<大江戸調査室さんより>二階堂さん、お寒くなりましたが、体調いかがですか。ご自愛ください。
さて、新聞よんでたら、以下の記事が出ていました。
「日教組元委員長・総評元議長 槙枝元文さん死去」(朝日新聞)
三段見出し、五段抜きの記事とは個人の死亡記事としては破格の扱い、いかにも朝日らしい。ともあれ、小生としては晩酌ネタでまことにめでたいかぎりだw
ところで、この男、ご承知のとおり、日本教職員組合の委員長を最も長く続け、労働団体の最大組織だった総評の議長もつとめた、わし流にいえば「日本をダメにした戦後最大の悪人」の一人である。朝日によれば4日、肺炎で死去、89歳だったとある。
(朝日より引用)「岡山県生まれ。1940年、県立青年学校教員養成所を卒業後、兵役をはさんで国民学校や青年学校、中学校などで計5年、教壇に立った。復員後、戦後の民主教育にふれて地元で組合づくりをよびかけ、49年、結成間もない日教組の中央執行委員に。」と書くが、要するに「教師は労働者」と称して教壇を学校から放り出し、教員の勤務評定に反対を叫び続け、我が国の教育を破壊した張本人なのである。
教育を破壊した結果がどうなったか、もはや言うまでもない。団塊の世代の代表でもある菅直人の腑抜けぶりを見るだけで十分であろう(槙枝と奇しくも同郷)。日本人はダメになった、とは現代の合言葉だが、槙枝元文はまさしくその日本破壊、諸悪の根源を作り上げた男たちの、頂点に立つ一人といっても過言ではないのだ。
さて、二階堂さん、ここから先を聞いていただきたいのである。以下は小生の貴重なメモの一節です。
(抜粋)・・・「槙枝元文は憲兵中尉。樺太の兵站司令部に勤務。戦況の悪化を察知するや、業務と詐称して札幌に出張。ソ連軍の樺太侵攻により帰隊命令出るも無視。そのまま札幌に滞留。見捨てられた部下たちはシベリアに送られた。ひきょう者の行動許してはならじ・・・」
いささか長命にすぎたが、死因が「肺炎」とはシベリアの地に果てた兵士たちの怨念でもあろうか。今宵はこの拙稿を書かせた兵士たちの怨念に献杯するため、とっておきのワインでも開けますか、二階堂仁兄。
(コメント)ご無沙汰しております・・・と、こんなところで挨拶するのもなんですが(苦笑)。こういう輩がすべていなくなって、朝日新聞が空爆されれば平和はくるのでしょうなぁ。真の平和は左巻きがいないところにあるのでしょう。