臨時国会が閉会した。多くの法案が審議されず、来年の通常国会に持ち越された。与野党が熟議を経て結論を出す、国会本来の姿からは程遠く、誹謗(ひぼう)中傷がまかり通る醜態には目を覆うばかりだ。
自由民権運動と国会開設運動を経て帝国議会が誕生したのは明治二十三(一八九〇)年。今年は開設百二十年に当たり、第一回帝国議会が開会した十一月二十九日には国会で記念式典が行われた。
しかし、式典の話題といえば、秋篠宮ご夫妻へのヤジと、式典中に鳴った携帯電話をめぐる与野党の懲罰動議合戦だ。これが「国権の最高機関」の現実なのかと暗澹(あんたん)たる気持ちにならざるを得ない。
今回の臨時国会は、与党が参院で過半数に満たず、衆院でも法案の再可決に必要な三分の二に達しない「真性ねじれ」下で迎えた。
与野党が協力し合わなければ、予算以外の法律は成立しない。だからこそ「熟議」の必要性が強調されたのだが、六十四日間の会期を振り返ると、どうだったか。
菅直人首相が最大の課題と位置付けた二〇一〇年度補正予算は成立したものの、製造業派遣を原則禁じる労働者派遣法改正案、郵政「改革」法案など多くが継続審議となった。菅内閣が今国会に提出した法案の成立率は55%。これは昨秋、鳩山前内閣当時の臨時国会の83%と比べても低い。
テレビ中継された審議時間の多くが、閣僚の失言や謝罪、野党側の口汚い政権批判に費やされた。
国会終盤に中国漁船衝突事件の不手際をめぐり仙谷由人官房長官、馬淵澄夫国土交通相への問責決議が可決されると早々に幕引きムードが漂い、「国のかたち」を競い合う党首討論も見送られた。
国の将来をめぐる論戦を期待した国民の胸をよぎるのは「この不景気に国会は一体、何をやっているのか」という怒りに違いない。
首相にも谷垣禎一自民党総裁にも、議論を通じてよりよい結論を得ようとの熱意が感じられない。
衆院選の度に政権交代が起こり得る二大政党時代には「ねじれ」の可能性は常にある。その度に国会が機能不全に陥っては、国民生活に必要な政策は実現しない。この体たらくが続くなら、政治不信はさらに深刻になる。
与野党は知恵を出し合い、「ねじれ」下で政策を実現するための新たなルールを早急につくるべきだ。それが議会開設百二十年という節目に、国会に議席を有する者に与えられた使命でもある。
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