民主党代表選では、菅直人首相と小沢一郎前幹事長の外交・安保政策の違いも目立つ。とりわけ米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題では、小沢氏は沖縄の米海兵隊の実戦部隊不要論を唱え、5月の日米共同声明をそのまま継承する首相をけん制。「現実主義外交」で自民党政権時と変わらない対米重視に傾斜する首相と、「対等な日米関係」を持論とする小沢氏の路線の違いがにじむ。【西田進一郎】
「同盟っちゅうのは従属じゃないんですよね。対等なんです」「海兵隊の実戦部隊はいらない。米国もいらないと思うから引き揚げている。現実には2000人(しかいない)」
小沢氏は3日のテレビ朝日の番組で、持論の「対等な日米同盟」や「在沖海兵隊の実戦部隊不要論」をぶった。普天間問題では、日米合意した同県名護市辺野古への移設を沖縄側の反対を理由に「進まない」と強調。沖縄側を含め、米国と話し合う必要性を重ねて示した。
小沢氏は09年2月には記者団に「米海軍の第7艦隊で、米国の極東でのプレゼンス(存在)は十分だ」と語っている。鳩山政権時に辺野古移設に否定的な考えを与党幹部に示していたことなどもあり、小沢氏が日米合意見直しに向けて動くとの憶測が消えない。
こうした対米観の根底には、官房副長官や自民党幹事長などとして直接交渉役を務めた80年代末の日米経済摩擦と91年の湾岸戦争がある。自衛隊派遣を模索した同戦争では、130億ドルを拠出したものの「日本は汗をかかない」と批判を浴び、93年の著書「日本改造計画」で「恥ずかしかった」と振り返っている。
これが日米対等の自立路線や国連待機軍の創設などを盛り込んだ「国連中心主義」につながったようだ。自衛隊とは別に作った国連待機軍を送り、国連の指揮下であれば武力行使も憲法に抵触しないと主張する。
近年は米国との距離がいっそう目立つ。小泉純一郎首相のイラクなどへの自衛隊派遣を「無定見な対米追従」と批判。07年にはインド洋での自衛隊の給油活動継続を一時停止に追い込んだ。政治アナリストの伊藤惇夫氏は「自由党が民主党と合併した03年ごろが転機だ。民主党内での基盤固めで旧社会党系グループを抱き込む必要があったのだろう」とリベラルに傾いた理由を解説する。
逆にアジア重視姿勢は顕著だ。日中国交正常化を成し遂げた田中角栄元首相の秘蔵っ子として86年から中国との民間交流「長城計画」を続けてきたことが原点だ。06年の民主党代表就任後、最初の海外訪問先に中国を選び胡錦濤国家主席と会談。09年には約140人の国会議員らを率いて訪中し歓待を受けた。
小沢氏は米、中との等距離外交「正三角形論」を唱えてきた。ただ、「親中派」とみられるのを懸念してか、代表選の政権構想やテレビ番組では「日韓、日中関係は日米関係に次いで大事な関係」と正三角形論を封印。尖閣諸島の領有権問題も取り上げている。
菅首相は6月の所信表明演説で「現実主義を基調とした外交」「日米同盟が基軸」を打ち上げた。今回の政権構想でも「日米同盟の深化」を掲げ、普天間問題は日米合意を「原点としてスタートする」と主張する。
野党時代が長かった菅氏の外交経験は乏しい。小泉政権時は「日本外交は(米国の)金魚のフン」(03年5月の衆院予算委員会で)と「対米追従」批判を展開。在沖海兵隊についても、幹事長時代の01年7月の記者会見で「米国領域内に戻ってもらうことを提起すべきだ」と述べるなど、米国内への撤退論を繰り返し主張していた。
しかし、6月の首相就任と共に現実主義に一挙にかじを切った。8月の衆院予算委員会では「海兵隊が沖縄に基地を含めて存在することは今の日本の安全、アジアの安定に必要な存在。地域の安全保障にとっての抑止的効果をあげている」と完全に転換した。
念頭には、鳩山前政権の教訓があるようだ。2日の公開討論会でも「1年の迷走した議論を続けることは日米関係だけでなくいろんな政策決定に障害を起こしてきた」と指摘。具体策に言及しない小沢氏に対し、「知恵の一部でも披歴してほしい」とけん制した。首相の姿勢に対しては「米政府側は菅内閣を『安定感がある』『現実的な判断をする』と評価している」(日本外交筋)との声が漏れる。
対中関係も、経済面を中心にした戦略的互恵関係をさらに進める一方、軍事費増の問題などを注視するという自民党政権時代からの戦略を踏襲する考えを表明。東アジア共同体構想については、5日のテレビ番組で「米国を排除するという意味ではなく、米国との連携も含めて一つの方向性として見いだしていく形で進めるべきだ」と述べた。鳩山政権時に同構想が米国側に「米国排除」との懸念を与えたことを意識した発言だった。
2010年9月8日