2010年12月3日
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母親の胎内で被爆し、心身に障害を持って生まれた「原爆小頭症」をめぐり、1965年、極秘とされていた患者リストを匿名で支援者に提供した女性が28日、提供の事実を実名で証言した。女性は当時、米国が広島と長崎に設置した原爆傷害調査委員会(ABCC、現放射線影響研究所)に勤務していた。患者リストが明るみに出たことで、同年に患者と家族の会「きのこ会」が結成され、国が患者を援護対象とすることにつながった。
証言したのは山内幹子さん(79)=広島市中区。この日、きのこ会結成に尽力し、9月に急逝した元中国放送記者の秋信利彦さんをしのぶ会が同市であり、その席上、秋信さん側に匿名でリストを提供したことを明かした。山内さんは2007年、朝日新聞の取材に、リスト提供を明かしていたが、実名での証言は初めて。
原爆と小頭症の関係を証明する論文は、広島、長崎への原爆投下の数年後に出され、ABCCがひそかに臨床研究を続けていたが、患者が誰であるかは秘匿されていた。きのこ会の関係者によると、患者は国の支援もないまま孤立していたが、リスト入手によって会が結成でき、会の働きかけによって国は患者を「近距離早期胎内被爆症候群」と認定、援護対象となった。
山内さんによると、患者のカルテは6ケタの番号で管理され、いくつもの資料室に分けて保管されていた。当時、山内さんは、唯一各部屋に出入りすることができる立場にいたという。山内さんは「私自身、女学生のときに被爆し(被爆者の研究はするが治療をしない)ABCCに勤める矛盾に苦しんでいた。理不尽さに我慢できませんでした」と打ち明けた。
「きのこ会」会長で、小頭症の兄(64)の世話を続ける長岡義夫さん(61)は「良心に突き動かされた、苦渋の行動だったと思う。それがなければ患者と家族は孤立したままだった。感謝します」と話した。(武田肇)