<とことん中津>
なるほドリ 中津城の天守閣などは10月に、埼玉県の福祉事業系会社に売却されましたよね。そもそも城は誰のものだったの?
記者 1588年に秀吉の家臣・黒田如水によって着工し、その後、城主は細川、小笠原、奥平家と代わりました。明治に入り廃城になり、西南戦争があった1877年に建物が焼け、石垣だけが残りましたが、近世城郭としてその遺構は九州最古。「観光の目玉に」と市の要望を受け、土地を所有していた奥平家が市民の浄財と合わせ、1964年に天守閣を建てました。奥平家につながる会社が運営し、鎧(よろい)や絵図などを有料展示していました。
Q なぜ売ることになったの?
A 入場者の減少で城の経営が苦しくなったことと、「観光の目玉なのに対応が冷たい」という運営会社と市の間で近年、深い溝ができていました。
Q 「市民の共通財産であり、市以外の人が所有するのはまずい」と市民有志らによる運動は起きなかったの?
A 「天守閣は文化財ではなく、市の財政も苦しく買う必要はない」という意見と「長年、重要な景観になっており、福沢諭吉旧居を含めた城下町としてのシンボルであり、市が購入し残すべきだ」と論争が起きました。
Q 市はどうしたの?
A 市は当初、3億2000万円という値段に尻込みしましたが、運営会社は「ぜひ市に買ってほしい」と1億5000万円まで下げました。しかし耐震工事などをめぐり、物別れに終わりました。
Q なぜ市以外の福祉関連の会社に売却したの?
A 経営者が大分にゆかりがあり、展示もそのまま継続し、観光振興にも力をいれるということなので5000万円で売買が成立しました。
Q 今後は?
A 会社は市にあいさつを済ませ、12月中に展示場をリニューアルし、再オープンに向け急ピッチで工事を進めています。市も観光振興で協力する意向です。【回答・大漉実知朗(宇佐通信部)】
毎日新聞 2010年12月1日 地方版