明けぬ夜の闇の中で
〜セレイン・メネス〜
 
Chapter,3 『追憶の彼方』

「え……地球?」
 私は一瞬なんのことかわからず、おうむ返しにそう口にした。
「そう、地球だ。来週の便でな。なに、どうせ士官学校を受験するのなら、いずれは地球へ降りることになる。早めにいって準備ができると思えばいい」
「それにしても来週って……急な話ね、父さん。なにかあったの?」
「いや、そういうわけではない。たまたま勧めてくれる人がいてな」
 AC191年10月。サイド2の7バンチコロニー。
 後にジオンの奇襲攻撃によって破壊されることになるそのコロニーが、私が生まれ、13年間育った故郷だった。
 母は私が幼い頃に他界し、連邦軍の宇宙巡洋艦“ヨナグニ”の艦長を務める父との、二人暮しだった。まさに“軍人”というイメージそのものである父、厳しいけれどやさしい父との暮らしは、ジュニアスクールの段階で私に将来は連邦軍に入るのだ、という考えを植え付けていた。そのためもあって、私は同年代の少女たちと折り合いがいいとは言えなかったし、最低限のトレーニングもするようになっていた。いずれ地球の士官学校へ行くことも、もう決めていたし、父もそれを認めてくれていた。
「いやか、セレイン?」
「ううん、そういうわけじゃないけど。あんまりいきなりだから、びっくりしただけ。あっ、でも、私が地球に降りたら、父さんはどうするの?」
「俺はまぁ、どうにでもなるさ。それよりお前の方が心配だよ。地球でちゃんとやっていけるかどうかな」
「なにいってるのよ。父さんと母さんも昔は地球にいたんでしょ? 私だって、大丈夫に決まってるわ」
「そうか……。では、それでいいんだな?」
「うん。来週か……準備、しなくちゃね」
 そうして私は地球へと降りることになった。
 しかし、それが“たまたま勧めてくれる人がいた”からなどではなかったことは、わずか2ヶ月後には私にも理解できるようになった。戦争がはじまったのだ。
 私が地球へ“降ろされた”のは、高級軍人の家族が危険にさらされたり、人質にとられたりすることのないよう、軍の主導で行われた処置だったのだ。

 192年1月、地球からもっとも遠い、月の向こうにあるコロニー群サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦に対して独立戦争を宣言した。ジオンの宣戦布告からわずか40時間の間に、私のコロニーのあるサイド2を含め、3つのサイドが壊滅し、40億人もの死者が出るという信じがたい事態だった。
 幸い、父の乗った“ヨナグニ”は撃沈をまぬがれ、ルナIIへと入港したという報せが入った。ジオンは地球降下作戦を実施し、地上の大半を占領したが、やがて連邦の巻き返しにあい、結局数ヵ月後にはジオンの敗北で終戦を迎えた。
 後始末が終わったら休暇をとれるので、地球に降りられるだろう。と、月からの通信で父は言った。私の14の誕生日には必ず会いに来てくれると言った、その言葉を、私は長い間忘れることができなかった。その通信が、私が父と交わした最後の会話になったのだから。
 そう、父は地球へ降りてくることはなかった。ジオン独立戦争の終戦から間を空けず、新たな戦争が始まったのだ。異星人という恐ろしい侵略者との戦いが。
 ジオン独立戦争で疲弊しきった連邦は、ことごとく敗退し、その戦いの中で“ヨナグニ”も撃沈され、父は戦死した。地上の都市部の7割が衛星軌道上からの攻撃で跡形も無く焼き払われ、連邦政府の、いや地球人類の全面降伏という名の終戦までは、あっという間の出来事だった。
 その時初めて、私は戦っていた相手が地球人ではないのだと、聞かされた。しかし、そのようなことに驚いているような状況ではもはやなかった。
 その時期のことは、よく覚えていない。その頃、私が一体何をしていたのかも。
 覚えているのは、最初の交戦の後、父の戦死の知らせが届いたこと。降伏後の、異星人の帝国の徹底した弾圧と抵抗者の虐殺。血で赤く染まり混乱する世界の中で、私は逃げ出したのだ。その時住んでいた軍関係者の施設から。
 恭順か、死か。突きつけられた命題から、父の戦死のショックから抜け出せていなかった私は、逃げ出したのだった。その時の私は、それでどうなるのかなど、考えもしなかった。
 世界には住む場所を失ったり、私と同じように逃げ出した人々……難民があふれた。その中に混ざり、放浪を続ける日々は、半年ほども続いただろうか。その間のことも、やはりあまりよく覚えていない。ただひどい状況であった、という以外は。

 私は落ち着ける場所を探したが、そんなものはどこにもありはしなかった。泥と垢にまみれ、雑草や木の根で空腹を癒し、泥水で渇きをおさえ、生き長らえた。盗賊のような連中に襲われ、助けを求めた兵士たちに、逆によってたかって乱暴されたことも一度や二度ではない。考えてみれば、至極当然のなりゆきだった。彼らは兵士の格好をしているだけの、行き場をなくした敗残兵であったのだし、負傷し、明日を生きられるかどうかもわからない連中だったのだから。
 疲れ果て、もう思考することも出来ず、泥と垢にまみれた私は、それゆえにやがてそういった連中からも目をつけられることがなくなっていた。しかし一方で、もはやそんな私に救いの手を差し伸べてくれるものもまた、ありはしなくなっていたのだった。
 大勢が私の周りで死んでいった。私が生きているのは、ただ心が折れなかったからという、それだけの理由だったのだろう。だけど、それも、もう限界になっていた。もう、なんのためにこれほどつらい思いをしてまで生き長らえているのか、わからなくなっていた。
 生きることの放棄。
 どことも知れぬ場所で倒れこみ、私は再び立ち上がる気力を失った。
 そのまま、死んでしまうのだと思ったが、もうどうでもいいことだった。
 そして私は、彼に出会ったのだ。

 目を覚ましたときにはすでに辺りは真っ暗になっていたが、私の近くでゆらゆらと揺れるたき火の炎が、そのわきに座る人物を照らし出していた。
 そこが私が倒れた場所とは違うことや、その人物が誰であるかということは、一切私の頭には浮かんでこなかった。久しく嗅いだことのない、強烈な匂い、肉の焼けるその匂いが、そのとき私が意識したすべてだった。
「あ……」
 私は強烈な衝動にかられ、跳ね起きて肉を取ろうとした。しかし、体がついていかなかった。力の入らない足がくずれ、たき火の中へと倒れ込みそうになった。炎に焼かれる寸前、座っていた人物が機敏な動きで私を支えた。
「いきなり無茶をする奴だな。いまやるから座ってまってろ」
 男はそう言って、私を寝ていた場所(そこには毛布がしかれていた)へと座らせた。それから、カップに入った何かどろどろとしたスープのようなものを手渡した。
 私はとまどった。だってそれは、よく焼けて脂のしたたる、いい匂いのする肉ではなかったのだから。
 私の顔を見て、男は私が肉の匂いに釘付けになっていることに気付いたのだろう。軽く笑った。
「食いたいのはわかるが、お前の状態じゃすぐ吐くのが落ちだ。それで我慢してろ。栄養はあるし、落ち着けるくらいの量もある。もっとも軍用レーションだから味は悪いが……まぁお前にゃ気にならないだろう。どうした、食えよ?」
 男はそれだけいうと、もといた場所に座り込んだ。
 私は男の言っていることがよく理解できていなかった。ただ手の中に食べ物があることはわかっていたから、恐る恐るすすり、それから、むさぼるようにそれを飲み続けた。

 その時の私は、長い間言葉をしゃべることも忘れ、人というよりもただの動物に近い状態にあったのだろう、と思う。ひとしきり食べて、それから私はまたすぐに眠ってしまったようだった。そして、十分に食べ、眠ったことが、私に多少の体力と思考能力を取り戻してくれた。
 次に目をさましたときにはもう朝で、たき火も消えていたが、男はまだそこにいた。
「昨夜と似たようなもんだが、朝飯だ」
 彼はそう言って、毛布にくるまった私にカップを差し出した。
「なんで……助けてくれたの」
「何で? ほっとけば死んじまう奴が目の前にいて、理由が必要か?」
 怪訝そうな顔をして応える彼の顔をみて、私は彼が長い放浪生活の中で私がであった、初めてまともに言葉をかわせる相手なのだと知った。戦前には当たり前という以前のその言葉も、いまの地球では聞くことが珍しいものだった。
「ほら、食えよ」
 私はカップを受け取った。それから、こんな時に言うべき言葉はなんだったのか、必死になって思い出してから、言った。
「あ……ありがとう」

「ねえ……」
「……なんだ?」
「……名前……なんていうの」
「名前など、とうになくした。他の連中からは、“フラッグ”と呼ばれている。呼びたければお前もそう呼ぶがいい」
「フラッグ……旗? 変な名前ね」
「名前じゃないって言っただろ。そう呼ばれているだけだ」
「……ふうん」
「さてと……ずいぶん回復したみたいだな」
 辺りの片付けが終わってから、フラッグは言った。そして大きな背負い袋の中から、いくつかのパックを取り出した。
「悪いが俺は、今日中に行く所があるんだ。これをお前にやる。何日かはこれでやってけるはずだ。誰かに取られたりするなよ」
「え……?」
 私は彼が何を言っているのか、しばらくわからなかった。それから、唐突に理解した。私はまた、この生きる術のない世界に取り残されるのだ。
 彼にも事情があり、私のような荷物は邪魔なのだろう。そうは思ったが、それは嫌だ、と強く意識した。少しばかり余分に生き延びて、どうなるというのか。ならばあのまま死んでいた方がマシだったかもしれないのに。しかし体力と思考能力が回復した今は、そんな選択ができようはずもなかった。
「どこに行くの?」
 思わず私はそう聞いていた。
「俺たちの“街”だ」
 そう言ったときの彼の表情から、そこへ私を連れていきたがってはいないことがわかったが、私はいまの私にある唯一の生きる可能性を捨てることは出来なかった。
「一緒に……連れていって」
「しかし……」
「もう絶対倒れたりしない。足手まといになったら、置いて行ってもいいから」
「……俺たちの“街”には、役に立たない奴はいられない。追い出されるかもれしないし、邪魔になったら殺されるかもしれない。ダメだ、お前は連れていけない」
「それでも……」
「……?」
「それでも、今よりはましだから」
 フラッグはしばらく考えて、それから、小さくうなづいた。
「わかった。そんな状態でも今まで生きてきたし、回復も早い。お前はたぶん、普通よりは強いのだろう。いいだろう、連れていってやろう」
「ほんとに……?」
「ただし、後になって文句を言っても、聞かんぞ。お前、名前は」
「セレイン……セレイン・メネス」
「それじゃセレイン、とりあえずもう少し休め。それから、出発する。10キロは歩くからな。そのつもりでいろよ」
 私は小さくうなづいた。
 そして、この出会いが、その後の私が歩む道を決めてしまった。この瞬間に、それからの私のすべてが、決まったのだった。

 私が連れていかれたのは、廃墟の街の、所々くずれ落ちた地下道のような所だった。
 必死になってフラッグについて歩き、ふらふらになってここまでたどり着いたが、それでも、廃墟に入る前からそこらじゅうに人の気配を感じた。私がそのことに気付いたのを知ると、フラッグは「見張りだ。よく気付いたな」といって笑った。
 たぶんそこは、大きな地下ショッピングモールか何かだったのだろう。難民たちが雨風をしのぐために、このような所へ集まるのは、よく見た。しかし、この場所にいる人々は、それらとは大きく違っていた。汚れてはいるものの、悪臭はしないし、彼らの多くは武装している。そして、もっとも大きな違いは、その表情だった。
 私はこれまで、難民たちの中にここにいる人々のような笑い顔を見たことは、ほとんどなかった。あちこちで笑い声が聞こえる。信じられない光景だった。
 彼らはフラッグの姿を見つけると、みな一様に、走り寄ってきて声をかけてきた。
 それらの人々とひとしきり話をした後、フラッグは私に言った。
「ようこそ、セレイン。俺たち反帝国グループ“シャーウッド”の街へ」

 その“街”へ着いてから数日の間に、私は彼らについていろいろな事を知った。彼らが帝国の支配に反抗してゲリラ活動をしている人々であること。帝国の警備隊と幾度も衝突していること。もともとこの街に住んでいた者、他の街からの難民だった者、もと軍人など、様々な人々の集まりであること。そして、彼が“フラッグ”と呼ばれる理由も。
 彼のいる所に常に人が集まり、彼が動けば人も動いた。彼はシャーウッドの指導者であり、リーダーで、人望のある指揮官だった。彼はまさしく、彼らにとっての“旗印”だった。
 私は、彼らにとって役にたつ人間にならなければならなかった。でなければこの“街”にはいられない。そして、反帝国ゲリラである彼らにとって“役にたつ”というのは、反帝国活動ができるということで、主にそれは“戦えること”だった。
 フラッグは私に、戦い方を教えてくれた。
 いや、違う。私は彼が差し伸べてくれた手に、必死にすがりついただけだった。
 しかし戦う力と手段を手に入れることは、ムゲ帝国の強圧な支配下にある地球で、帝国におもねることなく生きるために、最低限必要なことでもあった。もっとも、父の背中を追いかけていた私は、士官学校へ入る準備のために、父の教えによってもともとある程度の基礎は身につけていたから、彼にとってはおそらくよい生徒であったに違いない。
 厳しい訓練の中で、私は彼の教える技術の多くを吸収していった。そして……反帝国ゲリラの闘士として認められるようになるまでに、たいした時間は必要としなかった。
 私は、この異星人に支配され荒廃した世界の中での生きる意味、生きていくための目的を見出した。
 戦いの……硝煙の匂いの中に……。

to be continue

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マエヘ