中国との関係を深めるロシアだが、極東では“膨張する”隣国への警戒が膨らむ。08年に決着した国境画定交渉で領土の一部を割譲したハバロフスク地方では、住民は複雑な対中感情を抱いている。【ハバロフスクで大前仁】
「中国に島の西部を取られた。そのうち全部失うかもしれない」。ハバロフスクの対岸にある大ウスリー島(中国名・黒瞎子島)に農場を持つ株式会社「ザリャ」の幹部アレクサンドルさん(45)が話す。土地の譲渡に先立ち、ロシア政府は昨年までに同社の所有地46平方キロを強制収用した。だが、見返りの補償金はまだ支払われていないという。
ロシアはタラバロフ島(中国名・銀竜島)全島も中国へ譲り渡し、二つの島を合わせて70人以上の住民が土地と家を失った。アレクサンドルさんは「責任はロシア政府にある」と言いながら、急に隣人となった中国に対する不安を隠さない。
■空港開設に着手
交渉でロシアは、大ウスリー島西部のロシア正教礼拝堂を自国領として残すことに成功した。しかし、陸路では中国領を通らないと礼拝堂へ行けない。しかも多くの住民はそのために必要な越境通行許可書を持たない。やむをえず対岸から船で礼拝堂の近くまで渡航するなど、不便が生じている。
一方、19世紀半ばに失った領土を回復した中国はタラバロフ島で空港開設に着手。中国側の大ウスリー島と中国本土を結ぶ橋の建設も始め、島の開発に並々ならぬ意欲を示す。ただ一般の中国人が大ウスリー島へ入植している様子はない。「急に国境ができたが、隣に中国があるという実感はわかない」(29歳のロシア人男性)との声もある。
中国側に触発され、ロシア側も来年から大ウスリー島とロシア本土を結ぶ橋の建設を始める。地元では「島を通じて多くの中国人がロシア本土に押し寄せるかもしれない」と不安の声も出ている。
■広がる人口格差
ロシア科学アカデミー極東支部経済研究所のミナキル所長は「ロシア人から見れば中国は異質な国。領土交渉で譲歩したのは安定重視のためだ」と指摘する。
ロシア極東は91年のソ連崩壊前後から、国産品に代わって中国の安い食料や衣料品への依存を強めてきた。約2500店が入るハバロフスク最大のビボロク市場では「ほぼすべての品物が中国産」(市場関係者)といわれる。最近はハバロフスク地方で農業を始める中国企業も出ている。
地元の政治家が表だって「中国脅威論」を口にすることはない。昨年まで18年間ハバロフスク知事を務めたイシャエフ極東連邦管区大統領全権代表(62)は、対中関係について「妻(のような存在)ではないが、隣人」と例えて、「付き合うのは当然」と強調する。
人口が膨らむ中国の影は日増しに大きくなっている。ロシア極東連邦管区では、過去20年間で人口が約150万人減少し、現在は650万人程度。だが隣接する中国の黒竜江省の人口は約3800万人に上る。人口でロシアを圧倒的に上回る「異質」な隣人への警戒心が、とまどいを呼んでいる。
■まずは開発計画
中国との均衡を取るために日本や韓国との関係拡大を目指す動きもある。イシャエフ代表は日本を「伝統的なパートナー」と持ち上げ、東シベリア・極東開発での協力へ期待を寄せる。今年4月に訪日した同代表は、当時の鳩山由紀夫首相を表敬訪問し、アムール州に建設予定の「ボストーチヌイ宇宙基地」の整備で日本の協力を要請した。
だがハバロフスク地方で日本人従業員が駐在する企業は7社にとどまり、「日本政府が北方領土問題を理由にして、企業の進出を遅らせている」(同地方選出のレズニク下院議員)という不満も漏れる。メドベージェフ大統領が今月1日に北方領土の国後島を訪れたことで、さらに関係にひびが入る懸念もある。
一方、韓国は2月、鶏竜(ケリョン)建設がハバロフスクに23階建ての高級マンション2棟を完工し、韓国建設大手のロシア進出第1弾となった。だが極東進出で後に続く大手企業はまだない。ロシア中央部に比べて市場の小ささが障害となっているとの見方もある。
受け入れ態勢にも問題があるようだ。ある日本外交筋は「ロシアは具体的な計画もないのに、短期的な利益ばかりを求める」とこぼす。ロシア側からも、「外国資本を呼び込みたいなら、開発計画を整備することが先決」(ミナキル所長)と自省を促す意見も出始めている。
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■ことば
帝政ロシアは19世紀半ばに相次いで結んだ不平等条約で現在のハバロフスクや沿海地方などを清朝から獲得。中ソ国境交渉は80年代から本格化し91年に東部国境のアムール川流域の係争地を除く大部分の帰属で合意。94年には西部国境線で合意。東部国境で未解決だった部分は04年、ロシアがタラバロフ島と大ウスリー島の総面積の半分に当たる174平方キロを中国に譲渡することで基本合意、08年までに国境を画定した。
毎日新聞 2010年11月11日 東京朝刊