
 その中の一人、リーベルが口を開く。
 「確かフェイトって男だったんじゃ……」
 「いろいろトラブルがあってね。詳しくは後で話すけど、今は女」
 フェイズ銃に囲まれても、フェイトはのんびりとアレックスと顔を見合わせている。
 「すまないけど、フェイト。それにアレックス。一応まだあなた達は敵だから、拘束させて貰うわ」
 「だからぁ、もうそんな……」
 「納得のいく説明があれば、勿論客人として扱わせてもらうけど」
 フェイトが約束した“説明”次第で、クォークはその対応を変えるのだろう。アイコンタクトで懐の神魔銃を抜くか尋ねるアレックスだが、フェイトは静かに首を振った。
 「まぁ、こんなもんで僕らの動きは封じられないし。こっちはお邪魔してる身なんだから、大人しくようよ」
 リーベル、スティングの兄弟が二人の前方に回り、その他のメンバーが後方へ回る。
 「あのっ、ちょっと……!」
 声を上げるレナスに向かい、フェイトは笑顔を見せてやった。
 「じゃ、レナス。僕らはこっちだし、また後で」
 笑いながらそう言われると、レナスとしてもそれ以上追えない。ミラージュやクリフたちに導かれ、何度も彼等を振り返りつつ、フェイト達とは反対の方向へと歩いていった。





 通されたのは、ディプロのブリッジ。
 「お帰りなさい、リーダー。皆さん。お疲れ様でした」
 オペレーターズシートから振り向いたマリエッタが、入室して来た皆を迎える。
 「ただいま、マリエッタ」
 「これからどうしましょう?」
 「昨日の光線での損傷の修復は?」
 「もう一時間ほどで終了します」
 「予定通り、バンデーンが体勢を立て直さない内に、この場から離脱しましょう。……ラインゴット博士達の消息については?」
 レナスが若干の期待をもって、マリエッタの顔を見る。しかし彼女は、申し訳なさそうに首を振った。
 「それが、まだ何も……」

 バンデーンに捕らえられたロキシ・ラインゴットについて、クォークでは常に情報を収集していた。
 しかし、収穫はなし。ハイダ以後の足取りが、ぷっつりと途絶えてしまっている。そもそもバンデーンに捕らえられたという情報も、確証があるわけではなく、ただの推測である。バンデーン領のどこにいるのかすら、わかってはいない。
 勿論、レナスの前で言うことは出来ないが。

 「では、修理完了後、最短距離で宙域を抜けます」
 「ええ、そうしてちょうだい」
 マリアに確認すると、マリエッタはシステムの再開を入力する。
 「えーっと……私は、どうすればいいの?」
 「レナスは、客室で休んで。何なら、艦内を散歩しててもいいわ」

 「リーダー、通信が入りました! 銀河連邦から!」
 「!?」

 思いがけない相手からの通信に、マリアの目の色が変わる。
 バンデーン艦と派手にドンパチやらかしていたのだ、嗅ぎつけられてもおかしくはないが、まさかこんなに早く見つかるとは思わなかった。
 「如何しますか?」
 マリアは軽く髪を撫で、襟を正すと、その場で腕を組んだ。
 「……いいわ、回線を開いて」
 モニターが切り替わり、前面に褐色の肌の軍人が映し出される。それが誰か、レナス以外の皆にはすぐに分かった。
 『こちら銀河連邦所属艦・アクアエリー』
 「こちらクォーク旗艦・ディプロ。聞こえているわ」
 『初めまして……というわけでもないが、名乗らせて頂く。ヴィスコムだ』
 「よく知ってるわ、ヴィスコム提督。マリア・トレイターよ」
 名将の誉れ高い軍人である。
 「それで? わざわざ犯罪者の艦に、何の用かしら?」
 ひょっとして、レナス・ラインゴットがこちらにいることがバレたのだろうか。現在レナスは、カメラから隠れる位置にいる。ミラージュがさりげなく、彼女を外へ連れ出そうとしていた。
 『心配せずとも、今回は君たちと事を構えるつもりはない』
 信用できる言葉……と、判断していいだろう。
 『私は君たちではなく、フェイトに会いに来たのだ』
 クリフが思わずモニターを見、マリアも動揺を悟られぬよう、指を二の腕に食い込ませる。
 「……フェイト? それは誰?」
 通常、“天啓”の団長の名前は知られていない。
 『知らないのか? CSD財団前理事長、そして“天啓”の団長の名だよ』
 「いいの? そんな事教えて。一般には極秘の情報なんでしょう?」
 『まあな。いやまったく、あそこはすごい。技術面でも、連邦は何度か助けられているよ』
 「………」
 『その中の一つに、ソードフィッシュと呼ばれるものがある。キーワードの検索者を割り出すものだ』
 マリアは心の中で舌打ちした。
 『それによると、だ。君らは随分、“フェイト”なる人物について調べていたらしいじゃないか。おまけに、彼の画像データを元にして』
 溜息をつき、彼女は両手を振る。相手にはもう、全てバレてしまっているのだ。
 「ええ、確かにフェイトはここにいるわ」
 『そうか。呼び出してくれ。彼の力を知る君らなら、彼を人質に取れないことくらい理解しているだろう?』
 五寸釘を刺されたようで、非常に面白くない。
 やがて、連絡を受けたリーベル達が、フェイトを連れてやってきた。どうやらレナスとは鉢合わせなかったらしい。
 「や、ヴィスコム」
 『……??』
 手を挙げ、馴れ馴れしく名を呼ぶ青髪の女に、ヴィスコムは怪訝そうな顔を返した。

 「……ナルシソ・アナスイ!!」

 叫び、フェイトはバレエのように一回転する。みるみるうちに胸と尻がすぼみ、女は一人の青年となった。
 「……はぁぁぁぁぁ!!?」
 ヴィスコムの揺さぶりにも耐えたクリフが、思わず頓狂な声を上げた。他の皆も、一様に驚いた顔をする。
 『……もう、何度繰り返したか分からんが……フェイト、一体何者だ』
 「すごいだろ? 僕の新しい能力だ」
 「っつーかフェイト! お前っ、戻れたのか!?」
 「何言ってんの、当たり前じゃん」
 「……おっさんが可哀想だ……」

 ヴィスコムも流石に額に手を当てていたが、何とか事態を飲み込んだ。
 『それで、フェイト。上が色々と説明を求めている』
 「説明?」
 『“天啓”の本艦“ナユタ”の移動だ。内部に“四天王”、他主力部隊などを乗せているにも関わらず、銀河連邦には一方的な報告しかなかった。お前に問い質そうと思っても、休暇中と突っぱねられた』
 ヴィスコムは溜息をつく。
 『フェイト。お前は、何を相手にするつもりだ? バンデーンか? それともアールディオンか?』
 彼の言葉は裏を返せば、“天啓”の戦闘能力がそれらと肩を並べるほどだということを示している。勿論、銀河連邦にも対抗し得るほどの。
 (……噂の一人歩きだと思ってたんだがなぁ)
 フェイトに及ばずとも、それに近いクラスの者が四人もいるなど、考えたくなかった。クリフは、天啓とはひょっとすると噂以上なのかも知れないとショックを受ける。
 『そして、これは私の推察なのだが……』
 「ん?」
 『20時間前に観測された、クラス3を超えるエネルギーだ。あれにより、銀河連邦はもとよりアールディオン、バンデーンともに無視できないダメージを受けた。……単刀直入に聞くが、お前はあのエネルギーがどこから、誰によって放たれたのか知っているな?』
 「ああ、知ってる」

 全員の目が、フェイトへと向けられた。
 クォークにとっても、その返答は無視できない。

 『更に聞くが、以前から予想の範疇にあったのか? この事態は』
 「ああ」
 『何故言わなかった?』
 「……もうすぐ神様が怒って、みんな破壊するためにぶっとい光線撃ち出しますぅ! はわわ!!………とか言って、信じてくれると思う? ただの精神異常者じゃん」
 『神だと?』
 オカルトめいた話に、ヴィスコムは眉を顰める。
 『……しかし、一言も話さないというのは……』
 「実際、17年前は一蹴された。アーカイブを調べてみなよ。その時、今僕が言ったのと似たようなことを報告したのが……ロキシ・ラインゴット博士だ」

 「お父さんが!?」

 何時の間に戻っていたのか……フェイトやヴィスコムに気を取られすぎ、レナスが司令室に入ってきたことに誰も気づけなかった。
 『レナス・ラインゴット!?』
 カメラに入り込んできた人物に、ヴィスコムが声を上げる。レナスはフェイトの隣に立ち、彼女はじっとフェイトの顔を見上げた。
 「フェイトさん……どういうことなんですか……?!」
 『既にレナス・ラインゴットを保護していたとは……』
 フェイトはそっと、レナスの頭を撫でる。そしてヴィスコムや、マリア、クリフ、ミラージュ、そして他の人々へと顔を向けると、最後に目を閉じた。
 「そう、全ては17年前。ラインゴット博士たちが知った真実こそが、マリアの知りたいこと……」
 つまりは、紋章遺伝子改造の理由。

 しかし、彼の言葉は電子音によって遮られた。

 「何なの!?」
 苛立ちを隠さずに、マリアは怒鳴る。
 「ちょ…ちょっと待ってください、これは……バンデーンからの通信です!」
 「……ヴィスコム提督、よろしいかしら?」
 『ああ、構わんよ』
 「マリエッタ。アクアエリーとの回線を維持したまま、ダスヴァヌとの回線を開いて」
 「了解」
 画面が二分割される。ヴィスコムの隣に映し出されたのは、鮫人間という蔑称に相応しい顔面の男だった。
 『バンデーン艦ダスヴァヌ艦長、ビウィグだ』
 人間とは明らかに、顔の作りが違う。それ故、表情を読み取ることは難しい。
 「初めまして、ビウィグ艦長。マリア・トレイターよ」
 『ご丁寧なご挨拶、痛み入る。そしてお初にお目にかかる、ヴィスコム提督』
 やはりバレているのかと、ヴィスコムは苦笑いを浮かべた。
 「で? 用件は何かしら?」
 『要求が一つ。しかし、もう一つ増えてしまった』
 ビウィグの視線の先には、フェイトがいた。
 『更にお初にお目にかかる、Mr.フェイト』
 「何だ、知ってたの? つまんない」
 『要求の一つ目は、レナス・ラインゴットをこちらへ引き渡すこと。そしてもう一つ、Mr.フェイトの退艦だ。アクアエリーにでも移って頂きたい』
 レナスは驚いた顔を隠さぬまま、ビウィグとフェイトを交互に見る。
 「それで、そっちのカードは?」
 『この二人だ』
 モニターの映像が、僅かにぶれた。
 そしてほんの二秒だけ、別の映像が映し出される。拘束具で身動きを封じられた、一人の少女と一人の中年男性。

 ソフィア・エスティードと、ロキシ・ラインゴットだった。

 「父さんっ、ソフィア!」
 レナスが叫んだ時にはもう、モニターはビウィグへと切り替わっている。
 『ご不満かね?』
 「……返答は、十分以内にこちらから」
 『承知した』
 ダスヴァヌ間の回線が切断され、再びモニターをヴィスコムが占めた。
 「マリエッタ、今の映像は?」
 「……ほぼ間違いなく、ライブ映像。録画の形跡はありません」
 マリアは顎に指を当てつつ、彼に尋ねる。
 「ヴィスコム提督。貴方、知っていたのね?」
 『ああ、その通りだ。我々の目的の一つは、バンデーンからのラインゴット博士の奪取。もう少し早く言っておくべきだったがな』
 「ともかくどうするか、早めに決めないとね」
 『フェイト。お前の意見を聞こう』
 ビィグに名指しされたフェイト。つまりはビウィグにとって、彼こそが現在最も恐るべき人物。彼がいては、安心して交渉など出来ないということだろう。

 「……それじゃ、お別れだね」

 フェイトは両手を挙げ、振り下ろす。
 「おい、お別れって……どういうことだよ? まだ説明してもらってねぇぞ」
 「いや、僕よりも寧ろ、ラインゴット博士から直接聞いたほうがいい。当事者は彼なんだから」
 「お前自身の目的は?」
 クリフが重ねて問うが、フェイトは首を振った。
 「ごめん、ちょっと銀河連邦に用事が出来た」
 『では、フェイトには一度アクアエリーへ来て、そのままヘルメス司令長官の元へと向かってもらおう』
 「わかった。言い訳はそこでさせてもらうよ」
 レナス、とフェイトに名を呼ばれ、彼女は小さく震えた。フェイトの裾を握る手に、ぎゅっと力を込める。
 「……レナス」
 「…………」
 「……」
 「…………」
 暫くして、レナスの指が開いた。くしゃくしゃになった布が、その指の間を擦り抜ける。
 「もうすぐ、お父さんに会えるだろう。勿論相手はバンデーンだ。交渉がすんなりと済む筈がない。でも、マリアも、クリフも、ミラージュさんもついてる。決してひけは取らないさ」
 「…………はい……」
 「次に会った時、全てを話してあげる。だから……元気で」





 フェイト、アレックスの二人を乗せたディプロの連絡艦……それが、漆黒の宇宙の中、アクアエリーへと向かう。
 フェイトのアクアエリー到着を確認した後、ビウィグは人質の交換場所、そしてその時間を指定してきた。
 「フェイトさえいなければどうとでもなる……そう考えてんのか?」
 「そのようね」
 クリフの言葉に、腕を組んだまま、マリアが首を振る。
 「つまりは、フェイトさんにいられてはまずいことを行う、ということでしょうね」
 「でしょうね、ミラージュ。そしてそれは間違いなく、レナスの奪取。まぁ、あんな力を見せられちゃ当然でしょう。既にラインゴット博士からどこまで聞き出したのかは分からないけど、要求に私が入ってないのなら、特に情報は得られてないと考えてよさそうね」
 「何でそう言えるんだ?」
 「当然よ。私のアルティネイションの能力を知っていれば、私の身柄も要求するとか、私にレナスを連れて行かせるとか、そんな事を望む筈だわ」
 「……随分人ごとみてぇに言うなぁ、お前」
 「あら、そうかしら?」
 「りっ、リーダー!」
 会話に割り込んできたのは、リーベルだった。マリアは振り向き、彼にその続きを促す。
 「もしかしてバンデーンは、リーダーも狙ってるんじゃないですか!?」
 「ええ、その可能性もないわけじゃないわ」
 「でしたら! 俺もお供させて下さい!」
 「えー……」
 「ちょっと何なんですか、その反応!!」
 あからさまに嫌そうな表情を作る想い人に、リーベルは気が気ではない。何しろ愛するリーダーが、敵の手に落ちるかも知れないのだ。
 「受け渡しは、互いに三名ずつってことで指名はされてないんでしょ!? お供が駄目なら、どうか残ってください! 危険すぎます!」
 彼の言うことにも、一理ある。たった三名の枠の中に、わざわざマリアが入るような危険を冒すべきではない。
 しかしそれでも、マリアは首を振った。
 「受け渡しのメンバーは、私、クリフ、ミラージュ。これは既に決定よ」
 「でもっ」
 「向こうが総取りを狙っているのなら、逆にこちらが総取りさせてもらうわ。そのためには、ベストのメンバーよ。リーベル……あなたじゃ、足手まとい」
 「!? そ……そんな……」
 それはリーベルにとって、まるで死刑判決にも似た衝撃だった。がっくりと膝をつき、両手をつき、更に体を伸ばし、床に俯せに転がる。そして体を丸め、その内側からは、嗚咽が漏れてきた。

 (……なんてうざったい落ち込み方だ……)

 可哀想だが、それが皆の素直な感想だった。早撃ちの異名を取る彼も、こうなってはただの精神的障害物である。
 「……おいマリア、流石にちょっとひどいぞ」
 「もう少し、言い方が……」
 クリフとミラージュに窘められ、マリアは溜息をついた。暫く養豚場の豚を見るような目でリーベルを見下していたが、やがて彼の隣にしゃがみ込むと、涙etcの液体でぐしゃぐしゃの顔をこちらに向かせる。
 「……りぃだぁぁ……」
 「ほら、しゃんとしなさい。無事に戻れたら、キスしてあげるから」
 「!? ほ…ほんとに!?」
 「ええ本当。ほら、さっさと持ち場につきなさい」
 「りょっ、了解しました! リーダー!」
 地獄から天国へと引き上げられたリーベルは、更に二度も三度も「絶対ですよ!」と叫びながら、ブリッジの扉から出て行った。
 「……いいのか? マリア」
 その有頂天っぷりに、約束を反故にされたらどんな行動に出るだろう、と考えたクリフが、今更ながら確認してみる。
 「いつまでも転がってちゃ、うざったいだけでしょ。他に手はなかったわ。……さて、それじゃ準備を整えないとね」





 レナスは割り当てられた部屋のベッドの上で、膝を抱えていた。下手に時間が出来てしまったせいで、考える時間が出来てしまう。とうとう、この時が来てしまったのかと。
 淡い期待は、打ち砕かれた。フェイトの目的とか、自分のこと、父親の知った事、それらははっきり言ってしまえば、どうでもいい。ただ、もうフェイトに触れることはない。
 次は、一体いつ?
 レナスは顔を膝に埋める。
 ハイダで出会ってから、どれほどの月日が経ったというのだろう。カレンダーを見ても、予想以上に少ない。しかしそれなのに、この喪失感は何だというのか。まるで、己の半身が崩れ落ちたかのような錯覚を覚える。

 (……あと、十秒)

 そう決め、カウントを始める。
 六……四……二……零
 レナスは顔を上げ、自分の頬を一度ぴしゃりと叩いた。
 「よし!」
 猶予が出来たと思えばいい。自分を磨くための。
 天啓団長、財団の前理事長……そんな人物の隣に立てるとは、今の自分を鑑みるにとても思えそうになかった。
 (それに、今は……父さんとソフィアを助け出さないと)
 フェイトが言うように、無事に交換が終わるはずは無い。何故なら自分たちが計画するのは、こちらはそのまま、ソフィアとロキシのみを奪い取る、総取りなのだから。
 誰一人として、むざむざレナスを渡すつもりはない。しかしそれは、バンデーンも同様と考えていい。
 受け渡し場所の座標がカルサア修練場だったのは、幸福と言えた。土地勘なら自分たちの方が上だし、どこに罠があるかも知っている。クリフとミラージュがロキシとソフィアを抱え、迅速に転送、ディプロでアクアエリーまで逃走。
 「レナス。時間よ」
 部屋の外から、マリアの声が聞こえた。



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Name: nameless◆139e4b06 ID:68c26b6a
Date: 2008/12/15 00:07
 両者の転送は、同時に行われた。
 カルサア修練場の殺風景な屋上。かつて自分たちが捕まり、そして初めてフェイトの力を目の当たりにした場所。レナスがその思い出に浸る暇もなく、ロキシ、ソフィアの二人が、ビウィグのすぐ傍に転送された。
 「父さん、ソフィア! 大丈夫!?」
 たまらずに叫ぶ。拘束された二人は、更に薬品で眠らされていた。
 「……それでは、レナス・ラインゴットにはそのままでいてもらう。移動するのは、我々とお前達の方だ」

 銀河連邦と、反銀河連邦組織クォーク。両者は確かに、敵対している。
 しかし銀河連邦と敵対しているのは、バンデーンも同様である。現在のこの三つ巴の状況、一見バランスを保っているようで、非常に危うい。
 全ての勢力が欲するラインゴット博士は、まだバンデーンの手にあった。そして実際に強大な力を示してみせたレナスは、クォークの側に。
 クォークと銀河連邦は、まだ事を構えるという雰囲気ではなかった。それはフェイトの存在が所以だろう。彼は確かに銀河連邦の味方であるが、クォークとも行動を共にしている。どちらに加担するのか、それとも両者の橋渡しとなるのか。
 どちらにせよこのままでは、ラインゴット博士はバンデーン、もしくはクォークの手の内となる。銀河連邦として、それは好ましからざる事態だ。にも関わらずフェイトをアクアエリーに迎え入れて後、目立った動きがないということは、もしかすると既に、クォークとの間で密約が成立しているのかも知れない。
 フェイトの存在は、この危うい三つ巴を崩すきっかけになり得る。勿論それは、バンデーンにとっての好影響につながりはしない。
 求められるのは、彼の活動が始まる前に全てを終わらせる、スピードだった。

 マリア、クリフ、ミラージュ。ビウィグとその部下二名。両側の三名は互いから目を離さぬまま、少しずつ、円を描くようにそれまで相手がいた場所に向かう。クォーク側はロキシ、ソフィアへ。バンデーン側は、レナスへ。

 行動を起こしたのは、先手を打ったのは、バンデーンだった。
 ビウィグが裾を通して設置しておいた閃光爆弾が、目映い光を放つ。突如として発光する物体に、マリア達の気が逸れる。
 ビウィグの銃がレナスに向けられ、その部下二人の銃がマリア達に向けられた。
 レナスの体が跳ねる。ビウィグが打ち出した昏倒弾は、空しく石の床に弾けた。予想外の動きに戸惑いながら、ビウィグは転送を指示する。
 部下二人の光線も同様に、マリア達に致命傷を与えるには至らなかった。一発がクリフの髪をかすめ、一発がミラージュの左の二の腕を擦る。見知らぬ装置が転送されてきたのは、その時だった。
 一瞬顔を歪めたミラージュも、クリフがロキシを担ぎ上げたのと同様、ソフィアを抱き上げる。
 「おいっ、転送だ!」
 クリフが通信機に向かって怒鳴った。しかし、聞こえてくるのは雑多なノイズだけ。
 「おい!?」
 「クリフ!」
 ミラージュの声で、慌てて更なる光線を避ける。
 「レナスっ、こっちに!」
 マリアの声が響いた。彼女は既にフェイズ銃を抜き、構えている。そして後ろに跳躍しながら、立て続けに三度引き金を引いた。二発がバンデーン兵一名を射殺し、一発がもう一人のバンデーン兵の右肩を打ち抜く。しかし、バンデーン側の人数は減らず、寧ろ増えていた。奇妙な装置の周囲に次々と、数人単位で新手が転送されてくる。
 援護射撃によって、駆け出したレナスは何とかマリアの目の前に至る。
 「ジャンプ!」
 マリアの叫び。飛び込んできたレナスを抱きかかえたマリアは、クリフ達が開けておいた扉から、修練場の内部へと転がり込む。

 「……ふーっ」

 銃の構えを解除し、ビウィグは溜息をついた。
 「流石はクラウストロ。そう簡単にはいかんな」
 人質は総取りされてしまった。しかしそれも、ただ一時だけのこと。
 「最後に全てをかっさらうのは、我々だ……」





 「どうやら、最新の妨害装置らしいわね」
 入り組んだ修練場の一部屋にて足を止め、マリア達は一息つく。
 「じゃああの装置のせいで、通信も転送も出来なくなってんのか?」
 「恐らく」
 「けど、バンデーンの奴らは出来てたぜ?」
 「だから最新式なんでしょ」
 マリアはちらりと外を窺うと、ミラージュの隣にしゃがみ込んだ。先ほど受けた傷は幸い軽いものだったが、彼女は手当の間中顔を歪めていた。
 「ミラージュ、動けそう?」
 「ええ、それは大丈夫です」
 そう言いながらも、左腕を動かすのは少々辛そうだ。
 レナスは未だ眠り続けるロキシとソフィアの隣で、二人の顔を心配そうに見ている。いくらかやつれてはいるが、特に酷い待遇を受けた様子は見られなかった。
 「さて、どうするかだな」
 クリフの声に、レナスは彼を振り向く。
 「二人も起きる様子はねぇし、向こうは大量のバンデーン兵を召喚してくる。じきに人海戦術が始まるぞ。そうなったら、隠れきれねぇ」
 「うん……。私も、武器は置いてきちゃったし……」
 そう言いながら、彼女は部屋の隅に転がっていた槍を手に取る。
 「どうだ? 使えそうか?」
 「うーん……」
 流石に捨てられていたものだけあって、質は高くない。
 「だめっぽい。これじゃ、戦闘服は貫けないし」
 「そうか……」

 からん、と、槍が転がる。

 クリフはただそれを、捨てただけの行動だと思った。すぐに座り込み、この状況を打開する方法を考え始める。
 しかし、レナスはただ使えない槍を放り捨てたわけではなかった。
 (……そっか……私……)
 既に自分は、殺害をも厭わない者となっていた。勿論、バンデーンに無抵抗で捕まってやるほど自分はお人好しではない。自分が捕まらない為になら、バンデーン兵を槍で刺し殺しもする。
 ロキシ、ソフィアの顔を見てこんな気持ちになったのは、きっと不安だったからだ。自分の娘が、親友が、既に人殺しなのだと知ると、二人はどんな反応を見せるだろうか。
 こんな時、ただ一言、大丈夫というたったの一言でいいのに、それは叶わない。そう言って頭を撫でてくれる人物は、既に宇宙なのだから。

 ぽん

 (え……?)

 頭に手が乗せられた。振り返れば、そこにはマリアがいる。
 「レナス、大丈夫?」
 「え…あ……うん、ありがとう……」
 そう言って、彼女は微笑んで見せた。
 「寧ろこっちから、打って出るってのは?」
 「そうね、このままじゃジリ貧だし。この星の皆に迷惑をかけるわけにもいかないわ」
 「では、レナスさんにはここに残って頂きましょうか」
 全ての人質を一カ所に、というのは危険だが、三人のうちの二人が目を覚まさず、もう一人は武器を持っていないという状況では仕方がない。
 マリア、クリフ、ミラージュの三人を突撃組とし、敵陣を切り抜け、妨害装置を叩く。
 「……レナスにはそれまで、二人を連れて隠れてもらわなくちゃならないわけだけど」
 「うん、大丈夫。やってみる」
 「……何かあったら、逃げなさい」
 「え?」
 転送装置が使えないというのに、どこへ逃げろというのだろう。首を傾げるレナスに、マリアは言葉を重ねた。
 「文字通り、ここからよ。アーリグリフ王も、まさかあなたの顔を忘れたわけじゃないだろうし。アルベルもそろそろ帰国してるかも知れない」
 「でも……」
 「勿論、私たちも負けるつもりはないけど。万が一の話よ。万が一私達が失敗したら、二人を連れて速やかに脱出しなさい」
 「そんなっ」
 「10分。それ以上経って私達が戻らなかったら、失敗したと判断して。いいわね?」
 反論したい。しかし、今の自分に何が出来るだろう。
 レナスはただ、沈黙を返すしかなかった。





 「ねーぇ。ずっと聞きたかったんだけどさぁ」
 「何だうるさい。帰れ」
 ラッセルの態度は冷たい。目の下にクマを貼り付けた彼の視線は、ガタガタ椅子を鳴らすエレナに向けられることはなく、机を埋める書類の上を走っていた。
 「何で、シーハーツにいるの?」
 「誰が?」
 「ラッちゃん」
 ラッセルは一瞬手を止める。
 「……それは、あれか? 言葉の暴力というやつか? いじめか?」
 「うん。……いや嘘、冗談。だってさぁ、三年前に帰ることも出来たんじゃないの? 故郷に」
 「別に、特に思い入れなどない。そう言えば、お前の出身を聞いたことがないんだが」
 「それは秘密」
 「そうかそうか」
 話に気を取られてしまい、うっかり数字を取り違える。ラッセルは舌打ちをすると、書きかけの紙を丸めて放り捨てた。
 「ところで、エレナ。お前はどうなんだ? アーリグリフ王のこと」
 「んー? 何が?」
 「とぼけるな。国交回復を境に、お前宛の手紙が増えた。しかも同一人物からの」
 「わー、ラッちゃんへんたーい。人のプライバシーに首突っ込んでぇ」
 「お前だけの問題ではない。少しでもエレナの方にその気があれば、政略結婚に使わせてもらう」
 「……ないない。ないって」
 エレナは椅子から立ち上がると、素直に部屋から出て行った。
 それから十数分後、ようやく一段落させたラッセルは、椅子に深々ともたれて天井を見上げる。

 フェイトは一体、何をしたのだろうか。
 男女の色事があったかなかったか、冷静になった頭で考えると、あり得ないという結論に達した。何のメリットもない。
 特に、自分の体に変化は見られない。“ガイア”が抜き取られた様子もない。しかし間違いなく、フェイトは自分の身体に何かを行った。一体何をしたのか、そしてその目的は。
 次に会った時、フェイトがそれを教えてくれるというビジョンが、見えてこなかった。

 ノックの音を聞き、ラッセルはドアの方を向いた。許可を受け、文官の一人が入ってくる。
 「失礼致します、ラッセル執政官。師団の再編成の件ですが……」
 「ネル・ゼルファーに回せ」
 「ネル様は、アーリグリフに親書をお届けに向かわれました。まだ戻られておりません」
 「……迅速に戻ってこいと言ったわりには、随分のんびりとしてるな」
 彼女の足を考慮しても、そろそろ城で執務を行ってていい時間だ。アーリグリフも戦後処理で多忙なのは明らかであるし、引き留められているとは考えにくい。つまりは、どこかで寄り道をしているのか。
 そもそも、初めは最も速いヘルベルトの仕事だった。それを、ネルが引き受け、彼に自分の仕事をさせた。
 (……まずい……のかも知れんな)
 ただ、さぼりたかったというのならまだいい。しかし、フェイトがいなくなった事が原因だとしたら……。
 「……こちらで預かっておく」
 「了解しました。では、これを」
 「……おい、ちょっと待て! 何だこの量は!?」
 「ルージュ様に続き、ヘルベルト様も逃げましたので」





 少々騒がしいが、それも当然のこと。何故ならここは、修練場なのだから。
 ネルはカルサア修練場の入り口をくぐると、そっと左右を見回した。
 本当なら、一刻も早くシランドへと戻らなければならない。仕事も山積みだし、何よりそろそろ師団長クラスにも、逃げ出す輩が出始めるだろうから。
 あの時、たった一人でこの地へ来た。ファリンとタイネーブを助けるために。そしてレナス、クリフが追いつき、自分が彼等を叱り……。
 結局捕まって、屋上に連れて行かれて……。
 殺されようとする寸前、フェイトが……。

 自然と、足がこちらへ向いてしまったのだ。

 普通に考えて、あまり良いことではない。両国が停戦中だとはいえ、ここはアーリグリフ軍の施設であり、そして自分はシーハーツの隠密。あらぬ疑いをかけられても仕方がない。
 (……何を馬鹿な)
 何故、来てしまったのだろう。ここに来れば自然と、フェイトのことを思い出せるから? 次はどこだ、アリアスにでも向かうのか? そうして彼等と旅した場所を、順番に巡っていくつもりなのか?
 踏ん切りを付けなければならないというのに。

 (……おかしいね……)

 その感想には、二つの意味がある。自嘲と、疑念。
 いくら何でも、人がいなさすぎる。停戦間もない時期にしては、剣戟の音が無いのだ。
 そして、アーリグリフ兵……漆黒の兵士の死体を発見し、疑念は確信へと変わる。何か、異常なことが起きているのだと。

 不意に傍らの扉から、手が飛び出してきた。

 咄嗟のことで間に合わず、ネルはその手によって引きずり込まれる。部屋の中へと放り込まれ、急いで手を振り解くと、短刀に手をかけて戦闘態勢に入った。
 「いやいや、落ち着いてよ」
 ぶんぶんと手を振る男に、見覚えがある。ソルムだった。
 「俺たちまで見つかっちゃうでしょ?」
 彼方此方に傷を負った彼は、そっと扉の外を示す。
 奇妙な仮面をかぶった何者かが、マリアの持っていたものよりひとまわり大きい銃を抱え、周囲を見回していた。
 その人物が通り過ぎた後、ネルは短刀から手を離す。
 「……一体何が起こってるんだい?」
 「俺が知るか」
 答えたのは、部屋の中央に座るアルベル。まだ包帯を残したまま、その身体には更に傷を負っている。
 「五人連れてきたんだけどね、全員やられた。誰かは知らないけど、あの持ってるものからビィっと光が出て」
 「……それで、あんた等ここに逃げ込んだってわけかい」
 別に悪気があっての言葉ではないが、アルベルは舌打ちをした。
 「で? ネル、何でここにいんの?」
 「散歩だよ、ただの」
 「あー、それはご愁傷様」
 合掌するソルムを押しのけ、アルベルがネルの隣に並ぶ。
 「ともかく、このままじゃ埒が明かねぇ。不本意だが、手伝え」
 「お願いします、が抜けてるよ」
 「うるせぇクソ女」

 その瞬間、ネルの肘がアルベルの頬を弾き飛ばした。まさか、この程度で手を出してくると予想しなかったアルベルは、まともにそれを受けて床に倒れる。
 「……てんめぇ……何しやがる……!?」
 傷口が開いたのか、アルベルは息を荒くしていた。
 「どういうつもりだいっ、あんた! 人のし…しし……臀部なんか触って!」
 「……はあ?」
 「ひにぅっ!?」
 怪訝そうな顔をする彼の前で、ネルは短く叫び、自分の尻を撫でた手を捕まえた。
 やけにごつごつして、冷たい。振り向くと、倒されていた鎧の模型が動き出し、更にもう片方の手をネルに伸ばそうとしているところだった。
 「……!?」
 「!?」
 二人とも、思わず息をのむ。鎧はぶんぶんと手を振り、自分の頭……兜をこつこつと叩いた。
 ネルはしゃがみ込むと、兜に手をかけ、外してやる。

 「あー、やっぱりネルさんだ」

 銀髪の少女は軽く笑うと、深呼吸を始めた。自分では外せなくなり、軽い酸欠状態になっていたらしい。
 「……レナス……!?」
 現れた顔を確かめるように、ネルは彼女の額を撫でた。
 「あんた……どうしてこんなところに!?」
 「いや、ちょっと、隠れてて」
 レナスは鎧を脱ぎながら、壁際の二つの棺を振り向く。その中には、ソフィアとロキシがいた。
 「で、二人は何でここに?」
 「……アタシは散歩。こいつらは……」
 いつの間にか、ソルムが倒れている。
 「……ちょっとアンタ、連れが失神してるよ?」
 「こいつは幽霊とかが大嫌いだ。気にすんな」

 ガガッ……ガガッ……

 妙な電子音に、三人は口を閉ざす。

 『……聞こえるか? レナス・ラインゴット。ビウィグだ』

 レナスははっとして扉の近くまで駆け寄ると、そこから外を覗き見た。バンデーン兵がスピーカーを持ち、廊下を歩いていく。そのスピーカーから、ビウィグの声がしていた。
 『マリア・トレイター、クリフ・フィッター、ミラージュ・コーストの三名は、こちらの手に落ちた。五分以内に投降せよ。さもなくば……』
 バンデーン兵が立ち去った後、ネルがレナスの肩に手を置く。
 「なぁ……どういう事なんだい? あの三人が捕まったって言ってるけど」
 微かではあるが、あちこちからビウィグの声がしている。
 「……でも……」
 レナスは口籠もる。これは、星の外の問題であるから。
 巻き込まれてしまったばかりの彼女たちを、再び巻き込ませるわけにはいかない、そう思った。
 しかし、あの三人が捕まった? だとしたら自分はこれから、どうすればいい?
 「レナス」
 再び、ネルは呼びかける。
 「厄介ごとなんだろ? 手伝わせてくれるかい?」

 どうする?
 言われたとおり、ソフィアとロキシを連れて逃げればいい?
 それとも、ネル達に頼んで協力して貰う?

 「おい」

 それまで黙っていたアルベルが、ついに口を開いた。
 「黙ってんじゃねぇよ。とにかく、俺は行くぞ」
 「はぁ? 行くってどこにだい」
 「部下を五人も殺られちまったんだ。落とし前は付けさせる」
 身体を起こし、出て行こうとする彼を慌てて呼び止める。
 「駄目! そんな、一人で……」
 「じゃあ何だ、お前らも来るのか?」
 「…………」
 レナスは目を閉じ、開けると、二人を近づけた。
 「あの……すっごく危険だから。勿論、全員殺されちゃうかも知れないから」
 「死なずに済む案があるんだろ? ほら、言ってみな」
 「さっさとしろ、小娘が」
 「……じゃあ……」





 「あのよぉ……」

 バンデーンは、クラウストロ人用の手錠まで用意していた。
 「俺、前にもここで、こんな感じで、捕まっちまってた覚えがあるんだけど」
 「クリフ。貴方には、学習能力というものが欠如しているように思えます」
 「うるせぇ」
 今更ながら、少々無理の多い作戦だった。
 「……どうします? マリア」
 「待機よ」
 流石に、たかが三人。一人が崩れればもう一人が、そして最後の一人がと、連鎖的に捕らえられ、再びこの屋上まで引っ張ってこられた。バンデーンの正規兵だけあり、皆なかなか隙を見せたりはしない。
 「ねぇ」
 転がされたまま、マリアはビウィグに声をかける。
 「これでレナスが来たら、私達をどうする気?」
 ビウィグはマイクから口を離すと、こちらを向かないまま答えた。
 「身の安全を心配しているのなら、保証しよう。せっかくトップ3を捕まえられたことだしな。我々のカードになってもらう」
 つまりは、思わぬ収穫というわけか。
 「ところでクリフ」
 「あん?」
 ミラージュが、小声で話しかけてきた。
 「その時は、どうやって助かったんですか?」
 「フェイトが来てな、敵の頭を始末した」
 「幸運でしたね」
 「ああ、今回もそれを期待したいところだが……」
 クリフは装置へと目を向けた。
 よく見れば……まぁ外見だけで分かるものでもないが……なかなかに高性能らしい。これほどの技術の妨害を破れる準備が、果たしてアクアエリーにはあるのか。偶然にもヴィスコムがその対策をしていて、偶然にもこちらの危機を知り、助けてくれる……そんな期待は、するだけ無駄だろう。
 それにいくらフェイトでも、生身で宇宙遊泳をして大気圏突入、というような、どこかの塾長の真似など不可能だ。
 「……来たわ」
 「あ?」
 マリアの声に促され、彼女と同じ方向を向く。そして、呆れたような溜息をついてしまった。

 (……そりゃ……来るだろうけどよ……)

 彼女の性格から考えて、こうなることは予想できた。しかし是非とも、それを裏切って欲しかったのだ。
 レナスの手には、ナイフ。それに見覚えがあるのは、クォーク側の三人だけだ。彼女はそのナイフの刃を自分の首筋に寝かせたまま、ゆっくりと、屋上の中心へと歩いてくる。
 ビウィグは舌打ちし、銃口をマリアのこめかみに当て、止まれと怒鳴った。レナスは歩みを止める。
 「……ロキシ・ラインゴットと、ソフィア・エスティードはどうした」
 「まだ、ここの中。自分で探せば?」
 手が、小刻みに震えている。それはレナスの怯えだったが、ビウィグにとっては厄介だった。怖いのならナイフを放せばいいのに、それをしない。いつ手元が狂い、あの刃が頸動脈を切り裂いてしまうのか……それが、厄介だった。
 「三人の拘束を解いて」
 「…………」
 ビウィグは最大限の譲歩として、マリアの手錠のみを外す。クラウストロ人を自由にさせるなど、到底聞き入れられる要求ではない。拘束を解かれたマリアだが、勿論近くのバンデーン兵たちは、一斉に彼女へと銃口を向けた。
 「解いたぞ。ともかく、ナイフを外せ」
 「クリフとミラージュさんのは?」
 「あまり調子に乗るな。それとも、どちらかを先に殺して見せるか?」

 ぐい、と、レナスは刃を自らの首に突き刺そうとした。

 それに全員が気を取られた瞬間、壁の向こう側から二つの影が現れる。一人は短刀を、一人は刀を。それぞれ着地と同時に、妨害装置へと斬撃を叩き込む。

 「なっ……!?」

 「ちっ、足りない!」
 「うぉぉっ!」
 いくらか不具合を起こしはしたが、衝撃が足りなかったことを悟ったネルとアルベルは、再び得物を振り上げる。しかし、バンデーン兵の動きが速かった。二人に向かって、一斉に光線が放たれる。
 アルベルが咄嗟に装置を盾にし、その陰に隠れる。僅かに出遅れたネルの鼻先を光線が掠め、彼女は思わず仰け反ると、後方へと跳躍した。

 一人、バンデーン兵の中に出遅れた者がいた。
 彼はまだ正規兵となって日が浅く、実際に人類を撃ったことはない。闖入者の出現に対する驚きを抑え付けるのにも、人一倍時間がかかった。
 しかし、だからこそ、まだ撃っていなかったからこそ、スムーズに赤髪の女を狙うことが出来た。本来なら止まれ、や、動くな、という言葉が叫ばれるべきであるが、それは恐怖心に遮られ、その恐怖心は更にトリガーの指へと伝わる。

 たった一人だけリズムの違うバンデーン兵の危険に気づけたのもまた、たった一人だけだった。

 突き飛ばされたネルは、その身体を壁に叩き付ける。衝撃が脳へと達し、呻き声が漏れた。
 そのままずるずると下がり、座り込む。視界の端で、青いものが沈んでいくのが見えた。





 何で……?
 何で……?
 何で、こんな事に……?

 マリアの左胸に、穴が開いている。
 彼女の身体が、傾いた。
 何かが切断されてしまったように、マリアの身体はその場へと倒れ伏す。
 潰れたトマトのように、赤い液体が流れ、広がり、冷たい石造りの床を染めた。

 私は……どうすればよかったの?

 決まっていると、何かが答える。
 破壊してしまえばよいのだと。

 レナスはナイフを落とすと、その場に膝をついた。



[367] 36
Name: nameless◆139e4b06 ID:68c26b6a
Date: 2008/12/19 19:59
 「……報告します。エリクール二号星の地表、交換地点の半径数キロにおいて妨害信号を確認。通信、転送共に不可となっております」
 「それを、他の三人に話したか?」
 「いえ。まだハヤト様にしか……」
 「良し。ならばすぐに我を転送せよ」
 「……いやだから、出来ないんですって!」
 「出来るだろう?」
 「…………ちょっと、まさか……!?」
 「問題ない」
 「責任持ちませんよ?」
 「了承した」





 あなたは誰?

 私は乙女

 なんでいるの?

 あなたを護るため

 どうやって?

 全てを壊して

 私、どうすればいいの?

 悲しいでしょう、あの娘が死んで

 まだ、死んだと決まったわけじゃない

 いいえ、死んだわ、心臓を撃ち抜かれて

 本当に死んだの?

 ええ、死んでしまったわ

 とても悲しい

 そう、とても悲しいこと
 とても悔しいこと

 悔しい?

 悔しいでしょう、あの娘が殺されてしまって

 うん、悔しい

 それならば、報いを

 報い?

 そう、報い
 全てに裁きを

 裁き?

 裁かれなければならない
 神の見捨てた地で、裁く者のいなくなった地で、ならば力ある者が裁かなければ

 誰が裁きを?

 それはあなた、あたなと私
 力があるのだから、裁かなければ

 私が、裁く?

 そう、裁きを





 俯いていたレナスが、ゆるりと顔を上げた。その額には、浮き出した紋章がある。
 ビウィグは愕然とした。転送も通信も、自分たちまで行えなくなっている。あの二人の攻撃のせいで、一時的なものではあるが、回線が歪んでしまったらしい。
 動ける者などなかった。青い光が周囲を照らし、紋章が広がった。
 バンデーン艦を消し去った力の映像は、ビウィグもリアルタイムで見ている。しかしついに、覚醒の条件などを聞き出すことは出来なかった。
 (不確定なもの……ならば、感情か?)
 現在の推測では、その可能性が最も高い。恐らくレナスの意識は閉ざされている。でなければ、仲間もいるこの状態で発動させる筈が無かった。





 裁きを、全てに

 全てに……?

 そう、全てに。このような事態を引き起こしてしまったこの世界に、報いを

 どうすれば?

 安心して
 私とあなたと、二人でやるの
 二人でやれば、大丈夫
 あの時、バンデーン艦を消し去った時のように

 あの時の……?

 そう、その通り。だから……



 あの時、フェイトが目の前からいなくなり……自分の世界は崩壊したのだと思った。そして、自分の力が解放された。
 次には、マリアが来たとき、会議室で。フェイトが消える恐怖から、ほんの少しだけだったが、解放してしまった。
 そして、今回が三度目。二度あることは三度あるとは、よく言ったものだ。

 ネルの顔が浮かぶ
 マリアの顔が浮かぶ
 クリフの顔が浮かぶ
 ミラージュの顔が浮かぶ
 アルベルの顔が浮かぶ

 でも……仕方ないよね……

 そして、フェイトの顔が浮かんだ

 ………………

 ………………



 「仕方ないわけないでしょがぁぁぁぁぁっっ!!」



 レナスの放ったドロップキックは、“乙女”を数メートル後方へと弾き飛ばした。

 「あああああっ、危なかった! 今! 今私、ダークサイドに陥ってた!! もー少しで暗黒面にずっぷりはまってた!! てゆーかここどこよ!? そしてアンタ誰!?」

 わ……わたしは、乙女……

 「なーにが乙女よ!? 今度はサマーソルトぶちかますわよ!」

 ……17年……

 「は? 何よ!?」

 17年……待って……やっと、自由になれると思ったのに……

 もういいわ……

 あなたなんか、知らない……!!

 あなたなんかいらない!

 あなたを閉じこめて、今こそ自由に……!!

 「しゃらっぷ」

 げふっ

 「……あっ、そうだ! マリアが! ほらっ、さっさと私をここから出しなさいよ!」

 い……いや……!!

 「口答えするなら……ぅらああっ!」

 いやぁぁぁぁぁぁぁっ!

 「ほらほらほらほら! さっさとしなさい!」

 いたたたたたたたたたたたっ、いったぁぁぁぁいぃぃぃぃぃ!!!

 「どうするの!? これからもっと痛くなっちゃうよ!?」

 ひいいいいいっ、ごっごご……め……

 「何? はっきり言いなさい!」

 ご…ごめんなさいいいいっ、ゆるしてぇぇぇぇっ

 「……分かればよろしい。ほら、さっさと元の世界に帰して」

 …………それはイヤ

 「……アイリッシュホイップ!」

 ぎゃふっ

 「青天井エルボー!」

 ごはっ

 「ノーザンライトスープレックスホールド(別名:北斗原爆固め)!」

 あいだだだだだだだだっ、いだいいっ、やめてぇぇぇぇぇ!!

 「はぁ……はぁ……。帰してよ……」

 ………………やっぱりイヤ

 「……ふふ…あはは……あははははははっ」

 ……えへへ……

 「……じゃあ次、フルネルソンスープレックスいってみよー」

 いやああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……!!!





 何が起こっているのか、説明を引き受けることが出来る者はいない。
 レナスが意識を失い、彼女の額から紋章が浮き出た。次に起こるのは、絶対の破壊の筈である。
 しかし、その破壊が訪れない。浮き出た紋章がふにょふにょと拡大縮小を繰り返し、処理落ちしたシステムのように、なかなか先へと進まない。
 ビウィグは、その破壊が防ぎようのないものであることを思い出した。防ぎようがないなら、心配して何になるというのか。兵士のうちの二人にレナスを見張るよう命令すると、彼は他の部下達と共にネルとアルベルを抑えに回る。
 突き飛ばされたネルは、地だまりに沈むマリアの隣に座り込んでいた。
 抵抗するアルベルも、咄嗟に兵士の一人が投げたスタンボムに触れてしまい、刀を落として倒れ込んだ。
 二人を後ろ手に拘束する兵士達の行動を見届け、軽い安堵を覚えつつ、ビウィグは妨害装置の調整を命じると、改めてレナスを見る。
 紋章の拡大縮小は未だに続いていたが、徐々に縮小が押し勝ち始めた。
 ネルは、レナスではなくマリアの方を向いている。しかし、マリアが動く気配はない。倒れ込むようにして彼女の胸に頭を乗せるが、心音は無かった。
 起きあがれず、ネルは一人唇を噛む。何故、突き飛ばしたのだろう。何故、助けたのだろう。
 「……マリア……!!」

 ぽん

 「……!?」
 ふと、頭に優しい手が添えられた。視線を挙げると、マリアの目が僅かに開き、その口元には微笑みがある。大丈夫と、声なき声が見えた。
 一方、レナスの紋章は更に縮み、ぱんっ、と、まるで拍手のような小さな音をさせて、完全にかき消える。
 レナスはかっと目を見開いた。

 「戻ったあああああああああっっっ!」

 突然の咆吼に、バンデーン兵たちの肩が揺れる。クリフは首を回し、怒鳴った。
 「おい、レナス! 大丈夫か!?」
 「ばっちり! きっちりスリーカウント取ってやったわ!」
 「スリーカウント?」
 聞き返すクリフだが、ビウィグが動く。号令で、他の兵士も一斉に銃を構える。現在の状態を思い出し、慌ててナイフに手を伸ばすレナスだったが、その指先をかすめるように光線が抜けた。
 (よしっ、これでようやく……!)

 ビウィグは、作戦の完了を確信する。

 しかしこの時、既に意識の外の力が、新しい障害があった。

 妨害装置にも、“穴”は存在する。
 地上500メートルより上空への生身の転送は、想定されていない。

 『天漏雫(あもるか)』

 バンデーン兵達は、一斉に引き金を引く。その光線に殺傷能力は無いが、触れれば意識は奪われる。それらがレナスへと集中した。
 しかし、予想した光景は実現されなかった。その光景は倒れ伏すレナスではなく、爆発後のような土煙。
 一瞬、何が起こったのか……。そうだ、何かが雷光のように落下してきたのだと、ビウィグは記憶を掘り起こす。隕石か何かが落下してきて、それによって光線が阻まれた。
 土煙が晴れると、土埃に咳き込むレナスと、彼女の目の前の床にあいた大穴があった。必死に土埃を払うレナスに向け、ビウィグは再び光線を打ち出す。が、何かが大穴から飛び出し、何かが光線を阻み、光線は拡散してかき消える。
 何か、とは人間であり、もう一つの何か、とは裸の拳であった。
 頭にはバンダナを巻き、上半身にはサラシのみ。衣服は、真っ黒のズボンのみで、靴すら履いてはいない。
 格好から未開の人類、即ちこの星の人間だと判断したビウィグは、更に引き金を引いた。しかしそれも、その男の振り回す拳でかき消される。

 「……なぁ、ミラージュ……さっきのって」
 「ええ……『エリアル・レイド』のようでしたが……」

 二度、光線をかき消され、ビウィグはそれがその男の実力であることを悟った。
 「……何者だ」
 男は答えず、レナスの前で腕組みをして仁王立ちしている。勿論、そこをどく気は無いようだ。
 「答えない、か。そこをどかないのなら、こいつらが死ぬ事になるが、構わないか?」
 クリフとミラージュに、いくつかの銃口が向けられる。そこで初めて、男は口を開いた。
 「構わない。今日が彼等の命日だった、それだけのこと。……だが、忠告しよう、とある策士の言葉を。“そいつが勝ち誇った時、既にそいつは敗北している”」

 背後で、凄まじい破壊音が聞こえた。

 突然の闖入者に気を取られすぎ、その他のことを見落としていた。振り向くと、煙を上げる妨害装置。確認するまでもなく、機能停止まで破壊されている。
 「……な……!?」
 それを為した人物は、血塗れだった。
 「……マリア・トレイターぁぁ!!」
 ビウィグの怒号に、彼女は嗤う。身体はネジのように回転し、沈み、転がっていたアルベルの刀を掴むと、そのまま数人のバンデーン兵を切り裂いた。

 「よくも……やってくれたな?」

 回転した拍子に、かつらが外れる。そしてその声は、マリアのものではなかった。

 「うちの団長を、よくも傷もんにしてくれたなぁ!?」

 上空から、別の声がかかる。屋上の壁の上に、いつの間にか男が立っていた。その両隣。さらに、その両隣。妨害を再開する暇もなく転送が行われ、壁の上は、たちまち雑多な人々で埋まっていった。

 「どうする? 殺すか? 殺せばいいのか?」
 「まぁ待て、それは団長が決めなさる」
 「じゃあ手足だけでも落としとくのは?」
 「やめとけ。仮にも兵士だ、慈悲深く殺せ」
 「ほほ捕虜にしして、かか金をを……」
 「おいテメェ等、うるせぇ! 黙ってろ!」
 「何、仕切ってんだボケがっ!」
 「年長者を敬え、糞餓鬼め」

 「うるさい」

 壁の上に現れた彼等の会話は、青髪の青年の一言によってピタリと止む。

 「あ、通信も転送も無駄だから。多分、バンデーン艦は全部戦闘中だろうし。……どうする、ビウィグ? 投降の方法ぐらいは知ってるよな?」

 フェイトは刀の切っ先を向け、口角を吊り上げた。





 「目が覚めたか?」

 知らぬ天井で覆われた視界は、誰かの声によって鮮明になった。
 飛び起きたマリアは、銃を抜いてベッドの上で構える。その先にいたのは、テーブルの上のチョコバーに手を伸ばす、アレックスだった。
 「あー、クソ甘ぇ。これだよこれ、どうやったってクリエイションじゃ作れなかったんだよ。この、甘さのテクノロジーの結晶体? 技術に感謝だな」
 「……ここは!?」
 「アクアエリー」
 「!?」
 「まぁ落ち着け、銃だって取らなかっただろ?」
 チョコバーから手を離さないまま、アレックスは答える。どうやら艦内の一室らしいが、特に拘束されているという雰囲気でもなかった。
 「あと、あんまり騒ぐな。ヴィスコムと数人以外は、まだお前をフェイトだと思ってるんだから」

 あの時……
 ビウィグから通信を受けて、人質交換の場所を指定されて……
 そしてフェイトを連絡艦に連れて行って……
 それから……意識が……

 「いや、俺も驚いたぜ。青髪が見えたから、てっきり先に乗ったと思ってよ。一言も喋らねぇから、機嫌が悪いんだと思ってたら……これだよ。ヴィスコムのおっさんもカンカンで……」
 「人質交換はどうなったの!?」
 「多分、フェイトがお前に化けてやがる。だから大丈夫だ。それに、こっちも援軍が到着した」
 「援軍?」
 「窓、見てみろ」
 促され、外へと目を向ける。
 星々の輝きはなかった。ただ、漆黒の闇が広がっている。背伸びをし、見下ろすように覗き込んでようやく、何か巨大な物体がすぐ隣にあるのだと悟った。
 「天啓の主力艦『ナユタ』。確認されてる現役の戦闘艦の中では、宇宙で六番目に大きい。……もっとも本当に恐ろしいのは、中身の連中だがな」





 戦艦『ナユタ』については、謎が多い。
 銀河系トップクラスの図体で、建造には膨大な年月と莫大な費用が必要であった筈なのに、その情報が確認されたのは三年前になってからだった。それまでどこの勢力も、かけらも存在の可能性を見出せなかった。当時は、銀河連邦、アールディオン、バンデーンのいずれでもない、新勢力の出現かと危惧された。

 『HQ。こちらレーデンスラッグ。バンデーン艦“プニュエッパカ”の制圧完了』
 『こちらランドクーパー。バンデーン艦“サンパリン”制圧』
 『あー、HQHQ。こちらスナックベリー。バンデーン艦“テゥビッグ”を制圧』

 そのナユタへと送られる通信は、メンバーが持参した通信機によって、全て地上のフェイトにも聞こえている。左胸に空いた穴を塞がせながら、彼はそっと上空を見上げた。

 「ほらほら急げっ、滞在許可はあと10分もないぞ!」

 転送された衛生部隊は、修練場の屋上を仮の病院とし、クリフやミラージュ、アルベル達の手当に当たっている。アクアエリー、ディプロ共に、まだ回線は復活していなかった。
 「終わりました」
 「ん、ありがと」
 服を着て、フェイトは立ち上がる。そこへ、バンデーン兵達の連行を終えたハヤトが、再び戻ってきた。
 「あれ? 速かったね」
 「う…うむ」
 「戻らなくても良かったのに」
 「いや、その……」
 他の三人に無断で飛び出したハヤトとしては、ナユタにいたのでは命に関わる。帰還はフェイトと同時に行い、有耶無耶にするつもりだった。
 「団長、我々はこれで」
 あらかたの手当を終えたと見ると、衛生隊長は敬礼で挨拶する。
 「もう戻るの? もっとゆっくりして行けばいいのに」
 「団長の作られた規則でしょう?」
 あきれ顔の隊長に、フェイトはそうだっけと惚けた顔を返した。
 「ところで団長はどうされます?」
 「バンデーンの処理で艦も大変だろうし、暫くここで待ってるよ」
 「了解しました」
 衛生部隊と、彼等の器具一式が転送され、跡形もなく消え去る。残ったのはフェイトとハヤト、そして手当を受けたレナス達だけだ。
 「……お前、マジで団長だったんだな」
 「何だよ、そんなに信用なかった?」
 「いや、実際に目の当たりにして改めて、な」
 クリフは膝に手を置き、立ち上がる。
 「それじゃ、カルサアの宿でも借りようか」

 ロキシとソフィアを転送しなかったのは、フェイトの配慮と言えた。身体に異常はなく、もう少しで目覚めるとのことで、ゆっくり休めるカルサアへと運んだ。それはつまり、天啓がラインゴット博士を何らの道具にも使わないことを示している。

 しかしクリフ、ミラージュの二人には、ラインゴット博士の身柄よりも重大な問題がある。それは、マリアの身柄。ロキシを求める彼女は、現在フェイトの代わりにアクアエリーの内部にいる。ヴィスコム提督の一言があれば、マリアはたちまち虜囚となる。クォークのリーダーは現在、人質にされているのだ。普段通りに振る舞いながらも、いつフェイトが通信をアクアエリーに送るか、気が気ではない。

 バンデーン艦隊が制圧されたという情報は、ディプロからナユタ経由で、クリフ、ミラージュも確認している。クォークの幹部のごく一部にのみ、マリアがアクアエリーにいることを伝えると、勝手な真似をしないように釘を刺した。

 つい先ほどまで、三つ巴の勢力は拮抗していた。

 しかしそれが崩れ、歪に変形する。銀河連邦寄りの天啓と、クォーク。この機会にとヴィスコムが決断すれば、クォークは文字通り手も足も出せぬまま捕縛されてしまう。その戦力差があるにもかかわらず、マリアが人質とされているのは、力任せに事を進めるつもりがないからだ……そう信じるしかなかった。

 「あれ? 行かないの?」
 「何してんだい?」

 レナスとネルには、その勢力図がわからない。それぞれロキシとソフィアを背負い、クリフとミラージュを振り向いていた。

 ハヤトにアルベルを背負わせるフェイトは、振り向かずに修練場の中へと消えていった。



[367] 37
Name: nameless◆139e4b06 ID:68c26b6a
Date: 2008/12/22 23:48
 ヴィスコムがフェイトと出会ったのは、三年前のハラキンシュ鎮圧戦だった。ただの辺境の星の反乱軍鎮圧だったはずが、バンデーンから流れてきた最新兵器で武装した反乱軍の前に、予想もしなかった劣勢へと陥る。指揮官を任じられたヴィスコム自身、幾度と無く危機に晒された。
 ある朝、偵察から帰ってきた工作兵により、新しい情報が与えられる。信じられず、ヴィスコム自身、敵の本拠地へと急行した。
 反乱軍本部のホテルの最上階、スイートルームのソファでは、青髪の青年が一人、膝を組んで窓の外を眺めている。反乱軍の姿はなく、壊れた町並みの復興に励む人々がいた。
 反乱軍は?と問えば、解散したと彼は答えた。何者だと問えば、この星を本拠地にすることにした、財団の理事長だと答えた。

 鎮圧の手柄は、ヴィスコムのものとなった。

 青年が対価として求めたのは、銀河連邦へと自分たちを紹介すること。彼等はその後、表向きは賞金稼ぎ、裏向きには銀河連邦からの依頼を公私にわたって引き受ける、仕事人となった。
 その関係は、今更解消出来るものではない。そうするにはあまりにも、天啓は強大過ぎる。銀河連邦の裏の裏まで、天啓は足を突っ込んでいた。しかしフェイトの若さを見、時折表に出す愚かさを見、上手く飼い慣らすことが出来る筈だと、銀河連邦はそう判断していた。

 天啓の敵はあくまで、換金できる賞金首なのである。

 しかし今回、彼等ははっきりとバンデーンに喧嘩を売った。頭領を助け出すためというのなら、バンデーン艦を残らず制圧してしまう筈がなく、そうならずに終わらせる交渉の仕方も、彼等は知っている。
 部下の勝手な暴走だと、そんな説を見いだすことは出来ない。頭領のフェイト自身が、はっきりとヴィスコムの要請を裏切った。今までなら、多少の違法行為をしたところで、そのほとんどが銀河連邦にとって害のないものであり、あっさりと見逃された。しかし、これは違う。ヴィスコムの要請は銀河連邦の要請であり、公式なものだ。それをはっきりとした形で、フェイトは裏切った。幸いにもヘルメス長官への報告前に気づけたが、遅延の言い訳を考える身としては頭痛の原因だ。

 「……まったく」

 ヴィスコムは苦笑いし、やれやれと首を振る。しかしそれは、ここがブリッジで、部下達の目もあってのことだ。今回のことが、いつものフェイトの我が儘であると思わせ、彼等を安心させてやらなければならない。
 マリア・トレイターを送りつけておきながら、手を出すなとは、大変なことを言ってくれたものだ。更には彼女を、大勢の部下達に悟られることなく返してやれと言う。

 (……本当に、ただのわがままであって欲しいものだ)





 「それじゃ、牛乳とって」
 「はいっ」

 ぐつぐつと煮え立つシチューに、ちょろちょろと牛乳を加える。かきまぜて、お玉で掬い上げ、小皿に移す。それを、レナスに渡した。
 「どう?」
 「うん……おいしいです」
 「じゃ、完成だね」
 フェイトはエプロンを外す。宿屋のキッチンにはあまり食材が残っておらず、わざわざアリアスまで使いをとばし、調達してきたのだ。
 三つの深皿に取り、匙を付けて盆に乗せる。階段を軋ませながら二階へ上がると、客室のドアを開けた。
 「はいはい、ご飯ですよー」
 深皿を両手に持ち、それぞれロキシとアルベルに渡す。
 「シチュー……か」
 「……アルベル、どうかたの?」
 「うるせぇ、思い出しただけだ」
 怪我人とは思えないほど元気なアルベルは、レナスから皿を奪うと、一人さっさと食べ始める。
 「大丈夫?」
 気候の違いからか、それとも心労からか、ロキシはカルサアに到着して間もなく、体調を崩してしまった。ベッドの上で目を開けると、レナスに弱々しい笑顔を作る。
 「ああ……少し、疲れてしまっただけだ……」
 「そう……」
 「おい、次だ」
 「速っ! そんなに元気なら、自分で取ってきなさいよ!」
 「怪我人に無理させんじゃねぇよ」
 アルベルは匙を銜え、からになった皿を突き出してくる。文句を言いつつ、レナスもそれを受け取る。
 「……なぁ……レナス……」
 「うん? どうしたの父さん、リンゴ?」
 「お前まさか……そんなプリン・ア・ラ・モーロ出し野郎と付き合ってるんじゃ」
 「ていっ」
 「んぼっ!?」
 アルベルの皿を、ロキシの顔面に落とす。
 「んじゃ私、ソフィア見に行ってくるから」
 「レナスぅぅぅ、そうなのかぁぁぁぁ? そうなんだなぁぁぁぁぁ?」
 「おい待てっ、こんなオヤジと二人っきりにすんな!」
 「レナスぅぅぅぅぅぅ」
 ロキシの声は、ドアを閉じていくと同時に急速に小さくなっていった。
 流石に同室にするわけにはいかず、ソフィアの部屋は別に取られている。彼女のシチューは、フェイトが持って行った筈だ。

 ふと、レナスの第六感に電気が走る。

 「ちょっとお邪魔します!」
 急いでソフィアの部屋の扉を開けると、ソフィアがベッドの上で口を開けていた。ただしシチューの皿も匙も、フェイトの手にある。
 「何……してんの!?」
 「いや、ソフィアが、食べさせてって言うから」
 「それで……食べさせて!?」
 「うん」
 「あーん」
 「あ、はいはい」
 新しい一口をすくい、軽く息を吹きかけて冷ますと、ソフィアの口へと運んでやった。
 「……フェイトさん……何かソフィアに、甘くありませんかねぇ……!?」
 「え、そうかな?」
 相手が一応は病人なので、レナスも殺気立った笑顔を作ることしか出来ない。
 彼女にとって驚くべきは、未だソフィアがフェイトを諦めていないという事実だ。勝ち目は、より長い時間を共に過ごした自分にある筈。なのに何故自分は、こんなにも不安な気持ちに囚われているのか。
 最近ようやく気付いたことだが、フェイトは好かれるくせに、恋愛経験は皆無と言ってもいい。よくある高嶺の花現象なのか、はっきりと言い寄ってくるのはそれなりに自信のある女性だが、そのアプローチにもピンと来る様子はない。
 しかし一度意識させれば、そこから一気に雪崩が起きる可能性が十分にある。
 「……フェイトさん。アルベルがおかわりだそうです。代わります」
 「あ、そう? じゃあこれ……」
 両手の皿と匙をレナスに預け、フェイトは部屋から出て行った。
 ソフィアはレナスの手から皿と匙を取り、食べ始める。
 「……諦めて無かったのね」
 「うん。レナスって結構奥手だし、何か出来るとは思わなかったから」
 「くっ! そ、そんな事ないわ! 色々と、一緒に……」
 「はいはい」
 「……」
 レナスはそっと、ベッドに腰掛けた。
 「まぁ……ともかく」
 「ん?」
 「無事で良かった」
 「……ありがとう」





 呼び止められ、ハヤトは振り向く。すぐ後ろを歩いていた老婆を避けると、自分を呼び止めた男の方へと近づいていった。
 「どうかしたか? ……クリフ」
 「いや、偶然アンタを見かけたんでな。ちょっと付き合わねぇか?」
 クリフが指さした先には、酒場がある。シーハーツから届けられる援助物資により、最近ようやく休業の札を外したばかりだった。
 「下戸だが?」
 「そろそろ飯時だろ? まぁ、いいからいいから」
 人でごった返す一階に比べ、階段を上ったテーブル席はすいている。その中の一つに、ミラージュが座っていた。促され、ハヤトは空いた席に腰掛ける。
 「んで? 何食う?」
 「……ルムのシチューに白身魚フライ、茶」
 「茶はサービスだ」
 「そうか」
 ハヤトは背もたれに体重を預け、腕を組む。茶が運ばれてきた。
 「この国はなかなか肌に合う」
 「へぇ」
 「自然と、尚武の気風が根付いている。素晴らしいことだ」
 改めて見るまでもなく、ハヤトの服装はこちらが寒くなる。足は相も変わらず素足で、上半身はサラシを巻いたのみ。それで震えるわけでもなく、平然と雪の中を歩いている。
 熱線を拳で叩き消す光景は、はっきり言って未だ幻だったのではと思えた。
 「天啓にはまだ、アンタみたいのがいるのか?」
 木製のカップを持ち上げると、クリフが尋ねてきた。ハヤトは茶を半分ほど飲み、カップをテーブルの上に置く。
 「ああ、いる。少なくとも、団長以外に二人、敵わないヤツがいる。そもそもが、宇宙の彼方此方から集められた選りすぐりだ。強大すぎて疎外された者、危険分子として放逐された者……それらを吸収していき、現在の天啓がある」
 「マジかよ……」
 「そして、このハヤト……これでもそれらの中の、五指に入るほどの能力を有していると自負している。効き目が出るのを待っても無駄だ」
 そう言うと、彼は再びカップを持ち上げ、中身を全て飲み干した。
 「フルニトラゼパムに、コカインか。酒を頼まなくて正解だった」

 テーブルの下から振り上げられたミラージュの足が、板面を弾き飛ばした。顔面へと襲いかかるそれを、ハヤトは額で叩き割る。

 ミラージュとクリフは、ハヤトを挟む形で構えた。
 「……マリア・トレイターの身の安全は、団長が保証なされた筈だが」
 「そうもいきません」
 「ボスを人質にされて、黙ってられるほど大人でもねぇんだ」
 「……魔神を屈服させる為に、鬼神を捕まえようとするとは。無謀な」
 左右から、二人が飛びかかる。ミラージュの蹴りを独楽のように回転して避け、その回転の勢いを使い、ハヤトは拳をクリフに叩き付けた。拳は、ガードしたクリフの腕に当たる。

 (やっぱ、力はそれほどねぇ。多分地球人だろう。……けど何なんだよっ、このクソ硬ぇ拳は!?)

 よろけたクリフに背を向け、ハヤトはミラージュをターゲットに移す。バンダナを擦るように彼女の拳を避けると、人差し指と中指を揃えて伸ばし、下方から一直線に振り上げた。指は刃物と化し、ミラージュの短パンの裾からジャケットの襟まで、一気に切り裂く。
 はだけかけた衣服を反射的に庇い、隙が生まれた。ハヤトはミラージュの首を掴むと、そのまま彼女の身体を壁に叩き付ける。
 「くぁっ……!!」
 首から手を離さず、ハヤトは顔を近づけた。
 「なかなか趣味のいいブレンドだった。副作用はふらつき、倦怠、刺激興奮、錯乱、意識障害……」
 左手がジャケットのポケットに伸び、そこから薬包紙を取り出す。器用に開封し、それらを傍らにあった酒瓶の中に沈めた。
 「……そして、性欲の向上」
 ハヤトは酒瓶を持ち上げ、息をしようともがく彼女の口に、瓶の口をねじ込む。
 「……!? ごぼっ……!」
 「知っているか? アルコールとの併用で、高確率で健忘を引き起こすことから、昔は強姦に使われたこともある」
 ミラージュの視界に、凶悪に歪んだハヤトの笑顔が映った。
 「報復を受ける覚悟は……出来ているだろうな?」

 ドギャッ

 飛びかかったクリフが、ハヤトの頭を蹴り飛ばす。倒されたハヤトは素早く起きあがるが、既にクリフは再び跳躍していた。

 『マイト・ハンマー』

 閃光と共に打ち下ろされた力の塊が、ハヤトを襲う。彼は両手を顎の前で交差させ、そのまま突進してきた。

 『牛頭馬突き』

 襲いかかる力の塊を避けず、自ら衝突する。

 (……マジかよ畜生……)

 そして打ち破った先には、まだ着地していないクリフ。彼に衝突し、しかし突進は止まらず、反対に加速し、ついに二階の壁に達した。

 ドゴォォッ

 壁が破れ、二人が空中へと飛び出す。しかしそれも一瞬で、再びクリフの背中が、隣の宿屋の二階の壁を打ち破った。
 「クラウストロ人なら、死にはしないだろう」
 ハヤトはクリフの腹を踏み台にして、跳躍する。そして半転し、天井に両足を置くと、身体を捻り力を溜めた。

 (ヤベェ……!!)

 あの時の技だと、直感した。周囲の時間の流れが急に緩やかになり、弾け飛ぶ木片の一つ一つが、はっきりと視認できる。

 『天漏雫』

 ハヤトの足が、天井から離れた。





 レナスが空になった皿と共に一階へ下りると、フェイトがちょうど通信を終えたところだった。レナスに気付き、彼はそっと微笑む。
 「レナス。リョウコさんが見つかったよ」
 「えっ、母さんが!?」
 「銀河連邦に保護された。かなり遠いし、今は手当を受けているけど。命に別状はないそうだよ」
 「本当ですか!? よかった……」
 フェイトは背中を反らすと、溜息をついた。
 「ヴィスコムのお小言が余計だったけどね」
 「でも、マリアと入れ替わっていたなんて、驚きました」
 「女体化だったら、もっと楽だったんだけどね。何ていうかそれだと、一カ所不自然が……」
 「……そうですね、一カ所って言うか二カ所って言うか……」
 本人には悪いが、レナスは思わず笑いを漏らす。
 しかしその笑いも、すぐに途切れた。レナスは皿と匙を洗い、片付けると、フェイトの向かいに座る。そして何をするわけでもなく、指を絡め合わせたり、突っ伏せてみたり、頬杖を付いたり……。
 「リンゴ、食べる?」
 「……え? あっはい」
 考え事だった。フェイトは立ち上がると、リンゴと包丁を持ってきて、レナスの目の前で皮をむき始める。
 「……聞きたいことがあるんじゃないの?」
 フェイトの問いに、無言で頷く。
 「話してみれば?」
 「……フェイトさんは……これからどうするんですか?」

 てっきり、長い別れになるかと思っていた。
 しかしそれは、良い意味で裏切られてしまった。
 彼が別れたのは、彼の言う“覚悟”がまだ自分に無かったからだと思った。
 しかし、彼はまだ自分の傍にいた。

 「うん……。それにはまず、ラインゴット博士の話が必要なんだけど……どうせなら、マリアにも聞かせてあげないとね。でも、多分、レナス達について行くことになると思う」

 曖昧な言葉とも取れる。しかし、嬉しかった。これからも共にいられることが。

 「いつだったか、“覚悟”って言葉使ったでしょ?」
 「はい」
 「あれは、そうだな……レナスがレナスであり続ける覚悟ってことかな」
 明文化しにくいらしく、フェイトは言いながら軽く首を傾げた。
 「誰かを殺めても、強大な力を持っても……自分が自分であることを止めない。人を殺すのはあくまで自分、力を行使するのもあくまで自分。狂うのも暴走するのも、責任転嫁だ。自分の中の狂気を理由にしたり、自分の中の力を理由にしたり。つまりは……レナスの根っこの部分が揺るがないかどうか、それを知りたかった。そしてレナスは、自分の力を抑え付け、打ち倒し、支配した」
 「……なんか、乙女とか名乗るヤツがいました」
 「それがレナスの、力の正体なんだろう。……その、わかった? 今の話」
 「すみません、あんまり」
 「……だよね」
 溜息をつき、包丁を置く。カットされたリンゴを乗せた皿を、レナスへと滑らせた。
 「あの、じゃあ一つだけいいですか?」
 リンゴを持ち上げ、彼女が尋ねる。フェイトは軽く頷いた。
 「フェイトさんと初めてハイダで会ってから、今の私まで……私、成長してますか?」
 「ああ」
 「そうですか」
 リンゴを口の中に放り込むレナスの表情に、もう不安は無かった。フェイトが包丁を拭い、片付けようと戸棚を開ける。

 ドゴォォォォッッ

 二階から爆音が響き、軽く宿屋が揺れた。





 「私は、いつまでここにいればいいのかしら?」
 「さあ? フェイトに聞けよ」

 ベッドの傍らに立つマリア。椅子に腰掛けるアレックス。部屋の隅と隅に、二人はいた。

 「……せめて、部屋くらい分けてほしいわ」
 「同感だ」

 アレックスは基本的に、というか根本的に、女に弱い。フェイトと同じく、徹底して贔屓する。
 女性と同じ部屋で二人きり、などというシチュエーションになれば、涙を流すほどに歓喜する。
 しかし例外とも言えるのが、このマリア・トレイターに対する時だった。美人のカテゴリーに入る彼女に対して、ぞんざいな返答や言動が見られる。天啓とクォークが敵対しているから、ならば、ミラージュへのセクハラの説明がつかない。
 「アレックス」
 「何だよ、今いいとこなんだ」
 マリアが銃を抜き、引き金を引いた。アレックスの手にする漫画本に、巨大な穴が穿たれる。
 「質問に答えなさい」
 自分が人質と定義されてもおかしくない立場にいることは、マリアも理解していた。アレックスも敵になる可能性が高い。場合によっては、彼を殺害することも有り得る。

 「おい」

 それは確かに、アレックスの声だった。それなのにマリアは一瞬、声の主を捜してしまった。
 「俺にとって、マリア・トレイター。てめぇと二人きりってのがどんだけストレスたまることか、知るわけねぇだろうなぁ……」
 アレックスの右手にはいつの間にか、神魔銃が握られている。
 「なぁ……頼むぜ。俺の忍耐を無駄にすんな」
 その銃口が、マリアへと向けられた。
 「まさかお前……自分の方が強いなんて思ってんじゃねぇだろうな?」
 「……あら……あなたが、どれほど強かったかしらね?」
 「なぁ頼むぜ。俺を挑発するな。俺が銃を向けて引き金を引かないのは、フェイトの意に反してるからだ」
 「じゃあ、私は撃ち放題というわけね」
 「なめんじゃねぇよ。お前ぇを撃ち殺すことに関しちゃ、この俺の命なんざ二の次なんだ。……さあ、銃をおろせ。さもねぇと俺は、ささやかな殺意に身を任せたくなる……」

 アレックス・エルゼンライトにとってマリア・トレイターは、殺したい人物だった。



[367] 38
Name: nameless◆139e4b06 ID:68c26b6a
Date: 2009/04/02 03:32
 薄れゆく視界の中、最後に見たのは、フェイトが振りおろした剣によって血飛沫を上げて倒れる、ハヤトの姿だった。





 クリフとミラージュに謝りに来たフェイトは、今まで見たことがないほど痛々しい表情をしていた。それは、彼には縁のないと思っていた顔。
 ハヤトの回復のため、帰還は少し伸びる。
 ネルがシランド城での報告を終え、ラッセルの手紙を携えて再びカルサアの街へと到着した時、彼女は異変に気付いた。ただならぬ様子のフェイトに声を掛けそびれ、クリフに理由を尋ねてみたが、彼はただ、フェイトの部下と喧嘩したとしか答えなかった。
 そのフェイトは今、ハヤトが休むベッドの傍で、椅子に腰掛けている。
 「……何をやってんだよ、ハヤト」
 俯き、溜息をつく。暫く天井を見ていたハヤトは、やがて口を開いた。
 「屈服させるのが一番、かと思った」
 「このバーカ。何で仲良くできないんだ?」
 「仲良くする必要があるのか?」
 首を回し、フェイトを見る。
 「そんなぬるい関係である必要があるのか、疑問に思う」
 「……ハヤト……もう黙れ」
 「どうせ最後に、袂を分かつのだから」

 「黙れと言ったぞ!!」

 椅子を蹴り、剣を抜き、その切っ先をハヤトの鼻先に突きつけた。
 「同じことを二度も言わせるな! お前の主人は誰だ!?」
 「……フェイト」
 「分かってるなら……!!」
 剣が震え、自分の手が震えていることに気付く。フェイトは歯を食いしばり、剣を床に落とすと、両手で顔を覆った。
 「ッ……」
 その両手は、相変わらず震えている。
 「……団長。我らは、あなたの下僕だ。しかし、その関係に不満はない。その理由は、あなたへの愛があるからだ」
 ハヤトは再び、天井を見上げる。
 「それはフレイもイセリアも、ミリアムも同じ。我らは下僕であり、仲間である。まあ要するに、嫉妬というやつだ。仲間など、我らで十分ではないか。彼等と共同戦線を張る意味は、どれほどあるのか、と」
 「……皆は……必要だ……」
 「本当にか? それは結論ではなく、願望ではないか?」
 「…………」
 「我ら全て、団長の意のままに。しかし、言うべきだと思えば、命を捨ててでも言わせて頂く」
 フェイトは、顔から手を離した。彼は転がる剣を拾い上げ、鞘に納めると、ドアへと歩いていく。
 「これで……三度目だ、ハヤト。黙って休め」
 ドアが開き、閉じた。

 思わずハヤトを斬った時の、レナスの表情
 助け起こした時の、クリフの表情
 保護しに行った時の、ミラージュの表情

 三人とも、それぞれ部屋で休んでいるのだろう。しかし、その三人の誰とも顔を合わせる気にはなれず、フェイトは一階へと下りた。
 「……やあ」
 テーブルに腰掛けていたのは、ネル。彼女は手紙を取り出すと、フェイトに突き出した。
 「しかし、驚いたよ。戻ってみれば、大騒ぎだ。宿も壊れてるし……」
 手紙を開くフェイト。彼を見て、確かにいつもと違うと、ネルは確信する。
 一言で言ってしまえば、元気がないのだ。つまり、落ち込んでいる。いつもいつも脳天気で、何があろうと失われなかったその明るさに、陰りが見える。
 「ネルさん……この手紙、読みました?」
 「いいや、アンタ宛てだし」
 「当分の間、停職処分になってます」
 「…………はぁ!?」
 急いで立ち上がり、彼がひらひら動かす紙をひったくった。
 執政官の名で、ネル・ゼルファー停職処分が告げられている。
 「え……そんな……」
 しかしすぐに、彼女の頭は冷静さを取り戻した。
 確かにラッセルは文官のトップだが、クリムゾンブレイドは女王直属の隠密であり、女王以外のいかなる束縛にも制限される義務はない。つまりは、この命令の効力は事実上無きに等しい。それを分かっていながら、ラッセルの名しかないということは、自分自身で判断せよということだろう。
 「……ねぇ、フェイト」
 「はい?」
 「アンタ……」

 ネルは、言うべき言葉を決めていなかった。
 何と言えばいいのだろう。この状態の彼に、どんな言葉をかければいいのだろう。

 「大丈夫かい?」

 ようやく出たのは、それだった。
 フェイトは二、三度、少し驚いたように瞬いたが、すぐに微笑み、大丈夫ですよと返した。

 それが嘘であることが、容易に判断できた。その言葉が彼の口癖だからこそ、異変に気づけた。
 「……そうかい」
 ネルは手紙を、フェイトへと渡す。
 そして彼が手紙を掴んだ瞬間、ネルの手が、その手首を捕らえた。
 (……こんなに、容易く……)
 足を払い、フェイトをテーブルに押し倒す。
 「ねぇ、何してんだい?」
 フェイトに顔を近づけると、彼は顔をそむけ、更に手紙を握る手で表情を覆い隠した。
 「……フェイト」
 名を呼ぶが、反応はない。

 (……何なんだい、この状況……)

 かえってネルの方が、困惑させられてしまった。
 例えどれほど寝惚けていようが、こんな羽目に陥る彼の姿など、想像すら出来なかった。圧倒的な暴力で己の望むように邁進し、この世の全てを自分のために用意された玩具とすら考えているような彼が、今、たかが人間に、たかが女一人に、たかが自分の所有物に、組み敷かれている。ネルが上、フェイトが下。しかもフェイトは、それに対して何らの感想も漏らさず、ただ自分の表情を覆い隠しているだけだった。
 端から見れば、幼気な青年を力ずくで意のままにしようとしている、悪女に見えるのではないだろうか。
 ふと、解放しようかと考える。しかし、初めて優位に立てたという実感に、その考えは押しつぶされる。

 (……参ったね)

 何時の日か優位に立つという目標が、偶然か必然か、こんなにもあっさりと叶ってしまった。それはあくまで遠い目標であり、その時どうするかまで、具体的に考えていたわけではない。今までの鬱憤というか、辱めというか、色々とたまりにたまったモノをどう処理してくれようか、それを考える段階まで、まだ来てはいないのだ。
 優位に立てたというのに、何も出来ない、仕様がない。それが歯痒い。

 「……ねぇ、フェイト」

 間を持たせるために、再び呼ぶ。

 「え?」

 それも、ネルの声だった。思わず間抜けな声を出してしまったのは、視界が反転していたから。
 彼女は自分の身体から、まるで体重がなくなったような感覚を覚える。そして気が付いた時には、ソファの上に横たわっていた。
 もう一生訪れないかも知れないチャンスを逃したことより、この後彼がどんな行動に出るか予測が付かず、ネルは飛び起きる。しかしフェイトは、無言のまま食堂から出て行った。
 「……これ、重傷なんじゃないかい……?」
 ネルは一人自問した。





 その部屋に一歩踏み込んだ途端、室内の雰囲気が異常であることに、ヴィスコムは気付いてしまった。マリア・トレイター、アレックス・エルゼンライト、共に部屋の端と端におり、互いの存在を無視している。ヴィスコムの経験上、この状態を放置しておくわけにはいかない。
 「アレックス。話がある、来てくれ」
 「おう」
 連れ出すのは勿論、アレックスだ。ちゃんと“ここにいる事になっている”だけではなく、顔見知りな分、話もしやすい。
 「マリア・トレイター。すまないが、もう少しこのままでいて貰いたい」
 一応、マリアにも声をかける。しかし、彼女は何も返さなかった。
 アレックスを連れてヴィスコムが向かったのは、展望室。隣の『ナユタ』は、相変わらず圧倒的なまでの質量差を見せつけており、少々圧迫感もある。
 「ところで、おっさん。ちゃんと話はつけてくれるんだろうな?」
 「ああ、勿論。君たち天啓は、私からの要請によって、全てを行った。遅延の理由も、バンデーン関係で、まぁ、うまく言っておこう」
 「そうか、あんがとよ」
 アレックスはポケットから小さなケースを取り出すと、片手で開けた。中に入っているのは、滅多に吸わない葉巻。二本取り上げ、一本をヴィスコムに手渡した。
 アレックスが葉巻に手を伸ばすのは、何かをやり遂げた時か、気持ちを落ち着かせる時だ。
 「なぁ、アレックス。単刀直入に聞きたい」
 ヴィスコムは、今回は後者であると判断した。
 「……何だよ」
 「女好きのお前が、何故そんな顔をしている?」
 「…………」
 アレックスはポケットを探ると、エリクールで手に入れたマッチを取り出す。本来なら未開惑星保護条約違反であるが、それを咎める者もいないだろう。一本取り出してシュッと擦り、それぞれの葉巻に火をつけた。
 「……ま、大した理由じゃねぇよ。“筋合いのないこと”だ」
 「そうか。誰が、理由なんだ」
 「同期のもんが、二人ほど。ラ・フラージュ事件でな」
 「……そうか」
 ヴィスコムは一言そう言うと、煙を吐き出し、それから何も言わなかった。何を言っても、どうしようもなかった。
 果たしてフェイトは、マリアさえ知らない、アレックスとマリアの因縁を知っているのだろうか。知っているなら何故、二人きりにするような真似をしたのか。雨を降らせ、地を固めるためなのか。
 「……そろそろ行くわ。じゃな、おっさん。また後で」
 「もう少し、ゆっくりして行ってもいいぞ」
 「いや。そろそろ、あの女が脱走の算段を始める頃だろ」
 アレックスが立ち去った後も、ヴィスコムはしばらく葉巻を吹かしていた。
 アレックスは軍人だった。そして今でも、それは変わらない。だから、マリアの事を恨むのもお門違いであると考えている。
 しかし、軍人だけが彼ではない。彼にもまた、青い感情がある。
 はっきり言って、アレックスとマリアが打ち解けることなど、あり得ない。アレックスは絶対にマリアに話さないだろうし、またマリアが知り得ても、どうしようもない。文字通り、解決法は存在しないのだ。時に頼るしか、アレックスが氷解するしかない。
 ヴィスコムは葉巻を握り潰すと、傍らの大戦艦を一瞥し、展望室を去った。





 一晩経てば、ハヤトの傷は全快していた。しかし、フェイトは戻らない。ミラージュを宿に残し、他の三人は、捜索を開始した。まさか、街の外までは行かないだろう。
 隠密服の上にマントを羽織り、ネルは街の南側を探る。ちらほらと目撃証言はあったが、いまいちはっきりとしない。しかし、彼が昨日この周辺にいたのは、確かだ。そして今日はまだ、目撃されていない。誰の目にも触れずに移動するなど、あの男なら簡単にやってのけるのかも知れないが、ネルは自らの直感を信じていた。彼のあの精神状態で、それをする気になる筈がないと。

 「…………ん?」

 人気のない場所を辿り、ほぼ南端まで来た時、彼女は妙な場所を発見した。
 (あったのかい? こんな場所が……)
 カルサアで人気のない場所など、彼女にとっては馴染み深いものだ。この南地区にも、何度も訪れている。隠れる場所も逃走経路も、全て暗記していた。
 しかし、その彼女にすら、未知の場所があったのだ。炭坑跡のようで、窪んだ地形の中に、木組みの入り口がある。それは、地下に続いているようだった。
 (ここ……なんだろうね、やっぱり)
 未知なるものが全て、フェイトに直結しているように思えた。
 ネルはマントの中で短刀を握り、入り口へそっと足を踏み入れる。奥は真っ暗だったが、それでも構わず進んでいくと、蝋燭の明かりがあった。
 妙な通路だった。うっかり壁から手を離したら、それだけでもう、前後がわからなくなるのではないかと錯覚する。手を離したその途端、左右も上下も、全て消えてしまいそうだ。まるで、悪魔の喉を進んでいるようだった。
 肌が粟立つ。喉が渇く。足が震える。それも全て、この場所のせい。
 ここは、とんでもないものの棲み家だ。

 「……チッ」

 舌打ちの後、ネルは膝をつく。まるで酔い潰れた時の行動なのに、あの快感はない。目を閉じると同時に、彼女の意識は閉ざされた。



 「この娘は、ネル・ゼルファーか。何故、ここに?」
 「入り口が見つかったんだろう。彼女は、特別なキャラクターだから」
 「そうか。ちゃんと連れて帰れよ」
 「ああ」
 「フェイト。もう迷うなよ」
 「…………」
 「迷い出したら、きりがない。お前はもう、ブレーキレバーをへし折ってしまった。あとはただ、終わりまで突っ走るしかない」
 「そうだね。迷うのは、その後に」
 「ああ、そうだ。お前こそが第一歩、先頭だ。お前の足跡が、道となる」
 「そろそろ、時間切れだね」
 「これが、最後の連絡になるな」
 「次は……いや、次はないかも。それじゃ、さよなら」
 「忘れるな。“死の神”と“大いなる目”が、お前の味方だ」





 誰かが、揺り起こす。飛び込んできた光景には、ネルの顔があった。
 「……あれ、ネルさん?」
 目を擦りながら、レナスは上体を起こす。半分眠ったままの頭では、彼女が何故旅支度を終えているのか、理解できなかった。
 「やぁ。あたしも、あんた達に同行させてもらうよ」
 「はぁ……。えっ、同行? いいんですか? お仕事とかあるんじゃ」
 「停職になってね、しばらく暇なのさ。この国にちょっかいかけた連中を、そのままにしておくのも癪だしね。フェイトも賛成だってさ」
 「そうですか。じゃあ、まだ一緒にいられますね」
 そう言って、レナスは寝惚け眼のまま、輝くような笑顔を見せる。
 いい娘だな、と、ネルは素直にそう感じた。まるで真夏の青空のように、彼女には曇りがない。利害を超越した面のある性格が、ネルには眩しく思えた。
 ネルがあの後目を覚ますと、既に宿屋のベッドで、フェイトも戻っていた。彼は笑顔を取り戻していたが、その笑顔は、レナスのこれとはどこか違った。
 あそこにはきっと、フェイトに関する秘密が存在する。あれは恐らく、彼が前回やって来た三年前にも存在していた筈。
 (一度、調べてみる必要があるんだろうね……)
 しかし今は、まだその時ではない。
 (出来れば……そんな時なんて、来て欲しくないんだけど)
 階段の下から二人を呼ぶ、フェイトの明るい声が聞こえた。



[367] 39
Name: nameless◆139e4b06 ID:68c26b6a
Date: 2009/04/07 16:10
 会議は、戦艦ナユタにて行われることになった。
 一足先に乗り込んだのは、レナス・ラインゴット、ロキシ・ラインゴット、ネル・ゼルファー、そしてフェイト、ハヤトの計五名。
 「ようこそ、ラインゴット博士」
 「……確か、ラフテリア博士……でしたか?」
 出迎えた白衣の女性は、ロキシと握手を交わす。
 「一度、じっくりとお話をお伺いしたいと思っていました」

 お世辞ではなく、エルファネラル・ラフテリアは本心からそう思っていた。
 現在彼女が管理している“ザンキ・システム”は、フェイトとの共同開発によるものであるが、ここ最近の過度の使用により、一刻も早い改善が求められていた。そしてそれはもはや、彼女一人の能力では限界に来ている。
 勿論、易々と協力を求められるような技術ではない。紋章生命学の権威である彼女ですら、その全てを把握しているわけではない。ロキシ・ラインゴットの紋章遺伝学のノウハウが、果たして応用できるのかどうかさえ疑わしい。しかし、既に決戦の時は迫っていると聞かされていたエルファネラルは、どんなか細い可能性だろうと、それに手を伸ばさずにはいられない。

 「どうかしましたか、ラインゴット博士?」
 エルファネラルとの挨拶を終えたロキシに、すぐ後ろのフェイトが尋ねた。
 「……いや……」
 「マリア・トレイターのことなら、心配ないでしょう。確かに、自分の能力を好んでいるとは見えませんでしたが、ただ感情的にぶちまけるような性格でもありません」
 「フェイト君、一つ聞きたい」
 「なんでしょう」
 ロキシは振り返り、青年を正面から見つめた。その瞳は美しいようで、底の知れないものがある。美しさを囮に、深淵へとずるずると引きずり込まれるような気がして、ロキシは少し目をそらした。
 「何故、あの……タイムゲートでのことを知っている?」
 「アーカイブを見ました」
 「いや、あのことが保管されているのは、一応銀河連邦本部の筈だ。閲覧するには、銀河連邦本部の中枢へと、物理的な意味で入り込まなければならない。いくら近しいとはいえ、賞金稼ぎの頭領にそんな真似は……」
 「そのことも、会議で話そうかと思っています。さあ、覚悟を決めてください。誰もが、腹を割らなければならない時なんです」





 「よぉ」
 ポケットに手を突っ込み、アレックスは気のない顔でそう言った。アクアエリーからナユタへ戻った彼を出迎えたのは、フェイトとミリアムだ。
 マリアは先にディプロへと帰還し、その後こちらへとやってくる。
 「おかえりー」
 フェイトの首にまとわりつくミリアムが手を振るが、アレックスは何も返さなかった。普段なら冷やかすなり何なりしてくる筈なのに、あまりにも無気力な様子に、彼女は些か心配になる。
 「……なぁ、フェイト」
 「ん?」
 「どうでもいい事だけどよぉ、教えてくれ。俺って、どんなヤツのアバターだったんだ?」
 そこまで知りたいかと問われれば、そうでもない。今まで尋ねることすらしなかったのは、アレックスが既に、どうでもいいことだと吹っ切っていたからだ。フェイトは軽くこめかみを掻き、その質問に答えた。
 「フラッド・ガーランド。十三歳の男の子。ゲームなんかやめなさいと母親に言われてる、典型的なゲーム好き少年」
 「そうか……ありがとよ」
 アレックスは溜息を一つつくと、廊下の奥へと去っていった。
 「ねぇ、何か様子が変じゃない?」
 フェイトの首を抱きしめたまま、ミリアムは囁くように言う。
 「あいつは、普段考えるってことをやらないからね。いざ考え事が出来ると、それに人一倍、時間と気持ちを取られるんだ」
 「考え事?」
 「マリア・トレイターとの因縁。誰に怒ればいいのか、誰を恨めばいいのか……感情をどう処理すればいいのか、わからなくなっているんだ。今まで頭の片隅に追いやってたことが、いざマリアと顔を合わせたことで、利子を付けて戻ってきた。しかも、アレックスには自分を“使用していた”存在がある。……こればっかりは、アレックス一人で何とかするしかないさ」
 「ふぅん……」
 「でもまぁ、いつまでもあんな状態だと、この僕が困る。もう、味方を手にかけるような真似はイヤだからね……」





 遙か昔から存在するとある原則は、人類が宇宙での発展を始めた後も、変わってはいない。
 それは、民間人の逮捕権。
 例えどんな身分であろうと、相手が犯罪者ならば、拘束することが許されている。天啓とはあくまで民間人ではあるが、その力は、少々異常だった。近いうち、彼等は力を剥奪されるに違いないと噂され、ヴィスコムもそうなることを予感していた。
 いくらフェイトが愚者を演じても、その手に握る武器は恐るべきものだ。一個人が所持していい武力ではない。彼は何故、財団の理事長を辞任することではなく、天啓の団長を辞任することを選ばなかったのか。建前だけだとしても、天啓を手放す必要があったのは明らかだったのに。

 「『ナユタ』へようこそ、ヴィスコム提督。歓迎致しますわ」

 イセリアは社交的な微笑みと共に、彼へ礼儀を表す。その美しさは、ヴィスコムに同行していた二人の士官を惚けさせるほどだったが、ヴィスコムはそれよりも、彼女の装いが気になった。それは事務服でも社交服でもなく、戦闘服だった。
 「久しいな、イセリア。皆は元気か?」
 「ええ、元気すぎて。武器はそのままで結構ですよ、クォーク側にも携行は許可してありますから」
 「いや、預けておくとしよう。そんな事はないだろうが、もし何かあっても、フェイトが何とかするだろう」
 「あら、どうでしょうか。団長がクォーク側に味方すると宣言なされたら、私どもも即座に連邦の敵に……」
 「私が信頼するのは、団長としてのフェイトではなく、友人としてのフェイトなのでな」
 「…………」
 どうやら、イセリアは少し不機嫌になってしまったらしい。ヴィスコムは無言の彼女の後に従い、会議室へと辿り着いた。
 「我々は遅刻かな?」
 「ご心配なく、予定の時刻まではまだ間があります」
 「さて、では参ろうか」





 (こんなもんまで、天啓に……)

 迎えの男を見て、クリフはそう思った。
 余裕か信用か、そのどちらが理由かはわからないが、人数も武装も自由と言われ、主要なメンバーを含めた二十人で『ナユタ』転送室に降り立った。出迎えたのは、顔に深い傷跡を持つ男。
 「よよようこそそ、ななナユタたへ。おお俺はかかカニセル・ファンゾぞぞ……」
 男は聞き取りにくく、カニセル・ファンゾと名乗った。
 戦争で金を得ていた男だが、傭兵ですらない。ありったけの武器を背負い込み、それら全てを使い切るまで、帰還することはなかった。敵味方の区別が苦手で、たった一人で敵陣の奥深くまで入り込み、いつの間にか敵の司令官が死んでいたというのも、一度や二度ではない。戦闘の間合いは自分を中心とした半径3キロメートル、零距離であろうと平気でガウスライフルを放ち、まるで自然災害のように大量の命を奪った。
 カニセル・ファンゾの名は知らなくても、あまりにも殺しすぎることから付けられた、
ウィドゥメーカーという名は、今でも兵士の間で恐怖と共に語られている。
 確か、和平交渉の最中、犯罪者として処刑された筈だったが。
 「何で、わざわざアンタが案内を?」
 「くくくクォークをを個人的ににううう恨むヤツもいるる。ききき危険だだかから」
 そう答えたカニセルだが、クリフは嫌がらせであると直感した。自分たちは今、爆薬を内蔵した防弾チョッキを着せられているようなものだ。
 しかもこの嫌がらせは、フェイトのやり方ではない。つまり、このカニセルに命令できるほどの階級の人間の中に、自分たちを快く思っていない者がいるということだろう。

 反銀河連邦組織クォークは、そもそもがクラウストロ星系を中心とした組織である。本拠地もクラウストロ3号星に存在し、メンバーにもクラウストロ3号星や四号星の出身者が多い。
 クラウストロ政府は、銀河連邦には加盟していないものの、ある程度の協力体制を持っており、故郷クラウストロですら、クォークは表向きには非合法な組織である。
 クリフ・フィッターがクォークを立ち上げたのは、弱小の中立者の為だった。銀河連邦やバンデーン、アールディオン帝国のような、大きな存在が肥大化していく中、それに吸収されていく者も少なくはない。争いを嫌い、変わらない自治を求めて中立を掲げる者たちは、かえって大勢力に目を付けられ、叩かれ、取り込まれ、望まぬ戦争の一翼を担わされる。クォークを創設したころ、彼等を救うということがいかに遠大な目標なのか、クリフはよく分かっていなかった。その頃はただ、故郷クラウストロに伸びる巨大な手に、単純な怒りを覚えただけに過ぎなかった。
 必要なのは、大勢力の手を払いのけるほどの力。それは手に持つ力ではなく、見せつける力。

 (そうだ、例えば……この、『天啓』のような)

 フェイトの三年前より昔について、ついに何の情報も得ることが出来なかった。しかし、彼は三年前に『天啓』を立ち上げ、たったの三年間で、これほどに強大な武力を手に入れた。クォークが立ち向かおうとする大勢力に匹敵する力を、彼一個人はその手に握っている。
 彼の持つ力は、クリフが求めるものだった。
 クリフは内心、フェイトと友好効な関係を望んでいる。手に入れるまでにあと何十年かかるか知れない力が、目の前にある。それは、ミラージュやランカーといった古株も同じだろう。
 マリアが若いのか、自分が老いたのか……。確かに過去、クォークの協力組織は『天啓』によって潰されてしまった。しかし非情な見方をすれば、それらの組織を代償に『天啓』との接点を持てたのなら、それは武力という点で収穫である。マリアの本心はわからないが、今必要とされているのは、マリアとフェイトが“仲良く”なることだ。
 そうなれば、『天啓』の武力を利用する道が開ける。例えその手段が、クォークが吸収されることだとしても……。
 思わず笑い出したクリフに、前を歩いていたマリアが怪訝そうな顔で振り返る。クリフは思い出し笑いだと誤魔化し、首を振った。
 大勢力による吸収……それを嫌い、自分はクォークを創設したというのに。

 「ととと到着だだ」

 カニセルはそう言うと、扉のロックを解除した。





 『ナユタ』内部の会議室でフェイトは一人、窓の外を眺めていた。こちらから見えるのはアクアエリーだが、反対側にはディプロがいる。

 「いよいよ、大詰めか……」

 聞く者もいないので、独り言を呟いてみる。
 ムーンベースへ出した工作員がつい先ほど、救難信号を発信していた遭難者と接触した。既にフェイトは迷うことを止め、遭難者の保護と『天啓』への護送を指示した。
 “ガイア”も、必要なナンバーは全て手元にある。
 待ち受けるのはラグナロク……最終戦争。
 しかし、まだ、その先がある。
 最終戦争の次がある。

 (僕のやろうとしている事を知ったら、皆……どんな顔をするのかな)

 フェイトは窓に背を向けると、椅子の一つに腰掛けた。
 ちょうどその時、左右に扉がスライドし、イセリアとヴィスコム達が現れる。軽く手を挙げて挨拶したフェイトは、ヴィスコムが席に着くのを待った。
 「……こうして直接お前と顔を合わせるのは、いつ以来だったかな?」
 「ほんの半年前。オロモウツのナショナルジオコンサートの時だね」
 「そうか、あれはもう半年前か。早いな。ところで……」
 ヴィスコムは背もたれに体重をかけ、腕を組む。
 「これから、お前が何をするつもりなのか。それを聞いておきたい」
 「まだ、クォークの皆が到着してないようだけど、それはフライングになるんじゃないの?」
 「提督としてではなく、友人として尋ねているのだよ、フェイト。今は何を聞こうと、“政治的な私”には内緒にしておこう」
 「神様……て言ったよね、僕。あの時」
 「ああ」
 「17年前、タイムゲートが発見された。時間を行き来できる、魔法の扉だ。本来存在してはいけないもの。本来、発見される筈がなかったもの。それは神様の道具であり、神様とは、異次元からこの世界を見下ろしている存在」
 「……冗談のような話だがな」
 しかし、ヴィスコムにそれを笑い飛ばす様子はない。
 「僕らの歴史は原初から、創られたものだったんだ。大まかな歴史は既に決められ、僕らはそれをなぞっていたに過ぎない。重要な局面では、神様側が直々にキャスティングしたキャラクターが活躍し、何度と無く修正は行われてきた」
 「……その神様とは、何者だ?」
 「ゲーム会社の社長さ。この世界はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません……。つまりはこの世界はゲームであり、人々はNPC。そしてプレイヤーがアバターを作成して潜り込ませ、楽しむ。ここは、そのための世界なのさ」
 「……笑い飛ばしただろうな……お前以外の話ならば」
 「そうだね。君の部下には、未知の宇宙人の強襲、とでもしておくべきかもね」
 「出来れば私にも、そう説明して欲しかったがな」
 「そんな繊細なタマでもないだろ、キミは」
 くつくつと、フェイトの笑いが漏れた。
 「しかしな、フェイト。例え私一人がお前を信用し、その話を全て信じるとしても、信じるためには証拠が必要なのだ」
 「証拠ならもう、目の前にいるよ」
 「……何?」
 「僕はね、ヴィスコム。その神様の、使いっ走りだったのさ」





 入室したクリフは、ぐるりと周囲を見回した。
 「ままま待て、でで電気ををつけける」
 薄暗い闇が、少しずつ取り払われていく。そうして全ての照明が灯った時、そこが意外に広い空間であることに気付かされた。中央には二十人掛けのテーブル、階段を上った中二階のような場所には本棚が見える。
 その階段に腰掛ける、一人の少女がいた。ドレスを着た金髪の女の子で、膝に肘を乗せて、両手を顎に当てている。その少女の他には、人が見当たらない。
 「おい、ここが会議室なんだろ? 他の連中は?」
 ランカーが後ろのカニセルを振り向くが、彼は拳をハンマーのように振り上げていた。
 「おい?」
 その拳が、扉の操作盤に打ち付けられ、破壊する。
 「ちち違う、こここはたた多目的室つつ」
 カニセルはそう言うと、扉の前に胡座をかき、貝のように口を閉ざした。
 クォークの面々は、あまりにもあっさりと、何気なく閉じこめられてしまった。
 マリアの視線の先の少女は、ふわりと立ち上がると、ドレスの裾を握ってお辞儀をした。
 「初めまして、皆さん。ご機嫌よう」
 そう言うと、マリア達に向かって歩き出す。
 「私の名前は、フレイ。あなたのお名前も聞きたいわ」
 「……マリア・トレイターよ」
 「そう……あなたがマリアね」
 フレイは足を止めた。彼女が見上げる先には、マリアの顔がある。
 「ふぅん、やっぱり。そこそこ強そうね」
 そう言うと、背を向けた。
 「さて、マリア・トレイター、クリフ・フィッター、ミラージュ・コースト……そしてその他の皆さん。これから、とてつもない戦いが始まろうとしています。それは、前代未聞、神様との戦い。ラグナロク。世界の黄昏」
 まるで歌うように、少女は告げる。
 「でも、果たしてあなたたちに、その舞台に立つ資格がお有りかしら? いえ、資格以前に、それなりの強さをお持ちかしら?」
 「問題はそこだな」
 別の声が聞こえた。

 ダァンッ

 ハヤト・ジングウ……彼の登場には、落下を伴うことが多いらしい。フレイの隣に着地したハヤトはクォークの面々の前で腕を組んだ。
 「前回は、こちらが後手だった。よって今回は、先手を打たせてもらった。しかしこの娘は手を出さないので、どうか安心して欲しい。ただの見物人だ」

 フェイトに斬られた傷は、未だ癒えたばかり。普通なら当分は、クリフたちと争うという選択肢など、浮かぶ筈もない。

 ハヤトにあるのは、創られた記憶。本来なら、神宮流体術を極めた者の前にのみ姿を現す、隠されたボス。その役割を満たすだけの要素さえあればよく、家族も知り合いも、自分自身の好物や趣味、出身地すら、彼自身には分からない。封印された彼には、何もない。何も与えられてはいない。
 ただあるのは、闘争心。彼には、与えられた戦闘能力しかなかった。そして、自分が興した武術が、どのような発展を遂げたのか。それを、自らの身体で確かめるという欲望。
 単純な嫉妬だけではなかった。これこそが、彼の役割なのだ。そして彼に挑み、打ち倒すことこそ、神宮流を受け継ぎ、極めんとする者達の義務。

 ハヤト・ジングウを格闘家であると認識したのは、フェイトの誤算だった。

 彼は、知らない。自分がこの戦闘能力を得るまでの過程を。その歴史を、想いを、捨て去ったものを。過去を思い出せないのではない、過去が存在しないハヤトには、過程が存在しない。
 格闘家としての心得も、培ったものではなく、制作者によって作られたもの。それは所詮、格闘の素人が、格闘家の理想として作り出したもの。
 この考え方は、主義は、本当に己の格闘家としての道筋なのか?
 もしも自分が初めから、それこそ一の一から修行を積めば、別の答えに辿り着いたのではないか?
 ハヤトは己を、格闘家としては認めない。認めることは出来ない。
 ただの、使い捨ての敵キャラクターだ。自分に辿り着き、自分を倒した者に、褒美を与えて消え去り、また次の挑戦者を待ち続けるだけの……。

 「さあ、誰でもいい……」

 ハヤトは両の拳を打ち鳴らした。

 彼が求めるのは、空虚なる自身に、灼熱の風を通せる者。

 「我を驚かせ、怯えさせ、圧倒し、屈服させよ。神宮流の使い手達」



[367] 40
Name: nameless◆139e4b06 ID:c5591200
Date: 2009/04/12 00:08
 「ねぇ、レナスぅ……」
 「ん? 何?」
 ソフィアに袖を引かれ、レナスは上目遣いの幼馴染みを振り向いた。
 「ってゆーか久々に会って思ってたんだけど、またそのツインメロン肥えたんじゃないの?」
 「ちょっと、肥えたとか言わないでよ! ……バンデーンに捕まってる時、ロクな食べ物貰えなかったんだよ」
 「え、うそ、痩せた状態で“それ”なの? おかしいわ、水でも入れてるんでしょ」
 「真面目に聞いてよ! ……フェイトさんとクォークの人たちって、その、敵なんでしょ?」
 「うん……まぁ、そうなるよね」

 一時は期間限定の仲直りもあったが、フェイトは全ての人間を騙し、マリアをアクアエリーへと送り込んだ。例え彼自身に敵意はなく、マリアの身代わりとなることが妥当な判断だったとしても、その行動は好意的なものとは見えない。クォークはむざむざ、自分たちの懐から、一番敵に渡してはならない人物を盗まれてしまった。マリアが連れ出された時点で、クォークは組織として敗北していた。
 クォークのメンバーたちは、決して、フェイトに良い感情など抱いてはいないだろう。

 「ねぇ、もしかしたら、その会議中にいきなり……」
 「ちょ、ちょっと!? 怖いこと言わないでよ、もう」
 以前の、シランド城での会議を思い出す。あの時は生まれて初めて、精神的な理由で胃が痛くなった。しかもその後、フェイトが女に……。

 どんっ

 「きゃっ!?」

 考え事をしていたせいで、周囲に注意を払っていなかった。曲がり角の向こうから現れた何かにぶつかり、レナスは後ろのソフィアも巻き込んで転ぶ。
 (な……何……?)
 巨大な樹木に押し返されたかのようだった。よろよろと身体を起こすレナスの目の前に、すっと、手が差し出される。

 「あらあら、お嬢ちゃん。ごめんなさいねぇ?」

 その声に、違和感を覚える。
 (まさか、この人……!?)
 差し出された手は、ハンドモデルのように美しく、ほっそりとしていた。そして、スラリと伸びた、牝鹿のような足。
 しかし顔をよく見て、疑問は確信に変わった。
 (……男だ)
 軽く化粧をしているが、間違いなく男だった。遠目ならば、服装によっては女にも見えるかも知れない。しかし間近で、会話でもしようものなら、そんな誤解も吹っ飛ぶだろう。
 「あ……ありがとうございます」
 ひんやりした手を掴み、起き上がると、レナスは続いてソフィアも助け起こした。
 改めてその人物に向き直ってみると、もう一人、長身の男がいるのに気付いた。無精ひげを生やしているが、ぴっちりと正装しており、靴も磨き上げられている。その右目は、毒蛙を描いた眼帯で隠されていた。
 「おら、さっさと行くで。ガルシアン」

 風の音が聞こえた。

 ズシャァッ

 長身の男は、顔面に飛んできたハイキックを寸前で掴んでいる。レナス達が驚いたもう一つのことは、目の前の女っぽい男が何時の間に振り返っていたのか、よく見えなかったということだ。
 「いやねぇ……ファーストネームで呼ぶなって、いつも言ってるでしょ? 私の名前はぁ……」
 「ああ、そーやった、ミドルネームの方やったな。すまんの、ベアトリス」
 「よろしい」
 ベアトリスはそっと蹴り足を下ろすと、改めて二人の方に向き直った。
 「ごめんなさいね、私達、もう行かないといけないの。あなた達、ここのお客さん?」
 「は……はい、そうです」
 「じゃ、また会うかも知れないわね。それじゃ、その時は飲み物でもおごるわ。ご機嫌よう」
 ベアトリスと眼帯の男は、再び廊下を歩き出した。その後ろ姿を眺めるレナスだが、やはりベアトリスの身体は華奢で、先ほど自分たちが跳ね飛ばされた相手だとは思えない。

 「……ねぇ、ソフィア」
 「……なに、レナス」
 「私、あの眼帯の人、どっかで見た覚えがあるんだけど」
 「うん、私も……」





 多目的室の上部には、監視カメラが設置されている。そしてその映像は、警備室はもとより、幹部達の自室からでも容易に確認することが出来る。
 ハヤトが、そのことを知らない筈がない。にも関わらずにその場所で行動を起こしたのは、問いかけだと、イセリアには思えた。彼は今、まさに、問いかけている。この状況を見せつけることで、各々がどのように行動するつもりなのかを。

 「ねぇ……どう思う?」

 不意に、背後から声がかかった。ドアすら開けずに入室する者など、ミリアム以外に心当たりはない。それを咎めるほど、悠長な気分でもなく、イセリアは頬杖を付いた。
 「どうもこうも、すぐに止めに行くべきだわ」
 「でも、あなたはまだ椅子から立ち上がらない」
 「…………」
 「そう、クォークは団長が呼んだ、大切なお客様。あの人がこれを見たら、命令するとかじゃなく、直々に止めに行くわ。例え未だあの人が知らなくても、止めに行った方がいいに決まってる」
 しかし、ハヤトを止められるイセリアもミリアムも、動こうとはしない。フレイに至っては、高みの見物を決め込んでいる。
 「ねぇ」
 ミリアムは身を乗り出し、そっと囁く。
 「考えてること、当ててあげようか? きっと、私と同じこと考えてるでしょ」
 「…………」
 「クォークの人間は、実際のところ、そんなに必要じゃない。クラウストロ人としての身体能力なんて、ここからはあまり意味がない。必要だとしても、せいぜいマリア・トレイターただ一人。彼女さえ確保して、ちょろっと精神をいじれば、あとはどうとでも申し開きが出来る。それに、今クォークを始末しておけば、後々、色々と手間が省ける」
 「…………」
 「ねぇ、わかってる? 迷ってしまっている時点で、ある意味、一線を越えてしまってるってこと」
 そう、その通りだ。すぐに行動を起こさない時点で、既に何かが変わっている。
 その原因はやはり、フェイトがハヤトを斬ったという事実なのだろうか。

 フェイトは一応、刀剣の類を好んで使用するが、他の武器が使えないというわけではなく、寧ろ戦闘行為ならばあらゆる種類のものをこなせ、あらゆる武器を扱うことが出来る。ハンドガン、キャノン、カウントボム、艦載兵器などのハイテクから、トンファー、ナイフ、ウィップ、スピア、ロッドなどのローテクまで。勿論、徒手空拳だろうと恐ろしく強い。
 それでもやはり、彼が自分自身について最も信頼しているのは、刀剣による戦闘だった。もしも完全に不意をつかれたとしたら、彼はどんなに高性能な武器があっても、まず剣に手を伸ばすだろう。
 そしてあの時、クリフとミラージュを襲うハヤトを止めるために用いたのは、その剣だった。止めるだけなら、素手でも十分に可能だった筈なのに、わざわざ鞘から刃を引き抜き、そして攻撃した。非常に効率の悪い方法で。それはつまり、フェイトがその時、無我夢中であったことを示している。
 あのフェイトが、攻撃されているクリフとミラージュを見た時、例え一瞬だけであろうと我を忘れたのだ。
 (やはり、嫉妬……なのかしら)
 もし、自分がピンチになってしまったら、フェイトは我を忘れるのだろうか。

 不意に通信が入り、思考は遮られる。
 「どうしたの?」
 イセリアが尋ねると、焦燥した声が返ってきた。
 「……何ですって? レーダーで確認出来なかったの? ……!? まさか、その艦は……いいえ、公表は控えて。ええ、そうよ。こちらで対処するわ」
 通信を終えた彼女に、ミリアムが首を伸ばす。
 「ねぇ、何があったの?」
 「迷惑な侵入者よ。仕事の後で、皆が休息してるところにちょうど。まったく、デタラメなタイミングだわ」
 「……友好的な、侵入者?」
 「ええ。ちょうどいいわ。ハヤトのこの件は、“彼等”に任せましょう」

 モニターの一つには、眼帯の男と、女っぽい男が映し出されていた。





 ハヤト・ジングウの出身は、地球と設定されている。彼には弟子がおり、クラウストロ人だった。弟子は修行の後、故郷に戻り、神宮流を発展させた。
 地球人がクラウストロ人と対峙する場合、銃を持ってようやく対等だと言われている。それほど二つの種族の間には、その身体能力において圧倒的な隔たりがある。
 戦闘を生業とすると言われるほどのクラウストロ人にとって、地球人が相手の場合、その殆どが武装した敵だった。素手の地球人では、戦闘にすらならない。相手が降伏してしまうのだから。
 『天啓』の異常な戦闘能力について、クリフやミラージュたちからイヤというほど聞かされていたクォークのメンバー達は、皆が銃を握りしめていた。
 しかし、現れたのは半裸の男が一人。しかも、地球人だという。銃を持ったクラウストロ人たちは、目の前の素手の地球人を、いまいち敵だとは認識し切れていなかった。
 ハヤトがまず行ったのは、全力疾走。地を縮めたのかと錯覚するような速度で走り、マリアの目の前まで来ると、そのまま前転して集団の中に飛び込んだ。反射的に銃口で追う者は、同士討ちの可能性に思い当たる。ハヤトは自分を追った両側の銃に手を添え、互いの足を撃たせた。仲間二人が倒れたことで、皆の戦闘のスイッチが入る。

 (今なら……倒せた)

 ハヤトを、ではなく、自分たちを、である。この中で格闘戦においての上位二名は、間違いなくクリフとミラージュである。ハヤトは、速度を見誤った彼等の背後に回っていた。その気になれば、二人は既に立ってはいない。
 その意味するところは、一つ。ハヤト・ジングウは、ショートケーキのイチゴを最後まで残すタイプのようだ。

 クラウストロ人の最大の特徴は、過酷な環境での生活によって培われた、その身体能力。
 しかし、それに綻びが見えていたのも事実。クォークに所属している以外のクラウストロ人と、それほど接する機会が少ない彼等は、自分たちの些細な変化に気づけなかった。その原因は、マリア・トレイターの存在。
 マリアがクリフ達に保護された当時、少女はたびたび身体の不調を訴えることがあった。それはディプロの内部が、クラウストロの環境とほぼ同一に調整されていたから。彼等はその時から、艦内環境の調整に注意を払うようになっていた。やがて成長した後、ある程度順応したマリアだが、その時既に、艦内環境の管理基準は統一されていた。即ち、地球人にはやや辛く、クラウストロ人にはやや優しい環境。
 結果的に、マリアが地球人にしては頑強な肉体を得たのに対し、クラウストロ人たちの身体能力はレベルダウンしてしまった。
 ランカー、スティング、リーベルなど、粗方攻撃を受け、倒されている。
 ハヤトの攻撃は、威力ではなく素早く行動不能にするものばかり。やはり、クラウストロ人の攻撃力は彼にとって脅威なのだろう。それをカバーしてあまりあるのが、彼のセンスと経験。

 (こいつは……一体、今まで……どんな鍛錬を……)

 ついに、残りはクリフとミラージュ、そしてマリアとなった。

 「よせっ、マリア!」

 クリフが叫ぶが、彼女は既にフェイズガンの引き金を引いている。二本の光線は、いずれもハヤトの拳によってかき消された。
 一瞬、自身の目を疑うマリア。そして、隙を見せた彼女への、ハヤトの攻撃を防いだのは、クリフとミラージュ。ハヤトは後ろ飛びに距離を取ると、一旦行動を停止し、観察に入った。
 彼等三人以外は、既に行動不能になっている。一番回復が早い者でも、あと数分はかかるだろう。クラウストロ人の中で生活してきただけあって、マリアもなかなかの筋力がある。武器は銃らしいが、接近すれば格闘に移るに違いない。いや、銃の効果が薄いことは、既に理解しただろう。つまり三人とも、格闘戦で挑んでくる筈だ。
 そしてもう一つ、ハヤトにとって有利な誤算がある。彼等が、フレイの存在を気にかけているということだ。ハヤトとフレイは仲間同士であり、例えハヤトを倒せたとしても、あの得体の知れない少女がいる。見た目はただの少女でも、『天啓』のメンバーである時点で、普通ではないと、クリフ達は考えているに違いない。

 (……余計な心配だな)

 フレイにとって、フェイト以外のあらゆるものは、本当は塵芥にも等しい。少女にとって世界の全てはフェイトであり、彼さえいれば、他の人間などどうなっても構わない。ハヤトがここで死んだとしても、フレイは何の感情も抱かないだろう。

 (やっぱ無理か……)

 クリフが無線で連絡を取ろうとしていたのは、フェイト。しかし、どうやらこの部屋からの通信は遮断されているらしい。

 (さて。可能性は三つ……
  その1・ハンサムでイケてるクリフは突如天才的なアイディアを閃く
  その2・タイミングよく助っ人が助けに来てくれる
  その3・どうにもならない。現実は非情である)

 クリフは時刻を確認する。会議開始の予定時刻まで、まだ時間がある。フェイトが異変を察する頃には、自分たちはやられているだろう。いや、まだハヤトに殺意があるとはっきりしたわけではない。しかし彼にとって、自分たちはせいぜい一組織。そう、巨大な象は、蟻の群れなど気にも留めない。例え何匹踏み潰そうが……。
 (俺らは、蟻んこか……)
 そう、これが本質だ。これが、クォークの存在意義。例え、どんな力を握ろうが、常に蟻であり続けること。
 クォークとは、ただの反銀河連邦組織ではない。例え銀河連邦が消滅したとしても、変わらず存在する。大勢力に阿ることなく、常に、少数の勢力として存在し続ける。

 (神宮流たる者、死ぬまで意地を張るべし)

 それが、ミラージュの父親であり、クリフの師匠でもある人物の言葉だった。
 クォークとは、意地で存在している組織なのだ。

 「クリフ……?」

 ミラージュの声を背に、クリフはハヤトに向かって歩き出した。構えもしていない。
 「……一人でいいのか?」
 ハヤトが尋ねてきた。
 「よかねぇよ。けど、いいんだ。これで」
 爪先が床を蹴り、距離が詰まる。クリフはハヤトの腹部に拳を叩き込むが、それと同時に、クリフも左頬を殴り飛ばされていた。首をほぼ半回転させながら、クリフは拳の感触を確認する。
 とても、人間のものとは思えなかった。例えるなら、未開惑星に棲息する巨大甲殻類。もしくは、ドラゴン。それほどに、ハヤトの肉体は硬い。
 半回転させられた首を戻しつつ、クリフは更に拳を叩き込む。そして次に、拳を使うと見せかけて、思い切り伸び上がった。

 ゴッ……

 クリフの額が、ハヤトの顔面に直撃する。離れて数瞬後、血が噴き出した。クリフの額が割れている。
 (どんな……身体だ)
 額を鼻っ柱に叩き付けた筈なのに、割れたのは自分の額だった。その上、脳を揺さぶられたらしく、視界が歪む。
 「悪くないアイディアだった。……相手が、我でなければ……」
 ハヤトは拳を振り上げる。そして背を翻すと、こちらへ飛び上がっていたミラージュの蹴り足を殴り飛ばした。
 「くっ……」
 奇襲を防がれたミラージュの身体が、空中で無防備になる。ハヤトは蹌踉めくクリフを足場にして飛び上がると、彼女に再び拳を叩き付けた。両手を交差させて防ぐミラージュだが、背中から床に落下する。ダメージは寧ろ、後ろの方が大きい。
 そのままミラージュの上に着地しようとするハヤトだが、彼もまた無防備な状態だった。死角から襲いかかるマリアが、ほとんど体当たりのような蹴りで、無理矢理に場所を移動させる。しかし、彼女の蹴りにクラウストロ人の威力は無い。ハヤトのミラージュへの追撃は阻止したが、そのまま首を掴まれ、持ち上げられてしまった。
 「かっ……ぅ……!!」

 「おいっ」

 ハヤトは指の力を抜かないまま、クリフを振り向く。
 「相手は、俺だろうが……。間違えんなっ」
 ミラージュも起き上がっていた。
 ハヤトは指を広げ、マリアを解放する。そして二人の方に向き直ると、腕を組んだ。
 (……面白い)
 彼は素直にそう思う。前回の戦いとは言っても、あれからほんの僅かな時間しか経っていない。にも関わらず、彼等はあの時のままではない。明らかに数段、能力が上昇している。
 (どういうことだ、これは)
 マリア・トレイターと同じく、彼等も、特別な存在なのだろうか。追いつめられたことで覚悟を決めたのか、それとも、何か別の力が働いているのか。

 そして、異変は起こる。

 それに最初に気付いたのは、扉の前に座り込むカニセル・ファンゾだった。様々な状況での戦いを経て、人間の気配を敏感に察知できるようになった彼は、巨大なものが近づいてくるのを感じる。
 巨大とは言っても、艦内の通路を通れる大きさなどたかが知れている。巨大なのは、その存在感。彼がフェイトやフレイ、ハヤトなど……そして密かに、ではあるが、マリア、クリフ、ミラージュの三人に感じたもの。それは時には、一人を数百人に錯覚させることもある。
 それが今、扉の前に立った。
 カニセルは横っ飛びに回避する。吹き飛ばされた扉が、彼の爪先を掠めた。それは倒れ伏すクォークのメンバーたちの上を通過し、ハヤトへと向かう。
 避けようかと思ったが、すぐ傍にマリアがいることを思いだし、彼は扉を拳で跳ね上げた。そして飛び上がり、闖入者へと蹴り返す。扉は回転しつつ一直線に向かうが、ちょうど壁と床につっかえる向きで、彼等に届くことはなかった。

 「あら。……お邪魔、だったかしら?」

 入室したのは、二人。眼帯の男と、女っぽい男。
 「……!?」
 驚愕のあまり、ミラージュとクリフが停止する、
 互いに近づいたベアトリスとハヤトは、暫し、互いを見つめた。
 「…………」
 「ねぇ、あなた……どこかで会ったかしら?」
 「ふんっ、命拾いしたな。興がさめた。次は、こんな不細工な幕切れでないことを望もう」
 ハヤトは開け放たれたドアから出、溜息をつくフレイとカニセルも、それに続いた。
 「……おい、何であんたらが一緒に……」
 クリフはようやく、それだけを口に出した。
 「あらあら、久しぶりねぇ、クリフ。相変わらず不細工な戦い方しちゃって。ああ、ミラージュまで。もうこんな、泥臭いことはお止めなさいな。お家にお帰りなさい?」
 「何故、お二人が!?」
 ミラージュの疑問も、クリフと同じだった。
 「あら。結構前からお友達だったんだけど、知らなかった? 無理もないわね。あなたたち、ほとんどクラウストロに帰ってこないじゃないの」
 ベアトリスは大きく手を広げ、ミラージュとクリフを抱きしめた。
 「でも、元気そうで安心したわ。さぁ、皆を起こして頂戴。大事な会議があるんでしょう?」
 眼帯の男は、クスクスと笑いを漏らしている。

 「こうしてお会いするのは、初めてですね……」

 マリアはその眼帯の男に歩み寄る。男は不敵な笑みを浮かべたまま、握手を求めた。
 「よう、お嬢ちゃん。さんざんな目にあったようやけど、大丈夫か?」
 「ええ。私は昔から、運が強い方なんです。クラウストロの頂点にまで上り詰めた、あなたの幸運には敵いませんがね……グラーベ首相」
 「おい、嬢ちゃん。魑魅魍魎跳梁跋扈の政治の世界で、たかが運で、ワシが首相になれたと思うとるんか?」
 グラーベの笑みが消えた。クリフとミラージュは警戒するが、グラーベはすぐに笑顔になると、マリアの頭を撫でる。
 「間違えんなや、お嬢ちゃん。ワシは幸運な男じゃなく、ものっっっっすごい幸運な男なんや」
 「…………」
 マリアは握手を終え、クリフたちに向き直る。
 「ところで、クリフ。そちらの……方は?」
 彼か彼女か、どう表現すれば分からなかった。

 「……俺の師匠」

 「え?」
 聞き違いかと、マリアは言葉に詰まる。クリフの師匠ならば、それはつまり……。
 「初めまして、マリアちゃん。私はベアトリス・コースト。ミラージュの母親よ」
 「……父親です」
 そう訂正したミラージュは誰とも顔を合わせず、ただ床を見つめていた。





 「……もうちょっと、見ていたかったんだけど。こーゆー幕切れになっちゃったか」

 クラウストロ政府首相、ロゴ・グラーベ。
 神宮流総師範、ガルシアン・ベアトリス・コースト。

 二人の乱入により、神宮流の対決は中断された。
 「ねぇ、どう思う? あのまま、二人の到着が遅れてたら」
 「さぁ……一見、ハヤトの圧勝とも思えるけど。もしかしたら……」
 「もしかしたら?」
 「……いえ、何でもない」
 歯切れの悪いイセリアだが、ミリアムもそれ以上追求はしなかった。
 「……ねぇ、ひょっとしてさ。団長、こうなるって知ってたとか?」
 「え?」
 「だって、わざわざあの二人をここに呼んだのって、団長なんでしょ? タイミングが良すぎない?」
 「……グラーベの“幸運”だと思いたいけど。だとしたら、ハヤト、始末されてしまうかもね」
 「そ、それは考えすぎじゃない?」
 「でも、団長の意向に逆らったのは確かよ。フレイは傍観してただけだし、あれを止める義務もなかった。もし、フレイがハヤトに対して、予想以上に敵意を抱いていたなら……」
 「…………」
 「冗談よ」
 そう言って、イセリアは微笑んで見せた。



[367] 41
Name: nameless◆139e4b06 ID:c5591200
Date: 2009/05/21 19:10
 会議室は、それほど大きいものでもなかった。クォークのメンバーは、大半がただ気絶させられただけだったが、足を撃ち抜かれた者もおり、怪我人はディプロへ帰還した。
 クォークのTOP3、それにグラーベとベアトリスを加えた五人が入室した時、フェイトは後ろ手を組み、窓の外を眺めていた。一足先に到着していたヴィスコムは、椅子の上で腕を組み、目を閉じている。別に、眠っているわけではなかった。
 「遅れたけど、ようこそグラーベ首相、グラン・コースト」
 フェイトは振り返ると、そう言った。
 「おう。勝手に上がらせてもろたで」
 「ごめんねぇ、フェイトちゃん。私はちゃんと、知らせてから入艦しようって言ったのよ?」
 「いや。いつものことだから」
 先ほどから薄々予想はしていたが、やはりグラーベとベアトリスも、フェイトと面識を持っていた。それも、ただの顔見知りというレベルではない。
 「っちゅーか、何でワシら呼んだんや? 寂しかったんか、んん?」
 「二人には、この会議の立会人になってもらいたい。僕らはまだ、いまいちクォークと仲良くなれてないんでね」
 「何や、おるだけでええんかい。こりゃ楽や」
 グラーベは椅子の一つに腰を下ろすと、腕を組んだ。

 ロゴ・グラーベが首相になれたのは、ただ幸運だっただけだと、人々は言う。実際、選挙戦では支持率が下から二番目だった。それが、対立候補のスキャンダルや急死、事故などで、彼のみが残った。
 勿論、歓迎された指導者ではない。これまでも毒殺、狙撃、爆破、襲撃など、何度と無く刺客に狙われたが、こうして全てをくぐり抜けてきた。。
 ラッキー・グラーベという異名はこれ以上ないほどにシンプルで、まさに彼自身を表す言葉だった。その異名を嫌う者からは、サイクロプスやドットアイと、化け物扱いされている。

 はっきり言って、クォークの敵である。
 だからこそ、グラン・コーストが同行しているのだろう。クォークメンバーに多くの弟子を持ち、誰も逆らえない彼が。

 扉が開き、四人が新たに入室する。俗に言う、天啓四天王。いずれも無言のまま、着席した。ハヤトは腕を組み、眠るように目を閉じている。
 「失礼しまー……うわ」
 すぐ後に入ってきたレナスだが、予想通り険悪な雰囲気を察して、眉を顰めた。
 ロキシ、ネルなども集まり、いよいよ全員が集合したところで、フェイトは窓に背を向け、一通り皆の顔を見渡した。
 「フェイト」
 ヴィスコムが顔を上げる。
 「既に時刻は過ぎてしまった。そろそろ始めないか?」
 「……そうだね」
 フェイトはロキシの名を呼んだ。
 「ラインゴッド博士。どうか、お聞かせ下さい。あなたが17年前、タイムゲート発見時に経験したこと。そして、それからどうしたのか」
 ロキシは躊躇する。しかし、ヴィスコムまでもが促したことで、彼はようやく、その重い口を開いた。





 17年前、“彼等”は銀河連邦より勅命を受けた。
 その“彼等”とは、紋章遺伝学の権威、ロキシ・ラインゴッドとその妻リョウコ。ソフィアの父親であり、時空震を研究する時空間理論の第一人者、クライブ・エスティード。そして、同じくラインゴッド研究所の職員であった、ジェシー・トレイター。
 軍人達は、彼等を惑星ストリームへ護送するという任務を、最高の人材と、最少の人数によって遂行した。
 彼等が命じられた調査は、惑星ストリームに存在する、謎の建造物。本来ならクライブ・エスティードの専門であるそれは、タイムゲートと名付けられた。わざわざラインゴッド研究所の面々が招集されたのは、そのタイムゲートだけが理由ではない。そこで発見された、三枚の光沢を放つ円盤。
 そこで、彼等は声を聞いた。
 タイムゲートの奥から響く声は、自らを神と名乗り、この地を発見し、建造物を調べようとする生物へ罪を示し、種の根絶を予言した。
 研究者たちは、FD人と名付けたその声を、神だと信じたわけではない。しかし、その建造物が途方もない、バンデーンでさえ及ばぬほどの技術によって造られ、そして種族の絶滅すら可能とする力を持つ者たちが存在することは、無視するわけにはいかなかった。
 一応、全てはありのままに報告されたが、それには封印がなされ、一部の人々以外が知るところにはならなかった。
 ロキシ達も、それがあまりにも突拍子のない話だということは、よく分かっていた。勿論、彼等も完全に信じていたわけではない。だから、密かに準備を始めた。神を名乗る存在が襲いかかる、その日に向けて。心のどこかでは、そのようなことが起こらぬよう願っていたが、祈るべき神がどこにいるというのだろう。
 使用したのは、ストリームで発見された、三枚の円盤。古代のDISCと似ていたが、全く別の技術が用いられていた。解読の末、それが膨大な情報量を持つ、何かのソフトだということが判明した。
 それぞれ、

 DESTRUCTION ラインの乙女
 ALTERATION アルス・マグナ
 CONNECTION オーレ・ルゲイエ

 しかし、ソフトだけではどうにもならない。ソフトを起動するための、ハードが必要だった。
 まず考えられたのは、無人兵器へのインストール。しかし、不可能だった。情報量が膨大すぎて、とても兵器一個に納まるものでもない。
 未知の技術といえども、DISCが紋章科学と道を同じくするものだと、ロキシは気付いた。試しに確固たる意志をもって触れると、とたんに肉体と一体化する。しかし、誰が試そうとも、途中でDISCは弾き出された。生命体ならば、触れるだけで融合するということが判明したが、何故完全に融合出来ないのか。
 そして彼等は、ついに決断することになる。彼等の子供たち、三人が……生後一年ほどの三人の赤子が、研究室の内部へと入った。
 大人では駄目だった。無垢な子供が必要だった。膨大な情報量を、一人の身体の内部へと取り込ませるには、発達途中の子供に頼る以外、方法がなかった。
 誰しもが、その決断を生涯悔やみ続けることになるだろうと、覚悟していた。
 三人の赤子は、レナス、マリア、ソフィアという。





 「……それが、理由?」
 「……ああ、そうだ」

 マリアの言葉に、ロキシは重く頷いた。
 「それじゃ、もう一人。参考人を連れて来てるから、話を聞いてみようか」
 二人にそれ以上会話をさせず、フェイトは絶妙の間で割り込むと、扉に目を向ける。
 アレックスが連行してきたのは、バンデーン人だった。
 「ビウィグ……!?」
 表情はよくわからないが、つい先日刃を交えたビウィグが、手錠をされたまま入室する。アレックスは彼から離れると、窓際のソファに腰を下ろした。
 「FD人という神に等しい存在があり、世界を滅亡させようとしている。そして、バンデーンは既にそのことに気付いていたんだろ?」
 「…………」
 「素直に腹を割れば、早く故郷に帰れるかもよ?」
 切っ掛けは、その一言ではない。既にビウィグには粗方の交渉がなされており、フェイトの言葉は、契約の受領書のようなものだった。
 「……我々バンデーンは、以前から、超越した技術力を有し、その力でこの宇宙を支配する存在を確認していた。例えバンデーンに、向こう数世紀分の天才が同時に誕生しようとも、太刀打ちできる相手ではなかった。それ故、我々はもしもの時、生き残る術を模索した」
 ビウィグは淡々と語る。
 「出る杭は打たれる……。文明には、踏み越えてはならない一線が存在する。その一線は、既に目前に迫っていた。我らの首脳部は、速やかなる文明の停滞を望んだが、技術が武器のバンデーンで、どうしてそんな事が出来ようか。ゆるやかな死か、途端の滅亡か。もはや残された道は、創造主の監視を逃れ、隠れて生き続けるしかなかった。しかしある日、地球連邦もFD人のことに気付いたとの情報が入った。そして銀河連邦内のラインゴッド研究所が、FD人の道具を利用して、創造主に刃を向けるつもりだということも。だから我々バンデーンは、ハイダ四号星を急襲し、ラインゴッド博士とその“兵器たち”を回収しようとした」
 「……なら、お前らの目的は、ラインゴッド博士の技術じゃなかったと?」
 クリフの問いに、ビウィグは頷いた。
 「当たり前だ。我々は、創造主を怒らせるわけにはいかなかった。兵器を回収し、無力化させる。銀河連邦もアールディオンも、滅ぶなら勝手に滅べばいい。しかし兵器の存在は、我々すら脅かすものだ」

 会議室に、重苦しい空気が漂っていた。
 レナス、ソフィア、マリアの三人が、兵器としての役割を背負わされたこと。
 そしてそれは、滅びをもたらす創造主……FD人に対抗する為だったこと。

 知らぬ者にとっては、予想しなかった方向へと話が広がってしまった。

 「さて。ラインゴッド博士、バンデーンには、腹を割って貰った」

 フェイトは頬杖をつき、指で机を叩く。
 「あとは、そうだな……。やっぱり僕かな? 僕も、腹を割ろうか」
 この状況で情報を握っているのは、ラインゴッド博士、バンデーン、そしてフェイトであり、他の者たちは聞き役に徹するしかない。そしてフェイトの言葉に、全員が彼へと目を向けた。
 レナスやネル、クリフ、マリア、ミラージュ達にとって、さんざん焦らされた話題だった。何しろ、エリクールにいた頃から待たされている。
 「うん、そうだな……。何か、質問とかない? 出来るだけ答えてあげるけど」
 誰も声を出さない。しかし、暫くしてネルが、口火を切った。
 「その、創造主とかいう連中……何者だい?」
 「ゲーム会社ですよ」
 「……げーむ?」
 「そうですね、まぁ、物語です。創造主というのは作家で、僕らのこの世界は、物語の中の世界なんですよ。この世界は、僕らの為にあるのではなく、作家の側……つまり、読者の娯楽の為に存在する世界なんです」
 「……じゃあ、アタシ等のやってる事は全て、筋書き通りなのかい?」
 「筋書き通りにいかなくなったからこそ、作家はこの世界を放棄しようとしているんです。全て滅ぼして、また、従順な物語を作り上げるつもりなんです。ラインゴッド博士たちはそれに対抗しようとし、バンデーンはレナス、マリア、ソフィアを無力化させ、宇宙全体の滅亡を防ごうとした」
 フェイトは首を振った。
 「しかし、それは不可能だ。既に“ガイア”は、彼女たちの精神と絡み合い、解くことは出来ない。能力を無力化させるのは、本人達の死亡しかない」
 「何だ? 不可能と言っておきながら、方法はあるではないか」
 ビウィグは首を回し、会議室全体に話しかけるように、怒鳴った。
 「さぁ、その三人の娘たちを殺せ! それが、この宇宙に平穏をもたらす! こちらが武装解除すれば、創造主もこの世界を手放そうなどとは思わないはずだ!」
 「だから、それは不可能だ」
 フェイトの表情は、変わらず笑顔だった。
 「そんなことは、この僕が、絶対に阻止するから。だから、不可能だ」
 はっきりと、言い切る。顔は笑っていたが、彼の目は真剣だった。
 「なぁ、ガイアって何なんだ?」
 聞き慣れぬ言葉に、クリフが尋ねる。フェイトはビウィグから目を離すと、奇術のように、右手で一枚のDISCを摘み上げた。
 「ラインゴッド博士、これに見覚えがあるでしょう?」
 「それは……!」
 「これは、“ガイアの瞳”と呼ばれるもの。創造主達の一人、“千理眼のガイア”の種子。創造主に対抗するための武器だ。千種類近く存在し、様々な能力を得られる。勿論、使いこなすには一定以上のキャパシティを必要とする。そもそも創造主にも、様々な種類のヤツがいるんだ。決して一枚岩じゃない」
 「……随分と詳しいんだな」
 クリフの言葉は、皆の意見だった。
 既に彼の説明は、ロキシやバンデーンのそれより、もっと深くまで入り込んでいる。前者二者が知る以上のことを、彼は知っていた。
 「そう、色々と知ってるよ」
 「何でだ?」
 「僕が、創造主の手先だったから」
 「……何?」
 思わず、聞き返す。何の反応も示さないのは、四天王とアレックス、そしてヴィスコムだけだった。
 一瞬戦慄が走るが、彼は確かに、だった、と過去形を使用した。淡々と語るフェイトの真意を理解できず、皆、発言することが出来ない。
 「……昔の話をしようか」
 フェイトは腰を下ろさないまま、懐かしむように、目を細めた。
 「ずぅっと昔、ずぅっと遠くの世界の話。僕がまだ、ただの一般人だった頃だ。ちょうど、今のような状況だったね。僕と仲間達は、同じように創造主の存在を知り、彼等に戦いを挑んだ」
 それは、誰も知らない物語。
 「戦いを経て、ついに僕らは、創造主を束ねる存在と対峙した。そして激闘の末、それを打ち破った」
 「打ち破った!?」
 鸚鵡返しに叫んだのは、ビウィグだった。
 「そう、打ち破った……と、思わされた」
 「……!?」
 「それは、幻想だった。僕らは勝利したと確信し、元の世界に帰還した。創造主の呪縛から解放されたと思い込み、平穏な日常を歩み始めた。……しかし、次第に違和感を抱くようになった僕は、再び創造主の世界へと赴き、自分たちが手にしたのは、与えられた勝利だということを知った。思わず一人で突っ走ったけど、結果は敗北。僕は……命乞いをした。そしてその交換条件として、創造主の手先となり、不穏分子を排除する役目を与えられた。彼等の“代行者”として」
 しかし……と、彼は続ける。
 「僕は、叛逆する。この時の為に、力も蓄えてきた。僕の目的は、創造主たちとの断絶。今までの全ては、その目的のためだった。……しかしそれでも、勝算は多くはない。一旦、休憩に入る。各々、答えを出して欲しい。立ち向かうか、受け入れるか」





 アレックスは懐の神魔銃を取り出すと、それを構えてみた。
 どこの世界の武器なのかは分からない。入団した時、フェイトから手渡されたものだ。戦闘機乗りの自分に白兵戦をやらせるのかと、そう言って口を尖らせるアレックスに対し、彼は大丈夫と答えた。
 フェイズガンと殆ど似たようなものだが、その形状は大きく異なる。古代のフリントロックのような形状で、銃口には宝石のような輝石が埋め込まれている。鳳の神の名を冠したそれは、召喚術の媒体だった。勿論、普段はそれを明らかにせず、仲間内でも少し変わった銃としか認識していない者もいる。

 「……!? よう」

 銃口に現れたクリフは、少し驚きながらも、アレックスへと近づいていった。
 「何だ、ディプロに戻ったんじゃねぇのか?」
 アレックスは銃を下げながら、腰を浮かせてソファを譲る。クリフは隣に座ると、足と腕を組んだ。
 「いや。せっかくだから、内部を見物させてもらってる。……この艦も、創造主の道具か?」
 「そうじゃねぇよ。一応、この世界の最先端のレベルだが。別に、理解出来ねぇようなもんじゃない。……っつーかお前、信じたんだな。ヤツらの話」
 「まぁ……な」
 歯切れが悪いクリフは、頭を掻きむしった。
 「バンデーンだけが気付いてたのか。あの事に」
 「鮫どもは、技術力だけはある。だからこそ、一番早く答えに辿り着いたんだろ」
 「アレックス、お前はどうやって知ったんだ、ヤツらのこと。流石に、あんだけのメンツが保証したりはしなかっただろ?」
 「ああ。…………いきなりカミングアウトすると、俺、アバターだったんだ」
 「アバター?」
 「要するに。今までの俺の人生は全て、FD世界にいるプレイヤーが、俺を操作して行ってきたデータだったってわけだ。この英雄様が、たかが十三歳のガキのおもちゃだったんだ。……俺が選んできた道は、一切の選択がなかった……」
 「…………。なぁ、それじゃ俺も、誰かのアバターだってことか?」
 「いや。それはない」
 神魔銃を懐に仕舞い込み、アレックスは立ち上がる。
 「フェイトが言っていた。お前は、特別なんだと」
 「特別……?」
 「それがどーゆー意味なのかは、俺にもいまいち分からねぇ。けどお前は、フェイトにとって特別な存在なんだろ」
 「……そうは思えねぇけどなぁ」

 (俺も……それが、羨ましいのかも知れない)

 アレックスはそれを、声には出さなかった。
 レベルが絶対ではない。しかし、レベルとは強さの数値。いわば、ランク。高ければ高い程よく、低ければ低い程危うい。
 アレックスのレベルは、310。四天王には及ばずとも、なかなかの高位であった。それに対してクリフは、まだ三桁に達してもいないかも知れない。
 しかしそれでも、クリフは、フェイトにとって特別なのだ。
 明らかに、自分より弱いのに。

 (……どうもだめだ)

 そんな事を考えるのは、自分のキャラじゃないだろう……アレックスはそう言い聞かせる。そのような嫉妬や恋慕といった感情の渦巻きから、彼は出来るだけ距離を取りたいと思っていた。出来るだけ、傍観者でいたかった。
 それなのにいつの間にか、自分もその渦へと巻き込まれかけている。

 「……俺、行くわ」

 一言そう断って、アレックスはクリフに背を向けた。





 「……合点がいった」

 ビウィグはそう言うと、笑って見せた。しかしその表情の違いは、地球人には判別しにくい。
 フェイトは何も返さなかった。
 一応ビウィグも一艦の長であるので、個室に監禁されている。拘束具を外された彼は、身体を様々に曲げていた。
 「二度、戦闘の記録映像を見たことがある。しかしいくら何でも、貴様の力は強大すぎた。そう、強大な筈だ。FD人のしもべだったとは」
 「それで、どうなんだい? 協力するのか、しないのか」
 「ありえんな」
 ビウィグはぐるりと首を回す。
 「我々の目的は、あくまで兵器の無力化だ。それが不可能ならば、我々はこれからも、あの三人を狙う。やつらの死亡を以って、初めて平穏が訪れるのだ」
 「……それが、ミルヨシ派の考え方かい?」
 フェイトのその言葉に、ビウィグの動きが停止した。
 「考えてみなよ。勿論僕らは、君だけじゃない、他の艦長も尋問して、証言を得ている。君の行動は、バンデーンの上層部の意思とは異なるものだ」
 「…………」
 「うちに一人、優秀な情報士官がいてね。彼は既に、バンデーンだけじゃなく、アールディオンの暗号も解読している。ミルヨシ派は完全な抹殺を考えていたけど、現政権は、レナスたちを生かしたまま連行し、その能力を利用したい。しかし、現政権も一枚岩じゃない。それで創造主に立ち向かおうとする攻撃派と、あくまで創造主から逃げ続け、制裁が終わった後にこの宇宙の覇権を握りたいと考えている穏健派。どちらにしろ、単純に殺すなんてこと、今のバンデーンは考えない筈だろ?」
 フェイトは、ビウィグの予想を遙かに超える情報を握っていた。
 こうやってバンデーンの軍艦が派遣されたのは、全てがラインゴッド博士とその研究の産物を入手するため。だからこそ、あれだけの装備をフル活用することが出来なかった。
 「これは、僕の予想なんだけどね、ビウィグ」
 フェイトは腕を組み、椅子のせもたれを大きく倒した。
 「君は、命令に完全に従っていたわけじゃなかった。君はあくまで、完全な始末を目的としていた。ラインゴッド博士から能力の発動条件を聞き出そうとしたのも、完全に抹殺するため。今こうして、全ての兵器が揃った。君はどうあっても、レナス、マリア、ソフィアの三人を殺してしまいたい。しかしそれは、バンデーンの意思ではない。そんなことをすれば、確かにバンデーンは助かるかも知れないが、君は良くて追放、最悪殺される。その覚悟は出来てるんだろうけど、もう一度、その結論を見直してみる気はないかい?」
 「……どういうことだ?」
 「さっきも言ったように、既に暗号は解読している。その情報士官が、35時間前、面白い情報を入手した。バンデーンのラガナ発、レゼルブのヒヒリーシア着の密伝だ」
 「ラガナ……ナズィット第二議席か」
 「そう、穏健派のね。相手はヒヒリーシアの長老、タロア。いくつかの採掘権の見返りに、レゼルブの傭兵部隊を借り受けようとしている」
 「理由は?」
 「攻撃派の一掃。近々、レゾニアを訪問する彼等を、そこでテロに巻き込まれたという形で、始末するつもりだろう。表向きは、レゾニアに対するフェブール種過激派の攻撃。そして、もう一つの目的がある。フェブール種の犯行と知ったレゾニアは、即刻報復に出るだろう。すると、フェブール種の故郷である惑星ロークも黙ってない。ロークに引きずられる形で、銀河連邦も腰を上げる。ならば、バンデーンも出る、と」
 「穏健派のくせに、戦争を望むのか」
 「ハハハ、だね。バンデーンは、近々銀河連邦が、創造主たちの制裁を受けることを知っている。それによって、銀河連邦は前代未聞のダメージを受ける筈だ。そこでいち早く動くのが、バンデーン軍。壊滅状態の銀河連邦軍を尻目に、ごっそりと勢力を奪い取るつもりだ。アールディオンは、まだ創造主の存在に気付いていない。銀河連邦だけを攻撃対象とする、創造主の手下どもに驚いて、藪をつついて死に神を呼ぶ。とばっちりを受けたアールディオン軍もダメージを受け、まともに動けはしない。その間、銀河連邦とバンデーン、二つの大勢力の力を大きく吸収し、三位からダントツの一位へ、一気にのし上がるつもりだろう」
 「それがどうした? 元々、我々ミルヨシ派は、穏健派に近い。今の話が本当なら、私は何一つ文句はないが」
 「いいか、よく聞いてくれ。文明には、限界が設定されている。その限界を超えてしまった文明は、滅ぼされるしかない。それを知っているからこそ、バンデーンは進歩の凍結を打ち出した。しかし、進歩も欲望も、止まることは出来ない。うまくいけばバンデーンは、史上最大の勢力となれるが、それはバンデーンの勝利を意味する。つまり、結末なんだ。一つのエンディングだ。この世界がゲームだと話したけど、どんなに抗ってもはねのけることが出来ないほどの勢力が発生した場合、誰がそんなゲームを遊ぶ? このゲームがFD世界で公開された時、プレイヤーはバンデーンに集中し、更にバンデーンの力は増大し、他勢力には希少なマゾプレイヤーがちらほらいるだけ。当然、創造主は損害を被るだろう」
 「……つまり、もし宇宙を統一するような勢力が出現した場合、その勢力は……」
 「良くて、制裁。悪くて、消滅」
 「……!!」
 ビウィグはいつしか、椅子に座り込み、組んだ両手を口に当てていた。
 「しかし、だ。もしも創造主たちと縁を切ることが出来れば、それは制限、限界の消滅を意味する。誰も咎める者はいない。本当の弱肉強食が訪れる」
 「……では、その後、貴様はどうする? 貴様は、銀河連邦の味方ではないのか?」
 「言っただろう、僕は誰でもない。地球人の姿はしているが、この世界に僕の故郷は存在しない。銀河連邦についたのは、ラインゴッド博士の存在、ただそれだけの理由だ。はっきり言って、どこが覇権を握ろうが、どうでもいい。……のんびりと辺境の惑星で、趣味の旅行でも続けたい。そして普通に老いて、普通に死にたい。強いて言えば、それくらいだな」
 「…………」
 フェイトが、そっと右手を差し出してくる。
 「ビウィグ、選んでくれ。いつか謀殺されるのを待つか、英雄として、政府に大きな発言力を持つか」

 数分後、フェイトは個室を後にした。
 一人残されたビウィグの右手には、まだ、フェイトの体温が残っていた。



[367] 42
Name: nameless◆139e4b06 ID:c5591200
Date: 2009/05/21 19:13
 「……どう反応すればいいんだろ」
 「うーん……」
 ソフィアの問いに、レナスは首を捻るしかなかった。
 ソフィアも、自らの父親がラインゴッド研究所の一員であることは知っている。それがなければ、レナスと知り合うこともなかっただろう。
 「私の力……コネクションだっけ。そんなものが本当に、あるのかな? 今まで感じたことないけど」
 「そりゃ、私だって同じだったわよ。初めてわかった時には驚いたけど、神様と戦うためだったなんてねぇ。いくら何でも突拍子もなさ過ぎて、未だに実感が湧かないわ」
 「でも、フェイトさんも、神様を倒すために動いてたんだね」
 「下克上ね」

 レナスには、別に考えていることがある。それは、フェイトが語った、昔の仲間のこと。
 その昔がどれほど昔なのかはわからないが、たった一人で戦いを挑んだというのなら、その仲間は天啓のメンバーよりも古いだろう。近しい四天王ですら、会ったこともない人々。
 彼等は、どうなったのだろうか。フェイトは創造主との縁を切ると言っていたが、その後はどうするのだろう。やはり、古い仲間達のいる世界へと戻るのだろうか。そしてその時、今現在の仲間である天啓のメンバーたちは、どうするのだろう。
 本心を言えば、やはりこの世界に残ってほしい。しかし、それが彼の幸せにつながるのだろうか。

 「……うん、ちょっと行ってくるわ」

 ベッドから起き上がり、レナスは伸びをした。
 「え、行くってどこへ?」
 「フェイトさんに、聞いてみようと思うの。神様たちを倒した後、どうするのか。ここに残るのか、それとも元の世界に帰っちゃうのか」
 「え、聞くって直接? 直接なの!?」
 「当たり前よ、当たって砕けろよ」
 ひらひら手を振るレナスを追い、ソフィアも慌てて部屋を出た。

 流石に、巨大な艦である。いくら強者揃いの天啓でも、その数はせいぜい一千人と少し。彼等の強さの一因には、膨大な兵器と、様々な施設の存在が挙げられる。それらのスペースと、更には非戦闘員たちの居住区。
 さて、その中からどうやってたった一人、フェイトを見つけ出せば良いのか。
 「どうするの、レナス?」
 「……どうしよっか」
 幼馴染みの短慮さに、ソフィアは憐れみのような視線を向ける。
 「うっわ……何その目。ちょっとチチがデカいからって」
 「……あのさ、もうちょっとセクハラ控えた方がいいと思う」

 「セクハラは! 心の栄養です!!」

 突然背後より大声がかかり、レナスとソフィアは前のめりに倒れかけた。
 「……ばい、ベアトリス・コースト」
 「「……!!?」」
 ひっく、と、ベアトリスは香ばしい吐息を吐き出した。
 「えと……ベアトリスさん?」
 「そうよぉ、ベアトリスよぉ。約束だったわね、一杯おごらせてもらうわぁ」
 そう言う彼も、既に相当飲んでいるようだ。空になったカクテルグラスをくるくると振り回しながら、近くのバーを指し示す。
 「っていうかベアトリスさん、ディプロに行ったんじゃ……」
 「もう、すぐに出て来たわよ。みんな、目も合わせずに逃げるのよ? せっかく久々に会えたのにさぁ、私から隠れるようにして……畜生、師匠様に何て態度取るのよ」
 「いーや、正しい反応や。こない化け物が来よったら、そらどん引きや」
 カウンターには、グラーベもいた。服装だけは営業マンか銀行員のようにピシリとしているのに、その他はボロボロ。服装とは対照的に、だらけた姿を晒していた。
 「ほらほら、来なさいな」
 引っ張るベアトリスを拒否出来ず、二人はバーの中へと連れ込まれた。
 「ちょっとマスター、この娘たちに本日のおすすめを!」
 「あの、未成年なんですが……」
 「そりゃ地球の話でしょ? クラウストロは別に制限なんかないわ。うちのミラージュなんか、はじめっから樽よ、樽」
 「あ、あの私達、フェイトさんを探して……」
 「飲んだら教えてあげるから、ほらほら」
 ちらりと周囲を見回すが、勿論、助けてくれるような人物は見当たらない。目の前のカウンターには、二つのカクテルグラスが並んでいる。
 二人はそれぞれ手に取り、意を決して、一気に喉へ流し込んだ。





 「ビウィグは、近々脱走する」

 フェイトは確固たる自信を持って、そう言った。
 「ほう……その根拠は?」
 ヴィスコムは腕を組み、聞き返す。休憩室には他に誰もおらず、聞く者もいなかった。
 「僕が脱走させるから」
 「つまり、逃がすということか?」
 「そんな怒らないでよ。艦長クラスをあれだけ捕虜にしたんだ、一人ぐらいいいだろ?」
 「そういう問題でもないのだがな。脱走させて、何をするつもりだ?」
 「実は、近々レゾニアを訪問するバンデーンの高官達を、暗殺する計画が持ち上がった。絵図をかいたのは、ナズィット第二議席。で、ビウィグはバンデーン領ラガナへと直行し、計画を中止するよう、直談判に及ぶつもりだ」
 「ふむ……」
 「近々、僕がFD人に決戦を挑むことは、まだバンデーンは把握していない。しかしたった一人、ビウィグはそれを知り得た。レナスたちの確保が水泡に帰し、抹殺も不可能になったとなれば、バンデーンは一体となって、FD人に立ち向かわなければならない。いや、バンデーンだけじゃない。銀河連邦もアールディオン帝国も、宇宙の全てが一体となるべきだ。……ほぼ不可能だけど」
 フェイトは軽く、苦笑いを浮かべた。
 「知っての通り、バンデーンの武器は技術力だ。しかし、いざ全面戦争が起きてしまえば、間違いなく物量で押しつぶされる。そんな彼等にとって、艦は貴重な宝だ。今、僕ら天啓は、合計四隻の艦を確保している。彼等は何としても、全て取り返したい。しかし、相手はあの“天啓”、そしてヴィスコム提督。不可能と判断するしかない。ところが、厳重警備の天啓の檻から、たった一人無傷のビウィグが、それも奪われた艦を率いて逃げ出してきたら、どう思う?」
 「色々と勘繰るだろうな。果たして天啓と連邦、どちらと密約を結んだのか。或いは両方か」
 「どちらにしろ、ビウィグは暗殺を止められない。そこで僕とヴィスコムの連名の手紙を、タロア老を経由してナズィット第二議席に渡す」
 「あの妖怪爺を使うのか。面識があるのか?」
 「人脈は最強兵器だよ、ヴィスコム。ビウィグの不幸は、ナズィットに一方的に憎まれていることを知らないことだ。この間のミルヨシ派転落の時にも、裏で相当色々と画策していたしね。例えどんなに些細な事であろうと、すぐに叛逆へと結びつけられてしまう。ビウィグは、窮地に陥る。そこで君たちは、ビウィグを支援し、彼を救うんだ。逆にナズィットを蹴落とし、ビウィグに指揮権をとらせる」
 「……そううまく進む筈はない、などと言うつもりはない。細かい手はずは、既に整えているんだろう?」
 ヴィスコムの言葉に、フェイトは満足そうに頷いた。
 「しかし」
 ヴィスコムは首を振る。
 「既に、宇宙全体の危機であるにもかかわらず、連邦上層部の視野から大きく外れてしまっている。どちらにせよ、快くは思うまい。……お前……」
 「杞憂だよ、ヴィスコム。創造主を倒した後、新たなる脅威は僕、そう見なされる。創造主に近い力を持ち、存在そのものが危険。もし敵に回ったら、とばかり考えてしまうものさ。これでも僕は、君より年上なんだ。その程度はちゃんと予想してる」
 「…………」
 「ヴィスコム、君だから話す。これはレナスたちにも、マリアたちにも話せないことだけど……僕の結末は、無だ。だから、後のことなんて心配する必要はない」
 「フェイト……」
 「君だって予想したろ? 創造主あっての、この僕だ。FD世界と縁が切れてしまえば、僕の存在は、世界そのものに否定される。僕は、粉雪になる。それでお終い。……だけど、悲しいなんてことはない。僕は今でも、自分を人間だと思ってる。人間だからこそ、神に叛逆するんだ。彼等を神の社から引きずり下ろし、この世界を独立させる。……それで何になる、何の得がある……人はそう言うかも知れない。しかし、叛逆することに意味があるんだ。僕は消える、しかし記憶の中に、僕は残る。僕は薫香のように、人々の記憶に残り続ける。……だからさ」
 フェイトは柔らかな微笑みを浮かべる。
 「みっともない格好なんて、見せられない。僕は最後まで、格好を付ける。この世に、この僕の姿を焼き付ける」
 「……お前が生き残る方法は?」
 「三年考えたけど、無理だったよ。でも、無理なら仕方ないだろ? ……これでいい。これでいいんだ、全て。……このことは、他言しないでくれ。これは一種の懺悔だ」
 フェイトは立ち上がると、俯くヴィスコムに背を向けた。その彼の背に向かって、ヴィスコムは声をかける。
 「……もっと、早く話してほしかったぞ。……おかげでお前は、私の秘蔵のワインを飲み損ねたわけだ」
 とん、と、ヴィスコムの額に人差し指が添えられる。いつの間にか近づいていたフェイトは、そっと、父親のように語った。
 「ここだ。僕はいつも、ここにいる。この戦いが終わったら、早速、それを味わってくれ。僕は君の舌を借りて、感想を漏らすだろう」
 「…………」
 「………………E.T……なんつって」
 「……っ!! ふざけんなっ、不覚にも少しホロッときてたんだぞ!!」





 昔、大昔、日本の皇帝が語った言葉がある。

 曰く、「雑草などという草はない」。

 だから、全てに意味があるのだろう。目に見えるもの、耳に届くもの、鼻孔に入り込むもの、触れるもの、舌で味わうもの……そして心に感じるもの。
 そう思うしかなかった。そう考えるしか、マリアに方法はなかった。自分に与えられたこの力にも、きっと、意味があるのだと。意味があるから、存在するのだと。
 その意味とは、神に叛逆すること。

 「…………」

 マリアは再び、天啓のナユタへと戻っていた。窓際に腰掛け、頭をガラスにくっつけ、宇宙と星々を眺めている。

 地球の神話では、大昔に一度大洪水が起こり、ノアの一族と全ての動物のつがいだけが生き残ることを許され、艦に乗って生き残ったそうだ。ノアが今回はいるのかどうかはともかくとして、これも同じような状況だろう。大洪水を起こした神を、人々は憎んではいない。全ては人間の傲慢さが引き起こしたものであり、神はただ、しかるべき罰を与えたに過ぎないと。
 しかし、今回、人類は神に叛逆するものを作り出し、準備していた。技術の過剰な進歩という罪に納得せず、神を殺してでも生き残ろうとしている。
 大洪水で死んだと言う人々も、きっと神を呪っていただろう。当然であると考えるのは、全て後世の人々だ。彼等は再び大洪水が起こるなど、予想もしていなかったに違いない。

 (もしかすると……本当に、大洪水はあったのかも)

 この宇宙史が始まる前、今の自分たちと同じように、世界は滅びに直面したのではないか。そして戒めとして、大洪水の神話が残された。大洪水が当然であるという言葉を知って、その滅んだ世界の人々はどう思うだろう。
 決まっている。ふざけるなと叫ぶ筈だ。自分がそうなのだから。

 マリアは窓の外から視線を離し、少し離れた窓際に寝ころぶ女性を見た。つい先ほど、無言でふらふらと歩いてきて、倒れ込むなりそのまま眠りについてしまっている。

 (ノアは白い鳩によって、許されたのを知ったというけれど……これは、何かの予兆なのかしら?)

 眠り続ける彼女の顔は、つい最近調べていたばかりなので、マリアもよく知っていた。
 CSD財団の傘下となった、戦災孤児支援基金“ホワイトピジョン”の代表、ジナーナ・スキャラモ。フォックステイルである彼女の尻尾が、まるで手を振るように左右に揺れ、時折狐の耳がぴくぴくと動いている。
 服装から察するに、やって来て間もないのだろう。寝室に辿り着くことすら出来ず、ここで眠ってしまったに違いない。

 (……やっぱり、意外ね)

 ジナーナ・スキャラモ。学生時代に、銀河連邦とアールディオン帝国の戦争による戦災孤児の記事を読み、その数日後には荷物を纏めて戦地へ旅立った。とにかく、一度思い立ったら即行動の、熱血な女性である。確か一度、銀河連邦にスパイ容疑をかけられて、身柄を拘束される事件があった筈だ。そのことについて、連邦から正式な謝罪は未だ出ておらず、相当の嫌悪感を抱いているという噂……にも関わらず、連邦と近しいフェイトの仲間となっている。
 フォックステイルには、美女が多い。殆ど化粧をしないジナーナも、例えよだれを垂らしていようと、問題なく美人のカテゴリーに入る。
 艦内放送のチャイムで、彼女はむっくりと起き上がった。うつろな視線で左右を見回し、マリアを発見すると、四つんばいのまま彼女に近づく。
 「ちょ、ちょっと……!?」
 「あれー、フェイトだぁ。どうしたの、髪のばしたぁ?」
 やはり、自分はフェイトと似た顔立ちらしい。それを思い出すたび、例の替え玉の一件が呼び起こされ、マリアは不機嫌になる。今回もそうで、ぺたぺたと顔に触れてくるジナーナの手を振り払うと、軽く彼女の頬を叩いた。
 「ほら……起きて、いい加減。あと、私は女だから」
 「……はぁ……」
 数十秒かけて、彼女はゆっくりと目を覚ます。
 「……あー、ごめんごめん、別人さんだったか。でも、似てるよねぇ」
 「その話題、やめてくれるかしら?」
 「うん、了解」

 単純一途という言葉が、よく似合う女性だった。どこか、レナスに似ている部分もある気がする。とにかく、自分に限界があることを認めたがらない。どんなに危険だろうと、行くと決めれば周囲の反対を押し切って行ってしまう。
 基金には、優秀な人材が多いのだろう。彼女は顔であり、後始末は全て部下が行う。そんな彼等に加え、CSD財団の力があるからこそ、ジナーナは今まで生きてくることが出来た。

 しばらく彼女に付き合い、艦内を歩き回っていたマリアだが、カフェテラスにてふと尋ねられた。
 「ねぇ……どうしてフェイトが嫌いなの?」
 「え?」
 「いや、ほら、色々あるじゃん。生理的に受け付けないとか、顔が嫌いとか……」
 「……まぁ、顔は……好きとは言えないわ」
 「似てるから?」
 「……かもね」
 マリアはコーヒーで口元を隠す。
 「で? 何でそんなこと聞くの?」
 「不思議だから」
 「……どうせあなたも、フェイトが大好きなんでしょう? でも、こうして嫌いな人だっているわ」
 「ううん、違うの。あなた……そう、例えば、おぼれてる子猫を見て、好きとか嫌いとか思う?」
 「……ごめんなさい、ちょっと意味がわからないんだけど」
 マリアはコーヒーカップを下ろすと、砂糖を少しだけ追加する。ジナーナは頬杖を付いて、視線を落とした。
 「実を言うとね、私……フェイトは大好きなんだけど、あんまり顔を合わせたくはないの」
 「……?」
 「あ、勿論、すっごい感謝してるの。銀河連邦の勢力圏をフリーパスで行き来できるし、たくさんお金も出してくれたし。……でも、あの人は……悲しい」
 「悲しい?」
 「強いは、悲しい。綺麗は、悲しい……。うまく言えないけど……フェイトは、普通じゃいられないの。きっと、誰よりもたくさんのものを捨てて、誰よりもたくさんの我慢をして、誰よりもたくさん悲しんで……。自分に、彼と接する資格が本当にあるのか。どうしても、憐れみの視線で見てしまうんじゃないかと。普通なら、人生は一度きりなのに、彼は何度も人生を送ってきたような、そんな気がするの」
 ジナーナは両手で顔を覆う。
 「私は、私のままでいたいの。でも、フェイトの傍にいると、自分が変わってしまうような気がする。何て言えばいいのか……あの人の中身は、とんでもない量の悲しみで、それを誰かに打ち明けたりなんてしたがらない。あの人は、誰かを助けても、誰かに助けられることなんて考えてない。他人に助けられてしまえば、悲しみが破裂して、周囲に飛び散ってしまうような……。私には、まだフェイトがよくわからない。どんな表情をしてても、その奥が見えない。悲しみをため込みすぎて、それが奈落みたいになってる。……あの人に会って初めて、この世で一番怖いものが出来たわ」
 彼女は、いつの間にか涙を流していた。それをぐいと拭い、椅子から立ち上がる。
 「ごめんね、マリア。ついさっき会ったばっかりなのに、こんな話なんかしちゃって。……私じゃ、一生かかっても、あの人の傍に居続けるなんて出来ないと思うの。でも、お願い。勝手な話だけど、嫌わないであげて。……悲しい人を嫌ってしまったら、きっと、もっと悲しい気持ちになってしまうから……」





 「兵站がまだ不十分! 腹ぺこで戦わせるつもりか!? どうしても不足してるなら、ダル商会に用意させろ! 文句言われたら、例の画像をバラまくって言え! ゲムジル、アールディオン関係の仕事は一時中止、バンデーンの暗号を半時間で解読しろ! マッシュ、サダフ、リリ、お前達三人は、レーデンスラッグ部隊の指揮下に入れ! ターホンはリーザキルと交代、三時間仮眠だ! ……銀河連邦? 僕はたった今仮眠に入ったと突っぱねろ! カニセルは、トルフェンのサポートに回ってやれ! アナキスは、フレイムバラージ、ソリッドバラージの調整を指揮しろ! 人手が足りなければ、アクアエリーに応援を要請! あと、バーリンカに通信し、クォッドミサイルを三ダース追加させろ!」

 彼が何を言っているのかは、当たり前だが、よくわからない。ただ、相当に緊迫した状態だということは感じる。
 フェイトはその部屋の中心、ポールの上に立っていた。オレンジの光の線がいくつも組み合わさり、彼を中心に球体を描いている。フェイトが両手を動かすと、その球体は、玉乗りの大玉のように回転し、フェイトが指を突き出すと、様々な色に光る。その度に、球体に浮かぶ文字や画像は変化する。

 やがて球体はかき消え、フェイトはポールから下りた。

 「あとは全て、通常通りに」

 機械の前に座る人々は、手を休めず、短く返事をする。
 フェイトは室内を一通り見回すと、彼等に背を向けた。そして散歩のような足取りで出口へと向かい、壁によりかかる、赤髪の彼女の肩を叩いた。
 「お待たせしました、ネルさん」
 「……気付いてたのかい」
 「はい。すみません、ちょっと忙しかったので」
 何か用事があるのか、と尋ねることもなく、フェイトはそのまま歩き出す。ネルも、それに続いた。彼女は彼女で、どこに向かうのか尋ねない。
 「……何だか、不思議な気分だよ」
 質問の代わりに、感想を漏らす。
 「何がです?」
 「いや……あたしが、ここにいるのが。さっきも、あんたが言ってることの寸分もわからなかったし。見たこともないようなものばっかりだし。それで……」
 「もう、艦は全て見て回りましたか?」
 ネルの言葉が終わらないうちに、フェイトが尋ねた。
 「いや……真っ直ぐ、ここへ案内してもらったけど」
 「それじゃあ、色々と見て回りましょう」
 再び歩き出したフェイトに、彼女は大人しく従う。

 エリクールにいた頃から、命令することに慣れた男だと思っていた。周囲を自分に服させる、そんなオーラがあった。
 彼は途方もないほどの知識を持ち、それを即座に活用する。人間の枠には収まらず、人間を超えてしまった。人間を超越しても、彼はたった一人。そのたった一人で、あらゆるものを背負う。

 「ねぇ……フェイト」
 「はい?」
 「あたしは……本当に、必要だったのかい?」

 フェイトは立ち止まった。慌ててネルも足を止めるが、しかし彼は、まだ口を開かない。一体どんな表情をしているのか、それを確かめるのが怖く、彼女は辛抱強く待つ。十数分もそのままの気がしたが、フェイトが喋ったのは、実際は十数秒してからだった。
 「やっぱり、そんなこと考えてましたか」
 「……そんなことって……」
 「余計な考えです。退屈だから、そんなことが浮かぶ。……気分転換でもと思ったんですが、まだそんなことを考えてるなんて……僕と二人きりはそんなに退屈ですか?」

 (これはまずい)

 ネルの背を、冷や汗が伝った。普通に考えれば、恋人に近い者同士の拗ねた言葉だが、普通じゃないのがフェイトである。表情も見えず、声色からも読めない。
 いつの間にか、彼と顔を合わせて話すのが普通になっていた。
 返答は、よく考えねばならない。命の危険はないだろうし、そうなっても自分ではどうすることも出来ないが、返答次第では、何か……何かを、失ってしまう。決して取り戻すことのできない、何かを。
 「あ……あたしは……」
 焦って、主語を口にしてしまった。まだ言うべきことも決めていないのに、これでは続けるしかない。
 「……あたしは……」
 ネルは俯く。
 突然、フェイトの顔が見えた。床を向く彼女の顔を覗き込む彼に、ネルは思わず三歩ほど後退る。
 「あたしは?」
 「あ……あたしは……」

 ネルはようやく、異変に気付いた。

 驚いたからではない、鼓動が増している。鼻が頬が唇が額が、熱を帯びていく。
 今度はネルが、背を向けた。
 「あ……ご、ごめんなさい、ネルさん。ほんの冗談ですから。ネルさん……」
 彼は何故、ここで、こんな子どものような怯えを見せるのだろう。魔王として君臨してくれれば、余計な悩みが増えずに済むのに。
 ネルは右手を広げ、自分の顔を掴んだ。
 (何で……何だって、今更……!!)
 もっと以前に、あってもよかった筈だ。何故、今になってやって来たのだろうか。もっと、そう、出会って間もない頃に来れば……。
 「フェイト」
 「はい?」
 「ちょっと……数分だけ、待っててもらえるかい?」
 「……? はぁ……」





 調査員は、自分が萎縮していることを感じていた。
 相手は、ただの会社社長なのに。何度も死ぬような危険に遭遇していた自分が、挫折を知らぬ若造に、強く出ることが出来ない。

 「……ランドール・フォスターの行方は、未だ掴めておらず……」

 金髪の男が、椅子に腰掛け、窓の外を眺めている。

 「現在、総力を挙げて居場所の特定を……」
 「失敗だったな」

 金髪の男が、突然口を開いた。

 「まさか……閑職だったヤツが、これほどに有能だったとは……。いや、有能すぎたからこそ、先代に封印されたのか?」

 自分を責める言葉ではないことを知り、調査員は安堵の吐息を漏らす。しかし、それが彼の最後だった。金髪の男は、まるでテーブルセットを並べるような優雅さで、調査員に向き直ると、持っていた銃の引き金を引く。光線が眉間を撃ち抜き、調査員は安心しきった表情のまま、音を立ててその場に倒れた。

 「それに比べ、お前は何と使えないヤツだ……」

 男は立ち上がると、窓に両手を置いた。

 「フォスター。お前は、嘲笑っているのか? この街のどこかで、こちらを見て……」

 最上階の特別丈夫なガラスであるにもかかわらず、窓にヒビが入る。

 「許せん……許せんぞ、フォスター。あいつは、私のものだ。私だけのものだ。お前が手を出していいものじゃない」

 ガラスが砕け散り、突風が入り込んできた。机の上のものがなぎ倒され、観葉植物の葉が千切れ飛ぶ。

 「心配するな。私は、ちゃんとわかってる。お前が、そんなことをする筈がない。お前はただ、乗せられているのだ、ランドール・フォスターに。騙されているのだ、ガイア・サウザンドアイズに。……私はお前を、嫌ったりなどしない。お前には、私しかいない。どんな時でも、お前の帰る場所は、私の膝の上しかない……」

 ルシファーは振り返ると、モニターに向かって微笑んだ。

 「さあ、早く帰ってこい、フェイト。私が、抱きしめてやろう……」



[367] 43
Name: nameless◆139e4b06 ID:c5591200
Date: 2009/06/02 18:02
 恋をすれば、人は愚かになる。みっともないくらいに。
 そういうみっともない人々を、いつの間にか、羨望の眼差しで見つめるようになってしまった。その世界には、お互いしか存在せず、お互いにありったけのものをさらけ出すことが出来る。全ては、互いを信頼し合い、その愛を信じて止まないから。
 だから、疑うことを切り離せない仕事の自分に、それは来なかった筈だ。適当な相手を見つけて婿に迎え、子を成し、ゼルファー家をつがせる。
 少し、冷静になってみる必要がある。ネルはそう思った。
 自分は本当に、フェイトを信じ切ることが出来るのか? 彼を信頼してはいるが、それは彼の能力に対してだけで、全ての半分を委ねることが出来るのか?
 彼は本当に、彼の全てを自分に見せてくれているのか?
 初め、彼はグリーテンの技術者だった。次に、星の外からの来訪者だった。そして今、彼は、創造主の手先……。
 そう、まだ信じ切れる筈がない。彼には隠し事が多すぎる。

 「じゃあ、ここ入りましょうか」

 フェイトの声で、はっと我に返る。いつの間にか……どこをどう進んだのか、ドアの前に立っていた。近づくと、自動的に扉が開く。
 視界一杯に、白銀が広がっていた。
 「……雪?」
 室内に一歩踏み行ったネルは、しゃがみ込み、足下のそれを掬い上げる。確かに雪のように冷たいが、体温に接しても、容易に融けはしない。。
 「特別製です。これなら本物より衛生的で、すぐにはなくなりません」
 子ども達の声がした。向こうの雪の丘で、雪玉を投げ合って遊んでいる。
 「……あんな小さな子どもまで、乗ってるのかい」
 「この艦を撃沈出来る暴力は、今のところこの世に存在しませんから。それに、子持ちの戦闘員や非戦闘員もいます」
 こちらに気付いたのだろう、子どもたちが指を向けて互いに叫び、そして次々と丘を駆け下りてくる。

 子ども好きかと言えば、間違いなくそうなのだろう。エリクールにいた時も、フェイトは嫌がることなく遊び相手になってやっていた。しかし、あの少年、ロジャーに対してはその限りではない。例え子どもでも、自分に敵対する者には容赦しないのだろうか。

 「ネルさんネルさん、雪合戦しましょう!」

 弾んだ声で、フェイトはそう言った。
 「雪合戦……?」
 聞き返すが、どんなものかくらいは知っている。アーリグリフへ行った時はそれどころでなかったが、そもそも任務以外で彼の地へ赴くことなどなかった。
 「あんた一人でやってなよ、まったく……ひゃ!?」
 振り向いた途端、襟を引っ張られ、背中へと雪を入れられた。身体を仰け反らせて払い出そうとするネルを見て、子どもたちが笑う。
 「そんなつれないこと言わないでくださいよ、ね? 一発当てるごとに、僕が暴露するってのはどうです?」
 「……え?」
 「ネルさん。あなたが考えてる以上に、あなたは、僕にとって重要な位置にいるんです。ほら、うまくすれば、根掘り葉掘り聞けたり……」

 ぽしゅっ

 フェイトの顔面で、雪玉が砕けた。
 「ほら、当てたよ。早速白状してもらおうかい」
 そう言うネルの右手には、既に二発目が握られている。
 「……反則くさいなぁ……」
 フェイトは振り向くと、両手を上げる。子ども達が歓声を上げながら、それぞれ男の子と女の子に別れ、散った。走り出した彼に対し、ネルも安全そうな場所を探す。
 「んじゃネルさん、まだスタートの合図も出してませんでしたが」
 既にフェイトの姿は見えない。
 「一発は一発ってことで、ラッセルの秘密でも教えましょうか?」
 「いいのかい、本人に断りもなしで」
 「ネルさんならいいでしょ。ラッセルがグリーテン出身っていうのは、もう見当ついてますよね?」
 弧を描き、数発の雪玉が落下してくる。それを避けながら、ネルは前方の丘に身を隠した。
 「ああ、ま、薄々はね」
 「ラッセルは、意外ですが料理人だったんですよ。国王の晩餐を作る程に、地位が高かったんです。しかし、ある時彼は偶然にも、国王暗殺計画の存在を知ってしまった。そこでこっそりと、知り合いの大臣に密告したわけですが……その大臣が、計画の首謀者でした」
 「…………」
 「ラッセルは料理に毒を盛ったとされ、その罪は、彼の妻子にまで及びました。彼一人が生き延びたのは、全くの偶然です。彼は海を漂い、遠泳中のアドレー・ラーズバード……クレアさんのお父さんに、これまた偶然に拾われました。そして三年前、シーハーツに文官として仕えていたラッセルは、僕と出会います」
 その出会いの部分は、ラッセルも話していた。
 「確か、ボロボロだったんだってね?」
 「ええ、そうです。ちょうど、追っ手を全て叩き潰した時でね」
 「そう言えば、セフィラの一件の時だけど……あの時あんたが言っていた“仲間”ってのは、グリーテンの機械人形のことかい?」
 「そうです。もともとラッセルには、ドールマスターとしての才能はありませんでした。しかし、彼にその才能を与えたのが、“ガイアの瞳”です」
 「……あんたそれ、あたしの身体の中にも入れただろ?」
 「はい。ネルさんに仕込んだのは、ただ少しパラメータをアップさせるだけの、ささやかなものです。害はありません。しかしラッセルは、少々特殊な害のあるものを、三枚も入れました。本来なら死んでもおかしくないのに、彼は憎悪で、自分の崩壊を防いでしまいました。結果、とても死ににくい身体になりました。副作用が思わぬ利点を生み出した、皮肉な話ですよ。彼は自殺することは出来ず、飲まず食わずでも半永久的に生き続け、真っ二つにされても再生するんです。……ラッセルが死ぬには、誰かに、首を刎ね飛ばして貰うしかありません」
 「……いいのかい、あたしにそんな秘密喋って」
 「ネルさんだから、ですよ」
 その声は、すぐ背後からだった。
 驚愕するネルだが、後ろを振り向くことはしない。大きく前方へ跳躍し、振り向きざまに雪玉を全て投げつける。

 (……本気じゃないか)

 せいぜい、お遊びだと思っていた。しかしフェイトは手加減しつつも、自分の能力を惜しみなく使用している。
 (まさか……案外、ムキになってんのかい?)
 雪を掴み、ぐっと固める。彼女の後頭部で、雪玉が砕けた。それを無視するネルだったが、更に二発も三発も、弱い力が襲ってくる。
 「!! っかっ……!?」
 背中に、雪を入れられた。
 「……そうかい、あんたら……」
 ネルは立ち上がり、背後の子ども達を睨む。
 「覚悟しなっ、全員泣かしてやるよ!」





 鏡がある。そこに映るのは、見慣れた自分の瞳、眉、鼻、唇……。
 瞳の色も髪の色も、そして顔立ちまで、あの男によく似ている。初めて目にした時から、若干の違和感はあった。顔を合わせ、それを確信した。
 「……ねぇ」
 自分に向かって、問い掛ける。
 「あなたは……本当に、フェイトを嫌っているの?」
 鏡の自分も、それだけ質問して、あとは口を閉じた。しばらくして、その口が開かれる。
 「“はい”」
 しかし、どうもしっくりきていない顔だ。試しに、否定してみる。
 「“いいえ”」
 違和感がないとは言えない。しかし、肯定の時よりも遙かに、自然な表情をしていた。
 「……ええ、ああもう、わかったわ。わかったから」
 鏡の中の自分が、鏡の外の自分へと向ける視線に耐えられず、マリアはそう言いながら、近くのソファに寝ころんだ。腕を持ち上げ、顔を覆う。
 自分はマリア・トレイターとしてではなく、クォークのリーダーとして、あの男を嫌っていたのだ。
 (……でもねぇ)
 それを自覚したとしても、好きなのかと問われれば、流石にそこまではいかない。
 創造主に立ち向かうならば、フェイトと友好な関係を構築するべきだろう。しかし、今更過ぎるのではないか。今更、もともとフェイトをそれほど嫌っていなかった、と告白しても、信用は薄い。クォークのメンバーはきっと、マリアがフェイトを憎んでいるのだと思っている。

 「…………」

 マリアは部屋から出ると、廊下を歩き出した。狭い部屋にいては、どうも、考えまで狭くなる気がする。
 フェイトは、すぐに見つかった。が、声を掛けようとしたマリアはハッとして、近くの柱に身を隠す。何故?と問われれば、答えようがないが、声を掛けなかったのは、彼の隣にネルがいたからだった。





 ネルは遊戯室から出ると、溜息をつく。
 「どう? 面白かったでしょう?」
 フェイトが顔を覗き込んできた。
 「まぁ……雪のあるところで、あんなに遊んだのは初めてだね」
 そう言いながら、彼女は近くのソファに座り込んだ。隣に、フェイトも座る。
 「……さて。聞きたいんですよね?」
 「え?」
 「何で僕が、ネルさんを連れてきたのか」
 ネルはフェイトから顔を背け、指を様々に曲げた。聞きたいが、聞きたくない気もする。自分が必要とされているのは確かだが、その理由が、どうしても思いつかないのだ。
 自分にとって武器とは、刀剣や槍、暗器など……そして飛び道具も、せいぜい弓矢ぐらいしか思いつかない。しかし、星の外では、それらが束になっても敵わない兵器が、当たり前に存在していた。それはまるで、神か悪魔の兵器。光とともに、素人に軽々と命を奪わせるもの。
 自分に出来ることと言えば、やはり戦闘くらいしか思いつかない。しかし、自分が培ってきた技術も、あれらの兵器にどれほど通用するのだろう。レナスもマリアも、そしてあのソフィアという少女でさえ、神の如き力を身につけている。今、自分は、最も役立たずな存在なのではないか。
 「ネルさん。乗り物と言えば、何ですか?」
 唐突に、フェイトが尋ねてきた。
 「乗り物……? 馬車とかルムとか船とか、そんなのかい?」
 「そう。エリクールの乗り物と言えば、それです。しかし、僕らの世界では、乗り物に動物は用いられません。特殊な液体や固体など、それさえあれば、ほぼ半永久的に動き続け、動物の何万倍もの力を発揮できます。……全ては、技術の進歩がもたらしたもの」
 「…………」
 「しかしそれにも、弱点があります。それは、人の運動能力の低下です。指一本で何一つ不自由なく生活できる者は、運動や動作が無用となります。運動や動作が、必然ではなく、趣味になってしまうんです」

 兵士は、訓練をする。
 しかし、それはあくまで訓練。未開惑星人にとっては日常生活のうちにも入らない行動によって、自らを鍛えようとする。きっちりと時間を決めて運動する者と、日常全てが運動である者……その差は歴然としていた。勿論、それを改善しようとする行動も起きたが、全ては緩やかさによって飲み込まれた。

 「創造主との戦いは、兵器の問題ではなく、人間の問題なんです。例え矢が尽き、刃が折れても……手足を失ってさえ、噛みつこうとする意志。それを持つ人間が必要なんです。そんな人材は、なかなか見つかるものではありません」
 「…………その人材ってのは、あたしかい?」
 「少なくとも、ネルさんは頼りにしてますよ」

 ひょっとしたら、彼に誉められたのは初めてではないか?
 ネルは彼の言葉に、体温が上昇するのを感じた。

 「さて」

 フェイトは大きく伸びをすると、身体を傾ける。頭を置いたのは、隣に座るネルの太腿だった。

 「!?」
 あまりにも当然のような行動に、ネルの動きが止まる。
 「それじゃ、三十分したら起こしてください」
 ひらひらと手を振り、フェイトはそのまま目を閉じた。
 ネルの手は、静止しようとでもしていたのか、彼女の胸の前で浮いている。しばらくどうしようかと迷っていたが、やがてそっと、彼の頬に掌を添えた。
 「……ねぇ、フェイト」
 返事はない。寝息を立てる彼は、そっと肩を上下させている。
 「あんた……死ぬつもりじゃないよね?」
 恐る恐る、そう尋ねてみた。彼が言った、ラッセルの秘密……そして殺し方。それに、不吉なものを感じたのだ。何故、自分に打ち明けたのか。恐らくは彼……そして彼以外のほんの少数しか知らないことを。誰かに、打ち明けておく必要があったのだろうか。
 しかしまた、彼女は簡単なことを思い出していた。
 自分は現在、休暇中なのだ。今の自分は、シーハーツに仕えるクリムゾンブレイドではなく、もう一つの方……フェイトの所有物。自分の所有者が必要だと言っているのに、何を迷う必要があるだろう。不必要ならば不必要だと、そう言う筈だ。

 (ま……付き合ってやるしかないよね)

 左手で軽く、フェイトの頭を撫でる。
 ふと、ネルは近づいてくる人物に気付いた。彼と同じ髪……マリアだ。
 「無防備ね」
 マリアは腕を組み、溜息をつく。
 「一応、敵対組織が懐にいるのに……こんなところで寝てるなんて」
 「……確かにね」
 改めて膝の上の寝顔を見て、ネルはそう応じた。
 マリアが立ち去らず、ソファに座ったのは、ネルにとって少し驚きだった。マリアはじっと、フェイトの寝顔を見下ろしている。
 「こうして寝てれば、無害なんだけどねぇ」
 「確かにそうかもね」
 「……今なら、こいつを殺せそうな気がするわ」
 何かが違うと、ネルは感じた。こうしてわざわざ同じソファに座り、他のどんな話題でもなく、まず彼を話題に出すなど、マリアの行動とは思えない。
 「やめときなよ。実は起きてるかも」
 「そうかしら? ……試しに……」
 マリアは突然銃を抜くと、フェイトのこめかみに銃口を向けた。本気なのか冗談なのか区別がつかず、若干慌てるネルの膝で、声が漏れる。

 「……果たして、君に撃てるのかい?」

 フェイトの声だった。二人とも、驚愕し硬直する。
 「いや、別に止めはしないさ。撃つがいい」
 マリアの掌に、どっと汗が溢れた。
 「しかし……君に、撃てるのかい? 昨夜、あれだけ愛し合ったこの僕を? 恋人であるこの僕を?」
 「!?」
 マリアを見るネル。マリアはぶんぶんと首を振った。
 「ねぇっ、何故? 何故裏切ったの、ロベルト! ……別に、僕は裏切ったわけではないよ、メルセデス。初めから味方ではなかった、それだけさ」

 ((誰!?))

 ネルはフェイトの顔を覗き込む。眼球が動いているが、やはり彼は、完全に眠っていた。
 「……ああ、びっくりした。夢か」
 「それはどちらかと言うと、夢を見た本人の台詞よね。っていうか、何で夢の中で一人芝居してるのよ、こいつは」
 「けど、本当に驚いたよ。フェイトとあんたが恋人だなんて、ねぇ?」
 苦笑いしつつ、マリアの方を見る。しかし、彼女はそっぽを向いていた。
 「……マリア?」
 ネルは、彼女の耳朶が紅に染まっていくことに気付く。
 「ごめんなさい、ちょっと……待っててもらえるかしら。数分くらい」

 (…………ええええええええ!?)

 ついさっき、自分が言ったのとそのまま同じ言葉に、ネルは唖然とした。





 皆、彼女を避けて通る。彼女は少女で、小柄で、真っ直ぐ歩いているのに、すれ違う人間は皆、壁にはりつくようにして彼女をやり過ごし、早足で立ち去っていく。
 フレイは、感情を隠そうとはせず、すぐに表に出てしまう娘だった。体中から出ているオーラにはただ、“気に入らない”としか書かれていない。
 その理由は、銀髪の少女。レナスの存在が、フレイを不機嫌にさせている。

 (何でよ)

 自分と同じ、槍を武器にする少女。しかも、自分の方が何千倍も強い。なのに、フェイトはレナスを、特別だと言っていた。レナスだけではない、ネルやマリア、クリフやミラージュも。
 自分には、イセリアのように事務仕事をする能力はない。ハヤトのように、頑強な肉体は持ってない。ミリアムのように、敵を幻惑したり、料理洗濯炊事をすることは出来ない。
 しかしそれでも、自分は最強なのだと、フレイはそう思っていた。何故なら、強いから。強ければ敵に負けず、たくさん手柄を立てることが出来、手柄を立てればフェイトは喜び、誉めてくれる。頭を撫でてくれる。
 なのに何故、あんな弱いヤツらが特別なのか。彼等が束になってかかってきても、三分もあれば決着をつけられる。何故、易々と自分と肩を並べ、あまつさえ抜き去ろうとするのか。
 ふと、いつの間にか分かれ道に達していた。右へ行けば、酒場がある。酒の味がわからないフレイだが、こんな時こそ酔いたくなるのよねと、少し背伸びをしたことを考えていた。
 その右方向から、何かが走ってくる。その二人は一瞬で目の前を通り過ぎると、あっという間に左方の彼方へと消えた。
 (今のは……)
 ロゴ・グラーベ、それにガルシアン・ベアトリス・コースト。気になったのは、ほんの一瞬だけ見えた、彼等の焦燥した表情。そして、追うのではなく逃げるタイプの走り。
 (まぁ、私には関係ないけど)
 フレイは右へ折れ、歩いていった。そしてふと、随分と賑やかなことに気付く。その賑やかさは、酒場へ近づくにつれ膨れあがっていった。
 老若男女が集合し、テーブルやら椅子やらも全て隅に追いやられ、皆、床に座り込んで酒盛りをしている。いや、それは別に驚く光景でもない。フレイが呆気にとられたのは、彼等の中心で、壊れた笑い袋のように大笑いしているレナスだった。
 (な……何これ?)
 「おう? おうおうおうおうっ、誰かと思えば、フレイさんじゃあーりませんかぁっ」
 こちらを見つけ、レナスはぶんぶんと両手を振る。
 「え? ちょっ、ちょっとっ」
 数人がフレイを取り囲み、がやがやと笑いながら、彼女をレナスの前に引っ立てた。
 「あはははっ、やってるかーい?」
 「やってるかいって、何してんの……?」
 「ほらほらっ、そんなしかめっ面なんかして! これはあれよっ、お酒不足よ! おいこらソフィアっ、こちらの患者さんに、お薬を!」
 「ふぁーい……お薬れーふ……」
 猫のように四つん這いの格好のまま、酒瓶を転がしてくるソフィア。
 「ちょっと何なのっ、二人とも! どんだけ飲んだの!?」
 「ほれっ、飲めやぁっ!」
 レナスは酒瓶を掴むと、フレイを抱き寄せ、その口に酒を突っ込んだ。
 「うははははっ、しゃぶれっ、私の酒瓶をしゃぶれぇぇぇ!」
 「ちょっ、やっ、まずっ! 不味いからっ、ちょっ……あれ、不味くない……いえっ、美味しいわ! 美味しいわっ、私っ、美味しさを感じてるのね!?」
 大量に体内へと入り込んだアルコールは、あっという間にフレイの味覚を変化させ、そして脳にまで影響を与えていた。
 「せんせぇ! 幸せの青い鳥は、こんなすぐ近くにあったのですね!」
 「ふはは、その通りなのだよフレイくん。我々狩人は、遠くのものを見るように出来ている。だから、近くのものは見失いがちだ。そんなもんさっ」

 フェイト、マリア、ネルの三人が通りかかったのは、ちょうどその時だった。

 「え? ちょっと……何なんだい、これ」
 彼等を見つけたレナスが、再びぶんぶんと手を振る。
 「おお! KAITOさんにMEIKOさんにルカ!」
 「フェイトにネルさんにマリアです。……誰だよ、レナスたちに酒なんか飲ませたの。あと、何でフレイまで混じってんの」
 「くくく、細かいことなど気にするな、フェイトくん」
 レナスは腕を伸ばすと、フェイトの首を抱き寄せた。
 「皆のものっ、酒じゃぁ! 酒! いくらでも飲むがいいっ、代金は全て面倒見てやろう!」

 「「「うおおおおっ、レナス万歳っ、レナス万歳! ジークレナス、ジークレナス!」」」

 「くくくく……で、あるか。遠慮することはない。ただ酒をっ、生をっ、あるがままに興ぜよ!」
 「……レナスって、酔うと信長になるんだね」
 「あははははっ、あっはははははははは!!」
 「それで……フレイは笑い上戸と」
 何気なく、フェイトは酒瓶に手を伸ばす。が、その酒瓶をネルが蹴り上げ、マリアの銃が撃ち抜いた。
 「え? ちょっと……何すんの、二人とも」
 「「こっちの台詞!!」」
 「いやそりゃ、確かに酔いやすい体質だけどさぁ、ちょっと記憶が飛んじゃうくらいだし……」
 「……フェイト。もしあたしがあんたより強かったら、コブラツイストだから」
 がしっ、と、ズボンの裾を掴む手があった。下を見ると、ソフィアがこちらを見上げている。
 「フェイトさーん……何で飲まないんですかー」
 「いや、それは」
 「ええ、分かってます。……そうなんですね。私が……私が、悪い子だから」
 「え?」
 「ふぇ……私がっ、悪い子だからぁぁぁぁっ、うええええええっっ」
 「ソフィアは、泣き上戸か」
 「そうかしら。ただのネガティブ上戸に見えるけど」
 「ネガティブ上戸って何だよ」
 そのまま放置するわけにもいかず、無理矢理座らされたフェイトの傍に、ネルとマリアも腰を下ろす。

 「で、ですねぇ、フェイトさん」

 フェイトの肩を叩きながら、レナスはしゃっくりをした。
 「一つ、質問があるんですけどぉ」
 「質問?」
 「そうですよーう。その、FDだかCDだかとの戦いが終わった後、どうするんですかー?」
 「どうするって?」
 「ほらぁ。そのままここに残るのかぁ、さっき言ってた、前の仲間がいる世界に帰るのかぁ、どっちですかー?」

 マリアもネルも、初めてそのことに思い至った。何故、今までそれを考えなかったのだろう。
 神を倒しても、その先がある。
 「……さて、どうしよっか」
 フェイトは首を鳴らすと、胡座をかいて頬杖を付く。
 「けど、レナス。それは少し、気が早いんじゃないかな。まだ、創造主のところまで辿り着いてさえいないのに」
 「そんなに強いんですかー?」
 「そりゃね。昔の僕に、命乞いをさせる程度には」
 フェイトはそっと、目を閉じた。マリアもネルも、周囲の喧噪が霧のようにかき消えていくのを感じる。例え彼がどんな小さな声で呟いても、それを拾うことが出来るだろう。

 「創造主を倒した後……僕は……」

 ビウィグには、この世界に残ると言った。
 ヴィスコムには、消滅すると言った。

 「……迷うなぁ」

 フェイトは突然笑みを浮かべると、頭をかいた。
 「迷うって、何がですかあ?」
 「いや、ね。やりたいことが多すぎるんだ。もっともっと、他の星にも行ってみたいし、どこかでのんびりと暮らしてみたい気もする。……さて、と」
 満足に答えないうちに、フェイトは立ち上がった。入り口に目を向ける彼にならい、そちらを見ると、イセリアが立っている。
 「仕事が入った。それじゃ、みんな。また後で」
 フェイトは早足で皆の間を抜け、イセリアと共に去っていった。
 暫くして、マリアが腕を組む。
 「ネル。どう思う?」
 「あまり答えたくなかった……そう見えたね。何か隠してるみたいだけど」
 「そう。……ところで、どうする?」
 「どうするって、何が?」
 「フェイトが行っちゃったせいで、後ろのレナスが退屈し始めて、次の獲物を探してるけど」
 「逃げるしかないね」
 「無理だわ」
 「何故?」
 「足首を掴まれた」
 「……奇遇だね、あたしもだよ」





 ヴィスコムは通信機のスイッチを入れた。
 「どうかしたか、フェイト」
 『ヴィスコム、ちょっと頼みがある。今、外に遭難者を救助した艦が来てるんだけど、問題があってね。少しの間、アクアエリーの外電を切断しといてくれないか? どうも、そっちのと運悪く混雑してるみたいで、回線が不安定なんだ』
 「わかった。すぐ終わるんだな? こちらは、有視警戒に切り替えておく」
 『頼むよ。それじゃ』
 フェイトの言葉をそのまま、アクアエリーの乗組員に告げると、ヴィスコムは溜息をつく。眼下の発着場では、非戦闘員たちが歩き回っている。彼等は勿論、知らないだろう。創造主を倒せば、フェイトが消滅するということに。
 戦闘員も、非戦闘員も、その時どうするのだろうか。もともと、扱いにくい人材ばかりを集め、一手に管理していたのが、フェイトだ。その彼がいなくなれば、天啓は分解する。その時に起こる混乱、それが引き起こす被害……それら全てを、事前に予測しておくことは不可能だ。
 フェイトが言った通り、小型艦が入港してくる。ハッチが開き、次々と人が下りてくる。

 「…………!!」

 ヴィスコムは、絶句した。
 彼等のうちの一人、まだ幼い、褐色の肌の少女が、ふとこちらへ目を向けた。ヴィスコムはその場から飛び退くと、身を隠す。

 フェイトは、知っているのか?
 彼は、どこまで知っている?
 これは、ただの偶然か?





 『有り得ん……が、送られた毛髪のデータを見る限り、信じる他なさそうだ』

 モニターの前の男は、そう言って首を振った。
 『それで、本当にそちらで保護したのか?』
 「ああ。ついさっき、艦が帰還した。全て、予定通り」
 フェイトはそっと微笑んでみせる。
 「ヴィスコムは、バンデーンでの作戦に賛同してくれた。彼はほぼ確実に、邪魔にならないところへ移動する。断言しよう。銀河連邦とバンデーンは互いを見つめ合い、そちらのことなど眼中になくなる。その隙に、計画は発動する」
 『おい。本当に、探知されてないだろうな? カットオフを通じてるとはいえ、今の言葉では、勘付くやつも大勢いる』
 「安心してくれ。短い時間ではあるが、絶対に安全だ」
 『……まあいい、どのみちお前抜きでは、成り立たないことだ。私も、全てを賭けている。どうか、期待を裏切らないでくれ』
 「まあ、任せておいてくれよ」
 『しかし、お前……まるで悪女だな。是非とも、“本命”が誰なのか、知りたいところだ』
 「それは勿論、“皇帝陛下”」
 『だといいんだがな……』
 「消去法だよ。銀河連邦からは危険視され、バンデーンには敵対した。となると残るは、君のところしかない。……おっと、そろそろ危ないかな? それじゃ、期待しててくれ」
 『早くお会いしたいものだ、我々の“皇女様”に』
 モニターが暗転した。
 フェイトは改めてヴィスコムに通信する。
 「あ、ヴィスコム。もういいよ、ありがとう」
 『…………』
 「ちょっと、ヴィスコム? 聞いてる?」
 『あ……ああ……』

 耳に響くのは、動揺を隠せない、彼の声。フェイトが予想した通りの声。

 「どうしたの? 具合でも悪い?」
 『なあ、フェイト。お前は……知ってたのか?』
 「知ってたって……ああ、あのこと? ヘルメス長官がこの前、カジノで大損こいた。そりゃ当然だよ、うちが立て替えてあげたんだもん」
 『違う!』
 「何だよ、いきなり……ああもう、降参だよ、降参。ほら、何のこと?」
 『……。いや、済まない。勘違い……だったようだ』
 「本当に大丈夫?」
 『ああ……失礼する』
 再び、静寂が訪れる。

 「さて。……そろそろ、会議を再開するか」

 全ては、整った。



[367] 44
Name: nameless◆139e4b06 ID:c5591200
Date: 2009/06/08 02:20
 「向かうのは、ここ。惑星ストリーム」
 「ストリーム……やはり、そこが」
 「そう。そこが、FDへの入り口だ」

 ロキシに向かって頷くと、フェイトは再び、プロジェクタの前に立った。

 「一応、考えられるプランでは、僕とソフィアで入り口を開く。そしてその後、ソフィアは帰還。戦闘員のみで突撃し、創造主を倒し、FDとこの世界とのつながりを断ち切る。まぁ、そこら辺は全て、僕がやってのける。……何か質問は?」
 「惑星ストリームまで、この艦で行くんですか?」
 レナスが手を挙げる。彼女の問いに、フェイトは首を振って否定を示した。
 「いや。創造主が別ルートから、攻撃を仕掛ける可能性もある。そのため、全戦力をFD世界へ送り込むことはしない。一応、ナユタはこの宙域で待機させ、僕らはクォークのディプロに乗せて貰いたい。……マリア?」
 頬杖をつき、どこか違う場所を見ているマリア。フェイトが更に呼びかけて、ようやく気付いた。
 「え!? な、何?」
 「……ちゃんと聞いてた?」
 「ええ、まぁ……」
 「流石に、僕をそこまで信用は出来ないだろ? 天啓所属の艦じゃなく、ディプロに乗せてくれないか? 大丈夫、ストリームに到着するまで、荷物みたいに大人しくしてるから」
 「…………」
 「あの、どうかした?」
 「別に」

 (……………………あれ?)

 気付いたのは、レナスだった。この感覚は、そう、あの時。アミーナと初めて出会い、彼女の家に行った時の、フェイトとネルの会話。

 (いや、でも……何で? そんなわけないでしょ? だって、あんなに嫌ってたのに。そりゃ、映画みたいに生死をともにしたり、命を助けられたりしたら、別かも知れないけど……。そんなイベントなかったでしょ? フラグなんか立つわけないじゃん)

 フェイトはプロジェクタの電源を切った。
 「それじゃ、会議は終了だ」
 「随分短いのね」
 「創造主相手に、作戦も小細工も必要なし。うまく行けば戦わずに決着をつけられるし、うまく行かなければ世界が消える。今まで会ったこともない人々も含めて、宇宙の全ては、僕ら次第ということだ。悪いけど、これはもう、そういう戦いなんだよ」





 その少女は、泣いていた。
 包帯を巻いた腕で、フェイトの腰にしがみつき、顔を埋めて泣いていた。
 それは、フェイトの役目ではない。泣かせてやるのは、本当は自分の役目である。
 しかし、自分は未だ、その資格を持っていると言えるのか。

 「大丈夫……団長さんもみんなも、きっと、どこかでスフレを心配してるよ」

 フェイトがそう言って、そっとスフレの頭を撫でてやった。何故、それをしてやるのが、自分の手ではないのだろう。

 ヴィスコムは背を向けると、フェイトがこちらを盗み見ていることにも気付かぬまま、足早に立ち去った。

 「……スフレ。こんな時にすべき話じゃないかも知れない。でも、どうしても、言っておかなくちゃならないことがある。……そのままでいいから、聞いてくれ」
 「…………」
 「君には、お母さんが二人いたんだ」
 少女は顔を上げると、涙を拭った。
 「ふたり……?」
 「ああ。一人は、エレインさん。そしてもう一人は、パンナコッタさんじゃない。君はまだ、会ったこともない人だ。……会いたい?」
 「わかんないよ、そんなの」
 フェイトは再び、スフレの頭を撫でてやった。
 「……お休み、スフレ」





 「ビウィグはちゃんと脱走した?」
 「ええ、つい先ほど。銀河連邦への引き渡し手続きは済んでいますし、三十分遅れでヴィスコム提督が出発します」
 「なら、良し」
 フェイトは再び机に向かうと、文書の作成を始めた。イセリアは報告書のページを変える。
 「念のため、ヴィスコムの目と耳の届かない距離になったら、アスラ侍従長への送信を頼む」
 「了解しました」
 「それから、私物の整理は済んだ? 手荷物は必要最低限、その他はニューサリアに載せろ」
 「それも……済んでいます」
 「他の三人も?」
 「ええ」
 「そっか。僕の私物は……まぁ、適当に処分しちゃって。欲しいって人がいたら、あげちゃっもいいし」
 「そんなことをしたら、形見分けかと騒ぎになりますよ」
 「うん……。それじゃ、放置しとこうか。みんな、勝手に取って行くだろうし。あとは……」

 フェイトの言葉が途切れた。
 首に、イセリアの白い腕が伸びている。彼女は背後からフェイトを抱きしめ、そのまま黙り込む。

 「……イセリア」

 彼女は、何も返さない。フェイトが椅子を回し、イセリアの方を向いても、彼女は変わらず、彼の首に抱きついていた。フェイトの肩に顎を乗せ、互いの耳が触れるほどに近い。フェイトは左手で彼女の髪を、右手で彼女の背筋を撫でた。
 「どうしたの、イセリア」
 「すみません。あと少し、このままで」
 「……。その涙は、悲しみ? 憐れみ? 悔悟?」
 「全部、です」
 彼の首を抱く腕が、一層強張り、きつくなる。
 「ビウィグには、生き残ると。ヴィスコム提督には、消えると」
 「そうだ、イセリア。どちらも間違ってないし、どちらも本当だ」
 「あなたは初めから……こうするつもりだったのですか?」
 「いや。方法は、いくつもあった。そのどれもが、途中で行き詰まり、今ではこれが、唯一残されたもの。イセリア、君は可愛いし、美しい。そして何より、信頼できる仲間だ。これは、他の三人には託せない。フレイにも、ハヤトにも、ミリアムにも。……さ、ほら、涙を拭いて。泣くのも悲しむのも、まだ早い」
 暫くして、イセリアはフェイトから離れた。彼女は背を向け、ドアへと向かう。そしてそのドアが開いたとき、フェイトは彼女の名を呼んだ。
 「イセリア、今のうちに言っておく。……僕の我が儘に付き合ってくれて、ありがとう」
 「……我が儘じゃ……ありません」
 「…………」
 「あなたは、私の全てです」
 イセリアの身体が、ドアの向こうへと消えた。





 ガンガンと、荒い靴音が近づいてくる。ベアトリスとグラーベは杯を片手に、食堂へと入ってきた人物を確認した。
 「あら。マリアちゃん、どーしたの? 怖い顔して」
 マリアは二人の前で腕を組むと、大きく溜息をつく。
 「グラン・コースト、質問があるの」
 「ベアトリスでいいわよ、もう」
 「あなた、奥さんとどうやって知り合ったの?」
 思い掛けない質問に、ベアトリスの動きが止まった。表情も動作も、全てが停止している。
 二秒後、再起動した彼は、顔を歪ませながら首を傾げた。
 「え……ちょっと、何で? どうして、そんな質問?」
 「質問を変えるわ。結婚する前、奥さんを好きだと自覚した時の状況を、詳しく」
 「え。ええ? いや、それは、ねぇ?」
 「ワシに聞くな」
 グラーベはにやつきながら、杯を空ける。助け船を出すつもりはないらしい。
 「そ、それはねぇ、えーっと……そう、あれは私が、まだ天空に住まう神々の一柱だった頃……」
 「前世は禁止」
 「……えーっと。高校時代、ゲームをしてたら、突然パソコンの画面から」
 「アニメも禁止!」
 「うっ」
 「妄想もっ、理想もっ、童話も神話も小説も漫画も! 全部禁止!」
 「そ……そんな……うっ!?」
 ベアトリスは杯を落とし、突然胸を押さえると、椅子から転げ落ちた。
 「うっ、し、しまった、持病の癪が!? ああ、これは大変! 今のうちに、遺書でも書かないと!」
 クラウストロ星人の速度に敵う筈もなく、ベアトリスはあっという間に食堂から出ると、そのまま逃げ去ってしまった。
 「おーおー、逃げよったで、あいつ」
 くっくっくっ、と笑いを漏らす彼だが、マリアはテーブルを叩いた。
 「なら、グラーベ首相。あなた独身ですが、恋愛経験はありますよね?」
 「そら、まぁ、それなりには」
 「誰が相手の時でもいいです。好きになった時のことを、詳しく」
 「わ…ワシにも聞くんか!?」
 「勿論」
 「どーゆー理屈やねんっ」
 マリアはテーブルに手を置いたまま、ぐいと、顔を近づけ、真っ直ぐな目で見つめてくる。

 (あかん……こいつには、凄みがある! 聞くと言ったら聞く、凄みが!)

 彼はとりあえず、緊急回避を試みた。
 「だ……だいたい、何でそんなもん聞きたいねん!?」
 マリアは銃を抜き、グラーベの額に銃口を押しつけた。
 「質問を質問で返すなぁぁ! 質問文に質問文で答えると、テスト0点なの知ってたかっ、このドマヌケがっ!」

 窮地に立たされるグラーベ。しかし、彼には異常な性質がある。
 今回も、“幸運”が彼を救った。

 「ほいほい、お持ちしましたよ、っと。……あれ、リーダー。帰ってたんですかい?」
 二人の世話をしていた、ランカー。酒を持つ彼が踏んだのは、先ほどベアトリスが落とした杯。彼の身体は容易に傾き、封を切ったボトルと、中身の酒が、グラーベの胸元に向かって飛んだ。
 「おおう」
 咄嗟にボトルをキャッチするグラーベだが、中身の半分以上は、彼のスーツが飲み干してしまった。
 「ああっと、何てこったい! 急いで洗濯せぇへんと、シミになる! というわけで、ワシはこれからお洗濯さんがあるさかい、ほな、さいなら!」
 グラーベも、言うまでもなくクラウストロの人間。既に視界から消えてしまった彼に、マリアは腕組みをして黙っている。ランカーは彼女に声を掛けた。
 「えと……リーダー、どうしたんですかい?」
 「そう言えば、あなたは妻子持ちだったわよね」
 「ええ、まぁ」
 「奥さんとの馴れ初めを話しなさい」
 「命令!?」
 「そうよ」
 ランカーは改めて、マリアの顔を見る。確かにそれは、冗談を言っている顔ではなかった。雑談でもなくからかいでもなく、彼女は真剣に、尋ねている。まさしく尋問だった。
 「いや、その……。初めて出会ったのは、高校のパーティで。俺は男友達に誘われて、初めてバンドに出たんすよ」
 「楽器は?」
 「…………トライアングル」
 「続けて」
 「それでまぁ、みんな空気読んで、拍手してくれたんですがね。一人の女が、酷すぎるって叫んだんすよ。俺だって、あの時は真面目にトライアングルしてて、それをけなされたのが癪に来て……んで、まぁ、殴りかかったと……」
 「殴りかかったの!?」
 「いやっ、うちでは普通ですよ!? 旦那とかはどうか知りませんが、うちの高校じゃ、殴り合いの喧嘩なんざ、挨拶みたいなもんで……ひどい時には、教師も生徒も総出で、本当にくだらないことで大げんかして……」
 「くだらないことって、何?」
 「……キャンディの掴み取り大会で、科学の教師がズルしただのしないだの……あのもうっ、本当に恥なんで!! 戻ってもいいっすか!?」
 「駄目」

 何故、自分も逃げなかったのだろう。勢いに乗って、余計な恥までかいてしまったが、どうやらマリアは、肝心の馴れ初めを聞くまではテコでも動かないつもりらしい。
 ランカーはぐしゃぐしゃに頭を掻きむしると、グラーベが座っていた椅子に腰を落とし、残っていた酒をラッパ飲みした。幾分気が大きくなったのか、酒を飲み干すと、一つ大きな溜息をつく。

 「で、まぁ、殴り合いになったわけです。決着は付かず、後日再戦ってことになったんですが、そのパーティーでタバコ吸ったヤツがいまして。連帯責任で、全校生徒、停学と外出禁止ですわ」
 「喧嘩が日常茶飯事で、タバコが駄目なの?」
 「いや、ただ、教師達が旅行に行きたかったから、ってのが本当の理由なんですが」
 「…………そう」
 「普通ならみんな、大人しく不健全に遊んでるんですが。俺とその女だけは、ちゃんと登校して、ちゃんと再戦しましたよ?」
 「誰も褒めないわよ」
 「いやぁ、あの時の喧嘩は凄かった。壊れるもんは、校舎も含めてほとんどぶっ壊れましたからねぇ。俺は女の肋骨と鎖骨をぶっ壊して、女は俺の左腕と左足をぶっ壊しました」
 「…………」
 「んでまぁ、二人揃って入院。暫く口げんかしてたんですが、疲れて二人ともすぐに寝ました。気付いたら、女が歓声上げてるんすよ。俺も気になって窓見たら、珍しく、恒星の光がありましてね。何年ぶりかの日の出です。喧嘩のことも忘れて、二人ではしゃぎまして。そして、ふと、気付いたんです。朝日で照らされた、あいつの顔……いつの間にか、二人とも見つめ合ってて……。まぁ、それが馴れ初めです。わかりました?」
 「全然」
 マリアは容赦なく首を振った。
 「……まぁ、ありがとう。一応、サンプルにはなったわ」
 「そっすか。……あの……もう一本飲んでも?」
 「勝手になさい」
 跳ねるように立ち去るランカーを見届け、マリアも転送室へと向かう。
 彼には悪いが、非常に稀な例と言えるだろう。しかし、その稀な例こそ、自分が求めていたものだったのではないか?
 よくよく考えてみれば、対立していて、ふとした拍子に恋に落ちるなど、自分の状況と似ていると思える。しかし、ランカーの“朝日”……つまり、そのふとした拍子が何なのか、一向に思い出せない。まるで人気と不人気の境界線のように曖昧で、気付いた時にはなっていた、としか説明できないのだ。
 意外と、そんなものなのかとも思ってしまう。今まで愛だの恋だの、そんなことを真面目に考えたことはなかった。いざ考えてみれば、もっと違うものだとも思うが、そもそも初心者の自分が、現実に存在する先人に対抗することは出来ない。

 (つまり……何、運命の人ってこと? あのフェイトが?)

 あり得ないが、それはきっと、ランカーと彼の妻も思ったことだろう。

 ふと、自分の余裕っぷりに吹き出しそうになった。

 もうすぐ宇宙の命運を賭けた戦いに参加するというのに、何故、こんなことで悩むのだろう。その悩みは、全て無駄になってしまうかも知れないのに。
 その理由は、マリアも薄々勘付いている。
 フェイトは果たして、本当に、この世界に残るのだろうか。もし、彼がレナスに語っていたことが嘘ならば、この気持ちは宙ぶらりんの状態のまま、永遠に解決することはなくなってしまう。何しろ、答えを聞かせる相手がいないのだから。

 (けど……もっと他に、することあるでしょう? 例えば、ほら……遺書を書くとか……)

 駄目だ。他のことを考えようとすると、どうしても、ネガティブな方へと向かってしまう。
 フェイトに命乞いをさせるほどの相手など、想像も出来ない。その時よりも彼は強くなっているそうだが、それは創造主も同じではないだろうか。
 本当に、勝てるのか。

 そして、再びナユタ内部へとやってきた彼女が、まず顔を合わせたのは……アレックス・エルゼンライトだった。

 「……あら」
 「……おう」

 お互い、この顔合わせは予想しておらず、思わず間の抜けた声を出してしまう。

 「…………」
 「…………」

 アレックスは逃げるように背を向け、立ち去ろうとするが、マリアはその後ろ姿を呼び止めた。
 「待って、アレックス」
 「な……何だよ、一体」
 「少し、話とか出来るかしら?」
 「話……? …………。まぁ、いいけど。で、ただの雑談か? それとも、内密か?」
 「出来れば、内密で」
 「悪いな、ちょっと急用が出来た」
 「いいえ、やっぱりただの雑談よ」
 「……わかった」
 アレックスは歩速を落として、マリアを先導した。二分もかからず、テラスのような場所に出る。
 マリアがソファに座ると、アレックスは離れた場所に腰を下ろした。
 「……そんなに離れてたら、話がしにくいんだけど」
 「そうか。じゃあ、止めとくか」
 「もしかして、照れてるの?」
 「……冗談は貧乳だけにしろ」

 マリアが我に返ったのは、それから数分後だった。

 「……こんな事しに来たんじゃないのに」
 壁のあちこちに、銃痕が刻まれている。マリアが溜息と共に銃を仕舞ったのを見て、アレックスも警戒しつつ神魔銃を懐に戻した。
 「なぁおい、NGワードはさっきのだけだよな? 他にねぇよな? あったら先に言ってくれ、メモすっから」
 「とにかく。私は、あなたと話をしに来たの。ほら、さっさと座って。さぁ」
 どうやら観念したようで、彼はマリアの向かいに腰を下ろす。
 「んで。話って?」
 「率直に行くわ。あなたが、何故、私を嫌ってるのか」
 「率直過ぎんぞ畜生め。……んな事知って、一体どうすんだよ。別に、俺がお前を好きだろうが嫌いだろうが、別に、関係ねぇだろ、別に。……まさかお前、俺に惚れたり……」
 「無いから、安心して」
 「……そうかよ」
 拗ねたような表情になるアレックスだが、その表情が既に、嘘だった。マリアはそれに気付いている。
 「私が知らなくて、あなただけが知ってるなんて、不公平だと思わない?」
 「いんや、思わねぇ」
 「不公平なのよ、実際。自分の知らない理由で嫌われるなんて、もうイヤだから」
 アレックスは葉巻に手を伸ばした。
 「……はっきり言ってやる。確かに、理由はある。が、お前の責任じゃねぇ。俺が勝手に、お前が嫌いなだけだ。それに、お前が知る必要がないことだ」
 「必要あるかどうかは、聞いてから決めるわ。アレックス」
 彼は火を付けた葉巻を、指で弄ぶ。一つ煙を吐き出し、そして口に銜えた。
 「アレックス」
 マリアは再び、彼の名を呼ぶ。
 「私は、知らずにはいられない性質なの。自分の感情の変化も知りたいし、自分が嫌われている理由も知りたい。あなたの“嫌い”は、ただ組織の対立だけが理由じゃない筈よ。もし言わないのなら、フェイトから直接聞き出すわ」
 「ええいっ、わかった、わかったよ!」
 アレックスは葉巻を離し、両手を上げた。俗に言う、降参のポーズだった。
 「言っても仕方がねぇことだが、言うだけは言ってやる。満足か?」
 「ええ」
 アレックスは葉巻を握り潰すと、そのまま両手を組み、顎を添える。マリアも身を乗り出すと、彼の顔を真正面から見据えた。

 「ラ・フラージュ事件。あれが、俺の“嫌い”の理由だ」



[367] 45
Name: nameless◆139e4b06 ID:c5591200
Date: 2009/06/14 02:39
 アレックス・エルゼンライトの同期に、二人の男がいた。軽口を欠かさない酒好きの男が、カヴィル。休日はだいたい葉巻を吸って釣りをしていたのが、ソアド。
 アレックスが中佐に任命された時、まだ二人とも尉官だったが、まるで自分のことのように喜び、祝ってくれた。
 第三次テトラジェネス大戦が集結し、軍縮が行われた時、カヴィルとソアドはEAS……テトラジェネシス政府直属の諜報部に引き抜かれ、戦後処理の為に働くことになった。それはアレックスの権力が及ばぬ場所であり、彼等にとってはアレックスすら監視対象者である。今までのような交際は許されず、またアレックス自身の多忙さもあり、次第にメールも月に一度か二度になってしまった。

 中立を宣言する、ソムニオンという小さな惑星があった。小さいながらもレアメタルの鉱脈があり、それの輸出を生業としている。そのレアメタルは毒性が強く、ソムニオンの人間以外は防護服を着ていても身体をこわす。故に、辛うじて自治を保っていた。
 ある日、ソムニオン政府与党から、銀河連邦を通じて情報が得られた。そのソムニオンを、アールディオン帝国が獲得しようと動き出したこと。征服するほどのメリットは無いと判断されてきたにもかかわらず、何故今になって、そのような動きが見られるのか。その理由を探るため、カヴィルが派遣された。
 三ヶ月に渡る調査で得られたのは、アールディオンの狙いが、ソムニオンでもその鉱脈でもなく、もっと別のところにあるということ。それが何なのかは未だ不明だったが、アールディオンがソムニオンを征服するのがほぼ確実となり、続いてソアドを含む数人が、ソムニオンの首都、ラ・フラージュへと送られた。

 同じく、銀河連邦以外で、それを知った組織がある。反銀河連邦勢力、クォークだった。ソムニオン政府野党から極秘裏に要請を受けたクォークは、カーニバル客に紛れてラ・フラージュへと潜入する。

 既に時間は無く、理由を探るよりも、行動が求められていた。カヴィル、ソアドを含むEASのエージェント達は、全員が武装し、アールディオン工作員の殲滅に動き出す。標的の数は、十六人。その内の十二人が、打ち合わせのために一カ所に集まる時に決行された。四人を他のエージェントに任せ、カヴィルとソアドのコンビが、十二人を一息に始末する予定だった。
 他のエージェントは四人を殺害、任務を全うし、即座にソムニオンを後にした。しかし、カヴィルとソアドの方で、予定外の事態が起こる。十二人のうちの半分を暗殺した二人は、何故かもう半分の標的を残したまま、三キロ離れた格納庫へ向かい、内部の戦闘機を全て破壊した。カヴィルとソアドが、何故本来の任務を放り出し、そのようなことを行ったのか、未だ不明とされている。しかし、残り六人の標的の死体が、暗殺予定地と格納庫の中間に散らばっていたことから考えると、戦闘機はアールディオンのものだったらしい。
 ともかく、アールディオン側の諜報員は全滅した。しかし脱出の際、別の方面からこの問題に関わっていたクォークに発見され、二人は銀河連邦側の諜報員として拘束される。
 ソムニオン政府与党は、対応に窮した。中立を掲げるソムニオンで、アールディオンであろうと銀河連邦であろうと、諜報員の存在など公式に認められはしない。そうなれば、大衆が黙ってはいない。

 テトラジェネス宗主、オフィーリア・ベクトラの不在。
 アールディオン諜報員の、ソムニオンでの社会的地位。
 理由は、様々にあった。そして結果的には、カヴィルとソアドは、テロリストとして処刑された。

 「……調べてみれば、野党がクォーク側に出した資料にはいくつか、決定的な欠陥があった。何かの陰謀があったかも知れねぇ。今ではソムニオンは、銀河連邦よりアールディオン側を重視する政策をとっている。初めから、アールディオンの謀略だったという可能性もある。けどな、今更考えてみても、仕方ねぇ。カヴィルもソアドも、兵士だった。政治家じゃない。あいつらには戦いしかなかったが、戦いしかないことを誇りに思ってた。それが自分の存在理由だと、納得してた。二人が大人しく処刑されたのは、諦めでも、絶望でもねぇ。任務完遂の為には処刑されるべきだと、そう考えたからだ。……自分がFDのアバターだった、それだけで狼狽える俺にゃ、過ぎた友人だったよ」
 アレックスの葉巻は既に、三本目だった。
 「お前があの二人をテロリストと判断したのは、あの状況じゃ仕方ねぇよ。俺だってそうしただろう。けどな、お前さえいなけりゃ、ってのはあるんだ、心のどっかに。……ほれ、どうだ。聞いても仕方がないし、言っても仕方がないことだろ?」
 「…………」
 「……。なぁ、もういいか? 実際顔を合わせりゃ、嫌悪感も大分薄れてはきたんだが、まだ無くなったわけじゃねぇ」
 「……ええ、ありがとう」
 アレックスは立ち上がると、葉巻を握り潰し、マリアに背を向けた。

 (……まさか、口にする日が来るなんてな、この甘ったれめ)

 永久に、マリアに打ち明けることはないと思っていた。自分は、変化しているのだろうか。それが良い方向なのか、悪い方向なのかはともかくとして。
 甘ったれめ、と、もう一度心の中で呟く。アレックスは、後悔していた。





 覗かれていると、ミラージュは感じていた。ここは確かに、本来なら敵の艦。そういうことが起こっても不思議はないが、カメラによる視線ではなく、肉眼の視線を感じていた。
 全身の汗を洗い流すと、バスタオルを掴み、髪を拭く。そしてバスタブから出ると見せかけて、視線の方角へと蹴りを放った。が、カーテンの向こうの人物は、その蹴りを受け止める。
 心当たりは、一人しかいなかった。

 「……ノックくらいしてください、父さん」

 バスローブを羽織り、カーテンを開ける。ベアトリスは笑顔を絶やさないまま、居間の椅子に腰を下ろした。ミラージュもそれに続き、彼の向かいに腰掛ける。
 「それで、何かご用ですか?」
 「いやほら、今生の別れになるかも知れないでしょ。今のうちに、話し会っておこうかと思って」
 「何をです?」
 「色々よ」
 ベアトリスはテーブルの上のポットを持ち上げると、中身を二つのカップに注いだ。先に話し出したのは。ミラージュ。
 「それで……グラーベ首相とは、いつお知り合いに?」
 「ほんの三年前。フェイトが引き合わせてくれたわ」
 「では、そのフェイトさんとは、いつお知り合いに?」
 「あなたが、そうね……六歳の時だったかしら」

 「……え?」

 聞き間違いの筈だった。それはつまり、二十二年も前ということ。
 「因みに、その時、あなたも会ってるわよ」
 「……!?」
 「覚えてない? “ロベルトお兄ちゃん”のこと」
 ミラージュは俯き、記憶を掘り起こしてみる。
 「もう、忘れちゃったのかしら。二十二年前、フェイトは突然、私の道場を訪れたわ。倉庫の古文書を見せてくれ、代金として解読するから、と。そうね、確か、二週間くらい滞在してたかしら? 彼のお陰で、奥義の解明も大分進んだわ。その時あなた、しょっちゅう遊び相手になってもらってたでしょ」
 「でも……フェイトさんがこの世界に来たのは、三年前では……」
 「いいえ、違うわ。彼はもっと以前から、少しずつ準備を進めていた。神宮流の古文書の解読も、その一つ。そして三年前、ようやく表に顔を出した」
 ミラージュには、一向にそれが思い出せない。初めて見た時、確かに魅力のある青年だとは感じた。そして何故か、懐かしさすら感じた。しかし、その頃の記憶が抜け落ちている。
 「父さん。それは、本当のことなんですか?」
 やや上目遣いで尋ねるが、ベアトリスは大きく首を縦に振った。
 「あの時は、フェイトはロベルト・カレルと名乗っていて、変装もしていたわ。けれど、三年前に再会した時、すぐにわかった。外見を変えられても、持って生まれた匂いは、決して変えることは出来ない」
 「でも、フェイトさんは、そんなこと一言も……」
 「わからない?」
 ベアトリスはカップを放し、頬杖を付く。
 「あの子は、死ぬつもりよ」
 「…………」
 「あら。知ってたの?」
 「薄々は」
 「……今更、って感じだしね。そんなこと今更打ち明けても、どうにもならないでしょう」
 「では何故、そう思っていながら、あなたは私に教えたのですか?」
 「知りたがったのは、ミラージュでしょ」

 創造主を倒した後、一体どうなるのか。ミラージュは今まで、フェイトに尋ねたことはない。しかし、普段の彼の、あまりに刹那的すぎる生き方に、一種の危うさは感じていた。

 「とはいえ、あなたは反銀河連邦組織の一員。そしてフェイトは、銀河連邦の下請け。こうやって呉越同舟なのは、あくまで、創造主を倒すまでの間だけ。……その後はまた、敵同士に戻るんじゃないの?」
 ベアトリスの言葉も、尤もだった。フェイトがどうこうなるというのは、創造主を倒した後の話題であり、その時にはもう、クォークと天啓は、敵同士に戻っているだろう。
 フェイトが死ぬとしても、それは敵対勢力の一員が死ぬ、ただそれだけのことではないのか?

 「はぁ……残念なことしたわぁ」
 「残念?」
 「いや、ね。うちの道場、誰に継がせようかって。クリフかランカーあたりを考えてたんだけど、二人とも全然その気が無いみたいだし。ミラージュも、全然男っ気ないし」
 「ほっといてください」
 「私の中でのベストでは、フェイトとミラージュが結婚して、二人が頑張って道場広げて、私が毎日テレビ見ながらお菓子食べてる、ってのが理想だったのに」
 「二十年早いですよ、そんな理想は」
 「でもねぇ、何だかんだで、もう三十路手前よ? フェイトが死んじゃうんだったら、そうね、彼はどう? ほら、ラブレターだってくれた……」
 「……それは、“あの人”のことですか?」
 「そう、“あの人”。ヴォル……」
 「……イヤです」
 「じゃあ、誰と結婚するの?」
 「ですから、その予定はありません」

 話の流れを変えなければ……ミラージュはそう思う。何気ない雑談から初めて、いつの間にか結婚の催促にすり替わってしまった。これが父親のいつものテなのを、すっかり忘れていた。

 「では、もう一つ。ハヤト・ジングウという男性のことです」
 「ああ、あれね。神宮流の開祖」
 「……まぁ、今更驚いたりもしませんが」
 「本名、ハヤト・ビゼン。フェイトが二十二年前にうちに来たのも、彼を復活させる方法を探るためよ。もっと平たく言えば、彼を蘇らせるためのイベント、その手順を調べるため」
 「……彼は、どうなるのでしょうね」
 何が、と、ベアトリスは聞き返す。
 「ハヤト・ジングウですよ」
 「ええー……」
 「どうかしましたか?」
 「いや、その、ねぇ……。確かに強さは申し分ないけど、彼、もう何百歳って年齢だし……」
 「結婚の話は捨ててください」
 「はいはい。で、何がどうなの?」
 「ハヤト・ジングウは、最もゲームの登場人物らしいキャラクターだと思います。もし、この世界がFD世界と断絶するなら、ここはゲームの世界ではなくなります。フェイトさんが消えてしまった世界で、彼はどうなるのですか?」
 「知らないわ。フェイトに聞いてみたら?」
 「…………」

 そう言えば、興味のない話題には、まったく興味を示さないのも、父の特徴だった。

 「娘の私が言うのも何ですが……あなた、本当にいい人生ですよね」
 「やだ、何言ってんの、この娘ったら。そんなに褒めないでよ、照れるじゃない」





 呼び鈴を鳴らしてみるが、返事はない。ミリアムは暫く考えてから、そっと部屋の内部に入り込んだ。

 「フレイ?」

 少女はベッドに俯せになり、ボスボスと枕を殴りつけている。
 「フレイ、どうしたの? ケーキ持ってきたけど」
 「……」
 「何怒ってるの?」
 「あの女よ」
 「どの女?」
 「銀髪の」
 酒場での一件は、ミリアムも聞き及んでいた。他愛もない出来事かも知れないが、業務の一部が停止したことは事実で、関係者はそれぞれ減給処分を言い渡された。勿論、初めから関係者でないレナス、ソフィアの二人には、特にお咎めはなかったが。
 そして裁きようがないフレイも、お咎めなしだった。
 「お兄ちゃんの前で……あんな醜態を……!!」
 「あらあら、醜態なんて言葉知ってるんだ、偉いねぇ。ほら、お姉ちゃんがケーキ食べさせてあげる」
 「子ども扱いしなっ………………おいしい」
 「もっと食べる?」
 「食べるー」
 ミリアムはテーブルの上にケーキを置くと、傍らの椅子に腰掛けた。
 「でも、フェイトだって気にしてないでしょ?」
 「いいえ、やっぱり許さない。あの女は既に、私の宿敵その三号よ」
 「三号? 一号と二号は?」
 「一号はイセリア。二号はアセトアルデヒド」
 ミリアムは苦笑いしつつ、そっとフレイの髪を撫でる。
 「じゃあ、私は何号かしら?」
 「ミリアムは……入ってない」
 「それもある意味、悲しいわね」
 フレイは首を振った。
 「ミリアムは大好きだよ? マンゴーのソーダと同じくらい」
 「そう、ありがとう」
 ケーキを食べ終わる頃には、フレイの機嫌も治っている。
 「おやつを食べ終わったなら、遊びに行かないとね」
 「うん。ちょっとアレックスいじめてくるー」
 「ほどほどにね」
 ミリアムは残ったケーキを仕舞うと、フレイの後に続くように部屋を出た。残ったケーキをどうしようか少し思案して、結局差し入れ用にする。

 「準備は終わったのか?」

 ふと、背後から声を掛けられる。いつの間にか、ハヤトが近づいていた。
 「準備? ええもう、とっくの昔に。そっちは?」
 「もともと、私物は持たない主義だ」
 そう言ってから、ハヤトは自分自身の言葉にイヤな顔をする。その主義すら、FD世界が勝手に作ったものだからだろうか。
 「しかし……よく無事だったわね」
 「何がだ?」
 「勝手にあんな事しておいて、フェイトからお咎めなしだなんて」

 あんな事とは勿論、多目的室での一件だ。

 「まぁ、既にそんな状況ではない、ということだろう。彼等にも、いい経験になった筈だ」
 「……勝てるかしら?」
 「勿論、我らが同行するのであれば、勝てる。が……」
 ハヤトは腕を組み、顎をかいた。
 「難しいところだ。どの道、失敗すれば全てが終わる。だから今は、成功した時のことだけを考えるしかない」
 「でも……何故、彼等なのかしら」
 「同感だ。その事について、一切説明がされていない。確かに、今後の計画に我々は必要だろうが……本当にそれだけか? 我々が創造主と戦えば、死人が出るというのか? 彼等より明らかに強大な我々が?」
 「やめましょう、こんな話。辛気くさいのが、ケーキに伝染ったら大変よ」

 ハヤトがシークレットシナリオの裏ボスなら、ミリアムもまた、ただの敵キャラ……モンスターの一人でしかない。
 しかし彼女は、ハヤトのようにそのことを嘆いてはいなかった。モンスターだけに、脳みそが軽く作られてるのかも、と自嘲も浮かぶが、ミリアムはフェイトと行動を共にするようになった時から、彼女はただ、全力で生きてきた。
 何故FDに敵対するのか?と問われれば、単純に、フェイトがそうだから。

 今はただ、やるべき事をやるしかない。それが全て、フェイトの為につながるなら。

 ミリアムはじゃあねと、その場から立ち去った。





 惑星レゼルブの現総統、ブルックリン・ザ・バガーヴァンスがかつて、兵士達を前に語った言葉がある。
 例えどれだけ技術が発達しようと、最後に信頼できるのは、ローテクであると。
 その考えは別に彼のオリジナルというわけではなく、半ば常識であった。重要なものはソフトではなく、ハードに記録される。
 この時代になっても、まだ、紙とペンは必需品だった。

 「…………」

 高速艇が持ち帰った文書を広げ、銀河連邦軍宇宙艦隊司令長官ヘルメスは、髭を撫でる。天啓団長フェイト、そして提督ヴィスコムの連名で、今回の一件に関する始末が記されていた。使い古された言い訳がずらずら並んでいるが、それ自体は毎度のことで、特に気にする必要はない。
 「……ヴァーミガム大将」
 部屋の中央、ソファに腰掛けて背を向けている男は、応えない。白いつば広の帽子が、そっと上下していた。
 「アブドゥラ・ヴァーミガム!!」
 ヘルメスは空になったカップを持つと、その帽子に向かって投げつけた。男の呻き声と共に、帽子とカップが絨毯の上に転がり落ちる。
 「うるっさいのう、糞爺め。神に祈りを捧げてたのに」
 「なんなら、直接会わせてやろうか? ……ほれ、これを見ろ」
 「……何じゃい、これ。青髪小僧とヴィスコムの? これがどうした?」
 「どう思う?」
 「……相っ変わらず、女みたいな字だな。もっとこう、のびのびと……」
 「ああ、わかったわかった。もういい。ほら、あめ玉やるから、とっとと出て行け」
 「レモン味以外は認めんぞ」
 「グレープフルーツ」
 「許す」
 あめ玉と手紙を交換し、ヘルメスは再び考え込んだ。
 フェイトとヴィスコムは、確かに古い友人だ。しかし、円満とは言えない離婚を二度も経験しているヘルメスには、まるでヴィスコムが、悪女に誑かされる青年のように見えてしまうことがある。勿論、彼もいい年齢だし、恋人の一人や二人、関係を持った女性もいただろう。が、フェイトにはもっと、底知れぬ何かが存在する。
 「……ヴァーミガム大将!」
 「あめはやらんぞ!」
 「違うわこのタコ助め。第7深宇宙基地に最小限の兵力を残し、第6深宇宙基地へ行ってもらう」
 「ああん? そこはヴィスコムの管轄だろうが」
 「そのヴィスコムが、今は作戦決行中だ。第6深宇宙基地にて待機し、もしもの場合は彼を援護しろ。ワシの“カドゥケウス”を貸してやるから、お前はそれに乗って直接向かうんだ。今、手続きをする」
 「もしもの場合って何だ?」
 「起こる確率が20%未満の事象が起きた時のことだ」
 「うるせえ黙れ! もっと簡単に!」
 「だから、“かも知れない”作戦だ! さっさと行け! でないとまた、柵のある病院にぶち込むぞ!」
 「くそっ、卑怯な手を使いやがって……わかった、行ってやるよ!」
 ヴァーミガムが帽子を拾い上げ、部屋から出て行くと、ヘルメスは溜息をついて天井を見上げた。彼は既に五十路を過ぎている筈なのだが、孫が遊びに来た後のようなこの疲労感は何なのだろう。若々しい、などと褒め言葉を使う気にはなれない。
 ヘルメスに召喚された秘書が、部屋のドアを開ける頃には、既に文書は書き終えられていた。ヘルメスは秘書を手招きすると、顔を近づける。
 「いいか、エレーヌ・T・クロス首相に、緊急で会いたいと。そしてオフィーリア・ベクトラ宗主に渡りを付け、大至急、“レッドキャット”に連絡を取りたいと要請するんだ」
 「赤猫って……まさか、ブルックリ……」
 「お前、顔を近づけた意味をわかってないな? わかったら、さっさと行け。下手すりゃ、これから帝国との大戦争が起きるぞ」





      <ジェイク>がログインしました

 <ピーチX>こんにちは
 <ジェイク>おうす。いやー、ついに来ましたね、ついに
 <ピーチX>そうですね。私のところにも、招待状が届きました
 <ジェイク>ES時代の古株だけじゃなく、全ユーザー対象みたいっすね
 <ピーチX>もうちょっと、特別扱いして欲しい気もしますけど(笑)

      <ラバナス>がログインしました

 <ラバナス>たった今、更新されてたよ。本公開前の、テストプレイらしい
 <ジェイク>やっぱり戦闘系?
 <ラバナス>そうそう、白兵戦
 <ジェイク>苦手なんだよなぁ、白兵は。空中戦がいいのに
 <ピーチX>プレイヤー同士のバトルロワイヤル?
 <ラバナス>いや。プレイヤーが全部連合を組んで、標的を倒すミッションらしい
 <ピーチX>標的?
 <ラバナス>当日に発表されるそうだけど、馬鹿みたいに強いNPCとか?
 <ジェイク>それか、ス社の仕込みか
 <ピーチX>何人くらい集まるんでしょうかね?
 <ラバナス>そりゃ、何千人と集まるでしょ
 <ピーチX>じゃあ、相当広い場所なんでしょうね
 <ラバナス>そう。その時まで、頑張ってレベル上げに勤しみますか



[367] 46
Name: nameless◆139e4b06 ID:c5591200
Date: 2009/06/18 02:38
 「ねぇ、フェイト。さっきからリーベルがあなたを睨んでるんだけど、何か心当たりは?」
 「……。ああ、そうそう。そう言えば僕、リーベルにキスしてあげる約束してたんだった」
 「リーベル……あなた、やけに女っ気がないと思ったら、そっちの趣味が……」
 「くそぉぉぉぉぉっ、何でこうなるんだよぉぉぉぉぉっ!!」

 “天啓”側の参戦者は、意外なことにフェイトとアレックスの二人だけだった。他は全て、来たるであろうFDからの攻撃に備えるため、この世界に残ることになるそうだ。
 初めに言っていた通り、ディプロに乗船したフェイトとアレックスは、大人しくしていた。ささいな一悶着があった以外は、艦内は静かだった。
 クォークのメンバーはほとんどが、彼等を監禁しておかないことに疑問を抱いている。マリアによると、その必要はないとのことだったが、彼女が何故態度を変化させたのか、誰も答えられなかった。
 FD世界について、クォークメンバー達にも粗方の説明がなされている。それぞれ信じたり、半信半疑だったりするのはともかく、彼等はリーダーの命令通りに動いていた。

 「ねぇ、フェイトさん」

 食堂の椅子に腰掛け、頬杖をつきながら、レナスはぼんやりとした声で彼に声を掛けた。隣に座るソフィアも、読書を一時中断する。
 「何?」
 フェイトはカップにお代わりのコーヒーを注ぎながら、視線をレナスに向けた。
 「変じゃありません?」
 「何が?」
 「アレックスさん。いつもあんなに騒がしいのに、何だかずっと、黙りっぱなしで」
 「……あいつにだって、一人で考えたい時くらいあるだろうしね」
 「そーゆーもんですかねぇ」
 「そーゆーもんだよ」
 レナスはテーブルに寝そべると、首を回し、ソフィアを見る。
 「ねぇ、ソフィア。さっきからそれ、何読んでんの?」
 「“紋章魔法及時論”。エレーヌ・T・クロス著。自分の身くらい、自分で守れるようにしてた方がいいと思ったの」
 「へぇ」
 フェイトはコーヒーカップを空にすると、立ち上がった。
 「それじゃ、僕はそろそろ。アレックスの様子でも見てくるよ」
 「でも、一人で考えたい時なんじゃ……」
 「だったら尚更、からかってやらないと」
 背中越しに手を振り、フェイトは食堂を後にする。普段思考しないアレックスだけに、思考の止め時もわからないだろう。アレックスに割り当てられた部屋へと歩き出す彼だったが、ふと、背後を振り向いた。

 「フェイト。ちょっといいかしら」

 長い青髪を揺らしながら、マリアが歩いてくる。
 「ああ、いいけど。どうかしたの?」
 「色々と、聞いておきたいと思ってね。FD空間のこととか、創造主のこととか」
 軽く彼女に背中を叩かれ、フェイトはマリアと共に歩き出した。
 「待って、マリア。それなら、皆を呼んだ方が……」
 「いいえ。クリフもミラージュも、今は忙しいの。私だけ時間が出来たから、まぁ、暇つぶしみたいなものよ。雑談程度でいいから、話を聞かせてちょうだい」
 「でも……」
 「いいから」
 再度促され、フェイトは天井を見上げた。
 「FD空間っていうのは、創造主のいる世界のこと。ここ……つまりゲーム世界の中とは、時間の流れが違う。創造主の世界と言っても、別に雲の上とかじゃなくて、町並みもあまり変わらない。僕らが創造主と呼んでも、彼等はただのゲーム会社の社員なんだ。確かに、そこそこの権力は持ってるけどね」
 「…………創造主を倒してしまったら、この世界が消滅するとか……そんな可能性はないの?」
 「その点は保証するよ。僕はずっと、この時のために考え、動いてきた。創造主を倒せば、この世界の独立への道が開ける。今はただ、彼等を倒すことだけを考えるしかない」
 「そう……」
 もっと聞きたいことは山ほどにある筈なのに、マリアはそれっきり黙り込んでしまった。二人は暫く無言で歩いていたが、やがてフェイトが口を開く。
 「マリア。聞いたんだろ? アレックスから」
 「……ええ。因縁をね」
 彼女はそっと首を振った。
 「でも、勘違いしないで。彼等……アレックスの親友を捕縛したのは、確かに間違いだったかも知れない。でも、それを悔やむつもりはないわ」
 「…………」
 「私が許せないのは……アールディオン帝国の、手助けをしてしまったかも知れないということ」
 マリアはギッと歯を鳴らす。フェイトは口を挟まず、黙って聞いていた。
 「知ってる? 私の父は、銀河連邦の軍人だったのよ。ラーヴァ三号星の、第17宇宙基地。そこが、私の育った場所。……7年前のアールディオンの攻撃で、クリエイションエンジンが暴走し、完全に消滅してしまったけど。その時の事故で、父親は死んだわ。でも、本当は私は、トレイター夫妻の実の娘じゃなかったの。……私は」
 「ラインゴッド博士の娘だった」
 「!? 知ってたの?」
 こちらを見つめるマリアに、フェイトはまぁねと返す。
 「別に、確証があったわけじゃない。……ラインゴッド博士が、何故君が娘だとわからなかったのか、知りたい?」
 「いいえ、やめておくわ。それに今更、改めてレナスに打ち明ける話でもないでしょうし。どっちが姉なのかは、興味があるけど」
 いつの間にか、マリアの自室に来ていた。彼女はベッドに腰掛け、フェイトは腕を組んで壁にもたれる。
 「知ったのは、最近よ。自分の本当の両親が誰なのか、それさえわかれば、私は自分を確立させられると思ってた。……けど、違ったわ。あなたの娘です、って告白する勇気はなかった。私は、自分でも驚くほど……何も感じなかった。感極まって、泣いて、抱きついてしまうかも知れないと思ってたのに、杞憂だったわ。案外、情の薄い人間だったのかしら、私って」
 自嘲するかのようなマリアの言葉に、フェイトは壁から背中を離すと、彼女の目の前に歩み寄った。
 「大丈夫」
 いつもの、彼の言葉。
 「とりあえず、僕はマリアが嫌いじゃないよ。情が薄いとも思ってないし」
 「……あなたにそう言われても、別に嬉しくないんだけど」
 「ははは、言うだけなら僕の勝手だろ?」
 フェイトは背を向け、部屋から出ようとする。

 「…………ありがとう」

 彼には届かないような声で……マリアはそう呟いた。





 鉄パイプを、縦に振り下ろす。

 「コネクション!」

 鉄パイプを、横に振り払う。

 「コネクション!!」

 鉄パイプをバトンのようにくるくると回し、びしっと前方に向ける。

 「コネクション!!!」

 そこで、中断。少し考え込み、左右へメトロノームのように振り始める。が、うっかり乳房にぶつけ、鉄パイプを落としてうずくまる。そして痛みが治まると、改めてメトロノームの動きを開始する。歌いながら。

 「わったっしーはマジカル。マジカルむっすっめー。ステッキひとーつ振れーばー、ステキなキセキがSHINE! SHINE! (HEY!)」

 メトロノームの動きを、頭上に移動させ、腰を振り始める。

 「こわくないーよ、おそれないーで。うつむいたーままじゃー、明日は見えないーからー(Letz!ENJOY YOUR LIFE!)」

 首を振り、左手でマイクを持つ真似をして、ステップを踏み始める。

 「HEY! (HEY!) HEY! (HEY!) まもられーるーだーけじゃ、だめーだからー。いざー、明日に向かって邁進ー。(It's MY SCENE!) さあー、今こそ、魔法の、呪文をーっ、はーなーてーぇぇぇぇー」

 くるりと振り返り、鉄パイプを振る。

 「コネクション!!」

 「…………」
 「…………」

 鉄パイプの先にいる、二人……レナスとネルは、無言だった。

 「……え?」

 ソフィアは思わず、声を漏らす。

 「……二人とも、いつからそこに……」
 「ソフィアが鉄パイプ見つけて、ゴルフのスイング練習始めた頃から」
 「……そうなの」
 「ああ……」

 レナスはそっと、自分の心臓に手を置いた。

 「うぐぁぁっ!!」

 そして突然呻き声を上げ、その場に膝をつく。隣のネルが慌てた様子で、彼女を支えた。

 「何だいっ、どうしたんだいレナス! レぇナぁスぅぅぅ!」
 「ぐほぉ……さすが、ソフィア。我が幼馴染み。見てるだけで、これほどの精神ダメージを受けるとは……恐るべし」
 「ああ、まったく恐ろしいよ。これが、コネクションの力……!!」
 「他人様の艦の中にもかかわらず、自分の部屋の如きこの振る舞い……」
 「何てこったい、フェイトより恐ろしい娘がいるなんて……」

 「うわぁぁぁぁぁんっ!!」

 ついに、ソフィアが爆発した。真っ赤な顔で、鉄パイプを振り回しながら突進してくる。

 「あはははっ、逃げろぉ! コネクションされてしまぅぅ!」
 「ミラクルマジカル、コネクショーン!」

 「ふぇぇぇぇぇんっ!!」

 笑いながら逃げるレナスとネル、今にも泣き出しそうな顔で追いかけるソフィア。
 アレックスはその三人が、廊下の向こうへと消えていくのを見届けると、完全に部屋から身体を出した。
 「テンション高いな、あいつら……」
 レナス、ソフィアはともかく、ネルがいたのは意外だったが。
 普段なら自分も参加するところだが、とてもそんな気にはなれなかった。

 「よ、アレックス」

 突然背中にかかった声に、飛び上がるほど驚いた。いつの間にか、フェイトがいる。
 「あのさぁ、お前、心臓発作って知ってるか?」
 「だって僕、心臓ないもん」
 「ええい畜生、この野郎め」
 アレックスは頭を掻きむしった。そしてふと、その手を止め、あー、うー、と唸り出す。
 「どうかした?」
 「いぁー、そのーな。マリアの様子はどうだ? 俺の話で、気にしてたりとか」
 「……案外、似てるのかもね。お前とマリアは」
 「は?」
 「だって、どっちも銃を使うし」
 「…………」
 「冗談だよ。……マリアの養父は、アールディオンに殺されたんだ」

 アレックスは、手を頭から離した。

 「そうか……」
 「だから、あとはもう、お前次第だ」
 「わかってるよ、んなこたぁ。……引きずってんのは、俺の方だ」

 アレックスはポケットに両手を突っ込むと、床を見ながら立ち去った。





 「クリフ。ちょっと話が」
 ミラージュに手招きされ、彼はそっとランカーの傍を離れた。
 「何だ、どうかしたのか?」
 「いえ、少し聞きたいことが。あなたが十四歳の頃なのですが、ロベルト・カレルという男性に会った記憶は?」
 「ロベルト・カレル……? 聞いたことあるような無いような……」
 「よく思い出してください。その頃、道場に出入りしていた人です」
 「道場に……ロベルト……ロベルト……カレル……カレル……」

 ガルシアン・ベアトリス・コーストはよく、意味がないように見せかけて、その実本当に無意味な嘘をつくことがある。あのいかにもな話も、ひょっとしたらただの大嘘かも知れない。何しろ、ミラージュにそんな記憶は欠片も無いのだから。

 「……ああ、いたいた」

 しかし、どうやら今回は嘘ではなかったらしい。

 「本当ですか? 私は全然覚えてないんですが……」
 「覚えてないって、そりゃ嘘だろ。あんなにべったりぴっとりだったじゃねぇか。三人で、風呂にだって入ってただろ」
 「お風呂に!?」
 「何驚いてんだ? あん時お前、まだ六歳だっただろ。そんで……」

 ふと、クリフの表情が停止した。何か、忘れていた記憶でも掘り起こしたのか、指だけが緩やかに動いている。
 そして目が、頬が、口元が、顔が歪む。まさしく、破顔。

 「だぁっはっはっはっはっはっはっはっ!!」

 そしてディプロ全体に響くような笑い声が、大きく開いた口から発せられた。

 「だはっ、はっ、ははははははっ、おはははははっ」
 「クリフ? 大丈夫ですか?」
 「どははっ、駄目だ! やべぇっ、思い出しちまった!」
 「思い出したって……何を?」
 「なっ、何を?ってか! 何を、ってお前っ、ぐほっ、ぼははははははっ、ははははははははは!!」
 「ちょっと!? 何をですか!? 何を思い出したんですか!?」
 クリフは壁に手をついて笑い、膝をついて笑い、その場に寝転がって笑う。ブーツの音と共に、ランカーが現れた。
 「ちょっとちょっと、あっちまで聞こえてますよ。何なんすか、その緊張感のない笑いは」
 「ぐほっ、はっ、ひぃぃ……な、なぁ、ランカー! お前、あれ覚えてるか!? あれだよあれっ、二十二年前の、道場の風呂場の事件!」
 「風呂場の事件て、確か一つあったような……。どわはははははっ ! がはっ、ぐへっ! あ……アンタ、こんな時にっ、何を思い出させるんですか!!」
 ランカーもミラージュの顔を見ながら、クリフと共に笑い出す。それも、尋常な笑い声ではなかった。
 「本当にっ、何なんですかっ!?」
 「だははははははっ!!」
 「ぐははっ、ぐへぇっ、やべぇっ、ツボった!!」
 この二人はもしや、永久に笑い続けるつもりなのだろうか。
 「……あの、ちょっといいですか?」
 風呂場で何が起こったのか、このままでは聞き出せない。ミラージュは一つ溜息をつくと、二人の前で手を挙げた。
 「先ほど、父から聞いたのですが……」
 「ははははっ、何だぁ?」
 「ぶふっ、し、師匠が何か言ってたんすか? ぐふふっ」
 「ロベルト・カレルは実は、フェイトさんだったそうです」

 まるでスイッチを切ったように、笑い声が消滅した。

 先ほどまでの騒音が消え、恐ろしいほどの静寂が訪れる。ランカーとクリフは顔を見合わせ、二人揃ってミラージュの顔を見た。
 「…………」
 「なぁ、それって……マジか?」
 「恐らくは」
 二人は、今度は俯いてしまう。そして次の瞬間、ランカーは脱兎の如く逃げ出した。そうはさせまいとクリフが手を伸ばすが、ミラージュにしてみれば一人いれば良く、彼女は彼のもう片方の腕を掴んで引き寄せた。
 「クリフ。何が、あったんですか?」
 「……いや、その……な。正直に言うと、“うわぁやっちゃったよこいつ”って気分なんだ、今。はっきり言って、知らない方がいい。お前は勿論知りたいだろうが、教えたら俺がお前に殺されそうだ。だから……フェイトに、直接聞いてみろ」
 「教えてくれるでしょうか?」
 「いやぁ、間違いなく教えちゃくれ……る。筈だ、多分。だろうでしょう……。だから離してくんねぇ?」








 「えーっと。それじゃ、本日のメニューを発表しまーす。各自、自習」

 まるで溜息の如くやる気のない声が、兵士達の頭上に落ちた。三日連続の同一メニューに、彼等の間にざわめきが広がる。

 「……ほら、自習自習。解散解散」
 「しかし、ソルム代行。いくら何でも、もう少しバラエティーに富むと言うか、何と言うか……」
 「わかった。自習は撤回」

 相変わらず、秋空のようにころころと変わる男だ。

 「本日のメニューは、リアル鬼ごっこ」

 ソルムは両手を振るい、瞬く間に双刃刀を両の手に持つ。

 「追いつかれたヤツは、死。逃げ切ったヤツは、拷問室でご褒美」

 「「「!!?」」」

 「はーい、じゅーう、きゅーう、はーち」

 ここで、勘のいい数人が脱兎の如く駆け出した。その数人につられる形で、残りの漆黒兵たちも走り出そうとする。

 「なーな、ぜろ」

 「うおおおおっ、来たぁぁぁぁ!」
 「おいっ、誰かあの人に算数教えろ!」
 「そっ、ソルム代行! 2+2は!?」

 「死」





 アーリグリフ三軍の悩みは、人材だった。
 『疾風』のヴォックスが戦死し、『風雷』のウォルターも既に老齢、唯一問題が無いのは、『漆黒』のアルベルのみ。
 そのアルベル・ノックスは、『漆黒』の指揮権をソルムに委任していた。

 「うーむ……」

 安楽椅子を鳴らしながら、ウォルターは唸る。

 「ねぇ。クッキーもっとちょうだい」
 「随分と、運動してるようだな。ソルム」
 「うん」

 メイドの一人を呼び、クッキーの追加を頼むと、ウォルターは安楽椅子から立ち上がり、ソルムの向かい側に腰掛けた。
 ソルムの運動量、食欲は、日に日に増加している。それは全て、アルベルがいなくなった日から。単純に寂しがってるのだろうと、ウォルターはそう考えていた。

 アルベル不在の理由は、既に分かっている。ドラゴンと、『焔の継承』の儀式を行うため。
 それは別段、驚くようなことでもない。アルベルの父親、グラオ・ノックスは元『疾風』の団長であり、アルベル自身も『疾風』に入るため、過去に一度、『焔の継承』の儀式を行おうとした。
 しかし、それは失敗に終わり、アルベルを庇った父は、ドラゴンによって殺された。

 実力的に見ても、次の『漆黒』団長は、このソルムしかいない。そしてアルベルが『疾風』の団長を引き継げば、一応のカタはつく。『風雷』については、何人か候補はいるが、どれも一長一短があり、まだウォルターが頑張らねばならなかった。
 「……ヤツもようやく、団長としての自覚が出てきたか」
 「本当にそう思ってる?」
 メイドがまだ皿を置かないうちから手を伸ばし、ソルムはクッキーを奪い取る。
 「……そう思わせてくれ、老い先短い老人の頼みじゃ」
 「その台詞、十年前も聞いた気がする」

 アルベルが『焔の継承』を行うのは、アーリグリフ軍のためでも、『疾風』入団のためでもない。
 ただ一人の男のため。
 それは、強さを求めてなのか。勝利を求めてなのか。
 既に、その男はこの星を去った。
 アルベルは、いつ戻るとも知れない、もう永遠に顔を合わせることもないかも知れない男のために、強さを求めていた。

 「アルベルは、ちゃんと帰ってくるよ」

 手を打ち鳴らし、クッキーの粉末を払い落としながら、ソルムは立ち上がる。

 「戻ってきたときには、きっと誰も勝てなくなってる。そのくらい、強くなってる」

 まるで自分に言い聞かせているようだ……そう思ったウォルターは、結局無言のまま、彼を見送った。



[367] 47
Name: nameless◆139e4b06 ID:c5591200
Date: 2009/06/26 02:16
 「……何が起こってるんだ?」

 次々に、モニターに表示されるデータの数値。それはいずれも、途方もない数値。
 窓の外には、漆黒の宇宙の中で煌めく、無数の光があった。

 惑星ストリームを警備している銀河連邦軍が、何かに攻撃を受けていた。

 モニターに映ったのは、黒い悪魔。翼を広げ、それぞれが掌から赤黒い球体を放出し、連邦軍の艦を次々に撃沈している。

 「こりゃ、到底敵いませんな」

 気持ちを落ち着けるためか、ランカーはあえて他人事のような口調を使った。あの球体が掠っただけで、ディプロは容易く沈められてしまうかも知れない。
 銀河連邦軍の援護を行う、その命令を出す時間すらなく、漆黒の悪魔達は破壊を完了させてしまった。
 「銀河連邦、バンデーン、アールディオン……どの勢力にも属していません。未確認物体です」
 悪魔達は、次の獲物を発見する。彼等の二体が、翼を広げてディプロへと向かってきた。
 それは明らかに、悪意と敵意に満ちた行動だった。

 「総員、攻撃準備! 先制攻撃を!」

 マリアの声が、ブリッジに響く。

 「リーダー、念のため言っときますが、正気ですか?」
 「確かに、敵うかどうか怪しいところだけど、私のアルティネイションで何とか……」

 「大丈夫」

 騒然となったブリッジだが、フェイトの言葉が全員の動きを止めた。

 「フェイト。あなた、知ってるのよね? あれが何なのか」
 「あれは創造主の放つワクチン。エクスキューショナー、タイプ“執行者”。圧倒的な戦闘能力を与えられ、惑星を壊滅させるほどの力を持つ」
 「私のディストラクションで、壊せます?」
 「うん、倒せるよ」
 「よし、待っててください。今詠唱しますから。わったしーはマジカル……」
 「あれ、呪文なんて必要だったっけ?」
 「もう忘れてよぉぉぉ!!」

 異変が起こった。
 “執行者”という名の悪魔達は、徐々にそのスピードを落とし、緩やかな速度でディプロを通り過ぎ始める。連邦艦隊を襲撃していた他の悪魔達も、滑るように移動し、やがて彼等は二列に並び、道を形成した。
 「……どういうこと? 敵なんでしょ?」
 マリアがフェイトを振り向く。
 「僕はこれでも、最高位のエクスキューショナーだからね。あれら如きなら、楽に命令を書き換えられる。ストリームを守備していた連邦艦隊が襲われたのも、僕らが通りやすくする為だろう。そして……」
 フェイトの視線につられ、皆が天井を見上げる。
 天井に、逆さに、白衣の天使が立っていた。純白の翼を広げ、静かに瞑目している。その天使が、そっと口を開いた。

 「エクスキューショナー“代行者”、個体名フェイトよ。ここから先は、選ばれた者しか歩めぬ道。俗人が進むこと能わず。いざ、参られよ」

 フェイトが、初めて嗤った。

 「よし、皆。準備はいいかい? 創造主は、僕らの叛逆を快く受け止めてくれるそうだ。もう、後悔も泣き言も遅いぞ。……さて。それじゃあ、一つ、行ってみようか」

 まるで、友達を散歩に誘うかのような口ぶりで……彼は、両手を広げて見せた。





 惑星ストリームは、荒れ果てた惑星だった。大気は問題ないが、一面の砂漠と岩石、そして極端に少ない水分が、人類を寄せ付けない。にも関わらず、ここは最重要機密特区として、銀河連邦が厳重に警備していた。

 「……何なの、これは」

 先ほど宇宙で見かけた、“執行者”や“代弁者”と称される悪魔と天使が、そこら中を徘徊している。銀河連邦軍が配備した無人防衛兵器を、ちまちまと虱潰しに破壊していたが、フェイトたちが近づいても見向きもしない。
 「……やっぱり、フェイトさんが命令を書き換えたからですか?」
 振り向くレナスだが、彼は首を振って否定した。
 「もともと、僕らをどうこうする命令は受けてないらしい。宇宙で襲いかかってきたのは、わざと通常通りだったんだ。僕らに、早く来いと、催促するためにね」
 「……じゃあ、向こうもやる気はマンマンなんですよね?」
 「ああ、そうなるね」
 皆、それぞれ話していたが、一人、無言の者がいた。普段から物静かなミラージュだからこそ、それほど目立たないのかも知れない。
 彼女は、自分自身馬鹿馬鹿しいと思えることで悩んでいた。

 (……風呂場の事件って……一体……)

 クリフもランカーも、決して話しはしなかった。それはきっと、ミラージュ自身が封印してしまいたい出来事だったからだろう。いくら何でも、覚えてない筈がない。自分の記憶を自分で操作するような真似をするほど、消してしまいたい過去とは何なのか。
 聞けば、死ぬほど恥ずかしいものかも知れないが、きっと大したことじゃないのだろう。創造主を倒してから、ゆっくりと聞き出せばいいことだ。
 しかし、それが出来るのだろうか?

 (……私は、彼が死ぬと思ってる)

 父、ガルシアン・ベアトリスは、フェイトが死ぬと言っていた。勿論、自分もそう考えている。しかし、それらはあくまで主観的な予想であり、まだそうだと決まったわけではない。フェイトに聞いても、誤魔化されてしまうだろうが。
 「フェイトさん」
 ついに、ミラージュが声を出した。
 「え? 何です?」
 フェイトは立ち止まり、彼女に向かって促すように首を傾げる。
 「あの、今すべき話でもないのですが、どうしても気になることがあるんです」
 「何?」
 「非常に個人的なことなので、ここでは、その……」
 「んー。じゃあ、こちらへ。みんな、先に行っといて!」
 フェイトとミラージュは、近くの大岩の影へと移動する。当たり前のようについていくレナスを、クリフが無言で引き戻した。
 「ちょっと! お願い、気になるの!」
 「いや、まぁ、その、なぁ? 安心しろよ、別に変なことするわけじゃねぇんだし」
 「ああもうっ、気になるぅ!」

 騒ぎながらも、一行が距離を取ったところで、ミラージュは囁くように切り出した。

 「フェイトさん。実は父から、二十二年前のことについて聞きました」
 「……。え!? 聞いたの、あれ!? 嘘……」
 「聞きましたが、一つ、聞けなかったことがあるんです。“風呂場事件”だそうで」
 フェイトは顔を背け、頭を抱える。彼にこんな仕草をさせることを、自分はやってしまったのだろうか。
 「……あの、教えて頂けますか? 何があったのか」
 「ミラージュさん、これ、拷問ですよ。いやっ、別に大したことじゃないんですが、今更蒸し返すことでもないですし。ほら、知っても何もなりませんし! ね! もう、忘れましょうよ、それ!」
 「ずっと、気になってるんです。お恥ずかしい話ですが、このままでは今後の戦闘にも支障を来しそうで。……お願いします」
 「あの、その……そうだっ、創造主を倒した後で……」
 「だって、フェイトさん……」

 ミラージュは、口に出した。

 「死ぬつもり……なんでしょう?」





 「んで、結局何があったんや?」
 「え?」
 「ほら、風呂場で、や」

 グラーベの問いに、ベアトリスは笑い出した。

 「何、気になってたの?」
 「まぁ、やっぱり、なぁ」
 「悪いけど、大したことじゃないわよ」
 「そう言われると、余計に知りたくなる」
 「……ミラージュとフェイトが、風呂に入ってね。あ、勿論、クリフも一緒だったんだけど。それで……ミラージュが、こう言い出したのよ」
 「何て?」
 「“わー、これ、かっこいー。ほしーい”って」
 「……それ、もしや……」
 「そう、予想通り。まぁ、その時はクリフも他の子も、みんな子象さんだったし。“ガラパゴスゾウガメ”は、初めてだったのよ、あの子には」
 「がらぱごすぞうがめ!? そんな凄いんか!?」
 「ごめん、ちょっと脚色しちゃった。実際、彼のを見たことないんだけど。それで、もう、ミラージュったら……フフ……亀さんの首根っこを鷲掴みにして、その後……ぶふっ、ふあっはははははははは!」
 「おいっ、笑うな! 聞かせろや!」
 「……ふぅ。でも、もうだいたい予想できてるでしょ? その通りなのよ」
 「けど、間違っとるかも知れんやろ!? お願い、聞かせて! ベアトリス様!」
 「まぁ、若さ故の過ちってヤツかしらねー」
 「おい、無視すんな! なぁ!」





 悪い予想よりだいたい悪いのが現実で、良い予想よりだいたい悪いのも現実である。
 せいぜい“将来お兄ちゃんのお嫁さんになるー”発言程度を期待していたミラージュにとって、現実とは、ブレーキの壊れた特急列車のようなものだった。つまり一言で言うと、“関わってしまったばっかりに大惨事”である。
 レナスたちが二人を確認したのは、ほんの十分ほど経ってからのことだった。二人は一応並んでいたが、フェイトもミラージュも決して互いを見ず、無言のまま歩いてくる。
 「ああ……やっぱ、そうなっちまうか」
 クリフの独り言が聞こえた。
 合流したフェイトは、マリアとアレックスを交互に見比べる。
 「……何よ?」
 「どうした?」
 「いや……二人の気持ち、少しだけどわかる気がする。……過去は……どうして、僕らを苦しめるんだろう……」
 そのまま歩き出したフェイトに、二人は顔を見合わせた。
 「何があったのかしら?」
 「さあなぁ? あいつがここまで落ち込むなんて。……」
 「尋常な落ち込み方じゃないわね。きっと、何かすごい秘密が……」
 そこで、マリアはアレックスが気まずそうにしているのに気付いた。ついつい普通に会話してしまったが、やはりまだ、蟠りは存在する。
 言葉を切って黙り込むマリア、そしてアレックスに、クリフは首を傾げた。
 「そういやお前ら、前より仲良くなってねぇか?」
 「そんなわけないでしょう」
 「んなわけねぇだろ」
 マリア、そしてアレックスの答えは、ほぼ同時だった。二人はちらりと互いを見合わせ、再び口を閉ざす。
 「……はっはーん。嫌い合ってた二人が、いつの間にかお互いの大切さに気付いた……そういう、甘ったるい話か?」
 半ば……というか、完全にからかうクリフに、二人の銃口が向けられた。
 「悪い、冗談だ」
 クリフは素直に謝った。マリアの殺気は珍しくもないが、一瞬感じたアレックスの本物の殺気に、彼は内心、意外さを感じていた。

 (あーあ……俺としたことが)

 珍しく、心の距離と温度を測りかねてしまったらしい。どうやら未だ、自分が踏み込んでいいことではなさそうだ。
 「……あの、ミラージュ? どうかしたのかい?」
 ネルが心配そうに手を伸ばすが、ミラージュはその手を避けた。
 「……ミラージュ?」
 「やめておいた方がいいですよ、ネルさん。私に触れるなんて」
 「ちょ……ちょっとアンタ、どうしたんだい?」
 「もう少し、離れた方がいいですよ。淫乱が伝染ってしまいます」
 「は!?」
 「そう言えば、レナスさん」
 唖然とするネルに構わず、ミラージュは力のない目でレナスを呼ぶ。
 「タイムゲートとは、時間移動できる門ですよね?」
 「え……あ、はい。父さんはそう言ってましたけど。どうかしたんですか?」
 「いえ、ちょっと。二十二年前の私をぶん殴って来ようかと思いまして」
 「ぶ、ぶん殴る!? どうしたんですかミラージュさんっ、キャラまで変わっちゃって!」
 「別に、変わったわけじゃありません。自分の本性を知っただけです。……私なんて……私なんて……」
 「え、えーっと。私は、前のミラージュさんの方が好きだなぁ!」
 「レナス、それ、慰めになってんのかい?」

 巨大な、石造りの長方形の枠。ストリームでただ一つの建造物。
 「よぉっし! さっさと行くぞぉ!」
 「なぁ、フェイト。何かテンションおかしくねぇか?」
 アレックスの言葉を無視し、フェイトはタイムゲートに歩み寄る。軽く手を触れると、石枠の内側に、次々と記号や文字が浮かび上がった。
 「……門が開いた途端、がばーって向こうから来たりしませんよね?」
 「ああ、その心配は大丈夫だと思う。根拠はないけどね」
 レナスを振り向き、フェイトは微笑んでみせる。
 加速していく文字列が、やがてピタリと停止した。
 「さて……。後は、ソフィアに任せようか」
 皆の視線を受けて、ソフィアが踏み出した。タイムゲートの前まで来ると、深呼吸する。
 「大丈夫、ソフィア? 一緒に詠唱してあげよっか? わったしーはマジカ……」
 「あのさぁ! 私、すっごい緊張してるんだけど! なのに何でそんな事言えるの!? 私のこと嫌いなの!?」
 「何言ってるの、大好きよ」
 「嘘だぁっ!」

 叫んだソフィアは、異変に気付いた。

 「……え?」

 額に、発光する紋章が浮かび上がっている。そして両手にも、光が集中していた。

 「え? 何これ!?」
 「ソフィア。それを、門に向けて」

 フェイトに促され、ソフィアはとりあえず、両手を向けてみた。
 「え? な、何なんですかこれ!?」
 まるで光に反応したように、石枠の内部が雪色で満たされる。
 「ゲートが開いた。……?」
 ふと、フェイトはしゃがみ込み、石枠を観察する。
 「どうかしたんですか?」
 レナスが近づくが、彼は黙ったまま動かない。そしてその口から、「やばい」と、短い単語が零れた。
 「え? やばい?」
 フェイトは手を伸ばし、ソフィアを突き飛ばそうとする。
 周囲が真っ白な光に満たされたのは、その時だった。







 ガチン、と金属音を立てて、警棒が交差した。通せんぼされた特使は、一歩後退ると、警棒を握る二人の警備員を見つめる。
 「私は、銀河連邦軍宇宙艦隊司令長官、ヘルメス閣下の使いの者だ。通せ」
 「なりません」
 「未だ、お昼寝中ですので」
 二人の警備員は、あわせて六つの瞳で、特使を睨み付ける。このような扱いは今に始まったことではないが、特使は、今回の自分の任務が極めて重要なものであることを自覚していた。踵を鳴らし、二人に催促する。
 警備員たちの耳に、新しい命令が届いた。
 「失礼致しました」
 「どうぞ、お通り下さい」
 先ほどまでとは打ってかわって、警備員たちは警棒を納め、特使を室内へと導く。それに従い、彼は一歩扉の内側へと踏み込んだが、そこは真っ暗だった。照明が機能していないらしい。
 「失礼します。……失礼しましたよっ、ベクトラ宗主!」
 半ば苛立ち気味に、彼は声を荒げる。照明が次々と機能を再開し、やがてベッドの傍の椅子に腰掛ける、一人の女性を照らし出した。
 ウェーブのかかった金色の髪に、額には大層なティアラ。行儀悪く両足をテーブルに乗せ、太腿の上で小さな猿を遊ばせていた。小猿は彼女の身体を駆け上がると、その肩の上でしゃがみ込む。
 「それで……用件は?」
 「ヘルメス閣下からの要請です。至急、惑星レゼルブに渡りをつけて頂きたいと」
 「いやよ、面倒くさい。それに、何でレゼルブ? 妾があいつを大嫌いということくらい、既にわかってる筈でしょう」
 「重々承知。ですが、あなたなら無視されることはありません。だから、私は派遣されたのです」
 オフィーリアは天井に向かって、深い溜息をついた。
 「でもねぇ……」
 「……わかりました。エレーヌ・T・クロス首相に相談させて頂きます」
 「ちょっと? 何であの婆様が出てくるのよ」
 「あの方は、あなたの師匠とも言うべきお方なので。何か説得する手立てはないか、それを聞きに行きます」
 「……誰も、やらないとは言ってないでしょうが。あー、はいはい、わかりましたわかりました。まーた余計な仕事を増やして頂き、どうもありがとうございますハゲ。と、あのハゲに伝えておいて。さあ、さっさと出て行く!」
 「しかし……」
 この場逃れの、口から出任せかも知れない。きちんと署名を貰おうとする特使は、駆け寄ってきた小猿に追い立てられ、慌てて部屋を後にした。
 暫く扉の前で騒いでいた小猿は、やがてオフィーリアに呼ばれ、彼女の足下へと戻る。
 「さて。それじゃ、お仕事かぁ……」
 爪先で小猿と戯れながら、オフィーリアは、枕元の黒電話の受話器を取った。





 「んじゃ、次は俺ね」
 「おい、そろそろ負けを認めるべきだろ? 既に、三十点差だ」
 「なーに。まだまだ夜は長い。勝負はこれから……だっ!」

 気合いを入れて、ダーツを投げる。力一杯に投げつけたせいで、ダーツは根元まで突き立った。

 「おっしゃぁ! ほらみろっ、三十点! これで振り出しだなぁ?」
 「けっ、まぐれ当たりではしゃぎやがって。……おこちゃまは楽でいいでちゅねー」
 「うるっさい、さっさと投げろよ!」

 今度は、別の色のダーツが飛ぶ。それが突き立つのは、十点の位置。

 「はっはぁ! たかが十点? もう決着かねぇ?」
 「なぁに、これからだ。えーっと、次は……総統? 総統さんっ、どこだ?」

 「おう、ここだここだ」

 手を振りながら現れたのは、少々背の低い、しかしがっしりとした体格の男だった。もう片方の手に持っていた酒を、二人に投げ渡す。

 「そうか、もう俺の番か?」

 男はダーツを一本手に取ると、くるりと的に背を向けた。

 「“いいか、三歩目でズドンだぜ”」

 西部劇の台詞を真似しながら、一歩踏み出す。二歩、三歩。そして翻りつつ、アンダースローで投げた。

 「……え? うそっ、百点!?」
 「あんた実は、テトラジェネシスじゃねぇんですか?」
 「はっはっはー。まだまだ青いな、餓鬼どもめ。動かねぇ的くらい、百発百中にしとけ。……ん?」

 小柄な男はふと、怪訝そうな顔をする。そして持ってきた酒瓶を握ると、的に向かって投げつけた。
 瓶は粉々に割れ、床には酒と、血の混じったものが流れ出す。“的”は呻き声を上げて、ゆっくりと目を開いた。

 「おいおい、気絶してたじゃねえか。ちゃんと起こしてやれよ」
 「あー、すんません、気付かずに」
 「んじゃ、もう一勝負いきますか?」

 壁に、一人の男が磔にされていた。広げた両手の掌は、それぞれ釘で打ち留められ、足も同様に、床に縫いつけられている。そしてその身体には、ナイフによって血で描かれた、数字や文様があった。
 二人の男は、意識を取り戻して叫ぶ男に構わず、次々とダーツを引き抜いていく。全て引き抜くと、色ごとに分別し、三人分の得点を集計した。
 「あー、やっぱ総統の一人勝ちか……」
 「おい、一緒にすんな。少なくとも、俺は二位、ビリはお前だ」
 「三位って言えよ! っつーか同点に追いついただろうが!」
 「甘いな。俺には前回の持ち越し点がある」
 「そっ、それでもたった三点差だぞ!」

 「……ゆる…さ……ねぇ……」

 三人は口を閉じ、磔の男に目を向けた。男はブドウのように腫れ上がった顔面で、唇を開き、声を張り上げる。
 「許さねぇぞっ、ブルックリン! ブルックリン・ザ・バガーヴァンス! この俺にっ、こんなっ、こんな事しやがって!」
 「あー、はいはい。痛そうだねぇ。大変だねぇ」
 小柄な男……ブルックリンは微笑みながら、彼に歩み寄ると、ぺしぺしと頬を叩いた。
 「けどよぉ、契約違反は重罪だ。約束を破るんだったら、命くらいかけろよ。特に、俺との約束の場合はな」
 「ふざけんな……たかがっ、たかが傭兵がっ! 使い捨ての道具じゃねぇかっ! 俺を誰だと思ってる!」
 「え? 何? 全然聞こえなーい。たかが傭兵? たかが傭兵だと? 馬鹿言え、うちの大事な商売道具だ。お前なんざ、傭兵の指一本の価値しかねぇんだよ」
 「……ほざけ。お前はもう、負けたんだ、ブルックリン。ここで死ぬんだ」

 二つの光線が走り、ダーツを磨いていた二人の男の頭を撃ち抜いた。

 「あれ?」

 ブルックリンは振り向き、床に転がり落ちる二人を見て、首を傾げる。
 ドアが蹴破られ、窓が割られ、総勢二十名ほどの武装兵が、廃墟の内部へと飛び込んできた。取り囲まれ、銃を向けられ、大人しく両手を上げる彼を見て、磔の男は嘲笑する。
 「はっ……おい、遅いぞ! お前ら!」
 「悪いな、発信器の調子が悪かった。けど、生きてて何よりだ」
 ブルックリンは手を上げたまま、そっと周囲の兵士を見回す。
 「ふーん……。お前ら、こいつを助けに来たのか?」
 「ああ、その通りだ。おい、武器を探せ」
 「あ、何すんだよ。イヤン、バカぁン」
 「黙らねぇと、小汚ぇジュニアとお別れすることになるぞ」
 兵士の一人が、ブルックリンの股間に銃口を向ける。そして他の兵士達は、彼の身体を探り、武器を取り出し始めた。
 「……何だこりゃ。随分古いな。骨董品か?」
 「そりゃ地球から取り寄せた。800年前の自動拳銃、コルトガバメント。いい銃だ。そっちのは、クロコダイルナイフ。ドラゴンの鱗にも突き刺さる。んでそれが、柳刃手裏剣。いざって時に役立つ」
 「おい、もう黙れ。誰も、てめぇの講義なんざ聞きたくねぇんだよ」
 手当を受けながら、磔にされていた男が言う。
 「いや、講義じゃねぇよ。セールストークだ。お前らだって、契約違反の償いさえ終えりゃぁ、ちゃんとしたお客様に戻るわけだしな」
 「馬鹿か、てめぇ……今は、命乞いの時間だろうが」
 「おいおい、俺を殺すのか? これでも一応、一つの星のボスだぜ?」
 「どーせクーデターで奪った政権だろうが。それに、ガードが甘すぎんだよ」
 ブルックリンは溜息をつく。
 彼が所持していた武器は、全て奪われてしまった。にも関わらず、暢気に首を振っている。
 「なぁ、本当に……俺を殺せるのか?」
 「んじゃ、照明してやるよ!」
 磔にされ、ダーツの的にされた恨みだろう。男はブルックリンが持っていた銃を掴むと、彼の腹に銃口を押し当て、引き金を引く。
 しかし、銃弾は出なかった。
 「……何だ、故障してんじゃねぇか」
 「へっ、安全装置も知らねぇの? 不勉強すぎるな。……俺を殺せなくて残念だったな。慰めに、面白ぇもん見せてやる」
 ブルックリンの上げた両手が、掌を合わせるように回転する。

 「神宮流“柏叫”」

 ぱぁん、と、拍手のように掌が打ち合わされた。突然起きた風に、怯んだ兵士達は反応が遅れる。

 「んで、『錣車(しころぐるま)』」

 頭を回転させて銃口を避け、両手で引き金を引かせる。相打ちの形で、二人の兵士が命を散らした。

 「『捻り燕雀(ひねりえんじゃく)』」

 一人の兵士の腕を捩り、一息に肩、肘、手首を外す。

 「『撞木砲(しゅもくほう)』」

 掌打がその兵士の腹部に当たり、彼は背後の兵士を巻き込みながら吹き飛ぶ。

 「『百百轟(とどろき)』」

 周囲に電流のようなものが走り、兵士達の動きを止める。
 そこで、ブルックリンは足下に転がる、愛用の巨大ナイフを拾い上げた。そして、横薙ぎに振り払う。

 「『古釣瓶(ふるつるべ)』」

 肉体を傷つけない斬撃が飛び、それに触れた者が、意識を失って倒れ伏す。

 「あとは……えーっと……」

 ブルックリンは動きを止め、少し考え込む仕草を見せる。一人の兵士が引き金を引いたが、彼はしゃがみ込み、コルト・ガバメントを拾い上げた。

 「おっと危ない。もういいや、面倒くせぇ」

 まだ動ける兵士は、五人。彼はぐるりと一回転しつつ、五回、引き金を引く。五発の銃弾はそれぞれ、五人の眉間を撃ち抜いていた。

 「……さて」

 ブルックリンは、磔だった男を見つける。床に座り込み、後退ろうとする彼に向けて、銃を向けた。
 「いや、久々に白兵戦だったんだが……やっぱ強いよ、すげぇよ俺。……それで、お前。何か言うことあるだろ?」
 「え……?」
 「ごめんなさい、は?」
 既に、プライドなど砕け散っていた。
 「ご……ごめんな、さ……」
 「それで次は、許してください、でしょ?」
 「ゆゆ……許してくだ……」
 「だーめ」

 ブルックリンは、凶悪な微笑みを見せた。

 数分後、ブルックリンが廃墟から出てきた時には、既に部下が駆けつけている。
 「それで? 如何致しますか?」
 「五人、殺しちまったが……あとはまだ生きてる。そいつらの“使えるもん”は全部抜き取って、換金しろ。足りない料金は補えるだろ。そんで残ったのは、故郷に送り返してやれ。みんな、喜びで涙を流すだろうしな」
 「了解しました」
 「で、変わったことは?」
 「総統、先ほどお電話が。テトラジェネスの、オフィーリア・ベクトラ宗主からです」
 「何だ、あの糞女め。で? 何の用?」
 「至急、連絡が欲しいと」
 「よしわかった、無視しろ。そうだな、大怪我したとか行方不明だとか、適当に言っといて」
 「それが何でも、ミラージュ・コーストという女性に関わることだそうで……」

 ブルックリンの歩みが、ぴたりと停止した。

 「……おい、本当に、か? 本当に、そう言ったのか?」
 「はい。お知り合いですか?」
 「知り合いも何も、お前、未来の総統婦人だぞ」
 「?」
 「つまり! この俺の、妻になるお方だ!」
 「妄想ですね、わかります」
 「あんだとコラァ!? 妄想じゃねぇよ、現実だよ! コーラを飲んだらゲップが出るくらい確実だよ! その証拠だ!」

 彼は手帳を取り出すと、そこに入った一枚の写真を見せつけた。

 「ほら、これ! な? 二人で肩組んで、楽しそうにしてるだろ? はいおしまいっ」
 「すみません、もう一度見せて頂けますか?」
 「え? や……やだよ」
 「どうも、合成っぽかったような」
 「ふざけんなっ、合成じゃねぇよ! お、お前バッカじゃねぇの!? ばーか、ばーか! あーほあーほ! お前の母ちゃん、うんこ垂れー!」
 「自分の母は、あなたのお姉様なわけですが……。ともかく、どうされます?」
 「すぐに“サシミマリン”を出すぞ!」
 「故障中です」
 「んじゃ、“スキヤキタンク”!」
 「整備中です」
 「何だよ、“テンプラフライ”しか残ってないの? まぁいいやっ、よっしゃ、行くぞ! 我が愛しの、ミラージュ様の元へ! 今度こそ、俺の気持ちを受け止めて貰う!!」
 「……やはり片想いですか」



[367] 48
Name: nameless◆139e4b06 ID:c5591200
Date: 2009/07/01 17:07
 「うっ、わっ、っとぉ!?」

 何とか身体を捻り、レナスは地面に着地した。多少ふらついたが、すぐに顔を上げ、現在の状況と皆の安否を確認する。
 ガラス張りの通路かと思ったが、違うらしい。天井にも床にも、左右の壁にも、無数の記号の羅列が走っている。確か映画の中でも、デジタルの世界はこんな風に表現されていた。

 「……ねぇ! みんな、大丈夫!?」

 声を張り上げる。周囲に倒れ込んでいた他の皆も、次々に身体を起こした。
 「くそっ、ああっ、大丈夫だ。ちょっとデコ打っただけ」
 「まったく。何なのよ、いきなり」
 「……どうしよう、私まで入っちゃった」
 本来帰還する予定だったソフィアは、鉄パイプ一つ持ってない。周囲をきょろきょろと忙しなく見回し、何もない空間で呆然としていた。
 「……ここが、FD世界でしょうか?」
 「さあな。けど、何だここは。神様どころか、人っ子一人いねぇじゃねぇか」
 クリフはミラージュを引き起こすと、近くのデータの羅列を見る。ここだけぽっかりと、無理矢理作られた空間という印象だった。
 「私もそれを知りたいけど、無理ね」
 「あん?」
 「フェイトがいない」
 マリアの言葉に、レナスは慌てて走り出す。が、見えない壁に衝突し、尻餅をついた。
 「いったぁ……フェイトさんはどこ? そして出口はどこよ?」
 「まさか、はぐれたのか?」
 「と言うより、彼だけ意図的に、別の場所に連れ去られた可能性があります」
 「意図的に?」
 「FD人ですよ」
 「……まさか俺ら、このままここでずぅっと過ごすんじゃねぇよな」
 レナスは立ち上がると、両手を広げる。

 「ディストラクション!!」

 突然の大声に、皆は驚いて彼女を振り向いた。
 「……ねぇ、レナス。何してるの?」
 「こういうときこそ、能力の出番かなーっと。……ディストラクション! ディストラクション! ディストラクション! ……ほらっ、マリアとソフィアも!」
 「……ご一緒したくないわ。それに、私もさっきから使おうとしてるんだけど、出来ないのよ」
 「え?」
 「アルティネイションが、出来なくなってる」
 「……私達の能力って、創造主に対抗するためのものだよね?」
 「そうね」
 「それが使えないってことは……」
 「為す術なし、ね」
 「…………」





 「ここは確か……“ファラージャの空中庭園”でしたね」

 色とりどりの花が咲き乱れ、蝶が飛び交う。噴水には清浄な水が遊び、樹木には果実が実っている。
 奇妙な光景だった。まるで切り取られた写真のように、青空は途中で途切れている。太陽は無いのに、途切れた日光だけが差し込んでいた。

 「よく、覚えているわね」

 庭園の中央、噴水の傍の小さなチェアに、一人の女性が腰掛けていた。白いテーブルがあったが、それは無惨にも粉砕されている。
 「勿論、覚えてます。僕が、“消滅”させた場所ですから」
 フェイトは噴水の端に腰を下ろすと、そっと水を掬い上げた。
 「それで……わざわざ、僕一人を連れ込んだのは何故ですか? ブレア・ランドベルドさん」
 「…………」
 彼女は膝を組みかえる。
 「少し、お話がしたかったのよ」
 「いいでしょう」
 水を払い落とし、フェイトは軽く頷いた。
 「何故、叛逆を?」
 「あなた方の支配が気に入らないからですよ」
 「それが理由?」
 「ええ、そんなもんです」
 「……くだらないわ」
 「もし僕が人間じゃなかったら、こんな事はしなかったでしょうね」
 「あなたは人間じゃないわ。ただのキャラクターよ」
 「そのただのキャラクターに、お兄さんは随分と入れ込んでいるようですが」
 フェイトは暗く嗤った。
 「……あれも、あなたの復讐?」
 「あれ? どれのことでしょうか?」
 「兄のことよ。あなたが、兄を変えてしまった」
 「さて、覚えがありませんが。どうやら僕は、魅力的すぎるようですね」
 「もう一度聞くわ、フェイト。何故叛逆を?」
 「創造物は、いつか手放す時が来る……それなら、今、僕が存在するこの時が、その時です。FDとの繋がりを断ち切り、世界を僕らのものとします」
 「言っておくけど、あなた達の世界……“エターナルスフィア”は、所詮はゲームの世界なのよ。その世界を維持するために、どれほどの労力が必要で、そして私達がどれほどの努力をしてきたか、考えてみたことはある? 繋がりを断ってしまえば、待ってるのは自発的な崩壊よ。それを知ったからこそ、あなたはエクスキューショナーとなった。命乞いまでして。……あなたが行おうとしているのは、自殺でしかない。なのに、どうして? 束の間の自立を手に入れるため? どうせすぐに崩壊するのに?」
 「永遠の隷属と、一日の自由。どちらを重いと考えるかは、違いがありますね」
 「……あなた、それを彼等に話した? お仲間は、そのことを知ってるの? 自らの行動こそが、世界を滅ぼす第一手になるのに」
 「僕はね、ブレアさん。もう、我慢を止めようかと思うんですよ。あなたの兄を打ち倒すためなら、何だって犠牲にします」
 「フェイト。あなたのやってる事は、はっきり言って無意味だわ」
 「……もうやめましょう、完全な平行線です。お兄さんに、よろしくお伝え下さい」

 空間に、ヒビが入った。





 目を開けると、遙か昔に当たり前となった光景が飛び込んでくる。
 「ふぁぁ……よく寝たぁ」
 レナスはそう言ったが、起き上がらない。正確に言えば、起き上がれない。
 「ど、どなたかぁ、起こしてくださぁい」
 「やれやれ。またかよ」
 皺だらけの手で、皺だらけの手を握り、誰かが引き起こしてくれる。
 「おぉー、ありがとう、アレックスさん」
 「しっかりしろ、アレックスは三年前に死んじまっただろうが。俺はクリフだ」
 皺だらけになりながら、それでも骨格がしっかりしているからなのか、クリフの身体はまだ自由に動く。彼が指さした先には、布でくるまれた白骨があった。
 「私も、クラウストロ人に生まれたかったなぁ」
 「……けど、あれは異常だ」
 再びクリフの指先を追うと、ミラージュがいる。彼女だけは何故か、全く年を取っていない。既に何十年と過ぎた筈なのに。
 「あら? どうかしました?」
 振り返る笑顔には、皺一つ刻まれていなかった。
 「ミラージュさん、人魚の肉でも食べました?」
 「あらあら……ふふ、昔ちょっと」
 「食べたのか」
 「……ふぅ。結局フェイトさんは戻らず……」
 「そんで、俺らも出られず」
 「……あれ、ソフィア?」
 皺だらけの親友は、正座して俯いたまま、先ほどからぴくりとも動かない。
 「ソフィア!」
 レナスは慌てて揺り動かすが、その身体が傾き、倒れ伏す。口からも鼻からも、呼吸の気配が無い。
 「そんな……! 目を開けてよ、ソフィア! ほら、あれ、またやってよ! あれやってよぉ! おっぱいに靴下はかせて、昆虫の真似するギャグ! ねぇ! お願い!」
 「レナス、もう諦めろ。ソフィアちゃんは、天寿を全うしたんだ」
 「そんな……ネルさんもマリアも、アレックスさんも、ソフィアも……みんな死ぬ! 死んでいくんだぁ!」



 「……なんてことになっちゃうんだぁ!」
 「おいこら、勝手に白骨死体にすんな!」
 「わ、私のおっぱい、そんなに垂れないもん!」
 アレックスが怒鳴り、ソフィアがレナスの肩を掴んで揺さぶる。
 「でも、もう二時間は経過してるわね。FD時間で、なのか、私達の世界の時間で、なのかはともかくとして」
 「色々試してみたが、全然駄目だ。何も、変化が起きねぇ」

 クリフがそう言った時、ようやく変化が起きた。

 空間に亀裂が走り、いくつかの景色が、紙のように破られる。その隙間から、フェイトが顔を出した。
 「フェイトさん!」
 駆け寄って来るレナスに、安心させるように笑顔を見せると、隙間を更に広げる。
 「ごめん、待たせた。とりあえず、こっちに来て」
 全員を通過させ、穴を閉じると、フェイトは軽く溜息をつく。
 「皆、無事で何より」
 「それより、アンタは大丈夫だったのかい? 一人だけ別だったけど」
 「ええ。少し、ここを見つけるのに手間取りました。そして今の問題は……」
 フェイトの視線が、ソフィアに向けられた。
 一応紋章魔法が使用できる少女だが、戦闘経験は圧倒的に少なすぎる。才能はあっても、それを戦闘に活かす方法には気付いていない。
 「……でも、元々予想外があって当たり前の戦いですしね。僕も、一人の犠牲も出すつもりはありません」
 データの奔流から逃れると、今度は廊下に出た。壁に高価そうな額縁が並んでいるが、そのどれ一つとして中身はない。
 「ねぇ、フェイト。ここは?」
 「さあ……急拵えなのか、建設途中なのか。言ってみれば、世界の“部品”だね。あっと、ストップ」
 近くのドアを開けようとするレナスを、制止する。
 「これ、開きませんね」
 「開かなくて助かったよ。もし開けば、データの海に放り込まれてたかも知れない」
 よく分からないが不気味さを感じ、レナスは急いで飛び退いた。
 「よし、到着だ」
 突き当たりのドアを開ける。その途端、騒音が入り込んできた。

 「……何、これ」

 マリアは周囲を見回す。自分たちが通ったドアは消え、漆喰の壁に変わっていた。
 騒音の正体は、人々の雑踏と、話し声だ。大通りのような場所を、無数の人々が行き交っている。
 「……何なんだよ、ここは」
 「おい、ちょっと」
 フェイトはその中の一人、バスケットを抱えた少女を呼び止めた。少女はくるりと振り返り、笑顔を見せる。
 「ようこそ、旅のお方。イザヴェルへようこそ」
 「イザヴェル、だってさ」
 フェイトがクリフを振り向く。クリフが再び少女を呼び止めるが、彼女は相変わらずくるりと振り返り、笑顔を見せ、
 「ようこそ、旅のお方。イザヴェルへようこそ」
 としか返さなかった。
 「……成る程。ここも、ゲームの世界ってわけね」
 「そうだね」
 「フェイト。ここは、FD空間じゃないの?」
 「うーん。答えにくい質問だな」
 彼はこめかみを指先で叩く。
 「君たちのいた世界が、“エターナルスフィア”と呼ばれるゲーム空間なら、ここはそれよりもFD空間に近い場所だ。けれど、マリアのアルティネイションも、結局はゲームの中でのみ有効な能力。僕らの存在データを“改変”して、FD世界に直接乗り込むことは出来ない。ちょうど、ゲームのキャラクターが現実世界に来られないのと同じだね」
 「じゃあ、どうするの?」
 「別に僕らは、創造主を殺すのが目的じゃないだろ? 彼等が作った世界を、僕らのものにする。その為にはただ、創造主を倒すことが出来ればいい。それに……」

 雑踏が止み、フェイトは口を閉じた。

 行き交う人々が停止し、時計塔の針も停止している。変わらずに動けるのは、レナスやマリア達のみ。皆、それぞれ警戒する中、どこからか声が聞こえてきた。

 「一度、人に飼われた獣が野生に戻るのは、容易いことではない」

 男の声だった。

 「鳥かごの鳥は、果たして、大空を自由に飛びたいと願っているのか?」
 「少なくとも、僕らはそうだね」

 男の声に、フェイトが答える。

 「俺には、わからないな……。何故、そんなものを望むのか。まず生存を第一に考えるのが、当然だと思うが」
 「第一は生存じゃない、存在だ。そう思うから、僕らはここにいる」
 「果たして正しいのは、俺か、お前か」
 「どっちもだよ、だから戦争なんだ。……アザゼル」

 一人、停止した人混みを擦り抜け、近づいてくる男がいた。眼鏡を掛けた、神経質そうな男。彼はフェイトたちの前に来ると、腕を組み、近くの大男の背にもたれる。

 「……誰?」
 小声で尋ねるマリア。
 「スフィア社の保安部統括。一応、創造主の一人だ」
 「俺には、お前が裏切ることなどわかっていた」
 「それにしては、何の対策もしてなかったみたいだけど」
 「お前如きの裏切りで、何が変わると思う? お前は何も変わっていない。社長に命乞いをした、あの時から……」
 「……試してみるか?」
 フェイトの右手が浮き上がり、剣の柄へ伸びる。臨戦態勢に入る皆だが、アザゼルは首を振った。
 「いいや。俺はただ、案内をしに来ただけだ。ラグナロクは、今からちょうど24時間後。あの時計塔が、鐘を鳴らす。……大通りを北へ行け。街の中心部に、屋敷を用意しておいた。信用するかどうかは自由だが。今から24時間、ここは完全に隔離される。そして24時間後、回線が復活した時……お前らは、消滅する。せいぜい準備しておくことだ」

 アザゼルの身体は、データとなって霧散した。

 再び活動が再開され、人々の足が雑踏を作り出す。
 「逃がしてよかったの?」
 「今はまだ、戦うべきじゃない」
 マリアにそう答えると、フェイトは北へ向かって歩き出した。皆もそれに続く。
 文化レベルとしては、地球で言えば17世紀かそこらだろうか。道沿いの花壇には花が咲き乱れ、噴水の周りには子ども達が立っている。遊ぶではなく、ただ、そこに立ち尽くしていた。
 「あの子達、何してるんですかね?」
 「まだ、行動がプログラムされてないんだろう。……ほら、あそこらしい」
 フェイトの視線の先には、鉄の門と、その奥に見える豪奢な屋敷があった。近づくと門が開き、左右に整列したメイド達が、一斉に頭を下げる。
 「……妙な所だけ凝ってるな」
 クリフが素直な感想を漏らした。

 「さて。それじゃ、僕は行ってくる」

 門に入る直前で、フェイトはそう言い出す。
 「行くって、どこへですか?」
 「出来るだけ、ここの性質を調べておきたい。あとは念のため、本当に隔離されているかどうかのチェックを。皆も、行けるところは好きに行っていいよ。道に迷うことはないだろうし。多分、昼飯までには戻る」
 彼は屋敷に背を向け、再び雑踏の内へと消えていった。
 「……どうする? 私達は……」
 「レナス、一緒に見て回らない? お昼ご飯まで時間あるし」
 「本当に、通常通りでいいのかしら?」
 「相手が24時間後って指定したんだ。どのみち、フェイトがああ言うんだから、信じるしかねぇよ」
 「アタシも、この街を調べてくるよ。どんな戦いになるかは分からないけど、あのアザゼルってヤツの言葉の感じじゃ、この街が戦場になるかも知れないし」
 「ふぁ……俺、先に屋敷に行くわ。昼寝して、メイドさん達でもいじっとく」
 皆がそれぞれの行動に移る中、クリフとマリアの誘いを断ったミラージュは、アレックスを呼び止めた。
 「お? 何だよ? 珍しいな、俺に話しかけるなんて」
 「一つ、お聞きしたいことがあるんです」
 「へぇ?」
 「フェイトさんについて……」







 軍服と、それに不釣り合いな白いツバ広の帽子。初老の大男は、ずかずかと通路を進んでいた。
 「こっ、困りますよ! ヴァーミンガム大将!」
 追いすがって止めようとするのは、眼鏡の士官。
 「別にいいだろうが」
 「よくありません! ヘルメス司令長官に指定された出発時刻を、既に三時間も過ぎてるんですよ!?」
 「ん? そうか?」
 士官は懐から懐中時計を取り出すと、ヴァーミンガムの目の前に突き出した。彼はしばらくそれを見ていたが、突然手を伸ばし、懐中時計を半回転させる。
 「ほら。こうすれば、まだあと三時間あるだろ」
 「正気ですか!?」
 ヴァーミンガムの歩みは止まらない。士官が抱きついて止めようとするが、それも意に介さず、やがて一つのドアの前に辿り着いた。
 「あれ!? ここって、リード大将の客室……」
 「サイモン!!」
 ノックもせずに、ドアを蹴破る。室内の光景を見て、士官は凍り付いた。
 部屋の中央のテーブルには、水の入った洗面器。その洗面器に顔面を突っ込み、微動だにしないのは、青白い肌の痩せた男。
 「り……リード大将!?」
 士官が駆け寄るよりも早く、ヴァーミンガムはリードの身体ごと、テーブルを蹴り倒した。絨毯に水が広がり、その上に倒れ伏した彼は、小さく呻き声を上げる。
 「な、何を!?」
 ヴァーミンガムの蹴りに対して、でもあるが、それ以前にリードの行動が不可解だった。士官が抱き起こすと、彼の暗い瞳が開いた。
 「……指令……」
 「指令?」
 「さっき、司令長官から指令がきた。だから、死ねば、働かずに済むと思って」
 「はぁ!?」
 「ああいやだ、行きたくない、戦いたくない……。死にたい……死にたくないけど……死にたい……」
 ヴァーミンガムは、ベッドの上に散乱する指令書をくしゃくしゃに丸めると、リードの口に突っ込む。
 「ほれ、喋ってる暇はないぞ。行くぞ」
 そして彼のシャツの襟を後ろから掴み、そのままズルズルと部屋から引きずり出した。リードは口を塞ぐ指令書を取り出し、そっと広げる。
 「ああ、やっぱりだ。見間違いなんかじゃない。僕に、戦えって言ってる。何てことだ、何の権利があってこんな命令を」
 「司令長官の権利だろ」
 「ああ……いやだいやだ、何で大将なんかになったんだろう。死にたい死にたくない、死にたい死にたくない……」






 「ヘルメス司令長官。あの二人は確かに実績がありますが、今回は大丈夫でしょうか?」
 「ご心配なく、クロス首相。アブドゥラ・ヴァーミンガムにサイモン・クァッサル・リード、彼等には戦争の才能があります。ヴィスコムを名将とするなら、さしずめ妖魔……妖将と魔将でしょうか。戦場において、あれらほど頼りになる将官もおりません」
 「しかし、平時には厄介者、性質に難あり、と。……やはり、あなたは司令長官であり続けるべきですね」
 「無難な才能には、自信があります」
 「しかし、あれですね」
 「はい」
 「浮いてますね」
 「はい」

 エレーヌ・T・クロスは、既に四十代。ヘルメスもヴァーミンガムよりは年上で、そろそろ初老の域を出ようとしている。
 周囲は家族連れや若いカップルしかいない海岸で、そんな年代の人間が二人、粗末なチェアに隣同士腰掛けているのは、いくら何でも不自然すぎた。

 「しかし、何故こんな場所で?」
 「あと二人が集まり次第、あれに乗ります」
 「あれは……ゴムボートですね」
 「考え得る中で、最も安全だと判断しました」
 「……本当に、あれに乗るのですか?」
 「はい」
 「私、カナヅチなのですが」
 「落ちなければ問題ありません」

 二人の元へ、一人の女性が歩いてくる。ウェーブのかかった金髪を、三色のリボンでスリーテールに結び、ビーチだというのにコートと黒手袋。

 「あら……遅かったですね、オフィーリア」
 エレーヌの前に立つと、オフィーリアは軽く会釈した。
 「どーも、婆様にハゲ。この度はお忙しい中お招き下さり、よくもやってくれたなこの野郎どもめ」
 「あらあら、そんなはしたない……」
 「それで? “レッドキャット”は?」
 「すぐ来るわよ、さっき“テンプラフライ”が入港したそうだから」
 妙な艦名に、ヘルメスは首を傾げた。オフィーリアは軽く溜息をつく。
 「最新鋭の高速艦に、そんな名前付けるセンスのヤツなんて、一人しかいないでしょ? 水色だからって“サシミマリン”とか、茶色っぽいから“スキヤキタンク”とか、そんなセンスよ」

 その時、ヘルメス、エレーヌ、オフィーリアの通信機に、ほぼ同時に通信が入った。とりあえず報告を受けるが、それは何れも、ブルックリン・ザ・バガーヴァンスらしき人物を見かけたというもの。
 三人とも適当な返事をしただけで、通信機を切った。
 下っ端の警備員の報告ならともかく、それなりの地位にいる人間からの報告。それは通報ではなく、ただの連絡でしかない。

 「お三方、一曲如何ですか?」

 ヘルメス達が振り向くと、いつの間にか、小柄な男が立っていた。サングラスと麦わら帽子、アロハシャツに短パン。手にはウクレレがあり、観光客相手の流れ歌手のような格好だった。
 「そうだな、一曲頼む。あのゴムボートの中で」
 「はい、では、ご一緒させて頂きます」
 三人は互いに目配せし、小柄な男はウクレレを適当に掻き鳴らしながら、ボート乗り場へ向かう。ちょうど最後の一隻が残っており、エレーヌとヘルメスが乗り込み、続いてウクレレ男が乗る。一人残って代金を払おうとしたオフィーリアだが、その肩を背後から掴む者がいた。
 「なぁ、姉ちゃん。それ、譲れよ」
 ガラの悪そうな男だった。その隣には、おそらく彼女だろうが、譲られて当然という顔をした女がいる。
 「なぁ、あんたらも構わねぇよな?」
 男は威圧するつもりなのか、ゴムボートの三人を睨み付けた。
 ヘルメスとエレーヌは、我関せずで会話を続けており、一人ウクレレの男だけが、サングラスごしに不適な笑みを見せている。萎縮している人間はいない。
 「ねぇ、ちょっと」
 オフィーリアが溜息をついた。
 「いつまで……この妾の肩に、そんなイカ臭いのを乗っけてるつもり?」
 彼女の左手が、男の手首を掴む。そして信じられないような力で腕をねじり上げられた男は、呻き声を上げて身体を捻る。
 「若者なら、泳ぎなさい」
 オフィーリアのもう片方の手が、男の海パンを掴む。彼女は桟橋の上で踏み込むと、両腕を振り回し、男を放り投げた。
 柔道のように、地面に叩き付けたのではない。男の身体は着地することなく、二十メートルほど空を飛び、やがて水柱を上げて、海の真ん中へと着水した。
 悲鳴を上げかける女だが、小柄な男は敏捷な動きで、ウクレレをそののど元へと突きつけている。ネックの部分から、仕込み刃が飛び出していた。
 「さて……。姉ちゃん、選べ。俺を楽しませてから、死ぬか。大人しく帰るか。さぁ、どっち?」
 「……! かっ、かえ」
 「はいはい、時間切れ」
 オフィーリアの手が伸び、女のシャツを掴んだ。
 「ちょっ、ちょっと待って! いやっ、待ってください!」
 「あとこれ、彼氏の忘れ物」
 先ほど、思わず手に残ってしまった海パンを彼女の頭にかぶせ、そして再び、女の身体は男と同じ辺りに着水した。
 「二人とも、あまり目立つ行動は……」
 「あら。妾は、こいつからあの娘を守ってやったんだけど?」
 しれっと答えるオフィーリアに、ヘルメスは諦めたように首を振ると、ボートを発進させた。去り際、一部始終を呆然と眺めていた係員に、ウクレレ男は口止め料のように、丸めた紙幣を投げつける。
 「んで、ミラージュ様はどこだ?」
 海岸が遠くなったあたりで、ウクレレ男は三人に尋ねた。
 「ミラージュ?」
 「反銀河連邦、クォークの幹部です」
 ヘルメスの言葉に、エレーヌは、ああ、と思い出した。
 「残念だがな、ブルックリン。彼女は勿論、ここにはいないぞ」
 「んなの見りゃわかるって。ここにいるのは三人。婆にハゲに、糞女。んで、どこ? 知ってるんだろ?」
 「知らん」
 「そうか、んじゃ帰る」
 海に飛び込もうとしたブルックリンを、オフィーリアが引き戻す。
 「ちょっと待ちなさい、ヴォルド」
 「んだよ、来た意味ねーじゃん」
 「今は行方不明だが、つい最近の居場所なら教えてやる」
 ヘルメスがそう言うと、不承不承ながら、ブルックリンは座り込んだ。ぶつぶつと未だ文句を言っていたが、ヘルメスは構わずにしゃべり出す。
 「ブルックリン。お前、“天啓”という組織を知ってるか?」
 「あ? ああ、当たり前だよ、うちの商売敵だもん。俺が目ぇつけてた人材、ほとんど持ってかれちまったし。確か、フェイトだったよな、団長の名前は」
 「ほう、ちゃんと諜報にも力を入れてるのか。いや、感心感心」
 「何だよ、おだてても何も出ねぇぞ、このハゲめ。ガム食べる?」
 「最後に確認されたのは、“天啓”の艦、“ナユタ”の内部だった」
 ブルックリンは俯くと、ウクレレを分解し始めた。
 「?」
 仕込んだ刃を取り外し、隠していた鞘に取り付ける。ネジを巻き、組み立てられたかを確かめ、軽く振って手応えを確認する。

 「……どういうことだぁぁぁぁ!!」

 そしてそのナイフを振り上げると、猛然とヘルメスに襲いかかった。
 「うおっ、待て!」
 ブルックリンの手首を掴み、何とか押し戻そうとする。
 「どっ、どういうことだ!? あん!? 何で銀河連邦御用達の艦に、ミラージュ様が乗ってるわけ!? まさか、逮捕か!? 捕まえたのか!? だったら戦争だぞっ、わかってんのか!」
 「おっ、落ち着け! オフィーリア、どこを見てる!? 何とかしろ!」
 揉み合う二人に背を向け、彼女は一人、何かを見物していた。
 「えー、いいけどさぁ。あれはいいの?」
 「あれって何だ!?」
 「いや今、ヴォルドが揺らしたせいで、婆様が落っこちちゃった」
 「早く助けんかぁぁ!!」
 「沈んだ……浮いた。あ、また沈んじゃった」

 引き上げてから三分後、エレーヌはようやく海水を吐き出した。

 「ああっ、よし! 生きてた!」
 「あらあら、ハゲちゃん。やつれてない?」
 「貴様、オフィーリア……ほんの少しだ、ほんの少しだけ、絞め殺させてくれるか?」
 「え? イヤに決まってるじゃん、バカなの?」
 銀河連邦の重鎮、エレーヌ・T・クロスの死がどれほどの一大事なのか、この二人には本当に分かっているのか。ヘルメスは不安になった。
 「まったく……クロス首相、ご無事で?」
 「ええ、大丈夫です……ちょっと、十賢者にお会いしただけですから」
 エレーヌが落ち着いて後、再び四人は、ボートの四隅に腰掛ける。ヘルメスは書類を取り出すと、中央に置いた。
 「ヴィスコムは確かに名将だが、少々、フェイトを信用しすぎるきらいが見られる。彼には戦闘行為の自由が認められているが、今、フェイトや天啓の傍を離れるのは、得策ではない」
 書類は、偶然傍受された電波に関するものだった。“ナユタ”とアールディオン帝国との間に通信があった可能性は、僅か6%ほどに過ぎないが、ヘルメスはエレーヌからも、同様の不安を感じるとの同意を得ていた。
 「先ほど、惑星ストリーム周辺で、銀河連邦艦隊が壊滅した。謎の勢力によって、だ。最後の通信で、クォークの艦、ディプロの目撃情報が入っていた。推察に近いが、恐らくそこに、ミラージュとやらも乗っていたのだろう。……そして、フェイトも」
 「ああん? どういうこと? 何でミラージュ様の敵のそいつが、ミラージュ様とご一緒してるわけ?」
 「それは、あれよ。惚れたからでしょ」
 オフィーリアの何気ない一言が、ブルックリンの動きを封じる。彼は小刻みに震えながら、無理矢理な笑顔を作った。
 「ほ……ほほ、惚れたって、もちろん、その小僧が、だよな?」
 「さあ。その、ミラージュって女が惚れたのかも」
 「ま、まっさかぁ。やだなぁ、もう、オフィーリアちゃんったら。あるわけないじゃん、ねぇ」
 「……オフィーリアをちゃん付けで呼ぶとは、相当に動揺してるらしいな」
 「しかし確かに、彼は銀河連邦側の人間ですしね。そんなにすんなりと、クォークの艦に乗せられる筈もありません。ということは、クォークの内部に、保証人がいたとしか……」
 「クロス首相。的確な推理はありがたいのですが、もう少し空気を読むべきかと」

 ナユタの、連絡のない行動。
 惑星ストリームの秘密。
 アールディオンの動き。

 あらゆる要素に、不吉なものを感じずにはいられない。にも関わらず、何一つ解決の糸口が掴めていない。
 今回の会談が、完全な失敗を迎えたことを知り、ヘルメスはただ、頭を抱えるしかなかった。



[367] 49
Name: nameless◆139e4b06 ID:c5591200
Date: 2009/07/08 02:22
 イザヴェルという地名で、この砦の名がアースガルズであることはわかっていた。少し歩いてみると、円筒形の城壁にぐるりと周囲を囲まれていて、その中に入り組んだ街がある。城壁の外は、のどかな草原だった。遙かに山脈が連なり、森や谷、川も見える。

 「何故、24時間後なのかしら?」

 マリアはそんな疑問を口にした。
 「何故って……そりゃ、向こうの都合なんだろ? FD世界で、今は何時なのかは分からねぇが」
 「はっきり言って、創造主はそれほど、フェイトのことを危険視してないようね」
 「そうか。……確かに、な。わざわざ時間を指定して、それまで空間を隔離するなんて、罠じゃなけりゃ、まるで準備期間をくれてるとしか思えねぇ」

 確かにフェイトの能力は、異常なほど強大だ。しかしそれも、所詮はゲームの内部でのこと。例え叛逆しても、創造主は容易に止めて見せるかも知れない。彼は確固たる自身を持っていたが、果たして創造主は、その彼の範疇に収まるものなのだろうか。

 「ほら、クリフ」

 マリアは近くの露店の棚に手を伸ばすと、何かを掴んだ。この土地の文明レベルにしては明らかにちぐはぐな、フェイズガンが売られている。
 「これは多分、私用の武器でしょうね。見た限り、特に仕掛けはされていない。それに、私が使用しているものより高性能だわ。まるで、思う存分に武装を整えろ、って言わんばかりに」
 「……つまり、相手にとっちゃ、これはただの遊びってことか?」
 「考えたくないけど、その可能性も高いわ」
 クリフは指を組み合わせると、大きく伸びをした。
 「ま、今更言っても仕方ねぇよな。俺はもう、フェイトに賭けちまった。こうなりゃ、最後まで付き合ってやるしかねぇよ」

 店の品物も食べ物も、全て無料。と言うより、金を請求されない。きっと値段の設定すら、未だ行われていないのだろう。

 「……クリフ。まだ食べるの?」
 「いや、タダ飯だと思うと、どうしてもな。問題ない、昼食の分の空きはある」
 クリフの様子を観察するマリアだが、どうやら毒は入っていないらしい。明日に効き目が現れるものかも知れないが、何かしら腹に入れなければならない。未だ警戒する彼女は、とりあえず缶入りの食物にのみ手を付けた。それが気休めか杞憂なのか、どちらかは分からないが。
 「ま、創造主の思惑に乗ってるようで面白くないけど、今は準備を整えておくしかないわ。制裁でなく戦いに持ち込めるのなら、相手をゲームオーバーに出来る可能性も出てくる」
 「俺たちはジ・エンドしかないけどな」





 (……だいたいの絵図は見えてきた)

 集めた記録映像を確認しながら、フェイトは空を見上げた。言葉通り、ここは現在、外部と一切の接続を断たれている。

 (しかし……やっぱり、そうなのか。彼等にとってはこの行動も、イベントの一つでしかない。僕らは所詮、商売道具でしかない。が、だからこそ、付け入る隙はある。もしスフィア社が総力を挙げて潰しに来たら、危ない所だった。……喜ぶべきか、悲しむべきか)

 フェイトは突然、笑い出す。それは可笑しさではなく、自身への失望からの嗤いだった。
 今更、自分は何を考えているのか。もうすぐ、そのどれもが不要物となるのに。

 笑いを収め、ふと、人の気配を感じ取った。

 「どうかしましたか? ……ミラージュさん」
 恐らく、突然笑い出したことが原因だろう。戸惑った様子の彼女にそう声をかけると、ミラージュはそっと、顔を出した。
 「いえ。こちらにいらっしゃったのですか」
 「はい、見晴らしが良かったもので」
 そこは、時計台の頂上だった。元々展望の機能など無いが、ミラージュは屋根の上に上ると、瓦の上に寝そべるフェイトの隣に腰掛けた。
 この砦の内部では最も高所であり、砦の外まで存分に見渡せる。
 「この砦の名前、知ってますか?」
 フェイトは唐突に、そう尋ねた。首を傾げるミラージュに、彼は上体を起こすと、自分の頭上でぐるりと両手を振り回す。
 「この、コロッシアムのような壁に囲まれた砦は、アースガルズといいます」
 「アースガルズ……ひょっとして、神々の黄昏の、あの?」
 「はい。ラグナロク、ハルマゲドン……その戦場。そういう名前を付けることからして、ここが戦場で間違いないです。指定の刻限が来れば、戦争の開始となるでしょう」
 「……私達が、迎え撃つ側になると?」
 「そう思います」
 しかし、と、ミラージュは続ける。
 「それならば、ここが神々の砦なら、ここは創造主側の陣地ではないのですか? 創造主からすれば、私達は神族の敵で……」
 「ただの、イメージですよ。創造主にとって、そんなことは大した問題ではないんです。アースガルズに住む何かを、多数の軍勢で討ち滅ぼす。だいたい、で構わないんです。だいたいの形が取れていれば、砦に陣取るのが神様だろうが悪魔だろうが、どうでもいいんですよ。……所詮はこれも、彼等にとってゲームでしかないんです」
 微かに、フェイトの憤りを感じた気がした。
 話題を変えるため、ミラージュは口を開く。
 「ようやく、落ち着きました」
 「何がです?」
 「……タイムゲートに入る前の話題です」
 フェイトは頭をかいた。ミラージュの方は既に吹っ切れたのか、淡々と話している。
 「先ほどは、自分でも衝撃を受けて忘れてしまいましたが、もう一つ、お聞きしたいことがあったんです」
 「……もう、何でも聞いてくださいよ」
 「創造主を倒せたとして、その後、フェイトさんは、死ぬおつもりですね?」
 「…………」
 「私も、私の父も、そう考えているのですが」
 「…………」

 彼の手が伸びる。その手は傍らの瓶を取り、続いて栓を開けた。

 「それじゃ……本当のこと話していいですか?」

 そう尋ねられて、どうして駄目と言えるだろう。無言のまま頷くミラージュに、フェイトは少し唸った。
 「この間話した通り、僕はもともと、一人のキャラクターでした。そして創造主に敗れ、命乞いをして、交換条件にエクスキューショナーになりました。とはいえ、完全なエクスキューショナーではないんです。自我を持ち、命令が無くても行動する。だから、“代行者”なんです」
 ミラージュはじっと、彼の話を聞いている。
 「つまり、改造ですね。僕らの世界とFD世界とのつながりが絶たれれば、それはつまり、“エクスキューショナーとしてのフェイト”が消滅することを意味します。つまり、全能力が、改造される前の状態に戻ります。目からビームなんて真似も出来なくなります。……結論から言えば、僕は死にません。ただ、ね。すんごく弱くなりますよ。今まで少し、色々と好き勝手し過ぎましたからね。元の世界に戻ったら、自分の身を守ることも困難になると思います」
 「……元の世界には、戻らないんですか?」
 「え?」
 「フェイトさんが、生まれた世界には……」
 また、フェイトは黙り込んだ。
 片膝を抱え、視線を下げて町並みを眺めている。

 「もう、戻れませんよ。あの世界には」

 それがどういう意味での言葉なのか、ミラージュにはわからなかった。
 「……でも、どうしてそんな事聞きたいんですか? これが終われば、また敵同士になるのに」
 「あら。でも、この戦いが終われば、フェイトさんはすごく弱くなるんでしょう? 天啓の団長ではいられないほどに。そして、私達でも取り押さえられるほどに」
 「まさか……元の世界に戻った途端に、僕を捕縛するとか、そういうこと考えてます?」
 若干、怯えたような表情を見せるフェイトだったが、彼女は軽く頷いた。
 「それもいいですね」
 「そんな……」
 「戦利品として、クラウストロにでも連れ帰りましょうか」
 「剥製にでもする気ですか?」
 苦笑しながら、フェイトは瓶の中身を呷った。
 「あなた一人くらいなら、養ってあげられますが」
 ミラージュの言葉に、思わず飲み物を吹き出す。暫く咳き込んでいたが、ようやく治まると、彼は瓶を傍らに置き、涙を拭った。
 「あの、それって……?」
 「父の提案では、フェイトさんを婿養子に迎えるのが上策のようです」
 あの野郎、と、フェイトは呟く。それはただの、照れ隠しの悪態だった。
 ミラージュの腕が伸び、彼の首を引き寄せる。フェイトは思わず、瓶を蹴転がした。瓶はそのまま、地上へと落下していく。
 フェイトを抱き寄せたミラージュは、もう片方の手で、ぽんぽんと彼の頭を叩いた。
 「まぁ、選択肢に入れておいてください。いつでも歓迎しますよ、“ロベルトお兄ちゃん”」
 ミラージュは用事を終わらせたようで、時計塔の下へと戻っていった。暫く呆然としていたフェイトは、やがて身体を丸め、頭を抱える。

 「何で……そんな事、言うかなぁ?」

 苦笑いすればいいのか、泣きそうな顔をすればいいのか。誰に見せるわけでもないのに、自分がすべき表情が見つからない。
 フェイトは両膝を両腕で縛り、その内側に顔を隠した。





 「あ」

 思わず、そんな声が漏れてしまう。ミラージュは溜息をつくと、しゃがみ込み、濡れた緑髪の頭を叩いた。
 「う……」
 アレックスは軽く呻き、身体を起こす。彼の身体から、キラキラと光を反射するガラスの破片がこぼれ落ち、それと共に水滴が跳ねる。
 「くそっ、何で瓶が……」
 「アレックス」
 「お? おう、ミラージュ。……その、ありがとな。面倒なこと頼んで」
 「いいえ」

 アレックスも、フェイトの危うさを感じなかったわけではない。フェイトにそれとなく声を掛けてやってくれと、ミラージュに頼んでいた。

 「意外と、上司思いな部下だったんですね」
 「馬鹿言うな。あいつが死んで俺だけ戻ったら、地獄を見ることになる」
 身体を震わせ、アレックスはそう言った。
 「……フェイトさんは、元の世界に帰還する。そう考えていいですね?」
 「ん、まぁ、なぁ。この前出してた指示も、普段と別に変わりなかったし。天啓に残るのかどうかはともかく、死ぬなんてことは考えてないだろ」
 流石に一番付き合いの長い者の言葉は、信用の重みが違う。
 立ち去ろうとするミラージュに、アレックスはもう一度、声を掛けた。
 「その、なんだ、ありがとうな」
 「お礼の必要はありませんよ。私の許容範囲の未来ですから」
 「あ? 何の話?」
 「さぁ……」
 怪訝そうな顔をするアレックスに、彼女はそっと微笑んで見せた。





 ネルは噴水に戻ると、腰を下ろし、一息ついた。
 (また、随分と入り組んだ街だねぇ……)
 今の自分たちにとって、ここが重要な地であることは疑いようがないが、明日までに街の全てを把握するなど、無理な話だ。いくつかの大通りから通りがのび、それぞれの通りから、無数の小道が伸びている。まるで、血管か蟻の巣のように。人目を気にする必要が無いなら、建物の上を移動した方が遙かに動きやすいだろう。
 (その方が、視界も広がるしね……)

 創造主、という名前から勝手なイメージを持っていたが、あのアザゼルという男の姿形は、人間のそれだった。勿論、ここでの姿が仮のものなのかも知れない。しかし、思ったほどの威圧感はなかった。あの程度だとしたら、何十人集まろうが、萎縮するなどということはないだろう。
 神という存在に最も畏怖を抱いていたのは、ネルだった。しかし、祖国と自分が信じていた神は存在せず、ただ、創作者がいただけだ。
 それでも、彼女はアペリス神に祈るしかない。既に己の内に入り込んでしまっている神を、捨てることは出来ない。

 (自立のための戦い、か)

 ネルは立ち上がると、大声を上げて手を振った。
 彼女に気付き、二人の少女が駆け寄ってくる。噴水の前まで来ると、立ち止まって笑顔を見せた。
 「ほら、ネルさん。すごいですよ、これ」
 レナスの両腕には、数本の槍が乗っていた。
 「これ全部、タダなんですって!」
 「……そんなに持って、何するつもりだい?」
 「えーっと、これが予備でぇ、これがその予備でぇ……」
 暢気に一本一本説明していくレナスに、ネルは呆れたように溜息をつく。
 「これ全部、そのFD人とかいう奴らが用意したんだろ? 恵んでもらってるようで、面白くないね。アタシは」
 「えー。でも、使えるものは貰っておきません? フェイトさんも色々調達してるみたいですし」
 「……ところで、ソフィアは何を手に入れたんだい?」
 「杖です」
 綺麗な宝飾の杖が、その手に握られていた。
 「やっぱり、私も武器を用意しておいた方がいいでしょうし……。これが一番、しっくり来ました」
 「そうかい。けどまぁ、それが使われないことを祈るよ。荒事は、アタシ達に任せておきな」
 三人は連れ立って、屋敷へと向かった。近づけば先ほどの門はすぐに開き、内側に入ればすぐに閉じる。侵入者もいないだろうに、何故そんな機能が付けられているのか、少々不思議だった。
 「……すごいお屋敷ですよねぇ」
 レナスの感想の通り、シーハーツの貴族の邸宅すら超える、豪奢な造りだ。フェイトはここがまだ作りかけだと言っていたが、元々は、とんでもない大金持ちが住む予定だったのだろう。
 「いくら何でも、広すぎるね」
 「……これじゃ、誰がどこにいるのやら。もう皆、帰ってるんですかね?」

 「あれ、どうしたの?」

 三人が玄関で周囲を見回していると、遅れてフェイトも屋敷に入ってきた。
 「あ、フェイトさん。お帰りなさい。皆、どこにいるのか知りません?」
 「メイドさんに聞けばわかるよ」
 フェイトは拍手するように、二、三度手を叩く。近くにいたのか、メイドの一人が奥から出てきて、そっとお辞儀をする。
 「皆、屋敷に帰ってるの?」
 「いいえ。クリフ様、マリア様、ミラージュ様、アレックス様は、まだお戻りになりません」
 「じゃあ、私達が一番乗りだったんですね」
 用事を終えると、メイドは再びどこかへ立ち去った。
 「昼ご飯まで、まだ少し時間があるね。西側に工房があるから、僕はそこに行くよ」
 「何するんだい?」
 「さて、念のための秘密兵器作り、といったところでしょうか。くどいようですけど、明日までは何をしても大丈夫ですから。例えこの街の住人全員を殺しても、何の問題もありませんよ」
 「……アンタ、随分と物騒なこと言い出すね」
 「そうですか?」

 そう言って振り向いたフェイトの笑顔に、どこか不気味さを感じた。

 「まぁ、のんびりくつろいで、余計な心配なんかしないでくださいね」

 その不気味さを確かめる勇気が湧かず、レナスもネルも、ただ彼を見送るしかなかった。





  ネル・ゼルファーが不在だが、その理由はよくわかっていない。唯一事情を知っているらしいラッセルは、ただ休暇を与えたとしか言わなかった。ネルの唯一の肉親である母親、同じクリムゾンブレイドのクレアにも、彼は詳く話していないらしい。仕事が増えた他の師団長たちは、皆不満を漏らしていた。

 「ファリン、どう思う?」
 「そうですねぇー」

 ネルの部下、ファリンとタイネーブ。薄々勘付いているクレアと違い、この二人ははっきりとネルが星の外へ出たことを知っていたが、ラッセルに口止めされていた。
 この二人の話題は、ネルの行方についてではない。
 「でもぉ、よかったじゃないですかぁ。皆忙しいのに、私達だけなんてぇ」
 「そうかも知れないけど、やっぱり変でしょ」
 ファリンとタイネーブ、それぞれの手には、酒の入ったグラスがある。中身の液体もそうだが、彼女たちが現在宿泊している宿も、恐ろしく値が張る。二人の給料を合わせても、とても手の届くものではないが、全てはラッセルのポケットマネーによって賄われていた。
 「これ、おいしいですねぇ」
 「ちょっと、聞いてよ。……私、すっごく不安なの」
 「何がですかぁ?」
 「だって、私達、二級隊員だよ? なのに、仕事でもないのに、こんなホテルに、しかも執政官の私費で……。ひょっとして、クビ? フェイトさんに聞いたことがあるんだけど、マフィアは殺す前の相手に贈り物をするらしいし」
 「あ、ウェイターさぁん。これ、もう二つくださぁーい」
 「だから聞いてってば!」
 「いらないんですかぁ?」
 「……いるけど」
 「お仕事なら、ちゃんとしてるじゃないですかぁ。ラッセル執政官直々の密命がぁ」
 「……密命って、あんた……」
 二人がこうしているのは、休暇だからではなく、ラッセル直々の命令を受けたからだった。しかしそれも、どこのホテルで何泊しろ、や、次はここに遊びに行け、など、とても仕事とは思えないようなものばかり。確かに、こんな贅沢などこれっきりかも知れないが、嬉しさよりも寧ろ不気味さが勝る。
 当初はファリンとはしゃいでいたタイネーブだが、そんな生活が続くに連れて、徐々に不安になっていった。
 「ねぇ、ファリン。あんた、何か気付かないの? 予想とかないの? 執政官が何を考えているのか」
 「あはは、それがさっぱりですぅ」
 気付いても彼女なら、この生活を続けるためなら、知らない振りをするだろう。
 「ふぅぅ。一度、真っ昼間から、思う存分お酒を飲んでみたかったんですよねぇ」





 『風』の師団長、ヘルベルトは額を抑えて唸った。昨日、景気づけに酒を飲んだのが不味かったらしい。脳みそを握りしめられているような不快感は、昼前になっても収まらなかった。
 「執政官? 失礼しますよー」
 適当にノックをして、執政官室に入る。目の下にくまを作ったラッセルは、書類の上でペンを滑らせていた。
 「ほいよ、これ。ウチの活動記録に、報告書。しっかり渡しましたからね」
 「ああ」
 ラッセルは目も上げず、そう答える。ヘルベルトは再び額に手をやると、近くの椅子に腰を落とした。
 「あー、しかし何なんすか、この忙しさ」
 「ネル・ゼルファーがいないからだろう」
 「それ! それなんすよ、そもそも何でいないんスか?」
 「何度も言っただろう。今は、停職処分だ」
 「理由は?」
 「俺のおやつを、勝手に食べたから」
 「……この前は、大事にしてた皿を割ったから、って言ってませんでしたっけ?」
 「あん? そうだったかぁ?」
 「そうっスよ。そんでその前が、本に落書きしたから。そのまた前が……」
 馬鹿らしくなり、ヘルベルトは言葉を切った。
 そもそも停職処分だと言っても、それは女王が下したものではない。ラッセルとネルとの間に、直接の上下関係は存在せず、ネルが例えラッセルの命令の一切を無視したとしても、それは道理に適っている。
 お陰で今、シーハーツ軍だけではなく、貴族や商人達の間でも、様々な憶測が飛び交っていた。ネルにラッセルの処分を受け入れる義務が無いのなら、何故、彼女は姿を消したのか。今、どこにいるのか。実はただのカモフラージュで、ネル・ゼルファーは今、重大な事件を調査しているのではないか。
 「ねぇ、執政官。ご存知でしょうが、噂だらけですよ。ラッセル様とネルが、犬猿の仲だとか」
 「ふんふん」
 「ラッセル様が、謀反を企んでるとか。実はネルは既に死んでて、ラッセル様がそれを隠しているとか」
 「ほうほう」
 「……あのね、聞いてます?」
 「ああ、勿論だ。俺も油汚れには、パスタの茹で汁を使う」
 「……だめだこりゃ」
 わざわざ声に出して、ヘルベルトはお手上げのように両手を伸ばす。
 「そう言えば執政官。ちゃんと寝てます? 最後にベッドに入ったのは?」
 「……ベッドに入ったのは五日前。最後に起きたのは二日前」
 「ちょっと、仮眠くらい取りましょうよ!」
 「問題ないぞ、何しろ今の俺には、心強い味方がいる」
 「味方?」
 ラッセルは机の上の瓶をあけると、中の錠剤を二つほど口に放り込んだ。
 「……何なんすか、それ」
 「エレナがくれた。眠らなくても大丈夫な薬だそうだ」
 「……気のせいか、顔色がやばくなってません?」
 「何だ、心配性だな。……お前もそう思うだろ、なぁ?」
 「ちょっと執政官っ、誰が見えてるんですか!? い、医者ぁぁっ! 誰かぁぁ!」
 「まぁそう言うな、お前も飲んでみろ。うまくいけば、先代の女王陛下にお会いすることも……」
 「俺はそんな世界、知りたくないんです! ちょ、やめっ、ごふっ」



 「エレナ様、ちゃんと片付けくらいしてくださいよ……」
 「えー、面倒くさーい」
 「……あれ? そう言えば、あの違法な薬。ちゃんと処分したんですね」
 「? ……そうだっけぇ……?」



[367] 50
Name: nameless◆139e4b06 ID:c5591200
Date: 2009/07/12 23:29
 どこへ行くと尋ねたら、ゲームの世界へ行くと彼女は答えた

 そして彼女を発見した時、既に彼女の心はそこにはなくて

 ああ、彼女は旅立ったのだと知った

 いい女かと聞かれれば、疑問が浮かぶ

 色々なものに嫉妬して、色々なものを恨んで

 卑屈で不満だらけでガサツでいい加減で短気で意地汚くて

 しかしそれでも、大切だった

 一目見た時から、魅かれていた

 理屈が無いから、一目惚れなのだろう

 「…………」

 彼はペンダントの中の写真に、そっと口付けると、タイマーのスイッチを入れた。

 「さて……逃げるか、そろそろ」

 テーブルをどけ、絨毯を捲り、ぽっかりと空いた穴に飛び込む。

 その数分後、ノックの音が響く。返事をするべき部屋の主は、すでに地下通路を走っている。
 音を立て、ドアが蹴破られた。アザゼルは銃で肩を叩きながら、部屋を見回す。彼に続いて、十数人の保安部員が駆け込んできた。
 「ふんっ、逃げ足の速い……」
 ふと、アザゼルはモニターの数字に気付く。既に、残り一分を切っていた。
 「おいっ、出るぞ! 無駄だ、もう逃げられた!」
 彼の怒鳴り声で、保安部員達は急いで部屋から出て行く。アザゼルは腹立ち紛れに数発、銃を乱射すると、靴音荒く部下達の後を追った。
 廃ビルから出て、アザゼルは眼鏡の位置を直すと、溜息をつく。その直後、廃ビルの内側から凄まじいまでの光が漏れ出し、それは一瞬で収まった。

 「……危なかったな。一歩遅れていれば、蒸発だ」

 「うるさいぞ」
 眼鏡の奥の瞳で、黒い肌の大男を睨み付ける。暫く黙っていたが、やがてベリアルを押しのけると、アザゼルは保安部員達を引き連れ、去っていった。
 「……ついに、フォスターを見つけることは出来なかったな」
 ベリアルは、近くの噴水を鏡代わりにして、化粧を直す男にそう呟く。
 「そうねぇ。やっぱ、アザゼルには荷が重すぎたんでしょ」
 「ベルゼブル。お前なら捕まえられたか?」
 「うーん、五分五分?」
 口紅を懐に戻し、ベルゼブルは髪をかき上げた。
 「それにしても何故、パパはフォスターをクビにしなかったのかしら?」
 「先代も、謎の多い人だったからな。当代もそうだが、天才肌の考えることはよくわからん」
 「……ウチの社長も、そろそろ終わりかもね」
 「そしてお前が新社長、か?」
 「いやねぇ。今時流行んないわよ、世襲なんて」
 そうか、と、ベリアルは腕を組む。ベルゼブルは彼の太い首に腕を回すと、その体躯にもたれ掛かった。
 「フォスターってやっぱり、好きだったんでしょうね。ガイアのこと」
 「閑職同士、気があったんじゃないのか?」
 「そうかも。でも、何で今更叛逆なの? もう死んじゃったでしょ、彼女」
 「……あの噂は、本当なのかもな」
 「噂ぁ?」
 「ガイア・サウザンドアイズの魂は、ゲームの中に入り込んだ……と」

 バカバカしいと言わんばかりに、ベルゼブルは首を振る。
 所詮はゲーム世界。魂など宿らない。

 「そんな妄想にとりつかれてるわけ? あいつ」
 「俺にはさっぱりわからない」
 「きっと、トチ狂っちゃったんでしょ。……そのトチ狂ったヤツに、ことごとく逃げられてるんじゃ、世話無いわ」
 ふっ、と、ベルゼブルは笑った。
 「トチ狂ったヤツ、もう一人いたわねぇ。社長のお気に入りの」
 「……そちらは、明日でカタが付くだろう」
 二人は廃ビルに背を向けると、街へと戻っていった。






 『闇』の一級構成員に、アストール・ウルフリッヒという男がいる。
 隠密としてはそうあるべきなのだが、影が薄い。ファリンとタイネーブの凸凹コンビの方が有名で、それなりに地位は高いにも関わらず、そう言えばいたな、くらいの認識しかされていない。特に目立った功績も挙げず、特に目立ったミスもなく、いつの間にか昇進していた人物だった。性格も真面目なため、よく損をしている。しかし仕事を与えられれば、確実にこなしていた。

 「こちらになります」

 深夜、ラッセルの私室を訪れたアストールは、報告書を手渡す。彼も、上司であるネル・ゼルファーの行方を知りたかったが、報告書を睨むラッセルに、今はタイミングが悪いと思いとどまった。
 ラッセルから命じられたのは、妙な調査だった。ペターニの手紙屋が、帳簿を改ざんして脱税を行っているという情報が入ったため、極秘裏に調べよ、と。情報の出所も教えられず、ただの噂程度らしい。
 しかし何故、ペターニを管轄とする連鎖師団『土』ではなく、『闇』の自分を用いたのか。確かにアーリグリフとの和平は成立、そして一応の安定期に入っているが、何故、『土』の構成員達にも極秘裏に行わせたのだろう。彼等の協力を得られれば、もっと万事順調に進められた筈なのに。
 「……ご苦労だった」
 ラッセルは報告書を揃えると、ぞんざいに引き出しの中へと突っ込んだ。三日に及ぶ調査の成果を蔑ろにされているようで、アストールも流石に気分を害す。
 「それで、どうでしょう?」
 「ああ、すまん、やはり俺の勘違いだったようだ。特に怪しい動きは見出せなかった。一応言っておくが、あまり言い触らさないでくれ。この調査は正式なものではない為、報酬は後日、私費で払う」
 「や、やけに気前がいいですね……」
 「国家の隠密を、三日とはいえ私物化したんだ。当たり前だろう」
 「……はぁ……」
 ふと、アストールは思い至った。
 「そう言えば、ファリンとタイネーブですが。相当な金を使っているようですが、大丈夫なんですか?」
 「何がだ?」
 「いえ、その……タイネーブはともかく、ファリンは遠慮を知らないので……」
 「あの二人は、きちんと仕事をしてくれている。必要経費だ、気にするな」
 アストールが退室した後、ラッセルはそっと引き出しを開け、改めて報告書に目を通した。
 アストールを使った理由は、彼の几帳面さだ。後で不具合のないよう、彼は関連する情報を可能な限り集めてくれる。そして今回も、その期待を裏切らなかった。

 (……やはり、か)

 ネル・ゼルファーがいつ戻ってくるのかは、さっぱりわからない。しかし、出来れば彼女が戻る前に、全てを終わらせておきたかった。

 (ここで、石を投げ入れてみるか)

 ラッセルはペンを取ると、ファリンとタイネーブ宛に、新しい命令を書き始める。カレンダーを確認すると、ペターニの祭りは、もう二日後に迫っていた。






 シーハーツ、アリアスの村。前線として何度も傷を受けたこの村も、既に復興が進み、生活に支障が出ない程度には整備されていた。

 「待て」

 彼女は、殴りかかろうとした部下の腕を掴んだ。
 「しかしっ、こいつら……!」
 紅蓮の短髪の女性は、椅子から立ち上がる。男達はその時初めて、その身長に気付いた。2メートル近い。伊達眼鏡をそっと直すと、部下に右手の甲を見せた。
 「何で止めるんですか!?」
 未だ怒りを収めない部下は、怒鳴るように尋ねる。彼女は指を折り曲げ、右手を拳に変えた。

 「自分で殴るからだ」

 振り向きざま、その右拳を男の顔面に叩き付ける。鼻血を吹き出して転倒する男には目もくれず、彼女は残りの男達にもズカズカと歩み寄っていった。

 「……相変わらずすごいね、ウチの姉御は」
 「と、止めなくていいんですか? 相手は一般人ですよ?」
 「悪いのはあいつらだ。抗魔師団だけならともかく、執政官も貶した。お前も命が惜しけりゃ、あの人の前で“鼎臣”の悪口は言うなよ」
 「何ですか、それ」
 「ネーベル様、アドレー様、ラッセル様の三人だ。先代クリムゾンブレイドが現役の頃は、この呼び名も有名だったんだがな……」






 「真っ昼間から乱闘騒ぎなんて、いい神経してるわね……ルージュ」

 クレアは溜息をつくと、目の前に座る、紅蓮の髪の彼女を見た。
 「本当に、私、シランドに戻っちゃっていいのかしら?」
 「大丈夫」
 「確かにアリアスの防衛は、元々あなた達抗魔師団の管轄だけど……」
 「和平が成ったからといって、油断は無い。そこら辺は自分、命張ってるんで」
 「…………」

 ルージュ・ルイーズは、デスクワークを除けば、職務に忠実だった。
 対アーリグリフの最前線を任せられていたのも、その忠実さと、トップクラスの能力を買われてのことだ。ラッセルから“文”を、ネーベルとアドレーから“武”を与えられた彼女は、もはやシーハーツ軍の要の一人である。

 ルージュは伊達眼鏡を押し上げると、クレアに尋ねた。
 「被害届、苦情は?」
 「いいえ、来てないわ。良かったわね、叩けばホコリの出る相手で」
 「……。ところで、ネルは見つかったか?」
 「……いいえ。全く心当たりが無いわ」
 ネルは恐らく、星の外へと旅立ったのだろう。しかしその確証もなく、クレアはそう言うしかない。ファリンとタイネーブに事情を聞きたくても、飛び回る彼女らを捕まえることは困難だった。
 ルージュは表情を変えぬまま、立ち上がる。
 「そうだ。悪いが、明日の見送りは出来ない。自分はこれから、ペターニに向かう」
 「ペターニ? 緊急なの?」
 「さっき連絡が来た。テレサが相談したいことがあるらしい。直接会いたいそうだ。代わりに今晩、ヘルベルトが到着する予定なので、そこんとこ、世露死苦」
 「すぐに戻るんでしょ?」
 「遅くとも、明後日の昼までには」
 流石に和平が成立して早々、アーリグリフが攻撃してくることも無いだろう。畑違いのヘルベルトでも、二日や三日は問題なく凌げる筈だ。

 「ルージュ」

 クレアは親友を呼び止めた。
 「気を付けてね。何だか……最近、胸騒ぎがしちゃって」
 「押忍」






 ファリンが『闇』の二級構成員となって間もなく、ラッセルは彼女を自宅に招いたことがある。その時はタイネーブやネル、アストールなども呼ばれ、師団を転々としていた凸凹コンビが、ようやく落ち着いたことを祝うという、何とも皮肉に満ちたパーティーが行われた。もともとラッセルが自分からこんな事を催すことは少なく、タイネーブは素直に喜び、ネルはこれからの苦労を予想して溜息をつき、アストールは執政官の大盤振る舞いに驚いていた。
 勿論、二人を祝ったり、ネルを励ましたり、そのパーティーには様々な意味があったのだろう。しかしその最大の理由は、ラッセルがファリンと話す場を設けるためだった。それがわかったのは、他の皆が酔い潰れたり帰宅したりした、夜も更けた頃。

 「執政官が、代々男しか出来ないのは知ってるな?」

 二人きりになり、ラッセルはそう話しかけてきた。ファリンはただ、ちびちびと酒を飲んでいる。
 「女王がおられ、男の執政官がその傍らに。それが最良なのだと、先人達はお考えになったわけだ。……しかし、オレは今、そのことを残念に思う」
 「どうしてですかぁ?」
 ファリンはテーブルに肘をつき、聞き返した。
 「お前が、女だからだ」
 「??」
 「もしもお前が男なら、次の執政官は決まっていた」
 「もーぅ、褒めても何も出ませんよぉ?」
 からからと笑いながら、彼女は内心、驚愕していた。今まで特にラッセルとの接点は無かった筈だが、彼は何故、そこまで自分を評価しているのだろう。
 「お前のその腹黒さは、国にとって必要なものだ」
 「うー、それって褒めてないですねぇ」
 「まぁ聞け。今、文官を見回しても、オレの次を任せられるほどの腹黒さは、見当たらない。愚痴っても始まらん。それに、後の話だが、もしもオレに何かあった場合、新しい執政官にアドバイスをくれてやれ」
 「二級構成員の、私がぁ? ですかぁ?」
 「そうだ。……さて、話題を変えるか」
 ラッセルは身を乗り出し、彼女のコップに酒を注いだ。
 「いつか、必要になる時が来てしまうかも知れん。今から話すのは、もしもの時のことだ」
 彼は一枚のコインを取り出す。そしてそれを、指で弾き上げ、キャッチする。
 「物事は、コインと同じだ。表裏があり、それらは一体。物事を支配するということは……」

 キィンッ、と、コインが舞い上がる。再び落下してきたそれを、ラッセルは自分の目の前でキャッチした。
 しかし、酒が入っていたためか、コインは指に弾かれ、床を転がる。

 「…………」
 「…………」

 ただ、暖炉の炎の音だけが響いていた。ファリンは空気を読み、そっと両目を塞ぐ。
 「……わたしぃ、何にも見てませぇん」
 「い、いいだろ、別に。オレだって、格好付けたい時くらいある」
 「……take2、いっちゃいますぅ?」
 「うるさいっ、黙れ」
 彼は気を取り直し、掌の上にコインを置く。そしてファリンが見ている前で、それを握りしめた。
 「裏と表、両方を握ることが、真に支配するということだ。それは政府側と反政府側であり、左翼と右翼であり、オレの敵とオレの味方である。……いいか、これから先、オレの言ったことの一切を忘れても構わん。ただ、このことだけは覚えておけ。もしもの時のために、だ」

 恐らくあれは、執政官の才能を持ちながら執政官になれない、歯噛みするほど惜しい人材への、たった一度の講義だったのだろう。






 ペターニの最上級のホテル、トーアの門。二日前にチェックインしたファリンとタイネーブは、相変わらず好き勝手に楽しんでいた。

 「あ、また指令書ですよぅ」

 フロントで手紙を受け取ったファリンは、部屋に戻るなりそう言った。タイネーブがバスルームから出る頃には、既に開封されている。
 「何て書いてるの? ……まさか、クビ宣告とかじゃないよね?」
 「えーっとぉ、今夜のお祭りに参加しろ、ですぅ」
 「……相変わらず、よくわからない命令ね」
 「それとぉ、ナンパされたらついて行け、だそうですぅ」
 「……はぁ?」
 益々意味がわからなくなり、タイネーブはベッドに突っ伏した。
 「何それ、ナンパぁ?」
 「やぁん。私には、心に決めた人がいるのにぃ」
 「私達、でしょ」
 口にしてから、自分が何を言ったか認識したのだろう。タイネーブは突然毛布を掴むと、布団の中に隠れた。しかし予想に反し、ファリンは何も言ってこない。
 「…………」
 「……どうかしたの? ファリン」
 毛布から顔を出し、彼女に尋ねてみる。
 「……ううん、別に何でもないですぅ」
 ファリンはにっこり笑うと、指令書を暖炉の炎に放り込み、クローゼットを開けた。

 商業都市ペターニは、シーハーツ……いや、ゲート大陸で最も祭りの多い街の一つである。様々な土地から人が流れ込んでくるここでは、住人の愛想も良く、街全体に活気が溢れている。元々は普段儲けている商人や貴族達が、大盤振る舞いをして大衆の不満を少しでも減らし、身の安全を図ろうとしたかららしいが、いつの間にか富裕層自身が祭りを楽しむようになっていた。
 今回の祭りは、妖精の舞踏祭。かつて英雄ロナルド・ダインとその軍勢が、妖精の力を借りて変装し、敵軍を突き破ったのが起源とされているが、それは人々にとって大した意味を持たず、ただ皆、普段と違う格好をして踊りを楽しむためのものだった。

 主導したのは、ファリンだった。二人分のドレスを注文して届けさせると、ホテルの部屋で着替える。それは妖精の仮装ではなく、至ってフォーマルな、露出度の高いものだった。
 「……これ、着ろと?」
 「はぁい」
 「……本当に、ナンパされる気?」
 「でもぉ、そう書いてありましたしぃ」
 着替え終わった二人は、祭りが始まるとすぐに、街へと繰り出す。既に所狭しと屋台が並び、あちこちで陽気な音楽が響き、花火も上がり始めていた。
 「……いいなぁ」
 ふと、タイネーブがそう漏らす。ファリンが彼女の視線を追うと、屋台に集う人々がいた。いつもなら真っ先に飛びつくのだが、着ているドレスのためか、場違いだということを認識しているのだろう。
 「大丈夫ですよぉ。今夜は、もっといいものが食べられるかも知れませんしぃ」
 「別に、ナンパされると決まったわけでもないでしょ」
 「……そうですねぇ」
 食べ物もだめ、飲み物も少量だけ。タイネーブにとっては少しも面白くない祭りだが、これが任務であることを思い出し、まぁこんなものかと納得した。ファリンと二人、警備のためにかり出された連鎖師団『土』の知り合いをからかいながら、彼女たちはやがて、噴水の前に辿り着く。
 「……はぁ。一体、何だっていうのよ」
 何か明確な目標さえ貰えれば、粉骨砕身で頑張るつもりだが、その目標さえ曖昧なまま。そろそろ限界だと、タイネーブはファリンを見た。
 「ねぇ、ファリン。いつまで彷徨ってるの? 私達……」
 「でもぉ、まだナンパされてませんしぃ」
 「そりゃ、こんな格好してるんだから、男は寄ってくるだろうけどさぁ……」
 「別にぃ、男にナンパされると決まったわけじゃありませんよぅ」
 「え?」

 「すみません、少々よろしいでしょうか?」

 タイネーブが思わずファリンに聞き返したとき、人混みの中から、一人の少年が歩み寄ってきた。
 うっすらと化粧をした、美少年。着ているものも、かなり高価な代物だ。
 (……まさか、こんな子がナンパ?)
 二人の視線を受け、少年はお辞儀をする。
 「不躾なお誘いで、大変申し訳御座いません。もしよろしければ、夕食をご一緒したいと、私の主人が申しております」
 「ふーん……それじゃ、折角ですしぃ、ご馳走になりましょうかぁ」
 「ちょ、ちょっとファリン?」
 「大丈夫、大丈夫ぅ」
 その主人とは誰なのか、それすら聞かないうちから、ファリンはついて行く気満々だった。呼び止めようとするタイネーブだが、ファリンは彼女の手を引っ張ると、少年の背を歩く。
 「そりゃ確かに、ナンパに乗れって書いてあったけどさぁ……やめといた方がいいんじゃない?」
 「もぅ、心配性ですねぇ」
 小声で話しかけてくるタイネーブに、ファリンは暢気な笑顔を見せた。
 到着したのは、この辺りでも名の知れたレストランだった。既にテーブルは予約客で満員で、お雇い芸人のパフォーマンスに歓声が上がっていたが、少年は入り口脇の階段を上る。一階は、庶民でも無理をすれば行けるレストラン。二階は、少々薄暗い、富裕層のための社交場。しかし少年に連れて行かれたのは、三階……予約が無くても予約で満席で、その予約の中に割り込める人間しか立ち入れない、本当の特権階級のための……。

 「ようこそお越し下さいました」

 テーブルから立ち上がり、微笑みと共に出迎えたのは、初老の淑女だった。






 ファリンとタイネーブの客室を掃除していた従業員は、暖炉の中に、あるものを発見した。
 恐らく紙か何かを燃やした灰に紛れる、煤けた一枚のコイン。拾おうとした従業員は、途中で思いとどまる。コインの肖像は、ひどく悲しげな顔をしているように見えた。



[367] 51
Name: nameless◆139e4b06 ID:c5591200
Date: 2009/07/20 00:53
 引きずって何になる、と思う。しかし今更、どう接すればいいのか。

 「や、やぁ、マリアちゃん」
 「……マリアちゃん?」

 振り向いたマリアは、疑いの眼差しで、無理矢理笑顔を作るアレックスを観察した。
 「ちょっと、どうしたの? さっきの昼食、やっぱり毒が?」
 「ち、ちげぇよ。別におかしくなったわけじゃねぇ。その……何だ、今、暇か?」
 「ええ、暇だけど」
 「もし良ければ、なんだが……ちょっと、その……話がしたい」
 「どうぞ」
 「いやっ、ここでじゃなくて……もっと、話がしやすい……公園とか……」
 「それはひょっとして、デートのお誘いかしら?」
 「え? ……そうなる、のか……な……」
 「ごめんなさい、用事が出来たわ」
 マリアは首を戻すと、スタスタと廊下を歩いていく。
 「…………」
 アレックスはふぅ、と、溜息をつく。近くのソファに腰掛け、クッションを膝に乗せてぽんぽん叩いていたが、やがて

 「何やってんの俺はぁぁぁ!!」

 そのクッションを、思い切り床に叩きつけた。
 「何!? 何やってんの、俺! アレックスくんよぉ!? 何で俺がこんな、片想いの純情中学生みたいになってんの!? 恋愛感情とかそんなの関係なく、ただ仲良くするだけだろ!? 創造主がどんな戦い仕掛けてくるか分からねぇ今、味方同士の信頼を深めておくべきなんだろ!? それが何でこうなってんだ、畜生ぉぉ!!」

 軍人だったアレックスは、協調性を重視する。今、仲間内のチームワークを一番乱す可能性が高いのは、間違いなく自分とマリアの関係だと、自覚していた。
 (くそっ、フェイトとマリアもいつの間にか仲良くなったっぽいし! それじゃあとは、俺とマリアの間だけじゃん!?)
 残された時間は、もう二十時間も無い。それまでに完全に、は無理だとしても、ある程度は関係を改善させておきたい。せめて、まともに会話が続くくらいには。

 「困ってるみてぇだな?」
 「よろしければ、助けて差し上げましょうか?」

 「だっ、誰だ!?」

 どこからか聞こえてくる二つの声に、アレックスは周囲を見回す。二つの声は、笑い声を漏らした。
 「さて、誰だろうな?」
 「当ててごらんなさい」
 「……いや、もうわかってる。そっちの柱の影がクリフで、植木の後ろがミラージュだろ? 誰だ、って聞いたのは、ただのノリだ」
 柱の影のクリフと、植木の後ろのミラージュは、そっと姿を現した。二人は相変わらず、笑顔のまま。
 「いやぁ、悪いな、アレックス。気づけなくて(にこっ)」
 「すみません。私も、至らなかったですね(にこっ)」
 「おーおー、不謹慎な顔を……いやっ、違う! や、やめろ二人とも! “門倉雄大スマイル”は危険すぎる! 特にミラージュっ、アンタは絶対にやっちゃいけねぇ顔だ!!」

 何故、この二人が出現したのか。
 アレックスは軽い頭痛を覚えながら、首を振った。

 「で……一体何の用なんだよ、お二人さん」
 「何の用はないだろ、なぁ?」
 「ええ」
 「迷える子羊を救いに来たんだよ」
 「迷える汚豚を助けに来たんです」
 「はいはい、そりゃどーも。……ん? 今、何つった?」
 「とにかく」
 クリフはアレックスの隣に座ると、肩を組む。ミラージュも反対側に腰を下ろした。
 「さぁ、坊や。パパとママに話してごらん?」
 「……。あのね、僕ね、マリアと仲良くしたいの」
 「うんうん」
 「でもね、マリアね、僕のこと嫌いなの」
 「ふむふむ」
 「神様と戦うのに、仲が悪かったらだめなの。だからね、僕ね……」
 「汚豚め」
 「え!? せっかくノッたのに!? どないせーっちゅーねん!」
 アレックスはクリフの腕を振り払い、立ち上がる。
 「おい、お前ら……マジで何なんだ?」
 「アレックス。お前、マリアと仲良くなりたいんだろ」
 「ああ、そうだよ」
 「それを、私達がお手伝いして差し上げようと」

 「……わかったぁぁぁぁ!!」

 叫び、二人を振り向く。アレックスの指が、クリフとミラージュに向かって突き出された。
 「クリフ! お前はただ、暇つぶしがしてぇだけだろ!? そしてミラージュ、アンタからは打算的な匂いがする!」
 「まぁ。随分な言われようですね、クリフ」
 「ああ。俺はただ、日頃の感謝を込めて手伝おうと。飲み代的な意味で」
 「くそっ、そう言えば俺、どんだけ払わされて……ってアホか俺!? クラウストロ人の動体視力に敵うとでも!? 何でジャンケンなんだよっ、負けるに決まってるじゃん! ああっ、何で今まで気付かなかった!!」

 また、新しい人物が現れる。大声を聞きつけたのか、いつの間にかレナスが、中庭から三人を見ていた。

 「ちょっとちょっと、アレックスさん。何してるんですか、こんな所で」
 「おう、ちょうど良かった」
 首を傾げるレナスに向かって、クリフは手招きする。
 「実は今、“アレックスの恋路を応援し隊”を結成してな」
 「違うからな!? 別にそんな色っぽい話じゃ……」
 ミラージュが両腕を伸ばし、アレックスを締め上げた。
 「へーぇ、アレックスさんが……。いいよ、ハイダでソフィアを助けてくれたし! まぁその後、あっさりはぐれてたけどね!」
 そんな事を言いながら、レナスも協力する腹積もりのようだ。

 しかしアレックスとしては、迷惑極まりない。そもそも自分の目的は、この戦で勝利してフェイトを無事に連れ帰ることで、その後は元通り、クォークとは敵同士なのだ。ただ戦闘に支障が出ない程度の信用で良く、それ以上の関係になる必要はない。

 「ああもうっ、どいつもこいつもふざけやがって! もういいっ、寝る!」
 「おや、呼んだかい?」
 「うおおおっ、悪化したぁぁ!!」

 ひょっこりと顔を出したネルに、アレックスは膝をついて絶望する。そしてクリフから説明された彼女も、案の定……。

 「……いいだろうっ、アレックス! 全身全霊を以て応援してやろうじゃないか!」

 満面の笑みで、入隊を承諾してしまった。

 「……そーだっ、ソフィアにも教えてあげないと」
 「お願いします、レナス様。もう勘弁してください……」





 二階のベランダには既に、先客がいた。

 「あら」
 「やぁ」

 フェイトは軽く手を挙げると、再び空に目を向ける。マリアも彼の視線を追いながら、フェイトの近くの椅子に腰掛けた。
 「……何してるの?」
 「一応、確認。ひょっとしたら、フライングで接続が再開されるかも知れないからね」
 「あと二十時間、そうしてるつもり?」
 「まさか」
 フェイトは苦笑しながらメイドを呼び、マリアの分の飲み物も持って来させる。暫く二人とも、無言のまま時を過ごしたが、やがてマリアが口を開いた。
 「ねぇ、フェイト。聞いてもいい?」
 「どうぞ」
 「この世界に来る前に、私達が放り込まれた空間があったでしょう? ほら、フェイトとはぐれた」
 「……ああ」

 フェイトはほんの少し、気付かれないほど僅かではあるが、気を引き締めた。ブレアとの会話のことがバレれば、そして妙な誤解でもされれば、ただでさえ多くない勝率が更に下落する。今回の戦いは、一人きりで勝てるようなものではない。

 「あの時、アルティネイションが使えなかったの。今は使えるわ。でも、あの空間にいた時、私もレナスもソフィアも、全く能力を発動できなかった」
 「……まぁ、言いたいことは分かるよ」
 フェイトはコーヒーカップを空にすると、メイドに片付けさせた。
 「君たちの能力も、FD人が作ったものだ。そして未だ、世界としてのグレードは、向こうに軍配が上がる。その気になれば、能力を完全に封印するように、プログラムを書き換えられるかも知れない」
 「……最悪ね」
 「いや、まだそうと決まったわけじゃない。能力を作成したガイアは、創造主の中でも異端の存在だった。他の創造主がそう簡単に書き換えられないよう、プロテクトはちゃんと施されているだろう。……しかし、もし既にそのプロテクトが外されていても、能力の行使を禁止されたりはしない筈だ」
 「どうしてそう言い切れるの?」
 「創造主は、僕らを所詮ゲームキャラだと思っている。簡単に勝ちたくはないんだ。僕らが強ければ強いほど、楽しみが増えると考えている。だから、能力は禁止されない。寧ろ、思う存分使って欲しいんだろう」
 「ふざけた話ね」
 マリアは首を振ると、溜息をついた。
 どれだけ自分たちが命がけで戦っても、相手にとっては所詮ゲームでしかない。相手はほとんど、ノーリスクで戦うのだ。
 「……そういう奴らに吠え面かかせるのが、明日の戦いだ。君たちの能力は確かに強大だけど、インターバル無しで無制限に使えるものでもないだろ? ……マリア、君は最も早く能力に目覚めたんだ。レナス達を、サポートしてやってくれ」
 「……それほど、なの? あなたがそんな余裕も無いほど、相手は……」
 「大丈夫、勝てるさ」
 フェイトは笑顔を見せる。
 「マリア。君の判断力は頼りにしてる。余計なことを考えるな。……頼んだよ」
 「ええ、わかったわ……」





 何故、こうなってしまったのだろうか。一体、何がいけなかったのか。

 中庭の芝生の上で、アレックスは胡座をかいて腕を組んでいる。その周りには、クリフ、ミラージュ、レナス、ネル。
 「……暇人どもめ」
 アレックスは吐き捨てた。
 「では、何から話しましょうか。……やはりここは、マリアのことを」
 ミラージュはそう言いながら、クリフと顔を見合わせる。
 「ああ、そうだな。マリアは……料理が下手くそだ」
 「そうですね。アルティネイションを使ったわけでもないのに、有機物を無機物に変えてしまうなんて。すごい能力です」
 「おい、何だその無意味な錬金術は」
 アレックスの言葉を無視して、二人は更に話し続けた。
 「あと、人使いが荒い」
 「恋愛ごとに鈍感ですね。未だリーベルの気持ちに気付いてませんし」
 「そうそう、そんで、口も悪いのな。良く言えば口下手なんだが」
 「それに、足が遅いですね。だから銃を使うわけですが」

 アレックスは唇をへの字に曲げていた。マリアの第二の育て親である二人の話題は、だんだんと大幅に逸れ始める。
 (いや、まぁ、別に聞きたい情報でもねぇんだけど)
 ふと、頭に何かが触れているのに気付いた。背後で膝立ちになったレナスが、アレックスの髪を触っている。
 「やっぱり、身だしなみが大事だと思うんだけど。アレックスさんの髪って、何かこう、その……藻類みたいですよね?」
 「ですよね?って、お前なぁ……」
 「ん? しかも何だい、アンタ。これ」
 ネルも加わった。
 「ちゃんとシャンプーしてるのかい?」
 「……そんなもん、石鹸で十分だろ?」
 「やだっ、駄目ですよ! これからはちゃんと、リンスもすること!」
 「面倒だろうが! 何で二回も髪の毛洗うんだ!?」
 「リンスは洗うんじゃありませんよ」
 「とにかく、いやだ! 面倒くさいからな!」
 「でも、せめてこのボサボサ頭だけは、どうにかしませんか?」
 癖のある毛を突きながら、レナスが尋ねた。クシを通す必要が無いのは結構だが、身だしなみが良いとは言えそうもない。
 「……けどなぁ」
 「そうだ、ストレートパーマ当てません? サラッサラになるそうですよ?」
 「……んじゃ、二人分頼む」
 「二人?」
 「俺の髪の毛だけじゃ、不公平だからな。ムスコの髪の毛も……」
 ベルトのバックルに手を掛けるアレックスの股間を、ネルの足が踏みつけた。
 「おうふっ……!? ちょ……ちょっと、お前……!!」
 「……。礼儀作法が最優先ですかね?」
 「アタシもそう思うよ」

 「おーいっ」

 誰かが、離れた場所から呼びかけてくる。周囲を見回す皆だが、見上げると、二階のテラスからフェイトが手を振っていた。
 「あっ、フェイトさーん」
 彼の隣には、マリアがいる。フェイトは手すりから身を乗り出して、手を振った。
 「面白そうだねー、何してるのー?」
 「あー、こりゃ……」
 アレックスが素早く手を伸ばし、クリフの口を塞ぐ。この四人だけで難儀しているのに、この上彼を参加させるわけにはいかない。そうなれば、未来は絶望一択だ。
 「え、えーっと……」
 アレックスは声を張り上げる。
 「今、ちょーどなーっ、俺の陰毛にストレートパーマ当てたらどうなるか、皆で話し合ってたんだーっ」
 「あははっ、何それー」

 レナスのドロップキック
 ネルの肢閃刀
 ミラージュのバースト・タックル

 三人の攻撃が、ほぼ同時にアレックスを打ちのめした。

 「ねぇ、アレックスさん……ちょっと、涅槃へ行ってみません?」
 「アタシ等、そんな話してた覚えはないんだけどねぇ……!」
 「アレックスさん。“皆”なんて言葉使わないでくださいね? 私まで参加してたと思われるじゃないですか」

 「だ、黙れこの計算女どもめ……」

 顔を引きつらせるアレックスの肩に、クリフが手を伸ばして囁いた。
 「まぁともかく、良かったじゃねぇか。マリアも笑ってるぜ? ユーモアのある男ってのは、結構得点高いし……」
 「いや、あれ笑顔じゃねぇだろ。顔は笑ってるが、養豚場の豚を見下ろすような目だぞ」
 つまり、マリアは今、アレックスをバカにしている。いや、もっと正確に言えば、下等生物として見ている。
 フェイトとマリアが屋内に引っ込んでから、改めて作戦会議は再開された。
 「ああくそっ、どう扱えばいいんだ? さっぱり分からねぇよ」
 焦れたアレックスは、頭を掻きむしる。
 「何だ、アレックス。女の扱いも知らねぇのか? 今まで付き合ったことは?」
 からからと笑うクリフが、ぐいと頭を突き出してくる。アレックスは女性陣に目を向けてから、彼の耳元に口を近づけ、ボソボソと何か呟いた。

 「…………」

 クリフの笑いが、止まる。彼は膝に手を置いて立ち上がると、右拳を振りかぶった。
 「歯ぁ食いしばれぇぇ!」
 「ばぐほっ!?」
 殴り飛ばされたアレックスの身体は、芝生の上を二回転ほどして止まる。ペッと、クリフは唾を吐いた。
 「あーあー、そーですよね。何たってアレックスさんったら、英雄様なわけですよね。たかだ非合法組織の幹部如きが生意気な口きいて、申し訳ありませんでしたねぇ。はいはい、どーも失礼しました。死ね」
 “アレックスの恋路を応援し隊”隊長は、そのままどこかへ立ち去った。言い出しっぺの離脱で、もう解散だろうと思っていたアレックスだが、どうやらそうはいかないらしい。
 「それじゃ、どうやってマリアにアプローチしましょうか」
 「おいっ、もういいだろ!? ほっとけ!」







 ルージュ・ルイーズがペターニの街に到着した時、既に街は、祭りの見物客でごった返していた。長身の彼女は群衆より頭一つ抜きん出ていて、その紅蓮の頭髪もあり、遠方からでも容易に区別が付く。
 連鎖師団の知り合いたちと、すれ違いざまに挨拶を交わしながら、彼女はアリアスでの一件を考えていた。
 別に、不自然というほどのものでもないかも知れない。叩けばホコリが出る輩が、穏便に済ませたというのも、まぁ納得できる。しかし、クレアは自分と同様、何かイヤな予感を抱いていた。被害届や苦情が出てこなかったのは、果たして本当に、相手の保身のためだけなのだろうか。
 気になることは、他にもある。ネルの腹心、タイネーブとファリンが、現在トーアの門に宿泊しているという。二級隊員の彼女たちに、そんな高級ホテルを宛う任務とは、一体何なのか。しかも連鎖師団の話では、とても任務があるような風には見えなかったそうだ。
 任務の内容とは、一体何なのか。命じたのはネルなのか、ラッセルなのか。ネルだとすれば、彼女はどこで、何をしているというのか。

 (……判断材料が少なすぎる)

 ルージュは次第に通りから逸れ、公園の中へと入る。そこも人々でごった返していたが、更に木立ちの中に入ると、片腕を伸ばして頭上の枝を掴み、身体を引き上げた。そして枝に膝裏を引っかけ、逆さ吊りになる。

 ガッ……

 「動くな。砕くぞ」

 尾行されているのに気付いたのは、少し前だった。続いて木立ちの中へと踏み込んだところで顔面を掴まれ、その人物は、石像のように停止する。
 ルージュは溜息をつき、その顔を離すと、身体を捻って地面に着地した。

 「待っていろと言った筈だぞ、ディルナ」
 「……ウス……」

 尾行者は、自らの部下だった。本来なら金色の頭髪は、ルージュの真似をして真っ赤に染められている。身長は少し低めだが、ルージュと並ぶと更に低く見えた。
 「けど、姉御……自分、心配で……」
 「待て、と言った。イライザと共に、ヘルベルトを補佐しろ、と」
 「そうですけど……やっぱり、その……」
 ルージュは背を向け、再び通りの方へと歩き出す。
 「あ、あのっ、姉御! きゃっ!?」
 後方で何やら悲鳴が聞こえても、彼女の歩みは止まらない。公園を抜け、大通りまで戻った時、ようやくディルナは追いついてきた。
 「うう……ひどいっス」
 枝にでもぶつかったのだろう、少し赤くなった額を撫でている。
 「夜目を鍛えろ、と言った」
 「でも、そんな鍛えられるもんですかねぇ? あんな真っ暗で……きゃっ」
 再び、ディルナは悲鳴を上げる。突然立ち止まったルージュの背にはじき返され、危うく尻餅をつきそうになった。
 「……姉御?」

 (暗ければ……暗ければ……? 暗ければ、ぶつかる……ぶつかるなら、立ち止まるしかない……)

 伊達眼鏡を弄る時、それが考え事をしている合図だ。邪魔をすまいと口を閉ざすディルナだったが、ルージュは振り返ると、彼女の肩を叩いた。
 「礼だ。たった今、ほんの少しだけ疑問が解けた。同行を許してやる」
 「ほっ、本当に!? ありがとうございますっ」

 恐らく、ネルはもういない。再び戻ってくるだろうが、どこか遠い場所にいるのだろう。
 彼女が消えたのに『闇』がその役目を果たしているとは、皮肉なものだ。
 ルージュは、気付いた。

 (これが……ラッセル先生の策略か)

 ネルの不在がそのまま、闇を作り出している。闇の中、不在のネルを警戒して、思わず立ち止まる者達が出てくる。それこそが、ラッセルの狙いなのだろう。
 そして、これが単に抑止の策略ではなく、狩猟の戦略であるとしたら?

 (……下手すれば、血の雨だ)

 ルージュは伊達眼鏡を押し上げ、再び人混みの中へと溶け込んだ。





 一体、何者なのだろうか。淑女は目元をマスクで隠しているが、それだけで人相を隠しきれる筈はない。しかし、例え素顔を見ても、何者だと断言は出来そうもない。記憶にある顔を必死に走らせてみるが、全く心当たりは出てこなかった。
 そもそも、こんな場所を貸し切れる人物と知り合える筈も無かった。

 「いきなりで、ごめんなさいね。急に、友人が来られなくなってしまって。窓から外を眺めていたら、お二人がお暇そうにしていたから」

 彼女はそう言って笑うと、二人を席に招いた。タイネーブもファリンにならい、着席する。蝋燭の灯りが揺らめき、影が動いた。
 美麗な食器や杯が、特製の料理を乗せて運ばれてくる。ここ最近、贅沢な食事も少なくなかったタイネーブだが、その晩餐はそれらを凌ぐものだった。初めは緊張して、満足に舌の機能が働かなかった彼女も、やがて杯を空けるにつれ、普段のスピードに戻る。
 「……お二人は、どんなお仕事を?」
 晩餐も半ばになった頃、淑女はそう尋ねてきた。
 「その前に、お互いに名乗るのがいいと思いますけどぉ」
 少し頬を赤く染めたファリンが、にこりと笑う。淑女も、微笑みを返した。
 「一期一会、というのもいいものよ。ロマンチックでね」
 暫く黙り、ファリンは給仕から酒の追加を受ける。そしてそれを半分ほど飲み干してから、杯を置いた。
 「実は私達、極秘任務の最中なんですよぉ」
 「極秘任務……いい響きね。どんな内容なのかしら、気になるわ」
 「あはは、言っちゃったら極秘じゃないですよぉ」
 そこからはまた、雑談に戻る。互いの素性が明らかでない以上、それほど話すこともない。が、ファリンとその淑女の会話は弾んだ。タイネーブは既に、出される料理にのみ集中している。
 「そう言えば、噂では行方不明だそうね」
 「えー、誰がですかぁ?」
 「『闇』の、ネル・ゼルファー様。彼方此方で見かけたという噂はよく聞くのだけれど、どれが本当なのやら。アーリグリフとの和平条約も成立して、あの方も一段落付けるかと思っていたのに」
 「ネル様は、クリムゾンブレイドですからねぇ。アーリグリフだけじゃなく、色々と監視しなくちゃならないんですよぉ」
 「……それならきっと、ネル様の部下の方々も、大変でしょうね」
 「そうなんですよぉ、大変なんですよぉ」
 大分、酒が回ってきたのだろう。笑い声を上げるファリンに、淑女はそっと微笑んだ。そしてふと、ファリンの隣に目を向ける。タイネーブは真っ赤な顔をして目を閉じ、杯を握ったまま、寝息を立てていた。
 「お連れの方、あまり強くはないようね」
 「すみませんねぇ、疲れてるんですよぉ。何しろこの娘の家族は、この娘の仕送りが頼りなんでぇ」
 「偉いのね」
 「まぁ私は、天涯孤独の身ですからぁ。でもやっぱりぃ、最近平和になったせいか、新商品がたくさん出てるんですよねぇ。私もこの娘も、もっとたくさんお給料が欲しいんですよぉ」
 ファリンは冗談ぽく呟いてから、杯を置いた。そして身を乗り出し、声を潜める。
 「そうだ、知ってますぅ? ネル様のお給料。私達が折角頑張っても、手柄の分配はネル様次第なんですよぉ。それでこの前もぉ……」





 自分が、寝ていることに気付いた瞬間、彼女は目を開けて飛び起きた。

 「……!?」

 そこは、ベッドの上だった。今朝もここで目を覚ました。確か、謎の淑女に招待されていた筈だが、何時の間にホテルまで戻っていたのだろう。
 酒で痛む頭を抑え、タイネーブは周囲を見回すと、暖炉の前で椅子をギイギイと鳴らすファリンを見つけた。
 「ファリン。……ここって……」
 「やっと起きましたねぇ、タイネーブぅ。大変だったんですよぉ、ここまで運ぶのぉ」
 彼女は繰り返し、手で何かを跳ね上げている。一枚のコインが、その手を離れ、再び掴まれる。それを繰り返しながら、軽く溜息をついた。
 「……もう、お祭り終わっちゃったのね」
 「そうですねぇ……」
 ファリンは背を向けており、表情は見えない。シャワーでも浴びようかと立ち上がったタイネーブは、部屋に、見慣れぬ小箱があることに気付いた。
 「ねぇ、ファリン。この箱は?」
 「さっきの女の人が、帰り際に持たせてくれましたぁ。お土産だそうですぅ」
 「へえ。中身は何だろ? ケーキ?」
 少しして、タイネーブの鼻歌が聞こえなくなった。恐らく、小箱を開けたのだろう。

 「何、これ……」

 呆然とした声が聞こえてくる。ファリンは首を回してから、腰を上げた。
 「何って、賄賂ですよぉ」
 「……じゃ、じゃあ、受け取っちゃいけないお金でしょ!? あ、あれ、でも、もうこれ、受け取っちゃったわけで……」
 「はいはい、落ち着いて落ち着いてぇ。賄賂を渡したってことはぁ、私達に賄賂を渡す必要があったってことですよねぇ」
 「……?」

 自分たちが……もしくは自分がいるべきは、コインの表側なのか、裏側なのか。
 跳ね上げたコインを、彼女は力を込めて掴み取った。



[367] 52
Name: nameless◆139e4b06 ID:c5591200
Date: 2009/08/02 18:01
 天啓所属の情報士官、ゲムジル・ハクラ。彼が何故、銀河でも最高レベルの大学の招聘を断り、わざわざ傭兵業に足を突っ込んだのか、その理由は両親ですら知らない。

 「おい」

 ガンッ、とテーブルの脚を蹴られて、その衝撃でゲムジルは跳ね起きた。涎を拭い、眼鏡をかけ直すと、左を向く。カニセル・ファンゾだった。
 「な、何だ? どうした、カニセル」
 「ねね寝るななら、べべベッドだだ」
 「ああ、これはただの仮眠だ。……そうだ、新しい暗号の解読が出来たんだ、早く行かないと」
 「ばばバンデーンか?」
 「いいや、銀河連邦」
 「?」
 「確かにお得意様だけど、手放しで信用できる相手でもない。団長を危険視する輩は後を絶たない。切り札は、出来るだけ握っておくべきだ」
 カニセルは腕を組むと、首を左右に曲げた。
 「なななら、きき来てくれ。しし四天王ののだだ誰も、へへへ返事がない」
 「ん、それは変だな。誰か一人くらいは起きてる筈だろ?」
 団長のフェイトは、既にFD世界へと向かった筈だ。今思えば、随分とあっさりした別れだったが、彼が戻らないことは想像できない。四天王の誰も付き従わなかったのは意外だったが、いざFD世界からの攻撃が始まった時を考えれば、天啓の戦力は出来るだけ残しておくべきなのだろう。
 しかし、同行者をアレックスとした理由が、よく分からない。戦闘機乗りは寧ろ、残しておくべきだったのではないか? 白兵戦ならば、例えば四天王のハヤトを同行させれば、遙かに効率的だろうに。
 (……いや)
 ゲムジルは頭を振り、考えを追い払った。
 (烏滸がましいな)
 机の上に散乱した書類を手早く纏め、事務室から出る。カニセルもそれに続いた。
 先ず向かったのは、イセリアの部屋だった。
 「……確かに、返事が無いな」
 部屋の主は、呼び出しに応じない。ゲムジルは扉の隣のパネルを開くと、認証コードを打ち込んだ。
 「? なな何を?」
 「ごく少数の部下にのみ、緊急用のコードが支給されている」
 「……おおお俺は、もらららってない」
 「だってお前、デリカシーないじゃん」
 ゲムジル自身も、極力使用せず、今まで二回しか使ったことはない。今回が三度目だが、何か、イヤな予感が身体を通り抜けた気がした。

 「……!?」

 再び、入力する。しかし結果は、エラー。
 一瞬指を止めたゲムジルだが、続いてすぐに、自分の個人コードを入力した。
 「“ベンジャミン・キーン”、こちらゲムジル・ハクラだ。天啓四天王の現在地が知りたい」
 『その質問にはお答え出来ません』
 コンピュータからの返答に、予感は一層強くなる。
 「どういうことだ? 何故答えない?」
 『天啓四天王、という単語に該当する目標は、存在しません』
 一瞬、耳を疑った。後ろでカニセルが、怪訝な顔をしている。
 「おい、今、“存在しない”と言ったな?」
 『はい』
 「……お前の名前は?」
 『管理構造母体電基、ワイズマン三型。愛称、ベンジャミン・キーンです』
 「責任者の名前は?」
 『“アラン・スミシー”です』
 刹那、ゲムジルはカニセルの静止も聞かず、走り出した。向かう先は、団長室。
 他に、いくらでも確認の方法は存在した。もっと手早く、手軽に出来る方法が。しかし彼は、団長室の木製のドアを開くと、内部に転がり込む。中は、いつもと変わらぬフェイトの部屋だった。私物もそのまま、家具もそのまま。

 「…………」

 しかしゲムジルは、悟った。フェイトが既に、この部屋の主ではないことを。

 「……何故……ですか……?」

 『天啓』は既に、解体されていた。






 「ええいっ、どいつもこいつも!」

 イラついた声と共に、アレックスは部屋の中に駆け込んだ。
 いざ決戦、と覚悟して来てみれば、24時間も待たされる羽目になった皆の心情も、わからないではない。が、暇潰しの道具にされるのは御免だった。
 「どいつもこいつも、適当ばっかフカシやがって……」
 「まぁそう言うなよ、一応は皆、アレックスのこと考えてくれてるんだし」
 「一応って何だ、一応って。それに、悪意くらいしか感じらんねぇよ」
 「うーん。でも、応援してあげたいしなぁ」
 「いらねぇよ、余計なことすんじゃねぇ、フェイト。…………うわっちゃぁ」
 「何? その反応」

 アレックスはその場に跪き、頭を抱えた。





 「……ふぅ」

 ベッドに倒れ込み、目を閉じる。眠くは無いが、外からの情報を出来るだけ遮断してしまいたかった。
 しかしその想いも、ノックの音でかき消される。再び溜息をついて立ち上がり、マリアはドアを開けた。
 「マリア、寝てた?」
 「……いいえ」
 レナスだった。僅かに開いたドアの隙間に顔を突っ込み、軽く首を傾げる。
 「どうかしたの? 何か用事が?」
 「いや、ちょっと、お話なんかしたいなー、と思って。迷惑?」
 「……いいわ、どうぞ」
 マリアはドアを広げ、彼女を迎え入れた。レナスの後から二人のメイドが現れ、テーブルの上に軽食と飲み物を用意すると、そっと退室する。
 二人は、窓際のテーブルに着いた。
 「何か、随分と楽しそうだったわね。あなた達」
 「え、そう? マリアも混ざりたい?」
 「遠慮するわ」
 お喋りしに来た筈なのに、レナスは静かだった。マリアも特に話題が見当たらず、二人とも、黙ってクッキーに手を伸ばす。
 「……それで?」
 「え?」
 いい加減焦れたマリアは、溜息と共に尋ねた。
 「何か、話したいことがあったんじゃないの? 出来れば、クッキーがなくなる前に話し始めて欲しいんだけど」
 「あ……うーんと、その……聞いていい?」
 「どうぞ」
 「アレックスさんのこと、どう思う?」
 「どうって……」

 その時、それが恋愛関係の質問であるなどという発想は、マリアには毛ほども浮かばなかった。浮かんだのはただ一つ、惑星ソムニオンでのラ・フラージュ事件。
 マリアがクォークのリーダーを引き継いだのは、二年前。ラ・フラージュ事件の時には、未だクリフが務めていたが、彼女も実行部隊の一員として作戦に加わり、カヴィル、ソアドの両名とも顔を合わせている。
 死人こそ出なかったが、二人は驚異的な戦闘能力を発揮し、クォークの実行部隊の半数が怪我を負った。いくら身体能力に差があるとはいえ、正規の訓練を受けた兵士と非合法組織では、容易に逆転された。誰も死ななかったのは、今考えれば奇跡とも言える。
 追いつめたのは、マリアだった。一人別行動を取り、応急処置中の二人を発見した。引き金を引いたのは、カヴィルだっただろうか。銃を弾き飛ばされ、覚悟を決めたマリアの目の前で、ソアドがカヴィルに目配せする。暫くして、カヴィルは銃を投げ捨て、二人は彼女に投降の意志を示した。

 「ねぇ、聞いてる?」

 いつの間にか俯き、考え事をする体勢になっていた。こちらを覗き込むレナスに、ごめんなさいと愛想笑いを返し、マリアは顔を上げる。
 「そうね、アレックスか……。アレックスは……。彼は、私にとって敵で……私は彼にとって、仇でしょうね」
 「え? どういうこと?」
 「色々と複雑なのよ、大人の世界は」
 はぐらかすような返答に、レナスはむくれた。





 (最近……多いよなぁ、消費が)

 アレックスは葉巻をくわえ、少し迷ってから、火を付けた。何しろ、もう二度と吸えなくなるかも知れない。
 ふぅ、と、上に向けて煙を吐き出す。星空に靄がかかり、ゆっくりと晴れていった。
 あの星空も、偽物なのだろう。あれらはただの光の点であり、星の人々の営みや文化など、何一つ設定されていない。どちらにしろ、ここの文明レベルで飛行船や宇宙船の製造は困難であり、そのようなこと、確かめようもないのだが。

 (……偽物は、本物になれるのか?)

 未だに、その疑問は消えない。そもそも、偽物も本物も、何の違いがあるのだろう。自分たちがFD人によって創造されたものであるならば、そのFD人すら、更に高位の何者かによって作成された存在の可能性もある。あらゆる宗教も、神が人間を創造したと言っている。神とは即ち自分たちより高位の存在であり、ならばFD人は神に違いない。

 (まぁ、別に特に宗教やってはいねぇけど……)

 今まではフェイトがいれば、その過程が及ぼす被害はともかくとして、結果は全て上手くいった。しかし今回の敵は、彼にそんな力を与えた張本人。
 そして、自分を操作していた存在。

 (まぁそりゃ、確かに偽物だわな)

 自分たちが作られた存在だということは、厳然たる事実なのだ。それを覆すことは出来ない。そしてこの戦いは、その事実を覆すことが目的ではない。

 (やっぱ……ケジメ、取らさねぇと)

 人間を舐めた人間の横っ面を、力任せに殴り飛ばす戦いなのだ。

 (気に入らねぇからぶん殴る……結局は、それしかねぇよ)

 ふぅ、と、また煙を吐き出す。

 「……だよなぁ、マリア」

 アレックスはちょうど背後を通りかかった彼女に、振り向かないまま声を掛けた。
 「? 何が?」
 「いや、こっちの話だ」
 そのまま立ち去るかと思ったら、マリアはベランダに出て、アレックスの隣に並ぶ。彼はちらりと少女に目を向けると、新しい葉巻を取り出し、目の前に差し出した。
 「私は吸わないわ」
 「吸わなくても、一応持っとけ。お守りだ」
 「……」
 「あの時……出発前に、これをうっかり忘れて行きやがったんだ、ソアドの野郎は」
 「!」
 「命の次に大切だ、とか言ってたくせによ。……お前には、これを持つ権利と義務がある。いずれ、使ってやれ」
 葉巻をもみ消すと、アレックスはそれを庭に投げ捨てる。
 「なぁ、マリア。少し考えた。そっちは知らねぇが、俺はまだ、お前に対していくらか蟠りがある。だから、何とかそれを解きたかった。が、そんな急ぐ必要もねぇか。……戦いが終わって、向こうの世界に戻った時、その時は、腹割って話したい。……いいか?」
 「…………ええ」
 「それだけは、言っておきたかった。とりあえず、死ぬなよ」
 「あなたもね」
 「当たり前だ」
 アレックスはベランダから離れ、背を向けると、軽く片手を上げた。





 翌日、目を覚ましたレナスは、異常に気付いた。既に起き出していた他の皆も、朝食が終われば様子を見に行くことにした。

 「……静かな朝ね」
 「静かすぎるな」

 屋根に上ったマリアは、クリフに話す。昨日、あれほどいた人間は全て姿を消しており、イザヴェルはさながら、ゴーストタウンとなっていた。メイド達の姿もない。
 物音がして振り返ると、他の皆も、次々と屋根の上に上ってきた。最後にフェイトが姿を見せ、掌をかざして周囲を見渡す。
 「これはまた、綺麗に消えたね」
 「いよいよ始まるってことかい?」
 「そのようです」
 指定された刻限まで、あと少しに迫っていた。
 「……皆、今から言うことをよく聞いてくれ」
 フェイトは時計塔に指を向ける。
 「味方は僕らだけ、敵は恐らく数百人。時刻が来れば、一斉に出現する筈だ。アレックスは時計塔で、ソフィアを守れ。ミラージュさんは北門、マリアは東門、レナスは西門、クリフは南門。ネルさんは、侵入してくる輩を討ち取ってください。相手は痛みも苦しみもないただのプレイヤー、遠慮は無用です」
 「アンタはどうするんだい?」
 「外に出て、なるべく敵の数を減らします」
 「一人で……ですか?」
 「まぁね。それと皆、少しでも危ないと感じたら、無理せず時計塔まで退却。そこが、最後の砦だ。くれぐれも、命を大事に」
 「ああ、わかっ……」

 腕を回していたクリフが、そこで言葉を切った。他の皆も、その異変に気付く。

 「お……おいっ、フェイト!? 何じゃそりゃ!?」

 彼の背中から、発光する三対六つの白翼が生えていた。
 「ちょっと、準備してくる」
 そう言いつつ、フェイトはその場にしゃがみ込む。
 「あ、そうそう、気を付けて」
 「え?」

 彼の姿は吸い込まれるように空へと向かい、刹那、爆風が発生した。

 (……遅ぇよ)

 建物や木々が揺れ、ベランダのテーブルが吹き飛んでいく。吹き飛び掛けたマリアの腕を急いで掴み、クリフは姿勢を低くした。
 「おい、誰も飛ばされてねぇよな?」
 「……ふぅ。で、アレックス。フェイトは何を?」
 「ああ、心配ねぇよ。そのうちに戻ってくる」
 アレックスは空を見上げるが、既にフェイトの姿は無い。自分の視界で捕捉出来ないのなら、恐らくは既に、雲を突き抜けたのか。
 「しかし、“あれ”をやるってのなら、やっぱ相当に手強いぞ」
 「皆さん」

 両手を上げ、皆を制したのは、ミラージュだった。

 「何か……聞こえませんか?」

 時計は既に、刻限を指していた。





 『皆さん、本日はお忙しいところお集まり頂き、誠に、あ誠にぃ、ありがとうございます。スフィア社がお送りする一大イベント、“ラグナロク”。神とその下僕たちを打ち倒さない限り、世界の明日はやってこない。この“黄昏(誰彼)”にて生き残らねば、未来はない。……っつーかねっ、しゃらくせぇ!』

 アナウンサーの声色が、豹変した。

 『ようっ、初めまして! またはお久しぶり! 俺って誰? そうっ、あの“触れられざる薄雲の騎士”こと、ソロン・リュートだぁぁ! 元気だったか、皆! エターナルスフィアの一件では、迷惑かけたなぁ! まぁ別に、俺だけが悪いってわけじゃないんだけど。なーんて嘘嘘っ、社会人ならやっぱ、会社の一部にならねぇとな! とまぁ、雑談はこのくらいにして! 新生エターナルスフィア記念、“ラグナロク”! アースガルズに住まう奴らを、全てぶっ殺せ! そんじゃ、紹介するぜぇ。鬼畜極悪魔導愚連隊っ、8名のターゲットを!』

 映し出されのは、八つの顔写真。それの一つが拡大され、全身が現れる。

 『8名中最弱! 何でいんの!? 見習い紋章術士、ソフィア・エスティード! ポイントは少なめ、10000P! しかぁし、彼女もまた、内側に神を宿す存在! 成長率も半端ねぇ! 厄介なことになる前に、殺しておくべきか!』

 『お次は生粋の戦闘民族! サイヤ人を超えられるか!? 唸る豪腕、轟く蹄脚、クリフ・フィッター! ポイントは40000Pだぁ! まともにぶつかったらヤベェかも?! こういうヤツは、魔法でちくちく削っていくのが定石だな!』

 『続いてポイント50000P! 徹甲鉄腕、煌めく閃脚、ミラージュ・コースト! お美しい外見に惑わされるなかれ、クリフとの10000Pの差は伊達じゃねぇぞ! とにかくこの女っ、躊躇も容赦もねぇ! タイマンを考えるなんざ、バカの証明!』

 『同じくポイント50000P! 闇に融け、影を渡る隠密、ネル・ゼルファー! 孤立したら即アウト、ホラー映画の体現者だ! 夜になる前に決着を付けろ! 一瞬たりとも気を抜くな、振り返ればそこにいる!?』

 『さぁて、残り半分! ポイント60000Pっ、マリア・トレイター! 銃使いなら、近付いちまえば楽勝? んな甘い事考えるヤツは、こいつに蹴られて後悔しろ! 恐ろしい特殊能力もあるんだが、それは見てのお楽しみ!』

 『ポイント60000P、戦場に舞い降りた戦乙女、レナス! 槍を使うが、それよりも恐ろしいのは破壊光線! 当たれば終わり、うまく避けろ! 出来ねぇんなら、即刻デストローイ!』

 『こいつは特別ゲストだ! 復旧が終わった、翼持つケルベロス、アレックス・エルゼンライト! 申し訳ねぇが、持ち主には断ってねぇ! けどまぁ、後で返すから大丈夫かぁ!? ポイントは70000P! おっとしまった、もう時間切れだ!』

 『次だ次ぃっ! って、こいつはヤベェェェェ! 死亡フラグのにおいがプンプンするぜぇ! 特級危険因子っ、超絶爆滅殺戮マスィィンっ、フェイト! ポイントだぁ!? んなもん、好きなだけくれてやらぁ! 殺せればの話だがな! 誰かっ、このバランスブレイカーを始末してみやがれ!』

 『以上8名っ、全部殺せばプレイヤーの勝利! プレイヤー全滅なら、スフィア社の丸儲けだぁ! 俺の給料もアップアップ! さぁて勝つのはユーザーか!? それとも我々か!? 頼むぜ腐れゲーマーども! 全滅しちまってくれぇ! うははははははははっ』





 「……これは……」

 砦は既に、無数の人影によって包囲されていた。皆、装いも手に持つ武器も多種多様、まとまりなど無い。しかし全てが戦闘者で、全てが敵だった。

 城壁から見回したネルは、その数に愕然とする。360°、完全に包囲されていた。

 「嘘だろ……これを、8人で片付けろってのかい?」

 他の皆も、同様の思いに違いない。
 いくら何でも、多すぎる。フェイトは数百人と言っていたが、その何倍だろうか。

 ぱぁんっ

 ネルは掌を振り上げ、自分の頬を張り飛ばした。

 「っ……信じて……いいんだね。信じるよ、フェイト」

 彼女は空を見上げた。





 昨夜……自分は、何の夢を見たのだろう。もう少しで思い出せそうな気もしていたが、ついにそれは叶わなかった。
 それもまた、叛逆の理由かも知れない。夢を見たことを覚えていても、その内容までは思い出せない。それも一つの、人間の証明だ。

 「さて」

 フェイトはそっと、両手を広げた。

 「見せてやる、ルシファー……僕の……これまでの旅路を」

 『エンピリアル・ブラスト(最高天の砲光)』





 それはまるで、粉雪のようだった。
 純白に輝き、それは太陽の光を使わず、自ら光を放っている。

 無数に舞うそれら一つ一つが膨張し、巨大な柱を作り出した。

 ソロン・リュートがゴングを鳴らした直後、攻撃が始まる。
 さながら神罰の執行のように、容赦ない殺戮が行われた。データが次々と掻き消され、強制的なログアウトが発生。
 その光はほんの数秒ほどで収まったが、まるで風景を切り取ったかのように、包囲群の至る所が削られている。

 フェイトはやがて、ネルの目の前に降り立った。

 「それじゃぁ……勝ちましょうか」

 未だ静寂があったが、既に戦いは始まっていた。



[367] 53
Name: nameless◆139e4b06 ID:c5591200
Date: 2009/10/18 00:48
 「開幕エンピリアル・ブラストか……80%くらい削られたか?」

 アースガルズを見渡せる、小高い丘の上。黒い肌の男は、リアルの自分と何ら変わらない外見のアバターの視界を通して、戦場を眺めていた。
 「ソロン。様子は?」
 ベリアルはそう言うと、傍らに座る男を見た。彼もリアルと同じ外見だが、モニターを眺め、しきりにパネルを弄っている。
 「うわ、こりゃひでぇ。初っぱなからあんなもん使うかよ、ふつー」
 「確かに、な。これでは評判に関わる」
 「そこら辺は大丈夫だろ。エターナルスフィア再開の要望が、どんだけ来てたか知ってるか? 俺がひでぇって言ったのは、もっと皆に楽しませてやれってことだよ。折角、金払って参加してくれてんだしさぁ」
 「どちらにしろ、この程度でゲームオーバーになるのは、興味本位か冷やかしのプレイヤーだ。残った20%は、いずれも強者揃い」
 「……聞こえはいいけど、廃人ゲーマーってことか。そう言えば、ベルゼブルは? あいつはどうした?」
 「ヤツもプレイヤーとして参戦してる。さて、どうなるか。そして、どこまでやれるか。見物だな」





 防御壁が、消えていく。それは使用を止めたからではなく、ただ、負荷に耐えられなくなったからだ。
 桃色の髪の少女は、掲げていた杖を下げ、首を振った。
 「すみません、MPがスッカラカンになっちゃいました」
 「いいや、ありがとよ、姫。っつーか、何あれ!?」
 防御壁の内側にいたのは、少女だけではない。他にも数人が、その中で守られていた。
 「あり得ねぇよっ、あれ! ジ・オリジンのイベントよりひでぇ! 殆どログアウトしちまってる!」
 「流石に、あれを何発も、ってことはないだろうけど……気を引き締めないと」
 ジェイクは立ち上がると、銃を握りしめる。そして背後の三人を振り向き、言った。
 「ラバナス、ナックル、弁天。好きにしていいが、アレックスだけは手を出さないでくれ」
 「アレックスって、やっぱそうなのか?」
 「ああ、そう。前に使ってたキャラ。一度、どれだけ強く育てられたのか、相手をしてみたかったんだ」
 「動くか?」
 「いや、まだだ。トレイシーギルドの奴らも、久馬連統の奴らも、誰も動いてない。勿論、俺たちも。運良く生き残った素人が、突っ走ってる。そいつらが、教えてくれるだろう。色々なことを」





 クリア特典と、それが生み出す利益。それは、エターナルスフィアをプレイしたことがない人々、そしてゲーム自体プレイしたことがない人々にとっても、金の卵のように魅力的なものだった。
 そんな人々は、真っ先にゲームオーバーになってしまった訳だが、当然生き残りは存在する。実力ではなく、運によって生き残った者達が。ベテランプレイヤーは慎重だったが、その他は違った。彼等の目には、目の前の金の卵しか入ってはいない。その頭には、捕らぬ狸の皮算用しかない。
 西門に、東門に、北門に、南門に、彼等は次々と群がった。ベテランプレイヤーが、馬鹿正直だと失笑するほど、彼等は門しか目指さなかった。
 門にはそれぞれ、魔法陣が描かれている。それの危険性には、誰も気付かない。ただのテクスチャだと思いこんでいる。

 羅針盤の勇者たちが
 手に手に刃を握りしめ
 じっと大鷲を仰ぎ見ている


 フェイトは胡座をかき、両手を平にして地面を撫でた。

 風は凪いだ
 波は死んだ
 天と地は歩みを止めた


 あれは一体、どこの星だっただろうか。
 先住民達の長老は、本物の魔術者だった。皺だらけの手でこちらの頬を撫で、慈しむような目をしていた。
 彼女が、“神歌の紡ぎ手”という名をくれた。

 今 神々の食卓に
 戦神の林檎は投げ込まれ
 幕が開いた

 人間の神々よ
 どうかその力を捧げてください
 人間のために


 「『スピリット・オブ・オラクル』」

 それはまるで、決壊だった。増水して溢れ掛けたダムを爆破したように、奔流のように襲いかかった。
 東西南北四つの門の魔法陣はゲートとなり、そこから様々なものが現れる。人の形をしたものも、していないものも。犬の姿をしたものも、鳥の姿をしたものもあった。
 あらゆる世界で、あらゆる場所で……今までフェイトが、その内側に取り込んだ神々が、全て戦闘者となって、プレイヤー達に襲いかかる。

 戦神コルパガルが、巨大な檜の棍棒を振り回し、人々を打ちのめす。
 森の神ククノチが、鹿の足で蹴飛ばし、手にした弓から黒曜石の矢を放つ。
 火神スヴァローグが、口から燃え盛る泥を吐き出し、周囲を焦がす。
 風神ヤソノカラスが、四つの黒翼を振動させ、暴風を叩き付ける。

 さながら、神話の光景だった。崇められる神、忌み嫌われる神、悪魔と呼ばれる神、忘れ去られた神、全てが解放され、存分にその力を振るう。あらゆるものを、世界すら破壊しようとするかのように。
 圧倒的な暴力で、プレイヤー達は次々とログアウトしていく。イベントの期限は六時間、再びログインするには一時間のペナルティがある。つまり、最大で六回殺さなければならない。

 (……妙だな)

 ベリアルは腕を組んだ。視線の先では、剣を肩に預けたフェイトが、砦の端から戦場を見下ろしている。
 スフィア社が制作した、様々なゲーム世界を渡り歩いてきた彼にしては、少々理解が少なすぎる気がするのだ。例えここでプレイヤー達を全て排除しても、一時間すれば次々と復活を始める。残り時間が一時間を切ったところで、初めて総攻撃を仕掛けなければ、何度と無くプレイヤーと戦うことになる。しかも、敵は彼等のみではない。自分たち、スフィア社の人間もいるのだ。

 (この一時間で、全ての決着を付ける自信があるというのか? しかし、それにしては……些か、仲間のレベルが足りなさ過ぎるぞ)

 もっと強力な仲間が、もっと高レベルの仲間がいた筈だ。
 何故、彼等なのか。今更、感傷にでも浸りたくなったというのか。
 ベリアルは自らの得物である、ロケットランチャーを発現させた。
 「おい」
 隣のソロンが見咎めるが、彼は黙殺した。
 「おいっ」
 ここでスフィア社が直接介入するのは、予定にはない。更に咎めるソロンに向かい、ベリアルは右手を伸ばして制止した。
 「妙な気がする。何かが、変だ。探る必要がある」
 ベリアルはそう言うと、近くの森へと踏み込んでいった。





 「ひどい有様だ」

 手練れ達が動き出したのは、初心者たちが粗方始末された後だった。
 ひどい有様だ、とジェイクが言ったのは、死体を見たわけではない。既にゲームオーバーにされたプレイヤー達が落とした、ペナルティによるドロップアイテムが、城の周囲に散乱していたからだ。もっとも、ベテランプレイヤーにとっては、どれも入手すべきアイテムではない。それらはまるで、愚者の残滓だった。
 「問題は、あの化け物たちをどう片付けるかだ」
 「久馬連統、トレイシーギルドが、協力しようってさ」
 「狸と狐と鼬の化かし合いだな」
 「代表者を侵入させて、他は化け物たちを引きつけることになるな」
 「……それしかないな」





 「アンタ……何者だい?」

 もう、何度思ったことだろう。そしてどれほど、その答えを熱望しただろう。
 代行者だの何だの、そんな肩書きが知りたかったわけではない。そう、あの時から。アーリグリフの地下牢で出会った時から。ネルはずっと、知りたかった。
 彼は本当は、何者なのか。もっと、根本的な部分で。

 「……僕は」

 フェイトは微笑むと、傍らのネルへと首を向けた。
 しかし刹那、その笑顔がかき消える。

 「え?」

 僅かな土埃を残して、彼は消えた。

 「……フェイト?」

 振り向いた先に、彼はいた。後方の建物の壁に、巨大な釘のようなものが突き刺さっている。そしてそれに貫かれているのは、青髪の青年。
 彼は俯いたまま、ただ静かに、その血液を滴らせていた。





 『ベリアル、戻れ』
 「どうしたソロン? 今のヤツへの攻撃、お前か?」
 『いや……社長だよ』
 「!? 馬鹿なっ、早すぎるぞ! 未だ一時間も経ってないというのに! ブレアは何をしていたっ」
 『駄目だっ、もう遅い。いいから戻れ。今社長に出てこられたら、イベント自体がご破算になるかも知れん。全力でフォローに当たるぞ』





 何故、自分だけが異変に気付いたのだろう。何故、たった一人だけが、異変に気付いたのだろう。

 (気に病むことはない。これは、当然の結果なのだから)

 ルシファーはそう言った。彼の刃は速く、重く、鋭かった。それは戦闘能力の差ではなく、存在の格の差。ゲームの世界の創造された者が、ゲームを創造した世界の者に敵う筈が無い。
 考えてみれば当然だと、自嘲が浮かぶ。
 あの勝利は、与えられた勝利。あの勝利は、シナリオの範疇。創造主はもっと巨大で絶対的で、そして何より遊び好きだった。

 (……お願い……します……)

 体中が軋み、もはや怪我とそうでない場所との区別すら曖昧だった。
 こんなことをしても、何の意味もないかも知れない。こんなことで、何が変わるわけでもないのかも知れない。
 跪き、額を地に擦りつけ、肺腑の奥から吐息を絞り出す。

 (助けて……ください……)

 その願いが、創造主に通じてから、一体どれほどの月日が流れたのだろう。

 本来の自分の年齢すら忘れてしまった頃、一筋の光が見えた。
 スフィア社のデバッカー・ガイアの存在。彼女もエレナ・フライヤと同じく、ゲーム世界へと魂を取り込まれたFD人だった。そして彼女に恋した、フォスター・ルード……本名ランドール・フォスター。
 抑え込んでいた情熱が、急速に解けていった。

 「……トッ……フェイトッ……」

 遙か彼方から、山彦のように聞こえていた声が、だんだんと近づいてくる。深海に沈んでいた身体が、浮上していくように。

 「フェイトっ!」

 ネルの声だった。何とか足場になる出っ張りを見つけ、不安定な体勢を取りながら、鈍く光る釘を引き抜こうとしている。
 フェイトはテレビか何かでも見ているような気分で、彼女の赤髪を見下ろしていた。

 (……危ない危ない。走馬燈が見えた)

 そっと右手を伸ばし、彼女の肩に触れると、ネルは驚いたようにこちらを見上げる。

 「ネルさん。ちょっと、お願いが……」
 「アンタっ、こんな状況でっ……!」
 「作戦は全て無駄になりました。これから言うことを、良く聞いて……皆に伝えてください」

 ままならなくて当たり前だ。
 しかし、だからどうしたというのだ。
 自分はそれでも、叛逆を決意したのだから。








 ペターニの防衛を任務とする、連鎖師団『土』の師団長、テレサ・ナルガムル。裕福な商人の娘として生まれた彼女が、幼い頃、突き放されるかのようにしてシランドの学舎へと入れられたのは、自分をいじめた貴族の少年達の手足を、牛追い棒でへし折ったからではない。

 「外天師団『夢』……」

 窓の外から、花火の音と光が侵入する。ネグリジェ姿でベッドの上で寝そべり、良質の煙草を吹かす彼女は、テーブルの紅茶の前に座る二人に聞こえる声で、そっと呟いた。
 成り行きでナルガムル邸の寝室までついてきたディルナだけが、ルージュの指が微かに震えたのに気付く。
 「噂くらいは知ってるでしょう? ねぇ?」
 自分が話しかけられていることに気付き、ディルナはテレサに、曖昧な笑みを返した。
 「監視者、管理者である六師団を見張る、最後の師団。最後尾の鬼、陰の悪魔。ラッセル様が若くして執政官になれたのも、その第七の師団が、裏で相当に動いたからだとか」
 「……テレサ殿。自分を呼び出したのは、話し相手でも欲しかったからか?」
 ルージュは伊達眼鏡の奥の目を細め、若干睨むような視線を作る。
 「まさか。大事な話よ。以前、セフィラが賊に狙われた時、その外天師団が阻止したって噂が流れたけど……それっきり、何の音沙汰も無し。いるのかいないのか、それもわからない。でも、気になるでしょ? 監視される監視者としては」
 皮肉混じりの口調だった。そしてそれは明らかに、ルージュに対する詰問だった。

 外天師団『夢』の噂が出始めたのは、まだ先代クリムゾンブレイドが現役だった頃のこと。まるで二人の英雄が脚光を浴び、その光によって作り出された影のように、いつしか謎の機関の存在が囁かれていた。

 サンマイトを追放された異能者。
 記録上は既に死亡している囚人。
 北方の小国からの亡命者。

 その正体については、様々な憶測が飛び交ったが、それらは弱まることはあっても、完全に消えてしまうことはなかった。外天師団は証拠を残さなかったが、その存在の痕跡は匂わせていた。
 全ては曖昧なまま、今日に至る。定説は、彼等は執政官直属の私兵部隊であり、様々な禁断の術法を操る異能者である、というようなものだった。
 そして、幼い頃から鼎臣の秘蔵っ子として育てられたルージュ・ルイーズは、その外天師団の情報を握っているのではないか。そんな噂が出るのも当然だった。

 「ネル・ゼルファーの居場所が分からず、対アーリグリフ諜報の責任者が不在のままでは、防衛力の低下は否めないわ。平和なんて非日常を続けていくためには、それなりの努力が必要なの」

 六師団の長の地位は、同等とは言い難い。
 諜報部隊である『闇』と『風』、『水』は、『闇』が他の二師団より上に置かれ、防衛部隊である『光』と『炎』、『土』は、『光』が他の二師団より上に置かれていた。国内の軍事を司る二つの師団の長の一人、クリムゾンブレイドの片割れが行方不明だということは、ただ一師団長が不在という問題には収まらない。

 『光』師団長クレア・ラーズバード
 『炎』師団長ルージュ・ルイーズ
 『土』師団長テレサ・ナルガムル
 『闇』部隊長ネル・ゼルファー
 『風』部隊長ヘルベルト・ベレスフォード
 『水』部隊長“代行”キーラ・アファナシエフ

 六人中誰一人が欠けることもあってはならず、しかもよりによって、欠けたのはクリムゾンブレイドだ。彼女の代役など尚更おらず、現在シーハーツには、対アーリグリフにおける情報が、全くと言って良いほど入ってこない。
 アーリグリフでも、どうやらアルベル・ノックスが行方不明となっているらしいが、ならばシーハーツはその隙に、少しでも優位を確立しておくべきであろう。

 「さて、どうなるのかしら。北方からアドレー様が召喚されるのか……それとも、噂の『水』部隊長が復活するのか」

 現在サンマイトにて幽閉されている『水』部隊長は、その顔をルージュにしか知られていなかった。先代クリムゾンブレイドが推挙した人材だが、『水』の一級構成員であるキーラ・アファナシエフによって弾劾され、部隊長の地位のまま、自由を剥奪されている。
 ネーベルとアドレーが推挙したのは、その人物の危険性を感じ取り、出来るだけ管理下に置いておくのが得策と判断したからだった。故に、幽閉中の身でありながら、地位は形だけでも残されている。
 『水』部隊長と『夢』とを同一視する見方もあった。

 「どうでもいい話だ」

 ルージュの反応は、それらの疑問を一刀両断するようなものだった。カップを置いて立ち上がると、ディルナも慌てて中身を飲み干す。
 「己の職務に忠実でさえいれば、例えそのようなものが存在したとしても、何の問題もない。ただの噂を恐れるようでは、何か身に覚えがあると見られても仕方ないことだろうに。邪魔ぁした。帰らせてもらう」
 テレサは引き留めなかった。忙しなく挨拶するディルナに向かって軽く手を挙げ、一人になった後、煙草を置く。
 彼女が求めた情報は、既に手に入った。ルージュ・ルイーズは、外天師団の情報は持たないが、その本質とも言うべき理論を知っている。

 「……面白くなりそうね」

 ペターニには、不穏な微風が存在する。そしてその微風は、テレサの腕にもまとわりついてきていた。

 国家への忠誠心などない。
 仲間との絆も信じてはいない。

 彼女の本性を見抜いていた両親は、既にこの世にはいなかった。








 不思議だと感じたのは、ヴォックスの記録を見てからだ。
 現国王の叔父である彼は、勿論バーンレイドという姓に生まれた筈だが、焔の継承を果たしたヴォックスは、姓を変えた。既に王位への野望も消え去ったことを、内外にアピールするものだと、一般的にはそう考えられていたが、しかし妙なのである。アムゼルバ・アルケメニア・イグノリウスという長ったらしい姓は、アーリグリフどころか現存するシーフォートの記録にも、その切片も見いだすことが出来ない。彼はその姓を、どこから得たというのか。

 「テンペストは、野心家デアッタ」

 クロセルはそう語る。

 「己ガ歴史ニ名ヲ残スコトヲ考エ、ソノ為ニ解禁ヲ行ッタ」

 焔の継承とは、人とドラゴンが結ぶ契約。通常はエアードラゴンの力を自分のものとするために行うものだが、それは古代、神聖な儀式であった。現在の、ただの協力関係などではない。それは、下級ドラゴンが行える儀式ではなかった。
 ヴォックスがアーリグリフ随一の武将と呼ばれる以前、彼は全く戦力にはならなかった。記録に残せる筈もないが、当時の戦に戦略士官として従軍していたラッセルにすら、その拳で殴り倒されている。あまりの弱さに、ラッセルはてっきり影武者か何かだと思いこみ、首を獲ろうとする部下達を抑えて、放置した。
 勇気が無いとか、そんな問題ではなかった。ただ単純に、武人を名乗るには弱すぎた。
 そのヴォックスが、あれほどの武力を得たのは、焔の継承の後だった。そして、その名を変えたのも。

 「真ニ力ヲ求メルナラバ、アルベル。貴様ハ一度、死ナナケレバナラナイ」



[367] 54
Name: nameless◆139e4b06 ID:c5591200
Date: 2010/12/07 23:40
 盛者必衰の理は、FD世界に於いても例外ではない。
 始まりは、ルシファー・ランドベルドの異変だった。彼は自らが支配する世界の中の、ある一つのキャラクターに固執するようになり、やがてその影響は業務にまで及んだ。ロストシティを合法的に支配する、大企業としての地位すらも、隣接都市のオルペウス社の台頭によって危うくなる。
 スポンサー、傘下企業、そしてスフィア社の社員ですら、次々と離反の姿勢を見せ始めた。スフィア社は既に、沈む太陽だった。
 だからこそ、エターナルスフィアの復活は必要とされた。以前些細なバグが発生した時、些細ではあるが類を見ないバグに、スフィア社は危機を感じ、凍結させた。しかし何度と無く議題に上った再開の話も、社長であるルシファーによって切り捨てられ、時が過ぎる。そしてようやくルシファーが折れ、記念イベントの企画が進められた。
 スフィア社にとっても、これは存亡を賭けた戦いなのだ。しかしその相手は、たかがゲームのキャラクターなどではなく、その向こうから恐ろしい目で品定めをする、プレイヤー達だった。
 誰一人として、フェイト達を敵だと思ってはいない。

 (……ああ、そうだろうよ。そうだとも)

 ソロンは首を振った。
 もはやルシファー・ランドベルドにとって、スフィア社などというものは何の価値もない。彼の精神は、既にあの頃とは別物だと感じた。
 背後で音がして、てっきりベリアルが戻ってきたのかと振り向くが、ソロンは閉じていた唇を思わず開いた。

 金髪の男が立っている。手には巨大な槍を持ち、うつろな目で、どこか彼方を見つめていた。
 例えその槍に貫かれても、自分は痛くもかゆくもない。ゲームオーバーになっても、管理者コードで即座に復活することが出来る。
 (それなのに……何ビビッてんだよ、俺は……!)
 目の前の彼に、自分をどうこうしようというつもりはないだろう。ただ、自分が勝手に恐れているだけだ。それを理解していながら、ソロンはやはり、恐怖を拭いきれない。
 まるで、地獄の裁判長の前にでも立たされているかのようだった。

 「久しぶりだ……」

 彼はふと口を開け、そんなことを呟いた。一瞬理解できなかったが、ソロンはすぐに、それが自分へ向けた言葉でないと気付いた。ルシファーの目には自分は入っておらず、ただ一人……いや、ただ一個のキャラクターしか見ていない。

 「知っているぞ……フェイト。お前は大好きなんだ、この私のことが」

 一体誰が、ルシファー・ランドベルドを是正出来ようか。
 彼の異変は、フェイトが原因だ。それははっきりしている。しかし、それが分かったところで、何がどうなるというのか。
 フェイトを抹消しても、ルシファーが戻ることはない。ルシファーは異変を経たが、それによって“異常”になったのではなく、ただルシファー自身の“正常”が変移しただけだ。天才の名を恣にする彼に、もう一度そんな異変を起こさせる方法を探すことは困難であり、ルシファーは恐らく、死ぬまでこのままだろう。
 それに加え、フェイトを抹消した時にルシファーがどんな行動に出るか、という想像したくもない問題がある。喪失感から今度こそ本当に精神を狂わせ、スフィア社にとどめを刺してしまうかも知れない。

 能力は劣るが、先代の息子ベルゼブルに社長をさせようかという案も密かにあるが、ベルゼブル本人にはどうやらその気がないらしい。

 スフィア社を生かすも殺すも、今やルシファーのみが行えることだった。

 ソロンは必死に、言葉を探していた。元々社長と会話することなど多くはなく、今では尚更だ。連絡があるときも、全て妹のブレアを通して伝えていた。
 今となっては、それが悔やまれる。自分はあまりにも、ルシファーの人格について無知だ。確実に大人しくさせておく言葉が、見つからない。

 「兄さん」

 そしてようやく、ブレアが姿を現した。実の妹の声にもかかわらず、ルシファーは何の反応も示さない。
 「まだ早いわ、兄さん。再会は、取っておきましょう?」
 再び、声を掛ける。
 ルシファーが背を翻し、歩き出したのは、彼女の言葉に従ったからではない。ルシファーを止めることなど、誰も出来ない。
 例え真正面から、ブレアの悲痛な表情を見据えることになったとしても、何一つ揺るぎはしないのだろう。





 何とか地面に足をつけたフェイトは、穴が空いた自分の腹部を見下ろす。
 内蔵も……心臓すら、自分には存在しない。血は流しても、大したダメージではない。自分は既に、どこをどう切り刻まれようとも、ただのデータの塊でしかないのだ。
 身体は随分と軽くなっている気がした。

 「……頑張らないと」

 翼を発現させつつ跳躍し、城壁の上に立つ。そして自らも、眼下の戦場へと飛び降りた。

 ガイアを埋め込んでいないフェイトは、その代わりに、神格化されたもの、幻想とされるものを取り込んでいた。必要となれば、それらの存在の力を少しだけ借り受け、自らの武器とする。そしていざ解放すれば、実物大の大きさになって出現する。
 しかし、神々ですら、作られた者でしかない。既に半数以上は狩られ、随分とその数を減らしていた。

 名乗りはしない。
 フェイトは身体を傾けると、低い姿勢で走り出し、そして目の前に倒れる神の一柱、その巨大な骸を飛び越えた。そのまま剣を振り上げ、骸の向こう側、最も近くにいたキャラクターの頭上へと、刃を振り下ろす。
 一息ついて回復しようとしていたその剣士は、恐らくPCの前で呆然としているだろう。どこからともなく現れた敵キャラクターが、登場シーンの演出すら無視する形で、あっという間にゲームオーバーをもたらしたのだから。
 既に付近の戦闘は一段落しており、BGMも平常に戻っている。それなのに、突如として出現したその青髪のキャラクターは、刃を次々とプレイヤー達に向けていく。戦闘BGMに切り替わらなかったことで、ベテランプレイヤー達ですら、大部分が反応できずにいた。
 二人目の腹部に突き刺し、刃を持ち上げて脳天まで跳ね上げる。
 三人目は引きずり倒し、刃を振り下ろして首を飛ばす。
 そこで漸く、反応があった。

 「いたぞっ、青髪だ!!」

 誰かが叫んだ。何の捻りもないあだ名だな、と、ぼんやりと聞き流しつつ、背後の四人目を薙ぎ払う。が、剣を振り切ったところで、左肩に矢が突き刺さった。

 (流石に、容易じゃない)

 しかし、その矢は避けようと思えばギリギリで避けられたものだ。それをわざと受けたのは、確認のためだ。矢が放たれた場所に目を向けると、アーチャータイプのキャラクターの頭部が、さっき自分を貫いた釘で串刺しにされている。

 (……やっぱりか)

 フェイトは、勝ち目が少しだけ……ほんの毛ほどではあるが、確たるものに近づいたのを感じた。
 例えここで剣を放り投げ、全ての防御を無効にしてしまったとしても、生き残るのは自分なのだろう。
 しかし、そんなことは出来ない。出来るはずがない。
 死んでも御免だ。





 例え正規の出入り口でなくても、城壁の内側へと侵入することは出来る。その発想が出来、そしてそれを実行に移せるかどうかというのも、素人とベテランとの違いだった。
 城壁の隙間に、使い捨てに出来る初心者用の斧や剣を突き刺していき、それを足掛かりにしていけば、少々時間はかかっても、防壁を無視して容易に忍び込めた。

 門のすぐ内側で、赤い髪の隠密と、金の髪の男が話している。

 「何だ? どういうことだ? っつーか、侵入するヤツなんていねぇんだが」
 「アタシも知らない。ただフェイトが言うには、全員西門に集合しろって」
 「西門? 確かレナスだったな。ミラージュとマリアには俺から連絡できる。ネル、お前は時計塔の二人に知らせてくれ」
 「ああ、そうさせてもらうよ」

 すぐに、赤髪の隠密は街の中心部へと走り出す。
 流石に、二人同時に仕留めるのは無理だろう。そう判断して、ネルが去ったのを見届けた後、音も立てずに城壁から飛び降りる。

 「?!」

 身体を空中に放り出した瞬間、男はこちらを振り向いた。しかし、驚愕した様子はない。飛び上がり、こちらを迎撃しようとする。
 襲いかかってきたのは、右拳。大きく上方から振り下ろされたそれは、地面へと叩き落とす軌道だ。両腕で防御し、ダメージを抑えたが、消す術のない衝撃によって、急速に落下する。それでも、着地は出来た。
 「……おい、お前」
 クリフは目の前のキャラクターに向かって、人差し指を突き出す。
 「悪いが、こっちはもう待ちくたびれたんだ。大人しく城壁の外に行くんなら、見逃してやる。ほれ、さっさとどっか行け」
 「……駄目だねぇ」
 全身を黒い鎧で包んだ男は、両手に鉄鞭を握りしめると、軽く石畳を叩く。
 「久馬連統頭領、バンコ見参。そんじゃいくよぉ、4万さんよぉ」





 「ガイアってのは、前にフェイトが言った通り、創造主の一人だ。と言っても、殆どバグチェックをしてただけだったらしい。そいつの魂は今、ゲームの……つまり、この世界に取り込まれてるそうだ」

 話している間も、警戒は解かない。城壁の外側では激戦が繰り広げられているらしいが、その喧噪を縫って、侵入してくる者がいないとも限らない。
 アレックスはソフィアを振り向かないまま、話を続けた。
 「フェイトのこれまでの旅は、それを……ガイアが密かに仕込んだ、あのDISCを……集めるのが目的だった。創造主に対抗するために」
 ソフィアはふんふんと頷いている。
 アレックスは頭に浮かんだ疑問を、目の前の少女に打ち明ける気にはなれず、適当に与太話へと移行した。

 彼が抱く疑問は、ガイアの必要性。
 サウザンドアイズ、と言うからには1000ありそうなものだが、流石にネタ切れだったのか、ガイアのDISCは900にも満たない。いや寧ろ、それ程の種類を作り上げ、秘密裏にこの世界に仕込んだことに驚嘆すべきか。どちらにしろ、集めたガイアはその殆どが、エターナルスフィアと呼ばれるあの世界に残されている筈だ。
 フェイトは何故、あんなものを集めたがったのか。創造主に対抗する能力が必要だというのなら、少女達に埋め込まれた三枚で十分だろう。何故集めたのか、そして何故、持ってこなかったのか。一つや二つ、全員に埋め込んで、戦力を少しでも強化するべきだったのではないか。
 以前、ふとイセリアに尋ねてみたことがあったが、知る必要はないと、たったの一言で片付けられてしまった。恐らく彼女は心当たりがあるのだろうが、それが四天王全員が共感するものなのか、それも不明だ。
 フェイトの様子からして、ソフィアをここに連れてくる予定ではなかったのだろう。それを考えると、三枚のDISCすら、必要だったのか疑わしい。

 (何を迷ってんだ? 俺は)

 アレックスは、自分の中でフェイトへの疑念が、靄のように拡散していくのを感じていた。今までだって、特に理由を説明されずに命令だけを受け、自分はそれを遂行するだけという、そんな状況は山ほどあった。今回も、それと同様に過ぎない。
 今になって、何故そんな心が生まれてしまったのか。寄りにもよって、このタイミングで。

 (……来ねぇかな、敵)

 本来願うべきでないことを、願う。忘れさせてくれるものが必要なのだ。
 戦いの中では、雑念が吹き飛ぶ。

 そう、雑念が……。

 ドォンッ

 重たい銃声だった。
 ソフィアの身体を掴み、アレックスは時計塔の窓から、隣の建物の屋上へと着地する。その軌跡を辿るように、銃弾が壁や木枠にめり込んだ。

 (イヤになる……)

 戦いの中でだけ、自分はまるで聖人か悪魔のようになれる。それも全て、FD人によって作り上げられた特徴なのだろうが。体中の血が抜けていくように、すぅっと脳細胞が氷と化し、純銀の世界を作り上げる。
 火炎は、融けない氷の中で赤々と燃え盛る。まるで自分の中の二面性が全て乖離し、決して向かい合うことのないコインの裏と表が、顔を合わせるかのように。

 同じく屋上に降り立った襲撃者を目にしたソフィアは、絶句した。
 髪の色も違う。着ている服のタイプも違う。肌に施されたタトゥーの有無も違う。
 しかしその姿形は、アレックスそのもの。
 色違いのアレックスとも言える姿が、そこにはあった。

 「久しぶりだなぁ、アレックス」

 ジェイクと言う名のPCは、軽く両手を広げた。その手に握るのは、二丁の大型拳銃。
 「……」
 アレックスは応じない。目の前の、自分に瓜二つのPCを操作しているのが誰か、それくらいは想像が付いている。

 この大柄な肉体も、髪型も、あの太い腕も、タトゥーも、全て同じ少年の嗜好によって作成されたもの。

 「おい、何か言えよ? ご主人様との対面だぞ」

 彼は……フラッドは、心からこのゲームを楽しんでいる。彼の言葉は、返答を求めてのものではない。ただ、このシチュエーションを、心から楽しんでいる。
 まさしくロール・プレイング・ゲームだ。
 「……色々、言いたいことがある。テメェには」
 アレックスは神魔銃を握ると、ソフィアの前に立つ。
 「何も言ってやらんがな」

 刹那、ジェイクの首筋に切れ目が走る。血は吹き出ない。
 彼は両手に拳銃を握ったまま、俯せに倒れ伏し、そのままデータとなって霧散した。

 斬撃の正体は、ネルによる死角からの黒鷹旋。

 「二人とも、無事かい?」

 隣の民家の屋根から屋上へと飛び移った彼女は、周囲を見回しながら尋ねる。銃口を虚空に向け、呆然とするアレックスがいた。
 「ねぇ、聞いてんのかい?」
 「……ネル……お前……」
 「何だい、敵だったんだろ? 殺ったら不味かったかい?」
 「いや、不味くはねぇけど……何というか……俺のこの宙ぶらりんな殺意を、どこへ向ければいいのやら……」
 「とにかく、フェイトからの伝言だ。持ち場を捨て、レナスのいる西門へ向かえってさ」

 確かに、相手は倒すべき敵だった。しかも、自分にとっては因縁の。
 勝敗など、自分の中では問題ですらなかった。ただ、決着を付けるための行動だった。

 「あー、まぁ、しょうがねぇか」

 へら、と、アレックスは嗤う。氷が融け、火炎が沈んだ。

 「そんで? それを、他の三人には伝えたのか?」
 「クリフには伝えた。あいつが、マリアとミラージュにも伝えておくってさ」
 「そうかい。んじゃ、俺たちはさっさと西門に向かった方がいいな」





 最初のゲームオーバーが発生してから、二十六分が経過していた。
 三十四分後、雲霞の如く消滅したプレイヤー達は、怒濤の如く復活してくる。残るプレイヤーはほんの僅かだが、スフィア社の創造主たちを引きずり出すには、全てのプレイヤーを葬らなければならない。
 フェイトが発現させた神々は、既に全滅していた。幸いにして、城壁内側の仲間達は無傷で済んだが、問題はここからだ。
 全てのプレイヤーが葬られるなどということは、スフィア社の想定外の事態である。プレイヤーの総数がある程度少なくなった時点で、彼等は攻略を中断し、逃げに徹する。そしてゲームオーバーとなったプレイヤーの復活を待ち、再度攻略を始める。向かってくる敵ならまだしも、逃げに徹する敵を仕留めるのは、容易なことではない。いや、ゲームシステムの問題として不可能だ。追っ手が少人数ならば、尚更だ。
 フェイトにとって打開策は、創造主が自発的に出現すること。
 ルシファーは先ほど、フェイトに攻撃を加えようとしたプレイヤーに対し、明確な攻撃を仕掛けた。それを止められるかがスフィア社のミッションだとすれば、彼等は見事に失敗してしまったことになる。

 「……フェイトさん……」

 レナスの声は、決して明るいものではなかった。
 死体など、残る筈もない。しかし周囲に散らばるアイテム群と、傷だらけの地形……そして何より、フェイト自身の状態を目にすれば、戦闘の凄まじさは明らかなものだった。
 入ってくる敵を迎え撃て、そう言われた。しかし何故、ほんの少しだけでも、自分はそれに逆らおうとしなかったのだろう。分厚い木製の扉を隔てたそこでは、彼が、こんなにも傷ついていたのに。レナスは静かに、指先に力を込めた。それは悲しみの感情であったが、フェイトへの怒りも混じったものだった。

 「……皆」

 一人、孤独に立つフェイトの、血にまみれた唇が開かれる。
 「現れた、ついに。彼等が、彼等こそが……そうだ」
 剣の切っ先が、前方の草原へと向けられた。

 暗い色のスーツに身を包んだ、数人の男女が、横に並び、静かにこちらを眺めている。ある者は頭をかき、ある者は腕を組み、またある者は、じっとフェイトを凝視していた。
 その男は、際立っていた。
 巨大な槍を握り、中央に立つその男は。虚ろであった瞳が、フェイトの姿を捉えた途端に、息を吹き返したように輝いた。その視線はフェイトを捉えてはいたが、他の誰一人へと動くこともなく、まるで失っていたおもちゃを、押入の雪崩の中から見つけ出したような視線だった。

 レナス達が彼等を確認した途端、その男は……ルシファーは、走り出した。
 駆け出したのでも、突進してきたのでもない、ただ、我を忘れて……無我夢中であるかのように、フェイトに向かって走り出した。
 その姿には全く、微塵の敵意すら感じられなかった。レナス達も、攻撃するか否かの判断が遅れる。しかし唯一、フェイトだけは、剣を握る手に力を込めていた。

 「……おおおおっっ!!」

 フェイトの雄叫びによって、まるで金縛りが解けたかのように、アレックスとマリアが反応した。ほとんど脊髄反射と言ってもよい速度で銃を向け、引き金を引く。襲いかかる二筋の光線にも、ルシファーの表情は変わらなかった。
 光線は二つとも、ルシファーの身体の上を滑るように曲がり、彼はそれらを置き去りにして走る。弾かれた光線はどちらも、背後のスフィア社の面々へと向かったが、それらもあっさり防がれた。そして同じく、自らの社長の突然の行動に唖然としていた社員達も、一斉にルシファーの後を追う。
 走り寄るルシファーに対し、フェイトは爪先で地面を強く蹴り、跳躍するように駆けた。一歩、二歩、三歩、四歩目で、間合いに入る。そしてフェイトは、転ぶように頭を下げると、低い姿勢から刃を振り上げ、そのままゴロゴロとルシファーとすれ違った。刃は、ルシファーの脇腹から胸にかけて、一直線に切り裂いていた。
 回転を止め、フェイトは振り向きながら立ち上がる。しかし、その時既にルシファーは
間合いどころかフェイトの鼻先にいた。思わず剣を振りかぶろうとしたが、ルシファーは両手を広げ、まるでペットか何かを抱きしめるように、フェイトの身体を抱き寄せた。

 「……お帰り、フェイト」

 斬りつけられたことなど意に介さず、ルシファーはそっと、労うような囁きを、フェイトの耳元に与えた。



 ……何だと?
 今……今、ルシファーは何と言った?
 お帰り、だと?
 明確に叛逆の意志を見せた下僕に対し、お帰り、だと?
 帰る意志を示さない者に対し、お帰り、だと?



 「ごめんなぁ、フェイト……痛かったろう?」

 腹部の傷跡付近を、優しい指使いで撫でながら、彼は再び囁く。その刹那、フェイトはその手を払いのけ、ルシファーを足で押しのけた。蹌踉けるルシファーの後方から、二つの影が飛び出す。アザゼルと、ソロンだった。
 アザゼルの光線剣が、ソロンの片刃剣が、同じく蹌踉けていたフェイトを襲う。尻餅をついて逃れるフェイトだったが、完全には避けきれず、肩と腕に傷を負った。二人はフェイトの背後に立つと、それぞれ得物を振りかぶりつつ、第二撃を与えようと振り返る。

 何も出来なかったレナス達は、ハッとして、目の前に転がってきたものに目を向けた。

 アザゼルとソロン、二人の、胴体から切り離された二つの頭。胴体も頭も、すぐにデータの霧となり、どこかへと四散した。
 スフィア社員が動けなかったのは警戒からであり、レナス達が動けなかったのは驚愕からだった。
 二人の首を跳ね飛ばした、その刃の持ち主は、ルシファーだった。
 暫く俯いていた彼は、やがて笑顔を浮かべて顔を上げると、再びフェイトへと近づいていく。

 レナス達は仲間割れかとも考えたが、スフィア社の認識は違った。
 アザゼルとソロンは、フェイトを傷つけた罪で、粛正されたのだ。それはルシファーにとって、自分にだけ許された特権なのだから。このおもちゃを自由に出来るのは、自分だけであるべきなのだから。

 「さて、フェイト……」

 ルシファーは得物を地面に落とすと、そっと、迎えるように両手を広げた。

 「やっと、二人きりになれた……会いたかった」

 既に、そんな台詞が自然に出るまでに、彼の精神は達していた。フェイト以外も見えてはいるのだろうが、まさしく空気と同じく、何ら関心を払う対象とはなり得ない。

 「ずっと、ずっとだ。お前と会えなくなってから、ずっとずっと、会いたかった。ずっとずっとずっとずっと。ああ、そうだ。お前はずっとずっと、可愛くなり続けた。そしてお前は今、こんなにも可愛い。これからも、私の予想を遙かに超えて可愛くなり続けるのだろう。私はもはや、お前から離れられない」

 芝居のように語り続けるルシファーに向かい、フェイトは剣を振り上げて斬りつけた。その刃を、笑顔を崩さぬまま避ける。続いて襲ってきた蹴り足も、拳も、ルシファーを傷つける事は能わない。そしてルシファーの両手が、フェイトを捕まえようと狭まるが、身体を捻って避けられた。ルシファーは蹌踉け、膝をつく。そして、苦笑いを浮かべた。

 「……可愛いな、やはり。お前は」

 ここが遊びの場であるように、ルシファーは、遊んでいた。

 「……やべぇな」

 声を出したのは、アレックスだった。レナスは彼を振り返る。
 「……フェイトがあんだけ動揺するなんざ、初めて見た。ただ、あの金髪が強いからとか、そんな理由じゃねぇ。……予想外すぎたのか?」
 レナスは、フェイトの表情を見た。
 表面的には、何の変化もない。いや、何の感情も表してはいない。彼の表情は、その中身まであとほんの、皮一枚というところまで削られていた。
 フェイトはそっと、右手で自分の顔を撫でた。覆い隠すような動作にも似ている。

 「皆」

 そしてそのまま、レナス達へと語りかけた。
 「先走った……ごめん」
 「フェイト」
 ルシファーの呼び声が、フェイトの声を遮る。
 「こっちを向いてくれ。私を見てくれ。ずっとずっと、寂しかったんだ」
 一方的な語り……告白にも似たものだった。
 レナス達にとっても、目の前のルシファーという人物は、創造主の長とも呼べる人物は、予想外のものだった。冷酷非道、血も涙もない人間として、その印象が固められていた。しかし、目の前の彼は違う。ただ、子を愛するかのように、ひたすらにフェイトを愛する、普通の……寂しさも、大切なものも知っている、普通の人間だった。
 「私はもう、ただ……お前と一緒にいられれば、それでいい。さあ、フェイト。戻ろう」
 ルシファーは、両手を広げた。
 「エターナルスフィアへ……私の、永遠の理想郷へ。心配するな、誰にも邪魔はさせない。スフィア社にも、一切干渉などさせない。私はお前と、私の理想郷で安らかにいられれば、それで満足だ」

 あまりにも自然に語られた言葉は、しかし、重大なものだった。
 スフィア社の面々も、レナス達も、その重大さに気付くのに、暫しの時を要す。が、やがて徐々に、驚愕が広がっていった。

 「……今のって……」
 レナスは呆然とした声で、皆を振り返る。
 「……何だと? つまり、独立を認めるってことか?」
 「そうとしか、取れませんね」
 「本当に? それを信じていいの?」

 突如として、高らかな笑い声が聞こえた。

 「これはいいっ、とんだ笑いぐさだっ!」

 その男は、城壁の上に立っていた。全身を包む黒い鎧に、手には鉄の鞭。その鎧が解け、内部から一人の男が現れた。
 ベルゼブルだった。
 「まったく、とんだ笑いぐさだわ」
 城壁から飛び降り、レナス達の目の前に着地する。
 「スフィア社の社長ともあろう者が、何? ただのショタコンに成り下がったってわけぇ? ……冗談じゃないわ」
 先代の社長の息子であるベルゼブルが、役員に甘んじていたのは、スフィア社を心から大切に思っていたからだった。そしてスフィア社のためを考えたからこそ、ルシファー・ランドベルドの社長就任にも異を唱えなかった。彼が社長になることが、スフィア社にとって最善だと判断したからだ。
 彼がフェイトに執着するようになり、業務にまでその影響が及び始めた時も、その思いは変わらなかった。所有物に対するあの執着心は、ルシファーにとって初めての経験だったのだろうが、その変化は寧ろ、今後に役立つものだと感じた。
 しかし、今、ルシファーはその所有物に対し、あろうことか、懇願とも取れる発言をした。彼は、ただの所有物に対する以上の感情を、フェイトに対して持ってしまっていた。
 今、この時、ベルゼブルはルシファーを見限った。

 スフィア社にとっても、容認できるものではない。

 これからエターナルスフィアを復興させ、失い掛けた権能を取り戻そうとする矢先に、開発責任者があっさりと、エターナルスフィア放棄を宣言したのだ。ルシファーになら、それが出来る可能性がある。彼がもし、かつての何件かの事故例と同じく、エターナルスフィア内に精神を移行させるつもりなら、当然、干渉を受けないように強固なプロテクトを、内側からかけてしまうだろう。そうなれば、世界中のコンピュータを破壊でもしない限り、エターナルスフィアは存在し続けることになる。莫大な資本を食い荒らす、スフィア社どころか、ネットに関係する全てにとっての、お荷物として。

 「さあ、フェイト……」

 周囲のことなど微塵も意に介さず、ルシファーは、フェイトに向かって誘うように手を伸ばした。
 しかしその途端、ルシファーの身体が変色した。一瞬で色彩を失い、表情も動作も、何もかもが停止し、そしてその身体は、景色に塗りつぶされるようにかき消える。

 「させないわ」

 その声に、ベリアルは目を細める。

 「ごめんなさい、兄さん……。でも、私は、もう……これ以上、見てはいられないの」

 ルシファーのいた場所には、一人の女が立っていた。その周囲には、彼女を守ろうとするかのように、二つの球体が漂っている。
 「いいのか? ブレア。社長は……」
 「いいのよ。兄さんでも、ここに戻るまでに十分はかかる筈。それまでに、全て片付けるから」
 「……そうか」
 ベリアルは両肩にミサイルランチャーを発現させた。
 「お前に覚悟があるのなら、私も付き合おう。スフィア社のためではなく、お前のために」

 ランドベルド兄妹がスフィア社に来る前から、ベリアルは、二人を見ていた。
 とある有力者の妾腹で産まれた兄は、世のあらゆるものに嫌悪と憎悪を示したが、その妹はただ、兄の後ろを歩き、兄の背を見て育った。ブレアの視界にはいつも兄の背中があり、周囲は、その兄の行いとそれがもたらす結果が散乱していた。
 しかし妹は、初めて、兄の背を追い抜いて、兄の前に立った。その兄に、背中を刺される危険があると分かった上で。

 「……なんか、よくわかんねぇけどよぉ」

 アレックスは神魔銃を軽く回すと、肩に預ける。
 「要するに、本番ってことか? なら俺も、そのつもりでいかせてもらうが」
 わざとそんな無駄台詞を使ったのは、レナスやソフィアを気遣ってのことだった。例え能力があろうが、その戦闘経験の浅さは否めない。不意打ちで引き金を引くべきなのだろうが、そんなことをすれば、出遅れてしまう可能性もある。
 いわば、位置について、という合図の代わりだった。

 「フェイト。付き合ってあげるわ、あなたのお遊びに。悔いなく、死になさい」

 「……ああ、そうだ、そうだ。終わりに……するんだ……」

 まるで誰かに言わされているかのように、フェイトは呟くと、のろのろと剣を持ち上げる。

 「そうだ……最後なんだ……最後の……」

 ベリアルのロケットランチャーが、爆音を上げた。



[367] 55
Name: nameless◆139e4b06 ID:c5591200
Date: 2010/12/07 23:44
 最大の問題は、FD人がアバターであることだった。
 フェイト達は死ねば、それまで。しかし創造主達は、ただのゲームオーバー。そして、システムを弄れば、いくらでも復活出来る。
 それに、どう対抗しようというのか。

 (……わかっているのだよ、フェイト。私には)

 ベリアルはフェイトを憐れむ。
 たった一人真実を知り、たった一人で戦いを挑み、そしてたった一人で敗北して、たった一人で、世界と世界に生きる全ての命の命乞いをした。ルシファーがその命乞いを受け入れたのは、ただの気まぐれに過ぎない。
 体のいい、玩具だった。弄ばれ、辱められ、そしてそれすら飽きられると、今度はウィルスバスターとしての使命を課せられた。
 ルシファーを逆に虜にしたが、それはただの、個人的な復讐だろう。
 今、ブレアは兄を超え、スフィア社の社長に足る資質を見せつけた。ルシファーが廃人になったとしても、ブレアさえいれば、スフィア社は何の問題もなく存続する。

 (……疲れたのだろう?)

 人として存在し続けるには、あまりにも長い年月を、彼は過ごさなければならなかった。あらゆる世界の人間と関わり、その秩序を守るために、やりたくもないことを延々とやり続けなければならなかった。
 誰からも評価されず、誰とも信頼関係を構築出来ず、誰にも言い訳できなかった。
 ある時は神の使い、ある時は悪魔、ある時は狂乱者。100もの世界を渡り歩き、星の数ほどのキャラクターを削除し、そこで得たあらゆるものも、跡形も残らず風化する。

 自分は、それに耐えられるか?

 不可能だ。

 フェイトには、終わりなどない。死という救済がない。忘却という幸福がない。
 己の人格を消去することも出来ない。
 いつだろうと、優しい青年であり、それ以外の何者にもなれなかった。

 いつしかベリアルは、そんな彼に対して、憐れみを催すようになっていた。

 所詮ゲームキャラといえども、彼は確かに、生きているのだ。その苦しみを、全て背負って。その思い出に、心を締め付けられて。
 粉雪の如く、消してやりたかった。それが情けだと思った。
 しかし、果たして……自分以外に、そう考えている者はいるのだろうか? 少なくとも、この場には?

 「アハハハハハハッ!」

 ベルゼブルの笑いが聞こえる。彼の鞭は幾重にも分かれていたが、その大半はフェイトへと向かい、牽制するように時折レナス達へと向かう。フェイトさえ倒せば、相手は瓦解するだろうという判断だけではなく、ルシファーの玩具を壊してしまいたいという、歪んだ欲望もあるのだろう。
 ベリアルはロケットランチャーを構えていたが、あえて攻撃に加わろうとはしない。ベルゼブルと、そして、二つの球体を自在に操り、レナス達を攻撃するブレアを眺めていた。他の社員達は、言ってみれば補助のようなもので、遠巻きに取り囲みながら、プレッシャーを与えている。
 あえて今、攻撃に加わる必要はなく、また、攻撃に夢中の二人を、余裕をもって観察していた。
 観察した上で、導き出された結論は、一つ。勝利だ。
 アザゼルとソロンは未だ復帰しないが、何か理由があるとしても、それは些細な問題だろう。ブレアとベルゼブルの二人だけで、フェイトの始末までは不可能だとしても、勝利と呼べる状態まで持ち込むことは出来る。もうすぐ復帰するプレイヤー達に、生き残った満身創痍のフェイト達を狩らせ、そこでイベントは終了。エターナルスフィア本格再開の目途は立つ。
 勝負にすらならないのだ。
 それでもフェイトが戦いを挑んだのは何故か?
 死を願ったのだと、ベリアルは考えた。

 (かつて創造主に挑んだ仲間達と、再び創造主に戦いを挑み……そして死ぬ)

 わからない、と、ベリアルは思う。そんな事をして、何になる?
 しかし、考えることこそ、無駄なのかも知れない。永遠とも取れる年月を過ごしてきたフェイトは、言ってみれば、自分たちよりずっと年長者だ。その思考など、理解できなくて当然ではないだろうか。
 たかが自分一人が死ぬためだけに、ここまでのお膳立てをして、たかが自分一人の満足のためだけに、孤独でない戦いの中で死ぬ。

 (本当に、それを望んでいるのだとすれば……何と哀れな)

 ベリアルは、己の手で、フェイトにとどめを刺すことを決めた。





 「ったく……何やってんのよ、あの筋肉は!」
 忙しなく引き金を引きながら、マリアは毒づく。さっきの連絡の後、急いで来てみれば、肝心のクリフはどこにもいない。既に戦死している、などという暗い予想をはね除けるべく、彼女はただ、悪態をつくしかなかった。
 目の前に球体が迫り、マリアは頭を下げて避けると、ブレアに向かって引き金を引く。が、彼女の周囲に展開しているバリアは、それを難なく防いでしまった。

 果たして、本当に、勝てるのか?

 球体を避けきれず、槍で防ぐレナス。拳で弾くが、手応えのなさに歯をかみしめるミラージュ。ブレアへの直接攻撃を狙うも、隙を見出せないネル。
 彼女たちも、同じ思いなのではないだろうか。
 相手は、正真正銘の神様だ。神頼みする相手であり、無意識に頼りにしてしまう存在。比喩表現でも何でもない。
 アルティネイションを使うべきか、そう考え、フェイトを盗み見たが、彼はベルゼブルの相手で手一杯のようだ。やはり、戦いの中で負ったダメージは相当なものらしい。まだまだ余裕のありそうなベルゼブルに比べ、動きにキレが無くなってきている。

 「危ねっ」

 アレックスは左手を伸ばすと、マリアの襟首を掴み、引き寄せる。すぐ傍を、球体が掠めていった。
 「おい、ぼさっとしてんな!」
 「ええ、そうね。……余裕はないし」
 じり貧だった。何より、クリフという肉体派が一人欠けてるのが痛い。いや、それよりこの状況では、戦力の欠如というのが不味い。
 こちらは誰一人、欠けていい人間がいないのだ。

 (フェイト、どうすればいい?)

 敵の攻撃を避けながら、アレックスはフェイトに合図を送る。しかし、防戦一方の彼は、その目で「現状維持」を示してきた。

 (ちょっと待て……どういうことだ、そりゃ!?)

 この状況を打開できるのなら、捨て石になってもいい。そう考えていたアレックスにとって、その返答は容認できないものだった。
 玉砕上等、相打ちなら御の字。密かに、自分が今回同行させられたのは、死ぬためだとすら考えていた。
 フェイトが実はまだ余裕があり、この状況をひっくり返せるような裏技を秘めているのなら、構わない。しかし、そんなものがあるとすれば、この状況で使わずにいつ使う?
 はっきり言って、今は皆で、仲良く並んで綱渡りをしている状況だ。一人が脱落すれば、その余波は全滅の危険すらはらむものとなる。

 現状維持などということになれば、まず間違いなく、全滅。この中の誰か一人の死を切っ掛けとして。

 「ざまぁないわねぇっ、フェイト!」

 嘲笑しながらも、ベルゼブルの鞭は止まらない。スフィア社にも、急がねばならない理由があるのだ。ルシファーが介入すれば、どうなるのか予想も付かない。
 最早、プレイヤーのことなど考えてはいられなかった。ベリアルとベルゼブルという、最高幹部たちの間で、ルシファーを廃してブレアを擁立することが決定された以上、このイベントを放棄しても、それほどの問題はない。ルシファーが遺した、負の産物とも言うべきフェイトさえ始末すれば、エターナルスフィアはまた再開できる。プレイヤーへの埋め合わせは、後でじっくりと考えればよいのだ。

 皮膚が削ぎ飛ばされる。
 体中から血が飛び散る。

 フェイトの青い髪も、剣も、衣服も、既にその元の色を探すのが難しい程に、真っ赤に染まっていた。周囲の草も、大地も、その血に塗られる。

 そしてついに、彼の剣が砕け散った。

 「フェイトぉぉ!!」

 アレックスの叫びに、その場の殆どの人間が、彼に目を向けた。
 牙を砕かれたフェイトに対して、なおも、ベルゼブルの攻撃は止まない。数回連続で鞭を振るっただけで、フェイトは体中から血を滲ませながら、その場に膝をついた。

 フェイトが膝をついた時、それは敗北を示しているように見えた。

 そこでやっと、ベルゼブルの鞭が止まる。

 「……本当なら、プレイヤーに任せたいのだけれど」

 彼はフェイトから離れると、レナス達へと歩き出した。それに呼応するかのように、フェイトの元へと歩き出したのは、ブレア。

 「任せたわ」

 すれ違いざまにそう言うと、ベルゼブルは、駆け寄ろうとしたレナス達の目の前に立ち塞がる。
 「フェイトさんっ!」
 「おっと、お嬢ちゃん達。あんたらは別よ。せめてあんたらだけは、プレイヤーに倒して貰わないとね」

 「……『マイト」

 「ん?」

 「ハンマー』ぁぁぁぁ!!」

 上空からの襲撃だった。ベルゼブルはそちらを見ることもせずに、無造作に鞭を振るう。クリフの拳とベルゼブルの鞭が衝突し、弾けたが、押し負けて打ち落とされたのはクリフだった。
 「どっ!」
 落下してきたクリフを、慌ててアレックスが受け止める。
 「何だ、まだ動けたの? しぶといわねぇ、クラウストロ人は。パラメータの見直しが必要かも」
 その言葉が示すとおり、クリフの身体もフェイトと同じく、ボロボロだった。虫の息という表現が相応しい程に。先ほどの襲撃は、文字通り、絞り出すようにしてのものなのだろう。

 「だぁっ、畜生っ!」

 血塗れの顔を歪ませ、血塗れの口を開き、クリフが叫んだ。

 「畜生っ、畜生っ! 外した! 何だってんだ畜生! おいっ、アレックス!」
 「何だ!?」
 「戦況はどうなってんだっ、こりゃ!」
 「あー……いいとは言えねぇな」
 クリフをその場に座らせ、アレックスは周囲を見回す。
 相変わらず、情勢には何ら変化もなかった。こちらが不利で、あちらが圧倒的。例えクリフが万全のコンディションだったとしても、これは変わらないだろう。

 「さて、と」

 ベルゼブルは溜息のような吐息を吐き出し、鞭を納めた。それはもはや、使う必要がないということを意味している。
 「勝敗は、決したわ」
 そう言って、流し目で、ブレアとフェイトを見た。
 跪き、俯いたままのフェイト。その彼の前に立つ、ブレア。

 勝敗は決した……ベルゼブルの言葉のように、二人の姿ははっきりと、勝者と弱者を表していた。

 「……あの時を思い出すわ」
 ブレアの語りかけに、フェイトはピクリと反応を示す。
 「あの時。あなたがたった一人、私達に戦いを挑みに来て。そして、今のような状態になって。どうする? もう一度、命乞いでもしてみる?」
 命乞いをされようと、ブレアの気持ちは変わらなかった。彼がそのための言葉を吐いた瞬間、一刀両断に切り捨て、絶望を叩き付けてやるつもりだった。
 フェイトはのろのろと顔を上げる。しかし、そのまま横を向いた。
 「アレックス」
 急に名を呼ばれ、アレックスは目を丸くする。
 「クリフの状態は?」
 「え? あ……いや、ひでぇ怪我だが。命に別状は……」

 ゴッ

 球体が一つ、フェイトの横顔を殴り飛ばす。彼は首を大きく回しながら、その場に倒れ伏した。
 「随分と……」
 ブレアは必死で憤慨を隠しながら、心とは裏腹の笑みを浮かべる。
 「随分と、余裕なのね。フェイト」

 彼女の脳裏に蘇るのは、過ぎた日の茶番。
 反乱を起こした世界からの尖兵たちに協力するふりをして、彼等を偽りの独立へと導いたあの時。一歩間違えれば、エターナルスフィアの崩壊に繋がっていたかも知れないバグを、何の気負いもなく一個の物語として完結させ、結果的にエターナルスフィアの進化へとつなげてしまった兄に、戦慄すら覚えたものだった。
 そして、その尖兵の中の一人が再び反乱を起こした時。己の予想を超えた被造物に対してルシファーが興味を覚えた時、その予感はあった。これは、明らかな異物であると。
 現実世界では何の権能も持たない身でありながら、フェイトは、仮想世界の触れ合いによって、ルシファーを堕としてしまった。自らの虜とし、天上世界の住人を、地上へと引きずり落としてしまった。
 彼女は、この世で唯一の肉親を奪われた。

 (そう……それが、この男の復讐)

 最早、どうにもならない。どうにも出来ない。
 言ってみれば、彼は一つの勝利を手に入れてしまった。ルシファーを虜としたことで、自分と、彼への復讐を成し遂げた。ここでフェイトを消滅させても、ルシファーは元には戻らない。絶望して自ら命を絶つか、狂乱して周囲のあらゆるものを破壊しようとするか。
 しかし、前者ならばともかく後者は、ブレアが十分に止められる。それこそがスフィア社のため。スフィア社のコミュニティから、既に誰もが、ルシファー・ランドベルドを除外してしまった。

 (私は……妹として負けた。それでも……社長として……神として、勝利を得る)

 「わかる? フェイト」

 再び球体がフェイトを襲い、数発殴りつける。彼の身体はただ、その衝撃に対して力無く揺れるのみで、何の抵抗も行わなかった。
 また、血が飛び散る。
 しかし、ブレアは気付かなかった。フェイトがアレックスに見える位置で出した、指での合図に。

 「マリアぁぁぁっ!!」

 アレックスは叫ぶと同時に、銃口をブレア達に向ける。行動を阻止するような立ち位置だったアレックスが飛び退いたことで、マリアも反射的に銃口を振り上げ、一番近くにいたベルゼブルに固定した。
 ベルゼブルはマリアの攻撃を掌で払うが、低い姿勢で突進してきたミラージュの拳が、弧を描いてその顔面に衝突する。久々に、拳から背筋までを走る、クリーンヒットの感動。しかし、それで致命傷を与えられる相手ではないことは、彼女も理解していた。
 「……っのぉ!」
 事実、ベルゼブルは痛みではなく屈辱に顔を歪ませ、ミラージュへの反撃を行う。
 阻止したのは、レナスとネル。レナスの槍がベルゼブルの鞭を弾き飛ばし、ネルが高速で跳躍して、再び顔面に膝を叩き付けた。
 ダメージがなくとも、視界を奪われ、武器をこぼし、姿勢を崩され、ベルゼブルは行動不能になる。
 アレックスの光弾を弾いたブレアは、フェイトの右手が折れた剣を掴み、地面に突き刺すのを目撃する。

 (……そうか……!!)

 一瞬で判断を下し、ブレアは上方へと飛び上がった。一瞬遅れ、ベリアルも続く。

 「『チリアット・サークル……」

 手遅れなのは、二人と離れた場所のベルゼブルを除いた、他の社員達。

 「スフォルツァンド』」

 攻撃は、地中からだった。地面を突き破り、フェイトの周囲に無数の土の槍が出現する。
 足下で霧散する、無数のデータの渦。ブレアとベリアルは、土の槍を破壊しながら着地した。ブレアは無傷だったが、一瞬遅れたベリアルの脇腹に、土槍が刺さっている。
 「あなたらしくないわね、ベリアル。何か考え事でもしていたの?」
 咎めるような声に、ベリアルは軽く首を振った。
 「いや……少し、アザゼルとソロンの二人が気になってな。いくら何でも遅すぎる」
 「サボっているんじゃないかしら」
 「そうだといいんだが……」
 彼は、自分の脇腹を見た。どうやらシステムは、今のが致命傷だと判断したらしい。
 「ちょうどいい、二人を連れて戻る」
 そう言うと、ベリアルの身体も、データとなって消え去った。
 「まったく……恐れ入るわ、フェイト」
 フェイトの身体に、もはや急所などない。あるのは血液……膨大な情報量を孕んだ体液が、絶えず体中を駆け回っているだけ。あれほど血塗れになったのも、血液を飛び散らせて地面に染み込ませ、土を自分の支配下とするためだったのだろう。
 結果として、スフィア社の人間は二人だけになってしまったが、二度も使えるような簡単な技ではないし、また使えたとしても、既にタネが明らかになった手品のようなものだ。スフィア社員のプロテクトを擦り抜けるために、武器や攻撃として設定されていない自然物を利用したそれは、フェイト自身の重大なダメージと引き替えに行われた。
 「最後の一撃にしては……お粗末だったわね」
 ブレアは鼻で嗤う。こんな危険な手段が切り札だったのだとすれば、憐れみすら催す。
 「ああ……そう……だな……」
 フェイトは身体を起こすと、その場へ座り込んだ。両腕はだらんと垂れ下がり、もはや剣も、辛うじて握っているという様子だ。
 「もう……これ以上は、無理か……」
 そう言って、微笑む。

 (……やはり)

 その微笑みを見て、ブレアは諦めの笑みであると確信した。もはや彼は、有効な攻撃の手段を持たない。この笑みは、そこから読み取れる歓喜は、きっと……待ち焦がれた終焉の予感を持ってのもの。

 「全く……」

 警戒するレナス達の予想外に、ベルゼブルは冷静になっていた。反撃もしない。じっとフェイトとブレアを見ていたが、やがて、レナス達を振り返り、嘲笑を浮かべた。
 「酷い男ね。こんな大規模な自殺に、仲間達を道連れにして」
 「自殺……ですって?」
 狙いを外さないまま、マリアは聞き返す。
 「そうよ。フェイトが望んでいたのは、世界の独立なんかじゃない。ただ、自分が楽になりたかっただけ。自らの幕引きをしたかっただけ。スフィア社にとって、不要物となりたかっただけ。処分されたかっただけ」

 「そうだな……」

 応えたのは、フェイトだった。
 「確かに……僕には……初めから、お前達を倒すつもりなんてなかった」
 「そぅら、ご覧なさい。だいたい、ゲームのキャラが画面に向かって攻撃したって、驚かせる以外の何が出来るの? そんなこともわからず、フェイトにくっついてノコノコこの場にやってきたあんた達……まったく、大馬鹿よ。救いようがないわ」
 「……フェイトさん」
 誰よりも早く、レナスは、彼を呼ぶ。
 「本当に……倒す手段は、なかったんですか?」
 「ああ、本当だ」
 「本当に……?」
 「ああ、どうやっても……物理的に」
 「そう……ですか」

 彼女は今、自分でも驚くほど、冷静だった。

 「でも……」
 「ん?」
 「勝てますよね? 私達」

 全員が耳を疑い、

 「ああ……勿論だ」

 その二人の正気を疑った。





 ベリアルが異変に気付いたのは、ディスプレイを外し、自らの部屋を一歩踏み出した時だった。
 「……?」
 システムが異常を報告したわけではない。原始的な、人間としての、動物としての野生の直感が、危険を知らせたのだ。
 (何だ……この胸騒ぎは)

 今回のイベントでは、ルシファーの行動が未知数であったことも踏まえて、安全のために各自別々の場所からログインしていた。一番近いのは、アザゼルの部屋。そこへ向かう途中、誰一人として社員を見かけなかったことに、更に焦燥は高まっていく。
 「アザゼル!」
 ダルビア鋼製のドアを叩きながら、呼び鈴を鳴らす。しかし、内部からは何の反応も示さない。室内の生体反応を調べようとしたが、システムに拒絶された。
 「くそっ、あの根暗め!」
 緊急連絡用のデバイスも凍結している。数秒ほど考えたベリアルは、壁際まで後退すると、強硬手段に出た。
 「ID5561-13-22! プラグインの起動! 第一種モジュールの展開を要請する!」
 しかし、発動するはずの武装が反応しない。
 (……ただのシステムエラーか? いや……これは……)
 近くの端末を操作し、確信した。
 (全システムの優先権が、社長室に……!?)
 考えられるのは、一人しかいない。
 次の瞬間、ベリアルは駆け出した。てっきりゲームに復帰すると思っていたルシファーが、こちらの世界で行動する……あり得ない話ではなく、そしてとてつもなく危険な結果だ。今のルシファーの行動は、全くの未知数。現在の彼の社長権限など、あってないような物だが、それでも彼は天才なのだ。全てのシステムを掌握するなど造作もなく、そうなってしまえば、スフィア社の全てを崩壊させることも可能となる。

 (クソッ……)

 しかし、社長室へと到達した時……ベリアルは、自分の……自分たちの浅はかさを知ることになる。


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